僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

小松左京 逝く

2011年07月30日 | 読書

小松左京が亡くなった。

最近は名前を聞かなくなったなぁと思っていたら、先日、作家の誰かが、談話の中で、小松左京はこのごろすっかり覇気が衰えたのか、うつ病のように引きこもりの生活を送っている…と語っていた。

真偽のほどは定かではないが、僕はそれを聞いて、
あの小松左京が引きこもりだって…?
そんなバカなことがあるもんか、と信じなかった。
小松左京は、エネルギーのかたまりのような人だったもの。

僕の読書遍歴の中で、小松左京の存在はとても大きい。

20代後半から30代にかけて、小松左京は、僕にとって開高健とともに、大きな精神的支柱となっていた。2人とも大阪の人で、ともに作品の登場人物が繰り出す大阪弁がなんとも言えず流暢でユーモラスで、読む度にコロコロ~っとした心地よい官能が全身を駆け巡ったことが、今でも懐かしく思い出される。

一度、この2人がテレビで対談したのを見たことがある。
開高のボケと小松のツッコミという上方漫才風の絶妙なコンビであった。
小松が開高のことを「ケン坊」と呼んでいたのも印象深かった。

ところで…
僕はその頃、小説を書く真似ごとをしていたのだが、仲間と同人誌を発行したときに書いた小説は、100パーセント小松左京の影響を受けたものであった。

どこの星からやって来たのかわからない超能力を持つ男が地球に降り立ち、主人公の「ぼく」に接触して次から次と奇妙な出来事を巻き起こす…
そんなストーリーから文体まで、すべて小松左京の「物真似」であった。
 


 

同人誌に載せた小説「招かざる客」。
題名は米映画の名作「招かれざる客」をもじったものだが、
中身は、最初から最後まで小松左京の影響を受けたものだった。
1981年。ちょうど30年前、32歳のときに書いた小説でしたね~



SF小説といえば、当時は星新一や筒井康隆、かんべむさしなどもよく読んだけれど、何を読んでも小松左京ほど面白い小説は見当たらなかった。

報道では、代表作として「日本沈没」が挙げられているが、僕から見れば、それは数多くの作品群のひとつに過ぎない。

ただ、「日本沈没」の映画にはものすごい思い出がある。
いや「ものすごい」というのは映画の内容ではない。

僕はこの映画を、公開された初日に見に行ったのだが、映画が終わって席を立ったとき、後ろに次の観客がびっしりとひしめき、人の数があまりに多すぎ、入れ替わるのがほぼ不可能な状況になっていた。
そこへ館内放送が流れた。
「恐れ入ります。混雑しておりますのでお客様方は前に移動してください」
ということだった。
「前へ移動…」というのは、見終えた観客が前から出るという意味だ。その「前」というのは、どう考えても映画のスクリーンのある舞台しかない。
「へぇ~~。えらいこっちゃなぁ」
と思いながら、僕は人の群にまざって舞台に上がり、舞台の袖からぞろぞろと、非常口のような薄暗い通路を歩きながら外へ出た。今見た映画より、こっちの風景のほうがよほど怖いじゃないか、と思った。

小松左京のことを書き出すとキリがなくなる。
初めて読んだのが「日本アパッチ族」であった。
大阪の京橋界隈を舞台とする大爆笑小説である。
こんなとんでもない小説があっていいのかと思ったよ、ほんと。

その他、いろいろな小説を読んだ。
短編小説の中にも、ギョギョッと目をむく作品が目白押しだ。
作品に流れる大阪人の漫才的ユーモアは、僕の血となり肉となった。

そのうち、最も面白かったものをひとつ挙げよ、と言われたら…
むろん、そんな無茶な質問はしないでくれ~、と言いたいのだが、
いやいや、どうしてもここに紹介したいひとつの作品がある。

昨日の朝日新聞に「小松左京さんの主な作品」として、20冊の本が紹介されていたが、その中には入っていなかったけれど、僕のお勧めは、「明日泥棒」という小説である。僕はこの小説に、最も大きな影響を受けたのである。

ゴエモンという得体の知れぬ人物が地球へやってきて、世界中の音という音をすべて消してしまう。世界は一瞬にして音が存在しない空間と化する。しかしゴエモンは、別に地球を滅ぼそうとかいう大仰な意図はなく、単に昼寝をするのにうるさいので、一時的に世界中の音を消しただけだった…。

と、まあ、こんなことから始まるドタバタ小説だから、小松作品の中では評価が小さいのかも知れないけれど、僕はなぜかこの小説が好きで好きでたまらない。

ゴエモンと知り合う主人公は、平凡なサラリーマンである。
ゴエモンの超能力に何度もびっくり仰天する様子がおもしろい。
このゴエモンは、妙な日本語を覚えて、
「ほな、行きまっさ」という大阪弁から、
「ありおりハベり」なんていう怪しげな古語まで、
ハチャメチャな言葉を使うくだりも、爆笑せずにいられない。

この正体不明のゴエモンと主人公のサラリーマンとの掛け合い、
そして、ありゃ~これからどうなるの…? というラスト。
こんなのを全部、僕は自分の書いた「招かれざる客」で真似をした。

小松左京は、僕の偉大なるお師匠さんであった。

大事な人が、またひとり、亡くなった。

 

 

 

 

 

 

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モミィのこと 檀れいのこと

2011年07月28日 | モミィの成長日記


きょうはモミィの話です…
と、ブログを書き始めようとしてパソコンを開けたら、

Yahoo!のトピックスで、
女優の檀れいが、及川光博と結婚したというニュースが出ていた。

えっ? 檀れいが及川とケッコン! うぅぅぅぅ~

檀れいは、僕が一番好きな女優さんである。
「武士の一分」でキムタクの妻の役に出た時から、
文句なしにファンになった。

いま、39歳ということだけど、若く見えますよね。

「美しい隣人」の彼女も、本当によかったなぁ。

しかし、なんといっても、あのNHKの「八日目の蝉」が忘れられない。
最近、その再放送があったので全部録画して、何度も見ている。
彼女の翳りを帯びた魅惑的な表情と「かおる~っ!」という悲痛な叫び。
それがいつも何かの拍子に、僕の目に浮かび、耳に響く。

そ~か。 檀れいが、結婚か…   

朝からいきなりショックを受けたが、気を取り直そう。

と思いながらも、わが家にもショックな出来事があったので、
なかなか気を取り直せない。

実は今日と明日の2日間、3人で淡路島へ遊びに行く予定であった。

ホテルの前に広がる海水浴場、ホテル内のプール。
大きなお風呂、そして夜のバイキング…

モミィはずいぶん前から楽しみにして、
この日の来るのを指折り数えて待っていた。

それが、3日前の月曜日の夜から39度近い高熱を出した。
翌日の火曜日、お医者へ連れて行った。
診察の結果は普通の風邪だったが、熱だけではなく、
物を食べると口の中が痛い、飲み込むとノドが痛い、
お腹が痛い、アタマが痛い、足がふらつく…と、
モミィは、なにやかやと症状を訴える。

残念だが、楽しみだった淡路島をあきらめ、
ホテルと高速バスの予約をキャンセルした。

昨日の水曜日は、熱も37度台に下がったけれど、
まだ口の中やノドは痛いようで、あまり物を食べない。
今日、またお医者に連れて行くつもりだ。

しかしこのアクシデントは、モミィだけの問題ではなかった。

大きな声では言えないが…

僕はこの淡路島への小旅行で、ビールなどを飲むつもりだった。
2ヵ月間、いっさい口にしていなかったお酒を、キューッとやろうと、
実は、かなり以前からひそかに陰謀を企てていたのである。

「久しぶりの瞬間」は、旅先で、祝祭的な気分の中で味わいたい。
な~んてことを考えていたわけである。

でも、その思惑は、あっさり挫折した。

少しずつ元気を取り戻しつつあるモミィは、昨日、
「ねぇ、ねぇ、明日おうちで淡路島ごっこをしようよ」と言った。

「淡路島ごっこて、何やねん?」と僕が聞くと…

「折り紙で、ホテルとかプールとかおご馳走を作ったりするねん」

ふ~ん? それが「淡路島ごっこ」かいな…?

つまり、行ったつもりになるってことだよね。

よ~し。
それでは僕も、自分だけの「淡路島ごっこ」をするぞ~

何をするかって…?
そんなこと、聞かなくてもわかってるでしょ。

檀れいが宣伝する「金麦」を飲んで、心を癒すのです。

 

 

 

 

 

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禁酒の成果は

2011年07月26日 | 心と体と健康と

「ほぉ~。肝臓のガンマの数値が…すごく良くなっていますよ」
昨日、病院の診察室で、主治医がパソコン画面を覗き込み、
この日の僕の血液検査の結果を確認しながらそう言った時、
僕は思わず「えへへ~」とほくそ笑んだ。

ガンマ(γーGTP)の数値というのは、
肝臓がアルコールのダメージを受けるほど、数値が上がる。
お酒好きの僕としては、この数値がいつも気になっている。

病院の資料によると、基準値範囲は、12~49とある。
僕の場合、この数値が、たいてい100を超えていた。
前回(5月9日)は、159だった。
アルコールが肝機能に影響を与えていることは明らかだ。

しかも持病の不整脈も、深酒をしたときによく出る。

「お酒を少しでも節制されるといいのですが」と、
飲酒に対してはわりに寛大だった医師からも、そんな言葉が出た。

5月25日。心を決めて、禁酒を始めた。
昨日の定期検査は、その禁酒の日からちょうど2ヵ月目だった。

「実はいま、禁酒をしています。ちょうど2ヵ月になりますけど」
僕はちょっと得意げに、医師にそう言った。
「へぇ、そうなんですか? よ~く頑張っておられるんですね」
と医師が何度もうなずき、ぱたぱたとパソコンのキーを打つ。
「やっぱり頑張れば、数値がこれだけ良くなるんですねぇ」
感心した表情で、医師がそう言ってくれると、僕はいちおう、
いや、まぁ、それほどでもありませんがね~
というふうな顔をして見せるが、内心は嬉しくて仕方がない。

ちなみに、この日の数値は「37」だった。
これほど低い数値は、僕の知る限り初めてである。
基準値範囲内に入ったのも、たぶん初めてだろう。
やっぱり、身体は正直なんだ。

「で…」と、医師はキーを打つ手を止めて僕のほうを向いた。
「禁酒は、これからもずっと続けられるんですか…?」

うむ。
この質問には、どう答えていいのか。

「はぁ、これから…ですか? これから…ですよねぇ」
とたんに歯切れが悪くなる。
ずっと禁酒をする、という気はないんだもんね。

今回の禁酒は、飲み始めたら止まらない自分の飲酒癖を、
なんとか改善して自己コントロールができるようになる…
そのためのスタートであると、自分に言い聞かせている。

この2ヵ月間の禁酒生活を貴重な経験として、
今後の「ほどほどの飲酒」の実現に生かしていかなければ、
毎日お酒を我慢し、寂しい思いをしてきた苦労の甲斐がない。

「ずっと禁酒はしませんけど、飲む量を減らしたいと思います」
と医師に言い、絶対にそうしなければと、また自分に言い聞かせた。

病院をあとに、帰途につく僕の足取りは軽かった。

夜になって、妻の姉からメールが来た。
先日、その姉が、旦那さんといっしょにわが家に来た時、
僕はいま禁酒中で、25日に検査があると伝えていたので、

「検査結果では良い結果が出ましたか?
 今ごろはビールを美味しくゴックン、ですか」

な~んていうメールが、絵文字つきで送られてきたのだ。

「いえ、今日も飲んでいません。まぁ、ぼちぼちやります」

今後は、あらかじめ飲む量を決めてそれを守るということを、
ぜひとも実行していきたいと思っています、と返信に書いた。

重ねて言うが、ずっと禁酒を続けていこうという気は全然ない。
やはりお酒は大きな楽しみで、自分の生活からは切り離せない。
禁酒によって、今回改めてそのことを痛感したのも事実だ。

気持ちに反する生活を続けていると、ストレスがたまる。
そちらの害のほうが、酒の害より大きいこともあるだろう。
と言って飲み過ぎていると、もっと深刻な事態を生む。
このへんの兼ね合いが、なかなかむずかしいところだ。

ところで昨晩は、hiro さんからも同様のコメントをいただいた。

肝臓の数値が下がっていれば、ビールで乾杯でしょうか?
…というコメントだった。

いや、まぁ…
ホントはそうしたいところなんだけれども。

でも、昨日の結果に浮かれてパァ~ッと飲んだとしたら、
また元の木阿弥になってしまいそうな気がしますしねぇ。

こういうのって、ダイエットと同じように、
「反動」というのが何よりも恐ろしいのです。

禁酒で数値が下がったことを喜ぶのは今日限りにしよう。

僕の理想はあくまでも「節酒」である。

それが身につくかどうかは、これからの生活習慣にかかっている。

 

 

 

 

 

 

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地デジより気になる禁酒の成果

2011年07月24日 | 心と体と健康と

テレビのアナログ放送が今日で終わるという。
そういえば、この「7月24日」という日は、
何年も前から、ず~~っと注意を促されていた日である。

いつごろからだったろう。
アナログだのデジタルだのという話題が出始めた。

なに、なに…?
今のテレビが見られなくなるって…?

いつから…?
2011年の7月24日だって…?
な~んだ、まだまだ先の話かぁ…?

…と言い合っていたら、もう、その日が来た。

なんのためにそんなことをするのかと調べてみれば、
携帯電話の普及などで電波に空きがなくなってきたそうで、
デジタル放送に切り替えると、その分、空きが出るというのだ。

なんだかむずかしい話だけどね。

アナログ方式のテレビは、チューナーやアンテナの設置で、
そのまま見られるようになっているということだけど、
全国で30万世帯近くが未対応だと新聞に載っていた。
(被災地の3県は別扱いとのこと)

わが家にも1台、アナログ方式のテレビが残っている。
何も対策を講じていないので、今日が最後の日となるわけだ。

半年ほど前からだろうか。
このテレビをつけると、画面の下のほうに、
7月24日にアナログ放送が終わるので、早い目の切り替えをお勧めします、
という意味の字幕が、ずっと出たままで、ずいぶん見苦しかった。
お知らせが必要なことはわかるが、何もそこまでしなくてもなぁ、
と思いたくなるほど、朝から晩までずっと字幕が出っ放しだった。

今日からそのわずらわしい字幕が出なくなる…と思うとホッとするが、
考えてみれば(考えなくても)字幕どころか画面すべてが出なくなる。

今日の正午に通常番組が終了し、お知らせの画面が流れ、
日付が変わる夜中の零時から画面がザーザー状態になるそうだ。
(ためしにその瞬間を見てみるか)。

明日からこのテレビは何の役にも立たぬ存在になるのだけれど、
これにはテレビゲームの仕掛けがしてあるので、
とりあえずそのまま置いておこうと思う。

でもまぁ、これだけ世間が大騒ぎするほど、
テレビは生活に欠かせないということだろうけど、
それにしては、あまりにもくだらない番組が多すぎるよね。

節電だとかナンだとか言っておきながら、
タレントたちがひな壇に座ってキャァキャァ言うだけのバラエティ。
真夜中に延々と続くテレビショッピング。
電気のムダ遣いもはなはだしい。

とてもじゃないが、こんなありさまでは、
日本が「国難」にさらされていると言っても、実感が伴わない。

アナログからデジタルへ完全移行するのを契機に、
つまらない番組内容とかダラダラ流す放送時間を、
今度こそマジメに見直してくれぇ~、と言いたい。

…とそんなことをブツブツ言っている僕にとって、
テレビのデジタル化よりもっと重要なことが、明日にある。

5月25日に禁酒を始めて以来、ちょうど2ヵ月となる明日…。

病院での定期検査があるのだ。

前回の検査は2ヵ月半前で、その様子は、このブログに書いた。


http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/cf4f47a880982fc923771c06957e3ac6


肝臓の数値であるガンマ、すなわちγGTPが、
そのとき、高い数値にはね上がっていた。
おまけに、中性脂肪も基準値をはるかに超えていた。

「アルコールは不整脈の発作の原因にもなっているようですし、
 糖尿病も治ったわけじゃないし、肝臓の数値も高いですね。
 生活習慣病には、十分気をつけて摂生されることが大事です」

と、普段あまりそういうことを口にしない主治医から言われた。

そして、その時のブログの最後に、僕はこう書いた。

打倒 γGTP!
くたばれ 中性脂肪!
これを果たすには、運動量を増やし、アルコール量を減らすのみ。
次回の検査&診察は7月25日である。 あと2ヵ月あまり。
この日までに、γGTPも中性脂肪も、やっつけてしまわなければならぬ。

…その7月25日が、いよいよ明日に迫ってきたのだ。

しかも今回は、飲酒を始めてから40数年の間で最長記録となる、
「2ヵ月間完全禁酒」を断行してきたのである。

自分でも、まあ、よく続けて来られたなぁと思っている。

その「成果」が、明日の検査で出る…はず…である。

これほど病院へ行くのが待ち遠しいなんて、
わが人生でも、もちろん初めてのことである。

でも、もしも、…もしも、ですよ。
肝臓の数値は高いまま…というような、
まったく期待はずれの結果に終わったら…?
と考えると、ちょっと心配なことも確かである。

苦労した禁酒の成果も、数値には何の反映もされていない…
そんなことになったら? がっかりだなぁ。

僕の心の中は、
時代に取り残されたアナログテレビの画面のように、
ザーザーという砂嵐が吹き荒れるばかりになるだろうな~。

 

 

 

 

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タイトルを変えました

2011年07月21日 | 日常のいろいろなこと

初めてブログを開設したのは2005年の7月で、今からちょうど6年前だった。
(これとは別のブログです。もう削除しましたが)
そのとき、どんなタイトルがいいだろう…? と、いろいろ考えた。

何かをもじったタイトルでいこう~

そう思ってあれやこれやと考えた。

まず、四字熟語の「空前絶後」をもじった「空言舌語」とか、
古典文学の「平家物語」をもじった「平気物語」とか…ね。
しかし、これらのタイトルを検索にかけると、
すでに何人もの人たちが同じタイトルをつけたブログを開設していた。

「徒然草」にひっかけた「ズレズレ草」もいくつかあったし、
「常々草」というのを考え出しても、大勢の人が使っていた。

「十六夜日記」ならぬ「いざ酔い日記」も数え切れないほどあった。
「土佐日記」にヒントを得て「ドサ日記」。これはどうだ!
…と心の中で叫んでみたものの、やっぱりいくつもあった。

では、これならきっと誰も考えつくまい、と、
「枕草子」のパロディで「枕のそうじ」というのを考え出したけれど、
なんとまあ、これもやっぱり存在していたのだ。

う~む。さすが、日本全国のブロガーたちは、手ごわい。
いくら頭をひねっても、必ず先人がいるのである。

僕はそれでもあきらめず、「伊豆の踊り子」のパロディで、
「伊豆のココリコ」(当時ココリコというタレントがいた)を考えた。
しかし、それにも先客がおり、僕はいよいよ落胆した。

太宰治の「走れメロス」をもじって「恥知れメロス」ではどうか、
と意気込んでも、やはりちゃ~んと誰かのタイトルに使われている。

日本全国で自分だけ…というタイトルなど、絶対にないなぁ、
と、僕はそのとき、つくづく思い知らされたのである。

ギブアップする前に、最後は映画の題名からいただこうと、
当時、評判になっていた映画「ラストサムライ」をもじって、
「ラスト寒ない?」というアホみたいなタイトルをひねり出した。
しかしそんなアホみたいなタイトルも、検索で1件出てきたのだ。
あァ~、世間は広い。ヒマな人間は、僕だけではないのだ。

結局、僕の好きな俳人芭蕉になぞらえて、
「僕のほそ道」というタイトルに決めた。

これも、後年、週刊現代で同名の連載コーナーがあることを発見し、
ギャフンとのけぞったけれど、でもまあ、よく考えてみれば、
僕はこれを見て真似したのではなく、自分で考えたのだから、
別にギャフンとなる理由もないのだ、と気にしないことにした。

今回「陽はまた昇る」に替わるタイトルがないかといろいろ考えた。
(タイトル変更の理由は、昨日のブログに書きました)
6年前のように、次から次へとは、なかなか浮かんでこない。
アタマが硬くなってきているのだろうか…?

部屋の本棚を眺めていると「星の王子さま」の背表紙が目についた。
それを見て、ふと「星のおじいさま」という題名が浮かんだが、
おじいさま…なんて題ではなぁ。急に老け込んでしまいそうだ。

結局…
昨夜は一晩中寝ないで熟考(?)した末、新しいものよりも、
昔の「僕のほそ道」をもう一度使おう、ということにした。

6年前にこのタイトルのブログからスタートしたわけだが、
新たにものを作るより長年親しんだ古いもの生かすという、
その気持ちと、ついでに初心にかえる意味も含めて決めた。

ともあれ、今はリサイクルの時代です。
ブログのタイトルも、リサイクルで行きまっせ~

 

 

 

 

 

 

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1日早い夏休み

2011年07月20日 | 日常のいろいろなこと

台風6号の襲来で、不気味に明けた大阪の朝だが、
今のところ雨も降っていないし、強い風も吹いていない。
窓から涼しい風が入ってきて、むしろ心地よい。

嵐の前の静けさ、とはこのことなのか。

今日はモミィの幼稚園の終業式なんだけどなぁ。

午前7時の警報の状況で、式が行われるか中止になるかが決まる。
モミィがいろいろな事情から今の幼稚園に変わってちょうど1年が過ぎた。
今日の終業式は、その意味においても感慨深い日である。

いまは午前6時半。 今日の終業式は、あるのか? ないのか?

 ………………………………………………………………………

ところで、ブログのデザインを、こんなふうに変えてみた。

ついでにタイトルも変えようと、今、思案しているところだ。

「日はまた昇る」というタイトルは、ちょっと堂々としすぎていて、
このブログの内容にはあまりそぐわないなぁ、と前から思っていた。
つまり、名前負けしている、という感じである。

ただ、ブログを始めた約3年半前は、耳鳴りの発症でひどく落ち込み、
人生が灰色に染まったような絶望感を抱えていた真っ只中であった。
そんなとき「日はまた昇る」という言葉は、
萎えそうになる心を何とか支えてくれそうだった。
自分の名前が昇ということもあり、
そのときは、迷うことなくこのタイトルに決めた。

その後、耳鳴りは改善するどころか大きくなってきているが、
発症してから4年近くの歳月が経つのだから、慣れるというより、
もうこれは諦めて生きていくしかないだろ、という心境に至っている。
耳鳴りに慣れるということに、まだ慣れることができない僕なのである。

さて、先週の7月13日から5日間、朝日新聞で、
「日はまた昇る」という題名の記事が連載された。

夏の甲子園大会が近づいてきたことで、それに関連した記事だった。

未曾有の大震災から4ヶ月。
被災地にも甲子園を目指す球音が響く夏が来た。
突然の苦難にぶつかりながら明日を信じて立ち上がる。
そんな球児や元球児の物語。

そういうテーマだった。

今回の大震災、三宅島の噴火、球児を襲ったインフルエンザ、三池炭鉱の爆発事故、そして阪神大震災と、それぞれの試練を懸命に乗り越えてきた球児や元球児たちの姿が紹介されていた。

この連載記事を読んで、改めて思った。
「日はまた昇る」というのは…
まさにこういう「七転び八起き」の感動の物語を指すのだろう、と。

僕は情けないことに、「八起き」でなく、「七転八倒」のほうである。

そんなわけで、このタイトルとはこの辺でお別れをして、
あまり構えないお気楽な題名のブログにしてみようと…。

まあ、台風がやってくるという今日は、
お気楽な…って言っている場合じゃないけれど。

あ、今これを打っていると、午前7時のテレビのテロップで、
大阪府内のほぼ全域に「暴風警報」が出たことが報じられた。

これで決定だ。

今日の幼稚園の終業式は中止となり、夏休みが1日早く訪れた。

外は、雨もなく、風も穏やかで、蝉が鳴いているんだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

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なでしこジャパン 世界一 !

2011年07月18日 | スポーツの話題

いやぁ~、ものすっごい試合だったなぁ。 
女子W杯サッカーの決勝戦。
粘りに粘ったなでしこジャパンがPK戦を制し、世界一になった。

強豪アメリカに大苦戦を強いられながら、それをはね返しての快挙。

テレビではいま、表彰式が行われているが、夢のような光景である。

今日の決勝戦は、試合開始早々から、アメリカの一方的な展開だった。
が、アメリカのシュートの嵐も、気の毒なほど得点につながらなかった。
ことごとくゴールポストやクロスバーに当たって跳ね返り、
枠に入ったシュートは、日本のキーパーの好セーブに阻まれた。

普通だったら、3~4点は楽に入っていただろうと思われる。
それに対し、日本はパスがつながらず、いいところがなかった。

前半を0対0で終えたのは、日本にとってこの上もない幸運であった。

そんな展開だから後半、アメリカに先制されたのも、仕方がなかった。

張り詰めた気持ちでテレビを見ていたのも、ここまでだった。
間違いなく、このままアメリカの楽勝に終わるだろうと思ったのだ。

だから、日本がタイミングのいいシュートで同点に追いついた時は、驚いた。

それだけでも何かトクをしたような気分だったのに、
延長戦になってまたアメリカに点を入れられ、今度こそダメだ~と思ったら、
残り3分で、またまた
日本が追いつき、これはもう驚くどころではなかった。

そしてPK戦ではキーパーの好守で、まさかの優勝を奪い取ったのだった。

二度もリードされたのに、あきらめず追いついた粘りには、頭が下がる。

ドラマのような試合を演じて、日本が劇的な逆転優勝を決めたのである。

言うことなし。 

決してあきらめないという気持ちが何よりも大切なことを改めて教えられた。

なでしこジャパン、おめでとう。 そして、ありがとう~ 

 

 

 

 

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映画 だらだら日記

2011年07月16日 | 映画の話やTVの話など

レンタルビデオ店でお目当ての映画を探すのも、それなりに難しい。
先日、TSUTAYAで、東野圭吾原作の「容疑者Xの献身」を探したが、
どこを探しても見つけられず、仕方なく別のDVDを借りて帰った。

それを息子に話すと、「絶対に置いてあるはずだけどなぁ」と不思議がり、
「テレビドラマのガリレオのところは見たの?」 と僕に尋ねた。

「見ていない。テレビドラマとこれとは関係ないやろ」 と答えると、
「その映画にはガリレオが出てくるのだから、そこに置いてあるはず」
と自信ありげな言葉が返ってきた。

僕は再びTSUTAYAへ行き、テレビドラマのコーナーを探した。
すると、息子が言ったように、ガリレオシリーズの中にまじって、
映画 「容疑者Xの献身」 があった。 「あ、よかった~」
そう思いながらも、一方では、なんでやねん、という気持ちだった。

テレビドラマはテレビドラマ。 映画は映画。 別のモノではないか。

僕は邦画のコーナーの隅から隅まで探したのである。

「新作」 や 「準新作」 の場所を除き、
アクション、ミステリ・サスペンス、ホラー、恋愛、青春、
…など、いろんなカテゴリの棚をすべて探しまわり、
むろん、分類されていない一般邦画のコーナーも全部見た。

でも 「容疑者Xの献身」 は邦画の場所には置かれていなかった。
それが、TVドラマのコーナーに並んでいたとは、なんのこっちゃ。

「だって、その映画には福山雅治のガリレオが出てくるからね」
と息子は繰り返すのだが、だから映画をTVドラマコーナーに置くのか?
そういうところへ頭がまわらない僕のような人間も、いると思うのだよ。

少なくとも両方のコーナーに置いておくのが、店としての配慮だろう。

とまあ、そんなことで、映画「容疑者Xの献身」を見た。

小説のあらすじを6月11日のこのブログ、
「はじめての東野圭吾」で書いたので、
それをここに、再度掲載します。

天才数学者がひそかに慕う女性が、執拗につきまとう元夫を、娘と2人で殺してしまう。
彼は、自首しようとするその母子を思いとどまらせ、自分の指示通りに動くように言う。
そうすることによって、彼はその女性に寄せる恋慕の情を成就させたいと考えたのだ。

そして、母子のアリバイ工作をし、得意の緻密な思考で完全犯罪を企てる…。

小説は犯人の側から描かれているので、妙に共感し、つい犯人を応援したくなった。

しかし、途中から湯川という物理学者が登場し、事件の謎を解明していく。
彼が、テレビで福山雅治演じた探偵ガリレオである。

ガリレオの明晰な推理で、天才数学者の完全犯罪も、
あと一歩というところで頓挫してしまう。

これが小説のストーリーだが、映画は、原作に忠実に描かれていた。

期待どおりの出来栄えで、容疑者役の堤真一が絶妙の味を出していたし、
原作には出てこない女性刑事の柴咲コウも、キラッと輝いていた。

しかし、小説でもこの映画でも、つい、容疑者の肩を持ってしまう。
快刀乱麻の推理を展開する福山ガリレオが、冷酷非情に見える。
「福山さん、なんとか堤さんを見逃してやってくれない?」 なんて思う。

それだけ、このストーリーの中にハマってしまっている証拠だろう。

原作を読んでいたので、映画の前半の、ちょっとしたシーンにも、
あぁこれが重要な伏線になるんだなぁ、なんて思いながら、楽しめた。

TSUTAYAでさんざん探しまわって借りてきた甲斐があったというものだ。

それに引きかえ…と言えばナンだけど、これまで少し触れてきた
「インシテミル」 という映画には、ついていけなかった。

「7日間のデスゲーム」というサブ・タイトルがつき、

時給112,000円の心理戦。参加者10名。死ぬか、稼ぐか

…というキャッチコピーには思わずヨダレが出そうであるが、
ぞくぞくっとするミステリ映画というものではなく、
どちらかと言えばホラーじみて、荒唐無稽すぎた。

映画は考えるものではなく感じるものである、とよく言われることだが、
こういう世界に入ってくると、何? この映画は? と考えざるを得ない。

う~む。 感性が鈍ってきているのだろうか? 

