僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

名前の話 

2017年09月30日 | 日常のいろいろなこと

9月22日のブログの一番最後で、酒井順子さんの「昔は、よかった?」の本のことをチラッと紹介しました。1ヵ月ほど前に読んだエッセイなのですが、その中に「名は体を表す」というのをテーマにした一文が印象に残りました。

「名は体を表す」って、よく言いましたよね。

著者の酒井さんは、ご自分の名前について、
「私の名前は順子というわけですが、考えてみれば私は、特に反抗的というわけでもない、長いものには巻かれる従順なタイプ。人生はさほど順調ではないかもしれないけれど、まあまあ体を表しているように思います」
というふうに書いておられました。

な~るほどねぇ。さすが作家。上手に表現されますよね~

そして、たとえば「太陽」という名前なら、明るい元気な子というイメージがあるけれど、もしその子が陰湿で暗い性格の子だったら名前と合いませんよね、というふうなことも書かれていました。そりゃそうですよね。太陽君が暗い性格だったら、シャレにもなりませんし。「名前負けやろ」と言われたりね。

それで思い出したのですが、いつかベッキーとの不倫騒動を起こした川谷絵音というミュージシャン。そのグループ名が「ゲスの極み乙女」というものでしたが、この人などは「名は体を表す」という言葉がピッタリですね(笑)。

さて、
名は体を表す! ということですが、
たとえば、自分の例をみてみますと

僕の名前は「昇」ですけど、これはうちの母が若い頃に人気があった「霧島昇」という歌手の熱狂的なファンだったことからつけたそうです。

わりに単純なつけかただと思いません?
ま、そんなことを言ったら、母に悪いですけどね~

で、「昇」という名が、体を表しているかというと
たとえば「上昇」「昇進」とかいう言葉がありますよね。
でも、
僕自身は、これまでの人生を振り返ってみて、さほど上昇した人生のようには思えません。「昇る」というより、ぼちぼちと緩やかに、上がったり下がったり、ですわ。

つまり、「昇」という名前は、あまり自分の人生とは関係なかった、というふうな感想を持っています。ということで、「名は体を表す」とピッタリの人もいれば、僕のように「まぁ、イマイチかなぁ」という人もいるでしょうね~

これを読んでくださっている人たちは、どんなんでしょうね~

ただ、「上昇」という言葉は、自分の名前を人に伝えるのにずいぶん使ってきましたけど。

電話などで「〇〇のぼるです」と名前を伝えると、
「のぼる」は「登」という字もありますので、電話の人が、
「のぼるというのは、どういう字を書きますか?」
と聞いてこられます。そんな時は、
「日を書いて、その下に升(ます)と書きます」
と言えばたいていわかりますが、そんな回りくどい説明より、
「上昇の昇です」と言ったら、それで相手に伝わりますよね。
で、そんなふうに説明してきました。

しかし、ある時、電話でこんなことを言われたことがありました。

いつものように電話で「昇は上昇の昇です」と言うと、相手方が、

「あぁ、昇天の昇ですね~」

と軽い口調で言ったのです。うぅ~!

昇天の昇だって?
「昇天」と言ったら「死ぬ」という意味でしょ。
ふつう言いますか? そんなこと。

これは僕が30代の頃の話なのですが、忘れもしません。今だったらそんなやりとりがあったら、「オレは死ぬんか!」と突っ込んで笑い話で済ませていたと思いますが、なにせまだ若かったので、ガクッと来ました。それで今でもよく覚えいるわけですが、人の名前の漢字を、そんな表現で確認することだけはやめておきましょうね。

たとえば、「下柳です」と言うと、「下は、うえしたの下ですね」と聞くところを、「あ、下は下品の『下』ですね」なんて聞いてはいけません。

「好介です」と言うと、「こうは、好色の好ですか?」なんて聞いてはいけません。(そんなヤツ、おらへんやろ~)

でもね~。
どうも時々、変な電話対応をする人がいるようですが、まあ、今日はこの辺にしておきます。

ともあれ、話は元に戻りますが、「名は体を表す」という言葉をもう一度かみしめて、自分の名前と人間性が合っているのかどうか、というようなことを、ヒマな折にはちょっと考えてみてもいいかも知れません。

あくまでも、ヒマな折に、ですけどね~

さて、
9月もきょうで終わりですね。
いつも言うことですが、早いですね~

明日から10月。もう、1年の4分の3が過ぎてしまいました。

急に寒くなるかも知れませんので、みなさん、体調にご注意ください。

 

僕はいま、巨人がCSに出られるかどうか、カンカンになっています。
今は30日の夕方ですが、6時から、4位の巨人は阪神と、3位のDeNAは広島と。
もし、巨人が負けてDeNAが勝つと、巨人の3位はほぼ絶望的です。

なんとか巨人が阪神に勝ち、広島がDeNAに勝ってほしいです。

いまから90分後、それぞれの試合が開始されます。
両試合とも、テレビ中継もあるので、今からワクワクドキドキ。

 

 

 

 

 

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読書ノート ~ 続き ~

2017年09月27日 | 読書

 
昨日の記事で紹介しました高校生の頃の僕の最初の読書ノートです。
もうボロボロですけど、なんとか原型はとどめています(笑)。


 
ノートを開くと、
この部分は高校2年生の時に書いた文章ですが、
下手な字で、読書感想文をぎっしりと書いています。
右側のページには、ヘッセの「車輪の下」の感想が。
左のページはスタインベックの「怒りの葡萄」です。
いま読み返してみると照れ臭いですね、やっぱり。

 

  ~ 1996年の読書ノート ~

さて、
1966(昭和41)年といえば誕生日が来て17歳。
高校2年生から3年生になった年ですが。 

1月から夏休みが終わる8月までに読んだ主な本のリストを読書ノートから抜き出してみました。この当時が、自分の人生の中で、最も沢山の本を読んだ時期だったと思います。

「狭き門」(ジイド)
「天平の甍」(井上靖)
「人間ぎらい」(モリエール)
「女の一生」(モーパッサン)
「友情」(武者小路実篤)
「リンカン伝」(石井満)
「阿Q正伝」(魯迅)
「暗夜航路」(志賀直哉)
「大地」(パールバック)
「谷間の百合」(バルザック)
「変身」(カフカ)
「父と子」(ツルゲーネフ)
「人生論」(武者小路実篤)
「イソップ寓話」
「ナポレオン伝」(ルードウィッヒ)
「罪と罰」(ドストエフスキー)
「戦争と平和」(トルストイ)
「三四郎」(夏目漱石)
「トニオ・クレーゲル」(マン)
「野菊の墓」(伊藤佐千夫)
「フランクリン自伝」
「復活」(トルストイ)
「阿部一族」(森鴎外)
「高瀬舟」(森鴎外)
「雁」(森鴎外)
「草枕」(夏目漱石)
「ハムレット」(シェークスピア)
「ヴェニスの商人」(シェークスピア)
「嵐が岡」(E・ブロンテ)
「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)
「武器よさらば」(ヘミングウェイ)
「二都物語」(ディッケンズ)
「ジェイン・エア」(C・ブロンテ)
「ジャン・クリストフ」(ロラン)
「八月の光」(フォークナー)
「アンナ・カレーニナ」(トルストイ)
「従姉妹ベッド」(バルザック)
「どん底」(ゴーリキー)
「高慢と偏見」(オースティン)
「凱旋門」(レマルク)
「風と共に去りぬ」(ミッチェル)
「ボヴァリー夫人」(フローベル)
「テス」(ハーディ)
「ミケランジェロの生涯」(ロラン)
「赤と黒」(スタンダール)

などなどです。

手当たり次第に読んでいったという感じもありますが、この当時は河出書房から世界文学全集の「グリーン版」や「カラー版」というのが出版され、世界文学が一種のブームでもあり、すっかり外国の小説にハマっていました。主に19世紀のロシア文学とフランス文学が好きでしたね。日本文学も昔の有名な作品ばかり読み、当時の「流行小説」には全く関心がありませんでした。

