僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

青春18きっぷの旅 五能線

2009年04月29日 | 旅行

旅の最終日は、青森から秋田まで「リゾートしらかみ」に乗る。
今日の場合は、乗り換えなしで、その列車に乗りっぱなしである。

秋田からは、夕方に出る飛行機で大阪へ帰る。

「リゾートしらかみ」は今人気のある五能線を走る臨時快速列車で、これは何百円かの指定席券を事前に購入しておけば、青春18切符を乗車券として使って乗ることができる。今回の旅で指定席というものに座ったのは初めてである。

水森かおりの「五能線」という歌があるが、歌がヒットした以上に、実際のこのローカル線は人気があるようで、鉄道雑誌の「ローカル線風景ベスト1」に選ばれたこともある路線だという。

        

http://www.jreast.co.jp/akita/gonosen/index.html


青森発8時00分の「リゾートしらかみ」に乗車した。

秋田着が13時22分。5時間22分の乗車時間である。

   

 

 秋田駅内のトイレ。面白いので写真を撮ったが、このあとすぐに、
  「トイレおんな」の扉が開き、中から女性が出てきたのでヒヤッとした。
  そんなところを撮影したら、変質者と間違えられかねない  



さて、8時00分発の「リゾートしらかみ」に乗り込んだ。
青森~秋田は次のルートで走って行く。


 


 

   僕たちが乗った列車「リゾートしらかみ」




 

  
車窓に広がるリンゴ畑のはるかかなたに、岩木山が見えた。
   津軽富士と呼ばれる美しい山。岩手山と間違えそうであるが…

 

 

  車内では、やがて津軽三味線の生演奏が始まった。  
  

 



 


  
日本海を一望する絶景ポイントにさしかかる。

   列車は特に景色のいいところでは、徐行運転をしてくれる。

 



 

  この風景は、なんとなく 紀勢本線の串本付近に似ている




 

  
深浦駅。太宰治が小説「津軽」を執筆のため投宿した部屋を
   再現した文学館などがあり、降りてみたい駅だったが…。

 

  

   青森駅で買った 帆立釜めし で~す。

 

 
僕は、こういう ご飯に具の混ざった弁当が好きです。
  あ、すみません、別に聞かれもしていないのにね…。 



 

 人気の五能線も、僕の乗ったこの車両には乗客はほとんどいない。
  この日は、4月9日。春休みも終わり、学校はこれからだし、
  会社は年度始めで、新入社員も張り切る季節。
  こんな時期にのんびり列車旅行をする人なんて、少なくて当然…?




 

 
窓は景色が良く見えるように超ワイドだ。
   なんだか…窓際に缶ビールのようなものが見える。誰や? 飲んでるのは!


               



  

 
青森を8時に発った列車は、午後1時22分に秋田駅に着いた。
  ホームから上がると、竿灯祭りの飾りが僕たちを出迎えてくれた。



秋田空港から大阪へ帰るのは午後6時15分発の日航便だ。
3時半ごろのリムジンバスに乗って空港に行くことにした。
それまで、約2時間、秋田市内で過ごせる。

「秋田市民民族芸能伝承館」というのがガイドブックに載っていた。
そこまで歩くことにした。

駅からまっすぐ西へ歩くと、千秋公園のポケットパークという美しい噴水に沿った道に出る。市内を流れる旭川を渡って右に曲がって、さらに左折すると、「ねぶり流し館」という建物があった。ここが市民民族芸能伝承館だった。

入場料は100円。
秋田市の民族行事が紹介され、竿灯祭の実演もあった。


 

 

  
秋田市内。右側は千秋公園のポケットパーク。
   公園は、これより右 (北) 側に、広がっている。
   この公園もまた、昔、自転車旅行で来て以来だ。

 

 

 
 「秋田ねぶり流し館」では、地元の人が、竿灯祭りの
   実演を見せてくれた。これだけの提灯を、一人で、
   腰で支えているのにはびっくりした。ぱちぱちぱち。

 

 

 
「ねぶり流し館」の2階のほうで、太鼓の叩く音がしたので、
  僕たちは、「何をやっているのか?」と思い、上がって行った。
  すると、一つの部屋で、若い女性2人が太鼓を叩き、笛を吹いていた。
  観光客ではないだろう。地元の娘さんだろうか? 
  思わず聞き惚れ、見惚れ、写真を撮らせてもらった。

 

   
   
  
つかの間の秋田めぐりも終わり、空港へ。
   こんなのがあったので、妻に写真を撮ってもらった。
   「なまはげにしては、顔に迫力がないみたいだけど…」
    と、妻の評。すみませんね、どうも。



 


秋田空港で食事をして、6時15分の大阪伊丹空港行きの便に乗った。

岩手山、岩木山と、好きな二つの山は見たが、
鳥海山は見られないままに旅が終わった…
と思っていたら、飛行機の窓からなんとその鳥海山が見えたのだ(写真)。

最後の最後に、予想外の風景に出会えるとは…
実にラッキーなめぐり逢いであった。


             


この旅行は、40年前の自転車旅行と重なるところが多かった。

いったん書き始めたら、「あれも書きたい、これも書きたい」と、
次々と書きたいことが頭に浮かんできて、省略するのに苦労した。

長話におつき合いいただき、ありがとうございました。

 

 

 

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青春18きっぷの旅 青森へ

2009年04月26日 | 旅行

旅の4日目(4月8日)は、盛岡から青森までの行程だ。

東北本線は、上野から青森まで、東北地方を縦貫する750キロ近くもある大幹線である。東北本線の列車に乗り継いでいたら、問題なく青森まで行けるはずであった。ところが…

盛岡から青森へ行くのに、東北本線が見当たらない。東北新幹線は八戸まで延びているのだが、在来線の盛岡~八戸間が、鉄道地図に載っていない。要するに、盛岡から先は、東北本線在来線はいったん途切れてしまうのである。

そんなあほな。
この旅行を計画しているとき、このことに一番驚いた。

調べてみると、東北本線が本当に消えてしまったわけではなく、盛岡~八戸間はいつのまにかJRが撤退し、「いわて銀河鉄道」になっていたり、「青い森鉄道」になっていたりしていたのである。な~んじゃそら。

県や沿線市町村や地元企業などが出資しているいわゆる「第三セクター方式」の会社が経営する鉄道になっていたのだ。とすると、盛岡~八戸はJRが発行している青春18きっぷは使えないことになる。それではつまらない。

そこで、盛岡から好摩というところまで、「いわて銀河鉄道」しかないので、やむなくそれに乗り、そこからJR花輪線というローカル線に乗って大館に着き、乗り換えて青森へ…というコースを選ぶことにした。弘前で途中下車するのもいいなぁ、お城に桜が咲いているかもしれない…なんてことも考えて、このコースをとることにしたのだけれど…。

時刻表を見ると、盛岡から好摩経由で直接大館へ行く列車がある。
いわて銀河鉄道からJRに乗り換えなくてもいいのは助かる。

盛岡駅の切符売り場で、まず好摩まで620円の切符を2枚買い、それといっしょに改札口で青春18切符を出して、「これに今日のスタンプを押してくださ~い」と言うと、駅員は、「あれ~、これはねぇ、ここじゃ押せないの。ここはJRの駅じゃないからね。列車に乗ってから、車掌さんに押してもらってね」と言われた。
どうも、ややこしい。

列車は、一両編成であった。いよいよローカル色が濃くなってきた感じだ。

好摩の手前に渋民という駅があり、渋民は石川啄木の故郷である。

例によって40年前の自転車旅行の話になるが、あのとき、渋民村の啄木の碑の前で、寝袋で一夜を明かしたことがとても懐かしい。そこでいろんな人と出会い、何年もしてからその一人の方が大阪のわが家を訪ねて来られたりして、思い出の尽きない場所である。  

 


  
  
盛岡駅、いわて銀河鉄道線で9時46分発の大館行きを待つ。

 

   
      渋民駅。石川啄木の故郷である。



好摩からJR花輪線に入った。
花輪線は、別称「十和田八幡平四季彩ライン」と地図に書かれてある。
一両編成のクロスシートに座りながら、この列車の旅もいよいよ佳境に入ってきたことをしみじみと感じながら、窓の外を眺める。連日晴天に恵まれているが、今日はまた、これまでで一番見晴らしのいい日である。空が澄み渡り、景色も透き通っている。そんな条件で、岩手山を見られたことは幸せであった。
岩手山を意識して、進行方向に向かって左側の座席にいた僕たちは、この絵に描いたような素晴らしい眺めを、心ゆくまで楽しむことができた。

お昼になったので、盛岡駅で買った弁当を広げる。
妻は「盛岡弁当」という普通の幕の内風の弁当を買ったが、僕は「鮭はらこめし」を買った。鮭とイクラがたっぷりとご飯の上に乗っている。窓の景色を見ながらお弁当をつつくのは、なんとも言えず幸せ気分である。横にワンカップもあるしなぁ…うふふふ




 
   
車窓から岩手山が見える。 素晴らしい景色。 

 

  
    
どうです ? おいしそうでしょ。

 

 
  
盛岡~大館は1両編成で、のんびり鈍行列車の旅が満喫できた。

 

終着駅の大館に着いたのは12時43分だった。盛岡を出て約3時間。何だかあっという間に着いてしまった感じだ。夢を見ているように、時間が過ぎて行く。

大館発午後1時09分発青森行きの列車は、今度は2両編成だった。青森まで約1時間半だが、この旅行に出発する直前まで、僕は途中の弘前駅で降りるつもりだった。

今年は東北の桜が早いと聞き、かつて夏に行ったことのある美しい弘前城に桜が満開の風景を想像し、そこへ途中下車の計画を立てていたのであるが、あぁ~、僕はなんという世間知らずであろうか。仙台では4月初旬に桜が開花すると聞き、それなら弘前も同じ東北だから、僕たちが行く頃には弘前の桜も咲いているに違いない、と勝手に思い込んでいた。

「弘前の桜? 4月下旬ですよ」 
そう言われてがっかり。東北といっても、広いのである。
少し考えたらわかりそうなことが、僕にはわからない。アホやがな。

(昨日、テレビのバラエティ番組で弘前城の満開の桜が映っていた。
 これはいったいいつ収録したものなのだろう…と気になった)

そんなことで、大館から青森まで、どこにも途中下車せずに行った。

青森に着くと、さすがに感慨深かった。
大阪から普通列車を乗り継いで、とうとう本州の果てまで来たのだ。

 ♪ あぁぁ~ぁ~、つがるかいきょう ふゆげぇ~しきぃ~~~

と、まあ、ついこういう歌を口ずさんでしまう僕である。


その「津軽海峡冬景色」の歌碑があると知って、駅前のホテルに荷物を置いたあと、歩いて行ってみた。

青森駅のすぐそばに、もう海がある。
青森湾に出ると、岸壁に「八甲田丸」という、元の青函連絡船だろうか、プカプカと浮いている。観光用みたいだけど、とにかく観光客の姿などどこにも見えず、係の人もいないようなので、船に近づいても、中に乗り込むわけにはいかない。その船の前に、「津軽海峡冬景色」の歌碑が建っていた。

この歌はいいですね~。NHK歌謡コンサートの石川さゆりが目に浮かびます。

 わぁ~たしはひとりぃ れんらくぅせんにのりぃ~ …もう、よろしか?


青森湾にベイブリッジができている。
昔受けた印象とはずいぶん違う。モダンな街になったなぁ、という感じ。
東北新幹線も、青森県のホームページによると「平成22年12月新青森開業目標」と書かれている。平成22年といえば、もう来年のことではないか。ちなみに、同ホームページには、「北海道新幹線 新青森~新函館 平成27年度開業予定」とも書かれていた。

東北や北海道がますます身近なものになっていく。
もう東北が「みちのく」なんて言っても、誰もピンと来なくなるだろう。

青森湾付近をうろうろし、ベイブリッジの下の歩道の橋を渡り、物産展へ行く。いわば、大きなお土産屋さんである。ここもお客が少なく、店員さんの数のほうが多かった。

夜は、「郷土料理・鱒ノ介」という店に入った。
壁に地酒がズラッと並んでいる。
そこで僕は好物のイカなどを食べた。

メニューに「いちご煮」とあったので、おばさんに
「いちごを煮たものがあるの?」と聞いたら、
「果物のイチゴじゃなくて、ウニを煮たものですよ」と教えられた。

「こまい」という魚を、なんだかわからないまま注文した。
あちらにも、こちらにも「こまい」と書いてあったので、興味があった。
またおばさんに、「こまい、っていうから、細かい魚ですか?」
と質問する。
「こまいってのはねぇ…、氷下魚って書くの。氷の下で泳いでるんだよ」

食べてみると、わりに固い魚で、まあ、そんなにおいしいというほどではなかったけど、ひとつ勉強にはなった(何の勉強や…?)。

ビールのあとに地酒を注文する。
おばさんに、お勧めのお酒を教えてもらい、それを持ってきてくださいと言うと、「常温でいいの…?」と聞く。

大阪だと、日本酒を注文すると、冷酒ですか…? 熱燗ですか…? と聞かれるわけだけど、「常温ですか…?」とは…さすがお酒どころである。お酒は、冷やしも温めもせずに飲むのが一番である。はい。

そんなことを言って、今日もほろ酔い気分で旅の1日を終えた僕なのでした。


 

 
  
4日間列車に揺られ、本州の北の果て、青森に着いた。


 
  
青森駅前

 

 

 
  ↑↓  青森湾。 「八甲田丸」 の手前に、「津軽海峡冬景色」 の歌碑が建つ。

 


 

 
  
青森湾に架かる ベイブリッジ(上)。僕たちはその下にある橋を歩いた。

 

 

 

 

 

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SMAP 草なぎ剛 公然わいせつ罪で逮捕

2009年04月25日 | ニュース・時事

大阪は、昨夜から激しい雨が降り続いている。

このところずっと、のんきに「青春18きっぷ」の旅行記を書いているが、その間、世の中では次々と衝撃的な事件が起きている。

大阪市西淀川区の小学4年生の女児死亡事件は、母親やその同居人らの仕業であった。殺害された女児は双子で、もう一人の子は別れた父親が引き取ったという。その子は幸せに暮らしているというのに、一方の聖香ちゃんは、一緒に暮らす身内の暴虐を受け、短い人生を閉じた。

しかし、だいたい両親が離婚しても、双子を「分ける」というのは、大人の勝手きわまる蛮行である。双子の兄弟姉妹は、昔ではマラソンの宗兄弟、最近では三倉茉奈・佳奈の姉妹を見ていてもわかるように、小さい頃から常に2人で行動をしながら、それぞれの役割を自覚しつつ成長していくので、社会的順応も優れているように思う。

僕のような一人っ子は、子どもの頃からまったく順応性がなかったことを痛いほど感じてきたので、よけいにそう思う。双子を離れ離れにするような親だから、こういう事態を呼び込んだ…と言うのは言い過ぎかもしれないが、それにしても、両親が離婚して、母親が新しい男と暮らし始め、そこに同居する子どもが、男から虐待を受けるという事件の、なんと多いことか。気分が塞ぐ。


驚いた事件のもうひとつは、SMAPの草なぎ剛の「公然わいせつ」である。

「草彅」という漢字はむずかしい。ネットでは「草なぎ」と書かれていることが多い。だいたい僕は、こんな、人に書けないような名前をそのまま芸名に使う人間が嫌いである。それを売り物にしようとしているのかもしれないが、こんな難しい字を使って平気だというのは、ファンへのサービス精神がそもそも欠けている証拠ではないのか、とも思ってしまう。

僕はSMAPのメンバーの「ちょい悪」のイメージが好きで、キムタクやナカイ君やシンゴ君の持つ、「ほのかに悪そうな雰囲気」に、なかなかの魅力を感じる。その中で唯一「100パーセント清潔なんだぞぉ」という印象を振りまきまくっているのがこの草なぎクンである。他に売り物がないからそうしているのだろう。それがまず気に入らない。5人のメンバーで、彼が一番嫌いだ。

どこから見ても間抜けな風貌で、「いい人」のキャラを印象付けようとするのだが、それがどうも偽善くさくて仕方なかった。SMAPのほかのメンバーに比べて控えめ…というのも、控えているのではなく、単に「どんくさい」だけなのでは、と思った。

これまた嫌いな広末涼子と共演した「愛と死をみつめて」というドラマは、草なぎクンが出るというだけで見る気もしなかったが、なんでこういう神様仏様のようないい役ばかり草なぎクンが演じるのか? そして、なぜこんなにも人気があり、テレビ、映画、CMで引っ張りだこなのか…? 不思議で不思議でしようがなかった。芸能人は、不純な要素がほどよく混ざって魅力が出る、と僕は思っているので、こういうキャラクターで売る人間は、きっとウラとオモテの差が激しい、と考えていたし、妻にもいつもそう言っていた。

今回、泥酔して公園で裸になり、公然わいせつ罪で逮捕された事件を聞いて、やっぱりなぁ、と思ったのは言うまでもない。根っからおとなしい人間ではないのである。ストレスがヤマほど積もっていたのかも知れないが。

しかし、尾崎豊も泥酔して全裸になっていた。彼はそのまま息絶えていたので国民的英雄になり、草なぎクンは死ななかったのでわいせつ罪で逮捕された。これって、どう違うの?
そんなことも、ふと思った。

ここまで草なぎクンの悪口を言ってきたが、ここから先は同情論に変わる。
(僕もコロコロ変わる人間なのである。付き合う人は大変だろうな)

酒を飲んで前後不覚になるのは、僕もよくあることだ。
(そ~や、そ~や…という声が聞こえてくる。とほほ)

草なぎクンも、「ビール5杯、焼酎3杯までは記憶がありますが…」と、そのあと、記憶喪失になったことを述懐しているが、僕もこれまで何度も泥酔し、記憶を失った。市民体育館の前でしゃがみこんで寝てしまったこともあり、通りがかった消防署の中に入って「寝かせてくれぃ~」と言ったこともある(らしい)。財布を失ったのもまだほんの2ヶ月ほど前のことだし…。

酒の上での失敗は、僕も多い。数え切れないほどだ。
思い起こせば恥ずかしきことの数々…。

でも、幸いなことに、僕には裸になるクセはなく、ほかにも、逮捕されたりするようなクセ、たとえば女性に抱きつくとかいうクセは、なかったと思うので(たぶん)、何度も酔っ払ってあやうい目に遭ってきたのに、こうして無事に定年までクビにならず、今日を迎えることができたのは、まことに幸運であるといえる。それに引き換え、草なぎクンは、今回の「全裸事件」で、今後の芸能活動に大きな支障がでるほどのダメージを受けた(ま、比べるのもおかしいのだけどね…)。

酔うと、普段内在しているものが出るらしいので、草なぎクンは、もともと服を脱ぎたがる性癖があったのだろう。会見で、パンツ一枚になったことはこれまでにもあった、と言っていた。しかし全裸で騒ぐのはやはりハタ迷惑である。公然わいせつ罪で逮捕されたのも、不当な逮捕であるとはいえまい。

第一報を聞いたときは、
「それみろ、草なぎクンは、だいたい二重人格者なのだ」
と思った僕である。

しかし、さすがに、これだけマスコミに大騒ぎされたら、なんだか気の毒になってきた。同じ酒好きということもあるが、
「別に人を襲ったりしたわけではないのにね~」
という感じもする。

「酔って高揚して、家にいる気になって服を脱いだのではないかと思う」
と弁護士が説明をしていたが、まあ、そうかも知れない。
酔って高揚するというのは、僕もよくわかるのだ。
うんうん。ほんと、よくわかる。

今回の草なぎクンの一件は、
「鬼のクビを取ったように彼を非難しているばかりが能じゃないよ。お前もこれから、気をつけるんだぞ~」
と、どこかからクギを刺されているみたいである。

そうだね。
肝に銘じよう。

な~んや、結局はそんな話かいな。

…とまあ、そんなオチで終わる今日のブログでした。失礼しました。


また次から、「青春18きっぷの旅」の続きを掲載します。

 

 

 

 

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青春18きっぷの旅 盛岡へ

2009年04月23日 | 旅行

明けて3日目の4月7日。
朝、ホテルのテレビで、仙台の桜の開花宣言をしていた。もう遅いわ。

東北本線・仙台発8時30分の列車に乗り、8時55分、松島で途中下車。

松島を観光するには、東北本線の松島駅より、仙台と石巻を結ぶ仙石線の松島海岸駅の方が中心地に近くて便利、とガイドブックに書いてあったが、今日はこのあと平泉にも寄りたいので、東北本線から外れるわけにはいかない。

次は10時07分の列車に乗らなければならないので、松島にいられるのは1時間ちょっとである。松島駅は案外こぢんまりとした駅だった。コインロッカーに荷物を入れようとしたが、ロッカーが小さくて、荷物が入らない。

仕方なくそのまま駅前に出ると、タクシーが並んでいた。
その1台に、
「時間がないので、てっとり早くどこか景色のいいところへ連れて行ってもらえませんかねぇ」
と頼むと、運転手さんは、「はいはい」と言って、荷物をトランクに入れ、
「いやぁ、時間がないって先に言ってくれたほうが、ありがたいね~」
と顔をほころばせ、
「じゃぁ、まず、一番いいところへ案内しますよ」
そう言って、細くて急な坂道を上って行った。

人影のない、ひっそりとした小さな展望台で車を降りた。
5人も上がればあふれ落ちそうな小さな展望台だったけれど、そこから、松島湾が一望できた。いやぁ~、これはまた、素晴らしい眺めである。

20歳の時の自転車旅行で松島を通った時は、松島タワーというのがあった。
その日は曇天だったのを覚えているが、僕はタワーに上り、そこから松島を展望した。しかしそのタワーは、マジに恐怖を感じるほど、ものすごく揺れていた。「そのうち倒れるのでは…」と当時の日記に書いているが、後年、このタワーは危険だということで撤去され、今はもう存在しない。やっぱりなあ。

今日も、天気はいいが、昨日と同じように少しだけ霞んでいる。
「ほんとだったら、あっちにチンカザンも見えるんだけどネェ」
運転手さんは、かなり年配の人であった。
話に方言が混じるので、ところどころ、わからない言葉が出てくる。
「へ…? チンカザン…? ちんかざん…?」
あ、金華山のことを言ってるのだと、しばらくして、わかった。

運転手さんはそのあと僕たちを松島の中心地らしきところまで連れて行ってくれた。目の前が海である。車を降りると「松島観光協会」という建物があり、すぐ横に桟橋があった。ひとりのおじさんが僕らのところへ駆け寄って来て、
「遊覧船にお乗りでしょうか?」と尋ねた。客引きの人である。
「すみません。時間がありませんので…」
期待に応えられず、なんだか、申し訳ない気持で、おじさんに謝る。

シーズン・オフのうえ、まだ時間が早いということで、観光客の姿はほとんどない。目につくのは観光協会の人や、みやげ物屋さんや、遊覧船関係者の人たちばかりだ。僕たちの姿を見ると、みんな「いらっしゃい!」といっせいに声をかけてくれるので、なんとなく照れくさく、居心地が悪い。

五大堂や瑞厳寺などが近くにある。
しかし、なにせ次の列車の時刻が迫っているものだから、まわりを少し歩き、海の景色をしばらく見たあと、あたふたとその場を後にして、10時07分の小牛田行きの列車に乗った。そして終点小牛田には10時27分に着いた。今さらながら、のんびりしているのか、せわしないのか、どうもわけがわからない旅行であるなぁ~と、我ながら思う。

小牛田は「こごた」と読む。
「へぇぇ、そういう読み方をするの?」と妻が感心していた。

そういえば、仙台で「愛子」という地名に「あやし」と仮名が振ってあったのを見て、思わずふたりで顔を見合わせたものである。
「愛子」を「あやし」と読むのも、なかなか面白い。

小牛田で一関行きに乗り換える。
小牛田発10時44分。一関着11時31分。
一関発11時36分。そして、11時45分に平泉に着いた。

平泉駅前の「泉」というそば屋で昼食。
外へ出ると、なんと雨が降っていた。
今日は日本全国が「晴れ」であったはずだ。
しかし雨はどんどん激しくなる。そんな、殺生な!
傘は…?
平泉駅のコインロッカーの荷物の中に入れたままだ。あぁ~。

雨の中、歩いている人なんぞどこにもいない。
しかし僕らは、中尊寺に向かって歩いた。
ここは岩手県。宮沢賢治のふるさとだ。
雨ニモ負ケズ…の精神を発揮しなければならないのだ~

途中に「高館義経堂」へ寄った。源義経の終焉の地である。
一人200円を払って、丘陵の階段を上がり、お堂へ行った。
そこから見下ろす北上川の景色は美しい。

源義経主従供養塔があった。昭和61年に造られたそうだ。
義経堂の中には、凛々しい義経の甲冑姿の像が祀られていた。
義経堂のすぐそばに、芭蕉の句碑が建っていた。

芭蕉が「おくのほそ道」で平泉を訪れ、
「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡」
という、一世の名句を詠んだことはあまりにも有名である。

窓口でもらった資料によると、元禄2年(1689年)の旧暦5月13日に、芭蕉はこの高館に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れる様を眺めてこの名句を詠んだという。その場所に、芭蕉の句碑が建っているのだ。

高館から階段を下りて、窓口の男性に会釈をしたら、その男性は、
「傘はお持ちじゃないんですか? よかったら、これを使ってください」
と言って1本の傘を僕たちに貸してくれた。
「あ、どうも。ご親切に、ありがとうございます」
と僕たちは、丁寧にお礼を言い、それを借りた。
傘には大きな文字で、「毛越寺」と書かれていた。
「ここは毛越寺の系列なんですよ」とその男性。

僕たちはその傘で雨をしのぎながら、中尊寺まで歩いた。
40年ぶりに訪れた中尊寺は、閑散としていた。
月見坂を奥へ奥へと歩き、弁慶堂などを見ながら、これも芭蕉の、
「五月雨の 降り残してや 光堂」の句で有名な金色堂でUターンして、元の道を引き返し、他に誰もお客のいない静かなみやげ物店の2階で、コーヒーを飲んだ。いや、コーヒーを飲んだのは妻で、僕はビールを飲んだ(がはは)。

借りた傘を駅に置き、そのまま改札に向かおうとして、妻が「あ、コインロッカーの荷物!」と言ったのでハッとした。危ない、危ない。荷物を忘れてそのまま列車に乗ってしまうところであった。

平泉発2時46分の列車に乗り、4時09分に今日の目的地である盛岡に着いた。駅近くにあるホテルにチェックインしたあと、カメラ屋を探した。雨はもう降っておらず、盛岡の空には、お日様がテカテカと光っていた。

で、なんでカメラ屋なのか…?
デジカメのSDカードが「残り容量がありません」となったのだ。
予備のSDカードを持って来ていたはずだが、どこをさがしてもない。
「えらいこっちゃ。写真、撮られへんがな」

盛岡タウンマップで、「まつむらカメラ」というのを見つけたので、そのマップを頼りに、盛岡駅から東へ歩き、カメラ屋を探し当て、SDカードを求めたが、「当方には置いてございません」と言われた。
「ない…? では、どこに行ったらSDカードがあるんですか…?」
「盛岡駅に現像所があるので、そこなら売っているかと思います」

また駅に戻り、「現像所」を探しあて、無事にSDカードが手に入った。
やれやれ…。

カメラ屋から盛岡駅に戻るとき、北上川に架かる開運橋という橋を渡った。
「開運橋? へぇ。こんなところで宝くじでも売ってたら、当たりそうや」
と言っていたら、本当に宝くじ売り場があった。

さて夜は何を食べようか、ということになった。
盛岡の名物は、わんこそばや冷麺やジャジャ麺などの麺類だという。
「麺なぁ…。麺でビールを飲むと、お腹がふくれすぎるなぁ」
何かといえばビールのことばかり考える僕なのである。

盛岡駅ビル「フェザン」の中の「おでんせ土産館」とか、「めんこい横丁」とかを歩いてみたが、結局、迷った末、「前沢牛の店」という看板の出ている店に入った。前沢牛は、脂がよく乗った、コクのある肉だった。ご馳走さん!

 

 

 
    松島駅は思ったよりこぢんまりとしていた。



 
  タクシーの運転手さんが連れて行ってくれた展望台から松島湾を一望。

 

  
   松島観光協会のすぐ前。このあたりが松島の中心地みたいだ。

 

 
   瑞厳寺への参道に、芭蕉が座っていた(?)

 

 
   車窓の こんな ありきたりな風景が 好きだ。



 
  平泉駅から中尊寺まで、雨の降る道を歩く。 人も車も…何もない。



 
   平泉の高館にある 芭蕉の句碑。「夏草や 兵どもが 夢の跡」

 

   
   中尊寺で。40年前、20歳の自転車旅行の時の僕です。

             

    
    同じ場所で  40年後です。あはは。



 
  金色堂。これも芭蕉の 「五月雨の 降り残してや 光堂」
の句で有名。



 
  平泉駅で。 今日の目的地 盛岡行きの列車を待つ。



 
 盛岡市内で。 開運橋の手前に  「やっぱり」  という感じで 宝くじ売り場があった。

 
   

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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青春18きっぷの旅 仙台へ

2009年04月21日 | 旅行

19日の夜、アナザービートルさんと久しぶりに会った。
お酒を一滴も飲まないアナザービートルさんは、奥さんを乗せて、車で僕の住む街まで来てくれた。

「15年ぶりぐらい…?」
「いや、それ以上と違う…? もう、20年近く会ってないよ」

ずっと年賀状だけの交換だったが、僕がブログをしていることを書いたのがきっかけで、アナザービートルさんがコメントをくれるようになった。そして、久しぶりの再開となった。ブログは、いろんなところで人生を彩ってくれる。

   …………………………………………………………………………

さて、「青春18きっぷの旅」の続きである。  

2日目は、東京から仙台まで行く。
上野から東北本線に乗ってもいいし、常磐線で行ってもよかった。
東北本線は宇都宮、郡山、福島などを通って仙台へ入る。
常磐線は水戸から日立、いわき、原ノ町など太平洋沿いを走る。

旅の趣旨から行けば、なるべくゆったりと列車に揺られたい。
東北本線はなんとなく混雑している感じがする。
さらに、もうひとつ別の、大きな問題点があった。
東北本線はロングシート車(通勤タイプの車両)が多いということである。

鉄道雑誌にも、
「ロングシート車の多い東北本線は要注意」
という記事が載っていたことがある。
「どういうわけか東北本線は、車両がロングシートが多く、青春18きっぷ愛用者から困惑の目で見られている路線です」…そう書かれていた。

そんなことを思い出し、上野から常磐線を利用することにした。
何となくこちらのほうが、ローカル色が豊かなような気がする。

時刻表を見ると、上野発6時31分の列車に乗ると、8時30分に水戸に着く。
水戸から9時03分発の原ノ町行きに乗ると、12時11分に原ノ町に着く。
原ノ町から12時25分発の仙台行きがある。
今日は3つの列車を乗り継ぐだけで、仙台に着く。
しかも、仙台到着は午後1時43分である。ずいぶん早い到着だ。
どこかで途中下車することも考えたし、仙台から山形方面への仙山線に乗り、芭蕉で有名な山寺へ行って、また仙台へ引き返そうか…とも考えた。しかし、昨日からずっと列車に乗り続けなので、少し街の中も歩きたい、という僕たちの思いもあり、まあそれは仙台に着くまでに、その時の気分で決めたらいい、ということにした。

天気も快晴だし、仙台に着いたらウオーキングをするのも悪くはない、と思った。こういう旅は、その日の計画をいくらでも変更できるので便利だ。

                        

まだひと気の少ない有楽町からラッシュ前の山手線に乗り、上野駅に着いたのが6時20分。常磐線は9番線である。すでに6時31分発の列車が入っていた。

目の前の車両の中に入ろうとしたら…
なんと、座席は通勤型のロングシートである。
「ありゃ~。話が違うがな」
クロスシートだとばかり思っていた。
これなら東北本線のことを、とやかく言えないのではないか。

落胆しつつ、一番前の車両まで歩いて行くと、驚いたことに、その車両だけがクロスシートであった。まだお客がほとんどいなかったので、そこに座ることができた。あ~よかった。しかし、一つの列車にロングシートとクロスシートの車両が混ざっていたとは、全然予想していなかったことである。

列車が上野から発車する頃は、さすがに通勤客で混んできた。
上野から水戸までの間は、ローカルな雰囲気は漂っていない。

月曜日の朝、通勤客で込み合う車内を眺めていると、これからもう通勤をしなくてもいい自分の環境を、何となく不思議に思う。周囲の人たちは、みんな週明けの出勤にキリリっと引き締まった表情をしている。

そうだ、僕はもう退職したのだった。
なんだか、休暇をもらって旅行している気分だったので、大阪へ帰るとまた仕事に出なけりゃ~と、無意識のうちに思っていたのが、自分でも奇妙である。

2時間後、水戸に着く。約30分ほど、待ち時間がある。
その間にサンドイッチを買って食べる。
食事をとるタイミングも、なかなか難しいのである。

水戸発・原ノ町行きは、9時03分から12時11分まで、実に乗車時間が3時間を越す長丁場である。この列車は2両編成だったが、ガラガラに空いていた。
しかし、なんと車両はロングシートであった

でもまあ、どの列車にも、きれいなトイレが必ずついているので、その点は安心して乗っていられる。ただ、ドアは自分でボタンを押して開け、乗り降りする仕掛けになっている。大阪にはないタイプであり、いささか戸惑う。

あちらこちらで桜が咲き誇り、車窓風景を豪奢なものにしてくれていた。
ところが、福島県に入ると、いわき駅から見えた桜を最後に、そこから先は華やかな風景が消えてしまった。う~む、さすがは東北である…とまあ、感心している場合ではないが、今年はこちらの桜の開花も早い、と予想されていただけに、この現実は甚だ残念であった。

原ノ町で仙台行きに乗り換えた。こちらはクロスシートであった。
12時25分に、列車は原ノ町を出た。

この常磐線は、僕が40年前に自転車で走った国道と並行して走っているので、列車の窓から見え隠れするその道路を眺めながら、40年前の20歳の時は、この道を大阪へ向かって走っていたのだなぁという感慨に耽ったりした。

岩沼で東北本線に合流し、予定通り、1時43分、仙台に着いた。
結局僕たちは、仙台の街をウオーキングすることにした。

駅のコインロッカーに荷物を入れて、青葉城跡まで歩いた。
仙台は、自然美と都会美との調和が取れた、本当に美しい街である。

急坂を上り、伊達政宗の像が立っている場所から、仙台の街が一望できた。
晴れているけれど、ぼやーんと霞がかかっていた。それでも、見事な光景が眼下に広がっていた。何組かの観光客が、政宗像や仙台市街を背景に、記念写真を撮っていた。

青葉城跡から市街地に引き返し、お腹が空いたのでガイドブックに乗っていた牛タンの店に入った。時計を見るとまだ3時半で、昼食だか夕食だかわからないが、炭火焼のぶ厚い牛タンに冷えたビールは、何もかも忘れさせてくれるほど美味しかった。

それからまた歩いた。
昨日から1日半、列車に乗りっぱなしだったので、身体を動かすのは気持のいいことだった。大阪を発つときは、こちらは寒いとばかり思っていたが、それどころか、暑いぐらいの陽気だ。

日暮れ時になるとまたお腹が空いてきた。そして今度は「居酒屋」の看板が目に入ったビルに入り、僕はそこで再び  を飲んだ。
妻はさすがに、少し食べただけで「もうお腹いっぱい」と、笑っていた。

 





  
  上野から約2時間で水戸に到着

 

   
    水戸から終点の原ノ町までは3時間以上かかった。
    僕たちが乗ったこの列車は、2両編成だった。

 

   
    この車内は
ロングシートで がっかりしたが、
    ここまでガラガラに空いていると、思い切り のどかな気分になってくる。

 


 

 

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青春18きっぷの旅 東京へ

2009年04月19日 | 旅行

 

 





 

5年前に、たまたま書店で、

「定年後、“青春18きっぷ”の旅に出る」

という雑誌を見つけて、買ったことがある(写真)。

「青春18」なんて名称がついているけれど、若者に限らず、誰が使ってもいいことは、言うまでもない。

「ふーむ。定年後なぁ…。ヒマになるしなぁ~」

…それから5年。
僕は、妻と2人で、定年後の青春18きっぷの旅に出たのである。
行く先は、妻がまだ一度も行ったことがない、と言っていた東北。

少し解説をすると、青春18きっぷは1枚が11,500円である。
この1枚が、普通乗車券の5回(5日)分となっている。
つまり、1回(1日)分が、2,300円になるわけだ。

その1回分で、1日中、どこまでも乗り放題なのである。
午前0時00分から午後11時59分までであれば、1回で好きなだけ乗れる。
特別な料金を必要としない普通列車や快速列車ならすべてOKだ。
ただし、急行・特急や新幹線などに乗ろうと思えば、改めて乗車券も購入しなければならない。

さらに、期間が春季、夏季、冬季のみに限定されている。

今回は春季発行の分で、利用期間は3月1日から4月10日まで。
僕たちの旅行は4月5日から9日までだったので、期間ギリギリだった。

 

 

僕たちの青春18きっぷ。朝1番に改札で日付入りスタンプを押してもらう。それで、その日1日が有効となる。僕らは2人だったから切符は計2枚で、毎朝2つずつスタンプが押された。天王寺駅、有楽町駅、仙台駅、盛岡駅、青森駅のスタンプが押されている。


   ……………………………………………………………………………………

4月5日(日)。僕たちの旅行は、東海道本線7時15分大阪発の新快速に乗ったところから始まった。快晴。8時39分に米原着。ここで最初の乗り換え。次の列車は、米原8時46分発の豊橋行きの特別快速だ。

10時48分に豊橋へ着くまで、2時間余り列車に乗ったが、米原から名古屋まで車内は満員で、ずっと立っていた。名古屋に着いてごっそり乗客が降りて、ようやく席に座ることができた。やれやれ。

豊橋を11時06分に出る。
僕の携帯がぶるぶる震えた。
元職場の若い人から、メールが入ってきた。
「北朝鮮のミサイルが発射されたようです」
そ~か。発射されたのか。
「こちらは、豊橋を発射しました」と返事を打つ。

豊橋から約30分後、11時39分に浜松へ着いた。

ここで、改札から出て、浜松駅ビルのメイワンというところに入り、7階の
「うおかっちゃん」という店で、浜松名物のうなぎ丼とビールの昼食。昼から飲むビールの美味しいこと!

再び改札に入り(改札では駅員に切符を見せて出入りする。自動改札は不可)
12時32分発の列車に乗り、13時11分、静岡県の島田駅で降りる。

13時23分に島田駅始発の熱海行き各駅停車に乗る。

天気はいいが、景色はかすんでいる。
本来なら車窓から見えるはずの富士山が、まったく見えない。
しかし、沿線の桜が美しい。車窓の風景も、桜・桜・桜で、心が浮き立つ。
駅では、富士川駅に咲き乱れていた桜が、何とも言えず素晴らしかった。

15時10分、熱海着。

この日最後の列車熱海15時18分発・東京行きの各駅停車に乗り換えた。
東京駅には、17時06分に到着する予定である。

島田~熱海も、この熱海~東京も、ともにロングシート車だった。
つまり、列車の進行方向と並行に、長いシートが設置された通勤タイプの車両である。列車の進行方向と直角に設置されたクロスシートには旅情があるが、
ロングシートでは、あまり「旅をしている!」という気にはなれない。しかも、物を食べたり缶ビールを飲んだりもしにくい。このあたりは、旅行しているというより、移動しているという感じが強い。
最近はどこでも、ロングシート車が多くなってきた。

小田原城がちらりと見え、大磯、平塚、茅ヶ崎、藤沢、戸塚など、箱根駅伝でおなじみの地名を通り過ぎ、16時40分に横浜を通過(といっても駅には停まるが)、東京駅のひとつ手前の新橋で降りて、山手線に乗り換え、有楽町で下車し、その日の宿泊ホテル「銀座モントレ」へ向かった。

モントレの前では、東京でOL生活をしているゴッド姉ちゃんこと、姪のMちゃんが待っていてくれた。

夜は3人で、ホテル近くの店で食事。ビールやら焼酎お湯割やら飲んだけれど、明日以降のこともあるので、アルコールは、ほどほどの量に留めておいたことは言うまでもない(ほんまか…?)

…という初日の行程であった。


大阪から東京まで、JRの営業キロは550キロちょっとである。
普通に乗車券を買えば8,500円かかるところが、青春18切符だと1回(1日)分の2,300円で済む。かなり安い。まあ、いくら安くても、普通列車を乗り継いで東京へ行く人など、今どき、いないだろうけどね~。ともあれ、僕たちは旅行初日、2,300円で東京まで行ったのである。このあとだんだん1日の乗車時間を短くしているので、この日が最もハードな列車スケジュールであった。

結局この日、僕たちは、朝の7時15分から夕方5時過ぎまで、(待ち時間も含めて)10時間程度の普通列車での旅行をしたわけだが、この世界のツワモノは、夜行なども利用して、驚くほど長時間、乗りまくるのだ。実際、僕も25年ほど前に、青春18切符を使い、大阪から青森そして青函連絡船に乗って函館に着くまで、2日間で行ったことがある。

♪やると思えばどこまでやるさ~  …が、できる世界なのである。

ま、そんなことで旅の第1日目は、JRだけで6回乗り換えた。
家を出て最寄の私鉄電車に乗ったのが午前6時07分発だった。
天王寺から青春18切符を使い、大阪環状線に乗って大阪駅まで行った。

その2つの電車も勘定に入れると、この日は合計8回乗り換えた計算になる。

「体力もいるしねぇ、時刻表を見て頭も使うしねぇ。疲れるでしょ」
夜の食事のとき、姪のMちゃんがそう言って、ねぎらってくれた。

明日から、東北地方に入る。
今日は一目散に東京へ来たという感じであるが、明日からは、列車の旅そのものを楽しめる旅になればいいが…

寝る前に時刻表をめくってみた。この時刻表に羅列された細かい数字を、まだ老眼鏡なしで見られるのがありがたい。

よ~し。明日は常磐線で、上野発6時31分発の列車に乗ろう…と決めた。
ホテルから徒歩で有楽町へ、そして山手線で上野まで。それらの時間も考えて、6時前にホテルを出よう。

幸い、今週は日本全国ほとんどすべての地方が「晴れ」の予報である。
幸運の女神も、僕の退職旅行に協力してくれたのだと思いたい。

そういえば、この日送られてきたメールのひとつに、
「いいお天気が続きそうでよかったですね。これも○○さんの、日頃の行いがいいからでしょう」というのがあった。

まあ、これは、お世辞やろな。

 

 

 

 

 


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この17日間

2009年04月17日 | 議会&役所

まだ4月に入ったばかり…という感覚から抜け切れないまま、今日はもう4月17日である。退職して、早くも半月以上が経過した。

いろんなことに追われ、なかなかブログを更新できなかったが、ようやく皆さんに近況を報告する余裕ができた。

しかしまだ、朝起きて仕事に行かなくていい、という環境がピンとこない

今日も、土曜日だとばかり思っていたら、そうではなく、金曜日だった。
世間は仕事をしている日なのである。なんか、勘が狂う。なじめない。

   ………………………………………………………………………

3月31日に、市長から退職辞令をもらい、職場で花束をいただき、そして多くの人たちに見送られて、長年勤めた場所を後にした。

…と、いかにも感慨深げに書くわけだが、実際は、自転車で通勤している僕は、花束をビニール袋に入れてハンドルからぶら下げ、なんだかなぁ~、もうこれで終わりかいな、と、今のこの状態が「うっそ~」というような気持で自転車をこぎながら、これといって特別な感情も湧かず、家路に着いた。

自転車で家の近くまで帰ってきたら、同じ町内のおっちゃんに会った。
おっちゃんは、孫の男の子を連れて、こちらを向いて歩いてきた。

「あれ? 今日はお休みですか?」とおっちゃんは僕の様子を見ながら、
「なんで花束なんかぶら下げているのですか…?」と、質問を重ねたあと、
「むむ~っ…。今日は3月31日だし、…ひょっとして、退職ですかぁ!?」

「ピンポーン! 定年退職です。どうも、どうも」と僕。

「ひぇ~~。そうですか…。おたくが、定年…ですか? はぁ~。しかし、まあ、それはそれは、退職、おめでとうございます」
おっちゃんは、孫から手を離し、ぺこっとお辞儀をしたので、「これはどうも、恐れ入ります」と、僕は自転車から転げ落ちかけた。

そうして「ただいま~」と家に帰り、そのあともいつもと同じように過ごし、そんな具合にして、3月31日は終わった。


明けて4月1日には、モミィを連れて、妻と3人で白浜へ1泊旅行をした。
「特急くろしお」に乗って、天王寺から南紀白浜まで約2時間。

「特急くろしお」といえば、あれは38年前(昭和46年)、僕たちは新婚旅行で「特急くろしお」に乗り、白浜へ行ったんだったなぁ…。
ま、そんなことは、よろし。

快晴に恵まれた白浜は、桜が満開であった。
翌日は、美しい浜辺で、モミィは久しぶりに目の前に見る海の光景に興奮していた。まだちょっと波が押し寄せてくるのを怖がっていたようだったけれど。

4月3日は、夕方に職場の歓送迎会があったので、3日ぶりに役所へ行った。
職場のみんなは「辞められたという感じがしませんね。また朝に、ひょこっと出勤して来はるような気がして…」などと言ってくれる。僕だって、こうして職場に戻ってくると、自分が辞めた人間だとは到底思えない。

4月4日(土)は終日雨であった。
この日は何の予定もない日だったので、僕にとっては乱雑をきわめた自分の部屋をわずかでも整理ができたし、まあ雨でもかまわなかった。しかし絶好のお花見シーズンの週末にこの雨は、大半の人々をがっかりさせたに違いない。

…雨はこの日を最後に姿を消した。

4月5日から9日まで、「青春18切符」を使って、妻と東北への4泊5日の旅行に出たが、その間、ずっと快晴に恵まれた。列車に揺られて北へ北へと移動したこの旅は、普通のツアーでは味わえない情緒があり、発見も多かった。
(後日改めて、このブログで旅行記を掲載したいと思います)。

しかし、大阪を出るときは桜が満開だったのに、東京を過ぎ、福島県に入ったあたりから、桜色の風景が視界から消えた。仙台では蕾が膨らんでいたが、花はまだ。盛岡や青森、秋田では桜の気配すらなかった。そして大阪へ帰ると、桜はもう盛りを過ぎて、散り始めていたのだ。…ぐすん。

さて、9日夜に帰宅すると、長男が溜めておいてくれた郵便物の中に、僕が退職挨拶の葉書を送ったことに対する返事の葉書やら手紙がかなり入っていた。1枚1枚、丹念に読む。僕の葉書での退職挨拶に対して、それ以上の丁寧な返事が来たことに、恐縮することしきりである。自分がこんなにも多くの人々に支えられてきたのかということを、今さらながら身に沁みて感じる。

4月10日は、退職金が振り込まれる日であった。
それに関する用件で、妻と2人で難波にある○○銀行まで足を運んだ。
帰途、遠回りして天満橋あたりを歩いたが、桜はどんどん散り始めていた。

11日の土曜日は、朝4時から起きて、退職時に餞別をいただいた方や自宅に花を送っていただいた方など、特にお世話になった目上の5人の方々へ手紙を書いた。5通の手紙に3~4時間かかった。そしてそれを封筒に入れて、東北旅行で買って来たお土産に添え、荷物を自転車に積み、ペダルをこいで、それぞれのお家へあいさつ回りをし、お土産を渡した。かなり距離があったので、自転車で走っていると、午前中はそれであっという間に過ぎた。

そうこうしているうちに、14日に第一回目が始まるECCの英語教室が気になり始めてきた。3月中旬にテキストが送られてきたが、梱包したままで、どんなテキストかもまだ見ていない。予習をしておかなければ…と、12日にようやくテキストを取り出し、パラパラめくって、付属のCDを少しだけ聴く。

いつかこのブログに書いたが、退職1年目は、生活に3つの柱を据えて、それを中心に過ごそうと決めていた。

ひとつは、身体を鍛えなおしたい、ということ。
もうひとつは、本やビデオや古い日記や切抜き、雑書類、旅行から持ち帰ったガラクタ類はじめあらゆる物を整理しなおし身の回りをスッキリさせること。
最後のひとつが、長年の夢だった英語を好きなだけ勉強すること。

だから、英語の勉強は、僕の今後の生活において大切な要素なのである。
そんなことで、13日は、雑事の合間を縫ってドロ縄でECCの予習をした。

そして、14日、ECCへ行き、緊張の中で最初の授業を受けた。
(この話もまた、ブログに書いてみたいと思います)

15日は、1月に一緒にカナダへ行った義姉が、僕の退職祝いに梅田のホテルバイキングへ招待してくれた。昼間からワインをしこたま飲んだ。あぁ、こうして自分が酒を飲んでいる間、職場ではみんな仕事をしているんだなぁ、と思うと、なんだか、たいそう奇妙な感じがした。

そして昨日の16日は、午前中に大手前病院へ行った。
健康保険証が変わったので、受付で変更手続きをしてもらう。
そんなときにも、あ、そうか、僕はもう現役ではないのだ、とふと思う。

「退職されたのですね。耳鳴りはいかがですか?」と、技師先生。

「そうですね。退職しても耳鳴りは退職してくれないですよね~。でも、これからは自分主体の生活が送れますので、いろんなことを楽しんで、耳鳴りを気にしている暇のないような毎日にしたいです」と答える。

大手前病院を出て、すっかり桜の散った大阪城を眺めながら歩く。
朝は薄曇りだったが、いつの間にか日が照り始め、空が青い。

今までなら、病院を終えると、その足で仕事に向かっていた。

今日はもう、向かわねばならないところは、ない。
どこをぶらぶらしようが自由である。

退職しても、日々の忙しさに紛れてさっぱり実感が湧かなかったけれど、病院を出たとき、急にその「喜び」のようなものがこみ上げてきた。

アイ フィール ライク “ エブリデー イズ サンデー ”.

次のECCの教室では、こんなセリフが言えたらいいなぁ、と思っている。

  

                          
                           退職の日、職場で。

 
  追加の写真です 

 
      波が来ると あわてて逃げるモミィ (4月2日 和歌山県 ・ 白浜)

 

 

 

 

 

  

 

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