僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

丘みどり 思わず笑ってしまうコント

2020年01月30日 | 映画の話やTVの話など

     

 

昨年末、紅白歌合戦の話題の中で僕の好きな演歌歌手、丘みどりのことを書きましたが、彼女がお正月番組の「バカ殿様」のコントに出てきて、大いに笑わせてくれました。

バカ殿様の志村けんが町人になりすまして入った小さな居酒屋。丘みどりはそこの女将で、突如、歌を歌い出したりする、という役回りだったのですが…  

そのコントがあまりに面白かったので、それをぜひもう一度見たいと思い、ネットの中を探しまわりました。しかしまだ新しいからか、見つかりませんでした。残念!

しかし、あれこれと探していているうちに、こんな動画が見つかりました。
お正月のバカ殿様と同じパターンなので、やはり大笑いしちゃいました。

ご用とお急ぎでない方は、ちょっとだけでも、ご覧になります?

 

 

丘みどり

 

 

    

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒呑みの自己弁護

2020年01月28日 | ズレズレ草

若い頃、山口瞳さんの「酒呑みの自己弁護」という本を読みました。とてもとても、おもしろい本でした。今日のブログのタイトルはそれを拝借しました。

ということで、酒好きの僕の、お酒にまつわる話なのですが

最近、ブログにも書きましたが、休肝日を作ろうと決心し、実際に作って実現できました。それはまぁ、自分でもよくやったと思います。でもね

すると翌日、その反動でメチャ飲みしてし、その次の日もまたたくさん飲んだりして、あの休肝日はいったい何だったんだ?といういうことになったわけ。

では、反動がくるなら休肝日を設けるより、日々の飲む量を減らせばいいのではないですか、というアドバイスをいただきました。

そのとおりですよね。問題は、飲む量なんですよね。

で、今は毎日の飲む量は控えめにするようにしています(のつもり!)。

それにしても、思うのだけど、自分はどうしてこれほどアルコールが好きなんだろう。もしかして依存症? と思うこともあります。でも、朝から飲んだり、きついお酒をグイグイとあおったりはしません。あくまでも缶ビールや缶チューハイを、おいしい食べ物と一緒に飲むというスタイルです。

でも、モンダイはその飲む量なんですが、
これが、たぶん普通の人より多いんですよね。

時には自分にブレーキをかけ、飲む量を少しにするか、あるいは全く飲まないようにすることもある。そして次の日も同様にブレーキをかけよう、と思うのですが、しかし今度は前日の反動が起きてしまい、ブレーキのつもりがアクセルを踏んでしまい、その結果、メチャ飲んでしまう。

昨今、高齢者の運転で、ブレーキとアクセルを踏み間違う事故が多発していますが、僕の場合は、お酒を控えようとブレーキを踏むつもりが、ついアクセルを踏んでしまっているのです。ホンマ、えらい踏み間違いですわ。トホホ。

かくなる上はやはり「休肝日」をつくり、節制しなければなりませんね。

まぁ、僕もいい年なんだから、いつ死んだっていいんだけど、うちには14歳のモミィがいるので、これが成人するまでは生きておかなければならない。

だから、やっぱり休カン日を作ろう。

缶ビールや缶チューハイをいっさい飲まない日を作らなければね。
そのかわり、その日は瓶ビールかワインか日本酒を飲む(飲むんかい!)

つまり缶に入っているものは飲まない。
これが僕流の「
休缶日」ですわ。えへっ。

アホやがな。

まぁ、こんなことをいろいろと妄想しながら、
そのうち自作ドラマを作ろうと考えています。

「酒と共に去りぬ」
「吾輩は酒である」
「お酒はつらいよ」
「酒バカ日誌」
「そんなお酒のひとり言」

それに今年のNHK大河ドラマの特別編、
「麒麟ビールが来る」
とかね~

と、アホなことばっかり言ってると、
「おまえはアル中ハイマーか」
な~んて言われそうです。

ど~も。失礼しました。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型ウィルス、大丈夫か?

2020年01月25日 | ニュース・時事

テレビのワイドショーも、毎日毎日、まぁ次から次へといろんな話題をあの手この手と繰り出していますね~。よくネタが尽きないものだなぁと、その意味では感心していますわ。

ついこの間まで注目されていたゴーン被告の「日本脱出」関連ニュースも、今ではほとんど報じられていない。これでゴーン被告の作戦は大成功だったということでしょうね。聞くところによると、今回の逃走劇を映画にするという。へぇ~。昔、スティーブ・マックイン主演の「大脱走」という映画があったけど、ゴーンが映画化されたら、これも人気になるのかもね~

さて、昨今のテレビでは「東出昌大、9歳年下の女優と不倫」というのが仰々しく取り上げられています。妻である杏の妊娠中に不倫、というおまけ付き。

こういう不倫騒動の際に、メディアが必ずと言っていいほど出したがる言葉が、
「芸能界きってのおしどり夫婦」というやつ。芸能人の夫婦間で何か問題が持ちあがると、決まり文句のように「芸能界きってのおしどり夫婦がナントカ」なんだからね~。今回も、御多分に漏れず、東出と杏のことをそう呼んでいました。「芸能界きっての仲の悪い夫婦」とか「芸能界きっての普通の夫婦(?)」なんてのも沢山いると思いますけど、そんな言葉、聞いたことありませんものね(笑)。

まあ、誰が不倫しようが他人がとやかく言うことではありませんし、僕らの生活になんの関係もないんだから、どうでもいいんですけどね。

それより、中国の武漢市で発生したという新型コロナウィルスによる肺炎が広がっているのが気になります。日を追うごとに感染者や死者が、発生源の中国は言うに及ばず、他国でも増えていっているし、日本国内でも3人目の発症者が出たとか。今後さらに恐ろしい事態を招きそうな気配です。

思えば、2003年の夏に妻とハワイに行った時、ちょうどSARS(サーズ)というのが猛威をふるった直後で、かなり入国手続きが厳格だったことを覚えている。今回の新型肺炎の発生で、また当時のサーズのことが取り上げられているが、あれも発生源は中国で、あの時は何カ月も公表せず、世界中から非難を浴びた経緯がある。だから今回は武漢の空港や鉄道駅を封鎖する措置をとったのだろう、と推測されている。

また、もうひとつ思えば
3年前にロサンゼルス旅行をしたとき、僕は現地で高熱を出して、フラフラの状態で帰国した(結局インフルエンザだった)。

関西空港に到着した時は「やっと着いたか」という思いだった。しかし

空港の「検疫」というところを通り抜けようとすると、係官が僕を引き留め、
「熱がありますね」
と言った。
「何でわかるん?」
と言いかけたが、どこかにカメラか何かがあって、発熱がわかったようだ。
今から思えば、サーモグラフィ、という機械だったんですよね。

「ええ、風邪を引いたようで」と僕は答える。
係官が細長い何かを僕のおデコに当て、
「38度ぐらいはあるようです」と言いながら、
「蚊に刺されたりしませんでしたか?」と聞く。
「蚊? 蚊なんかいませんでしたよ」と僕。
「どちらへ行かれました?」と再び質問。
「ロサンゼルスですけど」と答えた。
これが、アフリカとか東南アジアではなかったのが幸いだった。

係官は「デング熱とか、いろいろありますので、もし状態が急変したりしたらこちらへ」と、いろんな注意事項が書かれている黄色い紙を僕に手渡した。

やはり、外国から入国する人間が熱があったりすると、それだけ警戒しているんですよね、日本の空港も。

でもね。

今回は、デング熱みたいなアフリカ方面ではなく中国である。しかも恐ろしいウィルスです。他国と違い、中国は日本に観光で入国する人数が桁違いに多い。何十万人ですよ。

大阪も、心斎橋や梅田や阿部野には中国人観光客がいっぱい来ている。

怖いわ~。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

900円貸してください…と言われて

2020年01月19日 | 日常のいろいろなこと

先日のお昼、大阪市内に住む義姉がわが家に遊びに来た。

妻が義姉を藤井寺駅まで迎えに行き、2人で駅前のイオンに寄ってお昼に食べるものを買って帰るというので、僕は少しあとから自転車でイオンまで行き、食品売り場で2人と合流した。

そこでお寿司やらオードブルやらと、何やかやと食べ物を買い、レジを済ませ、買った物を全部僕が持って、一足先に自転車で家に帰ることにした。妻と義姉はぼちぼち歩いて帰るという。

というわけで、僕一人だけ、自転車置き場に行き、荷物を自転車の前と後ろのかごに入れて、さて出ようとしたそのときのことである。

周囲に人はほとんどいなかったが、一人の男が僕のそばに来て、
「あのぅ」と、声をかけてきた。
「は?」と、僕は自転車の鍵を開けながらその男の顔を見た。
歳の頃なら30~40代。ダウンジャケットとジーンズという姿の男性だったが、何となくかしこまった様子である。そして、
「あのぅ、介護の仕事をしているものなんですけど」
と切り出した。
僕は彼の目を見て「はぁ?」と、中途半端に返事する。そりゃそうだ。見知らぬ男から「介護の仕事をしている」って言われてもなぁ。それがどうしたん?
すると、次にこう言ったのだ。
「電車で奈良まで帰りたいのですけど、お金がないんです
「ん?」
「奈良へ帰るお金がないんです」
……
「すみません、900円、貸していただけないでしょうか」

な~んや、お金かいな。
ふむ、ちょっと怪しいで。
関わらんほうが、ええやろ。

僕は返事をせず、自転車の鍵を開けて後ろに移動させた。
「ダメでしょうか?」
とその男は気の弱そうな声を出しながら、僕から少し離れた。
そのタイミングを見計らい、僕は自転車に乗って走り出した。
振り返ると、その男はもと来た方向へゆっくりした足取りで戻って行った。

…………………………………………………………………………

男がお金を持っていない、と言った時、一瞬本当かな?と思ったことは事実だ。そんな悪そうな人間には見えなかったし。まぁ、「貸してほしい」と言われても、僕はお金を出す気はありませんけどね。

でも、「交番へ行けばどうですか? 相談に乗ってくれるはずです」と言って、近くにある交番の場所を教えてあげてもよかったし、あるいは「電車の駅へ行って事情を離せば、何とか考えてくれるのでは?」というアドバイスぐらいはしてもよかった。

しかし、そういう会話を始めると、相手はまた何だかんだと言って、長引いてしまいそうで面倒だったので、いっさい無視したわけです。

それと、いきなり「介護の仕事をしている」と言うのは何のため? お金を借りるのと何の関係があるのだろ。まぁ、介護職というのは大変ご苦労で立派なお仕事だから、それでまず信用を得ようとしている、と考えられないこともない。

それともうひとつ。900円という金額だ。見ず知らずの人間に1,000円貸してくれというのも言い過ぎかな? という発想かも知れない。何百円だったら、イメージとしてそう高くない。おまけに、気のいい人だったら、「900円は中途半端だから、ほら、1,000円」と、お札を1枚くれる可能性だってある。

そういうことを考えると、介護の仕事をしている人が、奈良へ帰るお金がない、というのも、にわかには信じがたい。最初からお金を持っていなかったのならなぜここまで来られたのか? 途中で紛失したのなら、それこそ交番へ届け出るのが最善の策だ。

やはり、あの男性の言ったことはウソだと思う。

それにしても、900円ねぇ。

寸借詐欺(すんしゃくさぎ)というのがあるらしいですけど、なんか、寒~い話ですわ。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阪神・淡路大震災から25年

2020年01月17日 | ニュース・時事

6,434人の命を奪い、約25万棟の住宅が全半壊した阪神・淡路大震災の発生から、25年が経ちました

あの日は、大阪に住む僕にとっても、忘れられない日でした。

1995年(平成7年)1月17日の午前5時46分に震災は起きたのですが15日の日曜日が成人の日で翌16日の月曜日は振り替え休日でした(成人の日が1月15日だった時代です)。

そして次の17日の火曜日は、3連休も終わって「さあ、また仕事に戻らなければ」という日でもありました。

午前5時46分のことなので、僕はまだ寝ていたわけですが。

グラッと揺れを感じて目が覚めるとすぐ異常に気がついた。「あっ」と思っているうちに、ガタガタガタっと天井や壁が揺れ出し、大きな地震をあまり経験したことのない僕や妻は何をどうしていいのかわからず、ただ布団にうつぶせて揺れが収まるのを待つばかりだった。ひたすら布団の中で身を硬くし「早く止まってくれ」と念じていた。2階のキッチンで、ガチャンガチャンと食器などが落ちている音がした。 

 ようやく揺れが収まり、NHKテレビをつけると、臨時ニュースで、早くもこの地震を報じていた。まだ真っ暗な神戸の街の生の映像が流されていた。これで、地震の中心が神戸だったことを知ったのです。

 現地にいた記者は、
「外に出てみましたが、今のところ大きな被害は出ていないようです」
そう伝えたのです。

街はまだ真っ暗だったし、火事も起きていなかったから、記者も状況をつかめなかったのだろうか。

ともかくそれを聞いた 僕は、ホッとしてテレビを消した。
「あぁ、大したことなかったんだ。しかし、すごく揺れたな」
台所で床に落ちた食器類を妻と2人で片付けて、僕はそのまま朝のジョギングに出た。そのあと、いつものように自転車に乗って勤務先の市役所へ。だから地震の続報は、その時まだ知らなかったのです。

仕事中にはもちろんテレビも見られません。まさかこれほどの大災害であったとは、仕事をしている間は夢にも思いませんでした。しかし、昼休みにロビーでチラッとテレビを見ると、かなりの被害が出ているようでした。

そして帰宅して妻から「ものすごく被害が出ているよ」と教えられ、初めて事態の大きさを知りました。ニュースを見ると、街中が炎に包まれたり、高速道路が崩れ落ちたり、信じられないような惨状でした。

あれから25年が経ったのですね。

自分自身の記憶の風化を防ぐためにもあの時のことを忘れてはならない、と肝に命じながら、当時の新聞記事を手元に残しているので、ここに掲載します。

 ……………………………………………………………………………

 地震があったその日の夕刊で報じられた死者は333人。それが翌日の朝刊では、「死者1590人・不明1017人」となっていました。その後、新聞が配達されるたびに、死者の数が増えて行ったのです。

 
  
   1995年1月17日(地震当日)の夕刊  

 

  
  同じ1月17日夕刊の社会面。
  高速道路が途中で折れて、バスが落ちかけている写真などもあった。

 

  
  翌18日(水)朝刊。
  地震発生から半日が過ぎても燃え続ける神戸市街。


 
  同18日夕刊。
  激しい地震で家が倒れ、焼け野原になった神戸



 
 1月19日(木)朝刊。災害の全貌が、徐々に明らかになってきた。
 写真では活断層が動き、地表に生じた亀裂が一直線に延びていた。

 
  同19日夕刊。
  19日になっても、三宮中心街の高層ビルで火災が発生した。
  (写真は、煙に包まれる高層ビル)
  救助に当たった自衛隊や機動隊は、生存可能者を優先した。
  生き埋めになった遺体の捜索・搬出まで手が回らないので、
  それらを地元住民の手で行なった地域も少なくなかったという。

  
 
  1月20日(金)の朝刊。
  写真は、倒壊したビルの中から57時間ぶりに救出された子ども。
  この9歳の男児は、救出の瞬間「まぶしい」とつぶやいたという。
  新幹線の新大阪~京都間はこの日から運転が再開された。


 
  1月21日(土)朝刊。
  当初、震度6と発表されていたが、気象庁の詳しい調べで、
  神戸の三宮地区と淡路島北部は震度7だったと判定された。
  昭和24年に震度7の震度階が設けられて以来、実際に
  震度7が確認されたのは観測史上初めてとのことだった。
  (2011年の東日本大震災の時の宮城県も震度7だった)

 
 
  1月24日(火)朝刊。震災から1週間が経った。
  死者はついに5,000人を超えたと報じられた。



この震災で命を失われた方々の数は、最終的に6434人でした。

 改めて、追悼の意を表し、心より御冥福をお祈り致します。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「えべっさん」 今年の福男はわが街の

2020年01月14日 | 日常のいろいろなこと

お正月休みがあって、そのあと「えべっさん」があって、そのあと3連休があって、と。昨日の13日までは何かと落ち着かない日が続きましたね。今日からようやく普段の生活の感覚が戻って来たみたいな感じです。

テレビを見ていると、「あれっ」と思うことがよくあります。

先週、学校の冬休みが明け、新学期を迎えた日のこと。NHK・TVの夕方5時台のニュースで「今日から3学期」と題して、大阪市の加美南部小学校という小学校での始業式の様子が映し出されました。それを見て、あっと驚いた僕。

大阪市の端っこの方にある何ということのない小学校が映ったのですが、その加美南部小学校というのは僕が通っていた小学校でした。だからビックリ。

長い間、耳にすることもなかったわが母校が、たまたま見ていたテレビのニュースに出てきたのですから、やはり驚きますよね。しかも昨今の少子化で小学校の統廃合が進んでいる中、この小学校も今はもう無くなっているのでは、と思っていただけに、ニュースが流れた瞬間は信じられなかった。短い時間でしたが、テレビ画面を食い入るように見つめていた僕でした。

それと、もうひとつ。

たぶん、ほとんどの皆さんがテレビニュースでご覧になったと思いますが、商売繁盛の神様「えべっさん」の総本社、兵庫県西宮市社家町の西宮神社で、10日早朝に、参拝一番乗りを目指して境内を全力疾走する「福男選び」というのが行われました。毎年の恒例行事ですが、この競争って怖いほど迫力がありますね。

そして今年、参加者約5千人の中から先頭で拝殿に駆け込んだのは、大阪府の高校教師である黒木悠輔さん(33)という方でした。令和で初めての「一番福」に輝いたわけです。

テレビを見ていた僕は「へぇ、大阪の高校の先生なんや」と思っていたら、さらに聞けば、その先生の勤める高校というのがわが街にある府立藤井寺工科高校だったとわかり、これまたビックリ。僕がよく行くスーパーの近くにあるので、この高校の前はよく通りますし、僕らは「藤工(ふじこう)」と呼んで、昔から馴染み深い学校です。ここの先生だったんですね。

 

 
 中央が「福男」となった黒木さん。

藤工の先生が今年の「福男」になったということは、藤井寺工科高校にも、そしてもう少し広げて、藤井寺市全体にも今年は「福」が来るのかな、と思ったりしています

そんなことを思いながら、きょうのお昼、妻と二人でウオーキング&買い物でその高校の前を通ったのですが、よ~く見ると

高校の前は賑やかな人通りのあるところですが、校門の前に立つと、そのすぐ後方に大きな校舎があり、その校舎の上のほうに丸い時計がはめ込まれています。道行く人からも、はっきり見えます。

その時計が、なぜか5時25分を指していたのです。

僕らがそこを通ったのは午前11時過ぎでした。なのに校舎にかかっている時計の針は5時25分。時計が止まったまま? いつから?

せっかく、ここの先生が「一番福」に輝いたというのに、学校の時計の針が止まったままではねぇ。

大阪府立藤井寺工科高校の関係者のどなたかが、このブログをご覧になられましたら、あの時計の針5時25分で止まったままの時計を動かして平常に戻してほしい、と思うわけですが、まぁ、この声は届かないでしょうね~

とか何だかんだで、僕もいつまでも正月気分に浸っていないでシャンとしなければと思っている今日このごろですが、なかなか、シャンとしませんわ。

まあ、年中ほとんどシャンとしていませんけど(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニッポン脱出ミステリー

2020年01月07日 | ニュース・時事

年末のお笑い番組で桂文珍の落語を見ました。
その中でこんな小噺がありました。

……………………………………………………

大晦日には除夜の鐘が鳴るんでございますね~
ゴーン ゴーン ゴーン
あれは108つ、鳴るんでございますね。
しかし今回は、
ゴーン ゴーン ゴーン と鳴り続けたあと、
107つまで鳴って、
そのあとピタリと鳴り止みました。
あれ、どないしたんや?
除夜の鐘は108つやろ?
なんで最後のひとつが鳴れへんねん。
なんで107つしか鳴れへんねん!

すると一人のおっちゃんが、
こう言ったそうです。

ゴーンがひとつ鳴らんかったんは、
外国へ逃げよったからや!

…………………………………………

すみません。
おあとがよろしいようで~

…………………………………………

それにしても、
カルロス・ゴーン被告の逃亡劇はまるで映画のストーリーのようですね。東京の住居から帽子にマスクの姿で1人で出て、六本木のホテルに立ち寄り、そこで米国籍の男2人と合流。この2人に付き添われて新幹線で大阪へ(車内では誰も気がつかなかった?)。そして関西空港へ。男2人が宿泊していた空港近くのホテルへ入り、そこでゴーン被告は

ホテルの部屋で箱の中に入り、箱のまま台車で運ばれて関空内に用意されていたプライベート機に乗り、まんまと日本を離れたという。

なぜ大阪の関空だったのかと言うと、事前に、驚くべき大勢の人間が、ひそかに長期間、日本中のあらゆる空港を調べた結果、関空のプライベート機乗り場が最もセキュリティが甘い、という結論に達した、と言われている。関空もなぁ。しっかりしいや!

