僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 だらだら日記

2008年09月17日 | 日常のいろいろなこと


9月某日

新聞によると、共和党の女性副大統領候補ペイリンさんのトレードマークである縁なしメガネは日本製だったとか。製造会社は福井市にあるらしい。それがアメリカで評判になり、福井市の会社にアメリカ人からのメガネの注文が殺到しているという。なんだか福井市も、ペイリンさんのメガネのおかげで一躍盛り上がった感じである。

福井と言えば、ちひろさんも訪れた「ちりとてちん」で知られる小浜市も、福井県だ。こちらは民主党のオバマ候補と同じ名前だから、小浜市ではオバマ氏に声援を送っているそうだ。「オバマ候補を勝手に応援する会」というのも存在するらしい。なんのこっちゃ。

福井県内で、ペイリン派とオバマ派との対立…ってなわけ、ないだろうけど。


9月某日

モミィやソラを乗せる自転車を買うために、モミィを連れてジャスコに行く。

ハンドルの手前部分に幼児用の座席が固定されている自転車があった。実際にモミィを乗せてみて、よさそうだったので買うことにした。本体だけで3万6千円也。後部荷台にも幼児席をつけてもらい合計4万円を超した。なかなかの値段である。

ついでにヘルメットも必要なので、いろんな子供用のヘルメットをモミィの頭にかぶせてみる。それぞれ頭のサイズは表記されているのだが、適度な大きさというのがよくわからない。モミィはちょっと頭が大きいみたいに思うんだけれど…。
「頭のサイズ、なんぼやろうなぁ…?」と僕がぶつぶつ言うと、横でモミィが、
「あのね、モミィちゃんは、にさい」と言った。
2歳…は知ってるっちゅうねん。言うてるのは頭のサイズのことやがな。


    
   「プリキュア5」 のヘルメットで~す



9月某日

じゃいさんが送ってくれたコメントの中に、「月光仮面」の懐かしい映像が貼り付けられていた。月光仮面は、僕ら団塊世代の「元祖ヒーロー」だった。

その映像は「♪ど~この誰かは知らないけれど」という曲とともに、月光仮面が覆面をつけ、さっそうと白いマフラーをなびかせてスクーターに乗っている映像だ。
             

 http://fr.youtube.com/watch?v=BrLa1CpMK6w&feature=related


どこへ向かっているのだろうか…? 
ユニクロへ、新しい覆面を買いに行くのか?
ふむ。ユニクロは、この時代にはなかったしな~。

月光仮面はその名のとおり、月の光を背に受けて現れる「夜の人」である。
しかし、この映像は昼間である。そばに普通の車両も走っているし、周囲はごくありふれた風景だ。こんな場所で、こんな格好をしてスクーターを運転をしていると目立ち過ぎである。警官に止められて、職務質問を受けるのではないだろうか。そのとき彼はどうするのか。ちゃんと運転免許証を持っているのだろうか…? 持っていなければ交番に連行されるだろうし持っていたら本当の名前がわかってしまう。これはヤバい。まさか免許証の氏名が「?」となっているわけでもあるまい。
さて月光仮面の運命はどうなる…? 

それを考えると、気になって気になって仕方がない。
…ヒマか、僕は?


9月某日

…で、ヒマなのでビデオで「古畑任三郎」の「イチロー編」を見る。
見るのは、これが2度目である。やっぱり、つまらない。

イチローを出演させたというお手柄を自慢しているだけのストーリー。
古畑任三郎シリーズの最低駄作だ。ぷんぷん。


9月某日

夜、NHK総合テレビで懐かしの歌番組をやっていた。
その中で、なんとまあ、ピンキーとキラーズが出ていた。
「恋の季節」が大ヒットしたのは昭和43年だったそうだ(そないなるか…?)。
あ~、これぞまさしく40年前(最近、なぜか40年前という話題が多い)。
当時、ピンキーこと今陽子は16歳だった。
その歌唱力は16歳とは思えぬ迫力があったが、もう56歳…。
ふ~む。これも、あのセーラー服の薬師丸ひろ子が「三丁目の夕日」でおっかさん役をしていた以上に驚いた。歳月人を待たず。そりゃ誰でも年いきますわね~。

ピンキーとキラーズも久しぶりに聴いて胸が躍ったけれど…
でも、やっぱり出ていた歌手の中では、坂本冬美が一番よかったナ~。

  ♪ 熱かぁ~ 熱かぁ~ こころもからだも~熱かぁ
    惚れた女(おなご)を抱きたけりゃ
    火傷(やけど)かくごで 抱かんとね~ 
    抱かんとね~

「火の国の女」は、聴いているだけで力が入るとよ。
ほんまに、よか歌じゃけんね~。(何弁や…?)


9月某日

読書の秋である。
テレビばかり見ていたらアホになると昔に学校の先生から言われたのを思い出したので、「OL川柳」という本を書架から引っ張り出してパラパラ眺める。

 呼び捨てに されてもいい人嫌な人

 パソコンも 上司もバージョンアップして

 きれいより 上手といわれる この化粧

 食事会 座席の場所で 味変わる

 幸せは 悩まぬ人にやってくる

 部分やせ やせたい部分が大部分

 おやじギャグ うっかり笑うと二連発

 これお願い お願いしてないその態度

 「調子どう?」 あんたが聞くまで絶好調

 雑用を 雑に処理して依頼阻止

 器量よりいつも酒量をほめられる

 はい終わり 愛想笑いも定時まで

 ナンパされ 無視するつもりが 道聞かれ

 幸せに「してね」は遅い「してあげる」

 顔笑顔 財布は涙 披露宴

  ……………


            まあ、今日はこんなところで…。

 

 

 
 

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 「人間の証明」や「飢餓海峡」や

2008年09月15日 | 映画の話やTVの話など

アナザービートルさんのコメントに「人間の証明」のことが書かれていた。
角川春樹が「犬神家の一族」に続いて世に出した映画だった。
昭和52年に封切られた映画で、「砂の器」の3年後の作品である。

実は昨日「砂の器」の話を書きながら、映画「人間の証明」のことを思い浮かべていたので、アナザービートルさんのコメントを見て驚いたのである。2つの映画は、それはそれは、よ~く似た映画なのだ。

「人間の証明」は、僕から見れば、「砂の器」の二番煎じであり、二匹目のドジョウを狙ったものであった。角川得意のTVでの宣伝作戦により、興行成績はよかったかも知れないが、映画としては単なる娯楽作品にとどまっていた。ストーリーに必然性が欠け、説得力が薄かった。

「キスミー」という言葉から「霧積」が割り出され、「ストロハ」という殺された男の最後の言葉から「ストローハット」と結びつき…。タクシーの車内からは、殺された男が忘れたと思われるボロボロの『西条八十詩集』が発見される…。

なかなか面白そうな出だしだったけど、NYロケなどを敢行したわりにはあまり印象に残るようなところのない凡作であった。

しかし映画はともかく、何といっても大ヒットしたのは、当時、毎日毎日テレビCMで流された映画の宣伝文句である。これを知らない人はいないほどであった。

  母さん、ぼくのあの帽子、どうしたでしょうね
  ええ、夏、碓井から霧積へ行くみちです
  渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ

そのナレーションとともに、麦藁帽子のような形をしたホテルが映るのだが…。
このフレーズと主題歌だけが先行し、それだけで有名になった映画である。

フレーズと主題歌が良かったわりには、映画本体は、あまりに偶然のシーンが多すぎて、がっかりした。刑事役のハナ肇と松田優作のコンビも不自然過ぎ、松田優作は独特の存在感を示していたが、映画の流れに溶け込んでいなかった。ハナ肇にいたっては、単なるトンマ刑事であった。「砂の器」の丹波哲郎・森田健作の絶妙の呼吸には、はるかに遠く及ばなかった。

「砂の器」は、「宿命」を背負った父と子の物語だった。
「人間の証明」は、「宿命」を背負った母と子の物語だった。

「砂の器」では、人気絶頂だった天才ピアニストの加藤剛が、突如目の前に現れた自分のいまわしい過去を知る男を殺害する。「人間の証明」では、人気絶頂の女流デザイナーの 岡田茉莉子が、これもいまわしい過去につながる自分の息子を殺害する。やっとつかんだ栄光から、再び過去へ引き戻されようとする恐怖と苦悩。そのあげくに罪のない人を殺害してしまう主人公…。

このパターンで、僕がこれまで見た映画の中でも最も印象深いものの一つとして、少し古いけれど、水上勉原作の「飢餓海峡」を挙げることができる。

昭和40年に内田吐夢監督、三国連太郎主演で映画化がされた。
僕は、昭和44年の自転車旅行のとき、函館から下北半島へ向かうフェリーの甲板に立って、海の景色を眺めながら、この映画のことを考えていたことを思い出す。

「飢餓海峡」の主人公がこの海峡を小舟でわたり、下北半島の仏ヶ浦の絶壁にたどり着く場面が、鮮烈な印象を残していた。

その男、犬飼(三国連太郎)は北海道で起こったある事件に関わって追われる身であった。ひとりでボートを漕いで函館から下北へわたり、仏ヶ浦の断崖絶壁でボートを焼いて逃走する。そして、下北の花町で純心な娼婦八重(左幸子)と知り合った犬飼は、一夜で彼女に惹かれ、事件で得た大金を渡して姿を消す。その大金のおかげで自由の身になれた八重は、東京へ出て生活をはじめる。

数年後、八重は偶然に、忘れ得ぬ恩人である犬飼の顔を、新聞で発見する。
京都府に住む名士が、大金をどこかへ寄付したという記事の内容だった。
その名士は、名前こそ犬飼ではなかったが、写真の顔はまぎれもなく彼であった。
八重にとっては、1日たりとも忘れることのなかった懐かしい恩人の顔であった。

八重は犬飼に一目会って礼を言いたい一念で、京都府へ行く。
そして犬飼の住む豪邸を訪ねる。現れたのは、間違いなく犬飼本人であった。
犬飼は地域で有数の資産家になり、地元の著名人として名声を得ていた。
八重は涙を流し、かつて下北の花町で大金を頂戴したお礼を言う。
犬飼は八重に「私ではない。人違いだ!
」と言いながら、戸惑い、狼狽する。
いまわしい過去を葬り、名前も変えて生まれ変わり、地方の名士として成功した今、八重の出現は、そのまま過去の北海道での犯罪の露見につながってゆく…。

ついに犬飼は、八重と揉み合った末に殺してしまう。
死体となった八重の所持品から、新聞の切抜きが出たことで犬飼は逮捕される。
そして、過去の北海道の事件が発覚し、彼は北海道へ護送される。
函館が近づいてくる津軽海峡で、犬飼は船の上から身を躍らせて海に飛び込む…。
物語は、冒頭とラストでこの海峡が舞台になっていた。

この「飢餓海峡」は小説、映画ともに強い感銘を受けた。

「氷の華」から「砂の器」を思い出し、そこから「人間の証明」を連想し、さらに「飢餓海峡」にまで思いを馳せた。

昔の映画を再び見たり、思い出したりするのは楽しい。

気持が若返ったなあ~という感じもするし、でもその反面…、

「昭和○○年の映画」と聞くと、年取ったなあと思ったりもするけれど… 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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米倉涼子と 防災訓練と ピーター

2008年09月14日 | 映画の話やTVの話など


9月某日

1週間前の土・日曜日に2夜連続で放送されたミステリードラマ「氷の華」を、ビデオに録画していたので一挙に見る。米倉涼子主演。見応えのあるドラマだった。

主人公は人気ピアニスト。小学生の頃、両親がおぞましい事件で亡くなり、病院などを経営する金持ちのおじに引き取られて育てられるが、そのおじが車にひき逃げされて全遺産を相続することになる。医師である夫(堺雅人)は院長におさまる。
(後で、ひき逃げ犯人は夫であることが判明する)

ある日、彼女(米倉)に見知らぬ女から怪電話がかかってくる。夫の子を妊娠しているという。医師である夫から不妊症と宣告されていた彼女は衝撃を受け、その女性を毒殺することを計画し、トリックを使って実行する。しかし、それは、夫と、夫の別の愛人とによる罠で、彼女を凶行に走らせるための謀略だったのだ。彼女が毒殺した女は、夫とは無関係の看護師だった。夫の本当の愛人は、彼女もよく知っている友人の高岡早紀だった。看護師毒殺事件は、当然、実行犯である主人公の彼女に嫌疑がかかるが、新たな証拠が出てきて、夫と愛人の犯行との見方も警察では強まり、しかも夫と愛人はそのあと、遺書を残して毒物による心中をしてしまう。実は、夫と愛人を服毒心中に見せかけて殺したのは、2人の関係を知った彼女であった。夫の遺書を偽造したのも彼女だった。そして彼女は証拠不十分で無実となった。完全犯罪が成立したかに思われた。

しかし、舘ひろしと、ともさかりえの刑事コンビが、この事件の真相に迫り、主人公の米倉涼子を追い詰めていく。そして、ついに動かぬ証拠を見つける。

ラストは、主人公の米倉涼子のピアノコンサートの場面。弾き終って万雷の拍手を受けている会場へ、舘ひろしとともさかりえが入ってくる。そこで、ドラマが終わる…。少々中だるみはあるが、最近では最も面白いミステリードラマであった。

ただ、気になったのは、映画「砂の器」(昭和49年・松本清張原作)とそっくりな作り方であったことだ。「砂の器」は、僕が日本映画史上ベストワンだと思っている作品で、僕はこの映画をこれまで何回見たかわからない。

「氷の華」の冒頭、母親に連れられて小学生の主人公が海へ入水しようとするシーンがシルエットで映し出され、音楽が流れる。そのシーンが、「砂の器」の父と子の巡礼シーンとダブり、また音楽が「砂の器」のテーマ曲とそっくりだったのである。米倉涼子が、ある劇場のポスターで高岡早紀の存在に気付く重要な場面も、「砂の器」の丹波哲郎が映画館に掛っている写真で犯人の手がかりを見つける場面とよく似ているし、特にラストシーンは映画の場面そのままであった。

「砂の器」の犯人は人気ピアニストの加藤剛だった。米倉涼子も人気ピアニスト。刑事役は映画では丹波哲郎と森田健作のベテランと新鋭コンビ。これが今回は館ひろしとともさかりえのベテランと新鋭コンビである。「砂の器」では、ラストシーンで、逮捕状を持って丹波・森田の2人がピアノコンサート場へ行く。加藤剛が、ピアノを弾き終え、万雷の拍手を浴びる。そこで映画は終わる。

今回の「氷の華」も、米倉涼子がピアノを弾き終え万雷の拍手を浴びているところへ、舘ひろしと、ともさかりえがやってくる。そこで、ドラマは終わるのである。

ちょっと似すぎているように思うのだけれど。

それでも、米倉涼子の演技は素晴らしかったなぁ。

新聞評などでは、「米倉は唇が微妙にゆがみ、見事に悪意が顔に張り付き、今後の仕事が心配になるほどだ」と書かれていた(むろん、演技をほめているのだ)。
これからも、こういうミステリードラマが増えたらうれしい。


9月某日(土)

平成20年度防災総合訓練に出席する。毎年、恒例である。場所は大和川の河川敷。
出席といっても、僕はテントの中の椅子に座って眺めているだけだ。
訓練に参加するわけではない。

地元の消防団による、災害の情報伝達訓練。
町会や警察、地元企業などによる避難誘導訓練。
自衛隊による被災者の救出訓練。
自主防災組織によるバケツリレーと消火訓練。
水道の復旧や給水の訓練。
郵便事業(旧の郵便局)による救援物資の配達の訓練。
消防隊による消火訓練、など、など、いろいろと眼前に展開される。

そこへヘリコプターが飛んできた。
災害に遭い孤立した人を、ヘリで引き上げて救出する訓練である。
きょうの訓練の最大の見ものであり、堤防の一般観衆も身を乗り出している。
轟音を響かせて目の前にヘリが降下してきた。そのときだ。

「うわっ!」と、テントの下にいた僕たちは一斉にのけぞった。
空中で浮いたままでヘリからロープがおろされ、人が引き上げられていく訓練なのであるが、そのとき、プロペラが巻き起こす突風のため、河川敷の砂が、前が見えなくなるほど嵐のように舞い上がり、テントの最前列にいた市長や議長や消防長や府会議員や警察署長、2列目にいた僕たち、3列目にいた町会のお年寄りたちのところへザザザザザ~と降りかかってきた。それが3~4分かあるいはそれ以上と思われる間、続いた。目も開けていられない。砂が舞いっぱなしである。僕らはヘリに背を向け、身を縮みこませ、顔を手で覆い、口と鼻にタオルを当て、息もできないほどの苦しい体勢でじっと砂塵の収まるのを待った。

やっとヘリが飛び去ったとき、周りの人たちを見ると、砂だらけであった。
前にいた市長や議長の頭は真っ白けで、服やズボンも砂まみれ。
メガネをかけている人は、それも真っ白け。背中の中まで砂が入っている。
後ろに座っていたお年寄りたちは、しばらく身動きも出来ないほど固まっていた。
僕も、口の中はジャリジャリ、耳の穴まで砂が入り、もちろん服やバッグは真っ白けだ。こんなに大量の砂を全身に浴びたのは、うまれて初めての経験であった。

去年の防災訓練は雨上がりで行われ、テントの上に雨水がたまっていた。
そこへヘリがやって来て、風圧でテントの水が竜巻のように舞い上がったあと、強風にあおられて、僕たちはその水をモロにかぶり、びしょ濡れになった。今年はいい天気だったのでその心配はないだろうと油断していると、今度は砂の嵐であった。やれやれ…。
「砂の器」は何度見てもいいけれど、「砂の嵐」なんて、二度といらない。

それにしても、すごいのなんのって。
映画なんかで見る砂漠の「砂塵」というのが、こんなんだろうなあ。
おかげで、訓練の様子など、誰も見ていなかった。


 
     
      ここから 凄まじい砂塵が 巻き起こった

 

最前列の席にいた消防長で友達のエノさんが、
「いや~、ひどかったですねぇ」と、砂をはたき落としながら
「ところでのんさん、今度あのヘリコプターに乗りませんか? 管内防災視察の一環として、年に何度か地域の上空を関係者を乗せて飛ぶのです。どうです?」

ほんまかいな…?。
ヘリコプター…なあ。
落ちたら、どないすんねん。


防災訓練は昼に終わり、昼過ぎに帰宅し、さっそくシャワーを浴びた。
そのあと、妻とモミィと3人で回転寿司に行く。
キリキリと冷えたビールがとてもうまい。
しかし寿司をほおばると、口の中がまだ砂でジャリジャリするみたいだ。

シャリよりジャリかぁ…。シャリにもならんわ。


夜8時から、テレビのNHK衛星第2で、「日めくりタイムトラベル・昭和44年」という番組をしていたのでビデオに録画しながら、途中まで見た。昭和44年といえば、僕が20歳の時で、夏に北海道までの往復自転車旅行をした思い出深い年である。当時の東京新宿の騒乱ぶりが映し出されていた。その頃、僕は自転車旅行の途中で会った人の好意で、新宿に1週間ほど滞在したことがある。フォークやフーテン族など、なつかしい映像が目に入り、また自転車旅行のことを思い出す。

余談であるが、この昭和44年は7月にアポロ11号が人類で初めて月に一歩を記した年である。そのアポロ11号が月に到着した生中継を、自転車旅行中、北海道の網走で見た僕は、8月に東京へたどり着いたわけだが、新宿のアートシアターのようなところで、大島渚監督の「少年」という映画を見た。今もまだ心に残るいい映画だった。そのあと、「薔薇の葬列」という映画の予告編があったが、それはゲイボーイが主演するたいへんグロテスクな映画であった。主演は、スカウトされたばかりのまだ10代のピーターという名前の少年で、妙に印象に残った。それが、まあ今のピーターだったのだけど、そのピーターが、先週の日曜日、大阪のウラネタ芸能ワイド番組「週刊えみぃSHOW」に出て、こう言った。

「あたしも、昔は美少年だったのよ。当時は『アポロが月から連れてきた少年』なんて言われたものよ」

う~ん。
この言葉を、なるほどなぁ、と真に納得して聴いた人は、少なかったと思う。
しかし、アポロの月到着の翌月に映画デビューしたピーターのことを、僕は当時、新宿で予告編を見ながら強烈な印象を受けていたから、そのころはきっと彼が言ったように、芸能週刊誌などで、「月から連れてきた少年」というようなことも言われていたに違いない、と思う。
テレビの中のピーターの言葉に、深~くうなずく僕だったのである。


 

 

 

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 市民病院を閉じるということ

2008年09月12日 | 議会&役所

千葉県銚子市が市民病院を閉鎖すると決定したら、それが日本全国に報道された。
マスコミはこぞって「なぜ市民病院を閉鎖するのか!」と銚子市を責め立てた。

医師不足と、18億円にのぼる累積赤字が閉鎖の理由である。
しかし、その理由については、マスコミは詳しく説明はしない。
とにかく、「なぜだ、なぜ閉鎖するのだ!」の大合唱である。

それに関する「朝ズバ」の報道を見たが、この番組でも、一貫して「入院患者が気の毒だ」とか「まことに非人道的なやり方」という論調を表面に出し、患者の家族らの悲しむ様子などが映し出されていた。このように、公立病院の閉鎖に関するニュースは、ほとんどが批判的な立場からなされているのが実情である。病院側を擁護するつもりはないが、どうも報道が一方的に過ぎるような気がしてならない。

その地域に大きな病院がなかったとしたら、公立病院をなくすわけにはいかないだろう。しかし都市部では救急医療などを行っている民間病院はかなりあるので、昔ほど公立病院が絶対的な役割を果たしている、とは一概に言えなくなってきた。

公立病院は、臨床医制度の実施などにより医師の確保がむずかしくなり、患者は減る一方である。でもかかる経費は同じなので、赤字もどんどん増えてくる。1日数百万円の赤字を出し続け、累積赤字が10億、20億となっていくと、民間会社ならとっくに倒産である。じゃぁ、なぜ倒産しないのか…といえば、それは、借金とその自治体の一般会計からの繰り入れ金があるからである。だから何とか崖っぷちに踏みとどまっていられるのだ。

経営が悪化している病院は、すでに瀕死の状態にある。このまま病院経営を続けていくと、病院の赤字を補填するために住民の税金がますます大量にそちらへ投入され、本来の行政運営……福祉や教育や生活環境や道路・下水道の整備などへ向けなければならない資金がどんどん流出していく。その結果、自治体そのものが財政破綻を来たし、夕張市のような赤字債権団体に陥る。そして行政サービスは悪化し、公共料金の値上げなども招き、住民全体に大きな不利益を与えてしまう。それを防ぐために、やむなく病院を閉鎖する…という苦渋の選択を強いられた、というのが実情であろう。

病院にも大きな責任があることは言うまでもない。ここに至るまでの病院経営の甘さが指摘されよう。しかし、民間病院のように、利潤を上げるために不採算部門を切り捨てたり、入院患者を半ば強制的に短期で退院させたりすることは出来ないという公立病院特有のハンディは避けられない。赤字を出しても、診療科目を縮小したり、救急部門を廃止したりすることはむずかしい。治療費を支払わない患者、退院を促されても病院に居座る患者、そしていわゆるモンスターページェントと呼ばれるような患者は、民間よりも、公立病院に圧倒的に多い。おまけに、公立病院は給料が民間病院より安いので、医師は来たがらない。そんな、ありとあらゆる不利な条件を引きずりながらも、とにかく経営を続けなければ、公立病院としての使命は果たしていけない、というジレンマの中で、常にもがいているのである。

病院経営がとことん悪化すると、立て直すのはほぼ不可能と言っていい。

最近、知人の方から「医療は再生できるか」(杉町圭蔵・著)という本を送っていただき、それを読んで、公的病院を改革するのは本当に難しいことだとつくづく思った。著者は九州中央病院の院長なのだけれど、赤字続きだった同病院を画期的な手法で一大改革をした経験をもとに、この本を書かれた。公務員的感覚でやる気のない仕事ぶりが蔓延していた病院内で、思い切った手法を断行し、活気のなかった病院を見事に再生させた人である。しかし、大学の医学部と密接な関係を保っていた分、医師の確保には苦労しなかったことは、恵まれていたといえる。ここのところが、最も大きなポイントになる。

僕は今年の5月、ウチの市の病院再建問題で、市議会議員団が長崎市民病院へ視察に行ったときに同行して、長崎市の病院建て直し対策の一部始終を聞いた。ここも、大変苦しい経営状態ではあったが、長崎大学の医学部と太いパイプを持っていたので、医師の確保だけは困らなかった。だから再建もうまく行ったのだろう。

医師が市民病院に来てくれない…というのが、公立病院の致命傷となっている。

銚子の市民病院の閉鎖は、過去の経営努力不足はむろん猛省しなければならないが、やはり、臨床医制度などをきっかけに医師が来なくなり、大きなダメージを受けたようである。事がここに至ってしまったからには、閉鎖は、止むを得ない選択であったと思う。市長は、まさに断腸の思いであったろう。

病院をこれ以上続けると、銚子市自体がもはや取り返しのつかない財政危機に直面しなければならない。その影響をまともにかぶるのは、銚子市民だ。病院を存続すると、そこが日々生み出していく赤字によって、他の政策が実現できないということを、マスコミもある程度理解してやらねばならないと思う。そこへ、銚子市長が、病院閉鎖の議決がされる直前に、ある議員に肉を贈ったとかなんとかというニュースでまたマスコミが騒ぎ立て、話の本質がそんな瑣末なことでボヤかされているのは、悲しいことである。

とにかく世間は、病院を閉鎖するということは「悪いこと」という観念が強い。
閉鎖は好ましくないが、市が生き残るためにはやむを得ない側面が大きいのだ。
(病院を持たない市町村には、そんな悩みはない。気楽なものだ)。

先週の日曜日に最終回を迎えたTVドラマ「Tomorrow」も、テーマは市民病院の閉鎖をめぐる話だった。しかし、実際のドラマでは、植物状態になった人間に、人工呼吸器をはずすかどうかという、尊厳死みたいなものが大きなテーマの一つとなっており、なぜ市民病院を閉鎖するのかという問題のほうは、今ひとつわけがわからなかった。病院をつぶして、そこを一大リゾート地域にしようという代議士の野望の下で画策されたことのように描かれていた。そんな理由で市民病院を閉鎖するような市長や代議士は、おそらくこの世には存在しないだろう(それと、代議士には市民病院を閉鎖する権限はない)。

ドラマのラストでは、ある事故をきっかけに医師や看護師、住民たちが結束して、閉鎖が決まった市民病院を再び復活するというあまりにご都合主義なハッピーエンド。その「いい人たち」に対して、「悪人」は、その代議士と、病院閉鎖を議決した市議会、ということになっていた。肝心の市長というのがほとんど出てこなかったし、副市長の陣内孝則は「善人」だったのがちょっと不思議であったが…。

まあ、銚子市民病院の一件や、こういうドラマを見ていると、病院を閉鎖することはとんでもない悪事で、中でもそれを決める市長や市議会は悪人中の悪人…みたいな印象を与えるけれども、そんな皮相的な見方だけで終わらせることのできる問題ではない…ということを、銚子市を超える累積赤字を抱えている病院を持つ市で働く者の一人として、僕は痛切に感じているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 元凶は朝青龍

2008年09月08日 | スポーツの話題

ようやく固い扉がこじ開けられた…といえるのか?
大相撲界に、これから新しい風が吹き抜けていくことがあるのか…?