うちの父と母は2人で商売をしており、本を読んでいる姿など一度も見たことがありませんでした。逆に家では本ばかり読んでいる僕を、両親は不思議なものでも見るような目で見ていたようです。

ある時「本ばっかり読んでたら体に毒やで。たまにはテレビでも見たら?」と母が心配そうに言ったことがあります。わが子ながら変な子だと思ったのでしょうか。それにしても、読書が「体に毒」とは、うちの母も面白いことを言います。つまり「体に毒書!」と言いたかったのでしょうね~(アホな)。

学校の教室でも、授業中にこっそりと教科書の陰に小説を潜ませて読んだりもしていました。とにかくこうした小説類を、時間を惜しみながら夢中で読み漁ったのが17歳の頃でした。

どの本も、僕にとっては大切な人生の教師でもあり、また反面教師でもありました。中でも「女の一生」「ボヴァリー夫人」「罪と罰」「赤と黒」「父と子」「アンナカレーニナ」「テス」などは今でも深く心の中に刻み込まれています。

運命に弄ばれながらも乗り越えて生きて行く女性と言えば「女の一生」のジャンヌ。不倫の末の悲劇と言えば「ボヴァリー夫人」や「アンナカレーニナ」。男に翻弄され、裏切られ、零落していく薄幸の女性と言えば「テス」。野心家で立身出世主義と言えば「赤と黒」のジュリアン・ソレル。理屈で殺人を犯す人間を見れば「罪と罰の」ラスコーリニコフ。虚無的な生き方を見せつけられると「父と子」のバザーロフらを、今も思い浮かべます。さまざまな人物や出来事とめぐり合う本の世界は、本当に素敵な世界でした。

勤めている時は、仕事を辞めたらもう一度これらの本をゆっくり読み返してみたい、というのが夢だったのですが、実際に退職し、好きなだけ本が読める環境になった今はどうか? 

それがうまくいかないものですね~。ぎっしりと細かく詰まった文字を読むとすぐに目が疲れてくるんですよね。また、読書傾向もすっかり変わってしまい、今は読みやすくて心が軽くなるエッセーなどを楽しんでいます。

まだ老眼鏡をかけずに新聞を読んだりはしていますが、最近どんどん字がボヤけてきています。そろそろ、ちゃんとした老眼鏡を買わなくっちゃ。

目だけではなく、アタマのほうもね。
物忘れがひどくなって、このごろは読んだ本のこともすぐ忘れるので、何か印象に残った部分はメモするか、本に印をつけるかをしなければなりません。

何しろ、あれから50年も経つんですからね~
仕方ないですよね。

と、まあ、昨日・今日と大昔の話を並べてしまいました。
でも、溜まっていたものが吐き出せて、何となくスッキリしました。

冒頭のボロボロノートも、これを機に廃棄します。
いつまでも置いていても、仕方ありませんものね。

最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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半世紀前の読書ノート

2017年09月26日 | 読書

「断捨離」という言葉が、今や世間ではすっかり定着した感があります。それと「終活」という言葉もね~。いずれも身辺整理をするという意味で、一種のブームにもなっているように思えます。最近、僕も身の回りの物を処分したいと思っているところですが、なかなか難しいですね。

それでも、昔の日記やノート類は少しずつ処分してきました。…が、まだ残っているのもかなりあります。そして手元に残っているノートの中では一番古いと思われる「読書ノート」というのがあるのですが、何十年ぶりかで開けて眺めてみると、当時の記憶が驚くほど鮮明によみがえってくるんですよね。

僕が読書らしい読書を始めたのは高校へ入ってから。それまでは少年少女向きの本や漫画ばっかり。高校生になって「大人が読む小説を読んだら少しは賢くなれるのではないか」と思い、読書を趣味にしようと考えたのでした。

いま手元にある僕自身の一番古い読書ノートは、昭和39年(1964年)夏から始まっています。東京オリンピックが開かれた年。僕が高校へ入った15歳の時でした。

ノートの1ページ目には、読んだ本の題名が順番に並べられ、3ページ目から、それぞれの本の感想文が、下手な字で書かれています。

僕にとってはじめての本格的読書は、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズの帰還」でした。それは50年以上経った現在でもよく覚えています(それが今では、先週読んだ本のことも忘れちゃっていますけど)。

それに続いて、主にこういう本を読んだことがノートに記されています。

昭和39年
「愛と死を見つめて」(大島みち子、河野実) 
「若き命の日記」 (大島みち子)
「蛙の王様」 (グリム)
「赤い子馬」 (スタインベック)
「ロビンソン漂流記」(デフォー)
「赤毛のアン」(モンゴメリ)
「アンの青春」(モンゴメリ)
「アンの愛情」(モンゴメリ)

昭和40年

「我輩は猫である」(夏目漱石)
「潮騒」(三島由紀夫)
「嵐」(島崎藤村)
「夜明け前」(島崎藤村)
「宮本武蔵」(吉川英治)
「愛と死」(武者小路実篤)
「若きウェルテルの悩み」(ゲーテ)
「湖畔の家」(ヘッセ)
「怪談・奇談」(小泉八雲)
「青い山脈」(石坂洋次郎)
「怒りの葡萄」(スタインベック)
「車輪の下」(ヘッセ)

こんな感じで。
一つひとつが、青春期の心に刻まれた、忘れ得ない作品と言えます。

高校時代の読書遍歴を、このノートで振り返ってみると、このあと3年生になった昭和41年の1年間が、最も本に没頭した年でした。

そういうことで、
僕の読書体験は、高校での3年間が大きな土台になっています。

こうした作品を並べて眺めると、この頃の読書は今とは違い、1冊1冊が血肉となって自分の体内を駆け巡り、いくらかの部分は今も体の一部として残っているように思います。兄弟もおらず、両親との対話もほとんどなかった僕にとっては、家にいる時はほとんど本を読んで過ごしていたので、僕の人生観、世界観というのは、かなりの部分を読書から影響を受けています。

読書は、若者にとっては自己を磨く鍛錬であり、老人にとっては娯楽である、という言葉も、この当時何かで読んだことを覚えています。

そんなことを思いながら、ノートの最初のページに列挙してあった作品をここへ書き出してみたのですが、このあとまた、自分の人生でも最も多くの本を読んだ昭和41年の高校3年生になった頃の読書一覧を書き出してみたいと思います。

う~ん。しかしまあ
こんな話は他の人には何の関心も湧かないような話なんですけど、年齢を重ねてくると、どんどんと、こうした懐古趣味が強まってくるんですよね。で、それをこんなふうにブログに書き残しておくって、こういうのも一種の「終活」なんでしょうか(笑)。

 

 

 

 


 

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月と太陽

2017年09月23日 | 日常のいろいろなこと

もうかなり前の話になってしまいましたけど

ご婚約が内定した眞子さまと小室圭さんの記者会見の中で、お互いの存在を「月と太陽」になぞらえた話はよく知られていますね。眞子さまは圭さんのことを「太陽のような明るい笑顔」と表現し、圭さんは眞子さまを「月のように静かに見守ってくださる存在」と表現しました。で、「月と太陽」なわけ。

僕はそれを聞いて、とっさにTUBEの「月と太陽」という歌を思い出しました。

東京でOLをしている姪っ子(妻の姉の子)が、TUBEの大ファンで、日本全国津々浦々、TUBEのコンサートを追っかけています。チケットの入手がなかなか難しいとのことで、自分一人の名前で申し込んでも当たるかどうかわからない。ということで母親(妻の姉)や僕たち夫婦の名前も使って何通も申し込むので、そのうちのどれかが抽選に当たる。そんなことで、我が家にもTUBEのコンサートのチケット引換券みたいなものが宅配便で送られてきて、それを東京の姪っ子のところへ転送する、ということをかなり頻繁にやっています。

それと、僕のカラオケで好きな曲の中にはTUBEもあり、特に好きなのが、まあ古いんですけど「初恋」と「燃える煙るモナムール」とこの「月と太陽」なのです。これらの歌を歌っているとテンションがグッと上がってくるのを感じます。

「月と太陽」の歌詞というのは、

♪ どうして~ 男と女はまるで月と太陽
分かり合うことはできないのに 互いにひかれ合って
おなじ空の上 登ってはみたりしても
夜と昼の違いほどせつなく恋する

という歌い出しですが、よ~く聴いてみると、こちらの歌のほうは、熱烈な思いをぶつけているという趣で、「あなたは太陽のように明るい」「君は月のように静か」という穏やかな相思相愛とは違うようです。また、歌の真ん中ぐらいには、

♪ この身をいくら焦がしても 一つになれない感情

という歌詞もあって、つまり「月と太陽」は対極にあるもの、という捉え方で、そのことから来る切なさ、やりきれなさ、みたいなものも感じさせる歌です。

と、好き勝手な講釈を並べましたが、ともあれお2人のご婚約内定の会見での「月と太陽」の話から、思わずTUBEを連想してしまったというお話でした。

あの後しばらくは、毎日のようにこの話をブログで取り上げようと思いながらも、ほかのテーマを優先してしまっているうちに日が経ち、とうとう書く機会を失ってしまった

と思っていたのですが、

昨日、モミィの勉強部屋の机の上に置かれてあった1枚のプリントを見て気持が変わりました。「あ、やっぱりこの話をブログに載せよう」
と決めて、きょう、書いた次第です。

その、1枚のプリントというのは、モミィが学校でやった練習問題のような感じで、理科のプリントのようでした。

そのプリントが、これです 


 

 

 え~っと、これが今日のオチでした。どうもどうも失礼を。

 

 

 

月と太陽 2007 //TUBE

 

 

 

 

 

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昔は、よかった?

2017年09月22日 | 日常のいろいろなこと

ある程度の年齢になってくると、「昔はよかったなぁ」という言葉がつい出てしまう時がありますね。今の時代は何かと便利になった(なり過ぎた?)ようですが、人は多少不便な方が幸せを感じやすいという側面もありますよね。

また、何もかもが短絡的になって、殺伐とした人間関係も増え、昔では考えられないような犯罪も急増しています。夫婦や親子など近親同士の殺人事件があまりにも多すぎるし、「YouTube(ユーチューブ)」というものにアホみたいな動画を載せて自慢する男が次々と出てきたりね。それやこれやを思う時、「けったいな世の中になったもんや」とつぶやき、そして最後は「昔はよかったなぁ」という紋切り型セリフを口にして、心の中でため息をつくのです(ア~ア)。

世の中の動きだけでなく、自分自身に関することでも「昔はよかった」と思う時が、僕なんかもよくあります。やはり、体力や記憶力の衰えとかを感じる時は、年齢だから仕方ないことは十分わかっていながら、
「あぁ、昔だったらこれくらいで疲れなかったのに」
とか、
「昔だったらもっとやる気が出てたはずなのに」
というような不満や愚痴が、ついつい出てしまうんですよね。ま、人は誰でも老いていくのだから、なるべく余計なことは考えないようにはしているんですが、それでもなお、ふと、口に出てしまいます。

やれやれ(また、ため息)。

ところで、この間のわが家での食事中のことですが
最近何となく足がだるい・重いという感じがあったので、妻にそれを言いながら、そのついでにまた「昔はフルマラソンを完走した翌日でも、足はこんな重いことなかったのになぁ」と漏らしてしまった。しかしモミィが横で聞いていたので話を明るくしようと、大げさに「あぁ、昔はよかったでぇ~」と叫んで笑ってごまかした。するとモミィがそれに関して思わぬ話を切り出したのでした。

「ター君とかシンちゃんがな、このごろ『昔はよかった~』って言うねんで」
「えっ。小学生が『昔はよかった』って? どんなんや」

ター君とかシンちゃんというのは、モミィと同じクラスで、家が近いこともあり、ほかの女子児童とまざって毎日のように一緒に下校している友だちです。このあいだ、学校からの帰り道、そのター君とシンちゃんが「昔はよかった」という話をしたというのです。

小学生とはいえ、6年生ともなれば学校の宿題は多く、またター君もシンちゃんも塾へ通っているのでずいぶん多忙のようです(モミィもそうですが)。その2人の男の子が、歩きながら大声でこんな会話をしたというのです。

「あぁ、毎日毎日しんどいな。こんな宿題が多いと大変や~」
「そうや。学校の宿題はせなあかんし、塾にも行かなあかんし」
「その塾にも、宿題がいっぱいあるしなぁ」
「ほかにも用事がいろいろあるし」
「なかなか遊ぶ時間がないねんなぁ。サッカーやりたいのに」
「オレも休みの日以外はほとんど外に遊びに行かれへんね」

2人の男の子はお互いにそんなことを言い合いながら歩いていたそうです。
そして2人は、こう嘆いたという。

「あぁ、昔はよかったなぁ」
「うん。幼稚園の時はよかったなぁ」 
「ただ遊んでるだけでよかったもん」
宿題もないし、塾もないしなぁ」
「勉強なんか全然やらんでよかったし」
「ほんまやな。幼稚園の時はよかったなぁ」
「そうやなぁ。ほんまに昔はよかったなぁ」

というような話だったそうで。

「昔はよかったなぁ」と嘆くのは、
年配者だけではなかったのですね~(
笑)。

 

ついでに、これは僕が最近読んだ本です。
きょうの話と内容的にはあまり関係ありませんけど。
僕の好きな酒井順子さんのエッセイ集なので載せておきます。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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授業参観とAED

2017年09月20日 | 日常のいろいろなこと

3連休が明けた昨日の午後、モミィの小学校で授業参観があった。僕は、午前中は4日ぶりにスポーツクラブへ行って泳いだり歩いたりし、帰宅して食事をしたあと、妻と学校へ出かけたのだけれど、教室では当然ながら立ちっぱなしなので、1時間近く立っているとすごく足が疲れた。運動会でも「敬老席」というのがあるんだから、授業参観でも教室の隅のほうに「敬老席」を用意してくれたらいいのに。しかも前日は「敬老の日」だったんだよ。学校も配慮が足りんなぁ。

というのは冗談ですが(笑)。

さて、昨日の参観では、机と椅子がすべて廊下に出されていて、教室内は子どもたちが床にしゃがみ込んでの授業だ。いったい何の授業かと思えば「心肺蘇生の実習」ということだった。

担任の先生(若い男性)が、大きな声で、
「みんな、いいですかぁ。今日は、もし目の前で人が倒れた時、どうしたらいいかという場合の対処法です。真剣に聞いてね。わかったね~」
と言えば、児童たちがそろって「ハ~イ」と答える。

4、5人の班ごとに固まって床にしゃがんでいる子供たちの前に、班の数だけ上半身裸の人形が並んでいる。こういうものです(ネットから拝借)。

 


  
 


まず先生が、実演をして見せる。

「もしも、目の前で人が倒れるとしますね。だったら、まず、どうする?」
と先生が質問。何人かの児童が手を挙げた。

一人の男児が指名されて立ち上がり、「救急車を呼ぶ」と答える。
「いや、それより先にすることがあるんだよ」と先生。
…………(みんな神妙に聞いている)」
「まずね、倒れた人に大声で『どうしました!』と声をかけるんだよ」
…………
「それで反応がなければ、次にその人が呼吸をしているかどうか確かめて、呼吸をしていなければ、『だれかぁ!』と大人の助けを求めるんだ」
…………
「だれもいない時は、自分が何とかしてあげるしかない。その人の心臓はいま止まっているんだ。そこで、胸の真ん中をギュンギュンと強く押さえてショックを与えるわけね。こうして、いち、にぃ、さん、しぃ、と、強く早く30回押すんだよ」と言いながら、マネキンの胸を押さえて実演をして見せる。
「そして、誰かが来たら、AEDを持ってきてくださ~いと叫ぶんだよ。そして、またほかの誰かに救急車を呼んでくださ~いと叫ぶんだ」
…………

