僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

モミィは「お菓子作り」が大好き

2024年06月26日 | 日常のいろいろなこと

モミィが1人暮らしを始めて3ヵ月近くが経ちました。

基本的には、金曜日にわが家へ帰ってきて、2泊して日曜日に戻って行くというパターン。金曜日の夕方はモミィがずっと通っていた近くのECCで講師のアルバイトをしているので、家に戻るのはそれが終わってからで、少し遅くなります。

土曜日は昔からの友だちと会ったり、妻と買い物に出かけたりしています。

そして日曜日は夕方から、大阪市内のスタバでのアルバイトがあるので、昼過ぎには出て行きます。つまり2泊3日と言っても、家にいる時間はあまりないというのが実情です。

で、特に予定がない時は、妻に手伝ってもらいながら家でケーキやお菓子を作るのも楽しみにしているんですよね。大学で知り合った友達グループで、お互い自分たちが作ったお菓子を交換しながら食べたりするんだそうで、今はこの「お菓子作り」にかなり力を入れている様子です。

ということで
最近では、先週の日曜日(23日)の午前中のこと。

妻とモミィの二人がキッチンでお菓子作りをしていました。作ったのは、パウンドケーキとフロランタンというもので、小麦粉や卵、リンゴ、牛乳、アーモンドスライス、パウダーシュガーなどなど、いっぱいの材料を山のように積み上げて下地を作り、手でこねて形を作り、いったん冷蔵庫に入れて冷やして固め、それをオーブンで焼き

というのを僕は横で見ていました(チラチラっとですけど)。
卵を割って黄身と白身を分ける、程度の手伝いはしましたけどね(笑)

で、その時の写真がこれです。

 
  これは「パウンドケーキ」というものです。

 
  カリっと焼きあがりました。

 
  それを切っているモミィ。
 
 
 

  切ったらこんな感じです。見た目は玉子焼きみたい(笑)


 
  そしてもうひとつ作ったのは、フロランタン。

フロランタンとは、ネットで調べると
「クッキー生地にキャラメルでコーティングしたアーモンドをたっぷりのせて作るフランスの伝統菓子」
というふうに書かれていました。

「たくさんあるから、のんちゃんも食べてや」
と、モミィがこのフロランタンも切って、僕にくれました。

 

「お酒のつまみ」には造詣の深い僕ですが(笑)、
甘いお菓子類にはほとんど縁がなかった。

しかし
これをカリリっと口に入れたとたん、あまりの美味しさにビックリ仰天でした。

うま~~~~い、フロランタン!

そして、もうひとつ、パウンドケーキもメチャおいし~~い!

これまで作っていたのはほとんど普通のケーキかクッキーばかりだったのに、今回の二つはなんとも美味しい。

ちょうどお昼時になっていたので、
冷蔵庫からワインを出し、2種のお菓子をアテにグイ~っとやりました。

なんとまぁ、ワインにもよく合うこと。
おいし~~い!

陰の声
 何でもお酒のアテにしたら、あきまへんで。
 お医者さんからお酒を控えるように言われているのに。

 

 

 

 

 

 

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藤井寺市出身の辰巳ゆうと君をよろしく~

2024年06月20日 | 映画の話やTVの話など

僕は小学生の頃から歌謡曲が好きで、特に橋幸夫や舟木一夫の若い頃の歌は今でも1番から3番まで歌詞を見ないでも歌えます(笑)。

そんな歌番組は、昔は前田武彦と吉村真理が司会の「夜のヒットスタジオ」とか、久米宏と黒柳徹子が司会の「ザ・ベストテン」などの時代が全盛でした。
僕もこれらの番組をどれだけ楽しみに見ていたでしょうか。

さて、
あれからずいぶん年月が経ちました。
今ではテレビはほぼBSでしか、古い昔の歌は放送されない。
地上波では、歌番組自体はあっても若い子らの歌ばかりで、歌手のグループ名も英語が多いから、曲名なのかグループ名なのかもわからない(笑)。

そんな中で、地上波では火曜日夜に放送される「うたコン」だけは楽しめるんですよね。古い歌手も沢山出てきますからね。

ところで
古い歌手しか関心がなかった僕ですけど、今は若手の演歌歌手に声援を送っています。その名前は、辰巳ゆうと君(26歳)です。

大学生の時に演歌歌手とデビューしたそうですが、その当時、各家庭に配られる広報誌(つまり「広報藤井寺」ですけど)の表紙に辰巳ゆうと君の写真が大きく載って、「誰、この人?」と思いながらページをめくったら、
「藤井寺出身の歌手、辰巳ゆうと君を応援しましょう」
という記事が載っていたのです。へぇ、藤井寺出身でこんな歌手がいたのか、と広報を見て驚きました。

それで僕は彼の存在を知ったのですが、そのあと、歌番組にもちょこちょこ出ていたので、「あぁ、これがわが藤井寺の辰巳ゆうと君や」と妻と話していました。でも、演歌なので少し地味で、ちょっと彼のキャラと会っていないかな~と思っていました。

それが、
先週の火曜日の「うたコン」で辰巳ゆうと君が出てきて、「迷宮のマリア」という歌を歌ったのですが、この歌は、これまでの演歌とは違い、まるであの西城秀樹が蘇ってきたような情熱的な歌で、思わず聞き惚れてしまいました。

まぁ、そんな話ですが、先日、藤井寺の駅の向こう側の商店街、(わが家から見て駅の手前はイオンなどいろんな施設ができてますが、向こう側は今やすたれてしまった商店街です)。そこを久しぶりに歩いたところ、この辰巳ゆうと君のポスターがあらゆるところに貼られていたのでした。

 
  お店のシャッターにもこのポスターが。

 

 
  ここのお店の入
り口にも。

 

 
  ポスターをアップにしました。

それから、最後になりましたが、この辰巳ゆうと君をウィキペディアで調べたところ

おどろいたことに、ゆうと君の誕生日は1月9日でした。
実はこれ、僕の誕生日と同じなんですよね。
え~~~~~!
そうか、藤井寺市出身だけではなく、誕生日もいっしょなんや。

もちろん、生年月日の「月日」だけですけどね。
(当たり前やろ~)

でも、ますます深い縁を感じましたわ。

 

 

 

 

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自転車旅行 出発の日

2024年06月17日 | 思い出すこと

きょう6月17日は思い出の日です。
毎年この日が来ると「あの時のこと」を思い出し、感慨に浸ってます。

これまでもブログに書いてきましたが、今年もまたそのネタです(笑)。

1969(昭和44)年、20歳の学生時代。自転車で東日本一周の旅に出発したのが6月17日でした。

大阪から福井~石川~富山~新潟~秋田~青森と日本海側を走り、北海道を時計回りに1周して本州に戻り、今度は下北半島から岩手、宮城、茨城、千葉、東京、名古屋と太平洋側を走り、大阪に帰って来たのが8月25日。70日間の自転車一人旅だった。あれからなんと55年の歳月が経ちました。
改めて「早いなぁ」と驚きます。

「あの日」は朝から雨が降っていた。いざ出発という日に、いきなり雨とはなんやねん、と暗い気分になった。後から知ったが、この日が梅雨入りした日だったそうです。

それにしても、何も出発の日から雨が降らなくてもいいじゃないか、と、僕は天を恨んだ。だけど、その後の旅では、当然ながら何度も雨に遭い、この程度の雨でへこたれてるようではだめだと思い知らされたわけですが。

特に北海道の帯広から襟裳岬へ向かって走った時は、バケツをひっくり返したような大雨で、海岸沿いの道路は雨宿りする場所さえなく、ひどい目にあったものだった。大雨の中、僕はイヤホーンでずっとラジオを聴いていたのだけど、この時はちょうど、当時19歳だった和田アキ子の大ヒット曲だった「どしゃぶりの雨の中で」が流れていたのにはビックリしたものでした。(実に強烈なタイミングの歌でした。和田アキ子も19歳ですよ)。

70日間の旅はほとんど野宿という、いわゆる放浪の旅みたいなもので、そんな中でも、心温まる人々との出会いや、珍体験、爆笑体験、恐怖体験など、数え切れないほどのハプニングの連続で、その後の人生では決して体験できないことが沢山ありました。誠に濃密な70日間でした。


いつか曽野綾子さんの本のこんな文章を読んだことがあります。

若いうちから、楽しかったことをよく記憶しておいて、これだけ面白い人生を送ったのだから、もういつ死んでもいいと思うような心理的決済を常につけておく習慣をつけるといい。(中略)。やはり冒険はいいものだ。冒険は心の寿命を延ばす。若い日に冒険しておくと、たぶん死に易くなる。

いつまでも心に残る文章です。

とにかく、若い日に冒険しておくと「死に易くなる」そうなので、ちょっと楽な気分にもなりますね(笑)。

その思い出深い自転車旅行の出発の日が、6月17日でした。

あれから55年だなんてね~
今のこの気持ち、どう表現していいのかわかりません。

 

 

 

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来年は昭和100年ですね~

2024年06月14日 | 日常のいろいろなこと

来年は昭和100年だそうです。
100年ですよ、100年!

日本では元号と西暦の2つを使うので、ややこしいです。

「私は昭和35年生まれです」と言われたら、その人がいま何歳かすぐにはわからない。もちろん昭和の頃だったら引き算をすればすぐにわかるけれど、平成になり、さらに令和になった今は、頭の中で計算のしようがないもんね。

でも、西暦で「私は1960年生まれです」と言われたら、今は2024年だから64歳だということが計算すればわかる。

つまり、年齢に限らず、何かの出来事がいつ起きたか
たとえば平成5年に何か大きな事件や災害があったとしたら、それが今から何年前なのかも、西暦に置き換えなければわからない、という状態ですよね。

そんなこともあってか、最近はテレビなんかでは過去の出来事はほとんど西暦で表されるか、西暦と元号の2つを表記していますよね。

で、僕は平成が始まってから令和6年の今年まで、毎年「今年は昭和で言えば何年」というのを常に頭に入れていたので、昭和生まれの人の誕生年を聞くとすぐに引き算ができて年齢がわかりました。

まぁ、そういうことなんですが
今年は「昭和で言えば99年」ということになり、いよいよ来年、100年になるんですよね。「三ケタ」ですよ。

それで思い出したのですが、僕が高校生の頃、1月の新学期に最初に登校した日の朝礼で、壇上に立った校長先生が開口一番、
「諸君、新年おめでとう。さて来年は明治100年を迎えます」
という話から挨拶が始まって、僕は今もその言葉が記憶に残っています。
「へぇ、明治100年か。すごいなぁ」と思いながら、何がすごいのか、よくわからなかったことも覚えていますけど(笑)。

それから長い歳月を経て、今度は昭和100年ですからね~

そしてその次には平成時代。
「平成100年」ってのも、来ますよね、当然。
モミィは平成17年(2005年)生まれなので、
平成100年(2088年)には83歳になっています。
モミィ婆ちゃん!(ウフフ、どんなんやろ?)

ちなみに、明治100年は、東京オリンピック(64年)と大阪万博(70年)に挟まれた、日本が高度経済成長期だった頃でした。いい時代だったんですね~

来年の「昭和100年」も、当時と同じように、東京オリンピックと大阪万博に挟まれていますが、今回の場合は政治・経済情勢が低迷し、国民生活に暗雲が垂れ込めている状況で、何とか来年には明るい日差しが戻ればいいな、と陰ながら願っています。

でも、僕自身が「昭和100年」となる来年まで、生きているのかなぁ。
当然のことながら、それが僕個人としては一番大きなモンダイですわ。

 

 

 

 

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こむら返りはホントに痛~い

2024年06月10日 | 心と体と健康と

先月あたりから、多い時は週に2~3回「こむら返り」に悩まされていました。
朝、目が覚めてからしばらくベッドで仰向けになったまま、という時、左のふくらはぎがつって、激痛が走るのです。「いててててっ!」と、それはもう、筆舌に尽くしがたい痛みが約1分程度続き、それが過ぎると、少しずつ痛みは収まって来るのです。

これまでの長い人生で、こむら返りは何十年かの間に数回あったかな、という程度だったのに、それが先月からの数週間、前述のように週に2~3回も、朝の同じような時間帯に、ふくらはぎが激痛に見舞われるようになったのです。本当に、あの痛さと言えば、言葉に言い表せません。思っただけでも背筋が寒くなります。

それで1週間ほど前、近くのクリニックへ行き、先生にそれを伝えると、
「う~ん、そうですねぇ」とちょっと間を置いて、「こむら返りに有効だと言われている漢方薬があるので、とりあえずそれを処方しましょう」と言ってくれ、
その処方箋を持って薬局へ行きました。そしてもらった薬が、
「芍薬甘草湯(しゃくやくかんそうとう)というものでした。

そして、僕にとっては生まれて初めて漢方薬というものを飲み始めたわけです。
症状は朝に出るので、夜、寝る前に1包飲んでいます。

それ以降、朝のその時間帯に、少しふくらはぎに違和感を覚えることはありますが、あの痛い痛いこむら返りは起きなくなりました。

ただし、この漢方薬も強い副作用があるので、大量に飲んだり、何カ月も続けて飲むと、いろいろと体を悪くする原因となるそうなので、症状が落ち着いたら止めようと思っています。

そんなことで、持病だった心房細動(不整脈)はカテーテル手術のおかげで出なくなりましたが、腰痛が最近、ちょっとひどくなってきたようで、そのせいか、足がしびれたりしています。こむら返りがこの腰痛と関係しているのかどうかはわかりませんけど、まだまだ、体のあちらこちらに問題を抱えているワタシです。

ところで、
一昨日、図書館へ行って、こんな2冊の本を借りてきて、パラパラと読み始めています。

前述の漢方薬の副作用の話も、左側の本に書いてありました。

 
 

 

ホントは、もっと楽しい本を読みたいんですけどね~

 

 

 

 

 

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サイゼリヤは スマホで注文!

2024年06月05日 | 日常のいろいろなこと

先日、妻がモミィのパジャマや靴下を買いたいというので、バスに乗って近鉄八尾駅前にある「アリオ八尾」というところへ行った。

ここは多彩な専門店からなる大型ショッピングモールで、品数も豊富である。隣には元西武百貨店の専門店ビルもあり、その辺をうろうろするだけで、かなり歩けるし、冷房も効いているので、暑い太陽の下で歩くよりず~っといい。

で、そこで妻の買い物が終わり、ちょうどお昼時だったので、食堂のフロアへ行き、サイゼリヤに入った。

 

サイゼリアでは人気の辛味チキンやムール貝のガーリック焼き、エスカルゴのオーブン焼きなどを注文し、ワインも頼んだ。

しかし、その注文方法なのですが
これまでとは全く変わっていたのに、驚いたのです。

これまでは、各テーブルに置かれていた注文用紙に、メニューの番号と個数を書き込んで店員さんに渡す形だったのですが、この日は注文用紙が置かれておらず、その代わりに長方形の小さな札のようなものが置いてありました。

  これです 

 
  ネットから拝借した写真です。

テーブル番号の右側に「注文用QR」というのがあって、これを使ってスマホで注文する、という仕組みになっているという。
こういうのに弱いので一瞬ビビったけれど、ともあれスマホを出して、カメラでそのQRコードを読み取った。

すると、スマホに「何名様ですか」と聞いてきて、ピッピと記入すると「次へ進む」と出て、そこからスマホ画面で商品番号と数量を記入していき、僕も妻もなんとか注文が終わったら、しばらくして店員さんが次々と料理を持ってきてくれた、というシステムになっていたのです。

やれやれ。
今の世の中というのは、どんどんこんなふうになってきますよね~
もちろん、スマホで注文できない人はベルを押して店員さんを呼んで注文することもできるようですが、周囲を見ているとそういうお客さんはいなかった。

今はパネルを押して注文するのが普通になっていますけど、スマホで注文というのは僕たちにとって、初めての経験でした。

まぁ、モミィなんかはこういうことは自在にこなしているようですけど、これからは益々こういう傾向が強くなっていくのでしょうね。

サイゼリアはメニューが豊富だし、値段も安いし、ワインも美味しい。大好きな店ですが、こういう注文方法になっていたとはね~
ホント、びっくりしました。

まぁ、次回からは大丈夫ですけど(そらそうでしょ)。

 

 

 

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ピサと ピザと ビザと

2024年06月02日 | ズレズレ草

前回(一昨日)はイタリアのピサの斜塔のことを書きました。
すると、長年コメントをくださっているBPSさんから、
昨日、こんなコメントが届きました。
「記事を読み進んでいったら下にドミノピザの広告がでていてちょっと笑ってしまいましたー」
というコメントでした。

いやぁ、これは面白かったです。
僕はその広告は見ていませんが、 BPS さんが見てくださった時は、ピザの宣伝が出ていたのだそうです。

一昨日の記事は「ピサ」の斜塔、つまり「ピサ」です。
しかし、ブログを打っている時、僕も、何度も「ピザの斜塔」と打って、あわてて打ち直していました。
ピサとピザ。紛らわしいですよね。
でも、ピザのほうが圧倒的によく知られていますけどね。

ピサの斜塔は Pisa と表記し、読み方は「ピサ」。
これとよく似ているのが 「ピザ」で表記は pizza です。
あの人気のある食べ物のピザ(モミィも大好きです)。
最近はピッツァと表記されることも多くなってきましたけど。

でも「ピサ」と「ピザは」本当によく似ているし、間違っても当然ですよね。

ところで、もう一つ、まぎらわしいのが「ビザ」です。
「 visa 」つまり、入国を許可する「入国査証」のことですよね。

ピサの斜塔なのか、ピザの斜塔なのか、ビザの斜塔なのか…
頭がこんがらがってきますわ。

とまぁ、今日はそういうお話ですが、最後に入国査証の「ビザ」に関するエピソードをご紹介したいと思います。「ビザ」ですよ。お間違いないように。

むかし、ニューヨークへ行った時、アメリカへ入国するのに、パスポートとはまた別の「ビザ」の申請が必要だと言われ、旅行社から書類をもらいました。

全部英語で、いろんなところへ記入しなければならないのですが、
「氏名」を記入する欄が3つありました。
日本なら、名字と名前の2つだけですよね。
それが、向こうでは3つです。

First name (ファーストネーム) → 名前
Middle name (ミドルネーム) → ?
Last name (ラストネーム) → 名字

旅行社の人に聞くと
「日本人にはミドルネームはないから空白でいいです」
と教えてもらった通りに、ローマ字で名前と苗字だけを書いて申請したら、後日それが印刷された許可書類となって戻ってきました。

そこで、空白にしておいたMiddle name (ミドルネーム) の欄を見たら、
なんと
「non」とあったので、思わず吹き出しました。
(まぁ、「なし」という意味なんですけど)

それとも
このビザの申請書を見た人(アメリカ人?)は、

僕のことを「non のん」だと知っていたのでしょうか?

えへへ、そんなアホな~

 

 

 

 

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