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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「電話が使えなくなります」という怪しい電話が

2025年08月16日 | 日常のいろいろなこと

最近はわが家の固定電話にはあまり電話はかかって来ない。
たいていはスマホの電話やメール等で連絡を取り合う。
ほとんどの人たちがそうしているのだろうと思う。

だいたい、変な電話が多いし、詐欺の電話もあるだろうし。

で、先日のことですが。
その固定電話に、電話がかかってきた。
わが家では電話が鳴ってもすぐには出ない。

ま、そういうご家庭が多いと思いますが、
わが家も留守電のままにしておきます。
しばらく鳴り続けた後、電話の音声が、
「ただいま、留守にしております。ピーッという音が鳴ったらご用件をお話しください」
と流れるので、たいていはその時点で相手はガチャっと切る。
むろん、中には知っている相手からの電話もあるので、
「もしもし、こちらは〇〇ですが…」
という声が聞こえたら受話器を取って電話に出ます。

ところが先日の電話は…
「ピーッという音が鳴ったらご用件をお話しください」のあと、
向こうから男性の声での自動音声が流れてきた。
僕と妻は電話のそばに行ってそれを聞くと…

「こちらは総合通信監理局です」
というセリフからはじまり、
「この電話はナントカ(よく聞き取れなかった)の不備がありますので、2時間後には電話の使用ができなくなります。詳細を確認するには1番を押してください」というような内容でした。

一瞬、僕と妻は顔を見合わせましたが、
「怪しいな」と言い合ってすぐに電話の「終了」を押しました。

ホントに奇妙な電話でした。

そのあと、たしか「総合通信監理局です」と言ったように思ったので、
インターネットでそれを調べてみたら…

やはり詐欺まがいの電話だったことがわかりました。
ネットには、総務省の「総合通信局」やNTTでは、
「電話を停止することに関して、自動音声ガイダンスを使って連絡することは絶対にありません」と記されていました。

わが家にかかってきた電話は、日本中のあちらこちらでかかっている、ということだったんですね。

ネットでいろいろ検索してみると、
中には「詳細を確認するには1番を押してください」という音声につられて1番を押した人がいて、

その人によると、電話が男性のオペレターとつながって、
その男性に聞かれるまま、住所、氏名、生年月日を答えたという。
「どちら様なのか詳しく教えてください」と言うと、
相手は「NTTカストマーセンターです」とだけ言ってすぐに電話を切ったそうです。

いずれにしても、「〇〇です」と、電話の相手がどこを名乗っても、
個人情報を伝えることは危険ですよね。
絶対にしてはならないことです。 
特に僕たちのような高齢者は気をつけなければ。

この種の電話は、去年の秋ごろから増えてきた詐欺電話だとのこと。
ともあれ、固定電話でも携帯電話でも、
不明な相手からの連絡は全部無視してしまいましょう。

 

 

 

 

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日航機墜落事故と坂本九さん

2025年08月11日 | ニュース・時事

今日は8月11日ですね(もう、夜も遅いですけど)。

今のこの時期、終戦から80年ということで、
それに関したいろんなことが話題に上がっています。

8月6日は広島に、9日は長崎に、原子爆弾が投下されたことで、犠牲者の方々の法要や原水爆禁止の集会などのニュースが流れていました。
そして8月15日が終戦の日ですよね。

う~ん。
8月初旬と言えば、僕の個人的なことで言えば、
6日は次男の誕生日、8日は母の誕生日です。
まぁ、母は10年前に亡くなっていますけど…

母は昭和初期の8月8日生まれで、8が重なる子、
ということで「八重子」と名付けられました。
そしてその母の八重子が10年前に亡くなった時も、88歳でした。
これもまた、8が重なってますよね~
よほど「八」に縁が深かったんですね。

ま、それはともかくとして…

明日、8月12日のことですが。

12日は、日本航空機墜落事故が起きて40年の節目に当たる日です。
40年前と言えば1985年(昭和60年)ですね。

この事故は…

1985年の8月12日(月)に、日航ジャンボジェット機が、群馬県の御巣鷹の山の中に墜落して、520名の死者を出すという、世界史上でも最悪の航空事故が起きました。
むろん、誰もが知る大事故ですね。
(原因は飛行機の整備不良と言われているようです)

この飛行機は、羽田空港から大阪の伊丹空港へ向かう便でした。

そこに乗っていたお一人が、あの歌手の坂本九さんでした。
数日前、NHKテレビでそのドキュメントが放映されました。

それによると…
坂本九さんは、元々その便に乗る予定はなく、
通常は日航ではなく全日空を利用していたのが、
その日に限り、お盆ということもあって全日空が満員で、
切符が取れなくてやむを得ず日航のその便に乗ったとのことでした。

では、なぜ坂本九さんが大阪へ向かったのか?
それはテレビでも説明がなかったので、ウィキペディアで調べると…

その時、坂本九さんの元マネジャーの香川弘行という人が、9月初旬に実施される大阪府羽曳野市の市議会議員選挙出馬する、ということで、8月13日に行われる事務所開きに駆けつけるために大阪へ向かったとのことです。

つまり、その事務所開きの1日前の8月12日に、坂本九さんはその飛行機に乗ったというわけですね。

えぇ~~!
これを見て僕はビックリしました。

大阪の羽曳野市、と言えば、僕が住んでいる藤井寺市のすぐ隣で、
市域面積の狭い藤井寺市を囲むように羽曳野市があります。

わが家からも、少し歩いたら羽曳野市です。
西へ歩いても、東へ歩いても、南へ歩いても、羽曳野市です。

その羽曳野市議会議員選挙に出馬する人の事務所開きに駆け付けるために、
坂本九さんは厳しいスケジュールの合間を縫って、東京から大阪の羽曳野市へ行くところだった、ということでした。
それで、その飛行機が墜落した…

いや。
驚きました。
人の人生って、何がどうなるのか。
一寸先は闇、ということでしょうか。

ちなみに、
僕が坂本九さんの歌で一番好きなのは、

「明日があるさ」

です。

明日(8月12日)は、あれからちょうど40年です。
墜落事故で亡くなられた500数十名の方々に、
心から弔意を表します。

 

 

 

 

 

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酷暑の中の暑中見舞い こんなのが来ました

2025年08月08日 | 日常のいろいろなこと

いやまぁ、本当に暑いですねぇ。
7月下旬に兵庫県の柏原(かいばら)という、僕も何回か行ったことのある地域で、41.2度という史上最高の気温が観測されたニュースに驚きました。
それまでは群馬県の熊谷市が「最高記録」として記憶にあったのですが、それが大阪の隣の兵庫県で記録されたので、え~っ、まさか! と、驚いたのですよね。

そして…
8月に入ると、またも関東方面で立て続けに「観測史上最高気温」が発生。
先日は群馬県伊勢崎市で41.8度まで上がったとのことです。

41.8度! 
とはねぇ(どんな暑さや)。

僕も外に出ると暑さで倒れそうなので、
日中はほとんど外出を控えています。

まぁ自転車で近くのスーパーへ買い物に行くことは多いですけど、
それでも焼けつくようなカンカン照には閉口します。

当然のことですが、テレビのニュースでも、
連日このことが取り上げられていますね。

田んぼや畑の地面にはヒビが入ったり、
貯水の池などでは水がほとんどなくなりかけたり、
今日のテレビでは、高速道路で車のタイヤが暑さのために破裂した、
…という信じられないニュースが報じられていました。

こういう暑さはどう表現していいのか。

「猛暑」とか、
酷暑」とか、
「厳暑」とか、
「炎暑」などという言葉がありますけど、
ともあれ、まだ8月も初旬です。
まだまだこの暑さは続きそうですね。

そんな時、わが友ドイロン(doiron)君から
LINEで「暑中見舞い」が送られてきました。

例によってユーモアに富んだ内容だったので、
ドイロン君の許可を得て、ここに掲載させていただきます。

 

 

「お見舞い」ではなく、「お悔み」になっちゃった。
まさに、「死ぬほど暑い」ということでしょうね。


僕はこれを見て笑い、少しは暑さが吹き飛びました。

左下の印鑑まで、汗をかいていますよね(笑)。

皆さんも熱中症などにならないよう、
くれぐれもお気を付けくださいね~

 

 

 

 

 

 

 

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「カムチャッカ沖」で思い出すこと

2025年08月03日 | 思い出すこと

カムチャッカ半島沖の巨大地震の影響で日本に大きな津波が…
…というニュース。
日本の広範囲に津波警報が出され、その日、7月30日のテレビはどのチャンネルもすべて津波のニュースが放送されていました。

結果は、恐れられていたほどの大きな被害はなかったのですが、
誰もが2011年の東日本大震災に伴う津波を思い浮かべて、日本中、特に沿岸地域の方たちは大きな不安に陥っていたことだと思います。

さて、
カムチャッカ、と言えば、平成の頃、細川たかしが歌った
「北緯五十度」という歌が思い浮かびます。
僕はこの歌が好きで、カラオケでもよく歌ったものです。

♪北緯五十度~ カムチャッカ沖だぁ~
 こんな時にも心の中で
 赤く燃えてる~ 命の恋よ~

というような歌でしたね。
だから、「カムチャッカ」が連呼されていたあの日は、
細川たかしの
♪カムチャッカ沖だぁ~
…のメロディがず~っと頭の中で響いていました。

ともあれ、「東日本大震災」の時のような被害につながらなかったことで一安心でした。

僕が小学生ぐらいの時だったか、南米のチリで起きた地震で、日本に大きな津波被害をもたらしたというニュースを覚えています。
あの広い広い太平洋の向こう側、いわゆる地球の裏側で起きた地震で発生した津波が日本にまで来た、ということ自体、小学生だった僕はまったく意味がわからなった。

自然災害というのは、本当に怖いです。

もうひとつ、カムチャッカで思い出すのは、これは自然災害でなく、
「大韓航空機撃墜事件」と呼ばれている大事件で、
1983年(昭和58年)9月1日に起きました。

この事件は、米のニューヨークの空港を出発し、アラスカのアンカレッジ国際空港を経由し、韓国ソウルの金浦(キンポ)空港に向かう大韓航空機が、ソビエト連邦の領空を侵犯したとして、ソ連軍に撃墜された事件です。

これで、大韓航空機の乗員と乗客合わせて269人全員が死亡。日本人も30人近く乗っていました。とても恐ろしい事件でした。

なぜそうなったかというと、
大韓航空機はアラスカからソウルに向かうのに、カムチャッカ半島の上を飛んでいたそうで、ソ連の防空レーダーがそれに気付き、ソ連軍機が攻撃したが失敗。
カムチャッカ上空を通過した大韓航空機はそのあとサハリンの上空を飛んでいたところで、ソ連軍に撃墜されてしまい、上記の通り269人全員が死亡した、という痛ましい事件でした。

これはむろん大ニュースになり、「カムチャッカ」や「サハリン」という地名がず~っと報道されていたのを覚えています。

そして、これは僕自身の話になるのですが、
この撃墜事件があったのが、1983年9月1日でした。その約1カ月後に、僕は自身で初めての海外旅行に出かけました。行く先はニューヨークで、観光ではなく、ニューヨークマラソンに出場するため。

そのマラソンツアーに申し込んで、妻と2人の息子たちに見送られ、大阪を出発。十数人のマラソンツアーの人たちと共に、まずは大阪の空港からソウルの金浦空港へ行き、そこで乗り換えてニューヨークへ行くのです。

そしてその飛行機が!
なんとまぁ、1カ月前に撃墜されたと同じ、あの大韓航空機でした。
コースも、ソウルからアラスカのアンカレッジ国際空港を経由してニューヨークへ行くというもの。つまり、撃墜された飛行機と、進行方向は逆ですが、まったく同じコースをたどるわけです。

つい先日、あれだけの大事件があった後ですから、まさか同じような領空侵犯はしないでしょうけど、マラソンツアーのメンバーの人たちと、
「怖い場所を飛ぶんやなぁ」
と、つぶやき合ったものです。

そしてサハリンの近く、さらにカムチャッカの近くを通る時は、僕たち全員「なんか、気持ち悪いなぁ」と不気味感に包まれました。

そして、アラスカのアンカレッジ空港に着き、そこで給油後、無事にニューヨークに着きました。マラソンも完走でき、そのあとは一人でニューヨークの街歩きを楽しんだりして、結果としてはいい思い出が作れました。

「カムチャッカ」
というと、その当時の記憶も鮮明によみがえってきます。

 

 

 

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松原市職員が盗撮で逮捕

2025年07月26日 | 議会&役所

時々、テレビから、ビックリするようなニュースが流れてきますが、一昨日のテレビニュースには本当にビックリ仰天しました。

夜の9時前のNHKニュースで、
「大阪府の松原市で…」と聞こえてきたので、
「えっ? 松原市?」と思わずテレビの前に身を乗り出しました。
僕が勤めていた松原市ですからね。

すると、
さらに、驚くべきことに、
「松原市の職員が逮捕されました」と報じられたのです。

画面を見ると、松原市役所が大きく映っていました。
「えぇ~! 松原市の職員が!」
僕が38年間務めた、あの松原市役所の、職員が…

そばにいた妻に、
「これ、見て。松原市職員が逮捕やって。なに、これ?」
と言いながら、テレビを凝視。

すると、その内容は…
「松原市役所の環境予防課の33歳の職員、〇〇(実名)」が、
近鉄南大阪線の河内松原駅の構内のエスカレーターで、女性のスカートの中をスマートフォンのカメラで盗撮した疑いで逮捕されたとのこと。

通りがかりの人から「女の子の後について、撮影している不審者がいる」との通報があって、駆けつけた警察官が彼のスマホを確認したところ、女性を盗撮した映像が見つかり、容疑を認めたことなどから、逮捕された、ということでした。

警察によると、他にも、何人もの女性を盗撮した映像がスマホに残っていたということで、警察が「詳しいいきさつを調べています」とのこと。

「へぇ~」とそのニュースのあと、しばらく僕は茫然自失。
僕が松原市役所に勤めていた38年間に、
職員が刑事事件で逮捕された、
というようなことは一度もなかったはず。
「何ということや!」
にわかに信じがたい話でした。

この職員は年齢が33歳ということなので、
僕が定年退職した時にはまだいなかったでしょう。
だからどんな人物か皆目わからないけれど、
松原の駅で「盗撮」をするなんてね~

最近はこういう「盗撮」の事件があきれるほど多く報じられていますけど、それが松原の駅で、しかも松原の市職員が盗撮で逮捕されるとは、本当に驚きました。

松原市役所の人事課は、
「事実関係を確認したうえで厳正に対処したい」
とコメントしている、とのこと。

「厳正に対処」するとともに、被害に遭われた女性の方々と、松原市民の方々に、心から謝罪しなければならないですよね。

 

 

 

 

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参院選挙よもやま話 ~誤報の号外~

2025年07月23日 | ニュース・時事

参院選も終わり、自民党が大敗したということで、
今日のテレビのニュースでは『読売新聞』が、
《石破首相 退陣へ》という号外を出して、
街頭で配っているシーンが映っていた。

「へぇ、退陣するのかぁ」
と思いながら見ていた僕でしたが…
その後、石破首相本人が、
「報道されているような事実はない」
と、『退陣』を否定したとのこと。
つまり「号外」は誤報だったようです。

ホンマに、なんのこっちゃ、という騒動でした。

さて、僕が住む大阪の選挙区は、前々回も書きましたが、
定数が4名のところ、全19人が立候補するという大激戦。
その中にミュージシャンの世良公則も立候補しており、
そのおかげで彼が出演しているNHK朝ドラ再放送の、
「チョッちゃん」が7月1日から約3週間、放送が休止されました。
毎回楽しみに見ていた僕としては、
「なんでやねん」
と、残念な思いだったことも書きました。

で、今週の月曜日からまたドラマは始まったわけですが、
その「お騒がせ男」の世良公則は7位で落選しました。
「チョッちゃん」での世良の役は、主人公のチョッちゃんの夫で、
これがまたひどい亭主関白で、癇癪(かんしゃく)持ちで、
妻を頭ごなしに怒鳴ったりと、印象の悪い役どころです。
そんなときに選挙に出ても、このドラマを見ている人は、
「こんな横暴な男なんかに投票できるか!」
な~んて思ったりね。…知らんけど。

ところで、その大阪選挙区で1位当選したのは維新の会の新人で、
42歳の女性候補でした。
2位も維新の会の57歳の男性候補。
やはり、維新の会は大阪では強いですね~
3位が参政党の40歳の女性候補。
以上3名の方々はいずれも新人です。
そして4番目に当選したのは公明党の現職・49歳の男性候補。

で、次点で落選したのが自民党の男性候補でした。
つまり、4人の当選者の中に自民党は入れなかった。
やはり大阪でも「自民党離れ」の傾向が続いているんでしょうか。

それにしても、石破はん。
今回の選挙の自民党の敗戦で、
「石破首相退陣へ」
な~んて号外が出されるほどだから、
今後、いよいよ窮地に立たされていくのでは、と思わざるを得ません。

まぁ「退陣」の号外は誤報だということだったので、
今回の選挙の責任を取って辞めることはなさそうですが、
でも、実際のところ、今後どうなるかわかりませんよね。

それにしても、
「号外が誤報」
というのも、聞いたことがなく、まさに前代未聞ですね。

 

 

 

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人生 乗り換えの時期が来た?

2025年07月17日 | 心と体と健康と

今日は体調に関する話ですけど…

長年悩まされていた心房細動(不整脈)は、去年2月のカテーテル手術によって改善されましたが、それでも、心拍が少し乱れてしんどい時もあります。
それはまぁいいんですが、最近は持病の腰痛は相変わらずのうえ、両手両脚がだるくなってきたり、肩が痛かったり肘が痛かったり、声がかすれ気味になってきたり、全身のバランス力が悪くなってきたりと、少しずつ体が弱ってきているような気がしています。そう思ったらよけいに気持ちのほうも落ち込んだりして、どうもパッとしませんわ。

まぁ、いちおう何種類の薬も飲んでいるので毎月かかりつけ医へ通っていますが、やっぱり加齢から来ているのも多々あるかと思いますし、仕方ないんでしょうね。

以前にも書いたことがありますが、
そんな時は、僕の好きな田辺聖子さんが、エッセイの中でこんなことを書いておられたのをメモしているので、それを読んで自分を納得させています。

若さや栄光を失うとき…われわれは乗り換えしなければいけない。
新しい行く先を求めて。
「体力低下、気力減退線にお乗換え願いま~す」
その連呼を耳にとめて、人ははっと我に返る。
いつまでもこの線でいいと思っていたのは、誤りだった。
ここから別の線に乗り換えて生きなくてはならないのだ。
…そうやって、乗り換え乗り換えして乗り継ぎをしつつ、
終点までやってくるのが、人間の一生かもしれない。

…という文章です。

僕なども、
「若さや栄光」なんかはとっくの昔になくなっていますが、
それでも「いつまでもこの線でいい」と思ってここまで生きてきました。
でも、生きている限り、やはり「乗り換え」や「乗り継ぎを」しながら、
「終点」へ向かうんですよね。

今、この言葉が、強く心の中に染み込んできています。

もっとも、外見からはそんなふうには見えないのか、
先日わが家に選挙の依頼で来られた元市議会議員の男性は、
僕を見て、
「うわぁ、元気そうやねぇ」
とちょっと驚いた様子でした。

ま、自分で言うのもナンだけど、僕は年より若く見られるんですよね。
だから、普段、妻とテクテク散歩をしていると、近所の奥さん方も、
「お二人ともお若いですね~」
と言われたりします(…自慢か?)

まぁ、見かけはともかく、体のほうは、そろそろ、
田辺聖子さんの言う「終点」に向かい始めている、
という自覚を持つことが必要なのかな~と思っている今日この頃です。

 

 

 

 

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お楽しみの「チョッちゃん」が放送休止 理由は?

2025年07月12日 | 映画の話やTVの話など

NHKのBSで毎朝2つの連ドラが放映されているので、
録画して見ています。

いま放送中は「あんぱん」だけど、BSでは朝の7時15分から再放送の「チョッちゃん」が放映されている。で、続いて7時30分から「あんぱん」が始まるので、その2つを録画して毎日楽しんで見ているわけですが…

再放送の「チョッちゃん」は1987年(昭和62年)というから、今から40年近く前に朝ドラとして放映されたようです。
むろん僕は当時は見ていません。

「北海道・滝川の大自然で自由に育った少女が、やがて音楽の道を志し、昭和の激動期を天真爛漫に乗り越えていく」というお話で、黒柳徹子さんのお母さんの半生が描かれているドラマです。

それが4月から「あんぱん」と並行して放映されているわけですが、
7月1日の火曜日に、急に放送が無くなったのでビックリ。
テレビ欄には書かれている「チョッちゃん」なのに、なんで?
どうして放送がないの? そんなアホな。

そこで、ネットで調べてみると、
「7月1日(火)に放送を予定していた第86回から、しばらく放送を休止します」とあり、「えっ? 理由は?」と、さらにいろいろ調べてみると、
どうやら、7月20日に実施される参院選挙が関係しているようでした。

何がどう関係しているのかというと、
このドラマで、チョッちゃんの夫の役で出ている世良公則が、この選挙に出馬することになった、ということでした。
世良は元ロックバンド「世良公則&ツイスト」で有名でした。

そして、「2025年7月1日(火)から7月20日(日)までの以下の放送分を休止いたします」と書かれてあった。

せっかく毎日楽しみに見ていたドラマだったのに。
そんな一出演者の個人的理由で放送を休止にするなんて。
まったくねぇ。
それも、世良は大阪選挙区から無所属で立候補するというんだから、大阪選挙区といえば僕も大阪ですからね~
なんの因果ですかいな。

ともあれ、そんなことで楽しみがひとつ減って、21日まで次回の放映が始まるのを待っている次第です。

そこでひとつよく似た出来事があったことを思い出しました。
10年近く前、お昼に「不信のとき」というドラマが再放送されていて、これも楽しんで見ていたのを急に放送が中止されたんですよね。
このドラマ、米倉涼子が主演で、いわゆる「不倫もの」ですが、そのさらに10年前に大ヒットした作品だったようです。
それが、これまた途中で放映が休止されたんです。

理由は…
このドラマに脇役で出演していた石田純一が、東京都知事選への出馬を表明して記者会見を開いた。
そしてそれがもとで、急遽、このドラマの放送が中止されたのです。
この時もホント、がっかりしました。
しかもこの石田純一。
都知事選への意欲を示しておきながら、結局出馬を断念したのです。
本当に、お騒がせもいいところですわ。
そのために毎日楽しみにしていた「不信のとき」の放送が一定期間中止されたのですからね~

今回の世良公則は実際に出馬するのでまだマシですが、
でもねぇ、おかげで20日間「チョッちゃん」が見られないのですから、
「なんで、こんな時に」と、つい思ってしまいます。

NHKによると、「選挙報道の公平性に配慮した」そうです。
まぁ、そう言われてみればそうかも知れませんけどね~

グズグズ言っていても、仕方ないか。

 

 

 

 

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あの涼しかったパリが気温40度の猛暑!

2025年07月06日 | ニュース・時事

連日の猛暑。すごいですね~。参りますね~
ニュースによると、全国各地で35度を上回る「猛暑」が139地点で観測されたとのこと。もう、日中のウオーキングなんか危険すぎます。

ところで、
猛暑は日本だけでなく、諸外国でもひどいみたいです。

僕が今回驚いたのは、フランス・パリで猛暑日が続き、気温が40度まで上昇したというニュースを見た時でした。
え~っ? パリが40度!

今から6年前の2019年に、妻とモミィと妻の姉と僕の4人で、ローマとパリへ旅行に行ったのですが、それがモミィの夏休みだった8月でした。

僕自身はパリへ旅行するのは5度目だったのですが、8月に行くのは初めてのことでした。
いやぁ、8月だったらずいぶん暑いだろうなぁ、とある程度の覚悟をして行ったのですが、案外暑くなくで拍子抜けしたことを覚えています。

パリは地下鉄がよくストをしたりするので、動いていない路線が割にありました。
僕らが行った時も、たとえば、エッフェル塔から地下鉄で別の場所に異動しようとしたとき、ストのため、地下鉄の乗り口にシャッターが降りていたりしました。仕方なく、次の目的地まで歩きますよね。

タクシーを利用しようとしたら、3人までしか載せてくれないので、僕ら4人連れは2台に分かれて乗らなければならない。だからタクシーにも乗らなかった。

そんなことがあったので、4人でパリの街のあちこちを歩き回りました。
(これが結果的にはよかったのですが…)

その時、ふと感じたのですが、8月と言えばもちろん真夏です。日本ではそんな長い距離を歩いていたら熱中症にかかってしまいます。
なのに、なぜかここは歩いていて気持ちがいいのです。
あぁ、これなら4人とも歩くのは好きなので、どこでも行けるなぁ、とみんなでワイワイ言いながら、パリの歩道を歩いて回ったものです。

あとから知ったことですが、「猛暑」などなかったフランスの住宅や学校には、エアコンが設置されていないことが多くあるそうです。
それが、今日のニュースでは、フランス全土で約1900の公立学校が授業の一部中止や休校となった…とも報道されていました。
それだけ異様な事態に見舞われているんですね、パリは。

ところで、この旅行の時はローマにも行きました。
そこも、そんなに暑くはなく、ほとんど歩いて史跡巡りをしました。
そのローマも今は猛暑に襲われているとのことです。

そんなことで…
地球温暖化と関係があるのでしょうが、日本も、諸外国も、どんど気候が変動して行くのが不気味です。

特に今回、あの、夏でも涼しかったパリの街が40度を超えたというニュースを耳にして、本当にショックを受けました。

 

6年前の8月のパリ旅行の写真です。

 
  エッフェル塔でも…

 
 
  オペラ座でも…


 
  パリの名物マルシェ(出店)でも、

パリの街をブラブラ歩いていると、
いろんな場所をめぐることができますよね。


 ちなみに、マルシェでは、モミィは、
 ネックレスを買ってもらっていました。
 (むろん、安いものですけどね~)


 
  お店
の女性にネックレスをつけてもらうモミィ。

 

…ということで、涼しかった8月のパリ市内を歩き回ったことを思い出しながら、「40度」のニュースを聞いて驚いているところです。

 

 

 

 

 

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7月2日は1年の真ん中の日

2025年07月01日 | 日常のいろいろなこと

毎日暑い日が続きますね。
大阪ではもう梅雨も明けたそうですが。
早すぎますよね~梅雨明け!

ところで、明日7月2日は何の日でしょうか?

最近の新聞で知ったのですが、
7月2日は1年のちょうど真ん中の日になるんですね。

1年は、365日ですし(閏年を除いて)。
で、365の半分は182・5だから、
日にちに変えると、元旦から数えて182日目が7月1日になる。
つまり今日ですよね。

それで、1年の真ん中は182・5日だから、
明日7月2日の正午が、ちょうどその「真ん中」。
つまり今年1年の折り返しになるわけですよね。

もちろんご存じだった方も多いと思いますが、僕自身は、
これまで、そんなことは一度も考えたことがなかった。

まぁ、それほどワイワイ言う話でもないんですけど、
明日の正午で、今年1年の半分が過ぎ、
そこから今年の後半に入る、ということで。
「えぇっ、もう半分過ぎたの? やれやれ、早いねぇ」
と、もう口癖になっている「早いねぇ」という言葉が、
やっぱり、またまた口をついて出るんですよね~

「そうか、7月2日は1年の真ん中なのか」
と、僕は少し神妙な気持ちになり、

では、明日の正午になったら静粛にして、
今年前半を振り返りながら、ついでに、
「今年の真ん中」を祝して
ビールをグイっと飲んで、
大晦日までの無事息災を祈願しよう…

~なぁんて思ってます(笑)。

 

 

 

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モミィは料理が得意になった?

2025年06月24日 | 日常のいろいろなこと

最近モミィは大学の授業のほかに、スイーツのお店でアルバイト、英語の塾の講師のアルバイトなどがある上、友達の家に泊まりに行ったり友達が泊りに来たりなど、いろいろあるようで忙しく、2週間に1度程度しかわが家に帰って来なくなった。

最近では21日(土)にわが家に来て、翌22日の午後に妻と一緒に梅田まで行き、そこで食事やショッピングなどをして、夜にモミィは自分の家に帰り、妻はわが家に帰ってきた。この頃はそういうパターンが多くなってます。

その21日。わが家に帰ってくると、僕に、
「これ、『父の日』用に買ったから、食べてね」
と、プレゼントをくれた。
父の日は15日だったけど、その週には帰って来なかったから、1週間遅れのプレゼント。でも、僕はまさかと思っていたので少しビックリ。

くれたのは、チーズの詰め合わせで外国製という。商品名は、
「チーズコレクションアソート」とあった。

   

中には何種類ものおしゃれな包装のチーズが入っていたので、
僕は夕食のビールのアテにいくつも食べてみたけれど、
いろんな味があってとてもおいしかった。

そして翌日のお昼には、「わたし、今、得意にしてる料理があるねん」
と言って妻に手伝ってもらながら作ってくれたのは、
「生ハムポテトボール」というものでした。

ジャガイモを小さめの一口大に切って、耐熱ボウルに入れ、ラップをして電子レンジで5分余り加熱する。そして熱くて柔らかくなったジャガイモにバターと牛乳を加え、マッシャーでつぶす。冷めたらジャガイモを丸め、そこに生ハムを巻く。

…という作業を、妻と一緒にしていました。

出来上がったのを写真に撮りました。

 
  はい、出来上がり~


僕はポテトサラダを作るのは得意なんですけどね~
こういうのを食べるのは初めてでした。
むろん作り方も知らなかったし。

これも食べてみたらとてもおいしかった。
(むろん、ビールにもぴったり!)

モミィは今ではいろんな料理を作っているようで、時々妻のスマホに自分で作った料理の写真を送ってきたりもしています。

早いもので彼女が一人暮らしを始めてから1年と数カ月が経ちました。

今のそんな暮らしに少しずつ慣れてきている様子なので、さまざまな料理にチャレンジしているモミィを見ていて、なんとなくホンワカした気分になります。

また、ビールによく合う料理、作ってや~

 

 

 

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高知の「御免」が朝ドラ舞台に

2025年06月20日 | 映画の話やTVの話など

↑タイトル、変えました(中身は変わりません)。

 

NHKの朝ドラ「あんぱん」を毎日欠かさず見ています。
前回の「おむすび」はイマイチだったので途中で見るのをやめたのですが、今回の「あんぱん」は面白いです。

ご承知のように、このドラマは「アンパンマン」を生み出した漫画家のやなせたかしさんと暢さん夫婦がモデルのドラマですが、妻となる暢さんの「のぶ」を演じる今田美桜さんの元気溌剌な演技が魅力です。

ところで、このドラマの舞台は高知県ですが、高知の「後免与」というところが主人公たちの生まれ故郷という設定です。いや、設定と言うより、モデルのやなせたかしさんと暢さんが実際にこの地の人だったのですよね。

でも「後免与」ではなく、実際は「後免」という地名なんです。
「後免与」はドラマの上で「御免」をもじった地名ですね。

これで僕は思い出したのですが、以前、高知へ行った時のこと。
高知市内で、路面電車だったと思うのですが、その電車の正面の上を何気なく見たところ、行き先が、
「後免」
と書かれていたのです。
「へぇ~。『ごめん』なんて地名があるんやなぁ」
と、僕はその時つい笑ってしまったのですが、印象は強烈でした。
で、長い間忘れていたその地名を、この「あんぱん」を見て思い出したのです。

ドラマでは「後免与」になっていますが、
実際は、僕が見たあの「後免」だったんですよね。
いや~、懐かしいです。

ところで、妻のお父さんもお母さんも高知県の出身です。妻は大阪で生まれたのですが、妻の兄や姉はほとんど高知で生まれて、それから大阪へやって来たということです。

まだ僕らが若かった頃、妻のお母さんがよく僕らの家に泊まりに来ていたのですが、バリバリの土佐弁を話していたことを、今もよく覚えています。

土佐弁は、たとえば、
「〇〇をするので」というのは「〇〇をするきに」と言い、
「今、しているよ」というのは「今、しちゅう」と言う。
「あんたは何がしたいのだ」は「おまんは何がしたいぜよ」
という感じ。
そして、「何もないわ」というのは、
「なんちゃないが」と言う。

わが家でも、僕が妻に、
「〇〇はある?」と聞いたりした時には、
妻は「なんちゃないが」な~んて今でも言ってます。

ドラマ「あんぱん」の主人公をはじめとする登場人物の間では、
この土佐弁での会話がふんだんに盛り込まれているので、
見ていてとても楽しい。

先日も、ドラマの中で
「なんちゃないが」
というセリフが出てきたので、妻と二人で笑いました。

ドラマの舞台は、やがて高知県を離れていくと予想されるので、
土佐弁を楽しめるのは今のうちかな~という思いで見ています。
このドラマの15分間は、ホント、あっという間です。

ではでは、
今日のブログはこれで終わるきに。

えへへ。

 

 

 

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ドイロン君の絵手紙がまた新聞に掲載

2025年06月14日 | 日常のいろいろなこと

梅雨に入ってお天気がややこしくなってきていますね。

今日も、朝の8時ごろに、買いたいものがあって近くのコンビニへ行こうと思って玄関を出たとたん、ザザーッと強い雨が降ってきたので、慌てて傘を取り出して出かけました。
ホント、今の時期、油断も隙もありませんね~

さて、ニュースを見ていると、大阪・関西万博が盛況のようです。

開催されて2カ月が経過しましたが、ここのところ、天候が不順で、特に会場の夢洲は海に囲まれていることもあって、風雨が強く、荒れたお天気の日もあるようです。
それでも盛況に開催されている万博ですが、
そのキャラクターはご承知のように「ミャクミャク」ですね。

そして、今回取り上げるのはそのミャクミャクを描いた絵手紙です。

わが親愛なる友、ドイロン(doiron)クンが、万博とミャクミャクを描いた絵手紙が、一昨日の12日、産経新聞に掲載されました。

それをご紹介します。


6月12日 産経新聞朝刊。
「談話室」の欄に掲載されました。

では、その部分をアップしてみます。

新聞は白黒なので、ドイロン君が書いたカラーの「原本」を、
こちらに掲載します。

 

「風神雷神」の顔がミャクミャクの顔になっていますね。
下に会場の「大屋根リング」が見えます。

万博会場の上空に、「風神雷神」ならぬ、
「風ミャク雷ミャク」が、万博を見守っている、
という絵でしょうか。

発想も素晴らしいし、絵そのものも、見事ですね~

産経新聞を取っておられる方は、改めて12日朝刊の「オピニオン」のページをご覧いただけたら、と思います。

 

 

 

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高校野球史上に残る大熱戦とは

2025年06月10日 | スポーツの話題

前回のブログで、長嶋選手を初めて間近で見た時の感激を書きました。
それは前回も書いたように1969年(昭和44年)8月18日のことでした。
夢の後楽園球場で、あこがれの長嶋選手を見たその日…
また、別のことが起きていたのです。

時間は夕方の5時を過ぎていたと思うんですけど、内野席に座っていた僕の前にいたおじさんが携帯ラジオをかけていたので、それが耳に入ってきました。ラジオでは野球中継をしているようでした。

「え~っと、どこの野球の実況放送だろう?」
と思いながら耳を澄ましてみると、プロ野球ではなく高校野球だった。
ラジオから流れてきたのは、全国高校野球選手権大会の決勝戦、
愛媛県の松山商業高校と、青森県の三沢高校の決戦だった。

きょう、高校野球の決勝戦があることは知っていたけれど、
試合開始は午後1時のはず。
なのに、なんで午後5時を過ぎているのにまだ高校野球をやっているのだ?
不思議な気になったのですが、僕はやはり長嶋選手のことで頭が一杯だったので、そのことはすぐに頭から消えました。

そして試合が終わり、東京で泊めてもらっていた場所に戻ってテレビを見たら、その高校野球決勝戦、松山商と三沢高がなんと延長18回まで戦い、お互いに一歩も譲らず、0対0のまま引き分けて、翌日に再試合が行われる、というニュースを報じていたのです。

「はぁ、だからあんな夕方の時間まで高校野球をやっていたんだ」
と、僕は後楽園球場の前のおじさんのラジオ中継を思い出していた。

そして、翌日に行われたその再試合では、松山商が4対2で勝って16年ぶり4度目の優勝を果たした。
しかし…
敗れたものの、前の試合の18イニングと再試合の9イニングをすべて一人で投げ切った三沢高校の太田幸司投手は日本中を感動させ、一躍大スターとなった。

その延長18回、0対0で終わった試合の日に、僕は後楽園球場にいた、というわけですね。
繰り返しますが、1969年(昭和44年)8月18日のことでした。

三沢高校の太田幸司投手は、後に近鉄バファローズに入団し、つまり僕が住んでいる藤井寺球場を本拠地として試合に出ていたので、僕は何度か直接この目で太田投手を見ました。


ということで、
後楽園球場で長嶋選手を見たその日、甲子園球場で高校野球史上に残る熱戦が繰り広げられていたことは、その日の夜に知ったということでした。

では最後に、前回の新聞記事をもう一度載せます。
翌日のスポーツ紙朝刊です。

 

「プロもお付き合い 延長13回水入り」

という見出しは、上記の「高校野球の延長18回引き分け」をもじったものだったのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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長嶋茂雄さんで思い出すあの日の試合

2025年06月07日 | スポーツの話題

6月3日。長嶋茂雄さんが亡くなった。小学生のころから長嶋の大ファンだった僕ですけど、プロ野球史最高と言える大人気の選手だった。

僕は小さな頃はラジオで。そして、テレビが普及したらテレビで。

大阪に住んでいながら、阪神よりも巨人がず~っと好きだったのは、ひとえに長嶋選手がいたからだった。

その長嶋選手の「実物」を初めて目の前で見たのが、1969年(昭和44年)の自転車での北海道往復旅行の時だった。その年の8月18日のことです。
(もう56年も前のことですよね~)

それまでの自転車旅行先で知り合った人たちが、東京に来たら寄ってね、とか、泊まってねとか行ってもらえたので、東京では3件の方の家に泊めてもらって、数日間滞在した。そのとき、
「せっかく東京へ来たのだから」
と、およそ10年間、あこがれ続けていた長嶋選手をこの目で見たいと思った。
プロ野球の日程を調べてみると、ラッキーなことにこの日の夜の7時から、後楽園球場で巨人対大洋ホエールズ(今の横浜DeNA)の試合があった。

「やったぁ~」
と、僕は憧れの後楽園へ行き、運よく当日券があったのでそれを買って、一塁側の内野席にの上のほうに座った。

 
  憧れの後楽園球場。内野席のかなり上の席です。
   (1969年8月18日撮影)

午後7時、巨人・城之内、大洋・山下の先発で始まった試合は8回まで2対0と大洋がリード。あぁ、もうダメかと思った9回裏、巨人が高田、森永、王の連続安打で1点を取り、あと1点で同点と迫った。
そして4番長嶋が打席に入った。

そして…
長嶋は期待に応え、同点打を放ったのだった。

試合は結局延長13回まで戦い、両者譲らず引き分けになった。

僕としては勝敗よりも、13イニングも見られたことが何よりもうれしかった。

そして、試合中、僕はどうしても長嶋選手に近づきたかったので、途中で内野席上段から、カメラを手に、ベンチのすぐ近くまで降りて行って、長嶋選手を間近に見たのです。

これがその時の写真です。

 

長嶋選手をこんな近くで撮れた。
夢みたいな瞬間でした。

この写真は今も僕の宝物です。

長嶋選手の思い出を語るとキリがないので、この辺で置いておきますが、やはりこの時が一番嬉しかったですね~。

 

★追伸

 この試合を報じた翌日の新聞も残しています。
 これも掲載しておきます。

 

 翌日に買った報知新聞です。

「プロもおつき合い、延長13回水入り」
という見出しが見えますが、これにはわけがあります。
野球界で歴史に残る試合がこの日、別の場所でありました。
詳しくは、次回に書きます。

 

 

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