僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

大阪マラソン…

2011年04月30日 | 日常のいろいろなこと

今年10月30日に、第1回大会が開催されることになった大阪マラソン。
10年ぶりにフルマラソンに挑戦しようと張り切って申し込んだけれども…

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/fd4c5bd238b6a95bffd9d045b1ef8638


数日前、

 大阪マラソン2011 抽選結果 ( 落選 ) のお知らせ

…というメールが来た。 タイトルからして、ミもフタもない。
せめてタイトルは 「結果のお知らせ」 だけにして、中身で落選を知らせてほしい。
(でもまぁ、このほうが明快でいいのかな。 結果は変わらないのだから)

このたびは第1回大阪マラソンにご応募いただき誠にありがとうございました。
お陰様をもちまして定員を大幅に上回る申込みがあり厳正なる抽選を行いましたところ、誠に残念ながら今回はご意向に沿えない結果となりました。  今後、参加料の未入金者が多かった場合には、追加当選者を出すことがございます。  その場合、7月中旬頃に再度『第1回大阪マラソン追加当選のお知らせ』にて通知させていただく予定です。

…だって。 

まぁ、申込者数がめちゃめちゃ多かったようなので、
たぶん、あかんやろな~とは思ってましたけど。

聞けば、20キロすらまだ走ったことがないという者も、
「大阪マラソンに申し込みましてん」 と言ってたなぁ。
「あの制限タイムやったら、ほぼ歩いても行けそうや」
そ~ゆ~人間たちが競争率を引き上げたのであろう。

ぐすん。

 

 

 

 

 

 

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新撰組血風録

2011年04月29日 | 映画の話やTVの話など

4月からNHKのBSで始まった「新撰組血風録」が面白い。

昔から、「新撰組もの」 は好きだった。
舞台が自分の生まれた京都であることも、何が親しみのようなものを感じさせる。
新撰組屯所のあった壬生は、僕の生家の近くで、祖父の墓も壬生の寺にある。

三谷幸喜が手がけた大河ドラマ 「新撰組」 にはいささか失望したものだけれど、
今回のドラマは、レギュラー陣にあまり有名ではない俳優さんが多いということで、
余計なイメージに邪魔されず、物語そのものをじっくり楽しめる要因となっている…
…のではないかと、まあ、勝手に思っているわけですけど。
(有名でない…とは、ちょっと失礼でしたか!)

それに、このドラマ、殺陣のシーンが半端ではない。 壮絶、とも言えるほどだ。
真剣のシーンはむろん、屯所の庭での稽古場面ですら、火花が散るほどの迫力で、
あのような凄い立ち回りでは、誰か大怪我をするのではないか、と心配になる。

司馬遼太郎の数ある作品の中でも「血風録」は数え切れないほど何度も読んだ。
 
もっとも…
「竜馬がゆく」 や 「坂の上の雲」 のような大長編は、そう何度も読めないけれど、
「血風録」 は15の短編からなる連作物で、1冊におさまり、手ごろで読みやすい。
しかも、どこから読んでも楽しめる。 僕の座右の書のひとつでもある。

この作品は、昭和39年 (1964年) に中央公論社から初版本が発行された。
僕はそれから10年経った昭和49年に、この本を買って、初めて読んだ。
それまで読んでいた司馬さんの小説の中でも、ひときわ魂を揺さぶる作品だった。
「なんでもっと早く読んでおかなかったのか」 と当時の読書日記で悔やんでいる。

何度読み返しても、構成の妙と文章の巧みさに、恍惚として、ため息が漏れる。

今も変わらず同じ本を読んでいるので、もうボロボロである。
そして、ページのあちらこちらに黄色のマーカーを塗っている。
何か感ずるところがあれば、そこにいちいちマーカーを塗っていたのだ。

息子が高校生ぐらいの頃、この本を読ませてくれと言ったことがあるが、
マーカーを見られると恥ずかしいので、自分で買って読め、と言ったものである。

まぁ、原作にはそれほど思い入れが深いので、どうしてもその眼でドラマを見る。

つい原作と比べてしまうので、これはドラマ鑑賞に良くもあるが、支障もある。

第3話のクライマックスは、芹沢鴨が暗殺されるシーンだった。

芹沢は、粗暴で、酔えばさらに狂人のように凶暴になる男だが、
神道無念流の達人であり、膂力 (りょりょく) は隊内におよぶ者のない男であった…
…と、原作で書かれているように、1対1では、たとえ土方でも勝てない相手である。

