僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 北京五輪と24時間テレビ

2008年08月31日 | ニュース・時事

毎週木曜日は文春と新潮の2つの週刊誌が発売される日で、いつも木曜日の朝刊を広げると、まずその広告から見る。今回は北京五輪の特集が組まれているので余計に楽しみであった。文春のほうは「星野仙一、ヘボ監督の正体見たり!」がメインの見出しで、新潮のほうは文春ほど大きな扱いではないが、「日の丸を『屈辱』に染めた星野ジャパン『7つの大罪』」という見出しをつけていた。しかし文春の星野ジャパン批判の見出しの行列はすさまじい。これは買わなければ…

両週刊誌が発売されたのは8月28日(木)だったが、その日は、僕は仕事のほうで臨時議会というのが行われた日だった。これは年に1度、市議会の議長や副議長、議会運営委員会や各種常任委員会の委員長らが交代をするための議会で、僕らの間では「役選議会」と呼んでいる。議長らの任期は、申し合わせにより1年で、うちの議会は8月末に毎年議長らが交代することになっている。それには議会の議決が必要だから、臨時議会を開く、というわけだ。

この日は、毎年、各党派間で、議長や副議長などの役職ポストを巡ってめまぐるしく、かつ複雑怪奇な渦が巻き、僕たち事務方は、そんな党派エゴの渦に巻き込まれたりするわけだが、まあ、昔は徹夜は当たり前だったのが、最近はそういう傾向もなくなってきたのはありがたい。その日も、モメはしたけれど、ほどほどの時間に、新しい議長、副議長らも決まり、臨時会はめでたく終了した。

臨時会を終えて、夜に週刊誌2誌を買うためにコンビニへ走った。
1軒目、2軒目、3軒目とまわったが、週刊新潮は置いてあったが、
「星野仙一、ヘボ監督の正体見たり!」の大特集を組む週刊文春のほうは、すべて売り切れだった(やっぱり、みんな読みたがっているわけだね)。やっと4軒目の店で1冊だけ売れ残っていたのを見つけて買った。ついでに週刊新潮も買った。

文春記事の中身は、
田渕、山本浩二を配したお友達内閣では勝てない。
投手交代が遅いし、使う投手も岩瀬、川上と、星野と縁の深い投手ばかり
調子の悪い岩瀬を使い続けたことで、落合中日監督は激怒。『シーズン中でもあんな使い方はしない。岩瀬を潰す気か』
ダルビッシュは準決勝で先発をさせてもらえず、頭を丸めてまで意欲を示していたので死ぬほど悔しがっていた。星野はなぜダルを使わなかったのか。
予選のとき、藤川を使う場面で岩瀬を出したので、藤川は肩を落としていた。モチベーションが下がった藤川は、その後準決勝の韓国戦で同点に追いつかれた
田渕打撃コーチが、高めの球に手を出すな、あれもダメ、これもダメと消極的な指示ばかり出すので、選手が思い切ってバットを触れなくなった
エラーを続発して日本を敗北に引きずり下ろしたG・G佐藤は、落球の際、サングラスを目ではなく、帽子にかけていた

…ということが、まだまだいっぱい書き綴られていた。

おまけとして、
そのGG(ジージー)という発音は、中国語の鶏鶏(ジージー)と同じで、それは「おチンチン」の隠語なのだそうである。日本の応援団が「頑張れGG」「打て打てGG」は、「頑張れチンチン」「打て打てチンチン」と中国人には聞こえるわけ。「やってしまったGGポロリ」は、まさに「やってしまったチンチン、ポロリ」…となり、いずれにしても日本の野球は恥ずかしい結末となってしまった。

…すみません。ちょっとイヤラシかったですか。
日曜日ですから、大目にみてやってくだせ~まし。


そんな週刊文春に、「北京五輪・情けない男」特集に小倉智昭が載っていた。
ちょうどその朝ブログで小倉のことを書いたばかりだったので興味深く読んだ。
「フジのカネで『金メダルを全部見たと威張る小倉智昭』」との見出し。

口を開けば
「あれ、目の前で見ました」
「僕はメダルを取るって公言していたんだけれども」
「みんな、小倉さん、小倉さんって声かけてくれてねぇ」
と自分のことばかり。

「とくダネ!」は、特に教養もなく良識にも欠ける小倉を、あたかも偉いように見せるための刷り込みを絶え間なく続けるだけの番組。そのために、腰巾着界の金メダリスト・笠井信輔アナと、あからさまじゃないヨイショが上手い佐々木恭子アナを脇に配し、小倉はオレ様生活を満喫している…と書かれてある。

その小倉が北京に派遣され、
フェンシングの大田を「かねてから注目していたんですが」
ソフトボール競技を「中学の同級生に全日本のメンバーがいて、その時から注目していたんですが」
そして、優勝したソフトボール監督に「おめでとうと言ったら『小倉さんのおかげです』って言われました」
400リレーの銅メダルの快挙に「僕がリレーをやっていた40年前はバトンのアンダーパスはブームでした。伊東さん(元陸上選手の現解説者に向かって)もご存じないだろうけど」
…などと、言いたい放題。

チケットも移動も全部手配してもらい、ギャラまでもらって、「あれも見た、これも見た」と威張り散らす。「言っただろう、オレ言ってただろ、彼がメダルを取るって」などと自慢をし「小倉さんの予言、当たりました!」とまた笠井が騒ぐ騒ぐ。
メダル予想なんて、あれもこれもメダル候補、と可能性のあるものを全部言ってたら、どれかは当たるものである。当たったものだけを取り上げて自慢するって、まるで小学生並み。

と、まあ、そんな具合に書かれていました。
考えることは、み~んな同じようなものですね。

ところで、今回も、五輪実況中継の騒がしさが取り上げられていた。
アナが「やったぁ!」と絶叫…。
感情ムキ出しで叫び続けたアナと解説者が、たしかに多かった。
NHKでもうるさい人がいる…と思ていったら、民放と分担して伝えたので、NHKをかけていても、民放アナが実況している場合もあったのだ。
叫ばなくても、十分に視聴者に競技の緊迫感は伝わるのに、なぜあれだけ叫ぶのかと思うし、ギャーギャー叫んでくれない方が絶対にもっと楽しめるのに…と不思議で仕方ないのだけれども、しかし今回は僕はまだマシだったような気がするのだ。8年前のシドニーオリンピックのテレビ中継が最もひどかった。こんなアナの放送を聴かされながら見なければならないというのが、悲しかった。それから比べたら、アテネ五輪では少し改善されたし、今回もひと頃のような頭がガンガンするような騒がしさはなくなってきたように思う。

ただ、スタジオに選手を招いたときなどの、スポーツのバラエティ化は、とどまるところを知らない。面白さと悪ふざけとは違うことを肝に銘じなければならない。

スポーツ選手を相手にふるまうタレントの態度は、悪ふざけである。
スポーツ選手はあくまでもスポーツ選手として遇されることを望みたい。
テレビを見ていると、選手たちが主役であるはずなのに、芸能人がその主役の座を奪ってしまっている。この時点で、すでに番組が見苦しいのだ。

また、選手の方も芸能人に媚びたりしているのが時々感じられる。やはり若い選手たちはテレビに出ることがうれしくて、しかも引退後はテレビ関係で仕事を、と思っている選手などは、タレントやテレビ局に嫌われないよう、それらの好みに合わせた言動をしている。こうなるとお互いさまということになり、ますます救いようのない話になる。この路線は、今後もどんどんエスカレートするだろう。

   ………………………………………………………………………

いま、8月31日(日)午前8時45分である。
五輪と関係はないけれど…
日本テレビで、24時間テレビ「愛は地球を救う」が行われている。
時々チャンネルを合わせるだけで、じっと見ているわけではない。
僕はこの手の番組が、どうも好きになれない。

今、車椅子の少年のサッカーが取り上げられ、画面の左下にスタジオの女優やタレントたちがモニターを見ながら涙ぐんだりうなずいたりしているのが映っている。
取材対象となっている障害者の方の、ひたむきな生き方には敬意を表する。

しかし、なぜか、この番組は障害者を扱うことが多い。障害者の頑張っている姿を追う番組は、どこからも批判されないことをテレビ局はちゃんと計算しているわけだ。本気でテレビ局が障害者のことを思いやっているかどうかとはまた別の話である。本気で考えているなら、例えば「障害者自立支援法」が成立する前に、なぜテレビ局挙げて反対キャンペーンを張らなかったのか、と言いたくなる。障害者にとっては、そちらのほうが死活問題だ。そういうことには無頓着で、「視聴率アップ用」ドキュメントを商業ベースに乗せて感動を押し付けようとすることだけに熱心なのである。スタジオのタレントたちも、こんなときは、善意のかたまりのような一挙一動を見せている。

さらにこういうドキュメンタリー番組は、障害を持つ人も、努力さえすればみんなサッカー少年のように報われるのだ…という錯覚を植えつけてはいないか。どう努力しても、どうにもならないほど厳しい状況の中で苦悶の日々を送っている障害者の方が、数多くおられることを忘れてはならない。一握りの「努力が実を結ぶ」例をあげて、すべての障害者やその他の人々に希望の光を与えていると考えているのなら、それはテレビ局の傲慢である。

この番組の目玉とされるウルトラマラソンもよく似たものである。それだけの距離を走る…というか、24時間あればゆっくり歩いても100キロ以上は進めるので、テレビに映っているとき以外は、ほぼ歩いていると思うのが、まあ、たとえ歩いたとしても、大変な距離である。その根性は見上げたものだと言わなければならない。しかし、それも視聴者に感動を強要し、番組を盛り上げたいという、うわべのだけの効果を挙げることが目的なのだろう。

毎年、ラストで、疲労と激痛に耐えて武道館に駆け込んでくるランナーを、家族や仲間が涙で迎えるというお決まりのシーンで幕が閉じられる。ここで「さあ、感動しろ、どうだ、まいったか」というテレビ局の偽善が見える。すべてが商品化されているのである。そんなテレビ局の作為の中で「感動物語」が進められる。

エド・はるみ、という人が最後まで歩き抜くのかどうか知らないが、めでたくゴールしたら、今夜もまたその涙でフィナーレだろう。明日の日本テレビのワイドショーは、そのエドはるみのマラソンを繰り返し放送し、さらにその次の日ぐらいには特番まで組んで、ひとつのネタを何度も使うのであろう。むろん僕は見ないけど。

    ………………………………………………………………

…とボヤいてばかりいても、面白くありません。

さて、よい子のみなさん、今日は8月31日です。
明日から9月です。長かった夏休みも、今日でおしまい。
大阪も、やっと朝晩に涼しさが訪れました。

明日から学校という子供さんたちは大変ですね。
通勤電車も賑やかになりそうですし、通学路に児童・生徒たちの歩く姿、あるいは自転車姿があふれることでしょう。
しかも、いきなり月曜日からの始まりです。しんどい1週間だなあ。
宿題終わっていますか?

