僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

竹内結子さんと 「半沢直樹」 のこと

2020年09月29日 | 映画の話やTVの話など

女優の竹内結子さんが「自殺」されたというニュースは本当に衝撃的でした。昨日・今日と、ワイドショーなどで大きく取り上げられ、多くの著名人たちが哀悼の意を表しておられます。

竹内結子さんといえば、特に印象に残っているのは4年前の大河ドラマ「真田丸」での淀殿(茶々)の役でした。あの時、竹内さんの淀殿がとてもよかったので、大阪の梅田近くの淀殿の墓まで行って、その様子をブログに書きました。

   淀殿の墓 ~太融寺~

そのブログの冒頭に「真田丸」の竹内結子さんの画像を載せました。

  
淀殿は真田幸村に、
「私たちは不思議な糸で結ばれています。そして私たちは同じ日に死ぬの」
と言う。忘れられないシーンです。

あれから4年が経ったんですね。

その「真田丸」で、真田幸村役で主演していたのが堺雅人さんでした。

そして
竹内結子さんの死去が報じられたその日。午後9時から、その堺雅人さん主演の人気絶頂ドラマ「半沢直樹」の最終回が放送されました。

「半沢直樹」の最終回の日に、竹内さんの訃報が伝えられるとは
何という巡り合わせなのでしょうか? 

そして「半沢直樹」の最終回も、例によって歌舞伎そのままの大仰な身振りやセリフで最終決着がつきました。ま、このドラマは理屈抜きで面白いですけどね。

「半沢直樹」の第一シリーズは7年前に放映され、大ヒットしました。これも僕は熱心に見ていました。その最終回に「半沢ネタも最終回です」というブログを書いています(2013年9月)。

ところで、
今回の「半沢直樹」最終回で、心に残るセリフがありました。
妻の花(上戸彩)が、銀行をクビにされかけていた直樹にこう言ったのです。

「直樹、今までよく頑張ったね。ありがとう。(中略)。仕事なんかなくなったって生きてればなんとかなる。生きていれば、なんとかね」

というセリフです。

「生きていれば、なんとかなる」

いい言葉だなぁ、と、その場でメモしましたが

そのとき、
竹内結子さんのことが、
ふと、頭をよぎりました。

竹内結子さん。
本当に残念です。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飲み過ぎは体に毒 わかっちゃいるけど~

2020年09月27日 | 心と体と健康と

きょう午前8時半過ぎ、「サンデーモーニング」を見ていたら、女優の竹内結子さんが亡くなったと報じられた。自殺らしいとのこと。まだ40歳。しかも今年1月に男の子を出産したばかり。詳しいことは分かっていませんが、何ともショッキングな訃報でした。

  …………………………………………………………………………

では気を取り直して。
25日に行った病院での心房細動(不整脈)の話の続きです。

診察室に入ると、担当医から「調子はどうですか?」と、いつものように尋ねられた。だいたい「まぁまぁです」みたいな返事をするのだが、最近、少し心房細動の発作が起きることが多くなっているので、そのことを伝えた。

ホント、なぜか近頃よく心房細動が出る。特に深夜、何となく息苦しくて目が覚め、左指を右手首に当てて脈を確かめると、不規則な脈拍になっている。トトトトトっと頻脈が続いたと思ったら、トン・トンと、今度はゆっくり脈を打ち、またトトトトっと脈が速くなるという具合。もう長い間経験してきているので、ある程度は慣れたけれど、でも、心臓がモヤモヤして、しんどい。

で、そういう現状を医師に伝えたわけです。

僕の話を聞いた後、
「お酒のほうは、どうですか?」
と医師が言った。
僕がお酒好きなことは医師も知っている。
僕は、
「えぇそうですね。この頃ちょっと増えてますかね~。ムニャムニャ
と答えるしかなかった。

血液検査で肝臓のダメージ度を測る「ガンマGTP」の数値が高かったりしているので、日頃から「お酒はなるべく控えてください」と言われていた。

でもここ数ヵ月、コロナのこともあって、一時は控えていた飲酒量もまた増えていた。

そのことを正直に伝えたら、医師は、
「飲酒が心房細動を引き起こす原因になるケースも多いです。あなたの場合はその典型のようだし」
と言った後、
「むしろ、わかりやすい体ですよね」
という意味のことを言われた。

ハイ。わかりやすいです。
つまり、お酒を控えるか、やめるかしたら、心房細動も起きにくい、ということですよね。わかりやすいです!

