僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

不整脈で明けた日曜日

2017年10月29日 | 日常のいろいろなこと

今日はモミィと妻は「五ツ木の模擬テスト会」というのに行きました。実は僕も一緒に行く予定だったのですが、深夜から心房細動(不整脈)の発作が出て、朝になっても収まらず、行くことができませんでした。たまに、こうしたことが起きるのです。あ~あ(ため息)。

今日のテストの会場は大阪府の一番南の端の河内長野市にある私立中学校で、朝早くの午前6時半に2人を見送ったあと、息苦しいのを我慢しながら横になったり、家の中をうろうろしていたりしていました。そうこうするうちに、8時半を過ぎた頃に収まったのでホッと一息つきました。

しかし、こういう持病があると人との約束もなかなかできません。いつ発作が起きるかわからないので、ドタキャンしてしまうことも十分にあり得るので、ここのところ、なるべくそういう約束もしないようにしており、外出の場合は家族でするか、一人でするか、というのがほとんどです。こんな状態なので、仕事とか、地域での何かの役を持っていたりするとかいうのは無理なんですよね。発作が収まったとたんに、それがウソのように元気になるのですが、なんだかねぇ、情けない話ですわ。ぐすん。

夕方、妻とモミィが帰ってきましたが、台風22号の影響で、河内長野市では試験中に大雨か土砂災害警報かが出て、保護者が待機している場所でも災害時の緊急メールが鳴り響いたそうです。モミィによると、試験の最中に教室でもメールが鳴り渡ってざわついた、と言うことでした。先週といい今週といい、なんで日曜日ばかりこんなことになるんだろうと思いますね。

 ……………………………………………………………………………

さて、話は変わって昨日の続きですが、
昨日、羽曳野市の会館で、ダルビッシュ投手が登板したワールドシリーズのテレビ中継を見た話をしましたが、それが今朝の新聞に載っていました。

 


     

昨日、写真でご紹介した「ドジャーズカラーの青い旗」も記事の中に出てきますね。ところで、ああいうのを「パブリックビューイング(PV)」っていうのですね。昨日も書きましたが、最前列に陣取っていた少年野球の選手らしいグループは、記事を読むとやはりダルビッシュが活躍した野球チームの少年たちでした。う~ん。せっかく後輩たちが応援していたのに、まさか2回の途中でKOされるとは、ちょっと残念過ぎる展開でした。

新聞紙面には写真も載っていたので、「僕は写ってへんかいな?」と目を細めて見てみましたが、一番後ろに座っていたので写ってませんでしたね。たまたまその日その時間にその場所に行き、ダルビッシュの「パグリックビューイング」に巡り合えたのは幸運といえば幸運でしたけど、僕が見始めたとたんにホームランを打たれ、その後集中打を浴びて降板したのは、まあ不運といえば不運でした。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

えっ? ダルビッシュが

2017年10月28日 | スポーツの話題

いま、28日土曜日の午後2時です。また台風22号とか言ってますけど、どうなるんでしょう。わが家のあたりは小雨模様ですが、台風はもう、うんざりですね。

さて、
今日はいつもの土曜日の日課どおり、モミィをヤマハ音楽教室へ連れて行った。教室の場所はお隣の羽曳野市の市民会館の中にある。モミィが受けているのは個人レッスンで時間は10時から10時半まで。今日も10分ぐらい前に会館に着き、モミィはそのまま教室へ入って行った。僕は、普段なら館内の図書館へ行ってそこで時間をつぶすのだけど、今日は思いがけないことに出くわしたのだった。

会館ロビーの壁面に大きなテレビ画面があって、その前に椅子が置かれており、そこに何十人の人たちが画面に向かって座っていた。「あれ? なんだろ?」と思って画面に近づいたとたん、見ていた人たちの間で「うわ~っ」という歓声が上がった。そう、歓声に聞こえたのです。

僕はさらに近づいて画面を見ると野球が映っていた。あっ、そうか。大リーグのワールドシリーズ、ドジャース対アストロズの第3戦の今日、ダルビッシュが登板する日なのだ。そして、ダルビッシュは、この羽曳野市の出身なのだから、そりゃぁみんな応援するよね。


  
  熱心なファンの人たちがテレビ画面を見つめています。

 画面にはダルビッシュが映っていた。さらに、よく見ると今「うわ~っ」と上がった声は歓声ではなく悲鳴だった。たった今、ダルビッシュがホームランを打たれたばかりのところだった。あちゃぁ~。打たれちゃったのかぁ!

 


  

 


  
テレビ画面の上には、
「さぁ、世界最高峰のマウンドへ・郷土のスーパースター・ダルビッシュ有投手・ワールドシリーズ第3戦ドジャース ✖ アストロズ」
と書かれ、その下には、
「有投手は勝利ごとに10万円の寄付を続けてくれています。感謝」
と書かれていました。
 


席の前の方には野球帽をかぶった少年たちが座っていた。ダルビッシュは少年時代、羽曳野市のリトルリーグで活躍していたのだから、地元の野球少年たちの憧れの的に違いない。そのダルビッシュが大リーグの晴れ舞台に立っているんだから、みんなワクワクしながら見ているのだろう。

僕も後ろの方の席に座って観戦した。知らない人が寄ってきて「どうぞ」と言って旗をくれた。

  
こういうものです。


その旗を握ってテレビを見ていたが、回はまだ始まったばかりの2回の裏だった。まだまだ試合はこれからだよ、と思っていたら、ダルビッシュは先頭打者に本塁打を打たれたあとも、ヒットや二塁打を立て続けに浴びて、あっという間に4点を取られてしまい、そこで監督が出てきて投手交代が告げられてしまった。

あ~あ、がっかり~、という空気がロビーに漂った。

この時、時計を見たら10時10分過ぎぐらいだった。僕がこのロビーへ来たのが9時50分頃で、今思えばその瞬間にダルビッシュがホームランを打たれたわけで、それから20分ほどで4点取られてマウンドを降りたことになる。なんだか、僕がテレビを見たとたんにダルビッシュが打たれ始めたので、自分が疫病神みたいな申し訳ない気持ちになってしまいました。

ダルビッシュのあとに同じ日本選手の前田健太が出てきて、後続をピシャリと押さえた。そしてその次の回に、ドジャースは3つの四球で無死満塁という絶好のチャンスを迎えた。見ている人たちは「行け行け~」と、ダルビッシュがいなくなっても、熱心にドジャースを応援している。僕も去年、ドジャースの本拠地ロサンゼルスに旅行した縁もあって、ついつい身を乗り出して応援していたけれど、時計を見るともう10時半になっていた。音楽教室へ行ってモミィを迎え、講師の先生と挨拶を交わす時間が来た。じゃ、行くか~と、後ろ髪を引かれる思いでテレビから離れたわけでした。

 

 

家に帰って試合の続きを見ましたが、結局ドジャースは5対3で敗れましたね。これでアストロズの2勝1敗となりました。ダルビッシュにもう一度登板する機会が訪れてほしいですね。

また、日本シリーズのほうも今日から始まりますが、今季、圧倒的強さでセ・リーグを独走した広島に出てほしかったというのが正直な気持です。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インフルエンザの季節です

2017年10月27日 | 心と体と健康と

昨日、モミィはインフルエンザの予防接種に行ってました。子供は2回受けなくてはならないので、また来月にも行くそうです。「注射、痛いからイヤや~」と言い、いつもお医者さんで泣いていたと妻が言っていましたが、昨日は泣かなかったそうです。もう6年生だから、そりゃもう泣きませんわね~

インフルエンザといえば、僕はこれまで罹ったことがなかったのですが、去年の年末、とうとう罹ってしまいました。それも家族でロサンゼルスへ旅行したとき、旅行の後半に高熱が出て、帰国の前日は、ず~っとホテルのベッドで寝ていました。よりによって海外旅行中にインフルエンザなんて、シャレにもなりませんわ。行きの飛行機の中で感染したのでしょうか。せっかくの旅行だったのに、1日中ベッドで過ごすなんて、ほんと、バカみたいでした。

その時は39度前後の高熱が出て、やっとの思いで帰国したのが大晦日。

翌日の元旦に、近くの休日急病診療所に行って検査してもらった結果、インフルエンザであることが判明という次第でした。つまり、僕のこの1年はインフルエンザからスタートした、というわけ。

去年も11月ごろに予防接種を受けていたのですが、それでも感染するんですね。ただ、症状としては七転八倒するようなものではなく、帰りの10数時間の飛行機の旅も何とか我慢できたので、やっぱり予防接種をしていたから症状もその程度で済んだのかなぁ、と思っています。その点からみても、予防接種はしておかなければね。僕も来週、いつも行っている医院でしてもらいます。

ところで、今年はインフルエンザのワクチンが足りない、ということも言われています。あるニュース番組では、新ワクチンを開発しかけたが間に合わず、もう一度元に戻したので生産が遅れている、という説明がされていました。さらに、恐ろしいことに、中国で鳥インフルエンザが人間に感染し、それによる致死率が4割にも達しているというニュースもありました。こんなのが日本に入ってきたらえらいことになりますよね。こわい、こわい。

まあ、予防接種は5か月間ほど効力があるそうですから、来年の春を迎える頃までは有効ということになります。インフルエンザに罹らないようにするためにも、そして罹った時も症状が軽くて済むように、やはりした方がいいのでしょうね。それと、マスク・手洗い・うがいなどによる予防もお忘れなく。

以上、厚生労働省からのお知らせでした。(ウソつけ!)

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天国から地獄? ~小池都知事~

2017年10月25日 | ニュース・時事

「自民大勝」「立憲躍進」「希望失速」などと衆院選の結果を大々的に報じてきたマスコミもやっと落ち着き始めたか、報道の流れも少し変わって来ましたね。

特に今は希望の党を立ち上げた小池百合子都知事に批判が集中しています。昨日はどの情報番組も小池知事が大きく取り上げられていました。新聞のテレビ欄を見ると一目瞭然。

小池代表に落選議員が恨み節

『小池劇場』崩壊 ウラで何が?!

希望完敗 小池知事の「おごり」

口は災い”? 希望失速の原因は

などの言葉がテレビ欄に散らばっていました。情報番組に出てくるコメンテーターたちも、去年の東京都知事選、今年の都議会選の時は小池さんを絶賛していたのに、今回は手のひらを返したようにみんな「小池非難」をこれでもかと繰り返しています。まあ今回の国民の意思が「反小池」を表しているという空気に押されて、今まで遠慮していたものが一挙に噴出したのかも知れません。それにしても、短期間でこれだけ人気や評価が一変した人も珍しいですね。

テレビ局も、自民党を支持する読売・産経系列の日テレやフジTVは今回の自民大勝・希望完敗の結果に「ほら見ろ」という気分だろうし、反自民の傾向が強い朝日・毎日系列のテレビ局は「小池都知事が中途半端なことをするから野党が分裂してしまい、結果的に自民を勝たせることになった」という思いでしょう。だから民放各局は、理由は違っていても、どこもかしこも小池さんを痛烈に批判することになったのだと思います。

1年前の都知事選では、自民党という「巨悪」に対して果敢に挑戦する女性というイメージで「ジャンヌ・ダルク」とさえ言われたのに、今回は「排除します」などと言ったことで、いつのまにか小池さんは「権力者」になり、大阪弁で言えば、「えらそうにしてはるわ」というイメージに変わってしまった。

判官びいき、という言葉が日本人に好まれているように、一般の人たちは弱者に対する同情やひいきというものがとても強い。だから小池さんも「弱者」と見られていた時は圧倒的な人気を背負い、逆に「強者」の表情をちらつかせるようになった昨今、とたんに反感を買うようになった、ということなんでしょうね。

また「信念を貫く」という姿勢も人々に好まれますよね。中途半端に希望の党へ行ったりはせず、自分たちの信念に基づき新しく立憲民主党を立ち上げた枝野さんたちは多くの支持を得ました。この人たちに僕は言ってあげたいです。
「信念おめでとうございます」と。(そら「新年」やろが!)

おまけに22日の投開票日は都知事としてパリに出張していた小池さん。昨日のあるニュース番組では「小池さんはいま、おフランスに行ってらっしゃいます」な~んて言ってましたけど。これもマイナスイメージを重ねることになったと思いますが、今日(25日)の午前中に帰国するそうで、当然記者会見もあり、そのあとは希望の党の懇談会があり、そこでどういう話が出るか注目されているところです。今日と明日ぐらいは、またその話題で持ち切りになりそうです。その内容によっては、小池さんがさらに批判にさらされるかも。

安倍さんや東京都議会の自民党議員たちは笑いが止まらないでしょうね。

それがいいことなのか、良くないことなのか、よくわかりませんけど。

まあ、ありきたりな意見ですが、全てはこの国の今後がどうなっていくのか?
ということに集約されると思うので、僕たちもこれからの流れをしっかり見て行きましょう。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大和川が「氾濫危険水位」 

2017年10月23日 | 日常のいろいろなこと

今朝、このブログの右側にある「アクセス状況」の欄を見たら1,000を超えていた。いつもの約3倍である。多くの人に読んでもらえるのは嬉しいのだけど、なんでかなぁ?と思ったりもするわけで。

首をかしげながら本文の下のほうにある「このブログの人気記事」というのを見たら、そこの欄の1位が「大和川『氾濫』の危機!」というタイトルの記事でした。4年前、2013年(平成25年)9月に書いた記事でした。

ふ~む。それでわかったぞ~

たぶん昨日、台風21号の影響で大和川の水位が危険なところまで上がったので、それを検索をした人たちが僕の過去ブログ「大和川『氾濫』の危機!」を見つけて開かれたのかなぁと思うのです。だからアクセス数が多かったのでしょう。

いや~それにしても。
昨日の夜は恐ろしかったですね~

テレビで選挙速報を見ていた時、画面上に「大和川下流・氾濫危険水位」という字幕が流れたうえ、次に「大阪・藤井寺市」と出た時はびっくりしました。

わが家のすぐそばにある大和川が「氾濫危険水位」と出たのですから、そりゃ驚きますよね。ネットで確認したら、やはり「氾濫危険水位」と出ていました。大和川の流域の街はほかにも沢山あるのに、なんで藤井寺市だけが字幕で出てるん?と不思議に思っていると、外からマイクの音で何かが聞えてきた。窓を開け耳を澄ますと、市役所からの放送で、大和川の水位が上がっているので避難準備をしてくださいという勧告でした。放送では〇〇小学校・中学校が避難場所です、という内容も含まれていたので、いちおう心の準備をし、息を潜めて台風情報を見守りました。

深夜の1時ぐらいになると雨も小降りになり、避難勧告の放送も流れてこなかったのでちょっとだけ安心し、取りあえずいつでも起きられる態勢で眠りました。

夜中はゴーっという風の音が鳴り響き、ちょっと怖かったですけど。

朝には雨もやみ、風も夜中よりはマシになっていました。

ニュースでは各地での台風による被害の模様が報じられていました。関西では、大阪・岸和田市の崖崩れや、和歌山の紀ノ川市内の河川の氾濫などが何度も映し出され、見ていてぞ~っとしました。

大和川に関しては、上流(奈良県)の一部で氾濫したと報じられました。

僕らの住んでいるところは、わりに自然災害の少ないところなんですが、すぐ近くに大和川があるので、まさかとは思いますが、それがもし、長時間大雨が降り続けて氾濫するようなことがあったら、これはもう大変なことです。それが、昨夜は何しろ「氾濫危険水位」なんですから、本当に怖かったですね。

僕たちが今の藤井寺市に住むようになってから、もう43年にもなりますが、その間、大和川が氾濫の危機に面したのは2回だけです。1回目は1982(昭和57)年。この時はすぐそばの小さな川が氾濫し、僕たちの家も床上浸水したので避難しました。そして2回目がブログに書いた2013年の9月の大雨の時。それで今回は、3度目ということになります。

もう、生きている間は二度とこんな思いはしたくないです。ほんとに。

 

 

ご参考までに

2013年9月 「大和川『氾濫』の危機!」 

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/401985083370d3e036133af8c28ded8b?fm=entry_awp

 

 

 

 


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修学旅行と「はなまる連絡帳」

2017年10月21日 | 日常のいろいろなこと

昨日の午後5時過ぎ、予定通り、修学旅行のモミィたちを乗せたバスが帰って来ました。「楽しかったぁ。夜はほとんど寝てないねん」な~んて言いながら、モミィは興奮していました。ともあれ全員無事に帰ってきて、よかったです。

それにしても今の学校では、PTAが「はなまる連絡帳」という学校からの連絡掲示板機能と緊急連絡メール機能を持つシステムを導入しており、僕たちもそれに登録しているので、今回の修学旅行でもその便利さを痛感したところです。

まず初日。
モミィが登校した後、朝の8時に最初のメールが入りました。
「おはようございます。今から出発します。行ってきます」
そのメールに始まり、
「スペイン村に到着しました。体調を崩している子もいなく、みんな元気です。小雨が降っていますが思う存分楽しんできます」
「スペイン村を満喫してホテルに着きました。おみやげを買っています」
「いまから楽しみにしていた夕食です。たくさん食べるぞ」
などという報告があり、夕食後は、
「マリンランドに到着しました」
「ホテルに帰ってきてお風呂に入りました。これから就寝準備をして寝ます。おやすみなさい」
というようなメールが入りました。
実にありがたい「修学旅行速報」です。

そして翌日も、
「おはようございます。みんな元気に朝を迎えました。今から朝食です」
から始まって、ホテルを出発して賢島でクルーズを楽しみ、そして「たぬき村」に到着してお昼ご飯を食べ、陶芸体験をし、そこを出発してどこそこのドライブインに到着。そして最後は学校の近くのインターにおりたというメールで「はなまる連絡帳」は終了しました。

数えてみると、2日間で13件のメールが入っていました。(その都度、僕と妻の2つの携帯が同時に鳴るのですから、賑やかなことです<笑>)。

居ながらにしてモミィたちが今どこで何をしているのかがわかるので、興味深いうえに、「みんな元気です」というふうな情報をもらうと安心もします。本当に有り難いことです。便利な世の中になりましたね~

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モミィの修学旅行 ♪

2017年10月19日 | 日常のいろいろなこと

今日から1泊でモミィが修学旅行に出かけています。なので、今夜はモミィがいません。毎晩10時にモミィを塾まで迎えに行っている妻も、今夜はのんびりと、ゆっくり過ごしています。で、モミィたちが行った先は伊勢志摩方面です。

伊勢といえば、僕たちが小学6年生の時の修学旅行も伊勢でした(大阪近辺の小学校はみんなそうだと思います)。伊勢神宮へ行ったり二見浦(ふたみのうら)の夫婦岩を見学したり、あとは旅館で楽しく過ごしたり、という記憶があります。

まあ「お伊勢参り」というのは江戸時代の前からありましたからね。その伝統を綿々と、僕たちは受け継いでいるのだという感じでした。

しかし今回のモミィの修学旅行の行程を見ると、同じ伊勢方面でも、もう僕らの時代とは全然違う内容になっています。それを手元にある行程表に沿って紹介しますと

学校からバスで伊勢志摩へ向かい、まず最初に志摩スペイン村へ行きます。つまり遊園地で遊ぶんですよ。そりゃぁ子どもたちも嬉しいでしょうね~

あらかじめ決められたグループによる行動で、園内は乗り物がフリーパス。昼食も各グループでとるとのこと。各自900円のクーポン券で園内の食堂で好きなものを食べるそうです。

午後3時半にスペイン村を出て、10分後に宿泊ホテルに到着。「開所式」というのがあって、それからホテルのロビーでお買い物タイム。5時半から夕食で、ホテルのバイキング(いいなぁ)。モミィもきっと大喜びしていると思います。

6時半にホテルを出て、志摩マリンランドへ行き、夜の水族館見学。「ペンギンタッチ」「えさやり体験」「水槽体験」などをやるそうです。

そして8時にそこを出て8時半にホテル着。その後入浴と荷物の整理、就寝準備となり、9時45分に「消灯・就寝」となっています。モミィによると、そこからが本当に楽しい時間らしくて、もちろんすぐに寝るなんてしませんよね。僕らの時代は「枕投げ」なんてやっていましたが、モミィは女の子同士で恋バナ、つまり恋の話をするそうです。みんなで好きな男の子の話なんかをするらしい。う~む。いまどきの小学生はもうそんな話をするんですね~

そして翌日。明日ですが、6時半に起床・洗面に続き7時から朝食。これもバイキングです。そのあとホテル周辺の散策。そして部屋の掃除と荷物の整理。8時20分に「閉所式」をして、ホテルを出発します。

その次は賢島港へ行き、賢島エスパーニャクルーズを楽しんだあと、信楽陶苑たぬき村へ到着。そこで昼食をとり、「陶芸体験教室」があります。そして2時半に「たぬき村」を出発して、午後5時過ぎに学校近くの場所に帰ってくる、ということで旅は完了です。

保護者には、その場所まで迎えに来てください、と書かれていました。

というような行程ですが、僕たちの修学旅行とは、行く方面は同じでも、旅行の中身は全く違っていますよね。まあ時代もずいぶん変わっていますからね。でも、伊勢への修学旅行といえば、伊勢神宮と夫婦岩、という印象をぬぐい切れないので、この行程表を見て、ちょっとびっくりした次第です。

さて、きょうはあいにくの雨天でしたが、学校側から数回、保護者あてのメールが届き、一番最後のメールでは、スペイン村でみんな楽しく過ごし無事にホテルに着きました、という報告を受けました。

今頃(午後8時)はまだ水族館にいると思いますが、モミィの楽しそうな顔が浮かんできます。この旅行を、ずいぶん前から楽しみにしていましたからね~

このあとホテルに帰って、入浴や荷物整理のあと、布団に転がりながら、同じ部屋の友だちとまた「恋バナ」に花を咲かせるのでしょう。

そして明日も、いっぱい楽しんでおいでや~

明日の夕方、みんなが無事に帰ってくるのを心待ちにしています。

 

 

  

僕らの頃は修学旅行のシンボルだった伊勢の二見浦の夫婦岩。
でも、今はここには立ち寄らない。

昭和は遠く、なりにけり~~~ですわ。


 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒飲めば国が栄える!

2017年10月16日 | ズレズレ草

今は衆議院の選挙運動期間の真っ最中ですね。日本各地で各党の立候補者が、連日熱のこもった演説をしている光景が報じられているところです。当初注目を浴びた希望の党が、政策の曖昧さや小池さん自身の不出馬などで勢いを失い、自民党の支持率が上がるという風向きのようですが、22日の投開票の結果、どうなるのか興味津々というところです。

ところで、それに関する今日の夕方のニュースで、自由民主党のことを、誰かが冗談で、

自由飲酒党

と言ったので、笑ってしまいました。

そこで僕は考えたのですが…

自由飲酒党を略して自飲党。つまり、これはですね、え~っと、自分一人で酒を飲むのが好きな人たちが支持する政党です。

次に、立憲民主党は立憲飲酒党となりますね。略して立飲党。これは主に立ち飲みが好きな人たちが支持する政党です。

そして、社会民主党は社会飲酒党となり、略して社飲党。これは会社の仲間同士がワイワイ騒ぎながら宴会をするのが好きな人たちが支持する政党です。

それぞれの党はいずれも飲酒を国策として奨励し、「酒を飲め飲め」をスローガンに日本国を活気づけることを公約にするのです。あはは


さて、かつてはこういう党もありましたね。これはその党本部の写真です。


  
 


あるわけ、ないでしょ!
 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1週間 ぐうたら日記

2017年10月15日 | 日常のいろいろなこと

この1週間の出来事を、ダラダラとしるします。

☆月曜日(9日)
「体育の日」でモミィは休み。「どこかへ行こ~!」と催促される。そして、必ず何かが欲しいから、というセリフがそのあとに続く。その「何か」というのは、たいてい本か文房具か参考書とか、時には洋服とか靴とか、そういうものだ。それで、阿倍野へ出て、まず食事をする。この日はモミィの希望で「サイゼリア」へ。僕は和食がいいんだけれど、この「サイゼリア」にはワイン500ml入りの「デカンタ」があるので、まあ悪くはない(笑)。人気メニューのピリ辛チキンやムール貝のガーリック焼きなどをつまんで、冷えたワインをいただき、ほっと一息つく。そのあと2人はショッピング。書店も小中学生専門の書店などがあって、そこでモミィが参考書などを見に行くので、僕は2人と分かれて自由行動。この日は一足先に帰途につき、アベノから少しウォーキングをして、途中から電車に乗って帰宅した。「ああ疲れた」と言いながら、夜またビール。

☆火曜日(10日)
今日は妻の姉と梅田で待ち合わせて、ランチバイキングへ行く日だった。しかし、駅へ行くと、いつもは人の少ない改札口が大混雑している。何ごとかと思いながらホームへ降りて、止まっていた電車に乗った。すると車内放送で「針中野駅構内で人身事故がありましたので、阿部野橋までの運転を見合わせております」とのこと。時計を見たら9時20分だった。じ~っと席に座ったまま約1時間。10時15分にやっと電車は発車した。おかげで義姉との待ち合わせも1時間遅れ。長い人生で、こんなことは初めてだった。
ランチバイキングは、梅田の「馳走三昧というところ。カニが人気なんだけど、身を取って食べるのが僕は下手なのでねぇ。義姉は月に一度くらい梅田にあるいくつかのランチバイキングに誘ってくれるのだが、この店は特に種類も豊富だし、いくらでも食べてしまう。おまけにビール飲み放題を注文。昨日に引き続き、昼も夜も飲んでしまった。飲み過ぎやでぇ!

☆水曜日(11日)
一昨日、昨日と、昼も夜もたくさん飲んだせいか、今日は朝から体がだるい。昨日、スポーツクラブを休んでいるので今日は行きたかったけれど、その元気はなく、1日中家でゴロゴロしていた。ま、洗濯や料理だけは何とかしたけれど。特に最近はモミィが学校から帰ってすぐに塾へ行き、夜10時ごろまで帰ってこないので、夕飯として弁当を持たせていくので、午後に弁当作りをしなければならない。僕が何種類かの材料を作り、あとは妻がそれぞれを適当な大きさに切り、保温のお弁当箱(ランチジャー)に体裁よく詰め込み、ご飯とスープを入れる。2人がかりの弁当作りだ。夜は缶ビール(ロング缶)を2本。不思議なことに、飲んでいる最中は体がシャキッとする。ホントはシャキッとしているのではなく、マヒしているだけなんだけどね。

☆木曜日(12日
そろそろスポーツクラブへ行きたくなったが、木曜日は休館日。幸い曇り空で歩きやすい気温だったので、ウォーキングをすることに。途中、散髪へ行き、そのあとauに寄る。スマホの調子が悪かったので行ったのだが、店の人は「ちょっと見せていただけますか?」と僕のスマホを手に取り、一瞬どこかに手を触れたとたんに正常に戻った。何だか魔法を見せられたみたいだったけど、説明を聞いてもわからないので、「ありがと~ございやした」と店を出て、再びウオーキングを続けた。11時半ごろ、おなかが減って来た。もう少し行くと「くら寿司」がある。で、スマホを取り出して家に電話。出てきた妻に、これから「くら寿司」へ行かない?と誘うと、「わかった」と言う返事だったが、どこか気乗りのしない返事のように聞こえた。先に店に入ってビールを飲んでいると、妻が店に入って来た。聞けば僕が電話した時は「コーヒー飲んでケーキを食べていたところで、お腹がすいていなかったの」とのこと。タイミングが悪かったんだ。それでもまあ妻はせっせと食べてました(笑)。しかし僕はまたもや昼にビールを飲んでしまった。そして、もちろん夜も飲んだ。これはもう、アルコール依存症だ。

☆金曜日(13日)
今週になって初めてスポーツクラブへ行った。しかし、やっぱり体がだるい。金曜日は10時半からヨガ教室があり、待ってくれているおばさん方の「お友だち」もいるんだけど、何となく気が向かず、家を出たのは11時頃。先に風呂に入ってリラックス。そのあとジムでストレッチで体をほぐし、軽い筋トレをしただけで、帰って来た。

☆土曜日(14日)
ほぼ毎日の日課として、夕食後、妻と近所を約1時間歩いているのだが、昨日の夜、ウォークから帰宅してしばらくしたら心房細動の発作が出て、心拍が乱れ始めた。それが午後8時頃だった。そのあと、収まらないまま薬を飲んで寝たけれど、この日の朝になってもまだ収まらなかった。それどころかこの日は一日中心拍が乱れたまま。ゆっくり動いているとまだマシだが、階段を上がったりするとゼイゼイと息が切れそうに苦しい。今日は妻とモミィが近くの私立中学での受験説明会へ出かけたが、僕はずっと家で横になってボンヤリとテレビで録画していた映画などを見て過ごした。「心房細動はいくら続いても24時間以内に必ず収まります」と、以前に医師に言われたことがあるが、すでに昨日の夜からおよそ24時間経ったがまだ収まらなかった。しんどいので7時過ぎにベッドに行って横になり、そのまま眠りに入った。夜中に目が覚めた時、何とか収まっているようだった。

☆日曜日(15日)
そして今朝、3時半頃に起きて調子を見てみたら、やっと正常な心拍に戻っていた。やれやれである。今は午前7時半過ぎだけど、こうして比較的長いブログも書けた。
ということで、今日また日曜日がやって来た。昨日は一日中つらい思いをしたので、今日は常以上にさわやかに感じる朝だ。ところで。今日は、長男が梅田のオリンピアというバイキングに連れて行ってくれるらしい。もうすぐモミィの誕生日なので、僕たちも入れて4人でお祝いを兼ねたランチバイキングをやろう、ということのようだ。あぁ今週2度目のランチバイキング。そして4度目の外食。これが昨日だったら、僕は到底行けていなかった。でも今日はまた体調が戻っているので、これは行かなければならない。う~む。またまた「ビール飲み放題」を注文しそうだ。

ビールだけはねぇ。
命と引き換えだぞ~って言われても、飲んでしまいそう!

懲りない人間ですよね、僕は。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シンモエダケで思い出すこと

2017年10月13日 | 思い出すこと

いつも言いますが、このブログは話がバラバラです(笑)。

で、きょうは競馬の話です。これまで10年間綴って来たこのブログに競馬の話はほとんど書いていませんが、実は僕は若いころ、競馬に凝っていた一時期がありました。今日は改めてその時の話をします。

これは、僕が就職をして間もない頃のことです。

同じ課の先輩に競馬好きの人がいて、週末になれば競馬場へ行ってました。

「おい、競馬はおもろいで~。お前も馬券買うたろか」と言われて、僕はスポーツ新聞の予想などを見ながらその人に馬券を頼んでいました。まあ、頼んだのは大きなレースだけでしたけど。

そんな頃具体的には1972(昭和47)年頃の話ですが

その1972年の競馬界は、前代未聞のアクシデントに襲われた年でした。競走馬の間に「馬インフルエンザ」が流行し、クラッシックレースの桜花賞や皐月賞、日本ダービーなどがそのために日程が大幅に延期されたのです。

普通なら4月初旬に行われる桜花賞は5月21日に延期して開催されました。その桜花賞の話をこれからするわけですが、ついでに言うと、いつもは5月に行われる日本ダービーも、この年は7月に行われ、世間では「七夕ダービー」などと言われたものです。

さてその桜花賞ですが、僕はかなり馬券を当てる自信がありました。優勝するのはこの馬、という超人気実力馬がいたのです。僕はその馬を中心に、あと3頭ほどの馬を選んで「枠連」で馬券を先輩に頼みました。オッズは低かったですが、堅実にいかなければね~。しかし、実を言うと、それ以外にちょっとだけ気にかかっていた馬券があったのです。それは

このレースの少し前の4月27日に、長男が誕生しました。22歳で結婚をし、23歳の時に出来た男の子でした。その長男が生まれてから、最初に馬券を買ったのがこの桜花賞だったのです。

で、単なる数字合わせですが、長男が生まれたのが27日だから、これにちなみ、この桜花賞も「2-7」を1枚でも買ったらどうか?と思ったのです。でも出走馬の表を見ると、2枠と7枠の馬はどう見ても入りそうにない馬でした。そんなことで、僕は本命馬から流しただけという、まあ、堅実な馬券を買ったのです。

それが、結果はどうなったか?

驚くべき番狂わせが起きました。

アチーブスターという単勝8番人気の馬が優勝し、さらに2着にはハジメローズという13番人気の馬が食い込んだのです。あっと驚く結果でした。勝ったアチーブスターに騎乗していたのは、武豊の父である武邦彦騎手でした。僕が買った本命馬は7着と惨敗しました。

それで驚いたのですが、なんとまあ、馬券をみてもっと驚きました。

2-7と入ったのです。

2-7は19番人気で、払戻金としては当時としては破格の9,000円でした。もうちょっとで「万馬券」ですよね。

「ありゃりゃりゃ~!」
と、僕はこのとき、どれだけ地団太を踏んだことでしょうか。
やっぱり2-7だったんだ。買っておけばよかったぁ~

「2ー7も考えていたんやけどなぁ~」
と周辺の人たちに言ってまわったものでした。
「そんなん、後からやったらなんぼでも言えるやん」
と、周囲の目は、冷ややかでした(そらそうですわね)。

というようなことが、むかし、ありました。

そんな古いことを、なぜ今ごろ思い出したのか?

これにはわけがあります。

さきほどの桜花賞で、「優勝するのはこの馬、という人気馬がいたのです」と書き、僕もこの馬の優勝を疑わず、この馬を中心に馬券を買いました。強い強い牝馬で、この時の桜花賞でも断然一番人気でした。その馬は、
「シンモエダケ」
という名前の馬だったのです。

シンモエダケと言えば
あの新燃岳と同じ名ですよね。

ご存知のように、新燃岳は鹿児島と宮崎の県境にある霧島連山にある火山で、11日から噴火が続き、連日新聞・テレビなどで報じられていました

僕は今回のニュースで「シンモエダケ」という言葉が出たので、思わず当時の競馬の馬の名前を思い出したのです。あのレース。断然1番人気で僕も買っていたのに、着外に沈んでしまったシンモエダケ。

そして、そのレースの結果が2-7で、長男の誕生日と一緒だったことの思い出が、いまだに生々しく頭に残っているので、この名前は特に忘れられない名前だったのです。

何だか不謹慎な話だったかも知れませんが、忘れられない思い出なので、書きました。

なお、新燃岳は今日(13日)になって噴火が止まったと言われています。今のところ大きな被害は出ていないようですが、二次噴火の可能性もあるそうで、まだ安心はできないとのことです。

まあ、そんなこともあって、長男が生まれた頃のことはよく覚えているのですが、その長男の子がいま小学校6年生のモミィですからねぇ。月日の経つのは、おそろしく早いです。

 

 

 

~ 1972(昭和47)年桜花賞 ~

シンモエダケは7着でした。

http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/ouka/result/ouka1972.html

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「わろてんか」と「おはなはん」

2017年10月11日 | 映画の話やTVの話など

NHKの朝ドラ「わろてんか」が今月から始まりました。朝ドラはあまり見ないのですが、吉本興業創業者である吉本せいをモデルにした物語だというので見ています。子どもの頃は吉本の大ファンで、中学生の時には親に内緒で一人で梅田花月まで行ったりした僕としては、やはり見なければならないだろうと思って。

吉本せいはドラマでは「藤岡てん」という名前で出ています。この「てん」というのと「わろてんか」の「てん」をひっかけてあるんでしょうね。

そこで第一回を見て驚いた。主人公のてんの子どもの時代から始まるのだが、その子役が、なんと大河ドラマ「おんな城主・直虎」で、直虎の少女時代である「おとわ」に出ていた女の子だった。  新井美羽(あらいみう) という子だ。

 


     

とても表情が豊かで可愛くて、おっとりしているようで愛嬌もあるという魅力に満ちた子役だった。「直虎」で、この子が成長して柴崎コウになったときは、少し寂しい思いをしたものだった。

で、「わろてんか」を何の予備知識もなく見始めたらその子が出てきたのでびっくり。やはり可愛いだけじゃなく、演技力の評価も高いのでしょうね~。大河と朝ドラに立て続けに出てくるんだから。年齢は11歳。小学5年生でモミィより1歳年下です。

  
   

先週に放映された第1回から第6回までは新井美羽ちゃんが出ていましたが、その第6回の途中から、てんが成長して、本来の主役である葵わかなちゃんが登場しました。子役はすぐに姿を消してしまうのでちょっと残念ですね~

ところで、後にてんの夫となる北村藤吉を松坂桃李が演じています。藤吉とてんが屋根の上に座って楽しく語らい合うシーンがあり、てんは藤吉に恋心を抱くというわけですが、てんは子役の美羽ちゃんなのに、相手の藤吉は大人の松坂桃李というのがちょっと不つり合いでしたが、まあいいか、そんなこと。 

僕自身、最近は心の底から笑うということが少なくなってきた感じがするので、この「わろてんか」を合言葉に、生活の中になるべく笑いを増やしたいものだと自分に言い聞かせたりしています。 

ともあれ、このドラマ、最後まで見続けたいと思います。

冒頭に朝ドラはあまり見ないと書きましたが、考えてみれば、過去のNHKの朝ドラを一番熱心に見たのは大昔に放送された「おはなはん」だけでしたもんね。

「おはなはん」
知ってました?
1966年4月から1年間放送されたドラマで、軍人の夫と死別した主人公のはなが、持ち前の明るさで明治・大正・昭和を生き抜いていく物語。放送当時は一世を風靡した大人気のドラマでした。

その後、1970年代に四国へ自転車旅行に行った時、「おはなはん」の舞台となった愛媛県の大洲市へ寄ったことがあります。最後に、その時の写真を載せます。

「わろてんか」と何の関係もないがな~と、わろうてください。

 

 
 大洲市に入ったところ。1978(昭和53)年の夏でした。

 
 
 おはなはんのゆかりの地、大洲の街並み。
 左側、自転車が置いてあるところに立て札が。

 


  
「明治18年4月2日伊予大洲の街に元気な女の子が生まれた。折から満開の花にちなんでこの子ははなと名付けられた」という文ではじまり、「はなは幼少の頃、このあたりで生活を送った」と書かれていました。 


 
 はなを演じた樫山文枝さん。これで一躍大スターに。
 新井美羽ちゃんも将来の大スターになることを祈ってます。

 

 

 

 

 

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上手な相づちは 「さしすせそ」

2017年10月08日 | ズレズレ草

ちょっとした立ち話など人との簡単な会話では、その人の話にできるだけ適切な相づちを打ってあげることが好ましいですよね。まあ相手の話を全部ちゃ~んと聞いていなかったとしても(笑)、相づちさえ打ってあげたら相手の人も嬉しいでしょうし雰囲気は悪くありません。やはりちょっとした会話というのは、話の内容もありますが、雰囲気が何より大事ですものね。

で、その相づちのコツとして、
「さしすせそ相づち」
というのがあるそうです。

これは主に女性向きだそうですが、どんなものかというと

相手が話していることに対して、「さ・し・す・せ・そ」から始まる相づちを打っていたら間違いないというもので、

さ → さすが~
し → 知らなかった~
す → すご~い
せ → センスある~
そ → そうなんだ

というわけ。
つまりどんな話でも相づちはこの5つで大丈夫、ということだそうです。これらの相づちを適当に選んで使いこなせば楽しく会話が弾んでいくということなのでしょうね~

ただし、これも良くない話題の時にはNGです。
「昨日うちの旦那が倒れて、救急車で運ばれたの」
なんていう話に、
「さすが~」
ではねぇ。
なぐり倒されますよ。

ところで「さしすせそ」といえば、僕らが若い頃「いい奥さん」の代名詞として、「さしすせそ奥様」というのがよく言われたものです。

さ → 裁縫
し → 仕付け
す → 炊事
せ → 洗濯
そ → 掃除

これらがきちんと上手に出来るのがいい奥様ということでした。

でも今は違います。そんなこと言ってたら女性差別!なんて言われちゃう。僕もやってますが、今は男も家事をすることが普通になりつつあります。

で、こんな川柳もありましたっけ。

     ↓

わが家では 炊事洗濯 家事おやじ


ということで、以上、3連休の真ん中にふさわしい話題でした。
(どこがふさわしいねん!)

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事と私 どっちが大事なの?

2017年10月07日 | 読書

2週間前の土曜日。
モミィがエレクトーン教室でレッスンを受けている間、同じ館内にある図書館で本棚を眺めていたら、面白いタイトルの本が目に入りました。
長いタイトルですけど、

「仕事と私どっちが大事なのって言ってくれる彼女も仕事もない」

僕はゲラッと笑ってその本を手に取りました。著者は「処之助」という一般の男性です。そしてサブタイトルが「わが妄想のツィッター録」とあります。つまり小説やエッセイではなく、これまでのツィッターでのつぶやきを1冊の本にしたもののようで、処之助さんによると「2010年頃からつぶやきはじめ、その内容がネット上で面白すぎると話題になったけれど、その内容が会社にばれてクビになって現在は無職」ということなのだそうです。 


     

 

表紙に描かれている猫は、処之助さんが可愛がっている猫で、名前は「のぼる」といいます。僕と同じ名前ですわ(笑)。

本の中身は短い文章がず~っと続くのですが、思わず笑ってしまう部分も多くあり、新書版の大きさで260ページほどあったので、立ち読みだけでは物足りなくなり、家でゆっくり読もうと、この本を借りました。

文面は、同じような内容が並んでいて、真面目に読んでいると疲れる部分もありますが、笑えるところも多くありました。

ここにいくつか紹介しますと、

☆おれのこと観察してる宇宙人を混乱させるためにこんな生き方してる。
☆おれが手に職を持たないのは、この手で君を抱きしめるためなんだよ。
☆冤罪がこわくて痴漢できない。
☆働きたくないんじゃない、苦労したくないだけなんだ。
☆他人の足を引っ張ってるときが一番輝いてる自信あるから、おれが他人の足を引っ張ってるとこ女の子に見てほしい。
☆高所恐怖症だから阪神が順位の一番上にいるのがこわい(彼は阪神ファン)
☆安倍首相! 徳政令発動して阪神の借金チャラにしてくれ。
☆(年末に)みんなもう仕事納めした? おれは5年前にしたで!
☆小人になって(卓球の)伊藤美誠ちゃんのおでこから滑り落ちて死にたい。
☆石川佳純ちゃん最高! 卓球台に穴あけてそこから顔だけ出して石川佳純ちゃんのスマッシュ小一時間ほど浴び続けたいくらい最高!
☆何かを始めるのに遅すぎるなんてないから、まだ始めなくていいよね

というような短い文章が延々と続きます。
ここにはあまり取り上げませんでしたが、女性に対するストーカー的妄想というのが結構多く、そのへんは共感しづらかったですが、とにかくダメ男ぶりをまき散らすつぶやき集としては、まあまあ面白かったです。特にタイトルに笑いましたもんね。

ツィッターというのは身の回りにあったことや思いつきを短く載せればいいというので何となく楽な気もします。僕はブログを書くときは、これでもいちおう起承転結を考えます。(考えるだけでちゃんと反映されてませんけど。ぐすん)

その点、ツィッターとかフェイスブックなんかは短文ですからね。ところがまた、それがむずかしいといえばむずかしい。文章は短ければ短いほどむずかしいという側面もあるわけで

思うに、ツィッターもブログも、文脈より発想が大事なんでしょうね。

で、自分のブログを振り返ってみると、なんだか発想に乏しいなぁ。

発想力の訓練としてツィッターをやってみようか、と思ったりもしますが、肝心のそのやり方を僕は知りません。今、よく言われているインスタグラムというのも、何のことやらさっぱり。

しかし一念発起してツィッターをやるぞ~と仮定して、その場合のタイトルを考えてみました。面白いタイトルでなければね。

発想力に乏しい僕だから、なかなか思い浮かびません。

そうだ、処之助さんのタイトルを真似してみよう。

大昔に「お座敷小唄」という歌がヒットしましたよね。
「♪ 富士の高嶺に降る雪も京都先斗町に降る雪も~」
というあの歌ですが、あの中にこんな歌詞がありました。

♪ お金も着物もいらないわ~あなた一人が欲しいのよ~

これをもじって、
「お金も着物もほしいけど あなた一人がいらないの」
というツィッターのタイトル。どうでしょうか?

あきませんか?
う~む。 
やっぱりね。
僕にはツィッターは無理ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが家の “放置自転車”

2017年10月05日 | 日常のいろいろなこと

子どもと大人の違いは何か?
それは、
子どもは背が伸びてだんだん大きくなっていくが、
大人はそれ以上背は伸びず、大きくならない。
ということです。あはは。
(なんじゃそれは?)

さて、
生まれた赤ちゃんが幼児になり、小学生から中学生になり、高校生になりという成長に伴って、衣類や遊び道具などの身の回りのものがどんどん変化していきます。特に衣類ですね。子どもはまたたく間に大きくなっていくので、さほど着ていないものでもすぐに着られなくなる。そしてその度に新しいものを買わなければなりません。同性のきょうだいでもいればせめて下の子に着せたりもできますが、いなければそのまま処分せざるを得ない。何だかもったいないですよね~

僕なんか30年前のトレーニングウェアをいまだに着ていますけどね(笑)。

ただし、年々太ってきて数年前の服が合わない…という方もいらっしゃるかも知れません。これも、もったいないですよね~。経済的にみても、出来るだけ体型は維持しましょう(笑)

服以外のものでは、わが家の場合はモミィが過去に乗ってきた小さな自転車がそのままガレージに放置されていました。2台あるのですが、ひとつは幼稚園の頃から少しの間乗っていた自転車で、乗らなくなってから数年間、そのままでした。誰かに引き取ってもらおうと思いながらも何となくそのまま、という感じだったのですが、先週、スポーツクラブのプールでよく一緒になる女性との会話の中で、ふと自転車のことがひらめきました。

というのも、その女性の方と以前からプールで休憩している時に交わす会話で、僕がモミィの話をする度に、
「いいですねぇ。私も孫がほしいのに、娘がなかなか結婚しないから」
と言っていたのですが、何年か前に娘さんも結婚されて赤ちゃんも産まれたと聞きました。で、先日のその女性のお孫さんの話となったとき、ふと自転車のことを思い出したわけです。

「お孫さんは何歳でしたっけ」と僕。
「2歳になりました」とその女性。
「たしか女の子でしたよね」
「えぇ、そうです」

そこで、まだ早いのですが、数年後には自転車に乗るようになるだろうから、
「うちのモミィが乗っていた小さな自転車があるんですけど、少ししか乗っていないので捨てるものもったいないし、どうしようかと思っていたところなんです。よかったら、もらってくれません?」
とその女性に言うと、
「えっ? いいんですか?」
と喜んでもらえたので、
「ええ、ぜひ」
と、僕もよかったぁ、と思いました。

そして先週の金曜日、女性はご主人と車で来られ、自転車を引き取って行ってくれました。

僕も妻も、
「あ~やれやれ。これでひとつ片付いたね~」
と、何となくホッとした気分でした。

いろいろと、片づけなければならないものが多いですからね。

 

 
これがその引き取ってもらった自転車です。
取り扱い説明書や保証書もついたままです。
2011年の10月に購入、とありました。
もう6年も前になるんですよね。

 

 
その次に乗った自転車。これも放置したまま。
モミィが小学3~5年生の頃に乗っていました。
で、最近、妻が、ヤクルトを配達してくれている女性に、
「もらい手」がいないかどうかを聞いているところだそうです。

 

 
これは今モミィが乗っているものです。
サドルやハンドルの位置を上げたら僕にも乗れますので、
モミィが次の自転車に換えてもそのまま使えそうですね~
つまりモミィの「お下がり」を僕がもらうわけです。
えっ?
サドルやハンドルの位置を上げなくても乗れるやろって?
う~む。バレたか! ほんまは、もう何度か乗っています。

 

 

 


 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラスベガスで銃乱射事件

2017年10月03日 | ニュース・時事

昨日の午後のニュース速報に、あっと驚きました。

ラスベガスで一人の男が銃を乱射して50人以上が死亡(負傷者は500人以上)という、銃でのアメリカ史上最多の死者数を出したことが報じられたのです。ラスベガスでそんな凄惨な事件が起きるとは、僕にはまったく信じられないことだったのです。

ラスベガスにはこれまで2回行っていますが、最初は2004年に行き、カジノはほんのお遊びの程度で、主に妻と2人で街歩きやホテル巡り、ショーなどを楽しみました。街全体が巨大なテーマパークみたいになっており、エッフェル塔や凱旋門、自由の女神からピラミッド、その他いろんな有名な建造物があり、居ながらにして“世界旅行”が楽しめます。またホテル・ミラージュの火山噴火ショー、ベラッジオの噴水ショー、トレジャーアイランドの海賊船の戦いなどの屋外無料ショーとか、ホテルの舞台での華麗なショーなども見逃せません。そして、どのホテルのレストランもほとんどバイキング形式なので、いちいちややこしい注文もしなくても、好きなものが食べられて、それも大いに気に入りました。

それと、ラスベガスはとても治安が良く、海外旅行で経験しがちな薄気味悪い体験というのがまったくなかったのもこの地の好印象につながっていました。ここの道路は車ばかりで、歩いている人はほとんどいないのですが、僕たちはあちらこちらと、この街の表通りも裏通りも、テクテク歩きました。風俗系のビラが歩道に散乱したりしていたことはありましたが、怖い思いというものは、まったくしなかったです。

あまりに楽しかったので、2年後に再びラスベガスへ行きました。

ラスベガスは「ギャンブルの街」というイメージが強いですが、前述したようにホテルの中にあるカジノは、その光景を眺めているだけでもウキウキする雰囲気を持っています。それで、勝ち負けにのめり込み過ぎず、軽い遊び感覚でやったら、これがまたメチャ楽しいわけですよね。

そんな、楽しくてエキサイティングで治安の良かったはずの街で、米国史上最悪の銃乱射事件が起きるとは、本当に信じられないことでした。

報道によると、犯人の男はマンダレイ・ベイというホテルの一室に数日間滞在。その32階の部屋から、約400メートル離れたカントリーミュージックの野外コンサート会場に向けて、何丁もの自動小銃を撃ちまくったという。会場には2万数千人の聴衆が集まっていたとのこと。今朝の情報番組で、その時の動画が流れていましたが、大混乱の中で逃げ惑う人々は、どれだけ恐ろしかったでしょう。

ホテル・マンダレイ・ベイは、ラスベガスの街を貫く目抜き通り(ストリップ)の南端にあるホテルで、ひときわ目立つ大きなホテルです。僕たちは、最初の旅行の時はストリップの一番北端にあるストラトスフィアというホテルに泊まり、2度目の旅行の時はかなり南寄りのモンテカルロというホテルに泊まりました。このモンテカルロから少し南へ行ったところにマンダレイ・ベイがありました。ホテルの前を歩いただけでしたが、実に巨大なホテルで、そのホテルの32階から400メートル先の人々を乱射するとは、まさに狂気の沙汰です。

かつて「ビバ・ラスベガス(ラスベガス万歳)」という映画に主演して主題歌も歌ったエルビス・プレスリーも、あの世で泣いているに違いありません。

「ラスベガスは何となく怖い、というイメージを持つ人もいますが、行ってみればそうでないことがよくわかりますよ」

と、僕はこれまで、人にそう言ってラスベガスの安全なことを強調してきましたが、よもやこんなことが起きるとは。外国に安全な国などありはしない、ということを、今回、改めて痛感させられた思いです。

アメリカには3億丁を超える銃が出回っているということです。

やはり銃社会というのは、こわいです。

 

 

 

 

 

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする