僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

散歩道を彩る花々の風景

2022年04月28日 | ウォーク・自転車

数日前、ちょうどいい天候だったので、市内のいろんなところを妻と歩きました。いつもなら、買い物がてらに少し遠回りをして駅前に向いて歩くのですが、この日は時間をかけて、広い範囲をグル~と巡ってみました。

周囲の景色は、桜の花こそ散って無くなりましたが、それでも今の時期はどこを歩いてもきれいな花が咲いていますね。いろんな施設の周囲やお家の庭、そして道端にと、色とりどりの花が目に鮮やかです。それらを眺めながら歩ける今の季節は、ほんと、貴重な季節です。

 

これはわが家から東に歩くと外環状線という道路に出るのですが、その途中の「大水川遊歩道」というところです。ツツジが見事です。桜もいいけど、この「ツツジのかたまり」もきわだって華やかです。このあとも、あちこちでツツジを楽しみました。

そこを通り過ぎて外環状線に出ると、信号の向こうは藤井寺市民体育館があり、その体育館に沿ってハナミズキの街路樹が並んでいます。

  

1週間前にここを通った時は満開で、もっと真っ白で鮮やかだったのですが、写真を撮らなかった。この日は少し散り始めていたので「あの時撮っておけばよかったなぁ」といささか後悔の念を抱きながら撮った一枚です。この道の右側が市民体育館です。

また道端でも、こんなちょっとしたカラフルな花に目が行きます。

 

そのあと、グル~っと市内を回り、藤井寺市役所の前を通ったら、目に飛び込んできたのがこれでした。

 
市役所の庭に咲いていました。
「この花は何?」と妻に聞いたら、
「なでしこ、ね」とのことでした。
えっ、あの「なでしこジャパン」の「なでしこ」?
ふ~ん。こんな花だったんだね。知らんかった~

さて、そのあと、駅前のイオンに行くと、やはりツツジが。

 
(藤井寺駅側からイオンの入口に向かって撮る)

やはり今はツツジが一番目立つ時期なんでしょうね~

そしてイオンで買い物をしたあとわが家へ。
家が近づいてきたら、今度は「城山古墳」というのがあって、そこにも花が咲いているはずなので古墳のまわりとグルっと一周した。

ここは桜が見事に咲き誇っていたのだけど、面影はない。
でも、緑が鮮やかなので、ほぼ毎日この横を通って帰る。
今日は久しぶりにまわりを一周してみたが


 城山古墳の菜の花畑。これも盛りを過ぎた。

そして、古墳の中に一歩足を踏み入れると、

 
  やっぱりここでも、ツツジが一番きれいだった。
  右の方に立っている石碑には「史跡城山」と彫られています。


では最後です。
わが家の近くでこんな風景が目に入りました。


 

藤井寺市の市議会議員さんの氏名を書いた立て札が見えます。この辺を地盤にしている女性議員で、僕もお名前は知っていますし、この立て札があることも以前から知っています。

それが今、この立て札のすぐそばに、白くて綺麗な花が咲いています。
で、その議員さんのお名前というのが

 

でした。
お名前と背景がなんだかシンクロしているようで。
思わず立ち止まり、写真を撮ってしまいました。

散歩をしているといろんな光景が目に映るので、楽しいです。
きれいな花もあれば、こんな面白い構図にも出会いますからね~

 

 

 

 

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知床の観光船 あの絶景を思い出す

2022年04月24日 | 思い出すこと

北海道・知床半島の沖合で、26人が乗った観光船が遭難したニュースには、誰もが大きな衝撃を受けたことでしょう。今日(24日)の午後8時半の時点では、これまで10人が見つかり、いずれも死亡されたと報じられています。

死亡された10人の方々は全員が知床岬の先端付近で見つかったといい、船そのものはまだ見つかっていない。沈没したのか、あるいは遠くへ流されたのかと言われていたけれど、海上保安庁は「沈没した」との見方を示したそうだ。

「日本最大の秘境」と言われる知床半島を観光船から眺める光景は、僕も昔に行ったことがあるけれど、本当に素晴らしい。そんな最高の眺めを楽しむために乗った船でこんな恐ろしい事故が起きるとは、なんという悲惨なことだろう。

 …………………………………………………………………………

僕がこの観光船に乗ったのは北海道自転車旅行の時。もう50年以上も前のことで、時期は7月。網走の知り合いの家に数日お世話になっていたが、
「ここまで来たのだから、ぜひ知床の観光船に乗ってらっしゃい」
と勧められたので。

網走から列車に乗って斜里で降り、そこからバスに揺られること約1時間半でウトロ港に着いた。ウトロから知床をめぐる観光船は何種類かあったが、僕は、「ウトロ〜知床岬折り返し」のコースを選んだ。
片道約40キロ。所要時間は往復で4時間30分。

船からの景色はまさに絶景だった。

 
 1000m以上の山々(ほぼ火山)が連なり、
 海岸線は断崖が続く。左の方に滝が見える。


 
  ここが知床岬の先端です。


  
  同じ船に乗った女性に撮ってもらった。

 

  
  その時のパンフレットと、スタンプ。
  処分できなくて、今も手元に残しています。


知床の観光船と言えば、この日のことがよみがえります。
その日は 1969年(昭和44年)の7月21日だったのですが、
アポロ11号が人類で初めて月面に着陸した日でもありました。

そんな思い出深い観光船で、このようなことが起きるとは。
今もまだ、信じられない思いです。


 

 

 

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不整脈の診察 新しい担当医に

2022年04月22日 | 心と体と健康と

きょう、心房細動(不整脈)で3か月に一度通っている松原徳洲会病院に行きました。今回は検査はなく、診察だけでしたけど、受付開始は午前8時で診察開始は9時から。で、僕はいつも7時半ごろに病院へ着きます。それでも十数名の人が椅子に座って待っているんですが、今日はまぁ、なんと、十数名どころではなく、100人近くの人たちが座っていました。
すごい人数! なんでやろね?

ま、それはそれとして。

思えばこの病院の循環器内科に通い始めたのは2008年からなので、今年でもう14年にもなります。

その間、一人目の担当医の方は5年くらいで他所へ移られた。
そして二人目の担当医の方に長年診てもらっていたのですが、その方も他の病院へ移られるとのことで前回で終わりました。
で、今日診察を受けたのは初めての先生だったのです。

名前を呼ばれて診察室に入ると、まず驚いたのはかなり年配の人だったこと。これまでの医師はお二人とも若かったのですが、今日の先生は白髪でけっこうお年を召しておられた。それでまず、「え~っ?」と引いてしまった。

それで、その先生はよ~くしゃべられます。
「あなた心房細動ですね。心房細動というのはこれこれあれあれで、これがこうであれがこうで。また心室細動というのもあって、それはこれで。あ、以前カテーテルを受けられたのですね。でも、効果はなかった
みたいな感じで、実に丁寧に初心者向きの説明をしてもらいました。
「それくらいのこと知ってまっせ!」と、心の中で思っていましたけど(笑)。

それから、
「日常的にず~っと不整脈が出ているのですか?」
と聞かれたので、
「いえいえ。ず~っとじゃなく時々です。1週間か2週間に一度です」
と答えました。
不整脈が出るとかなりしんどいのに、ず~っと出っぱなしなんて、そんなことになったら大変ですわ。でも、そんな人もいるのかなぁ? 
うん。そういえば、僕の病名は「発作性心房細動」というんだっけ。なら「慢性」もあり得るということですかね。

「時々ですか? じゃぁ、不整脈が出たら、どれくらい続きますか?」
と医師から聞かれたので、
「1日24時間から、長いときは2、3日続くことがあります」
と答えた。
「うむ。では、24時間から72時間ねぇ。うんうん」
とパソコンを打ち込む先生。

そして、僕はずっと不整脈の薬・シベノールというのを飲んでいるのですが、
「シベノールを飲んでいたら、おしっこが出にくくありませんか?」
な~んて聞かれました。むろん、そんなことはないので、そう言うと、
「あ、そうですか。なら、いいですけど」
この薬、長年飲んでいますが、こんなこと聞かれるの、初めてでした。

それと、不整脈が起きると脳梗塞や心筋梗塞が起きやすく、それを防ぐために僕はイグザレルトという血液をサラサラにする薬も飲んでいるのですが、この先生は、
「不整脈が出たときはイグザレルトを絶対に飲まなきゃダメですよ」
と、厳しい口調で言いました。むろん、僕は不整脈が出ようが出まいが、毎日、必ず1錠を飲んでいるので、「飲んでますよ、1日も欠かさず」と答えましたけどね。

ま、そんなことで、ちょっと、これまでの先生のタイプではないけれど、案外、相談のしやすい先生かもしれない、と思いました。
やはり、医師によって目の付けどころが違ったりするんですよね。

次の診察は7月ですが、これまで医師には言いにくいこともあったというか、なかなか思ったとおりのことも伝えにくかったのですが、もしかしてこの先生なら、どんなことでも心置きなく話せるのではないか?
と、思ったりしました。

次回は7月中旬ですが、どうなりますことやら。

 

 

 

 

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「文化人」というコメンテーターの肩書

2022年04月18日 | ズレズレ草

昨日の日曜日・午前の「サンデー・ジャポン」を見ていたら
そこに出演していた「りゅうちぇる」という男性が、あるニュースに関してコメントをしていたが、彼がテレビ画面に映ったとき、その肩書と名前が字幕で出たのを見て、思わず「はぁ?」と目を疑い、同時に笑ってしまった。

その肩書というのが、
「文化人」
というものだった。

「弁護士」とか「医師」とか「歌手」とか「俳優」とか「タレント」とかいうのだったらわかるけどね~。

「文化人・りゅうちぇる」と字が出た時には本当に笑った。

「文化人」っていったいどういう肩書なの?

りゅうちぇるというのは時々テレビで見て知っていたが、本職が何かは知らない。ネットで調べると、
「男性読者モデル、タレント、歌手、実業家」とある。
いまよくある「何でも屋」なのか?
しかしそれがどうして文化人なの?

「文化人」を広辞苑で引いてみると、
「知的教養のある人。多くの社会的活動にかかわる学者・芸術家など」
と解説されている。
りゅうちぇるがそれに当てはまるのか?
そんなわけ、ないだろうに。
いや、万が一当てはまったとしても、肩書としては甚だおかしい。
本当に「文化人」と呼べる人は、自分でそんな肩書を名乗らない。

本人が考えたのか別の人間の発想かは知らないけれど、本人もそんな肩書をつけて恥かしくないのかと不思議に思う。

それでもテレビ側はそういう肩書でたぶん面白がっているのだろう。

もし「文化人」という肩書自体がギャグだったら、「非文化人」とか「野蛮人」という肩書を名乗る人間が出てきてもおかしくないですよね。

このごろ、本来の意味から離れた言葉の使い方をするケースがやたらに多くなってきているけれど、この「文化人」という奇妙な肩書にも、首をかしげてしまいます。

それにしても、
このようなタレント・コメンテーターというのは、いったい何のために出てくるのだろうかと、いつも思う。そんなの、いらない。ニュースだけ報じてくれたらいいのに。

この種のコメンテーターたちは、ニュースに関して大した知識もないのに意見を言うのだけれど、意見の中身といえば、当たりさわりのない、まるでテレビ局の意図に沿って言わされているような、ありきたりな意見ばかりである。

だから、こういう時流に乗じて「文化人」などと称するタレントが出てきたりするのだろうか? ようわかりませんけど。

 

 

 

 

 

 

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僕は介護されやすい体 ?

2022年04月13日 | 日常のいろいろなこと

僕は小柄だけど生まれた時から小さかったらしく、母によると「ほぼ未熟児」だったそうだ。小中学校では、朝礼の時はいつも一番前か二番目か、たまに三番目かという具合。だから、列の後ろの方はおしゃべりとかしていても先生からは見えないけど、僕がそれをやるとすぐに注意を受けるので、あぁ前の列は損やなぁ~と嘆いたこともしばしばでした。

で、今はどうか。
やはり不都合なことがあります。まず衣類のサイズですが、なかなか体に合うものはなくて苦労します。たとえばTシャツ1枚にしても、その辺のスーパーで売っているものはSサイズでもダブダブ。で、スポーツ店にあるブランドのTシャツならピッタリなのがあり、仕方なくそれを買ったりするのですが、高くつきますわ。

それと、足のサイズも 24.0 ~ 24.5 なので、25.0 では大きい。シューズの店へ行くと、男性用はほとんど 25.0 からしか置いていなくて、それ以下のものを探すのにこれまた苦労する。先日は女性用で 24.0 のウオーキングシューズを買いました。もちろん色は赤やピンクじゃなく、黒ですけどね(笑)。

そんなことで不便な思いをしてきたわけですが、以前、市役所で福祉が専門の女子職員の人と雑談中に、彼女がふと、こんな言葉を漏らしました。

「大きい男性は介護が大変なのよ。でも、あなたなら介護されやすいわね」
と。(それって、体が小さいのを褒められたわけ?)
いずれにしても「便利な体」と言われたのには違いはない。まぁ、狭い場所でも入って行けるし(笑)、何かの時にはこの体でよかった~というのもあるかも知れないなぁ、と思い始めたのは、彼女のその一言からでした。

で、最近、そのことを思い出させてくれたのが、元・松原市の議員で僕とほぼ同世代の坂▼さんという男性が、SNSで発信された文章でした。

坂▼さんが市議会議員だった頃、僕は市議会事務局の職員だったけど、共通の友だちがいたりして、プライベートでは仲のいい間柄でした。坂▼さんは昔は柔道の選手で、身長は1メートル80を軽く超え、体重は100キロ以上の「巨漢」でした。もう10年以上会ってませんけど、その坂▼さんが最近、SNSでこんなことを書かれていたのです。

以前から何回となく、妻から「せめて介護ができる体重になってね。」「棺桶も別注とかしなくていいようにお願いね」などと言われていました。コロナ禍の中、2020年8月から一念発起。116キロあった体重が、1年5ヶ月で95キロになりました。

と、減量作戦に成功したことを書かれていたのです。
ちなみに、その「減量作戦」というのは、

朝はもち麦、昼をご飯の代わりにノンアルコールビールに、夜は糖質ゼロの発泡酒にかえるだけのものです。あとは、普通におかずを気にせずに食べるので、ほとんどストレスがありません。それなりに健康に気を付けて頑張っていきたいと思います。

とありました。

それを読んで、「う~ん、やっぱり体が大き過ぎてもしんどいんやなぁ」と思いました。大きすぎる(あるいは太すぎる)と、介護がむずかしい。僕のように小さかったら、いつか言われたように、介護がされやすい。そのうえ坂▼さんは、奥さんから「棺桶も別注とかしなくていいようにお願いね」と言われたとのこと。

カ、カ、カンオケ !?

棺桶からはみ出すほどの体格ってこと?
じゃぁ、僕なんか棺桶に入っても簡単におさまるし、むしろ、すき間だらけになるのかも(笑)。

体が小さければ小さいで、都合のいいこともあるってことですね。
価値観も多種多様なんだという当たり前のことを改めて感じます。
何が良くて何が悪いなんて、一概には言えませんものね~

 

 

 

 

 

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「カムカム」が終わり「ちむどんどん」へ

2022年04月11日 | 映画の話やTVの話など

NHKの朝ドラ「カムカムエブリバディ」が終わりました。

朝ドラでは初めてという3人のヒロインが登場し、親・子・孫の三代の100年の物語、ということで、一体どんなドラマなのか? と首をかしげていたのですが、見始めると、すぐに物語に引き込まれ、あっという間に終わってしまったという感じです。今週からもう見られないのかと思うと淋しいです。

そして今日から始まったのが「ちむどんどん」。
ネット上では「カムカム」にひっかけ「チムチムどんどん」と言う人もいて笑いましたが、この「ちむどんどん」とはどういう意味か?