「ところでAEDって知ってる?」と先生の質問に、子どもたちは沈黙。
「知らんか? AEDやで。AKBとちがうで」と先生がギャグ。しかし子どもたちは笑わない。保護者から、少~しだけ、クスッと笑いが漏れる。

AEDとは日本語に直すと「自動体外式除細動器」というそうで、電気ショックを与えて心臓を正常なリズムに戻すための医療機器である。この小学校では、下足室の所にそれが置かれているという。僕も市役所に勤めていた頃、消防職員の指導を受けてこの訓練をしたことがある(やり方はほとんど忘れましたが)。

そして先生が、本物のAEDを取り出してみんなに見せ、電極のついたパッドを人形の胸に貼って、スイッチを入れる。

そんな先生の実演のあと、
「じゃぁみんな、いま先生がやったことを、それぞれの班でやってみてね」
と子どもたちに言ったあと、
「保護者の皆さんもご一緒に、ぜひお子さんがおられる班に入って、やってあげてくださ~い」
と言ったのだけど、数人のお母さんが動いただけで、あとの人たちはその場で立ったまま動かなかった。僕たちも動かず、見ていただけ。子どもたちの中には、自分の母親が近づいてきたら、「来たらあかん。あっちに戻って」と、親が来るのを恥ずかしがる女の子もいたので、思わず笑ってしまった。

子どもたちは最初はためらっていたが、慣れてくるにしたがって、マネキンの胸をギュギュっと押さえたり、AEDの電極を胸に貼り付けたりする動作が良くなってきていた。モミィも、みんなに交じって、うれしそうな顔でギュッギュッとやっていた。

まあ、万が一、自分の目の前で人が倒れた場合に遭遇したとしても、きょう教えられたとおりできるかどうかは極めて難しいけれど、子どもたちが、この方法が人命を救うために必須であり、またAEDという機器があるということを実体験を交えて学んだことは貴重だったと思う。そして、それ以上に、参観に来た保護者たちにとっていい勉強になったのでは、と思ったこの日の授業参観でした。

授業参観が終わった後、別室で「修学旅行説明会」というのが行われるということだったので、妻は学校に残り、僕は一人で先に帰宅しました。

修学旅行がもう来月に迫って来たんですよね。
モミィの小学校生活も、いよいよ終盤になってきました。

 

 

 

  
昨日の授業のあと、児童たちにこんな冊子が配られました。

  
1ページ目から、具体例が書き込まれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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台風18号と連休とプロ野球と

2017年09月18日 | 日常のいろいろなこと

ともかく台風はすさまじい、と改めて思いました。昨晩、外で突風が吹き荒れる音に、雨戸はガタガタガタッと大音響。まるですぐ上空に飛行機が轟音を発して飛び回っているような音にも聞こえ、家が壊されるのではないかという恐怖も感じたほど。台風慣れしていない僕たちは身のすくむ思いでした。それでも、大阪は他府県に比べて大きな被害は出なかったようで、岸和田のだんじり祭りも、雨の中でしたが、例年通り行われていました(僕はまだ実物を見たことはありませんけど)。

今朝はこちらはお天気も回復して青空が広がっていますが、まだ風は少し強いかな、というところです。しかし、列島各地では大きな被害が出たり、また、先ほど北海道へ再上陸したりと、まだまだ予断を許さない状況のようです。

昨日は3連休の真ん中ということだったので、各地へ行楽に出かけていた人たちが、旅先で足止めされている姿などがニュースで報じられていましたが、いろんな行事が中止になってガッカリしている様子も映し出されていました。本当に、どれだけの人々がこの「連休台風」で被害を受けたり迷惑を被ったりしていることでしょうか。

モミィが楽しみにしていた市民祭りも、昨日の朝早く、ネットで確認したら「中止」と出ていました。順延もなし、ということで、モミィもがっかりでした。いろんなイベントに出演を予定していた子供たちから大人たちまで、がっかりした人は大勢いたのでしょうね。そしてモミィの志望校のひとつで阿倍野区にある学園の文化祭はどうか?と調べたところ、やっぱりこれも中止でした。昨日の状況では、仕方のないところですね。

そんな中、広島カープファンは特に残念な思いをしたことでしょう。あと1勝で優勝、というところまで来た広島は、昨日、本拠地のマツダスタジアムでヤクルト戦が予定されていたのですが、ご存知の通り中止。昨日、これに勝てば2年連続8度目の優勝ということだったのに、あぁ、それなのに、それなのに。

今日の甲子園球場での阪神戦に優勝は持ち越されました。

まあ、どのみち優勝は間違いないでしょうけど、広島カープが前回本拠地で優勝を決めたのは1991年だというから、昨日勝っていれば実に26年ぶりの本拠地優勝。さらに、2009年に新設されたマツダスタジアムでは初めての胴上げ、ということで、絶好のチャンスだったのにねぇ。広島ファンの皆さんのうめき声が聞こえてきそうです。

ファンにとっては本拠地である広島での胴上げを見たかった、というのは当たり前の話ですから、台風18号は、広島ファンにも罪なことをしたもんですわ。

で、プロ野球となると僕が応援しているのは巨人なのですが、昨日の午後、東京ドームで同率3位で並ぶDeNAと戦い、6対1と快勝し、また1ゲーム差で単独3位となりました(ドームは天候に関係なく試合ができるので便利ですね)。巨人がこのまま3位をキープしてクライマックスシリーズに出場できるかどうか! 僕は大いに注目しています。

それにしても巨人は新人の畠投手がよく投げ、打線もつながって、いい勝ちっぷりでした。普通なら僕も昨日は出かけていたはずですが、台風なので家にいて、おかげで午後2時からの巨人とDeNAの試合をゆっくりテレビ観戦することが出来ました。僕にとってみれば「怪我の功名」みたいなものだったでしょうか。

ところで、大阪に住んでいながら巨人ファンというのは、ちょっと恥ずかしいので、このことはここだけの話にしておいてください(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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糖質制限 良いのか悪いのか?

2017年09月16日 | 心と体と健康と

台風18号が接近し、明日にも九州に上陸、その後は日本列島を北上するとみられ、3連休は各地で大雨や暴風に警戒しなければならないそうです。せっかくの3連休で、いろいろと予定のある方々も多いと思いますが、心配ですよね。

うちでも今日は、午前中には自転車で25分かかる場所までモミィの音楽教室の習い事があり、午後からはモミィの志望校のひとつである阿倍野区の中学校へ文化祭を見に行く予定です。明日は藤井寺市の市民まつりがあるので、モミィは友だちと一緒にそこへ行くのを楽しみにしています。明後日もどこかへ出かけようかと思っているところなのですが、お天気が大荒れだと外出もしにくいので、気がかりですね。皆さんもお気を付けください。


さて、いつかのブログで「うどん一玉は角砂糖14個分」という本を読んだ話を書きました。ご飯、うどん、パンなどの炭水化物は驚くほど糖質が多く、とても体に悪い、ということが書かれた本だったと紹介しました。そのあと「くら寿司」で「飯のない寿司、麺のないラーメン」つまり炭水化物を抜いた寿司やラーメンが新たなメニューとして加えられた話も書きました。

そんなことで最近は「糖質制限」」という言葉がやたらにあちこちに出回り、まさに健康のためにはなるべく炭水化物を摂らないように、というふうな風潮が生まれつつあるようです。でも、ご飯やパンやうどんを食べない食生活というのは僕には考えられないし、これはほとんどの人がそうですよね。

おまけにその本には、炭水化物よりビールのほうがはるかに糖分が少ないし、ワインや焼酎は糖質ゼロ、最近はビールも糖質ゼロが出てきているのでそれらを飲んでいると太らないし炭水化物より害も少ない、と書かれていたので、僕も調子に乗って糖質ゼロのビールやハイボールを買ってグイグイ飲んでいます。考えてみればあれ以来、アルコールの量が増えているんですね。これでは何をしていることやら。ビール好きの自分に都合のいいように、「これならいくら飲んでも大丈夫」と、全然話の次元が違うことを勝手に考えて、酒量が増えている昨今です(アホやがな)。やはり飲み過ぎはいけません(笑)。

そんな折に、先日、新聞でこんな記事を見つけました。


  

 

「まもなく敬老の日」というのからはじまり、見出しには

コムギとしては、キニナリます!
長寿にどうなの?
糖質制限。

と、大きな文字で書かれています。

記事の提供は、「小麦を通じたコミュニケーションで日本を元気にする活動」を行っている『コムギケーション倶楽部』という組織で、名古屋学芸大学の栄養科学を専門に研究をされている下方教授という方の見解が述べられています。

要約しますと、

確かに糖質を制限することでエネルギーの摂取量が減少しますが、それに代わる必要なエネルギーを確保しなければなりません。すると、高脂肪、高タンパク食となり、動脈硬化が進行して寿命が短くなる可能性が高いとみられます。低炭水化物の食スタイルが死亡率の増加と関連する研究結果も発表されています。高炭水化物・低脂肪のニッポンの食卓は、世界でも注目されています。

というような話でした。
「まもなく敬老の日」という見出しがあったことから考えると、これは主に高齢者に当てはまる話だと思います。ま、高齢者でなくとも参考にはなるんでしょうけどね。

しかしまあ、この「体に良い食事」の話というのは、必ず実益と実害の両面があって、一概には言えないことは確かですよね。実際、本屋で「糖質制限は危険」という意味の本も何冊か見ましたし。

要は炭水化物もその他の飲食物も、食べ過ぎないこと、飲み過ぎないこと、でしょうね。ビール等のアルコールが炭水化物より糖分が少ないから体に良いのだ! というのは、あくまでも「適量」の範囲であり、「体に良いからたくさん飲む」というのは、酒飲みの「こじつけ」以外の何物でもありませんよね(笑)。

やはり食べ物は、栄養が偏らないようにバランスよく食べる、アルコールは適度に、ということなのでしょう。何の新鮮味もない結論ですけど。

では皆さん、きょうから3連休ですね。
台風が気になりますが、どうか良い連休を!

 

 

 

 

 

 

 


 

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阪神「首一枚の皮」でつながる?

2017年09月14日 | 思い出すこと

昨日の夕方。
甲子園球場での阪神・巨人戦が始まる前のニュース番組で、野球解説者の吉田義男氏が出ていました。この時点では、首位の広島にはマジック4が点灯していたので、アナウンサーが、
「吉田さん。今シーズンはもう優勝は広島で決まりですね」
と同意を求めると、吉田さんは「いやいや…」と首を横に振り、
「野球は何が起きるかわかりませんから」と言ったのです。
「ほう? まだ望みはあるということでしょうか?」とアナ。
それに対して吉田さんは、
「そうです。まだ阪神は首一枚の皮でつながっていますから」

えっ?
首一枚の皮でつながる…? 
「首一枚の皮」とは?
なんか、違うなぁ。

そうだ。
首の皮一枚でつながる、でしょ。

「首一枚の皮」ではなく、「首の皮一枚」だよ。

吉田さんも、まだ広島の優勝が決定したわけじゃなく、阪神にもかすかな望みが残っているということを言っているのはわかります。そのたとえとして、首の皮一枚はつながっているんだから、と言ったつもりでしょう。でもそれが「首一枚の皮」と表現したのでおかしかったですね~。


この吉田義男さんは、言うまでもなく元阪神タイガースの内野手で、「牛若丸」と呼ばれるほどの華麗な守備で有名でした。僕は子供の頃から大の巨人ファンだったので彼はいわば「敵方」でしたけど、小柄で見た目が優しそうなので、好きな選手でした。

吉田さんは1969(昭和44)年、僕が20歳で北海道への自転車旅行をした年ですが、その年に現役を引退し、関西テレビ(フジテレビ系列)及びサンケイスポーツの野球解説者になりました。

その翌年、大学4年生の時、僕はそのサンケイスポーツ社で夜のアルバイトをしていました。何しろそんな時代のことですから、まだ今のような電子通信機器はなく、野球の記事も、甲子園・西ノ宮・日生・大阪球場など関西で行われるナイターへ新聞記者が行って、球場から社の報道部に電話をかけてくるというシステムでした。で、電話で記者が試合経過や結果の記事を読み上げる。その電話を受けてササ~ッと原稿用紙に書いていくのが僕たち学生アルバイトの仕事でした。かなり早く書かなければなりませんし、字の間違いにも注意しなければなりません。何度も聞き返したり、もたもたしていると記者から怒鳴られます。僕たちは記者が鬼のように見え、慣れるまでは、かなりしんどかったです。

僕たちが電話で聞き取って書いた原稿に主任が目を通し、加筆修正してそれが印刷に回され、新聞記事になるのでした。完成したサンケイスポーツを見て、アルバイトの僕たちは野球記事のあちこちの部分を指さして「あ、これは僕が書き取った部分だ」な~んて言い合ったものでした。

そして僕らのいる報道部に、解説者の吉田義男氏がちょこちょこ姿を現していました。初めてその姿を見た時「あ、吉田や!」と、興奮しましたね。また、記者と同じように球場から「観戦記」を僕らのいるところへ電話で送ってくることも多々ありました。僕も吉田さんからの電話を何度か受けたことがあります。

その中でひとつ、忘れられないのが、電話で、あるプレーをめぐってどこかの監督が激怒したということを言い表すのに、吉田さんが、
「毛髪天を衝(つ)く」
と言われたのでした。
「は?」と僕が聞き返すと、吉田さんは再び、
「〇〇監督は、毛髪天を衝く勢いで怒った」と繰り返されました。
「もうはつ、天をつく」? ちょっと変だ。うむ。…あ、そうか。
それって「怒髪天を衝く」ではないのか?

電話を終え、書き取った原稿を主任に渡しながらそのことを言うと、主任は「あははは」と大笑いをし、
「そやなぁ、怒髪天を衝くやなぁ」
と言ったのでした。

50年近く前のそんなことを、昨日の吉田さんの「首一枚の皮でつながっている」
という言葉を聞いて、また思い出した次第です。それにしても吉田さんは変わりませんね。その当時、すでに現役を引退していたんですよ。一体、いま何歳なんだろうかと調べてみたら、今年で84歳になられています。お元気だなぁ~

さて、プロ野球セ・リーグは、昨日、巨人が阪神に勝ち、広島がDeNAに勝ったので、巨人はDeNAを抜いて3位に浮上(よしよし)。そして広島はマジック4から2となりました。きょう広島が勝って阪神が負けると、見事「優勝!」ということになります。阪神もいよいよ断崖絶壁に立たされました。

吉田さんは「首一枚の皮」は残っている、と昨日の試合前には言われていましたけど、どうやら阪神タイガースの首一枚の皮じゃなく首の皮一枚も、こうなると、切れたも同然かもしれませんね~

 

 

 

 

 

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桐生が9秒台! 19年前のアジア大会を思い出す

2017年09月12日 | スポーツの話題

9月9日の夜、何気なくスマホのニュースを見たら、桐生が日本選手で初めて10秒の壁を破ったとあった。「うそっ?」と、にわかには信じられなかった。なにせネットだから、本当の話かどうか疑わしい。本当だったら、これは大ニュースである。でも他のサイトで確かめたら、やはり本当のようだった。「すごっ」と言うほか言葉が見つからなかった。しかも最近は影の薄かった桐生が達成した快挙である。翌日の新聞は1面に大きく「桐生9秒98。日本選手初9秒台」という見出しが躍っていた。


      

そんなことで、このニュースは疾風の如く日本中を駆け巡ったのでした。

昔、僕は今よりもっと陸上競技のファンでした。この9秒台が出るまでは、日本記録は伊東浩司の10秒00だったことも今回のニュースで報じられていますが、この記録が出たのは1998(平成10)年で、今から19年前のこと。当時は最も陸上競技を面白く感じていた時でした。

そのころ、大阪長居スタジアムで陸上日本選手権が行われ、僕は家族を連れてスタジアムへ行き、3日間、全競技を見ました。今、調べてみたら1996(平成8)年の6月のことだったのですが、そのとき、初めて伊東浩司を見ました。そして、詳しいことは覚えていないのですが、たしか伊東が100mか200mですごい記録(日本タイ記録?)を出したような記憶があります。そのことが場内アナウンスされたとき、スタンドがどよめいたのを今でも覚えています。

その2年後にタイのバンコクでアジア大会が開かれ、そこで伊東浩司は100mで10秒00の日本新記録を出したのでした。それが19年間日本記録として輝いていたのですが、僕はバンコクのこのレースを、テレビの実況中継で見ていました。

100mの準決勝だったのですが、伊東が独走し、ゴールしたあと、電光掲示板の速報タイムに9秒9と出たのです。「おおっ、やったぞ~! ついに9秒台が出た!」と僕はテレビの前で小躍りしました。アナウンサーも「9秒台です、9秒台。伊東が9秒9!」と絶叫していました。僕も世紀の瞬間をナマで見られたことに有頂天になっていたそのとき

掲示板に出た正式タイムは、10秒00だったのです。
あぁ。なんということ。

準決勝だったからか、このとき、ゴール前で伊東が少しスピードを落としたように見えました。いわゆる「流す」というやつで、これが決勝だったらそんなことはしていなかったはず。でも準決勝で、それもトップでゴールしたので最後に力を抜いたわけ。伊東自身もレース後、それを後悔していたようですが、あとの祭りです。あぁ、どう考えても残念な10秒00だったのです。それから19年、この記録が破られなかったのですからね。むろん伊東選手を責めるわけではありませんが、それでも本当に悔しいですね。


その時の映像がネットにありましたので紹介します。


 

これで見ても、やはりゴール前では流し気味ですね。
あれから19年。いやまあ、長い歳月でした。


さて、ついでと言うのもなんですが、この98年のバンコクのアジア大会を取り上げたからには、ぜひお伝えしたいことがあります。この大会で最高のパフォーマンスを見せた日本の女子選手がいたのです。

それはマラソンの高橋尚子です。

この大会の全ての種目に先だって行われたのが女子マラソンでした。当時26歳だった高橋尚子が出場。これも僕はテレビで生中継を見ていましたが、高橋はスタートしてすぐにトップに立ち、あっという間に独走態勢に入り、あとは一人旅。なにしろ場所がタイのバンコクだから気温も高く、スタート地点で25度、30キロで30度という猛暑の中にもかかわらず、高橋は30キロ付近まで世界記録を上回るスピードで力走しました。しかし35キロ以降にペースダウンして、結局当時の世界最高から1分差で記録は達成できませんでしたが、結果、2時間21分という、当時の世界歴代5位の好記録で金メダルを獲得したのです。

高橋尚子はこれで一躍ヒロインとなり、「2年後のシドニー五輪の表彰台の頂点をめざしてほしい」と当時の新聞などで書かれたものですが、それが現実のものとなったのは皆さんもご承知のとおりです。

今回の桐生の9秒台達成の快挙によって、伊東浩司と高橋尚子が輝いた1998年のバンコクアジア大会を思い出しました。


それにしても、桐生選手、よかったですね。
日本人初の9秒台を出したのが9月9日だったので、
来年から9月9日は、

「9秒9の日」

になるんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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夏休みが終わったら、次は

2017年09月11日 | 日常のいろいろなこと

今日は昨日とは正反対の、きわめてマジメな話です。
根っからフマジメな方は、どうかお読みにならないでください(笑)。

夏休みが終わり9月に入ると、モミィの中学受験をめぐる動きも、かなり慌ただしくなってきた感じです。3日の日曜日には五ツ木の模擬テストというのがあったのですが、9日の土曜日は、最近、また志望校の一つとして浮上してきた阿倍野区にある大谷中学校の「入試説明会」に、3人で出かけました。

大阪市中央区にある女学院と、わが家の近くにある学園がこれまでの志望校だったのですが、最近はそれに加えてこの大谷中学と、もうひとつ、富田林市にある中学も「候補」に入ることになり、結局この4校のどこかを受験することになりそうな状況です。いずれも中学高校の一貫校ですから、入ったら6年間そこに通うことになります。ですから、本人や保護者にとっては結構重要な時期に来ていると言えますね。

さてその日は、モミィたち小学6年生は、同校の昨年度の入試問題にチャレンジしたのですが、保護者達は講堂で学校からの説明を受けました。

まず校長先生が壇上に立たれ、「本校は学力はもちろんですが、心の教育にも力を入れています。女子校なので、女の子として、他人に思いやりのある、心の豊かな子に育てていくというのが本校の大きな目標です」という切り出しで始まったお話ですが、この校長先生、決して美辞麗句は用いませんが、語彙が豊富で、説明に深みがあり、とてもわかり易いお話をされました。これまでの、どの学校の校長の話よりも心に届く言葉だと感じました。

また、ここの教頭先生は女性の方ですが、8月に大阪私立学校展が開かれた時、この学校のコーナーへ行き、たまたま説明してくださった方がこの教頭先生でした。その時に名刺もいただいたのですが、この日、講堂の中に入る時、入口に立っておられたので僕たちが挨拶をしたら、「あっ、あの時の」と、覚えていただいていました。それでまた、この学校を身近に感じたものでした。

校長先生のお話のあとは、女性(教諭の方だと思いますが)が壇上に立たれ、スクリーンのいろんな画像を見せてくれながら、入試に関する具体的な話や学校の授業内容、そしてクラブ活動やさまざまなイベントなどについて説明があったのですが、この女性の方もテキパキと歯切れよく、話がわかり易かったです。

こういう話を聞いていると、ふ~む、この学校もいいなぁ、と思うのですよね。特にこの日の中学校では、そう思いました。

次の日曜日(17日)にはそこで文化祭があるので、それも見に行く予定です。また、その前日の土曜日の午後には、志望4校のうちの一つ、富田林市にある中学の説明会に初めて行くことになっています。

土曜日は午前中、ヤマハの音楽教室でエレクトーンの個人レッスンに通っているのですが、中学校の行事と重なったりするので、講師の方のご配慮でレッスン日や時間を変更していただいたりしています。

そして10月以降は各学校で「プレテスト」というのが実施されるので、またそれらも受ける予定です。志望校もその頃には決めなければならないでしょうね。

入試は来年の1月ですが、あぁ、早くそれが終わってほしい~というのが、今の僕たちの正直な気持ちです。はい。

 

 

 

 

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渡る世間は不倫ばかり

2017年09月09日 | ズレズレ草

今日はきわめて不謹慎な話です。
根っからマジメな方は、どうかお読みにならないでください(笑)。

最近、不倫報道が目立ちますね。お笑い芸人、タレント、政治家などいろいろですが、週刊誌のスクープをきっかけに、テレビやネットで大きくに取り上げられ、当人は記者たちに追い回された末、謝罪を迫られたりする。

あのベッキーと「ゲスの極み乙女」のメンバーとの騒動のあたりから不倫報道が「活発化」してきたようですね。

ある民放TV局がデータ会社に依頼して、テレビがどれだけ不倫報道に時間を割いているかを調べたら、2014年と15年は年間30時間未満だったのが、去年の16年は一気に170時間に急増。今年は8月27日までに120時間に上り、この2年間の突出ぶりが際立っている、とのことです。

