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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

新世界・通天閣の通りも外国人ばっかり

2025年05月09日 | ウォーク・自転車

前回のブログでは、5日に、柏原市法善寺の周辺を歩いた話を書きましたが、その翌々日の7日(つまり一昨日ですが)には、今度は妻の実家の周辺のウオーキングに出かけました。場所は大阪市の城東区にある東中浜というところです。

地下鉄で最寄りの駅まで行き、そこから歩いて妻の実家へ。
今週は僕たちに縁のある住居跡2か所巡りですわ、えへっ。
(妻の実家は、今はもう人手に渡って小さなマンションになっています)。

そのあと、大阪環状線に乗り、天王寺に出て昼食を摂りました。

そして、そこから歩いて難波に行くことにしたのです。

天王寺公園を通り、動物園を過ぎ、やがて新世界へ。
通天閣の下を通り抜けて日本橋通りをテクテク歩いて難波へと行ったのですが、途中の新世界では人の多いのに驚きました。

 

 
  新世界の中へ入って行くと…


    
  やがて通天閣が見えてきました。

大阪で万博が開かれていることもあるんでしょうけど、通りを歩いているのは、ほとんどが外国人でした。

英語のような会話、中国語っぽい会話、韓国語ふうの会話、まるでどこかわからない言葉での会話…などが耳に入ってきました。

万博が始まってから、初めて大阪市内の賑やかな場所を歩いたのですが、ここまで外国人が沢山来阪しているとはね~

いや、ホント、ちょっとビックリしましたけど、
楽しいひとときでした。

 

  どの写真も5月7日の午後1時半前後に撮ったものです。


★おまけデス

いつもポケットに歩数計を入れて歩いています。

まずこれが5日、前回ブログの柏原市へ行ったときの歩数です。

 


で、次が7日、この新世界へ行った日の歩数です。


 

昨日に撮った写真なので、左下に1日前と表示されていますが、
昨日から数えて1日前なので7日の記録です。
そして、その上の歩数計の左下には3日前となっていますが、
これも昨日から数えて3日前、なので5日です(もうええわ)。

ではでは。
今は午後10時50分ですが、外はジャカジャカと雨が降っとります。

おやすみなさ~い。

 

 

 

 

 



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懐かしい「柏原市法善寺」へウオーキング

2025年05月06日 | ウォーク・自転車

大型連休ということで、先週の2日(金)から4日(日)までモミィが来ていて、わが家は賑やかでした。

そしてモミィも帰った昨日5日は、いいお天気だったので、どこかへウオーキングをしようということになった。

「久しぶりに法善寺へ行こうか?」と妻が言った。

法善寺とは、あの大阪繁華街にある「月の法善寺横丁♪」(古いわ~)に歌われたあの法善寺ではなく、藤井寺市に隣接している柏原市にある法善寺という地名の場所です。

僕が高校生になった時、それまで住んでいた大阪市の東住吉区から、義父の地元だった柏原市に引っ越したんですよね。それが柏原市の法善寺です。

僕はその法善寺の家から、高校~大学まで通っていました。
家は小さな借家で、4件長屋の一番端だったんですけどね~

そしてさらに、22歳の大学卒業直前に僕は結婚をして、その法善寺の家の隣がたまたま開いていたので、うちの両親がそこを僕らの新居として借りてくれました。つまり、新婚時代は、両親と隣同士に住んでいたわけです。

それから数年して、僕らは藤井寺の一戸建て住宅に引っ越しました。
その約20年後、親の援助も受けて、そこに今の3階建ての家屋を新築しました。

ま、そんな僕の「住宅史」なんですけどね~

父母はその後もずっと法善寺に住んでいましたが、やがて父が亡くなり、そのあと母も亡くなって、法善寺の借家は解約しました。その頃は時々そこへ行っていたのですが、母が亡くなってからは、たぶんほとんど行っていません。


そんなことで、柏原市の法善寺は、僕だけでなく、妻にとっても懐かしい場所なので、今はどんなふうになっているのか、まだその家が残っているのかを見に行こう、ということになったわけです。

これを読んでいただいている大阪在住以外の方には「法善寺」と言ってもよくわからないと思いますが、わが家から歩いたらかなり時間がかかります。

それで、昨日は午前中に2人で家を出て、藤井寺から柏原に向かってテクテク歩き、途中で食堂に入って食事をし(ビールも飲み)、またテクテク。

法善寺は近鉄大阪線にある駅で、僕らが住んでいた家はその駅から歩いて数分のところでした。

そうして、やっとその法善寺の駅の踏切へ来ました。
(このすぐ左側が法善寺の駅です)。

 
 踏切を超えてまっすぐ行けば昔のわが家なんですが、
 その向こうに山が見えます。
 それが信貴山脈で、山の向こうは奈良県です。


この法善寺の駅も懐かしいですね~
ここから近鉄大阪線に乗って、東大阪市の「長瀬」という駅で降り、そこにある近畿大学付属高校に3年間通いました。
そしてさらに、同じ場所にある近畿大学に4年間通ったのですから、つまり計7年間、「法善寺~長瀬」を電車で通学したわけですよね。
だからこの法善寺駅は、一生忘れられない駅です。

