僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

昭和百年! 平成百年!

2016年02月28日 | ズレズレ草

今日は2月28日。明日で2月も終わりですね。早いなぁ。

なぜこんなに毎日が早く過ぎるのか?…。不思議で不思議で仕方がない。1年、2年など、あっという間に過ぎる。

これは僕だけの感覚ではないだろう。

おととい、ヨガ教室で、インストラクターのお姉さんが冒頭の挨拶で、
「今月のレッスンも今日で終わりですね。早いですねぇ」
と言っていた。
「ついこの間お正月だと思っていたら、もう3月ですものね~」とも。

すると、スタジオはざわめき、
「ほんまに、メチャ早いわぁ」と、あちこちでおばさんたちの声がした。
みんな同じ思いなんだ…と知れば、少しは気分が落ち着いたりしますね。

   ………………………………………………………………………

ところで…
人の年齢を、生まれ年から計算するのは、昔は割に簡単だった。ま、「昔」というのは、西暦1900年代だったり昭和の時代だったりするんですけどね。

たとえば、今が1999年だったとする。その人が「1972年生まれです」と言ったら、99から72を引いて「あ、27歳なんだ」とわかる。

昭和の場合も同様で、今が昭和60年だったとする。その人が「昭和20年生まれです」と言ったら60から20を引いて「あ、40歳なんだ」とわかりますよね。


ところが、西暦が2000年代に入って、その計算がややこしくなった。

今は2016年だから「1972年生まれです」と言われてもすぐにはわからない。
「え~っと2000から1972を引いて28。それに16を足して、え~っと44歳か」
という計算をしなければならない。

これが元号となると、さらにややこしいんですね~

昭和64年の1月7日に昭和天皇が崩御されたので、翌日の1月8日から平成の世になった(その翌日の1月9日は僕の誕生日です←関係ないやろ~)。えぇっと、つまり、昭和64年は、平成元年でもあるわけで。

こうなると平成28年の今、「昭和30年生まれです」と言われてもなかなか計算できない。あえて言えば、昭和の64から1を引いた63から、30を引いて33、それに平成の28を足して→61歳、となるわけですが、そんな込み入った計算してたら、頭がこんがらがりそうです。


で、計算に弱い僕は、この複雑さを解消するため、十数年前から「今年は昭和で言うと何年」というのを常に頭に入れておくことにしました。たとえば10年前の平成18年だったら、昭和で言えば「昭和81年」…というふうに。

職場に若い職員が入ってきて、その人が昭和55年生まれだと聞くと、「今年は昭和で言うと81年だから、81から55を引いて26歳だ」と、すぐにわかります。

まぁ、そんなことをしてきたわけだけれど、考えてみたら、今年は昭和91年である。なんと91年ですよ、91年! あと9年経ったら、昭和百年!


そういえば思い出す。

高校生時代、1月の始業式の朝礼で、校長先生が挨拶の中で、
「諸君、来年は明治百年に当たる記念すべき年となります」
と力を込めて、興奮気味に言ったことを今でも覚えています。

しかし僕は、なぜ校長先生がそんなに力を込めるのかわからず、
「明治百年って…それがどうしたん?」
と冷めた気分で思ったものです。
まぁ生意気な高校生だったんでしょうね、僕も。

ところが、この歳になり、その校長先生の話を思い出してみると、今年が昭和91年だということに驚く。繰り返すが、あと9年で「昭和百年」なのだ。

月日の経つことの早さは身をもって感じている昨今だけど、「昭和百年」などという言葉がそろそろ現実になりつつあるのは、なんともねぇ…。

とは言っても、その話を聞いた若い人などは、
「昭和百年? それがどうしたん?」
と言うのでしょうね、きっと。

そして、さらに遠い遠い先に、今度は「平成百年」が来ます。あと72年後です。モミィが生きていれば82歳のおばあちゃんです(メチャ先の話ですけど)。

まぁ、それまで、地球が滅びずにいてくれることを祈るばかりです。


さて、それでは皆さま、こんなヒマネタにおつき合いいただき、ありがとうございました。どうか良い日曜日をお過ごしくださ~い。

…僕は、毎日が日曜日です(だから毎日が早く過ぎるのか…)

 

 

 

 

 

 

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梅田で車が暴走

2016年02月26日 | ニュース・時事

昨日、梅田で車が暴走して死者や負傷者が出た事故には驚いた。お昼のワイドショーで第一報が報じられた時は、また運転者が高齢で原因は認知症?…と一瞬思ったが、51歳の男性で、認知症になる年ではない。

その後、朝日新聞の報道によると、運転者の男性は、大動脈が破裂する「大動脈解離」の症状が見られたとのこと。つまり突然死ではないか、ということだ。運転中にその症状に見舞われ、意識を失って道路脇にしばらく停車したあと、意識がないままにアクセルを踏んで歩行者をはねながら歩道を暴走して、ホテル前の花壇に衝突して止まった…ということらしい。

場所が梅田だったことにも驚いた。梅田には、僕もよく行くが、たいていはJR大阪駅から地下街や陸橋を歩き、お気に入りのレストランへ妻と妻の姉と3人で昼食に行くことが多い。だから、道路の歩道を歩くことは、あまりない。こういう事故を見ると、これからも、できれば地下か空中の通路を歩いたほうがいいな、と改めて思う。車の走っている場所は、本当に、何が起きるかわからない。


大動脈解離といえば、妻のもう一人の姉が、自転車で走っているときに、急に苦しくなり道端へ倒れ、そのまま救急車で運ばれて生死の境をさまよう…という出来事が10年前にあった。それが大動脈解離だった。普段から血圧は高かったが「持病」というものではなく、思いも寄らぬ症状に襲われたわけだ。

それにしても、突然意識不明になり、即死状態だった人が、死の渕でアクセルを踏むとは…。脳は命令していないのに、足だけが勝手にアクセルを踏んだ、ということになるのだろうか。車に乗りなれている人だから、足が勝手に…。何ともおそろしい話である。

その運転者は、持病はなかった、ということだ。「てんかん」などの持病を持つ人や、認知症気味の人の車の運転については特に注意を要する、と常々言われているけれど、今回のように、本人をはじめ誰も予見できないことが起きて、こんなとんでもない惨事で死ぬ人まで出るというのは、あまりにも理不尽である。はねられて亡くなられた人や重体の人が気の毒でならない。

運転者の不注意であれば、もちろん許しがたいことだが、こういう事態はいったいどういうふうに受け止めたらいいのだろうか。

運が悪かったの一言では済まされないのは、言うまでもないことだけれど。

 

 

 

 

 

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いつまでたってもダメなわたし

2016年02月24日 | 心と体と健康と

1月31日にウダウダ会で京都へ行き、大阪に戻って打ち上げの宴会のあと、僕が酔って転び、顔を打って怪我をしたことは、「ウダウダ会京都一周トレイル」というブログの末尾に書きました。

お恥ずかしい話で、本当は内緒にしておきたかったのですが、やはり自身の記録としても残したいブログだから、都合の悪い話(笑)であっても書いておかなければと思いまして…。

それで、その顔の怪我の状態ですが、おでこと、左目の下から頬にかけてと、鼻と、鼻の下から唇のあたりが血だらけでした。翌朝、鏡に映った自分の顔を見て、「ぎゃぁ~」と腰を抜かしそうになりました。

痛みはさほどなかったのですが、僕は心房細動による脳梗塞予防薬として血液サラサラの薬「ワーファリン」を服用しているので、血が止まりにくい。だから、普段でも歯を強く磨きすぎると出血するし、思い切りハナをかむと時々血が出る。ちょっとした怪我でも人の倍以上は出血するわけです。そんなことで、今回、転んで顔を打って、これだけの出血があったと思われます。つまり、実際より、見た目のほうがひどい怪我…ということですね。特に、鼻の下から唇にかけてが、一番きつい傷でした。

顔のほか、背中も打ったらしく、一か所、内出血しているところがありました。触ると痛い。心配した妻が、医者へ行くように強く勧めたので、傷だらけの顔を少しでも隠すために大きなマスクをし、近所の外科医へ行きました。

受付で「どうされましたか?」と聞かれたので、無言でマスクを外すと、それだけで「あ、転んだのですね」と納得された。

医師は僕の顔を見て「うわぁ」と眉をひそめ、それから
「頭は打ちませんでしたか?」と質問した。
「打っていません。うつぶせて転んだみたいなので…」と僕。
「どこが痛みますか?」
「目の下と、鼻の下ですけど、触れば痛いという程度です」
「頭が痛いということはありませんね」と、医師はまた頭のことを聞いた。

「まぁ、頭を打たなくてよかったです」とつぶやくように言う医師。
それから、背中の内出血の部分も骨折などはしていないことがわかり、一安心。

医師は、塗り薬と化膿止めの飲み薬を処方してくれ、
「3日後にもう一度来てください」と言った。

で、3日後に行ったら、医師はまた
「あれから頭が痛くなったりしませんでしたか?」と再び頭のことを尋ねた。
「えぇ、痛くならないです」と答えると、
「ハイ、じゃぁ、あと2日分の飲み薬を出しておきます。これからは自然に傷が消えるのを待っていたらいいと思いますので」そう言ったあと、最後に「ワーファリンを飲んでおられるのですから、怪我などの出血には十分注意しなければ」と、医師に釘を刺された僕なのでした。

そんなことで、「顔中傷だらけ」はむろんすぐには治らず、あまりにも目立つので、外にも出られない。やむを得ず外出する時は、必ずマスクをした。モミィも、「どうしたん?」と聞くだろうし、「お酒飲んで転んだ」とは、みっともなくて言えないから、家の中でも、モミィのいる所では、ほとんどマスクをしていた。

スポーツジムにも、この顔を見せるとゼッタイに「どうしたん?」と聞かれるに決まっていたので、2月1日から2週間、休んでしまった。

怪我から2週間たった頃、顔の傷はほとんどわからなくなったが、まだ、鼻の下から唇の部分は、傷の痕跡が少~し赤く残っていた。

先週の月曜日(15日)からまたジム通いを再開した。

するとやはりプールで顔なじみの人たちから、「久しぶりですね~、しばらく休んではったん?」と言われ、特に女性はめざとく、「鼻の下、どうしたの?」と聞かれてしまった。それが休んでいた原因だとその人たちには察しがついたはずだ。僕は「酒に酔ってこけました」と言うのも恥ずかしかったので、「えぇ、ちょっと転びまして」と言うと、「えっ、どうして? 歩いていて? それとも自転車か何かで?」と、数人の人たちから矢継ぎ早に質問された。

「いやぁ、そのぉ~」と僕は言葉に窮してムニャムニャ…
「自転車で転んだの?」と、ある人から言われたので、はずみで「あ、そう、自転車で転んだんですよ」とウソをついた。すると周りの人はさらに「誰かとぶつかったの? 自転車同士? 相手も怪我したの?」とまた矢継ぎ早。

「う~ん」と僕はうなって、「ひとりでコケました」とムニャムニャ。

どうも、ウソをつくのは心地が悪い。なるべくその話題から反らそうとしているのに、「〇〇さんは自転車でコケて背骨を折らはったんですよ」とか、「○〇さんは子供がいきなり飛び出して、それを避けようとして転倒して大けがをしはったんですよ」とか、自転車事故の話題が次々と出て、尽きなかった(泣)


折から中島美代子さんという人の書いた「らも」という本を読んでいた。著者は中島らもの奥さんである。十数年前に、酔っぱらって店の階段から落ち、頭を打って脳挫傷で亡くなった中島らもと、三十数年間、一緒に暮らしてきた人の、中島らもとの生活を追想した本だった。

中島らもの飲酒ぶりというのは、尋常ではなかった。その本によると、らもは奥さんに、「僕はお酒飲んでるから、そんなに長生きしない。覚悟しといて」と常々言っていたそうである。そして、しょっちゅう「階段から転げ落ちて死ぬという、そんなトンマな死に方がいいな」と言っていたとも書かれている。そして、中島らもは、言っていたとおりの死に方をしてしまった。

僕は中島らもほど大酒は飲まないが、それでもかなり飲む。心房細動への影響もあるので、ふだんはアルコール度の低いビールだけにするよう、心がけている。しかし、あのウダウダ会で泥酔してしまったときは、調子に乗って、日本酒をビールのようにごくごく飲んだ。美味しくて、気持よくて、いくらでも飲めた。それがあんな結果になったわけで、やはりいつ、どんな時もアルコール度の強い酒を飲んではダメだということを、改めて痛感した。(何回痛感しても、同じことをまた繰り返すんですけどね)

僕も、ひょっとしたらトンマな死に方をするかも知れない。

今回は周りの人にも大変お世話をかけてしまったし…。

本当に、いつまでたってもダメな私ね~ …でございます。

 

 

 

 

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「真田丸」あれこれ

2016年02月22日 | 映画の話やTVの話など

NHK大河ドラマ「真田丸」を楽しみにしている人は多いと思います。
視聴率も好調。安土桃山時代のいかにも乱世という時代背景の面白さ。
信繁(幸村)の父昌幸が、今のところ軸になって話は展開しているが、
この真田昌幸を、草刈正雄が魅力たっぷりに演じている。
この人は、容貌もいいけれど、声もすご~くいいですね。

そして、後半の大坂冬の陣と夏の陣が、今から楽しみで仕方ない。

それと、物語に直接関係ないけれど、冒頭の音楽も素敵ですね~


このドラマに、「国衆」という言葉が出てくる。
広辞苑をひくと、まず「領土内に土着の武士」とある。
次に「都で地方の侍をいう言葉」とあり、3番目に
「田舎の人」とも説明されている。
ありていに言えば、田舎者なんだ。

真田家も、大名ではなく、国衆→田舎者である。
まず武田家に仕え、武田が滅びると織田家に仕え、
そのとたんに信長が死んでまた真田は行き場を失う。
国衆というのは、まさに吹けば飛ぶような存在で、
強い大名につくことが唯一の生き延びる道ではあるけれど、
この情勢を読み取る力が、真田昌幸はなかなかのものだった。

織田に仕え続けるか、他に乗り換えるか、乗り換えるとしたら、
どこの大名が将来有望であるか…真田昌幸は智謀をめぐらせるのだ。
そんな父に振り回されたり、激を飛ばされたりして、
幸村とその兄は、乱世の中で生きる知恵を身につけていく…
…とまぁ、下手な解説だけど、今のところそんな展開である。

真田昌幸がこの次に仕えるのは豊臣秀吉だけれど、
ドラマには、今のところ秀吉は少ししか出てこない。
次は昌幸と秀吉が、いつ、からむのか、楽しみである。

さて、この大河ドラマは、NHK総合TV日曜の夜8時から…
…と、相場が決まっている。しかし、である。
妙なことに、NHKBSプレミアムが、
その2時間前、つまり午後6時から放映しているのだ。
第1回目に新聞のテレビ欄でそれを見つけたとき、
どうせBSだから再放送だろうと思った。でもねぇ、
再放送が本放送の前にするわけありませんしね。

なぜか、日本中のほとんどの人が8時から見るドラマを、
6時からやるBSプレミアムで先に見ることができるのだ。
それにしても、BSで再放送ならわかるんだけど、不思議です。
これなら、NHK総合の8時からの放送が再放送なんですよね。
まあ、余談でしたが…

そんな魅力たっぷりの「真田丸」だが、いささかの不満もある。

三谷幸喜の脚本だからコミカルなシーンもあっていいだろう。
それがドラマにいい味を醸し出している部分も多くある。
でも、行き過ぎると目ざわりになる。

そのひとつが、高畑淳子扮する薫(幸村の母)の言動だ。
何かというとすぐにわめくし、喜怒哀楽を激しく出しすぎる。
戦国時代の妻はそんなんじゃないだろ、というようなレベルでなく、
見ていてうるさいだけである。いい女優さんなのに、もったいないことだ。

それと、長澤まさみ(きり→幸村の生涯のパートナーらしい)である。
100パーセント今の若い人のしゃべり方をしているのだが、やっぱり
一応、時代背景があるのだから、その場にそぐわないし、耳ざわりだ。
「現代劇のせりふで時代劇を演じるのがミソ」と三谷さんの見解だが、
ミソも味が濃すぎるとウェっと吐き出したくなるんだから。

若い人たちは時代劇のせりふに慣れていないので、それを
わかりやすいようにという脚本の意図はわからないでもないが、

違和感だけ目立ち、若者に迎合しているようにも見えてしまう。
…というか、時代劇のせりふぐらい、若い人にもわかるはずだ。

長澤まさみの今どきのヤンキーみたいなセリフを聴いていると、
まるで現代から戦国時代にタイムスリップしてきた娘みたいだ。

そういえば、現代から戦国へタイムスリップした「信長協奏曲」
という、面白いドラマがあり、人気爆発で映画化もされている。

そういうストーリーならわかるけれど、
「真田丸」でタイムスリップしてきた娘なんてねぇ…
ストーリーと関係ないし、不必要だと思うんですけど。

 

ドラマといえば、もう終わりましたけど、NHK総合の
 「逃げる女」が、緊迫感があって見応えがありました。
 水野美紀がサイコーでした。終わってしまい、寂しい!

 

 

 

 

 

 

 

 

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ウフィツィ美術館で

2016年02月20日 | 旅行

ウフィツィ美術館は、イタリアルネサンス絵画で有名な美術館で、
近代式の美術館としては、ヨーロッパ最古のものの一つだそうだ。
イタリア国内の美術館でも、収蔵品の質、量ともに最大だという。

メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館で
古代ギリシアや古代ローマ時代の彫刻から、
ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、
ミケランジェロ、ラファエロらの絵画を中心に、
展示物は約2,500点にのぼる…とガイドブックに書かれていた。

で、僕はこういう「世界の絵画」というものに詳しいのかというと、
そうでもない。これまでの海外旅行先には有名な美術館も多かった。
そこへ入っても、ほとんどの人が知っているような絵しか知らない…
…という程度だということを、念のため申し上げておきたいわけで。
でも、絵画を鑑賞すること自体は、とても好きです~


さてウフィツィ美術館の中は、夕方だったせいか、人も少なくなっていた。
建物の3階に美術館があり、長い廊下に出る。
その廊下に沿って、展示室が並んでいた。

美術館に入ったところに、古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻が並び、
そして展示室が続いているのだけれど、第1室から第40数室まである。

前半が早期ルネサンス、中盤が盛期ルネサンス、後半が後期ルネサンス…
という具合になっているそうである。

その中に「ボッティチェリの部屋」というのがあって、
そこでお目当ての「ヴィーナスの誕生」を見たときは、

やはり、昔からその写真を見てきただけに、感慨深かった。


 

 

他にボッティチェリの作品は、現在東京で開かれている展覧会で、
目玉作品となっている「アペレスの誹謗」をはじめ、いろいろあった。 


 
  「アペレスの誹謗」(ラ・カルンニア)

 

 
  「春」(プリマヴェーラ) 
  ボッティチェリでは「ヴィーナスの誕生」と並ぶ有名な作品です。

 

   

          「柘榴の聖母」


 
 「東方三博士の礼拝」 
  ボッティチェリ初期の傑作と言われています。  

 

もちろん、ボッティチェリの作品以外にも注目すべき絵は多くあります。 
 

 
  レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」。
  聖母マリアが、神の子イエスを宿したことを、
  天使ガブリエルから告知される有名な絵ですね。

ところで、レオナルド・ダ・ヴィンチが
フィレンツェの生まれとだったは…
この旅行で初めて知ったことでした。
 


    
       「キリストの洗礼」
   ダ・ヴィンチと ヴェロッキオの合作と言われています。


そのほかにも、ウフィツィ美術館で必見…と言われる作品は… 


 
  ミケランジェロの「聖家族」 


   
    ラファエロの「ひわの聖母」 


 
  ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」


などがあります。

僕がもう少し絵画に造詣が深ければ、
もっと詳しくご紹介できたのですが、
これが精一杯です。あしからず。

  


 

 …というわけで、ウフィツィ美術館を出たら、
外はすっかり暗くなっていました。
2005年 <平成17年> 1月 )

ちなみに、この年の10月にモミィが誕生しました。

「ヴィーナスの誕生」です…なんちゃって。

(いくらなんでも、言い過ぎでっせ)


  

 

 

 

 

 

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フィレンツェの思い出 

2016年02月17日 | 旅行

イタリア・ルネサンスを代表する画家、ボティチェリの絵画展が、
東京の美術館で開催されていることを、先日の新聞で知りました。
ボティチェリの「日本初の大回顧展」と銘打たれていました。
日本イタリア国交150周年記念の催し…とのこと。

ボティチェリと言えば「ヴィーナスの誕生」が有名ですね  


 


学校の美術の教科書でもこの絵が出ていて、よく覚えています。
東京でのボティチェリ展にはその絵は来ていなかったようですが、
「代表作」と新聞で紹介されていた「アペレスの誹謗」というのは、
イタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館で見たことがあります。
もちろん、その時に「ヴィーナスの誕生」も見ました。

新聞記事を読みながら、そのフィレンツェ旅行のことが思い出されました。

 ………………………………………………………………………………

フィレンツェに夫婦で旅行したのは、11年前のことになる。
行先はフィレンツェのみ。往復の飛行機とホテルだけの予約。
そんな個人旅行だった。
これまでのブログにも書いたことがあるけれど、
旅の初日、フランクフルトでフィレンツェ行きの飛行機に乗り換え、
夜にフィレンツェ空港に着いて、タクシーでホテルへ行こうとしたら、
運転手が、きょとんとした顔で、
「フィレンツェのホテルだって? だんな、ここはボローニャですぜ」
と言ったときには、ひっくり返りそうになった。

「えぇ?」と事情を聴いてみると、フィレンツェは濃霧で着陸できず、
そこから100キロ以上も離れたボローニャ空港に着陸した…というのだ。
つまり、いま僕たちがいるところは、フィレンツェではなかったのだ。
機内放送がされていたようだが、そんなことは何も知らないままだった。

空港に着いて、周囲はやたら携帯電話をしているのが目についたけれど、
日本人は一人もいないし、何が起きたのか、全然わからないままに、
空港出口のタクシーでフィレンツェ駅前のホテルへ行こうとしたわけ。

まさにアッと驚く展開で、そのあと習いたてのイタリア語で四苦八苦しつつ、
何とか列車の駅へ行き、特急列車に乗ってどうにかフィレンツェに着けた…
…という、まったく思いも寄らぬ滑り出しになった旅行だった。

しかしまぁ、苦労した甲斐は十分にあり、
フィレンツェの街はとても素敵だった。


フィレンツェに着いた翌日、バスでシエナという街を見に行ったあと、
午後から、フィレンツェの中心となるドゥオモ周辺をぶらぶら歩いた。

昼食に入った店で、パスタを注文した時のこと。
妻も僕も同じパスタを注文したのだけれど、店のお姉さんは、
「ここにはいろんなパスタがあるのだから、2種類注文してよ」
と、勝手に別々の種類のパスタを持ってきた。なんとまぁ強引な(笑)。

パスタでお腹がいっぱいになったところで、街の中を歩いた。
すぐにドゥオモが見えてきた。
洗礼堂、ドゥオモ、ジョットの鐘楼などが並ぶ光景は絵に描いたようだ。
壮麗、華美、圧巻。こちらの身が、すくんでしまいそうだった。

 


 
  ドゥオモ(大聖堂)を背景に。


 
  カルツァイウォーリーはフィレンツェで最も賑やかな通り。

 

そこから、カルツァイウォーリーという通りを歩くと、
シニョリーア広場というところに出た。
映画「眺めのいい部屋」で、女の主人公がこの広場で、
いろいろな出来事に遭遇するシーンは、とても印象的だったな~

そこには彫像が並び、中にはミケランジェロ作のダヴィデ像もあった。
これはレプリカで、本物はこの近くのアカデミア美術館というところにある。

実はこのダヴィデ像は、今は美術館の中に置かれているけれど、
これが完成した時、どこに置くかが議論になりいろんな意見が出た。
その結果、このシニョーリア広場に面したヴェッキオ宮の、
正面入り口の脇に置く…ということに決まったそうである。
つまり、いま、このレプリカがあるところに本物があったのだ。



 
  シニョーリア広場からヴェッキオ宮を見る。
  建物の前にいくつかの彫像が並んでいる。

 

    
    その中にダヴィデ像(レプリカ)があった。
    元々、ここに本物の像があったそうだ。


さて、そのシニョーリア広場のヴェッキオ宮の、

奥のほうに行くと、有名なウフィツィ美術館があった。
冒頭のボティチェリの「ヴィーナスの誕生」などがある美術館だ。
メディチ家の収蔵品をもととし、ルネサンス絵画の宝庫と言われ、
フィレンツェに来たからには、必ずここへ入らなければならない。

しかし美術館は、どこが入口かわからないほど長蛇の列だった。
(ただし、団体客は並ぶことなく、別の入口から入って行った)

この時期は、わりに観光客の閑散期で、どこも空いていた。
しかし、さすがにここだけは多くの人が並んでいた。
たぶんこれでもまだ少ないほうかも知れないけれど、
午前中に、シエナの街を歩き回って疲れていたので、
ここでこれだけの列に並ぶ元気は残っていなかった。
また明日か明後日に来たらええわ…。

そう言いながら、僕たちはウフィーツィをあとにして、また歩いた。


 
  ウフィーツィ美術館には、長蛇の列が…
  

そして近くのドゥオモ付属美術館を覗いたら、ガラ空きだったので入った。
ここは「聖母子像が必見」…とガイドブックに書かれてあった。


  
  聖母子像の前で。撮影禁止の札は見えなかったので、パチリ。


ドゥオモ付属美術館を出て、次はアカデミア美術館へ行った。
どれも近くにあるので、歩いてもすぐである。

このアカデミア美術館で、いよいよ本物のダヴィデ像が見られる。
胸ワクワクで、ガイドブックの地図を眺めながら、テクテク。

そして、入口で一人8ユーロの入場料を払って美術館に入った。
ここも見学客は少なかった。とにかく、ダヴィデ像を見なければ…
館内を足早に歩いて行くと、向こうの方に凛々しく立つ像が見えた。
これぞ小学生の時から写真で見ていたダヴィデ像の「ほんまもん」だ。
ミケランジェロという名前も、中学校の美術の時間で覚えた。
周囲には僕と妻のほか誰もおらず、シーンと静まり返っていた。
ルーブル美術館にあるミロのヴィーナスは、4回見たけれど、
いつもそこは人だかりだった。しかし、今、ここは誰もいない。
僕と妻とダヴィデとの“3人きり“でありました~♪ 


  
   残念ながら撮影禁止だったので、
   ネットの写真を載せます。
   僕たちが行った時、ダヴィデさんは、
   一人ポツンと寂しそうに立っていました(笑)。
 


さて、そうこうしているうちに夕方近くになった。

僕たちはホテルに戻ろうと、来た道を引き返して行ったら、
ウフィツィ美術館に並んでいた人の列が、全くなくなっていた。
思わぬチャンス到来である。もちろん僕たちは、入口へと急いだ。

そして、他に誰もお客のいない窓口で、
一人9.5ユーロを支払って中に入った。

憧れの「ヴィーナスの誕生」に会えるのが、とても楽しみだった。

 

 

 

 

 

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将来の夢 二分の一成人式

2016年02月15日 | 日常のいろいろなこと

昨日の続きです。

5時間目の「二分の一成人式」の参観をするため、
妻と2人で教室へ行ったら、教室内は保護者で満員だった。

午前の3時間目の図工の授業は参観者の数は10人ほど。
4時間目の図書の授業などは、僕ひとりだけだったが、
さすがにこの「二分の一成人式」は、授業と言うよりも、
参観のために準備されたセレモニーだから、親たちも大勢駆けつける。

教室内は、机が全部後ろに固められ、椅子がズラッと並んでいる。
その椅子に、すでに沢山の保護者が座っていた。
閑散としていた午前中とはたいへんな違いである。
真ん中に空席が2つあったので、僕と妻はそこへ座った。

その保護者と向き合う形で、児童たちが並んで立っている。
モミィは最前列の中央にいたので、こちらからよく見えた。
(クラスの児童の数は全部で34名)

全員で合唱したり、詩を読み上げたりしたあと、個々の児童が、
「二分の一成人式 わたしの決意」という作文を読んだ。

児童たちは床に座り、順番が来ると、
立って前に出て一礼した後、自分が書いた文を読み上げる。

お母さん、僕を生んでくれてありがとう。
僕が今、こうしていられるのも、生んでくれたおかげです。
そして、お父さん、いつもやさしくしてくれてありがとう。
…という感じで作文は読み上げられてゆく。
「ほんまにそう思てるん?」と突っ込みたかったが(笑)、
ま、そんな意地悪いこと考えたら、子供たちに怒られますわ。

しかし、親への感謝の言葉に続いて「将来の夢」となると、
子供たちのいろんな思いが伝わり、聴いていても面白かった。

「僕の夢は、プロ野球選手になることです」
…という男の子が、2人いた。
ひとりは「大好きな阪神タイガーズに入って活躍したいです」
もうひとりは「巨人に入って、坂本のような選手になりたいです」
と、それぞれの希望を述べる。
後からモミィの話を聞くと、
「阪神ファンの〇〇クンは、ボールを落としてばかりしてるねんで」
「巨人ファンの〇〇クンは、空振りばっかりしてるねんで」
と言っていたけど、まさかね。笑わせるためのギャグやろ。

サッカー選手になりたい、という男子も2人いた。
2人とも、メッシのような選手になりたい、と言った。
メッシが、子供たちの間でも大人気なことがわかりますね。

面白いのは、野球やサッカーの選手になりたいその理由が…
全員、口をそろえるかのように、
「有名な選手になったらお金がたくさんもらえます。
 僕はお金をたくさんもらって、大きな家を建てて住みます」
あるいは、
「お金をたくさんもらって、みんなで海外旅行に行きたいです」
などと「夢」を語り、それでお父さんやお母さんを喜ばせたい…
というパターンの抱負が多かった。
つまり、有名スポーツ選手になって大金を稼ぐのが夢であると。

そのほかにも、
「今、一番やりたいことは勉強です」という子も沢山いた。
ほう、えらいなぁ、感心感心…と思いながら聞いていると、
「勉強していい学校、いい会社に入って、お金をたくさんもらい…」
と続いてゆくのである。あぁ、またお金!

中には「市議会議員になり、それから府議会議員になり、
それから国会議員になり、最後は総理大臣になりたいです」
と言う子もいました。これを“深謀遠慮”というのでしょうか。
これには、時間もお金も、ものすごくかかりそうですけどね。
モミィの同級生が総理大臣になったら、凄いことですよ~。

総理大臣とまではいかないが、公務員志望の子も多かった。
僕も公務員だったけど、昔は子供のなりたい職業には入っていなかった。
これも世情を反映してか、安定した職業を志向する子供が増えたのですね。

とにかく将来はお金を沢山持つ身になりたい、という子が多かった。
別に今も困窮しているわけでなく、満ち足りていると思うんだけど。

他には、学校の先生になりたい、パティシエになりたい、
ケーキ屋さんになりたい、歌手になりたい…という児童たちも。

また、看護師さんやお医者さんになりたい、という子も何人かいました。

モミィもそのうちの一人で、この発表の場で、
自分はナイチンゲールの伝記「クリミアの天使」
という本を読んで、とても感動したので、

人々の命を助けるために、お医者さんになりたい…
英語を話せるようになり、外国人の患者さんも治療したい…
…というようなことを、読み上げていました。 

モミィがお医者さんになれたらいいなぁ、
と、僕たち夫婦も思っています。

妻の兄が外科医で、甥の中にも現在2人の医師がいるので、
妻も、まぁ、もちろんモミィの自由意志は尊重するけれど、
できたらお医者さんになってほしいね、と言っています。

もっとも、これには猛烈な勉強が必要でしょうし、
それこそ沢山のお金も必要でしょうけどね…(ためいき)

 


* 過去ブログ参考 

「2分の1成人式」

 

 

 

 

 

 

 

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一人だけの授業参観

2016年02月14日 | 日常のいろいろなこと

12日の金曜日にモミィの小学校でフリー参観があった。
フリー参観とは授業参観のひとつで、この日の場合は、
3時間目(10:45~11:30)の図工の授業、
4時間目(11:40~12:25)の図書の授業、
そして5時間目(13:55~14:40)の「二分の一成人式」。
この3つの授業の全部あるいは一部をフリーで参観できるというもの。

午前中に所要があった妻は、午後の「二分の一成人式」だけを参観。
一方、僕は、午前・午後の全部の授業を参観することにした。


教室に着くと、3時間目の図工の授業が始まったばかりだった。
教室の廊下に、お母さんたち7、8人が立っていた。
教室内には、後ろで参観している保護者が一人もいなかった。
お母さんたちは、廊下に立っておしゃべりなどをしている。
その中の一人のお母さんに、
「どなたも教室に入られないんですか?」と声をかけると、
「えぇ、どうぞ、どうぞ、入ってください」とおっしゃった。

教室に入って行くと、児童たちがいっせいに僕のほうを見た。
小さく手を振る女の子もいた。わが家によく遊びに来る子だ。
他にも、幼稚園時代から知っている子供たちも、かなりいる。
子供たちも僕の顔を知っているので、チラチラとこちらを見る。

…ということで、図工の授業が始まって10分ぐらいは僕一人だった。
授業参観なのに、お母さんたちは廊下で私語をしている。
教室の前には、「廊下で話さず、教室へお入りください」
との意味のことが書かれた貼り紙がされているというのに。

しばらくしてから、やっと皆さん、ゾロゾロと入ってこられた。

図工の授業では、みんな版画を作っていた。
真剣な表情で、彫刻刀に力を込めていろんな絵を彫っている。
モミィは一番前の席だったので、僕の所からは見えにくかった。
ただ、一般の教科のように、先生の質問に児童が手を挙げて答える…
というやり取りがないのが、少し寂しい。ただ作業するだけだから。
で、その時間中に版画が完成するわけでもなく、あとは次回へ続く。
図工の授業は、どちらかと言うと、参観には向いていないようだ。


次の4時間目は「図書」の時間という。これも、参観では初めてだ。
どんな授業なのか、興味を抱いて2階の教室から1階の図書室に移った。
そこには、僕以外、誰一人として参観者の姿が見えなかった。
どうやら午後の参観もあるので、皆さん、帰られたようだ。

図書室の前で、中の様子をうかがっていたら、担任の先生が、
「〇〇さん、どうぞ中へ」と僕の名を呼び、僕が入ると、
椅子を置いて「ここへ、どうぞ」と勧めてくださった。
僕は個人懇談会でも先生と何度か会っているので、
名前と顔を覚えてもらっていたようである。
そこに座って、今度こそ最後まで僕一人だけの参観になった。

広いスペースに沢山の本が棚に並んでいる部屋で、児童たちは、
室内の前のカーペットが敷かれた場所にひしめいて座り込んだ。

図書の先生という女性がおられ、児童の前で1冊の絵本を出し、
それを児童に読んで聞かせる。本は「茂吉と猫」という題だった。
先生の読み方が上手なのと、物語が面白いので、僕も引き込まれた。
さっきの図工より、ずっとこちらのほうが面白い…
…と「番外児童」だった僕は、思ったのであります。

そのあと、「物の数え方」という本の紹介があった。
先生は、「たとえば、動物の呼び方はどんなのがある?」
と質問すると、「は~い、ひき(匹)です」と児童。
「そうよね。ほかにも、あるかなぁ?」と先生が言うと、
別の児童が手を挙げて「頭です~。一頭、二頭」
「そうね。原則的には、人間より大きい動物を頭と数えるのよ」
と、先生が捕捉説明をする。すると、また別の子が、
「先生、まだあるで」と手を挙げ、「はい〇〇さん」と指名されたら、
「え~っとね、『ぴき』で~す」とその児童が答えた。
「あのなぁ、それは『ひき』とおんなじやろ」と先生が笑う。
僕もつられて「観客席」で笑ってしまった。

「は~い。わ(羽)もあります」と、また別の児童。
「そうね。鳥なんかは『わ(羽)』と数えますよね」と先生。
「ところで、ウサギはいちわ、にわと数えるのはなんでかなぁ?」
と、児童たちに質問する。誰も答えられない。僕も知らない。
先生は、
「昔、お坊さんはお肉を食べられなかったの」と話し始める。
「へぇ~、お肉、食べられへんかったの?」と驚く児童たち。
「それでも食べたいから、ウサギのお肉を食べたのよ」
「ふむふむふむ…」という顔で、話を聞き入る児童たち。
「でもお肉はダメだから、これは二本足だから鳥だ、と言ってね」
「ふむふむふむ…」
「つまり、ウサギを鳥だと言ったので、一羽二羽と数えるようになった」
「ふむふむふむ…」
「…というのがひとつの説です。いろんな説があるそうですけどね」

な~るほど…と、僕も感心した。知らなかったなぁ。

まあ、そんな話がいろいろあって、
「では、皆さん、これから読みたい本を探して、借りてください」
との先生の言葉があって、児童たちは散らばって本を探し始めた。
本好きのモミィが、仲良し友達と一緒に本棚を回っているとき、
僕が近づいて「では、帰るよ」と伝え「バイバ~イ」と手を振った。

モミィも手を振ったが、その振り方はそっけなく、
「早く帰ってよ」みたいに見えたのであります(笑)。
やはり、みんなの前で照れ臭かったのかも知れません。


これで午前の部は終わり、いったん帰宅し、昼食をとってから、
今度は妻と2人で、5時間目の「二分の一成人式」の参観に出かけました。

 

  

 

 

 

 

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悲しい事件

2016年02月12日 | ニュース・時事

兵庫県赤穂市で60代の夫婦が殺害された事件は、
夫婦の息子(19)が犯人だったということで、
いろいろと考えさせられるところがあった。
ま、息子といっても実際は孫だそうだけど。

報道によると、19歳の少年は働いており、
給料のほぼ全額を夫婦に渡して家計を支えていたという。
そして、小遣いは月1万円程度だった、とのことである。
殺害動機は「友達と遊ぶ金が欲しかった」ということだ。
19歳の遊び盛りで月1万円はあまりにも少ないだろうし、
しかも給料のほぼ全額を家に入れているのだから、
理不尽感が高じても仕方のない話のように思える。

といって、遊ぶ金のためにハンマーと包丁で
肉親を殺すという行動は、ふつう想像できない。

そこに至るまで、どんないきさつがあったのだろうか?

息子が勤める会社の人は、
「真面目でおとなしい模範的な子だった」
「仕事ができないくらい家族の介護で疲れていた」
と述べていたそうである。

父(祖父)は人工透析を受けていて、副作用で体が痛む時は、
背中を一晩中さすったりして世話をしていた、との話もある。
それが一転して殺人事件に変わった。あまりにも悲しい事件である。


このニュースを初めて聞いたとき、69歳と64歳の夫婦に、
19歳の息子とは、またずいぶん年が離れているなぁと思った。
その後、息子は夫婦の実の孫であり、養子にして息子になった…
ということを知って、あっ、そうだったのか、と納得した。

実際は孫だけれど、戸籍上は子供…というのは、わが家と同じだ。
モミィも実の孫だけれど、戸籍上は養女、つまり「娘」だから。

そこの家庭は、いったいどういう実情だったのか。

そして、養子縁組までして「息子」にした孫に殺害されるという、
このご夫婦の人生って、いったい何だったのだろうか…とも思う。

他人には、はかり知れないことだろうけど、
本当に、胸の芯まで痛みを感じるような事件だった。

 

 

 

 

 

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「育休宣言」 の国会議員が…

2016年02月10日 | ニュース・時事

  
  本日発売の週刊文春にこんな記事が… 

 

おはようございます。
今日も京都に関係のある話です。
話の中身はゼンゼン違いますけどね。


昔から週刊誌の中では週刊文春が一番好きで、よく買って読んだ。
しかし最近は、書店やコンビニへ行っても、あまり文春を見ない。
つまり、早々と売り切れてしまっているのです。

それだけ、人気が高い雑誌だというわけで。

最近も、ゲス&ベッキー騒動や甘利前大臣の賄賂疑惑をはじめ、
スクープ記事を連発。その取材力はすごいなぁ、と思います。

清原の薬物問題などは、すでに2年前に、
「清原和博 緊急入院 薬物でボロボロ」
と題されたスクープが掲載されていたそうだし、
歌手ASKAの薬物疑惑を最初に報じたのも文春でした。

そして、今日発売の週刊文春には…

育児休暇の取得を宣言していた宮崎謙介(35)衆院議員が、
妻・金子恵美衆院議員(37)が出産のため入院中の時に、
京都の自宅マンションで美人タレント(34)とお泊り…
…という、ちょっと、びっくりする記事が載っていました。

この件に関しては、昨日も少しだけテレビで報じられていた。
その問題の記事が載った文春が、今日発売されるということで、
今日のテレビのワイドショーのトップは、ほとんどこれだと思う。
たぶん1日中、宮崎議員がテレビ画面に映りっぱなし、なのでしょうね。

宮崎議員の育児休暇問題については、
多額の歳費や、月100万円もの文書通信交通滞在費、
その他諸々の手当てなどをもらっている国会議員が、
育休中でもそれらが全額支払われるのはおかしいし、
選挙で選ばれた者が私事で議員活動を休んでもいいのか?
…という反対意見も多かったが、
「男性も育休を取るのは今の社会情勢からみて当然。頑張って~」
…という賛成意見も根強く、注目されていたところだった。

国・地方を問わず「議員」という存在には、僕も深い関心がある。

その「イクメン」議員が、妻の入院中に他の女性と関係していた、
というニュースだから、そりゃぁマスコミも飛びつきますよね。

僕は今朝5時に起きて、新聞の週刊文春の広告欄を見たのですが、
「育休国会議員・宮崎謙介の “ゲス不倫” 撮った」
という見出し。

ふ~む。読んでみたいなぁ…という誘惑に勝てず、
まだ真っ暗な中を、近所のコンビニへ走りました。
早朝だから、週刊文春も本棚に沢山ありました。
で、それを買ってきたので、少し紹介しますと…
冒頭の写真と同じものですが…

  


つまり、1月30日から31日にかけて、この女性(写真右端)が、
宮崎議員の地元・京都のマンションに泊まったという記事です。
(写真中央は宮崎議員の奥さん。2月5日に出産されました)

 

    

で、これは、上が宮崎議員がマスクをしてマンションから出てきたところ。
下はそのすぐ後でこの女性タレントが出てきた、という2つの写真です。
(よくまぁ、文春もこんな写真が撮れたものですね)

少なくとも、これで、男性国会議員が育児休暇を取る、という
画期的になったかも知れない局面が急転したことは間違いないでしょう。
育児休暇の推進という一連の言動は、スタンドプレーだったのか…?

いずれにしても…
女性の味方・愛妻家…という讃辞は、一転して惨事に変わりました。

(すみません。ここで笑わないと、笑うところありませんよ)

この議員は、育休どころか、議員の地位すら危うくなったのでは。


ちなみに、相手の女性タレントというのは、文春記事によると、
宮沢りえ…じゃない、宮沢磨由(まゆ)という女性だそうです。
彼女のブログには1月30日と31日に京都へ行ったことが書かれ、
週刊誌の話が出たとたん、急きょ削除された…ということです。

宮沢磨由(まゆ)というタレントさん、僕は知りませんけどね。


ということで、今、午前7時です。
では皆さん、おはようございます…
じゃなくて、さようなら~でした。

 

 

 

 

 

 

 

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ウダウダ会 京都1周トレイル

2016年02月08日 | ウォーク・自転車

1月31日の日曜日。
「日本ウダウダ会」のメンバーで、京都を歩いてきました。

「京都1周トレイル」とはまた大げさなタイトルですけど、
これはタイトルだけです。看板に偽りは…あります(笑)。
もちろん、京都を1周したわけでは、ありません。

下のマップが京都1周トレイルですが、この中の西側のコース。
愛宕山、高尾とある場所のすぐ下に清滝というところがあります。
この清滝から南下し、化野(あだしの)念仏寺を通り、嵐山まで、
…という、京都1周トレイルのほんの一部分だけを歩いたのです。
(でも、変化に富んで見どころの多い素敵なコースでした)

     

下は、見にくい地図で恐縮ですが、左上に清滝とあります。
そこから鳥居本~嵐山のコースをたどったというわけです。
(余計わかりにくかったりして)

      

 

 

さて、好天に恵まれたこの日、ウダウダ会一行はマイクロバスで
清滝まで行き、そこから嵐山をめざして歩きました。
 

 

      
   さぁ、出発。案内板の「愛宕山、落合方面」の方向へ。

 

   
   清滝川沿いの小径を歩く。豊かな森林や清流は、まるで別天地。

 

   
   何だか「崖っぷち」みたいな場所で記念撮影です。
   ズルッと滑り落ちそうで、ちょっと怖かったです。
   

 

   
   川沿いの小径と分かれて、舗装された道路に出て、
   ずんずん登り道を歩き、上がりきった所が六丁峠。
   そこから、トロッコ列車の保津峡が見えました。

 

   
   コースの随所にこの道標がありました。
   さすが人気のトレイルですね。
   マラソンや自転車で行く人もいました。

 

   
   こういう案内図もコースで多く見られました。
   僕たちが歩いてきたのは、矢印の左側の清滝、落合、
   六丁峠のコースで、ここから鳥居本、嵐山へ向かいます。

 

   
   鳥居本にある愛宕神社一ノ鳥居。

 

   
   化野(あだしの)念仏寺を拝観しました。
   石仏石塔群で有名だそうです。

 

   
   ここは瀬戸内寂聴さんの「寂庵」で、何か工事中のようでした。

 

   
   その中をちょっと覗いてみました。   

 

    
   
   このあたりは奥嵯峨という地区になるそうです。
   ここから、百人一首で有名な小倉山が見えるとのこと。
   もっともここに限らず、これまでのコースからも見えたはずですが、
   どこも山々が重なり合っているので、どれが小倉山なのか…
   結局わからずじまいという、なんのこっちゃの結果となりました。

  

 

   
  ここは、小倉山二尊院。
   藤原定家が百人一首を選定したと言われる時雨亭(しぐれてい)は、
  このあたりにあったと伝えられています。

 

   
  トロッコ嵐山駅へ出ました。「定休日」の看板が見えます。
  「12月30日から2月末日まで運休期間でございます。
   2016年は3月1日から運転を開始いたします」とありました。
  定休日といえば1日だけみたいですが、3ヵ月間「定休日」です。

 

   
   有名な「竹林」です。この辺に来ると観光客も多くなってきました。

 

   
  マイクロバスの待つ場所も近づいてきた頃、
  清涼寺(嵯峨釈迦堂)が正面に見えてきました。

 

ということで、ウダウダ会の今年最初のウオーキングが終わりました。

ところが…
そのあと大阪へ帰っての宴会で、僕は酔って足がよろけて転倒し、
顔を打ってケガをする…という情けない事態を引き起こしました。
そして、お2人の大先輩に、自宅まで送っていただいたのでした。
(大変お世話になり、ありがとうございました)

歩く会の締めくくりは「徒歩」ならぬ「とほほ」でした。


翌日、ウダウダ会のメンバーのお1人から、

「のんちゃん、飲みすぎ。お大事に」
とのメールをもらいました。

まったくそのとおりございます。
以後、気を付けます。 とほほ。

 

 

 

 

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英検の結果が出ました

2016年02月06日 | モミィの成長日記

モミィが先月24日に受けた英検(4級)の合否結果が、
昨日、午後3時からインターネットで発表されました。

で、午後3時になるのが待ち遠しかったわけですが、
午前中はウオーキングを兼ねて約10キロ先の税務署へ、
パソコンで作成した確定申告の還付申告書を提出に行き、
帰宅したらまだ午後12時半。
こんな時に限って、時間の経つのが遅いんですよね。

そして、やっと午後3時となり…
日本英語検定協会のホームページを出し、
画面の右側の「合否結果閲覧の方はこちら」
とある下に「本会場(公開会場)で受験した方」のところを
クリックすると、英検IDとパスワードの入力画面が出てきます。
あらかじめモミィのIDとパスワードは与えられていますので、
それを入力してログインしようとすると、
「大変混雑しておりますので後で改めてアクセスしてください」
とのメッセージばかり出て、10分以上待たされました。
そしてやっとつながり、結果が出てきました。

その結果は、うれしいことに合格でした。
筆記が35問中21点、リスニングが30問中25点。
…ということで、65問中、46点でした。
合否のラインが40点だったので、何とかいけました。
合格者の平均点は50点と出ていましたので、
モミィは下位の方ですが、それにしても、
よく合格できたことだなぁ、と思います。
得意のリスニングで点を稼げたのがよかったです。

去年の10月に5級に合格した後、4級はかなり難しかったので、
合格は無理みたいで、今回は受験を見送ることも考えました。
でも、とりあえずチャレンジしたことで、ホントよかったです。
1月に入ってからの急ピッチの追い上げが功を奏したようです。

2月15日に合格証書・合格証明書が送られてくるとのこと。

これで一昨年2月から受け始めた「児童英検」の、銅・銀・金から、
去年の英検5級、そして今回の4級と、5連続合格を達成できました。

次は6月、その次は10月と試験がありますが、
これからは、そう簡単にはいかないとは思いますけど。

3級からは二次試験(面接形式のスピーキングテスト)もあり、
難度はますます上がっていきますが、モミィが結構やる気なので、
何とか今年中には、3級に合格したらいいなぁ、と思っています。


そんなことで、
昨日は妻の誕生日でもあり、二重におめでたい1日でした。

 

 

 

 

 

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物忘れ 人忘れ

2016年02月03日 | 日常のいろいろなこと

つい昨日のこと。
図書館で借りた本をそろそろ返さなければならないので、
本棚の隅に並べてあったそれら5冊の本を確認すると…
4冊しかない。借りたのは間違いなく5冊である。
おかしい。いつも一緒にまとめて置いておくのに。

あちらを探しこちらを探し…してみたが、見当たらない。
わが家のどこかにあるはずなのだが、どうしたんだろう?

落ち着いて考えてみると、思い当たることがあった。
先週の火曜日に、2か月に一度の検査で病院へ行った。
その待ち時間に読むため、1冊をリュックに入れたのだ。
「あ、そうか」と思い出し、さて、どのリュックかと迷う。
お出かけ用、コスパ用、ウオーキング用、買い物用、その他、
僕はリュックが好きなので、いろんなリュックが家にあるが、
病院にはどのリュックを持って行ったのか、忘れた。
で、そこらじゅうのリュックを探したら、やれやれ…
ようやく一つのリュックの中からその本が出てきた。

こんなことが、最近、頻繁に起きる。
いわゆる、物忘れである。年々ひどくなってきている。
図書館の本のことも、思い出すまでかなりの時間がかかった。
まだ思い出しただけ、マシですけどね。

何かをしようと階段を上がってその部屋に行ったら、
何しにここへ来たのか忘れて、部屋に立ち尽くして茫然となる。

新聞を取りに行くのに外に出ようとしたけれど、
玄関に財布を置きっぱなしにしていたのを見て、
「あ、片づけなくっちゃ」と、それを持って引き返す。
すでに、新聞を取りに玄関まで行ったことを忘れてる。
あれ? 何しに行ったんやろ? としばらく考え、
あ、そうそう、新聞やんか、と思い出してまた玄関へ。

もう、こういう事例は上げればキリがない。
毎日、何度かこんなことがある。
どんなことかと、今ここで書きたいのだが、
それも、おおかた忘れてしまいました(笑)

物忘れだけではなく、「人忘れ」もある。
前回のブログで、新しい知り合いが増えると、
昔の知り合いの顔を忘れてしまう、と書きました。

元々、人の顔を覚えるのは得意でない僕である。
先日、コスパも休みだし、いい天気だったので、
長距離ウオーキングに出た。その時のことである。
傍らで信号待ちをしていた軽自動車のクラクションが鳴った。
見ると、運転席から僕に手を振る男の人がいた。
近づくとその男の人は、
「やぁ、久しぶりぃ。歩いてるんやね」と言った。
助手席には奥さんらしい女性が座っている。
しかし、僕にはそれが誰かわからなかった。
「はぁ? 失礼ですが…」と恐る恐る切り出すと相手は驚き、
「えっ? わからんの? 僕やがな、〇松やがな」と言われ、
よ~く見ると、市役所に勤めていたころの職場仲間であった。
年齢も僕と同じで、退職した時も同じ。約7年ぶりに会った。
「あぁ、〇松さんか。いやあ、久しぶり。元気?」
と、僕がそこまで言ったところで信号が青に変わり、
「あ、そしたら、どうも」と軽自動車は発進して行った。
ふ~む。それにしても、〇松さん、あんな顔、してたかなぁ。

もうひとつ、書いておきます。

モミィをマック体操教室に連れて行ったときのこと。
普段は妻が連れていくのだが、その日は久しぶりに僕が連れて行った。
体操教室は午後5時から6時まで、広い体育館で行われている。
みんな小学生なので、お母さんたちが連れてきて、見学している。
僕も、隅のほうの見学用スペースに座って子供たちを眺めている。

さて6時になり、体操が終わり、帰る準備をしていたら、
近くにいた30代後半ぐらいのお母さんが僕を見て、
「あらぁ、こんにちは~」とニッコリ。
「お元気そうで何よりですネ」と言われたけれど…
だれ…?
懸命に記憶をたどるが、見当がつかない。
最初は「あ、こんにちは」と反射的に返答したけれど、
その人が近づいてきて、さらに話しかけてきたので、
「え~っと、え~っと」と僕が戸惑っていると、
「あ、覚えておられませんか?」と意外そうな表情をされた。
「はぁ…」と、僕は何だか申し訳ない気持で、うなずいた。
「菊〇ですよ。お久しぶりです」
と、聞いて、「あっ」と思い出した。

もう10年以上も前のことになるけれど、
僕が市役所の議会事務局で仕事をしていた時、

20代の若くて可愛い系の女性議員がおられた。
1期(4年)だけで議員は辞めてしまわれたが、
なにせ若い女性議員なので印象には残っている。

体育館で声をかけてこられたのは、そのご本人だったのだ。
子供さんもおられるので、たぶん苗字は変わったと思うけれど、
僕にはもちろん旧姓で名乗られた。
でも、僕はその元女性議員の顔をすっかり忘れてしまい、
菊〇です、と言われても、名前でその人を思い出すだけで、
改めてお顔を見ても、あぁこの人だった、という記憶が湧いてこない。

物忘れもどんどんひどくなってくるけれど、
これから「人忘れ」もひどくなっていくのかも知れない。トホホ。

 

 

 

 

 

 

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