これまで、他の医師らにも何度か同じことを言われてきました。

それで、何度も禁酒したり、節酒したりして、様子を見てきましたが、最近また家で飲む量が増えてきたっていうわけです。

折も折、元「TOKIO」の山口達也が飲酒事故を起こし、それが盛んに報道されて、最近はアルコール依存症についてもあれこれ報道されています。それを見ながら、自分もアルコール依存症かな~と思ったり、いや、この程度じゃそんなことはないで! と思ったり。

そういうようなことで、
心房細動が頻繁に起きるのはつらいし、しかし、お酒をやめるのもつらいし、という悩ましい日々を送っている次第です。

ところで、病院へ行った翌26日、つまり昨日ですが、未明からまた心房細動が起きて、昨日のブログにも書いたように、午前11時過ぎの時点でもまだ続いていたのですが、なんとそれは深夜まで続き、今朝の未明3時半頃にやっと収まったという次第です。およそ24時間、不整脈が続きました。
もう、イヤ!

で、その時は「もう二度と酒は飲むまい」と思うんですけど、心房細動が収まってしまえば、またその気持ちが緩むんですね。

まぁ、お酒をやめなくても、量を減らせばいいんだから
な~んて思いながら、何度もそれに失敗してきた自分がいます。

大昔のクレイジーキャッツ・植木等の歌がありましたね~

ちょいと一杯のつもりで飲んで、いつのまにやらハシゴ酒~」
というスーダラ節。
これを毎日のように思い出す日々です。

つまり、
わかっちゃいるけどやめられねぇ~
ということですわ。

お酒の好きな人って、みんなそうなんですよね。たぶん。

やれやれ。
今だにお酒に関しては、何の結論も見いだせないままです。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大雨の中 2ヵ月半ぶりに病院へ

2020年09月26日 | 心と体と健康と

昨日の朝、定期的に通う病院の予約日だったので、7時過ぎに家を出た。台風の影響か、外は大雨でおまけに強風だ。駅まで歩いて20分近くかかるが、こんな状況では傘を差していてもびしょ濡れになりそうなので、バスで行こうと思ったら、バス停の屋根が小さくて雨除けにならない。「ダメだこりゃ」と、長介さんのセリフを吐いて駅まで歩いた。ズボンもリュックもびちょびちょになった。

2か月半に一度しか行かない病院なのに、何もその日にこんな悪天候でなくても良さそうなものなのに、とぶつぶつボヤきながら各駅停車で約15分、電車に揺られて病院へ行った。すると

いつもは朝から大勢の患者さんたちが詰めかけているのに、この日はその半分もいなかった。「????」。そうか、雨のせいで少ないのか~。

おかげで長時間待つことはなく、診察を終え、薬をもらい、いつもよりかなり早い時間に病院を出た。行く時には「くそっ、イヤな雨やなぁ」と空をにらんでいたのに、帰る時は雨に感謝する僕でした。ええ加減なもんですわ。

ところで、この日は病院に入る時、入口に女性職員の方が2人立っておられて、「おはようございます。検温させていただきます」
と、体温を測る器具を僕のおでこに当て、
「36度4分ですね、ハイ、結構です」
と言って中へ入れてくれた。前回ここへ来たのは7月3日だったけど、その時はそういうことはなく、自由に院内に入ることができた。

では、もし僕に7度5分程度かそれ以上の熱があったら、どうなるの? 
きょう僕が受けるはずの循環器内科の診察は受けられないの?
そのあと、たまたま待合で顔見知りの女性に会ったので、彼女にそのことを言うと、「何か、発熱外来とかいうのがあって、とりあえずそっちへ行くことになるということかな。詳しくは知らないけど」ということでした。

いずれにしても今の時期、うっかり風邪も引けないし、もちろんインフルエンザなんかにかかったらそれこそ大変だ。

大阪府では10月から65歳以上の全府民を対象に、インフルエンザワクチンの接種を無料にするとのこと。いいね~。さすが、吉村知事。
10月になったらぜひ予防接種に行こう。

皆さま、(耳にタコでしょうけど)マスク、手洗い、うがい、三密回避などで、インフルエンザやコロナに感染されないようご注意ください。今朝のニュースではインフルエンザとコロナの同時感染する人もいるとか。インフルエンザで免疫力が落ちている時にはコロナにかかりやすいそうです。あぁこわ!

と、きょうは大雨とインフルエンザとコロナの話になりましたが、実は最近、心房細動(不整脈)が起きることが多くなり、昨日の診察で医師にそのことを伝えました。こちらのほうを詳しく書こうと思ったのですが、今(午前11時過ぎ)も心房細動が起きていて、少し息苦しいので、今日はこれで終わります。

医師とのやりとりの内容については、次回に報告します。

            

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに阿部野までウオーキング

2020年09月23日 | ウォーク・自転車

このブログで初めて新型コロナウィルスについて書いたのは
今年の1月25日のことだった。

       

  「新型ウィルス、大丈夫か?」

その時「日本国内で3人目の感染者が出た」と書いています。その程度だったのがその後、これほどまで大変な事態になるとは、全く想像もできなかった。

あれから8か月。その間、心配性な僕は、一度も繁華街に出ることはありませんでした。妻とモミィは、何度か電車で阿部野まで行き、買い物をしたりしていましたが、僕は行っていません。