エド・はるみなんか見ている場合じゃありませんよ。
…ってか。

このブログを「よい子のみなさん」が読んでるわけなんてないじゃないか

 

 

 

 

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 また妄言を吐く小倉

2008年08月28日 | ニュース・時事

テレビに出てくるコメンテーターというのは、よくわからない。
北京五輪では、たとえば元シンクロの小谷実可子とかが現地レポートをしていたが、「アスリートコメンテーター」とかなんとか、わけのわからない肩書きがついていた。元シンクロ選手でいいのではないか…と思うが、なんでも横文字を並べたらイキでカッコいい、という錯覚を視聴者に与えようとしている人を舐めた手口だ。ナントカ・クリエーターという今はやりの職業だって、いったいなんのことやら。漱石の「猫」に言わせれば「とんとわからぬ」ってことになろう。

それと、スタジオコメンテーターというのもいい加減なのが多い。
この間、そのうちの一人のオヤジがオリンピック熱を非難して、「だいたい日本はメダル、メダルと騒ぎすぎるんだよ!」と、鼻の穴を膨らませてどなっていた。

いるんだ、必ずこういう人間が。
自分はそんな軽薄な人間ではない。教養ある人間は、日本が金メダルをいくつ獲得しようが、そんなの関係ねぇ。メダルメダルと騒ぐな下郎 !
…とまあ、こういう感じで、世相を斬って見せるのだが、そんなことぐらい誰でも口にしていることで、これまでもオリンピックの度に「メダル、メダルと騒ぐな」という人は必ずいた。いまさら口角アワを飛ばして言うようなことではないのだ。
同じ言うのなら、「テレビでオリンピックをネタにバカ騒ぎするタレントをなんとかしろ!」と言えばいいのである。なのに、「メダルで騒ぐな」と言われると、ブログなんかで「ソフト金メダルバンザ~イ!」などと言っている僕らがバカにされているようで、甚だ面白くない。
そんな陳腐な意見をさも鋭い洞察のように言い放つおっちゃん・おばちゃん連中には辟易する。こんなのがわがもの顔でのさばっているテレビ局って不思議である。


ところで、テレビといえば、キャスターという、うさん臭い存在も気になる。
あの、日本中の正義をひとりで担っているつもりの古舘伊知郎の、とってつけたようなわざとらしい優等生ぶりっ子顔も、見るからに気持が悪い。

さらに「自慢男」小倉智昭も、どうもクセがありすぎて不快感を覚える。

昨日の朝、「とくダネ!」で小倉が、オリンピックの話題を取り上げていた。
まだオリンピックの話をしているのか、と思いながら聞いていたら…

「北京から日本へ帰ってきて、日本でのオリンピック番組のビデオを沢山見ましたが、一番かわいそうなのは野球ですよね。メダルが取れずに終わったことをいろいろ言われていますが、一人一人の選手たちは本当に一生懸命頑張っていたのに、何かアリ地獄にはまったようにズルズルと行っちゃったわけでねぇ…」

と、しきりに星野ジャパンをかばっていた。あほらし。
なにが「一番かわいそうなのは野球ですよね」なのだ。
もっともっと不運で気の毒だった日本選手は、ほかに沢山いたじゃないか。
本当に現地取材をして、ちゃんと五輪を見てきたのか…? と疑いたくなる。

小倉は「プロ野球通」を自認し、選手との親交の多いことをいつも自慢している。
中でも特に西武ライオンズをひいきにしているらしい(G・G佐藤がいる西武)。
だから、野球のことを悪く言いたくない気持ちは、わからないでもない。ならば黙っていればいいのである。それを「五輪選手の中で、一番かわいそうだった」と、歯の浮くようなセリフを吐くものだから、文句のひとつも言いたくなってくる。

「一生懸命頑張ったのに、いろいろ言われてかわいそう」とは何なのだ。

選手が一生懸命頑張るのは、当たり前の話である。
スポーツの世界は、切った張ったの世界なのだ。
しかも日本の野球チームは、その勝ち負けを本業とするプロ集団である。
ほかのアマチュア選手たちと同列に論じるわけにはいかない。
おまけに野球は選手村にも入らず、高級ホテル泊まりの特別待遇を受けていた。

その特別待遇のプロ集団が、予選を含めて4勝5敗の成績でメダルなしだったのだから、批判されても仕方がないだろう。(もっとも日本人の批判など、中国の「非国民扱い大批判」からみたら、可愛いものであるが)。

負けても何の批判も受けない、ということであれば、高い年俸をもらっているプロ野球選手たちを国費で五輪に参加させるのはもったいない限りである。それなら、プロではなく将来のある若い選手やアマチュア選手を出場させるべきだったのだ。「負けたことを批判されるのは気の毒」というのは、もっともらしい意見に聞こえるが、それは、基本的にはアマチュアイズムの中での話である。アマチュアならば、敗れても「一生懸命やったんだから」と称えることは、ある意味大切なことであるが、プロはそれでは済まないのだ。バドミントンのオグシオと野球では、同じ日本代表でも、勝敗の意味合いはまったく違うのである。

にもかかわらず、小倉は、数多くのアマチュア選手の健闘には一言のねぎらいの言葉もなく、五輪で優遇され、甘やかされたプロ野球に対してだけ、まだそんな迎合するような言葉を吐いたのである。

本当に一番かわいそうなのは誰かといえば、選手たちではなく、星野ジャパンの勝利を信じ、必死で声援を送ったにもかかわらず、監督の采配や守りのミスで負けてしまった現実を見せられて、スタンドあるいはテレビの前で茫然となって、悔し涙にくれた日本全国のファンの人たちなのである。

しかしまあ、そんなくだらないことを小倉がわざわざテレビで言うのには、何か理由があるはずである。たぶん、プロ野球五輪代表選手(あるいは監督・コーチ)たちから、「小倉さん、よく言ってくださいました。気分がスーッとしました」と言ってほしいために、あえてそういう発言をしたのではないか。国民の気持ちを代弁するのではなく、いわばプロ野球のご機嫌取りをしているのである。つまり、自分に利害関係のあるプロだからこそ、ヨイショしたのだとも言える。

自分が「話のわかる心の広い男」というイメージを植え付けておいて、プロ球界から気に入られ、選手たちから「野球を理解してくれる人」と尊敬してもらいたい。そしてプロ球界と自分とのつながりをさらに強くし、仕事の上で今以上の箔(はく)をつけ、より有利になるようにしたい…との私欲に駆られての発言であることは明らかである。公共の電波を使い、さりげなく私利私欲を満たそうとするのは、たとえそれが無意識に働いているものだとしても、いやらしいというほかない。

どうも小倉という人間は、ひねくれているくせに、権力組織(この場合は西武ライオンズをはじめとするプロ野球界という組織)におもねる傾向が強い。

相変わらず、さもしい魂胆が見え隠れする男である。

 

 

 


 

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 医師への信頼

2008年08月27日 | 心と体と健康と

これまでのブログにも書いたけれど、8月に入ってから、断続的に不整脈が出るようになり、それも従来の不整脈ではない種類のものだったので、循環器では定評のある徳○会病院でホルター心電図などの検査をしてきた。8月10日の夜から11日朝にかけて、夜も寝られないほど激しい動悸がして、11日にも病院へ行ってさらに血液検査をしてもらい、「ためしに」ということで新しい薬ももらった。それ以降、状態は少し収まったけれど、新しい薬はあまり効かないようで、やはり小さな不整脈は断続的に出ていた。そして、一昨日夜、血液検査の結果を聞きに、その病院へ行った。

結果は、これまで飲んでいたシベノールという不整脈の薬の血中濃度が、かなり高い数値を示しており、これはつまり薬が効きすぎているということなのだそうだ。不整脈の薬は、効きすぎると異種の不整脈を新たに生じさせる場合があるという。

「これまで、不整脈薬の血中濃度の検査はしませんでしたか?」
と、医師が尋ねたが、血液サラサラ薬であるワーファリンの血中濃度は、毎月検査しているが、不整脈の薬の血中濃度の検査などはしたことはない、と答えた。
「そうですか…?」と医師は不思議そうに言ったけれど、それまで何人もの開業医や大病院の医師も、去年K大で心臓カテーテル手術をしたときの医師も、一度もそんな検査の話などしていないし、僕も、薬の血中濃度で、その不整脈薬が効いているかどうかをはかる、などという話は初耳である。

「私は、現時点では、今回の断続的な不整脈は、薬の効きすぎだと判断します」
そう言ってくれたこの医師は、やはり、心強かった。
これまで、不整脈ではどんな医師の説明も、僕は納得がいかなかった。
こちらの症状が、よくわかっていないのでは…という医師が多かったし、治療方法もおざなりに処置されていたように思うのである。

さて、そういう経過で、月曜日から、これまで朝晩2回飲んでいたシベノールという薬を、1回に減らした。減らしたら減らしたで、また不整脈の発作が出やすくなるのではないかと不安だけれど、医師の指示に従って様子をみようと思う。これで、断続的不整脈の苦しみから解放される希望もまた湧いてきたというものだ。

これまでは、
「さぁ、ねぇ…。別にどこも問題はありませんけどねぇ」とか、
「少し気にしすぎるのと違います?」みたいなことば
かり言われてきたので、推測でも原因を特定してくれた医師には感謝である。

その医師は、
「不整脈のほかにも、何か調子の悪いとことかありませんか?」
と聞いてくれたので、
「まあ、心臓とは関係ありませんけど、耳鳴りがずっとしています」
と言った。
「え、そうですか。耳鳴りですか。で、耳鼻科には行かれましたか?」
「はい。大手前病院で、TRT療法というのをやっています」
「あ、治療中ですね。はい、はい」
と、パソコンにぱたぱたと打ち込んでいた。

昨年6月初旬の夜、不整脈がひどくなってかかりつけ医へ飛び込んだ際、いくら処置しても収まらないので、医師に入院を勧められ、そこで紹介されたのが今の徳○会病院であった。深夜だったので、宿直の医師が出てきて、丁寧な治療をしてくれ、結局しつこかったその不整脈もちゃんと収まり、入院もせずに帰宅することができた。そのときの医師が、この人だった。

1年ぶりに会ったその医師とは、今月からもう何度も診察でお目にかかっているが、実に受け答えが的確で、僕の話にもじっくりと耳を傾けてくれる。本当にいい人に当たったものだ。患者にとって、医師との相性というか、信頼関係は、何よりも大切である。

僕が去年8月に心臓カテーテル手術をして、それが失敗に終わったことや、9月に耳鳴りが発症したことなどを聞いて、医師は、「この1年間、いろいろなことがあったのですね」としみじみ言った。不整脈に関しては、やっと「この人にまかせよう」という医師にめぐり合った思いである。

一昨日からまる2日経過したが、いまのところ、断続的な不整脈も出ない。
8月に入ってから、2日間も続けて出ないのは、初めてである。

なかなか症状に改善が見られない場合とか、イマイチ医師の説明がよくわからない場合は、早いめに医者(病院)を変えるべきだと、今回つくづく思ったものである。

 

 

 

 

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 北京の17日

2008年08月25日 | スポーツの話題

「北京の17日」が終わった。
そう言えばむかし「北京の55日」というアメリカ映画があった。
チャールトン・へストン主演の、義和団事変を題材にとったスペクタクル映画で、ブラザース・フォーが歌った主題歌も流行した。この歌を日本では、後に殺人事件を起こした克美しげるが歌った。なんとアニメの主題歌「エイトマン」のB面として発売されたのだけれど、2曲ともヒットした。
う~ん。こんなことを知っている人って、年齢がわかりますねぇ。

その「北京の55日」の主題歌の日本語訳は、

  ♪ フランス イギリス イタリア ロシア
    さらに加えて精鋭日本
    華の北京 今や死の街  ♪

そんな歌詞であった。1899年、清の時代の中国に存在した自衛組織・義和団の蜂起を鎮圧するため、英・米・露・独・仏・伊・日などの連合軍が北京になだれ込み、北京は55日間で、さながら死の街になったという史実を歌っている。

しかし、今回の「北京の17日」は、中国は世界の国々を相手にすさまじい力を発揮して、北京を訪れた「連合軍」各国をけちらす世界一の金メダル数を獲得した。
つまり「北京の55日」の借りを、100年余の後、17日間で返したとも言える。

今回の大会は、「中国の中国による中国のための」オリンピックであった。

さて、昨日の男子マラソンは、ケニアのワンジルが2時間6分台の記録で優勝した。仙台育英高校の出身であり、日本語のインタビューがとてもよかった。僕も1月半ほど前に仙台へ行ったとき、仙台育英高校をこの目で見た。バスのガイドさんが、「あそこに見えるのが、仙台育英高校です」と説明してくれた。高校駅伝や高校野球の強豪として、いまやこの学校の名前を知らない人はいないほどである。

20年ほど前に、ヱスビー食品のダグラス・ワキウリというケニアの選手が、世界選手権のマラソンで優勝し、流暢な日本語で会見に臨んでいたのを思い出す。世界的には無名だったワキウリがペラペラと日本語をしゃべるので、世界のメディアは「ワキウリは日本人だったのか?」と驚いたというエピソードが残っている。そのワキウリも、翌年のソウル五輪では惜しくも2位であった。今回、ワンジルは、見事にワキウリの無念を晴らしたことになる。それにしても、アフリカ勢のスピードはケタ外れである。これでは日本選手はついていけない。尾方は実に尾方らしいレースをしたと思うが、佐藤は例によって調子の波が大きく、今回は最悪の状態でレースを走らねばならなかったようだ。野口もそうだけど、厳しい練習をしなければ勝てないし、厳しい練習を積むと故障や体調不良に見舞われる。佐藤も、練習の疲労が、本番まで尾を引いてしまったようである。でも、佐藤は最下位でも淡々とゴールしていた。その姿には、なんとなく、よかったなぁ…という感想を持った。

北京五輪での日本人の金メダル数は、僕は「最大8個」だと予想した。
柔道、北島、女子レスリングで2個ずつの合計6個。
プラス、野球と野口のマラソンを積み上げて最大8個…という計算。
しかし、ひょっとしたらソフトボールと室伏で、2個の金が獲れるかも。
そうしたら、2ケタの10個になる…。そんな勘定であった。

北島と女子レスリングは予想通り2個ずつとり、柔道は予想の倍の4個をとった。
これですでに最大の8個を達成した。この調子なら2ケタいけるのでは、と期待したけれど、野球も女子マラソンも、金どころか、メダルなしに終わった。やっぱり8個かぁ、と思っていたら、ソフトボールが不屈の闘志を見せて金メダルをとり、合計9個。日本人選手は、この大会、思っていた以上に健闘したと思う。

オリンピック期間中、このブログは、せめて2日に一度にしておこう、と思いながらも、競技を見て体中を駆け巡った感情を、今すぐにでも誰かに伝えたいという気持を抑え切れず、ほとんど毎日更新し続けた。ブログというものに出会ったおかげで、毎日のようにその観戦記をそこに掲載するというのは、とても充実感がある。
僕のこの感想文には、片寄った見方も多くあったと思うけれど、我慢強くお読みくださった皆さんには心からお礼を言いたいです。

それにしても、やっぱりオリンピックはいいなぁ。1964年、高校1年生だった時に見た東京オリンピックに感動し、それ以来ずっとオリンピックを追い続けてきた。68年のメキシコ五輪のときは大学2年で、翌年の北海道自転車旅行の資金稼ぎに段ボール工場でアルバイトをしていた。次の72年のミュンヘン五輪のときは、横で生後3ヶ月の長男が泣いていた。その次の76年モントリオール五輪のときは、4歳の長男と3歳の次男に囲まれ、中古で勝った住宅のローンに追われ始めていた…。
とまあ、こんな調子で、4年、4年が刻まれてきたのである。オリンピック期間中の新聞記事は、ミュンヘン五輪からずっとスクラップをして保存してきた。(でも今回からは、もう、やらないことにした)。


7年前。北京でのオリンピック開催が決まったとき、僕は52歳だった。
「北京は2008年の夏か…」と指折り数えたら、その年がいま勤めているところの定年退職直前の年であった。なあに、まだまだ先のことだ、と思っていたら、北京オリンピックは終わり、秋の風が吹き始めてきた。
もう、その時期がやってきたのである。

歳月の経つのはあまりにも早い。

4年先はロンドン大会。
そのとき、自分はどうしているのだろうか。

 

 

 

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 G・G 佐藤のおそまつ

2008年08月24日 | スポーツの話題

北京オリンピックもいよいよきょう24日で終わる。
きょう…と言っても、今は真夜中、午前0時を回ったところで、日付が24日に変わったばかり。まだ23日の延長、といった感覚である。

先ほど、NHKで陸上競技を見終わったあとのニュースで、24日の朝から行われる男子マラソンの大崎が欠場するという情報が流れた。五輪マラソンに欠場者が出るというのは、東京オリンピック以来40数年間見てきた中で、これまで誰一人としていなかったはずである。今回はどうしたことなのだ。男女ともに欠場者が出て、女子などは、出場した土佐まで疲労骨折をしていたというおまけつきである。まあ、大崎には悪いが、彼が出ても上位入賞は期待できないので、欠場のニュースが特に残念だとは思わないけれど、それにしても直前の欠場が多すぎる。

さて、星野ジャパンがアメリカと銅メダルをかけて戦ったのは、昨日の午前11時半からだった。テレビなど見たくないので、妻とモミィとバスに乗って外出した。

試合経過は、メールを入れてくれる人がいるので、刻々知ることは出来た。だが、僕としては、五輪に二流選手しか送っていないアメリカと3位争いなんかしても仕方ないと思っていたので、勝敗はどちらでもよかった。むしろ勝ったりすると、フジTVあたりがまた大はしゃぎして、選手に「よくやりましたねぇ。胸を張って帰ってきてくださ~い」なんてバカ騒ぎをする恐れがある。負けりゃいいのだ。

試合は案の定、日本が8対4で負けた。しかも、連日の逆転負けだ。
3回に同点に追いつかれたとき、メールで「G・G佐藤がまたフライとれずエラー」と送られてきた。G・G佐藤といえば昨日の韓国戦でも大事なところでフライを落として、敗戦を決定的なものにしてしまった選手だ。この日も、日本が3点をリードしているときに、彼がフライを落としたことで、そのあと同点3ランを浴びることになってしまった。まったくもう、なんでベンチへ引っ込めないんだ。夕方のニュースを見ていたら、彼は草野球の選手みたいなグローブ運びをしていた。これが日本のプロ野球レベルかと、世界の笑いものになりそうな凡プレーである。

ところであのG・G佐藤という名前はいったい何なのだ。日本人か…?

先日、職場でその話題を出したら、若い職員が「由来」を説明してくれた。
「お爺さんみたいな年寄り顔だから、昔からジジイと呼ばれていたそうです」
「それで、ジジくさいからジジ→G・G佐藤になったわけ? ほんまかいな…?」
「ええ。それは、ほんまの話らしいですよ」

「そのまんま東」みたいに、お笑いタレントの芸名と同じ発想である。
ユーモラス、というより、スポーツ選手としては悪ふざけに近いネーミングだ。
まあ名前なんかどうでもいいのだけど、これだけ下手くそなプレーをしていたら、そのチャラけた名前まで、野球に対する姿勢のあらわれの一つとして、非難されそうだ。ダルビッシュもキューバ戦で打たれ、トレードマークの長髪を丸刈りにしたのだから、G・G佐藤も、お詫びの意味を込めて普通の名前に変えたらどうだ。

大会を振り返り、星野監督はストライクゾーンの違いを上げて不満そうであったが、G・G佐藤のお粗末なエラーは審判と関係ないのだから、あまり言い訳はしないほうがいい。前日の韓国の李に浴びた本塁打も、捕手の矢野が岩瀬に不可解な内角を要求したからであり、敗因の多くは選手の気迫不足と監督の選手起用にある。

こうして、なんだかんだと言いながらオリンピックの戦いを終えると、各選手は自分たちのチームに戻って、また本職のペナントレースの戦いに埋没するのである。五輪の敗戦なんか、すぐに忘れてしまうだろう。

オリンピックは、それぞれの競技の最高の場でなければならない…と僕は思う。
野球やテニスやサッカーなどは、別に最高の場があるのだ。
そういう競技は、もう、五輪競技からすべて外してしまえばいいのではないか。
野球でストライクゾーンがどうのこうのと言うのなら、なおさらのことだ。
もっとも、野球だけは次回のロンドンから廃止である。それでいいと思う。

それにしても、G・G佐藤は一躍ダメ選手として有名になりそうである。
今回、日本選手にナントカ賞を与えるとすれば、殊勲賞は水泳の北島選手で、敢闘賞はソフトボールの上野選手。技能賞は体操の内村選手。特別功労賞が陸上400mリレーだ。そして「輝け!おそまつ大賞」は、G・G佐藤に与えたいと思う。

さて、24日の午前8時半から、日本人最後の競技として男子マラソンがある。
誰もが思っているように、日本勢は苦戦を免れないだろう。尾方はよく粘って好感の持てる選手であるが、いかにも非力である。何かの一大ハプニングで先頭集団にどひゃ~んな異変が起きたとき、後方からひょっこり尾方が帰ってきてメダル…ということも万分の一の可能性としては考えられるが、現実味は薄い。

もう一人の、2時間7分台を持つ佐藤は、出来不出来の波がはげしい。
風貌もいいし、センスもありそうなので、早稲田大学の時代から彼には期待をかけていた。しかし、好走したかと思ったら次は下位に沈む…というレースを繰り返し、何度も期待を裏切られてきた。だから、彼のマラソンは予想をつけにくい。そうは言っても、実力では尾方をはるかに凌ぐランナーだから、よほど調子が良く、展開に恵まれ、アフリカ勢がバタバタと落ちていくというような事態になれば、ひょっとしたらひょっとするのでは…というひそかな期待は抱いている。

とにかく、北京五輪で日本人選手が登場する最後の種目である。
有終のメダルを期待して、男子マラソンの佐藤を、みんなで応援しよう。

GO・GO! 佐藤
GO・GO! 佐藤

G・G佐藤…ではありませんよ。 お間違いのないように。

 

 

 

 

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 星野ジャパンと400リレー

2008年08月23日 | スポーツの話題


前日の日本女子のソフトボールの快挙の余韻が残る中、せっかくその祝祭的な気分に、冷や水を浴びせるような星野ジャパンのぶざまな敗戦には、今回の北京五輪で、全競技を通じて最も腹立たしく、くやしい思いをさせられた。

某月某日(金)
午前中の議会運営委員会が終わり、昼休みになった。
例によって応接室のテレビをつけて、数人で昼食をとりながら野球を観戦。
「あ、勝ってますよ、日本が」と、若手のYクンの声がはずむ。
星野ジャパンは、1回表に先制の1点をあげていた。

僕たちが見ている間に、日本は青木のタイムリーで加点し2点のリードを奪った。ここからじわじわと点差を広げ、韓国の息の根を止める…理想的な展開に見え始めたとき、4回に杉内が打たれ、併殺崩れで1点を返された。2対1。ここで1時のチャイムが鳴り、テレビを消して、みんな後ろ髪引かれる思いで事務所に戻る。

僕は1時15分から出張に出なければならなかった。
市議会議長、副議長の2人と、大阪城横のKKRホテルで開催された府下の総会に出席するためである。黒塗りの公用車の助手席に乗り込んだ僕は、車についているテレビを運転手さんにつけてもらい、野球の続きを見た。画像が悪く、画面左上に出ているスコアなどの細かい数字は見えなかったけれど、2対1のまま進んでいることは間違いなかった。できることならこのまま車に乗り続けて野球を見たかったけれど、そうもいかない。車はすぐにKKRホテルに着いた。あ~ぁ。

会議の開始は2時だ。大阪府下33市の正副議長ら関係者がずらりと並ぶ中、うちの市は副会長だったので、正面に、居並ぶ会員市と対面する形で席がセットされている。そんな目立つ席に着いて緊張が漂う空気の中、開会直前にズボンのポケットの携帯がブルブルっと振動した。周囲にわからぬよう、こそっと携帯を取り出して見ると、いつもメールをくれる知人から「7回。2ー2の同点に追いつかれた」との情報。「ふぅ…」とため息を漏らしてまた姿勢を正し、総会に集中。

2時15分、またメールが入ったので、またこっそり見る。
8回で2対2だが、投手が岩瀬に代わって、打たれている、という。

2時20分過ぎに総会は終了し、第二部の講演会に移るまでの約20分間、ロビーで時間待ちだったが、そのロビーのソファに座るか座らないかのうちに3度目のメールが届き、それを見て僕は天井を仰いだ。
「8回、李に2ランホームランを打たれ2-4に逆転される」

がっかりしながら、正副議長と共に、第二部の講演会に出席した。
講師は、日曜日の朝、関口宏が司会する「サンデーモーニング」などでおなじみのコリア・レポート編集長、ピョン・ジンイル(辺真一)さんであった。

     

「アジアの風を読む」と題した1時間の公演だったが、ピョンさんは冒頭で、
「私は韓国人ですが、日本生まれなので、野球は日本を応援しています」
と、いきなり、いまやっている野球の日韓戦のことに触れた。
なになに…? と、そのことで頭がいっぱいの僕は、がぜん身を乗り出して聴く。

「私は中日ドラゴンズの大ファンで、球場へもよく応援に行きます。でも…」
と、そこでピョンさんは少し苦笑いを浮かべ、
「今やっています日本と韓国戦は、2対2の同点で、ウチ(中日)の岩瀬が出てきましてですねぇ…、それがですねぇ、なんと、巨人にいる李に2ランを打たれちゃって、4対2で韓国にリードされちゃったんですよ」
会場が一瞬どよめいた。みんな、今日の野球のことは気になっているんだ。
僕はメールで、すでにそのことは知っていたけれど。

ピョンさんは、会場の人々に向かって、
「どうも、うちの岩瀬が打たれてしまって申し訳ありません」と、笑いながら壇上で頭を下げた。会場にも、笑いが起こった。僕もつられて笑ってしまった。

しかし、笑っている場合ではないのである。

講演中にも「2-6。G・G佐藤に再びミス。ガンガン打たれている」とのメールが届き、その後、「負けちゃった」とのメールが入って、万事休した。

もう、今日は夜のテレビのニュースはいっさい見まい。
李の本塁打のシーンなど、見たくもない。絶対に、見ないのだぁ!

そう固く決意をして帰宅したのに、ビールを飲み始めると、ちょっと怒りが鎮火して来たか、NHKのニュースで野球のダイジェストを見てしまった。しかし、出るはため息ばかりである。この試合、韓国の李に対してはそれまで14球すべて外角球を投じて討ち取っていたにもかかわらず、岩瀬、矢野のバッテリーは、このときに限り、内角低目で勝負をし、ホームランを打たれた…というような話を聞くと、またムカついてくる。岩瀬も矢野もアタマ悪いんちがうか…というグチまで出てくるのである。まあ、僕は巨人ファンだから、巨人の4番を打つ李が中日の岩瀬から本塁打を放つと、通常なら拍手しているところだ。しかし、こんなところでなぁ…。
李も、巨人ではアカンくせに、こんなところで打つなよ。ほんまに。

野球で韓国に連敗するなどとは、あまりにもくやしい。前日のソフトボールは、上野投手と心中するという悲壮な覚悟が全員にみなぎった気力の勝利だった。しかし星野Jには、最後までその気迫は見られなかった。投手も顔見世興行のようなこまぎれの起用で、「こいつに任せた!」という軸になる投手をつくらなかった。左打者が続くから左の岩瀬を…という芸のない継投策にも疑問が残る。野手の中でも、日本選手をグイグイ引っ張っていく選手がいなかった。

結果論だろうけど、星野ジャパンも、先日1勝も出来ずに予選落ちしたサッカー男子の反町ジャパンも、要するに選手たちが甘やされているのである。ほかのオリンピック選手と違い、彼らはいずれもプロである。日常からプロとして厚遇されることに慣れきっている。監督も含め、いわゆるハングリー精神のかけらもないのが野球とサッカーの選手たちなのだ。それと、星野監督は、山本浩二や田渕という仲良し友達をコーチに選んだことで、知らず知らず自らへの厳しさも見失っていたようにも思う。和気藹々ムードというのも、時には必要かもしれないが、しかしその程度のチームワークでは、韓国選手にほとばしる壮絶なまでの気迫には、とうてい対抗できないだろう。

今回の日本は、キューバにも米国にも敗れ、韓国にはご丁寧にも2回とも敗れるというみっともない成績で、これはもう、運とか勝負の流れの問題ではなく、力が劣っていたと認めるしかない。それが、何よりもくやしい。

あぁ…。出るのはグチばかり。

今日のアメリカとの3位決定戦は、もう見ない。見たくもない。
負けたらまた腹が立つだろうし、逆に日本選手が力を発揮してアメリカに快勝したとしても、今頃なに元気出しとんねん、と文句が言いたくなるだろうから…。


夜は、ニュースのあと、7時半から陸上競技があったので、テレビをつけて見ているうち、うつらうつらとしてきた。
「リレーがはじまるよ」という妻の声に起こされて、またテレビを見る。
塚原、末続、高平、朝原の出場するリレーだ。

その陸上男子400mリレーは、アクシデントが続発していた。
予選で、16チーム中6チームが失格したり、ゴールできなかったりしたという。
去年の大阪の世界選手権で優勝したアメリカがバトンを落としただけではなく、ナイジェリア、ポーランド、南アフリカ、さらに世界選手権3位のイギリスまで失格する中で、日本は堅実にバトンリレーをして3番目の記録で決勝進出を果たした。

日本は千載に一遇の好機を迎えたわけだ。
そして、星野Jのようにその期待を裏切るもことなく、4人はそのチャンスを見事にモノにして、バトンもスムースにつなぎ、全員力を出し切って、ジャマイカ、トリニダード・トバゴに次ぐ3位に入ったのである。
銅メダルだ。バンザ~~~イ!

日本人が陸上のトラック種目でメダルをとったのは、実に80年ぶりだそうである。
80年前といえば、オランダ・アムステルダムオリンピックである。
10何年か前にアムステルダムへ行ったとき、観光バスで、ガイドさんが
「ここがオリンピックスタジアムでございます。むかし、日本の織田幹雄さんが三段跳びで金メダルをとり、人見絹江さんが800mで銀メダルをとったのが、このスタジアムでございます」
と紹介されて、おおぉ、ここが! と窓に顔をくっつけて外を見たのを思い出す。その後、僕は人見絹江自伝「炎のスプリンター」という本を読んで、当時のオリンピックと、今とのあまりの大きな違いに信じられない思いを抱いたことがある。

その人見絹江さんが、1928年…というから昭和3年(うむ。母が生まれた年だ) に行われたアムステルダムオリンピックで、800メートルに出場し、銀メダルをとって以来のトラック種目でのメダルを、昨日のリレーチームは獲得したのである。80年ぶりですよ、80年ぶり。
これも歴史的な快挙として、記憶に刻んでおきたい。

星野Jの野球では勝利の女神に見放され、くやしい思いをしたけれど、陸上のこのラッキーな銅メダルは、予想もしなかった朗報だ。
陸上競技ファンのはしくれとして、メチャうれしい。

捨てる神あれば拾う神あり。
禍福はあざなえる縄の如し。
世の中、悪いことがあったら、次にはいいことがある。

 

 

 

 

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 ソフト 殊勲の金

2008年08月22日 | ニュース・時事

某月某日(木)
仕事中に広報課の戸井クンから電話がかかってきた。
「のんさんは、サッカーのジョホールバールのビデオ、持ってはりますよね」
「持っているよ。なんで…?」
「あれ、貸してもらえませんか?」
「ああ、ええよ。明日持って来るわ」
サッカーのジョホールバールといえば、97年に、マレーシアのジョールバールで行われたフランスW杯のアジア最終予選の3位決定戦で、日本とイランが戦った試合である。日本はこれに勝つと、史上初めてサッカーのW杯に出場できるという大一番。延長戦の死闘を繰り広げ、最後は岡野が走りこんでシュートを決め、フランスW杯の切符を獲得した。この試合を180分のビデオテープに取って、そのあと、何度これを繰り返し見続けてきたであろうか…。
戸井クンは、そのことを僕から聞いて知っており、何を思ったのか急にそんな電話をかけてきて、そのビデオを貸してくれというのである。

ところで、このごろ仕事の周辺があわただしい。
今日は午後から市民病院に関する議会の特別委員会が開催された。
市民病院は、今、施設の老化や医師不足で、入院・外来とも患者が激減し、毎日膨大な赤字を垂れ流しており、病院の存続自体があやうくなっている。市長は今日、委員会で、公立病院の果たす役割は大切だから、病院を残していく道をさぐる、と発言したが、なかなか苦しい方向性である。このまま残して行っても赤字がさらに増えていくだけで、市全体の財政に及ぼす影響は甚大だ。委員会終了後も、関係者が集まり、今後この問題にどう対処していくのかで喧々諤々の議論。

バタバタしているうちに終業時間が来る。
あっというまに1日が終わったという感じだ。

夜、自宅で戸井クンに頼まれたビデオを探す。
クローゼットの中に積み上げているビデオの大群の中から「アジア最終予選3位決定戦」を見つけ出し、明日持って行けるようにいったんバッグに入れたけれど、
「ん…。待てよ…?」と、中身を確かめておこう、と思って、テレビにビデオをセットして再生した。すると…

ななななな、なんと。サッカーのはずが、そのビデオに入っていたのは…
「NHK大河ドラマ総集編・新撰組」であった。
香取クンの近藤勇が映っている。
ありゃ…? サッカーの上からこんなものを録画していたのか…? 
不思議だ。大事なビデオなのに、そんなことするはずないのに…。
たぶん、たぶんだけど…、何年か前の「新撰組」の総集編が始まるときに、酔っていたかなにかして、そのへんにあったビデオテープをセットした、それがこの大事なビデオだったということだったのだろう。がっかり。戸井クンにメール。
「ビデオはあったけど中身は大河ドラマ総集編でした。なんでやろ…? ごめん」
戸井クンからすぐに「了解です。忙しいのに無理言ってすみませんでした」と返事が来た。う~ん。それにしても、昨日、改めてビデオの山を眺めると、もう見そうにないビデオが大半だ。なのに、大事なビデオに上書きをしてしまった。あほくさ。よ~し、来週の休みの日にビデオは全部捨てるぞぉ、と心に決める。

午後7時から女子サッカーが、勝てば男子サッカーが銅メダルを取ったメキシコ五輪以来40年ぶりの銅という栄誉をかけてドイツとの3位決定戦が始まった。
午後7時半から、ソフトボールが、勝てば初めての優勝という栄光をかけてアメリカとの決戦が始まった。
ともに、相手の力が一枚上である。どちらかひとつでいいから、勝ってほしい!

7時半からは、サッカーを見ながら、時々チャンネルをソフトボールに変える。
ソフトボールを見ているときに、チャンネルをサッカーに戻したら、1点を獲られていた。前半、日本に惜しいチャンスが何回か訪れたが、得点につながらなかったのがすべてだった。ドイツの壁は厚く、2対0で敗れ、4位となった。

ソフトボールは上野投手が、淡々とマウンドに立ち、投げ続ける。
昨日の300球を越える投球数もどこ吹く風、不屈の魂、とはこのことであろうか。
しかし相手投手のほうが迫力があり、日本は初回から三振の山を築き、手も足も出ない。一方の上野は、いきなり満塁のピンチを迎えるなど、両者の投手力の違いを感じさせた。しかし、勝負というものはわからないものだ。日本選手が外野越えの二塁打を放つと相手投手の様子が変わる。まさかの先制点をもぎ取った。

「日本先制!」と、今夜は仕事中の長男に、メールを送る。
「今、ラジオを聞いています」と返事が来る。
日本リードで迎えた4回、雨のため試合が中断する。
「これくらいの雨で中断はないでしょう」と日本の解説の宇津木さんが嘆いた。
めったにないリードを奪ったのに、試合が中止となったら目も当てられない。
「雨が止まなかったらどうなるのですか?」と長男からメール。
「試合成立は5回終了後ですから、このままだと中止です」と返事。

しかし、試合は無事再開し、ちょうど僕が女子サッカーの終盤を見ているときに、日本選手がホームランを打ったらしく、スコアは2対0になっていた。ソフトを見て、また、サッカーにチャンネルを変え、2対0で負けたのを見届けて再びソフトを見たら(めまぐるしいなぁ)、今度はアメリカが1点を返していた。あの相撲取りのようなアメリカの4番バッターが本塁打を打ったという。あの選手はすごい。あのデカイ身体だからねぇ。

日本はリードしていても、いつアメリカにひっくり返されるかわからない。
このまま試合終了して優勝する…とは、ちょっと考えにくい。

アメリカは必ず反撃してくるぞ、と気を引き締めて見ていると、案の定、6回に一死満塁のピンチを迎える。しかしここは上野が2人連続内野フライに討ち取って切り抜けた。この試合のすべてはここに集約されていたように思う。これで勝利の女神は日本に微笑んだ。最終回に日本が1点を追加し、2点のリードを奪ったとき、初めて「ひょっとしたら…」と気持がワクワクしてきた。

アメリカの最後の必死の攻撃も、無死でランナーは出したものの、三塁手の攻守もあって後続を断ち、日本は見事に優勝した。今回で「最後」と言われるソフトボールで、これまですべての五輪を制覇していた王者アメリカを破っての金メダルに輝いたのである。ぱちぱちぱちぱち。

寝る前にこのパソコンを開けてみたら、のこたんさんが「バンザーイ」と、コメント欄に書き込んでくださっていた。

   ………………………………………………………………

昨日のソフトボールもサッカーも、NHKで見ていたのでよかったが、五輪放送と言えば、民放テレビにはなぜあんなにタレントたちがワイワイ出てくるのだろう。

NHKのように、アナウンサーと解説者だけでいいじゃないか。

競技と何の関係もないタレントをこれでもかと並べる民放TV局は、アホか。
そして、競技そっちのけの、スタジオ内での彼らのバカ騒ぎが目障り過ぎる。
例によって自分たちだけで盛り上がり、はしゃぎまわっている。
視聴者の思いなど、まったく眼中にない。

TBSは中居クンがメインキャスターで、開会式当日は「いいですねぇ、中国。かっこいいですねぇ」と、アホらしくなるほど中国をホメまくっていた。聞いていて恥ずかしくなり、思わずうつむいてしまったほどだ。

テレビ朝日は松岡修造がメインで、何でもかんでも熱くなったり、やたら精神論をふりまわすところが、ちょっと浮いて見えたりするけれど、まあまあ、TBSもテレビ朝日も、まだ可愛い方である。

ひどいのはフジテレビだ。元プロ野球の古田と相武ナントカという女性タレントのパッとしないコンビはまあ仕方ないにしても、ダウンタウン・浜田のあの態度はなんなのだ。ただ、ギャアギャア叫んでいるだけではないか。誰か黙らせてくれ。

スタジオにいた柔道の井上康生に「康生、おまえ、なんでそんなとこ座っとんねん」と言うなど、スポーツ選手をおまえ呼ばわりし、ここまでスポーツの品を落としてもいいのかと思うほど、オリンピックをバラエティ番組の酒のサカナのように扱って、つまらない突込みを繰り返し、雰囲気に水を差す。たとえば柔道でも、日本選手が勝っても惨敗しても、それなりの感慨をかみしめて見ている視聴者は沢山いるはずである。そこへ急にギャアギャアと、自分ひとりで感激しているようなデカイ態度が割って入ると、見ているほうの気持が萎えてしまう。 
TV局はそんなことすらわからずに、とにかくワイワイガヤガヤと番組を進行させたらいい、と考えているのだろう。

それと、「とくダネ!」のキャスターの小倉智昭も鼻に付く。
スポーツ中継となると必ず現地へ飛ぶのだが、選手を呼び捨てにしたり、苗字でなく名前で呼んで、その選手とさも親しいのだということをアピールする。スポーツに関しては自分は大物なのだという高慢な意識も口調に現れている。どんな競技も、昔から知っていたように言うし、どんな選手とも友達同然に付き合っているかのように言う。あちらこちらの会場を目一杯に巡りまくるのだが、試合中にグーグー眠りこけている小倉の写真が、ある週刊誌に載っていた。とにかく、朝からテレビでこの小倉の自慢げな話しぶりを聞くと、一日中気分が悪い。

オリンピックの度に繰り返されるタレントたちのバカ騒ぎ。
いいかげんにしてほしい。

 

 

 

 

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 まだまだ、だらだら日記

2008年08月21日 | 日常のいろいろなこと

某月某日(水)
マクドナルドの社長さんだったか誰だったか、
「早くオリンピックが終わるか、オリンピックに飽きるかしてほしい。期間中、みんな家にこもって、お客さんがガタ減りですものねぇ」
とボヤいておられた。まったくなぁ。猫も杓子もオリンピックだもんね。

昼休みに、弁当を食べながらテレビを見た。
ソフトボールのアメリカ戦が映っている。0対0のまま延長戦に入った。
手に汗握っているうちに1時になり、仕事に戻るが、気になって仕方がない。
(結局、その試合はホームランを打たれて負けてしまったが…)

夜はわが家の近くにある「木曽路」という店で、次男と次男のお嫁さんのmakiちゃんと妻と4人で食事をする。makiちゃんもこのブログを読んでくれているので、久しぶりに会ったにもかかわらず、僕の近況をよく知ってくれている。まあ、ブログはその点でも、なかなか役に立っている。

次男も「三本川ヒロキ」と名乗ってブログをしている。
こちらは住宅営業マンである自分の仕事がテーマである。
僕はそのブログを最近はゼンゼン読んでいなかった。
ブログを別のところに引っ越したことも、昨日初めて知った。
…というか、忘れていた。薄情なおとっつあんである。許せ。

店を出て携帯を見ると、Cメールが11件入っていた。11件とは何ごとであるか?
全部、長男からのメールであった。
モミィかソラに、何か異変でも起こったのだろうか…??

読めば、すべてオリンピックのソフトボールの試合経過メールであった。
ソフトボールは昼もやっていたのに、夜もまたやったわけ…?
昼はアメリカ戦だったが、夜はオーストラリアとの試合だった。

    ………………………………………………………………

 < 長男からのメール > 

           (黒い文字は、僕のひとりごとです)

① 2回表を終わり0対1でリードされてます。上野が朝に続いて連投。
  げっ。また上野。大丈夫なんか? しかもリードされているとは。

② 3回を終わってまだ0対1。上野の調子がよくないです。
  上野も昼に9イニング投げているもんねぇ…。そりゃ、しんどいよね。

③ 日本、逆転2ランホームラン。4回を終わって2対1。
  よっしゃ。オーストラリアなんか相手に、負けてられへんぞ~。 

④ ピンチの連続ながら6回を終わって2対1のリード。あと1イニング。
  なんとか、勝ちそうやなぁ。

⑤ やられた。後一人のところでオーストラリア同点本塁打。7回途中で2対2。
  あと一人のところでホームラン? 冗談は顔だけにせい(誰に言うてる?)

⑥ 7回裏日本サヨナラのチャンスも結局延長へ。2対2。

⑦ 8回表は0点におさえて、サヨナラ勝ちに期待の8回裏。

⑧ 9回を終わってまだ2対2の同点。日本、押しているだけに、危ない。
  押しているだけに危ない? なるほどなぁ(感心してる場合やない)。

⑨ 11回表、オーストラリアが1点を入れて3対2。今から11回裏の日本の攻撃。
  うわっ。点を取られてリードされたか。くそっ。

⑩ 11回裏、日本追い付くも逆転はできず。3対3で12回へ。
  うぅぅぅ。惜しいなぁ。ところで、上野はまだ投げているのか?

⑪ 12回裏、日本、サヨナラ勝ち!
  あぁ~。やったなぁ! よかったよかった。とにかく、よかった。

    ………………………………………………………………

ふ~~ぅ。大変な試合だったようである。
メールをひと通り読んだだけでも、疲れた。

上野は1日で、アメリカ戦もオーストラリア戦もすべて投げたことになる。
まさに豪腕である。彼女は、腹筋500回、背筋300回が日課だということだ。
僕の日課は缶ビール3本である。えらい違いだ(比べるか? そんなこと)。

それにしても、長男も、僕に負けず劣らずオリンピックには熱心である。

星野ジャパンの野球は、アメリカに負けてしまった。
でも、そのほうが、準決勝で韓国と当たるので都合がいい。
韓国には、どうしても先日の雪辱を果たしてもらいたいから。

ということで…
「仕事と酒とオリンピックの日々」 は、まだまだ、だらだらと続く。

 

 


 

 

 

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 まだ、だらだら日記

2008年08月20日 | 日常のいろいろなこと


某月某日(火)
昨夜は飲み会から帰って午後10時から女子サッカーのアメリカ戦を見た。勝てば決勝進出で、初めてのメダル確定、という大事な試合だったが、日本は先制点を入れながらアメリカに逆転を許し、終わってみたら4対2で、完敗だった。今朝、「朝ズバ」でそのことが取り上げられていたが、女子サッカーアテネ五輪代表だった大竹奈美さんがゲストに出ていて、
「アメリカには負けましたが、準決勝まで行き、世界の4強に入ったこと自体が素晴らしいことですよ。なにしろ、世界の4本の指に入ったのですから」
と言っていた。「4本の指に入る」という言い方があるのか…? 

オリンピックといえば、朝日新聞のテレビ欄の「キュー」という好きなコラムがある。島崎今日子さんというライターが書いておられる文章が、いつも痛快である。
そのコラムで北京五輪の開会式のことが書かれていた。

これでもか、これでもかという開会式の式典は長すぎた。中国の威信とチャン・イーオウらクリエーターの矜持(きょうじ)が優先されて、選手や観客のことなど二の次。誰のためのオリンピックか。何のためのオリンピックか。

同感です。こういう文章を読むと、気分がスカッとします。

大相撲の若ノ鵬が大麻所持で逮捕され、またも大相撲界が批判にさらされている。
日本相撲協会は、朝青龍以来、外国人力士を甘やかしすぎているのだ。取組前に、支度部屋に仲間を呼んでワイワイ騒ぐことは禁じられているにもかかわらず、朝青龍は公然とそれをやっている。誰も注意しない。巡業拒否のうえ母国でサッカーをしていたことがバレて「謹慎処分」になったときも「病気」と称してまた母国へ帰り、温泉で休養し日本へ戻ってきたら、もう「謹慎期間」は過ぎたとのことで朝青龍は自由の身になった。ああいうことをしているから、外国人力士は日本をなめてかかるのである。

北の湖理事長はなぜか朝青龍をかばい続ける。弱みでも握られているのであろう。
そういう影響を、他の外国人力士が受けないはずがない。若ノ鵬も、大麻の入手場所とされる六本木でよく遊んでいたという。六本木は外国人だらけの場所だから、そんなところで遊んでいると日本文化など身に着くはずがない。日本文化など関係ない、強けりゃいいのだ、という考え方を広げた張本人は朝青龍である。その不祥事の元凶である朝青龍が、若ノ鵬の逮捕について、TVのインタビューに応じて、
「やってはならないことですね」と、とりすました顔で話していた。
おまえが他人のことをえらそうに言えた義理か、と言いたくなる。

夕方、衝撃的なニュースが入る。
僕の自宅からそんな遠くない道路に軽飛行機が墜落したというニュースであった。わが家から、大和川という川をはさんだ対岸に、八尾飛行場がある。そこへ着陸しようとしたセスナ機が、降下中にエンジンが止まってしまい、道路に落ちた。機体は大破し、右の翼が根元からちぎれたが、たまたま道路には誰もいなかったようで、通行人などにけがはなく、搭乗の2人もけがをしたにとどまった。ひとつ間違っていたら大惨事になるところであったし、近所でこんなことが起きると、本当にぞ~っとする。新聞夕刊にも、このニュースがデカデカと1面に載っていた。

話は北京五輪に戻る。
中国で最大の英雄であった男子110mハードルの劉翔が、アキレス腱を痛めてレースをやめたことで中国国民は罵倒の嵐を浴びせているそうだ。「英雄気取りでいい気になりやがって」とか、「さんざん稼いで贅沢三昧に暮らしているから、練習もしていないんだろう」とか、「高いチケットを買って見にきたのに、這ってでも走れ」という感じだそうである。ついこの間まで、国民の誇りだったはずの選手を、こうも手のひらを返したように罵れるのかと思うと、恐ろしい。勝てば英雄、負ければ非国民…まったくそんな感じである。女子バドミントンで、日本のスエマエに敗れた世界ランク1位の中国ペアも、あの後、「恥さらしだ」と、ネットなどで人格攻撃までされたという。まあ、それほどの勝利至上主義のお国柄だから、逆に言うと、そこで鍛えられてあれだけの金メダルも取れるわけで、日本人選手と日本国民との間の関係とはまったく違う空気がある。日本国民は、大きな期待をかけていた選手が負けても、マスコミともども「よくやった」とねぎらう国である。日本人選手はそれだけ幸せだと思わなければならない。

夜、野球は中国を10対0のコールド勝ちで破り、湿っていた打線もつながった。
これで決勝トーナメント(4強)への出場が確定した。
今日行われる予選最終のアメリカ戦に勝って予選3位になると、決勝トーナメントで当たる最初の相手はキューバで、敗れて予選4位になると、相手は韓国だ。キューバより韓国のほうがやりやすそうだから、きょうはわざと負けておいて、4位で予選を通過したらどうかと思うのだが…

しかしまあ、そんなセコい策略を考えている自分に、かすかな嫌悪感を覚える。
いいかげんに、オリンピックにカンカンになるのはやめよう。
でもなぁ、やっぱり、野球は気になるし…。
準決勝は22日、決勝は23日である。
また、カンカンになるのだろうなぁ。あぁ~ぁ。

 

 

 

 


 

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「自分をほめてあげたい」 日記

2008年08月19日 | 日常のいろいろなこと


某月某日(土)

2歳10ヶ月のモミィを、カラオケ店に連れて行く。
久しぶりのカラオケに入れ込んだモミィは、自分のマイクをよこせと催促。
マイクにスイッチを入れて手渡してやると、それをテーブルの上に落とした。
「ゴゴゴーン」というマイクの音が部屋中に鳴り響くと、
「何のオトや…? カミナリ…でしゅか~?」と、天井を眺めている。
あんたがマイクを落とした音やんかと言っても「カミナリでしゅか~」ばっかり。

選曲は、言うまでもなく、すべて童謡である。
「津軽海峡冬景色」などかけても、モミィはあくびをするだけだ。
「アイアイ」「キラキラ星」「犬のおまわりさん」「どんぐりころころ」「むすんでひらいて」「おもちゃのチャチャチャ」「とんぼのめがね」「ぞうさん」などをどんどん転送していく。モミィはこれらの歌は全部知っているが、まだうまくカラオケに乗って歌うことはできず、時々マイクを口につけて、「フンガァフンガァ」と頼りなげな声を出し、しかし歌の最後のところだけは、はっきり歌詞を発音する。あとは持参のおやつをパクパク食べまくるモミィなのであった。


某月某日(日)
朝から北京五輪の女子マラソン中継を見る。眉を吊り上げ、力強いフォームで走るルーマニアのおばちゃん選手が、20キロからスパートした。いずれ35キロ付近で集団につかまるだろうと思って見ていたら、そのままゴールしてしまった。あ然。

96年のアトランタ五輪女子マラソンで、エチオピアのロバという無名の選手が、同じようにレースの前半から飛び出し、そのまま優勝してびっくりしたことがあるが、同レースで3位に入り、「自分で自分をほめてあげたい」との名セリフを残した有森裕子が、この日のテレビ中継の解説をしていた。
「あのときのロバ選手を…思い出しますねぇ」
と彼女が放送中に漏らした感慨は、さぞ深いものがあったのだろうなぁ。

土佐選手は故障を抱えたまま出場した。野口、土佐と、代表3人中2人まで故障していたとはなぁ。まともに走ったのは中村一人。女子マラソンの五輪代表3人を選ぶに当たっては、「なんであの選手を選ばなかった!」などと、毎回社会問題化するほど候補選手が大勢いるのに、まさか2人も故障してしまうとは。
ただただ、残念である。

この日は一日中、目がかすむまで、テレビを見る。

高校野球は、大阪桐蔭が強豪横浜を破った。いよいよ明日、決勝戦だ。

オリンピックの卓球女子団体戦は、史上初の銅メダルをかけて韓国との対決。
この試合は、かなりの時間をかけて見続けた。ひょっとして、日本の卓球にとっては歴史的な試合になるかもしれない、という期待を抱きつつ…。
平野という目つきの鋭い日本選手が韓国相手にファイトを燃やすが力及ばず敗れ、そのあと出てきた福原愛ちゃんもいいところなく敗退。最後の団体戦も一方的に負けてしまった。卓球という競技は、ほかのどの競技を見ているときよりも、からだに力が入り、最後は敗戦のむなしさも手伝って、ぐた~っと疲れる。

そのあと行われたレスリング女子では、伊調馨が、もたつきながらも要所でポイントを奪って金メダル。アテネのときも、内容はイマイチだったが、終わってみたらなんとなく優勝していたという感じ。今回もそれと同パターンだった。

これで先週日曜日の男子柔道の内柴から、日本は毎日1個ずつ金メダルを重ね、合計8個となった。早くも僕の予想の「最大8個」の金メダル数に到達した。しかしこのあとはどうなのか…と思うと、ちょっと寒い。

夜は妻の好きな体操を、妻につき合っていっしょに観戦する。
個人種目別で、男子は床とあん馬に内村と冨田が出場したが、いずれも5位。
妻は冨田の大ファンである。テレビ解説者が冨田のあん馬を「完璧に近い演技でしたねぇ」と絶賛したけれど、点数は全然伸びなかったので、がっかりしていた。
解説者に見る目がないのか、審判の採点がおかしいのか、よくわからんけど。

女子は跳馬と床だったが、世界チャンピオンだという中国選手は、見るからに意地悪そうな顔をしていた(顔だけです。性格は知らない)。その中国選手が跳馬の着地に失敗した。が、それでも銅メダル。おいおい、採点が甘いんじゃないかい?
続く床でも、この意地悪顔の中国選手は着地を失敗して、こんどは8人中7位。
ショックで泣いていたけれど、泣き顔もやはり意地悪そうであった。
床で優勝したのはルーマニアの選手で、2位と3位にアメリカ選手が入った。僕の目では、3位の選手の演技が、とてもしなやかで、女性らしい美しさにも満ち、最も素晴らしいと感じた。名前はリューキンという。金魚みたいな名前だけど。

体操が一段落したので陸上競技にチャンネルを変えると、ハンマー投げの室伏が5投目に入るところだった。80mを超えたのは一度だけで、順位は現時点で5位。
「がんばれぇ」と心の中で叫びつつテレビに向っていたが、結局室伏は、5投目も6投目も80mに到達せず、最終的に5位に終わった。6位の選手は、欧州のどこかの国の選手でカネガナイネンというような名前だったので、一人クスクス笑った。昔、スキーのジャンプにアホネンという名前の選手がいたが、カネガナイネンも面白いなぁ。そのうち、ナンデヤネン、とか、カゼヒーテマンネン、とかいう選手が出てくるかもしれない。…と、室伏が敗れた無念を、そんな妄想でまぎらわす。


某月某日(月)
盆明けで仕事が忙しい。まわりにいろんな「人種」がいて、次から次へと問題が押し寄せてくる。さまざまな局面を乗り切るのはこの口ひとつである。昔から「口が達者だ」と他人に言われてきた。そういう言われ方は軽薄で誠意がない感じでいい気はしないが、今の職場では表面的な「調整力」「交渉力」ばかりが要求される。軽薄でも不誠実でも何でもいい。口が立たなければ話にならない仕事である。
「口が達者でよかった」と、自分で自分をほめてあげたい。むははは。

おかげで先週から予約していた循環器の病院には、行けずじまいであった。
病院に問い合わせると、次は来週の月曜日になるそうだ。とほほ。

午後3時前、知り合いの人から携帯にメールが入る。高校野球の情報だ。
「8回表大阪桐蔭14-0常葉菊川」
なに…? 14点…???
メールを見た瞬間は、何かの間違いではないかと思ったほどだ。
3時過ぎ「17年ぶり日本一。大阪桐蔭17-0常葉菊川」とのメールあり。
大阪が久しぶりに優勝旗を持ち帰ることになった。とてもうれしい。

4時前にもメールが入る。
「五輪野球もカナダに1-0で勝利。5回、稲葉本塁打」
勝ったか~。でも打線がさっぱりだ。大阪桐蔭を見習いたまえ、星野ジャパンよ。

夜は「山の会」という会の飲み会で、近鉄沿線の恵我之荘というところにある創作中華料理店へ行く。「山の会」は、男女5人の会で、山好き、スキー好きが集まった会だ。過日の北アルプスは見晴らしが良かった、先週の南アルプスではカミナリに遭って怖かった、先月の富士山は山小屋のサービスが悪かった…などなど登山の話でにぎやかだ。僕を除く4人の間で大いに盛り上がっている。女性のメンバーが、ボルネオ島のキナバル山という4千メートル級の山に登ったときの写真なんかも見せてもらった。うひゃ~。ボルネオだって。しかも4千メートルの山!

ところで…なんで僕がこの「山の会」のメンバーなのだ…? 

不整脈のある僕は、そんな山には最近は登ったことがない。
一昨年の1月に一度、このメンバーで雪上ハイキングとスキーで長野県の戸隠へ行っただけである。山にはそれ以来行っていないが、飲み会だけは参加している。
「11月1日からの3連休に、南アルプスへ行こうよ」とみんなから強く誘われた。
断続的に出る不整脈を抱える身で山登りは無理であるから、そう言って断るのだが「たいした山じゃないから。ぜひ行こう、行こう」としつこく誘われる。
でも僕は、決してウンと言わない。
とうとう、メンバーの一人からこんな意見が出た。
「じゃ、のんさんは山に登らず、温泉旅館で風呂に入り、ビールを飲みながら待ってくれていたらいい。オレたちは山登りをして、夕方には旅館に戻るから」
などと、思わず生ツバが出るおいしそうな提案をしてきた。
「ビ、ビ、ビールを飲みながら、温泉旅館で待っているだけ…?」

そうは言っても、ビールも飲みすぎたら不整脈が怖い。
僕は調子に乗る方だから、こんなところで飲み始めたら止まらないだろう。
しかも、2泊3日となると、どれだけ飲んでしまうことやら。

ビール、温泉と聞いて、心が大きく傾きかけたが…
「いや、やっぱり、やめておきます」と、きっぱり。
誘われると、意志が弱いので、なかなか「ノン」と言えない「のん」ですが、ここは頑固なまでの意志の固さを前面に出して、なんとか断ることができた。おまけにこの日の飲み会も、ビールを飲む量は極力抑えた。紹興酒も、勧められたけれど、一口だけ含む程度にしておいた。よしよし。

ビールや温泉の誘惑に打ち克てたことは、我ながらあっぱれである。

自分で自分をほめてあげたい。だははは。

 

 

 


 

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 奥林匹克飯店

2008年08月17日 | 旅行

連日北京、北京、北京である。ふだんは規則正しく生活する僕も、テレビ観戦に忙しく、寝る時間がバラバラだ。おとといは女子サッカー日中戦や陸上女子1万メートルなんかを見ていると、気がついたら日付が変わっていたし、昨日の夜は野球の日韓戦で手に汗握り、日本が負けてチャンネルを変えるとジャマイカのボルトが陸上100mで、史上初の9秒6台に突入する世界新を出した直後だった。残念。負けた野球なんか見ないでこちらを見ておけばよかったなあ、な~んて思っていると、また日付が変わっていた。

昨日はレスリングの吉田沙保里が貫禄の金を獲り、日本は第3日目から昨日9日目まで、きっちりひとつずつ金メダルを獲得している。金メダルを獲らない日はなく、しかもひとつ以上獲る日もない…という日本人らしい謙虚さと律儀さで、いよいよ競技も後半戦に突入した。でも、日本の7つの金も、そのうち6つがアテネと同じ選手が獲得…というのは、なんだか将来が不安になってくるけど…。

今日の朝から行われる女子マラソンは、どうなるのだろうか…?
地元観衆たちの中国賞賛一辺倒のドンチャン騒ぎには食傷気味である。
地元の周が、野口のいない隙をついて中国初のマラソン金…ということだけにはなってほしくない、と心から願うものである。
新鋭中村が、五輪の圧力をはね飛ばせば、スピードランナーだけに期待できるが。

しかしまあ、相変わらず露骨な中国寄りの判定が多く、見ていて不愉快なシーンも多いが、日本選手が活躍したり、判定とは無関係な名勝負を見せてもらったりすると、やはり「オリンピックっていいなあ」と盛り上がる。盛り上がったり盛り下がったり、歓喜にむせんだり怒りに震えたり、なかなか忙しい。僕のように興奮すると身体に悪い持病のある人は、観戦するときは十分そのへんを注意して、冷静に見るようにしてくださいね。…と自分に言い聞かせています。

マスコミによると、あの華麗なる開会式にはいくつか「偽装」があったらしい。
派手な花火は、一部が以前使った映像のCGだったということだ。
開会式での56の民族の子どもたちがそれぞれ代表して民族衣装を着て行進したが、実は56民族の子どもたちではなく、大半が漢民族だったと報じられていた。これも可愛い子どもの俳優たちばかりを集めて行った「演出」だったのだという。

らに、あの美少女の独唱は口パクだったそうである。裏で歌っていたのは、声は一番だが顔がイマイチ、という別の少女だった。音楽監督は「国益を考えてのこと」と言ったとか。そ~ゆ~のを「国益」と言うのだろうか? 
人権意識のかけらもないんだから。
(「顔がイマイチ」という表現をした私にもモンダイがあるでしょうか?)


と、開催国の悪口を言い始めるとキリがないけれど、今日は日曜日でもあることだし、それもまあ一時的に封印して、ちょっと趣向を変えてみたい。

「北京オリンピック」と言えば、別次元の話で思い出すことがあるのだ。
競技とは関係のないことだけれど、必ず思い出してしまうことがひとつ。

   ………………………………………………………………

もともと北京は、2000年の五輪開催をめざしていた。

1993年(平成5年)のこと。
その当時、北京市は、2000年オリンピック開催地の最右翼候補であった。
はじめの数度の投票では、すべて北京がトップの票を得ていた。
しかし最後の決選投票で、シドニーにわずか2票差で逆転されてしまったのだ。
何年か前の天安門事件の弾圧イメージが尾を引いたことが、敗れた原因とされた。そのとき北京が味わった悔しさや挫折感は、途方もなく大きなものだったろう。

その翌年の1994年(平成6年)9月に、僕は家族連れで北京へ行った。
北京の大学に留学していた知人の娘さんを訪問がてら、観光旅行に行ったのだ。娘さんに案内してもらった北京の街並みは、そのスケールの大きさや薄汚さ、雑踏の喧騒や底なしの混沌で、めまいがしそうなほど鮮烈な衝撃を受けた。

そのとき、宿泊したところが「奥林匹克飯店」という名前のホテルだった。

北京は1週間の滞在だったので、そのホテルに6泊した。
「奥林匹克」は、ご承知のとおり「オリンピック」と読む。
「飯店」とは、ホテルの意味で、中華料理屋さんではありません。

奥林匹克飯店は、2000年という記念すべき年のオリンピックが北京で開催されることを固く信じていた地元の人たちの、熱烈な思いがこもったホテル名だった。その五輪開催が、まさかの結果で見送られてしまったのだから、さぞかし無念の思いだったろうなぁ…と思う。

オリンピック開催をシドニーに奪われてしまったことで、僕が泊った時の奥林匹克飯店は、気のせいもあったかも知れなかったが、ひっそりとして活気がなく、まるで脱け殻になってしまったかのようなイメージしかなかった。

「気の毒になぁ。北京五輪が決まっていたら、今ごろこのホテルも鼻高々だったろうにね。五輪は開催されないのに“奥林匹克飯店”って名前だけが残っちゃって」
「どうするんだろうね~。近いうちに閉鎖されるんじゃないの」

そんなことを、同行した妻や長男と言い合った。

そして、シドニーに逆転されてから8年が過ぎて…。
2001年(平成13年)に、北京はついに五輪誘致の夢を実現した。

2008年の五輪開催地が北京に決まったときの中国の人たちの喜びようは、それはもう、どう表現しても足りないほど、すごいものだった。「決定」の瞬間、北京では群集が狂喜乱舞していた様子が何度も何度もテレビに映し出されていた。北京にとって五輪開催は、待ちに待った宿願であり、ついに成し遂げた夢の実現であった。

   余談であるが、そのとき、北京と開催地を争ったのが、わが街大阪
   であったというのは、僕にとっては何か因縁めいた話ではある。

そんなことで…
今回、この記事を書くに当たって、北京の奥林匹克飯店をネットで調べてみた。
まだ、そのホテルがあるのかどうか確かめたかったのだ。

あった、あった。
なつかしい奥林匹克飯店(OLYMPIC HOTEL)が。

「ホテル情報」をのぞいてみた。
「創業年1989年 / 改築年2002年」とあった。 なんと、2002年に改築だ!

奥林匹克飯店は、北京が五輪開催権を獲得した翌年の2002年に、さっそく改築をしていたのだった。まさに大きな挫折を乗り越えた、歓喜の改築であったのだろう。

これまで9日間、北京五輪のいろんな競技を見ていると、前述したように、自国に露骨なまでの有利な判定をしてはばからないこの国でオリンピックが開かれること自体、いい気分がしていないのは確かである。しかし、この奥林匹克飯店で泊った北京での1週間の旅を思い出してみると、それとはまた別の感情が湧き起こってくるから不思議である。

あの、94年に北京へ行ったときの、どことなく物悲しげだった奥林匹克飯店も、いまはど~んと胸を張って、そびえ立っているに違いない。今回の北京五輪開催で、永遠に「奥林匹克」の四文字が刻まれる記念すべきホテルとして…。

   ……………………………………………………………………

きょうは、すこ~しだけ北京寄りの話になってしまっただろうか…。

まあ、旅の思い出話としてお読みいただければ幸いです。

 


 



  1994年の奥林匹克飯店(OLYMPIC HOTEL)
  この前に、北京図書館がある。

 

 

  ルームメンテナンスに関するホテルのカード。
  旅行のアルバムの中に、こんなものまで入っていた。 
 

 

   ………………………………………………………………………


追伸:コスタクルタさんから、昨日(16日)無事に
   
サイクリングを終えた、との報が入りました。
   おつかれさまでした~。 

 

 

 

 

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 コスタクルタさんのこと

2008年08月15日 | 日常のいろいろなこと

コスタクルタさんから「のん日記」に初めてコメントをいただいたのは、今年の5月12日のことだった。僕が20歳の時に大阪の自宅から北海道宗谷岬の「日本最北端の地」まで自転車で往復した70日間の旅行の記録を、1、2年前にブログを開設して書いたのだけれども、東京に住む自転車好きの29歳の青年・コスタクルタさんが、偶然にそのブログを見つけて読まれたのが、そもそものきっかけだった。

初めていただいたコメントには、

(自転車旅行の)ブログを読んで、とても感動して、目頭が熱くなりました。
 何か自分が言うのも変なんですが、ありがとうございました。
                       (2008-05-12 20:13:50)

そう書いてくださった。
それを見て、僕はたいへん恐縮するとともに、ありがたいことだなぁと思った。自分の書いたものを、見ず知らずの人(それも自分の息子より年齢が若い人)が読み、とても感動したという言葉をいただくことほど幸せな気分は、めったにない。

コスタクルタさんはその後何回かコメントを送ってくれ、その中で、今年の夏は、山陽道と東海道を走る予定なので、大阪を通過するとき都合がつけば会ってお話がしたい、という意向を伝えて来られた。もちろん、僕も会えるのを楽しみにした。

その後、コメントの中で、夏休みに輪行(自転車を分解して袋に入れ、乗物に乗って現地へ行くこと)で広島まで行き、そこから東京へ向って自転車で走る計画をしています、と書かれていた。

そしてこの11日夜に広島入りをし、12日から、東に向ってペダルを踏み始めた。

コスタクルタさんの予定では、初日は岡山まで、2日目(13日)は京都まで走る行程だ。しかし13日の岡山~京都間は、JRの鉄道距離で220キロもあった。1日でそれだけ走るのは少しハード過ぎるのでは…、という思いが僕の頭をかすめた。

その13日の早朝、「のん日記」のコメント欄にご本人の携帯番号が入っていた。僕はそれをメモして、職場に着いてから、9時前にその番号へ電話をかけた。

お互い、初めてナマの言葉を交わし合った瞬間だ。

「いま、相生(兵庫県のほぼ西の端)にいます」
とコスタクルタさんの、礼儀正しいハキハキとした言葉づかいが伝わってきた。
「わかりました。神戸に着いたら、また電話をください」

僕は地図を広げ、相生から神戸までの距離とそこから大阪までの距離を調べ、自転車の平均速度を推定し、大阪へ到着する時刻をざっと計算してみた。午後3時から4時ごろには着きそうな感じがした。

僕は午後から夏期半休届を出していたが、職場で仕事をしながら電話を待った。
しかし、2時半になっても電話はかかかってこない。
「おかしいなぁ。いくらなんでも、もう神戸には着いているはずだけど…」
何かあったのでは…と心配になり、こちらから電話をかけてみた。
走行中はすぐに電話に出られないので「今どのへんですか?」との伝言を入れた。
折り返し電話があり、「今は、須磨です」とのことだった。
須磨といえば、まだ神戸まで10キロ近くある。少し遅れているような気がする。

後から会って聞けば、「迷子」になって1時間もロスを生じたことと、パンクしてその修理に時間をとられたとのことであった。やっぱりね…。

「大阪駅付近に来たら、また電話を下さい」と言って電話を切る。
いま彼が走っている国道2号線は、そのまま大阪駅付近で国道1号線に変わる。
その1号線沿いのどこかで待ち合わせることになる。さて、どこがいいか…?

僕は思案の末、JR環状線の京橋駅のガード下に決めた。
国道1号線がそのガードをくぐるのでわかりやすいし、僕自身も電車の便がいい。

3時半を回ったので、職場を出て電車に乗る。
4時過ぎ、電車の中で電話がかかってきた。
「いま、芦屋です。あと1時間くらいで大阪に着けると思います」
「はい、また電話くださいね」
と、僕はまわりの乗客に気遣いながら、声を潜めてそれだけ言って切る。

4時半ごろにJR京橋駅に着き、電話を待つ。
5時にポケットの携帯がチリチリチリと鳴った。
「いま、淀川を越えたところです」とコスタクルタさん。
「じゃぁ、そのまま大阪駅の横を通過して国道1号線を走って行ったら、JR京橋駅のガードがあるので、そこで待っています」と僕。

ガード下で待っていたら、30分後、サイクリングの男性が走って来た。
僕は道路から身を乗り出して手を振りながら、その姿を目で追った。
男性は、知らん顔して過ぎて行ってしまった。人違いであった。

な~んだ、と思っていたら、今度は黒いタンクトップ姿のサイクリストが風を切って格好よく右へカーブを描き、京橋駅の方向へ入っていくのが見えた。

それが、コスタクルタさんだった。

「はじめまして!」と、お互いに初対面のあいさつをした。

それから近くの居酒屋に入り、そこで3時間以上話したように思う。
時間の経つのが、まったくわからない状態だった。

コスタクルタさんは、この時間から京都に向うのはむずかしいので、東大阪市に住む先輩宅に泊めてもらうことにしたそうである。それはちょうどよかった、ではビールでも飲みながらゆっくり話しましょう…ということになったのである。

「いやぁ、うれしいです。まさか、本当に会ってもらえるとは…」
そう言って、目の前の青年は、体全体で喜びを表現してくれた。
こちらこそ、こんな中高年に親しみを持ってもらって光栄である。

僕の20歳の時の自転車旅行の話題になると、自転車ブログを隅々まで読んでくれているコスタクルタさんは、
「あぁ、あの、トラックに乗せてもらって、当時開通したばかりの東名高速道路を走ったときの、あの話ですね」とか、
「箱根で自転車を押して上がっていたときに、元同級生とすれ違ったのでしたね」
「新宿の大将、という方に魅力を感じました。一度お会いしたいものです」
「自転車日本一周の女性とオホーツク海岸で出会った話、すごく楽しかったです」
など、あらゆることを驚くほど覚えていてくれた。ここまで自分の書いたものを熱心に読んでもらっていたのかと思うと、僕はもうメチャメチャ感動したのである。

僕が29歳から31歳までの間に、四国、九州、中国地方を自転車旅行して、ツギハギの日本一周を遂げたことに関連して、コスタクルタさんは
「僕も、四国とか九州も、自転車でまわりたいですね。それに、北は仙台までしか行ってませんので、仙台から北海道へも行きたいです」
そんな豊富を、目を輝かせて語ってくれた。

コスタクルタさんは、高校のときまでサッカー選手だった。その頃、後の日本代表となった小野伸二選手がいたチームとも試合をしたことがあり、小野選手のことを「彼は怪物でしたね。とにかくすごい選手でした」と白い歯を見せた。

サッカーの話になると、僕たちは、際限がなくなる。

特に1994年のアメリカW杯での、数々の名場面の話題に花が咲いた。
コスタクルタ、という名前も、かつてイタリアACミランに所属し、94年のこのW杯でもディフェンスとして活躍した選手の名前から取った…ということだ。

僕にとってもこの大会は過去のW杯で最も印象深かった大会である。日本は「ドーハの悲劇」によって出場を逃していた。しかし日本がW杯に出場すると、どうしても日本の勝ち負けだけに関心が片寄ってしまって、諸外国のサッカーの真髄に心動かされる、という心境になかなかなれないのである。そういうのってダメだけど。

「僕の妻がイタリアのバッジオの大ファンで、冷蔵庫に写真が貼ってありました」
と言いながら、僕はコスタクルタさんに、
「ところで、コスタちゃん、結婚は…?」と質問した。
「あ、まだ、独身です」と、真っ黒に日焼けした顔をほころばせた。

年齢が僕の半分であるコスタクルタさんは、パワフルで、感情が豊かで、礼儀正しく、明朗で、芯がしっかりした青年、という印象だった。

時間の経つのを忘れていたから、結果的に僕が長時間引き止めてしまった。
その夜泊めてくれる東大阪の先輩から、何度も携帯電話が入っていたというのに、悪いことをしてしまった。でも、何かの運命が引き合わせた僕たちの出会いは、とても濃密な時間として流れたと思うのである。

「のんさんの自転車ブログ…、最後に読み終えたときは涙が出ました」
コスタクルタさんは、そう言ってくれた。

39年前の、自分だけの思い出だったはずの自転車旅行が、会ったこともなかった若い人の心を、わずかでも、ゆらめかせたとしたら、これほどの喜びはない。

ブログをする、ということは、こういう出会いにもつながるのだ。

ネットによる犯罪が増え、闇のサイト、出会い系サイトなどというものも増え、とかく批判されがちなネット社会であるが、一方でこんな素晴らしい出会いも生む。

僕たちが店を出た時、時刻は9時近くになっていたようだ。

「先輩の家まで電車で行きます」
「では、自転車はどうするの?」
「この有料駐輪場へ置いておきます。明日またここへ来ればいいんですから」
「そうやね。夜だし、飲んでるし、自転車で東大阪まで走るのは危ないよね」

JR京橋駅からいっしょに環状線に乗り、鶴橋駅でいっしょに降りた。
コスタクルタさんは、ここで近鉄電車に乗り換えて、東大阪市の布施という駅まで行けば、そこで先輩が待ってくれているという。
こういう、いい人間関係を持っているのも、彼の人柄であろう。

「ありがとうございました」
「明日からも気をつけて走ってね」
「さよなら」
「さよなら」
鶴橋の駅で手を振って別れ、僕は次に来た環状線に乗って帰途についた。

いい夜を過ごすことができた。
僕もこの日は体調がよかったので、いっそうおいしいビールが飲めた。

コスタクルタさん、ありがとう。
16日まで、体調を崩したり怪我などしないよう、
無事に旅を続けてくださいね。




  
  

    
    お店のお姉さんに撮ってもらった1枚です。 
    「
写真、ブログに載せてもいいですか?」
    「ええ、全然かまわないですよ。OKです」
        (8月13日夜。京橋の居酒屋「てんぐ」にて)
     
 

 

 

 

 

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 出会い

2008年08月14日 | 日常のいろいろなこと

高校野球は仙台育英が勝ち進んでいます。
大阪桐蔭も先日、サヨナラ勝ちをしました。
しかし、市立岐阜商は敗れ、駒大岩見沢も大敗を喫してしまいました。
のこたんさん、たまごさんはがっかりされているだろうな~。

オリンピックは、昨日はほとんど見ませんでした。
帰宅したとき、ちょうど野球をしていましたが、リードされていたことと、眠かったことで、最後まで見なかった。予選リーグでは、特にキューバに勝たねばならないこともないので、負けてもどうということはありませんからね。

女子で上野が優勝し、柔道は早くも3つめの金メダル。
2つとれたら上々と思っていたので、これはうれしい誤算でした。
やはり、先陣を切って勢いづけた内柴の功績が大きいでしょうね。

今朝のA新聞一面を見ると、柔道よりもフェンシングのことが大きく載っていました。日本人が銀メダルをとり、この競技では史上初の快挙とのこと。な~るほど。歴史的意義の大きい銀メダルというわけですね。オリンピックには、今までじっくり見たことのないような競技もたくさんあるので、こうしたいわゆる地味な競技が晴れ舞台で脚光を浴びるのは素敵なことです。
                    


お盆に入って、いつもの自転車通勤の道はひっそりしています。
僕はお盆休みはありませんが、いつも病院へ行ったりするのに、よく休ませてもらっているので、これでお盆まで休んでいたら、休みすぎですよね~。と言いながらも、昨日もコスタクルタさんと会うため、午後からお休みをいただきましたが…。

夕方、天王寺の駅の構内はごったがえしていました。
帰省する方々、旅行に行かれる方々ですね。

午後5時半。コスタクルタさんと無事にお会いすることができました。

黒のタンクトップ姿で、さっそうと自転車に乗って現れたコスタクルタさんは、前日、広島を出発して岡山で一泊され、そしてこの日、大阪まで走行。1日200キロ近い距離を走るわけです。この暑い中を、すごいパワーですね。

ブログで知り合った人と、実際にお会いするという不思議な感覚。
2人でビールを飲んで、大いに語り合い、盛り上がりました。
お店のお姉さんに頼んで2人の写真も撮ってもらいました。
その模様は、明日のブログでくわしくお伝えしたいと思います。

コスタクルタさん。
昨日はお疲れのところを長時間つきあっていただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

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 だらだら日記 その2

2008年08月13日 | 日常のいろいろなこと

8月12日。
昨晩は、安定剤を飲んで寝たけれど、不整脈も出ず、平穏な一晩だった。

きょうは午前中に庁内会議がひとつ入っていた。
「重要な臨時会議」ということだったので、何かと思って出席したら、うちの市民病院の院長が出席していて、現在の病院の状況を説明した。

病院長も、役所の職員という身分である。
僕もそうだが、出席者は大半病院とは関係のない職場で働いている職員だが、膨大な赤字と建物の老朽化で、病院が危急存亡の事態に直面している、という院長からの報告であった。病院の建物のあちこちにガタがきている上に、医者は減る一方、外来や入院患者も減る一方で、赤字がどんどん膨れ上がっているという、現在、日本の自治体病院が共通に抱える悩みを、うちの自治体でも抱えているということがより鮮明に説明された。きょうは、その話を聞くだけ、という形で、会議は終わったけれど。深刻な問題だ。

昼休みは弁当を食べながらTVのオリンピックを見る。
体操競技をしているが、中国が断然強いみたいだ。
体操の採点が、以前は10・0が最高だった採点方式から、今は15点とか16点とか言い、A採点、B採点とか言っている。よくわからない。

午後2時からの大阪府下の関係団体の会議のため、大阪城が見えるホテルKKRというところへ行く。前回、同じ会議でここへ来たときは、大阪城の桜が満開であった。つい先週ぐらいの出来事のような気がするが、あれからもう4ヶ月が経った。どんどん日が過ぎてゆくのだ。あぁ~、退職まで8ヶ月を切ったのか…と、このごろ、そのことばかりが頭をよぎる。会議は3時20分に終了。同じ会議に出席した他市の何人かの人の名刺交換が始まったようだが、僕は名刺入れを持って行くのを忘れた。財布の中に3枚しか入っていなかったので、やばい、と思い、部屋の隅のほうに身を潜め、壁のほうを向き、「僕はこの会議とあまり関係ないんだもんね」的な態度で、なるべくこちらに、人々が名刺を持ってやってこないような雰囲気を作る。あ~あ。名刺入れを忘れるなんて、退職が近づいていることで、ちょっと気がゆるんできているのかもしれない。深く反省。

夜はまたオリンピックだ。
録画の体操を見る。中国選手団の演技は見事だ。着地が違う。くやしいけれど、敵ながらあっぱれである。ぱちぱちぱち。日本も銀メダルとはよく頑張った。19歳の内村という選手が、さわやかだ。演技も優れているし、まさに春秋に富む選手。次のロンドン大会の金メダル候補と期待しておこう。

ナマで見た水泳の200m男子平泳ぎ予選に、北島が出てきた。
200mは得意種目なので、ほぼ金メダルは間違いないと言われている。でも、こういう前評判が怖い。こういうときに限って、誰かに足元をすくわれるから。

北島の予選通過記録は全体の6番目であった。ちょっと心配になるが、北島はいつも決勝になると見違える泳ぎを見せるので、大丈夫だと信じたい。

女子柔道の決勝が始まった。
アテネ五輪の金メダリスト谷本が、オール一本勝ちでここまで進出してきた。
アテネのときは、優勝の瞬間、コーチの古賀稔彦と抱き合っていた。
しかし、その古賀稔彦は、テレビのゲストとして背広を着てスタジオにいた。
もう、谷本のコーチをしていないのか…?

その谷本が決勝で、いかにも強そうな相手のフランス人選手が仕掛けてきた技をかわしながら、絵に描いたような内股で一本を取り、見事な優勝。内芝も北島も、この谷本も、みんな前回の覇者。しかも、五輪と五輪のあいだは故障や不調で沈んでいた。五輪になると一気に大輪の花を咲かせる。いやまあ、その精神力というか、調整能力というか、勝負度胸というか、ものすご~~~い、と感服する。

谷本の快勝で喜んでいたのもつかの間、マラソンの野口が出場を断念したという悲しいニュースが入ってきた。僕が北京五輪で一番楽しみにしていた女子マラソンだったのに…。金メダル間違いなし、と信じていたのに。とても残念だ。土佐は良くても入賞どまりだろうし、大阪女子マラソンを制した新鋭の中村に期待したいところだが、野口の欠場で余分なプレッシャーがかかるだろう。野口選手本人が一番くやしいだろうけど、僕たちもくやしい。日本国民が、みんなくやしい思いをしているに違いない。

しかし、また女子サッカーを見ていると元気が出てきた。
強豪ノルウェイに1点を取られたあと、すぐに1点を返し、後半はなんと4点を取って5対1の圧勝。決勝トーナメント出場を決めた。あの、得点力不足が慢性病のようになっていた日本の男女サッカーからは、考えられないほど、シュートが次々と面白いほど決まった。優勝候補相手に、大舞台でこんなゴールの嵐を見せてくれた日本チームは、今までになかっただろう。

ただ…
ノルウェイは負けても決勝トーナメント出場が決まっていたので、選手たちは怪我などしないよう、無理はしていなかったはずで、その分は差し引かなければならない。でも、それにしても、今日のなでしこジャパンは100点満点じゃ。むはは。

同時間帯にソフトボールのオーストラリア戦があった。チャンネルを時々そちらに変えていたが、いきなり4対3の打撃戦となり、どうなることかと思ったが、日本が1点のリードをそのまま守って勝利した。

興奮しないでおこう、と思いながらも、谷本優勝の瞬間は思わず大声を上げた。

2年前、サッカーW杯ドイツ大会の期間中に、軽い脳梗塞(一過性脳虚血発作)になって、3週間仕事を休んだことがある。だから、十分に注意しなければならない。コメントをくださる皆さんからもご心配していただいているので…。

軽い不整脈は相変わらず出ているので、一昨日病院でもらった降圧剤と安定剤のデパスを飲んで寝る。夜、一度も目が覚めなかった。寝られることが一番うれしい。

きょうの早朝、このブログに、コスタクルタさんからコメントが入っており、携帯番号を書いておられた。自転車の好きな若い男性で、以前、僕の自転車旅行ブログを見てコメントをくださったのをきっかけに、時々コメントをいただいていた。

今回、お盆休みを利用して、自転車で、昨日12日に広島を出発して5日間で東京に向かわれるとのこと。今日、大阪を通過されるので、うまく行けばお会いできるかもしれない。午前中に電話をしよう。

 

 

 

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 だらだら日記

2008年08月12日 | 日常のいろいろなこと

昨日。8月11日。
夜中に、何度も目が覚め、脈が飛び、強い動悸がした。
身体を起こし、その都度大きく息を吸い込み、ゆっくり吐いて不整脈を止める。
不整脈は止まっても動悸が激しい。脈拍を測ると1分に100近くある。
ふだんは安静時の脈拍数は60くらいなのに、これは異常だ。
不安な思いを抱きながら、寝たり起きたりして一晩を過ごす。

朝も調子が悪い。家を出てバス停まで、少し歩いただけで息切れがする。
今日は、病院の予約をしている日なので、ちょうどよかった。

午前10時からの診察の予約である。バスと電車に乗って病院へ行く。
先週のホルター心電図の結果を聞くためだが、診察室に入ってすぐ、今の状態を医師に訴える。

「ホルター心電図を見ると、やはり今までと違う不整脈ですね。でも、特に危険な不整脈ではないので安心してください」と医師。
「不整脈が収まっているときも、昨晩のように動悸が激しくなったりしますが…」
「まあ、脈拍数が60から100までは正常範囲ですけど…。あとは、自覚症状をやわらげるのに、薬を服用するということになりますね」
「はぁ、ぜひお願いします。ドキドキが続くと、しんどいのです」

そのあと、これまでずっと飲んでいる不整脈の、薬の血中濃度を計ることになり、検査室へ行く。その結果は、また来週の月曜日である。

会計を済ませ、薬をもらう。
降圧剤と安定剤であった。
安定剤は、デパスである。わが家にヤマほどある。
降圧剤は、別に僕は血圧は高くないのだが、不整脈を出にくくさせ、動悸をやわらげる効果があるのだそうだ。
これらを、昨晩のような状態になったら服用する、ということである。

病院を出た頃は、来たときより体が楽になっている。
動悸もおさまっている。何となく、安心したからだろうか。
やはり、この症状は精神的なものが大きい…ということだと思う。
心が弱いんだなあ僕は。 つくづく、そう思う。

電車に乗って役所に向かう。
「北島はどうなったんだろうなぁ~」と体が楽になれば、それが気になる。

駅から役所までテクテク歩いているとき…。
11時半を過ぎたところで携帯のメールが鳴った。
「北島、金!」の朗報だ。
やった~。準決勝ではタイムがイマイチ伸びなかったので心配していたが、さすがに北島は別格である。並みの選手ではないぞ。バンザ~イ。おっと。興奮してはだめなのだ。とほほ。

午後からの職場では、だいぶ体調が戻った。

夜、またオリンピックを見る。
録画やらナマやらいろいろチャンネルを変えて見る。
女子柔道の佐藤は中国選手と戦い、佐藤に指導が与えられ、その分のポイントをリードされたまま、終盤、中国選手が逃げ回る展開になって、当然中国に指導が与えられるべきなのに何もなし。試合終了で佐藤は悔しい敗戦。「ひどい」とアナウンサーが思わず漏らすほど、中国びいきの、露骨でハレンチな判定であった。しかし、興奮してはいけない。腹を立ててはいけない。そんなことしたらまた、動悸・不整脈が出るんだもんね。

何度も北島の優勝シーンを見る。う~ん。何度見てもいいぞ。

TVをずるずる見ていると、バドミントンのオグシオが出てきた。相手は中国。
試合はいいところなく、オグシオが負けた。これは完敗。実力負けである。
しかし中国ペアの2人は、あれは両方とも男ではないのか?
顔を見ている限り、女とは思えない。
なにせ、何をやらかすやら、わけがわからんからな。この国は。

午後11時半、就寝。
うっかり睡眠薬を飲むのを忘れて寝てしまったが、今朝5時までよく寝た。
どうも、わけがわからんのは中国だけではない。
自分の体もどうなっているのか、よくわからん。ぐすん。

 


 

 

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