本社の傘下にある支社のうち一社が、7月の豪雨で被災。
そこで本社、支社、支店、営業所の各社員は交代で復旧作業に努めた。
団結して汗を流す社員の姿に感動した社長は
温泉に一泊しての慰労会を発案した。
対象は全社員。
費用は社長のポケットマネー。
注目されるのは行き先だが
我が社へ出入りする本社の人々の話によれば
社長はなぜか、我々の住む町のはずれにある温泉ホテルに決めたという。
そこは地元で唯一、高級と呼ばれているホテル。
それでも都会や観光地に比べて安いのと
貸し切りが可能なことから選ばれたのは想像がつくものの
単なる社長の気まぐれではない気がする。
これは我が社を意識したに違いない‥我々はそう思った。
というのも我が社はこのところ、断捨離候補の常連。
本社は明治後期から、本業である建設業のかたわら
合併や吸収を繰り返して規模を拡大してきた。
うちもその中の一社である。
社長の最近のマイブームは「効率の良いタイトな経営」。
そこで過去、合併や吸収をしてきた会社の見直しを始めた。
つまり、いらない会社は切り捨てるってこと。
これを渡りに舟としたのが、永井営業部長。
夫と性格の合わない彼は、以前から我が社の断捨離を主張していた。
彼が大抜擢で取締役に就任して以降、その発言は重く扱われるようになり
社長もその意見に賛同し始めた。
それを我々のボスである河野常務と
永井部長をこころよく思わない専務が止め
保留に持ち込むことを幾度となく繰り返していたのだ。
その間、我々はどうしていたかというと、相変わらずマイペース。
合併当初から、いつどうなってもいいように
心づもりをしてきたので、どうってことない。
合併は、会社同士の結婚だもの。
うまくいかずに離婚することもあるし、意地悪な小舅だっているものだ。
このマイペースが、永井部長を刺激しているのはわかっている。
彼は、我々が泣き叫んで命乞いをし
ひれ伏して服従を誓うのを待っているのだ。
この感触は義父と私の間に長年存在していたので、手に取るようにわかる。
けれどもそのような田舎芝居は、下賤の民にお任せしよう。
プライドとは、こういう時に使うものだ。
一生懸命働いている者を切れるもんなら切ってみろ‥
我々はそう思っているし、また、切られた時には
「今まで、よく持ったねえ」と笑うだけである。
そんなある日、支社の被災だ。
シロウトが集まって土砂をかき集めても、泥の山ができるだけ。
プロが積み、プロが運び、プロのルートで処理しなければ
復旧はできない。
その点で、我が社は早期の復旧に多少の貢献をしたと自負している。
社長も同じ気持ちだったようで
「非常に心強かった」という感謝の言葉と共に
「貴社の必要性を改めて感じた」
「今後も引き続き、地域の復興に尽力してもらいたい」
という旨が我々に伝えられた。
ここから推測するに、我が社の断捨離はとりあえず白紙になった模様。
支社が被災しなければ、遠からず消滅していたかもしれない。
ついぞ豪雨の前日まで、切る切らないを考えていた社長が
慰労会の会場を決めるにあたり
我が社の存在が皆無であったはずがない。
この措置は社長の誠意‥我々はそう受け止めた。
他の人にとっては遠出でも、うちらにとっては裏山だ。
わざわざ町内へ泊まりたがる物好きはいないが
「行きたくないけど、ここは参加せねばなるまい」
皆でそう話し合った。
そして8月最後の土日、全社を挙げての慰労会が行われた‥
らしい。
全社といっても実際に復旧作業をした社員とその上司が
主な参加者だったので、総勢80人余りだった‥
らしい。
そう言うしかない。
なぜなら、慰労会の案内が来なかった。
イベントの連絡係が、うちだけ忘れていたらしい。
さすが人材の墓場。
今さら驚きはしない。
つまり我々は、目と鼻の先で行われたイベントに呼ばれなかったのよ。
行きたくないと言いながら、呼ばれないとなると腹が立つ。
我々は『眠れる森の美女』に出てくる魔女のような心持ちで
「どうせ影が薄いんだ‥」と、ふてくされるのだった。
後日、本社営業部の野島君がやって来て、慰労会のことを話してくれた。
夫は彼に、案内が来ていないことを話したが、口止めしていた。
公にしたら、連絡係が責められるからだ。
野島君が言うには、宴会が始まってほどなく
河野常務はうちの社員が誰も来てないことに気がついたそうだ。
彼は何人かに事情をたずね、連絡ミスと判断した。
もちろん大激怒。
宴会はもう始まっているので、今さら呼ぶわけにもいかず
常務は終始不機嫌だったという。
そしてトドメはエアコンの故障。
深夜、複数の部屋のエアコンが故障して、多くの社員がつらい夜を過ごしたそう。
部屋を替えて欲しいと頼んだが、空いてないと言われ
暑い部屋で苦しむしかなかった。
「地獄でしたよ!
