小松左京が亡くなった。
最近は名前を聞かなくなったなぁと思っていたら、先日、作家の誰かが、談話の中で、小松左京はこのごろすっかり覇気が衰えたのか、うつ病のように引きこもりの生活を送っている…と語っていた。
真偽のほどは定かではないが、僕はそれを聞いて、
あの小松左京が引きこもりだって…?
そんなバカなことがあるもんか、と信じなかった。
小松左京は、エネルギーのかたまりのような人だったもの。
僕の読書遍歴の中で、小松左京の存在はとても大きい。
20代後半から30代にかけて、小松左京は、僕にとって開高健とともに、大きな精神的支柱となっていた。2人とも大阪の人で、ともに作品の登場人物が繰り出す大阪弁がなんとも言えず流暢でユーモラスで、読む度にコロコロ~っとした心地よい官能が全身を駆け巡ったことが、今でも懐かしく思い出される。
一度、この2人がテレビで対談したのを見たことがある。
開高のボケと小松のツッコミという上方漫才風の絶妙なコンビであった。
小松が開高のことを「ケン坊」と呼んでいたのも印象深かった。
ところで…
僕はその頃、小説を書く真似ごとをしていたのだが、仲間と同人誌を発行したときに書いた小説は、100パーセント小松左京の影響を受けたものであった。
どこの星からやって来たのかわからない超能力を持つ男が地球に降り立ち、主人公の「ぼく」に接触して次から次と奇妙な出来事を巻き起こす…
そんなストーリーから文体まで、すべて小松左京の「物真似」であった。
同人誌に載せた小説「招かざる客」。
題名は米映画の名作「招かれざる客」をもじったものだが、
中身は、最初から最後まで小松左京の影響を受けたものだった。
1981年。ちょうど30年前、32歳のときに書いた小説でしたね~
SF小説といえば、当時は星新一や筒井康隆、かんべむさしなどもよく読んだけれど、何を読んでも小松左京ほど面白い小説は見当たらなかった。
報道では、代表作として「日本沈没」が挙げられているが、僕から見れば、それは数多くの作品群のひとつに過ぎない。
ただ、「日本沈没」の映画にはものすごい思い出がある。
いや「ものすごい」というのは映画の内容ではない。
僕はこの映画を、公開された初日に見に行ったのだが、映画が終わって席を立ったとき、後ろに次の観客がびっしりとひしめき、人の数があまりに多すぎ、入れ替わるのがほぼ不可能な状況になっていた。
そこへ館内放送が流れた。
「恐れ入ります。混雑しておりますのでお客様方は前に移動してください」
ということだった。
「前へ移動…」というのは、見終えた観客が前から出るという意味だ。その「前」というのは、どう考えても映画のスクリーンのある舞台しかない。
「へぇ~~。えらいこっちゃなぁ」
と思いながら、僕は人の群にまざって舞台に上がり、舞台の袖からぞろぞろと、非常口のような薄暗い通路を歩きながら外へ出た。今見た映画より、こっちの風景のほうがよほど怖いじゃないか、と思った。
小松左京のことを書き出すとキリがなくなる。
初めて読んだのが「日本アパッチ族」であった。
大阪の京橋界隈を舞台とする大爆笑小説である。
こんなとんでもない小説があっていいのかと思ったよ、ほんと。
その他、いろいろな小説を読んだ。
短編小説の中にも、ギョギョッと目をむく作品が目白押しだ。
作品に流れる大阪人の漫才的ユーモアは、僕の血となり肉となった。
そのうち、最も面白かったものをひとつ挙げよ、と言われたら…
むろん、そんな無茶な質問はしないでくれ~、と言いたいのだが、
いやいや、どうしてもここに紹介したいひとつの作品がある。
昨日の朝日新聞に「小松左京さんの主な作品」として、20冊の本が紹介されていたが、その中には入っていなかったけれど、僕のお勧めは、「明日泥棒」という小説である。僕はこの小説に、最も大きな影響を受けたのである。
ゴエモンという得体の知れぬ人物が地球へやってきて、世界中の音という音をすべて消してしまう。世界は一瞬にして音が存在しない空間と化する。しかしゴエモンは、別に地球を滅ぼそうとかいう大仰な意図はなく、単に昼寝をするのにうるさいので、一時的に世界中の音を消しただけだった…。
と、まあ、こんなことから始まるドタバタ小説だから、小松作品の中では評価が小さいのかも知れないけれど、僕はなぜかこの小説が好きで好きでたまらない。
ゴエモンと知り合う主人公は、平凡なサラリーマンである。
ゴエモンの超能力に何度もびっくり仰天する様子がおもしろい。
このゴエモンは、妙な日本語を覚えて、
「ほな、行きまっさ」という大阪弁から、
「ありおりハベり」なんていう怪しげな古語まで、
ハチャメチャな言葉を使うくだりも、爆笑せずにいられない。
この正体不明のゴエモンと主人公のサラリーマンとの掛け合い、
そして、ありゃ~これからどうなるの…? というラスト。
こんなのを全部、僕は自分の書いた「招かれざる客」で真似をした。
小松左京は、僕の偉大なるお師匠さんであった。
大事な人が、またひとり、亡くなった。