僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

日本ウダウダ会

2010年03月30日 | ウォーク・自転車

ある日、わが家に、僕宛のこんな封書が届いた。 

           

   

 

差出人の名前を見ると、長年お世話になっている先輩だ。
しかし、差出人の欄は、個人名がかすんでしまうほどの大きな字で、

「日本ウダウダ会」とあった。

妻が僕に手紙を手渡しながら、クスクス笑っている。

「日本ウダウダ会」とは、いったい何なのか…?

手紙を開封したら、次回の山登り会、というか、秘境を巡る会というか、そういう催しの案内が入っている。つまり、「登山&ウオーキングの会」なのであるが、その名称がどうやら今回正式(?)に、「日本ウダウダ会」となったようなのである。

「先日、貴兄が不参加だった時に、勝手につけました」
そう説明されていた。
…ということは、僕もいつのまにか「ウダウダ会」の会員になった、ということである。人に言うと「何やねん、それ…?」と突っこまれそうだけど。

僕はかつて「仙人をめざす会」という、これも「何やねん…?」と突っこまれそうな会の会員になっていた。

仙人をめざす会員たちは、女人禁制の霊山・大峰山へ何度も登り、修行を積んだ。
数年前には「さぬきうどん食べ歩き大修行」の苦行に挑み、そこでさらに、「恐怖の生ビール一気飲み」の難行にも挑戦した。
これほど数々の荒行を積んできたわりには、まだ誰も仙人になれないので、最近は活動が停滞している。おまけに「仙人をめざす会」の実行委員長である三宮君が、この4月に51歳の若さで市役所を退職することになった。

先週、三宮君の送別会を開いてそこで聞いた話だが、彼は市役所を退職後、大阪からはるか離れた地へ単身移動し、某国立大学に入学して、仙人学を専攻したうえ、本物の仙人になる学問にいそしむのだそうである。
「ほんまに、そんな仙人学科てあるんか…?」
と、僕が色めきたって聞いたら、
「ウソですがな。ははは。あるはずおまへんやろ。…法律を勉強しまんね」
ということであった。な~んじゃいな。

閑話休題。

「仙人になる会」が休眠状態になったとき、そこに新たに登場したのが、
「日本ウダウダ会」であった。
「仙人」から「ウダウダ」へ…。
名称だけ見ると、かなり志が堕落してきたように見える。
しかしまあ、お互いにウダウダ言いながら歩くのだから、誰が考えてもこれ以上ふさわしい名称はないだろうね~。

ということで、「日本ウダウダ会」の誕生である。

会長のウダ様とは、何年か前から、あちらこちらをうろうろ歩いている。
京都の平安神宮を出発して、大阪府の堺の港にある新日鉄工場までの「100キロウオーク」に参加したことも、2度や3度ではない(しかし、これはほんまにしんどい。最近は、誰も参加しよう…とは言わない)。
仲間の数は、せいぜい5、6人である。

ウダ様の趣味は、山登りと温泉と日本酒である。
山登り…とは言っても、山に限らず「限界集落」や「秘境巡り」あるいは「歴史に由縁のあるところ」を歩くことも含まれている。うらさびれ、朽ち果ててゆくものをこよなく愛する古典的な人で、温泉も、人気の高い温泉ではなく、人知れず、山峡にひっそり湯気を立てる温泉でないとダメなのである。そして、そこで伝統的な地酒に舌鼓を打つ…というのが、ウダ会長の至福の時間なのだ。

「さびれゆくもの、崩れゆくものを見ると、哀感が極まって酒を飲まずにいられないのです」と言うウダ様は、同様に滅びゆくものに万感の思いを抱いた俳聖松尾芭蕉が、その中で句を詠まずにはいられなかったと同様の衝動を感じて、この人はお酒を飲むのだろうか…と僕はぼんやり考えるのである。

さて、そういう傾向を持っておられる会長様が、次回に選んだ「ウダウダ歩く会」は、4月12日。奈良県の吉野の奥の奥、僻地の探検であった。

ウダ会長は、手紙で、今回は奈良県東吉野村の限界集落を巡り、天誅組の墓を訪れるのがテーマである、と書かれてきた。地図も入っていた。そして、そのあたりを歩き回った後、「さいごに、最も重要で神聖なウダウダ儀式を行いたいので、その場所をのんさんに探してもらいたいと思う」という重大な使命を、僕に託してこられたのである。

最も重要で神聖なウダウダ儀式…とは、つまり、歩き終えた後の「手たたき会」のことである。要するに、打ち上げの一杯飲み会だ。

会長は僕にその「手たたき会」の場所に3つの条件を付けてきた。

一つは、吉野川を望める場所であること。
一つは、旧伊勢街道沿いにある店であること。
最後の一つは、料亭・料理旅館・レストラン・居酒屋・焼肉・焼鳥・タコ焼屋・お好み焼屋などの類はいっさいダメで、昔ながらの「壊れかけの、うらさびれた食堂」であること。これが最も大事なことであります…と。

営業しているかしていないかわからないようなさびれた食堂で、戸を開けると、おばあさんが一人、奥のほうからよろよろと出てきて、「はい、何に致しましょうか…」としゃがれた声を絞り出すような…そんな昔ながらの食堂を、ぜひ探してほしい。「貴兄はインターネットで探すのが得意だと思いますので、よろしく…」。

手紙には、そう書かれていた。インターネット、と簡単に言うけれど…。

インターネットなんかには、到底出ていそうではない店を、インターネットで探せと言うのは無理だろう。万が一、あったとしても、本当に3つの条件を満たすものかどうか怪しい。インターネットにはガセネタが多いから。

方法は一つしかない。自分で実際に行って、この目で確かめることだ。

そんなことで、僕は3月20日の土曜日に、一人で吉野まで出かけ、近鉄吉野線の大和上市駅付近をぐるりと歩き回り、「吉野川を望めて旧街道沿いにあるうらさびれた食堂」を探し回ったのである。

結論を言えば、吉野川を望める位置にある店は、料理旅館やちょっとした料亭ばかりで、「さびれた食堂」はなかった。街道沿いを歩くと、趣旨に添うような陰気でさびれた食堂が何軒か見つかったので、それを10枚ほど写真に撮り、それらの店の写真とコース地図をウダ会長に手紙で書いて送った。さて、会長はどんな感想を持つことやら…。

僕の手紙と前後して、また「ウダウダ会会員各位へ」と、手紙が来た。
正式に集合時間と場所、そして最終的なコースが書かれていた。

参加人数の詳細は知らないが、たぶん6、7人だろうと思う。しかし驚いたことに、去年まで市長だった人、副市長だった人も「ウダウダ会」に誘われて入ったらしく、当日は共に参加すると言う。げぇ~。前市長なんて、雲の上の人であった。まあ、とても日本酒の好きな人ではあったが、なんともまあ、摩訶不思議なメンバーではないか。

ウダ会長は各会員に当てたその手紙の中で、
「なお、夕刻の『手たたき会』は、吉野川が望める旧伊勢街道のうらさびれた食堂を○○のんさんが見つける予定となっております」

そう書いてあった。

ついこの間まで市長だった人や副市長だった人も来るなどとは…えらいプレッシャーがかかる。

なんだか、また在職中に引き戻された気がするのであるよ。

 

 


 

 

 

     

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「おつまみ横丁」や「文士料理」

2010年03月26日 | 日常のいろいろなこと

過換気症候群なるものに見舞われた翌日、今度は不注意から右足首を捻挫してしまった。
今日で4日目になり、湿布薬のおかげか、ようやくまともに歩けるようになったけれど、まだ少し痛む。1ヶ月後にランニングの大会に出る予定なのに、何と言う不注意。ロクでもないことが、よくもまあこれだけ続くことだなぁと自分でもあきれ返っているところだ。

さて、そういうことは忘れて、楽しい話題に変えます。

 …………………………………………………………………………

去年、僕が退職したときに、一冊の本を送ってくれた人がいる。
僕より年齢が少し上の男性で、ウダさんという。
在職中も、退職してからも、ずっとお世話になっている人である。

そのウダさんが送ってくれた本は、瀬尾幸子さん著の「おつまみ横丁」。
サブタイトルが「すぐにおいしい酒の肴185」とある。

ウダさんもお酒好きである。それも本格派で、その道の「通」である。
「チューハイみたいなん酒と違う。酒はやっぱり日本酒に尽きる」
と、常々言っておられる。

そのウダさんから僕への退職記念品が、この「おつまみ横丁」だった。
本に手紙が添えてあった。

「…同封しましたのは幸子さんの本です。これで、とりあえず退職後185日間はしのいで下さい。186日目からは…さて、どうするかが問題や」

酒の肴、という言葉を聞いただけでぷるぷるっと喜びに震える僕である。
僕はウダさんの温かい心情に感激し、それ以降、「おつまみ横丁」を愛読し、そこに紹介されている多くの酒の肴を作って大いに満喫した。

そして、退職後の185日間は、あっという間に過ぎた。
それどころか、その倍の1年が間もなく経過しようとしている。

すると先日、またウダさんから一冊の本が送られてきた。
今度は狩野かおりさんの「文士料理入門」という本だった。

添えられた手紙の書き出しは、
「前略。手料理のネタも尽きただろうから、幸子の次はかおりに頼もうと思い、これを送ります」

   

   


「文士料理入門」は、太宰治、坂口安吾、池波正太郎、藤沢周平、向田邦子ら著名な作家たちの作品の中に登場する料理を取り上げ、その作り方が書かれているもので、レシピとしても、読み物としても、とても興味深く読める本である。

その冒頭、第一章が太宰治の「津軽」である。
太宰治は僕の好きな作家の一人だけれど、中でも「津軽」は彼の作品中でも最も「お気に入り」の一作だ。そこに「カヤキ」という料理が出てくる。

カヤキとは、「ホタテの貝殻をコンロにのせ、出汁を注いで味噌を溶き、帆立貝とネギをいれて火にかける」(上記の本より引用)というものである。

太宰の「津軽」に、

卵味噌のカヤキを差し上げろ。これは津軽で無ければ食えないものだ。    そうだ。卵味噌だ。

という一節がある。
これが、「文士料理入門」の最初に紹介されている料理だ。

ウダさんは先日、奥さんと2人で東北を旅行され、その旅先の居酒屋でカヤキを食べたそうである。

ウダさんは、手紙で、「『カヤキ』は様々に変化可能で、丁度、飛騨地方の朴葉味噌の様なものですね。入れる具材を替へるだけで飽きがこない程度に続けられますよ」と書いておられた。

さっそく、「文士料理入門」を送っていただいた記念の第一作として、スーパーで貝殻つきホタテを買って来て、カヤキを作ってみた。

これが出来上がりの写真です。↓


  


この味は、まさに酒の肴として、絶品であった。
自分で作ったものを「絶品」と書くのもどうかと思うが、しかしまあ、これは誰が作っても同じように美味しいものだと思う。

昨日、このカヤキの写真を貼り付けて、ウダさんへお礼の手紙を送った。

 ………………………………………………………………………………

ところで、そのウダさんという名は仮名だが、なんでウダさんなのか…?

先日、この人が「日本ウダウダ会」という怪しげなる会を立ち上げた。
だから、僕が勝手に「ウダさん」と呼ぶことにしたわけだ。
そして僕も「ウダウダ会」の会員にされてしまった。

次回はこの「日本ウダウダ会」について書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

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カカンキ…って何?

2010年03月23日 | 心と体と健康と

昨日22日は、朝から体調がすぐれなかった。
一昨日に飲み過ぎて、この朝は二日酔い状態であった。
おまけに、朝から部屋の暖房もつけず、寒なぁと思いながらも我慢して、書架の整理などをしていた。鼻がグスグスしはじめた。
それと、朝食もごくわずかしかとっていなかったので、空腹状態だった。

11時ごろ、フラフラしてきた。どこか、体がおかしい。
空腹によるものかと思い、何か食べようとキッチンへ行った。
妻が用事をしていた。
両手が氷のように冷たくなっている。寒い。

そのとき、かつて経験したことのなかった症状に襲われた。
ガチガチガチっと、口の中が震えた。震えながら、しびれるのを感じた。
妻に「しんどい!」と言って、床にうずくまった。ものもうまく言えない。
それと同時に、急に激しい動悸が始まった。吐き気も襲ってきた。
そして両手指が、口と同じように震えてしびれた。
めまいのような症状も出ていた。

血糖値が下がりすぎたのかと思い、甘いものを口に入れようとしたが、両手が震えてうまくつかめない。妻に直接口に入れてもらった。

口や手は、寒いから震えたりしびれたりしてるのか…といえば、そういう感じでもなかった。

頭の上のほうが、しびれて引きつるような感覚もある。これは…

あの、4年前、軽い脳梗塞になったときの口や手のしびれと似ていた。
しかし、動悸が激しい分、今回の方が圧倒的につらい。
意識が薄れていくような気もした。
「えらいこっちゃ。このまま死んでしまうのでは…」
との恐怖心で、頭の中がパニックになった。
安定剤のデパスも、妻に口に入れてもらった。

妻が床暖房のスイッチを入れ、ファンヒーターをすぐそばに置き、毛布を身体の上からかけてくれた。あまりにも手が冷たいので、手袋を持ってきてもらったが、これも麻痺しかけたような手にはめるのは、一苦労であった。

横になってじっと目を閉じていると、すぐに動悸は収まり、ピークも過ぎたようで、どうやらこのまま休んでいたら回復しそうだった。

妻が病院へ行かなければ、と言った。
この日は振り替え休日で病院は休みだが、毎月定期検査を受けている徳○会病院は受け付けてくれるはずだ。

やがて、起き上がっても少し息切れがする程度にまで落ち着いてきた。
そして、長男が運転する車で、妻と共に松原市の徳○会病院へ行った。

いつもは患者でごった返している病院も、今日は閑散としていた。
当直の医師(内科医)に呼ばれて診察室に入って行き、症状を説明したが、いろんな症状が重なっていたので、自分でもうまく話せない。頭の中で整理できないまま、だらだらとその時の様子を伝えた。

そして、4年前の軽い脳梗塞の時の感じと似ている、と医師に伝えた。
「でも、両手ですよね? 震えたりしびれたりしたのは…」と医師。
「そうです。右手も左手も、両方おかしかったのです」
あ、そうか…。
脳血管が詰まったり出血したりしたら、半身が麻痺がほとんどだ。

医師は僕の話にひと通り耳を傾けた後、
「それはおそらくカカンキでしょうね」と言った。
「は…? カカンキ…?」
「そうです。過喚起と書きます」と、メモに漢字を書いて見せてくれた。
「正式には過喚起症候群と言います」

過喚起は、過呼吸とも呼ばれるという。過呼吸ならよく聞く言葉である。

過喚起症候群の急性発作は、身体的・精神的ストレスで誘発されるという。

今回の僕の場合は、朝から、二日酔い、風邪気味、空腹、水分不足等の身体的ストレスが存在したのは明らかであった。他に精神的な要因もあったかも知れない。そして、それらさまざまな原因により、血液中の酸塩基平衡というのが崩れてアルカリ性になる状態を、過喚起症候群というそうである。

症状はいろいろ…とのことだが、僕は短時間の呼吸困難に加え、手や口びるの震えとしびれ、動悸、吐き気、めまいなどが重なり、何がどうなったか…とはうまく説明しにくいのであるが、とにかく発作のピーク時は、決して大げさではなく「このまま死ぬのでは」と血の気が引いたのは事実である。

「よほどの時は、ビニールか紙の袋をふくらませて口と鼻をおおい、呼吸して袋の中の二酸化炭素を吸うといいです」と医師。ふ~む。そういう話も何かで聞いたことがあるな。

病院で体温をはかると7度2分ほどの微熱があったので、医師は、
「風邪気味だったことも原因のひとつかも知れませんね。軽い風邪薬を出しておきますが、心配することはないでしょう。日ごろからなるべくリラックスされたらいいと思います」
医師のその言葉で、診察は終わった。

病名がわかってホッとしたことはした。
やはり、病院に来てよかった、と病院嫌いの僕も、しみじみ思った。

過喚起症候群…か。

それにしても、今年に入ってから、ロクなことがない  。

 

 

 

 

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「十杯呑み屋」との遭遇

2010年03月21日 | ウォーク・自転車

先日、所用があって寝屋川市の萱島(かやしま)というところまで行った。僕が住む藤井寺からは、近鉄、JR環状線、京阪の3つの電車を乗り継いで約1時間半かかる。藤井寺は大阪府の南に位置し、寝屋川市は北である。

穏やかな天候だったので、
「そうだ、マウンテンバイクで行ってみよう」

久しぶりの遠出だ。自転車の感触が、なんとも言えず気持ちよかった。

枚方・八尾線という府道を北へ北へと走り、1時間45分で萱島に着いた。

所用を終え帰途に着こうとして走り出した時、こんな店の看板を見つけた。



   


十杯呑み屋 のんちゃん…とある。

普通は、一杯呑み屋…というけれど、十杯呑み屋とは…??

つまりこの店に入ると、十杯は呑んで帰らなければならないわけだな~。
相当、腰を据えて、呑み続けなければならない。
ぞくっとするような、うれしい店ではないか。

それに、店の名前が「のんちゃん」とは、これまた…。

「のん日記」を綴る僕としては、同じ名前の看板を上げるこの店に対し、謹んで敬意を払わなければならない。

で、思わず自転車から降りて撮影してしまったわけである。

 

   

 

撮影してすぐに走り去った。
店には入っていませんよ、もちろん。
まあ、入りたくても、昼間からは開いていませんけど。

…と、この話はこれで終わったはずだった。

しかし、そのあと、アクシデントがあった。

萱島を出てからまだ10分ぐらいしか経っていなかった時、ギアを入れ替えようとした瞬間に、チェーンが絡まって、ペダルが動かなくなった。

「おっとっとっと!」
あわてて歩道へ入り、自転車から降りた。
ペダルが、前にも後ろにも動かない。
こんがらがったチェーンを元に戻そうと、手袋を油で真っ黒にしながら必死にウンウンと力を入れるのだが、チェーンはガチっと強力に車体に絡まって、ビクともしない。あ~、どうしょう。ここはまだ寝屋川市である。ここから藤井寺の自宅まで、まだ30キロはあるだろう。

あれやこれやと、何をどのようにしても、僕の力ではダメだった。
仕方なく、片手で自転車を引きながら、歩道を歩き始めた。

この道路筋に自転車屋があるのか…? あれば直してもらえるのだが…。
もし、見つからなければ、ずっとこれを引いたまま歩くのか…?
家まで5時間以上はかかるだろう。うぅぅ…。

深~い深~いため息。

でも、気を取り直す。

まあ、いいか。まだ午前中だから。
ウォーキングは僕の得意分野なんだもんね。
途中で昼食にビールでも飲んで、気持ちよく歩いて行こう。

と思いながらも、また深~い深~いため息…。

 

 

 

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「 粗大ごみ記念日 」…?

2010年03月19日 | ウォーク・自転車

ひと口に「ごみ」と言っても、いろいろなごみがある。
燃やせるごみ、資源ごみ、不燃ごみ、粗大ごみ、有料収集ごみ…。

人ごみ、意気ごみ、尻ごみ …… な~んちゃって   。

今日はそのうちの、不燃・粗大ごみの話です。

福岡県のある小学校で、52歳の男性教諭が卒業式間近の6年生に向かって、
「君たちは粗大ごみだから、卒業式は先生にとって大掃除であり、クリーン作戦なのだ」…と発言して問題となり、その後、校長先生らと6年生全員の家庭を訪ねて謝罪してまわった、というニュースが報じられていた。

「口は災いの元」とはよく言ったものだ。
50歳を過ぎてこんなことで教職を追放されたら、さっぱりワヤだわな。


それはさておき…

不燃・粗大ごみを出す日は、注意しなければならない。

市の収集車がやってくる前に、各家庭の不燃・粗大ごみの中からまだ値打ちのありそうな物だけを選んで持ち去って行く者がいる。うちの近所では、毎月1回の不燃・粗大ごみ収集日になると、中国人らしい男女が、荷台に大きなカゴを乗せた自転車でやってきて、ごみを物色するのである。

持ち去るのは構わないが、せっかく清掃車の人たちが運びやすいようにと、それぞれに「不用品」と貼った物を玄関前にまとめて並べておいたものを、ぐちゃぐちゃにしてしまう。中には、ビニール袋を開けて、中の一部分を取り出し、袋を開けたまま散らかして行くので、収集車が来るまで、何度か表に出て、ごみをまとめ直さなければならないのである。困ったことだ。

このことで、最近、僕にとってちょっとショッキングな出来事があった。

昨年末のブログで、わが家に2台あったマウンテンバイクのうちの1台を、老朽化のため廃棄するつもりだ…と書いたことがある。 

 http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/c7b80e1f189d6b649606acf457d6525d

そして、1月の不燃・粗大ごみの日の朝。
このマウンテンバイクを「不用品」として家の外に出した。

この自転車は、変則のギアが壊れたうえ、タイヤも擦り切れており、修理代がメチャ高くつくと言われたので廃棄することにしたのだけれど、外見だけはピカピカの新品のように見えていた。

その自転車を、1月の不燃・粗大ごみの日に外へ出したのだけれど…

しばらくして、ベランダから表を覗いてみると、収集車がまだ来ていないのに、早くもマウンテンバイクだけが、姿を消していた。
「う~ん、誰かが持って行ったんだなぁ。早く出しすぎたかな…?」
そう思いながら遠くを見ると、いつもの中国人らしきおばちゃんが、自分の自転車は道端に置いたままにして、僕のマウンテンバイクを両手で押して行くうしろ姿が目に入った。

しまった、と思った。

あのマウンテンは老朽化で廃棄したとはいえ、長年通勤に使った愛着のある自転車である。役所ルートで廃棄物として適切に処理してもらえたら問題はなかったのだが、見知らぬ者に「生かされ」て、こき使われたり「虐待」されたりしたら、自転車がかわいそうだ…。と、僕は後悔した。しかし、時すでに遅し…だ。

あ~ぁ、迂闊だったなぁ  。

で、そのことがあってから1月半ほどたった今月の初旬のことである。
夕方、近所をウオーキングしていた時だ。

わが家から300mほど離れたところに高層の府営住宅がある。
その府営住宅の自転車置き場の前を通りがかったら…

整然と並んだ自転車の列の中に、1台だけ地面に転がっている自転車があった。「ん…? あれは…」と、僕はそこへ走り寄った。

派手な色合いのマウンテンバイクだ。見間違うことはない。
「あぁ、こんなところに倒されて…」
倒れていた自転車を、引っぱり起こした。

1ヶ月半ぶりの再開だった。
言うまでもなく、僕のマウンテンバイクだった。
こんなところにひっくり返されて、…ひどいじゃないか。

点検したら、前カゴが無くなっていた以外どこも変わっていなかった。いったい、この自転車が今どういう立場なのか、わからない。拾った人が使っているのか何だか知らないが、もしそうだとしたら、こんな形で転がっていないだろう。まあ、そんなことはいい。とにかく家に持ち返ろう…。

僕はその自転車に乗ってみた。
変則ギアは利かないが、ペダルはこげる。あの時と同じ状態だ。

そのまま家まで乗って帰り、わが家のガレージの隅っこに置いた。

それからさらに半月たった、一昨日の17日。
不燃・粗大ごみ収集の日を迎えた。

また、例の中国人が、あちらこちらの玄関先を物色していた。
もちろん、自転車はまだ出さない。ガレージの中で、じっと待つ。

やがて、収集車が来た。
それを確認してから、マウンテンバイクを外に出した。

「これお願いします」
「はいよ」

収集車に積まれたのを見て、やれやれ…と胸をなでおろした。

役所生活の最後の10数年間、来る日も来る日も、この自転車で通勤をした。
雨の日も、風の日も、片道5キロの道のりを共にした自転車である。

バイバ~イ  。

収集車の荷台の中に納まったマウンテンバイクに、別れを告げた。

 

 

 

 

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下手な水泳にハマってます

2010年03月16日 | 日常のいろいろなこと

昨日は夜の8時半から、のそのそと家を出て、コスパへ行った。
ふつうなら、日中にしかコスパには行かない。
夜はビールを飲んだあと、くつろぐか、妻と歩きに出るか…ぐらいだから。

しかし…。
昨日は、初めて夕食後にコスパへ行ったのだった

なんでや…?
とまあ、聞かれたら、別に~…なんとなく~…ですけれど。

強いて言えば、昨日は1日中、目が回るほどの忙しい時間が過ぎて行ったので、コスパへ行っているヒマがなかった。それにふと気がついたのが、夕食も終えたあとだった。ビールも少し飲んでましたけど…。

「え…? こんな時間から行くの?」
と驚く妻に、僕は「行ってくるぜよ」と言い残し、海水パンツとスイムキャップと、タオルとバスタオルを入れたリュックを担いでマウンテンバイクに乗り、駅前のコスパへと走った。小雨がパラついていた。

実を言えば、僕はいま、コスパの水泳にハマっている。
週1日の休館日を除き、土・日曜日も含めて、用のないときは必ずコスパに行き、泳いでいる。

これまでコスパでは、マシンを使って筋トレをしてからプールへ行ったり行かなかったり、というのが普通だったけれど、最近はプールに直行し、水泳だけして帰ることが多くなった。

そうなると、去年買った海水パンツとスイムキャップが1枚ずつでは足りないので、先日それぞれ2枚目を買ったばかりだ。
(スポーツ店で海パンを買ったら、女性店員に「Sサイズですね。そちらでご試着をどうぞ」と言われたけど、「いいです」と断りましたわ)。

しかしねぇ~、元々水泳は下手くそだったので、今でもクロールは25mを泳ぐのが精一杯。それも3回4回と続けると息が切れるので、真ん中で1回立ち止まり、また泳ぎ始めるという休憩入りでバチャバチャと泳いでいる。

先週、かなり年配の女性の方が、僕のクロールのバチャバチャ泳ぎを見て、
「おたく、ちょっと手のかき方が速いのと違います?」
と助言をしてくれた。
つまり、僕の泳ぎは「余計な体力を使いすぎている」そうなのだ。
「あわててかくのではなく、手をまっすぐ伸ばしてから、ゆっくりかいたらいいと思うのですけど。そうしたら、疲れないし…」

その人も、以前はクロールが出来なかったのが、5年間コスパのプールに通い続け、「なんとか泳げるようになったのよ」とのこと。

「あ、ゆっくりと、手を、十分に伸ばしてから、かくのですか?」
と、僕はすぐにそうしてみたら、ブクブクと沈んでしまった。

女性が、ケラケラと笑った。
「自然にしていれば、沈まないわ。すぐに慣れるから大丈夫よ」

さらに女性は、自分がここのレッスンで習ったことを僕に伝授してくれた。
「手は、こう入れるそうよ」と、右の手のひらを外に向けて肘を軽く曲げ、そのまま水面を突き刺すようにジャボっと入れる。左手も同じようにする。なるほど、そうして水の抵抗を抑えるわけだね。

そして、水中では、ひじから手のひらまで使ってより多くの水を捕まえながら、おなかの前までかく。バタ足は、特に頑張る必要はない、とのことであった。上半身を効率よく使うことが大切…とのことだ。
バタ足は、僕のような腰痛持ちにはあまりよくないらしいから、このアドバイスはなによりの福音であった。

以来、この女性の助言を常に頭に入れ、あわてて水をかくことはせず、次のストロークを、なるべくゆっくりするようにしている。今、なんとなくそのコツがつかめてきているところなので、とにかく毎日泳ぎたい、という気持が抑えられないのである。

そこで話はコロリと変わるのであるが、水泳といえば、11月から孫娘のモミィも毎週木曜日にコスパのスイミングスクールに通っている。最初は「ひよこクラスの1」から始まり、2月末には「ひよこクラスの3」へ進級した。当初は水が顔にかかるだけでも嫌がっていたのに、今は頭まで水中に潜ることができるようになった。「えらい、えらい」とほめてやると嬉しがる。
モミィのスイムキャップには、「ひよこ3」のシールが貼られている。

そのモミィに、「のんちゃんはシールの数字はなんぼ…?」
と聞かれた。モミィは、実際に僕のことを「のんちゃん」と呼んでいる。

「大人はね、シールの数字とかは、ないねん」と僕。
「ないの…? のんちゃんは、スイミング、上手になったん…?」
「モミィのようには、上手になっとらん。まあ、ぼちぼちや」
「まあ、ぼちぼち、か…?」

そんなモミィも、4月から幼稚園である。
スイミングへ行く日も、4月からは木曜日から土曜日に変更した。
「コーチとか、変わるのん…?」
と、少し不安気味のモミィだったが、
「変わっても、みんなやさしい人たちだから、心配ないよ」
と言ったら、安心した表情を見せていた。

…ということで、話はまた戻るが、昨日の夜、僕はコスパへ行って、午後9時から9時半まで、「はじめてプール」というレッスンを受けた。
初心者を対象にした水泳教室、みたいなものである。
僕を含め6、7人ほどが、若い男性インストラクターのレッスンを受けた。

両手を伸ばして、水中にざぶんと潜り、そのままの形で水面に上がる。
単純なようだが、ここに水泳に必要ないろいろな要素が含まれているそうである。コスパのプールで、こういうレッスンを受けたのは、初めてだ。

約30分間のレッスンを終え、インストラクターにお礼を言って離れようとすると、突然そのインストラクターが、僕に、
「自転車、してはりましたか…?」と聞いてきた。
「へぇ? 自転車…ですか? なんでですか?」
と、突然の質問に驚いて、僕は聞き返した。
「いや、ふくらはぎの筋肉があまりすごいものですから、自転車の選手か何かをされていたのかなぁ、と思いまして…」
彼はそう言った。

自転車なぁ…。
41年前、20歳の時、自転車で北海道までの旅行はしたことがあるけれど…。
その時からこの筋肉がついたのか…。そんなアホな。

「いや、別に…。ちょっとマラソンをしていたぐらいで…」と僕。
「あ、そうですか。マラソンですか。ふくらはぎの筋肉、すごいですねぇ」

何ごとにも、ほめられると気持ちがいいものである。

来週の夜9時にも、またこのレッスンを受けよう。 うはは  。

 

 

 

 

 

 

 

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ブエノスアイレス

2010年03月05日 | 旅行

妻の姉の子、つまり僕の義理の甥が、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのレストランでシェフをしていることは、これまで何回か書いてきた。

甥のヒロユキは、15年前、単身でスペインに渡り、そこで2年間修業を積んだあと、そのままブエノスアイレスへ行って、「Rosa Negra」(黒いバラ)というレストランでシェフになり、今日に至っている。

   http://www.rosanegraargentina.com.ar/home.htm

 ↑ (画面下の「CHEF」をクリックするとヒロユキが出てきます)

ヒロユキは、もう15年間、日本へ帰っていない。

去年の秋、僕はヒロユキの母である義姉と妻と3人で、ブエノスアイレスへ行った。義姉にとっては、14年ぶりにわが子との再会を果たした。その旅行の様子は、去年10月のブログで、何回かにわたって書いた。

彼がシェフをしているレストランは、ブエノスアイレス郊外の閑静な住宅地にある瀟洒なレストランで、夜になると満席になり、ロビーは順番待ちをするお客さんたちでにぎわっていた。

40歳になったヒロユキには、ソルちゃんという可愛い20代の恋人ができていた。もちろん、アルゼンチン人女性である。

僕たち3人は、ヒロユキとソルちゃんに、ブエノスアイレスのいろいろなところへ案内してもらい、夢のような気分で数日間を過ごした。

そして、その後何ヶ月も経って…

四国にいる親戚の人が、たまたまヒロユキのレストランのことを書いているブログを見つけた。ブエノスアイレスに住んでおられる方のブログだった。

そのことを、親戚の人からヒロユキの母に伝えられ、ヒロユキの母が僕たち夫婦にそれを教えてくれた。

さっそく教えてもらったそのブログを開いて見た。

  こちらです。

へぇぇ~。
レストランのことと、シェフのヒロユキのことを、褒めていただいている。

ブログの主は、ブエノスアイレス在住の日本人女性の方で、Precious31 さんというハンドルネームをお持ちの方である。

ヒロユキの母、つまり義姉が、このブログへ御挨拶のコメントを送りたいので、やり方を教えてほしい、と僕に言ってきたので、僕は義姉の家に出向き、パソコンで、義姉の手書きの文章を、その方のブログのコメント欄に入力し、「シェフ・ヒロユキの母親です」ということで、コメント投稿をした。間もなく、Precious31さんから、それに対するお返事もあった。

その後、今度は僕自身が、Precious31さんのブログに、コメントを送った。
ブエノスアイレスへの旅行のことも、そこへ書いた。

そして、一昨日の3日に、Precious31さんから、去年10月28日の僕のブログ(ブエノスアイレス旅行記の最終回)にコメントをいただいた。

Precious31さんのご両親が、僕たちと同じ大阪のご出身だと書かれていたので、これもまた偶然だなぁ、と驚いた。世間は広いようで、狭い。

そんなことで、ブエノスアイレスに住んでおられる見知らぬ方と、ブログやコメントを通じて知り合えるというネットの力に、改めて感心したものだ。

つい先ほど、Precious31さんのコメントへのお返事を書いたところである。


ところで、これもまた偶然中の偶然だが、そのヒロユキが、今日、彼女のソルちゃんを連れて、15年ぶりに日本に帰ってくる。

義姉夫婦は、昨夜は一晩中、興奮で眠れなかったのではないか。

ヒロユキとソルちゃんは、今日から19日まで、日本に滞在する予定だ。

 

 

 

 

 

 

 

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まあ…なんだかねぇ

2010年03月02日 | 日常のいろいろなこと

生きていくって、どんなことなのか…

な~んて、かまえちゃって論じても、何の意味もないわけですけど。

でも、だいたい…
人は何に向かって生きているのか。
「死」に向かって生きているのですよね。
だれも、死にたくないのに。

変だと思いませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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