帰りたくても送迎バスだから帰れないし!」
暑がり揃いの我々は、それを聞いて震え上がった。
「行かなくて良かった!」
「影が薄くて良かった!」
野島君が帰った後で、夫と息子たちは心から言うのだった。
ところで影が薄いといえば、最近の松木氏。
本社が採用した我が社の元営業課長で、現在は生コン工場の工場長をしている。
彼は、うちに配属されている頃から仕事をしなかった‥
と言うより、仕事の仕方がわからない様子だった。
その代わり、嘘と演技がアカデミー賞並みにうまい。
この嘘と演技で本社の中途採用に潜り込んだのだ。
商工会や協会主催のレジャーには這ってでも行くが
ゴミ拾いや奉仕活動の時は、身内がコロコロとよく死んだ。
今の工場でも同じらしい。
彼は支社の復旧作業に駆り出される直前
胃の検査入院を理由に休みを取ったが、誰も信じる者はいなかった。
作業が嫌で仮病を使ったに違いない‥
我々を含めた誰もがそう思っていた。
それから何日か経って支社が復旧した途端、松木氏は出勤を再開した。
けれども間もなく、本当に胃の調子が悪くなったようで
改めて病院へ行ったら胃癌発覚。
そのまま入院して、内視鏡手術を受けた。
退院した彼は先日、久しぶりに我が社を訪れた。
私はいなかったので会ってないが
夫は彼の影が薄くなっているのに驚いたと言う。
「前は、悪いなりにオーラみたいなものがあった。
それが全然無いんじゃ」
夫は首をかしげる。
松木氏は事務所に残っていた私物を片付け、静かに帰ったという。
「長くないかも‥」
夫はポツリと言った。
それが松木氏の社会人生活についてなのか
寿命についてなのかは、聞きそびれている。
そこで本社、支社、支店、営業所の各社員は交代で復旧作業に努めた。
団結して汗を流す社員の姿に感動した社長は
温泉に一泊しての慰労会を発案した。
対象は全社員。
費用は社長のポケットマネー。
注目されるのは行き先だが
我が社へ出入りする本社の人々の話によれば
社長はなぜか、我々の住む町のはずれにある温泉ホテルに決めたという。
そこは地元で唯一、高級と呼ばれているホテル。
それでも都会や観光地に比べて安いのと
貸し切りが可能なことから選ばれたのは想像がつくものの
単なる社長の気まぐれではない気がする。
これは我が社を意識したに違いない‥我々はそう思った。
というのも我が社はこのところ、断捨離候補の常連。
本社は明治後期から、本業である建設業のかたわら
合併や吸収を繰り返して規模を拡大してきた。
うちもその中の一社である。
社長の最近のマイブームは「効率の良いタイトな経営」。
そこで過去、合併や吸収をしてきた会社の見直しを始めた。
つまり、いらない会社は切り捨てるってこと。
これを渡りに舟としたのが、永井営業部長。
夫と性格の合わない彼は、以前から我が社の断捨離を主張していた。
彼が大抜擢で取締役に就任して以降、その発言は重く扱われるようになり
社長もその意見に賛同し始めた。
それを我々のボスである河野常務と
永井部長をこころよく思わない専務が止め
保留に持ち込むことを幾度となく繰り返していたのだ。
その間、我々はどうしていたかというと、相変わらずマイペース。
合併当初から、いつどうなってもいいように
心づもりをしてきたので、どうってことない。
合併は、会社同士の結婚だもの。
うまくいかずに離婚することもあるし、意地悪な小舅だっているものだ。
このマイペースが、永井部長を刺激しているのはわかっている。
彼は、我々が泣き叫んで命乞いをし
ひれ伏して服従を誓うのを待っているのだ。
この感触は義父と私の間に長年存在していたので、手に取るようにわかる。
けれどもそのような田舎芝居は、下賤の民にお任せしよう。
プライドとは、こういう時に使うものだ。
一生懸命働いている者を切れるもんなら切ってみろ‥
我々はそう思っているし、また、切られた時には
「今まで、よく持ったねえ」と笑うだけである。
そんなある日、支社の被災だ。
シロウトが集まって土砂をかき集めても、泥の山ができるだけ。
プロが積み、プロが運び、プロのルートで処理しなければ
復旧はできない。
その点で、我が社は早期の復旧に多少の貢献をしたと自負している。
社長も同じ気持ちだったようで
「非常に心強かった」という感謝の言葉と共に
「貴社の必要性を改めて感じた」
「今後も引き続き、地域の復興に尽力してもらいたい」
という旨が我々に伝えられた。
ここから推測するに、我が社の断捨離はとりあえず白紙になった模様。
支社が被災しなければ、遠からず消滅していたかもしれない。
ついぞ豪雨の前日まで、切る切らないを考えていた社長が
慰労会の会場を決めるにあたり
我が社の存在が皆無であったはずがない。
この措置は社長の誠意‥我々はそう受け止めた。
他の人にとっては遠出でも、うちらにとっては裏山だ。
わざわざ町内へ泊まりたがる物好きはいないが
「行きたくないけど、ここは参加せねばなるまい」
皆でそう話し合った。
そして8月最後の土日、全社を挙げての慰労会が行われた‥
らしい。
全社といっても実際に復旧作業をした社員とその上司が
主な参加者だったので、総勢80人余りだった‥
らしい。
そう言うしかない。
なぜなら、慰労会の案内が来なかった。
イベントの連絡係が、うちだけ忘れていたらしい。
さすが人材の墓場。
今さら驚きはしない。
つまり我々は、目と鼻の先で行われたイベントに呼ばれなかったのよ。
行きたくないと言いながら、呼ばれないとなると腹が立つ。
我々は『眠れる森の美女』に出てくる魔女のような心持ちで
「どうせ影が薄いんだ‥」と、ふてくされるのだった。
後日、本社営業部の野島君がやって来て、慰労会のことを話してくれた。
夫は彼に、案内が来ていないことを話したが、口止めしていた。
公にしたら、連絡係が責められるからだ。
野島君が言うには、宴会が始まってほどなく
河野常務はうちの社員が誰も来てないことに気がついたそうだ。
彼は何人かに事情をたずね、連絡ミスと判断した。
もちろん大激怒。
宴会はもう始まっているので、今さら呼ぶわけにもいかず
常務は終始不機嫌だったという。
そしてトドメはエアコンの故障。
深夜、複数の部屋のエアコンが故障して、多くの社員がつらい夜を過ごしたそう。
部屋を替えて欲しいと頼んだが、空いてないと言われ
暑い部屋で苦しむしかなかった。
「地獄でしたよ!
帰りたくても送迎バスだから帰れないし!」
暑がり揃いの我々は、それを聞いて震え上がった。
「行かなくて良かった!」
「影が薄くて良かった!」
野島君が帰った後で、夫と息子たちは心から言うのだった。
ところで影が薄いといえば、最近の松木氏。
本社が採用した我が社の元営業課長で、現在は生コン工場の工場長をしている。
彼は、うちに配属されている頃から仕事をしなかった‥
と言うより、仕事の仕方がわからない様子だった。
その代わり、嘘と演技がアカデミー賞並みにうまい。
この嘘と演技で本社の中途採用に潜り込んだのだ。
商工会や協会主催のレジャーには這ってでも行くが
ゴミ拾いや奉仕活動の時は、身内がコロコロとよく死んだ。
今の工場でも同じらしい。
彼は支社の復旧作業に駆り出される直前
胃の検査入院を理由に休みを取ったが、誰も信じる者はいなかった。
作業が嫌で仮病を使ったに違いない‥
我々を含めた誰もがそう思っていた。
それから何日か経って支社が復旧した途端、松木氏は出勤を再開した。
けれども間もなく、本当に胃の調子が悪くなったようで
改めて病院へ行ったら胃癌発覚。
そのまま入院して、内視鏡手術を受けた。
退院した彼は先日、久しぶりに我が社を訪れた。
私はいなかったので会ってないが
夫は彼の影が薄くなっているのに驚いたと言う。
「前は、悪いなりにオーラみたいなものがあった。
それが全然無いんじゃ」
夫は首をかしげる。
松木氏は事務所に残っていた私物を片付け、静かに帰ったという。
「長くないかも‥」
夫はポツリと言った。
それが松木氏の社会人生活についてなのか
寿命についてなのかは、聞きそびれている。