僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

エッフェル塔より愛をこめて

2020年06月29日 | 旅行

いきなりクイズです。
この写真はどこからどこを撮ったものでしょう?


 

えっ?「タイトルを見たらわかるがな!」って?
そうですわな。ははっ。

ハイ、これはエッフェル塔のエレベーターからパリの街を撮ったものです。天気が悪かったので景色は少しかすんでいますけどね。

コロナの感染が落ち着いたとして、先週の25日にエッフェル塔が約100日ぶりに営業を再開されたというニュースを見たので、今日はそのエッフェル塔について書いてみたいと思います。最後はお色気ギャグで終わるので、特に男性の方はお楽しみに。えへへ~。

エッフェル塔が営業再開と言っても、今のところ人数制限もされ、エレベーターも利用できず、高さ115mの第2展望台まで階段で登るだけ、ということになっているようです。

   

図のようにエッフェル塔は第1、第2、第3の展望台がありますが、階段は第2展望台までしかないので、今はそこまでだけの開業ということになりますね。

さて、去年8月にモミィたちを連れてパリに行きましたが、あれが僕にとっては5度目のパリ旅行でした。しかし、エッフェル塔に上ったのは、今から26年前、初めてパリに行った時だけです。その年(1994年)大阪府の市町村職員の海外研修というのに参加させてもらったのですが、他の市町村の人たちとのグループ行動だったので、「エッフェル塔に上ろか?」と誰かが言い出し、「行こう、行こう」ということになって僕も付き合った次第です。

僕らはエレベーターで第2展望台へ行き、そこで乗り換えて276mの第3展望台へ行きました。冒頭の写真はそのエレベーターから撮ったものです。


 
 エレベーターを乗り換える場所も長蛇の列。


 
これは第2展望台の様子をエレベーターから撮ったもの。
セーヌ川の景色が美しい。

そして第3展望台に着いたのですが、高過ぎて
しかも曇り空で景色はうっすらとしか見えません。
それでも懸命に写真を撮っている僕です。

 
 この写真は、同行の人が撮ってくれました。

それからまたエレベーターを乗り継いで下まで降りたのですが、途中、ふと見ると階段があったのを発見。実はそれまで階段があることなど知らなかったのでビックリしました。

  
  エレベーターの外を何気なく眺めていたら、
  階段を上がって行く人がいたのでビックリ。
  ちなみに第2展望台まで、階段は704段です。

~ん。階段があったのなら上がってみたかったなぁ、とふと思ったのですが、1人じゃないので、ほかの人に言ってもきっと「そんなしんどいこと、せえへんわ」と言われていたでしょうね。グループの人はほとんどが僕より年配の人ばっかりだったので。

そんなエッフェル塔・初体験でしたが、売店で「素敵な」絵はがきを売っていました。ちょっと恥ずかしかったですけど、何枚か買っちゃった!

その絵はがきを、仕事上大変お世話になっていた助役さんに送ったら、後日、
「お前なぁ。あのハガキ」と言ってから少し絶句。一呼吸置いて、
「孫が見て、ジイちゃん、これ何やのん? って言われて返事に困ったわ」
と、呆れられました。

その絵はがきというのは、これです。

 

 エッフェル塔より愛をこめて、皆さまにお贈りしま~す。

 

 

 

 

 

 

 

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夜のスーパー 「半額」 につい手を出して…

2020年06月26日 | 日常のいろいろなこと

いやぁ、暑くなりましたね。
ここ数ヵ月はコロナ騒ぎ一色だったのが、
これからは熱中症にも気をつけなければいけませんね。

僕もこれまで、昼食を終えて午後から、妻と駅前のイオンに買い物がてら、ウオーキングをしていましたが、さすがにこの暑さは過酷すぎます。運動のため、なんて言いながら、暑さで倒れてしまっては何をしていることやらわかりませんものね。で、今は買い物は日中に自転車で行き、ウオーキングは夕食を終えて午後7時半ぐらいから2人で出かけます。

夕食後に歩きに出るのは健康にとてもいいようです。体内の脂肪を燃やすので肥満を防ぐという意味でもいいですしね。

実は僕は、30代の頃から境界型の糖尿病で薬も飲んでいました。マラソンをしていたのに、糖尿病なんですよね。でも40代になって、夕食後に歩く習慣をつけ、それを数年間続けたところ糖尿病はほぼ治り、それ以降、今も数値は基準内で、薬も20年以上飲んでいません。

それで、夏になれば妻と夜に歩く習慣がついているのですが

最近、困ったことがあります。

去年の秋に駅前に新しくイオンが出来たので、ウオーキングに行っても、そのイオンに入って、グルっと食料品店などを見て回るのですが、すると

午後8時ぐらいの食料品売り場は、何やら美味しそうなものが「半額」で売り出されています。お寿司やお造りやお肉や総菜など、消費期限が今日までのものは半額、あるいは半額以下、という値段もあります。また、それを目当てに来ているお客さんもいて、わりにこの時間帯の売り場は混雑しています。

そして何ということか! 

僕も半額のお造りを見て、ふとそれを買ってしまい、家に帰ってからまたそれをアテにビールやチューハイを飲んで「小宴会」をしたりしてしまうことが時々あるのです。トホホ。

夕食時に500ml のハイボールやチューハイを2本は飲んでいるし、おまけに昼にも飲んだりすることもあるのに、寝る前にもまた飲むとは 完全にアルコール依存症状態ですわ。

ということで、近頃は毎晩のウオーキング時に、イオンの食料品売り場で「夜の小宴会」の誘惑に駆られながら、苦悶している僕なのです。

やれやれ
せっかく夜のウオーキングを楽しんで健康を保持しようとしているのに。

好事魔多し、とはこのことでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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安倍総理に聞かせたい キムタクの 「演説」

2020年06月22日 | 映画の話やTVの話など

 

コロナのせいでテレビドラマの世界もめちゃ変則的になり、朝ドラ「エール」も今週末でいったん休止に入り、大河「麒麟がくる」もお休み中。民放ドラマも豊川悦司と常盤貴子が主演して大ヒットした懐かしの「愛していると言ってくれ」はじめ、数多くの再放送ドラマが流れています。また心待ちにしている「半沢直樹」の新シリーズは、7月19日から始まるそうです。

そんな中で、いま、関西テレビで平日の午後3時50分から毎日放送されているのが、木村拓哉主演の『CHANGE』。2008年の作品だそうで、今から12年前のドラマの再放送ですが、面白いので録画して毎日見ています。キムタクもこのころは若くて「眉目秀麗」を絵に描いたよう。

ドラマのストーリーは、
国会議員だった父とその後継者の長男が事故死してしまい、次男で小学校教師をしていたキムタクが急きょ補欠選挙に出ることになる。選挙プランナー(阿部寛)や秘書(深津絵里)の奮闘もあり、当選する。しかし思いがけなく国会議員になっただけではなくて、さらに驚くべきことが

現職の総理が突然退任したことを受けて、政権与党の総務会長が「飾り物の総理を擁立する」という策略で、いきなり新米議員のキムタクを総裁選に担ぎ出す、という信じられない展開になったのだ。そして

このドラマ、第3話でキムタクが総理大臣の候補者として街頭で演説するシーンがありました。これがまた、とても印象深かったのです。

今、いろんな政策の遅れが目立つ一方で、自分の息のかかった取り巻きたちの不祥事にもきちんと対応せず、いつも作文を読むような紋切り型の国会答弁や会見を繰り返す安倍総理に聞かせたい演説シーンでした。そこでその場面を写真に撮って、ここに再現することにしました。

まず、キムタクの演説の内容ですが、
ちょっと長いですけど掲載します(一部のみ省略しています)。

「国会議員とは選挙で選ばれた国民の代表で
国民の中でいちばん偉い人だと思っていました。
でも 今の考えは 違います。

国会議員とは 国民の皆さんのために奉仕することを約束したうえで
選挙で 国民の皆さんに選んでもらった人たちです。
そして総理大臣とは 
誰よりも国民のために働く義務と責任を背負っている!

選挙のときだけ 頭を下げて 当選した途端に
特権階級のようにふるまうような人間は
本当の政治家ではありません。

誰にでも 分かるような言葉でしゃべることのできない人間は
本当の政治家ではありません!

国民の皆さんの幸せよりも
自分の利益を 優先するような人間は
本当の政治家ではありません!

そして何より 国民の皆さまが
何に怒り 何を望み 何を言いたいのか!
それが分からない人間は 本当の総理大臣ではないんです!

僕は約束します。
皆さんと同じ目で 今行われている政治の問題点を見つけだし
そしてそれを正すことを!

僕は約束します。
皆さんと同じ耳で弱者といわれる人たちの
どんな小さな声も真剣に聞くことを!

僕は約束します。
皆さんと同じ足で問題が起きている現場に
ためらうことなく駆けつけることを!

僕は約束します。
皆さんと同じ手で 自分も汗まみれになって働き
そしてこの国の 進むべき道を指し示すことを!

僕のすべては
僕のすべては皆さんと同じです!」

そのテレビ画面の一部です。


 

 

 

 

 

 
 「CHANGE」第3話(6月12日放送分)より

 
キムタクは国民に新鮮な印象を与えたとして、
人気が沸騰したことを背景に、総裁選に当選。
若き総理大臣の誕生です。

そのあと、総理の真面目な奮戦ぶりが展開されますが、
ドラマはあと数話を残すのみとなり、今週で終わります。

繰り返しますが、この演説、
安倍総理にはもちろん、あらゆる政治家たちにも聞かせたい~!

 

 

 

 

 

 

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アメリカの人種差別問題に思うこと

2020年06月19日 | ニュース・時事

新型コロナでまだまだ不安が収まらない世情ですが、
一方では相変わらずいろんなことが起きていますね。

まず今日は、河合克行という元の法務大臣と、その妻の河合案里という参院議員が、選挙の際に地元議員らに現金を渡したとして、公職選挙法違反(買収)の疑いで逮捕されたというニュースがトップでした。妻の「あんりさん」が、いかにもタレントっぽい風貌なので、余計に騒がれるんでしょうか?

その他、海外では北朝鮮と韓国との関係がかなり危険な状況になっているとか、米中両国の関係が悪化しているとか、またワイドショーでは渡部ナントカというタレントが不倫をしまくり、時には多目的トイレで性行為をしていたとか。
まぁ、いろいろですわ。

そんな中で、僕がいま気になっているのは「人種差別」の問題です。

ご存知のように、アメリカのミネソタ州で起きた、黒人男性が白人警官に首を押さえつけられて死亡するという事件がありました。SNSで流されたこの映像を見た人は大きな衝撃を受けたと思います。

それ以降、ニューヨーク、ロサンゼルスなどをはじめ、全米で人種差別に対する抗議行動が拡大し、今では大阪や東京などでもデモが起きています。

今日はそのことに関する話ですけど。

僕には「黒人の人は陽気でやさしい」というイメージが今でもあります。
「今でも」というのは、つまり昔の話なんですけど

1983年(昭和58年)、第14回ニューヨークシティマラソンに出場した時のことです。僕にとっては3度目のフルマラソンで、初の海外マラソンだったことは言うまでもなく、何よりも、海外へ旅行すること自体が初めての経験でした。

そのニューヨークシティマラソンは、ニューヨーク市にある5つの区を全て通過する片道コースを走ります。


 

スタート地点はスタテンアイランドという一番南側の区で、そこからベラザノブリッジを渡ってブルックリン区に入ります。ここは黒人、プエルトリコ、ギリシャ、イタリア、ユダヤなどの人たちが多く居住する区です。そこからクイーンズ区に入り、そのあたりからマンハッタン区の摩天楼を望見しながら中間地点を過ぎ、クイーンズボロ橋という美しい橋を渡ってマンハッタン区に入ります。そこから北上してブロンクス区に入り、またマンハッタン区に戻って、ハーレムを通り、最後は五番街からセントラルパークへ入り、そこがゴールでした。

僕は過去20数回のフルマラソン大会を走りましたが、この大会ほど、沿道の観衆の人たちの熱い声援を受けたことは、後にも先にもありません。

僕が着ていたTシャツは「JAPAN」と記されて、胸のところに日の丸がついていたので、それを見た観衆たちが僕に「ヘーイ!ジャパン・ジャパ~ン」と大声援を送ってくれたのです。中には握手を求めて駆け寄り、僕が手を出すと両手で握って「頑張れ」みたいな言葉を投げかけてくれる人もかなりいました。その「熱烈応援」のほとんど、というか、ほぼ全ての人が、黒人の人たちでした。で、「陽気で明るくて優しい人たち」というイメージが、その時に焼き付けられました。

黒人の人たちが多く住むブルックリン区に限らず、いよいよレースも後半に入ったマンハッタン区でも、僕はとても賑やかな歓迎を受けました。黒人女性が手を差し伸べたので僕がそれを握ると、「ワァ~ッ」というような笑顔で握った手をブルンブルンと振ってくれるのです。今思っても胸が熱くなります。

もうひとつ忘れられないのは、30キロ地点付近で、そろそろ空腹を感じ始めた時に、黒人の少年が飛び出してきてアメをくれました。走りながらそれを口に含んだときのおいしかったこと。この味、一生忘れまい、と思いました。

あの時のニューヨークの沿道の声援は、むろん白人の人たちも多くいましたけど、僕の印象に残っているのはほとんど黒人の人たちでした。

あれから37年の歳月が経ちました。

今回の、アメリカの白人警官による黒人殺害事件やそれに類する事象が多発していることと、人種差別に反対する抗議するデモが世界各地で起きているニュースを見ていると、そんな差別が今なお延々と続いていることに心が痛みます。

正直言って、今の時代でもそんな差別が続いているのか、という思いです。

自分が平和ボケの中で生きているからなのかも知れませんが。


 
 沿道の人々から熱い声援をもらって無事ゴールしました。
 (1983年10月23日)

 

 

 

 

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半世紀前に出したハガキが戻る

2020年06月17日 | ウォーク・自転車

昨日、学生時代からの古い友人から1通の手紙が届いた。

若い頃は一番の親友で、僕の結婚式の時は友人代表で挨拶をしてくれ、彼の結婚式の時には僕が司会をした。そして20数年経ち、今度はその友人の娘さんの結婚披露宴に招かれて、僕が主賓の挨拶をさせていただいた。

彼は今、大阪の守口市に住んでいるが、会わなくなってから10年ほど経っている。そして5年前に母が亡くなった時に電話で話したのを最後に、お互い年賀状のやり取りだけの関係になっていた。

その彼から手紙が来たので、何事かと思い、急いで封筒を開けた。

中には薄汚れたハガキが何枚か入っていてゴムバンドで止められていた。そして便せんには「前略 お元気ですか」で始まり、そのあとは、びっくりするようなことが書かれていた。要約すると

君の北海道への自転車旅行から50年余り経ちましたね。6月17日が出発日だったと思うので、その日に間に合うようこれ(当時、僕が旅先から出したハガキ)を送ります。コロナの禁足令のおかげで、学生時代から卒業後のしばらくの時間旅行(タイムトラベル)をしています。暑くなりますが体に気をつけてください。

というようなものだった。

これは昨日の話なので、「そうか、明日は6月17日で、自転車旅行に出発した日なんだ」と、僕はこの手紙を見て初めてそのことに気がついた。今まで6月17日は絶対忘れない日のはずだったのに、今年はすっかり忘れていたんだ。でも、友人はよくそんなことを知っていたもんだなぁ。

やれやれ、ボクも年ですかねぇ。最近では今日が何日かもわからないので、翌日が6月17日だということも念頭になく、友人からの手紙で気がついたわけで、思わず笑ってしまいました。

友人は「学生時代から卒業後のしばらくの時間旅行(タイムトラベル)をしています」と書いていたが、多分、コロナで家にいる時間が長いので、若い頃のいろんなものの整理をしていたのだろう。そこで僕が出したハガキを見て、6月17日が近づいているので送ってやろう、と思ったのだと推測できる。

 
封筒には7通のハガキが入っていた。

で、その手紙に同封されていた古いハガキは、僕がその旅行中に彼に送ったもので、全部で7通あった。我ながら下手くそな字だなぁ、と思いながら1枚1枚を手に取ってみた。

僕の自転車旅行は、大阪からまず日本海沿いを走り、青森から函館、そして北海道を時計回りで1周し、帰途は太平洋沿いの東北、関東、中部地方を走って大阪へ帰るというコースだった。そして、旅の途中、家族や多くの知人に、毎日のように手紙やハガキを書いて送った。

  …………………………………………………………………………

友人への7通のハガキの1通目は新潟から出したものだった
出発の日から新潟に着いた日(6月24日)までの出来事を箇条書きで記している。

2通目は函館から(消印は7月2日とある)。
「ハルバル来たぜハコダテェ~。淋しいけど最後までがんばる。本当のことをいえば今すぐにでも帰りたい気持ち」

3通目は稚内から(消印は7月13日)。
稚内公園のスタンプを押し、
「最北端へ来ました。ありがとう」とだけ書いています。

4通目は北海道を終え下北半島の大間崎から(消印は8月2日)。
内容は、「北海道をぐるっと回り終え、毎日めまぐるしくいろんなことが起こり、思い出すとおもしろい」とハガキにギッシリと北海道の感想を書いています。最後に「よければ仙台市中央郵便局留めで便り下さい」と加えています。

5通目は石川啄木のふるさと、岩手県渋民村から(消印8月7日)。
7通のうち、唯一の絵はがきで、岩手山や北上川の風景写真と啄木が詠んだ歌が記載されています。

6通目は仙台から(消印は8月10日)。
岩手県から宮城県仙台市までのいろんなエピソードを書いています。

最後の7通目は神奈川県鎌倉市から(消印は8月21日)。
内容は、「25日頃帰る予定(中略)僕はこの旅行は、自分のたよりなさを知らされた旅だと痛感する」
などと、なんだか神妙なことを書いています。

  …………………………………………………………………………

以上のような古いハガキの話でした。

そういえば、5年前に友人と電話で話した時、
「君が自転車旅行中にくれたハガキ、まだ持ってんねん」と彼が言った。
「なんでそんな古いもん持ってるんや。捨てろや、もう」と僕。
「捨てにくいやん。そっちに送ろか?」と言うので、
「いらん、いらん。破って捨てて」と強く断ったことを覚えている。
なのに、5年後に、いきなり送って来た。ほんとにもう~

と言いながらも、自分が半世紀も前に書いたハガキを見るのは、どこか奇妙な感じだけど、やはり懐かしくもありますね。


6通目の仙台から送ったハガキを紹介します。


 

仙台駅のスタンプも押してありますが、文章の内容は

啄木の碑をみて、高村光太郎の山荘でテントをはって、宮沢賢治の碑をみて、平泉では芭蕉の句をみてーーーこのところ文学紀行のような感じ。きのう一関郊外でスピードを出しすぎてひっくり返り、あやうくうしろの車にひかれそうだった。ひじをすりむいた。ああ帰りたい帰りたい。速達で手紙ありがとうね。
(原文ママ)


というわけで、今日6月17日は自転車旅行の出発の日でした。

人から教えてもらったわけですけどね(笑)。

このブログを書きながら、
僕も20歳の頃の自分にタイムスリップしていました。

 

 

 

 

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学校もやっと通常授業に

2020年06月12日 | 日常のいろいろなこと

6月に入り、やっとモミィの学校が始まった。

6月1日(月)~5日(金)の週は「2分割登校」というもので、中学3年生になったモミィは、その週の登校日は、月曜・木曜・金曜の週3日だった。それも出席番号の奇数と偶数によって、午前と午後に別れての登校。だから、クラスは通常の半分の人数しかいないわけですよね。

次の週。つまり今週の6月8日(月)からきょうの12日までは、毎日登校することになりました。しかしそれも同じく出席番号の偶数と奇数で午前の部と午後の部の分割での登校です。モミィも、今日は午前登校で明日は午後登校、な~んてことで、朝起きる時間も変わってくるし、ややこしいことですわ。

それと今週は給食も始まりました。といっても「簡易給食」で、献立は牛乳とコッペパンとジャムとデザートだけ。「少なすぎるしお腹全然ふくれへんわ」とモミィがブツブツ言ってます。

午前に登校した生徒は授業後にこの簡易給食を食べてから帰宅。午後の登校生徒は授業が始まる前に給食を食べるというわけです。

それでも、量が少ないので、モミィは、朝の授業だったら給食を食べて帰って来るのですが、帰宅早々「お腹、すいた~」と叫ぶ。「給食食べてきたんやろ」と言うと、「あんなん、少なすぎるわ。男子なんか足らん足らんって騒ぎまくってるし」とのことだった。で、また家でソーメンなんかを食べています。午後の授業の時も、何かを食べてから登校します。行ってすぐ給食があるのに、それではお腹が満たされないので、食べてから行くわけですよね。

「給食が始まったら楽になるで」と思っていたのに、こんな調子ですわ。

さて、その1週間の授業も今日で終わり。

来週の15日からはほぼ通常授業に戻ります。

ここまで午前と午後に分かれた半日授業だったのが、来週からは毎日、朝に家を出て、昼は「簡易」ではない「普通」の給食が出て、午後も授業が行われるという通常スタイルです。

やれやれ、という気持ちです。

ここ3ヵ月ほどモミィが家にいると、こちらの日常生活のリズムも狂います。昼食もいろいろと考えなければならないし、勉強しいや、と言ったりもしなければならないしね~(ま、週に4回、塾には行っていましたが)。

やっと学校も通常授業に戻るので、とりあえずホッとしています。
このままこの状態で、ずっと続いていってほしいですね。

あ、それから

今日の午後「買い物ウオーキング」に出た時、駅前の銀行に寄り、妻が通帳確認をしたところ、一律一人10万円の特別定額給付金が、本日付で振り込まれていました。

全国的にみて、早いほうなのか、遅いほうなのか、それとも普通?
よくわからないけど、まぁ、よかったです。

 

 

 

 

 

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古墳に咲く菖蒲(しょうぶ)は今が真っ盛り

2020年06月09日 | 日常のいろいろなこと

わが家の近くに城山古墳という大きな古墳があることは、これまで何度かお伝えしてきました。そこは古墳公園になっていて、自由に入ることのできる数少ない古墳の一つです(普通、古墳は宮内庁の管理が厳しくて入れない)。そして子どもたちの遊びの場や、地域の人々の憩いの場にもなっています。僕も時々この周辺をウオーキングします。

ご承知の方も多いと思いますが、この古墳も含めた「百舌鳥・古市古墳群」は、昨年7月、世界文化遺産に登録されました。

この城山古墳公園には、梅や桜やコスモスなど季節の花がいろいろと咲くのですが、最も有名なのが初夏の菖蒲(しょうぶ)で、大阪でも有数の菖蒲の名所とされています。


そして今はその菖蒲の花が真っ盛りの時期です。
コロナであろうがなかろうが、菖蒲の花は咲くのです。
(当たり前やん)

そこで、
一昨日の7日(日曜日)、とてもお天気のいい朝に、

その城山古墳に行って菖蒲の写真を撮ってきました。
そのいくつかをご紹介します。

 
 向こうの方に見えているのが「花しょうぶ園」です。
 そのさらに向こう側にも「花しょうぶ園」があります


 
 古墳の森をバックに。

 
 


 
 

そして今日は朝の散歩のときにカメラを持参し、
近くの府営住宅の最上階(10階)まで上り、
そこから城山古墳の全体像を撮りました。

ここの階段は運動がてらによく上るのですが、
最上階から写真を撮るのはこれが初めてです。

 
 府営住宅最上階・10階から城山古墳を写す(6月9日)。

府営住宅から北の方向に城山古墳があります。
写真の範囲外ですが右の方にはあべのハルカスも見えます。
今は花も綺麗ですが、新緑も目が眩むほどに美しいです。
ちなみに、わが家は城山古墳の右(東)の方に位置しています。

そのわが家ですけど、
3階のベランダから、古墳の森がチラッと見えるんですけど、
そのベランダから城山古墳の緑が見える風景を撮ってみました。

 

はぁ? 何? このパッとしない風景は。
電線や家々の屋根の向こうにチラッと城山古墳の緑が見えるだけ。

最後にスベりましたか。

 

 

 

 


 

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横田めぐみさんの拉致現場を見て

2020年06月07日 | 思い出すこと

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのお父さんの横田滋(しげる)さんが老衰で亡くなられたと、昨日のニュースで報じられました。奥様と共に、僕らには想像もできないほどの辛い人生を送ってこられたものと思います。

この横田めぐみさんの拉致事件に関する話を聞くと、必ず思い出すことがあります。今から12年前になりますが、2008年(平成20年)の10月。新潟へ出張に行った時のことです。

仕事を終えて大阪に帰ろうと、空港までタクシーに乗ったけれど、まだ時間に余裕があったので、新潟市内を適当にめぐってもらうことにした。しばらくして、タクシーは海に近づいて行き、人通りのない細い坂道を上がって行くと、右手に学校のような建物が見えてきた。

「この、右に見えるのは中学校なのですが」とタクシーの運転手さん。
「二葉中学校と言います」
「えっ? フタバ中学校?」と僕は聞き返した。
この中学校に、何か由来があるのだろうか
すると運転手さんは驚くべきことを言ったのです。

「二葉中学校は、拉致された横田めぐみさんが通っていた中学校なんです」
「えぇっ、何ですって?」と僕は聞き返した。
ここが? 横田めぐみさんが通っていた学校? 
いきなりのことだったので、本当に驚いた。

事件が起きたのは1977年(昭和52年)11月15日のこと。一人の少女が忽然と姿を消したのは、この中学校からの帰り道だったというのです。当時めぐみさんは中学1年生で13歳。まだあどけない年頃です。

「そうですか。ここがめぐみさんの通っていた中学校だったんですか
僕は身を乗り出して右手の窓から校舎を眺めながら、もう、それ以上の言葉は出てこなかった。

タクシーはめぐみさんの通学路だった海岸に沿った道を走り始めましたが、整備の行き届いた道路と公園の木々の緑は美しかった。しばらく行ったところで運転手さんが車を止め、再び口を開きました。

「このあたりでめぐみさんが拉致されたのだろう、と言われています」

ごく普通の道路と、ごく普通の歩道があり、海辺の方は木々が生い茂り、何とも穏やかな風景だった。こんなところで

この辺のどこかに悪魔が潜み、何の罪もない一人の純真無垢な少女を肉親から引き裂き、少女が育んできたすべてのものを奪い去ったのだ。その時、めぐみさんがどんな思いだったか。想像しただけでも身震いがする。

そんな思いを巡らすと、だんだんと気が重くなってきた。

運転手さんは前方を見つめながら、淡々とこう言いました。
「めぐみさんは絶対に生きていますよ。でももうこちらには戻って来ないんじゃないかと、思いますね。ご本人の意思としてもですね」

そんなことを途切れ途切れに、噛み締めるような口調で言ったのです。

そしてさらに運転手さんは、こう続けました。
「めぐみさんは結婚して、子どもさんもいるし。それに、あちら(北朝鮮)ではかなり優遇されているんだと思いますよ。もう何十年もあちらで暮らしているんですからね。もちろん、お父さんやお母さんに会いたいでしょうけど、今の自分の生活や家族も捨てられないのではないでしょうか」

地元の人たちはみんなそう言っている、とのことでした。
「それは、めぐみさんは元気で暮らしているんだという願いを込めた思いでもありますが」
と運転手さんは自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。

この言葉は、今も忘れられません。

「では、お時間ですから、このまま新潟空港に向かわせてもらいます」
車が動き始める。
「ええ、お願いします」
と返事をしたあとのことはほとんど覚えていない。視界から遠ざかる海辺の光景だけが、今も強烈にこの目の奥に焼き付いています。

 ………………………………………………………………………………………

めぐみさんが行方不明になったのが1977年。その後20年経った1997年に北朝鮮の拉致疑惑が表面化して、横田滋さんはその時結成された「拉致被害者家族の会」の代表に就任しました。それ以来、僕たちは20年以上、横田さんご夫妻の活動をニュースで見てきました。

滋さんのお人柄の良さそうな笑顔と、奥様である早紀江さんの優しくてかつ凛々しい表情に、逆に僕たちが勇気づけられることも多々あったほどです。

滋さんのご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「愛の不時着」と吉村大阪府知事

2020年06月04日 | 雑記

今朝のニュース番組「朝チャン」を見ていたら、ゲストに橋下徹が出ていた。まあ、出ていたといってもスタジオではなく自宅からの映像ですけど。

そこで吉村大阪府知事の話題になった。
司会の夏目三久ちゃんが橋本徹さんに、
「吉村知事の政策についてはいかがですか?」
とスタジオから問いかけると、
橋本さんはニターっと笑ってこう言った。
「具体的でわかりやすいです。何より男前(おとこまえ)ですもんね」
それを聞いて僕は思わず笑ってしまった。

橋本さんは続けて、
「大阪市長の松井さんは大阪のおっさんの強面(こわもて)ですからね。吉村さんのような人気は出ません。だから、松井さんが裏方になって男前の吉村さんを支えるという形で、大阪の知事と市長が連携しているのがいいんですよね」と笑顔で話していた。

そして、次に橋本徹さんが言ったのが、これがまた面白かった。

「吉村知事は」と橋本徹さん。
「いま人気の韓流ドラマ『愛の不時着』に出ている俳優に似ているでしょ?」
と言ったのでした。

えっ? 
「愛の不時着」とは?

僕は見ていないけど、ネットで配信されている超人気のドラマのようで、最近、朝日新聞のテレビ欄「キュー」というコラムで島崎今日子さんが「何回も繰り返して見ている」とベタ褒めしていたので、僕もそのドラマのことは少しだけ知っていた。まぁこの「愛の不時着」というタイトルにもジーンと来ますね。
「不時着」という言葉が悲恋を想像させ、何とも切ない。

物語は、韓国の財閥のお嬢さんが、パラグライダーで突風に巻き込まれ、北朝鮮に不時着する。そのお嬢さんを助けたのが北朝鮮の将校で、2人はいつしか愛し合うようになるというラブストーリーらしいです。

その将校の役に出ていたのがヒョンビンというイケメン俳優です。
吉村知事と顔が似ている、と橋本徹さんが言った俳優さんですね。

2人の写真を並べてみます。

 
  ヒョンビン

 
  吉村知事
 


確かに。
似ていますね~

まぁ、いずれにしても、イケメンは得です。
吉村知事も顔で得している部分も結構ありますよね。

僕もこれまでの人生で、ずいぶん得をしてきました。
だははは~~~!
(アホやがな)

すみません。

「愛の不時着」のサイトはこちらです

https://www.netflix.com/jp/title/81159258

 

 

 

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静まり返る図書館

2020年06月02日 | 日常のいろいろなこと

去る3月12日のブログに、
新型コロナウィルスの影響を受けた図書館に関する話を書きました。

          

藤井寺市の図書館へ行ったら3月20日まで臨時休館とのことだった。隣市の羽曳野市の市民会館にある中央図書館まで歩いて行ったら、会館自体が「臨時休館」の貼り紙がしてあり、図書館は3月末まで休館とのことだった。ウオーキングの途中に図書館へ寄り、本棚を巡り、面白そうな本があればそのへんに座ってパラパラッと読んだり、気に入れば借りたりするという、僕にとって大好きな場所だったのに休館はまことに残念です。どこも3月下旬あたりまでの休館だそうですが、きっともっと延期されることになるんだろうなと思います。

これを書いてから、3ヵ月近く経ちました。

そうしてこの度、ようやくその図書館が開館したので、今日、久しぶりに藤井寺市の図書館と羽曳野市の図書館へ、ウオーキングを兼ねて訪れました。そこでビックリしたのが

まず藤井寺市の図書館。午前11時頃に行ったのですが、自転車置き場を見るとたったの1台しか置かれていない。いつもは沢山並んでいるのに。

入口から中をのぞくと、シーンとしていて、カウンターの中の職員さんたち以外に人影が見えない。こんな光景、この図書館で見るのは初めてだ。入口にアルコール消毒液が置いてあり、それで手を消毒して中に入る。いつもなら、ソファがあって新聞があり、多くの人たち(ほぼ高齢者)がその辺に座って新聞を読んだり、本をパラパラめくったりしている。しかし今日は新聞とか雑誌はどこにも置かれていないし、ソファや椅子も撤去されていた。

「館内での滞在時間はおおむね30分以内でお願いします」
という張り紙もあり、その旨の館内放送もされていた。
ちょっとせわしないですけど、でも仕方ないですよね。

僕はとりあえず筒井康隆の「創作の極意と掟」という面白そうなエッセイと「百人一首がよくわかる」という新書版の本の2冊を持ってカウンターへ行き、ビニールのカーテンで仕切られた受付の職員さんに本と図書カードを提示して貸し出しを受けた。

本当に静まり返っていて、不気味なほどだった。

そのあと、今度はさらに蔵書数が多くて僕が一番好きな羽曳野市の市民会館にある図書館まで、30分以上歩いて行った。

すると、ここはもっと広い図書館なのに、やはり先ほど同様、ほとんど人の影がなかった。書架と書架の間の、長~い通路に1人もいない。これも初めて見る光景で、まるで休館の中に迷い込んだのか、と思うほど誰もいなかった。

そして藤井寺の図書館同様に、椅子の類はすべて撤去されていたし、新聞・雑誌の類もない。いつもは子どもたちで賑わう児童書の空間も、誰もいない。広い図書館に人影が見えたのは、年配の男性と30代くらいの女性が一人ずつ。あとは静まり返っているばかり。

そこへ館内放送があり、
「滞在時間は30分まででお願い致します。次のこの放送を聞かれた時はご退館をお願いします」
という放送が流れていた。

さらにこの図書館では、一度手に取った本は書架に戻さず「こちらに入れてください」と書かれた書架の隅のカゴに入れることになっていた。そこまで感染防止が徹底されているんだ。

僕も本をさわるのはやめて背表紙だけ見て、結局、「超・読めない漢字」という難解漢字のクイズのような本を見つけて、それ1冊だけを借りました。

図書館を出たらそこは市民会館のロビーです。かつて、この会館の片隅の一室でモミィがエレクトーンを習っていたこともありました。でも、図書館同様、きょうのような人影のない会館の光景なんて見たことがありません。

ということで、
今日は、あれもこれも、生まれて初めて見る風景ばかりでした。

久しぶりに一人で長いウオーキングをして、2つの図書館を訪れたのですが、まだまだ日常の姿にはほど遠いですね。しかし、新型コロナの再襲来を少しでも遠ざけるためには、これくらいでちょうどでは、と思います。

うちの地元の公共施設はそんな感じでしたが、都会の遊興娯楽業は日常に戻りつつあるようです。今日は東京では19日ぶりに感染者数が30人を超えたそうです。僕の今日の公共施設での経験では、まだまだ自粛モードが続いている印象だったけど、東京は「接待を伴う飲食」での感染が多いという。こちらの分野については、ちょっと「解除」は早いのでは?

と、思ったりしますけどね。

 

 

 

 

 

 

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