僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

皆さま、よいお年を

2017年12月31日 | 日常のいろいろなこと

今年も今日で終わりですね。

早いですね~

今年一年を思い起こしても、自分にとってどんな一年で、どういうことがあったのか、ということについては、あんまりよく覚えていません。

あれは今年のことだったのか、それとも去年のことだったのかというのが頭の中でちんぷんかんぷんなんですよね。年々、物忘れが激しくなっていますんでね~

でもこの1年、ブログを読んでくださった皆さんには、心から感謝しています。

本当にありがとうございました。

皆さま、どうか、よいお年をお迎えくださいね~

 

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血圧とB N P

2017年12月29日 | 心と体と健康と

10年ほど前の一時期、不整脈の定期検査で通っていた病院で、血圧が高かったことから薬を処方されていたことがあります。同時に「血圧手帳」というのをもらって日々計測する血圧を記録していました。それが1年ほど続いたでしょうか。やがて症状も改善して薬もやめることになりました。

ここ数年スポーツクラブに置いてある血圧計で測っていますが、数値は日によって120前後の正常な時もあれば140以上の高い時もあり、バラバラでした。

そして現在通っている医院では、毎回測ってくれるのですが、血圧は「普通」という医師の認識だったようです。

ただ、血液検査で「BNP」というのが、毎回、基準値をはるかに上回っていました。医師によると、BNPとは心臓に負荷が加わった時に心臓から分泌されるホルモンの数値だそうで、基準範囲は18.4以下mgとありました。それが僕の場合はいつも100mgを超えており、かなり高かったのですが、医師によると「不整脈がある人は高くなるんですよね」ということでした。しかし最近その数値がさらに上がって来たことから、医師も「薬を処方しますか? う~ん、微妙なところですけどねぇ」と迷っておられるようでしたが、その日に血圧を測ってもらったところ、160という高い数値だったことで医師も「これはやっぱり薬を出しましょう」と言われました。聞けば、BNPが高いときに服用する薬は血圧の薬なんだそうです。だから医師も決断をしたようです。

「BNPを下げる薬としても有効ですから、またひとつ薬が増えるのは申し訳ないんですけど、血圧の薬を出させてもらいます」との説明でした。

ちなみにBNPというのは心不全と密接に関係しているようです。

http://med.matsusaka.or.jp/kenshin/wadai15.html

ま、そんなことで
処方されたのはテルミサルタン20mgという薬。「一番軽い薬ですので、これで血圧が下がり過ぎたりすることはないでしょう」と医師。

そのあと、処方箋を持って、医院の近くにある薬局へ行って薬を受け取りました。受け取る時、薬剤師さんが「今回からひとつお薬が増えましたね」と言い「血圧は以前から高かったんですか?」と聞かれました。「まあ昔は一時期薬を飲んでいたことがあることはありましたけど」と僕。
薬剤師さんはこのテルミサルタンという薬について、
「これは世界で一番多く飲まれている薬なんですよ」
とひとこと加えました。へぇ~。血圧の薬として世界で一番多く飲まれている薬がこれなの。だから安心して飲んでください、ということなんでしょうね。

今も心房細動(不整脈)の薬や血液をサラサラにするワーファリン、安定剤のデパスなどを服用しているわけですが、そこにまた1つ薬が増えるのはどうかなぁ、と思ったりもしますが、BNPが高いと心不全のような心臓病を誘発するし、血圧が高いのも好ましくないので仕方ないかな、と思っています。

まあ、おかげでこの薬を飲み始めてから、血圧は安定し、いつ測っても110台から120台で落ち着いています。さすが「世界で一番飲まれている薬」ですね~

 

 

 

 

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血圧サージとは

2017年12月27日 | 心と体と健康と

前々回のブログ「昭和は遠くなりにけり」で、昭和から平成に変わったのが昭和64年(1989年)の1月8日だった、ということを書きました。つまり昭和64年というのは7日間しかなかったということになります。ですから「昭和64年生まれです」という人は少ないのでしょうね。

そして昨日の12月26日は、今から91年前の1926年に、大正から昭和に年号が変わった日でした。ということは、昭和元年はその日から大晦日まで6日しかなくて、すぐに昭和2年になったということになります。これまた「昭和元年生まれです」という人も、少ないでしょうね。うちの父は昭和2年、母は3年生まれですしね~

そんなことで、昭和という年は、元年が6日間しかなく、最後の64年が7日間しかなかったことになります。まあ、それがどうしたん? と言われると、どうもしませんけど(笑)。

  ……………………………………………………………………………

話はコロッと変わりますが、毎日メチャ寒いですね~

夜はモミィが塾に行っていて不在なので、夕食のあと、妻と約1時間のコースをウオーキングするのが日課になっています。しかし昨日は家を出ようとしたら凍りつくような冷たい風がビュービューと吹いていたので、恐ろしくなって出て行くのをやめました。

暖かい家の中から急に厳寒の戸外に出て行くと、血圧が急上昇し、脳卒中なんかの発症率が高まるそうなので、コワいですよね。特に僕は心房細動(不整脈)があるので脳梗塞になりやすく、その予防にワーファリンという薬を毎日服用している身ですから、人一倍気をつけなければなりません。