ざっと思いつくだけでも、お笑い芸人の宮迫博之、俳優の渡辺謙や最近の斉藤由貴、「五体不満足」の著者の乙武洋匡らが浮かびます。また最も問題とされている政治家では、男性国会議員として初めて育休を宣言した宮崎謙介元衆院議員、「ハワイ重婚ウェディング写真」の中川俊直衆院議員、橋本健神戸市議との「略奪不倫」を報じられた今井絵理子参院議員と、そして今回、民進党の山尾志桜里衆院議員の不倫疑惑が世間の耳目を集めています。特に山尾議員の場合は民進党の幹事長候補であり、それが今回のスキャンダルで取り消され、一転して離党するという流れとなって、大きな政治問題にまで発展しているのはご承知のとおりです。

僕は高校から大学の頃、海外文学に傾倒していた時期があり、中でもフローベルの「ボヴァリー夫人」とか、トルストイの「アンナ・カレーニナ」とかが好きでしたが、両方とも不倫の話です。ま、これに限らず、いつの世にも不倫は絶えることがなく、それが古今東西の文学や映画などの題材にもなってきましたよね。

それに、歌謡曲の歌詞を見ても、「許されざる恋」を歌ったものがとても多い。今ふと浮かんだのも、大川栄作の「さざんかの宿」の一節、
♪ 愛しても愛しても あぁ 人の妻~
というくだり。まさに不倫の歌ですよね。

石田純一の「不倫は文化」というセリフも、その意味では間違ってないような気もしますが

さて、最近の不倫騒動は、たしかにテレビのワイドショーなどでは騒ぎ過ぎの感があります。最初のほうはマジメな取り上げ方をしていますが、だんだん飲み屋の会話のようにくだけてきて、最後の方は「ワハハハ~」と司会者やコメンテーターが爆笑して終わるという、なんだかニュースの感想というより雑談そのもの、という印象を受ける場合が多いです。

あるテレビ局の幹部は「不倫を世の中の一大事のように報じるのはどうかと思うが、制作現場にとって、ネット上の反応が世間の関心事のバロメーターになっているので、ネットで盛り上がると、テレビでも取り上げざるを得ない」と語っているそうです。なるほどね。それにしても、もっと報じるべき重要なニュースが多い中で、ここまで不倫に時間を割くテレビ局も、もう少し考えなければ、とも思うのですが、でも、こちらも、ついつい見てしまうんですよね。


こんな騒動を見ながら、僕はふと思ったのですが、不倫で国会議員を辞めたり、離党したりする人が続々と出てきたら、いっそのこと、そういう人たちが一堂に会して、新たな政党を作ったらどうなんでしょうね。不倫の政治家の集まりです。あはは。

党名は? そうですね。まあ「不倫ファースト」とか(笑)。

自民党や民進党から離れて、不倫の党を作って参加するのです。宮崎謙介も中川俊直も今井絵理子も山尾志桜里も、みんな、みんな。そして政治家に限らず、宮迫も渡辺謙も斉藤由貴も、みんなタレント議員として「不倫ファースト」から出馬するのです。

今は自民党がイマイチで、民進党もこんな有様なので、国民は新しい党の出現を待ち望んでいます。ひょっとしたらそこから何人か当選するかも知れません。国政での「不倫ファースト」の誕生です。

党の代表は誰ですかって?
それは、もちろん石田純一です。
この人、政治が好きそうだし。

そして党のスローガンは、

「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」です。

つまり、
疾(はや)きこと風の如く、
徐(しず)かなること林の如く、
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、
動かざること山の如し。

…というものです。なんだか重々しくていいでしょ。

これを「不倫火山」といいます。

(違うわ! 「風林火山」やろ!)

すみません。では、今日はこの辺で。

このアホくさい話に最後までおつきあいいただき、
ありがとうございました

 

 

 

 

 

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パンプキン詐欺って?

2017年09月07日 | ズレズレ草

昔むかしの大むかし。春日八郎の「お富さん」という歌が大ヒットした時がありました。この歌を「知ってる!」という人は、よほど古い人です(笑)。

僕はまだ小学校にも行っていなかった頃ですが、その歌は家にいたらラジオから流れてくるし、外へ出ても商店街などでこの歌が聞えてくるので、全部覚えてしまうんですよね。でも、耳で聞くだけだから、歌詞の意味がわからない。

ちなみに「お富さん」の歌詞は

♪  いきなくろべえ みこしのまつに
あだなすがたの あらいがみ~
しんだはずだよ おとみさん~

というものですが、僕はその歌詞を口ずさみながら、出だしの部分について、自分ではこういう漢字をあてるのだと思っていました。

粋な黒兵衛 みこしの松に

「みこし」というのは、お祭りなんかでかつぐ「おみこし」のこと。つまり粋な黒兵衛さんという人が「おみこし」を担ぎながら、松の木にでもぶつかったりするのかと思っていました。ホント、そう思っていました。そのあとの、「あだなすがたの あらいがみ」ってのは、もう何のことやらさっぱりわかりませんでしたけど、歌そのものは全部覚えていたのでした。

そして、それから何十年も経ってから、

「粋な黒兵衛」というのが「粋な黒塀」だったこと、
「みこしの松が」というのが「見越しの松」だったこと、
を知りました。

つまりですね、え~っと、
洒落た構えの家の黒い塀越しに、松の木が見える…
…そういう光景を表したのが、
「粋な黒塀 見越しの松に~」
という歌詞だったとのことでした。黒兵衛さんが「
みこし」をかついでいたのではなかったのです。

それを知ったとき、「な~んや、それは」とため息が出ました。これが、僕の聞き間違い人生のスタートでした。

それ以来、聞き間違いはいろいろありました。「竹馬の友(ちくばのとも)」を「ちくわの友」と思ったこともありましたしね(どんな友だちやねん)。

最近ではテレビCMで、「嵐」の桜井翔が女性に、
「棺桶(カンオケ)に入ってらっしゃったんですね」
と言ったように聞こえたので、「え~っ?」と驚きました。
そんなぁ、「カンオケ」に入ってらっしゃったなんて。
あんたはドラキュラかいな!

と思ってよく見ると、画面に「がん保険」という文字が出ました。
「がん保険」が「カンオケ」に聞こえたわけです。
「がん保険に入っていらっしゃったんですね」だったわけ。
これはえらい聞き間違いですわ。笑い事ではすみませんで。

「パンプキン詐欺」という言葉も耳にしました。
「パンプキン詐欺? カボチャ? ハロウィンに関係あるの?」
一瞬そう思ったんですが、よ~く聞いてみると
「パンプキン」ではなく「還付金(かんぷきん)」でした(どんな耳やねん)。
つまり、いま社会問題になっている還付金詐欺ですね。

他にも、ニュースで、「北アルプスのヤケ酒が小規模噴火」と聞こえたので、えっ? 「ヤケ酒」がどうしたん? と思っていると「焼岳」でした(何でも「サケ」に聞こえるんやから)。

先日は「民進党」が「妊娠党」に聞こえました。トホホ。

とまあ、アホな聞き間違えばかりする自分の耳とアタマはどうなってる? ちょっとおかしいのではないか? と心配になってきているわけですが、たまたまこの間、村上春樹さんの書いた文の中にこんなのを見つけました。

村上さんは、
「高田馬場(タカダノババ)」が「はだかのババア」に聞こえた。
と書いていました。

う~む。これなら僕と大して変わりませんね。

少し安心しました(笑)。

 

 

 

 

 

 お富さん

 

 

 

 

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少年サッカー 結果にびっくり

2017年09月04日 | 日常のいろいろなこと

昨日はモミィが「五ツ木・駸々堂中学進学学力テスト会」というのが大阪市内であったのですが、一方で、次男の子で小学2年生のケイが、地域のサッカー大会に出るという連絡があったので、僕はそちらを応援に行きました。

