僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

映画「ツーリスト」のアンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップ

2016年09月29日 | 映画の話やTVの話など

今月中旬にTVで放映された映画
「ツーリスト」の録画を数日前に見た。
アンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップが主演で、
2010年に公開された映画だそうである。

  

 

うちのモミィは、ジョニー・デップの
「パイレーツ・オブ・カリビアン」のシリーズが大好きで、
TVでもよく放映されるので、録画しておくと、
休みの日などに、真剣な顔でじ~っと見ている。

元々「チャーリーとチョコレート工場」という映画で、
モミィは、ジョニー・デップのファンになった。


そのジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーの共演で、
妻は「この映画、一度見たことがある」と言っていたので、
以前もテレビで放映されたようだけど、僕は知らない。

もっとも、最近は、以前に見た映画もすっかり忘れてしまって、
見たことがあるのやら、ないのやら…よくわからないのだ(笑)

かつては「我輩は映画通である」と自慢していたのに、
このごろは、これまで見た映画も、題名を忘れたり、
演じた俳優の名前が出てこなかったり、
物語自体を忘れたり…という始末です。


さてその「ツーリスト」は、サスペンス映画である。

映画の宣伝文句は…

傷心を癒すために、イタリアのヴェネチア旅行に来たアメリカ人のフランク(ジョニー・デップ)が、旅路で謎の上流階級の美女のエリーズ(アンジェリーナ・ジョリー)と知り合うことで巨大な計画に巻き込まれてゆく。

…というものである。

こういう映画は、見ながら、少しでもボンヤリすると、
ストーリーの細かな展開が、よくわからなくなる。

この映画も、冒頭で謎の美女エリーズが、
パリのカフェで手紙を受け取るところから始まる。
(渡したのは手紙を書いた人物ではなく、ウェイター)

それを遠くから監視する男たちがいる。
エリーズが見張られているのか…?と言えば、そうじゃなく、
男たちは、エリーズが受け取った手紙の主を追っているのだ。
手紙の主がエリーズの恋人なのかどうかも、まだわからない。

エリーズは手紙を見て、列車でヴェネチアに向かう。
その列車の中で、フランクと出会い、同席する…
…というところから、物語は本格的に進行してゆく。

パリのカフェでエリーズを見張っていたのはロンドン警察だった。
エリーズへの手紙の男(この時点では誰かわからない)は、
マフィアから大金を盗み、さらに7億ポンドを脱税した。
ロンドン警察は、脱税犯としてその男を追っていたのだった。

一方で、その男に大金を盗まれたマフィア一味がいる。
彼らもその男から金を奪い返すため、エリーズを尾行する。

ぼんやりと映画を見ていると、ロンドン警察と、
マフィアの一味の男たちの顔がよく似ているので、
どれが警察でどれがマフィアだか…わかりにくいし、
エリーズと、追われている男とはどんな関係なのか?
まるで見当がつかず、首をかしげながら見始めるのだ。


…とまあ、これが映画の「起承転結」の「起」の部分である。
そこから「承」へ入ってくると、さまざまな伏線が張られ、
アンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップの会話を、
注意深く聞いていると、何となくストーリーが見えてくる。

しかし、重要な会話部分を軽く聞き流したりしていると、
「転」から「結」に差し掛かるとき、まるで意味が分らない。

映画はイタリアのヴェネチアが舞台なので、
海や運河など、いかにも水の都らしい景色が満喫できる。
僕はイタリアには、フィレンツェ、ローマ、ナポリに行ったが、
ヴェネチアには行ったことがないので、つい景色に気を取られる。
そこでの主人公たちや敵方たちの会話を、つい軽く聞いてしまう。

映画を見終え、一応結末がわかる。
で、各シーンを思い浮かべてみるのだが、
どうしてもわからない点が、いくつか出てくる。

この映画には、特にそういう要素が多かったので、
翌日、もう一度、最初から映画を見直した。

すると、当然、登場人物は最初から素性がわかるし、
会話も、十分意味が理解できるので、とても面白い。
いろんな人物のちょっとした言葉や動作にも、
あぁ、これがアレにつながるのか…と心の中で頷いたり。

結局、この映画は二度目のほうが余計に楽しめました。


この映画の一番の見どころは、
運河を背景にしたアクションシーンもよかったけれど、
J・デップとA・ジョリーの会話のシーンも楽しめた。
違う役者なら、このストーリーでは駄作になっただろう。

なにせハリウッドの男女の大スターの競演である。
ふたりの表情を見ているだけでもゾクゾクしてくる。


「ふたりはいいコンビやねぇ…」
映画を2度見たあと、僕は妻にこう言った。
「ジョリーとデップは、お互い好き同士になるのでは」

この映画の2人を見ていたら、ほんとに実生活でも、
互いに惹かれ合ったりするのでは…と思わせるほどだった。

2人ともこの映画の撮影当時から家庭もあり子供もいたが、
つい、映画の共演がきっかけで恋におちる…みたいなね~


な~んてことを言っていた数日後のことである。
厳密に言えば昨日の水曜日の朝のことだけれど…

TBSテレビ朝8時からの情報番組「ビビット」の冒頭でいきなり、

英紙「ザ・サン」が、ブラッド・ピットとの離婚問題に揺れるアンジェリーナ・ジョリーがジョニー・デップとの不倫疑惑を報じた…

…というゴシップ情報が流されたのである。

これには腰が抜けるほどビックリしました。

英紙の記事によると、

アンジェリーナ・ジョリーは破綻した結婚生活についてジョニー・デップに相談していた

…というようなことが書かれていたそうだけど、

2人の出逢いは映画「ツーリスト」で共演したことがきっかけ…

…とも書かれていた…ということでした。
まぁ、なんだか、絶妙のタイミングで…。

テレビから流れる話を聞き、
うむ、そ~か、やっぱりなぁ… 
…と深くうなずいた僕だったのです。

 

 

 

 

 

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わが街出身力士 花ノ国の秘話

2016年09月27日 | スポーツの話題

引き続き相撲の話題ですけど…。

豪栄道が千秋楽も勝って、驚きの全勝優勝を成し遂げた。
本人も「まさか全勝とは」と口にするほどのアン・ビリーバブル!
人間、コツコツとやっていれば、いつかこういう時が来るのかな?

優勝の瞬間、地元大阪府・寝屋川市の様子がテレビに映っていた。
寝屋川市役所では、ファンや後援会の人たちが狂喜乱舞していた。
僕自身も何度も歩いたことのある京阪寝屋川駅前の商店街では、
アーケードに豪栄道の大きな写真が飾られ、
「優勝セール・500円均一」などの店もあった。

来場所、プレッシャーがかかりそうで、少し心配だが、
なんとか平常心を保って今場所みたいな相撲を続けてほしい。

今日は、それで思い出したんだけど、
僕が住む藤井寺市の出身力士の話です。

花ノ国という関取。ご存知の方は少ないと思いますが。

三役にはなれなかったが、幕内の常連として活躍した。
先日亡くなった千代の富士の全盛時代と同時期だった。
(1980年代から90年代にかけての頃です)

力士が土俵に上がるとき、館内放送で、
「花ノ国。大阪府藤井寺市出身・放駒部屋」
というのが聞こえるたびに、うれしく思った。

この花ノ国が、あることで有名になった。

当時、大相撲の連勝記録は、昔の双葉山の69連勝は別格として、
大鵬が45連勝という史上2位の大記録を持っていた。
それを破ったのが千代の富士だった。

千代の富士が45連勝を達成して大鵬と並び、
翌日、それを超える46連勝をかけて対戦したのがこの花ノ国だった。

そして、千代の富士が勝って史上2位の記録を達成した。
花ノ国は「引き立て役」として、その名を残すことになった。
(千代の富士はこのあと、53連勝まで記録を伸ばします)

しかし、それだけにはとどまらない。
運命のいたずらは、第2章を準備していた。
もっと大きな「引き立て役」が待っていたのだ。

千代の富士は昭和の大横綱として着々と勝ち星を積み上げ、
ついに、これまで誰も達成していなかった、
相撲界に入ってからの通算1,000勝にあと1勝と迫った。

あと1勝で、前人未到の通算1,000勝!

その時の相手が、またも花ノ国だったのだ。
わが街・藤井寺市出身の花ノ国…。なんとまぁ。

日本中が注目する中、
千代の富士は花ノ国を下し、通算1,000勝を達成した。

このとき、花ノ国は、
「これで自分の名前が歴史に残るとは…ツイてないです」
と、記者たちの前で嘆いたという話が伝えられている。

でも、いいじゃない。

たとえ引き立て役であっても、
名前は永遠に残るんだからね~

藤井寺市民としては、むしろ嬉しいめぐり合わせです。


あれから25年余り…。

千代の富士の53連勝は、63連勝した白鵬に抜かれ
通算での1,045勝は、元大関魁皇に抜かれました。

今場所休場した白鵬も、997勝と、
通算1,000勝に、あと3勝と迫っています。

しかし、千代の富士の記録は、やはり偉大な記録です。

その2つの大記録を達成した時の相手だった花ノ国は、
今でもその名を残しています。

たとえば、このサイトにも、
花ノ国の名前が出ていますよね~

http://maruhon38.net/archives/16044

 

 


 

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豪栄道 まさかの初優勝! 

2016年09月25日 | スポーツの話題

昨日の大相撲14日目、大関豪栄道が14連勝で優勝を決めた。
過去10年以上の相撲人生で一度も12勝以上あげていない男が、
なんと初日から14連勝という快進撃で、思いも寄らぬ優勝だ。

本当に「まさか」の優勝だった。

豪栄道は大阪出身なので、僕もず~っと応援していた。

しかし、大関になってからの成績はさっぱりふるわず、
今日の新聞記事を紹介すると、このとおりである。

 

    


これまで大関の12場所中、10勝以上をあげたのは1回だけ。
これほど成績の悪い大関も珍しい。
毎場所応援するのだが、こんな調子ですからね~

おまけに、モンゴル勢ばかり優勝する時代となってから、
大相撲の興味も半減、特に朝青龍の態度が大嫌いだった。

そんなことで、日本人力士のふがいなさは、
先場所もこのブログで書いたとおりである。 

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/e0069e87328c6a8f9e1697cd3311d8a8


ところで、
今年の1月に琴奨菊が10年ぶりに日本人力士として優勝した時は、
その千秋楽、優勝決定の一番は、豪栄道が相手だった。
その時、僕は初めて豪栄道の敵方を応援した。

そのときのブログにこう書きました。

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/013a252d9508ebc2b3952a012b2a6b75

「次の春場所では、ぜひ大阪出身の豪栄道に優勝してもらいたいですね」
と、このブログの締めくくりに書きましたが、春場所は無理でしたが、
まさか、この秋場所で優勝するとは、本当にびっくりしました~


豪栄道は大阪府寝屋川市の出身である。

寝屋川市といえば、モミィが幼い頃に一時期、京阪沿線にある
寝屋川の萱島(かやしま)というところに住んでいたことがある。
僕はそこへしょっちゅう行き、モミィを自分の家に連れて行ったり、
またこの家に連れて帰ったりした。わりに縁の深い土地ではある。

それにしても、大阪出身の力士が優勝するのは、
実に86年ぶりだという。昭和5年の山錦という力士以来だと。
昭和5年(1930年)といえば、うちの父母が2・3歳の頃だ。
相撲の盛んな大阪なのに、そんな長期間優勝がなかったんだ。

そして、もし…豪栄道が来場所、横綱に昇進したとしたら、
大阪出身の横綱は、1871年(大正?年)の大錦以来というから、
これまた実に99年ぶりということになる。約100年ぶりですよ~
まぁ、今場所の豪栄道は、相撲内容に勢いとツキがあったので、
来場所またこれほど、あるいはこれに近い活躍ができるか…?
というと、なかなか、むずかしいところだけれども、
とりあえず、今日も勝って全勝優勝を達成すれば、
来場所は準優勝でも、横綱の望みはある。

本日千秋楽の相手は、例によって琴奨菊である。

今年1月のリベンジを果たさなければならない。

優勝に気を緩めず、最後までがんばってほしい。

 

 

 

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「はじめまして愛しています」と「家売るオンナ」

2016年09月24日 | 映画の話やTVの話など

毎週楽しみに見ていた2つのドラマが、先週2つとも終ってしまった。

ひとつは「はじめまして愛しています」
主演は尾野真千子と江口洋介。
子供のいない夫婦が、一人の子供を育てようとする話だ。

親から虐待を受けて、自分たちの家に迷い込んできた男の子を、
自分たちで育てようとする夫婦の前に、いろんな壁が立ちはだかる。

特別養子縁組、というのも、簡単にはできないみたいだった。

尾野真千子と江口洋介の夫婦のやりとりもよかったし、
児童相談所の職員、余貴美子の感情を殺した演技も卓越していた。

子供の生みの母親と祖母が、主人公たちの目の前で、
子供を奪って帰るシーンは、見ていて辛かった。

ドラマのラストは、さまざまな紆余曲折を経て、
主人公の夫婦が、特別養子縁組を認められ、
その子を育てることになって終わる。

僕たちが孫のモミィを養子にした時は、
比較的簡単な手続きで出来たけれど、
やはり他人の子を養子にするとなれば、
いくつものハードルを超えなければならないんだなぁ…
…と、痛感した次第です。
ま、そういうことを抜きにしても、いいドラマでしたね。
遊川和彦の脚本だから間違いないとは思っていましたが。


もうひとつのドラマは、さらにインパクトが強かった。

北川景子の「家売るオンナ」だ。

ある不動産会社のチーフ、三軒家万智の決めゼリフは
「私に売れない家はない!」というもの。
なんだか米倉涼子の「ドクターX」のセリフ、
「私、失敗しないので」を連想させるけれど、
三軒家チーフのこのセリフも、胸のすく思いがする。

これだけ自信を持って仕事ができる人って、
世の中にどれほどいるんだろうなぁ~。

とにかく、家を売るためには何でもする。
いっさい私情ははさまず、グズグズする部下には、
「早く行け。ゴー!」と目を剥いてハッパをかける。
全編、北川景子は笑顔のない厳しい目付きでの演技だった。
彼女はこういう役が、案外似合っていたんだなぁと再認識。

そんな仕事一辺倒の三軒家チーフに、部下の工藤阿須加が、
「はぁ…?」と泣きそうな情けない表情がおかしかったし、
上司である屋代課長(中村トオル)もコミカルで笑わせる。
三軒家に「僕が課長で課長は僕だ!」と啖呵を切るんだが、
どこか頼りなくて自信なさげな管理職を軽妙に演じていた。

ライターの島崎今日子さんは、新聞のテレビ欄で、
組織という集団の中で長いものに巻かれず、孤高の道をゆく姿には、
精神が浄化されるものがある…という意味のことを書いておられた。

ある意味、三軒家万智は働く女性の一つの理想なのかも知れません。

ともあれ、毎回、ワクワクしながら見てしまいました。
終わってしまったのが残念で、このうえはシリーズ化し、
ぜひぜひ第二弾を期待したいです。
脚本は大石静で、やはり脚本家の存在は大きいですね。

ところで、この「家売るオンナ」の最終回、
ラストシーンは、三軒家万智と課長の屋代が会社をやめ、
海辺の田舎町で小さな不動産屋を開くというエンディングだった。

これを見て、とっさに思い出したのは、
もう15年以上も前に見たドラマ、
「ビューティフルライフ」のシーンだった。

美容師のキムタクが、難病だった恋人の常盤貴子を亡くしたあと、
海辺の小さな町で美容院を開き、彼女を偲ぶというシーン。
これが、このドラマのラストシーンだったが、
「家売るオンナ」の最終回を見て、思い出した。

ちなみに、この「ビューティフルライフ」の最終回は、
平成のドラマで第1位の視聴率を上げたということだが、
それを、あの「半沢直樹」の最終回が上回ったそうである。


最後に、もうひとつ。

「はじめまして愛しています」の江口洋介の勤め先は、
不動産関係で、北川景子の「家売るオンナ」も不動産。
たまたま、2つのドラマとも、主人公の仕事は家を売ることでした。

実はうちの次男も同業で、つまり「家売るオトコ」であります。
勤務先の会社はわが街・藤井寺の「ミヤウチ建設」といいます。

お近くでお住まいの方、お家のご相談は、ぜひこちらへどうぞ(笑)

 

 

 

 

 

 

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「べっぴんさん」が盗まれる?

2016年09月22日 | ズレズレ草

今日22日は秋分の日ですね。

秋分の日は、その年によって9月21日から23日のいずれか…
…ということになるそうですが、直前に敬老の日があるので、
祝日と祝日の間に挟まれた日は「国民の祝日」となることから、
曜日の組み合わせ次第で5連休という大型連休になったりします。

去年などは、19・20日が土・日曜日で、翌21日が敬老の日、
23日が秋分の日だったので、間の22日も国民の祝日となり、
5連休が実現した年でした。
(次の5連休は2026年とのこと)

これを「シルバーウィーク」と呼ぶそうですが、
「シルバー」といえばお年寄りを連想しますし、
敬老の日があるからそう呼ぶのかと思ったら、
5月のゴールデンウィークに対してのシルバーウィークだそうで…
まあ、敬老の日も、少しはひっかけての呼び名のようですけど。

ところで今年は、19日の敬老の日までの3連休に加え、翌20日は、
台風16号がやってきたのでモミィの小学校は休校になりました。
だからその時点で4連休となり、昨日1日だけ学校へ行って、
今日はまた秋分の日なので学校はお休みです。

土曜~木曜の6日間で、1日しかモミィは学校へ行ってません。
そんなことで僕も最近、曜日の感覚がわからなくなっています。

それにしても、ですが…
ハッピーマンデー制度によって、本来は9月15日だった敬老の日が、
9月の第3月曜日となり、毎年日が変わる…というのはどうもねぇ。
敬老の日と秋分の日がこれだけ接近していることがまだピンとこない。

この敬老の日にちなんで、いわゆるお年寄り…というのは、
いったい何歳くらいからなんだろう、と最近よく考えます。

「高齢者」とは、通常は65歳以上を指すようですけど、
じゃぁ僕も年齢的にはそこに入るわけではありますが、
自分が「お年寄り」だと思ったことなんて一度もありまへん。

でも、モミィやケイのジイちゃんであることは間違いないし。
ジイちゃん→お年寄り…となるのも、仕方ないでしょうね。

でも、血縁関係で言うジイちゃんなら別にいいですが、
普通に「お爺さん」と呼ばれるのには抵抗があります。
な~んか、山へ芝刈りに行くお爺さんみたいですよね。

今の時代なら、一般的に「お年寄り」というのは、
80歳以上の方々を指すぐらいでいいのではないか、
な~んてことを考えたりしていますが…


ところで…
先日、スポーツクラブのロッカーで着替えをしていると、
若い女性スタッフの声で、館内アナウンスが流れてきた。

「本日はコスパをご利用いただき、ありがとうございます…」
から始まる放送は、少し聞き取りにくいしゃべり方だったが、
聞くともなしに聞いていると、こんな言葉が耳に入った。

「べっぴんの盗難などには十分にご注意ください」…と。

何…? べっぴんの盗難だって??

べっぴん…といえば言わずと知れた「美人」のこと。
10月から始まるNHK連続テレビ小説のタイトルも、

「べっぴんさん」

…である。

その「べっぴん」の盗難に注意してください、
…と、館内放送がされたのにはびっくりした。

ふ~む。べっぴんさんが盗まれるとは…?
つまり、まあ、誘拐されるということか?
そんなべっぴんさん、この館内におるか?
(あのなぁ、女性会員にどつかれるで!)

それにしても不思議な放送だなぁ、と、
ヒマな僕はあれこれと考えたけれど、
やがてその本当の意味に気がついた。

「べっぴんの盗難」ではなく「物品の盗難」だったのだ。

つまり「ぶっぴん」が「べっぴん」に聞こえたわけ。

どんな耳してるねん!

…これって、やはり老化現象なんでしょうか。
「お年寄り」と呼ばれても、仕方ないのかも知れませんね。

 

 

 

 

 

 

 

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政務活動費は生活費…?

2016年09月19日 | 議会&役所

富山市議会の政務活動費不正問題が連日報道されている。
「またか」といううんざりする気持ちと同時に、
この問題は起きて当然…という気持ちも、ある。
この制度自体に、根本的な問題があるんだから。

白紙の領収証を使って使途を捏造する議員の手口は卑劣だが、
それをチェックもせず受け入れる議会事務局にも問題がある。


僕は38年間、大阪府の松原市役所に勤めたが、
そのうち、通算して26年間、議会事務局で仕事をしてきた。
年齢で言えば、まず、26歳から42歳まで議会事務局で勤務した。

その後、総務課文書法規係と秘書課広報係で8年間勤務し、
ちょうど50歳になった時に議会事務局に戻され、
定年退職になるまで10年間、そこで勤務した。

だから自分の公務員生活は、議会抜きにしては考えられない。
それはもういろんな議員がいたし、いろんな出来事があった。

そして問題となっている政務活動費のことだけれど…


僕が最初に議会事務局にいた頃は、
「政務活動費」というものはなかった。

議会事務局に戻った年の翌年(平成12年)に、
「政務調査費」という法制度ができたのだった。
「政務活動費」ではなく「政務調査費」です、念のため。

議員の調査研究に資するため必要な経費の一部として、
会派または議員に対して政務調査費を交付することができる…
…というような趣旨で地方自治法が一部改正されたのである。

しかし「議員の調査研究に資するため必要な経費の一部」
と言ってもその使途範囲は議員にもよくわからなかったようだ。
つまり、どこまでこの政務調査費を使っていいか…という問題だ。

これは議会事務局がしっかり勉強して、議員に対して、
きちんとした“指導”をする必要があったと思う。

僕はかつて新人議員から、
「政務調査費でテレビを買ってもええんですか?」
と尋ねられたとき、
「なに言うてはりますねん。あかんのに決まってますがな。
そんなことしたら新聞に載って議員をクビになりまっせ~」
と言ったことがある。
「テレビは調査研究に必要では?」
などとその議員は言ってたけど、そんなアホな。
世の中にはジョーシキというもんがあるやろ。


いくら市民から選ばれた議員だといっても、
ダメなことはダメ、ときっぱり伝えなければならない。
(たまには議員をビビらせたりしながらね~)

うちの議会事務局では、当時は、議員から、
「これは政務調査費で支出できるのかなぁ?」
という質問を受けることが多かった。
そういう雰囲気を作ることが大事なのだ。
そうでないと、議会事務局の職員は、
何でも議員の言いなりになってしまう。
それでは、存在の意義が失われてしまいますよね。
(最近の松原の議会事務局はどうか知りませんけど)

その「政務調査費」が「政務活動費」と名称変更されたのは、
僕が定年退職してから3年後のことだったようだ。
僕は、そんなことは全然知らなかったけれど、
あの「号泣議員」野々村竜太郎騒動でそれを知った。

何のために「政務調査費→政務活動費」という法改正がされたのか?

「政務調査費」では、
「議員の調査研究に資するため必要な経費…」に充てるだったが、
「政務活動費」に名称が変わったら、
「議員の調査研究その他の活動に資するため必要な経費…」
…と改められた。

つまり「議員の調査研究に資するため」から、
「議員の調査研究その他の活動に資するため」に変わった。
「その他の活動」という文言が新たに付け加えられたのだ。
これがクセ物で、そのため、使い道が広がったわけである。
(例えば会議費での茶菓などもOKになった)

ただでさえ公私混同を起こしやすい「政務調査費」だったのに、
それが「政務活動費」になって、ますます不明瞭な使途が増えた。

国もなぜこういう名称と内容を変えたのか…? 
これまでどおりの「政務調査費」でいいのに。
どうも、その意図がわからない。

ところで…
連日の新聞を見ると、政務活動費が、
「政活費」という見出しになっている。
縮めると、まぁそういうことになるけれど。

…でもねぇ。

「せいかつひ」といえば、
「政活費」より「生活費」を思い浮かべますよね。

政活費が「生活費」のイメージと重なって、
舛添前都知事じゃないけれど、公費を生活費として使う…

…ということで、この「政活費」という言い回しも、何だかなぁ。

「せいかつひ」を「生活費」に使って何が悪いねん!

な~んて、開き直る議員が出てきたりして。

全国各地の議会で次々と政務活動費の不正が発覚する中、
まずは名称を変更し「その他の活動」を削ることですね。
あとはそれぞれの議会の良識に期待するしかありません。

大阪府泉南市では政務活動費を全廃しました。
ここまでせよ、とは必ずしも主張しませんが、
いま、何かと話題になっている東京都議会では、
政務活動費が1人月額60万円だということです。
高い報酬(給料)をもらっている上に、ですよ。

多すぎますね、どう見ても。

 

 

 

 

 

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道頓堀の風景

2016年09月16日 | 日常のいろいろなこと

木曜日はスポーツクラブ「コスパ」が休館日なので、
昨日はモミィが学校に行っている間に、妻と2人で、
久しぶりに難波に出て、ブラブラしました。
(ブラブラです。ラブラブではありませんよ

いつもならモミィが一緒にいるので、足の向くまま…
…というわけにはいきませんが、昨日は2人だったので、
道頓堀界隈を歩いたり、地下のタウンを歩いたりしました。

最近は、藤井寺駅から10数分で着く阿倍野へ出ることが多く、
また、妻の姉さんのお誘いを受けて梅田で食事をすることも多い。

でも難波を歩くのは本当に久しぶりです。特に2人だけというのは。
だから歩きながら「あれ? ここの店、なくなってるねぇ」とか、
「このお店も以前より大きくなったねぇ」
な~んて会話を交わしながら、昔を懐かしみました。

それにしても、ここも、もう中国人だらけでしたね。

道頓堀でどこか適当なお店でランチをしようと思ったけど、
めぼしい店の前には必ずリュックを背負った中国人たちが、
陳列メニューを覗き込んで、ペチャクチャしゃべっている。
たぶん、中へ入ってもこの人たちで満員ではないか。

そう思ったらどこへも入る気にならず、
ここから離れて高島屋側にある「なんばシティ」へ行った。
このあたりに来ると人の数も少なく、中国人たちもいない。

昔、よく入った焼肉の「風風亭」というところへ行き、
(最近行っていないので、少し場所に迷いましたが…)
そこでカルビやロースやハラミのお肉を焼いて、
僕は冷たいビールを飲みました。
あぁ、おいしかったです~
(これ、モミィには内緒です。うふふ)

 

 
  道頓堀を歩くのも久しぶりです。
  歩いているほとんどの人が中国人です。
 


 
 道頓堀名物の「くいだおれ人形」。
 かつては食堂だったが今は「中座くいだおれビル」に。
 しかし人形だけは撤去されず、今も人気のスポットです。
 


 
  大阪といえばたこ焼きとお好み焼き。
 このたこ焼き店も行列ができている。
 お店の名前は「あっちち本舗」。
 並んでいるのは全員中国人…?

 


 
   道頓堀川の畔。右の「一蘭」はラーメン屋。
 ここにも中国人たちが列を成していました。
 左側にある「ドン・キホーテ」に入ったら、
 やはり…中国人客でごった返していました。



 
 最後に、グリコ看板の前で初めて写真を。
 さすがに両手を上げるポーズは、
 恥ずかしいのでやめました(笑)。
 

 


 

 

 

 

 

 

 

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広島優勝! で思い出す数々の出来事

2016年09月12日 | スポーツの話題

おととい、広島カープが25年ぶりのリーグ優勝を遂げた。
「25年」というと、ナンだかSMAPを連想してしまう。
ある情報サイトでは、この9日がSMAPの25周年だという。
  http://www.oricon.co.jp/special/49331/

25年ぶりの優勝で歓喜に酔う広島カープと、
25年間の活動が終ろうとしているSMAP。

同じ「25年」でも、ファンにとっては、
喜びと悲しみの明暗が別れましたね~

…ということは、広島が最後に優勝した年からSMAPが登場し、
そのSMAPが活躍している間は、広島は一度も優勝していない。
そして、25年の後、SMAPが解散する年に、広島は優勝した。

なんだかなぁ。
広島には「SMAPの呪い」…
みたいなものが、あったのか(???)


さて、僕は特にカープファンということではないが、
広島カープに関しては、いろんな因縁や思い出がある。

まず広島カープは1949(昭和24)年に創設され、
翌年から公式戦の試合に参加した。…つまり、
昭和24年といえば、僕が生まれた年なので、
広島球団と僕は、同い年ということになる。

その広島が初優勝したのは、1975(昭和50)年だった。
僕は、子供の頃から熱烈な巨人ファンだったので、
たぶんこの時は無念の思いをしたのだろうなぁ。
(全然覚えていませんけど)

この前の年、つまり1974(昭和49)年に、
僕は25歳で、すでに2歳の長男と1歳の次男がおり、
それまで住んでいた家も、手狭になって引っ越した。
その引越し先が、今も住んでいるここ藤井寺市だった。

この藤井寺市には、大阪近鉄バファローズの
本拠地である藤井寺球場が、駅の前にあった。
もちろん住民はほとんど近鉄のファンだった。
うちの子供たちも、幼児の頃から近鉄のファンになり、
休みの日はよく藤井寺球場のスタンドで応援したものだ。

その近鉄が…
それまで一度のリーグ優勝もなかった近鉄が…

1979(昭和54)年、ついに初優勝を果たしたのだ。

そして迎えた日本シリーズの相手は、広島カープだった。

3勝3敗で迎えた第7戦、1点をリードされた近鉄は、
9回裏ノーアウト満塁の絶好のチャンスをつかんだ。
逆転サヨナラで初の日本一、と誰もが思ったが…
あの有名な「江夏の21球」で近鉄は沈んだ。
僕も、5歳の長男も4歳の次男も、
テレビの前でガックリしてしまった。
今でも
「あの時、佐々木の打球がファールにならなければ…」
…などと、未練がましいことを思ったりしている。

さらに翌年、また近鉄はリーグ優勝した。

話は自分のことになるが、僕は29歳の時、
職場の休暇をもらって、自転車で四国を走った。
20歳の頃の自転車旅行は大阪~北海道往復だった。
東日本は走ったが、西日本はまだ走っていなかった。

どうしても日本1周を成し遂げたかったので、休暇を取り、
29歳の時に四国、30歳の時に九州、31歳の時に中国地方、
…と、3回に分けて自転車旅行をし、どうにかこうにか、
ツギハギだらけの自転車日本一周を達成することができた。

その日本一周を達成した年の、秋のこと。
僕は、職場の野球の試合で、打球を追い、
ぬかるみに足を滑らせて左足を骨折した。
激痛が走り、かなり酷い症状だったので、
そのまま同僚に、病院へ運んでもらった。

治療を受けたその病院のロビーのテレビで、ちょうど
近鉄が2年連続のリーグ優勝を決めた瞬間が映っていた。
今ネットで調べたら、10月18日(土)のことだった。
(土曜日だから、昼から野球をしていたんだなぁ)

この骨折は、僕にとっては限りなくショックだった。
体力に自信のあった僕は、野球で転んで骨折など、
とてもじゃないが、全く情けない出来事だった。

しばらくの間、仕事を休まざるを得ず、
家でウジウジしながら「今後」を考えた。

そうだ、ランニングをしよう。
ランニングをして、もっと強い身体になろう。
当時、フルマラソンが流行し始めた時だった。
自分も走り込んでフルマラソンに出場しよう…
…そんなことを思いながら、家で過ごしていた。

そんなときに、プロ野球日本シリーズが始まった。
我が近鉄バファローズの相手は、またもや広島だった。

仕事を休ませてもらっていたおかげで、
平日の昼に行なわれる試合も、テレビが見られた。

今度こそ近鉄に日本一になってもらわなければ!
と、足の痛みも忘れるほどに、一生懸命応援した。

…が、その願いも虚しく、この時もまた、
3勝3敗で最終戦まで行ったのに広島に敗れたのだ。

当時の広島は、山本浩二や衣笠や強力外人選手などがおり、
「赤ヘル軍団」と呼ばれ、一世を風靡した黄金時代だった。

広島は、これまで全6回のリーグ優勝を遂げているが、
最後の優勝が山本浩二監督の下の1991(平成3)年で、
それから25年間、優勝から遠ざかっていた…というわけだ。

1991年といえば、僕も元気モリモリ(42歳)だった頃で、
北海道サロマ湖100キロマラソンを完走したのもその年だ。

で、大阪に住んでいるのに阪神じゃなく巨人ファンだが、
これだけは、小学生から刷り込まれた愛着なのでねぇ…

でもまあ大阪から近いということもあり、広島県は好きだ。
何しろ関ヶ原の戦いでは徳川方に対抗した西軍だったし。
(なんの話やねん。「真田丸」か?)

それにしても、昨日のテレビニュースなどで、
久々の優勝に沸くファンの底抜けに明るい喜びようを見ると、
あぁ、これでよかったんだなぁ…と思ったりしますよね~


ちなみに、わが家の次の冬休みの旅行先は、2泊3日で広島です。
モミィに原爆資料館等を見せて、少し勉強させようと思ってます。

この度は巨人の目の前での胴上げでしたが、
ここはそういうことを度外視して、心から、
「広島カープ、優勝おめでとうございます」
と、お祝いの言葉を贈りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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「不信のとき」のドラマと小説

2016年09月10日 | 読書

昨夕、ニュースを見ていたら、前橋市のホテル女性従業員への
強姦致傷容疑で逮捕された高畑裕太が「不起訴・釈放」となり、
警察署前の報道陣に向けて、大声を張り上げ、謝罪をしていた。

その謝罪ぶりは、文字通り「絶叫謝罪」で、
まるで高校野球の開会式の「選手宣誓」での、
「宣誓! 我々はァ、正々堂々と戦い!…」みたいな調子でもあり、
また、やけくそで、心にもない謝罪を怒鳴っているようにも見えた。

「謝罪」したあと、車に乗り込むまで、
周囲を睨みつける目つきで歩いていた。
(普通は、申し訳なさそうに歩くだろ)
状況に合わない、ふてぶてしい態度だった。

不起訴の理由は、被害者との示談が成立したとのことだが、
驚くほど多額の示談金を積んだのだろ…と思われるよね~

もっとも被害者側も、示談に応じなければ、これが裁判となり、
その間ずっと事件が蒸し返され、心の傷が癒えないかも知れない。

まあ、こういう筋書きになるだろうことは予想できたけど、
それにしても高畑裕太に反省の色は全く見えなかったなぁ。


さて、話はコロッと変わって「不信のとき」のことですが…

石田純一の都知事選がらみで放送中止になったこのドラマ、
先月の23日から、改めて第1話からの再放送がはじまり、
今週の水曜日に、全12話の放送が完了しました。

夫の石黒賢をめぐって、妻の米倉涼子と、
愛人の松下由樹の壮絶な女の争いがテーマだったが、
最後は、石黒賢が進行性の胃がんにかかり、亡くなる。
「夫に天罰が下ったのである」とのナレーションが流れた。

米倉涼子と松下由樹…2人の迫真の演技には惹かれました。

なぜか僕は映画もTVドラマも、こういう傾向のものが好きだ。
前回の「マディソン郡の橋」も、クリント・イーストウッドと、
人妻であるメリル・ストリーブの、まぁいわば、不倫の話である。
いや、あの~別に不倫じゃなくても、恋愛ものが好きなんです。
(…と、あわてて訂正!)

ドラマが終わり、余韻を楽しんでいるとき、
ふと「原作を読んでみようか」と思い立った。

原作は有吉佐和子さんだから、ハズレはないだろう。

僕は、有吉佐和子さんの著作では、
「華岡青洲の妻」
「恍惚の人」
「複合汚染」
という3作しか読んでいないが、
いずれも大学生の頃だったと思う。

で、「不信のとき」が書かれたのは1968(昭和43)年だから、
僕が19歳で、これも僕が大学生だった時の作品だ。
しかし、この小説については、全然知らなかった。

10代後半の頃は、長編小説でも、
2日で1冊を読みきるほど、
大の読書好きだったけれど、
ほとんど外国の小説ばかりだった。

さすがに学生時代は「不倫もの」に関心なかったわけで(笑)

そんなことで今回、ドラマに惹かれたので、
その「不信のとき」を読んでみようか…と、

図書館へ行ったけれど、見当たらなかった。

そこで、書店へ行ったら、新潮文庫の棚にあった。
それは、文庫本で上下2冊だった。案外長編なんだ。
値段は2冊で約1,200円。 文庫なのにいい値段だ。
どうしても読みたい本、というわけでもないし…

そこで、ブック・オフのほうへ行ったら、やはりあった。
上下2冊とも新刊書同様きれいな本だったので購入した。
1冊100円、2冊で消費税込みでも200円ちょっと。
ブック・オフは、ありがたい存在ですね。


 
 この文庫本2冊で合計800ページもある長編です。

昨日買ったばかりでまだ読んでいないが、
パラパラと拾い読みをしていると…
ひとつ、面白いことを発見した。

主人公の一人、愛人のほう…松下由樹が演じた役だが、
この女性の名前が、ドラマでは「野上路子」だった。
ところが本を読んで、驚いたことに、
原作ではこの女性の名前が…
米倉路子…だったのである。

ふつう、ドラマでも原作から名前を変える必要はないが、
妻の米倉涼子の敵となる愛人が「米倉路子」ではねぇ…
視聴者もズッコケるに違いない。
で「野上路子」にしたんでしょうね。

妙なところでひっかかってしまったけれど、
ぼちぼち、この長編小説を読み始めてみよう。

 

 

 

 

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物忘れがひどくなった

2016年09月04日 | 日常のいろいろなこと

メリル・ストリーブ」の名前が出てこない


西加奈子さんというイラン生まれでエジプト育ち、その後、
大阪の府立高校から関西大学に行かれた直木賞作家の方が、
新聞のコラムで、こんな意味の文章を書かれていた。

まだそんな年ではないのに、最近物忘れがひどくなってきている。
例えば俳優の「ラッセル・クロウ」という名前が出てこない。
「レイジング・ブル」という映画が浮かぶのだが、
これはロバート・デ・ニーロだし。

そして、夫は
「メリル・ストリーブ」が出てこない…とも。

そのくせ、自分の昔のことはよく覚えている。
4歳のある日に食べたカレーの味や、その皿の模様とか、
小学校1年生の時に旅行で泊まった10件のホテル名とか、
そんなことは克明に覚えているのである。
…と。

これを読んだ僕は、まったく他人事ではない、と思った。
物忘れの激しさに関しては、僕は人に負けない自信がある(笑)

しかし、昔のこととなると、やっぱり僕も、よ~く覚えている。
中・高校時代に流行した歌、例えば橋幸夫や舟木一夫らの歌は、
何十曲でも、1番から3番まで、歌詞カードなしで全部歌える。
でも、最近の歌は…
五木ひろしや坂本冬美の演歌はよく聴くが、
新曲となると、歌詞どころか題名もすぐ忘れてしまう。

さて、話はメリル・ストリーブに戻りますが…

「僕もメリル・ストリーブが出てこなかったんだ…」
と、最近の自分の体験を思い浮かべた。

このごろ、映画俳優やタレントの名前が出てこないのだ。
「え~っと、アレ、誰だったっけなぁ?」ばっかりで。

そのメリル・ストリーブに関して、
ある大好きだった映画にまつわる話ですが…

まず主演のクリント・イーストウッドの名前が出てこず、
妻に「あの、ナンとかのナニという映画に出ていた…」
などと、まったくわけのわからないことを口走り、
クリント・イーストウッドの相手役の女優の名も出てこない。
おまけに、映画の題名も、もう少しで出そうなのに出てこない。
僕のこれまで見た中でも、好きな映画ベスト10のひとつであり、
映画の情景は、頭の中に、はっきりと思い浮かんでいるのに…。

そうこうして、やっとクリント・イーストウッドの名が出てきた。
次に映画の題名も「何とかの橋」だったことを、やっと思い出し、
「マディソン郡の橋」が出てきたのは、しばらくしてからだった。
さらにその映画のヒロインだったメリル・ストリーブの名前は、
翌日になるまで思い出せなかった。

 

   

未だにこのメリル・ストリーブがすんなり出てこない。
僕は、同い年でもある彼女の
ファンなんですけどね~
(ファンなのに名前を忘れるのはどういうわけ?)


もちろん、人の名前だけじゃなく、

他にも物忘れは、上げればキリがないほど毎日起きる。
どんな物忘れがあったか、それも忘れてしまってますが。

家の中でも、「あれ、この部屋に何しに来たんだろう?」
…というようなことは、日常茶飯事である。

新聞を取りに玄関を出たのに、そのままガレージへ行く。
で、頭の中が白紙になり、なんで外へ出たんだろう…? 
…と立ち止まったまま首をかしげる。

毎晩、いくつかの夢を見るが、目が覚めると
どんな夢だったか…今では一瞬で忘れてしまう。
以前は、見た夢はハッキリと覚えていたのにねぇ。

また、物忘れとよく似たものに「物間違え」というのもある。

先日のこと。
スポーツクラブのロッカーで海水パンツを穿こうとして、
ビニール袋から海パンを取り出したら、それは…
海パンでなく、よく似た色の短パンだった。

家で持ち物の準備するときに、入れ間違ったのだろう。

こういう間違いは今までしたことはなかったので、
これには、ちょっとショックを受けた。

物忘れに物間違え。

年はとりたくないですね~

最近は横からモミィが、
「それは〇〇よ」と教えてくれたりする。
「あ、そうか、そうだったよなぁ」と僕。
そろそろ、世代交代の時期でしょうか。

一昔前のサラリーマン川柳に、こんなのがあった。

アレどこだ アレをコレする あのアレだ

僕もつい「アレ」とか「コレ」を使いがちですが、
なるべく言わないように心がけたいものですね。

もう、手遅れかも知れませんけど。

 

 

 

 

 

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いや、まア~ サッカーやら高畑事件やら

2016年09月02日 | スポーツの話題

いや、まア~、悔しかったですね。

昨日のサッカーW杯アジア最終予選の緒戦。
UAEを相手に絶対に勝たなければならない試合だったのに。

日本は22本のシュートを放ちながら(相手は9本)、
11本のコーナーキックを得ながら(相手は2本)、
なんで? むざむざと負けてしまった?
ホームでの試合だったのに。

審判の判定に疑問…という「中東の笛」が言われているが、
それ以前に、ことごとくチャンスを生かせなかったことが、
負けてはならない試合を落とした全ての原因なのは明白だ。

本田は頑張っていたけれど、
香川は相変わらず頼りない。

ぶつぶつぶつ。

きょうは、これだけ書くのに精一杯です。

…が、あと一つ「いや、まぁ~」を付け足しますと、

いや、まア~、驚きましたね。
あの高畑裕太の父が「相棒」に出ていた大谷亮介だったとは。
このことは昨日発売の週刊文春と新潮の両方に出ていました。
駅前の本屋で、その2誌の記事を立ち読みしてしまいました。

話のついでに、このことに関して言えば、
テレビの芸能人などは、母の高畑淳子に同情して、
彼女をまるで悲劇のヒロインのように言うけれど、
「違うやろ」と思っている人も多いことでしょう。
僕もそう思っている一人です。

成人した息子が犯した罪に対して、母親には責任はない、
というのは、一般論としては間違いじゃないだろうけど、
息子が母から受けた
影響の大きさの程度によると思います。

高畑の息子の場合、母親の七光りで芸能界に入って、
世の中を益々甘く見て、舞い上がった人間になり、
今回の事件につながったのだと思います。
だから、母親の責任は大きいですよね。

で、それがどうした…ってことですか?

どうもしません。 いや、まア~、失礼しました。

 

 

 

 

 

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