最近、テレビなどでこの血圧の急上昇現象を表す「血圧サージ」という言葉をよく耳にするようになりました。これは「普段から血圧が高めの人はもちろん、正常な人にも起こる現象で、脳卒中の発症率が倍以上にまで上がってしまうというから要注意です」と、いうことだそうです。

これについて、NHKの「ガッテン」という番組で詳しく説明されていました。「血圧上昇を抑え、血管ダメージをなくす、誰でもできる超役立ち対策法」というのが紹介されていますので、番組を見逃された方はこちらをどうぞ。

 http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20171004/index.html

その血圧のことですが、最近、心房細動の健診で毎月通っている医院で測ってもらったところ、かなり高い数値が出ました。加えてBNPという数値が以前から高かったことから、新たに血圧を下げる薬を飲むことを医師から勧められました。あ~あ、またひとつ薬が増えちゃいました。

このことについて、詳しくは次回に書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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何がめでたい

2017年12月25日 | ズレズレ草

佐藤愛子さんの「九十歳。何がめでたい」という本が、今も売れ続けているそうです。出版されてからもう1年半ぐらいになるのに、根強い人気ですね。

ちょうど去年の今ごろ、僕もこの本を買って読みました。


       
   面白かったページに付箋を貼ってます


その時の感想をここに書いています。
      

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/080254d5b690c4162aa4b07299f460a8


この本がず~っとベストセラーを続けていることについて、佐藤愛子さんはまたこんな面白いコメントを出しています。

「ベストセラー。何がめでたい」

あはは。面白いですよね~。

で、僕はこの人気にあやかって、今年の年賀状にこう書くことにしました。

「あけましておめでとうございます」ではなく、

「あけまして。何がめでたい」

と書いたのです。

受け取った人に、面白がってもらえますかね~

 …………………………………………………………………


というのは、ウソです。
そんなこと、書くわけありませんがな。えへへ。

とはいえ、実は本気で書こうと思ったことも事実です。
それを知人たちが見てギャハハと笑ってもらえればと。
でも、やっぱりそれは自分の人間性を疑われるかなと。

冗談もほどほどにということで、仕方なくやめました。

本当は、そう書いてみんなを笑わせたかったんですけどね~

年賀状を出した今も、未練がましくそんなことを思っています。ハイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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昭和は遠くなりにけり

2017年12月24日 | ニュース・時事

天皇誕生日だった昨日、陛下は再来年の平成31年4月末で退位されるに当たって「残された日々、象徴としての務めを果たし」と語っておられました。

う~ん。平成が終わる
ついこの間、平成が始まったばかりのような気がするのに。

思い起こせば昭和64年(1989年)1月7日に昭和天皇が亡くなられ、その翌日の8日から平成が始まりました。そしてその1月8日という日は、僕の30代最後の日でもあり、翌9日に40歳の誕生日を迎えました。平成の始まりと共に自分が40歳代に入ったので、その時のことをよく覚えています。そして再来年の平成31年4月末をもってその平成が終わり、新しい元号となるわけですが、その年に僕は70歳になります。つまり40歳ちょうどから70歳ちょうどまでが平成なので、ついこの間に平成が始まったような気がするとは言え、自分の歳を考えてみれば、やはり長い歳月だったんだなぁ、としみじみ思います。

ところで、この元号に関して言えば、来年は明治150年だそうです。つまり明治時代が始まって150年というわけですが、それで思い出すのが僕の高校時代のこと。何年生の時か忘れましたが、新年を迎えた3学期の始業式の朝礼で、校長先生が「諸君、今年は明治100年の記念すべき年であります」と言ったことは鮮明に覚えています。それが来年は明治150年だというのですから、なんとまあ、あれから50年! 月日の経つのは早いんだなぁと、これまたビックリしています。

じゃあ、昭和は何年なんだ、と計算してみると、来年は昭和93年になります。ということは、その7年後には「昭和100年」になるわけですよね。

昭和100年ですぞ。またまたビックリ。

じゃあ平成100年は? な~んて、いくらでもエスカレートしますが、これはあと70年後で、モミィも80いくつのおばあちゃんになっています(笑)。

昔はよく、
「明治は遠くなりにけり」
などと言われたものですが、平成が終わろうとしている今は、
「昭和は遠くなりにけり」ですね。

やれやれ
そりゃ、歳も取りますわ。

 

 

 

 

 

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ボーイフレンド

2017年12月23日 | 日常のいろいろなこと

モミィは昨日が終業式で、今日から冬休みに入りました。でも塾があるので、休み中もほとんど塾通い。大晦日とお正月の3日間を除き、ず~っと通学ならぬ「通塾」の日々が待っています。

さてそのモミィですが、半年前ぐらいから男の子の友だちが急に増えました。モミィは学校でのことや友だちのことなどを妻によくしゃべるのですが、そんな仲良しの友だちを家に招いて一緒に宿題をしたりおやつを食べたり遊んだり、また外で遊んだり、友だちの家に遊びに行ったりしますが、相手は必ず女の子たちでした。それが最近では、モミィの会話の中に出てくる半分以上が男の子の話になってきています。

つまりまあ、ボーイフレンドができたってことでしょうか。それも1人ではなく、3人です。

1人は近所のキ~君。モミィは毎朝2人の同級生と共に3人で学校へ行くのですが、以前はモモちゃんという女の子と2人だけで登校していたのが、いつの頃からか、キ~君がモモちゃんより先にわが家のインターフォンを鳴らして家に入って来るようになりました。そのあとモモちゃんが来て、3人で学校へ行くのが習慣になっています。そして下校時も、キ~君と2人で帰ってくることもよくあります。モミィによると、「キ~君と一緒に帰るときはいつもケンカばっかりしてるねん」ということですが、どの程度の「ケンカ」やら、わかりませんわ。昔から「ケンカするほど仲がいい」な~んて言いますからね。

2人目は同じ小学校ではないのですが塾でいつも一緒に勉強しているシンちゃん。モミィと同様6年生で私立中学の受験を目指しています。モミィは学校から帰って5時前に弁当を持って出かけるのですが、塾の話をするときは必ずシンちゃんがどうしたとかこうしたとか、シンちゃんの話ばっかり。2人でおしゃべりばかりして、ちゃ~んと勉強しているのか疑いたくなります(笑)。

3人目はクラスの同級生の男の子で、リョウ君。先のキ~君と同様、幼稚園からいっしょだった男の子でしたが、僕もこの男の子のお母さんが幼稚園で幹事の役をされていて、いろいろお世話になっていたので、その長男であるリョウ君のことはよく知っていました。可愛い顔立ちの中にどこか憂いを含んでいるような男の子で、授業参観に行くたびに、顔が合うと僕に遠慮がちにあいさつしてくれました。そのリョウ君と最近、席が隣同士になったそうです。モミィは席替えがあるたびに「あぁ、今度は〇〇クンと一緒。最悪や~」などと言うことが多いのですが、今回は「リョウ君と一緒やねん」と、なんとなく嬉しそうな顔をしていました。で、学校での話も、このごろはリョウ君がどうとかこうとかいう話が断然多くなっています。

そんな3人のボーイフレンドができたモミィですが、冬休みに入ったので一緒に通学するキ~君とはしばしのお別れ。でも塾の友だちのシンちゃんとは、休み中もほぼ毎日一緒に勉強に励むことになります。

そして、リョウ君ですが、明後日のクリスマスの日に、モミィが女の友だち2人をわが家に呼んでパーティをするそうですが、なんとその2人に加えて、リョウ君も一緒に来るそうです。わが家に男の子が遊びに来るというのは、これはもう初めてのことです。

塾での勉強はあと1ヵ月足らず。小学校もあと3ヵ月で卒業。その後のモミィの進路は今のところ未定ですが、中学生になれば3人のボーイフレンドとは、どうなっていくのでしょうね~

 

 

 


 

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大相撲報道やら松居一代会見やら

2017年12月21日 | 映画の話やTVの話など

テレビというのは想像以上に大きな影響力を持っていますね。「たかがテレビ」と思う人たちでも、そのことは認めないわけにはいかないでしょう。本当にテレビの影響の大きさにはビックリしてしまいます。

テレビ局はそのことをきちんと理解して、ワイドショーと呼ばれる情報番組でも、国民生活に影響のあるようなニュースをなるべくわかりやすく報じるという姿勢を見せるのが社会的役割でしょう。しかし現実はそれとはおよそかけ離れたどうでもいいような内容の話題を長々と報じることも少なくありません。まあ、それも視聴率を上げるため、ということで、製作者側としてもやむを得ない部分はあるとは思いますけど

大相撲の日馬富士事件に関することはもう1ヵ月以上騒ぎ立てているし、最近では松居一代が「離婚しました。やりました!」とガッツポーズをしながらの会見を、民法の全局が何10分も生中継で流していました。このオバハンは最後のほうで母親に電話をし「お母ちゃん」と何度も言い、声を震わせ、泣きながらの「迷演技」までする始末。いったい何のための会見なのか全く意味不明。ただ単に、負け惜しみを隠すため、喜びを装い「勝った~」と自己宣伝するようなくさい芝居を演じているだけだろ。正直な話、胸が悪くなったし、松居一代という人はホントに頭がおかしいんじゃないか?と思ったものです。テレビ局も、なんでこんな会見を生中継したりするんでしょうね。不思議です。

また、それとは別に、テレビの報道の仕方で、ひとつの出来事が事実と反したような印象を視聴者に与えてしまうこともありますね。

テレビが世間に与える影響はとても大きいということは、大相撲の問題を例に挙げればよくわかります。マスコミがどう報じるかによって、白鵬を嫌いになる人が増えてきたり、あるいは貴乃花親方が一番悪い、と言う人が増えてきたり、相撲協会の対応が「適切」とか「遅い」とか、メディアの報じ方ひとつで物事の印象がガラッと変わってしまいますからね~