大麻使用疑惑で、ロシア出身の露鵬と白露山が解雇処分になり、北の湖理事長が辞任した。これまで何度も大相撲の不祥事に直面しながら、世間の批判などどこ吹く風と、理事長の席に居座り続けていた北の湖にはホント~に困っていたけれど、弟子が大麻を認めたことで逃れなくなり、やっと辞任を口にした。まったく世話の焼ける理事長である。ここまで追い込まれなければ辞めないのかと呆れる。

健全であるはずの大相撲協会が、扉の中の闇に潜み込んで、社会の風を通さなかったのは、まことに遺憾の極みであったと言わねばならないが、これを機会に、まず、普通の常識が通る相撲協会としての第一歩を踏み出してほしいと思う。

…と、期待したいところだが、はたしてそう簡単に変われるだろうか…? 新理事長の武蔵川親方も似たり寄ったりではないのか。この武蔵川部屋には、かつて、まわしを意識的にゆるめて相手に相撲を取りにくくさせるのを「得意」とし、横綱貴乃花を卑怯な戦法で大怪我をさせて引退に追いやったあの「ゆるふん大関」武双山などがいた部屋である。ロクでもない部屋なんだ、あそこは。
まあ、それは今回の話とは直接関係ないけれども…。

しかし、こういう大きな不祥事がそのうち起きるであろうことは、何年も前から予測されていたことである。なんと言っても外国人力士をきちんと教育できる親方がいない。…というより、親方連中がほとんど、あの高砂親方みたいに無能だから、若い外国人力士が軌道を外していくのは当たり前の話である。おまけに、模範となるべき最高位の横綱朝青龍が札つきの不良とくれば、これはもうシャレにもならない。いくら改革を叫んだところで、こんな不良横綱がいる限り、穴のあいたバケツに水を注いでいるのと同じである。

先週、僕はこのブログで、相撲界が外国人力士によって「相撲道」と「日本の伝統文化」がズタズタにされてきた元凶は、朝青龍だ、と書いたばかりである。相撲界で禁止されている言動を平気でする、稽古はしょっちゅう休む、強ければ何をしてもいいと考える、行儀は悪い、反省はない、土俵で相手にダメは押す、私生活では無制限に遊び回る…というのが、最近の若い外国人力士の傾向らしいが、これらはすべて朝青龍が撒き散らしてきたものだ。「子」は「親」の背中を見て育つのだ。

そんなとき、横綱審議委員会の委員の内館牧子さんが、つい2日ほど前に、
「第二の朝青龍は作ってはならない…と私たちは口をすっぱくして言ってきた。
 なのにまた今回の不祥事だ。諸悪の根源は、朝青龍なのです」
そう言ってくれたので、少しは気分がす~っとした。

朝青龍が「元凶」であることは、明々白々なのである。

しかし、そう言われながらも、当の朝青龍は涼しい顔の毎日である。最近のモンゴル巡業場所では、兄弟の経営する企業がそれで大儲けをし、相撲会場の壁の全面に仲のいい細木数子の「六星占術」のポスターを貼って彼女を大々的に宣伝するなど、相変わらずやりたい放題。北京五輪じゃないけれど「朝青龍の、朝青龍による、朝青龍のためのモンゴル場所」と呼ばれた巡業であった。そのうえ、この懲りない横綱は、写真集などを出して、マゲを崩したポニーテール姿でモンゴルの平原に立つ姿なんぞを見せ、「思ったことは、言わなければね…」などと、うそぶいているのである。「アホか、おまえの場合は言い過ぎじゃ」と突っ込みたくなる。

内館さんも、「第二の朝青龍を作ってはならない」と言うのであれば、「第一の」朝青龍が、今でも日本の相撲界で大手を振ってやりたい放題なのを、何とかしてもらわなければならない。巡業をすっぽかしてモンゴルでサッカーをし、謹慎処分になると「心の病」と称してモンゴルに帰って温泉でくつろぎ、またケロリとして日本に帰ってきて、はい、謹慎期間は終わりました…というあの話は、思い出すたびに腹が立つ。「謹慎処分」とはいったい何だったのか? 北の湖ら相撲協会も、前NHK会長の海老沢勝二が委員長をする横綱審議委員会も、知らん顔を決め込んだ。特に海老沢は当初、朝青龍を批判していたのに、ある時期から急に手のひらを返したようにかばい始めたのである。不思議である。だから内館さんだけが横綱審議委員会の中できちんとモノを言う人なんだと思う。なんとかあと一息、頑張ってほしい。そして「朝青龍元凶説」をもっと言い広めてもらいたいものである。

先日、貴乃花親方が、大麻疑惑が起きたときに、
「前代未聞の大変な問題。相撲界は、秋場所を休むことも視野に入れるべき」
そう言った勇気には、拍手を送りたい。

「心・技・体の揃った最後の凛々しい名横綱」といわれた貴乃花親方に、この際、理事長になってもらって、大相撲の将来を任せるくらいでちょうどいいのでは…と思うのだが、いずれにしても、今の横綱朝青龍がのさばっている限り、その悪いところを真似する外国人力士が後を絶たないので、改革はやっぱり望み薄である。

この出来損ないの横綱を「解雇」することが何よりも、これからの大相撲をよくする一番の方法だと思う。それくらいのこと、みんなわかっているだろうに…。

ずっと前から何回も何回も言っているけれど、関係者もマスコミも、肝心な部分になってくると、朝青龍への追撃の手をゆるめるのが不思議である。総理大臣には痛烈な質問を浴びせる記者たちも、朝青龍への会見ではなぜか質問も遠慮がち。なんでもっと突っこまないのだと横槍を入れたくなるほどである。

朝青龍には、一日も早く日本の国技と呼ばれるスポーツから引退し、格闘技に転身してもらって、ボクシングの亀田兄弟とつかみ合いのケンカでもしてくれたほうがよほど面白いし、ファンも喜ぶし、存在意義もあると思うのだけれど…。

 

 

 

 

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 ぐずぐず日記

2008年09月06日 | 日常のいろいろなこと

こんばんは。
いま、9月6日の夜、9時半です。

明日(…というか、今夜の延長)の午前3時半頃から、サッカーW杯アジア最終予選のバーレーン戦があります。ですから、その時間に起きてTV中継を見るために、早く寝ようとしているのですが、目が冴えて眠れません。で、パソコンを開けて、このブログを書いています。

じゃいさん。「王様のレストラン」の貴重な映像をありがとうございました。
こんなふうに、ブログにいただいたコメントに対し、また貴重な情報を満載したコメントを寄せていただくことで、ひとつのテーマが、ずんずん広がっていくことは、ブログをしているものとしても、とても嬉しいことです。いつも本当にありがとうございます。

今夜、アナザービートルさんが、「松嶋菜々子」を「松島奈々子」と書いてしまったので訂正します、というコメントをくださいました。わざわざ、すみません。そんな訂正のコメントをいただくと、こちらが恐縮します。僕なんか、もう、間違いだらけですのに…。

特に芸能人の名前の字は、わかっているようでわからないのが常です。現に僕は、この間のブログで、明石家さんまのことを「明石屋さんま」と書き、沢口靖子のことを、「沢口康子」と書きました。あとで気がついて訂正しましたが、字などの間違いは、僕は、しょっちゅうです。お互い、気にしないでおきましょう。

話は変わりますが、僕よりひと回り年下のあかべえさんは、三谷幸喜と同い年なのですね。「潮来笠」の年にお生まれになったということですので、そういうことになりますよね。ふ~む。それなら、あかべえさんや三谷幸喜は「素っ飛び野郎」や「本気だぜぇ~、好きなのさぁ~」が出たときは、まだ4歳だった…!

