殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

ヤエさんの幸せ計画・その2

2014年09月28日 17時55分57秒 | みりこんぐらし
「功徳と悟りから足を洗うの?」

ヤエさんはいぶかしげに聞き返す。

「功徳と悟りがいけないの?それは正しいことじゃないの?」

「ヤエさんには向かないかも」

「善行をほどこして功徳を積めば、悟りがひらかれると

私はお寺で習ったわ。

だから好きな料理で功徳を積んで、悟りをひらきたいのよ」

「じゃ、とりあえず、その悟りをあきらめてもらおうか」


ヤエさんは驚いて私を見つめる。

「この何十年、頑張ってきたのは、全部無駄ってこと?」

「無駄じゃないよ。

悟りはひらかれないと知ったんだから」

「そんな…」

「悟りをひらくのは、お釈迦様やらキリスト様やら

人間でない人がやったらいいんじゃないかな。

我々人間の本業は、置かれた環境の現実を認めて

その中で感謝を探すことじゃないかしらん。

お茶汲みOLに社長はできないじゃん」

「でも努力すれば…」

「努力して、部長か専務まで来た実感ある?

それをヤエさんに教えたお寺はどうよ。

嫁姑は険悪で、子供はプータロー

“生活が苦しいから夜のバイトに行こうかと思う”

なんて檀家の前で言ってた住職は、もう悟ったかしら」


思い当たることがあるらしく、ヤエさんは素直だった。

「わかりました…悟りはあきらめるわ。

あとは何をしたらいいの?」

「何もしなくていいのよ、やめるだけよ」

「何を?」

「功徳」

「え?」

「ごちそうを配るのをやめるのよ」

これを言うのは、少々勇気が必要だった。

趣味をやめろと言うのは、ヤエさんに酷な話である。


それに、ヤエさんの手料理が食べられなくなるのは打撃だ。

綺麗でおいしくて大量の差し入れに、何度助けられたか知れない。

病人を抱えた、慌ただしくも殺伐とした家庭に一瞬で笑顔が満ち

心にポッと暖かい灯がともる。

ヤエさんは確かに、多くの家庭に灯りをともしてきたのだ。


ヤエさんとこのおばあちゃんと同じく、セコくて卑怯な私は言い直す。

「一度にやめるのは難しいだろうから、回数を減らしなさいよ」

この性根であれば、将来自分の出したブツで壁アートはまぬがれまい。


そもそもヤエさんが「功徳」と表現する

プロ並みの仕出しこそが

彼女を不幸のどん底に突き落としていた。


ヤエさんの「功徳」がうちに届くのは、月に1~2回ほどだが

彼女の家では週1~2回のペースで「功徳」が行われている。

それが身内やご近所、友人に振り分けられるのだ。

お寺の行事のたびに、総代として料理を提供しているし

ちょっとしたご挨拶やお礼、お返しも料理でまかなわれる。


「功徳」と言うからには、人が喜ぶ食品でなければならない。

散らし寿司、おはぎ、フライ、天プラ…

高カロリー、高糖分のごちそうばかりだ。

給食業者並みの設備が揃う作業場で

それらの功徳は生産されるのであった。


人に配るほど作るんだから、自分の家でも食べる。

余ったら次の日も、無くなるまで食べる。

食べているうちに次の「功徳」が訪れる。

こうしてヤエさん一家は年中

パーティー料理を食していることになる。



これを何十年も続けていれば、加齢で代謝の低下したおばあちゃんが

糖尿病になるのは必然だ。

近年は、糖尿病と認知症の関係も取り沙汰されている。

昨年はご主人が急激かつ重度の糖尿病で倒れ、入院した。

ヤエさんが無事なのは、作るのにくたびれて食欲を失うからである。


無事な一人に、世話と労働がのしかかるのは当然だ。

多忙な我が身を嘆きつつ、厄介をかける人間を恨むという

本末転倒の構図がそこに成立する。


ヤエさんと仲良くなってまる3年

いつも母のような思いやりを心からありがたく思っていた。

その一方で、よその家のため、知らず知らずに犠牲となっている

ヤエさんの心身と家庭を案じずにはいられなかった。


悟りをひらきたい願望を達成する手段として

善行を行うのであれば、それは功徳でなく

我欲という別物になってしまう…

悟りが、自我や損得を超越したところにあるとされるからには

我欲を重ねても、悟り行きのチケットにはならない…

功徳のためじゃなく、誰かの笑顔が見たくてやるのなら

回数は自然に減ると思う…

趣味と実益の一石二鳥を狙わず

一旦ハードルを下げて様子を見ようよ…

私はそんなことを話した。


善良なヤエさんにとって「我欲」という言葉は

かなりショックな様子だったが、涙を流してうなづくのだった。


《続く》
コメント (10)
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