そうこうするうちに、最近は感染者数も減り始め、停滞している経済の再生もはからなければならない、ということで、4連休の前の19日から、いろんなイベントの開催制限が緩和されたし、人の移動も増えましたね。今日のニュースでは、全国各地の観光地に大勢の人々が集まっている光景が映し出されていました。

僕は、そんな旅行や観光地巡りにはまだ意欲は湧きませんが、久しぶりに繁華街には出たくなりました。そして連休2日目、22日の日曜日、妻とモミィがまた阿倍野へモミィの服を買いに行く、と言ったので、僕も阿部野へ行くことにしました。ただし僕は2人と違ってウオーキングです。

わが家から阿部野まで、距離にして15キロぐらい。この日は曇りがちで気温もそれほど高くなかったので、歩きやすい感じでした。まず僕が先に、午前9時半に家を出て、阿部野で落ち合うことに。

ウオーキングは毎日続けていますし、10階建ての府営住宅の階段を4~5往復する「朝トレ」も、始めてからもう1ヵ月以上経ちます。だからコロナで脚力が落ちたということはないと思いながらも、無事に15キロ先の阿倍野まで歩けるか、と少し心配でしたが、結局3時間かけ、12時半に阿部野へ着きました。

歩き始めた時は、大和川の堤防コースで人影の少ない場所だったので、僕はマスクをはずしていました。しかしだんだんと市街地になるにしたがって、歩いている人もマスクをつけた人が多くなり、阿部野が近づいてくるとほぼ100パーセントの歩行者がマスクをつけていたので、僕もあわててつけました。外を歩くときはなるべくマスクを外したいのですけど、仕方ないですね~

キューズモールというところで妻とモミィと合流し、3人で、昼食の場所を探しました。しかしこの日はどの店も超満員。ずら~っと行列ができている。比較的空いていると思われる「MIO」の10階の食堂街に行ったのですが、ここも、エレベーターに乗る時点から超満員。やっと10階にたどり着き、これまでもよく行った「北海道」というお店へ行ったのですが、ここもふだんと違ってメチャメチャ満員。外の椅子に、順番待ちの人たちが並んで座っている。

いやぁ。ほかの店も同じような賑わい。僕らはこの「MIO」の10階がこれほど大混雑したのを見たのは初めてでした。やはりこの4連休は、どこも多くの人出だったんですね~

で、「北海道」で待っていて、30分ほどしたら名前を呼ばれて店内に入り、僕は鶏肉タルタルソースの単品を頼んで瓶ビールを2本飲み、モミィは「鮭といくらの親子丼」を注文して美味しそうに食べていました。

 
 鮭とイクラの親子丼。
 モミィはとにかく海鮮系が好きなんです。

モミィはこの時すでにスカートを一着買ってもらっていましたが、まだまだこのあとも買いたいものがあるというので、食事を終えて、2人と別れました。

僕はそのまま電車に乗って帰ろうかな、と思ったのですが、まだ歩けそうなのでまた来た道を歩いて戻り、1時間半ほど歩き、針中野というところで電車に乗りました。

歩いた時間は行きが3時間で帰りが1時間半。合計4時間半(距離にして25キロ近く)歩くことができたのは、よかったなぁと思っています。

コロナ禍の期間、これだけ長い距離を歩いたことはなかったので、
今回、久々にこのウオーキングが達成できたのは、何よりでした。

これを機に、とりあえず、
大阪市内のウオーキングをまた再開したいと思います。


 
  せっかく買ったこの本も、
  活用しなければね~

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

むかしむかしのモミィのお手紙

2020年09月21日 | 日常のいろいろなこと

古い日記や手紙、マラソン・サイクリング・旅行等の資料、メモ書き、新聞切り抜き、各種パンフレットその他、何でも収納ボックスやファイルに入れてそのまま何年も、いや何十年も放置してきました。最近になって少しずつそれらに目を通して、整理しているけれど、それにしてもいろんなものが出てきます。先日のブログに書いた「知床で会った人~胸のときめき~」の律子さんからの手紙もそのひとつで、何十年ぶりかに読みました。

で、先日もファイルに入っているパンフレットのようなものを引っ張り出して一つひとつ見ていると、これまた実にいろんなものが出てきました。

たとえば、

  
これは京都円山公園の中にある「いもぼう平野家本店」というお店のチラシ。300年伝わる海老芋などが名物の有名なお店で、10年ほど前に一度行った時にもらって、そのままファイルに入れていたんですね。

また、


 
これは母の納骨の時に一心寺でもらってきたものです。


モミィに関するものでは、

 
モミィが小学校1年生の時に出演したヤマハ音楽教室の発表会のチラシです。このころは、この種のエレクトーンの演奏会が頻繁に開かれていました。

そしてそれらの中に、こんなモミィの「お手紙」が混ざっていたのです。

  

文字を覚えたばかりの頃(幼稚園? 小学1年?)の時に書いたものだと思いますが、字がわかりにくいですね。右下の方を見ると、「のんちゃん。のんのん」なんていう言葉が出てきています。

  

  
さて「お手紙の」全文を読みますと

わたしたちの がこう(学校?) いきかえり なかわ 
しんぱいしないで べんきょうわ まじめに
あそぶときわ すなおに あいさつわ きちん
と やてます じこにちゅういして とび
ださないで いってるよ のんちゃん。 のんのん
のぼる、おじいちゃん。のぼるおじいちゃん
“ だいすきンだよ / /

と書かれています。
意味不明な言葉や、記号か何かよくわからないのもありますが、まぁ、面白いと言えば面白いです。

これは捨てずに、もう少し置いておこうと思います。

 

 
 このお手紙を書いてくれた頃の写真です。

ちなみに中三の現在は、僕のことを「のぼるん」と呼んでおります。
「のぼるん、おはよう。のぼるん、行ってきま~す」みたいなね。
時々「のぼるんるん」と言って、アハハハと笑ってます。
自分で言って自分で笑って。お気楽な人ですわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

47都道府県でホラを吹いてきた大臣??

2020年09月19日 | ニュース・時事

菅さんの新内閣発足に伴って、新旧の閣僚の事務引継ぎが17日行われたそうです。北村誠吾という、前の地方創生担当大臣が、後任の坂本哲志という人に引き継いだ際、こんなことを言ったそうですね。

「47都道府県を回って相当ほら吹いてきましたから。後の始末をよろしくお願いします」
だって。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d959d75e5565e11286cd5bd31a5465d4e83e6c43

「(これまで日本全国で)相当ほらを吹いてきた」だって? 
冗談でもそんなこと言うか? 
また冗談を言う場でもないし。

この北村という人は、これまでも予算委員会などで、事務官にメモしてもらったものばかり読み、時間はかかるわ答弁はちぐはぐだわで、蓮舫議員から「あなたはいったい何のためにいるのですか?」と言われたのは有名な話だ。

見かけもボ~っとしています。見かけはボ~としているわ言うことはチグハグだわ、では救いようがない。こんな人が大臣をやっていたとは。まあ、やめていく人で良かったけど。でも、他にもいそうですね、こんな大臣が。

もう一つ、これは笑い話ですが、副総理で財務相の麻生太郎さんです。麻生派の派閥の会合の様子がテレビに映っていましたが、演壇で「菅(すが)内閣のことを「菅(かん)内閣」と読み間違って会場から失笑が漏れ、指摘されると「あぁっ」と笑ってごまかして「菅(すが)内閣」と訂正した。しかし、しばらくするとまた、「菅(かん)政権」と読みました。なに、それ? 2回も間違う? 笑わせようと思ってワザとやったの? お笑い芸人ではないんだからね。

官房長官を長い間やってきた菅さんに対して、麻生さんは名前も満足にロクに読めでいなかったのかと不思議ですね。まさか耄碌(もうろく)してきたのでは。

ほかにこれと言って頼れる政党がないとはいえ、
自民党も本当に大丈夫なんでしょうかね?

国のかじ取りを任せておけるか心配です。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅新総理の誕生と岸部シローの死と

2020年09月15日 | ニュース・時事

自民党の総裁が菅義偉(すが・よしひで)さんに決まり、明日の臨時国会で新総理に就任するということです。今日のニュースはそればっかりでした。

71歳の菅さんは、僕と同い年なんですよね。

これまで僕は、自分は若い若いと思いながら、いつの間にか年を取ってきていることにびっくりすることが何度もありました。昔は、‭その辺にいた誰もが僕より年上で、バスの運転手さん、電車の車掌さんらも、もちろん年上。み~んな僕から見て、おっちゃん・おじいさんでした。それが

自分が年を取っていくにつれて、それまで「年上のおじさん」だった人たちが同世代に、そして今ではほとんどが年下の世代になっています。

忘れられないのが、安倍さんが総理大臣に就任した2006年でした。当時僕は57歳で、安倍さんは52歳でした。自分より5歳も年下の人間が総理大臣になったと知った時はホント、びっくり仰天でした。げぇぇぇぇ~~! という感じ。自分はもう、そんな年齢になったのかという脱力感みたいな感じでした。

その後、また福田さんやら麻生さんやら鳩山さんやらが総理大臣になりましたが、僕よりは年上でした。

そして今回は、僕と同い年の菅さんが総理ということになりました。自分と同い年の総理大臣というのは、きっと菅さんが最初で最後でしょうね。これからは、どんどん若い人が出てくるはず。71歳というのは、もうギリギリの年齢かもしれません。

そんなことを思っていたら、きょう、元タイガースの岸部シローさんが亡くなったというニュースが流れました(僕は沢田研二がいたタイガーズの大ファンでした)。シローさんはずいぶん前から体を壊し闘病生活を送っていたのは知っていたけど、この度心不全で亡くなられたということでした。この岸部シローさんも僕と同い年の71歳です。

同じ71歳でも、一人は総理の座に着こうとしているし、一人は闘病生活の果てに亡くなってしまう。

71歳というのは何か「運命の歳」なのか? 
と、今日は、ふと思ってしまいました。

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知床で会った人 ~胸のときめき~

2020年09月12日 | ウォーク・自転車

先日、テレビで北海道の知床半島が映し出されていたのを見て、忘れられない光景がよみがえってきました。もう50年も経つというのに、昨日のことのように覚えている風景と出来事。そして出会いと別れ。

20歳の時の自転車旅行中のことです。

日本最北端の宗谷岬へ到達したあと、オホーツク海沿いを走って数日後、網走へ着いた。網走市内に高校時代の恩師の奥さんの実家があり、そこで何泊かお世話になっていたときのことです。
「せっかくだから、知床を見に行きなさいよ」
と、家族の方に勧められたので、僕は一人で日帰りの知床見物に出かけたのだった。網走から列車に乗り、斜里まで行ってそこからウトロ行きのバスに乗り換えた。バスは満員で、補助席までぎっしりお客で埋まっていた。窓の外には馬鈴薯の花が真っ白に咲き乱れていた。

バスに揺られること1時間20分でウトロへ着いた。そこから僕が乗るのは遊覧船「はまなす号」。知床岬まで行って戻って来るコースだ。

  
 ウトロから知床岬の突端まで行って戻るコース。

船に乗る直前に、僕は一人の女の子と出会った。森繁久弥の「知床旅情」の歌碑の前で僕がじゃがいもの天ぷらを立ち食いしていたとき、
「それ、おいしいですか?」と彼女が聞いてきたのだ。
「はぁ、おいしいです」と僕。

 
 
「知床旅情」の歌碑の前で

それがきっかけで、彼女に頼んで歌碑をバックに写真を撮ってもらい、そのままいっしょに「はまなす号」に乗り込んだ。船では彼女と並んで座り、ほとんど黙ったまま知床半島の断崖と波しぶきの景観を眺めていた。勇壮で圧倒的な眺めだった。断崖の絶壁から滝がひゅーんという感じで流れ落ちている。野鳥の群れ、洞窟、ゴジラ岩、タコ岩、獅子岩

7月なのに風が冷たい。「はまなす号」は知床岬まで行き、Uターンしてまたウトロに向かった。「これからはもう、同じ景色だもんね」と、何か言い訳でもするように、僕はポツリポツリと彼女に話しかけ始めた。

彼女は神奈川県川崎市に住む大学2年生だという。僕より1学年下である。友だちと旅行していたが、今朝、連れの女性が先に帰り、自分1人が北海道に残って生まれて初めての1人旅がこれから始まるところだ、と言って目をキラキラと輝かせた。船がウトロに着くまでの間、僕らはず~っと、とりとめのない話に興じた。お互いの名前と住所も交換し合った。彼女は、和知律子さんといった。

 
僕が撮った律子さんの写真です。
向こうに知床半島が見えています。

ウトロに着いて船から下りると、今夜の泊まりはこのウトロに決めていると言う彼女だったけれど、「でも、まだ宿が決まっていないんですよ」と少し戸惑った表情を見せた。「ならいっしょに宿を探してあげる」と、2人で船着場近くの旅館案内所へ行き、女の子が一人でも安全そうな一軒の宿の予約をした。

そこで、ふと腕時計を見て僕は青ざめた。
「わっ、バスが出る時間や!」
このバスに乗り遅れると、網走にはまともな時間に戻れない。

バス停に向かって走り出した僕を、彼女があとから追いかけてくる。
ハァハァ、フーフー、と2人とも息切れ状態。

やがてバスが見えた。今にも出発しそうな気配だ。僕は短距離走の選手がゴールへ飛び込むような猛烈な勢いで突っ走り、バスに飛び乗った。
間一髪、セーフ! 
彼女も息を弾ませながらここまで走ってついてきてくれた。

さて、
ここでバスの扉が閉まり、僕は彼女に手を振り、彼女も僕に手を振りながら、映画のラストシーンのような粋な別れというはずだったが、なぜかバスはエンジンがかかったまま、扉も開いたままで、一向に出発する気配がない。

彼女は外。僕はバスの中の乗降口。お互いに見つめ合って立っている。バスには大勢のお客がいたが、みんなこちらを見ているような気がする。
何度も何度も、「じゃ」「気をつけて」とお互いに繰り返すが、バスはまだ出ない。あぁ、なんという間の悪さ。

「あのぉ」
いたたまれなくなった僕は、彼女に、もう見送りはいいから早く宿へ行くように、と言った。彼女も「はい」とうなずき、宿へ向かって歩き始めた。何回かこちらをふり返り、手を振る彼女の姿を見ながら、僕はいつの間にかボーっとしてしまい、いつバスが出たのかも気がつかなかった。

網走に戻ると、
「おかえり。どう、知床はよかったでしょ?」
と、ご家族が温かく迎えてくれた。

この日の夜、アポロ11号が人類で初めて月面着陸に成功した瞬間のテレビ中継を、その方たちといっしょに見た。
1969年(昭和44年)7月21日のことだった。

律子さんから、
「帰りはぜひ川崎市に寄ってくださいね」
と言われたのに、結局行かなかった。東京へは行ったのだが、いろいろな事情があって、東京から房総半島へまわり、そこからフェリーで三浦半島まで渡り、そのまま箱根の方へ向かうというコースをたどったのだ。だから律子さんとは、そのあと一度も会うことはなかった。

あれから50年余。

最近、コロナ禍で家にいる時間が長くなり、昔の日記や手紙を整理することが多くなったけれど、「自転車旅行」のファイルの中からその律子さんの手紙が出てきた時は驚いた。と同時に、胸がときめいた。

大きいめの原稿用紙に書かれた手紙。

無事帰阪とのこと、安心しました。川崎に寄ってくれると思っていました。知床では宿を捜していただきありがとうございました。客は私ひとりで、ちょっと寂しかったけれど、夕方、ウトロの丘に登ってすばらしい夕暮れをみて、ロマンチックな気分にひたることができました。

という書き出しから始まる手紙。

あぁやっぱりあの時、神奈川県川崎市の律子さんのおうちに寄っておいたらよかったなぁ、なんて今ごろ思った僕です(遅すぎるわ)。

さて、これは手紙の2枚目です。

 

私も男の子だったら、自転車で日本一周してやるのにな。
残念です。
また暇がありましたら、お便りください。
乱筆乱文にて、失礼します。
             律子


今も川崎市か、その近くにお住まいなのか。
この歳になっても、まだ胸がときめきます。

モミィが聞いたら、ゲラゲラ笑うでしょうけど。

 

 

 

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アベノママデス とは何のことやら

2020年09月09日 | 雑記

台風10号もやっと過ぎ去り、今やニュースの焦点は安倍首相の後任を選ぶ自民党総裁選に移っています。昨日告示がされ、菅、石破、岸田の3氏が立候補して、それぞれの政策を主張しています。

でも、いくらそれぞれの政策を主張されても、自分が投票できるわけでもないので、ただ聞いているだけみたいな感じ。おまけに「誰が勝つのか?」もわかっているしね~

政策がどうのというよりも、派閥の人数で総裁になる人が決まるわけだから、政策の主張も言葉の羅列ばかりのようで、テレビを見ていても全く緊張感が伝わって来ません。

安倍さんの次は菅さん、というのは確実視されているし、政策も安倍さんの路線を引き継ぐことになるようです。

そんな時、ネットでは、
アベノミクスやアベノマスクにかけてか、

「アベノママデス」
という言葉が出回っています。

安倍さんの政策をそのまま引き継ぐ「アベノママデス」。
思わず笑っちゃいます。
(笑っている場合ではないか?)

こんな写真も見つけました。

 

          


 
 やはり、笑ってしまう?

ところで、
6月にこのブログで「安倍総理に聞かせたいキムタクの演説」という記事を書きました。12年前に放送された木村拓哉主演の『CHANGE』というドラマの再放送を見た感想を述べたものですが、せめて、今回の総裁選でも、候補者からこれぐらいの熱意が伝わってくれば、投票権がなくても関心が高まるんですけどね~

ということで、若き総裁候補となったキムタクの演説をもう一度掲載します。

「国会議員とは選挙で選ばれた国民の代表で
国民の中でいちばん偉い人だと思っていました。
でも 今の考えは 違います。

国会議員とは 国民の皆さんのために奉仕することを約束したうえで
選挙で 国民の皆さんに選んでもらった人たちです。
そして総理大臣とは 
誰よりも国民のために働く義務と責任を背負っている!

選挙のときだけ 頭を下げて 当選した途端に
特権階級のようにふるまうような人間は
本当の政治家ではありません。

誰にでも 分かるような言葉でしゃべることのできない人間は
本当の政治家ではありません!

国民の皆さんの幸せよりも
自分の利益を 優先するような人間は
本当の政治家ではありません!

そして何より 国民の皆さまが
何に怒り 何を望み 何を言いたいのか!
それが分からない人間は 本当の総理大臣ではないんです!

僕は約束します。
皆さんと同じ目で 今行われている政治の問題点を見つけだし
そしてそれを正すことを!

僕は約束します。
皆さんと同じ耳で弱者といわれる人たちの
どんな小さな声も真剣に聞くことを!

僕は約束します。
皆さんと同じ足で問題が起きている現場に
ためらうことなく駆けつけることを!

僕は約束します。
皆さんと同じ手で 自分も汗まみれになって働き
そしてこの国の 進むべき道を指し示すことを!

僕のすべては
僕のすべては皆さんと同じです!」



 1シーンです。

では今日はこれで、お・し・ま・いでぇす(半沢直樹かい)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐怖の台風10号

2020年09月06日 | 日常のいろいろなこと

いま、9月6日(日)の午後9時半です。
台風10号が迫ってきているとのことですが、

史上最強
過去最大級
かつて経験したことのない台風

などと言われており、聞いただけで恐ろしい。
最大瞬間風速70メートルとか80メートルとか。
想像もできない数字です。

台風と言えば、小学生の時にとてつもなく大きな台風が襲ってきて、当時、大阪市内の古い木造アパートの2階に住んでいた僕は、両親と共に1階に降り、玄関口に集まったアパートの住人の人たちと共に恐怖の一夜を過ごしたことを覚えています。それが「伊勢湾台風」だったのか、「第二室戸台風」だったのかはわかりませんが、少年時代の最も怖かった台風でした。

今日はテレビで何度も伊勢湾台風や第二室戸台風の映像が流れていたので、あの少年時代の恐怖を、改めて思い出した次第です。

それにしても、今回の台風10号は、よほどの大きな台風のようです。

つい先ほど、九州の全県が台風の暴風域に入ったと報じられました。

NHK総合テレビでは午後8時からの大河ドラマ「麒麟がくる」も放送中止で、ずっと台風に関するニュースを伝えています。

現在、九州や中国・四国等で大勢の人たちが避難を始めているようです。特に九州にお住いの方々はとても恐ろしい思いをなさっていることでしょう。

僕のところは、今は少し強い風で、雨はパラパラと降っている程度ですが、これから明日にかけてどうなっていくのか? 予断は許しません。

どんどん緊張が高まってきています。

九州はじめ、各地での台風の被害が、甚大にならないことを祈るばかりです。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ禍の中で生活習慣を改善

2020年09月03日 | 心と体と健康と

今朝のニュースで、新型コロナウイルスの感染が広がる前と比べると、約半数の人が「健康になった」と実感している、との調査結果が出ていることが報じられていました。

明治安田生命が、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた健康への意識について調査を行ったところ、感染が広まる前と比べて「健康になった」「やや健康になった」と答えた人が合わせて48.1%に上りました。「不健康になった」「やや不健康になった」は、合わせても2.8%にとどまりました。健康の実感を持つ人が多いことについては、「ステイホーム中、食生活の見直しなど生活習慣の改善に取り組む人が増えた」と分析しています。健康になったと感じている人のうち8割が「健康的な食生活を意識している」と答えたということです。
(テレ朝ニュースのネット配信より)

ということです。
食事と共に、家の中で簡単にできる運動というのもテレビでいろいろと紹介されていたので、コロナ禍をきっかけにバランスの取れた食事と適度な運動という「健康の二大要素」を再認識し、実践された方も多かったのでは。

ただ、ニュースの最後には「自粛生活で体重が増えた」という人も2割いた、ということも伝えられていました。そうでしょうね~。生活習慣を改善した人ばかりじゃないですよね。

それにしてもコロナ感染が広まって半年以上経ちますが、僕はその間、電車に乗ったのは6月に松原市内の病院へ行った時のみで、アベノや難波、梅田のような繁華街には一度も行かず、外出といえば自分の生活圏内をウロウロ歩いたりしているだけ。(去年秋に駅前にイオンモールができ、そこでいろんなものが買えるので余計にそうなっている)。

またコロナ以前は、午後から図書館へ行ったりすることが多かったのですが、この半年間は行っていませんし。

最近はそんな生活が当たり前のように感じ始めたのか、
「あぁ、いろんな所に出かけたいなぁ!」
という気持ちもしぼんできて、これが自分の本来の生活みたいになってきました。このまま「引きこもり」になるんじゃないかと思うほどです。

運動、という点でいえば、僕はやはり歩くことと自転車に乗ることが好きなので、脚力だけは衰えさせたくないという思いが人一倍強いです。それでまた、先月から、近くにある10階建ての府営住宅の階段の上り下りを始めています。

2年前の夏、朝の散歩の時に、最後にこの府営住宅に寄って10階まで上って帰ってくることを少し続けたことがあります。が1往復だけでした。

で、先月からは頑張って4往復しています。1階から2階まで階段の数は16段で、これが10階までだから16×9で144段。そして下まで降りたら、また10階まで上り、また下りる。これを4度繰り返すと合計で500段以上になります。

階段を上る時は少し息切れしますが、下りで回復するのでそれほどきつい感じはありません。おまけに日陰だし、風が吹き抜けるので気持いい。それでも家に帰ると汗びっしょりですが、シャワーを浴びた時の爽快感がまた最高。もう3週間以上継続できているので、今後も続けられるかな、と思ってます。

コロナ禍に加え、最近は猛暑なので、数時間かけて阿部野や大阪城あたりまで歩くことはできませんが、「階段運動」を日課に加えたことでそれなりの達成感を得られているのは、まあよかったかな、と思ってます。これもコロナの影響を受けて、生活習慣を改善したひとつの例かも知れません。

ただ
家にいる時間が長いので、お酒を飲む量が以前に比べて増えています。
こちらは「生活習慣の改悪」ですわ。どうにかしなければ!


 

 
ここが府営住宅です。
この右端にある階段を上ったり下りたりしています。


 
横から見たところです。手前が階段になっていて、
8段上って踊り場で折り返し、8段上ると2階へ行きます。
つまり、16段上ると次の階に行くということですよね。
風が吹き抜け、涼しく快適で、10階からの眺めも最高

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「半沢直樹」 を見ています?

2020年09月01日 | 映画の話やTVの話など

日曜日の夜のドラマ「半沢直樹」の人気はすごいですね。

毎週木曜日の新聞テレビ欄に1週間の視聴率ランキング(関西地区)が出るのですが、「半沢直樹」がいつもダントツの1位です。先週は30%近い数字を出していました。20%を超える番組も珍しいので、この数字は圧倒的とも言えますね。

僕のこのブログの本文が終わったあとのほうに「このブログの人気記事」という欄があるのですが、いまそこを見ると「半沢直樹とおもてなし」という記事が第2位に入っています。2013年9月の記事で、もう7年も前の記事ですが、僕のブログでさえ「半沢直樹」について書いたものが結構多くの方にお読みいただいているんですね~ 

それにしても、前回からもう7年になるとは。早いです。

前回のシリーズは、最後に大和田常務(香川照之)に土下座をさせる有名なシーンがヤマ場でしたが、それまで半沢はやられっぱなし、という印象がありました。それが見ていてちょっとストレスでした。

きょう、お昼に「くら寿司」に行ったのですが、後ろの席にいたおばさん同士の会話の中で、「わたしは半沢直樹は見ないねん。あれ見たら、しんどくなるから」という声が聞えてきました。

う~む。そうかもね。
前回は見ていて、しんどいシーンが多かったです。

でも今回はちょっと違います。

今回は、憎らしい人物が次から次と登場しますが、毎回、そのうちの誰かが半沢にギャフンといわされる、という胸のすくシーンが用意されていて、その点では前回よりはストレスなく見ることができていますからね~

ま、それにしても
今どき、こういう「憎たらしい人物」たちが続々登場するドラマも珍しいですね。でも、僕が小学生の頃は普通にありました。毎週、親に東映時代劇の映画に連れて行ってもらい、片岡千恵蔵や市川右太衛門、中村錦之助、大川橋蔵らが主演の時代劇を沢山見てきましたが、悪者はみんな「半沢」に出てくるような、大仰な悪役ぶりで、見ていて本気で腹が立つ。そいつを最後にやっつけるシーンでは思わず手を叩きたくなった。

たとえば忠臣蔵の吉良上野介を進藤英太郎という俳優が演じたが、これが本当に意地悪く憎たらしいのだ。子供だった僕は、こいつは実際にも悪い人間だ、と本気で思い込んだほど。「半沢」を見ていると、そんな子供の頃の記憶がよみがえってくるんですよね~(笑)。

「半沢直樹」のまわりには、歌舞伎俳優や劇団出身の名優、人気者が多くいて、お互いににらみ合うところがアップされ、そこで決めぜりふを口走る。にらみ合い、向かい合う2人は、口と口がつくのではないかと思うほど顔を近づけ合う。まるで「濃厚接触」そのものみたいですけど。

そんな壮烈なドラマだけど、一方では批判も出ています。その最大なものが「女性の描き方に問題がある」というもののようだ。朝日新聞のテレビ評論欄を担当する島崎今日子さんは、「井川遥演じる小料理屋の女将は半沢にほほ笑みかけ、部下の今田美桜は尊敬の目で半沢にうなずく」と書き、妻の上戸彩は半沢のために作る夕食が驚くほど品数が多くて豪華、と続け、また別の女性評論家は「女性観の古さが気になります。主要な役のほとんどが男性。半沢の妻は男の目から見て実に都合のいい女性のように見えます」というようなことを書かれていた。

ま、いろんな見方があるようです。

ところで、前回シリーズから出ている大和田役の香川照之さんですが、最近のコロナ禍のテレビニュースで大阪が映った時、道頓堀のグリコの看板がよく出てきます。そのグリコの看板の横に香川照之さんの大きな顔が映っています。僕らはそれを見る度に「あ、大和田常務や!」と声を上げるんです。

 
道頓堀のグリコの看板。その左横に香川さんの顏。
毎日のようにニュース番組の映像として出てきます。

ということで今回は終わりますが、最後に
「半沢直樹」でどうしてもわからない登場人物がひとりいます。それは夏目三久ちゃんです。毎朝見ている「朝チャン」で司会をしている夏目三久ちゃんが「半沢直樹」に出ているようなのです。

ドラマの最初と最後に出演者の字幕が出ますが、そこに「夏目三久」と出ているんですよね。「え? どこで出ていたの?」と思って、また録画したドラマを早送りしたりして確かめるのですが、どこを見ても出てこない。でも、毎回出演者の字幕に「夏目三久」の名前が出てきます。

これだけは、ネットで調べてもわからない。

いまも、謎のままです。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする