僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

良い夫婦 良い連休

2017年04月29日 | 日常のいろいろなこと

先週の22日は「良い夫婦の日」ということでしたね。

モミィが小学生新聞にそれが書いてあるのを見て「なんで4月22日が『よい夫婦の日』なん?」と聞くので、「4が『よい』で、22が『ふ~ふ』という語呂合わせ、つまりシャレみたいなもんやがな」と教えました。いろんな質問が飛んでくるので、なかなか油断できません(笑)。

最近は何でも数字の語呂合わせで「ナントカの日」というのが多いのですが、この「良い夫婦の日」は、調べてみると、1994年に国連が発表した「国際家族年」をきっかけに講談社が4月22日を「良い夫婦の日」として提唱し、今日に至っている、ということだそうです。

「子供の日」「母の日」「父の日」もあるのだから、「良い夫婦の日」があってもおかしくないのですが、別に「良い」はいらないのではないかと思いますよね。ふつうに「夫婦の日」でいいと思うのですが、それなら22日だけでいいわけで、4月というのが意味がなくなるから「良い」をつけたのでしょうね。

これを見て「おもしろ川柳」のこんな一句を思い出しました。

良い夫婦 今じゃどうでもよい夫婦

あはは。うちの話ではありませんよ~。

さて、「良い夫婦の日」から1週間が経ちました。
きょうからゴールデンウィークが始まりますね。

僕たちは近いところでどこかに泊まりに行こうと思っていたのですが、運よく京都市内でホテルが取れたので、1泊ですが京都めぐりをする予定です。

では皆さま、良い夫婦で、良い連休をお過ごしください!

 

 

ところで、先ほどテレビでニュース速報があり、北朝鮮が今朝、1発の弾道ミサイルを発射をし、失敗したと報じられています。ゴールデンウィークの初日早々、物騒ぎな話ですね。 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「東北でよかった」 発言やら 「重婚・ストーカー」 騒動やら

2017年04月27日 | ニュース・時事

今日は、あの今村復興大臣の「(東日本大震災が)東北でよかった」というバカ発言についていろいろと書きたかったのですが、これはもう、僕みたいなものがいくら言葉を並べても無駄なほど、あきれ果てる発言で、いまさら「お詫び」でもないだろ。さっさと消えてしまえ、という思いで一杯です。こういう発言がフツーに出てくるというのは、ふだんから仲間内でそういうことを言い合っているからで、心の中ではいつもそう思ってるんですよね。人間性からして復興大臣の資格なし。大臣辞任は当然です。

それに、あの今村という人は、なんだかえらそうに人を見下したような顔つきをしています。傲慢そうな性格が、あの顔に出ていますね。人を顔だけで判断するのはいけませんが、テレビでは「人は見た目が100パーセント」という題名のドラマも始まっているようですし(関係ないやろ)。

それと、今朝のニュースでは、今村氏が属する派閥の長である二階俊博自民党幹事長が、「政治家の発言の一行でも悪いところがあればマスコミは『これはけしからん。首を取れ』と言う。なんちゅうことですか」と、暗に今村氏を擁護するような発言をしたことがまた波紋を広げている。キリありませんね。こんなことでは。

それにしても、マスコミでも大きく報じられているように、最近は安倍内閣の閣僚やそれに近い政治家たちの失言や失態がやたらに多い。その都度お詫びや反省を口にするのだけど、テレビで同じようなことを毎度繰り返しているニュースを見ると、誰が何をして何を詫びたのか、わけがわからなくなる。

そんな中で、「失言」ではなく「失態」の代表は経済産業政務官だった中川俊直衆院議員だろう。嫁さんも子供もいるのに、愛人の女性とハワイで「結婚式」を挙げたり、また衆院議員の女性とも関係を続けたりしたあげく、愛人と揉め、警察に『ストーカー登録』までされてしまったということが報じられている。

政務官を辞任した中川氏はフェイスブックで「誠に申し訳ない気持ちでいっぱいです。一生をかけて、つぐないます」と詫びた。

「一生をかけてつぐなう」??

死ぬまでその気持ちを持ち続けるということか? そんなことは100パーセント不可能だ。こういうことを起こす人間は、ほとぼりが冷めた頃には殊勝な気持ちも冷め、また何かしらの欲望に支配される身となるというのが常である。

そもそも人の性格など死ぬまで変わらない。よくもまぁ「一生をかけて、つぐないます」という芝居のようなセリフを言えたものである。今はホントにそう思っているのかも知れないが、そんな気持ちが一生続くわけがないということくらい、いい歳をしているのだからわかるべきだろう。なのにそんな歯の浮くような言葉をサラリと出すというのが、この人物の厚顔さと軽薄さを表している。

今村前復興大臣と同様、心の中では何の反省もしておらず、結局はその場限りの口先だけで「お詫びします」「反省しています」と言っているのが見え見えなんである。

それでも、この人たちは国会議員を辞めようとしない。こういう手合が、びっくりするほどの高い歳費(給料)やチョー高額の諸手当てなどを、これからも懐に入れ続けるのかと思うと、ほとほと情けない気分になりますわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運動会と英検が ・・・

2017年04月25日 | 日常のいろいろなこと

1月末にモミィが英検3級に合格してから3ヵ月が経った。次は準2級にチャレンジするのだが、すでに3月11日から受付が始まっている。で、その日にネットで申し込み、コンビニで受験料を払い込んだ。

この後5月29日に受験票が送られて来て、6月4日に本番の英検が実施される。益々レベルは高くなり、壁が厚くなるが、モミィもECC英語塾で先生から特訓を受けながら、頑張っているみたいだ。

ところが、思いもよらぬことが判明した。

新学期が始まって、どうやら運動会に向けての練習が始まったようで、モミィは帰ってくると「しんどかったわ~」とため息をつくことが多くなった。運動会の中でも最も注目を浴びる団体演技「組み立て体操」の練習が、とてもきついというのだ。そりゃまぁ、こういうことをやるんですからね。みっちり練習を重ねておかなければ、ピラミッドが崩れて児童が怪我でもしたら大変です。

 


 
 去年の組み立て体操。
 モミィは手前のグループの下から3段目の右端。
 背中を向けて立っている先生の左の肩の横です。
 

そんな運動会の話をモミィから聞きながら、ふと頭に浮かんだのが英検のことだった。運動会が6月にあり、英検も6月にある。両方とも日曜日に行われる。

去年、英検3級を初めて受けたのが6月だった(不合格でしたけど)。去年のスケジュールを確認したら、6月12日の日曜日に実施されていた。そして運動会のほうはその1週間前の6月5日に開催されていた。つまり、6月の第一日曜日に小学校の運動会があり、第二日曜日に英検があったということだ。

しかし今年の英検は6月4日に実施される。つまり第一日曜日ということだ。その日って、運動会の日とかぶるのではないか? 不安に思い「運動会は6月の何日にあるの?」とモミィに聞くが、「知らん」と言う。妻も「まだプリントをもらってきていないので、わからない」とのことだった。

そんな折、昨日、6年生のクラスの新しい担任の先生が家庭訪問に来られた。若い男の先生で、応対した妻が、モミィが次に英検の準2級を受けると言ったら、
「へぇ、すごいですね~。僕も英語は好きで、英検2級を持ってますけど、う~ん、すぐに追い抜かされそうやなぁ」と先生は笑った。そこで妻が、「運動会は6月の何日ですか?」と尋ねたところ、「あ、6月4日の第一日曜日です」という答えが返って来たというのである。

あちゃ~。案の定、英検と運動会の日が重なってしまった。それを聞いた先生は「いやぁ、残念ですね~。受験料もすでに払ってるんでしょう?」
そうです。準2級の受験料は5,200円でした。ま、それは仕方ないとして。

モミィの小学校の運動会は、それまで10月に開催されていたのが、4年前から6月に変わった。調べてみると、すべて6月の第一日曜日に実施されている。

一方、英検のほうは、去年は6月の第二日曜日だったが、今年は第一日曜日となり、運動会と重なってしまったのである。

ということで、6月の英検は受けられなくなった。
妻がECCの英語塾の先生にそれを伝えたら、
「えっ、それは残念。でも、まぁ、どのみち6月の
合格は無理なので、あくまでも目標はその次の10月ですよね」
とあっさり言われたそうである。

な~んだ、それ?

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3億8千万円はどこへ消えた

2017年04月23日 | ニュース・時事

「森友学園」をめぐる問題で、籠池理事長が国会での証人喚問の際、「事実は小説より奇なりでございます」と、得意げな顔で芝居がかったセリフを吐いたのは記憶に新しいところだが、まさにそれを地で行く奇々怪々な事件が起きた。

福岡市の中心部にあるみずほ銀行で、東京から来た貴金属関連会社の社員が現金3億8400万円引き出して、それを銀行の近くの駐車場へ運んできたところを3人組に襲われ、現金を強奪されたというあの事件である。

だいたい、たった一人で4億円近い現金を引き出し、しかも40キロはあるだろうと言われる札束を入れた大型スーツケースをエンヤコラと引っぱって、近くの駐車場まで運んだというのが不思議だ。それほどの大金なら、銀行の地下にも駐車場があったというから、せめてそこまでは銀行関係者(たとえば警備員など)も同行して一緒に運んであげるという厳重な扱いが必要だったろう。それなのに、会社員は別の場所の駐車場に車を止めていて、そこまで一人でメチャ重いスーツケースを引きずって行った。

その会社員によると、その駐車場には自分が銀行へ来たときすでに白いワゴン車が駐車されていたという。白いワゴン車というのは、犯人たちが金を奪って逃走した車のことである。つまり被害者よりも犯人たちのほうが先に銀行に来ていて、待ち伏せしていたということになる。これも奇妙な話である。

そんな疑問から、ひょっとして、犯人たちと被害者の会社員はグルなのではないか、と思ったりした。しかし、その後の報道を見ていると、そうでもないかという事実がいくつか浮かんできた。

そもそも、なんでイチ会社員がわざわざ東京から福岡へ来てそんな大金を引き出す必要があるんだ? という疑問が湧くが、新聞によると、会社員は金塊の買い付けのために来たという。彼が勤務する東京の貴金属買い取り会社は、過去にも、社員が福岡へ来て、現金を引き出して取引をしたことがあったそうだ。とすると、犯人たちはそれをよ~く知っていて、しかも銀行近くの特定の駐車場に車を止めることまで知っていた、ということになる。

おまけに、最新情報によると、その会社員は事件の前日にも、ほぼ同じ額の現金を引き出していたという。その時は2人で銀行を訪れていた、と報道されている。もう1人は誰か知らないけど、そんなことをしていたら、そういう行動を誰かに把握されていても仕方ないだろう。

さらにもうひとつ、ややこしいことが起きる。事件があったその日、福岡空港で、何億円もの現金を海外へ持ち出そうとして関税法違反容疑で韓国人4人が逮捕されたことだった。これで強奪事件の犯人は捕まった、と、その一報を聞いたときは誰もが思っただろう。

しかし、
その大金を運ばせたソウルの自動車販売会社の社長は、お金は高級輸入車の購入代金として預かったもので、強盗事件とは関係ない、と否定。警察が調べてみると、それらの札束には、奪われた3億8千万円とは別の金融機関の帯封が付いていたうえ、紙幣から被害男性の指紋も検出されなかったという。 つまり、盗まれた紙幣ではなかったってことですよね。

ということだけど、考えれば考えるほど信じられない偶然だ。松本清張に「十万分の一の偶然」という小説があるが、その題名そのままである。まったく同じ日、同じ福岡で、よくもまぁこんな紛らわしいことが重なって起きたもんだ。

やっぱりウラでは何かあるのではないか、な~んてまだ思ったりしている僕だけど、しかしまぁこの事件は、被害を受けたほうも、あまりに無防備・無神経だったと思われるので、それほど「気の毒になぁ」という同情の気持ちも湧いてこない。大金の扱いに慣れてしまって、油断していたとしか思えない。

何億円もの現金をスーツケースで持ち運び、「金塊の買い入れ」なんて仕事を続けていると、お金の有難みというものが無くなって、金銭感覚がマヒしていたのではないか。そして今回の強奪事件はそこに付け込まれたものではないか。

そう考えるのは、たぶん僕だけではないと思うんですけど。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブッフェと大仏さんとシカ

2017年04月21日 | 日常のいろいろなこと

4月19日(水)  ブッフェレストランへ ~

妻の姉のお誘いで、梅田のブッフェレストラン「馳走三昧」というところへ行った。平日のお昼なので、義姉と僕と妻の3人で、もちろんモミィはいない。

義姉が11時に予約をしておいてくれたので、梅田大丸の14階にあるこの店に10分前に着いたら、すでに多くの人たちが並んでいた。予約をしていると名前を呼んでくれるので並ばなくても済むのだが、それにしてもここは、いつ来てもお客さんがズラッと並び、人気の高いお店である。

僕はいくつになっても食欲(「飲」も含めて!)旺盛で、しかも唐揚げなんかが大好きなので、バイキングではつい無茶食いをしてしまう。おまけにここでは「生ビール90分飲み放題」まで頼むのだ。そこで今日はなるべく揚げ物などのボリュームのあるものは避けて、主に魚介類をつまみながらビールをちびちびと飲む作戦を取ることにした。それを言ったら、義姉が「これをどうぞ」と、大きなお皿にズワイガニを山ほど積み上げてくれたものを、僕の前に置いてくれたのだった。

カニはどうも食べるのが面倒くさいので好物ではないが、せっかく前に置いてもらったのだからと、ハサミでカニの足の殻をがりがりと切って身を取り出して口に含む。うむ。まぁまぁ美味しいし、これならお腹もさほど膨れない。それにビールとも合う。義姉がカニと一緒に入れてくれた甘エビも併せてつまみながら、ちびちびではなく、ぐびぐびと生ビールを飲み干し「すみませ~ん、ナマお代わり~」と、何度も店の人にジョッキーを渡す。結局それを繰り返し、生ビールを何杯お代わりしたかわからないほど沢山飲んで、それで満腹になってしまった。どうも、何ごとにも自制心というものが働かない僕なのである(泣)。

それと、昼に飲んだせいか帰宅してから少し心房細動が出たけれど、でもまぁ、昼間は大いに楽しめたことに変わりはないし、これからも、こんな調子で泣いたり笑ったりの毎日が続くのだろうな。きっと。


4月20日(木) ~ モミィの遠足 ~

この日はモミィの遠足だった。お弁当はモミィのリクエストにより、エンドウ豆ご飯のおにぎりと、唐揚げ、玉子焼き、ほうれん草のお浸し、それに冷凍のお弁当用スパゲティなど。遠足の行先は奈良公園で、メインは東大寺の大仏さんの見学ということだった。

夕方、遠足から帰って来たモミィは開口一番「疲れたわぁ」。
「ところで、大仏さんはどうだった? 大きかったやろ~」と聞くと、
「うん。大きかったけど」とモミィ。

「みんな、びっくりしてた?」と僕がたずねると、モミィは首を横に振り、
「男の子なんかは大仏さんの前で、関係のないゲームのことを話してたわ」
う~ん。近頃の子は、大仏さんも目に入らないほどゲーム好きなんだね~。
僕らの時代は、遠足で初めて大仏さんを見た時、あまりの巨大さに驚いて目がくらむほどのものだったんだけど。今の情報過多の時代では、子供たちは何を見ても驚かなくなったのだろうか。

 
      
 

「それより、シカにお弁当を食べられた」とモミィは、シカの話に熱中した。
奈良公園の広い芝生のあるところで、みんながお弁当を広げていると、シカが寄ってきて、スキを見て弁当に口を突っ込んでくるのだという。
「まさか、そこまでしないやろ」と僕はそんな話を疑うのだが、
「ホントやで。〇〇君は3段の弁当で、1段を手に持って食べていたら、ほかの2段をシカが来てぐちゃぐちゃにしたんやから」と言う。どこまで本当の話かわからないが、どの子も、大仏さんよりシカのほうが遥かに印象が強烈だったことは事実だったようだ。

ま、じっと座っているだけの大仏さんよりも、可愛く動き回ったり悪さをしたりするシカのほうが子供たちには興味深いわけで、それもまぁ、シカタないことなんでしょうね。(すみません。もう言いません)

 


 

   
去年の4月に家族で奈良公園へ行ったときの写真です。
こういう場所で子どもたちがお弁当を広げたら、
そりゃぁ、シカも
寄って来るでしょうね。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黄色い花は何の花?

2017年04月19日 | 日常のいろいろなこと

おとといの午前、スポーツジムへ行こうと家を出たら、近所のお家の前に黄色い花が咲いていた。わりに目立っていたので、近寄って眺めてみた。鮮やかな黄色である。そういえば、以前にも、この黄色い花がこのお家の前に咲いていたので、何の花かと思ったことがある。そう、これは何の花なんでしょうね? 


  


 

 

僕は自分で花を植えたりしたこともなく、植物には、まるでうとい。だから、こういう花の名前など、知る由もない。このお家は石山さんのお家だから、石山さんの奥さんとはよく顔を合わせるので、今度会ったら聞こう、と思いながらそのまま歩いてジムへ向かった。

…と、駅に近づいたところで、偶然にも向こうから自転車に乗った石山さんの奥さんがやって来た。すれ違う直前、奥さんは僕に「こんにちは~」と笑顔で挨拶をしてくれた。僕は「ちょっと、石山さ~ん」と大声を上げ、自転車を止めてもらった。

「どうしました?」と石山さん。
「ええ、お宅のお家の前に咲いている黄色い花なんですけど」と僕。
「あぁ、あの黄色い花ねぇ」
「さっき見て、きれいなぁと思って。あれは何という花なんですか?」
「えっ? あぁ、花の名前。花の名前…ねぇ」
「そう、あの花の名前ですけど」
すると石山さんは、はにかんだように少しうつ向いたあと、
「う~ん。実は私も知らないの。友達からもらった花だから」
と、意外な答えが返って来た。
「じゃぁ、その友達に聞けばわかりますよね」
と僕はもっともな質問をする。
「それがねぇ」
「それが?」
「その、くれた友達も『知らんね』と言わはりますねん」

どうやら、僕だけでなく、近所のいろんな人からこの花が咲く季節になると、
「何の花?」と聞かれるそうである。
「そのたびに、ごめん、知らんね、と言わなあきませんねん」
「どなたかご存知の方、いないんですかねぇ」
「そうねぇ。インターネットで調べたらわかるかも知れないけど、私はそういうのは苦手やから。あ、そうや。よかったら、調べてくれはります?」

…という話になってしまった。
そこで石山さんの奥さんとは分かれた。

帰り道にスマホであの花の写真を撮って、それを見てネットで調べてみよう、と思っていたが、その日は昼頃から急に大雨が降り出して、僕はその帰り道、傘も持たずに雨の中を濡れて帰ったので、黄色い花の写真は撮れなかった。

そして翌日、つまり昨日のことだが、早朝にカメラを持って石山さん宅の前の花の写真を撮りに行った。すると、なんと、昨日はあれだけ咲いていた花が、全部しぼんでいた。「な~んだ」と、がっかりしながら、一応その写真だけは撮って家に戻った。 


 
 朝の早い時間には、花はまだしぼんだままだった。

そして妻にその話をしたら、僕よりは花に詳しい妻は、
「あぁ、あの花ねぇ。私も何だろうと思っていたの」
と言うと、タブレットを出してきてネットで何やら調べ始めた。そして、しばらくして「これじゃない?」と、ある写真を見せてくれた。

それをのぞきこんだ僕も、
「あ、これかなぁ。何となく、これみたいやなぁ」
で、そのネット写真を詳しく見てみると、葉に紫色の斑点があった。そこで今、自分が撮影してきた、しぼんだ花の写真に写った葉をよく見ると、やはり紫色の斑点があった。たぶんこの花だろう。

この花は「オオキバナカタバミ」という花だった。そして、その日もまた午前中はスポーツジムへ行ったわけだが、石山さんの家の前を通ると、早朝にはしぼんでいた黄色の花が、キラキラと咲いていた。あるネットの解説によると、「日が暮れるとしぼみ、日中に咲く」とあった。そうだよね、朝早くには、まだしぼんだままだったもんね。

ということで、そこで撮ったのが冒頭の写真です。

次に石山さんに会った時、このことを伝えてあげなければならない。
でも、「オオキバナカタバミ」と口で言っても、「むずかしい名前やねぇ」と言われるかも知れない。ま、その時は、スマホでネットの記事を見せてあげればいいかなぁ、な~んて思っています。

  ……………………………………………………………………… 


花と言えば、前々回、桜に関するブログに書いた近所の城山古墳公園ですが、あれから、強風と雨で、桜もだいぶ散りましたが、手前に菜の花が綺麗に咲いています。


  

 

この古墳公園にはいろんな花が咲きますが、
最も有名なのが菖蒲(しょうぶ)です。

また、その季節に菖蒲の写真をお届けします。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真央ちゃんから美宇ちゃんへ

2017年04月17日 | スポーツの話題

 ~ 卓球アジア選手権 17歳・平野美宇がV ~

卓球のアジア選手権で日本人選手が優勝! まさか? の出来事でした。

17歳の平野美宇選手が、卓球でアジアの頂点に立ちました。
卓球でアジアの頂点といえば、事実上、世界の頂点ですよね。

準々決勝で世界ランキング1位の選手を、準決勝で2位の選手を、そして最後の決勝で5位の選手を次々撃破して優勝。しかもその相手はすべて中国人選手であり、さらに開催地は中国。そんな敵地で、中国が誇るビッグスリーを相手に3連勝したというのは、胸のすくような快挙でした。

「参ったか中国!」と叫びたいところです(まぁまぁ、そう興奮しないで)。

ちなみに、彼女の世界ランキングは11位ということです。
ホント、よく頑張りました。

去年のリオ五輪に卓球で出場した女子選手は、石川佳純さん、福原愛さんと、そしてこのブログで何度か書きましたが、僕の高校時代の恩師・大内征夫先生の教え子である伊藤美誠さんの3選手でした。平野美宇さんは、補欠としてリオへ行き、3人をサポートする役でした。きっと試合に出たかっただろうな~(当たり前ですけど)。その下積みの経験も、今回の快挙につながった一因だったのでしょうね。

卓球アジア選手権で日本勢が優勝したのは、「1996年の小山ちれ以来21年ぶり」だと報じられていますが、小山ちれ選手は元々中国人選手で、世界選手権で優勝したこともある強豪でした。日本人男性と結婚して来日し、日本に帰化した選手ということです。平野美宇選手の今回の優勝は、その意味でも「すんご~い」と言わざるを得ません。

先日、フィギュアスケートの浅田真央ちゃんが引退して大きなニュースになっていましたが、その真央ちゃんと入れ替わるようにして、若きスーパーヒロインが登場しました。現在17歳の美宇ちゃんは、東京五輪では20歳ということになりますが、怪我などに気をつけて、さらに技術を磨き上げ、ひのき舞台での世界一をめざして精進してほしいと思います。頑張ってね~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜満開 ぶらぶら歩き

2017年04月15日 | 日常のいろいろなこと

昨日の14日(金)はとても暖かい1日でしたね。モミィの短縮授業も木曜日で終わり、昨日からは給食も始まって、通常の授業に戻りました。やれやれですわ。授業終了が3時45分なので、4時半近くまで家に帰ってきません。そこで昨日は、妻と2人で天王寺の一心寺に、母の三回忌の法要に行きました。

そして、少し散り始めてはいますが、まだまだ桜も十分に楽しめました。

 

 
 一心寺へ。右前方に門があります。

  その門を正面から見ると……


 
 この像は平成9年にできたもので、近代的な独特の仁王像です。
 向こう正面の本堂の前に広がる桜が鮮やかでした。

 


 
 一心寺の境内で。 


 法要を終え、天王寺駅方面に戻るとき、
 天王寺公園の中を通りました。 


 
 この公園も今ではすっかり美しく整備されました。
 後方に通天閣が見えます。

 

 ………………………………………………………………………………

 

今年は例年より、桜の花の寿命が長いような気がします。

この1週間を振り返ってみました。

 

4月9日(日)
わが家のすぐそばにある「城山古墳」というところは、お花見の名所で、周辺の住民の人たちの格好の場所となっています。


  
  こういうところなんですが…


 
 この季節は、古墳に沿った道を歩いているだけでも心が華やぎます。


 
 おっと、これは 
 6年前。
 モミィが幼稚園の頃の、この場所でのお花見の写真です~


 この日は駅の近くにある葛井寺(ふじいでら)へも行ってみました。


 
 向こう正面に見えるのが葛井寺(ふじいでら)です。
 地元では「かんのんさん」と、親しまれています。
 「のんさん」じゃありませんよ(笑)。

 藤井寺の地名は、この葛井寺から来ています。

 

4月10日(月)
道明寺天満宮へウオーキング。ここは菅原道真公ゆかりの天満宮なので、梅の名所なんですが、桜も美しくて、若い頃は毎年職場の連中と、ここで夜桜を楽しみながらドンチャン騒ぎをしたものです。現在ではカラオケ、バーベキューなどは一切禁じられていますけどね。

 


 
 道明寺天満宮への階段。
 ついこの間まで、ここに真田幸村の旗が立っていました。
 「道明寺の合戦」でも有名ですからね。

 


 
 境内は見事な桜の風景が。
 せっかくなので妻に撮ってもらいました。
 何が「せっかく」なのかわかりませんけど(笑)。

 


 
 道明寺天満宮には、毎年初詣に来ますが、
 今年はインフルエンザにかかって、僕だけは来られずじまい。
 モミィは今年、この絵馬に「英検合格しますように」と書きました。 

 

4月12日(水) 

ここは、大和川の支流の小さな川沿いの散歩道。
「近所の桜ナンバーワン」と言える場所です。
文字通りの桜吹雪で、桜の絨毯といった趣。
この光景には、思わずため息が漏れました。 


  

 

さて、今日は4月15日。土曜日です。
現在(午前7時半)、外は晴れています。

今日もまた、どこかを、ぶらぶら歩いてみよう~

 

 

 

 

 

 

 


 

 


 

 

 


 

  

 

 


 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラ・ラ・ランド」 とは?

2017年04月13日 | 旅行

2月末にアカデミー賞に関するブログを載せましたが…

そこに、アカデミー賞の授賞式の時、「ラ・ラ・ランド(LA  LA  LAND)」という映画に関して信じられないハプニングが起きたことを書きました。で、今日はその映画「ラ・ラ・ランド」にちなむ話題を少し。

 

  



この映画は、アカデミー賞で、作品賞こそ逃しましたが、最多の6部門を受賞したというのですから、正真正銘の秀作なんでしょうね(僕は見ていませんが)。それと「ラ・ラ・ランド」というタイトルもリズミカルで素敵ですしね。ま、タイトルの意味までは知らなかったのですけど。

ところで、1週間ほど前のこと。
去年末のロサンゼルス旅行で撮った沢山の写真を整理するため、パソコンに取り込んでいたそれらの写真の1つ1つをゆっくり見ていたら、これまで気にも留めなかったある写真が目につきました。

ファーマーズ・マーケットという、ロサンゼルスでも有名な庶民的なマーケットがあるのですが、僕たちはここへ、まず旅行初日に現地案内の人に連れてきてもらい、食べ物やお店がいろいろあって興味が尽きなかったことから、2日目の自由行動の日にもまたお昼前にここに来て、昼食をとったり、ぶらぶら歩いたりしました。 

マーケットのトイレは人も多く、あまり清潔そうではなかったので、その向かい側にあったお店の建物が目についたので、そこに入りました。店内は静まった雰囲気で、とてもきれいなトイレがあり、気に入ったので2日連続でここへ入りました。日本で言うホームセンターのようなお店で、日用雑貨や住宅設備に関する商品が並んでいました。いちおう覚えておこうと、店の外観の写真を撮りました。それが、この写真です。

 

 

 


その時はむろん「LA  LA  LAND」という店の名前など、気付きもしなかったのですが、いま写真を見たら、映画の題名と同じだし、この店名は何なのだ? そして「LA  LA  LAND」とはどういう意味なのだ? と思ったわけですね。

写真を見ると、「SOUVENIRS」という文字が見えます。つまり土産物屋さんだ。僕らが入った店と同じ建物のようだったが、どうやらこれは、その隣の店だったようです。

そしてさらに写真を見ていくと、また、こんな写真が出てきました。


 


これはハリウッド大通りの様子を撮った写真ですが、ここにも「LA  LA  LAND」というお店が写っています。この向かい側には、アカデミー賞授賞式が行われる会場(ドルビー・シアター)もある、とても賑やかなところです。ここにも左端に小さく「SOUVENIRS」という文字が見えます。

そんなことで、「LA  LA  LAND」の写真が2枚見つかりました。

ではその「ラ・ラ・ランド」という言葉自体はどういう意味なの? ということになりますが、これはネットで調べてみると、いろいろと載っていました。

「LA  LA  LAND」という表現の 「LA」 の部分は、ロサンゼルス(Los Angeles)の略語が 「LA(エル・エー)」 であることに由来しているとのことで、それなら僕も知っていました。実際、この映画の舞台はロサンゼルスとのことだし。でも「ラ・ラ・ランド」というのは?

一説では、ランドというのはディズニーランドみたいに「現実離れした世界、おとぎの国」という意味もあり、それに「LA」⇒ ロサンゼルスが付いて、まあ言わば「ロサンゼルスの夢」みたいな意味を持たせているそうです。

で、この映画のテーマとして、

「ロサンゼルスを舞台にした夢のような恋の話」
というものだということがネットで述べられていました。

映画「ラ・ラ・ランド」を検索すると、他にもいろんな説とか由来とかが出てきますが、今のところ、この説が、最も説得力があるかなぁ、という感じです。

まあ、日本の各地にある
「ららぽーと(lalaport)」
とは関係ないことだけは確かだと思いますけどね。


以上、「それがどうしたん?」というお話でした

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京唄子さんで思い出すこと

2017年04月11日 | 思い出すこと

漫才師で女優の京唄子さんが89歳で亡くなられた。唄子さんは京都市の上京区西陣の出身だった。実は僕も同じく京都市の上京区西陣で生まれ、幼稚園までそこで暮らしていた。だから唄子さんはどこか身近な人、というイメージがあった。

その唄子さんと、過去一度だけ舞台の楽屋で一緒になったことがある。といっても、僕が漫才師だったわけじゃないですが(そりゃそうでしょ)。

僕が大学1年生の時だから、唄子さんは、計算してみると、その当時は40歳くらいで「唄子・啓助」の漫才コンビの全盛時代だったと思う。

その時、僕は「邦楽研究会」というクラブに入っていた。そこで尺八を習って、演奏会などに出ていたのである。 

 


  
  当時の演奏会の光景。右に立っているのが僕です。


で、その時も、大学が主催した文化祭のような催しだったと記憶している。僕たち「邦楽研究会」メンバーもそこに出演するため、出番を待っていた。その催しに、ゲストとして招かれていたのが、当時人気絶頂だった「唄子・啓助」だったのだ。お2人が出るのは、僕たちの演奏のひとつ前だった。そして…

舞台の袖で僕たちがスタンバイしている時、唄子さんが啓助さんとともに案内されてすぐそばにやって来た。薄暗い場所で、ベンチに腰掛けた2人を間近で見て「あ、これがテレビに出ている唄子・啓助や」と、僕も嬉しかった。

ところが、
いつも楽しい漫才を聞かせてくれるので、普段もさぞ面白いのだろう、と思っていたのだが、見ると2人とも苦虫を嚙みつぶしたような顔をして、ムッツリ黙り込んだまま、一言も物を言わない。唄子さんも啓助さんも、まったく会話もなく、不機嫌そのものの表情をして座っているのだ。これには意外だった。「唄子さ~ん」と声の一つもかけようと思っていた僕も、さすがにこの雰囲気では近寄り難かった。結局、スタンバイ中はずっと2人とも、ムツっとして黙り込んだままだった。

そしていよいよ2人の出番になった。舞台では司会者が、
「今日は、唄子・啓助さんをお招きしております」
と紹介を始め、「ではお2人、どうぞ~~」

すると、
それまでコワ~い顔をして黙って座っていた2人が、椅子から立ち上がるやいなや、急に満面に笑みをたたえ、駆け足で舞台に出て行ったのである。
「皆さん、ようこそ。唄子・啓助です~。ポテチン!」
などと、顔がクシャクシャになるほど顔をほころばせ、漫才を始めたのである。

舞台の横から2人を見ながら、人ってこれほど極端に変われるものなのか? と、不思議な思いがした。あれほど怖い顔をして座っていた2人が、舞台から声がかかると急に笑顔に変貌する。うむ。これがプロというものなのか。

と、京唄子さんと、わずかの間だけれど舞台の袖で一緒にいたこと、そして怖い顔から一瞬で笑顔に変わった時の様子を、今回の訃報を聞いて、改めて思い出した次第である。


    

 

ところで、
この「邦楽研究会」のクラブは、このあと自転車で北海道への旅に出たりしたこともあって長続きせず、途中で辞めました。だから尺八はもう、それ以来、吹いていません。

ホラは今でも、毎日吹いてますけど(何ですか、それ?)。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めての「外泊」

2017年04月09日 | 日常のいろいろなこと

昨日、モミィは友達の家族から誘われてお花見に行き、そのまま友達のお家に泊まった。友達はマミちゃん(仮名)と言って、同学年の女の子。家は数百メートルしか離れていないけれど小学校は別で、ECC塾で知り合ってからまだ1年も経っていない。よほど気が合うのか、その子を家に呼んだり、モミィがマミちゃんの家に行ったりして今ではとても仲良しになっている。

先月ぐらいだったか、マミちゃんが家に来て、遊んだあと、帰ろうとしたときに「あれ? 自転車の鍵がない」と言ってあちらこちらを探したが出てこない。仕方なくマミちゃんは歩いて帰ったのだが、鍵のかかった自転車は妻が後輪を持ち上げてマミちゃんちまで運んだそうだ。お母さんは働いておられるようで、お家には誰もいなかったという。

そのあと、何時間か経って、ピンポーンと鳴った。インタフォンのモニタを見ると、マミちゃんとそのお母さんのようだった。妻が応対に出たら、お母さんが「先ほどはどうもありがとうございました」とお礼を言ってお菓子をくださった。「きれいなお母さんだったわ」と妻が言ったので、じゃあ次に来られたときは僕が出ます(笑)。

マミちゃんのお母さんはECC塾にマミちゃんを車で迎えに行くこともあり、その時はモミィも一緒に乗せてもらっていた。お母さんも、モミィのことを可愛がってくれているようだ。

何日か前に「土曜日にお花見に行くねん」とモミィが言ったので「誰と?」と聞くと、「マミちゃんたちと」との返事。近くに桜の名所があるので、マミちゃんの家族がそこへお花見に行くのに、モミィも誘ってもらったそうだ。

で、昨日は朝からモミィと妻がお弁当作りでバタバタしていた。途中から僕も、モミィに頼まれるまま、ゆで卵を作って皮をむき、半分に切って黄身だけを取り出し、それをマヨネーズと混ぜたりするのを手伝った。

実はその前の日、つまり一昨日だが、モミィが「あした、お花見のあと、マミちゃんちに泊まってもいい?」と妻に尋ねたそうだ。マミちゃんのお母さんが「マミが喜ぶから泊まってあげて」と言ったという。妻から「う~ん。のんちゃんに訊いてみなさい」と言われたので、今度は僕に伺いを立てた。「ええよ」と僕が言うとモミィは「やった~」と手をたたいて喜んだ。

そういういきさつで、昨日、お弁当も出来て、準備万端整ったあと、モミィは妻と一緒にマミちゃんの家に行った。妻がマミちゃんのお母さんに「ご迷惑をおかけしますが、よろしく」と言ったら、お母さんは「ごめんなさいね。無理をお願いしてしまいまして」と恐縮されていたそうだ。

今は日曜日の午前8時半だけど、モミィはもう起きているんだろうな。昨日は微妙な小雨模様だったので、花見に行けたのかマミちゃんちでお弁当を食べたのか、どちらかわからないけれど、夜にマミちゃんと寝るまで、楽しく過ごしたことは想像に難くない。

これまでモミィが外泊したのは、林間学校のほかには、4歳下の従弟がいる次男宅だけで、こういうよそのお家に泊まる外泊というのは初めてのことである。またひとつ、新たな経験を積んだわけで、こんなふうにして、一歩ずつ成長していくのでしょうね。

きょうは午前10時半ごろにわが家に帰ってくるそうだ。また、マミちゃんたちとのいろんなことを興奮して喋りまくるモミィの様子が目に浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やすらぎの郷(さと)

2017年04月07日 | 映画の話やTVの話など

僕たちの世代の者にとっては信じられないような豪華な配役陣によるTVドラマが今週月曜日から始まった。

題名は「やすらぎの郷(さと)」(テレビ朝日)。あの倉本聰の脚本である。放送時間は毎週月曜~金曜のお昼の12時半から12時50分まで。新聞によると、倉本聰が自らの企画を提案した全130話の力作だそうである。

それにしても、お昼の20分間の連続ドラマというのはこれまで僕など全く縁がなかった時間帯ではあったのだが…

僕はそういうドラマが月曜日から始まっていたのは知らなかった。妻が第3話から録画をしており「面白いよ」と勧めてくれたので、一昨日(水曜)の夜、その第3話を初めて見た。主人公でシナリオライターの石坂浩二が、友人の近藤正臣に、テレビ世界に貢献した者だけが入れる老人ホーム「やすらぎの郷」に入ることを伝えるシーンで、物語が本題に入ってきたところのようだった。

その「やすらぎの郷」という老人ホームがドラマの舞台となる。

ここはテレビに功績のあった者だけが入れる老人ホームで、なんと無料である。世間にその存在はほとんど知られておらず、誰が入居しているかも秘密にされているが、テレビで活躍した有名人たちも多く入居しているという噂だった。

昨日見た第4話では、石坂がいよいよそのホームへ行き、草刈民代と名高達男の理事長夫妻に出迎えられ、コンシェルジュの常盤貴子から施設の説明を受けるシーンが中心だった。

その老人ホームは、風光明媚な海辺にあり、超高級リゾートホテルのような建物で、想像を絶するほど豪華な施設だった。ライブラリー、プレイルーム、サロン、食堂、バー(ここだけは有料、ただし格安)などに加え、スポーツジム、エステルーム、24時間入れる温泉もついており、入院のできる病院施設もあって、介護士、看護師はもちろんのこと、医師も常駐している。さらに、海を見下ろすコテージがあり、石坂浩二もその1軒を与えられることになっている。

まるで、夢のような施設である。
「やすらぎの郷」というより、ユートピア→「理想郷」ですね。

この施設の贅沢さに、へぇぇぇぇ~~~と驚いたのに、次に、そこの入居者が紹介されたときには、これはもう、ビックリ仰天するほかなかった。

浅丘ルリ子、有馬稲子、加賀まりこ、五月みどり、野際陽子、八千草薫。

どの女性も、僕たちの世代にとっては憧れの女優・歌手であった。よくこれだけの顔ぶれが揃ったものである。もう相当お年を召されているようだけど、彼女たちの若くて美しい頃のモノクロ写真もドラマの中でチラッと出てくる。その度に「おっ!」と身を乗り出す。こんなドラマ、これまで見たことがない。

昨日の第4話では、この女優さんたちの出演は、入居者の紹介という形の「顔見世」だけに終わったけれど、今後は、こうした「入居者の先輩」たちが、恋話に花を咲かせたり、自らの魅力を競い合ったりして、そんな中、石坂浩二は様々な騒動に巻き込まれていく、というストーリー展開なんだそうである。

今日は金曜日なので、第5話の日である。テレビの録画は1週間先までできるので、さっき、来週金曜日の第10話までの録画をセットした。

ところで、主人公の石坂浩二と、入居者の1人として出演している浅丘ルリ子が実生活で元夫婦だったことは知る人ぞ知る…である。お2人は離婚してから16年間一度も会っていなかったそうだが、このドラマでは、2人がホームで、20年ぶりに再会して抱き合うシーンがあるという。収録後、浅丘ルリ子は「いろんな思いを込めて抱き合わせていただきました」と満面の笑みを浮かべたそうである。これも倉本聰だからこそ書けた脚本なのだろう。


「やすらぎの郷」を第1弾として、これから、この時間枠にシルバー世代向けのドラマが放送されるということである。楽しみが、ひとつ増えた。

 

 

   
   きのうの第4話。主人公がホームで説明を聞く。

 

 
  老人ホームは海を見下ろすゴージャスな場所に(テレビ画面より)。
  ここに、テレビに貢献した人は無料で入居できるという設定です。
  ありえない設定だからこそドラマとして面白い、とも言えますね。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春休みの過ごし方

2017年04月05日 | 日常のいろいろなこと

学校の春休みに入って十数日が経つ。4月8日・9日が土・日曜なので、始業式はいつもより遅い10日になる。モミィも新6年生で、昨日は入学式の準備のための登校日だった。入学式の会場となる体育館で、何百という椅子を出して並べる作業もあったそうだ。そして明日が入学式。それにも6年生は出席する。

モミィの入学式の日のことは、ついこの間のように鮮明に覚えている。それがもう6年生になったとはね~。なんと、早いこと。

 


     
       入学式の日。

 

小学生の低学年のころは、モミィはいろんな習い事に通っていた。スイミングスクール、ヤマハ音楽教室、ECC英会話教室、ダンス教室、そしてマック体操教室、さらに短期間だが地域のキックベースチームにも所属していたことがある。スイミングと体操教室へは妻が連れて行き、他の4つは僕が付き添った。家でも英会話の復習と予習をやり、エレクトーンの練習もさせなければならないので、僕もそちらのほうで結構忙しかった。

 


   
    同じく1年生の頃。

 

それが今はスイミング以外は全部「卒業」して、今度はほぼ毎日、学習塾と英語塾へ通っている。これらは春休みにも「春季講座」というのがあって、それにも申し込み、毎日午後から出かけている

スイミング(土・日のいずれか)には妻が付き添っているけれど、塾には付き添う必要もなく、モミィは友だちと誘い合わせたりして自転車で通っている。帰宅が夜になる場合は、妻が迎えに行っている。「塾のおかげで私も楽になった」と妻がホッとしたように言う。休み期間中ずっとモミィが家にいると、やっぱり何かとうるさいし(笑)。

そして妻がモミィの勉強をみてやったり、さまざまなアドバイスをしたり、塾での懇談に出かけたりしているので、僕は、今はほとんどモミィのことには関わっていない。低学年の頃から見て考えられないほどラクチンになったものだ。

この春休みは、モミィのスケジュールの関係で、旅行にも行かなかった。春休み、夏休み、冬休みには、これまで必ず家族旅行に出かけていたのにね。どこへも行かなかったのは今回が初めてだった。

モミィは学校も好きだが、塾にも楽しそうに通っている。僕など、子供のころは勉強や学校へ行くのが大嫌いだったのに…と不思議で仕方ない(笑)。

新しい友達もでき「〇〇ちゃんと一緒に〇〇学院中学を受験しようねと言い合っているねん」などと、僕たちも想定していない学校名を口走ったりする。まぁ、何ごとにも視野を広げてくれたらいいんですが。


いずれにしても、モミィの成長とともに僕自身はますます自由な時間が増え、気楽になってきました。(あらゆることの相談相手になる妻は忙しいですけど)。

僕としては、また新たな自分自身の生活スケジュールを、いま、模索しているところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠れぬ夜にはこれが効く?

2017年04月03日 | 心と体と健康と

先日、図書館で「気になる部分」という本を借りて読んだ。著者は岸本佐知子さんという翻訳家だ。愉快な本だった。中でも、夜に眠れないとき、しりとりをする、というくだりが面白かった。どんなのか、と言うと…

目を閉じたまま、頭の中で、
しりとり→りす→すいか→かに→にぼし→しまうま→

…などとやっているうちに、すうっと意識が遠のいて、眠りに入るというのである。な~るほど。僕も夜中に目が覚めるとなかなか眠れない。まぁ言えば、睡眠障害である。睡眠薬こそ最近はやめているが、デパスという安定剤はよく飲んでいる。それでも、身体が薬に慣れてしまったのか、この頃はあまり効かない。なんとか、夜中に目が覚めてもすぐにまた眠れないものか。何かいい方法はないだろうか?

そんなことを常々思っていたので、この本の「しりとり」の話を読むと、そうか、そういう方法もあったのかと思った。さらに、一緒に借りた阿刀田高さんの「日本語の冒険」というエッセイ集にも、よく似たことが書かれていたので、これにはちょっと驚いた。この本の1ページ目からその話が出てくる。

阿刀田さんの若い頃、病床の叔父さんを見舞いに行ったとき、叔父さんはこんなことを言う。「眠れないときは、いろはカルタの文句を思い出している」と。

「い」から順に全部覚え、それを眠れないときに思い出すのだそうだ。思い出しながら、意味も考えるのもいい、と叔父さんは言う。

犬も歩けば棒に当たる→論より証拠→花より団子→憎まれっ子世に憚る→骨折り損のくたびれ儲け

という感じである。ちなみにこれは江戸いろはカルタで、関西バージョンは、

一寸先は闇→論語読みの論語知らず→針の穴から天覗く→二階から目薬→仏の顔も三度

となっており、これはまぁ、どちらでもいいわけですけど。

そういうことで、夜に寝つけない時や夜中に目が覚めて眠れないときは、しりとりでもよし、いろはカルタでもよし、要するに何かを思い浮かべてむにゃむにゃとやっているうちに寝てしまうという、睡眠薬ならぬ睡眠術とでもいうひとつの方法なのである。

ということになると、僕は百人一首を全部覚えているので、夜中に目が覚めて眠れない時は、これを一首ずつ思い出しながら頭の中で暗唱しているうちに眠れるかも知れない、と思ったのは自然の成り行きだったろう。

そこで僕も、深夜に必ず目が覚めるので、その時は静かに目を閉じて、百人一首を順番に思い出してみることにした。

秋の田のかりほの庵の苫をあらみ…
春過ぎて夏来にけらし白妙の…
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の…

とやっているうちに、すうっと意識が遠のいて、眠りに入る…という計算どおりにはなかなかいかず、百番目の「ももしきや古き軒端のしのぶにも…」まで行ってもまだ眠りに入らない。う~む、そういう時はどうするのだ? また1から始めるのか? とか思いながら、再び「秋の田のかりほの庵の…」と始める。

と、最初の夜はそんなことで、よけいに頭が冴えて眠れない気がしたのだけど、毎晩繰り返しているうちにだんだん早く眠気が来るようになってきた。しめしめ。じゃぁ、百人一首だけでなく、本にあったように、いろはカルタも覚えようか、な~んて思ったりもしている今日この頃です。

不眠に悩む方がおられたら、ぜひお試しを。

 

 

3年前のブログに「秘伝!百人一首暗記術」というのを載せました。
「結局そういう知識は、今の生活には何の役にも立っていませんけどね」
と最後に書いていますが、これで睡眠障害が解消されたとしたら、
大いに役立った、ということになるんですけどね~ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月になって思うこと

2017年04月01日 | 日常のいろいろなこと

4月になりましたね。
年度は変わりましたが、このブログは年度をまたいで昨日の続きです。

昨日掲載した8年前の退職時のブログを改めて読み返してみると、こんな一節がありました。

市役所を辞めると二度と顔を見せない人もかなりいるが、僕はOB会の行事にもどんどん参加するつもりだし、役所へ顔を覗かせもしたいし、今回送別会などでいろいろお世話になった年下の人たちとは、今後も飲みに行ったりするつもりである。38年間在職すると、数多くの友人ができる。その付き合いは、これからも大切にしたい。

ということを書いていたのですが…

確かに、ここに書いているように、退職してから数年間はいろんな行事に参加し、多くの友人や先輩たちとのつき合いも頻繁にありました。しかし年を重ねていくうちに、行事にも参加しないようになり、旧友たちとのつき合いもほとんど無くなりました。心房細動などの体調面もあって、何となく億劫になってきたのだと思います。

兄弟のいなかった僕は、父母が商売をしていたので家を空けていることが多かった。だから子どもの頃から、家の中で1人で遊ぶくせがついていた。そのせいか、今でも1人でいる時が一番気分が落ち着く。そして、団体行動が苦手なのです。

高校以降は、趣味が読書とか映画やスポーツ鑑賞だったし、1人で自転車旅行へ行ったり、1人でできるスポーツ、たとえばマラソンやウオーキング、水泳などが好きなのも、そんな性格から来ているのだと思います。

しかし世の中を渡って行く上で「団体行動は苦手デス」な~んて言ってられませんよね。そんな甘い料簡で世間は渡れない。で、若い頃、何とかそれを克服し、徐々によくしゃべるようになって、人といる時は相手を笑わせたりするようにもなったので、いつのまにか「明るくて社交的な人」と言われるようになってしまいました。でも本来はわりに内向的な性格なのです(ほんまかいな?という声が聞えてきそうですが)。

冒頭の話に戻りますが、退職しても、そのまま、いろんな行事に参加し、多くの人たちとのつき合いを続けていたらよかったのかも知れませんが、今は何の制約もない生活なので、もう無理はせず、自分の本来の気持ちを大切にしたいという方に傾いています。少し性格が暗くなってきたのかも知れませんけどね。

ただ、物事が面倒くさくなるのは老化現象の典型らしいので、老け込まないように、なるべく家にこもらず、外に出ることは大事だと思っています。

さて、きょうから4月。モミィも6年生になります。
僕も毎日を漫然と過ごすのではなく、何か具体的な目標を見つけて、もう少し日々の生活を充実させたいな、と思っています。その前提になるのは健康な身体、ということは言うまでもありませんけどね。で、取りあえず健康管理から始めます。つまり摂生ですね。最近、また飲みすぎていますし(とほほ)。
はい、摂生です。セッセイだぞぅ~! 

 

 ~ 高校野球 大阪桐蔭がV ~    

ところで、先ほど、春のセンバツ高校野球の決勝戦が終わりました。史上初の大阪勢同士の対決でしたが、8回の裏に3点を返して一度は同点に追いついた履正社の健闘が光りました。最後は力尽きたという感じで、大阪桐蔭が8対3で5年ぶり、2度目の優勝を遂げました。

大阪同士だったので、僕としてはどちらが優勝してもいいので、あまりカンカンになってテレビは見ていない。それと最近、この両校が甲子園の常連になっているが、むかし甲子園を沸かせた、わが町に近いPL学園や僕の母校の近畿大学付属高校などが、すっかり顔を出さなくなったのが寂しいです。特にPL学園は、野球部自体が消滅したと言われています。

わが家は南大阪なんですが、今日の両校は北大阪のほうです。大阪桐蔭は交野市という、大阪府の北東で京都府に近いところにあり、うちからかなり離れています。履正社にいたっては豊中市で、大きな市ですが大阪府でもかなり北の端で、隣は兵庫県です。そう、豊中市といえば、いま話題沸騰の「森友学園」のあるところですね。すっかり有名になっちゃった豊中市ですけど。

さっきまでテレビ観戦しながら、決勝戦なのにあまり手に汗を握ることがなかったのは、大阪同士の対戦だったからでしょう。淡々と観戦していました。やはりはっきりした「敵」がいなければ、スポーツ観戦は応援の熱が入らない、ということでしょうね~

その点、先日の大相撲千秋楽の稀勢の里は、照ノ富士というまぎれもない「敵」がいましたからねぇ。見ていて、あれほど血が騒いだことも珍しかったです。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする