自然災害というのは、本当に怖い。
岩手県の大船渡の山火事は、発生から約10日経ってようやく雨が降り、鎮火しつつあるようだけど、まだ多くの人たちの避難指示は継続しているそうです。
最近益々、地震や豪雨や大雪の自然災害や、今回のような大火事など、災害のニュースが増えています。水道管が破裂して道路に大きな穴が開いたニュースにも驚きました。
そして、今日は3月9日です。
あの東日本大震災が起きた日は、2011年の3月11日でした。
つまり明後日ですが、あの大惨事から14年、です。
あの年。
震災から2ヶ月余り経った2011年5月19日に、
僕は一人で、宮城県へ行きました。
テレビ報道などで、地元の人々が、
「ぜひこの被災地の現状を見ていただきたい」
と訴えておられたことに、背中を押されたのでした。
このことは以前にも書いたことがありますが、
決して忘れてはならないことなので、
改めてその時のことを再掲載します。
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大阪からの夜行バスで仙台空港前まで行き、
空港の前から歩き始め、名取市内を抜け、
仙台市若林区へ入る道を歩こうと考えた。
空港から沿岸部を北東の方角に歩き、名取川を渡り、
そして仙台市の若林区に入って、そこから内陸部の仙台駅方向へ…
そういう予定を立てていた。
歩く距離は20~30キロぐらいだろうか。
歩き始めたのは午前9時半ごろだった。
しかし、いきなり方角がわからなくなった。
地図を持っているのだが、どこがどこなのか?
道の両側の光景には、背筋が凍りついた。
見たこともない光景だった。
散らばった瓦礫。壊れた家屋。ひしゃげた車。転がる舟。
そして、茫漠とした荒れ野が視界の全てを占めるような光景。
どんな言葉を尽くしても表現できない光景だった。
震災から2ヶ月以上が経ち、瓦礫はかなり撤去された様子だった。
それでもこれだから、被災した当初は、
想像を絶するものであったに違いない。
僕が歩いている道は、人影はなかった。
そこへ、ひとり、自衛隊員風の若い男性が立っていた。
僕を見て頭を下げられたので、
「お疲れさまです」と、僕も一礼した。
少し先の道路が十字路になっていたので、
その男性に道を訊いた。
「名取川を渡って仙台市に入りたいのですが」と言ったら、
「この道をまっすぐ行くと海に出てしまいますので、
あちらのほうへ行かれるといいです」
と、男性は左手を指して、
「○○ (地名らしかったが聞き取れなかった) へ出ますので、
そこへ行けば、仙台市の若林地区へ入れると思います」
「ありがとうございました」
教えてもらったその道を、また歩き始めた。
相変わらず人影はない。
どこをどう眺めても、人の姿は見えない。
そして車の姿も見えなかったのだが…
すると車が1台、後方からやって来て、僕の横で止まった。
車の中には、年配の夫婦らしき男女2人が乗っていた。
助手席の奥様らしき人が、窓を開けて僕に呼びかけた。
「キタガワさんのお寺へはどう行けばいいのですか…?」
と、道を尋ねられたのだ。
「は…? あの~、すみませんが…」
僕は、この土地の者ではないのでわかりません、と詫びた。
(心の中では、知ってるわけないがな! な~んて叫んでいた)
しばらく行くと、バス停があった。
高柳、という名の停留所だったので、また地図を広げた。
あ、あった。地図に高柳という地名が…。
初めて地図上で、自分の歩いている場所を確認できた。
このまま行けば、閖上大橋というところで名取川を渡れる。
「閖上」 とは難しい文字だけど 「ゆりあげ」 と読む。
すでに12時を回っていた。
歩き始めてから、3時間近くが経過した。
歩きながら、パンを食べ、水を飲んだ。
やがて閖上 (ゆりあげ) 大橋の手前まで来た。
道路の真ん中に、警官が3人ほど立っていた。
僕がそのまま行き過ぎようとしたら、女性の警官が、
「どちらへ行くのですか?」と、厳しい口調で尋ねた。
「閖上大橋を渡って仙台市若林区に入るつもりです」と言うと、
「この先は、関係車両以外、行けません」
と女性警官がきっぱり言った。
それなら…と、左側に行く道があったので、
「じゃあ、そちらの道を行きます」と言うと、
「その先は通行止めです」と、また、きっぱりと言われた。
僕は途方に暮れた。
「では、この道を引き返すしかない…ということですか?」
という僕の言葉に、女性警官は、そうです、とうなずいた。
戻るとすれば、最寄の駅はJR名取駅ということになる。
でも、空港方向から歩いて来たので、
名取駅への道がわからない。そう伝えると、
「この道をまっすぐ行けば名取駅です。歩きでは大変でしょうが」
と女性警官はそう言い残して、元の場所に戻って行った。
僕は仙台空港の前から、道に迷いながら、ここまで歩いてきた。
だから、名取駅の場所はわかっても、そこまでの距離が不明である。
地図を見ると、確かに名取駅へ引き返す道はわかりやすかった。
しかし、現在地からはずいぶんと遠い。
本来なら名取駅へ行く路線バスが走っている道路である。
バス停があるのだから、間違いない。
しかし、現在そのバスは運行されていない。
名取駅まで、何の交通手段もないのである。
バス停に、名取駅までの全停留所名が表示されていた。
それを数えてみたら、全部で12あった。
名取駅まで、バス停が12ヵ所もあるのだ。
バス停からバス停までの距離も長そうだ。
それを12ヵ所通過して行かなければならない。
ここまで来たのに、またこんなところまで戻るのか?
そうと思うと、急に足が重くなった。
でも仕方ない。
ここまで歩いて来た道を、僕はまた戻り始めた。
以下はいずれも、その時に歩きながら撮った写真です。
(2011年5月19日。名取市)。












歩いて歩いて、ようやく名取駅が近づいてくると、
コンビニが1件、営業していました。
これでやっと現実に戻れた気がしました。