関空を飛び立ったあとはトルコ経由でレバノンへ行った。ゴーン被告はフランス、レバノン、ブラジルの3つの国籍を持っているそうだ。しかしねぇ、関空側も少しぐらい箱の中を調べたらよかったのに。まぁ、言わばそんなセキュリティの甘さを事前に知られたから、そこに付け込まれたわけだけどね。

ある説明によると、プライベート機に乗るのは身内同士なのでテロリストなど怪しい者が乗る心配はない、ということで、つい荷物チェックが甘くなりがちなのだそうだ。でも一人の専門家はこんなことを言っていた。

「空中からサリンでも撒こうとする奴らがいるかも知れない。だからプライベート機でも何でも、飛行機に積む荷物はすべて厳しくチェックするべきです」

本当ですよね。

ご承知のとおり、15憶円の保釈金は没収ということだけど、ゴーン被告は4ケタの億、つまり何千憶円の金を持っているという話もあり、15憶円など痛くも痒くもないのでは、ということだった(ふぅ~。ためいき)。

お正月明けで、テレビ番組も通常のワイドショーが戻って来たけれど、このミステリアスな「国外逃亡」がいま最も注目を集めているところですね。

かくなる上は
「ルパン三世」に出てくる銭形警部に登場してもらい、世界中を駆け巡ってこの事件を解決してくれることを望むしかない!


さて最後に全然関係ない話ですが、昨日予定していた「今年最初の休肝日」が、やむを得ぬ事情により失敗に終わりました。で、「やむを得ぬ事情」というのは何か?

えぇ、まあ、それはね~。言い訳ですかな。

本当にやむを得なかったかどうかは、怪しいところですわ。

ゴーン ~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あけましておめでとうございます

2020年01月05日 | 日常のいろいろなこと

    

もう今年も5日になってしまいましたが、
皆さま、あけましておめでとうございます。

お正月はいかがお過ごしでしたでしょうか?
今年でこのブログを始めて13年目になります。
年月の経つのがどんどん早くなってきますね。

さて、年頭に当たり
と、いちおう改まった気分になろうとしてはみたものの、僕には年末年始の9連休も無関係だし(ず~っと連休ですからね~)、じゃぁ今年の目標は?と言っても、来年も生きていてお正月を迎えることができればいいんじゃない? な~んてことで、1年のスタートにふさわしいような抱負は浮かんできません。せめて、お酒の量を減らし、休肝日をつくることで健康を保とう、ということくらいでしょうか。

それでは

取りあえず今年最初のブログなので、わが家のお正月の様子を何枚かの写真でご紹介していきます。

まず、お料理。というより、自分で作ったのは玉子焼きと海老を焼いたものだけで、あとは市販のものばかり。超高価な「おせち料理」は最近は買っていませんので、まぁ、寄せ集めのお皿です。これを2皿用意しました。

 

これにお寿司を加えてテーブルに並べる、という段取りです。

そして元旦の午前。新しくできたイオンが10時に開店するというので、お寿司を買いにちょうど10時に着くように行きました。店に着くとすでに行列ができていて、すぐに入口が開き、ぞろぞろと人が入って行く。

僕は自転車を置き、イオンの専門店の入口から「鯛将(たいしょう)」という鮮魚店へ向かうと

なんとまぁ、そこには今来たばかりのお客たちが群がってお寿司を取り合っているではありませんか。僕も走り寄って売り場を見たら、2人前のセットで残っているのがあと数個。それも横から手が伸びてきて2つも3つも取ろうとするオヤジがいたので僕はそのうちの2つをガっと押さえつけ「これはもらった!」とオヤジの手をふりほどき、なんとか2パックを確保してレジへ向かった次第です。

まさかねぇ。正月の朝イチから寿司の争奪戦が繰り広げられようとは

そして昼前に来た次男の家族と、数時間、ワイワイと過ごしました。

 
まぁ、ざっとこういうふうにテーブルに並べてみました。
これらの他には、子どもたちの好きなカステラやケーキなど。

 

途中からケイとモミィは別室へ行き、
オセロゲームやトランプをして楽しそうに遊んでいました。

 

  
4年生になったケイとの2ショットです。
ケイは幼児の頃から今もサッカーを頑張っています。

そして翌日は長男と4人で、毎年恒例の、
道明寺天満宮への初詣に行きました。

 

 


 


ところで、
1日、2日と、よく飲みましたわ。
今日から節酒、休肝日を実践しなければ。

いやいや、今日はまだ日曜日じゃん。
明日からですわ 
まず、明日の月曜日を今年最初の休肝日とします。

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする