僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

思い出の ピサの斜塔

2024年05月31日 | 旅行

福山雅治の若かった頃の主演ドラマ「ガリレオ」が、今またテレビで再放送されています。
「ガリレオ」といえば、学校でガリレオ・ガリレイのことを習いましたね。
ピサの斜塔の上から、重い球と軽い球を同時に落とし、両方とも同時に地面に落下する、つまり、
「物体の落下速度はその物体の重さによらず一定である」
というようなことを証明して見せた舞台がこのピサの斜塔だったそうですね。そして、ガリレオご本人もピザの出身だったそうです。

先日、テレビの旅行番組でこのピサの斜塔が放映されていたのが懐かしかったので、過去のブログにも書いたのですが、もう一度、取り上げたいと思います。

今からもう20年近く前の2005年、妻とイタリア・フィレンツェに旅行した際、そこから列車で約1時間半で行けるピザの斜塔へ行ってみたわけです。

 


  ピザの駅に到着。

列車を降りて、ピサの斜塔のあるドゥオモ広場へ行くには、路線バスに乗るのが普通だったようですが、2、3キロ程度だったので地図を見ながら歩いて行くことにしました。

 

 

    
   ピサの駅前。右手の方向にバス乗り場があります。
   列車を降りたほとんどの人はバスに乗りました。

 
薄曇りの空。ウオーキングには最適です。
さて歩き始めようとしたら

白髪で小柄な爺さんが「英語は話せるか?」と近づいてきました。

「少しだけなら」とえらそうに答えた僕でしたが、
「あんたはフィリピーナかい?」と言われてしまった。

「フィリピン人? 違うで。ジャポーネや」と答えたら、
「そうかい」と頷いた爺さん。
「ピサへ行くんなら、〇番のバスに乗ればいいよ」と教えてくれました。

「ありがとう。でも歩いて行くから」と言えば、爺さんはまた頷き、「歩くんなら、この通りをまっすぐ行って県庁のロータリーを左へ行って」と、ナントカ通りをああ行ってこう行ってと、身ぶり手ぶりを交えながら親切に道を教えてくれたので、「グラッツェ(ありがと)」と言って離れようとしたら、グイと腕をつかまれた。

爺さんは、
「自分の家には病気の子どもがいて、金に困っている。いくらか恵んでくれないか」
と哀れな声を出したのです。な~んだ、それが目的だったのか。

「ごめん、僕もお金は持っていません」
と断り、妻の手を引いて斜塔へ向かい始めました。
外国旅行はこういうのが多いので、油断なりませんで。

街の中は、日曜日だったせいか(知らんけど)、車も人もほとんど見えず。
見渡しても、誰もいないひっそりした道路の端を、地図を見ながら、テクテク歩きます。途中、また別の老人が1人ポツンと立っていて、じい~っとこちらを見ていました。

むむっ、またヘンなことを言ってくるのではと警戒。 
するとその人は笑顔で「ボンジョールノ」と声をかけ、小さく手を振り、大きなあくびを一つした。
「あっ。ボ、ボ、ボンジョールノ」とあわてて僕は手を振り返した。

しばらく歩くと、アルノ川に出ました。橋から見る風景は、まるで絵画を見ているようで、しばらく立ち止まり、思わず見とれてしまった次第です。

もし、これまでの海外旅行の中で最も美しいと感じた風景は?
という、どうにも答えようのない質問をされたとしたら、
あえて言うとすれば、たぶんこの風景だと答えるでしょうね。


 
  アルノ川。まるで絵画のようですが、僕が撮った写真です。


このアルノ川を渡ると、ピサの斜塔のあるドゥオモ広場への標識がありました。


 

にもかかわらず、この後、道を間違えて遠回りをしてしまった。

道を間違ったということもこの時はわからず、テクテクひらすら歩き、
2、3キロのはずだったのになぁ、と思いながら1時間ほど歩きました。

あとから思えばずいぶん遠回りしていたようだけど、やがて車の走る広い通りに出て、さらに歩き続けると、やっとこの場所に出ました。ドゥオモ広場の入り口でした。


  
  右端に、壁をくり抜くような形で入り口があります。
 その向うに、ピサの斜塔があります。

思ったほど観光客で混雑していることはありませんでした。

 
 
 入口から、チラリとピサの斜塔が見えていますね。
 斜めに傾いているから、すぐにわかりますわ(笑)。
 
ピサの斜塔は1173年に着工されて、1350年に完成したとのこと。
建設中に、すでに片側の地盤が緩んで、傾き始めていたらしい。
それなら中止すればいいのに、傾いたままで建設は続けられた。
で、世界に稀な塔が出来上がったというわけです。


    
  斜塔を背景に。

 
ピサの斜塔は、中へ入って上まで行けるようになっています。
でも、大勢の人たちが並んでいたこともあって、僕らは中へは入っていません。
だいたい、僕は「並ぶ」というのが大の苦手なんですよね。


 
  こんな感じで行列が。

 斜塔の裏側にまわって、「根元」を撮影しました。
かなり、傾いているのがよくわかります。


 

 

ピサの斜塔は、20世紀に入ってますます地盤沈下が進み、
傾斜はさらに進行したということです。

そしてこの当時(2005年)から約25年前、世界各国の建設業者の智恵を結集して、堅固な側の地盤を掘削するという工法を中心に、大規模改修が行われた。

その間、公開は休止。10年にわたる作業が終わって、2001年から再び公開されたということです。

斜塔の見学を終え、再び歩いて駅に引き返した僕たちですが、「違う道を歩いて帰ろうよ」などと言いながら、またその道も道を間違えて遠回りをしてしまいました。

生きも帰りも道を間違えるってねぇ。
僕の方向音痴は、どうやら死ぬまで直りそうにありません(笑)。

 

 

 

 

 

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モミィ 一人暮らしから約2ヵ月

2024年05月26日 | 日常のいろいろなこと

‎モミィが一人暮らしを始めて2ヵ月近くが経ちました。

学校へ通う傍ら、大阪市内のスタバで週3~4回、授業に支障のない時間帯でアルバイトをしています。これも話を聞いてみると、いろんな先輩たち、そしていろんなお客さんたち(外国人も含む)がいて、聞いていると面白いです。

つい先日も、外国人のお客さんがお金を払う際に、財布ごとこちらへ渡したのでびっくりした、と言ってました。そこから料金だけを抜いて財布を相手に返したのだけど、
「そんなふうに、いろんな人、いてはるねんで~」
という話を昨日モミィから聞いて、妻と3人で笑ってしまいました。

毎週、金曜日の夜遅くにわが家へ帰ってきて、土曜日は友だちと遊びに行き、日曜日にはスタバのアルバイトが午後3時頃からあるので、昼過ぎに出て行きます。今日がその日曜日なので、昼過ぎに帰って行きました。次はまた月末の金曜日に帰ってきます。そんなことで、金~日曜日は、帰って来るのですが、ず~っと家にいるわけでもないんですよね。

さて、そのモミィ。
先日から少し体調を壊して、妻と何度もスマホでやりとりをしていました。
鼻水が出て、咳が出て、声が枯れる。でも熱はほとんど平熱。
妻がお医者さんに行くように強く勧めたら、梅田にあるクリニックへ行ったそうで、診断の結果「黄砂」のアレルギーもある、とのこと。モミィは小さい頃からアレルギー体質で、これまでも妻に皮膚科に連れて行かれたりしていました。

実はモミィは、これまでず~っと妻が付き添っていたので、一人でお医者へ行くのは初めて。妻が持たしていた保険証やお薬手帳を「忘れたらあかんで」と妻がしつこく電話で伝えたので、どうやら「初めて一人でお医者さん」へは無事に行けたようなのです。

何種類かの薬をもらったということで、それを写真に撮って妻にLINEで送ってきました。そして、
「お薬って、お医者さんで直接もらうのではなく、薬局へ行って、お医者さんがくれた書類を見せて、もらうんやねぇ」
な~んて言ってたとか。「院外処方」というのを知らなかったんですね。
そんなことも知らなかったモミィでしたが、まぁ、一人でお医者さんに行って薬をもらった、というのは貴重な諸体験だったと思います。

18歳といえばもう成人なんですものね。
これから、いよいよ大人として生きていくモミィです。

大学では沢山の友だちができたと言ってました。

今後の更なる成長を、僕たちがいつまで見守ってやれるかはわかりませんが、
とりあえず「ここまで来たんや」と妻と話しながら、
ちょっと心地よく、昔のモミィを思い出したりしています。


 
  幼稚園の卒園式で(2012年3月) 

 

 

 

 

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ビールはやっぱり瓶ビールなのだ!?

2024年05月20日 | ズレズレ草

雨の日以外は毎日、妻と駅のほうへ歩きに出ることにしている。最短の道を行くと片道15分~20分ぐらいだけど、その日によってコースはいろいろ。しかし、どのコースを通っても駅前のイオンモールには必ず寄って、食料品を買って二人で分けて持って帰る(僕は大きい目のリュックを担ぐのでそこへ入れる)。

買い物ついでに外食をすることもあるけれど、やはり回転寿司が手軽で入りやすいので、そこへよく行きます。わが家からは「くら寿司」と「スシロー」が近くにあるわけですが、これまで「くら寿司」ばかり行って「スシロー」には行かなかった。理由は、実はビールなのです(??)。

僕はジョッキーに入った生ビールより瓶ビール(アサヒかキリン)のほうが好きで、「スシロー」には瓶ビールがなく「くら寿司」にはあったので、そんな理由で「くら寿司」ばかりだったわけですが

数ヵ月前、くら寿司のメニューから突然瓶ビールが消えた。つまり生ビールしかなくなった。「な~んや」とがっかりして、「それなら、どちらの店でもいいわ」と、それ以降は場所的には少し家から近いという理由で「スシロー」のほうへ、もっぱら行くようになった次第です。 

昔から僕は外食では瓶ビールしか注文しなかった。
だから生ビールしか置いていない店には、やむを得ない場合を除き、行かなかった。まぁ、とにかく瓶ビールが好きなんですよね。ちなみに家では普通に缶ビールや缶チューハイを飲んでますけど、むろんジョッキーなんかには入れず、普通のグラスに注いで飲んでマス。

確かに生ビールはのど越しが良いのですけど、あのジョッキーで飲むというのがねぇ。長年の習慣で、瓶ビールをグラスに注いで「グイ~ッ」と飲むと、アルコール感覚がのどを刺激するというあの快適な旨味が最高です。

そんなわけで、「くら寿司」から瓶ビールが消えたことは僕にとって大きな「がっかり」でした。

さて、ビールの話を続けますが、数日前、妻と阿倍野へ行ってキューズモールやミオプラザのあたりをうろうろしたわけですが、どこでお昼を食べようか、となったところ、たまたま目の前のキューズモール地階の飲食街の入口に「赤のれん」という店があったのでそこへ入ることにしました。ま、ここは初めてではなく、これまで何度か来たことがあります。店名のとおり、居酒屋ふうなんですが、お昼は定食があって、普通の食堂です。

「久しぶりやねぇ」と言いながら案内されたテーブル席に着いて、妻はお昼の定食を注文。そして僕は瓶ビールと、唐揚げや天ぷら、サラダなどの一品を注文しました。周囲(男女を問わず)も、お昼にも関わらず、ハイボールや生ビールを飲んでいるお客さんが多くいました。

しばらくして瓶ビール(麒麟の一番搾り)が運ばれてきたので、ぐっと瓶を持ち上げて、グラスに注ごうとしたとき、
「おっ!」と、小さく叫んだ僕でした。
瓶がどっしりと、重い。

向かいの席に座っていた妻が、
「そのビール、大瓶ね」
と言ったのですが、ホント、そのとおり、今どき珍しい大瓶だったのです。
そういえば、以前来たときもそうだった。すっかり忘れていたのですが、このお店の瓶ビールは大瓶で 633ml だったのです。 

最近はどこの店も中瓶・500ml ですが、ここは珍しく大瓶。
さすが、夜は居酒屋になるお店です。
値段は他店
の中瓶価格とほぼ同じ。
ウヒ、ウヒ、ウヒ。なんか、得した気分。

結局大瓶2本飲んで、その店を出ました。

そのあと、またあちらのビル、こちらのビルを歩いて、妻はモミィが欲しがっていたアクセサリーを買ったりして、結局、夕方まで、阿倍野の街歩きを楽しんだ次第です。

ところで、
昼からビール大瓶2本飲んだりして、

「体調に差し支えないんですか?」
と、ご心配してくださる方もおられるかも知れません。

ホント、自分でもよくわからないんですが、
体調自体は、まぁ、あまり良くないんですけどね。
ビールを飲むと元気が出るんです(笑)。

都合のええ体ですわ、ほんまに~

 

 

 

 

 

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今日Jリーグ発足の日 そしてアメリカW杯では

2024年05月15日 | スポーツの話題

最近あまりテレビでスポーツ放送番組を見ることが少なくなった。
かつては野球や陸上競技、大相撲などを始めいろんなスポーツ番組が大好きでテレビにかじりついていたものだけど、このごろは心身の不調もあり、物事への関心が薄れてきたことが一つの原因かな、思っています。

で、きょうの夜、たまたまNHKのBSをかけていたらサッカーが始まった。
Jリーグの東京ヴェルディ対ガンバ大阪だった。
久しぶりにその試合のテレビ中継を見た。

その時、テレビ放送のアナウンサーが、
「今日5月15日はサッカーJリーグが始まった記念すべき日です」
と言ったので、へぇ~、そうなんや、今日のこの日から始まったんや。
と、ちょっと感慨にひたりました。

Jリーグが発足したのは1993年の今日だったんですね。31年前ね。

当時、僕はサッカーには関心が薄かったのですが、息子たちが小さい頃からサッカークラブに入っていて、サッカーの大ファンだった。それで、大阪を本拠とするガンバ大阪を熱心に応援していた。
(セレッソ大阪は当時はまだJリーグに加盟していなかった)。

僕も息子たちにつられて、Jリーグが発足してからは、テレビでサッカーを見るようになった。

そこで起きたのが、Jリーグが発足した1993年。
アメリカで行われるワールドカップへ、日本が初めて出場できる可能性が膨れ上がったアジア予選の最終戦。あの「ドーハの悲劇」が起きて、試合終了間際、日本はもう手の届くところまで来ていたワールドカップ出場を、相手のイラクに得点され出場権を逃してしまったのですよね。

家族4人でその試合のテレビを見ていたのですが、あまりに残酷な結末に、4人ともしばらくはなんの言葉も出なかった。
長男と次男は両方とも、ポカンとしてしまって、何が起きたのかもわからない表情でした。今もあの時のことは、はっきりと覚えています

それで
話は先週の土曜日のことになるのですが…

これもNHKのBSで、
「FIFAワールドカップ伝説の試合。ノーカット。1994年決勝。ブラジル対イタリア」
という番組があったので、それを録画して、昨日に見ました。

日本が出場を逃した大会でしたが、Jリーグ発足をきっかけにサッカーに関心を持ち始めた僕は、この大会の衛星中継をわりに見ていたのですが、その決勝戦がブラジルとイタリアだったのです。この試合にはイタリアのバッジオという選手が出ていて、妻が彼の大ファンでした。そのイタリアが次々と勝ち進んで、いよいよ決勝でブラジルと激突した、という試合で、30年前のその試合もよく覚えています。

 
  妻が大ファンだったイタリアのバッジオ。

その試合が、先週土曜日にノーカットで放送されたんですよね。
結果はもちろんわかっています。
両チームとも得点が入らず、延長になっても互いに無得点。
そしてとうとう、ワールドカップ史上例のない「決勝戦でPK戦に突入」ということになりました。
そこで、妻が熱い声援を送っていたバッジオ選手がPK戦の最後に出てきて、なんとまぁ、これを失敗してしまう。その瞬間にブラジルの優勝が決まったという忘れられない試合でした。

その試合が30年後のいま、ノーカットで放送されたのですから、昨日、僕と妻は撮っていたビデオでその試合を見たわけです。懐かしかったぁ。

そして今日。
たまたまテレビでかかっていたJリーグの東京ヴェルディ対ガンバ大阪の試合中に、アナウンサーが、「1993年のきょう、Jリーグが発足しました」と言ったので、「へぇぇ~、そうやったんや」と思ったわけ。31年前と30年前。あれからもう、それだけの年月が経ったんですね。

昨日見たワールドカップ・アメリカ大会の決勝戦と、その前年の今日の日にJリーグが発足したという話が重なって、またサッカーも楽しまなければね~、と思った次第です。

 

 

 

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イライラモードから抜けなければ

2024年05月12日 | 心と体と健康と

もう2週間近くブログを更新していなかった。
5月に入って、今日が初めての記事です。

理由は特にないのですが。
といえばウソになりますよね~

心臓のカテーテル手術のあと、不整脈はほぼ治ったものの、日常のちょっとした動作で心臓がドキドキしたり、外を歩いても、何となく胸が重苦しかったり、それは心的要因からきているのかはわかりませんが、まぁ、そんな感じ。新たに通い始めた近所のクリニックや、手術をした病院にも術後の診察には通うことになっていて、そんな恐れるような症状ではないのですが、やはり気になりますね。

それと、以前からの腰痛が、最近またひどくなり始めてきました。朝、起きたら腰が痛くて普通に歩けない状態で、しばらく立ったまま、やんわり体を揺すったり、腰をゆっくり回したり、軽く足踏みをしたりして普通の状態に戻るのを待ちます。まぁ起きて1時間程度でマシになりますし、ほぼ毎日、歩きに出ていますから、それほど重症ではないのでしょうけど。

ただ、詳しいことは書けませんが、どうも、去年末あたりから、脚がふらつくような感じで、歩いていても少々の違和感があります。歩いている時に、段差があったり、急に横へ方向を変えたり、バックしたりすると、両脚がふらつくんですよね。これも腰痛が原因かも知れません。心臓から来ている可能性もありますけど。
(心臓からの血流が悪くなると足がふらつくこともあります)

それと、数週間前から足がしびれたり、またこの1週間、2日に1度、朝起きる直前に左の足や右の足のふくらはぎに「こむら返り」が起きて、「イテテテて!」と叫ぶほどの激痛が走ります。ほんまにもう~。イヤになっちゃうよ。

と、まぁ、こんな調子ですわ。

そろそろ、病院で診てもらわなければね~
なにせ僕は本質的には病院嫌いなので、ついつい「自然治癒」を期待してしまいますが。

他にも、食欲が無くなったり、いろんな物事への関心が薄れたり、ま、そんなことで、最近ちょっとイライラモードに陥っています。

「ネガティブ スパイラル」
という言葉があります。
一度物事を否定的に考え出すと、どんどんその渦にはまって抜けられなくなる状態を言うのだそうですが、僕もそこに、はまりそうになっているのではないかと思ったりしています。

今はこれ以上落ち込まないよう、少しでも早くそのスイッチを切り替えて、心の健康を取り戻したいと思っています。

そんな生活の中で、ブログの更新もなかなかその気になれなかったのですが、今朝、久しぶりに自分のブログを見たら、この3日間でも、300を超える沢山の方々がご訪問くださっていました。

やはり、ブログは更新しなければ。
それが、僕自身にとっても「ネガティブ スパイラル」から抜け出して行く一つの方策だと思い、約2週間ぶりに更新することができました。

皆さまの、無言のお励まし、のおかげですよね。

お読みくださっている皆さまには、心より感謝いたします。

ホントにね~
長く生きてりゃ、いろいろありますね~

 

★今日は「母の日」で、モミィとうちの妻とのやりとりが面白かったので、それについても書きたかったのですが、次回に書くことにします。

★また、ドイロン君の絵手紙が一昨日(10日)の毎日新聞に掲載されたことも書かなければね~。とりあえず、毎日新聞を購読されている方は、改めて10日の新聞の読者欄をご覧くださ~い。


  ドイロン君からメールで送ってもらった新聞記事です。

  
  5月10日毎日新聞掲載。  
   僕もダイコン君に負けないように頑張ろう!

 

 

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