僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

造幣局 桜の通り抜け

2010年04月20日 | 日常のいろいろなこと

 
  

先週の14日から大阪の造幣局で「桜の通り抜け」が始まった。
14日のテレビのニュースでは、どのチャンネルでもこれを報じていた。
テレビを見て初めて、
「あ…? もう通り抜けの季節か。ほな、見に行こか」
という人たちが多い。

したがって、この通り抜けは、初日より2日目以降に見物客が殺到する。

僕と妻もそうである。テレビを見た翌15日に、造幣局へ出かけた。

12日に吉野で膝を傷め、2日間ほど家に引きこもっていたけれど、
平坦な道なら歩いても痛まなくなっていたので、格好の足慣らしだ。

耳鳴りで通う大手前病院のすぐ近くに造幣局はある。

地下鉄天満橋で降りたときから、大変な人出だ。

人の流れについて、ぞろぞろ歩いて行くと、造幣局の入り口に着く。

警官やら造幣局の職員らしき人たちがあちらこちらで、
「立ち止まらずに、歩き続けてくださ~い」
と、繰り返し客たちに呼びかけている。

造幣局の入り口から出口まで、500m余りの一方通行。
料金は、無料である。

ここは、資料によると、八重桜を中心に約350本・130品種があるそうだ。
毎年1週間限定で公開され、今年は14日から20日までである。

「立ち止まって写真を撮ると、他の方々の通行に支障が出ますので~」
桜は歩きながら見てください、と、当局の「お願いコール」が響く。

それでも、お構いなしにみんな写真を撮る。僕も、撮る。
通行が停滞したほうが桜をじっくり見られるので、誰も意に介さない。

そんな中で撮った写真の一部です。 



 

  
   桜を眺める人々の目は、みんな幸せそうであった。

 

 
 身を乗り出して写真を撮る人。
 柵の中へ入り込む人には、警察官が注意する一幕もあった。

        

 

  これは「今年の花」である「都錦」です。 
  はて…? 「
今年の花」って、何なのだ…?

  
造幣局のホームページには、

造幣局では、通り抜けの桜に親しみを持っていただくため、数多くの桜の品種のうちから一種を「今年の花」として選び毎年ご紹介しています。

と、説明されている。なるほど。別に根拠はないわけね。
…ということで、今年の花は「都錦」なのでした。

 

 

 いろいろな品種には、樹の前に
それぞれ「名札」が掲げられている。
 楊貴妃 蘭蘭 麒麟 妹背 …など。
 上の写真は、「妹背」です。

さて、花が黄金色という珍しい桜…鬱金(ウコン)の前を通った。
よし、ここでも1枚写真を…と構えようとしたらアベックが来て、
「すみませ~ん。写真、撮っていただけませんか?」
と、僕にデジカメを差し出した。
「あ、いいですよ」と、受け取ったカメラを、アベックに向ける。
2人は鬱金(ウコン)の前で、ピタッと身体を寄せ合ってニコッと笑う。
カシャッ。「はい、もう1枚いきましょう」。カシャッ。
「どうも~。ありがとうございましたぁ」
アベックはうれしそうに、歩き去った。

僕はというと、この鬱金(ウコン)の写真を撮らずに、そこを離れた。
てっきり写真は撮ったものだと思い込んでしまっていたのだ。

家で確認したら、鬱金(ウコン)の写真がなかった。
あぁ~、アベックに声をかけられたばっかりに…。また、うっかりだ。

ただ、鬱金(ウコン)によく似た桜の花の写真が1枚あった。
どの辺で撮ったのか記憶が曖昧だが、出口に近い所だった気がする。
なんの桜だろ…と、いろいろ調べてみたけれど、はっきりわからない。
今年から初お目見えした「須磨浦普賢像」なのかも知れない。
いや、ひょっとしたら、別の場所にあった鬱金(ウコン)だったのかも。

相変わらず、頼りないことである。
                       

 
  ↑ 鬱金(ウコン)によく似た桜。
   「須磨浦普賢像」にも、似ている。
    でも、よくわからない。すみません。花に弱いもので…。

  ちなみに「本物」の鬱金(ウコン)は、この写真です(資料写真)

            ↓

 

    
              


 
 
 
ともあれ、例年どおり大盛況の「造幣局桜の通り抜け」であった。
 平日だったが、大勢の人が見物にやって来た。
 ただ、せっかくの1週間だったのに雨が多く、気温も低かった。
 この日も、朝は小雨がぱらつき、昼はかなりの本降り。
 僕らが行った午後2時半頃には、なんとか止んでくれましたけど。

 大阪は今日も朝から雨ですが、通り抜けは今日で最後となります。

 また、来年…ですね。


  
   例によって「出たがり屋」の人の、おまけ写真。
    …といっても、ここは造幣局ではありません。
    4月5日。造幣局の近く、桜ノ宮へお花見へ行ったとき。
    ドサクサにまぎれて出す1枚です。おじゃま虫~。

  

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ウダウダ会」でのアクシデント

2010年04月15日 | ウォーク・自転車

「日本ウダウダ会」の吉野への大修業(まあ、ハイキングですけど)は、不運にも、早朝から降りしきる強い雨の中で決行された。

しかし、このブログのコメント欄に「出没」していただいている「坂上転駈(さかのうえからころがり)」さんは、

「ウダウダ会」だから雨天こそ活動日にふさわしいと思われます。
「雨だ雨だ会(うだうだかい)」

と書いてこられた。
な~るほど。その見事な分析と解釈に脱帽した僕でした。

さて、我々「日本ウダウダ会」は、今回は、「限界集落と天誅組終焉の地を訪ねる」という深遠にして高邁なるテーマを掲げて出発したわけであるが、何が楽しみなのかと言えば、大きな声では言えないが、それを終えたあとの酒盛りがお楽しみなのである。テーマは…「ついで」なのである。要するに、ウダウダ言いながら、酒を飲みたいのだ。それだけである。あはは。

それを鋭く察知されたのが、「坂上転駈(さかのうえからころがり)」さんである。過日のコメント欄に、小倉百人一首のひとつをもじって、

 あさぼらけ 有り金の尽きをみるまでに 吉野の酒に群れるウダたち

という歌を寄せられた。

元の歌は、坂上是則(さかのうえこれのり)の、

 あさぼらけ 有明の月とみるまでに 吉野の里に降れる白雪

である。

名前まで、作者の坂上是則(さかのうえこれのり)をもじって、
坂上転駈(さかのうえからころがり)だったので、大笑いした。

まあ、坂上転駈なる方がどういう方なのかは、謎のままにしておきます。

  ………………………………………………………………………  

そこで…4月12日の吉野へ行ったのは、総勢9名。…そうです。今回はまたいろいろな人たちが集まって9名も参加した。複数の市議会議員さんたちや、前市長さん、前副市長さんの職にあった人も、参加したのだった。

何十年の登山歴を持つウダ会長の先導のもと、東吉野村のとある登山口から山登りをはじめたのだが、どうやらウダ会長が途中で道を間違えたようで、山から降りたところは目当ての「限界集落」ではなく、登山口から1キロも離れていない場所であった。完全に、予定のコースを外れていた。

しかし誰も文句は言わない。
これで帰る時間が早くなり、それだけ酒を飲む時間が早まるからである。

我々は雨の中をテクテクと、そこかしこに点在する天誅組の遺跡を見ながら帰り道の方向へと歩いた。
雨に咲く吉野の桜も、また情緒があった。

途中、左手の坂の上に「龍泉寺」という大きなお寺があった。
「ここで休憩しましょう」とウダ会長。

僕はみんなの先頭に近い位置で、メンバーの一人と話に夢中になっていた。
お寺へ行くのには、左の緩やかな坂道を上がって行かなければならない。
僕たちは、左に曲がって坂道を上がりかけた。

そのときである。

僕の足が、つるんっと、滑った。
そして、ど~んとひっくり返ったのだ。
「ぎゃぁ! 痛っ~い」
左膝を思い切り打ち付けた。

後ろから、「あっ、大丈夫か」と、みんな心配そうに駆けつけた。

うぅぅぅっ。
立ち上がるとき、膝に激痛が走る。
肘も打ったようで、痛い。
左手小指も、痛む。

ようやく立ち上がれたが、痛い痛い痛い。

みんなの手前、「大丈夫、大丈夫です」とは言いながら、そのまま坂道を上がって、お寺に入ったけれど、ちっとも大丈夫なことはなかった。

何が起こったのか…?
僕はなんで急に転んだのか…?

僕がつる~んと滑ったのは、溝の上にはめられていた蓋だった。
お寺に向かう坂道に溝があり、そこにグレーチングメタルと呼ばれる、スリットの入った蓋がはまっていた。僕はその蓋の上で滑ったのである。

グレーチングメタルは普通、左右にも枠が入って滑らないようになっている。

たいていはこんなふうになっているはずのものである。

              ↓

          


ところが、この場所のグレーチングメタルは、

          ↓

       

こんなふうになっていた。

つまり裏向きにはめられてあったので、滑り止めの枠は下になっていた。
(写真は資料写真です)

坂道の斜面にあり、しかも、雨のため、その、滑り止めのないグレーチングメタルは、まるで油を塗ったようにツルツルになっていた。

話に夢中になってよそ見しながら歩いていた僕は、うっかりその蓋を踏んでつるっと滑って転倒したのである(ほんまに僕はうっかりもんです)。

お寺の中に入ってから、膝の傷を確認した。
ジャージのズボンに、血がにじんでいる。
ズボンをまくり上げると、膝は血だらけ。
左腕の肘からも、少し血が出ていた。あ~あ。

メンバーの人たちに、親切に手当てしてもらって、再び歩き始めたのであるが、足は痛い。あ~、痛い。立ち止まっても、ズキズキ痛んだ。

  ………………………………………………………………………

3月23日に、右足首を捻挫して、整形外科へ行ったばかりである。
レントゲン検査の結果、骨には異常なく、ホッとした。
しかし、痛みは少し残ったままである。

その右足をかばって、歩いたり走ったりしていたら、今度は左足のアキレス腱が時々痛むようになったが、まあ、それほど大した症状ではなかった。そんな状態で「ウダウダ会」に参加したのであるが、今度は左足の膝の負傷である。よくもまあ、これだけアクシデントが続くことである。

4月29日に、堺シティマラソンが行われる。僕はアナザービートルさんに誘っていただいてこの大会の10キロレースに出る予定で、申し込みも済ませている。しかし、相次ぐアクシデントで、出場は危うい。

きょうは怪我から3日目だ。階段の上がり降りや自転車をこぐ時は痛いけれど、それ以外は、平坦な道を歩いても痛みは感じなくなった。まあ、そのうち完治するだろう。気長に回復を待つしかない。

…それにしても、吉野の里の坂道で、滑って転んで怪我をして、とは…

これぞまさしく、坂上転駈(さかのうえからころがり)ですね~。

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本ウダウダ会」 がゆく

2010年04月12日 | ウォーク・自転車

「日本ウダウダ会」の輝かしい第一回目の大遠征の日が来た。
モンダイは今日の天気である。

予報は「雨」の一文字。運が悪過ぎぃ~やんか。こんな肝心な日に…。
窓の外を眺めると、すでに、ジャンジャンと勢いよく降っておる。

今、時刻は12日の午前5時13分だ。
テレビで今ちょうど放映されている「NHK気象情報」によると、
「九州から東北の広い地域で雨。特に九州から東海の太平洋側では激しい雨が予想されますので、雨の降り方にも注意してください」
ということである。やれやれ…

本日の行く先は奈良県吉野地方である。先日、帰りに寄る飲み会の店の下見のために一人で吉野まで出かけたことをブログに書いたけれども、その日は晴天だったので、本番に雨が降るなどとは、考えてもみなかった。メンバーの中に、常日頃から素行の悪い者がいるのだろうか…? しかしそういう人物は、この栄えあるウダウダ会の会員にはなれないはずなのであるが…。

いちおう今回のテーマは、ウダ会長によると、

  “限界集落を歩く”シリーズ第一弾 
   東吉野村に天誅組の遺跡を訪ねる

ということだそうだ。

しかし僕などは、帰りの手たたき会(打ち上げの飲み会」の場所にしか関心がないので、コース地図はあらかじめウダ会長から送ってもらっているが、ロクに広げもしていない。だいたい、どこをどう歩くのかも知らない。指定時間に指定の駅へ行って、あとは「金魚のフン」みたいに付いていくだけなのである。

でもね。
僕にとって、雨の中をわざわざ出て行くというのは、苦痛以外の何物でもない。

さっき、念のため、もういちど、ウダウダ会長から来た通知を確認した。

日時 4月12日(月) *雨天大決行 …とある。

決行の前に、ご丁寧に「大」の字までついている。

あぁ…(ためいき)。その気迫に恐れを成す。

雨の日は、家の中に引きこもって、ゆっくり読書などして過ごしたい。

雨天は決行ではなく、欠航してください。そのほうが結構です…と言いたいのだけれど、これがそもそも「ウダウダ」なのだから、「ウダウダ会」なればこそ、ウダウダとボヤきながらでも行事に参加しなければならない…ということになるのであろう。

しゃ~ないですね。そろそろ用意をして、出かけることにします。

月曜日から雨の中、仕事に行く人のほうが、もっと大変でしょうからね。

でもね。雨のおかげで余計な荷物や装備が増えるのですよ。ウダウダ。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

由美かおる

2010年04月10日 | 映画の話やTVの話など

サッカー日本代表に失望したので…、
ブログのデザインといいますか、…プレートを、今回変えました。

まあ、関係のない話ですが、僕のこのつたないブログも、かつて勤めていたところの人たちが読んでくれています。

「のんブログを読んでいますよ。…お元気そうですね~」
と、言っていただいたりして。
うれしいですねぇ。
病気のことを書いたら 「大丈夫ですか?」 と心配していただいて。
ありがたいことですねぇ。

携帯メールにも、コメントをいただいています。

で、やっぱり、このブログは最低 3 日に1度は更新したいと思っています。おひとりでも、このブログを読んでいただいている方…がおられるとしたら、僕は嬉しいです~。

さて…。

由美かおる。

ホントに綺麗な人ですね~。

59歳だって。

僕とほとんど変わらない歳なんだよね。

顔が、なんとも、愛くるしい。

あまりにも美人。チューしたい~っていう感じです(あはは~。本気)。

30年以上前、「西野バレー団」でデビューしたときからのファンです。
金井克子や奈美悦子より、ず~っと、よかったもんね。

このたび、「水戸黄門」を、12日から始まる第41部(全12回)の出演を最後に、引退するということです。う~ん。 あの有名になった入浴シーンとも、お別れですかぁ~。

新聞によると、これまでの入浴場面は200回を超えるそうである。 
う~ん。

「水戸黄門」に初めて出たのが1986年というから、なんと24年間、この時代劇に出ているんだ。すご~い。ケイゾクは、力…じゃん。

いいね由美ちゃん。

かげろうお銀とか… 疾風(はやて)のお娟(えん)とか…

僕たちも、こんなふうに、格好よく生きたいですね~。

由美かおるのファンのおじさんたちは、自分の娘に「由美」な~んて名前をつけたことも、あったようです。

まあ付け加えるとしたら、由美かおるは、ただ「水戸黄門」でお風呂に入っているだけの人ではなかったと思います。素晴らしい女優さんですよね。何歳になっても美人、というのが、いいよね~。





 


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカー日本代表には期待しないのだ

2010年04月09日 | スポーツの話題

それにしても…大丈夫なのか、サッカー日本代表は。

7日のセルビア戦で、3対0と完敗。
サッカーで3対0とは、これはもう、何回戦っても勝てない差である。

攻めては決定的チャンスを逃し、守ってはスキをつかれて失点する。

今年2月に日本で行われた東アジア大会で、W杯に出場できなかった中国に勝てず、さらに韓国にも3対1で敗れた。

あの時の悔しさや教訓が、まるで生かされていないセルビア戦だった。

主力メンバーを欠いた、とはいえ、こういう戦いぶりを見ていると、2ヵ月後に迫った本番のW杯で急に「変身」するとは想像しにくい。


思えば僕がこれまで最も興奮したサッカーW杯は、1994年のアメリカ大会であった。98年以降は、フランス、日韓、ドイツの3大会連続で日本はW杯に出場し、今年の南アフリカ大会は連続4度目の出場となる。しかし、なぜか日本が出ていなかった16年前のアメリカ大会が懐かしい。ブラジル対イタリアの決勝戦での死闘は、今も忘れられない。イタリアのバッジオ、ブラジルのロマーリオ……よかったなぁ。

しかし日本が出場すると、どうしても日本ばかりが気になる。
勝てば大喜びし、負ければシュンとなる。
(日韓大会以外は全部負けてばかりだけど…)
ニッポン、ニッポンばっかりで、他の国のチームへの関心が薄くなる。

つまり、「雑念」が入るのである。

…ということは、日本代表にはもうアタマから期待しないで、もっぱら強豪チームの優勝争いに関心を絞れば、またあのアメリカ大会のような幅広くて奥深い興奮がよみがえるということでもあろう。

優勝は、スペインか、オランダか、イタリアか、ブラジルか、あるいは、去年旅行に行ったアルゼンチンか…。

そんなお楽しみに胸弾ませて、今回のW杯を楽しむことにしよう。

日本が勝とうが負けようが、…水前寺清子の歌ではないが、

♪ 勝ったぁ 負けたと~ 騒ぐじゃないよ~ん ♪ 

                    (歌の題名、忘れた)

…という感じでイッてみようねぇ。

  …………………………………………………………………………

ところで…

僕のこのブログのデザインはサッカーの「サポーター」だけれど、
なんだか、このデザインにしてから、日本代表はいいところがない。

縁起をかつぐわけではないが、この際、ブログのデザインを変えてみよう。

(やっぱり、日本代表に期待してる…?)

 

 

 

 


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20年前の出来事と出会い

2010年04月07日 | 思い出すこと

4月5日。
月に一度の定期検査と診察のため、松原市の徳○会病院へ行った。

先月下旬の休日に気分が悪くなってこの病院を訪ねたとき、当直の内科医から、過換気症候群だと伝えられたことなどを、この日、主治医に話した。

主治医もパソコン画面を見ながら、僕の話に耳を傾けていたが、
「えぇ…? そうだったんですか。う~ん、どうなんでしょうねぇ」
「過換気」かどうか、よくわからない…という表情だった。
ちなみに主治医は、不整脈などの循環器科が専門である。

「その後、そういう症状は出なかったのですか?」と医師。
「いや、その4日後、外食先で食事の直前にまた症状が出ましたけど、『大丈夫、心配する症状ではない』と懸命に言い聞かせて、身体を動かしてごまかしているうちに、症状が引いていきました。それから出ていません」

ただ、何となく気分が不安定なので、これまで1日1錠分の量を出してもらっていた安定剤のデパスを、今月から2錠に増やしてもらうことにした。耳鳴りに苦しむ身に加え、「過換気」のような症状を経験すると、普段は人一倍元気な僕だけれども、そのすき間に「不安感」が襲ってきて、気分が悪くなることがある。そんなことで、どうしてもデパスに頼ってしまう。

診察を終えて待合室に戻ると、いつものことであるが大勢の患者さんが長椅子に座って順番を待っていた。その中の一人の男性が、じ~っと僕を見つめているのに気がついた。

「ん…?」
はじめは偶然に目が合ったのかと思ったけれど、男性がまばたきもせず僕を凝視していることがわかったので、僕もその顔をしげしげと見つめ返した。

あっ、呉○さんではないか…

少し顔がぽっちゃりしていたが、昔の職場の上司であった呉○さんに違いない。僕は男性のそばに寄り「呉○さん…ですよね」と声をかけた。

男性は無言で頷き、小さな声で「○○君やなぁ」と僕の苗字を言った。

すると、その隣にいた女性がスクッと立ち上がり、僕を見て
「まあ、○○さん。お久しぶりでございます。呉○の家内です」
僕も驚いて、「あ、どうも…。本当に…えぇ、お久しぶりで…」と、あまりの懐かしさに、言葉が途切れた。

「あの時は本当にお世話になりました。ありがとうございました」
と、呉○さんの奥さんは、僕に深々とお辞儀をされた。

あの時…
そうだ、あの時…

決して忘れない出来事があった。

平成3年の7月のことだった。

僕は上司である呉○さんと、もう一人の上司と共に静岡県に出張へ行った。
伊豆長岡、というところで、昼食のため、1軒の食堂に入った。

そこで、急に呉○さんは
「ちょっと気分が悪くなったので、横にならせてもらうわ」
と、その場の座敷に横たわった。顔を見たら、血の気がなかった。

もう一人の上司が素早く、
「救急車を!」と叫んだので、僕はあわてて食堂の人に救急車を呼んでもらうように頼んだ。重要な会議が1時間後に迫っていた。
「一緒に乗って行ってくれるか。私は会議のほうへ行くから」
もう一人の上司に命じられるまま、僕は救急車に、呉○さんに付き添って乗り込んだ。

呉○さんは、心臓が苦しい…と言った。

幸運にも、近くに順天堂大学病院という、大きな病院があった。
そこに運ばれ、治療室に入ったまま、呉○さんは1時間以上経っても出てこなかった。やがて病院の人が、ぼんやり立っている僕のところに来て、
「ご家族の方ですか…?」と聞いた。
「いえ、私はあの人の部下です。大阪から出張で来ました」
「じゃぁ、あなたがここに署名をしてください。これから緊急手術をしますので、ご家族かそれに準じる方の署名が必要なのです」
「あ、わかりました…。あのぉ、病名は何でしょうか?」
「心筋梗塞です。かなり悪いです」

なんだかえらいことになってきたなぁ…と思いながら、署名した。
しばらくして、呉○さんは、鼻からチューブを差し込まれた状態で治療室から出てきた。なんとまあ、痛々しい姿だった。

医師から、家族に連絡を取るように言われたので、僕は大阪の呉○さんの自宅へ電話をし、状況を説明した。
「すぐに参ります。お世話をかけ、申し訳ありません」
と、電話に出られた奥さんのキリッとした応対が忘れられない。

新幹線で奥さんと2人の二十歳前後の娘さんが病院へ駆けつけたときは、呉○さんはまだ予断を許さない状態であった。

しかし、手術は無事に成功し、呉○さんは、現地で約1ヶ月ほど入院し、その後、大阪に戻って仕事に復帰した。

「これからの主人の人生は、皆さまに御恩返しをする人生です」
そのとき、奥さんは、僕たちにそう言われた。

呉○さんの年齢は僕よりひとまわり上だ。十数年前に定年退職されるまで、元気に仕事をしておられた。退職されてからは、年賀状だけのやりとりになった。しかしそれが、偶然にも、この日、徳○会病院の待合室で、奥さん共々会うことになるとは、思いも寄らなかったことである。

いや、呉○さんと奥さんだけではなかった。
当時、まだ20歳前後だった娘さんたちの妹さんのほうも、この日、一緒に付き添って、その場に来られていた。

奥さんは娘さんに、僕のことを紹介するのに、
「ほら、お父さんが伊豆長岡で倒れたときに、いっしょに病院へ行って下さった方よ」と言い、娘さんも「あぁ、あのときの…」と、お辞儀をした。
「この子も、もう今は中学生の子どもがいるんですよ」
と、奥さんは、「ねっ」と言いながら、笑顔で娘さんの方を見た。
娘さんは照れくさそうに笑った。
そうだ。あれから、今年でちょうど、20年目になるのだった。

僕は病院の会計を済ませ、薬を受け取ったあと、改めて待合の呉○家の人たちに挨拶をして、病院を後にした。

呉○さんは、やはり少し歳をとられなぁ、という感じだけれど、奥さんの方は当時とほとんど変わっていなかった。顔色も良くて、実に若々しく、しゃきっとされていた。

呉○さんも、そういう奥さんと、いつまでも可愛い娘さんに付き添われて病院へ来ておられるのだから、幸せな人なんだなぁ… そう思いながら、近鉄電車の河内天美の駅に向かって歩き始めた僕なのでありました  。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜満開 人満開

2010年04月04日 | モミィの成長日記

僕は混雑が大嫌いだ。

むかし東京ディズニーランドへ行った時、昼食をとるのに、どの食堂も超満員のため、30分も並んで待たされたあの馬鹿馬鹿しさは一生忘れられない。

盆や正月に、ウロウロと外を歩き回る人間たちの気が知れない。

評判のラーメン店などの前に長蛇の列をなす人間たちの気が知れない。
「そこまでして食べたいか…?」と思う。

GWなどの夕方のテレビで、渋滞する高速道路のニュースなどを見ると、
「うはは。こんなときに車で出かけるとは、愚か者じゃのう」
などと冷ややかに笑いながら
、ビールを飲んでいる僕なのである。

作家の奥田英朗氏も言っているではないか。

  わたしの好きな場所は、空いている場所だ。
  座右の銘は「いい人は家にいる」だ。

しかし、桜が満開になる季節は、その混雑嫌いもどこへやら。
いそいそと、あえて桜の名所と言われる場所に出向き、大混雑の中に迷い込む僕なのである。

昨日、モミィ(4歳)やソラ(2歳)らと一緒に、大阪城公園へ行った。

春休み中で土曜日で晴天だったこともあり、当然ながら、ものすごい人出であった。しかし混雑嫌いの僕も、花見の場所だけは、閑散としているより、人でごったがえしているのが好きなのである。

モミィもソラも、桜と人出に興奮し、はしゃぎ回った午後の半日であった。

    そのフォト日記です。

 

 
  花見客で大にぎわい。缶ビールもワンカップもうまい!

 

 
  大勢の人、人、人に、ソラも嬉しそうだ。



 
  おやつの時間。僕のおやつは、ワンカップ。
  左から、僕、モミィ、ソラ。



 

    

  大阪城公園内を走る「汽車」。

  モミィとソラもこれに乗って大満悦でした。

                 

 



 

 
  大阪城を背景に。左は長男(2人のパパ)、右は妻です。



 
  帰りに、NHK大阪ホールへ寄りました。画面はモミィです。
  モミィも今月から幼稚園生活が始まります。

 

大阪もまだ肌寒さが残りますが、ぼちぼち本格的な春の到来だな~と実感した昨日の土曜日でした。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これからの上手な老い方

2010年04月02日 | 日常のいろいろなこと

昨日は4月1日。新しい年度がはじまった日である。
外出すると、桜の開花で急に華やいだ周辺の風景が目に入る。

僕にとっても「毎日が日曜日」状態になって、1年がたった。

人生はよくマラソンにたとえられるが、僕も常にその意識がある。

大阪女子マラソンのスタート・ゴール地点でもある長居競技場をご存知の方も多いと思う。その競技場のゲートを出ると、長居公園内の周回コースがある。この周回コースの1周が約2.8キロあり、これを15周するとちょうど42.195キロのフルマラソンの距離になる。その昔、ランニング仲間と、このコースで練習するため、毎週のように土曜日になると長居公園に出向いたことが懐かしく思い出される。

実際、毎年2月にこのコースを15周する陸連公認の「長居マラソン」も行われており、僕がフルマラソン自己最高記録である3時間28分というのも、この大会で出た記録だった。

そんなことを思い出しながら、去年に定年退職してからちょうど1年がたった昨日は、やっと長居周回コースの最初の1周を走り終えたような気分になった。フルマラソンのゴールは、まだあと14周と、はるか彼方にあるけれども、これから、1年1年、この周回コースを走る感じで過ぎてゆくのだろうと思う。(15周終わってまだ生きていたら、…そのあとは、もう知らんわ) 

自由に生きていけるというのは素晴らしいことでもあるが、反面、目標や課題、あるいは義務感というようなものを失うと、つっかえ棒をはずされたようにつんのめってしまう。この1年は、喜びと戸惑いとが交錯しながら、充実したようで中途半端な、何だかよくわからないままに過ぎてしまった1年間であったような気がする。やはり、どんな生活にも、目的意識を持たなければならないことを、さすがにのんきな僕も、最近、気付いたのだ。

そこでいろいろと考えてみた。

人生は、この年になれば、言うまでもなく下り坂だ。
しかし、上り坂より下り坂の方が、楽なことには違いない。
自転車旅行で、長い長い峠の上り坂を、自転車をエンヤラヤっと押しながら、早く下り坂をスイスイと下りた~い、と思ったあの時の気分。あれが、今実現したのだ…と喜ぶべきであろう。

下り坂を、大いに楽しんで行きたい。

そのためには「上手な老い方」についてケンキュウしなければならない。

「死生学者」という肩書きを持つアルフォンス・デーケンという人は、定年後の人生は第三の人生だと言う。第一の人生は社会に出るまでの青年期。第二の人生は社会人として働く壮年期。そして、退職して第三の人生を迎えるとのことで、「第三の人生は、人生の収穫期です。定年後に何を持つかではなく、どんな人間であるかが大切です」ということだそうである。

そ~か、第三の人生か…。

デーケンさんはこういうことも言っている。
「日本人は第三の人生のために、経済面では随分熱心に準備しますが、心の準備がおろそかになっているのではないでしょうか。イギリスにはサードエイジ(第三の人生)大学が全国にあり、3万人以上の定年退職後の人たちが学んでいる。第三の人生は、人生の収穫期であると同時に、自分の限界と不完全さを悟り、再び旅人として歩き出すときでもあります。だからこそ、こころの準備が必要なのです」

自分の限界と不完全さを悟り、再び旅人として歩き出すとき…

ふむ。やっぱり死ぬまで向上心を忘れない…ということなんでしょうね。

ちょっと気に入りました、この言葉。

もうひとつ、かつて90歳を超えても現役の棋士を続けられたある方の「上手な老い方」の言葉にこんなものがあった。

  五持つ(ごもつ)で生きていくのがよろしいでしょう。
  五持つとは…健康、目的、友人、趣味、お金の五つを持つということ。
  でも、お金は少しでいいのです。
  あとは、くよくよしないこと。過去は過去。
  失敗したらしたで、もう仕様がないと割り切って、愚痴は言わない。
  それよりも、将来に目を向けることが大切ではないでしょうか。

この言葉も、ちょっと心にとどめておこう…

まあ、そ~ゆ~ことを、春眠の中でウダウダと思った年度の初めでした。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする