僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

初めての海水浴

2010年07月31日 | モミィの成長日記

モミィとソラを連れ、妻と4人での白浜1泊旅行は、ツイてなかった。
2人とも、砂浜で遊んだことは何度かあるが、海の中に入ったことはない。
つまり、これが海水浴デビューなのだ。
それが、よりによってこの28日と29日だけ、悪天候に見舞われるとは…

1日目の28日。
曇り空の大阪天王寺駅から11時半発の特急「スーパーくろしお」に乗る。
まだ、雨は降っていない。
列車では、3人分の指定席を取っていた。
×号車、△番のB・C・Dの3席である。

僕がB席に座り、通路を挟んだCとDの席に妻たち3人が座った。
妻とモミィとソラで、この2人掛けの席はちょうどいい大きさだ。

モミィたちはさっそくデパ地下で買ったばかりの弁当を広げ始めていた。
では僕も、弁当をアテに、駅で買った冷たい缶ビールを飲むぞぉ~
…と至福の気分になりかけたその時、
「ここ、私の席ですので」と、スーツ姿の男性が現れた。
僕は席を立ち、通路に出て、その男性が窓側のAの席に座るのを眺めた。
どうせここは空席だろう…というアテは見事に外れてしまった。

スーツ姿の男性は、いかにもバリバリのビジネスマン風だ。
大きな荷物を棚に押し上げ、ドンっと座り、腕組みをする。
虚空を睨むその態度には、なんとなくトゲトゲしい雰囲気が漂う。

おまけにビジネスマンは大柄な男だったので、どうも窮屈でならない。
そんなところで、弁当を広げ、缶ビールを開けるのもなぁ…。

いきなり出ハナをくじかれた僕であった。

幸い、ビジネスマンは次の停車駅の和歌山で下りた。
ここでようやく「プッシュー」っと缶ビールを開ける。
グビグビグビグビ…

列車が白浜に近づき、海が窓の外に広がってきた。
気になる雨は、まだ降っていないようだ。


ホテル「むさし」に着いたのが2時頃。
海水浴場は、ホテルから水着のまま行ける至近距離にある。

「すみません、チェックインは3時ですので…」とフロント。
「海水浴へ行かれる方は、そちらの大浴場でお着替え下さい」
「荷物は…?」
「こちらでまとめてお預かりしておりますので…」

そんなやり取りがあったので、僕らは大浴場へ行き、水着に着替えた。
必要な荷物だけ、着替えない妻が持ち、あとは荷物預かり場所へ…

すると、「あ、もう大丈夫ですから、チェックインしてください」
と、従業員が言った。なんだ、それは…? 3時からと言ったくせに。
僕もモミィもソラも、水着姿で、いざ出陣のモードなんだよ。

妻が、ごった返すフロントに並んで、やっと部屋番号札をもらってきた。
部屋番号は6015室、とある。
このホテル「むさし」は、新館、旧館、ナントカ館とかが入り混じり、
複雑な迷路のような造りになっているので、部屋にたどり着くのも大変だ。

ようやく探し当てた6015室。しかし…
「鍵は…?」と妻に尋ねる。
「鍵…?」
「そう、この部屋の鍵はどこ…?」
「あら、鍵ねぇ。あ、もらってこなかったわ」
「な~んやそれ」
「もう一度フロントに行って来る!」と、妻はエレベーターの方に走った。
「まだぁ…? 海水浴は、まだかぁ…?」とモミィやソラが叫ぶ。
僕たち3人は、さっきからずっと水着姿のままでウロウロしているのだ。

やがて、妻が戻ってきたが、その横に仲居さんがいて、
「申し訳ございません。私がお部屋までご案内させていただこうと…」
しかしフロントが人だらけだったので、僕らがわからなかったそうだ。
鍵は、最初からこの仲居さんが持っていたのである。

あぁ、時間はどんどん経っていく。
今にも雨が降り出しそうだというのに…。

部屋に荷物を置いて、廊下へ飛び出す。
また、迷路のような通路やエレベーター、階段などを下りる。
ホテルの裏口に「海水浴場への通路」と大きな看板がある。
そこを通り、外に出て、子どもたちの手を引き、浜辺に出た。

これまで、海に来ても波を怖がって水中に入らなかったモミィ。
海どころか、プールですら1週間前の市民プールが初めてだったソラ。

そんな2人だったが、最初は少しためらったものの海に入ると大喜びした。
モミィは、さすがスイミングスクールで水に慣れているところを見せた。
ソラも、最初は膝まで浸かったまま固まっていたが、
数分で恐怖を喜びが上回ったのか、威勢よくはしゃぎ出した。

だが、30分ほど遊んだら、雲行きがいよいよ怪しくなってきた。
何やら聞き取りにくい割れた声が、拡声器を通じて流れてきた。
「雷雲が出てきているので、注意してください」
というようなことを、放送しているようだ。
そのうち、大粒の雨がパラパラと落ちてきた。

「ありゃ、これはヤバイ。ホテルへ帰るぞ~」
と、浜辺で見学していた妻と4人で、ホテルへ走って帰った。
他のお客たちも、どんどん浜辺から退却して行った。

ホテルの部屋に戻り、窓の外を見ると、すでに本降りである。

しかしまあ、わずか30分くらいだけど、海に入れてよかったと思う。
予報では、明日も雨だという。しかも今日の雨より激しいらしい。
せっかく海水浴に来て、一度も海に入れないのでは話にならないもんね。

夕方から温泉に入り、バイキングの夕食を食べて、くつろいだ。
浴衣を着たモミィとソラは、部屋の中でも外でも走り回っていた。

一夜明けて29日の午前5時。窓の外を見る。
かなりきつい雨が降っている。

アナザービートルさんから早朝メールが入っていた。
「大阪も雨です。和歌山も雨でしょうね。気をつけて楽しんで来て下さい」
というようなことを書かれていた。
ありがとうございます。気をつけて、楽しみま~す。

やがてモミィたちが起き、大浴場へ行き、朝食へ…。
雨は益々激しくなり、10時にチェックアウトしたものの、することがない。
他にも、ホテル内でぶらぶらしている客たちが多かった。

こんな雨でも、子どもたちは海が見たいと言う。
フロントで「むさし」と書かれた傘を2本借りて、4人で海辺に出た。
海は誰も泳いでいない。制服を着た監視員のような人が歩いている。
浜辺を、傘を差して散策している人も、わずか数組である。
同じ浜辺での昨日の喧騒とは大違いである。

モミィとソラは、浜辺に押し寄せる荒い波にキャッキャ騒いでいた。

またホテルに引き返し、ロビーで時間をつぶしている間、
雨は横殴りの強烈なものになり、玄関の向こうが見えないほどだ。
やがて時間が来たので、タクシーを
頼んだ。

タクシーのワイパーも効かないほど猛烈な雨である。
運転手さんも苦笑いしながら、
「こんなひどい雨は、めったにないです。日が悪かったですね~」

白浜駅前で昼食をとり、午後1時半の特急「くろしお」に乗った。
豪雨のため、列車は少し遅れたが、10分ほどの遅れで済んだ。

白浜を出て1時間も経たないうちに、空が明るくなり、雨が止んだ。

3時半に大阪天王寺へ着いたら、青空が広がっていた。

なんのこっちゃ、の1泊旅行だったけど、子どもたちが熱も出さず、
無事に行って帰れたことで、まあいいか…と妻と納得しあった。

たとえ30分でも、海に入って遊べたことも、幸運だったということで…。

 

 

 

 

 

 

 

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なんでやねん !

2010年07月28日 | モミィの成長日記

7月28日 午前6時過ぎ

今日このあと、モミィとソラを連れて、白浜へ1泊旅行に出かける。
もちろん、海水浴が目当てである。
もうそろそろ、準備しなければならない時間帯だが…。

でもまあ、みなさん、聞いておくんなはれ。

昨日まで猛暑続きで憎たらしいほどの  が続いていたのに…  。

それが、どうして今日から天気が下り坂で、明日は  の予報なのだ 。


   ぐすん

白浜は和歌山県だから、そこの天気予報を見ると、今日の午後から雨だ。

明日は一日、雨だそうだ。大雨の恐れすらあるという。うぅぅ。

なんで…?
なんでやねん…? 

ひどいじゃあ~りませんか。

あぁ、ツイてないなぁ。

でも仕方ありませんね。

気を取り直して、行って来ます      。

 

 

 

 

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夏樹静子さんと心身症 2

2010年07月26日 | 読書

6月の初旬に書いた「夏樹静子さんと心身症」の記事が中途半端に終わっていたので、この前、akira さんから続きを「催促」されました(笑)。書こう書こうと気にしながらいろんな事情でついズルズル。今はもう誰も覚えていないだろうしね~と思っていたところへ akira さんから「続き、まだですけど…」と言っていただいたので、へぇ~~と驚くと共に、たいへん感激しました。なんとまあ、ずっと覚えていただいていたんだ、という喜びですよね。

