僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

アカデミー賞授賞式で

2017年02月28日 | ニュース・時事

日本時間の昨日、楽しみにしていたアカデミー賞授賞式が行われた。なぜ楽しみだったのかは、あとでお話ししますけど。

さて、今回のアカデミー賞授賞式で信じられない出来事があったことは、テレビで何度も放映されていたし、今朝の新聞にも出ていたので、知らない人はいないだろう(そんなわけないか? もちろん、知らない人もいますよね?)。

数々の賞の発表のあと、いよいよ作品賞の発表というクライマックスで、プレゼンターが封筒を開け、「ラ・ラ・ランド!」と読み上げたので、関係者は抱き合って大喜び。なにせ大本命の映画だったので疑う人もなく、会場も拍手喝采だった。しかも受賞スピーチまで始まったというのに、なんとまぁ、その時、関係者が来て、その封筒は間違いで、ほんまもんはこれ、と別の封筒をプレゼンターに渡したのだ。中に書かれていた作品賞は「ラ・ラ・ランド」ではなく、「ムーンライト」という映画だった。いやまぁ、信じられない話ですが、世界中が注目する中での「世紀のミス」でしたねぇ。

最初に渡された封筒の中身は、主演女優賞に輝いたエマ・ストーンに関するもので、紙には「エマ・ストーン『ラ・ラ・ランド』」と書かれていたそうである。つまり、主演女優賞の封筒を、作品賞の発表の時に、スタッフの誰かが渡したのである。それをプレゼンターのウォーレン・ビューティが受け取って開け、隣のフェイ・ダナウェイが朗々と「ラ・ラ・ランド!」と発表したのだった。

だから、この2人には何の落ち度もなく、まったく気の毒なことである。間違った封筒を渡した人間のうっかりミスだろうけど、こんなことって普通ありえないですよね。

ちなみにウォーレン・ビューティとフェイ・ダナウェイといえば、あの「俺たちに明日はない」という衝撃のラストシーンで有名な映画の主演コンビですね。2人とも今や70歳代後半の年齢になったそうだけど、まだまだ美男美女の面影がたっぷり残っている。それにしても、せっかくの舞台でホントお気の毒である。

今年のアカデミー賞授賞式は、こんなハプニングと併せて、もう一方では、移民への嫌悪感をむき出しにするトランプ大統領への反撥も、俳優や監督の口からいろいろと飛び出していたようで、いつも以上に話題が満載だった。

なにせハリウッドのあるロサンゼルスは、移民の人たちが多く、反トランプ色の最も強い地域ですものね。

 

そんなエキサイティングなアカデミー賞の光景を見ながら、僕は2か月前のロサンゼルス旅行の時に訪れたハリウッドを懐かしんだ。この授賞式が行われるのは、ハリウッドのドルビー・シアターというところである。旅行のときも、現地案内の人に、ここへ案内してもらった。

 


  
  そのドルビー・シアターの入口。ここから中へ入ります。  

 

  

アカデミー賞授賞式の時は、この階段にもレッドカーペットが敷かれるそうです。1段1段の幅が広く、段差が低いのは、女優さんが長いドレスで歩いても、裾がもつれたりしないように配慮されている、とのことでした。両側の柱の白っぽい部分には、各年の作品賞の映画のタイトルが並んでいます。今年はここに新たに「ムーンライト」という文字が刻まれます。(写真は去年12月27日撮影)。


そんなことで、アカデミー賞の授賞式を見るのが、今年は特に楽しみでした。

まさか、こんなハプニングが起きるとは思いも寄りませんでしたけど。

 

 


 

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気の毒な話

2017年02月26日 | 日常のいろいろなこと

週に4日、駅前のフィットネスクラブ「コスパ」に通っている。木曜日の休館日を除く平日の午前10時頃から12時半頃まで、プールで泳いだりジムでストレッチや簡単な筋トレをしたりしている。

気が進まない日もあるが、用のない限りなるべく行くようにしているのは、毎日が日曜日状態で、家の中でダラダラするのを防ぐためでもある。

何年も通っているおかげで、コスパでは多くの顔見知りも出来た。まあ、たいていは僕より年上の70歳代の人で、80歳を超えている人もいるけれど、皆さん、驚くほど元気である。コスパへ来ているから元気なのか、元気だからコスパに来ているのか…たぶん両方だろうけど、しかし中には体の不自由な人もいる。

そのうちの一人は車椅子の女性で、お父さんが僕と同い年というから40歳前後だろうか。コスパでは、プールで泳いでいる。

プールサイドまで、座ったままお尻の力で前に進み、ザブンと入水するのだが、水の中ではふわふわと、独特の泳法で気持よさそうに泳いでいる。

名前はヒロミちゃんという。

何年か前に偶然外で会い、「アイスクリームが食べたい」と言うので、近くのサーティワンに一緒に入って食べたことがある。

またある時は、駅で(ヒロミちゃんは電車で通っている)モミィと一緒にいる時にバッタリ出会って、それから僕の顔を見るたびに、「モミィちゃんは元気?」と聞くのが口癖になっている。