さてその法善寺駅の踏切を渡り、まっすぐ歩いて行くと…

やがて、昔住んでいた家が見えてきました。
4件長屋の一番手前が両親と住んでいた家です。
そして、その右隣が僕らが新婚の時に住んだ家です。



まだ誰かが住んでいるのか?
よくわかりませんが、たぶん住んでいないと思います。
ほぼ、廃屋状態ですね~

というようなことで、妻と昔を懐かしんだ後、
ここからJR柏原駅まで歩き(よく歩いた道です)、やっと駅へ到着しました。
このあたりは、どこを歩いても、かつて住んでいた所だけに、懐かしかったですね~
(駅からは途中乗り換えで藤井寺駅まで行きました)


さて、僕は高校生の頃から、この家に住んでいたわけですが、

その高校の時に飼っていたワンちゃんがいました。
古いアルバムを出してみると、
こんなワンちゃんとの写真が出てきました。


 
上の写真の長屋の一番手前、
つまり当時住んでいた家の玄関です。

ワンちゃんの名前は「ジュン」と言いました。

う~ん。
自分が高校生だった頃の写真なんかを見ると、
なんだかねぇ。
夢を見ているみたいですわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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白浜のパンダ4頭が中国へ返還 !

2025年04月25日 | ニュース・時事

このニュースには驚きました。
和歌山県白浜町のテーマパーク「アドベンチャーワールド」で、現在、飼育しているジャイアントパンダ4頭が、すべて、今年の6月末頃に中国に返されることが決まった、と発表されたニュースです。

この4頭が返還されたら、国内で飼育されるジャイアントパンダは、東京の上野動物園にいる2頭のみになるということです。

えええ~~? なんで? 
なんで、そんなことになったのだろうか。
ホント、首をかしげざるを得ないです。摩訶不思議な話です。

 ………………………………………………………………………………………………

白浜町のアドベンチャーワールドへは、モミィが小さかった頃、白浜温泉に泊りがけの旅行で何度か行きました。そしてパンダを見たのですが、その時の写真があります。


  

パンダちゃんも疲れていたのか、ゴロンと寝ころんだままでした(笑)。
これは2011年4月に撮影したもので、モミィが5歳の時でした。

ちなみに、この当時はパンダが8頭もいました。

そしてその2年後、2013年の7月にまた白浜へ行きました。

これらはその時の写真です。

 
  大阪~白浜間を走る列車内にはパンダ座席があり、
  乗客の記念写真用に供されていました。
  この時、モミィは7歳でした。


 
 そして白浜駅に着いたら、
 パンダのお人形が出迎えてくれました


そのパンダが白浜から消えていくというのですから、
本当に何とも言えないほど残念な話です。

今回返還されるパンダ4頭は、
みんなこの白浜の「アドベンチャーワールド」で生まれ育ったというのに…

淋しくなります。

 

 

 

 

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藤井寺の藤の花と近鉄バファローズ

2025年04月21日 | 日常のいろいろなこと

桜の花も、咲いたかと思うとあっという間に散ってしまいました。
ホンマに「花の命は短くて」ですね~

僕が住んでいる藤井寺市には、藤井寺(正式には葛井寺)というお寺があって、
市名もそこから来ています。駅の近くにその藤井寺があり、僕たちは毎年お正月には初詣に行きますし、それ以外にも、近くへ行ったら必ず境内に入ってお参りをします。

ここには綺麗な藤棚があります。
藤井寺というお寺の名称も、その「藤」から来たのか、と思います。

ネットでも、関西の藤棚スポットで、大阪で3番目に乗っています。

  https://www.pretty-online.jp/news/5402/#3

3日前、妻と外食をした帰りにその藤井寺に寄りました。
そろそろ藤の花も見ごろだろうという時期だったし。


 
  門には「藤まつり」の看板が。

すると境内にはいつも以上の大勢の人たちの姿があって、
中に入って行ったら…


 

その奥で、法要が行われていました。
前の方に行くと、

 
「阿弥陀三尊 二十五菩薩 落慶記念法要」と表示されていました。

ふ~ん。今日はそういう記念の日だったんですね。

本堂でお参りをしてから、境内のあちらこちらにある藤棚を見て回りました。

 



ということで今日はこれでおしまい、のつもりでしたが、
表題の「近鉄バファローズ」の話を追加させてもらいます


 ……………………………………………………………………………………


藤井寺といえば、昔々、ここはプロ野球のパ・リーグ「近鉄バファローズ」の本拠地で、「近鉄」といえば藤井寺球場で、「藤井寺」と言えばバファローズでした。
僕らが藤井寺市に引っ越して来た頃、休みの日にはまだ小さかった息子たちを連れてよく球場へ行きました。藤井寺の駅前にあるのですから、近いですよね。

しかし、いろんな事情があって、2004年にその球場は閉鎖され、その後取り壊されて、今は何の面影もありません。

そこで、先ほどの藤井寺の藤棚の話なんですが、

お寺の境内の中をウロウロしていたとき、境内の隅っこのほうに、こんなのがあるのを見つけました。

 

藤井寺球場が閉鎖されてから20年以上も経つのに、
まだこういうのが残っていたのですね。
境内の隅の方にあったので、これまで気づかなかった。

あぁ~
何だかこれを見て、往年の近鉄バファローズを思い出しました。

ま、今も「オリックス・バファローズ」ということで、
「バファローズ」の名前だけは残っていますけど。
もう、近鉄とも藤井寺市とも縁がなくなったのが残念です

 

 
これがかつての藤井寺球場。
画像の左下に近鉄南大阪線が走っています。

 

 

 

 

 

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この漢字 読めます? 

2025年04月17日 | 日常のいろいろなこと

ほぼ毎日行く駅前のイオンショッピングモールでの、今日の話です。

このショッピングモールは入り口の近辺で、何かわからないけど、いろんなイベント(特売?)が行われており、若いお兄さんやお姉さんたちがティッシュペーパーを配っていることが多いんですよね。
しかし、
うっかりティッシュをもらうと、「どうぞ、こちらへ」と、横のほうへ案内され、
「スマホの機種は何ですか?」とかなんとか、スマホに限らずいろんな商品を紹介する。
こういうのって苦手なので、ティッシュを持って近づいてくる人からは、なるべく離れて歩くようにしています。

そして今日のことですが。
買い物を終えて、食料品店から専門店を歩き、出口に差し掛かったところで、また男の人が僕たちを呼び止めた。どうせティッシュだろ、と思って素通りしようと思ったら、
その男の人が、「これ、なんと読みます?」と、不思議なことを言ったので、
「えっ?」と、思わず振り向いたら…

そこには白い紙があって、紙に難しい漢字がデカデカと一文字、書いてあった。
男の人は「この漢字、読めますかぁ?」とその紙の一文字を指さしたのです。

「ん?」なに、この字?
そこに書かれていたのは、こんな漢字です。

「嚏」

えぇ~?
見たことのない字だった。

「読めたら、サービス品、お渡ししまぁす~」とお兄さん。

う~ん。
僕は昔から難読漢字は好きだった。
「漢字を遊ぶ本」
というのを買って、何十年も愛読していたほどです。

 
  その愛読書のうちの1ページ。
  若い頃はこんな本で遊ぶのが大好きでした。


だから、まぁ、漢字を書くのは別として、読むのは、どんな難解な漢字でも読めるという自信はありました。ここ数年、さすがに年なのか、書けなくなった字が増えてきたけれど、読むことには今も自信があったんですよね~

それが、今日、イオンにいた兄さんに「この字、読めますか?」と聞かれ、その字を見て、「あれぇ、見たことない字やなぁ」と、かなりショックを受けました。
「いや、わかりません」と言いながら、妻とその場を離れて行くだけでした。


家に帰り、妻が、「あれ、なんという字だったんだろうね~」と言いながら、スマホで検索した。「口編」で検索して、画数の多い漢字を順番に調べて行ったら、その「嚏」という字が出てきたという。

なんとまぁ、この漢字。

「くしゃみ」と読むのだそうでした。

 嚏→くしゃみ(ご存じでした?)

たしかに、スマホで「くしゃみ」と打つと、この漢字が出てきた。

「へぇ~。よく調べることができたねぇ」
と、僕は妻に言いながら、まだ自分も見たことのない難解漢字があるんだなぁ、としみじみ思った次第です。

「くしゃみ」なんて、口に出せば実に簡単な言葉なのにねぇ。
なんでこんなに漢字がチョー難しいんでしょうね。

ただ、
もし、僕がその字を知っていて、イオンにいたそのお兄さんに

「くしゃみ、やろ!」と正解したら、
お兄さんは何をくれたんでしょうね~

というより、またそれをきっかけに、何かややこしいものを勧められたり、買わされたり、したかも知れません。

読めなくて、よかったかも、ですね~(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大阪関西万博の開幕で思うこと

2025年04月12日 | 思い出すこと

明日から大阪関西万博が始まります。
明日の13日から10月13日までの183日間だそうです。
たぶん、僕は行かないと思いますけど。

きょう、開会の式典が行われ、天皇陛下も列席されていました。
テレビ各局も、ニュース番組からバラエティ番組まで、万博・万博で盛り上げていましたが、特にバラエティ番組では、大騒ぎするネタが欲しいだけで万博を報道しているだけじゃないか、な~んて勘ぐったりしますね~

僕らの世代から見ると、1970年の万博があまりにも印象に強かったので、今また「大阪万博」と言われても、「また大阪万博かいな」という程度で、ワクワクするような気分にはなれません。
これまでの世論調査でも、半分以上の人たちが万博の開催に反対していると報じられていましたし。

思い起こせばあの当時…

1964年、僕が高校1年生の時に東京オリンピックが開かれました。
毎日学校から帰るとテレビにしがみついて、ず~っと競技を見ていました。
そしてその6年後の1970年に大阪で万博が開かれたんですよね。
これも、大きな楽しみの一つでした。

その前年の69年、当時20歳だった僕は、自転車で、日本海側から北海道最北端まで走り、帰途は太平洋側を通って大阪まで帰る2カ月半の旅行をしたのですが、行く先々で、
「大阪から来ました」と言ったら、たくさんの人が
「えっ、大阪? じゃぁ来年万博があるんだよね。いいなぁ」
と、どれだけ羨ましがられたことだったか。
「私も来年は大阪の万博へ行こうと思っているんです」
と言った方も何人かおられました。
とにかく、「大阪万博、いいなぁ」と言われ続けていました。

それだけ盛り上がった1970年の万博です。
もちろん僕も、当時、付き合っていた彼女と一緒に行きました。
(もちろん、今の妻ですよん)。
まぁ、「月の石」はあまりに多くの人が並んでいて、見ることができませんでしたけどね~

さて、
今でも、三波春夫の「こんにちは~ こんにちは~♪」
という昔の曲が毎日のように流れていますよね。
これって、今回はテーマ曲がないんでしょうかね~

ま、そんなことで、1964年に東京オリンピックが開かれ、
1970年に大阪万国博覧会が開かれました。
その翌年に僕は結婚をして、さらにその翌年の1972年、
長男(モミィのパパ)が生まれました。

そしてその年、札幌冬季五輪が開催されたのでした。

ジャンプ競技やフィギュアスケートを始め、初めて生放送で見たこの札幌冬季五輪も素晴らしかったですね~

僕自身、青春真っただ中で、それはそれはもう、めちゃ夢中になった3つのビッグイベントでした。

それが、55年以上経った令和のいま、再び繰り返されました。
でも、盛り上がりの点では、当時とは比べ物になりません。

2020年開催予定だった東京オリンピックは、コロナ禍で開催が1年遅れになりました。

そして今回の大阪万博は、賛成しない人たちが多数を占めています。

さらに、2030年の冬季オリンピックが札幌で実施されるはずだったのですが、諸般の事情により、招致が断念されたことはご承知のとおりです。

東京オリンピック→大阪万博→札幌冬季五輪

なんだかねぇ。
なんで半世紀以上経って、同じようなことを考えるんでしょうね~
当時の盛り上がりを真似しようと思っているのかな。

やれやれ。
「昔はよかった」
な~んて古くさいセリフは吐きたくありませんけど、
つい、口に出しかけてしまいますわ。
(もう、出してしもてるがな)

 

 

 

 

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「日本は存在しなくなる」とイーロン・マスク

2025年04月07日 | ニュース・時事

きょうは、日本の人口の話ですけど。

厚生労働省の人口統計によると、
去年→2024年に生まれた赤ちゃんの数は、
前年より3万7,643人少ない72万988人だった、とのこと。
これは9年連続で過去最少記録を更新しているそうです。

そんなことで、日本の人口は減り続けています。
死ぬ人は多いし、生まれてくる赤ちゃんは少ないし。
そりゃ、減りますよね。

さて、
過日の朝日新聞に、

マスク氏「日本存在しなくなる」
という見出しの記事が載っていました。

どんな内容か、というと、
今、何かと話題になっているイーロン・マスクのおっさんが、

「出生率が死亡率を超えるために何かを変えない限り、日本はいずれ存在しなくなる…」

と、警告をした、という記事でした。

  


「日本はいずれ存在しなくなる」

とはねぇ。なんという発言か。
お前がそんなことを言うか? と言ってやりたいです。
だいたい少子化は日本だけじゃありませんしね~

しかし…
日本の人口が減り続けているのは、残念ながら事実ですしね。

前述のように、去年の1年間で生まれた日本の赤ちゃんは約72万人です。
…で、団塊の世代である僕が生まれた年なのですが、
その団塊世代の最後(3年目)の1949年(昭和24年)です。

調べてみたら、その年に生まれた赤ちゃんは約270万人でした。
270万人!
去年生まれた72万人より、200万人近く多いのですね。

ふ~ん、そんなに違うんや。

そして、今や、その72万人まで減った赤ちゃんの数も、今年になるとさらに減って70万人を割るのではないか、と言われています。

う~ん。
やはり、こういう数字を見ていると、
日本の将来が不安になってきます。

僕ら団塊世代は、当然これから次々と世の中から消えていきます。
そうなると、ますます日本の人口は減って行くでしょう。

今年20歳を迎えるモミィのような年代の子は、これからどういう社会で生きて行くんだろうか、と、心配になってみたり…
あるいは、
そんなこと思ってもしゃぁないがな、と、思ってみたり。

悩ましい問題ですわ。


 

 

 

 

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桜満開の下で写真 遺影に最適?

2025年04月05日 | 日常のいろいろなこと

前回(4月1日)のブログで、
「今日から新年度、桜もチラホラと」
というタイトルで、近所の
古墳で撮った僕の写真を載せました。

でもね~
テレビでは、「桜が満開です」と、それこそ日本のあちこちで満開の桜の映像が流されていていたのに、なんでウチの近くだけチラホラやねん、
…と思っていたところでしたが。

昨日(4月4日)、近くの別の場所にある桜並木へ行ってみたら、
なんと、見事に見事に満開でした!

「場所によって違うんやねぇ」と、
妻と感心しながら、桜を背景にお互いに写真を撮り合いました。

この時は、細い道にズラ~っと並ぶ桜並木と、同じくその下に並んで咲いているユキヤナギを背景に、写真を撮りました(ユキヤナギも綺麗!)。


  
    4月4日 午前11時40分撮影
    (この左の向こう側に大和川が流れています)
      

これも僕の遺影の候補ですわ(笑)。

 

 

 

 

 

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今日から新年度。桜もチラホラと

2025年04月01日 | 日常のいろいろなこと

今日は4月1日ですね。

昔はこの日を「4月バカ」な~んて言ってました。
「エイプリルフール」ということで、この日だけは噓をついてもいい、ということで、いろいろ盛り上がっていたようですが、最近はあまりそんなことは言わなくなったようですね~

つまり、今はネット世界で嘘の情報がジャンジャンと飛び交っているので、今さら「4月1日は嘘をついていい」というような空気は消えてしまっているのかも知れません。

さて、
1月1日からは「新年」ですが、4月1日からは「新年度」です。
つまり、年度で言えば今日から「令和7年度」になるわけですよね。
学校を出て就職する人も、今日、社会人の第一歩を踏み出すわけで。
お正月より今日のほうが大きな区切りの日と言えるかも知れません。

で、僕自身のことを言うと、
地方公務員として38年間働いて、3月31日に定年退職を迎えたのは、ついこの間のように感じますが、それが2009年だったので、あれから16年が経ちました。

あの年。
退職した翌日、つまり僕がフリーになった初日の4月1日は、当時まだ4歳だったモミィを連れて、妻と3人で和歌山の白浜温泉へ1泊旅行をしました。

「これから仕事に行かなくていいんだなぁ」と思いながら、3人で行ったあの旅行は、今も深い印象が残っています。

そんなことで…
話は変わりますが、桜が咲き始めましたね。

わが家の近くには古墳があって、以前はそこの桜の下で何度もお花見をしたものです。

そして、今日、妻と「もう咲いているのかなぁ」と言いながら見に行ったのですが、まだ満開とまではいかず、咲いている木、まだ咲いていない木が混ざっていて、全体的にはチラホラ咲き、という感じでした。

ここは満開までもう数日待たなければならないんでしょうね。

その中で、ずいぶん低い位置に咲いていた桜があり、数人の人が写真を撮っていたので、僕らも撮りました。

この桜、満開とまではいきませんが、段差があって、僕らがいたその下から枝が伸びていたので、こんな低い位置で咲いていたわけです。

それで、妻とお互いのスマホで写真を撮り合いました。
撮った写真を確認しながら、
「死んだ時はこれを『遺影』にしたらいいかな」
な~んて妻と言いながら、その場を離れました。

う~ん、ホントにこれが「遺影」になるかも…ですね~


 

 

 

 

 

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「物忘れ」と「認知症」の違いは

2025年03月29日 | 心と体と健康と

先日、某テレビ局の健康番組で、認知症をテーマにした放送があったので、興味深く見ました。

最近、僕は物忘れが多くなってきています。
だから「認知症」という言葉を聞くとドキッとしたりするわけで。

でも、
「物忘れ」と「認知症」は大きく違う、
というのを聞いて、少しホッとしているところです。
それは何かというと…

その「物忘れ」と「認知症」の違いとは…

昨日の夜ご飯は、何を食べたのだろうか?
と思い出そうとしても、なかなか思い出せない時があります。
昨日か一昨日か、あるいは数日前に食べたものかが頭の中でごっちゃになったりするんですよね。
で、そういうのが「物忘れ」なんだそうです。

しかし「認知症」となると、そうではなく、
「夜ご飯を食べたこと」そのものを忘れてしまう、
ということだそうです。
う~ん、さすがに食事をしたかどうかを忘れたりはしないので、
まぁまぁ、まだ単に「物忘れ」なら、まだマシなんだな~と、
とりあえず安堵しているところです。

ところで、
冒頭のテレビ番組の話ですが、

その番組で、専門家の方が、認知機能を維持する対策の一つとして、サプリメントを服用する、という方法があることを紹介してくれました。

そのサプリの名称が、「ノンアルツ」って言うんだそうです。
「ノンアルツ」です。
しかし、その時僕にはそれが「ノンアル」…と聞こえたのです。

「ええぇぇ! ノンアル?」
つまり「ノンアルコールビール」とかの「ノンアル」かいな?

それで、その瞬間、僕の頭の中では、
「ノンアルコールビールを飲んだら認知症になりにくいわけ?」
な~んてことが浮かびました。
そりゃまぁ、アルコールを摂り過ぎるより、
ノンアルのほうが認知機能にはいいのかも知れませんが。

しかしね~。そんなアホなねぇ。
で、よ~く聞いてみると「ノンアルツ」だったのです。

だいたい、そんなアホ聞き勘違いをすること自体、
僕はホントにボケてきているのかも知れませんけどね~

さて、
「ノンアルツ」をネットで検索したら、やはりサプリメントでした。

まぁ、「ノンアルツ」という名前は、
「ノン・アルツハイマー」を略したものかも知れませんけどね。

しかし、それならそれで、今度は、
「のんアルツハイマー」と、
僕自身に向かって言われているようで、
な~んだか妙な気分になります。

「のん」が「アルツハイマー」なんてね。

やな感じ。

 

 

 

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AIが世界を変える?

2025年03月25日 | 雑記

時代というものは時事刻々と変化していくものですけど…

特に科学技術の進歩って、すごいですよね。
それによって、どんどん世の中が変わっていく。

その昔、僕らの若い頃にはなかったパソコンというものが出現し、今のノートパソコンと同じようなものが日常生活で使われ始めたのは1990年代だったと思う。95年には「Windows95」というのが出たのを覚えている。
あの頃が、なつかしい~

それが今ではスマホ全盛の時代となり、もう何でもかんでもスマホで出来るほどである。さらにそれがどんどん進化してきて、最近は「AI」という言葉が今の社会を席巻し始めていますね。

僕なんかには、それがどういうものなのか、詳しいことは知らないけれど、人間に代わって何でもできる「人工知能」ということだそうで、便利な機能ではあるけれど、危険な要素も沢山あって、リスクも多いようだ。

先日のこれに関する新聞記事を読んでみたら…
AIは、与えられたデータをもとに、人間が書いたような自然な文章や、現実のようにリアルな画像や動画、音声などを生み出す。
そして「ディープ・フェイク」と呼ばれる、本物と見分けのつかない偽の画像や音声も簡単に作り出せるようになり、犯罪に利用される恐れもあり、社会に大きな混乱を生む。

…というようなことが書かれてありました。

そして、ブログも、AIが作ってくれる、という広告が最近載っています。「ブログは書かなくても作成できる」というのがうたい文句。

AIに簡単な指示文を出すだけで、あとは全部文章を作ってくれる…
そして、それをブログに掲載する…

ということだそうです。
その種の宣伝が、最近はやたらと目につくんですよね。もちろん、僕はやり方も知らないし、知ろうとも思わないし、そういうことには手は出しませんけどね。

それにしても…
今後、どれだけAIが世の中に影響(悪いほうの影響です)を与えていくのか、想像してみるだけで、何だかぞ~っとしますわ。

 

 

 

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地下鉄サリン事件の前日、銀座の地下鉄で

2025年03月21日 | 思い出すこと

昨日、3月20日は、メディアで報道されているように、地下鉄サリン事件が起きた日でした。

この事件で、14人が死亡し、6300人以上が被害に遭った。
決して忘れてはならない、未曽有のテロ事件です。
その事件が起きたのは1995(平成7年)の3月20日。
今からちょうど30年前ですね。

この事件に関しては、個人的にも忘れられないことがあります。
以前にも書いたことがありますが、改めて書きます。

1995年といえば、1月17日に阪神大震災が起きた年です。

その年、僕と妻は3月に、休暇をもらってパリに旅行する予定だったが、震災の惨状を見て恐怖心が湧き、余震もあり得るという報道もあったので、海外旅行に行くのが不安になった。で、パリ旅行を秋に延期することにし、その代わりに2人で東京へ旅行に行ったのです。

東京ディズニーランドへ初めて行ったのもこの時。
当時の日記を見ると、旅行は3月17日から19日までの3日間。
ディズニーランドには18日に行った。
そして大阪へ帰る日の3月19日のことでした。

お昼に銀座で東京での最後の食事を楽しんだ。
その日は日曜日だったので、銀座の道路は歩行者天国になっていた。
そこをぶらぶら歩きながら、地下鉄銀座駅の降り口へ行った。

階段を降りようとしたら、そこに一人の男性が立っていて、ちょうどティッシュペーパーを配るような感じで何かのカードを配っており、僕にもその1枚のカードをくれた。

見ると、東京の地下鉄の路線図だった。
僕はそのとき何も思わずにそれをポケットに入れ、
地下鉄に乗ってから改めて取り出して見てみると、

その路線図の裏に奇妙で不気味な文章が載っていた。

カードには、2ヵ月前に起きた阪神大震災のことに触れながら、

「日出る国、災い近し」

と書かれてあったのです。
そして…
「間もなく日本に大震災以上の大きな災いが訪れるであろう…」
ということが書かれていた。

何だこれは? 地下鉄の路線図と、何の関係があるの…?

と僕は不思議に思いながらも、それ以上は考えず、またポケットにしまいこみ、その後は、東京駅から新幹線に乗って夕方に大阪に帰り着いた。

そして翌日。3月20日の月曜日の午前のことである。

勤務先の市役所へ出勤したら、
ロビーのテレビの前に職員たちが群がっていた。

何事かと思って、僕もテレビの前へ行ってみた。
画面にニュースが流れていたのだが、
地下鉄の構内らしき光景が映っている。

「何これ? どこの地下鉄? 何かあったの?」

と僕がそばにいた後輩職員に問いかけた。すると彼は、 
「東京の地下鉄で毒がまかれて、大騒動になっているそうですよ」
と、言った。
「えっ? 地下鉄で毒がまかれた?」

僕が地下鉄サリン事件を知ったのは、この時だった。

そして翌日、
3月21日は春分の日で、仕事は休みだった。

僕は朝からTVニュースやワイドショーを見続けた。
もちろんどのチャンネルも地下鉄サリン事件一色であった。
それらの番組の中でひとつ、あれ…? と思うレポートがあった。
事件の前日に「あるもの」が配られていた、というのだ。

あるレポーターが、
「実はこういうものが前日の午後、銀座で配られていたということです」
と言いながら、テレビ画面にカードを示し、それがアップで映し出されたのを見て、僕はびっくりした。
僕が受け取った、あの地下鉄の路線図カードとそっくりだったのだ。

「間もなく日本に大震災以上の大きな災いが訪れるであろう」
と書かれてあった。

これは絶対に間違いない。
僕が銀座の地下鉄の降り口で男性から受け取ったものと、
まったく同じものだった。

レポーターが続けて言うには、この路線図のカードは東京都などが公式に作製したものとは違うものであり
「この路線図の中心には霞ヶ関駅が描かれています」
ということだった。

僕は、銀座で受け取ったその路線図カードを出してもう一度確かめた。
するとやはり霞が関が路線図の中心になっていた。
あとからわかったことだけど、サリン事件の主な現場となったのは地下鉄霞ケ関駅だった。

テレビではレポーターが「事件の前日に配られたこのカードには何かの意図を感じます。サリン事件を予告したのでしょうか?」と興奮しながら言っていた。

思えば僕は、オウム真理教の男からその路線図カードを受け取ったのだった。
そしてテレビの前で、そのカードを握ったまま、茫然自失となった。

  ………………………………………………………………………

ついこの間のことのようですが、あれから30年が経ちました。

昨日、そして今日と、テレビでこの事件のことが報じられています。

事件の1日前に東京の地下鉄に乗った僕たちとしては、この事件は思い出しただけでぞ~っとします。もし、もう1日遅ければ、サリンの被害に遭っていたかも知れない、という恐怖感も、なくはなかったです。

あの年は、1月に阪神大震災が起き、3月にこの事件が起き、と、
本当に怖い年でした。

あれが、今から30年も前のこととは…

本当に、時の経つのは早いです。

 

 

 

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いしだあゆみさん、亡くなる

2025年03月17日 | ニュース・時事

いしだあゆみさんが亡くなられた。
今日の夕方のテレビニュースで知って驚きました。
76歳だったとのこと。
僕も今年の1月に、76歳になりました。同い年です。

いしだあゆみさんで思い出すのは…

僕がこれまで見た映画の中でも、間違いなくベスト5に入る…と、このブログでも何度も書いてきた映画「駅」です。
高倉健さん主演の、僕にとって永遠に忘れられない素晴らしい映画でした。

  

去年の1月に、そのことをこのブログに書きました。

八代亜紀さんの「舟歌」で思い出す映画 


映画「駅」のラストシーンは、「舟歌」が流れる中で、高倉健さんと倍賞千恵子さんの2人の無言の演技が素晴らしかったのですが、実はこの映画の冒頭に、いしだあゆみさんが出てきます。冒頭だけの短いシーンなのですが、彼女のその名演技が、当時、絶賛されました。

その冒頭シーン。
刑事だった高倉健と離婚し、別れて行く妻・いしだあゆみ。
汽車に乗り、デッキから、ホームで見送る健さんに、泣き笑いの顔で、最後は敬礼してみせる…。
この場面だけで、当時は話題を一身に集めたのです。

 
  映画冒頭のいしだあゆみさんの有名なシーン。

僕は今でも、いしだあゆみさんといえば、
このシーンが鮮明によみがえってきます。

また、この大好きだったこの映画のもう一つの魅力は、八代亜紀さんの「舟歌」だったのですが、その八代亜紀さんも、1年余り前に73歳で亡くなられました。

何だか…
同世代で親しみやすく、好きだった芸能人が亡くなられることが、
最近とても多くなった(…ような気がします)。

「自分もいつ、逝ってしまうか知れない」
と僕も、自然な感情として、そう思うようになりました。

そんな年齢になってきたんですよね。

 

 

 

 

 

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動画の生配信中に殺害 何という時代に!

2025年03月15日 | ニュース・時事

東京の高田馬場で、動画を生配信していた若い女性が、配信中に男に刃物で刺されて死亡するという事件は、本当に驚きました。最初にニュースを見た時は、一体何のことかさっぱりわからず。だいたい、僕などは、「動画の生配信」と言われても、ちんぷんかんぷんで、それと殺人事件がどう関係あるのかも全然わからなかった。そして、この動画配信を行っている人を「ライバー」と呼ぶそうですが、そんな言葉もむろん知りませんでした。

ネットで調べてみたら、現在活躍中の女性ライバーが、
ライブ配信では、自作の曲を歌ったり生活の状況を伝えたりしているほか、視聴者のメッセージに返答するなど双方向のやりとりができるため、
「会ったことがない人が友だちや家族のように応援してくれる。人の優しさや温かみを感じられる空間です」
と話していた、とのこと。

さらに、
配信では、視聴者たちがチップのように「投げ銭」と呼ばれるお金をライバーに支払うこともある、ということで、これまたよくわからない話ですけど。

ともあれ今回の事件は、そのライバーの女性が視聴者の一人である男に殺害されたということになります。ま、男は何百万かのお金をその女性に貸していたのかつぎ込んでいたのか、よくわかりませんが、前述の「投げ銭」をしていたのでしょうか?
いずれにせよ、その女性を殺害するとは、
あまりの残虐さに、言葉もありません。

ライバーの女性方も、自分のいる場所が特定できるところで生配信をしたら、中にはこういう凶暴な「視聴者」が存在して、取り返しのつかない被害を受けることがあるという事実を、今回の事件で目の当たりにしたわけですから、配信のやり方を考え直さなければなりませんね。当然のことですけど。

それにしても、スマホが普及してからというもの、いろんな機能がどんどん進歩してきて、僕らにはわからないような事件が多発する一方ですね。
SNSやら何やらで知り合った相手に命を奪われたりする事件などがちょっちゅう報道されている昨今です。

ほんま、えらい時代になってきましたわ。

僕は今から20年前の2005年の7月に、書店で「ブログをはじめよう」という本が目について、買って読んでみました。「ブログ」というものもその時に初めて知ったのですが、文章を書くのが好きだった僕にはとても魅力的で、さっそくパソコンで試してみたんですよね。そうしたら、見知らぬ人たちからコメントが届いて、それでやりとりをしたりしながら、ブログの楽しさに浸るようになりました。
(ちなみに、今のこの「のん日記」は、2007年から始めました)

そんなことで、未だにこのブログを続けているのですが、スマホでの配信などは、やり方もわからないし、やりたいとも思わないので、そちらの知識はほぼゼロです。
モミィに訊いたら、説明はしてくれるんですけど、何を言っているのか皆目わかりませんしね~(笑)。

パソコンで、このブログを続けることが、僕にできる唯一の「発信」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東日本大震災から14年

2025年03月09日 | 思い出すこと

自然災害というのは、本当に怖い。
岩手県の大船渡の山火事は、発生から約10日経ってようやく雨が降り、鎮火しつつあるようだけど、まだ多くの人たちの避難指示は継続しているそうです。

最近益々、地震や豪雨や大雪の自然災害や、今回のような大火事など、災害のニュースが増えています。水道管が破裂して道路に大きな穴が開いたニュースにも驚きました。

そして、今日は3月9日です。

あの東日本大震災が起きた日は、2011年の3月11日でした。
つまり明後日ですが、あの大惨事から14年、です。


あの年。

震災から2ヶ月余り経った2011年5月19日に、

僕は一人で、宮城県へ行きました。

テレビ報道などで、地元の人々が、
「ぜひこの被災地の現状を見ていただきたい」
と訴えておられたことに、背中を押されたのでした。

このことは以前にも書いたことがありますが、
決して忘れてはならないことなので、
改めてその時のことを再掲載します。

 …………………………………………………………………………………


大阪からの夜行バスで仙台空港前まで行き、
空港の前から歩き始め、名取市内を抜け、

仙台市若林区へ入る道を歩こうと考えた。

空港から沿岸部を北東の方角に歩き、名取川を渡り、
そして仙台市の若林区に入って、そこから内陸部の仙台駅方向へ…

そういう予定を立てていた。
歩く距離は20~30キロぐらいだろうか。


歩き始めたのは午前9時半ごろだった。
しかし、いきなり方角がわからなくなった。
地図を持っているのだが、どこがどこなのか?

道の両側の光景には、背筋が凍りついた。
見たこともない光景だった。

散らばった瓦礫。壊れた家屋。ひしゃげた車。転がる舟。
そして、茫漠とした荒れ野が視界の全てを占めるような光景。

どんな言葉を尽くしても表現できない光景だった。

震災から2ヶ月以上が経ち、瓦礫はかなり撤去された様子だった。

それでもこれだから、被災した当初は、
想像を絶するものであったに違いない。

僕が歩いている道は、人影はなかった。

そこへ、ひとり、自衛隊員風の若い男性が立っていた。
僕を見て頭を下げられたので、
「お疲れさまです」と、僕も一礼した。

少し先の道路が十字路になっていたので、
その男性に道を訊いた。

「名取川を渡って仙台市に入りたいのですが」と言ったら、

「この道をまっすぐ行くと海に出てしまいますので、
 あちらのほうへ行かれるといいです」

と、男性は左手を指して、

「○○ (地名らしかったが聞き取れなかった) へ出ますので、
 そこへ行けば、仙台市の若林地区へ入れると思います」

「ありがとうございました」

教えてもらったその道を、また歩き始めた。
相変わらず人影はない。 
どこをどう眺めても、人の姿は見えない。
そして車の姿も見えなかったのだが…

すると車が1台、後方からやって来て、僕の横で止まった。
車の中には、年配の夫婦らしき男女2人が乗っていた。
助手席の奥様らしき人が、窓を開けて僕に呼びかけた。

「キタガワさんのお寺へはどう行けばいいのですか…?」
と、道を尋ねられたのだ。

「は…? あの~、すみませんが…」
僕は、この土地の者ではないのでわかりません、と詫びた。
(心の中では、知ってるわけないがな! な~んて叫んでいた)

しばらく行くと、バス停があった。
高柳、という名の停留所だったので、また地図を広げた。
あ、あった。地図に高柳という地名が…。

初めて地図上で、自分の歩いている場所を確認できた。
このまま行けば、閖上大橋というところで名取川を渡れる。
「閖上」 とは難しい文字だけど 「ゆりあげ」 と読む。

すでに12時を回っていた。 
歩き始めてから、3時間近くが経過した。
歩きながら、パンを食べ、水を飲んだ。

やがて閖上 (ゆりあげ) 大橋の手前まで来た。

道路の真ん中に、警官が3人ほど立っていた。
僕がそのまま行き過ぎようとしたら、女性の警官が、
「どちらへ行くのですか?」と、厳しい口調で尋ねた。

「閖上大橋を渡って仙台市若林区に入るつもりです」と言うと、

「この先は、関係車両以外、行けません」 
と女性警官がきっぱり言った。

それなら…と、左側に行く道があったので、
「じゃあ、そちらの道を行きます」と言うと、
「その先は通行止めです」と、また、きっぱりと言われた。

僕は途方に暮れた。
 
「では、この道を引き返すしかない…ということですか?」
という僕の言葉に、女性警官は、そうです、とうなずいた。

戻るとすれば、最寄の駅はJR名取駅ということになる。

でも、空港方向から歩いて来たので、
名取駅への道がわからない。そう伝えると、

「この道をまっすぐ行けば名取駅です。歩きでは大変でしょうが」 
と女性警官はそう言い残して、元の場所に戻って行った。

僕は仙台空港の前から、道に迷いながら、ここまで歩いてきた。
だから、名取駅の場所はわかっても、そこまでの距離が不明である。

地図を見ると、確かに名取駅へ引き返す道はわかりやすかった。
しかし、現在地からはずいぶんと遠い。 

本来なら名取駅へ行く路線バスが走っている道路である。
バス停があるのだから、間違いない。
しかし、現在そのバスは運行されていない。 
名取駅まで、何の交通手段もないのである。

バス停に、名取駅までの全停留所名が表示されていた。
それを数えてみたら、全部で12あった。
名取駅まで、バス停が12ヵ所もあるのだ。 
バス停からバス停までの距離も長そうだ。
それを12ヵ所通過して行かなければならない。

ここまで来たのに、またこんなところまで戻るのか?
そうと思うと、急に足が重くなった。

でも仕方ない。

ここまで歩いて来た道を、僕はまた戻り始めた。

 

 
 以下はいずれも、その時に歩きながら撮った写真です。
 (2011年5月19日。名取市)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
   歩いて歩いて、ようやく名取駅が近づいてくると、
    コンビニが1件、営業していました。
   これでやっと現実に戻れた気がしました。
   


 

 

 

 

 

 

 

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