一昨日の土曜日、全国高校野球選手権大会の決勝戦が行われ、
沖縄代表の沖縄尚学が日大三高と優勝をかけて戦った。
僕は最近は高校野球も見ることは少なくなったけれど、
この決勝戦だけは、ず~っとテレビを凝視し続けた。
なんとか沖縄に優勝してほしい、という思いで見続けていたわけです。
(理由はあとで説明します)
試合は日大三のリードで始まり、しかし沖縄尚学がすぐ同点に追いつき、
後半には2点を入れ3対1とリードし、最終回、ピンチを迎えたが、
最後はダブルプレーに討ち取りゲームセット。
見事に優勝を果たしました。
よし、やった~。
僕は心から沖縄尚学の選手たちに拍手を送った。
実はここのところ、「沖縄」には特別の思いがあったのです。
この8月は終戦から80年という節目の年ですよね。
新聞やテレビの報道も、戦争の特集がかなり組まれていた。
僕がまず見たのは、6月下旬にNHKのBSで放送された映画、
「激動の昭和史・沖縄決戦」という映画だった。
随分、昔の映画ですが。
沖縄は戦争で多大な犠牲を払ったところで、およそ20万人の人々の命が奪われたという。この映画を見たら、本当に凄惨な沖縄の姿が描かれていた。
これほどまでに沖縄は敵の攻撃にさらされていたんだな、と改めて思った。
そして、
この映画以外でも、テレビで8月15日の終戦記念日を中心に、太平洋戦争をテーマにしたいくつかのドラマが放送されていました。
沖縄はその後、米軍の統治下に入り、日本の都道府県には入っていなかった。
今は日本には47の都道府県がありますが、沖縄はそれ以来ず~っとアメリカの統治下だったので、当時は46都道府県だったんですよね。でも、若い頃の僕にはそういう意識はなかったんですけど。
で、僕が結婚した年、1971年(昭和46年)の話ですが…
何の抽選か忘れましたが、心斎橋のあるお店で抽選で一等賞が当たりました。
店員さんがその場で一等の商品の説明をしてくれました。
一等賞には2つあってど、ちらかを選んでください、
ということで、その2つというのは、
一つが「沖縄旅行にご招待」というもの。
もう一つは「ガスレンジ」でした。
僕は妻に「じゃ、沖縄旅行にしよう」と言ってそれを店の人に伝えた。
すると、店の人が、
「承知しました。ところでパスポートはお持ちですか?」と尋ねた。
「はぁ? パスポート? 持っていませんけど」
僕らがそう言うと、お店の人は、
「沖縄旅行にはパスポートが必要なんですよ」
と言われ、あまりにビックリしたことと、
当時、パスポートをとるなんて、思いも寄らないことだったし、
おまけに手続きもよくわからなかったので、
「あ、じゃぁ、ガスレンジのほうにします」
と言って、沖縄旅行のほうは取り消しました。
「ふ~ん。沖縄へはパスポートがいるんや。まるで外国やがな」
そう妻と言い合ったのを覚えています。
その翌年、1972年(昭和47年)。
長男(今のモミィのパパ)が生まれたその年は、
大きなニュースがいくつもあった年でした。
その中のひとつに、沖縄の返還がありました。
抽選に当たったのが翌年だったらパスポートなしで行けたのにね。
返還されてちょうど30年後の2002年(平成14年)に、
僕と妻は、初めて沖縄へ旅行をしました。
海が本当に美しかったのが今も強く印象に残っています。
いろんな料理に入っていた豚肉もおいしかった~
…話を元に戻しますが、
今回の高校野球で沖縄尚学が全国制覇したことは、
終戦80年という節目の年に、絵に描いたような快挙だったと思います。