僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

いのちが誕生する瞬間

2009年07月31日 | 日常のいろいろなこと

コメント欄で皆様からお祝いのお言葉を賜り、感謝しております。
また、ブログを読んでいただき、携帯にお祝いのメールを送ってくださった皆様にも、深くお礼を申し上げます。 

赤ちゃんは、生まれて3日目になりますが、母子共に元気でやっています。ありがとうございました。

  ……………………………………………………………………

僕には2人の子どもと2人の孫がいるけれど、4人とも、生まれた瞬間というものを知らない。

たとえば、長男が生まれたときは、職場に電話がかかってきて、妻の長兄のお姉さんから「生まれましたよ。男の子です」と連絡を受けた。

次男が生まれたときも、妻の姉からやはり職場に電話があった。
「生まれましたよ。男の子です」

「はい。ありがとうございます。早速病院へ行きます」
そう言って、早退して大阪市内の病院へ直行する。

2人の子の誕生の時は、いずれもそのパターンだ。

妻の実家は大阪市内である。
出産が近づくと、妻は実家のそばに住む兄や姉たちの家でお世話になっていたのである。

そして歳月が流れ…

孫のモミィが生まれるという日は、仕事を終えたその足で電車に乗って病院へ行き、すでに待機していたみんなといっしょに出産を待った。今度こそ、「その瞬間」に出会える…と期待していた。しかし、陣痛が起きてから数十時間経っても、なかなか生まれず、深夜に近づいてきたので、電車のあるうちにと、僕と妻は病院を離れ、帰宅した。すると…

帰宅して家のドアの鍵を開けていると、長男からメールが入った。

「今、生まれました」
これが、モミィの誕生を知った瞬間である。

ソラが生まれた時はどうだったのか…?
あまりよく覚えていない(ソラよ、許せ)。
たぶん仕事中だったので、その時も僕は病院にいなかったことは間違いない。(病院にいたら、覚えてるわなぁ)

だから、生命が誕生する瞬間、というのを、僕は知らない。

しかし、今回、次男のお嫁さんは、いろんな事情から、帝王切開で出産することになった。この場合、出産時間は、正確である。

「29日の午後1時過ぎからだそうですが、たぶん遅れると思います」
とお嫁さんが事前に知らせてくれていた。

僕も、これまでと違って仕事を持たない身なので、時間が自由だ。

僕と妻はその29日、1時過ぎに病院に着いた。

間もなくパパになる次男と、高知のご両親は先に来ていた。

お嫁さんは、すでに分娩室に入っていた。午後1時にそこへ入り、1時半過ぎぐらいから帝王切開が始まる、ということだった。それが始まったら、ものの10分ぐらいで出産するらしい。

分厚い扉の外の廊下で、次男(夫でも帝王切開の場合は分娩室には入れてもらえないそうだ)と、高知のご両親、そして僕らの計5人は、息を潜めて赤ちゃんの生まれるのを待った。

間もなく…オギャーという声が漏れ聞こえてきた。

「あ、生まれた、生まれた」と、僕が叫ぶ。
みんながいっせいに僕を見る。

しかし、その泣き声は、となりの新生児室の赤ちゃんが泣いている声だった。あぁ、相変わらずそそっかしいボクである。

「ちょっと早過ぎるもんね…」と、一同、肩の力が抜ける。

また、扉の外で静かに聞き耳を立てる我ら5人。

午後1時50分。

扉の一番近くに立っていた高知のお母さんが、急に
「あ、あ、生まれた~!」と言って手をたたいた。

「え…?」
「シーッ!」

一同、息を止め、固唾を飲む。

…聞こえてきた。はっきりと聞こえてきた。

扉の向こうで、元気な赤ちゃんが泣いている声が。

猛烈な泣き方である。
今度は間違いない。
生まれたのだ。

ぱちぱちぱちぱち。

「よかった、よかった」と喜び合う僕たちだ。
高知のお母さんも、お父さんも、涙ぐんでいた。

次男も、ホッとした様子であった。

もちろん、僕たち夫婦も大喜び。
「コングラチレーションズ!」
…英語はもうええか。


そんなことで、僕は初めて生命が誕生する瞬間というものに接した。
扉1枚の向こうで、たったいま、新しい生命が誕生したのである。

人は、その一生を、こういう形でスタートするんだなぁ…。

なかなか、感慨深いものがあった。


それにしても、生まれたばかりの赤ちゃんの産声というのは、なんとまあ、けたたましいものであろう。

うんぎゃぁ うんぎゃぁ うんぎゃぁ うんぎゃぁ 

ものすごい声量であり、肺活量である。

モミィは肺が弱かったのでほとんど泣かなかった、という。
ソラはへその緒が首に巻き付き、これも泣かなかったという。

それにくらべて、この赤ちゃんはものすごい勢いで泣いていた。

これはきっと心肺機能が強そうである。


しばらくして、看護師さんが、赤ちゃんを抱いて見せに来てくれた。
顔はしわくちゃだが、なんとなくソラやモミィに似ている気がする。

おおきなおヘソと絆創膏の下に、小さなおちんちんがついていた。

うむ。
心肺機能の強い男の子か…?

これはぜひ、マラソンランナーに育てたいものである 

…そんなことを考えていたとき、

「抱っこ、しはりますか?」と看護師さんに促され、次男がまず抱き、次に高知のお母さん、僕の妻と、次々に赤ちゃんを抱っこしたが、高知のお父さんは「怖いけ、だめじゃ」と逃げて行った。

僕も動物園のコアラぐらいなら抱っこしてやれるが、いま生まれたばかりの赤ちゃんを抱くなどとは、おそろしや、おそろしや…

「抱っこ、しはりますか?」と言われたが…

僕も「怖いけ、だめじゃ~」と同じように逃げた  

 

 

 

 

 


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待ち望んでいた日

2009年07月29日 | 日常のいろいろなこと

7月28日(火)。
次男のお嫁さんのご両親が、高知から、早朝発の高速バスで大阪へ出て来られるというので、妻と2人で迎えに行った。

高速バスのターミナルは、JRなんば駅のOCATというビルの前である。ここはミナミの繁華街から少し外れていて、いささか不便だ。

朝6時に乗ったというご両親は、5時間以上バスに揺られ、11時過ぎに大阪に到着。久しぶりに顔を合わせた僕たち4人は、OCATでまず食事を済ませ、雨模様だったので、地下街を通って難波高島屋の方向へテクテク歩いた。

「なんばウオーク」の表示を見ながら、高島屋方向へ歩くが、これが長くて長くて…、15分以上かかる。

歩き慣れている僕たちは何ともなかったが、高知のご両親は歩くのがお疲れのようだった。

お父さんは山で野菜を作っておられるので、足腰は強いはずだ。

しかし「山を歩くのと硬い石の道を歩くのとでは、全然違うで、疲れよるわ」とお父さんは、こぼす。
なるほど。僕らはいつも「硬い石の道」を歩いている。

お母さんも地下街を20分近くも歩くのは初めてのようで、
「風が当たらんけ、頭がぼっとしよる」と、やはり歩き疲れた様子。

「田舎ではどこへ行くのも車じゃから、こんなに歩かんのよ。都会の人はよく歩くねぇ」と感心されていた。

都会人のほうがよく歩く…
なんとなく不思議な気がするが、そういえば、そうかも知れない。

ご両親は、高知県の鏡村というところにお住まいである。
高知市の北の山間部にあるのだが、最近、高知市に合併されたので、今はご両親も高知市民、ということになる。

さて、ご両親がわざわざ大阪までやって来られたのは他でもない。

自分たちの娘(うちの次男のお嫁さん)の大きなお腹と、生まれてくる赤ちゃんを、「この目でひと目見たい」ということである。つまり…

次男の嫁さんはこの日、かかりつけの産婦人科医に入院する。

そして、翌日、帝王切開して出産をすることになっている。
初めての出産である。

ご両親は、今日、娘さんの大きなお腹を見て、明日、生まれて来る赤ちゃんを見る予定である。

今日は、大阪の地理がわからないご両親を、難波からその病院まで、
僕たちが案内をする役目なのである。

難波から南海電車に乗り、病院のある金剛という駅に向う。
電車の中で、お父さんが突然、
「あ、わしゃ、いつかこの電車に乗ったことがあるけん」と言った。
「え…? 本当ですか?」と僕。
連れ合いのお母さんも不思議な顔でお父さんを見る。

「わしが、19のときじゃった」
「じゅうく…? それはまた、えらい昔で…」
「おやじと、高野山へ行ったんじゃね~」

「へぇぇぇ。高野山ねぇ…。初めて聞きよるわ」とお母さんも驚く。

そんなことを話しながら、金剛駅に着くと、次男夫婦が車で迎えに来てくれていた。次男の嫁さんは、これから入院をするのだという。

病院は閑静な住宅街の中にあった。

新生児室には3人の、生まれたての赤ちゃんがすやすやと眠っていた。
一番左に、わが家の苗字が書かれたベッドがあった。
明日の午後は、その場所に次男夫婦の赤ちゃんが寝ているはずである。

久しぶりに対面した次男の嫁さんとご両親の姿には、感動した。

「大きいお腹じゃのう」と、お父さんとお母さんは、お腹をさわる。
嫁さんは、思わず涙を流した。幸せの涙って、こういうものなんだ。

何ヶ月もお腹の中に赤ちゃんを抱えているというのは、大変なストレスだろうし、日常生活にも十分な注意が求められる。そのフィニッシュがいよいよ明日に迫った。そこで、長い間会っていなかった両親との対面…。彼女の感慨も、ひとしおだったろうと思う。

明日…

と言っても、もう、これを書いているのは今日29日の朝なので、
今日の午後、赤ちゃんが生まれる予定である。

帝王切開での出産だから、入院期間は来週水曜日まで9日間という、少し長い期間だが、お産の時間は通常よりも短くて済むそうである。

モミィとソラにとっても、初めてできる従兄弟である。

モミィも「赤ちゃん、早く見たいねぇ」
と、このごろはそのことをよく口にしている。

そうだね~。

早く見たいね~、僕も。

                     ~ 7月29日 午前8時 ~

 

 

PS 

本日午後2時前に、赤ちゃんが生まれました。
元気な男の子です。
よかったです~。
 

 

 


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英語夏期集中講座なのだ

2009年07月27日 | 日常のいろいろなこと

夏も盛りである。しかし…
東京ではとっくに梅雨が明けたと聞いているのだけれども…
大阪ではまだ梅雨が明けない。連日、天候が不順である。

昨日の日曜日も、朝から太陽がカンカンに照っていたかと思うと、昼から急に暴風雨となった。妻があわてて、びしょぬれになりながら洗濯物を取り入れたら、そのとたんにカラッと上がる…。
そんなけったいな天気が、最近は続いている。

で…
先週後半の3日間。
カバンの中に筆記用具と折りたたみ傘を入れ、夕方から電車に乗って、天王寺のECCへ通い、英語の「夏期集中講座」というのを受けた。

内容は、「英文法強化」ということで、現在形・過去形・未来形の時制の変化や、現在完了形の使い方、そして、5文型の徹底理解…というような感じで、内容は中学で習うごく基本的な文法の勉強であった。

講座は1日、2時間だ。
3日間で合計6時間…。
それで、お代金は2万円(それはいいのですが…)。

受講したのは、大阪の各地から来た中学生や高校生、会社員の兄さん・おじさんや看護師の姉さん、中国人の姉さん、僕と同年輩の主婦のおばさんたちの合計10人であった。ほとんどが、初対面のメンバーである。

講師は女性の方。
かなり年季が入ったと思われる方で、話し方がとても上手である。

「は~い、皆さん、今日から3日間、がんばりましょうね~」
とテンションの高いはつらつとした講師先生のご挨拶に対して…
「は、よろしくぅ…」
と、蚊の鳴くような声で、ばらばらにあいさつする僕たち生徒。
みんな、何となく不安そうな表情である。

自己紹介をするその女性講師先生。
お顔が、ちょっと特徴的であった。
可愛い顔立ちをしておられるのだが、誰かに似ている。

……?? 

う~ん、誰やろ? 似てるなぁ…誰かに。
うぅぅ~。思い出せん。気持ち悪~い。

ああぁぁ~。もう、そのことで頭がいっぱいの僕である。

おっ。わかった! わかったぞ~。

その講師先生のお顔は、ミッキー・マウスに似ていたのだった。
(ほんと、頬っぺたのあたりが特にそっくりなのだ)。

ちょうどそのとき、講師先生は、ご自分の名前を黒板に書かれた。

「私の名前は、○○で~す」
と、本名を名乗ったあと、
「そして、私のニックネームは…」
と言いながら、黒板に英語で、Mから始まる字を書き始め…、

「私のニックネームは、……ミッキーで~す」と言ったのである。

が~~~~~~~~ん。

ミッキー…??

ほんまかいな。

あ~、いきなり疲れる展開である。
この先、どうなることやら…。

 

       



さて、まじめな話に戻りますが…

講座はかなりスパルタ的に進められたが、これで英文法が強化されるのか? というと、それだけでは顕著な効果は期待できないだろう。中身は濃かったけれども、3日間だけの詰め込みではすぐに忘れてしまう。

でも、僕は約1月前から、通常の週2日のECCの予習・復習以外に、この3日間に備えて、中学英文法の解説書を買い、本がよれよれになるほど読んで、大事なところは暗記する、という作業を繰り返した。

おかげで、今回の3日間の濃密な講義も、かなりやさしく感じたし、ほぼ全面消化することができた。

当初は「はずみ」で申し込んだものの、「面倒くさいなぁ」と、気が進まず、「申し込まなければよかった」などと、何となく重荷に感じていたこの「夏期集中講座」だったけれども、結果は、おかげで自分の基礎的文法力はかなりアップしたのでは、と思える成果につながった。

(…といっても、これを機に自分の英会話力のアップが期待できるかどうかは、今後の勉強にかかっているわけだけど…)。

英会話では、文法にこだわり過ぎるとよくない…と言われるのは事実である。日本人は、外国人を相手にしても、話す前に文法を意識してしまい、つい口ごもってしまう。それよりも、間違ってもいいからどんどん話せ…ということが要諦とされている。まったくその通りだと思う。

しかし、文法を理解しなければ、その場その場では、カタコトを継ぎ合わせた英語で通じても、それ以上の英会話力は身につかない…というのも真実である。文法知識がなければ、壁にぶつかってしまうのだ。
僕がECCに通い始めてまず痛感したのは、そのことであった。

中学の英文法をきちんとマスターすれば、それを応用して柔軟な会話ができるし、基本がわかっていると、会話力も勉強時間に比例して上達するようである。一般論ですけどね。

「自分流英語」に自信を持っていた人たちも、ECCへ来て、その「自分流」をいったん捨てないことには上達しない…ことに気がつき、文法の勉強を1からやりなおしている…というケースも多いみたいだ。

そんなことで、「基礎英文法の大切さ」に目覚めさせてくれたことは、ECCへ通った価値だったなぁ…と考える僕なのである。

でもまあ、英語の時制とか、現在完了形とかを勉強するって…。

まるごと中学校時代に戻った気持だ。

僕の中学校時代といえば、もう45年以上も前のこと。

東京オリンピックが開かれた1964(昭和39)年が、僕が中学から高校へ進んだ年なのだから。

このブログを読んでいただいている方の中にも、その頃はまだ生まれておられない方がたくさんいらっしゃると思う。

ほんと~に大昔のことである。

仕事を定年退職した自分が、まさか中学英語の参考書で勉強することになろうとは…。

「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず」

朱熹の句が、ひときわ身に沁みるこの夏である。

 

 

   
 講座の出席カード。 「ミッキー先生」 から 「NON」 へのメッセージ付きです。

 

 

 

 

 


 

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思いも寄らないこともある

2009年07月24日 | 日常のいろいろなこと

海外旅行につきもののアクシデントは、終わってみれば笑い話だけど、その最中は、かなり深刻である。「二度と海外旅行なんかしな~い」と、本気で思ったりする。

国が違うということは、言葉だけでなく、これほど、ありとあらゆることが違うのか、と、旅行に行くたびに思う。やはり暮らすのは日本が一番いい。どこの国よりもいい…。海外は、何ごとにも油断がならない。

元職場の女性が新婚旅行でロンドンへ行ったとき、地下鉄に自分が乗ったとたんドアが閉まり、夫はホームに残ったままだった…という話も聞いたことがある。日本と違って、あちらの地下鉄は、発車の合図も何もなく、急にドアが閉まるので、そういうことが起きる。

新婚旅行で海外へ行って、そこで仲が悪くなり、「成田離婚」となる…というのがよくあるそうだけど、その原因の一つは、見知らぬ国で頼りになるのはわが夫ひとり…という状態の中で、夫が見込み違いの頼りない男であったことが判明したことによる、というのが多いのではないだろうか。

「な~んだ。外国へ来たら、からっきしダメ男じゃんか」
と、新妻から、「夫 失格」の烙印を押されてしまうのである。

新婚旅行が海外の場合、男は絶対に油断してはならないのだ。


昨日いただいたちひろさんからのコメントでは、ご主人とベルギーを旅行中、乗る予定の列車が運休になって、ご主人が対応に走っている間、一人で心細い思いをした…ということが書かれていた。
その気持、よ~くわかります。

外国では、時間がルーズだったり、急に運休したり、というのが多い。

ちひろさんご夫婦の場合は、アクシデントに見舞われながらも、ご主人が大活躍されたのでよかった。こちらは、海外旅行で、夫の頼もしさに改めて惚れなおした…というケースで、前述の話とは逆ですね(笑)。

    …………………………………………………………………

お話は、そのちひろさんのことになるのですが…

ちひろさんとは、以前からのブログ友達である。

4年前、僕は自分のブログに外国語の勉強のことを書いた。

英語を始め、ハングル、スペイン語、フランス語、イタリア語、中国語、ドイツ語から、挙句の果てはインドネシア語まで、わが家には会話の本がある。本があるばかりで、何も勉強できていない、とほほ…というのが、その内容だった。その時に「ハングル」で検索すると、ちひろさんのブログにヒットしたので、僕からコメントを送らせてもらった。
ちひろさんは、ハングルを学んでおられた。
それ以来、ブログを通じてのおつきあいが続いている。

そのちひろさんから、先月初旬のある日の朝に、携帯メールをいただいた。急に京都への日帰り旅行をすることになり、いま京都にいます…というメールだった。ちなみにちひろさんは、関東在住の方である。

ちひろさんが「京都大好き」の人であることは、ブログで承知していたけれど、小さな子どもさんがおられるのに、一人で京都へ…?

…というのも、前の日に、ご主人が、「明日は子どもの世話をするから一人で京都へ遊びに行っておいで」と言ってくれたそうなのです。

ベルギーでのヒーローは、今も健在である。優しく思いやりのあるご主人の好意で、ちひろさんは、急きょ、留守の間の子どもさんの身のまわりの段取りをして、早朝から、京都への日帰り一人旅に出たのである。

ちひろさんのメールは、京都に来ていますということだけで、最初は「お気をつけて」という程度の返事しか送れなかったけれど、せっかく京都まで来られているんだから、ぜひお会いしたいものだと、僕は思い始めた。

女性に対して失礼かな~とは思ったけれど、僕はメールで、夕方、ちひろさんが新幹線でお帰りになる前に、京都駅で会いませんか…? と書いて送った。

そして快くOKをもらったので、妻に、
「ブログ友達のちひろさんに会いに、京都へ行って来るよ~」
と伝え、時間を見計らって家を出た。

一昨日(7月22日)に、ちひろさんが、その京都旅行の様子をブログにアップされたので、ここにご紹介したいと思います。

        ↓

http://namcleblog.blog88.fc2.com/


京都の土地や寺社に詳しく、京都をこよなく愛するちひろさんらしさに溢れている紀行文です。

夕方、京都駅でお会いしたときの様子も、ちひろさんのブログに詳しく書かれていますので、ここでは書きません。

ブログを通じて「4年前からの知り合い」でありながら、
京都駅で「初めまして~」という挨拶はおかしかったですが(笑)。

今、思い出しても、不思議な気がします。
いろいろな出会いがあるものですね。
ネットだけで終わるはずだったおつき合いが、思いも寄らぬ展開で。
本当にブログには、はかり知れない可能性が秘められていますね~。

 

 

 

 

 

 

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海外旅行の苦い体験

2009年07月22日 | 旅行

今日も英語の話だけれど、昨日のECCでは、初対面のカナダ人女性講師から「あなたの職業は何ですか?」と聞かれた。
「ホワット・ドゥ・ユー・ドゥ?」というお決まりの文句だ。

ECCで初めての相手には、必ずこれを聞かれるので閉口する。

「仕事はアリマセン。3月に定年退職しました」

そう答えるしかない。

で、昨日もそれを言うと…

リサさんというカナダ人講師(美人!)は、目を丸くして、
「ン…??? ハウ・オールド・アー・ユー?」と僕に尋ねた。
トシ聞くなよ、と思いながらも、仕方なく「60歳だ」と答えた。

「リアリー?(ほんまかいな)」と彼女。

「アナタは60歳には見えない。10歳以上は若く見える」というようなことを、ペラペラと言ったかと思うと、次は、僕の頭の髪の毛を指差し、「そのヘアーはナチュラル(自然のまま)か?」と聞いたのである。

「イエス」と答えると、「オー、ヤー!」と僕をしみじみと眺めた。

白髪が全くないということもないが、僕の頭髪は、ほぼ黒い。
以前から「染めているのか?」とよく聞かれてきた。
もちろん、そんなメンドーなこと、僕がするわけない。

しかし、外国人に「頭髪はナチュラルか?」と聞かれたのは初めてだ。
相手が日本人なら「実はこれは、
かつらやねん。アートネィチャーや」
とジョークも飛ばせるが、日本語のわからない外国人にはねぇ…。

「若さのシークレットを教えてよ~」
などと彼女は言っていたが、なにせ全部英語での会話なので、込み入った話のできない僕は、あとは笑ってごまかすだけであった。

すると、「オー、その笑顔が若さのシークレットね」と彼女。

好きなように思いなはれ。

  ………………………………………………………………

ところで、今の僕は、ある程度の英語力を、なんとかあと2ヶ月の間に身につけたいと、必死の毎日である。

2ヶ月後の9月下旬に僕は、妻と、妻の姉と共にアルゼンチンへ行く。妻の姉の次男が、首都ブエノスアイレスで10年前からレストランのシェフをしているので、彼に会いに行くのが主な目的である。

その旅行はすべてフリーであり、添乗員は付かない。大阪から東京の成田空港まで行き、そこからアメリカのどこかで乗り換え、南米アルゼンチンへ行くのだが、出発から到着まで、丸1日以上かかる。なにしろ、旅行は8日間だけど、ブエノスアイレスの宿泊するのは4泊である。つまり、移動時間があまりに長いため、4泊8日の旅行になるのだ。

ブエノスアイレスから飛行機に乗り、日帰りで、ブラジルとの国境にある有名なイグアスの滝にも行きたい。これも現地で段取りをしなければならない。甥が住んでいるとはいえ、仕事があるのでずっと案内してもらう、というわけにもいかない。アメリカでの乗り換えも、スムースに行ってほしい。

いろいろ考えていくと、これまでで最もハードな旅行になりそうな感じもする。なにしろ「ブエノスアイレス・フリーツアー」を申し込んだとき、旅行社の人も「珍しいですね」と言ったほど、日本人旅行者は少ないところである。どんな予期せぬトラブルに出くわすかも知れない。

海外旅行で起きるトラブルの多くは、言葉がわからないために生じる。

英語ができると、むろん旅の楽しさも違ってくるだろうが、何より無用のトラブルに巻き込まれないような状況判断ができる。英語圏でなくても、英語は威力を発揮する。英語は、いざというときには、必ずどこの国でも役に立つ。外国旅行では「英語が身を助ける」のである。


僕はうかつな人間だから、苦い体験を何度もしてきた。

すべて「英語さえわかっていれば避けられた」トラブルなのだ。

忘れられないのは5~6年前、フリーツアーで妻とイタリアのフィレンツェに行ったときのことだ。

関西空港からドイツのフランクフルトまで飛び、そこでフィレンツェ行きに乗り換えた。機内の日本人乗客は、僕たち2人だけであった。

外は悪天候のようで、ガタガタ揺れていた。

何度も機内放送があった。
イタリア語、ドイツ語、英語で機内放送が流れてくる。
むろん、何を言っているのか、まったくわからない。

そうこうしているうちに、飛行機はフィレンツェ空港に着陸した。
日はとっぷりと暮れていた。周りには、濃い霧が立ち込めていた。

乗客たちはタラップを降りて、空港のターミナルまでバスに乗った。
バスの中は、なんとなく騒然としていた。

多くの人が携帯電話でなにやら話しているし、目の前の男女のアベックは、ひしと抱き合っている。でもまあ、それがイタリア人というものなのだろう…と思いながら、僕たちはバスから降り、バッゲージ・エリアのベルトコンベアから、スーツケースが出てくるのを待った。

何人かの人たちが、そばのカウンタの空港職員に何かを聞いている。
乗客の様子を見ていると、なんとなく落ち着かない様子である。
でも、中にはゆったりと構えている人もいたので、特に何かあった、ということもないのだろう、と僕は思っていた。

今から思えば、もしもそのとき、自分に英語力があれば、そこで僕も空港の職員に「何かあったのですか?」と質問できたはずである。

返ってきた答えを聞いて、たぶんびっくりしただろうけど、しかし、それについての対応も教えてもらったはずだから、結果的には大事には至らなかったはずである。

でも、英語で話す自信がなかった僕は、、そこのところを怠った。

つまり、誰にも何も聞かず、事情もわからないまま、自分たちの荷物を持って、妻と2人で空港の出口へ行ったのである。僕たちをホテルまで送ってくれる車が来ているはずだったから。

しかし…その車がどこにも見当たらない。
おかしい。
フリーツアーだが、フィレンツェの空港からフィレンツェ駅前ホテルまでの送迎だけは、このツアーについていた。なのに、車が来ていない。

「しゃぁないな。タクシーで行こう」
と、タクシー乗り場へ行って
「フィレンツェの駅前の○○ホテルまで行ってください」
と、旅行前に覚えたカタコトのイタリア語で運転手に伝えた。

運転手の驚いた表情が、いまも脳裏に焼きついている。

「フィレンツェ…???」と運転手はびっくり仰天の表情だ。

「そう。フィレンツェ駅前のこのホテル」と、ガイドブックを見せた。

そのとき、運転手は何と言ったか?

「ここはフィレンツェやおまへんで。ボローニャ空港ですがな」

げぇっ。

「ボローニャ…? どこやねん、それ。 うそやろ!」


あぁ。
思い出す度にぞっとする。

すべて後で知ったことだが、この日、イタリア北部は霧が濃かった。

フィレンツェ空港はそのため着陸禁止となった。

僕らが乗っている飛行機は、着陸先を、そこから200キロ近く離れたボローニャという都市の空港に変更した。しかしこのボローニャも、霧が濃く、最後まで着陸できるかどうかわからなかったという。

それでも着陸を強行し、成功した。
(そういえば着陸した時、となりのおじさんが十字を切っていた)

飛行機からバスに乗り換えたときの乗客の様子がこれで理解できる。
みんな、携帯電話をしていた。
そりゃそうだ。
フィレンツェに着くはずが、200キロ近く離れたボローニャに着いたのだから、いろんなところに連絡しなければならない。

それと、バスの中でひしと抱き合っていた男女。
濃霧の中での危険を犯しての着陸になんとか成功したことで、2人はホッと胸をなでおろし、お互い、ひしと抱き合っていたのだ。

そんなことを何も知らず、のんきに構えていたのが僕たち、というより僕だけである。妻は僕に頼りきっているわけだから…。

荷物を受け取ったあと、他の乗客はみんな、航空会社が用意したバスでフィレンツェに向ったそうである。僕たち2人だけがここがフィレンツェだと思い込み、集団から離れて出口に行き、駐車場に迎えに来てくれているはずの車を探していた…というわけだ。

とほほ…どころの騒ぎでない。アホやがな。

そのあと、タクシーでボローニャの駅まで行き(だいたい、ボローニャというところも、それがどこにあるのか全然知らない)、カタコトのイタリア語で、駅員や列車待ちの客たちに尋ねまわり、ふうふう言いながらフィレンツェへ行く列車を探し回って、何度も違う列車に乗りかけ、
「この電車は違うみたいや!」
と、また別のホームへ走る、というドタバタを演じなければならなかった。今、思い出しただけでも、ぞっとするような、苦い体験であった。

(四苦八苦の末、フィレンツェ行きの列車に乗れたのは幸運だった)


あぁ、せめて、空港で、
「日本語のわかる人はいますか?」とか、
「何があったのですか?」ぐらいは聞くべきであった。

しかし英語は度胸とはよく言ったものだが、度胸や自信がないと、万事消極的になり、つい尋ねる機会を逃してしまい、あとでひどい目に遭うことになる。


今度アルゼンチンへ行くに当たっては…
なにせそこは地球の裏側で、南半球である。
今は真冬で寒い寒い、と甥がメールで書いてきた。

そんな国へ、飛行機をアメリカで乗り換えて、待ち時間を含め、何十時間もかけて行こうとするのだ。

アルゼンチンの公用語はスペイン語だけれども、ホテルや空港、レストランなど、オフィシャルな場では必ず英語が通じる。旅にはトラブルやハプニングはつきものであるが、それを最小限に防ぐためにも、今度こそ旅先で英語を話すことを恐れず、絶対にフィレンツェの二の舞は演じないぞ~ん、と強く思うのである。

退職後ずっと英語に力を注いでいるのは、その一念からである。

英語会話の力はなかなか身につかないが、ECCへ行き、外国人講師や他の受講仲間とのやりとりを通じて、英語に少しずつ「慣れる」ことはできてきたように思う。

髪の毛は黒くても(笑)、もう若くない僕である。
ハイレベルな英語力を身につけることは無理である。
せめて、英語に親しみ、慣れることをめざしたい。

このまま勉強を続けていけば、英語力自体はイマイチでも、それによって多少はつくであろう「英語度胸」をアルゼンチンに持ち込むことは、なんとかできそうである。

そのためにも、出発までのあと2ヶ月。 がんばりたい。

 

 

 

 

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英語に苦悶するワタシ

2009年07月21日 | 日常のいろいろなこと


       


退職して日々の仕事から離れると、ずいぶん暇で楽になるだろうなぁ…と考えるのは、僕だけではあるまい。誰でも、そう思う。

しかし…
退職してから、もう4ヶ月近くになろうとしているのに、僕はどうも落ち着かない。あくせくしたり、バタバタしたりと…。なぜかゆっくりする時間がない。

なんでや…? と言うと、一番の理由は英語だ。
英会話の勉強なのだ。

レッスンの予習・復習をして、一方で独習もして…
歳のせいか、物覚えも悪い。
いわゆる悪戦苦闘、というやつ。
ぜいぜい、ハアハア。

4月から週2回、ECC英会話スクールに通っているのは、このブログでも何度か書いたけれど、改めて詳しく書いてみたい。

        
週2回のうち、ひとつはレギュラーレッスンといって、6~8名で構成されるクラスで、学校の英語の授業に近いレッスンである。僕のクラスは毎週火曜日の夜で、講師は日本人女性だ。

まあ英語の授業に近いといっても、中学や高校のように、おとなしく先生の話を聴くだけではなく、レッスンに入る前にそれぞれ、週末にはどこへ行ったとか、夏休みはこういう計画をしているとかを、一人ひとり英語で話さなければならないし、レッスンの中でも、前の席や隣の席の人と、テキストを応用した対話をすることが多い。

そのレベルは、僕にとっては、かなり高い。
とてもではないが、予習をしていかなければ、ついていけない。

おまけに、モタモタしているとクラスの人たちに迷惑をかける。その意味でも、予習は絶対に欠かせないのだ。それも内容が豊富なので時間がかかるし、さらに毎週宿題もある。

週のもうひとつのレッスンは、外国人講師とテーブルを囲んでフリートーキングをしたり、テキストに添ってレッスンを受ける…というものである。これは、特に何曜日とかは決まっておらず、自分の都合のいい日時を、毎回予約すればいいというシステムだ。

こちらは人数も少なく、2~3人が普通である。僕の場合は、たまたまそうなったのだろうけど、これまでずっと講師と2人だけ、という状態が続いていた。

ところが…先週のこと。
初めて別の人が加わり、2人で講師のレッスンを受けることになった。もうひとりの人、というのは、初対面の人だったのだが、若い女性であった。むふふ。

講師のアメリカ人男性から「お互いに自己紹介してください」と言われ、僕は「むふふ」状態からハッと我にかえり「ワタシは藤井寺に住んでいます」「ワタシの趣味は走ることや歩くことです」というふうなことを例によってたどたどしく、しどろもどろになりながら、話した。

それに対して相手の女性は、自分は女子大生で、この近くの大学に通っているが、住んでいるのは兵庫県西宮市なので、電車を乗り継ぐとここまで2時間近くかかるのだ…ということを、僕などとても足元にも及ばないような流暢な英語で話したのである。

ふ~む。
フィギュアスケートの安藤美姫さんとよく似た顔の女子大生である。
英語は活発だが、礼儀正しく、万事控えめな雰囲気を漂わせている。

こんな英語のレッスンなんか中止して、どこか別の場所で、日本語でお話をしませんか…? な~んて言いたいくらい(アホか、おまえは)。

…どうも、すみません。
まあ、そんなことで、こちらのレッスンも、別のテキストがあるので、予習をしておかなければ、貴重な時間を有効に使うことができない。

特に、今回のように受講生が2人の場合、相手の人と、テキストを元にしたやりとりを交わさなければならないので、これまた予習をしておかなければ、こちらが「え~っと、え~っと」と詰まってばかりいると、相手の人の大事な時間までも、無駄につぶしてしまう局面が増えてくるので、これはもう、予習が必須となるのだ。

90分のレッスンを終えた後、講師が出て行き、帰り支度をしていると、
「どうも、ありがとうございました」と一礼して、その女子大生が部屋から出て行った。

「あっ、どうも、こちらこそ、ありがと。バイバーイ」

帰る時、ECCの女性スタッフと次の予約日の話をしながら、僕が
「今日は女子大生と一緒でしたよ~」と言うと、女性スタッフは、
「そうでしたね。のんさん、よかったですか~」
「うむ。よかったです。あはは」


…え~、まぁ、そういうわけで、英語の勉強に苦悶する毎日だ。
(なんじゃ、そら…?)

それに、ECCだけではなく、自分の本やCDで独習もしているのだから、英語に費やしている時間というのは、かなりのものだ。

しかしなァ。そのわりに上達しないのはどういうわけだ?? 

今週は、通常のECCレッスンに加え、23日(木)から3日間、天王寺にあるECCまで出かけて、「夏季短期集中講座」というのを受けることになっている。まさに、1週間まるごと英語のお勉強である  。

僕はいま、できる限りの英語力を身につけなければならないのだ。
あと2ヶ月の辛抱だ。それまで、頑張ろう。

これほど苦悶(?)してまで英語に執着するのにはそれなりの理由がある。とにかく、あと2ヶ月は頑張らなければならない。

あと2ヶ月…。

次回、その理由について説明します。 

 では…    



 おまけ。↓


       

 

 

 

 

 

 

 

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讃岐うどんとおもちゃ王国

2009年07月19日 | モミィの成長日記

先日、1泊で、兵庫県にある「東条湖おもちゃ王国」というところへ行って来た。妻と長男夫婦と、その子どものモミィとソラの6人である。

初日は大阪から明石大橋を渡り、淡路島から鳴門大橋を渡って四国に入り、高松へ行って、そこで「讃岐うどん」を食べた。

1年半ほど前、僕は讃岐うどん巡りの“修行”に出かけたことがある。

           

     http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20071214


その時から長男は、自分も讃岐うどん巡りをしたいと言い続けていた。

今回、モミィとソラを東条湖おもちゃ王国へ連れて行くに当たり、ぜひ初日は高松へ行って讃岐うどんを食べよう…という長男の希望により、四国へ渡ってうどんを食べ、そこから瀬戸大橋を渡って岡山県に入り、兵庫県の東条湖まで行き、ホテルで宿泊して、翌日、東条湖おもちゃ王国で遊ぶ…というコースになったのである。

モミィは、東条湖へ行くことが決まってから、「トージョーコ、トージョーコ、楽しみやねェ…」と毎日、呪文のようにつぶやいていた。

モミィは3歳9ヶ月だから、楽しみや喜びを十分言葉で表現できる。
弟のソラは2歳2ヶ月で、言葉は単語を断片的に並べるだけ。
「楽しみやねぇ」とこちらから言うと、「やねぇ」と答え、
「楽しみやろ」と言うと、「やろ」と答える。
語尾しか言わない。
「ほんまに楽しみなんかいな?」
そもそも、意味がわかっているのかどうかも、定かではない。

朝の7時半ごろに出発して、途中何度か休憩を入れて、四国の高松には11時過ぎに着いた。

高松では、2軒のうどん屋さんに入った。

僕のように、讃岐うどん修行を積んだ「通(つう)」になると、決して大きなうどん屋さんには行かない。前述のブログで書いたとおり小さな製麺所へ行く。そういうところに讃岐うどんの精髄が秘められているのである(ウォッホン!) 小さな製麺所は全てがシンプルだから、値段も、うどん1玉で150円程度の安さである。

しかし、幼児を連れてそんな店を訪れるのもややこしいので、この日の僕たちは、ごく一般的な大きな店に入った。日曜日ということで大賑わいだったその店は、うどんの種類も豊富な代わり、値段も大阪のうどん屋と変わらない。

うどん好きのモミィは喜んで食べていたが、ソラはうどんよりも、おにぎりが好きで、うどんを尻目に、おにぎりばかりにかぶりついていた。

まぁ大きな店だったけれど、うどんの味のほうはさすがに本場だけに、なかなかの味わいであったことは事実だ。

そのあと、もう1軒、同じような一般的な店に入り、僕は前の店とこの店でビール1本ずつ飲んで、長男の運転する車で、瀬戸大橋に向かったのである。

この日は日曜日だったので、高速道路の料金や橋の通行料が「むちゃくちゃ安い」と、長男が笑っていた。

まあ、のどかな旅行である。

さて、東条湖おもちゃ王国は、兵庫県の三田市と西脇市の間くらいにある、山間部に作られた遊園地である。

http://www.omochaoukoku.com/tojoko/info/index.html


僕たちは、遊園地のすぐ前にある「ホテルグリーンプラザ東条湖」というところに泊まった。

そのホテルに泊まると、「おもちゃ王国」の入園券がついており、乗り物フリーパス券も売っている。もちろん宿泊客はほとんど遊園地へ行く家族ばかりである。

僕はそのホテルの夕食で、飲んだり食べたりし過ぎてお腹が苦しくて、夜はよく眠ることが出来なかった。どうも僕は、バイキングとなるとやたらと食べ過ぎる。我ながら、見苦しい…

そんなことで、その日は終わった。

一夜明けて月曜日。

「おもちゃ王国」は山間部に位置しているので、吹き抜ける風は大阪より涼しいが、この日は晴れていたので、直射日光の暑さは、大阪と同じである。遊園地内も、暑い、暑い。

モミィやソラは、妻や長男夫婦らといろんな乗り物に乗って大喜びしていたが、僕は写真撮影に走り回りながらも、日陰を見つけては暑さから逃れるのに忙しい。

モミィは自動車やヘリコプター、汽車、メリーゴーランド、クラッシックカーなど、次々と乗って行ったが、ソラは汽車のトーマスに乗ると、他へ行きたがらず、「これぇ、これぇ」と降りても同じ乗り物を指差し、降りたらまた乗り、降りたらまた乗る、ということを繰り返しているので、そこはママにまかせて僕らは他のところへ歩いて行った。後から聞くと、ソラはトーマスに14回乗ったそうである。
よ~やるわ、ほんまに! 

それにしても暑い。
遊園地には屋内パビリオンも沢山あったので、冷房の効いた部屋の中に入りたくなった。狭い遊園地だし、あまりお客もいなかったので、みんなとはぐれることもないだろうと思い、僕は一人で近くにあった建物に入り、小さな椅子に座った。やれやれと、クーラーの有難さに改めて感謝しながら一息ついたのである。

で一息ついて…
ところで、この室内は何…? と見回してみると、リカちゃん人形がズラッと並んでいる。「ん…?」と思って、一度外に出て、入口の看板を確かめると、そこには「リカちゃんハウス」と書かれてあった。
                

「リカちゃんハウス…???」
僕は建物の横手から入ったので、正面の看板は見ていなかった。

「ん~、でもまあ、何でもええわ」
また中に戻って一人で座っていると、お客さんたちも、小さな女の子らを連れて次々入って来て、また出て行く。みんな幼児連れである。僕だけが、一人で、じっ~とそこに座っている。

リカちゃん人形の部屋に一人で息を潜めるように座っている中高年男…というのは、気持悪くないか…?

じっと座っているのもナンなので、携帯電話を取り出した。
何かしているように見せておかなければ、怪しまれる恐れがある。

見れば、携帯電話にメールが入っていた。
さっそく開けてみると、知人の方からのメールだった。その内容が、
「いま、どちらですか?」というものだった。
はぁ…? 何だろう…?
と思いながら、返事を送った。
「今、リカちゃんハウスにいますけど…」


モミィとソラはたっぷりと遊び、満足した1日を過ごせたようである。
僕はと言えば、昨夜、あれだけ食べて飲んだのに、昼も遊園地内のレストランでビールを飲み、帰りの車の中でも缶チューハイを飲み、大阪に着いてから夕食に入った回転寿司屋さんでもビールを飲み…。と、飲んでばっかり。

そういえば、むかし、

飲んで飲んで飲んで飲んで飲んで飲んで飲んで飲んで飲んで~

という歌が、あったような…?

たしか、この歌は、「ビール王国」という題名だったのではないか。

(…そんな歌、あるはずないやろ)

 




 

 
 大きなうどん屋さんほど、「讃岐うどんらしさ」が薄れるが…



   
   ソラは うどんよりおにぎり?

 

 



 瀬戸大橋で

  

 
ホテルの部屋のベランダから「東条湖おもちゃ王国」が見える

 


 
     おもちゃ王国の入り口で。


  
  おもちゃ王国から泊まったホテルが見える(右後方) 
   

 

   
   ソラは「トーマス」が大好き。14回も乗った。

 

 
  おじさん一人で入ると、怪しまれます。
  しかし、中は冷房がよく効いて、とても涼しいのです。

 

 

 

 

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お返事

2009年07月18日 | 日常のいろいろなこと

雑事に追われ、しばらくブログを更新できませんでした。みなさんからコメントをいただきながらお返事が遅れ申し訳ありませんでした。たいへんご無礼ながら、このブログでお返事させていただきます。

akira さんへ  耳鳴りの周波数

今月中に、次男夫婦に初めての赤ちゃんが誕生しそうです。予定日は8月だったのですが、かなり早くなるだろうとのこと。生まれてくる赤ちゃんは、ママが高知生まれで、パパの母方の祖父母も高知生まれ、ということになり、これまた高知と縁の深い子になりますね~。

ところで、自分の耳鳴りの高さがどれくらいなのか…?
音量がどれくらいなのか…?
自分しかわからないものと思っていましたが、周波数で高さは特定できるのですね。大○前病院でも、カウンセリングに行くだけで、半年以上、聴力検査はしていませんが、次回(来月)には久しぶりに診察を受け、検査もしてもらおうと思っています。しかし、聴力検査では、高音が耳鳴りと重なっているので(つまりakiraさんがおっしゃる同化ですね)、聴こえるとか聴こえないとかの問題ではなく、耳鳴りが邪魔しているから、結果として聴こえない状態になるというだけですよね。それを「高音が難聴」と言われると、本質的な難聴みたいで、ちょっと腑に落ちません。まあ、理屈だけの話ですが…。
それにしてもこの耳鳴りはキ~~~ンと唸るように頭の中から吹き出てくる感じで、まだまだ当分(あるいは一生)、慣れることはできません。とほほ。



yukariさんへ  もしも鶴見緑地で…

高知といえば、大阪に「散らばって」おられるyukariさんのご親戚と同様、妻の兄弟も大阪に出て、あちらこちらに「散らばって」います。
その一人の兄はyukariさんの近くに住んでいます。
毎朝、鶴見緑地を歩いているそうですから、今度そういう人を見かけたら、「順ちゃ~ん!」と呼んでみてください。「なんや~?」と返事をした人が、うちの妻の3番目の兄です。

yukariさんが以前ブログをされていたということをお聞きしていたので、ぜひ再開されたらいいのに、と思っていました。テンポのいいユーモア溢れた文章と、奇抜な視点で、読む者を大いに笑わせてくれそうです。しかし、「性格的に毎日書いてしまう」というのがしんどいですよね。やっぱりyukariさんは几帳面な方ですね。
ブログで知り合った人たちとのお付き合いも楽しいです。
yukariさんは、毎日メールですか? 毎日! やっぱり…毎日。

僕も4年前からブログを始めていますが、そのころからブログを通じて知り合った人たちとのメールのお付き合いがあります。これはなかなか貴重なものですね。昔では考えられませんね~(←これ、年寄りの決まり文句です。とほほ)。



のこたんさんへ  両手でビール!

ブログの登録している人が約2700万人…という数字は僕もびっくりです。
実人数はもっと少ないと思いますが、話半分にしても、1千数百万人ですものね。まあ、中には「冷やかし」だか「やけくそ」だかわからないような意味のわからないブログもありますが…(笑)

のこたんさんのブログは、季節の風物を、ご自分の感想や経験を交えながら紹介される記事も多く、綺麗な写真もたくさん掲載されていて素敵ですね。ず~っと、ず~っと、続けてくださいね~。

さて、四国と東条湖おもちゃ王国の旅も無事終わりました。のこたんさんがコメントをくださったころ、ちょうどホテルのバイキングで「暴飲暴食」の真っ最中でしたね。もちろん、ビールを両手に持ってグビグビ!  なぜビールを、片手ではなく両手で持っているのがわかったのですか…? さすが名探偵のこたんさんの鋭い観察力ですね~。

それと、もうひとつコメントをいただきました。言葉の端々から、のこたんさんの優しさが滲み出ていました。本当にありがとうございました。



ちひろさんへ  「トーマス」に14回も乗ったソラ

お久しぶりですね。お元気そうで何よりです。
「書きかけのブログ」頑張ってくださいよ(プレッシャーを与えてる?)。
僕も身体にトラブルは耐えませんが、まあ、ぼちぼちとやっています。
先日は初めてお会いできて、光栄でした。「はじめまして」というお互いのあいさつが、何となくおかしかったですけどね~(笑)。

讃岐うどん巡りは、結局巡ったのは2件だけ。幼児にはそれ以上、無理ですよね。のすけ君のように、「高松でうどん食べた」と言ってくれたらいいのですが、うどん好きのモミィと違い、おにぎり好きのソラは、おにぎりにかぶりついてばかりいました。言葉がちゃんとしゃべれたら「高松でおにぎり食べてんで~」と言うかも。

ソラは翌日の遊園地では、列車トーマスにばかり乗っていました。何度も何度も、乗り終わってはまた並び、乗り終わってはまた並び…。なんとママの話では14回も繰り返し乗ったらしいです。僕らは付き合っていられないので、他のところへ言ってましたが。

「アンパンマン特急」というのがあるのですか? それは知らなかった~。でもそんな話を出すと「連れて行って~」とまた2人に催促されそうです。

 

アナザービートルさんへ  女体入口

そうですか。「女体入口」をネットで調べたのですか。
僕の見たネットでは、「女体入口」と書いてあるバス停の前で、記念撮影をしている男の人の姿がありました。う~ん。こんな写真を撮っていたら、後日、この人の近所でわいせつな事件が起きたときに疑いをもたれそうです。家宅捜索されて、この写真が出てきて、状況証拠となって自白を強要され、無実の罪で…

こう書きながらふと橋幸夫の歌を思い出しました。
たしか「伊太郎恋歌」という題だったか…
(僕は橋幸夫の大ファンでしたので)

♪ 筑波山さえ男体女体 伊太郎悲しや一本どっこ~ ♪

そういう出だしだったように覚えています。
その歌詞をいま突如思い出したのですが、これって、筑波山にも男体山と女体山があるというのに、俺は寂しい一人ぼっち、という意味なのでしょうね。なら、女体山への入口は「女体入口」で普通ですよね。

そういえば、わが家の窓から見える二上山も、雄岳と雌岳がありました。これも、言わば男体山と女体山を言い換えているだけですよね。そ~か。そういうことやったんや(どういうことや?)。



やまぶきさんへ  薬も信用できませぬ

ほんとにねぇ。耳鳴りに効く…という宣伝文句は多いのですがねぇ。

やまぶきさんのドラッグストアの話で思い出しましたが、わが家のすぐ近くの小さな薬局の前にも、「耳鳴り、肩こり、冷え性」と書き抜いた旗(のぼり?)がヒラヒラと舞っています。
「それがどないしてん!」と、いつも思いながら前を通ります。
「耳鳴り、肩こり、冷え性」と書いてあるだけで、それに効く薬を置いているとも何とも書いていません。まあ、書いてあったところで信用できませんが、実にいい加減な「旗印」を掲げている薬局です。

思い出すのは藁をもすがりたい思いで買った「ナリピタン」という薬。
テレビでも、「耳鳴りがすっきりと治ります」と宣伝していますあの薬。いくら飲んでも、まったく耳鳴りは改善されず、説明書きを読むと、「○○週間飲んでも効果が現れなかったら、服用を中止してください」と書いてありました。あほらし。

それ以来、僕はテレビのあらゆる薬のCMを信用していません。死ぬ一歩手前かと思われるほどグタ~っと疲れたおじさんが、ドリンク1本飲むと元気ハツラツに変身!…こんなコマーシャル、信じられます…? 
な~んて思う今日この頃です。

 

油香さんへ  文 通

20年間文通を続けた経験がおありだとか。
20年間というのは、すごい年月ですね。
「文通」という言葉は、僕らにとってもなつかしいです。
今はみんなメールですが、「文通」は、手紙のことですよね。
…手紙を投函する。
…返事を待つ。
相手がすぐに返事を書いても、それが届くのは数日後ですね。
それからまた手紙を書いて…返事をもらって、また書いて…。

今のメールの時代なら、メールを出して、1時間返事がこないだけで、「おかしいな。なんで返事が来ないのだ」なんて思う時代です。便利な世の中になりましたが、情緒が薄れたのは否めませんね。といっても、そのおかげでこうしてブログやメールで皆さんと瞬時に交信できるのですから、これは有難いことです。

では、油香さんも、お身体にはお気をつけてくださいね。お元気で。

 

最後に じゃいさんへ  

女体入口でアナザービートルさんと盛り上がりました。
で、またそれを通していろんな知識も得ることが出来ました。
といっても、女体そのものの知識ではありませんよ(笑)。

また、楽しいコメント、お待ちしています。よろしくね~。


 

編集画面を見ると「テンプレートのバージョンアップをします」とgooからのメッセージがあり、クリックのマークがあったので、それをクリックしたら、字が極端に小さくなって、バランスの悪いテンプレートになってしまったので、一時的にテンプレートのデザインを変更します。なんで「バージョンアップ」なのか…? これまでどおりでよかったのに…。ほんと、わけのわからないことです。 

 

 

 

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増える増えるブロガーたち

2009年07月12日 | 日常のいろいろなこと

毎日、暑い   。

仕事に行っていた時は、勤務先に冷房が入っていたので気がつかなかったが、夏というのはこんなに暑かったのか~と、今さらながら驚く。

何十年もず~っとオフィスの中で仕事をしてきたら、冬は暖房、夏は冷房の効いた部屋にいるのが当たり前のように感じてしまう。あぁ~…。仕事を辞めて何がつらいかといえば、家の中が暑いのが一番つらい。といって昼間からクーラーをかけるということは、諸般の事情からこれもむつかしいですしね~。

言うまでもないが、朝が一番涼しくて気持がいい。

今、最も自分としては力を入れているつもりの英語の学習は、涼しくて頭が冴えている朝にするのが一番である。
ジョギングやウオーキングで外に出るのも、涼しい朝が一番である。
ブログを書くのも、やはり静かで集中できる朝が一番である。

一日中朝だったらいいのになぁ…、と思うときがよくある。

それなら、ブログだけでも夜に書く習慣をつけたらいいのだが、夜はいつも  を飲んでダラダラしているので、これもまたむつかしい。

それに、 を飲んだあとは、耳鳴りの活動が、より激しくなる。飲んでいるときは、耳鳴りを忘れることがあるほど(…だから、よけいに飲んでしまう)快適な時間を過ごせるのだが、しばらくして酔いが醒めはじめるとあとは耳鳴りの大襲来が待ち受けている。耳鳴りには禁酒が効くのでは…と助言されたこともあるけれど、耳鳴りには○○が効くという言葉にはもう飽き飽きしたので、実行していない。
それに、禁酒を実行するというのは僕にとっては命がけの作業なのである。


今日は早朝から家族で1泊旅行に出かけるので、現在午前5時に、このブログを書いている。

最近は、ブログを書く人がますます増えてきているそうだ。

昨日の新聞に、「ブロガー 2695万人」という記事があった。
ブログを書いている人が、日本で2695万人いる、という記事である。

約2700万人の人がブログを…。
へぇ~~、ほんまかいな?
 そんなにたくさんの人がブログを…。

このgooのブログに登録をしている人は、約126万人である。

編集画面に毎日、訪問者数のランキングというのが出ていて、その日のブログ登録者の総数が毎日出る。それが現在約126万人。その中で自分のブログが5000~7000位くらいになっていると、他愛もなく喜ぶ僕なのであるが、もちろんgooのほかにもブログサイトは沢山ある。

そんな中で、全部で2695万人…というブロガーの数が、総務省の調査の結果でわかったということである。

しかし、ブログというのは一人で複数のブログに登録している人も多い。

僕もその1人だ。また、ブログを引っ越すと、今は更新していない過去のブログも、数字のうちに入っているとなると、実際にやっている人は、これよりかなり少ないということになる。…が、それにしても、ブログをする人の数は、雨後のタケノコのように増えていることは事実のようである。

物を書くというのは、一口で言えば、とても楽しいことである。
僕やアナザービートルさんなどは、それが生きがいでもある(はずです)。
こんなブログのように手軽に書けて、きれいに字が出て、写真まで掲載できるというのは、それを本にしなければ人に読んでもらえなかった時代から文章を書いていた人間としては、夢のような話である。おまけに、コメントを通じて見知らぬ人との交流もできる。使い方によってはこれほどスケールが大きくて、便利で意義深いツールはほかに見当たらない。

新聞記事には、急増するブログを巡って、「アフィリエイト広告」とか「口コミ広告」などの市場が何十億だとか何百億だとか書かれていたが、そういうことは、僕には縁のない話である。

僕は自分が書きたいことを書き、それを読んでいただける人がいる…というだけで十分である。そのことが、自分の奥底の、ある種の欲求を満たし、心の安定をもたらしているはずなので、今後も、「だめ、もう書けない!」と力が尽きてしまう日まで、ずっと書き続けて行きたいと思っている。

…と、おおげさなことを書いているうちに、出発の時間が迫ってきた。

今日は、7時ごろに自宅を出て、四国(香川県)のさぬきうどん巡りへ。
その後兵庫県の「東条湖ランドおもちゃ王国」まで走ってそこで宿泊。
明日はモミィやソラが喜ぶその東条湖の遊園地で過ごす予定だ。

長男の運転する車で、大人4人、子ども2人の1泊旅行である。

3歳のモミィと2歳のソラを「さぬきうどん巡り」に連れて行っても、2人が何軒もうどんを食べて回れるわけではないから、退屈するかもしれないけど。
まぁ、子どもは翌日の遊園地で存分に遊びまわればいい。
大人だって楽しまなければね。

今日は、お天気も、大阪はいまは  だけど、四国地方は  だそうである。よかった、よかった。

では、行ってきま~す。

 

 


 

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「阿保」 をめぐる冒険

2009年07月10日 | ニュース・時事

昨晩にakiraさんからいただいたコメントに、大阪府松原市の町名のことが書かれていましたので、今日はその話題を取り上げてみたいと思います。その町名というのは、「阿保」という名です。何と読むのでしょうか…?

   ……………………………………………………………………

僕が勤めていた松原市役所の所在地は、松原市阿保1丁目1番1号である。

その「阿保」というのは、地元の人たちは「あお」と発音しており、市役所でも「あお」を正規の読み方としている。

akiraさんのコメントのお返事にも書いたが、うちの子供たちは、小学生の頃、この「阿保」という地名がよほど面白かったらしく、
「お父さんは、アホの1の1の1に仕事に行ってるねんで」
と、あちこちの人に言いまわっていた。

また、学生時代、松原の阿保町に住んでいた木村という友人がいたが、当時、彼がプンプン怒っていたことがあったのを、今でもよく覚えている。

木村君は、
「この前松原駅前でパチンコをしてたら、館内放送で『アホの木村さん、アホの木村さん、お電話ですので正面カウンターまでお越し下さい』と呼ばれたがな。ほんまにぃ~。何がアホの木村さんじゃ」と唇をとがらせていた。

「アホの木村さん」と呼ばれたらネェ…。そりゃ、あまり気分は良くない。
パチンコ屋さんは、「アホ町の木村さん」と呼ぶべきでしたね~。

(しかし数年後、まさか自分がその「阿保」のど真ん中にある松原市役所に就職するとはねぇ…。その時は想像もできなかった)。  

市役所に入って1~2年のころ(35年以上も前のことだけど)、僕は税務関係の仕事に就いていたのだが、課税台帳の中に「サカタトシオ」という名前を見つけたときは、さすがにのけぞった。漫才の坂田利夫と同じ氏名だったうえ、この「サカタトシオ」さんという人は、阿保町に住んでいる人だったからだ。

この人がパチンコ店で呼び出されたらどうなるか…?

「アホのサカタさん、アホのサカタさん。カウンターまでお越し下さい」
気の毒過ぎるのではないか…?

しかし、この阿保という地名は、なかなか由緒のある地名なのである。

平安時代の初期の頃に、阿保(あぼ)親王という方がおられた。
この方は、平城天皇の第一皇子だったが、むしろ、在原行平・業平の父親としてのほうが有名である。

その阿保親王が住んでおられたのが、この松原市の阿保の地である。
「阿保」という地名には、1000年以上の歴史が脈打っているのである。
新町何丁目とか、ナントカ台何丁目…などという地名とは、格が違うのだ。
(そ~ゆ~地名にお住まいの方、どうもすみません)
あ、そういえば、長男が住んでいるところも、小山新町…というのだった。

役所の仕事で、電話で事務のやり取りをしているとき、よく先方から、
「では、松原市役所のご住所を教えていただきますか?」
と言われることが多い。
そのとき、一瞬、あぁ、イヤだなぁ…と思う。
「まつばらし あほ …」とは、むろん言えないのである。
そんなことを言うと、相手はずっこける。

…で、「まつばらし・あお」と言うと先方はブルーの「青」かと思うので、
「えぇ~っとですね、『あ』は『こざとへん』の『あ』です。『ほ』は『保険のほ』です」などと説明する。…と先方は一瞬沈黙をし、「あほ」ですか?みたいな反応を示すので、いえ、それで「あお」と読みます、と説明をしなければならない。電話で住所を言うときは、いつもちょっとつまづくのである。

読み方を「あお」ではなく「あぼ」にすればよかったのに…と思ったりする。

だけど、この阿保という地名はここだけではない。ほかにも沢山あるのだ。

少々古いデータだが、ざっとこれだけあるそうだ。
(自分で確認したわけではありませんので、念のため)

埼玉県秩父市阿保町
埼玉県児玉郡神川町大字元阿保
三重県名賀郡青山町阿保
兵庫県姫路市阿保
兵庫県姫路市四郷町東阿保

これに松原市阿保が加わるわけだが、阿保親王にちなむのは松原だけである。
…と僕が勝手に思っているだけで、実際はどうか知らないけど…。

アホではないが、ボケなら、徳島県の大歩危・小歩危が有名である。
京都府にはボケ谷という地名があるそうだ。

外国はもっとすごい。

いつか、じゃいさんから、フランスに、アン(Ain)、ポン(Pons)、タン(Than)という地名がある、と教えてもらったことがある。

インドネシアには、バカ山という山がある。

ギニアには、ボケ、というそのものずばりの地名がある。

米アリゾナ州には、アホ(Ajo)という、これもそのままの地名が。

きわめつけは、アルゼンチンにある「マル・デ・アホ」という地名だ。

「アホ」も、「まるでアホ」には、いくら頑張っても、勝てそうにはない。

 

 

 

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だらだら日記

2009年07月08日 | 日常のいろいろなこと

7月6日(月)

松原市議会を傍聴に行くつもりだったが、前々日の東吉野村で再び痛めた左足首がさらに痛みを増したので、外出を控え家に引きこもっていた(ぐすん)。

前回のブログには詳しく書かなかったけれど、山登り組の連中を、下山の場所で待っている間、とても退屈だった。足首の調子もそれほど悪くなかったので、僕は傍らの坂道を駆け上がったり、駆け下りたりして、きついトレーニングをしてしまった。そのツケが翌日に出たのである。
もともと左足首が悪かったのはわかっていたのに、ちょっと歩けたと思うと、もう調子に乗ってそんなことをする。なんで僕はこんなアホやねん…と改めて思う。自分にアイソがつきる。誰か、人間、かわってくれへん…?


テレビでは、大阪市内のパチンコ店が放火で全焼し、死傷者を出したニュースが繰り返されていた。男が店内にガソリンをぶちまけて火をつけ、逃げて行ったという。恐るべき凶行である。このパチンコ店で負けた腹いせか?


7月4日はアメリカの独立記念日であった。
その数日前、英会話スクールで、アレックスという、ニューヨークから来た若いアメリカ人講師と2人でレッスンしているときに、その話が出た。
「ノン。週末は何か予定があるのか?」
とアレックスが聞いたので(もちろん英語で)、
「オー、ィヤー」と、僕は4日の土曜日に友達と登山に行くのだ、と答えた。
するとアレックスは、
「4日…? ノンは7月4日が何の日か知っているか?」と尋ねたので、
「もちろん。その日はアメリカのインデペンデンスデーである」と言うと、
アレックスは大喜びし、その日はアメリカの各地でいろいろな行事が行われるのだ、ということをペラペラと英語で話してくれた。僕には「パレード」という単語以外、何もわからず、ただ、愛想笑いをしてうなずくだけだった。

まあ、それは別にして…。

7月4日の独立記念日を祝って、この日からニューヨークの自由の女神像の中に、特別に入ることができるようになった、というニュースを見た。
自由の女神は、中は「がらんどう」になっていて、狭いらせん階段がついている。その階段をずんずん上っていくと女神像の頭の部分に到達する。女神の冠の部分がいくつかの小さな窓になっていて、そこから外を覗くと海が見える。
僕はむかしむかし、女神像の中を上がって行ったことがある。
中は本当に狭い。そのときは、不気味なほど、まわりに客はいなかった。

女神像の保全上の理由だろうか、それ以降、いつ頃からかは知らないが、像の中には入れなくなったようである。
「ふ~む。入れるうちに入っておいてよかったなぁ」

今回、久しぶりに女神の中への入場が許可されたのだという。
なにせ狭いので、人数は1時間で30人と制限されているそうだ。
8月中旬まで予約が詰まっている…とニュースでは言っていた。

次の英会話スクールで、ニューヨークっ子のアレックスに会ったときは、その話題を持ちかけよう。英語がちっとも上達しない僕は、またアレックスの話にうなずくだけ…ということになるだろうけれども…。


7月7日(火)

大阪市此花区のパチンコ店を放火し、客と従業員計23人を死傷させた男が、山口県で自首して逮捕されたとの報道。41歳のこのガソリン男は、「仕事も金もなく、人生に嫌気がさした。通り魔みたいに誰でもいいから人を殺したいと思った」と供述したそうである。

「誰でもいいから人を殺したい」
…例の秋葉原のナイフ男も同じことを言っていた。
いや、これに限らずこのごろ、やたらとこの種のやけくその犯行が多い。

秋葉原のナイフ男は一人ずつ刺して行った。
しかしこのガソリン男は、それでは「足りない」と思ったのか、ガソリンをまいてパチンコ店を火の海にすることで大量殺人ができる…と考えたようだから、さらに怖ろしい。まるで戦争の真っ只中のような殺戮思想である。

男が自首したのは、どうせ逃げ切れないと思ったこともあるだろうけど、警察に捕まったら借金からも逃れられ、3食ただで飯が食えて、雨露もしのげる、というような計算もあったのだろうと思う。日本の刑罰は甘すぎるような気がしてならない。最近は、「刑務所に入りたかったから」という理由だけで凶行に及ぶ人間が増えている。

それにしても、人を殺すには、それなりの理由が存在するはずである。
屈辱感
とか、怨恨とか、怨念とか、復讐心とか…あらゆる思いの最後の一滴が、「殺人」という歪んだ行為に凝縮される、というのが、これまでの通念であったように思う。

「人生に嫌気がさした」とか、
「誰でもよかった」…とは。

人生に嫌気がさしたのなら、自分で勝手に死ね。

 

7月8日(つまり、今日)

一昨日の午後、急に左手人差し指の付け根が痛み出した。
昨日の朝は、パソコンも打つことができないほど、痛みが大きくなった。
で、昨日一日、パソコンをさわるのはやめた。
足首は痛むわ、さらに指の付け根まで痛んで、体はガタガタである(泣)。

左手の人差し指を使うと痛む…というのは、まことに不便である。
この指を使わずに用事をすると…。
新しい牛乳を冷蔵庫から取り出し、いつものとおり、左手の親指と人差し指を使って、パックの注ぎ口をギュッと圧迫して開けよう思ったが、そこを痛めているのに気がついたので、右手の親指と人差し指で開けようとした。しかし、いくらギュッと圧迫しても開かない。力の入れ方や配分がわからないのである。そういえば、今まで右手でパックの注ぎ口を開けたことがなかったことに気がついた。結局開けられず、牛乳パックをまた冷蔵庫に戻したのであった。

まぁ、それだけの話ですが。

昨日一日で徐々に痛みは引いてきて、今朝はパソコンを打っても痛まない。
まだ少し違和感はあるけれど大事には至らなそうである。ほっ。
(いったい何だったのだろう…?)

それにしても、ほんまに、あちこち、ガタガタですわ。

 

 

 

 

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奈良県・東吉野村なのだ

2009年07月05日 | ウォーク・自転車

昨日は早朝から山登りに連れて行ってもらった。
総勢7人のグループである。

行った先は奈良県東吉野村…

と言っても、他府県の方々にはよくわからないと思う。
大阪に住む僕でもそれがどこにあるのかよくわからないのだから、説明もできない。でもまあ、行く前は奈良県だか三重県だかもわからずに行ったけれど、今は「奈良県でした」と言えるだけ、大きく進歩したことを喜びたいデス。

とにかく、僕はわけもわからず、誘われるままに出かけたのである。

我々7人は、1台の車で、現地の登山口まで行った。
登る山のてっぺんは「薊岳」という山だ。
「あざみだけ」と読むそうである。

しかし、実のところ、僕は山へ登るのには大いに不安があった。
このブログでも書いたけれど、何週間か前、ジョギングで左足首を痛めて、それがまだ完全には回復していないようなのだ。

それでも誘ってもらったものだから、「あいよ、行きまっせ」と答えた。
答えてから「はて、この左足首の状態で登山ができるのか?」と考えた。

平坦な場所なら、たぶん数時間歩いても大丈夫だろう。
しかし、山道はこわい。途中でやめる、というわけにはいかない。
しかも、今回のコースは5時間ぐらいかかるようで、かなり険しそうだ。
山中で足に痛みが出て、歩けなくなったらどうするのか…?

僕はそのことをみんなに黙っていたのだが、行きの車の中でそれを告白した。

「足首が痛む危険性があるが、そうなったら、僕をおんぶしてくれるか?」
と、みんなに質問をしたのである。返ってきた答えは、
「おんぶ…? 誰がするかい。蹴飛ばしたるわ!」
という、慈愛と友情に満ちた言葉であった。
僕はその時点で、山へ登るのをあきらめた。とほほ。

さて、7人のうちの一人であるMさんは、車を運転する役目だけの人で、山には登らない。みんなを登山口まで運び、そのあとみんなが下山して来る場所へ車を移動させ、そこで待機する、という大変奇特な方である。

僕も、山には登らず、Mさんといっしょに、みんなを見送ることにした。
そして、そのあと、Mさんとも別れて、みんなが下山する場所まで、車道を歩いて行くことにした。車道といってもほとんど車は通らない静かな道であり、ところどころ民家もあるので、万が一足首が痛んでもなんとかなるだろう…。

「行ってらっしゃ~い。気をつけてぇ。時間までに帰ってこなければ、ちゃんとケーサツに通報してあげるからね~」
…と、山へ登って行く5人をやさしく見送り、
「では、僕も歩いて行きます」
と、車にいるMさんに言い残して、ひとりで車道を歩き始めた。

木々に囲まれた川沿いの静かな道。
これぞ森林浴、というやつである。なかなか気分がいい。


                   


…そんなことで、奈良県東吉野村の一角を、僕はあちらこちらと散策し、途中で河原に下りて、おにぎりを食べ、せせらぎの音と、小鳥のさえずりに耳を傾けたりしたのである。

地図を見ながら、みんなが下山する場所へ行くのに、いろいろと回り道をしたので、結局5時間近く歩いた。左足首は、時々痛んだが、休憩して歩き出すとまた普通に戻った。それを繰り返しながらも、これだけの長時間歩けることができたことが、何よりもうれしかった。

下山の場所に到着すると、Mさんが車の横で立っていた。
そこで、1時間ほど待っていると、5人がふらふらになって帰ってきた。
足取りはメロメロで、顔は鬼の形相である。
予定では5時間のはずだったのが、6時間以上かかっていた。

「えげつないコースやったわ。行かんでよかったな~」
と、5人のおじさん登山隊は、それぞれに疲労困憊の様子を見せながら、僕が行かなかったことを、大いに褒め讃えて(?)くれたのである。

僕たち7人は、また車に乗り込み、帰途に着いた。

「ほんまにしんどかったなぁ。もう二度と山へは行かん!」
とボヤく人。
いきなり眠り込む人。
「いててて」と足を撫でる人。

2時間後、わが町・藤井寺の駅前ビルの駐車場に車を置き、ビル内の中華料理店に入った。すぐ隣に、僕の通うECCの英語教室があるのだが、その中華屋さんで、ギョーザや唐揚げやチャーシューなどを注文して、みんなでビールを飲みまくった。その美味しかったこと! 

でも…
車を運転してくれていたMさんは、アルコールはいっさい飲まない人である。
僕らがワイワイと騒いでいる横で、ひとり氷水を飲みながらギョーザを食べ、ラーメンをつるつると口に運んでいた。にこやかにみんなの話を聞いている。

山登りなのに山へも登らず、僕みたいに歩きもせず、運転をして、みんなを待つだけ。そして、打ち上げ宴会では水を飲んで静かに微笑む…。宴会が終わったら、また車を運転して、みんなをそれぞれの場所へ送って行く(僕は歩いて帰ったが)。Mさんは僕の知人のそのまた知り合いであり、今回、僕はMさんとは初対面であった。ふ~む、世の中に、こんないい人がいたとはなぁ…。

…そして、一夜明けた今日。
朝起きたら、足首が痛い。
腰が痛い。
お尻の筋肉が痛い痛い。
それに、ビールを飲みすぎたのか、頭まで痛い。

痛い、痛い、痛い。

 

 

 

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佐々木七重の訃報で思うこと

2009年07月03日 | スポーツの話題

訃報が多い。
いろんな人が亡くなっていく。

この間、マイケル・ジャクソンとファラ・フォーセットが亡くなったと思っていたら、今度は女子マラソンの佐々木七重さんが53歳の若さで亡くなった。いまは結婚して苗字が変わり、永田七重さんというのだそうだが、僕らは佐々木七重さん、と呼ばなければピンと来ない。

佐々木七重さんは、中村清監督の指導を仰いで、1984年(昭和59年)のロス五輪のマラソンに出場した。このロスの大会は、女子マラソンが初めて五輪種目になった記念すべき大会である。その点からも、彼女は女子マラソンランナーの草分け的な存在であると言える。

このロス大会には、七重さんとともに日本代表として増田明美さんも出場したが、彼女は前半からいきなり集団を抜け出して先頭に飛び出し、「あれぇ…? そんな早いこと飛び出して、ええんかいな?」と思っているうちに、ズルズルと後退し、結局途中で棄権した。増田さんは目立ちたがりで、ムラの多い選手だった。それとは対照的に、佐々木さんは、堅実なランナーであった。

しかし、佐々木七重さんと言えば、苦い思い出がつきまとう。

僕は、当時、男子マラソンで世界一の実力と言われていた瀬古利彦選手を、熱狂的に応援していた。ロス五輪の男子マラソンは、その瀬古が金メダルを獲るものと、ゼッタイに信じて疑わなかった。しかし、本番のレースでは、彼は35キロ地点で集団から後退し、あっけなく圏外に去った。仕事を遅参までして、午前中の実況生中継をテレビで見ていた僕は、ものすごいショックを受けた。なんで…? 負けるはずがなかった瀬古が、こんな無残な結果に終わったことが、現実のものとは思えず、しばらく落ち込んだ。

瀬古が勝てなかった原因は、直前にコンディションを崩したことにあった。

なぜそんなことになったのか…?
そのあと、さまざまな情報によって、瀬古の敗因がはっきりしてきた。

瀬古の師である中村監督が、佐々木七重さんの指導に熱を入れていたので、彼女といっしょに、一足先に、瀬古を日本に残してロスへ出発したのである。男子マラソンは五輪最終日だったが、女子マラソンはそれより1週間前に行われるから、という理由であった。

瀬古は、五輪が始まっても、体調を崩さぬよう、まだ日本にいた。だが、中村監督不在のまま、瀬古は渡米直前に、酷暑の中を40キロ走をしたという。それが、彼の体調を大きく狂わせた。

瀬古自身が後に述懐したところによると、日本を発つとき、すでに体調は最悪で、前夜は親兄弟と共に、悔しさで泣き明かしたと言う。

中村監督がいれば、本番が近づいている時に、決してそんな無茶な練習はさせなかったに違いない。しかし、練習をしなければ不安だったのだろうか、瀬古は、自分の判断で40キロを練習で走った。結局、それが疲労を生み、致命傷になったのである。

中村監督は瀬古のそばにいてやるべきだった。
瀬古はそれまで、すべて中村監督の指示通りに練習メニューをこなしていた。

佐々木七重さんは、いくら頑張ってもメダルに届く力はなかった。
瀬古こそ、大いなる金メダル候補だったのに、どうして中村監督は、瀬古を日本に残したまま、佐々木七重さんについてロスへ行ったのか…?
僕は、今でもそのことを悔やむ(僕が悔やんでも仕方ないけれど…)。

佐々木七重さん…といえば、そのことばかりが思い浮かぶのである。

亡くなった七重さんには、何の落ち度も責任もない話だけれど、中村監督があのとき、彼女について行かず、瀬古といっしょに行動していれば、瀬古がロスの男子マラソンで金メダルを獲得していた可能性は極めて高い…と、今でも固く信じている僕なのである。スポーツに仮定の話はタブーなのはわかっているけれど、それでも、言いたいのだ。


それにしても、昨今のTVはマイケル・ジャクソンのことばかりである。
(話、バラバラやがな)

劇薬を飲んだのでは…とか、生前に書かれていた遺書の内容は愛憎に満ちていた…とか、彼は黒人コンプレックスの塊であったとか…。どのチャンネルも、マイケル・ジャクソンのニュースで溢れている。今さらながら、彼の存在がいかに大きいものだったかを痛感させられる。

あれほどの偉大なシンガーなのに、人並み以上のコンプレックスとは…。
そんなに自分が黒人であることが嫌だったのか…?
人の心の中というものは、本当にわからない。

若い頃、つまり整形手術をする前のマイケルの顔は、可愛い。
どうして、無理をしてまで、あんな顔に作り変えたのか…。
そのままでよかったじゃないかと、テレビの前で独り言をつぶやいてしまう。

黒人演歌歌手のジェロ君もいい男である。
デンゼル・ワシントンだって素晴らしい。
モーガン・フリーマンも、いくら年をとっても魅力的である。

マイケルもそのままで十分だったのでは…?
なんであんな夜店で売っているお面のような顔にしてしまったのだろうか…?

と、そんなことを、ぼや~っと考えながら、眠れない夜を過ごしている。

 

 

 

 

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やっぱり気になる松原市

2009年07月02日 | 議会&役所

40年近く勤めてきた松原市役所を定年退職して、早くも3ヶ月が経った。
早いというか、ぎゃっ、まだ3ヶ月しか経っていないの…? というか。

「毎日、家におって、何してんのん…?」とか、
「ヒマでヒマでしゃ~ないやろ」とか、
人からいろんなことを言われる。

毎日何をしているか…? そんなこと、一口で言われへんわ~。
ヒマでしゃ~ないやろ、なんて、勝手に決めてくれるなよ。
フリーの身はフリーの身で、いろいろとあるのです。
もっともっと時間がほしいと思う毎日なのである。

話は変わるけれど…
6月30日に、松原市役所の職員OBで構成する「市友会」という会の総会が、大阪市内のホテルで開かれた。僕もこの「市友会」に、この4月に入会したばかりである。

これは本来ならば、5月に開催されていたはずだった。

その5月の総会が予定されていた日、僕はモミィを伊勢志摩のスペイン村に連れて行く日だったので、市の担当課に総会を欠席する旨の届けを出していた。

すると、最近、またもやその「市友会」の総会の案内状が来た。
「え…? もう5月に終わったのと違うん…?」

案内状によると、新型インフルエンザ騒ぎで総会が延期になったのだという。

それで、6月30日に改めて総会を開くことになった。

今度は僕も、欠席する理由がないので、出席することにした。

例年は100人ぐらい出席するそうであるが、朝から強い雨が降っていたせいか、今回は60数名の出席だった。

会場の大阪市内のホテルに向かう途中で、この会の副会長さん(僕の昔の議会事務局の上司でもあった)が、僕に、「きょうは、総会の中で新会員を紹介することになっているんやけど、そのときに新会員を代表してあいさつしてくれへんか?」と、いきなり言われた。

げぇ~~~……

またあいさつかいな。
3月に、議員や市の幹部職員が出席する退職者送別会のときにも、退職する職員を代表してあいさつをさせられたのに…。またかいな。今度は「新人」としてのあいさつだ。もうちょっと早いこと言うてや。考える時間がないがな。

世話役としてついてきた担当課の職員は、僕に、
「いやぁ、○○さんやったら急に頼んでも、してくれはるやろと思いまして」
な~んてことを言っていた。
みんな勘違いしているが、僕は人前でしゃべるのが、苦手である。
僕は怖がり屋であるとともに、恥ずかしがり屋でもあることを、なかなか人から認めてもらえず、どうやらそんな「人前しゃべり好き」のイメージを持たれたままで自分の人生が
終わってしまいそうなのが、今の僕の悩みなのである。

まあ、それはいいとして…。
総会にやって来た人たちのあの顔、この顔…。

僕が市役所に入ったときから、ずっと先輩として、あるいは上司として仕事をしてこられた人たちが、60代、70代になっても元気な姿を見せていたのには、感慨深いものがあった。あぁ、この人たちとも、ずいぶん長いこと会っていなかったなぁ。

つい最近に退職をした人とは、当然ながら、なじみが深い。
しかし、もう、昔々に退職をした人とは、本当に久しぶりである。
いっしょに仕事をしたことのある人もたくさんいる。
顔だけしか知らない人も、全く見たことのない人も。(特に保育士だった女性の人たちは、僕はほとんど知らない)。
いろんな人たちの顔、顔、顔。
久しぶりに会うその人たちの顔を見て、本当に懐かしかった。

中には仕事で嫌な思いをさせられた元上司もいたが、それも遠い昔の話…。
…と言いたいところだが、やはり嫌いな元上司には今でも口をききたくない。
だいたい僕は、ネに持つタイプなのである(笑)。

…と、まあ、そんなことで(…どんなことだ?)、総会は終わった。

そして、第二部の懇親会に入った。

6月17日に市長になったばかりの澤井さんが来賓として招かれており、乾杯に先立って祝辞を述べた。若くて長身だから、壇上に立つと見栄えがいい。

あいさつの内容も、情熱がほとばしるようで、好感が持てた。

しかし…
僕はちょうど1週間前の6月25日に市役所へ行ったとき、新市長の所信表明演説の原稿を読み、誰が作ったのか知らないけれど、その内容があまりにお粗末なのに驚いた。使い古された陳腐な文言が、何の脈絡もなくツギハギに並んでいるだけで、あれもこれも、きわめて抽象的な表現に終始していた。この原稿だけでは、まるで具体的な政策が見えてこない。

僕は、思い切って、市長の携帯に次の内容のメールを送った。

「所信表明の文章はずいぶん程度が低いですね。文脈が矛盾だらけだし、表現力が稚拙で、おまけに最後の部分は下品です。もう少し、勉強しなければ。まあ、勉強してもしゃ~ないかもしれんけど。ちょっと、期待はずれでした」

かなり失礼なメールだったろうなぁ。もちろん何の返事もなかったし。
「おせっかいなヤツだ。大きなお世話だっちゅうの」と思われたかも。
(今度メールを打ったら、着信拒否になっていたりして…)。

さて、懇親会のセレモニーが終わり、乾杯のあと食事になってから、各テーブルをあいさつに回っていた市長が、僕が座っているテーブルにもやってきた。

さすがに、あんなメールを送ったあと、知らん顔をしているわけにもいかず、
「この間はどうも…。失礼だったかと思いましたが…」
そう言った。

市長は爽やかに、僕に向かって、
「いや。あなたはいつもホンネで物を言わはる人ですから…」
というような意味のことを言って、ニコッと笑った。

さよですか。へえ。

市長ともなれば、外野席からいろんなことを言われるだろう。
そんなことをいちいち気にしていたら身が持たないものね。

まあ、書かれている原稿を冷静に目で追っていくと、いろんな欠陥が見える。
しかし、これを市長が6月29日の市議会定例会初日の冒頭で読んだはずだけど(僕は聞いていないが)、耳で聞くと、さほどの違和感もないのだろう。

言葉は生き物である。同じ文章であっても、話し方ひとつで、躍動したり埋没したりする。その人の姿勢というものが、言外ににじみ出るのだ。

松原市議会では、6日から、各党の代表質問が始まる。
僕はヒマなようだけど、月曜日と木曜日以外は何かと忙しい。
6日はちょうど月曜日である。
少しの時間だけでも、議会へ傍聴に行こうと思う。

新市長に対して、どういう質問が出るのか…?
そして、どういう答弁を新市長がするのか。

もう退職したというのに、まだ、なんとなく気になる松原市である。

 

 

 

 

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