僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

年度末ですね~

2017年03月31日 | 思い出すこと

きょうは3月31日。

年度末ですね。

思い出します。

38年間、勤めた職場を去った日のことを。

あれから、8年が経ちました。

もう今は何の節目もない毎日ですけど(笑)

こちらは、8年前のきょうのブログ「仕事を終える日」です。

         

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/621a406566ad9ebed7a961a747af5645

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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思わぬ所でバッタリ

2017年03月30日 | 心と体と健康と

心房細動(不整脈)の状態やワーファリンの効き具合などの検査と診察のため、約8年間、隣接市の徳〇会病院へ通っていたが、去年の5月から近くの医院へ変わり、現在はそこで定期的に検査・診察を受けている。

この医院は、かつて予防接種で行ったことがあったが、妻も「いい先生よ」と言うし、評判も悪くなかった。小さなビルの2階にあって、狭いけれど患者さんは多い。医師も、妻が言うように、紳士的で、優しい感じの方だった。

しかし、今まで10か月ほど通ってきた中で、不満もある。そこの医師は60歳ぐらいで、確かに良さそうな人なのだが、診察時間が短いのだ。診察室に入って、最近の心房細動の状態について話すと、医師は一応耳を傾けてくれるのだが、すぐに胸と背中に聴診器を当て、血圧を測り、「では、お大事に」となる。

それでおしまい。診察室から出るわけですよね。

これが少し物足りない。もう少し聞きたいことなどがあっても、何となく会話を続けづらい雰囲気があるのだ。

医師と患者の間には、相性の良し悪しというものがある。相性が良ければそれに越したことはない。今の医師は「いい先生」というのは間違いないけれど、しかし相性という点ではどうか。

以前、徳〇会病院の亀〇先生はとても親身になって話を聞いてくれ、適切なアドバイスをくれた。その先生が他の病院へ行ってしまい、新しく若い先生が担当医になり、数年間診てもらった後に去年の5月に今の医院に変わった。そんな中で、医師が変わる度にだんだん診察時間が短くなっているような気がするのだ。

そこでこの際この医院をやめ、また徳〇会病院に戻るか、他の医院に移るか、ということを考えてみよう、と思っていた矢先のこと…

それまで、この医院には月々の火曜日に行っていたが、ある事情で木曜日に変更になった。そして変更後、最初に行った診察で、そこにいた看護師さんを見て「えぇ! この人は…」と、びっくりした。よ~く知っている人だったのだ。

僕はスポーツジムでこの女性の顔を見ていた。金曜日のヨガ教室でも一緒だった。その女性が、今、白衣を着て、「〇〇さ~ん」と診察室から患者さんを呼んでいたのである。

僕の順番がきた時、今度はその看護師さんが僕を見て「あらま~」と驚いた顔をした。「こんにちは」とあいさつを交わす。そして診察後、その日は採血の日だったので検査室に入ってその看護師さんと2人だけになった。
「まぁ、驚きましたわ。ここに来ておられたのですね」と言われ、僕は、
「そうです。ずっと火曜日だったんですけど、今回初めて木曜日に来ました」
と答えた。看護師さんは月曜と木曜だけこの医院に来ているということだった。だから、これまで会わなかったんですよね。

その看護師さんは僕の年齢を知って「お年をみてびっくりしました。スポーツジムではもっとお若いと思ってましたので」な~んて、注射器を取り出しながら言った。何それ? 「こんなトシで、えらい悪うございましたねぇ」と言い返したいところだったけれど、むろんそんなことは口に出しません(笑)

というような出会いがあってから、ジムで会うたびにこの看護師さんと、挨拶を交わしたり、雑談をしたりしています。

そしてある時、僕は彼女に、「ところで、先生の診察時間が短いような気がするんですけど」と思い切って言ってみた。すると看護師さんは、「そうなんです! あの先生はマジメなので、待合室で待っておられる患者さんが多いと、ついその人たちをあまり待たせてはいけないと思って、診察時間が短くなるんです」と明かしてくれた。医師の目の前に、待っている患者さんたちのカルテがズラッと並んでいるので、ひと目で何人待っているかわかるそうだ。しかしまぁ、それを「マジメ」というのかどうかわかりませんけどね。「急がなくっちゃ~」と「あせるタイプ」なのかも知れないし。

「ふ~ん。そうなんですか」と僕。心房細動も特に変わった症状が起きたりしないので、まぁ、仕方ないか…と思ったりもした。

さて、先日、その医院に一番最近行った時のこと。診察中、医師のそばに例の看護師さんが立っていた。診察が終わり、この日は採血がなかったので、「どうもありがとうございました」と医師に挨拶して、診察室を出ようとしたら、医師の後ろに立っていた看護師さんが、こちらをニコッと見て手を振った。僕も笑顔で頭を下げた。

帰り道、
やれやれ。思わぬところで知り合いができてしまった。
この人がいる限り、無断で別の医院に変わることは難しくなってきたなぁ。

と、今しがた看護師さんが手を振っていた姿を浮かべながら、思った次第です。

 

 

 

これは本題とは全く関係ない話ですが…

 きょう、センバツ高校野球の準決勝が行われました。2試合とも大阪代表の大阪桐蔭と履正社が出ていたのですが、いずれも熱戦の末、大阪勢が勝ち上がり、明日の決勝戦は大阪同士で戦われることになりました。これまで、東京勢同士の決勝戦というのは記憶にありますが、大阪勢同士が決勝というのは、初めてだと思います。明日はどちらを応援していいのやら…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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アルゼンチンからこんにちは

2017年03月28日 | 日常のいろいろなこと

アルゼンチンに住んでいる甥のヒロユキが、愛妻のソルちゃんを連れて日本にやって来た。7年前から、毎年3月になると20日余りの長期休暇をもらって「里帰り」するのが習慣となっている。そして、そのときは僕たちも呼んでもらって一緒に食事をし、そのあとソルちゃんが好きなカラオケに行くのが、これまた恒例になっている。

これまで何度か書いたけれど、僕と妻と義姉の3人でアルゼンチン旅行をしたのが2009年(平成21年)で、僕が退職をした年だった。ヒロユキは首都ブエノスアイレスの郊外にある人気レストランでシェフをしている。ヒロユキとその母である義姉は、この時、十数年ぶりに会った。それがきっかけて、翌年から毎年欠かさず、ヒロユキはソルちゃんを連れて日本へ来るようになったのです。

ヒロユキがシェフをしているブエノスアイレスのレストランです。 
http://www.rosanegraargentina.com.ar/

右のCHFF(シェフ)をクリックするとヒロユキが出てきます。


そして今年もまた、ヒロユキたちはやって来た。25日の土曜日に、ヒロユキの母親である義姉も交えて、6人で会った。場所は義姉の住んでいる京橋で、会うとまずソルちゃんは「モミィ~」と叫んで抱き合うのだが、ソルちゃんもヒロユキも、モミィが大きくなったなぁ…と驚いていました。


この写真は、5年前のもの。

  


これは今回。モミィもずいぶん背が伸びました。

 


まず入ったお店は、これも例によって京橋コムズガーデンにあるサイゼリア。ソルちゃんは和食はまったく駄目で、このサイゼリアのパスタやピザが大好きだという。モミィもそういうものが大好きだ。ソルちゃんとモミィは、お店の中でお互いにお土産を交換し合ったりして、はしゃいでいた。

昼食を終えて次はカラオケに。

歌うのはソルちゃんと僕とモミィの3人だけ。あとの3人は歌わない。

ソルちゃんは日本語がわからないが、母国語のスペイン語と同じぐらい英語に通じているので、英語の歌がほとんどである。そこで僕も、英語の歌を歌うとソルちゃんが喜ぶのがわかっているので、半分ぐらいはそれを歌うことにしている。とは言っても、英語の歌と言えばビートルズの歌ぐらいしか知らないので、50年以上も前の「イエスタディ」や「レットイットビー」「アンドアイラブハー」などを歌うのだが、それでも英語の歌なのでソルちゃんは楽しそうに聴いてくれる。モミィも学校でビートルズの「イエローサブマリン」を全員で練習しているというので、それはモミィとデュエットで歌った。

スペイン語の歌では、これも大昔の「ベサメムーチョ」というトリオ・ロス・パンチョスの歌は何とか歌えるので、これをかけると、ソルちゃんは大喜びしてスペイン語の字幕を見ながら一緒に歌ってくれるのだった。

さて、モミィも、以前は童謡などを歌っていたわけだが、今では、最近の若い子に人気のある歌を学校などで覚えてくる。ちなみに、今回モミィが歌った歌は…

トリセツ
もしも運命の人がいるのなら
恋するフォーチュンクッキー
キセキ
愛をこめて花束を

…というような歌でした。 何が何だかわかりませんけど…

それと、いま大人気で高校野球の行進曲にもなった「恋」という歌がありますね。「恋ダンス」で有名ですけど、そのダンスをモミィは踊れるという。これも学校で友だちと踊っているらしいのです。

モミィは「歌も歌えるで」と言うけれど、歌いながら踊るのは難しいので、カラオケの曲だけで踊ることにした。すると、曲のリストを見たら「恋」はカラオケだけではなく「歌付き」というのがあった。それをかけると、星野源の歌が流れてきたので、それに合わせてモミィが「恋ダンス」を披露。ぴょこぴょこと踊るモミィの姿を見ながら、ソルちゃんは大喜びしていました。

そんなことで、賑やかに過ごした午後の半日でしたが、時間が来て京橋駅の改札口でお別れ。ソルちゃんに「アスタ・ルエゴ(じゃぁまた)」と手を振って、僕たちは環状線に乗りました。次はまた来年の3月ですね。帰りの電車の中でモミィは「わたしもアルゼンチンに行きたい~」と言ってました。

そうだね。
いつか行って、向こうでヒロユキとソルちゃんに会うことができたらいいね。


  
   来年もまた会おうね~
   

 


8年前のアルゼンチン旅行は、このブログで書いています。

遥かなる国アルゼンチンへ

イグアスの滝

イグアスの小さな思い出

もう クエンタ …なんのこっちゃ

アルゼンチンタンゴのことなど

また会う日まで

 


 

 
 アルゼンチン・ブエノスアイレスで、ソルちゃんと。2009年9月。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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稀勢の里 奇跡の里!

2017年03月27日 | スポーツの話題

驚いた。「まさか」の出来事が起きた。
年に一度、大阪で開かれる大相撲春場所。
その千秋楽でこんな衝撃のシーンが待っていたとは。
本当に稀勢の里というのはすごい力士なんだなぁ、としみじみ。

一昨日の鶴竜戦。あの痛々しい姿の稀勢の里が簡単に負けたとき、勝てる見込みのない土俵に上がるより、怪我を治すことに専念したほうがいいのでは、と思った人は多かっただろう。それでも、昨日もまた出てきた。う~ん、今場所好調の照ノ富士にはまず勝てないだろう。しかも、優勝をするためには、本割と決定戦の2番続けて勝つ必要がある。そんなことできる? 無理しちゃ怪我がますます悪くなるんだから、やめとけばいいのになぁ~と思っていた。ただ、その気迫、根性、そして横綱としての責任感は、すごい! と感心したけれど。

大相撲は普段は生中継では見ず、NHKで真夜中にやる全取組ダイジェストを録画しておいて、それを見たりしている。しかし千秋楽だけは大相撲中継を見ることが多い。昨日もそうだった。

稀勢の里と照ノ富士が土俵に上がったとき、ほとんどの人がそうだったと思うが、まさか稀勢の里が勝つとは想像できなかった。でも、どんな相撲を取るのか、そして、ひょっとして、ひょっとして、何かのはずみで勝つかも知れない、というような気持ちもどこかにあった。

前日、照ノ富士が琴奨菊戦に立ち合いに変化したことに大阪のファンは激怒し、「勝負せんかい」「恥を知れ」「モンゴルに帰れ」などの言葉を浴びせたが、この日は稀勢の里が勝つには、やはり、変化を含めた変則的な相撲しか策はないだろうと思っていた。そして展開はほぼそのとおりだった。

いやぁ、それにしても、土俵際に後退しながら照ノ富士の頭を押さえての突き落としでまず1勝。次に決定戦ではもろ差しになられ、またも土俵際に追い詰められたのに、強引な右手1本での小手投げで力強く相手を投げ飛ばした。あれが決まるのだから、稀勢の里の力は相当なものである。照ノ富士も参っただろう。

表彰式の君が代斉唱のときに、稀勢の里がポロポロと涙を流していたのも印象的だった。むかし、貴乃花が膝を痛めながら武蔵丸を投げて優勝を決めて以来、久しぶりに大相撲の快感に酔った千秋楽だった。

きのうの稀勢の里はまさに「奇跡の里」でしたね。

 

 

 
  本割では突き落とし。



 
  優勝決定戦では小手投げ。

 

 

 

 

 

 

 

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お彼岸と一心寺へのお参り

2017年03月26日 | 日常のいろいろなこと

お彼岸も数日前に終わり、そろそろ桜の開花情報などがニュースで報じられるようになりました。で、この「彼岸」という言葉ですが、広辞苑には、「生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界」とあります。ひとことで言えば「あの世」ですよね。対義語は此岸(しがん)。これは「この世」ですよね。

この世、つまり此岸は東にあるとされ、そして亡くなった人が行く彼岸は西にあるとされているそうです。彼岸の中日である春分の日と秋分の日は、昼と夜の長さがほぼ同じなので、太陽が真東から真西に沈むこの日こそ、あの世とこの世が一番近く、最も通じやすくなると考えられているため、御先祖様を偲び、故人と向き合う日とされる、ということなんだそうです。

そういう詳しい話は最近まで知らなかったのですが、とにかくお彼岸だからと、例年どおり、先祖のお墓参りはもちろんですが、連休明けの21日に、母の納骨先である天王寺の一心寺へ妻とお参りに行きました。普段から一心寺にはよく行くのですが、お彼岸とお盆の時期は、一心寺は超満員となり、受付は長蛇の列で、本堂も人であふれ、長い間待たなければなりません。それを覚悟の上で行ったわけですが、その日は雨が降っていたせいか、拍子抜けするほど人の数が少なく、受付でも大して並ばず、比較的早く順番が来ました。

本堂へ上がっても、普通の日ぐらいの人の数でした。が、違っていたのは、おつとめの場所が、今日は本堂の左と右の2カ所であったということです(普段は左側だけですが)。お彼岸でお参りの人数が多いことを見越しての措置かと思いますが、畳に座って待っていると「〇〇さん」と自分たちの名が呼ばれ「そちらへ」と、右側で待つように指示されました。人数が多くなかった上、おつとめの場所が2カ所に増えたので、短時間で順番が来ました。

そしてさらに、この日は、一組当たりのお経を読む時間がいつもより短かったと感じました。だから余計に順番が来るのが早かったわけ。お彼岸なので、どど~っと人が押し寄せると混乱する…ということから短くしたのかも知れませんが、お参りを終え、帰る道々で妻が「お経が短いのはどうなんだろ?」と首をかしげていました。僕が「でも、きょうが雨じゃなくて大混雑していたとしたら、短くしなきゃ待っている人たちがどんどん増えて大変なんじゃない?」と言うと、妻は「う~ん」と、納得したような、しないような。

「じゃぁ次は彼岸じゃなく、その前後の時に来て、ゆっくりお経を読んでもらう?」と僕が提案したら、「でも、やっぱりお彼岸は特別だから、お彼岸でなければ駄目なのかなぁ」とつぶやくのでした。

そこで、帰宅してから、ネットで、お彼岸の期間にお参りが必要なのかということについて調べてみた結果、前述のように、お彼岸のそもそもの意味について、少しわかりました。そして、どうしてもその期間中に行けない場合は別の日でもいいでしょう、と書かれていた(そりゃそうですよね)。でも僕らの場合は、どうしても行けないのではなく、お経の時間が短いから…という理由なので、それはちょっと理由として変かなぁ、と思ったりもしています。

やっぱり、お彼岸はお彼岸ですからね。その期間中にお参りに行くのがやはり本来であろうと思うので、お経の時間という枝葉の問題は、別にいいんじゃないかと考えることにします。

 

   
   「おつとめ」の様子(一心寺のHPより)

 

 

 

 

 

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一年間皆勤賞 ~モミィの終業式~

2017年03月25日 | 日常のいろいろなこと

森友学園の件は、一昨日の籠池氏の証人喚問で、また、いろんなことが取り沙汰されていますが、相変わらず真相が分からないというか、ますます分からなくなったというか…。
それにしても不思議なのは、愛国心を前面に出し、教育勅語を園児に暗唱させるような籠池氏に、共産党、民進党、社民党などが寄り添っている姿は異様です。彼を頼みにして安倍政権を倒すのが野党として最優先なんでしょうけど、なんだかねぇ。籠池氏って、頼みにできるほどの人物なのでしょうか? 

   ………………………………………………………………

 

さて、話はコロッと変わりまして…
モミィの3学期も昨日で終わりました。ホント、いつものセリフですが、
「早いなぁ。あっという間やなぁ」をつくづく実感します。

3学期が終わったということは、5年生もこれで終わり。4月からは6年生になります。6年生とは…いやいや、あの入学式からもう5年も経つのかと思うと、またも「早いなぁ。あっという間やなぁ」の感慨がこみ上げてきます。

終業式だったきのう、モミィはいろんなものを持ち帰ってきましたが、帰宅して一番に「のんちゃん、これ見て!」とうれしそうに通知簿を見せてくれました。
見ると、1学期より2学期、2学期より3学期と、右肩上がりに成績が良くなっていました。まあまあ、よく頑張っているんだ、と思います。

モミィは2月から新しい塾に通い始めてから、勉強に強い興味を持ち始めています。塾の授業がない日でも、自転車にまたがり、「行ってきま~す」と出かけ、自習室で学校の宿題その他いろいろ勉強をしているそうです。と言っても純粋に勉強のために行く、というより、いろいろ聞いてみると、塾に新しい友達が数人出来て、その子たちとワイワイ言いながら、勉強だかおしゃべりだか知りませんが、賑やかに盛り上がっている様子。ほとんど遊び気分で行っているようなものなのかも知れません。

しかしまぁ、僕も妻も「勉強一筋」より、友だちと楽しく過ごす時間を持つことが一番大事だと思っていますので、そんなものでいいかな~という感じです。

きのう、モミィは、通知簿のほかに2つの賞状をもらって帰ってきました。2つとも、担任の先生の手作りのものです。

ひとつは「3学期国語テスト・オール満点」という賞状でした。モミィは国語は前から得意でしたから、学校のテストでもその力が発揮できたというところでしょう。(でも算数と理科が苦手です)

もうひとつの賞状は、「一年間皆勤賞」でした。

この1年間、モミィは無遅刻、無欠席、無早退だったので、それを先生が表彰してくれたとのこと。この賞状をもらったのは、30数名いるクラスの中で3人だけだったそうです。モミィがこの1年間、風邪も引かず(僕はインフルエンザに罹りましたが)、休んだり遅れたりすることなく学校へ通い続けられたことは、本当によかったと思います。

僕は、通知簿よりも、国語満点の表彰よりも、この「一年間皆勤賞」というのが一番うれしかったです。モミィは、健康だけは誰にも負けないものを持っているようです。

元気で規則正しく日常生活を過ごせるということが、何よりの宝物ですものね。

 

 

     
     昨日、もらってきた賞状です
     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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雨のロサンゼルス ~侍ジャパン~

2017年03月23日 | スポーツの話題

きのうのWBC準決勝はまことに悔しい結果に終わりました。2対1の接戦でしたが、さすがアメリカは野球の本場ですね。何となく力の差を感じました。

これで侍ジャパンは4年前と同様、準決勝で敗退。決勝戦はアメリカ対プエルトリコということに。プエルトリコは前回、日本が準決勝で敗れた国でしたね。

きのうの試合は、一口でいえば守備の差が勝敗を分けました。4回に出た菊池のエラーと、8回にランナーを三塁に置いて出たサード松田のポロリが、ふたつとも相手の得点につながり、結局その2点が致命傷になりました。

でも、今回はメジャーリーグの選手を集結させたアメリカを相手に、2点しか与えなかった日本の投手陣の踏ん張りは十分評価に値すると思います。

それよりも残念なのは打線のほうで、菊池が本塁打を放ったものの、侍ジャパンは合計4安打しか出なかった。坂本のヒットはゴロをピッチャーがはじいた内野安打。もう一人の小林はレフト前にヒットを打ったが、これも打球は詰まっていた。たった一人、8回裏に代打で出た内川だけが、うまくライト前に流し打ちをしたヒットらしいヒットでした。ついでに言えば菊池のホームランもバシッとスタンドへ叩き込んだというよりも、よくあのフライがスタンドに入ったなぁと思ったほどです。

あとはもう、中田をはじめ、みんな強引に引っ張ってボテボテのゴロになるか凡フライになることが多く、いい当たり、というのがほとんどなかった。アメリカは、たとえアウトになった内野ゴロでも、バットの芯に当てた痛烈な打球が多かった。ピッチャーの球の威力が違うんでしょうね。試合を見ながら、これではアメリカに勝ち越すことは至難の業ではないか、という感じでした。

まあ、そうは言っても日本にも勝てるチャンスが何度かありました。しかし4番の筒香や5番の中田がヒットを打てば得点…という場面で凡退したし、本塁打を打った菊池も、8回裏、一死2塁のチャンスに空振り三振。これではねぇ。


ところで、昨日の試合は雨が降り続けていた。新聞によると、滑りやすいアメリカの球は、雨で湿気を含むと、むしろ投手は投げやすいそうだ。しかし守備側から見ると、日本人には慣れていない天然芝で、しかも雨だと打球の速度がさらに増すという。菊池のエラーもそれが要因と言われ、松田のポロリは水たまりの天然芝で転がってきた球を補給し損ねたということだ。

やっぱり慣れない場所での試合は、こういうちょっとしたことが命取りになるということでしょうね。雨もきのうの試合の大きな要因だったようです。

しかし、なぜこの時期、ロサンゼルスに雨が降るのか?
(ドジャースタジアムはロサンゼルスにありますので)

去年の年末にロサンゼルスに旅行した時、現地の人が「ロサンゼルスはほとんど雨が降りません」と言っていました。ただ「真冬(1月から2月あたり)には時々降りますが、3月以降はまず雨は降りませんね」とのこと。昨日のテレビ解説者も「シーズン中はロスではまず雨は降りません」と言ってましたしね。

現地の人からそれを聞いた僕は「じゃぁ、ロスでは傘も売ってませんか?」と半分ギャグのつもりで口にしたら「そうですね、お店でも傘はほとんど売っていませんね」と真面目な答えが返ってきました(ほんまかいな?)。

現地の人はさらに「ほとんどのお家は樋(とい)がありません。ほら、あのお家もそうでしょう?」と、車から見える民家を指差した。なるほど。注意して眺めると、日本の家なら、屋根を流れる雨水を受けて地上に流す筒状の樋が必ずあるのに、その家には、確かになかったです。雨がほとんど降らないので、さほど重要な設備ではないのでしょうね。

僕たちはロスへ行ったときは、ずっと晴れていたのですが、帰国の日だけ、雨が降りました。まぁ、冬場の12月末だから、たまには降ることもあるんだなぁ、と思っていましたが、今は3月下旬なので、昨日のドジャースタジアムみたいに雨が降り続けるなんて、話が違うじゃないか、と思いました。

しかもその雨が昨日の日米決選の明暗を分けたと思ったら、つくづく運が悪かったんだなぁ、と思わざるを得ない。実力では確かに劣っていたと思いますが、うまく行けば勝てていただけに、「雨が悪いんや」と、ロスでは降らないはずだった雨に全責任を押し付けることにします(笑)。

侍ジャパンの次の戦いは、3年後の東京オリンピックです。まだ金メダルのない日本ですが、何とか今度こそ優勝してほしいものです。


*余談ですが、

きのうの試合中継はMBSテレビであったわけですが、試合は午前10時からだというのに、テレビ中継はその2時間前の8時から。アメリカでの試合だから、日本時間の何時に試合開始か知らない人もいただろう。そういう人たちが新聞の番組欄を見たら、8時か8時半、いくら遅くても9時頃からは試合が始まるのでは、と思いながらテレビの前に座っていたかも知れない。しかもテレビではこういう場合、視聴者を引っぱるために何時に試合開始かはっきり言わない。

いったい試合開始から2時間ものあいだ、番組では何をしていたのか僕は見ていないから知らないけど、今か今かと待っていた人はイライラしていただろう。視聴率稼ぎだろうが、テレビのそういうところがいやらしいなぁ、と思いました。結局試合が始まったのは予定の10時もかなり過ぎてからでした。

それと、試合に熱中していたら、その試合の最中に「ここでニュースをお送りします」と画面がニュースに切り替わった。試合の様子は画面の下の方に小さく映っているだけでもちろん音声なし。これもどうかと思いました。それも日本の攻撃のいいところの場面なのにね。一生懸命見ている者の身になってみろよ、と言いたいところです。

また「侍ジャパン公認サポートキャプテン」というわけのわからない肩書のついた元SMAPの中居クンは、試合中になんだかんだ言いながら出てくるのだが、わずらわしいだけだった。「筒香選手は〇〇とおっしゃってました」とか「菅野投手は〇〇とおっしゃってました」という口調も耳ざわり。視聴者はただ、今の目の前の試合の行方に集中したいのです。

ぶつぶつ。ぶつぶつ。

 

 

 

 

 

 

 

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高知・中村高校で思い出すこと

2017年03月21日 | 思い出すこと

きのうの高校野球に高知県代表の中村高校が登場した。結果は前橋育英に5対1で負けた。しかし負けてもこの学校は人気がある。愛称は「24の瞳」だ。

中村高校は、かつて12人のメンバーで甲子園に出場し、山沖という好投手を擁して決勝戦まで進み、優勝こそ逃したが、日本中を沸かせた。その時のことは今でもはっきりと記憶に残っているのだが、今回は、40年ぶりの甲子園出場ということだった。これには「げぇっ」と驚いた。
「えっ? もう、あれから40年も経ったのかぁ!」

 …………………………………………………………………………


高知県は、妻の両親(共に故人)の出身地である。
義父は佐川というところの出身だが、義母のほうは中村と縁が深い。今も中村には義母の親戚が多く住んでいるし、妻の兄は中村高校出身で、しかも野球部に属していたそうだ。

そんな縁で、僕も中村を2度訪れている。

最初に行ったのは、四国を自転車旅行をした時だ。

それは1978年のことである。ということは、中村高校が甲子園に出た翌年ですよね(つまり39年前です)。妻の兄が「高知へ行くんやったら、ぜひ中村の身内の家に寄ってほしい。電話しておくから」と言ったので、僕は自転車で高知を通った折にそこへ寄った。身内と言っても何軒もあったが、義兄から教えてもらっていた一番近い身内のおばさんの家に行き、お腹いっぱい土佐料理をよばれ、その日は泊めてもらった。


 
  当時の『国鉄』中村駅の前で。 
  手前が僕の自転車。1978年、29歳の夏でした。


2度目に中村に行ったのはそれから18年後の1996年。
四万十川100キロマラソンに出場した時だった。

この時は、妻と長男が同行した。3人で中村の街を歩いたりしたものだが、自転車旅行の時に泊めてもらったおばさんは、すでに亡くなっておられた。そして、この100キロマラソンのゴール地点が中村高校だった。100キロの距離を走り続け、ついにたどり着いたゴールが中村高校だったから、僕にとっては、この高校はその意味でも忘れがたい。

当時、ここは中村市だったけれど、今は市町村合併で四万十市という市名になり、中村市の名前は消えた。でも、中村高校ががんばっている限り「中村」の名は、これからも忘れられることはないだろう。

それにしても、前回の甲子園出場から40年とは!
ついこの間のことのように思っていたのに。…早いなぁ。

そりゃぁ、年も取りますよね~

 


つけたし

その時のウルトラマラソンの完走証です。 


  

僕のタイムは12時間37分01秒。
出場者783人中458位。
年代別順位は、男子40歳代 305人中184位。
…ということでした。

 

 

 
 
自転車旅行の時のコース。徳島から時計回りに走りましたが、
 左下の赤い丸をつけた「四万十」というのが、当時の中村です。
  

 

 

 

 

 

 

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「森友学園」 わけわからん

2017年03月19日 | ニュース・時事

森友学園に関する一連の「わけのわからないこと」は、話がどんどん広がって、次から次へと新たな人物や問題点が出てきています。そのうえ、安倍首相から100万円の寄付を受けた、という話まで飛び出しちゃって。これ、本当のことなのでしょうか?

籠池のおっちゃんは、時にはしゃべり過ぎ、時にはいっさい無言をつらぬく。どうも捉えどころがない。何を考えているのか、あるいは何も考えていないのか…? 自分をさらけ出し切っているのか、ひたすら隠し通しているのか、それもわからない。そんな人の話だから、次々といろんなことを言っても、それが本当なのか作り話なのか、何がどうなっちゃっているのか、さっぱりわけがわかりませんね。

ところで、わが国では「沈黙は金」という言葉に象徴されるように、よくしゃべる男は軽薄…みたいな風潮がありますが、そうかなぁと、僕は思っています。なぜなら、僕はよくしゃべる人間ですから(笑)。

黙っていれば何となく賢いように見える。しかしそういう人が、たまに言葉を発すると、つまらないことしか言わない、という例も珍しくありません。つまり普段から黙っていれば、自分や周囲をごまかせるのです。

その点、よくしゃべる人はごまかしがきかない。

そしてしゃべることは楽しい。人生の喜びのひとつは何かを表現することであり、しゃべるというはその表現のひとつですものね。

しかし、しゃべるのがいいと言っても、それも程度問題で、ただ機械のようにベラベラと言葉を発して、多弁で自分の内面をごまかす、というのもねぇ。少しは人の話にも耳を傾けなければ。

今回の籠池のおっちゃんの話を聞いていると、この人が、そういう「多弁でごまかす」という処世術を身に着けた人間の典型のように見えるのです。

それと、あの理事長の嫁さんも、何だかクセ者っぽいですね。このおばちゃんこそが、あそこの組織(家族)の真の実力者だったりして。

ちなみに、おばちゃんの旧姓は森友だそうです。あの「森友学園」の森友ですね。元々、あそこの幼稚園は、おばちゃんの父親が経営していたそうですから、籠池のおっちゃんは「マスオ君」ですね。つまり「婿どの」みたいなもんですから、嫁さんには頭が上がらないのでは? 

よう知らんけど(笑)。

今回の問題は、籠池のおっちゃんの嫁さんと安倍首相の嫁さんという、2人の嫁さんが巻き起こした騒動、という見方をしたいところですが、ちょっと無理がありますか?

まぁこの問題の本質は、国有地売却をめぐっての疑惑解明ということで、特に一国の総理が、間接的にではありますが、その関連人物として疑われているという由々しき問題を抱えているので、笑っている場合ではありませんけどね。でも、話がいろんなところに広がって行くと、それに振り回されてしまって本質を見失いそうです。

ともあれ23日に、籠池のおっちゃんの証人喚問があるので、日本中が注目することでしょう。参院予算委員会が午前に、衆院予算委員会が午後に、それぞれ喚問を行うということなので、23日はほぼ1日、この話題に終始しそうで、テレビでも生中継するものと思われます。

しかし…

23日といえば、日本時間午前10時からWBCの決勝戦の日です。むろんテレビ中継もあります。侍ジャパンが前日の準決勝に勝って、この日の決勝戦に進出した場合は、絶対に見逃せない大一番です。テレビ朝日で放送が予定されていますが、同じ日、NHKでは高校野球もあるし、そこへ証人喚問の国会中継が割って入ってくるので、テレビ局もてんやわんやでしょうね~

とは言え、仕事とか家事等でお忙しい方はテレビなど見ていられないわけですが、これも僕が「毎日が日曜日」のお気楽な身だからこそ言ってられることですよね。

毎日、額に汗して働いておられる皆さん、ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

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WBCやら卒業式やら

2017年03月17日 | 雑記

前回のブログで、WBCのイスラエル戦は、5番バッターの中田がキーマンで、彼が打つか打たないかで勝敗が分かれるのではないか、と「大予想」をしたっていうのに、その中田は試合に出ず、最後までベンチの控えだった。な~んじゃ、そら。

ともあれ日本はイスラエルにも勝って、6連勝という過去最高の成績を残して、ロサンゼルスで行われる決勝ラウンドへの進出を決めた。大会前は「これまでで最弱のチーム」と言われながらの大健闘である。

日本時間の22日午前10時から準決勝が行われる。相手はまだ決まっていないが、これに勝てば翌23日の10時から決勝戦だ。あと2勝! これがまた、とてつもなく大変なことですが、優勝出来たら嬉しいんですけどね。

   ………………………………………………………………

昨日は小学校のPTAの通学安全活動の一環として行われる「旗持ち」の当番だった。小学生の通学路の交差点などで、保護者たち2~3人が交通安全の旗を持って立つもので、年に2回くらい当番に当たる。そのうちの1回が昨日だった。

実は当初は3月17日が旗当番だった。しかし先日PTAの方から電話があり、その日は卒業式で、登校するのは5、6年だけなので、旗当番は16日に変更させていただきます、という電話があった。そこで昨日に繰り上がったというわけ。旗持ちのことについては、前回(去年10月)の時に詳しく書いてます。

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/e51afe8933c8f4723a96791e159d3759


さて、そんなことで、今日17日はモミィの小学校の卒業式だ。5年生のモミィも学校で、卒業式のセレモニーやイベントの予行演習をず~っとやってきたという。セレモニーではピアノを弾く役もするそうだ。最近はそれでいろいろと忙しかったようで、昨日は「やっと明日卒業式や」とホッとするように言っていた。

ふ~む。卒業式ねぇ…。
来年の今頃はモミィが卒業式を迎える。
その日もまた、あっという間に訪れそうである。

 

 

 

 

 


 

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WBC 日本 準決勝進出へGO

2017年03月15日 | スポーツの話題

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)といえば、今回が第4回ということである。2006年、2009年、2013年と開催され、日本は第1回と第2回に優勝し、前回の第3回は準決勝で敗れて3連覇を逃し、ドミニカが優勝した。そして今回が第4回の大会ってことだ。

しかし僕の記憶では、もっと多く開催されていたように思っていた。たとえば、星野監督のとき、準決勝で韓国に逆転負けした試合。あれは何だったんだ? あるいはそれより前にも、オーストラリアに敗れた悔しい試合を覚えている。

最近は物事に対する自分の記憶違いや勘違いが増えてきた。よ~く考えてみたら「あ、そうか!」というようなことを毎日のように繰り返している。それでこの野球のことも、よ~く考えてみた。するとやっぱり「あ、そうか!」となって、謎は解けた。あの星野ジャパンの屈辱の敗北は、WBCではなく、オリンピックだったんだ。つまり2008年の北京五輪大会でのことだった。これに勝てば決勝進出という大一番で、最も負けたくない相手・韓国と当たって逆転負けを喫した。あれは誰が見ても星野監督の投手起用のミスだった。

(その時ボヤいた8年半前のブログです
http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/f1734db03e6dbde3b07d27f19c240690

ともあれ、1992年のバルセロナ五輪から、2008年の北京五輪まで、5回にわたって野球競技があったのだ。だが、日本は銀1つ、銅2つで、一度も優勝がない。オリンピックとWBCの大会が頭の中でごちゃごちゃになっていて、「えっ? WBCはまだ過去3回しか開催されていないの? しかもそのうち日本が2回も優勝?」などと思ってしまったのである。

さて、今回のWBC。日本は1次ラウンドで3連勝。2次ラウンドでも、オランダを延長戦で破り、昨日のキューバ戦でも激戦を制した。大会前はイマイチのように伝えられていたが、ここまで5戦全勝。一方の韓国は1次ラウンドで敗退するという、まぁ、僕としてはスカッとした展開となっている。

そうして今日イスラエル戦があるが、これに勝てば文句なし。たとえ敗れても、いろんな状況から見て、ロサンゼルスで行われる決勝ラウンドに進出する可能性がかなり高い。でも、やっぱり負けちゃ駄目だよね。

イスラエルってそんなに野球が強かったっけ? というイメージだが、米大リーグの選手も多いとのことで、強敵に違いなく、また今夜7時から、テレビの前に釘付けにならなければならない。がんばれニッポン!

 …………………………………………………………………………

WBCで一番思い出に残っているのは、2009年3月の大会だった。僕にとって38年間の現役生活の最後の年の最後の月。残りわずかで定年退職を迎えるという時に行われた大会だった。

ご存知の方も多いと思うが、日本は決勝に進み、相手は宿敵の韓国。一時は3対1とまでリードしたのに、8回裏、9回裏と1点ずつ取られて同点にされ、延長戦に持ち込まれた。そして延長10回の表、チャンスを迎えたところで登場したイチローが、センター前にはじき返し、それが決勝点となって日本が優勝したという試合である。まぁそれでも、そこに至るまで、いろんな局面があり、嘆いたり喜んだりしていたことが、当時のブログを読むと、よみがえってきます。

☆WBC・日本 トホホの0点(2009年3月9日)
http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20090309

☆WBC・はらたつのり(3月18日)
http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20090318

☆WBC・おらほの岩隈(3月20日)
http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20090320

☆WBC ・日本連覇!(3月25日)
http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20090325


ということで、今回も、こういう結末になればいいと思っています。ただ、昨日のキューバ戦でヒットを打ったのは、山田と筒香ら4人だけ。あと、中田や坂本はじめ、他の選手はノーヒット。ちょっと打線が片寄っている感じで、特に5番の中田は、これまでの活躍がウソのように、昨日は全然ダメでした。4番の筒香が3打数3安打だったので、よけいに目立ちます。今日のイスラエル戦は中田の出来が勝敗を分けるのではないか…な~んて、評論家のようなことを言ってますけど、とにかく勝って文句なしにロス行きを決めほしいです。

 

 

 

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侍ジャパン キューバに勝った !

2017年03月14日 | スポーツの話題

いやぁ、侍ジャパンが勝ってよかったですね~  

いま、終わったばかりです。

日本が同点に追いついてはキューバに引き離され、追いついては引き離されるというじれったい展開で、どうなることやらと思いながら、最後まで見ていました。

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)二次リーグの日本対キューバ戦。現在、午後10時40分ですから、3時間半、テレビの前にくぎ付けでした

1回、いきなり山田の先制ホームランで動き出したこの試合。2回表、キューバにすぐに逆転されて2対1。しかし日本はしっかり追いつき2対2。だが、4回表に満塁から適時打を打たれて4対2と再びリードを許す。それでも日本はしくこく、4対4に追いついた。2回表、4回表と偶数回に2点ずつ入れたキューバだったが、また次の偶数回である6回表に1点を入れて5対4とリードした。でも日本も粘って1点を入れ、5対5と三たび同点に追いついた。で、8回表、キューバお得意の偶数回が巡ってきたが、しかしこの回は0点に終わったのだった。

そして日本は8回の裏、一死後、その前は三振振り逃げで塁に出た松田が、今度は相手のエラーで出塁(ツイてますね~)したのをきっかけに、代打の内川の犠牲フライでついに6対5と勝ち越し。そしてその直後、さらにすごいことが起きる。

初回に先頭打者ホームランを放った山田が、またもレフトスタンドに2ランホームランを叩き込んだのだった。これで8対5だ。

ジャジャジャジャ~~~ン。

最後は下手投げの牧田投手がキューバを三者凡退に打ち取り、めでたくゲームセット。

ま、今日は山田で始まり、山田で終わった試合でしたね。

いつも10時には布団に入っている「良い子」の僕ですが、今はもう11時を過ぎました。明日、このことを書こうと思いましたが、コーフンして明日まで待てないので、少しだけ書きました。

では、おやすみなさい。

詳しくは、また明日~

 

 

 

 

 

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心房細動の現状ですが

2017年03月12日 | 心と体と健康と

昨日書いたように、今は「心房細動週間」の真っ最中なんですが、僕自身の心房細動について少し書いてみたいと思います。

症状は半年前ぐらいから少し悪くなってきて、深夜に目を覚ました時とか、明け方から朝にかけてとか、夕方とかに、わりに発作が出て動悸がします。最近、医師に言ってこれまで1日2錠だった不整脈の薬を3錠に増やしてもらい、おかげで昼にビールなどを飲んだりしない限り、少しマシになってきたかなぁ…という気がしていますが。(それでも昼に飲む時がありますけど。トホホ)。

午前中のスポーツクラブでの水泳も、休憩を多い目にとりながら、1時間近く泳いでも滅多に心房細動は起きないので、ありがたいです。ただ、先日、久しぶりにランニングをしたのですが、この時は、午後から調子悪くなりました。ウオーキングだったらほぼ大丈夫なんですけどね。でも、山歩きのように、上り坂がきつかったり、周囲に何もない所は、怖いので行きません。心房細動が出ても、街の中の道なら安心ですが、人里離れたところではねぇ、心細いですから。それと、ウオーキングには、だいたい電車の駅が射程距離内にあるコースを選びます。いざとなったら電車で帰れますからね。

で、1人で歩くのはいいのですが、グループで歩いていると、心房細動が出た時、それが山道だったりすると最悪だし、普通の生活道路でも、自分だけ速度を緩めたり休憩したりすると他の人たちに迷惑がかかってしまうので、行かないようにしています。やっぱり集団行動には気を遣いますね。

それでも、歩きながらいろんな風景を楽しみたいので、1人ではよく歩きに出ています。1人だと、何の気兼ねもなく出かけられますので。

昨日も、昼から約4時間半、古市古墳群を巡るウオーキングをしてきました。あちらこちらで、梅の花が綺麗に咲いていました。とはいえ、北風が強く、向かい風の時は思いっきり寒かったし、帰宅間際にはさすがに体力を消耗して疲れ切ってしまいましたが、気分は満足でした。

この心房細動については、薬では完治することはないので、医師から手術(カテーテル・アブレーション)も考えるように、というアドバイスを受けていますが、どうしても10年前の近大病院での手術の失敗がトラウマになって、決断がつきません。

「10年前に比べると、手術の技術も格段に進歩していますから」
と、医師は暗に「大丈夫」と言ってくれているのですけどね~

 

 

 

 

 

 

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大阪女学院で模擬試験

2017年03月09日 | 日常のいろいろなこと

3月5日の日曜日に、モミィが「五ツ木の模擬試験」を受けるため、3人で試験会場である大阪女学院という学校へ行った。そこは中央区の玉造にある。

玉造といえば、去年の大河ドラマ「真田丸」の舞台となった所でもある。駅前の商店街には今でも「真田丸」の六文銭の幟(のぼり)や、堺雅人の真田幸村の大きなポスターが、あちこちにある。大阪女学院は「真田丸」があったとされる場所に近い上町台地の小高い位置にある。

こういう類の模擬テストを受けるのは、モミィは初めてである。算数、国語、理科、社会の4科目で、時間は8時半から正午まで。

この日、大阪女学院で模擬試験を受けたのは、4月に小学6年生になる子と5年生になる子の2学年で、すべて女の子だった。

女学院の正門をくぐり、受付場所でモミィと分かれ、僕と妻は「保護者控室」である教室へ向かった。そこで本でも読みながらゆっくり過ごすつもりだ。教室へ入る前、トイレに行こうと矢印の方向へ歩いて行くと、女子トイレしかない。近くにいた教員らしき男性に「男子トイレはどこですか?」と聞くと、「2階です。ご不便をおかけしますねぇ、何しろ女子校なもので」と恐縮しておられた。

薄暗くて誰もいない2階へ上がると「男子職員用トイレ」があった。そういえば、いつか英検の会場が女子校で、そこでも男子トイレを探しまわったことがあったっけ。


さて、保護者控室(教室)に案内されてからしばらく経つと、教員の方だと思うが、菅直人元首相に似た顔の男性が、保護者達にあいさつをし、続いて大阪女学院の校長先生のお話があり、それが終わったら、再び菅さん似の男性が前に立ち、「これから大阪女学院についての説明をさせていただきたいと思います。無理にお聞きいただく必要はありませんので、隣の教室のほうへ移動してもらって結構です。どうぞご遠慮なく」と丁寧に言うので、大阪女学院に興味もなく、本を読みたかった僕は、隣へ行こうと思った。妻は「私はここにいるから」と言った。

しかし、他の保護者たちは、誰一人として隣へは行かなかった。これでは、一人だけ席を立って教室を出て行くのは目立ちすぎて恥ずかしい。じゃぁ話を聞いてみるかと、そのまま座っていることにした。

そんな軽い気持で聞き始めた話だったけれど、約1時間、菅さん似の男性の、軽妙でユーモラスな語り口にどんどん引き込まれて行った。モミィの中学受験を1年後に控え、大いに参考になる話が満載で「ふ~ん、そうか」と感心の連続。とても勉強になった。

まぁ学校の宣伝であることには違いなく「ぜひこの大阪女学院も、お嬢さんたちの中学受験の選択肢のひとつとしてお考えいただけたら幸いです」という言葉で締めくくられていたけれど、それでも話の内容は「学校自慢」だけではなく、客観的な話も幅広く盛り込まれ、いろんな意味で興味深かった。

この大阪女学院というのは、中学、高校、そして短期大学(英語科)と大学が、すべてこの敷地内にある。大阪のど真ん中にある場所で、周囲はビルやコンクリートばかりの中で、このキャンパスだけが豊かな緑に包まれて、まるで別世界のように見えた。

そして、ここが英語に力を入れている学校だということも興味深かった。僕は、英語をモミィの「得意技」にしたいと思っているし、本人も英語はお気に入りのようなので。

一流大学を目指して優秀な私立の中高一貫校に入るには、今のモミィにはない相当の学力が必要だし、受験勉強もメチャ厳しい。中には受験が近づくと小学校を休み、塾で集中的に受験勉強をするという子も珍しくないそうだが、学校を休んでまで受験勉強ってねぇ。そういうことは、僕はさせたくないですね。ま、好き好きですが…。

ところで、英検の3級の資格を持っていると入学金を免除とか、準2級だと授業料の全額免除とかという中学校もある。この大阪女学院では、中学入試時、英検3級以上の資格があれば合格基準が少し変わるそうである。つまりテストの点数が多少低くても合格が可能ってこと。(ま、あくまでも「多少」ですが)。3級を持つモミィにとっては、耳寄りな話である。

…ということで、今はいくつかの選択肢がある。

モミィの通う英語塾では、「志望校は早く決めた方がいい」と言い、もう一つの学習塾の先生は「いろんな選択肢を持って、夏ぐらいに決めれば」と言う。妻も僕も後者に賛成である。

僕らの子供の頃は、勉強ばかりしている子を「ガリ勉」と呼んでいた。今はそんな言葉が使われているのかどうか知らないが、モミィを「ガリ勉」だけにはさせたくない。まぁ本人も「ガリ勉」になるほど勉強熱心じゃありませんしね。

あ、そうそう。モミィが試験を終えて出てきたとき、「どうだった?」と尋ねたら、「むずかしかったわ~。全然あかん」と言ってました(笑)。ええがな、ええがな。それで自分の力がわかるんだから。

帰り道、「がんこ寿司」の店があったのでそこに入りました。で、モミィはお寿司と天ぷらを食べて上機嫌。僕もお造りや小エビの唐揚げなどをアテにビールを飲み、気分上々。お天気もよかったし、模擬試験の付き添いというより、なんだか大阪女学院へ遊びに行ったような1日でした。

 

ちなみに女優の北川景子さんは、大阪女学院の中学・高校出身だそうです。

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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夫は妻のことを何と呼ぶ?

2017年03月07日 | 雑記

安倍首相が、衆院予算委員会で「森友学園」に関することに答弁しているのを聞いていて、ふと思ったことがある。話の本質とはゼンゼン関係ありませんけど。

安倍首相は当初の答弁では昭恵夫人のことを「家内」と呼んでいた。例えば、
「土地の売買については私も家内も事務所も、一切関わっていない」
という具合。

それが、しばらくすると「私の妻は…」に変わった。あれは何でだろう?と、少し気になった。たぶん、普段は家内と呼んでいるのだが、国会答弁で使う言葉としてはふさわしくない…と自分で気がついたか、誰かから提言があったからか知らないが、それで言い方を変えたのだろうか。

「家内」という言葉は、女性は家の中で家事をするもの、という昔のイメージが漂う。女性の地位向上をスローガンの一つに掲げる安倍首相が、国会で「家内」と言ったとき、僕はいささか違和感を覚えた。こういう呼び方はよろしくないのでは、と思っていたところだった。それがある時点から「妻」に言い換えるようになったので「そうだよね」と得心したのでした。


自分の妻をどう呼ぶかについては、僕は以前から興味がありました。

大阪では「うちの嫁さん」とか、年配者になると「うちの嫁はん」、もっと年寄りになると「うちのおばはん」「うちのおかん」などと言う(笑)。最近では若い人が「うちの嫁」と言うのが増えてきている。でも「嫁」って、姑が息子の妻に対しての用語では? ま、言い方は時代と共に変わってきますけどね。

ほかにもいろんな呼び方がある。刑事コロンボじゃないが「うちのカミさん」とか、一昔前は「うちの女房」が主流だった。しかし、正式に、といえば「妻」である。戸籍には「妻」って書いてあるんだもんね。「嫁」とか「女房」とか、書いていませんよね。ただし、くだけた会話の中では「妻」とは言いませんしね。あくまでもスピーチの時や文章に書く時の話ですけど。

余談ですが、ある時モミィが「妻」という漢字を見て「どく(毒)」と読んだので、大笑いしました。…というのはウソです。すみません(何だそれは?)。

で、僕の場合は、人との会話の中では「うちの嫁さん」と言い、ブログでは「妻」と書いています。ある方のブログには、奥さんのことを「おっ家内」と書かれており、笑いました。そういえば、
「いい家内 10年経ったら おっ家内」
というサラリーマン川柳がありましたっけ。

ところで、最近目立つのが「奥さん」と言う人が増えてきたこと。人の奥さんでなく、自分の妻を「うちの奥さん」と呼ぶんですよね。テレビのタレントなど「うちの奥さんがね~」というのがどんどん増えてきている。女性(妻)を尊重して言っているのか、妻が怖いのか(笑)、何となく格好いい言い方と思っているのか、仲のいい夫婦であることをアピールしようとしているのか、知りませんけどね。夫婦の離婚が急増している今日、一方では夫が自分の妻を「奥さん」と呼ぶのが増えているんですよね。これも一種の流行かも知れませんが。

ただ、僕が愛読する村上春樹さんは、以前からず~っとエッセイで、自分の妻のことを「うちの奥さん」と書いている。それで一時、僕も真似をしてブログに「うちの奥さん」と書きたい衝動に駆られたけれど、やめました。春樹さんは僕と誕生日が3日しか違わない同世代ですが、おしゃれな人気作家・村上春樹だからこそ似合うわけでね~(何ごとも、人によりますねん)。


とまぁ、妻をどう呼ぶか、というお話でしたが、逆に妻は夫をどう呼ぶか、という話もしなければね。ま、たいては「うちの主人」でしょうけど。

でも、先日もご紹介した下重暁子さんの「家族という病」という著作の中で、「日本人の女性のほとんどは夫のことを主人と言うが、自分は絶対にそう呼ばない」という一文がありました。まぁ、主人という呼称自体、「家内」の対応語みたいなもので、家庭では男が主役である、ということを字で表しているようですが、習慣として定着している呼び方であり、実際には夫を尻に敷いている妻も、人には「主人」と言うわけですよね(笑)。

じゃぁ下重さんご自身は夫のことを何と言っているかというと「つれあい」だそうです。本の中でも何度も「私のつれあいは」という言葉が登場していた。そういう表現も、これからの時代、増えていくのではないでしょうか。

僕が通うスポーツクラブでは、ほとんど年配の女性ですが、たいていは「うちの主人」と言いますね。中には「きょうはうちの亭主が不在だからお昼ご飯作らなくていいわ」という「亭主」という懐かしい言葉を使う人もいます。

また、若い女性の中では「今日は『旦那』が子供をみてくれています」と言う人もいました。同じく若い人は、配偶者を「パートナー」と呼んだりしています。これからは、こういう響きのいいおしゃれな外来語がさらに数多く使われていくんでしょうね。

外来語と言えば、「夫」は英語で「ハズバンド」。
最後にサラリーマン川柳をもうひとつ。

「ハズバンド ハズをとったら ただのヒモ」

「なんのこっちゃ話」を、ついダラダラと書いてしまいました。

失礼しましたぁ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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