場所は藤井寺市のお隣の羽曳野市の河川敷にあるスポーツ公園広場。
(次男の家族は羽曳野市に住んでいます)

羽曳野市と言えば、ダルビッシュ投手を生んだ町で、その近くの河川敷グラウンドには、少年野球で活躍したダルビッシュの大きな写真も掲げられています。また、この河川敷は、かつて僕のランニングコースでもあったので、僕自身にとって馴染み深い場所でもあります。

昨日のサッカー大会は12チームが参加。まず予選リーグが3試合あって、そこで勝ち上がれば準決勝、さらに決勝まで残ると全5試合を戦うことになります。

これは「小学2年生以下」で構成されるチームの大会で、時間は12分ハーフ。45分ハーフに比べるとずいぶん短いですが、メンバーはほぼ2年生で、中には1年生もいるし、1日の試合数も多いので、あまり長い時間は酷ですよね。そして選手の人数は11人ではなく8人で構成されています。


              


わが家からスポーツ公園まで、自転車で30分近くかかるのですが、まず9時半から始まる第一試合を見に行きました。

背番号4をつけたケイはセンターバック、つまりメンバーの最後方で守りを固めるポジションです。なので、相手ゴールに攻め込む場所にはあまりいないのですが、後ろに一人でいる場面が多く、それだけですぐにケイがどこにいるかわかるので、それはそれでよかったですね(笑)。

第一試合は0対0の引き分け。時計を見るとはまだ10時。次の試合が12時前、その次の試合が1時半で、ずいぶん時間があるので、僕はいったん帰宅することにしました。次男に、あとの予選2試合の結果をメールで知らせるよう頼み、決勝トーナメントに出場することになったら、もう一度応援に来るから、と言って別れました。

帰宅して、夕飯の仕込みをしたり、昼食を作って食べたりしているうちに、12時半に次男から「2試合目、1対0で勝った」とのメール。よしよし。あと1つ勝てば決勝トーナメント進出だ。

そして次は2時過ぎにメールが届き、「勝った。B組1位通過」とあったので、すぐに支度をして自転車に乗り、再びスポーツ公園へ出発しました。

2時45分から始まった準決勝の後半。ケイのチームの子が放ったシュートが、相手キーパーに取られたと思った瞬間、ボールがポロリとこぼれてコロコロと転がり、ゴールに入った。1対0。そしてそのリードを守り、ついに決勝進出となりました。

応援のパパやママ、特にママたちが声をからして叫ぶのが迫力満点で、
「走れ!」
「蹴れ!」
「そのまま行けぇ!」
「オフサイドに気つけや!」
「集中しぃや!」
などと、ものすごい声が飛び交う。全員がコーチみたいなものです(笑)。

そして、いよいよ

その決勝戦では前半に2点を奪い、そのまま逃げ切って2対0。ケイのチームが優勝したのでした。これにはびっくり。ホント、びっくりしました。まさか優勝するとは思っていなかったので。

結局、5試合全部を0点に抑えての優勝で、ディフェンスのケイがよく頑張ったともいえる内容でした。

時間は午後4時を回っていたので、表彰式は見ないで僕は帰りました。

そして話はそれで終わりのはずだったのですが、夜に次男からメールが来て、それを読んでまたびっくり。表彰式で発表された最優秀選手に、なんと、ケイが選ばれたというのです。へえ、最優秀選手って。

次男もメールで、「実際は点を入れた選手たちのほうが活躍していたけど、この賞はコーチから指示されたことをきちんとできた子に与えられるから、まあ良かったかな」と書いていました。なにせ、5試合完封勝利ですもんね。ケイ個人にとっても、めでたしめでたしの結果でした。

ということで、前回はワールドカップの話、今回はケイの話と、2回続きのサッカーの話題でした。内容は全然違いましたが(笑)。

 

 
 後方で守るケイ。背番号4です。


 
 ハーフタイムにコーチから指示を受ける選手たち。


 
 優勝して喜ぶみんな。選手の左から2番目がケイです。
 最優秀選手のメダルをかけています。
 (これと下の写真は次男のメールに添付されていたものです) 


 
ケイがもらったそのメダル。
「最優秀選手・平成29年度・羽曳野市サッカー連盟杯・U8」
とあります。
(U8は8歳 小学2年生以下)

 

 

 

 

 


 

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日本 W杯出場決定!

2017年09月01日 | スポーツの話題

  

あぁ、よかったですね。
ぱちぱちぱち。

ご承知のように、昨夜のサッカーW杯アジア最終予選で、日本代表が難敵のオーストラリアを2対0で下し、6大会連続のW杯出場を決めました。前半にゴールを決めた22歳の浅野も素晴らしかったし、後半、ガンバ大阪の21歳の井手口のミドルシュートも実に鮮やかだったですね~(また拍手)

さて、この最終予選がはじまったのがちょうど1年前。その初戦はホームでUAEを迎え、1点リードしながらまさかの逆転負けを喫してしまい、ガックリでした。これまでの最終予選では、初戦に敗れたチームは本大会に出たことがない、というデータもあって、悪い予感に包まれたスタートになりましたが、どうにかこの日を迎えることになりました。

日本はこれまで最終予選でオーストラリアには勝ったことがない、というのも不利なデータでしたが、実は前回(4年前)も日本はオーストラリアと引き分けてW杯出場を決めているんですよね。これで2大会連続、オーストラリアからW杯出場をプレゼントしてもらったことになります。むしろ今後は「縁起のいい相手」と言われるかも、ですね(笑)。

それにしても6回連続のW杯出場とは、昔から思えば考えられない躍進ですね。

かつて日本は、長いサッカーの歴史の中で、どうあがいても予選を突破できず、W杯出場は夢のまた夢でした。それが、1994年のアメリカ大会の予選の最後の最後、出場決定まであと一歩のところまで行きながら、土壇場で相手のイラクに点を入れられ出場を逃した「ドーハの悲劇」があって、それで「次回はぜひ出場を」という機運が盛り上がり、そして98年のフランス大会の予選では「ジョホールバールの歓喜」でついにW杯初出場を果たしたわけですよね。それ以降は、そんなことがウソのように、今では日本がW杯に出ることなどごく当たり前のことのようになってきました。

これはアジアの出場枠が拡大されたこともあるんでしょうけど、僕らの世代から見ると、6大会連続出場など、想像も出来なかったことです。

ともあれ、これで次のアウェイでのサウジ戦は、日本時間で9月6日の午前2時半から行われる予定ですが、僕以上に熱烈サッカーファンである長男は
「これで夜中に起きなくて済むのでよかった。ビデオに撮って、ゆっくり見られるわ」
と喜んでいました。

W杯ロシア大会は、来年の6月14日から7月15日まで行われる予定です。

それと、全然関係のない話で恐縮ですが、昨日の夜はテレビでサッカーを見ていたのですが、ハーフタイムがかなりの時間があるので、その間、僕はテレビのチャンネルをプロ野球中継、巨人・広島戦に変えました。ちょうど巨人がリードしていて、広島の最終回の攻撃が始まったところ。結局、巨人のカミネロが広島打線を抑えて巨人が前日に続き、広島に2連勝したのを確認して、またサッカー中継に戻したわけですが、巨人はやっと貯金1として、この日3位のDeNAが敗れたためにその差が2ゲーム半に迫りました。巨人ファンの僕は、残り25試合でなんとか3位に上がってクライマックスシリーズに出てほしいと願っています。

広島ファンの方、DeNAファンの方、すみませ~ん。
ホント、サッカーとは何の関係のない話でした。


では再びサッカーの話題で締めくくります。
これまでの日本のW杯出場決定のブログがありましたのでご参考までに。
タイトルは今日のも含め、全部おなじです(笑)


日本 W杯出場決定! 2013年


日本 W杯出場決定!   2009年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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