選挙で知り合い、友達になった一回り年上のヤエさんと
3つ年上のラン子さん。
月に一度か二度会ってはランチを楽しむようになって、3~4年が経つ。
この三婆、初夏のあたりから、遊び方が変化した。
食べ歩きや買い物をやめて、ラン子の家で過ごすようになったのだ。
ラン子の家へ続く登り坂は、道幅が狭い。
私の車では上がれないため、遊ぶ時は下の広場で待ち合わせていた。
ヤエさんは、足が丈夫でないラン子を気の毒に思い
自分の軽自動車で送迎すると言い出した。
「太ってるから足に来るのよ、歩かせたらいいのよ。
仕事に行く時は駅まで歩いてるんだから」
冷酷な私は、ラン子邸へと続く過酷な登山に反対したが
親切なヤエさんは耳を貸さない。
こうして我々は、ヤエさんの車で移動するようになった。
だが彼女も67才、この頃は運転がしんどくなってきた模様。
町内で私を、隣町の山でラン子を拾い
食を求めてウロチョロするのがつらくなったのだ。
定期的に助手席に乗っていると
視力や技術の衰えが何となくわかるものだ。
運転の適性は下降、他人を乗せるプレッシャーや食後の倦怠感は上昇。
こうして老人は、運転が苦手になっていく。
移動手段を私の車に戻そうと思っていた矢先、ヤエさんが提案した。
「ラン子さんの家で何か作って
ゆっくりおしゃべりしながら食べるのはどう?」
ヤエさんの疲労を考えて、我々は同意した。
ラン子が一人暮らしをする山荘?は、寝たきりの伯母さんの持ち物だそう。
広くて気持ちの良い美邸だ。
ヤエさんは以前から、姑さんとご主人を見送ったら
自宅は子供に譲り、ここで我々と暮らす夢を温めている。
私は老後、同級生ユリちゃんのお寺で暮らす野望はあるものの
料理上手で優しいヤエさんと暮らすのも、やぶさかではない。
しかしラン子とは遠慮したい。
自分が頑張るよりも人を下げてバランスを取る
悪魔のような性格は嫌いではないけど
市内に住む親きょうだいと娘も、同じ性格だからである。
悪魔も単独なら可愛げがあるが、人数が多いとろくなことはない。
必ずゼニのことでモメる予感がする。
老後の共生は本人だけでなく、家族の性質も考慮する必要があるのだ。
住環境も考えなければ。
病院や店から遠く、急で長い坂という、老人には不利な立地条件。
せめて救急車が乗り付けられる所であってほしい。
伯母さん名義の家土地というのも相続でモメそうだし
家賃や生活費は分担するとしても、修繕費用は、固定資産税は…
最後に生き残るのがラン子ならいいが、そうでない場合は宿無し…
これらの諸問題をクリアしてまで住みたい家ではない。
ともあれ、ラン子の家で料理をすることになった3人。
ヤエさんのことだから、用意周到だ。
下ごしらえのすんだ食材を入れた発泡スチロールの箱を
何個も運び込む。
3人で、焼いたり揚げたり並べたり。
「楽しいわ~!」
ヤエさんは微笑む。
おかしい…私はちっとも楽しくない。
これはどうしたことか。
家メシのシステムを気に入ったヤエさんは
「次からずっとこうしましょう」
と言う。
それから何回かやったが、やっぱり楽しくない。
楽しくない上に、ひどく疲れる。
一体どういうことなのか。
だがやがて、この習慣から解放される時が来た。
ラン子の甥や姪の結婚が4~5組、立て続けに決まり
ヤエさんに着物を借りるようになったのが発端である。
私はラン子の娘に着物を貸すことはあるが
年上で元くろうとのラン子が着るには無理があった。
その点、着物を着る機会の多いヤエさんは
定期的に着物を作り続けている。
ヤエさんの年齢に合わせた地色と、凝っているが控えめな柄ゆきは
粋な印象のラン子にしっくり合うのだった。
ラン子は自分だけでなく、妹や、弟の嫁など
年齢の近い親族の衣装もヤエさんから調達するようになった。
衣装持ちなので、一気に借りやすいのだ。
「貸衣装ヤエ」は、長襦袢を始め
帯揚げ、帯しめ、半襟などの小物も充実している。
「共働きしていながら、あんたの身内は着るべき物も揃えずに
貸衣装代も惜しんで、今まで何してたんだ」
私は小姑のように憎まれ口をたたく。
何してたも何も、どこでもそうだろうけど
教育にお金をつぎ込んで衣装どころじゃなかったと思う。
だけど姉の友達というだけで、見も知らぬ人から何度も着物を借りるなんて
親族一同、節操が無さ過ぎじゃないか。
しかし衣装部主任は
「生きているうちに、あと何回着られるかわからないもの。
活用してこそ買った甲斐があるわ」
そう言って上等の品を気前良く貸すのだった。
よってこのところはヤエさんの家に集まって
ラン子様御一行の衣装を選んだ後、ランチに出かけるパターンが定着した。
女は人の衣装を見るのも好きだが、自分のコレクションを見せるのも大好きだ。
ヤエさんは心から楽しんでいた。
よっしゃよっしゃ…この調子で忘れてもらおう…
私は家メシからの脱却にほくそ笑む。
そしたら何で楽しくなかったか、急にわかった。
食べる物を作る…それは病院の厨房でさんざんやったことであり
家で毎日やっていることだからであった。
食べる物を作るのは、私にとって遊びでなく労働だったのだ。
な~んだ。
3つ年上のラン子さん。
月に一度か二度会ってはランチを楽しむようになって、3~4年が経つ。
この三婆、初夏のあたりから、遊び方が変化した。
食べ歩きや買い物をやめて、ラン子の家で過ごすようになったのだ。
ラン子の家へ続く登り坂は、道幅が狭い。
私の車では上がれないため、遊ぶ時は下の広場で待ち合わせていた。
ヤエさんは、足が丈夫でないラン子を気の毒に思い
自分の軽自動車で送迎すると言い出した。
「太ってるから足に来るのよ、歩かせたらいいのよ。
仕事に行く時は駅まで歩いてるんだから」
冷酷な私は、ラン子邸へと続く過酷な登山に反対したが
親切なヤエさんは耳を貸さない。
こうして我々は、ヤエさんの車で移動するようになった。
だが彼女も67才、この頃は運転がしんどくなってきた模様。
町内で私を、隣町の山でラン子を拾い
食を求めてウロチョロするのがつらくなったのだ。
定期的に助手席に乗っていると
視力や技術の衰えが何となくわかるものだ。
運転の適性は下降、他人を乗せるプレッシャーや食後の倦怠感は上昇。
こうして老人は、運転が苦手になっていく。
移動手段を私の車に戻そうと思っていた矢先、ヤエさんが提案した。
「ラン子さんの家で何か作って
ゆっくりおしゃべりしながら食べるのはどう?」
ヤエさんの疲労を考えて、我々は同意した。
ラン子が一人暮らしをする山荘?は、寝たきりの伯母さんの持ち物だそう。
広くて気持ちの良い美邸だ。
ヤエさんは以前から、姑さんとご主人を見送ったら
自宅は子供に譲り、ここで我々と暮らす夢を温めている。
私は老後、同級生ユリちゃんのお寺で暮らす野望はあるものの
料理上手で優しいヤエさんと暮らすのも、やぶさかではない。
しかしラン子とは遠慮したい。
自分が頑張るよりも人を下げてバランスを取る
悪魔のような性格は嫌いではないけど
市内に住む親きょうだいと娘も、同じ性格だからである。
悪魔も単独なら可愛げがあるが、人数が多いとろくなことはない。
必ずゼニのことでモメる予感がする。
老後の共生は本人だけでなく、家族の性質も考慮する必要があるのだ。
住環境も考えなければ。
病院や店から遠く、急で長い坂という、老人には不利な立地条件。
せめて救急車が乗り付けられる所であってほしい。
伯母さん名義の家土地というのも相続でモメそうだし
家賃や生活費は分担するとしても、修繕費用は、固定資産税は…
最後に生き残るのがラン子ならいいが、そうでない場合は宿無し…
これらの諸問題をクリアしてまで住みたい家ではない。
ともあれ、ラン子の家で料理をすることになった3人。
ヤエさんのことだから、用意周到だ。
下ごしらえのすんだ食材を入れた発泡スチロールの箱を
何個も運び込む。
3人で、焼いたり揚げたり並べたり。
「楽しいわ~!」
ヤエさんは微笑む。
おかしい…私はちっとも楽しくない。
これはどうしたことか。
家メシのシステムを気に入ったヤエさんは
「次からずっとこうしましょう」
と言う。
それから何回かやったが、やっぱり楽しくない。
楽しくない上に、ひどく疲れる。
一体どういうことなのか。
だがやがて、この習慣から解放される時が来た。
ラン子の甥や姪の結婚が4~5組、立て続けに決まり
ヤエさんに着物を借りるようになったのが発端である。
私はラン子の娘に着物を貸すことはあるが
年上で元くろうとのラン子が着るには無理があった。
その点、着物を着る機会の多いヤエさんは
定期的に着物を作り続けている。
ヤエさんの年齢に合わせた地色と、凝っているが控えめな柄ゆきは
粋な印象のラン子にしっくり合うのだった。
ラン子は自分だけでなく、妹や、弟の嫁など
年齢の近い親族の衣装もヤエさんから調達するようになった。
衣装持ちなので、一気に借りやすいのだ。
「貸衣装ヤエ」は、長襦袢を始め
帯揚げ、帯しめ、半襟などの小物も充実している。
「共働きしていながら、あんたの身内は着るべき物も揃えずに
貸衣装代も惜しんで、今まで何してたんだ」
私は小姑のように憎まれ口をたたく。
何してたも何も、どこでもそうだろうけど
教育にお金をつぎ込んで衣装どころじゃなかったと思う。
だけど姉の友達というだけで、見も知らぬ人から何度も着物を借りるなんて
親族一同、節操が無さ過ぎじゃないか。
しかし衣装部主任は
「生きているうちに、あと何回着られるかわからないもの。
活用してこそ買った甲斐があるわ」
そう言って上等の品を気前良く貸すのだった。
よってこのところはヤエさんの家に集まって
ラン子様御一行の衣装を選んだ後、ランチに出かけるパターンが定着した。
女は人の衣装を見るのも好きだが、自分のコレクションを見せるのも大好きだ。
ヤエさんは心から楽しんでいた。
よっしゃよっしゃ…この調子で忘れてもらおう…
私は家メシからの脱却にほくそ笑む。
そしたら何で楽しくなかったか、急にわかった。
食べる物を作る…それは病院の厨房でさんざんやったことであり
家で毎日やっていることだからであった。
食べる物を作るのは、私にとって遊びでなく労働だったのだ。
な~んだ。