たとえば「相撲協会のまわし者」などと囁かれているベテラン解説者の杉山邦彦や評議委員会議長の池坊保子、大相撲リポーターの横野レイコなどは、一方的に貴乃花親方の行動を「理事の一員なのに理事会に協力しない」と最初から今も、ず~っと非難し続けています。さらに杉山と池坊は、白鵬が優勝インタビューの時に「万歳三唱」をしたことも「あれは良かった」と言っていました。相撲協会の意向に沿った発言に終始しているのは明白です。これ一つを見ても、テレビに「公平性」を求めるのはまず無理なことだというのがわかります。

それと、テレビ局は週刊誌の不倫ネタをそのまま拝借し、これまた延々とその話を取り上げていました(それにしても不倫ネタが多いです。これこそ、どうでもいい話なのに)。

そして番組の司会者やコメンテーターは、「他人の不幸は我が身の幸せ」とばかり、ワイワイガヤガヤと公共の電波を使って雑談をしたあげく、最後は世間話のノリで、みんなが「ガハハハ~」と笑って次の話題に移るという具合。この出演者たちも他人の不幸や不始末を心から楽しんでいるという感じで、いったいこういう題材に何の意義があるのかと疑いたくなりますね。

スポーツジムでいろんな人と雑談する中でも、「昼にテレビをつけても、ロクな番組をやってないし」という声がほとんどです。まあ、僕もそう思っている一人なんですけどね。

じゃぁ見なければいいじゃないか、と言われそうだけど、中には役立ちそうな情報も結構あるので、やっぱり情報番組はついつい見てしまうんですね。ついつい見ながら、テレビが報じる情報を丸ごと信用することだけは気をつけるようにしています。テレビには間違いや印象操作の情報が充満していますから。

目の前のテレビに向かってブツブツ文句ばかり言いながら、それでも画面から目を離さない、という人は、僕の知っている人の中でもかなりいます(特に男性に多いです)。

そして、言ってみれば僕もそのうちの一人なんですよね。

不本意ながら、こういうつまらない番組も、つい見てしまいます。最近は少し反省して、そんな時間があるのならもっと本を読もうと思っているところですが、やっぱり「惰性」で見てしまいます。惰性にどっぷり浸かっているとボケが早まる、という話もあることですし、まあ気をつけなければと、今テレビをつけながら思っているところです(笑)。

 

 

 

 

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受験も WEB で出願

2017年12月20日 | 日常のいろいろなこと

1月中旬に行われる中学入試の志望校がようやく決まり、結局モミィは2校を受けることになりました。今の入試というのは、日はほぼ同じだけど、学校によっては2日間から3日間の試験日を設けているところも多い。だから最初の日に第一志望の学校を受験し、合格発表はその日の夜にネットに出るので、不合格だったら翌日に別の学校を受ける、ということになります。で、2校に出願することになったわけです。

今は入学願書も学校へ持参して提出するのではなく、ほとんどが「web出願」です。パソコンでその学校のホームページを開き、そこで指示通りにいろんな書き込みをしていき、最後に「出願する」をクリックして終了、というわけ。受験料(2万円)支払い手続きも同時にします。だから入試手続きは全部自宅でできます。そして所定の受験票をプリントしてそこに本人の顔写真を貼り、それを試験の当日に持参する、という流れです。

それともう一つ、これまで知らなかったのですが、英検やTOEICなど英語の資格を持っていれば入試が優遇されるという制度も多くの学校が取り入れています。英検4級なら何点、3級なら何点、準2級ならと、級によって点数は違いますが、何10点か加算されるそうです。モミィは英検3級を持っているので、それだけでも何だか「お得」ですよね。まさか英検が中学入試に有利に働くとは、思いもしなかったです。で、その証明としては、英検の3級の合格証書をデジカメで撮影し、それを学校の指定したメルアドにメールで添付するという手続きを行います。僕も昨日、それを行いました。

まあ、こういった全てのことをパソコンで行うわけで、便利といえば便利ですが、じゃぁパソコンをしない人、あるいはしていても、こういう手続きがうまくできない人はどうするのか? ということになりますが、その場合は学校に行き、誰かに教えてもらいながら、そこのパソコンを使って出願することもできるそうです。

僕の場合も先日、このブログにも書きましたがパソコンにトラブルがあって使えない数日間がありました。そうなるとわざわざ学校まで行かなければならなかったわけですよね。元に戻ってホントよかったです。

このごろは何をするにもパソコン・ネット・web

そういう時代なんですね。

 

 

 

 

 

 

 


 

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創作四字熟語が面白い

2017年12月17日 | 日常のいろいろなこと

12月も後半に入り、いよいよ今年も終わりに近づいてきました。今年1年を振り返るという観点から、さまざまなイベントが催されていますが、今年の流行語大賞というのがありますよね。今年は「インスタ映え」と「忖度(そんたく)」の二つが大賞を獲得したそうですが、「忖度」は一時はやりましたから「流行語」というのはわかりますが、「インスタ映え」というのは、何だかねぇ?これって「流行語」なの? と首を捻ります。

他にも候補として挙げられたものに「ひふみん」なんてありましたが、これは人の愛称で「言葉」じゃないでしょ。それを流行語というのかな。

去年は「神ってる」が流行語大賞をとりました。「神がかっている」という意味ですよね。また「ダメよ~ダメダメ」とか「今でしょ」とか「じぇじぇじぇ」というのも過去に流行りました。会話の中にこれらの言葉を入れて面白がるという意味で「流行語」というのはわかります。それが「はあ?」と思うようになったのは、何年か前の「なでしこジャパン」が流行語大賞になった時からです。あれこそ単にサッカー日本代表チームの愛称であって、どこが「流行語」やねん、と思ったものです。

ま、どうでもいいようなことに文句を言ってますけど、今回の「インスタ映え」というのがどういう意味かわからなかったので、その負け惜しみの気持ちもあるんですけどね(笑)。

それと今年の「漢字一文字」というのもあり、今年は「北」でしたね。北朝鮮がミサイルを連発して核・ミサイル問題が日本や世界に脅威を与えたこととか、九州北部の災害、北海道・日本ハム大谷と清宮が話題に上がったことなどで「北」が選ばれたとのことでした。漢字一文字ですからね~。なかなか世相を反映するのはむずかしいので、あまりピンとこない、というのが正直な感想です。

去年の漢字は「金」でした。日本がメダルラッシュのリオ五輪にちなんだものでした。その前が「安」で、安倍内閣の安全保障関連法が世論を沸かせたとのこと。その前が「税」で、これは消費税率が5%から8%に引き上げられたことから選ばれた漢字です。

僕はこれらの流行語大賞や今年の漢字一文字より、つい先日発表された住友生命の「創作四字熟語」のほうが断然面白いし、毎年楽しみにしています。

今年の第1位は「棋聡天才」でした。「奇想天外」のもじりで、将棋界に旋風を巻き起こした藤井聡太くんですよね。他にも、宅配業界の人手不足が深刻な様子を表した「荷労困憊」(疲労困憊)とか、猛毒ヒアリがコンテナにくっついてきたということで「蟻来迷惑(ありきためいわく)」(有難迷惑)とか、面白いのがたくさんありました。

これまでも面白くて記憶に残っているのは、
長生きも苦労する「苦労長寿」(不老長寿)
(もうひとつ「不良長寿」ってのもありましたっけ)

二世のタレントや政治家が増えて「二世風靡」(一世風靡)
残業を減らす会社が増え「残業革命」(産業革命)
低金利の時代になり「利息三文」(二束三文)
あまりの暑さにフラフラする「暑中目まい」(暑中見舞い)
携帯を耳に当てながら運転する「脇耳運転」(脇見運転)
というようなもので、
書いて行けばキリがありませんが、さて、ここでクイズです。

10数年前に1位になった「様様様様」はなんと読むでしょうか。
覚えておられますか?

答えは「ヨン様」でした。「様」が四つ。う~む、ちょっと古いか。

では皆さま、良いお年を。

じゃなかった。
良い日曜日を!

 

 

 

 

 

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年賀状の季節

2017年12月15日 | 日常のいろいろなこと

年賀はがきの受け付けが今日から始まりました。僕は昨日、いちおう年賀状の作成を完了しました。パソコンを使い、モミィの写真も入れて、プリンタで印刷するのですが、空白を作っておいて、そこに一言だけですが添え書きをするという形です。

それにしても、毎年そうなのですが、出来上がった年賀状を見て、この1年間(あるいは何年も)会っていない人が多いことに改めて驚きました。元職場の先輩や同僚・後輩、それに友人・知人、そして親戚など、1年で一度も会っていない人たちのほうが断然多かったです。

年賀状も、勤めていた頃はかなりの数の人たちとのやり取りがありましたが、退職後はなるべく減らしていくようにしてきました。「儀礼的」だけという年賀状が結構多かったので、数年前から徐々に少なくしていっています。

しかし何年も会っていなくても、やはり「どうしておられるのかなぁ」と気にかかる人たちも多くいます。そういう人たちには、むしろ年に一度だけでもお正月に近況を知らせ合う年賀状の交換は貴重ですよね。

11月ごろから「喪中はがき」を何通か受け取りましたが、ある友人はそのはがきの中で、
「新年のご挨拶は失礼させていただきますが、皆様からの年賀状は励みにもなりますので、どうぞ例年通りお送りくださいませ」
と書かれていました。
年賀状を楽しみにしている人も多いんですよね。

ところで、年賀状をやりとりしている人の中で、一番長く会っていない人は誰だろうと、昨日、出来上がった年賀状を改めて見直していたら

出てきました~

東京都の杉並区に住んでおられるMさんでした。この人は僕が20歳の時の自転車旅行中、北海道の阿寒湖畔のユースホステルで相部屋になった男性です。僕より1歳くらい年下で、一人旅をしていました。妙に気が合って、夜遅くまでお互いの旅の話に興じたことを懐かしく思い出します。

で、それから年賀状の交換が始まり、当時は確か茨城県に住んでおられたのが、東京に引っ越されて今の住所に変わられました。しかし、その一晩の出会い以来、一度も会っていません。それでも、それから48年間、年賀状を交換し続けています。年賀状に写真が添えられているわけではないので、今もMさんの当時の顔しか浮かんできません(僕はモミィと一緒に撮った写真などを年賀状に添えることはありますが)。一度っきりしか会っていない人と、48年間も年賀状を交換してきたのですよね。

Mさんから今年もらった年賀状には、端のほうに「自分で動けるうちにいろいろなことをやっておきたいなと、思うようになりました」と自筆で書かれていました。高齢者になられたMさんというのが、どうしても想像できませんけど。


年賀状を書くのはちょっと面倒やなぁ

そう思ったりすることも時々ありますが、やはりこうして見てみると、人とのつながりの大切さを再認識できるいい機会だなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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「はんなり」 で はんなり

2017年12月11日 | 日常のいろいろなこと

12月は父の亡くなった月なので、今日、妻と一心寺へお参りに行ってきました。朝から風がとても強く、JR天王寺駅から谷町筋を北に向かって歩いていたら、体ごと吹き飛ばされそうなえげつない風でした。このごろは強風の日が多く、それも冷た~い冷た~い風なので、たまりませんね~。寒すぎますわ。

ちなみに、父は2002年の12月30日に亡くなり、31日の大晦日が告別式でした。偶然ですが妻の父も大晦日が告別式でした。滅多にない巡り合わせですよね。まあ、それは今日の話と関係ありませんが。

さて、一心寺でのお参りを終え、ちょうど昼時だったので、どこで昼食をとろうかと妻と言い合いながら天王寺駅に戻る道々で、妻が「ここはどう?」と、細い階段を上がる店を指差した。見ると、普通なら見過ごしてしまいそうな小さなメニューの看板が隅の方にひっそりと置かれ、そこには「はんなり」という店の名が書かれて、ランチメニューで「天ぷら膳」とか「お造り膳」とかのメニューが描かれていました。しかし間口が狭くて急な階段を上がって行く店なので、まったく店の様子がわからないし、ちょっと薄気味悪い感じもする。でも妻が興味深そうだったので、初めて行く店も案外いいかも、と思い、その狭い階段を上がっていくことにしました。

店の中の作りは居酒屋風でしたが、ランチのお客でほぼ満席の状態でした。
「少々お待ちくださいませ。すぐにご案内しますので」
という丁寧な店の人の対応に一安心。いいお店のようでした。

間もなく、カウンターの席に案内されました。狭い座敷スペースもありましたが、椅子のほうが楽なので、カウンターでよかったです。

そこで僕たちは「天ぷら膳」を注文したのですが、出てきた膳は天ぷら以外にも種類が多く、一つ一つの中身も凝っている豊富な逸品でした。僕はビールを1本頼み、この膳を美味しくいただきました。いやぁ、このお店、気に入りました。

お店の内容については、いろんな方々がネットで詳しく書いておられるので、その一つをご紹介します。

https://tabelog.com/osaka/A2701/A270203/27014574/dtlrvwlst/B92890421/?lid=unpickup_review

一心寺へ行く谷町筋のこの歩道は、四天王寺さんへの参道でもあり、いろんなお店が片側にズラ~っと並んでいます。これまで何度も何度も歩いていた道でしたが、その中にこんなお店があったことは、僕は知りませんでした。

「あぁ美味しかったね~」と、店を出てから帰り道、僕は妻に「いい店やったけど、でも、なんでこの店に入りたいと思ったん?」と尋ねたら、妻は、これまで何度もここを通るたびに、この店がちょっと気になっていたからと言いました。あ、そうだったのか。

ふ~む。僕など、まったく気がついていなかったのですが、妻は以前から歩きながらこういう店をしっかりとチェックしていたのですね。

さすが~
女性というのは、僕のように漫然と道を歩いているのではなく、こういう店に対する観察力に長けているのかもしれませんね~ 

これから当分の間、2人で一心寺さんへ来た帰りには、この「はんなり」に入ることになりそうです。

 

 

 

 

 

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パソコン復活! その方法は

2017年12月09日 | 日常のいろいろなこと

やれやれ。パソコンが元の状態に戻りました。
一時はどうなることかと思いましたけど。

何か立ち上がりが遅いなぁ、とか、「シャットダウン」のボタンを押してもなかなか画面が消えないなぁ、とか、ファイルを開けようとしてもなかなか開かないなぁ、とか。インターネットもできることはできるのだけど、最初に立ち上がるのに時間がかかり過ぎるし、途中で動かなくなったりすることも起きたり。

それが3、4日続き、少しずつひどくなってきました。今この時期は、モミィの受験を控え、「web出願」というネットでの出願もしなければならないし、パソコンが使えなければたちまち困ることが沢山あります。これはもう業者に連絡して来てもらうしかないだろうなぁ、と思っているうちに、今度は画面が固まってしまいました。

画面でカーソルを動かして電源を切ることもできず、仕方なしにパソコン本体の電源ボタンを押して切ることに。いわゆる「強制終了」というやつですよね。これはあまりしてはいけないこと、というイメージがあるので、もしこれを押して、さらに厄介な状態になってしまったらどうしよう、という気もなくはなかったのですが、この際だから、覚悟を決めて、電源ボタンをグイッと押しました。

それで電源は切れたのですが、そのあとしばらくしてから様子を見るためにまたボタンを押して起動させました。すると

それまで完全に立ち上がるまで30分ぐらいかかっていたのが、スイスイと画面が出てきたのです。「えっ? ほんまかいな?」と一瞬キツネにつままれたような感じ。

恐る恐るひとつのファイルをダブルクリックしてみたら、すんなりと出てきた。インターネットもすぐにつながり、何の問題もなし。あぁ、よかった~!

それが一昨日の夜のことでした。その翌日、つまり昨日ですが、再び恐々と起動させましたが、成功。どうやら「完全復調」したようです。

やれやれと胸を撫でおろした次第です。

それにしても「強制終了」という強引なやり方が功を奏するとは、思いもよりませんでした。しかし

先ほどネットで「パソコン・強制終了」で検索して調べると、パソコンが反応しなくなり操作が正常に行えなくなった場合は、いったんパソコンを強制終了し再起動したらいい、ということが出ていました。

へぇ~。そうだったんだ。

僕は何も知らずに、やむを得ずイチかバチかで強制終了をしたのですが、こんなことならもっと早くネットで調べておけばよかったですね。スマホのほうで調べることもできたのに、と今になったら思いますが、あの時は「ありゃりゃりゃ~」と狼狽するばかりで、そんなことも頭に浮かばなかったのです。

自分には危機管理能力が欠けているんだなぁと、改めて思い知らされました。
「しっかりしいや」という声が、自分の心の中から聞こえてきます。とほほ。

 

ちなみに「強制終了」について、もしご参考にされるのであれば、こちらをご覧ください。


http://121ware.com/qasearch/1007/app/servlet/qadoc?QID=018269

 

 

 

 

 

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パソコンの調子が悪い

2017年12月06日 | 日常のいろいろなこと

愛用してるパソコンがおかしい。

起動するまでメチャ時間がかかる。

起動しても次もまたメチャ時間がかかる。

普通の画面になるのにも30分以上かかる。

おかしいやろ。

なんでやねん?

というても

こんなことには僕は弱いし。

なんでやわからん。ぐすん。

(この記事はスマホで打ちました)

 

 

 

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貴乃花親方と白鵬の確執とは?

2017年12月04日 | スポーツの話題

日馬富士の暴力事件から引退へ
そんな一連の騒動の中で、ひたすら沈黙を貫く貴乃花親方がいろいろ言われていますね~。つまり「ええがな」とか「あかんがな」の二つの評価。

「大相撲リポーター」の関係者は相撲協会から嫌われては仕事ができなくなるので、貴乃花を非難します。「相撲協会の一員なのに何の協力もしないのはおかしい」と。一方「貴乃花は相撲協会の古い体質と一人で戦っている。彼には相撲道を貫く勇気がある」という声もある、という感じです。

そして日馬富士が引退したあと、今度は白鵬と貴乃花親方の「確執」というのがメディアの話題の中心になり始めています。なんで現役力士と親方の「確執」やねん、と思うんですけど、マスコミはその路線で動き始めています。ほかに報じることがないんでしょうかね~。特に「ミヤネ屋」は連日、ず~っと1時間以上その話を続けています。司会の宮根自身、先週の週刊文春で「隠し子」の記事が大きく載ったので、それをこの話題でごまかそうという魂胆なんでしょうね。

で、白鵬ですが、40回優勝という相撲史上に輝く大記録を立てたので今は敵なし、という本人の認識でしょう。しかし、立ち合いざま相手の顔を張ったり、右肘を相手の顔にぶつけてかち上げる「エルボー」という反則スレスレの相撲に「およそ横綱の相撲ではない」という声も出てきているのは事実です。

それで「相撲道の貴乃花」対「何をしても勝てばいい白鵬」という対立図式になっている報道なんですよね。それがまあ「確執」と言われているものです。

貴乃花親方が一連の騒動になぜ黙っているかというと、
おそらく

モンゴル力士の間で八百長が常習的に行われていることを貴ノ岩から聞いており、しかもその中心として白鵬が大きく関わっていることを知っているからではないか。実際、日馬富士や鶴竜が横綱に上がった時やそれに類する時は、白鵬は必ずと言っていいほど負けているのがネットの映像でも見て取れる。また週刊新潮でも「白鵬、疑惑の10番勝負」という特集を組んでいる。モンゴル勢は日本の相撲界を征服するため、星の分け合いをしてお互いの番付を上げようという空気があった、ということを、貴乃花親方は貴ノ岩を通じて感じていたのだろう。

という、推測です。はい。

そういう背景から考えてみると
白鵬はモンゴル八百長に従わない貴ノ岩を嫌っており、おまけに今年の初場所、白鵬は貴ノ岩のガチンコ相撲に敗れて稀勢の里が優勝して横綱に昇進した。モンゴル以外の横綱力士を誕生させたことが白鵬には絶対に気に入らない。それが今回の暴行事件の伏線だったと言われているし実際に「日馬富士暴力事件」も白鵬の意志が強く働いていたことがいろんな話の中で明らかになってきています。

このあいだヨガ教室に参加した時、スタジオ前で並んで待っている間に、みんなでこの話が出ました。おばさんたちは全部「あれは白鵬が一番悪いねん」と言っていました。「日馬富士が白鵬に気をつかって貴ノ岩を殴った。だから白鵬は止めへんかった。真犯人は白鵬や!日馬富士がかわいそう」とも言ってました。

さらに、「白鵬はつけあがってるわ」「増長してるわ」「何様やねん」などという言葉が、おばさんたちの口から次々と飛び出していました。

まあそんなことで、いろんな憶測が渦巻いたり、いろんな意見が飛び交ったりしています。

しかしですね。もしも、貴乃花親方が今、モンゴル力士同士の八百長疑惑のことを公開の場で言ったとしたら、大相撲は大変な事態になることは明白です

だから何も言わないのだろうという意見が日に日に大きくなっています。
本当に、もし、そんなことを言ったらえらいことになりまっせ~

それでも貴乃花親方は、捜査が一段落、つまり日馬富士が書類送検されたら、話すと言っています。

さて、どんな話になりますやら。気になりますわ。

 

 

 

 

 

 

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はしだのりひこさんと 「風」

2017年12月03日 | 思い出すこと

はしだのりひこさんが亡くなられたことを今朝の新聞で知りました。パーキンソン病をわずらっておられたとのこと。享年72歳。年は違うけど誕生日は僕と2日違い。さらに京都市生まれというのも一緒。おまけにこの人も僕と同様に体が小さかったことなどから、若い頃はとても親近感を持っていました。

ザ・フォーク・クルセイダーズのメンバーの一員として「帰って来たヨッパライ」というメチャ面白い歌が大流行したのは今から50年前、1967年(昭和42年)のことでした(そんなに大昔のことになっちゃったのか~)。その翌年にグループは解散し、新たに「はしだのりひことシューベルツ」というグループが出来て、1969年(昭和44年)に発表した「風」が大ヒットしました。僕はこの「風」という歌が今でも大好きです。

この歌が出た年の8月に、そのとき20歳だった僕は自転車で北海道往復一人旅をしました。来る日も来る日も一人寂しく黙々と自転車をこいでいる時、携帯ラジオからこの歌が聞えて来ると思わす涙が出てきたのです。とにかくあの歌詞というのがものすごく胸にしみましたね。ホント、何もない道路を延々と走りながら、振り返ってもそこにはただ風が吹いているだけ~でしたから(笑)。

その旅の中で、僕は山形県から秋田県に入り、「おばこ街道」と呼ばれていた道を走っているとき、それまで雨模様が多かったのが、めずらしく晴れ渡り、心地よい風に全身を包まれながら走っていました。その時、自転車をこぎながらこの歌を大きな声で口ずさんだのを今でも思い出します。

まあ言ってみれば、この歌は、僕の自転車旅行のテーマでもありました。歌詞にもありますように、「ただ一人旅に出て」とか「ちょっぴりさびしくて」とか「人生につまづいて」とかいう部分もその他の部分も、まったく自分のその時の状況や心情と重なるものだったのです。

その様子は自転車旅行ブログにも書いています。

http://d.hatena.ne.jp/domani07/20070611

♪♪
人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとを振り返る
ちょっぴりさびしくて
振り返っても
そこにはただ風が
吹いているだけ

人は誰も 人生につまずいて
人は誰も 夢破れ 振り返る
何かを求めて
振り返っても
そこにはただ風が
吹いているだけ

振り返らず ただ一人一歩ずつ
振り返らず
泣かないで 歩くんだ ♪♪

それから2年経ち、僕は卒業とほぼ同時に結婚をして社会人になり、阿倍野近鉄百貨店の和楽器売り場の店員をしていました。目の前がレコード売り場です。時々、新曲の発表を兼ねて歌手がやって来ることがありましたが、ある時、はしだのりひこさんが新曲キャンペーンにやってきました。その時は「はしだのりひことクライマックス」とまた新しいグループ名になっていました。そのとき何の歌を歌われたのかは忘れましたが、歌い終わって、和楽器売り場で立っていた僕のすぐ前を通った時、はしだのりひこさんはチラッと僕の顔を見て、通り過ぎて行きました。一瞬ですが目が合いましたが、「あぁ、やっぱり背は僕と一緒ぐらいなんだな」という印象だけが残っています。相手も「こいつもチビやな」と思っていたのかも知れませんけど(笑)。

今朝、はしだのりひこさんが亡くなったとの記事を読み、自分の若い頃の思い出と関わっている人物がまた一人、消えちゃっていくんだなぁ、という寂しさを覚えました。

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

 

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