芹沢を酔わせ、寝入っているところを、沖田総司、原田左之助、それに土方、
近藤などが急襲し、芹沢の反撃をかわしながら、寄ってたかって討ち倒す。
原作のここのくだりは、いつもハラハラして読むのだが、テレビドラマでは違った。

土方が 「手出し無用!」 と沖田らを制して、庭で1対1で芹沢と対決する。
そして、一進一退の後、土方が芹沢を斬る … ということになったのだが、
最後は芹沢を妙に格好いい男に描いたり、土方ひとりに手柄を持たせたりと、
ちょっと腑に落ちないストーリーで、ここは見ていて不満が残った。

ほかにも細かいところで不満はあるが、全体として眺めたら、見ごたえがある。
沖田総司役の辻本祐樹は、大河ドラマの時の総司役・藤原竜也そっくりだけど、
2人とも、司馬遼太郎の原作の総司像に、ぴったりハマっているって感じだ。

主人公・永田大の土方歳三は、中途半端に気弱さ、優しさが出るのが難点。 
視聴者にわかりやすく、あえて人間らしさを見せているのかも知れないが、
司馬遼太郎の原作を引用するまでもなく、土方はもっと冷酷でなければならない。

この 「血風録」 に登場する新撰組隊士の中で、山崎烝(すすむ)が好きである。

大阪の町人あがりで、剣術が得意だが、新撰組の監察として諜報活動をしている。
薬売りの姿で京を歩き回り、さまざまな情報を拾って、近藤、土方に報告する。

山崎烝の先祖は、この小説によると、播州の赤穂藩士である。
しかし、元禄時代の赤穂義士の討ち入りの時、彼の先祖は参加しなかった。
討ち入りから100年以上経った幕末でも、世間では、参加しなかった家士は、
「義挙にも加わらなんだ犬畜生じゃ」 と指弾されたという。
旧赤穂藩士は、名を替え、生国をくらまして、諸国に隠れ住み、
自分の子や孫にさえ、自分の家が赤穂から出たことを語らなかったという。
よほどの差別を受けていたようである。

ドラマの中で、近藤勇と鴻池善右衛門の2人の会話に山崎のことが話題に出て、
「彼は赤穂の出身でしたね」 と近藤勇が言うと、
「それは、決して彼の前では言ってはいけないことです」
と鴻池善右衛門がたしなめるシーンがあったが、原作を読んでいない者には、
この時点での、この会話は、何のことやら意味がわからなかっただろう。

山崎烝も、父からそんな話は聞かなかったが、あるところから知ることになる。

一方、赤穂義士の討ち入りに加わった47人は、子孫も英雄扱いだったそうだ。

ここに、大高忠兵衛という男が登場する。
倒幕をもくろむ長州藩に近い浪士である。 つまり、尊皇攘夷浪士だ。
この男は、赤穂義士の一人、大高源五の曾孫であった。
ただ、それだけの理由で、尊皇攘夷浪士のあいだで重んぜられていた。

そして、大高と山崎は、偶然にも、これまで数度、会っていた。
山崎は、初対面の時から横柄な大高の態度を、好かぬものと思っていたが、
それが赤穂義士が、討ち入り逃避者に対する侮蔑の態度だったと後に知り、
山崎は怒り狂い、いつかは大高忠兵衛を斬る、と心に誓うのである。 

薬売りとして池田屋へ潜伏し、様子を伺っていた山崎は、ついに…
来るべき6月20日前後に尊攘浪士が御所に火を放ち、天子を長州に動座する、
というおそるべき計画があることを知る。 その下相談が6月5日に行われる。
場所は、自分が潜伏しているこの池田屋である、という情報をつかむのだ。
池田屋には、尊攘浪士として、大高忠兵衛も出入りしていた。

近藤が手勢を引き連れて池田屋を襲撃する話は、あまりにも有名である。

これを導いたのが、監察役の山崎であった。

そして池田屋で、今度は新撰組隊士としての山崎が、
大高忠兵衛と対決することになる。

次に放映される第5話 「池田屋異聞」 は、
たぶん、この山崎烝と大高忠兵衛の闘いがヤマ場になるのではないか。

放送は明後日の日曜日、午後6時45分からです。

お楽しみ~




 
  2004年(平成16年) 
  大河ドラマ 「新撰組」 でブームになった頃の壬生の屯所跡 (2004年4月撮影)

 

 

 

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ケタ外れのアレルギー

2011年04月27日 | 心と体と健康と

1週間前のブログで、鼻がつまったりくしゃみが出たり、鼻血が出たりと、
鼻の調子が悪いので近所の耳鼻咽喉科へ行き、血液検査をしてもらったことを書いた。
「とうとう、花粉症になっちゃったのか…?」 と思うと、ちょっと気鬱になった。

しかし、飲み薬と点鼻液を試してみると、翌日から鼻がすっきりしはじめ、
鼻水も出ないし、鼻づまりもないし、たまに鼻をかんでも血が出ることもなくなった。
これまで一カ月以上も悩まされてきたことがウソのように劇的な改善ぶりである。
「あぁ、簡単に治るもんだな~」 と、気持ちはすっかり上向きになった。

そして一昨日、血液検査の結果を聞きに行った。

「あれから、どうですか…?」 という医師の問いかけに、
「いや~、次の日から急によくなりまして、今ではくしゃみひとつ出ません」
「薬が効いてくれたのでしょうね」 と医師は僕の鼻の中を見て、
「あぁ、本当だ。 あんなに荒れていたのに、きれいになっていますね」

この時、僕は、きょうは検査結果を聞きにきたのだということを忘れていた。
というか、検査の結果も花粉症ではないだろう…と予想していたので、
いずれにせよ、きょうの診察をもってすべては落着だ…と楽観していた。

しかし、医師の表情は 「よかったですね~」 の顔ではなく、
「うむ。 困ったなあ~」 という顔だったので、不審に思った。

「検査の結果ですけどね…」 と医師は顔を曇らせて僕の方を向いた。
「かなり重度のアレルギー体質なので、正直言って驚いています」
そう言って、「アレルギー関連検査成績報告書」 という1枚の紙を僕に示した。

「重度のアレルギー体質」 ってか。 ほんまかいな。

「この数値ですけどね…」 と医師がその紙の説明を始める。

紙を見ると、まずアレルゲンの名称というのが縦にズラリと並んでいる。
アレルゲンというのは、アレルギーの原因となるいろいろな抗原物質のことだ。
カモガヤなどの稲科植物、ブタクサなどの雑草花粉、スギなどの樹木花粉に加え、
ヤケヒョウヒダニ(ダニ)、ハウスダスト(ホコリ)などが並んでいる。

そこに、僕の数値が書き込まれているのだが、医師の説明によると、
ダニや埃に対するアレルギーの測定値が100以上とあり、この100以上というのは、
これ以上測定できないという意味で、文字通り測り知れないほど高い数値だという。

単位は、UA/mℓ というものだ。 なんのことかわからんけど。

稲科植物やスギ花粉の数値もかなり高かった。
なにせ基準値は0.34以下だというのに、スギは32でカモガヤが14だ。
しかしダニ・ホコリに対するアレルギーはそれどころではなく、100以上なのだ。
純然たる花粉症ではなかったが、ホコリなどのアレルギー性鼻炎であった。

「はぁ…。 そうなんですか…」 ピンとこない、というのが正直な感想だ。

「それでね…」 と医師は、その下の欄の数値を示した。
「ここにある、非特異的 I g E という項目ですけど…」 
非特異的 I g E … というのは、全体的なアレルギーの程度を示す数値だという。

「この数値が、あなたの場合4,976 … つまりほぼ5,000あるわけです」
「はぁ…」
「基準値は170以下です。 それが5,000ですからねぇ…」 
と医師はため息まじりに話す。
「ケタ外れですよね。 ここまできついとは私も思いませんでした」

なんだかよくわからないが、これは体質的なもの…ということであろう。
こんな検査などしたことがなかったので、そこまできついとは知らなかったが、
そういえば、昔からよく鼻水が出て、鼻をかんでいた。
特に20代~30代のころは、朝に鼻水とくしゃみがひどかった。
職場の一泊旅行などでは、早朝から部屋を出て、ロビーで何度も鼻をかんだ。
だから、他人と同じ部屋で寝ることは、僕にとってかなりの苦痛だった。

歳を重ねるにつれて、その症状は軽くなってきたので、
そのうち、そういうことがあったことも忘れかけていた。

それが、3月のちょうど大震災が起きた頃から、鼻がつまり始めた。
鼻水が出て、鼻をかむと血が出たり、血の塊が出たりした。

まあ、こういう症状については、昔のこともあるので、
そのうち治るだろう、と思いながらも、1ヶ月以上経ったので、
気は進まなかったが、やむを得ず、耳鼻咽喉科へ足を運んだ。
そこでこんな、あっと驚くような検査結果を示されたのである。

「でも、ここ数十年、ごく普通だったんですけどね~」
と僕が言うと、
「もともとのアレルギー体質に、スギ花粉がかぶったのかも知れませんね」
と、医師は自分の推測を述べた。

「ま、よくなったのは、薬が効いているからでしょうね。
 でも、ずっと薬を飲み続ける…ということも勧められませんし…」

医師は、
「いちおう薬は4週間分出しておきますが、症状を見ながら使ってください」
と言って、手にしていた検査結果の紙を、僕にくれた。

朝夕2回の薬を1回に減らしてみたり、鼻の調子が悪くなった時にだけ、
つまり頓服として服用してみたり、薬の飲み方を工夫して様子を見る…

「また、その結果がどうだったか、教えてください」
との医師の言葉を最後に、僕は診察室から出た。

それから2日経った。
薬は1日1錠に減らしてみた。
くしゃみもでないし、鼻水も出ない。

時期を見て、薬をやめようと思っているが、
今の感じでは、薬をやめても、もう症状は出ないだろ、
と、またまた楽天的に考えている僕なのである。

まあ、医師も驚くほど 「ひどいアレルギー体質」 と宣告されても、
別に悲観するわけでもなく、何か改善をしなければ、とも思わない。

そういう体質だったというだけで、こんなことを気にしては身が持たない。

糖尿病やら不整脈やら耳鳴りやら、過喚気症候群やら腰痛やらと、
何やかやと身体にトラブルを抱え込んでいるので、これ以上はもう結構。

結構、結構。 結構毛だらけ 猫灰だらけ、尻のまわりは○○だらけ…

な~んて、寅さんの口上をエンディングに、この話は終わります。

最後はちょっとお下品で、失礼しました

 

 

 

 

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モミィの春休み そして年長さんへ

2011年04月24日 | モミィの成長日記

3月に、モミィが幼稚園の年少組を修了した。

去年9月から、わが家から幼稚園に通い始めたモミィは、冬休みを挟む7ヶ月の間、風邪で高熱を出した時以外は、一日も休むことなく、いつも機嫌よく幼稚園へ行った。そして3月24日、年少組の終業式の日に、修了証書をもらって帰ってきた。


       
        7ヶ月間、よ~くがんばりましたね。

 

              

春休みに入り、4月1日から1泊で和歌山県の白浜温泉へ行った。

思えばちょうど2年前の4月1日。 僕が定年退職をした次の日だった。区切りの意味合いもあって、モミィと妻と3人で白浜へ行った。あぁ、今日からもう勤めに出なくてもいいのか…と、ホテルの部屋の窓から、海岸に咲き満ちた桜を眺めながら、そう思った。

今回は、さしづめ、モミィの幼稚園年少組修了記念の小旅行である。

白浜にはワールドアドベンチャーという施設があり、8頭のパンダがいる。折しも東京上野動物園に2頭のパンダがやってきて話題を呼んでいるけれど、8頭もの数多くのパンダが、なんでこの白浜にいるのか、よくわからない。

モミィも、ここでパンダを見たことはあるのだが、その時はまだ小さくて、何の記憶もないようなので、今回、また見に行くことにした。

 

     
             白浜の名所、千畳敷で。 

        

   
パンダは、ポカポカ陽気に気持ち良さそうにお昼寝? あるいはお疲れ?    

  

      
    パンダより、ペンギンパレードの方が盛り上がりました。



4月8日は幼稚園の始業式。 

モミィの年長組の生活の始まりだ。降園時間に園まで迎えに行ったが、その日は保護者も保育室に入った。新しい担任の先生から保護者にあいさつがあった。そのあと、園長先生も新任だったので、同じくあいさつがあった。園長先生は、「30年ほど前に、この幼稚園で教えたことがあります」と、しきりに、懐かしんでおられたのが印象に残った。

帰宅して、妻にそのことを言うと、妻はモミィが持ち帰ったプリントを広げ、新任の園長先生の姓名を見て、「あ、これ、武〇先生じゃない?」 と言った。結婚されて姓は変わっていたが、妻は名前のほうでわかったようである。

新しい園長先生は、かつて、うちの息子たちを教えた先生だったのだ。

妻が当時の卒園記念アルバムを出してきて、写真を見せてくれた。

翌日、モミィを送って行った時、門の前に園長先生が立っておられたので、
「武〇先生…ですよね?」 と話しかけると、
いきなり旧姓で呼ばれて驚いた表情で、僕をまじまじと見つめながら、
「はい、そうですけど。 あなたは、ひょっとして?」 
と目が輝き始めた。
「先生に教えてもらった」と僕が言いかけると、
「えぇっ! そうなのっ。あなた、私の教え子ちゃん?」 
「いえいえ、僕じゃなくて、僕の息子が先生に教えてもらったのです」
「あ、そうですか…。なるほどね」

と、まあ、一部に作り話が入っていますが(笑)、そんな会話を交わしました。

             

次の週の月曜日、4月11日は、保育が終わってから保護者主催のお花見会が行われた。

近くに古墳公園があり、満開の桜の花の下で、保護者と園児たちがお弁当を広げる。園児のママたちはそれぞれのグループでシートに座り、おしゃべりを楽しんでいる。み~んな、園児のママである。 男の姿は、僕のほか、どこにも見当たらない。子どもたちはお弁当が終わると、元気にそのへんを走り回って遊んでいる。

モミィも、食べ終わると、僕から離れ、友だちと遊びに行ってしまう。 とほほ。ママたちのグループの横で、一人ポツンと座って、桜を眺めている僕なのであった。 

                                                         

酒もなく、話し相手もいないお花見なんて、何が楽しいのか。な~んて思いながら、ママたちのおしゃべりの横で、一人あくびをかみ殺す。

あんまり退屈なので、知り合いの女性に、メールで、「園児のママたちの横で、ビールも何もないお花見です」 と送ったら、
「ギャルママに囲まれ、ビールなんてあろうものなら、完全に出来上がってしまいますがな~」 
との返事が来た。

むふふ、とうつむいて笑っていると、ママの一人が僕のところへやってきて、
「コーヒー、いかがですか…?」 
と言ってくれた。

ひとりポツンと座っているので、気をつかっていただいたようである。

「あ、ありがとうございます」 と僕は丁寧にお礼を言い、
「ビールならもっとうれしいのですけど」 とジョークを飛ばそうと思ったけど、さすがに、この雰囲気の中では、それを口に出す勇気はなかった。

 

 

 

 

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石巻の大将からハガキ

2011年04月23日 | 日常のいろいろなこと

石巻で花屋さんを営んでおられる 「大将」 からハガキが来ました。

津波で1階の花屋さんの部分は壊滅し、2階だけでの生活の毎日ですが、
石巻は地盤沈下で、潮が満ちるたびに町中が水浸しになっている光景が、
新聞やテレビなどで報道されていました。

震災から40日以上経った今でも、まだまだ収束の見通しの立たない日々。
広範囲にわたる被災地での過酷な生活は、まだまだ続いています。
でも、大将は石巻から、わざわざ僕のところにハガキを送ってくれました。


近況報告

悪夢の日より一カ月が過ぎ、片づけに追われてる毎日です。

その節はご心配かけました。 生きてて良かった、本当にありがとう。

皆さんの励ましに勇気を貰い、負けずに頑張ろうと家族全員で奮闘中です。

電気、水道、電話と回復し、床上1・5メートルですので、二階で毎日キャンプ生活です。

床下の掃除が大変で、ホースで流し、泥を集め外へ出す、この繰り返しです。

家が流された人たちに比べればまだしも良とし、頑張っています。

                              片づけで多忙な石巻  西 ○ 均



大将。 体には十分にご留意され、頑張ってください。
こんなパソコンのブログを見ているどころではないと思いますが、
日本中の人たちが、各被災地で耐えておられる皆さんにエールを送っています。

大将とは、これまでの人生で、2度しか会っていませんけど、
3度目も、笑顔でお会いできることを、楽しみにしています。

 

 

 42年前。 青森県下北半島、本州最北端の地で、
 自転車旅行中の大将と僕は、テントを張って一夜を過ごした。
 今から思えば、まるで夢の中の記憶のような…。
 
                

    http://d.hatena.ne.jp/domani07/20070816

 

 

 

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耳鳴が消えるってか!?

2011年04月22日 | 心と体と健康と

先日行った耳鼻咽喉科の医師に、鼻の治療を終えてもらった後、
実は僕には耳鳴りがあり、3年前から大○前病院でTRT療法を受けていると伝えた。

「ほう、TRTですか。 どうですか、効果は…?」 と医師が興味深そうに訊く。
「えぇ、まあまあ、ぼちぼち、というところですね」 と何の参考にもならない答え。
「器具はあまり付けてらっしゃらないのですか…?」
最近はほとんど付けていないし、この日も家に置いてきた。
「よほど耳鳴りがきつい時はつけますけど…普段はほとんど」

「私は医師になってからこれまで、耳鳴りに効く薬が出たことはありませんね」
医師ははっきりと、そう言った。

「市販されている耳鳴りの薬はありますよね」 と僕は、
小林製薬から出ている 「ナリピタン」 という薬のことを話題にした。
「まあ、中には治る人がいるかも知れませんが、頑迷な耳鳴りにはねぇ…?」
と、医師は言った。
僕も耳鳴り初期の頃、希望に燃えてナリピタンを買って飲んだ。…が、効果なし。
しかも、何週間か服用して効果の出ないときは中止してくださいと書かれていた。
いまでもナリピタンのCMを見ると不快感を覚え、チャンネルを変える。
「ふむ…」 医師はうなづく。 

僕は、 「ほんと、ナリピタン…なんて、ダジャレめいた薬名をつけて、
人心を迷わすのにもほどがある。 いっそナリヤマンにしろ、と思ってます」

医師はハハッと笑い、最後にこう言った。
「私は今の耳鳴り治療で最も効果的なのはTRTだと思っています。
 でも、これは耳鳴りを治すのではなくて、慣れる訓練ですものね」

やっぱり、今もさまざまな薬の開発が取り沙汰されているが、決め手はないのである。

そんなとき、新聞の広告にデカデカと健康雑誌 「壮快」 の宣伝が目に入った。

「壮快」 6月号は、耳鳴りの大特集だった。  

 

    

 

 ガムをかむと耳鳴りが消える…?

サヌカイトの石琴を聴くと耳鳴りが改善される…?

ビールで耳鳴り解消…?(なら僕はとっくに解消しているがな)

どれもこれも、ほんまかいな…? と疑う話ばかりだ。 

1冊680円の雑誌で耳鳴りが治ったら、誰も悩みませんわいな。 

…といっても、こういう記事が載ると、どうしても気になる。

気になって、気になって、しょうがない。 

まったく~、耳鳴りというのは、つくづく因果なヤツである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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花粉症の疑い…?

2011年04月20日 | 心と体と健康と

鼻水がやたらに出たり、鼻がつまったり、くしゃみが出たり。
そして鼻をかむと血がまじっている…。
こんな症状がもう一カ月以上続いている。

「お医者さんに行けばいいのに」 と言う妻にあいまいな返事を繰り返し、
昔から鼻炎の傾向があるので、そのうち治るだろうと思いながら、
面倒なので医者にも行かず、成り行きにまかせていた。

前回のブログでそのことに少し触れたら、のこたんさんがコメントで、
花粉症かも知れないので、早くお医者に行ったほうがいいですよ、
と薦めてくださった。

まさかこの歳で花粉症になったわけではないだろうと思っていた僕は、
「げっ。 花粉症かも…? それは捨て置けない」
そんなわけで、昨日、妻が行ったことのある評判のいい耳鼻咽喉科を訪ねた。

「鼻がつまったり、鼻水が出たり、鼻をかむと血が出たりします」
40歳前後に見える医師が、僕の鼻の中になにやらを突っ込んで、
「ずいぶん荒れていますね。 鼻のかみ過ぎでしょうね」
「でも、鼻をかまずにはいられませんしね~」
「ふむ、ふむ…」 と、医師はフィルムのようなものを見ながら、
「鼻汁は汚れていませんから、お薬で鼻水を出ないようにしましょう」
「はい。 お願いします。 ところで…」 と僕は気になっていたことを切り出した。
「これは、何が原因なのでしょうか? まさか花粉症では?」

すると医師はその言葉を待っていたように、僕に質問をした。
「3月と4月では、どちらが症状がきつかったですか?」
「は…? いや、別にどちらが、ということもなく、同じようなものですけど」
「3月がきつければスギ花粉、4月がきつければヒノキ花粉の可能性があります」
「へぇ、そうなんですか。 まあ、僕は3月も4月も、変わりませんけど」
「ペットは飼っておられますか?」
「はい。 金魚を…」
「いえ、あのぉ、犬や猫のことですけど…」
「あ~、それなら、何も飼ってません」
 
「アレルギー性の鼻炎は、主に花粉やホコリやペットが原因でなのです」
「そうですか。 しかし花粉症なんて、これまで一度もなったことないのに…」
「花粉症は突然なるのですよ。 年齢と関係なく」
「ふ~ん…そうですか。 では、どうしたら花粉症かどうかわかるのでしょう?」
「血液検査でわかります。 ただ、検査料が高くなりますけど…」
「いくらですか?」
「4千円です」
「あ…、では、ぜひ検査を、お願いします」

採血をしてもらい、1週間分の飲み薬と噴霧用の点鼻液を出してもらった。

検査の結果は、来週月曜日ということで … 

 

 

 

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震災うつ…というもの

2011年04月17日 | 日常のいろいろなこと

大震災が起きて1ヶ月以上たつが、連日被災地のニュースを見ていると、
胸がつぶれそうになるほど、気持が重苦しくなる。

今は定年退職して、家にいる時間が長い。
つい、朝も昼も夜も、ニュースを見てしまい、ますます息苦しくなる。

先日、作家の林真理子さんが書いておられたが、
ある写真家が被災地へ行って撮った写真を見て、
その、あまりの惨状に、何日か眠れず、涙で枕を濡らし続けたという。

「 こういうのを、震災うつ、というらしい。
 本当に被災した人たちに対して、甘ったれたことを言うなと、
 叱られそうであるが、何をどうやっても心が暗く塞いでしまう。
 それに原発の不安が追い打ちをかけるのである。
 このまま更年期の本格的うつへ突入するのだろうか… 」

と、林真理子さんの文章は続いていく。

被災地から遠く離れた大阪に住んでいる僕でも、暗澹たる気持になる。
そして、それが続くと、うつ的症状がじわ~っと湧き出してくる気がする。

この重苦しい気分には、のんブログにコメントをくださる3人の女性の方が、
ことごとく今回の被災地と関係しておられることも、大きく影響している。

じゃいさんは、ご自身が仙台市内に住んでおられる。

ちひろさんは、ご実家が宮城県で、ご両親や祖父母様が住んでおられる。

そして、のこたんさんは、妹さんが岩手県陸前高田市に住んでおられる。

その方々のことが気がかりで、落ち着かず、TVを見るたびに、つらくなる。

休んでいる間、自分の身の回りでもいろいろなことが起きて、
ブログに書こうと思ったりもしたが、いざとなると、文章が出てこない。
震災のことが頭に浮かび、何を書いても無意味な気がするのである。

ブログを自粛する…とかいうようなことではなく、書く気が湧かないのだ。
理性も感性も、もぐらのように土の中に潜り込んだまま、出てこない。
この無力感。 これこそ 「震災うつ」 症状ではないか…とも思った。

それに合わせるようにして、体調も悪くなってきた。
何とも言いようのない倦怠感と、頭の奥がピリピリしびれるような感触。
そこへ、一段と大きな耳鳴りが響き、おまけに鼻までおかしくなった。
まさかこの歳で花粉症に罹ったのではないだろうが、ハナがだらだら出る。
血液をサラサラにする薬ワーファリンを服用しているせいだと思うが、
鼻をかむたびに、鼻血が出たり、血の塊が出たりするのも気になる。
しょっちゅうハナをかむので、ティッシュ1箱がすぐ空っぽになる。

これまで週に4~5回は通っていたコスパの水泳にもほとんど行かず、
暖かくなり、走りやすくなってきたのに、ジョギングにも一歩も出ず。
そういう元気の出そうなことをやればいいのだが、それが億劫なのだ。

テレビに映る被災地の様子を見ては、ため息をつく。
まことに 「憂きにたへぬ」 毎日であった。

一昨日、やっとブログ再開ができて、すこし書く気分が上向いてきた。
これをはずみに、また続けられそうな気がする。
いつまでも塞ぎこんでいるわけにはいかない。
被災地でも、少しずつだが元気な姿を見せる方が多くなってきた。
僕たちは、むしろ被災地の人たちから勇気を与えられることもある。

しかし…
それにしても、である。

95年の阪神淡路大震災では、1ヵ月後の行方不明者は2名にまで減っていた。
だが今回の東日本大震災では、1ヶ月後もまだ、万単位の行方不明者数で、
しかもこれから、死者も不明者もまだまだ増えてゆく可能性があるのだ。

地震・津波の規模といい、被災地の広さといい、想像を絶する大災害だ。

いくら国民が、いや世界中が 「がんばろうニッポン」 と声高に叫んでも、
その指揮をとる人物が、どこに存在するのかわからないような現状では、
「がんばろう」 の声も、被災地の人々に実益をもたらすまでには至らない。
この大きな支援の流れが、一刻も早く被災地へ届かなければならない。

 それを統括し、指揮監督するのは日本国の総理大臣なのではないか。

今のあの人物の、覇気のなさ、存在感のなさ … などを見ていると、
何とも情けなく、日本人の一人として、つくづく恥ずかしい気持になる。

 

 

 

 

 

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なんとなく

2011年04月15日 | 日常のいろいろなこと

4月14日(木)。
朝、モミィを送って行く。
これまで、僕は、幼稚園までモミィと手をつないで歩いていたが、
見ると他の保護者たちはほとんど、園児とは手をつないでいない。
園児は勝手に歩き、ママはその後をついて歩いている。
モミィも今月から2年目の年長組になったのだから、それが本来だろう。
…と、僕も、車が通る危険場所を除き、今日から手を離して歩くようにした。
手を寄せてくるモミィを、「一人で歩くのだよ~ん」 と拒否する僕なのである。

10時半、妻と共に駅前の 「ヤマハピアノ教室」 へ行く。
5月から、モミィはここでエレクトーンを習うことになっている。
それに関する説明、つまりオリエンテーションというやつに行った。
メガネをかけた、色の白い、ぽっちゃりした綺麗な女性に、
「お父さん、お母さんは、音楽や楽器などのご経験はおありですか?」
と、まず訊かれた。 「お父さん、お母さん」 には戸惑ったが、まあいいや。

「あります。 実は僕は、浪花のモーツァルトと呼ばれているのです」
と、僕は言った。 …って、ウソだ。 あはは。 そんなはずないだろ。

「いえ、2人とも、ぜんぜんありません」 と答えると、
「そうですか。 いえ、そのほうがむしろいいのですよ」 と女性が言う。
なまじ保護者に楽器などの経験があると、教えるほうは、やりにくいのであろう。

「幼児コース」 は2年間だ。
「でも、せめて10歳くらいまでは続けてあげてくださいね~」
「毎日10分でもいいですから、このCDを聞かせてあげてくださいね~」
と、説明する先生。 音感は、感性に大きな影響を与えてくれる…とのこと。
それは、よくわかる。 きっとそうだろう、と僕も思う。
エレクトーンを購入することにした。 20万円だ (これでも最も安い部類)。

モミィ、頼むからすぐに 「やめる~」 と言わないでね~。

11時10分になったので、僕だけその場を抜け、モミィを迎えに行った。
春休み明けの幼稚園は、今週いっぱいは11時半までの保育である。

午後2時半。
幼稚園の新しい担任の先生が、わが家に家庭訪問に来られた。
妻と僕 (主には僕だけど) と、約30分程度、先生といろんな話をした。
うちの場合は、他の 「標準的」 な家庭とちょっと違うので、
先生には、わりに、込み入った話をしなければならない。

「モミィちゃんは、すごく感性が豊かで、楽しいお話をしてくれますよ」
そう言ってもらえると、安心する。
家庭では知りえない幼稚園でのモミィの様子をいろいろと話してくださった。
さわやかで、時には大声で
アッハハ~と笑う、とても感じのいい先生である。

夕方、電車で阿倍野へ出て、元の職場の人たちとの飲み会に出席する。
ある議員さんが、議会事務局の職員を招いてくれる恒例の飲み会だ。
その会に、退職して2年になる僕もいつも誘っていただき、ありがたいことだ。

数時間が経ち、さて帰ろうというとき、元職場仲間の一人である I さんが、
「帰りに、うちに寄ってくれませんか」
と言うので、途中下車をして、そのお宅にお邪魔した。
奥さんにビールやワインを開けてもらい、また飲んで歓談した。
I さんはいっさいアルコールは口にしないが、奥さんは飲まれるようだった。

ここの息子さんがドイツに留学していることは、以前から聞いていた。
奥さんがドイツの地図を出してこられ、
「実は、近々、ここへ息子を訪ねて行くのです」 と言われた。

へぇ~
いいなぁ。

僕はドイツの地図を眺めながら、遠い目になった。
これまでヨーロッパへは7回行き、訪れた国は8ヵ国だけれど、
フランクフルト空港で飛行機を乗り換えたくらいで、ドイツには行ったことがない 。
修業中の息子さんを訪ねてドイツに行くって、本当に素晴らしい。
うちには今、モミィがいるので、海外旅行はしばらく無理だけど…。

それやこれやで、いい気持ちになり、I さんに車で自宅まで送ってもらった。

久しぶりに睡眠薬も飲まず、ぐっすり寝て、今朝5時に目を覚ました。

ブログを再開するなら、今日かな~、と、なんとなく思い、
なんとなく、二日酔いのボケた頭で、こんな文章を書いている。

なんとなく。
そうです。 なんとなく。

 

 

 

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