彼女が駅からエレベーターで降りてきた所で会うと、「押して~」とせがむので僕が車椅子を押してコスパまで行ったことも2、3回あった。これは僕に限らず、コスパの仲良しの人(まぁ女性ですが)に会ったら「押して~」と言っているようで、愛嬌いっぱいの明るい女性なのだ。


もう一人は、歩行が困難な70代後半の男性だ。毎日、ロッカー、プール、ジム、お風呂などで会い、挨拶をする。

よく話しかけてこられるが、僕がそれに答えても、その人は耳が遠くて僕の言葉が聞えないらしく、また自分の話の続きをするので、会話にならない。

ムツっとした表情で、誰とでも話す人ではないが、僕はその人と、もう何年も前からいろんな「一方通行会話」を交わしている(笑)。

その男性の症状は、歩く時の第一歩がなかなか踏み出せないのである。じっと立っている時は両足が震えている。歩こうとするのだが、小刻みに足踏みをする状態で、前に進まない。

だから、コスパへ行くエレベーターでも、みんなが乗って、その人が入ってくるのを待つのだが、小刻みな足踏み状態でその場から動けず、かなりの間、エレベーターの中の人たちは待たされる。本人はムッツリとして物も言わないので、急いでいる人は眉をひそめたりしている。

その足踏み状態から一歩を踏み出すと、もう、まったく足の悪い人には見えず、ちゃんと歩く。階段の上り下りもできる。そんな状態で、プールで水中歩行や、ジムでストレッチやバイクこぎなどに精を出しておられる。

しかし、歩くのがいったん止まったら、次の一歩には時間がかかる。

だから、ロッカーの狭い入口で、靴を脱いだ後や履いた後などに、ずでんと転倒することが多く、いつも入口近くのロッカーで着替えている僕は、そんな姿を見て、驚いて走り寄ったことも何度かあった。「大丈夫?」と言うと、「うん、うん」とうなずく。何度もバランスを崩したり倒れたりしているわりには、ケガをされないのは幸いだった。

うわさでは、要介護1に認定されている、とも言われていた。(ちなみにコスパへは電動自転車で通っておられた)

そういう身体の状態なのに、毎日のようにコスパに通っているのはえらい、と常々思っていた。普通なら家にいるだろう。

しかしそうすれば、気分も滅入り、体調も崩しがちになってくると思う。こうしてコスパに来ているからこそ元気も保てる、というものである。

だけど、もし自分だったら、この状態で、果たして来ることができるか、と考えると「無理!」と言わざるを得ない。

陰で「よくあんな状態で来るよなぁ。ワシやったら絶対に家におるわ」と、批判的に言う人もいたが、僕は「いや、あの人はえらい」とずっと思っていた。

その人を、最近、見かけなくなった。

病気でもされているのか、と少し気になっていたが、ある時、別の人との会話の中で、「〇〇さん、やめたなぁ」と、その人の話が出たときは驚いた。

「えっ、やめはったんですか?」「うん。1月いっぱいで、退会しはった」


僕はもっと詳しく聞きたかった。その話によると…

「やめたというより、やめさせられたんと違うか?」ということだった。

「どういうこと?」

と僕が聞くと、〇〇さんはそういう障害があるので、コスパ側が以前からやめてもらうように勧告していたという。

会員の人たちから「あれは危ないで」とか「エレベーターもあの人が乗るまでずっと待ちっぱなしや」とか、いろいろな声が出ていたようである。それでコスパ側もやむを得ず勧告を出していたのか、あるいは、この施設内でもしものことがあれば責任問題にもなりかねない、とコスパ側が思ったのか知らないが、〇〇さんがやめたのは、たぶん勧告が強まったからではないか、という話だった。

そうだったのか。

もし強制的にやめさせられたのなら、気の毒なことだ。これによって、〇〇さんが外出する機会はグンと減るのではないか。

外を散歩したら、車や自転車が通り抜けていくし、信号などもあるので、それこそ危険である。コスパだと、転倒さえ気をつけていれば他の危険はない。顔見知りもできて気分転換にもなる。その日課がなくなってしまったのだから。

時々、あのムッツリした顔を思い出す。
今頃どうしておられるのだろうか? 

 

 

 

 

 

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いい加減な話

2017年02月23日 | 読書

先月のことになるけれど、下重暁子さんの「家族という病」「家族という病・2」の2作を読んだ。この本の帯には「『家族は素晴らしい』は欺瞞である」とか「『幸せな家族』なんて存在しない」と書かれています。つまり、家族が心の支えだとか、家族のために、とかいうのは幻想だという話。まあ、これは少し極端な表現で、本の中身はもっと広がりを持っており、たとえば年老いた夫婦の2人暮らしの場合の「距離の置き方」ということなどが、著者自身の経験をまじえて、細かく述べられています。それでも、家族というものは、人が言うほど素晴らしいものではない、というのがこの本の基調となっています。

ここで著者は「日常の会話でも、家族の話は自慢か愚痴ばかりで、発展性がない」と書いています。う~ん、そうかなぁ。言われてみれば、僕が通っているスポーツクラブでも、特に女性の人たちは家族の話をよくするけれど、旦那さんに対する愚痴が圧倒的に多い。たいてい年齢的には退職されているので家にいる人が多く、「ずっと家にいられると息が詰まる」とか「家のことは何もせず、文句だけ言う」と奥さん方は、旦那さんに対する愚痴をこぼすのです。

あ、余談ですが、この本の中に「家族の写真入りの年賀状を送るのは幸せの押し売り」という一節がありました。毎年、モミィや自分たちの写真を年賀状に印刷している僕としては、「あんたもやで」と言われているような気になりました。来年から、ちょっと考えた方がいい?(というより、いっそ年賀状自体もやめたほうがいいかも)。な~んて思ったりしました。


さて、家庭裁判所では、家族のもめごとを「家事事件」と呼ぶそうです。その家事事件が近年特に増加して、2016年度には初めて100万件を超えるということです。この家族間のもめごとの中で圧倒的に多いのが、やっぱりこの夫婦間のもめごとだそうで、具体的には、離婚をめぐる夫婦のトラブルが数多く家裁に持ち込まれるようになった、とのことです。つまり、離婚にまで発展するほど仲の悪い夫婦がどんどん増えてきたということでしょうか。まぁ、あるいはもっと昔からそうだったけど、それが表面に出なかっただけなのか…そのへんはわかりませんけどね。

しかしそれでも最近、夫婦や親子、兄弟など、家族間の殺傷事件が多いのを見ると、たしかに家族がゆがみ合うケースが増えてきたのは事実です。これも「家族という病」の現象なんでしょうか。

ご存知と思いますが、つい先日も、こんな事件がありました。
静岡県での話。ある家庭で夫婦喧嘩がはじまり、それを見かねた長男(38歳)が仲裁に入ったところ、父親が包丁を持ち出して長男の腹や胸を包丁で刺し、重傷を負わせたという事件です。父親は64歳。夫婦喧嘩の原因は、台所に置いていたペットボトルをめぐって口論になったということだそうです。…なんだ、それは? と思うような話ですが、たぶん、「ペットボトルをそんなところに置くな」「いいじゃないの」みたいなやりとりだったんでしょうか。夫婦喧嘩って、まあ、そんなものかも知れませんが。

でも、なんでこんなことで…? そんなことでもめるんだったら、朝から晩まで口論ばっかりしていなければ、と思ったりする。これでは妻にとっては夫が、夫にとっては妻がストレスの元ということになるし、あまりにつまらないですね。それにしても、夫婦喧嘩の仲裁に入った息子を包丁で刺すとは、なんてこった、と思いますよね。

で、これも本の話ですが、ちょうど、いま読んでいるのが、三浦朱門・曽野綾子さん夫婦の対談集「夫婦のルール」という2014年に出版された本です(朱門さんは先日亡くなられましたが)。そこで妻の曽野綾子さんがこんな意味のことを言ってます。

元々夫婦は他人だから、100パーセント理解などできない。夫婦の価値観が違うのも当たり前の話で、価値観の違いで離婚するというのなら、何度結婚しても離婚しますよ(笑)。で、ほとんどのことは「たかが」でいいのでは。「たかが」と思うと落ち着いて相手を見られる。夫婦だって他人同士だって、そう思っていれば、ぶつからずに済む。自分もいい加減だけど、あいつもいい加減だよな、と仲良くなる。そう考えると、いろんなことはそんなに難しいことじゃないんです。

と、まあ、そういうことでした。ペットボトルが台所に置いてあっても別にかまわないわけで、そんな細かいことがいちいち気に触っていたら神経が持ちませんね。つまり、曽野綾子さんが言われるように、いろんなことがあっても「たかが…」と思い、「いい加減」に考えていたらいいんだと思います。

これまでの人生をいい加減に過ごしてきた僕ですから、この言葉には大いにうなずけます。

ちなみに、僕たち夫婦間には、もめごとはありません。

と、こう書けば「家族という病」の下重暁子さんから、「それが家族自慢なのです。そんな話、何の発展性もありません!」って言われますよね、きっと。

 

 

 


      

 

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

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英検3級二次試験

2017年02月21日 | モミィの成長日記

おとといの日曜日、モミィが英検3級の二次試験を受けた。1月22日に一次試験があり、その結果が2月3日に発表され、無事に合格することができた。去年6月から数えて3度目のチャレンジでの一次試験合格だった。そして今度は二次試験だ。当然ながら、これに合格しなければ3級の資格は得られない。

試験会場は一次試験と同じプール学院中等学校・高等学校。
大阪環状線で天王寺から2駅先の桃谷駅で降りる。

この日は穏やかで暖かく良いお天気だった。3人で家を出てプール学院に着くまでモミィはずっと「緊張するわ~」と言いっぱなし。「大丈夫やろ? ECC塾で先生とバッチリ練習を積んできたんやろ?」と言うと「まあ、そやけど…」とヘラっと笑う。本当に緊張しているようには見えへんで。

二次試験は、試験官と1対1で面接形式の試験である。もちろん、部屋に入ってから出るまで、全て英語でのやりとりで、試験官が口頭で質問したり、イラストを見せて質問したりという形式なんだそうだ。

プール学院に着いた。「こちらで~す」とガードマン風の人が指さす先は、礼拝堂だった。プール学院は「キリスト教教育」というのをひとつの特色としている学校だ。その礼拝堂の入口で受付が行われていた。先日送られてきた受験票と、一次試験の時に使ったモミィの写真入りのカード、そして身分証明書(健康保険証でOK)を提示した。「何級ですか?」と聞かれ、僕はとっさに「準2級です」と答えてしまった。なぜなら、最近モミィはずっと次のターゲットである準2級の勉強をしていたので、ついそれが頭に浮かび、間違ってしまったのだ。横からモミィが「3級やで~」と言い、「あ、すみません。3級でした」と受付嬢に言い直した。受付嬢は笑って「ではこの袋に受験票等を入れてそちらの方に行ってください」と言ったので、思わず「サンキュー(3級)!」と、ダジャレを言ってしまった。アホやがな、こんな時に。


   
   この礼拝堂にズラッと並んで座り、順番を待つ。
   (写真はプール学院のホームページのものです)

 
礼拝堂の中は、ほとんどが中高校生のようで1人で来ているが、小学生ぐらいの子には、僕たちのような保護者が同伴している。係員が受験生に、試験の注意事項の書いたものと、そのあと、住所や氏名を記入して面接官に渡す用紙を配って歩く。モミィがそこに必要事項を書き込み、順番を待った。「あぁ、緊張するわ~」とまたモミィが声をひそめてつぶやく。「大丈夫だって」と妻が元気づける。

前の方から順番に、15人程度を1グループとして呼ばれ、廊下へ出てゆく。やがて順番が来て、僕らも廊下へ出る。ここからは受験者のみで、保護者は別の場所へ行って、試験が終わるのを待つのである。

妻と2人で、どれくらい待っただろうか。ポツポツと受験生たちが戻ってくるが、モミィは後ろの方だったので、なかなか姿を見せない。

僕が学校の正門に近いロビーのようなところで、空いていた椅子に座っていると、「すみませ~ん。ちょっと座らせてもらえますか」とガードマンが女子中学生らしき女の子を抱えるように近づいて来た。この子はどうやら身体の具合が悪いようで、足がふらついている。その子を座らせて、ガードマンは保健の先生を呼びに行った。その子はマスクをしていたが、目にはいっぱい涙を浮かべ、全身をぐったりさせながら泣いていた。朝から体調が悪かったのかも知れない。しかし試験があるので無理をして出てきて、試験が終わったあと、精根尽き果て、玄関で倒れたのだろうか。やがて保健の先生が来ていろいろ聞き、その子の家に電話をしてあげていた。モミィは元気で試験を受けられただけでもよかった、と、その子を見ながら思った。

やがてモミィが戻ってきた。「まぁまぁやったわ~」と言って、やれやれという嬉しそうな表情を浮かべていた。

学校の門を出て歩きながら、モミィに試験の様子を聞いた。1人5分程度の質疑応答があったそうだ。部屋に入るとき、先の人たちがみんな「メイ・アイ・カム・イン?」と言っていたので、自分もマネをしてそう言って中に入ったという。そんな話から、試験官からのいろいろな質問。たとえば、買い物は好きですか? どんなものを買いますか?という質問には、「はい、好きです。本を買うのが好きです」と英語で答えた、などと話してくれた。その話を聞きながら、まぁ大きなミスさえなければ二次試験は合格する、という話なので、大丈夫…かなぁと思った。

最後にモミィが「試験が終わってサンキューと言って出口に行って、ドアを開ける時、試験官のほうを振り向いたら、わたしの顔を見てニコッと笑った」と言ったので、「あ、それやったら大丈夫や。合格でしょ」と、僕も何の根拠もないことをお調子よく言ったものだった。

ということで、この結果は今月末の28日、午後3時以降、ネットで発表されることになっています。あと1週間。その日がまた楽しみになってきました。

 

 

 

 

 

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京都府立医大病院事件とハヤシライス

2017年02月18日 | 思い出すこと

京都府立医大付属病院が、暴力団の組長の虚偽診断書を作成したという容疑事件の報道を毎日見ているうちに、ふと、遠い遠い記憶がよみがえってきた。もうすっかり記憶の奥底に埋もれていたような記憶ですが。

僕は京都市上京区で生まれ、幼稚園の途中までそこで過ごした。そのあと、母に連れられて大阪に出てきたわけですが、小学校の休み期間に入ると必ず、自分が生まれ育ち、祖父母もいる京都の家に遊びに行き、休み期間中のほとんどをそこで過ごした。そんな頃の思い出です。

京都の家は自転車屋だったので、祖父は1日中、店…つまり家にいた。そして、初孫でもあった僕をとても可愛がってくれて、自分の用事でどこかへ出かけるときは、よく僕も一緒に連れて行ってくれた。それはいいのだけれど、祖父は持病(たぶん糖尿病だったような…)があって、定期的に病院へ通っていた。その病院へ行くのも、僕を連れて行くのである。ジイちゃんも病院ぐらい一人で行けばいいのに…とは、小さかった僕は思わなかった。いや、むしろ僕はその日が楽しみだったのだ。なんで…?

それは、祖父が病院の診察を終えた後、帰りに食堂に連れて行ってくれるのが楽しみだったのだ。病院のそばの食堂で、必ずハヤシライスを注文してもらって食べた。その店のハヤシライスが、当時の僕にとっては、この世の中で一番おいしい食べ物だった。

祖父が「今日は病院の日やで。一緒に行くか?」と聞いたら、もちろん僕は「行く行く。ハヤシライスやろ」と返事をしていたに違いない。病院では、待合で座っているだけで面白くもなんともなかったと思うのだが、帰りのハヤシライスは決して逃してはならないのだ。そしてその病院の名前が「府立病院」だった。祖父がいつも「“ふりつびょういん”へ行くで」と言っていたのを思い出す。あれは正式には「府立医大付属病院」だったんだなぁと、いま初めて知ったのである。

そんな古い昔の話を、今回の同病院の偽診断書容疑事件が報じられたことで、思い出した。ハヤシライス→府立病院、という連想で思い出したわけである。それにしても、昔、祖父が通院していたあの「ハヤシライスの病院」が、これほど大きなニュースとして突然自分の目の前に登場してくるとは。…ホントに驚いた。

病院の近くにあったあのハヤシライスのおいしい店は、今もあるのだろうか? なくなっているだろうな、たぶん。

 

 

    
  祖父は僕が12歳の時に亡くなった。


   
このころの僕はハヤシライスが大好きだった!

 

 

 

 

 


 

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バレンタインデー

2017年02月15日 | 日常のいろいろなこと

昨日はバレンタインデーということで、モミィも学校や塾の友だちとチョコレートをあげたりもらったりしていた。

自分で作ったチョコレートを友だちにあげるのを「友チョコ」というそうだ。モミィも、12日の日曜日、妻に沢山の板チョコを買ってもらい、それを溶かして型に流し込んで固め、それに飾りをつけたりと、奮戦しながらおしゃれなチョコレートを作っていた。そして、出来上がったのを友達にあげるのである。「時代も変わったなぁ~」と、思わざるを得ない。

僕などは、バレンタインデーといえば、女性が、想いを寄せる男性にチョコレートをあげる「本命チョコ」と、職場の人たちへの形ばかりのプレゼントとしての「義理チョコ」の二通りしか知らない。でも今は、この「友チョコ」や、自分へのご褒美としてチョコを買う女性が多くなっているということだ。

つまり、まあ、チョコを介して男性に愛を告白するなんて、もう今の時代では古くさい、ということなんでしょうね。それよりも、チョコレートそのものを、女性同士で楽しむようになってきた…と言えるでしょうか。

僕も仕事から離れて8年近くなるけれど、あの、職場の「義理チョコ」という習慣は、今も続いているのだろうか? 昔は、2月14日になると、女子職員たちがチョコレートの束を抱えて、職場のあちらこちらの人たちに配って歩いていた。そして、1か月後のホワイトデーには、今度は男子職員がお返しをする。

この「義理チョコ」は、女子職員も、渡したくもない相手にチョコを渡すことだって、あるだろう。もらうほうも、もらったからにはまたお返しをしなければならない。そういう習慣は、なんだかなぁ、と僕はず~っと思っていた。

ある年には、職員組合が発行する新聞に「贈ったり返したり…もうやめたら?」という記事を書いたことがある。しかしそんなのは焼け石に水。そうした風潮は一向に収まる気配はなかった。

そういう時代だったんだけど、最近は「職場事情」というのを知らないので、まだそんなことが続いているのか、すっかりなくなったのか、わからない。たぶん、なくなったのでは…と思っているけれど。

余談ですが、
去年末、ロサンゼルスへ行く前に、少し「予習」をしようと、ロサンゼルスを舞台にした映画を、DVDを借りていろいろ見た。これまで見たことのある映画も多かったが、たとえば「ビバリーヒルズ・コップ」の三部作や「LAコンフィデンシャル」「プリティウーマン」「イエスマン  “YES” は人生のパスワード」「シティ・オブ・エンジェル」をはじめ、数々の作品を見た。

その中のひとつに、「バレンタインデー」(2010年)という映画があった。子どもから高齢者まで、ロサンゼルスに住む沢山の登場人物が、バレンタインデーに愛を告白したり確認したりしようと、それぞれ一生懸命になるお話で、全編一貫したストーリーではない。つまり短編小説集のようで、映画自体も軽めの映画なんだけど、そこに描かれていたのは「愛」をめぐるさまざまなエピソードだった。チョコレートとはあまり関係がない。一方、日本のバレンタインデーというのは、チョコレートの会社の派手な宣伝一色に塗りつぶされ「バレンタインデー」→「チョコの日」みたいになってしまっている。

モミィたち小学生の女の子同士が、自分で作ったチョコを友達に渡し合っているのを見たら、それはそれで楽しそうで、微笑ましいとは思うんですけどね。

世間は少しずつ変わってきている…というのは、こういう流れひとつを見ても、何となく感じます。まあ、何かあるごとに「あぁ、世の中も変わってきたなぁ」としみじみ思うのは、年を取ってきた証拠…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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18歳松野莉奈さん 不整脈で急死

2017年02月12日 | ニュース・時事

毎日毎日、寒い日が続きますね~。ぶるぶる。

今朝の7時のNHKニュースの冒頭でも、西日本の日本海側の大雪の様子が映し出されていた。そして最初に出た映像が、鳥取県倉吉市の様子だった。倉吉といえば、去年の夏休みに家族旅行で行った所で、思わず画面に見入ってしまった。

今年は各地で積雪がすごい。大阪に住んでいると、雪の降るのは年に数回、それもパラパラっと一時的に降るだけで、ごくたまに薄く積もるときもあるけれど、そういうのは何年かに一度だ。モミィはテレビを見ながら「いいなぁ、雪が積もっていて」とのんきなことを言っているが、実際に住んでいる人たちは大変であることは、新聞テレビ等の報道で十分にわかる。除雪作業ひとつにしても、ものすごく体力を消耗するだろうし、高齢者の方がスコップを使っている姿を見ると、「う~ん、大変やなぁ」と、テレビに向かってつぶやく。そして、大阪は豪雪もなく、大きな地震も、大型台風やケタ外れの豪雨などの自然災害もほとんどないので、しみじみ有り難く思うのです。まあ、この先はどうなるかわかりませんけど…。

 ……………………………………………………………………………………

ニュースと言えば、積雪のニュースと同様に、連日報じられているもうひとつの大きなニュースがトランプ米大統領の「言動あれこれ」であり、今はそのトランプさんと安倍総理の会談が焦点になっていますね。

それにしても、トランプという人は、大阪人から見ると、生粋の「商売人」である。自分の商売のことしか頭にない、という感じだ。だから政治家としては、なじまない言動を繰り返してきているのだろう。まあ、見ている方も今では慣れっこになり「あ、また、たわけたことを言うてるわ」みたいな印象である。

そんなトランプさんに対し、安倍さんがとても仲良くしている姿には、さまざまな見方があるようだけど、安倍さん自身も、トランプさん個人と仲良くするというより、アメリカと仲良くするという意味でそうしているだけで、相手が誰であろうと同じような調子で接するのだと思う。ですよね? それでも、トランプさんという人物は、これからどんなことをやるんだか、甚だ心配である。

 

   
   モミィが読んでいる小学生新聞にも一面で。

 ……………………………………………………………………………………

最後に、「エビ中」と呼ばれるグループのメンバーで、松野莉奈さんという18歳のアイドルが8日に急死したというニュース。僕はそういうグループがあったことも知らなかったけれど、18歳という若い子が亡くなったのが衝撃だった。

最初は事故かと思ったが「病死」とのこと。何の病気かは不明だった。しかし急死だから、元々病気がちだったり療養中ということではなかったはず。そして10日に所属事務所から、彼女の死因が「致死性不整脈の疑い」との発表があった。あくまでも「疑い」ということだったが、これが事実だったら彼女は不整脈で死んだことになる(ただし「致死性不整脈」という病名は聞いたことがない)。

不整脈には僕も10年間以上悩まされ続け、最近も特に発作の頻度が高くなってきているところだが、18歳の少女がそんな不整脈で亡くなるとは、にわかには信じがたいことであった。

しかしまぁ、不整脈と一口に言ってもいろんな種類があり、症状がある。僕の場合は「心房細動」と言われるものだ。心臓の上半部にある心房の部分が規則的な収縮を行わず、その各部の筋肉が無秩序に収縮する状態で、心拍が乱れ、動悸が激しくなる。発作時は、個人差はあるだろうけど、僕はかなりしんどいです。

それともうひとつ、心室細動というのがある。
そして、こちらの方が圧倒的に重篤なのである。

心臓の上半部が「心房」で下半部が「心室」となっており、心房から心室へ血液が送られるわけだが、心房細動は「命に別状はない」のが定説で、僕など医師から「大丈夫です。死にませんから」と何回言われたことか。

しかし心室細動はそんな程度では済まない。発作が出たら、心臓から血液が送られなくなり、意識が遠くなり、そして呼吸が停止し、死に至ると言われている。15年ほど前、高円宮(たかまどのみや)親王がスカッシュの練習を行っていた時に急死されたことをご記憶の方も多いだろう。47歳だった。原因は心室細動ということであり、つまりそれほど怖い不整脈なのである。

今回の松野莉奈さんも、事務所の発表どおりなら心室細動で亡くなったことになる。18歳。本当に、お若いのに…。お気の毒なことです。

 

 

 

 

 

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モミィとの珍問答

2017年02月10日 | 思い出すこと

昨日、このブログに「モミィちゃん、大きくなってますね~~」とのコメントをいただいた。僕が初めてブログというものをネットに載せたのが2005年の7月か8月だった。それから数ヵ月して、モミィが生まれた。そのあと、ブログはいくつか変えたけれど、時々モミィの写真を載せていたので、そういう写真をご覧いただいていた方は、やはり最近の写真を見ると「大きくなった~」と思っていただけるわけですよね。

先日、昔のモミィのことを書いた日記を読み返していたら、モミィの4歳の頃の話が出てきたので、懐かしかった。その頃のモミィは、何を見ても「なんで? なんで?」を連発する子だった。

ありますよね。子どもには、何でも疑問に思って手あたり次第「なんで?」って聞く時期が。

モミィが4歳の2009年(平成21年)の12月のことである。

僕は翌年の手帳を買おうと思って、駅前のジャスコへ行こうとした。部屋で遊んでいたモミィに「一緒に行く?」と声をかけると、「ええよ」と言って、ひょこひょことついて来た。

モミィを自転車に乗せ、ジャスコに到着し、手帳を買うために「本屋さんへ行くよ」と言った。書籍売り場は4階にある。そちらへ向かうと、「本やさんへ行くの?なんで本やさんに行くの?」と言う。4歳のモミィは、元々よくしゃべるけれど、最近やたら「なんで?」を連発する。たとえば、「なんで電信柱があるの…?」 とか、「なんで坂道って、あるの…?」 とか、次々と難問を発する。

この時も「なんで本やさんに行くの?」と聞くので、「手帳を買いたいねん。だから本やさんに行くわけ」と答えた。 

すると、「本…って、なんで本と言うのん?」とまた難しいことを聞く。
「本はね…、昔から、本て言うねん」…自分でも何を言っているのやら。

「そしたらね、本やさんの、やさん、って何のこと?」
「うぅ…。何かを売っているのを『や』と言うて、それに『さん』をつけるの」
「何かを売っているところが “やさん” なの?」
「そうや。お肉を売っていたら、お肉やさん。魚だったら、魚やさん」
と会話をしながら、洋服売り場の前を通ったら、
「そんならここは服やさんやねぇ」と言う。
「当たり~ わかっとるがな。えらい、えらい!」

次に、手相を見るコーナーの前を通った。
大きな手のひらの絵が描かれた看板がかかっている。
お客は誰もおらず、ひとり手相見らしきおばさんが、ちょこんと座っている。

モミィは、手の絵のある看板を眺めたあと、僕のほうを向いた。 
そして、大声で、
「ここは『おててやさん』やなぁ。おてて、売っているんや」

僕は思わず周囲を見まわした。そして、声を潜めてモミィに言った。
「おてて? 手…?  まさかぁ、手は売ってへんわ。手相やがな」
「手相…? 『てそう』って何…?」 
「え~っ? 手相か…? 手相言うたらなぁ…」
と、僕はしどろもどろになりながら、言葉を探す…。
「あぁ、誰か、かわって~!」と心の中で叫びながら。

この当時のモミィとは、ずっとこんな調子の会話が続いたものである。

ところが最近では…

去年から普通の新聞と併せて日刊の「朝日小学生新聞」というのを取っている。何でも文字があれば読みたがるモミィなので、妻が社会の学習の一環として取ってやった新聞だが…

あるとき、モミィはその新聞を読みながら、僕のほうを向き、
「ねぇ、『だんじょかくさ』(男女格差)って何?」
というような質問をしてきたのである。日本は、諸外国に比べてまだまだ男女格差が大きい、という記事を読んでのことだろうけど。

「おてて、売ってるの?」という質問から7年経った今、こんな「男女格差って何?」みたいな質問が飛び出すのです。

ホント、早いですね~ 子供の成長というのは。


 


   
     モミィ4歳の頃(2009年12月撮影)。

 

 

 

 

 


 

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英検3級の結果 出ました

2017年02月04日 | モミィの成長日記


先月22日に行われた英検の一次試験の合否結果が、昨日の午後3時から、英語検定協会のホームページで発表されました。

モミィにとっては3度目のチャレンジとなった3級受験でしたが、直後の自己採点では、たぶん合格…という結果を得ていたので、昨日という日が待ち遠しかったです。

で、僕はこの日、午前中はスポーツクラブに行って「金曜ヨガ教室」やら何やらとしながら過ごし、1時過ぎに帰宅して、食事をしたあと、ひたすら3時になるのを待っていましたが、待ちきれず、5分前に試しに英検サイトにアクセスし、英検IDとパスワードを入力すると、もうすでにモミィの結果が出ていました。

そして、画面を見ると…「合格」の2文字が目に飛び込んできました。

それを見て、「あ~、よかった」と胸をなでおろした次第です。

前回は合格基準まであと一息というところでしたが、今回の得点は合格基準を少しだけ上回っての合格、ということでした。二次試験(面接)は今月の19日に行われるので、それに合格しないと3級の資格は得られませんが、とにかくモミィにとって難関だった3級の一次試験に合格したことは何よりでした。ちなみに、一次試験に合格したら、二次試験に落ちても合格から1年間は一次試験が免除され、二次試験だけ受験できるそうです。

さて、3時15分ごろ、ECC塾の先生から「どうでしたか?」という電話がありました。「合格でした。ありがとうございます」と報告しました。「あぁ、よかった~!」と、先生は大喜びをしてくれていました。

この女性の先生がとても熱心な方で、モミィはマンツーマンで教えてもらっていました。ECCと言っても、出来てからまだ間もない新しくて小さな塾なので、生徒数もそれほど多くなく、塾の経営者であるこの先生は、モミィに期待をかけて、実に親身になって指導してくださったようで、それは、モミィの話を聞いていても、よくわかりました。

電話で僕から報告を受けた先生は「では二次試験と、そして次の準2級に向けて、しっかりやっていきますので!」と声を弾ませながら、何度もご自身に言い聞かせるように「よかったよかった」を繰り返しておられました。

その後、学校から帰ってきたモミィに合格を伝えると、「やった~」と歓声をあげました。昨日は節分だったので、夜は手巻き寿司でお祝いをしました。

去年の6月と10月の2度、3級にチャレンジして、いずれも不合格でしたが、今回、文字通り「三度目の正直」が実現しました。

なんだか、まだ二次試験が残っているのを忘れてしまいそうですが…。

 

 

   

お正月の初詣のときに、
「英検合格できますように」
と書いたモミィです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中学受験に向けて 

2017年02月02日 | モミィの成長日記

2月に入った昨日から、モミィが新しい塾へ通い始めた。これでモミィは、月曜日から土曜日まで、すべて塾通いで埋まってしまうことになった。

いま通っているECC英検コースの塾が週2日あり、新しい塾が週3日、残りの1日は、モミィが自分の意思でECCへ行って自習室で学校の宿題をしたりする。それで月~土曜日が埋まる。そして日曜日は、幼稚園の頃から通っているスイミングスクールへ行く。つまり、週7日間のすべてに予定が入っているということになる。何の予定もなくヒマだらけの僕とは大違いである(笑)。

モミィは昨日、初めて行った塾について「楽しかったわぁ。友達も2人できた」と、帰って来たとたん、声を弾ませていた。小さい頃から、スイミングをはじめ、ヤマハ音楽教室、ECC、ダンス教室、体操教室、キックベースなど、数々の習い事や運動に通っていたが、出来る出来ないは別として、行くのを嫌がったことはほとんどなかった。

2人の息子たちが小学生の頃は、2人とも大好きなサッカーばかりで、あとは習字教室や「くもん算数教室」というところにチョコっと通っていたのは覚えているが、モミィのように喜んで通っていたということはなかったと思う。

また僕自身も、小学生の頃、母親に「あんたは字が下手やから字を習いなさい」と近所の習字教室に連れていかれたけれど、行ったその日に、途中で逃げて帰ってきて、家で母親に叱られたことを覚えている。(そのせいか、いまだに字は下手くそですわ)。でもね、嫌いな学校で息の詰まる思いをしたうえ、帰ってからも習い事みたいなところへ「なんで行かなあかんねん」という気持ちが僕には強かったわけです。ま、だいたいが怠け者ですから。

その点、モミィはどんなところに行くのも嫌がらないし、逃げて帰ってきたりもしないので、保護者の立場としては助かります(今から思うと、母には悪いことしましたけど)。


新しい年になり、5年生としての最後の学期が始まって、4月には6年生になる。勉強や塾に関することはすべて妻がモミィと相談しながら進めてくれているけれど、どうやら、中学受験にチャレンジするようだ。今年から大阪府下で初めてという公立高校の中高一貫の制度ができた富田林高校と、塾の先生がお勧めの私立の〇〇中学校の2つを視野に入れて、1年間、モミィはその受験勉強に励むという。と同時に、英検のほうも、明日、3級の一次試験の結果が出るけれど、これに合格し、19日に行われる二次試験も通れば、次は準2級にチャレンジ。ECCの先生は「大丈夫、絶対に6年生のうちに、準2級に合格させてあげるから」とモミィに言ったそうである。なんとも心強い先生ですね~

聞くところによると、女性の基礎代謝は12~14歳ぐらいがピークなのだそうだ。モミィも今年の秋に12歳。心身ともに伸び盛りの年齢になる。結果はどうあれ、あらゆるものを吸収しながら、充実した時間を送ってほしいと願うばかりです。

 

 

 

 


 

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