そんなことで、「夏樹静子さんと心身症」の続きを書きます。

これは、夏樹さんの著書「椅子がこわい 私の腰痛放浪記」(1997年刊)の僕の読書感想文でもあります。

前回の記事はこちらですが、簡単に概略を述べますと…

著者の夏樹静子さんは、ご承知のとおり超有名な推理作家です。
その夏樹さんが、1993年1月から約3年間、原因不明の激しい腰痛と、それに伴う奇怪なほどの異様な症状や障害に悩まされたのでした。
夏樹さんは考えられる限り、ありとあらゆる治療を試みます。
MRI検査から先祖の仏壇の祈祷まで、医師や知人に勧められるままに、それこそありとあらゆることに挑戦してみますが、結局何ひとつ効なく、症状はジリジリと不気味に増悪し、心身ともにいよいよ苦しみ、自殺まで考え、複数の医師から睡眠薬400錠を集め、いつでもこれを飲んで死ねる状況を作っていた、というところまで追い詰められていました。

そして、彼女は、どうしても最後まで信じられなかった治療法に身を委ねることになるのです。

その夏樹さんが「最後まで信じられなかった治療法」というのは、心身症患者に対する治療だった。心身症…といえば、夏樹さんにとっては一番「そんなことはない」はずの症状だった。生来のネアカで、小説を書きたくて書きたくて仕方がない自分のどこが心身症なのだ…と、夏樹さんは思う。だから、精神科医の説明に対しても懐疑的である。痛みの原因がわからないので「心身症」だと言ってごまかしているのだろう…と考えたりする。

実際、心の病を抱える人は多いが、精神科医が少ないわが国では、じっくり患者の話を聴くシステムが確立されておらず、したがって「心のストレスから来る心身症でしょう」と診断されて安定剤をもらってハイ終わり…というのが多い。

夏樹さんも、どうせそんなことだろう…と、この治療には気が進まなかった。
だいたい、これだけ体が痛いのである。肉体的な傷病としか考えられない。
心の治療くらいで、これほどの症状が良くなるはずがない…と。

「あらゆる治療への期待を失ったいま、これ以上さらに新しい可能性の扉を叩く意志の力など、一雫(ひとしずく)も残されていない気がした。また見ず知らずの医師に会い、二年半にも及ぶ病歴を一から説明し、どうせ効きっこない治療を受けてみたところで何になろう。心も身体もいっそう疲れて落ち込み、いよいよ悪くなる結果は目に見えているようであった。」

夏樹さんはそう書いている。

そこに登場するのが内科と心療内科の医師で平木英人という人だった。

この本の後半では、夏樹さんと平木医師との、壮絶な心理戦が展開される。

平木先生は「典型的な心身症ですね」と伝える。
それに対して夏樹さんは「先生は心療内科でいらっしゃるから、何でも心因に見えてしまうんじゃありませんか…?」と思わず本音を言ってしまう。
「胃潰瘍とか偏頭痛とか心臓神経症なら心因といわれてもなるほどと納得しますよ。だけどまさか腰痛がねぇ…」
「いや、どこに出てもおかしくないのです。たまたまそれが胃潰瘍になったか腰痛になったか、というだけのことです」

そんな会話やファックスでのやりとりが、延々と続く。

医師は夏樹さんに、まず「夏樹静子」を捨てなさいい、と言う。
高名な作家である自分を捨てて、一主婦に戻るところから出発する。
医師は、夏樹さんが「人気作家夏樹静子」に押しつぶされていると診断する。

もちろん夏樹さん本人は「とんでもない。いくらでも小説の案が浮かんできて、もっともっと書けるのを楽しみにしているのだから、プレッシャーなどない」
そう反論する。

しかし医師は
「人は意識の領域より、無意識の領域のほうが大きいのです」
と言い、夏樹さんに入院を勧め、夏樹さんも渋々入院を受け入れる。

熱海の海の見える病院に入院して、最初に行われたのは、12日間の絶食療法だった。水か番茶だけは一定量以上飲み、ほかの必要な栄養素は点滴で補給。期間中は主治医、看護婦以外との接触は禁止。テレビ、ラジオ、新聞、読書、電話もいっさい禁止。入浴はシャワーのみで、歯ブラシを使うのも出血しやすいので禁止という徹底したものだった。

「必ず治るのだと信じること。頭の中には、自分はもう元気な身体に戻れないのではないかという誤った情報がインプットされている。それを塗り替えるのです」
医師が力強く言う。

絶食療法というから、最初は、空腹と退屈さえ我慢すれば良いだけ…と考えていたところ、激痛で眠れない日が続く。こんなのもうイヤ、家に帰ろう! と夏樹さんは何度も思う。
しかし、そのつど、
「必ず治りますから」
という平木先生の言葉で、何とか思いとどまった。

「あなたは、せっかちな性格ですね」と平木先生。
「この性格は、一方では活発・迅速に仕事ができるなどの良い面もありますが、思うようにいかないとすぐがっかりしたり、焦ったり、苛立ったりするマイナス面も大きいのです」
そう言われると、夏樹さんは思い当たるところがあった。

「そうですね。何でもつい急いでしまいますし、たえず向上していないと気がすまないような…」

「無意識のうちに幻のような病気を作り出して、あなたは作家夏樹静子から逃避した…。それがこの症状の実態です。意識の下には、何十倍もの潜在意識が潜んでいるのです」

絶食期間を終え、また普通の入院生活に戻った。
体が入れ替わったような、奇妙な感覚があった。

夏樹さんは平木先生の助言を取り入れ、1年間、夏樹静子としての活動を完全にストップすることを約束した。つまり休筆である。

そんな医師とのやりとりの中で、夏樹さんの症状は徐々に改善に向かう。

そうして、自分が本当に心身症だったことに気付いていく。
「それだけは、違うだろう」と思っていた心身症だったことに…。

夏樹さんは無事退院し、症状は劇的に快癒した。

「ここまで心と身体が密接に関わっているのかということに気づかされるまでに3年かかった。最も自分として認めにくかった自分を認めた瞬間から、治癒が始まったのではないだろうか」という夏樹さんの言葉が、まだ僕の頭の中を漂っている。

心身症に対する僕自身の考え方も、この本によって大きく塗り替えられた。

 

 

 

 

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また耳鳴りのこと

2010年07月24日 | 心と体と健康と

耳鳴りについて久しぶりに書いたら、てつおさんという方から初めてのコメントをいただき、また、わが親愛なるのこたんさんも、ご主人が耳鳴りに悩んでおられることを書かれ、以前コメントをいただいたことのあるゼンさんからも、同じ大阪に住んでおられて同じ病院へ行かれているということをお伝えいただきました。また、少し前にはgleam1031 さんから、効果的な生活改善の実践について貴重な情報をいただいたりしました。

こうしたコメントをいただき、僕自身、ものすごく励まされています。
悩んでいるのは自分一人ではない、といえば不謹慎かも知れませんが、
共通の悩みを抱えているということが、孤独感を癒してくれるのでしょうね。

特に耳鳴りは、自律神経との関わりも大きく、医師の中には、
「耳鳴りはウツ的症状のひとつ」と言い切る医師もいます。

でも、自分はウツではない…と断固思うことが大切なのですよね。
ウツなんてことを思い始めると、本当に体が動かなくなり、
人と会うことも、嫌になります。
徐々に引きこもりがちになります。
そして何もかもが、嫌になります。
そんな悪循環だけは、絶対に避けなければ。

耳鳴りに悩み、「あぁ、自分は一生この音に悩まされるのか…」
と深刻に思い詰めると、絶望感しか残りません。

でも、生きている限り、「絶望」だけはしたくない…と思っています。

耳鳴りのない静かな環境、というものがどんなものだったのか…
僕はもう、忘れてしまいました。

でも、先日のこと。

お昼に親戚の人にご馳走になり、焼酎お湯割りをしこたま飲みました。
実はその夜、以前勤めていたところの人たちとの飲み会の約束がありました。
ところが、昼に飲みすぎて体調を崩してしまいました。
そして、なんと、夜の約束を忘れてしまったのです。

翌日、携帯電話に、約束をしていた人たちからの着信や留守電がいっぱい入っていました。「うぅぅ…」と僕は死んでしまいたい気持ちでした。

しかし…。
飲みすぎて体調を崩し、帰宅してバタンと倒れて、朦朧としていた時。
時々目が覚めたのですが、そのとき、…耳鳴りが聞こえませんでした。
頭ボケボケだったのに、それだけは、鮮やかに記憶に残っています。
シーン、と静まり返っていました。
まるで夢を見ているようでしたが、決して夢ではありません。
酒で、脳がどひゃ~んとびっくりしたのか、耳鳴りが消えたのです。

「あぁ、耳鳴りがないというのは、どれだけ快適なんだ…」
そう意識した瞬間、キーンとまた耳鳴りが戻ってきました。
その間、わずか10秒ほどでした。

翌日、何の連絡もせずに約束をすっぽかした自分に、嫌悪感を抱きました。

ストレス…
日ごろから、やはりそういうのが溜まっていて、飲酒が過ぎてしまうのか。
そのストレスの原因は耳鳴りなのか…と、いささか言い訳がましく考える。

「あかんなぁ、ボクは…」と、落ち込む一方でした。
そんなとき、わずか10秒とはいえ、耳鳴りが消えたことを思い出しました。

それが、その日の唯一の救いでした。
耳鳴りが消える日。
そんな日が、再び訪れる…わけ、ないか?

いやいや、悲観してはいけない。
とにかく希望を持とう。…そう思いながら、昨夜約束をすっぽかした人たちに、お詫びメールを打ちました。

とりとめのない文章になってしまいましたが…
ここまで書いたら、なんとなく気持ちがスッキリしました。

僕は、このブログを、「耳鳴りサプリ」にしているのかも知れませんね。

 

*追伸

「耳鳴サプリ」と言えば、先日、同じ耳鳴りで悩んでおられる yukari さんから、耳鳴りを緩和するCDをいただきました。モーツァルトの音楽や自然音などが入っているそのCDを、ウォークマンに取り入れて聴いています。とても気分がいいです。
yukariさんは今、お父様の看病に明け暮れる毎日で、こちらへくださっていたコメントも途切れましたが、お父様が快癒されたら、また書き込んでいただけると思います。yukariさんの明るく楽しいコメントを読むと、耳鳴りに悩む人たちも勇気付けられると思いますので、再びその日が来るのを心待ちにしています。

 

 

 

 

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久しぶりの耳鳴り療法

2010年07月21日 | 心と体と健康と

今月中旬、久しぶりに大○前病院へ行き、耳鳴りの治療を受けた。
治療、といっても、僕の場合はTRT療法(耳鳴り順応療法)というもので、治療の中身は言わばカウンセリングである。

思えば去年の秋頃に行ったきりで、今年1月に予約していたのが風邪を引いてキャンセルし、その後、予約の電話を入れなければ…と気になっていたが、根がのんきな僕は、ついついそれから半年以上も放置してしまった。

耳鳴り治療器であるTCIも、つけたりつけなかったり、である。
…ということは、つけてもつけなくても同じか…?ということになるが、それは違うのだ。やはりつけた方が少しは楽である。だけど、いつまでもこの機器に頼るのもどうか…という思いと、当初のように朝から晩まできちんとつけるということが億劫になってきた…という2つの面がある。相変わらず耳鳴りは、ジーンジーンと頭に響き続けているし、日によっては音がすさまじいほど大きく感じたりする。そんな時はたまらず、TCIをつけるが、それでも、わずかに苦痛が減る、という程度だ。

このTRT療法は、最後は機器をつけなくても耳鳴りが気にならないまで順応する、というのが目的であり、決して耳鳴りを消すことではない。
(つまり、耳鳴りは今後も「消える」ことはない…ということね。ぐすん)

耳鳴りが発症してから2年10ヶ月が経ち、TRT療法を始めてから2年半が経った。

さて、その、病院へ行った日。
まず、耳鼻科で聴力検査を受けた。
高音部分が難聴気味だが(そりゃ、耳鳴りと波長がいっしょだから聴こえないのは当たり前だと思う)、前回とほぼ変化はなかった。
ずっと診てもらっていた宇○先生は3月に退職され、別の病院へ行かれたという。新しい医師とは1分ほどで会話は終わり。
「デパス、ください」と僕が言うと、医師は、
「え~っと、どういう飲み方をしておられますか…?」と訊いたので、
「1日、1錠か2錠。気分を安定させてます」と答える。
すると、医師は、
「う~ん。でも、前回処方してから1年近く経ちますけどねぇ」と言った。
そ~か。ここへは10ヶ月近く来ていないんだもんね…と思い出した。

実は、デパスは、不整脈で毎月通っている病院でもらっている。
でも、せっかくここへ来たのだから、ここでも、もらっておきたい。
デパスは、なるべく多めに手元に置いておきたい…。
「えっ…、あの~」と僕はちょっと口ごもったけれど、
「もう無くなりかけていますし、無ければ不安なので…」
と、うろたえていると、
「はい。わかりました。デパス、出しておきます」
やれやれ。一安心。

そして、いつもの言語視聴覚室へ行ってTRT療法だ。

「お久しぶりですね」と、前○先生が僕を見て微笑む。
こちらは転勤しておられず、よかったよかった。
TRT療法まで別の先生になるなんて、イヤ~んバカ~ん、だもんね。

「どうも、どうも、ご無沙汰しています」と僕。
「耳鳴りは、どんな感じですか…?」
「…そうですね。まだ機器がなければダメですね」
と、左耳に装着している機器をいじる。

「のんさんはよく旅行をされていますよね。そんな時はどうです?
 ある人は旅行中は、耳鳴りは忘れてしまうそうですが」
リフレッシュしたときは、耳鳴りが気にならないという人もいる。
でも、僕の場合はダメである。
「旅行ぐらいで忘れるほど半端な音じゃないですからね~」
「ふむ、ふむ…」
「今、ジムに通って毎日水泳をしてますけど、プールに潜っても、耳鳴りは水の中でキーンと大きな音で響いています」
「ふ~む、ふ~む…、そうですか…」
「あきませんわ。もう3年近くなるというのに…。まだ慣れない」

いつもはもっと明るくしゃべるのだけど、久しぶりに行ったこの日は、先生の前で、なんだか、つい弱音を吐いてしまう僕なのであった。

それでも、ここへ来ると、何となく安心する。気が休まる。

耳鳴りのつらさは、他人に理解されにくく、孤独感が募る。
耳鼻科の医師も「耳鳴りなんて病気じゃない」と軽視する。
まぁ、病気ではないことは事実だろう。
だって、病気は治るのがほとんどだけど、耳鳴りは治らないのだから。

そういう気分を、この「TRT療法」では、癒してくれる。

次回は2ヵ月後に予約をした。
まだ当分、「卒業」はできそうにもない。

「耳鳴りって、どんな音…?」と訊かれることがある。
人によっていろんな音があるようだけれど、僕はジージーとか、キーンとかいう金属製の突き刺すような高音である。耳が鳴るというより、頭が鳴ると言った方が正確だけど、まぁどんな音か、たとえて言うと、蝉がいっせいにまわりで鳴き出したような音…と言えるかも。

そういえば、数日前から急に蝉が鳴き始めた。
今も窓の外からけたたましい蝉の鳴き声が聞こえる。
あぁ、また蝉の季節…。ピンキーとキラーズ…。そら「恋の季節」や。

「八日目の蝉」という角田光代さん原作のNHKドラマがあったけれど、
僕は3年前の9月から耳元で蝉が鳴き続けている。

「千日目の蝉」という題の小説でも書こうか思うほどだ。
蝉が千日も生きるわけ、ないけどね。

げっ~! 
今、これを打っているまさに今、グラグラっと家が揺れた。
7月21日の午前6時19分。

地震だぁ!

    


今、おさまったけれど、
大阪ではめったに地震はない。
それだけに、慣れていないので、びっくりして腰が抜けるかと思った。

やっぱり、耳鳴りより、地震の方が怖いなぁ。

 

 

 

 

 

 

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参議院選挙と議員の資質

2010年07月15日 | ニュース・時事

すでに、旧聞に属することで恐縮ですが…

先日、オガさんという方からコメントをいただきました。
参院選の結果について僕の意見を聞きたいということでした。
まぁ、あまり大した意見は持っていませんけど。

今回は特に、気の進まない選挙であったことは確かです。
あなたにとってマイナス4、マイナス5、マイナス7のどれを選びますか?
…な~んて言われたときに、選ぶ気になります?

あるいは、あなたは肺がんで死ぬのと肝臓がんで死ぬのとどちらがいい?
…な~んて言われたときに、はい、こっちがいいで~す、って気になります?

だから投票場へは気が進まないまま足を運んだというのが正直な感想です。

結果は民主の「惨敗」ということで、自民が喜んでいましたが、これもねぇ。
みんなの党が二ケタの新議席を獲得して盛り上がっているのが目立つくらい。(ここもすぐにボロが出そうだけど)

管首相が直前に消費税10%を持ち出したのが敗因だと言われていますが、消費税の税率アップは今後の少子高齢化の社会構造の中では不可欠のもの、と以前から言われており、にもかかわらず、鳩山政権では「今後4年間は上げない」と流れに逆行する公約をしたことこそ問題だったのではないかと思います。管首相は、その公約が誤っていたことを示したに過ぎないと思うのですが…。
ただ、こども手当てなんかをバラ撒いておき、それでさらにやせ細った財源を消費税で補う…というのなら、当初の目的と大きく異なります。問題は、消費税アップは仕方ないけれど、他のバラ撒きを補填するために使うようなことをしてはならない、という点ですよね。

自民党もロクでもないが、民主党があまりも未熟でお粗末だった…という国民のがっかりした気持ちが、票に表れたのでしょうね。
民主党に投じた人は「もう1回だけチャンスをやるから、なんとかしろ」
自民党に投じた人は「ここもひどいが、むこう(民主党)はもっとひどかった」
みたいな感じだったのでは…。

それにしても、タレント候補と呼ばれた連中がほとんど落選したのは、いい傾向だった。「絶好調!」と叫ぶ中畑のバカ丸出し姿を見て、もしこんなのが当選したら世も末だと心配していた。日本国民の意識も上がって来たなぁ。
ただし谷亮子が上位当選したのは、気に入らない。まだ「オリンピックで金を目指す」と、ぬけぬけとしゃべっている。
僕は、大阪の民主党比例区に、下手な落語家で淫行で捕まった過去もある桂きん枝が出ていたことでアホくさくなり、民主党に投票するのをやめた。

ともあれ、参議院が、役に立たなくなったタレントたちの「姥捨て山」となることをなんとか防げたのは、国民の手柄であろう。

…とまあ、ありきたりの「意見」を書かせていただきましたが、国会議員のことはよく知りませんが、市議会議員だったら、よ~く知っていますよ。

参院選とは関係ありませんが、市議会議員を大雑把に批評させてもらえば、党によってかなり議員の資質が違います。

かつて僕が勤めていた市議会の議員たちを思い浮かべてみると…

何十年も前の市議会議員というのは、共産党を除くほぼ全員がガラが悪かった。
(じゃぁ、共産党はガラが良かったのかというと、そうではなく、教条主義的で人間味というものを感じられなかったので除いたわけ)。

議員はみんな、態度はえらそうだし、職員は見下すし、議会事務局の職員などは召使か何かのように思っているような横柄な言動が目に付いた。

最近は議員の中にも紳士淑女が増えてきて、まじめで勤勉な議員も多くなった。

僕が勤めていた最近の議会では、まず民主党の議員が最も好感度が高かった。
ものごとをよく理解していたし、複眼的にものを見ていた。
まあ、職員からの信頼は一番厚かったようである。

公明党も共産党も、市民に対して熱心な政治活動を続け、よく働く。
イデオロギーはむろん違うけれど、人間として、やはり真面目な人が多い。
しかし、共産党には「勘違い」議員が多く、公明党には「イマイチ頼りない」議員が多いのも事実だ。

しかし、自民党には、あらゆる意味でアホな議員が多かった。
一生懸命勉強するしっかり者の議員も中にはいるが、数は少ない。
昔ながらに職員を呼びつけて市民からの「口利き」をし、気に入らなければ脅すような議員も、少数だがいた。本会議場の質問に、テレビ番組ばかりを引き合いに出す議員や、延々とピントのずれた質問を得意げにする議員など、いかにも勉強不足が目立つ議員もいた。葬式に出ることを本職のように考えている議員もいた。

市政について学ぼうとせず、有権者との付き合いばかりを優先するのがこのタイプの市議会議員なのだ。

国会議員も、やっぱり自民党にアホが多いのか、とつい思ってしまう。
しかし、新聞やテレビを通して見ていると、民主党のほうが、もっとアホが多いように思えてくる。

どういうアホが最もマシなのか…
一票を投ずるときの目安は、これぐらいのことしかないようだ。

こんな政治家たちに期待をかけるのが、そもそも無茶というものである。

 

 

 

 

 

 

 

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オランダとスペイン

2010年07月08日 | スポーツの話題

日ごろから不眠症やら早朝覚醒やらに悩んでいる僕だけど、午前3時半からのサッカーW杯の準決勝は、そんな自分にとってまことに都合のいい時間帯である。

今朝も3時過ぎに起きて、テレビをつけた。
ドイツ対スペインという、大会屈指の好カードだ。
僕は、理由は後述するが、スペインを応援していた。

試合は淡々と流れたが、スペインのほうが動きが良く主導権を握っていた。
「スペインはこれまでで一番いい試合をしていますね~」とアナ。

スペイン優勢のまま0対0で前半を終了。
後半はドイツが巻き返しに出るだろう…と思った人は多かったに違いない。
こういうサッカーは、後半の展開が逆になることが多いんだもんね。

案の定、後半20分頃からドイツが仕掛けてきた。
スペインが守勢に回りはじめた。
「やっぱりドイツは強いんだ~」と独り言をつぶやいていると…
後半28分。
スペインがコーナーキックを得た。
そして、見事にヘディングシュートを決めて1点を先取した。

ドイツは反撃に出るも精彩を欠き、そのまま試合終了。
スペインは、決勝戦に進出するのは、初めてだそうである。

ところで…

長いサッカーW杯の歴史でも、欧州勢が欧州での大会以外で優勝したことはない。たとえば、前回のドイツ大会はイタリアが優勝。その前の日韓大会はブラジルが優勝。その前のフランス大会は地元フランス。その前のアメリカ大会はブラジル。その前のイタリア大会はドイツ。その前のメキシコ大会はアルゼンチン。その前の…もうええわ。

…というように、欧州が優勝するのは、必ず欧州の国で開かれた大会に限られていた。だから、僕はこの南アフリカ大会での欧州勢の優勝は絶対にないと考えていた。優勝は…アルゼンチンである。マラドーナが率いるアルゼンチンであ~る! と信じて疑わなかったのだが、準々決勝でドイツに敗れてしまったのはショックだった。

そして、その前にブラジルがオランダに敗れていた。
では、もしかしてウルグアイが優勝…? とも思ったが、それも消えた。
欧州勢は欧州の大会でしか優勝できないという一大ジンクスが崩れたのだ。

その結果、決勝戦は、オランダ対スペインという、かつて優勝経験のない国同士の戦いとなった。

僕の予想は外れたけれど、いい組み合わせになったなあ、と思う。

ドイツもウルグアイも、行ったことのない国だが、オランダとスペインには旅行したことがあり、それぞれの地に懐かしい思い出がある。

オランダはヨーロッパで初めて訪れた国だった。
もう16年前になるが、アムステルダムの運河、美しい町並みと素敵な自転車道、アンネ・フランクの家、ゴッホの「ひまわり」、風車などの光景が、今でもくっきり目に浮かぶ。それと、何度か道に迷ったとき、教えてくれた人たちは、例外なく親切で優しい人たちばかりだった。その時からオランダ人が好きになった。

スペインには妻と2人で2回行った。
15年前に、サン・セバスチャンというところへ行ったのが1回目だが、今アルゼンチンでシェフをしている甥が、当時はその地で料理の修業をしていたので、パリから新幹線に乗って国境を越え、彼に会いに行ったのだ。

もう一度は9年前。
市役所勤続30年で与えられたリフレッシュ休暇を利用し、10日間ほどかけてマドリードとバルセロナを旅行した。これもツアーではなく、個人旅行だった。バスと列車を使った古都
トレドやアランフェスへの日帰り旅行もした。生涯の思い出となる、印象深い旅であった。

オランダとスペイン。
そういうことで、ともに僕の好きな国である。

決勝戦は、参院選が行われる11日(日)の翌朝3時半からだ。
選挙開票結果も大いに気になるし、オランダ・スペイン戦もぜひ見たい。
寝ている時間は、ほんの
わずかしかない。

悩める不眠症と早朝覚醒が、今回は強力な武器になりそうな一夜である。


 

 

 

 

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「月の恋人」 とモミィの関係

2010年07月06日 | モミィの成長日記

妻がキムタクの大ファンなので、おつき合いで「月の恋人」をずっと見ていた。昨日はその最終回で2時間枠で放映された。ドラマの間に、いつものことだが視聴者をバカにしているかのような数多くのCMが入り、しかもそのCMに、全く別キャラのキムタクが出てきたりするので、余計にドラマが散漫になる。あぁ~、やっぱり録画してから翌日に見ればよかったと、途中で後悔した。録画だったら、自動的にCMがカットされるんだもんね。

しかしまあ、ひとことで言えば、全体的にわけのわからないドラマだったけれど、最終回は特につまらなかったなぁ。

キムタクは、篠原涼子、リン・チーリン、北川景子の3人の女性から愛される。(いいなぁ。…こんちくしょう!)
それが、ロマンチックコメディでもないし、社会派ドラマでもないし、感動ドラマ…というにもほど遠い。やっぱり単なる恋愛ドラマというべきかも知れないが、無表情を貫くキムタクを見ていると、そのモードにも乗り切れない。3人の女性がみんなキムタク演じる蓮介に振り回されている感じで、なんだか中途半端なまま最終回を迎えたが、昨日のラストも全然パッとしなかった。「キムタク、10年ぶりの本格的ラブストーリー」というテレビ局の宣伝文句が泣くぞ~。

結局、最後は篠原涼子と結ばれるのだけれど、それはドラマの初回からすでに誰でもわかっていたことだろうから、そこまでの2人の心の動きとか、いよいよという告白シーンとか、結ばれる決定的瞬間とかをどう表現するか…というところに、せめてもの期待をかけた。しかし、それもアホくさいほど見事に裏切られてしまった。見終わっても何の余韻もない…という感じだった。

キムタクの大ファンである妻も、テレビ画面を見ながら、
「あぁ、キムタクも年取ったわねぇ。顔が少し腫れぼったい感じ」
「なんだか筋書きが曖昧で、共感できるところがないよね」
な~んて残念そうにつぶやいていた。

まあ、人はみな、年を取るもんですけどね~。

それにつけても思い出すのは昔の「ロング・バケーション」である。
「ロンバケ」でキムタクの相手役だった山口智子のしゃべり方と、今回の篠原涼子のしゃべり方が、実によく似ていた。仕草までよく似ていた。

「ロンバケ」のラストの山口智子も、「月の恋人」のラストの篠原涼子も、ウエイディングドレス姿だった。「ロンバケ」では、2人は結婚式に遅刻しそうになって教会まで息を切らして走って行くシーンで終わったけれど、これは、山口智子が花嫁衣裳のすそをまくり上げて東京の街の中を疾走するオープニングシーンとの対比が絶妙であった。

しかし今回のラストは、イマイチ、いや、イマニ、イマサンでしたね~。

でも篠原涼子の演技は悪くなかったと思う。
セリフはとことん「ロンバケ山口智子風」だったけどね。
むずかしい役どころを、なんとか一生懸命にこなしていた。

まあ、ウダウダ言っていても仕方ないので、篠原涼子にちなむ話を、強引にうちの孫のモミィのことに移していきます。

篠原涼子は、なんとなくモミィに似ているなぁ…

そう思いながら、ずっとこのドラマの彼女の顔を眺めていたのです。
(すみません。ただそれだけの話ですけど)。

 

 

    
 

 

似てません…?

 

 

 

 

 

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