前回のブログで、長嶋選手を初めて間近で見た時の感激を書きました。
それは前回も書いたように1969年(昭和44年)8月18日のことでした。
夢の後楽園球場で、あこがれの長嶋選手を見たその日…
また、別のことが起きていたのです。
時間は夕方の5時を過ぎていたと思うんですけど、内野席に座っていた僕の前にいたおじさんが携帯ラジオをかけていたので、それが耳に入ってきました。ラジオでは野球中継をしているようでした。
「え~っと、どこの野球の実況放送だろう?」
と思いながら耳を澄ましてみると、プロ野球ではなく高校野球だった。
ラジオから流れてきたのは、全国高校野球選手権大会の決勝戦、
愛媛県の松山商業高校と、青森県の三沢高校の決戦だった。
きょう、高校野球の決勝戦があることは知っていたけれど、
試合開始は午後1時のはず。
なのに、なんで午後5時を過ぎているのにまだ高校野球をやっているのだ?
不思議な気になったのですが、僕はやはり長嶋選手のことで頭が一杯だったので、そのことはすぐに頭から消えました。
そして試合が終わり、東京で泊めてもらっていた場所に戻ってテレビを見たら、その高校野球決勝戦、松山商と三沢高がなんと延長18回まで戦い、お互いに一歩も譲らず、0対0のまま引き分けて、翌日に再試合が行われる、というニュースを報じていたのです。
「はぁ、だからあんな夕方の時間まで高校野球をやっていたんだ」
と、僕は後楽園球場の前のおじさんのラジオ中継を思い出していた。
そして、翌日に行われたその再試合では、松山商が4対2で勝って16年ぶり4度目の優勝を果たした。
しかし…
敗れたものの、前の試合の18イニングと再試合の9イニングをすべて一人で投げ切った三沢高校の太田幸司投手は日本中を感動させ、一躍大スターとなった。
その延長18回、0対0で終わった試合の日に、僕は後楽園球場にいた、というわけですね。
繰り返しますが、1969年(昭和44年)8月18日のことでした。
三沢高校の太田幸司投手は、後に近鉄バファローズに入団し、つまり僕が住んでいる藤井寺球場を本拠地として試合に出ていたので、僕は何度か直接この目で太田投手を見ました。
ということで、
後楽園球場で長嶋選手を見たその日、甲子園球場で高校野球史上に残る熱戦が繰り広げられていたことは、その日の夜に知ったということでした。
では最後に、前回の新聞記事をもう一度載せます。
翌日のスポーツ紙朝刊です。
「プロもお付き合い 延長13回水入り」
という見出しは、上記の「高校野球の延長18回引き分け」をもじったものだったのでしょうね。