この映画は、ホリプロの作品だそうだ。 やっぱりなぁ。
…何がやっぱりか、わからないけど。

話のついでに、もう一つ、最近見たDVDの話を。

これも刺激的なコピーが話題になった「運命のボタン」である。

このボタンを押せば、あなたは100万ドル(約1億円)を受け取る。
ただしこの世界のどこかで、あなたの知らない誰かが死ぬ。
さて、あなたはボタンを押しますか?

そういったような宣伝文句だった。

キャメロン・ディアスが出ているので、あやしい映画ではないだろう。
そう思って見たのだが、思いっ切りあやしい映画であった。
面白いといえば面白い映画だったけれど、これもサスペンスではなく、
ホラー系に加えてSFの要素もごちゃごちゃと加わったB級映画だった。

あらすじは、こうだ。 

(ただし、後でネタバレが出てきますので、これから見ようという方は、
あとのほうは、読まれないほうがいいかと思います)

ある日の明け方、ノーマ(キャメロン・ディアス)とアーサー(ジェームズ・マースデン)夫妻のもとに箱が届く。箱の中には赤いボタン付きの装置が入っていた。その日の夕方、スチュワート(フランク・ランジェラ)と名乗る謎の人物がノーマを訪ね、驚くべき提案を持ちかける。
「このボタンを押せば、あなたは100万ドル(約1億円)を受け取る。ただしこの世界のどこかで、あなたの知らない誰かが死ぬ。提案を受けるかどうか、期限は24時間。他言した場合取引は無効」。 ふたりは道徳的ジレンマに迷うが、目の前に1億円を見せられ、生活が苦しいこともあり、結局ボタンを押してしまう。だが、それは想像をはるかに超える事態の始まりに過ぎなかった。(Woman.exciteシネマより)

ボタンを押せば1億円がもらえる。
しかし、それによって知らない誰かが死ぬ。
あなたはどうしますか…って?

う~ん。 1億円と引きかえに、知らない誰かが死ぬ。

最終的には、悩みながらも、押してしまうのかな~と思ったりする。
ま、悩まない人もいるんだろうけど。


映画でも、キャメロン・ディアスの夫婦は、悩み抜く。
しかし最後には、妻のキャメロンが衝動的にボタンを押す。
その瞬間に、ある家庭で、家庭内殺人という悲劇が起きる。

ネタをバラしてしまうと、次にそのボタンは別の家庭に持ち込まれ、
その家の人が同じ条件を提示されてボタンを押すと、そのとたん、
今度はキャメロン・ディアスが、愛する夫に撃ち殺されるのだ。

う~っ。 予想もできなかった結末。 あぁ、怖い。

こうして、次から次へとボタンが押され、
その度に、直前に押した人物が死ぬ…
ということが繰り返されてきたのだ。

映画は、自分の利益のためには他人の死もいとわない、
という人間のエゴがテーマなのかも知れないけれど、
あいだに火星探査プロジェクトやら、人体実験やらが絡み、
鼻血をたらす人たちやゾンビのような集団などが出てくる。
どうも、このへんのところが、よくわからなかった。

運命のボタンをキャメロン・ディアス宅に持ち来む男、フランク・ランジェラは、
やけどが原因ということで、顔の半分がえぐれている。 このメイクがすごい。

この映画の中で最も強く印象に残ったことは…と聞かれると、このメイクと、
キャメロン・ディアスの美貌がちょっと褪せてきたかなぁ、ということでしょうか。

あ、それから、もうひとつ。
キャメロン・ディアスの夫役で出ていたジェームズ・マースデンだが、
顔がタレントの小島よしおにそっくりだった。

まあ、映画の評価としては 「そんなの、関係ねぇ」 わけですが。

オッパッピー! (どっちも、もう古いわ)

すみません。 長かったわりには、つまらない感想文で。

 

 

 

 

 

 

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映画 「悪人」 を見たけれど

2011年07月15日 | 映画の話やTVの話など

TSUTAYAで邦画の貸し出しランキングの上位に入っていた 「悪人」 と、
「インシテミル」 の2本を借りて見たが、どちらも、なんだか期待外れであった。

「悪人」は、出演者が4人も日本アカデミー賞の主演・助演の男優・女優賞をとり、
去年の邦画界を席巻した感があるので、まあ、見ごたえはあるのだろうと思った。

映画関係のネットからストーリーを引用すると、

長崎の漁村で孤独な人生を送り、
ふとしたことから殺人者となってしまった不器用な青年と、
そんな男と孤独の中で出会い許されぬ愛に溺れた女が繰り広げる
出口のない逃避行の顛末を、事件によって運命を狂わされた被害者、
加害者それぞれを取り巻く人々の人間模様とともに綴る。

う~ん、見てみたいなぁ、という気にならせる文章ですよね。

深津絵里は熱演だったと思う。

「博士の愛した数式」でも、彼女の演技は光っていた。
ごく普通に生きる女性が、急に突拍子もない出来事に遭遇したときの反応を、
これほどうまく表現できる女優さんは、ほかにはいないだろう、と思うのだ。

この 「悪人」 でも、主人公の妻夫木聡から、「人を殺した」 と告白されたときの、
驚きと困惑から相手への愛しさへと移っていく、連続した表情が印象的だった。

でもなぁ。 妻夫木聡のほうは本当に 「名演」 だったのか。

これまでのイメージを払拭したといっても、演技そのものとは別である。

この映画では、妻夫木に殺害された女性の父親役を演じた柄本明と、
妻夫木を育てた祖母役を演じた樹木希林の演技にも、凄みがあった。
(2人はこれで日本アカデミー賞の助演男優・女優賞をとった)

さらに岡田将生の、実にいやらしいおボッチャンぶりも好演といえた。

しかし、主人公の妻夫木聡だけが、どうも胸に迫ってくるものがない。

せっかくの豪華なキャスト陣も、これでは今ひとつ浮かばれない。

映画自体も、一本調子で抑揚がなく、ヤマ場のないまま終わる。

「え…、それで終わりなん?」 というのが、
映画を見終えた直後の、正直な感想である。

別に悪い映画だとか駄作だとかまでは言わないが。
まあ、あれほど騒がれたことに値するほどの映画でもなかったようだ。

それにしても、妻夫木聡を見ていると、もどかしさを禁じ得ない。

もう少し、こちらに響いてくるものがあったらなぁ、と思うのだけど、
「不器用な青年」の役だから、それはそれでいいのだよ、
な~んて言われたら、返す言葉はありませんけどね。

「インシテミル」 は、見ている間はゾクゾクっとしたものの、
見終わってしまったら、なんだかわけがわからなかった。

不思議な映画である。 

また次回、少しだけ感想を。

 

 

 

 

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なでしこジャパン 快挙

2011年07月14日 | スポーツの話題

いま、7月14日の午前5時40分少し前。

ドイツで行われている女子サッカーW杯で、「なでしこジャパン」が、
準決勝でスウェーデンを破って、決勝進出を決めた瞬間である。

早起き系の僕は、午前3時45分から始まったこの試合をテレビで見た。

しかし、日本は前半10分に、いきなり相手に先制点を許した。
相手ゴール近くでの日本の横パスがミスとなって失点したのだ。

準々決勝のドイツ戦も未明に行われ、僕はその時間帯に起きていたが、
ブログを書くのに気を取られて、テレビを見るのを忘れてしまった。
これまで僕がテレビ観戦すると日本が負ける、ということが多かった。
見ない時に限って、手に汗握る展開の末に日本が勝ったりするのだ。

だから、今日テレビを見たら日本が負けるのでは、という悪い予感はあった。

そこへ、日本のこのミスによる、いきなりの失点である。

なんだかなぁ。 予感がまた当たりそうだぞ~と意気消沈していると、
それから10分も経たないうちに、川澄という選手がゴール前で、
相手に押し倒されそうになりながらもシュートして、同点に追いついた。

ぱちぱちぱちぱち。

大柄なスウェーデンの選手たちはこれで焦ったようだ。
こまめに動く日本選手に対するファウルが多くなった。
まるで大人が子どもにてこずっているようにも見えた。

1対1の同点のまま、前半が終了した。

そして、後半14分に、待望のシーンが訪れた。
日本のエース澤選手が、ヘディングシュートを決めて勝ち越したのだ。

やった~~~

澤選手は5度目のW杯出場とのこと (へぇ~、5度目なんだ)。 
今大会では、出場選手中のトップに並ぶ4得点目である。

日本の女子は、シュートはワクに行くし、パスもよく通る。
見ていて歯がゆい男子の代表よりよほど動きが良く、まとまりも良い。

試合の流れは、素人の僕が見ても明らかに日本優勢の展開だった。
時々ヒヤりとするシーンもあったが、ボールはおおむね日本が支配していた。

そして澤選手のシュートの5分後。
また川澄選手が、今度はふわ~んとした芸術的ロングシュートを決めた。
あっぱれ~。

3対1。 さすがに強豪スウェーデンも落胆の色が隠せない。
2点のリードがあれば、落ち着いてテレビを見ていられるというものだ。

試合はそのまま日本が守りきって、決勝進出を決めた。

サッカーW杯の日本代表が、決勝戦へ進出!

男子の代表チームではおよそ考えられない快挙だ。

やはり、この国は大和撫子の国なんだなぁ…。
いざというときの女子は、男子よりもはるかに頼り甲斐がある。

これで、銀以上のメダルは確定した。 あとは金をめざすだけ。
決勝戦の相手はアメリカだ。

その日を、ワクワクしながら待つ楽しみができた。

この日米決戦は、17日の日曜日に行われるということだが、
日本時間でいえば、18日の未明、午前3時45分から始まる。

これくらいの時間に起きるのは、僕にとっては普通のことである。

早起きの習慣は、こんなとき、「三文」以上のお得感がありますけど、
でも18日は祭日なので、沢山の人が早起きできるだろうと思います。

気の塞ぐ話題ばかりが報じられる最近のニッポン国ですが、
なでしこジャパンの快進撃は、一筋の光明であり、貴重な清涼剤ですね。

 

 

 

 

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淫 してみる ?

2011年07月13日 | 映画の話やTVの話など


東野圭吾の「秘密」を読み、映画も見たくなったのでTSUTAYAへ行った。
ついでに、同じく東野圭吾の「容疑者Xの献身」も借りようと思った。

しかし…
店には、どちらのDVDもなかった。

「秘密」は10年以上も前の映画なので仕方ないかもしれないが、
「容疑者Xの献身」は比較的新しいからどこかにあるはずだと思い、
目を凝らして「邦画」の棚の隅々まで探したのだが、見つからなかった。

あぁ~残念。

手ぶらで帰るのもつまらないので、別のDVDを借りることにした。

「邦画レンタルベストテン」というコーナーがあった。

1位は「告白」だったが、これは何ヶ月か前にDVDで見た。

2位は「悪人」。 3位が「インシテミル」という映画だった。

「告白」は日本アカデミー賞の作品賞を取った。

「悪人」は主演の妻夫木聡と深津絵里が最優秀主演男優賞と女優賞を獲得し、
さらに、脇役の柄本明と樹木希林が、最優秀助演男優賞と女優賞を獲得した。

しかし3位に入っていた「インシテミル」という映画は、知らなかった。

インシテミル…。

その題名からして変である。 
インシテミル…の「イン」を見ると、何となく「淫」という文字が浮かんでくる。
ということは、え~っと 「淫してみる」 っていうこと? 
でも、それじゃまるでエッチな映画だ。
まさかね~。

まあ、藤原竜也や綾瀬はるか、北大路欣也らが出演しているし、
そんな怪しい映画がTSUTAYAで3位に入っているわけもないしね。

そんなわけで「悪人」と「インシテミル」の2本のDVDを借りて帰った。

映画の感想については改めて書いてみたいと思うのだが、
どうしても気になるのが「インシテミル」の題名である。

この題名の意味は、映画を見ても、最後までわからない。

そこで、またネットで調べてみた。
(ネットは便利だなぁ。何でも載っている)

すると、まさか、と思ったことがそのまま書かれてあった。
つまり、やっぱり「淫してみる」という意味なんだそうだ。
ふむ。これでは、やはりどうみてもエッチな映画ではないか。
「淫」といえば「淫行」とか「姦淫」みたいな言葉しか浮かばないものなぁ。

辞書で調べてみると、もう少し広い意味があるということがわかった。
「淫」には、物事にふけること、度を越すこと…という意味もあるようだ。
たとえば酒を飲み過ぎることを「淫酒」と読んだりするように。

僕はもちろんこの映画の原作は読んだことはないが、読んだ人によると、
原作の中に、「ミステリーに淫してみた」というセリフもあったそうだ。

やっぱり「インシテミル」は、淫してみる、だったのか。
ちなみに映画には、エッチなシーンはまったく出てこないですけどね。

ただ、別の説もあるみたいだ。

映画は、謎の館に見知らぬ10人が集まる、という話なのだが、
その館に 「 IN してみる」 という意味ではないか、とか、
英語の 「i n c t e   m i l l (殺人を駆り立てる)」 ではないか、とか。

いったいどれが本当なのかわからないけれど、映画の作り手の方も、
その解釈はそれぞれのファンにまかせる、ということかも知れない。

インシテミル  インシテミル  インシテミル  インシテミル…

そのうち、それが 「イミシテイル」 に見えてきたりするのである。


 



  

    このタイトルは、何をイミシテイル?

 

 

 

 

 

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100円ショップは不思議の国

2011年07月12日 | 日常のいろいろなこと

モミィが、折り紙やら画用紙やらリボンやら色鉛筆やらセロテープやらと、
遊ぶモノを欲しがった時は、よく駅前のスーパーの地下にある百均へ行く。

妻とモミィが品物を探している間、ぶらぶら歩いて店内を観察すると、
展示品を見るたびに、「ぎょぇぇぇ~、これも100円? あれも100円?」
と、思わず唸ったり、あきれたり、驚嘆の声をあげてしまったり。

雑貨、衣類、文具、台所用品、収納具、電気製品、DVD、お菓子など、
ありとあらゆるものが店頭に並べられている。
ないものはない、といっていいほどの品揃いである。

店内はいつもお客さんで混雑し、レジも長蛇の列の時が多い。

いつか目にした川柳に、

とりあえず 100円ショップで 探す癖 

…というのがあったが、ホント~にね、ちょっとしたものなら、
とりあえずはここへ来て、必要なモノを探せばいいと思うよね~。

昨日も驚かされた。
水泳用のゴーグルが100円で売られていたのである。
そしてその横には、スイムキャップも100円で…。

先日このブログで、スポーツクラブでゴーグルを紛失したことを書いた。
ゴーグルはもうひとつ持っていたので、それをかけて泳いでいると、
不運は重なるもので、今度はレンズの留め具が壊れて使えなくなった。

わずか1週間で、2つのゴーグルを失ったり壊したりしてしまったのだ。

紛失したゴーグルはスポーツクラブの売店で買ったものだし、
留め具が壊れた方は淀屋橋のミズノで買ったゴーグルだった。
いずれも2,000円~3,000円した品物である。

一昨日の日曜日に、堺の北花田にある大手スーパーへ行ったとき、
ゴーグルを探していると、980円のお手頃な値段のものがあった。
しっかりした作りのようで、そう悪くもなさそうだったので、
それを買って、昨日の月曜日にさっそくプールでつけてみた。
悪くなかった。 
高いお金を出さなくても、結構いいものがあるんだ。

で、プールから帰宅し、昼食後に妻とモミィと3人で駅前に行った。
そして、そこの百均で「100円ゴーグル」と出会った次第である。

そのすぐ横にスイムキャップも100円で売っていたわけだが、
これも3日前の土曜日、スポーツクラブへ行って水着に着替えようとしたら、
うっかりキャップを忘れたことに気がつき、仕方なく受付カウンターに戻り、
急きょ、カウンターの前にある売店で、それをひとつ新たに買ったのである。
ひとつ、1,000円以上した。

2,000円以上するゴーグルと、1,000円以上するスイミングキャップが、
どちらも、ここでは100円で売られていたので、さすがにびっくりした。

もちろん品質は違うのだろうけれど、
それにしても、見た目は何も変わらないのに、
なぜ、こんなにも安い価格で売れるのだろう。

どう考えても、不思議でしょうがない。

先ほどの川柳が、また浮かぶ。

とりあえず 100円ショップで 探す癖

そ~ゆ~癖をつけるのも、
今の御時世の生活の知恵のひとつなんだろ~な。 

今度、ここのゴーグルとスイムキャップを買ってみることにしよう。

 

 

 

 

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禁酒はつらいよ

2011年07月09日 | 日常のいろいろなこと

先日、「日本ウダウダ会」のN会長から電話があった。

日本ウダウダ会は、トレッキングや歴史にゆかりのある街道ウォーク、
時には廃村などを巡る「歩く会」で、僕はその会員の一人なのである。

なぜウダウダ会というのか詳細は聞いていないが、会長が名づけた。
まあこの名称を聞けば、どんな会なのかおよそは想像がつくだろう。

近畿周辺の「みち」のあちこちをテクテク歩くことが本来の目的であるが、
歩いている時間よりも、あとの酒盛りで酒を飲んでいる時間のほうが長い。
酒を飲みウダウダ言うことからこの名前がつけられたことはほぼ間違いない。

会長のNさんは、現職の市会議員さんである。
会員は8名程度で、前市長さん、前副市長さんらもメンバーに入っている。

その会長から僕の携帯に電話があったのは、スポーツクラブへ行く途中だった。

「あ、わたしです。 元気ですか?」 とN会長の声。

N会長は、クマのプーさんとよく似た顔をしておられる(笑)。
性格は温厚篤実で、仲間をとても大切にする人である。



     


「はい。おかげさまで、元気でやっています」と僕が答えると、
「24日の件ですが、出席してくれますよね」
と、プーさん、じゃなかった、会長が言った。

今月24日に、滋賀県の琵琶湖北部の深坂古道というところを歩く…
そんなウダウダ会からの案内状が、先日、わが家に届いていたのだ。
「紫式部が歩いた いにしえの峠道」とも言われる興味深い古道である。

歩きた~い、という強い気持ちはあるけれど、僕には現在、難題がある。

4時間歩けば5時間飲む、5時間歩けば6時間飲む、というメンバーだ。
禁酒中の僕にとって、ウダウダ会は、破滅の場所になりかねない。

「あ、そのことですね。う~ん、ちょっと、参加できないんですよね~」
「えっ? なんで? どこかへ旅行にでも出かけるの?」

会長の質問に、どう答えればいいのか?

歩いたあと、僕だけが酒盛りに参加せずお先に失礼というのはまず出来ない。
「まあまあ、ええがな、ちょっとぐらい」と引きとめられるに決まっている。
むろん、その誘惑に打ち克てる僕ではない。
酒盛りの席で一人ウーロン茶を飲むなどという芸当も、至難のワザである。
じゃぁ、少しくらい飲んでみるか~、と思ったりもするのだが、
しかし、その翌日、つまり7月25日は定期検査日に当たっていた。

松原市内の病院で2ヵ月に一度、不整脈や肝臓その他の検査をしているが、
前回は5月に初旬に検査があって、医師に肝機能が高いことを指摘された。
そして、できれば禁酒すること、できなければ節酒することを勧められた。

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/cf4f47a880982fc923771c06957e3ac6

ここで書いたように、次の検査日は7月25日と決まった。

この日までは何としても禁酒を続け、肝機能の回復を確認しなければならない。
5月25日から禁酒を始めたので、この検査の日がちょうど2ヵ月目となる。
「2ヵ月禁酒しました」と医師に胸を張って言うことが、今の僕の最大の目標だ。

N会長に、かいつまんでそのことを説明すると、
「検査の日を変更できるんと違うん?」と言ったので、
「いや、これは、もう、この日でないとダメなのです」と僕は固執した。
「う~ん、そうですか。う~ん、残念ですな~」とN会長は唸りながら、
「じゃ、仕方ありませんね。どうぞ、お大事に。次回は必ず出席してよ」
そう言って、電話を切った。

お付き合いできず申し訳ない、という忸怩たる思いが胸の中をかけめぐる。

禁酒後、なんとなく友人たちとの接触を避けているので、
あらゆる付き合いが、止まったままである。

このブログを読んでくれている友だちだったら、
飲みに誘うのも控えてくれているはずだけど。

やはり、どんなに強がってみても、禁酒を続けるのはつらい。 
                                                   
検査
の7月25日まで、まだ2週間以上ある。
早くその日が来ないかと、心待ちにしている。

毎日、日の経つのが早いな~と思っているのだが、
不思議なことに、この部分に限っては、なかなか日が経たない。

昨日、近畿地方の梅雨も明け、いよいよ夏本番を迎える。

ギンギンに冷えたビールが、ますます飲みたくなる季節である。

夕飯時には、ビールに替わるジンジャエールで、のどをごまかしながら、
「2ヵ月間、禁酒しましたっ!」
と、医師に言える日を、ひたすら待つ毎日である。

( でも、これで肝臓の数値が何も良くなっていなかったら…    やで )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハリー・ポッターとアルコール依存症

2011年07月08日 | ニュース・時事

2日前に発売された週刊誌に、内田裕也の対談記事が載っていた。
5月に「強要未遂と住居侵入の疑い」で逮捕されたあの内田裕也である。

「ロックンローラー」 なら何でも大目に見てもらえると思っているヒトだ。

その内田裕也が、
対談相手にこんなことを言っている。

「留置場ってね、入った途端に名前で呼ばれなくなるのね。
 すべて番号なんだ。 で、俺、何番だったと思う?」

そう言ったあと、うれしそうに、

「69番だったんだ。 ロック、ヨロシク~」 

このおっさん、ほんまに反省してるんかいな???


ところで昨日の新聞に、「ハリー・ポッター」のダニエル・ラドクリフ君が、
過去にアルコール依存状態だった、ということが伝えられた。

あの可愛かったラドクリフ君も、もう21歳になったそうだけれど、
「ハリー・ポッターと謎のプリンス」の撮影中だった18歳の時に、
ウイスキーにはまり、アルコールに頼らないと楽しめなくなったそうである。

その後、生活を改め、去年の8月に断酒した、ということである。

アルコール依存症に強い関心のある僕にとって、他人事でない気がした。

僕らのような年齢になれば、たとえ依存症になったところで、
先は長くないんだから「別にそれでもええやん」っていう向きもあるが、
この若さでの依存症は、人生が暗転するきわめて重大な問題である。

彼が酒を断ててよかった~と思うのだが、こういうのって癖のものだから、
何かの拍子にちょいと飲んで、また依存症に戻ることがあるかもしれない。
それが、心配である (僕が心配したところでね~)
 。

ラドクリフ君の住む英国では、18歳でもお酒は合法だという。

でも、英国や英国系の国では、アルコールに厳しかったはずだ。

僕も、オーストラリアやカナダの英国系の洲であるオンタリオ州へ行った時、
ビールがどの店にも販売されていないので困りきったことがある。
レストランでビールを頼んでも、 ない、 と言われたこともあった。

コンビニでも駅でも、どこでも簡単に買える日本とえらい違いである。

しかしまあ、酒に厳しい国だから、逆に酒にはまる人が多いのかも知れない。

そこで、「ハリー・ポッターとアルコール依存症」 なんて映画はどうでしょう。

僕は、ちょっと見たい気もしますけど。

 

 

 

 

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うっかり、 が多すぎる~

2011年07月07日 | 日常のいろいろなこと

最近、物忘れがひどくなった。
僕はもともと迂闊で間抜けな人間なのだが、
このごろは特にその傾向が強まっているみたいだ。

この1週間で、スポーツジムで3回も忘れ物 (あるいは落し物) をした。

まず最初は、バスタオルとゴーグル。

ジムから帰ってリュックの荷物を出すと、バスタオルとゴーグルが見当たらない。
水泳をしたあと風呂に入り、着替えて帰るというのがいつものパターンなので、
風呂の脱衣場でバスタオルを忘れ、ゴーグルもそこへ置いてきたのだろう。

翌日、受付のカウンターでスタッフにそのことを伝えた。
若い女性スタッフは僕に、どんなバスタオルとゴーグルかを尋ね、
「少しお待ちくださいね」と言って奥の部屋に入って行った。

しばらくして彼女は、バスタオルをわんさと抱え持ってきて、
「バスタオルの忘れ物はすっごく多いんですよ。この中にありますか?」

「あ、ありました。これです」
自分のバスタオルには特徴があったので、すぐにわかった。
しかし、それより大事なものが…
「え~っと、ゴーグルのほうはなかったですか?」
と僕が尋ねると、
「ゴーグルは、ですね、ちょっと、こちらではお預かりしていませんねぇ」
との答えだった。ふ~む。残念。
バスタオルは出てこなくても、ゴーグルには出てきて欲しかったんだけど。

次に忘れたものは、傘だった。
バスタオルとゴーグルを忘れてわずか2日後だったので、
カウンターで「あのぉ、きのう、傘を忘れてなかったですか?」
と聞くのも、なんだか恥ずかしかった。
「あっ、また、おたくですかぁ?」 な~んて言われそうで。

しかしまぁ、そういうことも言われず (言うわけありませんが)、
傘の柄に名前を貼ってあったこともあり、すぐに手元に戻って来た。

3度目の忘れ物は、その翌日だった。
ま、忘れ物というより、落し物だけど。

この日、ジムの帰りに直接モミィを幼稚園に迎えに行く予定だった。

7月に入り、幼稚園での保育が午前11時半に終了するようになったので、
マウンテンバイクではなく、子供専用座席のついた自転車でジムへ行き、
その帰りに幼稚園に寄ってモミィを乗せて帰宅するという段取りであった。

いつもより早いめにプールを切り上げ、時計とにらみっこしながら、
風呂の後、服を着て、ドライヤーで髪を整え、リュックを背負った。

あまり早く幼稚園に着きすぎると、暑い中をじっと待たなければならない。
それを避けるため、ピッタリに到着する時間を見計らってジムを出る。
もちろん、遅れては絶対にダメなので、そこは要注意だ。

自転車置き場へ行き、自転車を出そうとした。
そのとき、ハッとした。
「え~っ? まさか」
ポケットに入れていたはずの自転車の鍵がない。
どのポケットを探しても、ない。

ロッカーの中に落ちているのかも知れない。
僕はあわててエレベーターに乗ってジムに戻った。
ロッカールームまで走り、自分が入れていたロッカーを開けた。

何もなかった。
「うわっ。えらいこっちゃ。幼稚園に遅れる!」
時計を見ると、11時25分を数分過ぎていた。
ここから幼稚園まで自転車で5分近くかかる。
しかもその自転車は、鍵が見つからない。

脱兎のごとく、とはこういう状態を指すのだろう。

僕は全速力で自転車置き場まで戻り、
自転車を邪魔にならない場所に寄せておき、
幼稚園に向かってダダ~ッと走り始めた。

運の悪いことに、この日僕は運動靴ではなく、ゴム草履を履いていた。

大きなリュックを背負い、ペタンペタンと音を立てて疾走する。
照りつける日差しにも、暑いだとかナンだとか言っている場合ではない。
「あぁ、やっぱり、時間には余裕を持つべきだなぁ」と悔いながら走った。

汗にまみれて幼稚園にたどり着いた時、11時半を3~4分過ぎていた。
園児たちがちょうど門のところへ出てきたところだった。
「あぁ、間に合った。よかった~」
へなへなとその場に座り込みそうになった。

鍵のスペアが家にあったので、昼から自転車を取りに行った。

翌日、またもジムのカウンターのスタッフに、
「あのぉ、すみませ~ん」 と声をかけたのだが、
「えぇ! またですかぁ~」 と言われそうなので、視線をそらせたまま、
「こんな形でこんな色のついた自転車の鍵を落としてなかったですか?」
と尋ねたら、スタッフは 「これですか?」 と、すぐに持ってきてくれた。
「ロッカールームの隅のほうに落ちていたそうですよ」 とスタッフの女性。
「あ、どうも、ありがとうございました」 と頭を掻きながら、鍵を受け取った。

あ~ぁ。 1週間に3回もこんなていたらくだもんね。
自分でもつくづくイヤになる。

近ごろ 「うっかり」 がひどくなったな~と嘆いているうちはまだマシだ。
しかし、こんなことを繰り返しているうちに、本当にボケてしまうのではないか?

僕は、数ヶ月前に買ったまま、まだ読んでいなかった1冊の本を思い出した。

さっそくこの本を棚から取り出し、読み始めた次第である。



                

 


   


    

 

 

 

 

 

 

 

 

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