今日の第一回の放送の中で、その説明が出てきます。

ドラマの舞台は沖縄で、物語の冒頭は1971年(昭和46年)。ヒロインは15歳で黒島結菜さんが演じ、シークワーサーを枝からちぎって食べるところから始まります。沖縄が返還されたのは1972年ですから、このシーンは返還の1年前ということになります。そして物語はそこから7年前にさかのぼって1964年(昭和39年)に。東京オリンピックがあった年ですね。ヒロインはまだ8歳。この時の沖縄はアメリカ同様、通貨はドルで、車は右側通行だったそうです。

海辺でヒロインたちが、東京から来た若者に「ちむどんどん」の意味を説明するシーンがあったので、そのテレビ画面を写真に撮りました。

 
  左から2人目がヒロイン。
  「食べたらおいしすぎて
   ちむどんどんするよ!」

 
  「ちむどんどんって 何?」 


   
  「ここが どんどん」


 
 「心が ドキドキするっていう意味」


ということで、胸が高鳴るようなわくわく感を沖縄言葉で
「ちむどんどん」
と言うんだそうですね~

僕は沖縄へは20年前の2002年(平成14年)に一度旅行しました。海が本当に美しかったのが今も強く印象に残っています。

実は1971年(昭和46年)に、何かの抽選で沖縄旅行が当たったのですが、当時はまだパスポートが必要だったり、何かと手続きが面倒だったので別の賞品に変えてもらいました。あれは返還される前の年だったんですね。今から思えば、あの時、行っておけばよかった。

今年は沖縄返還から50年という記念すべき年に当たります。
「カムカムエブリバディ」は100年の物語でしたが、「ちむどんどん」は沖縄に生まれ育ったヒロインと兄妹たちの50年の歩みを描く物語、とのことです。

舞台は途中から東京へ移るそうですが、沖縄にはまだまだ知らないことが沢山あります。ストーリーの展開も楽しみですが、沖縄について知る良い機会なのかも知れません。

あ、そうそう。前述したように、このドラマの冒頭で、ヒロインがシークワーサーの実をちぎって口に入れるシーンがありました。

 


僕は沖縄には詳しくないけれど、シークワーサーなら毎日のように口にしていますよ。

      

僕はこのハイボールの「ドライ」と「シークワーサー」が好きなんですよね。どちらも「糖質ゼロ」だし。
(へへっ。またお酒の話やで)

 

 

 

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わが家の前に5軒の新築住宅が…

2022年04月09日 | 日常のいろいろなこと

2020年の10月9日に、
「46年見続けた風景が消える日」
というブログを書きました。
わが家の前に建っていた何軒もの家がまとめて取り壊される様子を書いたものです。そしてその月の22日に、それらの建物がきれいに無くなり、数日後に、
「そして何もなくなった」
というタイトルのブログを書きました。

そして、あれから1年半が経ちました。

きょうはその経過を、わが家の3階から撮った画像で紹介します。

 
 わが家の3階は僕の部屋なのですが、
 そこから見た工事前の光景です。 
 (2020年10月)

  
 それらの家が取り壊され

 
 きれいに、
何も無くなってしまいました。

次は新しい家の建設です。

 
 奥のほうの家も出来つつあり、手前左の家の建築も始まりました。

 
 そして左の家も建ち、奥も白い家とグレーの家が建ち、
 右側にも、一軒、建ちました。これで4軒完成です。

 
  それで、残る一番手前の1軒の建築工事が始まりました。


 
 その工事も着々と進み、
これが今日の朝に撮った写真です。
 幕に覆われて見えませんが、工事はかなり進んでいるようです。

1年半というもの、ず~っと工事中でしたが、最後のこの家が完成したら、わが家の前もすっかり雰囲気が変わってしまいそうです。

よその家なのに、完成するのを妻と共に楽しみにしています。

 

 

 

 

 

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♪ 公衆電話の箱の中 ひざを抱えて泣きました

2022年04月06日 | ウォーク・自転車

先日、「好きだった歌謡曲を思い出す日々」というのを書きましたが、それにちなんだ忘れられない思い出があります。

1970年代に活躍したフォークグループ「かぐや姫」の曲で「神田川」の最後のフレーズが大好きだったことを先日書いたのですが

その「神田川」の続編みたいなのが「赤ちょうちん」という歌でした。
僕はこの歌も好きだったのですが、その中に、

♪ あなたと別れた雨の夜
 公衆電話の箱の中
 ひざを抱えて泣きました
 生きてることは ただそれだけで
 哀しいことだと知りました

という歌詞が出てきます。
この歌詞を、突然思い出したのが、ある自転車旅行の時でした。

あれは1980年の8月のこと。
3泊4日で大阪のわが家から飛騨高山へ自転車で走った。この方面には今まで行ったことがなかった。

最初の日は大津・彦根・米原・関ケ原のコースで岐阜まで。

岐阜では泊るつもりにしていた宿泊施設の数カ所がすべて満員で断られ、仕方なく岐阜公園に行き、公園のベンチで寝ることにした。8月なので野宿でも大丈夫だろう、寝袋も持っていたし、ということで「公園泊」に決めたのでした。

 
  岐阜公園の噴水像の前で(1980年8月21日)。

岐阜公園は、頂上に斎藤道三や織田信長の居城だった岐阜城がある金華山や、鵜飼いで名高い長良川に囲まれた、とてもいいところです。だから、こういう場所で野宿をするのも悪くはない、と思いながら、寝袋にくるまってベンチに寝転び、夜空を仰いだ。

ほぼ真上に、金華山頂の岐阜城がうっすらと灯りに照らされ、幻のように浮かんでいる。そして山の向こう側では、「ポーン、ドドド~ン」と花火の音が響きわたる。長良川の鵜飼いが佳境に入ってきているようだ。

そして、そのまま気持ちよく眠ってしまった。
ところが

夜中に雨が降って来た。それも普通の雨ではなく、空がピカッと光ったかと思うと雷が鳴って、かなり強い勢いで降って来たのだ。僕はあわててベンチから飛び起き、寝袋を抱え、片手で自転車を引っ張って近くの売店の軒へ避難した。すると物陰から大きな番犬が現れ、すさまじい声で吠えた。僕はびっくりして、自転車はそのままにして、寝袋と水筒とタオルだけ持ち、すぐ横にあった公衆電話ボックスの中に逃げ込んだ。
狭くて窮屈だけど、他に行くところはなかった。

見知らぬ土地の公園の電話ボックスの中に座り込み、真夜中にただ一人、ガラスの向こう側にベットリくっついているナメクジと顔見合わせて、夜明けを待つ。時々ウトウトしては、はっと目が覚める。なんだか情けない気持ちになってきて、泣きたくなるような時間が流れた。
「こんなことって、三十の男のすることじゃないわ」
みたいな思いもありました。

ということで、
公衆電話の中で夜を明かしたのは、後にも先にもこの時1回だけです。
(そう何回もあって、どうすんねん)

そして2日目は岐阜公園から長良川沿いを北上し、郡上八幡駅で長い休憩をとった後、坂本トンネルを抜け、飛騨高山に到着し、民宿で泊った。

3日目は下呂温泉を経由し、美濃加茂を通って名古屋へ。その夜はオールナイトの映画館へ入って居眠りながら一晩を過ごした。ちなみに映画はポルノ映画の三本立てでした。男と女がイチャイチャするだけの映画だから、見ていてもすぐに眠ってしまいますわ(笑)。

そして最後の4日目、名古屋から伊賀上野を通り、急な山道の多いコースを奈良の天理まで走り、夜に無事わが家に到着しました。

わずか4日間だったけれど、実にいろんな経験をしたわけですが、何と言っても最大の珍体験は、岐阜公園の公衆電話ボックスで夜を過ごしたことでした。

それでふと浮かんだのが、「赤ちょうちん」だったのです。

あなたと別れた雨の夜
 公衆電話の箱の中
 ひざを抱えて 泣きました

それで、僕の場合は

♪ 岐阜で降られた雨の夜
 公衆電話の箱の中
 寝袋抱えて 泣きました

でした(笑)。
 

 

 

 

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阪神 開幕9連敗 巨人は首位ばく進

2022年04月03日 | スポーツの話題

いやぁ、プロ野球の阪神タイガース。いったい、どうなってる?
今日、とうとう開幕9連敗という、セ・リーグのワースト新記録を作ってしまいました。相手は巨人で、こちらは6連勝で、首位をばく進中です。

僕は大阪の人間だけど、巨人ファンです。
だから今日の試合も、テレビで巨人を応援していました。
すると、1回に、いきなり巨人・中田の満塁ホームランが出て、阪神は早くも窮地に立たされ、結局9対5で巨人が勝ち、阪神はついに9連敗!

まぁ、普通なら大喜びするところですが、阪神もねぇ。
ここまで負け続けると、ちょっと気の毒な気もします。

阪神は開幕戦でヤクルトと対戦し、8対1とリードしながら、大逆転をされて結局8対10で負けてしまった。そもそも、あれがケチの付きはじめだった。

そのあと、負けて負けて負け続け。
昨日で、『また負けたか8連敗!』
そして今日で9連敗です。

次に負けたら2ケタの10連敗になりまっせ。

阪神の矢野監督は大阪市の瓜破(うりわり)という所の出身で、ここはわが家からもそう遠くないところです。温厚そうで人柄も良さそうな人で、僕は嫌いじゃないです。

しかし、ご承知のように矢野監督は、今季限りで監督を辞めるということを公表しています。これはちょっと不可解ですね。

「今年限りで活動をやめます」というのは、まぁ「嵐」のような芸能界の人たちだったらわかりますが、プロ野球の監督がシーズン前にそんな発表をするのは異例中の異例です。そして、その挙句に開幕戦からいきなり9連敗というワースト記録を作ってしまった。

今朝の「サンデーモーニング」で、ゲストの落合博満さんが、矢野監督のその発表が選手に微妙な影響を与えているのでは、という意味のことを言ってました。

いずれにしても、この調子では今シーズンの最後まで指揮をとれるかどうかもわからない状況になってきました。

巨人が首位を走るのは嬉しいのですが、阪神がこんなひどい状態だと、それはそれで少し気になります。まぁ、ホントに少しだけですけどね。

やっぱりプロ野球はジャイアンツに頑張ってほしい。
このあとも、勝って勝って勝ちまくり、優勝はいただき~!
(ちょっと気が早すぎる?)

 

 

 

 

 

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さぁ4月 桜満開 ケイも中学生に 

2022年04月02日 | 日常のいろいろなこと

昨日から4月。新年度ですね。勤めていた頃は人事異動などがあって、1年の始まりはこの4月1日からでした。退職後はそういうことには縁のない日々を送っていますが、それでも何となくお正月みたいに新しい年を迎えた気分になったりして。

さて昨日はいいお天気でしたが、とても風が強くて寒かった。
そんな中、風に吹かれる満開の桜を見に行きました。
まぁ「見に行った」と言っても近所の桜ですけど。

わが家から一番近くに桜並木があるのは、大和川のそばの遊歩道です。今は春休み中ですが、学校でクラブ活動があるモミィはお昼に家を出て行ったので、僕らも2人で出かけました。

いつものように、駅前のイオンへ歩いて行くところを、昨日は反対側の大和川近くのその桜並木の下を歩き、それからグルっと回り道をして駅前方面に歩きました。桜は見事に満開で、花びらが散ることもなく、強風に耐えていました。

 
この突き当りが大和川で、この遊歩道はそこから右に曲がって大和川と並行し、さらに50本以上の桜が並んでいます。


いよいよ本格的な春の到来ですね。
(ま、今日も朝から少し寒いですけど)

昨日の夕方は、次男のお嫁さんからLINEでケイが小学校を卒業した時の動画を送って来てくれました。今月からいよいよ中学生です。早いなぁ。

その卒業式の動画の一場面です。

 
  壇上のほうに向かうケイ。


幼いころからサッカーをしていたのですが、
「この4月からサッカーのクラブチームに入って、相変わらずサッカーを頑張っています」
とLINEに書かれていました。
また試合を見に行かなければ。
元気いっぱいの中学生になってね!

 

 

 

 

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