それらの曲が出たのは、昭和40年ですからね。
yukariさんは、まだまだお生まれになるず~っと、ず~っと前の話ですよね~。

…ってことで、天候不純だった今日は、地下鉄に乗り、天神橋筋商店街をウオーキングしながら、そんなことを考えて過ごしていました。

夜、テレビを見ていますと、大相撲のロシア人兄弟が、精密検査でも大麻の陽性反応が出たというニュースを聴きました。やっぱり、こういう不祥事のすべての元凶は、大相撲を日本人文化から引っ剥がした朝青龍と、そんな愚か者をかばい続けてきた北の湖理事長の2人に帰着するのではないか…と、改めて思った次第です。この2人が、1日も早く大相撲界から姿を消してほしい…と祈るばかりです。

あぁ、もう午後10時を過ぎてしまいました。
明日は、午前3時過ぎに起きて、サッカーを見なければ…。

おやすみなさい。

 

 

 


 

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 三谷幸喜や韓流のことなど

2008年09月05日 | 映画の話やTVの話など

いつかのブログで、僕の勤務先の友人の戸井クンが、1997年に行われたサッカーW杯仏大会最終予選のイラン戦のビデオを貸してくれと言ってきたので、家で探し出して確認すると、NHK大河ドラマの「新撰組・総集編」がビデオに上書きされていたのでがっかりした…という記事を書いたことがある。その後、もう一度ビデオの山を探したら、今度はちゃんと録画されているヤツが出てきた。2本撮っていたのだ。そして、無事に戸井クンに貸してあげることができた。

僕はそれを戸井クンに渡しながら、
「なんで、こんなもんを急に見たくなったんや」と聞いた。

「いえ、ねぇ。うちの嫁さんが、毎日韓流のDVDを見てまんねん。ほんまに、毎日毎日でっせ。ようも飽きんとあそこまで見よるな~、と感心するくらいで、もうカンカンですわ。アホらしなって、よっしゃ、ほんならボクも何か熱中できるビデオを見たろ、と思って頭に浮かんだのが、あのサッカーW杯初出場を決めた試合ですわ。のんさんがあのビデオを持ってはることを、前から聞いてましたからね」

そ~ゆ~ことらしい。
戸井クンはこんなことも言った。

「のんさんは、古畑任三郎のファンでしたね。ビデオも全部そろえているそうで」
「はいぃ~、そろえています~。う~ん。で、それがどうかしたのですか~?」
と、ボクは古畑任三郎の物真似口調で聞き返す。
「のんさんが古畑シリーズでも特に面白かったなあ、と思っているのを何本か貸してくださいよ」
「あぁ~、それはつまり、奥様に対抗しよう…ということだと考えていいですね」
「えぇ、まあ、そういうことですけど、頼みますね」

そこで僕は、シリーズの第1回作品である中森明菜の「死者からの伝言」や明石家さんまの「しゃべりすぎた男」をはじめ、唐沢寿明の「VSクイズ王」、沢口靖子の「笑わない女」、草刈正雄「ゲームの達人」、堺正章「動く死体」、小林稔侍「殺人リハーサル」、坂東三津五郎(当時は八十助)の「汚れた王将」、木の実ナナの「ピアノ・レッスン」などを適当にみつくろって、戸井クンに貸してあげた。

古畑任三郎シリーズではどの作品が一番ですか…? とあえて問われたら、僕はさんまの「しゃべりすぎた男」が最高傑作だった…と言ってしまうだろう。しかし、実際には、どれも甲乙付けがたく、戸井クンに「のんさんの特選でお願いします」と言われたけれど、さんまの作品以外は、適当に選んだものである。

いつもコメントをくださるyukariさんは、きのう、古畑も面白いけど、「王様のレストラン」が好き、と書いておられた。そうそう、これも楽しいドラマだった。好きな山口智子や、特に好きな鈴木京香も出ていたしね~。

同じ日のコメントで、アナザービートルさんが、大勢の女性に囲まれて生活した男の例として、千石イエスのことを書いておられたけれど、この「王様のレストラン」の主人公である松本幸四郎演じる料理人の名前が、千石、というのであるから、昨日はお二人のコメントを見て、その偶然に思わずクスクスと笑った。

ちなみに、このレストランに、山口智子の演じるシェフが出てくる。
このシェフが、橋幸夫の大ファンなのである。

橋幸夫といえば、僕が小学校上級生のとき、17歳で「潮来笠」でデビューしてまたたく間に日本一の人気歌手になった人である。僕は橋幸夫の歌はほとんど諳んじるほど好きだったし、いまでも橋幸夫本人も忘れているのではないかというような歌(たとえば「舞妓はん」のB面の「祇園ブルース」など)も1番から3番まで、歌詞カードなしで歌える。「子連れ狼」あたりの時期になると、そんな気力もなくなったが、とにかくデビューから数年間の橋幸夫の歌なら、知らないものはなかったし、今でも全部覚えている(なのに、最近の歌は覚えられない。とほほ)。

「王様のレストラン」で山口智子が口ずさむ橋幸夫の歌はただ一曲、「素っ飛び野郎」である。「♪素っ飛びぃ、素っ飛びぃ、素っ飛び野郎…」と鼻歌交じりに野菜を切ったりする山口智子シェフが面白い。橋幸夫の曲の中では、それほど大ヒットした歌でもなかったのに、この歌を使ったのは、三谷幸喜の非凡さというか、マニアックなところであった。
しかしまあ、実際、鼻歌としてぴったりのノリのいい曲であった。

 ♪ 素っ飛び~ 素っ飛び~ 素っ飛び野郎~ その先ゃ~言うなよ
   わかってる~ 旅のカラスでスーイスイ、若くて強くて、いい男~ 
   鉄火娘も、ころりと惚れる 身軽で気軽で腕が立つぅ やるな~ら
   なんでもいのちがけ~ 素っ飛び素っ飛び 素っ飛び野郎~

いまでも、スラスラと出てくる(決してネットで調べたのではありませんよ)。
僕自身も、それまで家の中でこの歌を鼻歌で口ずさんでいたので、山口智子が番組で毎回それを歌うのを見て、妻もびっくりしていたみたいだった。

番組の最終回には、橋幸夫もゲスト出演していた。

そんなことを回想しながら、今はこんな見ていて気持の暖かくなるドラマがいったいどれだけあるのだろうか、と思った。市民病院の閉鎖をテーマにして話題だという日曜夜の「tomorrw」とかいうドラマもちょっと見てみたが、僕らがいま、実際に仕事で直面している赤字続きの市民病院問題からみれば、重要な要素が背景にきちんと盛り込まれておらず、「画餅ドラマ」の感が否めない。こんな、社会派か人情劇かわからないドラマでは病院閉鎖という深刻な問題はあぶり出せない。だいたい、あんな熱血医師がいる市民病院なんて、今の制度の中では考えにくい。

あぁ~。
また、「古畑任三郎」や「王様のレストラン」のような、ひと目見ただけでも楽しくなるようなドラマが始まらないものだろうか。

このままでは、みんなますます韓流ドラマに流れて行ってしまうだろうな~。
なにしろ、韓流ドラマは、今の日本のドラマのようなひねくった筋書ではないし、俳優の男も女も、みんな日本人の俳優・タレントよりけじめ正しそうで、しかも美男美女である。筋書きも、人物たちがそれぞれに自分に忠実な生き方をめざそうと骨身を削るが、そこに立ちふさがる隘路に葛藤するという、人生の基本が織り込まれているところが共感を呼ぶのだろうと思う。ドラマをほんの少し見ただけでも、そのことを感じる。アナザービートルさんも、韓流をほめていた。僕も、見始めると、ハマりそうである。

あぁ、そういえば、昔、88年ソウルオリンピックの前後だったか、ハングルを勉強して、韓国へ語学武者修行に出かけたことなんかがあったなあ。これほど韓流がブームになり、yukariさんのお友達などは、年賀状にハングルを使ってくるというほどの入れ込みようだというから、またハングルを勉強しなおすと、思わぬところで役に立つかもしれない。

ということで。
それではみなさん、よい週末をお迎え下さい。

アンニョンヒ カシプシヨ (さよ~なら)

 


 

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 脅威の老人パワー

2008年09月04日 | ニュース・時事

テレビを見ていると、最近の老人のパワーには驚くばかりだ。
この間も…
登山が趣味で80歳でモンブランに登ったという大学名誉教授。
毎朝冷水摩擦をして、駅でも階段を使い、電車内ではつま先立ちをして脚力を鍛えているという。「よくやるよねぇ…」としか、言葉が出てこない。

95歳を過ぎてまだ現役の医師である日野原重明先生も、1日18時間、病院の仕事に加え、講義・講演、執筆などをこなし、睡眠時間は5時間。やはりエレベーターを使わず、階段を活用する。70歳でジェットコースターを初体験、88歳でミュージカルの脚本を書いたというスーパー老人である。

しかし、こういう老人になりたいか…?
と、質問されたら、正直言って、なりたくない。
(もちろん、なりたくてもなれないだろうけど、なれたとしての話である)
なにもそこまで…という気持がある。
年をとったらエレベーターを使ってラクをしたいと思う普通の老人でいい。

世界に目を転じると、もっと生臭い老人パワーが漂ってくる。

その昔、イギリスにオールド・パーという男がいた。
スコッチウィスキーの「オールド・パー」の元になった名前の男である。
結婚したのは80歳を過ぎてからだった。

子どもを2人つくったが、いずれも幼くして死んだという。
100歳で婦女暴行をし、逮捕されたというのだから、あ然とする。
あ然、というか、げげぇぇっ、というか、ほんまかいな、というか…

122歳になって、後妻をもらった。
150歳ぐらいまで、生きたそうである。

ウィスキーのかつてのオールド・パーのラベルの男の絵が思い浮かぶ。

なぜそんなことを思い出したかといえば、昨日の夕刊に驚くような記事が載っていたからだ。

ナイジェリア…といえば、先日の北京五輪のサッカーで銀メダルをとった国。
そのナイジェリアでのニュース。

86人の妻を持つ男がいた。86人ですよ、86人。
イスラム教では「妻は4人まで」となっているそうだ。
86人の妻は、その教えに反するとして、
「3日以内に4人を残して、あと82人の妻と離婚しなければ死刑」
との判決が下された…という記事である。

その男性の年齢は、これまた驚きの84歳 !
30年前から結婚を繰り返し、今は妻86人で子どもは170人以上いるという。

2000年にイスラム法に基づく司法制度が導入されて、妻の人数は「妻を平等に扱うことを条件」に、「4人まで」とされ、この男性は、法律の規定から82人も上回ることになってしまった。
「82人と3日以内に離婚しないと、死刑だぞ~ん」と言われても…
82人をどう選ぶのだろう。
だいたい、みんな名前、覚えているんか? 
自分の妻の名前を、全部挙げられないんじゃないか…と思うんだけど。

離婚届も大変だろうな。82枚、書類を作成して、ハンコを押すのだろうか。
離婚に反対する裁判を、82人の妻から起こされたら大変だなあ。
…と、他人事ながら心配する。

しかし、男はこれくらいのことではめげないようだ。
「まだ結婚したい女性がいる。妻の数はもっと増えるだろう」

世界は広い。
ものすごい人がいるものである。

で…、こういう老人になりたいか…?
と質問されたら…?

うぅぅ…。
なりたくないこともないこともないこともない。
 

 

 

 


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 福田首相の辞任と耳鳴り

2008年09月02日 | 心と体と健康と

びっくりした。
福田首相の突然の辞任である。

風呂から上がってNHKの「ニュースウオッチ9」を見ているとき。
午後9時20分頃だったろうか。突然、画面にテロップが流れた。
「このあと福田首相、辞任の記者会見」

しかし男女のキャスターは、まだ普通のニュースをしゃべっている。
「はぁ…? いつ辞任したのだ…?」
他局を見るが、どの局も通常番組をやっていて、そんなテロップは流れていない。
NHKに戻すと、男女キャスターが急にこれまでのニュースをやめ、
「ただいま、福田首相辞任との報が入りました。このあと9時半から会見が開かれる模様です。ただいま、福田首相が…」と、表情を改めていた。

すぐに首相官邸からの中継が始まった。
数分後、福田首相が現れて、辞任を表明した。
僕はまた他のテレビ局を見た。TBS、テレ朝、フジと、すべて福田首相の会見を映していたが、日テレだけは、通常番組を続け、CMを流したりしていた。僕はまたNHKで首相の話を聞き、そのあとの記者団との質疑応答を聞いた。

その時間になると、さすがに日テレも首相の会見に切り替わっていたが、画面左下に評論家風の男の顔がアップで映っていて、そいつがベラベラしゃべっているものだから、首相の質疑応答のナマ音声が聞こえなかった。会見中継が他局より出遅れたので、現在の映像を映しながら、評論家がその背景やいきさつなどを補足しているのだろうけど、それは生中継が終わってからすればいいのに、こんな放送の仕方じゃ、いま首相が何を言っているのかわからないじゃないか…と思いながら、またNHKに戻す。

でも、こんな緊急ニュースが入ったときのテレビ局は大変だろうなあ。

フジは織田裕二の「月9ドラマ」を中断したので、途中から再開されたが、むろん終わったのは10時をはるかに回っていた。この1時間を計ってビデオをセットしていた人は、がっかりしているだろうな。どの局も大きな影響を受けたはずだ。が、首相の会見放送で後れを取った日テレは、10時になるときっちり時間通り「エド・はるみ24時間マラソン密着・非公開映像…」という特番を始めていた。さすが~。
9時~10時に放送されていた番組は、中断されたまま、いったいどうなったのだろう。まあ日テレは、このエド・はるみだけは絶対に時間をズラせないだろうけど。

しかし、考えようによっては、どのチャンネルも同じものを流す…というのもテレビ局の独自性がないな~と思ったりもする。通常番組をずっと見ていたい人もいるだろうからね。せっかく見ていて番組を急に中断されたら気分を害する人だって少なくないだろう。といって、テロップを流すだけにとどめると、大勢の人たちがNHKなんかにチャンネルを変えてしまうから、そういうわけにもいかず、全部右へならえ、ということになっちゃうんだろうなぁ。

福田首相は、かつて官房長官だった頃、マスコミへの会見で、いつも飄々とした受け答えが絶妙で、僕はこの人が好きだった。首相になったときは、一ファンとして喜んだ。キャラが今の時代に合わなかったのか、人気が伸びなかったのが残念だ。

思えば、福田首相が就任したのは、去年の9月26日だった。

この9月26日は、僕が耳鳴りを発症した日と同じである。

このブログにも、「福田首相就任と同じ日に耳鳴りが発症しました」と書いたことがある。そして「福田内閣発足1ヶ月」「福田内閣3ヶ月目」などと新聞に載るたびに、僕は「もう耳鳴り発症1ヶ月なのか」とか「耳鳴り3ヶ月目に入ったのか」とか、心の中でつぶやいていた。その点では、自分が耳鳴りを発症してからどれだけたつのか、わかりやすかった。福田政権が何年続くのかはわからないが、せめて福田首相が辞めるまでには、耳鳴りは治って欲しい…と念じていたけれども、1年もたたないうちに辞めてしまった。僕の耳鳴りは、昨日の福田首相の辞任会見中にもうるさく鳴り響き、今朝も同じように鳴り続けている。

福田さんも薄情な人だ。あなたの就任と僕の耳鳴りの発症が同時スタートだったのに、あなただけが先に辞めてしまって…。僕はまだ耳鳴りを持ったまま。

ともに歩んだ道のりだったのに。
なぜ、あなただけ「辞任」で、僕の耳鳴りが「留任」なのでしょう。


どうか耳鳴りのほうも、辞任させてもらえないでしょうか…? 

 

 

 

 

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 チャールストン

2008年09月01日 | 雑記

 1週間前「北京の17日」という題名のブログの中で、「北京の55日」という映画のことを少し書いた。こちらに時々コメントを下さるじゃいさんが、「北京の55日」の映画の予告編を送ってくださったので、改めて貼り付けます。興味のある方はご覧下さい。亡くなったチャールトン・へストンも、このころは若かったなぁ。 
            ↓

http://uk.youtube.com/watch?v=cd2eIjqWUUs&feature=related

ところで、先日のブログでは、最初、チャールトン・へストンのことを、僕はうっかりチャールストン・ヘストンと書いてしまった。あとで読み返して、あわてて訂正した。チャールストン・ヘストンではなく、正しくはチャールトン・ヘストンだ。「ス」だけ余分だった。

外国の映画俳優の名前を覚えるというのは、案外むずかしいものである。
ブルース・ウィリスのことを、つい、ブルース・ウィルスと言ってしまう。
これじゃ病原菌のウィルスですよね。
クリント・イーストウッドは、クリントン・イーストウッド。
シルべスター・スタローンも、シルベスタローンと短縮してしまったり。
ジャン・レノを、ジャン・レノンと言ったり。
物の本によると、コーン・ショネリー(ショーン・コネリー)とか、コビン・ケスナー(ケビン・コスナー)とか言ったりする人も沢山おられるそうだ。

そういえば、「シャ乱Q」を「しゃみだれキュー」と読んだ人もあったとか。

…僕も安心しました。

そんなことで、先日はつい「チャールストン・へストン」と書いてしまった。
でも、この間違いには、思い当たるフシがある。

チャールストンと言えば…僕ら団塊の世代は、歌手の森山加代子を思い出す。
このブログを読んでいただいている方は、僕より年下の方が多いようなので、森山加代子と言っても、よくわからないかもしれない。

森山加代子というのは、僕が小学校の頃(昭和35年)にデビューをして、可愛い容姿に似合わないコミカルな歌を歌って、一時期ヒットを連発した歌手である。

話はますます古くなり恐縮だが、水原弘という歌手がいた(殺虫剤「アース」の宣伝看板でも有名である)。「黒い花びら」で第一回日本レコード大賞を受けた歌手だが、あるとき僕は、親戚の人たちに連れられて「水原弘ショー」を見に行った。その舞台で水原弘から「間もなくデビューする可愛い女の子をご紹介しましょう」と紹介されてステージに現れたのが森山加代子であった。そんなことで、僕は、小学生の頃から中学生の頃にかけて、人気歌手になっていた彼女を「デビュー前から知っているんだもんね」という単純な理由だけでファンになった。

その森山加代子の歌に、「五ひきの仔ブタとチャールストン」というのがあった。
1962年(昭和37年)にヒットした歌である。


♪ 五ひきの仔ブタが 五ひきの仔ブタが ラジオをきくと
  いつもブーブーうたって チャールストン

  五ひきの仔ブタが 五ひきの仔ブタが じゃれあうと
  まるでリズムにあわせて チャールストン



  



子どもの頃に頭の中にインプットされた言葉は、何十年たっても消えない。
チャールトンと書いたつもりでチャールストンと書いてしまうのは、そのせいだ。

しかし、おかげでなつかしい森山加代子のことを、久しぶりに思い出した。

さらに思い出したけれど、森山加代子の歌には、奇妙な歌詞が多かった。

たとえば「じんじろげ」という歌である。
ネットで歌詞を拾ってみた。

♪ ちんちくりんのつんつるてん
  まっかっかのおさんどん
  お宮に願かけた
  内緒にしとこ

  ジンジロゲやジンジロゲ
  ドレドンガラガッタ
  ホーレツラッパのツーレツ
  マージョリン マージンガラ チョイチョイ
  ヒッカリコマタキワ~イワイ
  ヒラミヤパミヤ チョイナダディーヤ
  チョイナダディーヤ
  チョイナダディーヤ
  ヒッカリコマタキワ~イワイ
  ヒッカリコマタキワ~イワイ


こんな歌詞を、子供の頃、耳で聴いたままに意味もわからず歌っていたが、今こうして歌詞をじっくり読んでみても、やっぱりなんのことやらわからない。まあ、わかる人がいるのかどうか、知らないけれど。

チャールトン・ヘストンから、とんでもない話に発展してしまったけれど。

 

 

    

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