僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

秘伝 ! 百人一首暗記術

2014年01月30日 | 雑記

1月も終わろうかという時にこんな話題は古いけれど、毎年のお正月のニュースで必ず見かけるのが滋賀県の近江神宮で行われる「百人一首・かるた名人位・クイーン位決定戦」ですね。今年、楠木早紀さんという大分の女性の方が初挑戦以来負け知らずの10年連続クイーンに輝いたことが、まだ記憶に新しいところです。10年連続はすごいなぁ。どんなトレーニングを積んでおられるのだろ~。


しかし、あのルールは意外にむずかしいですね。いろいろと、細かいルールが定められているようです。

http://homepage3.nifty.com/i_tog/karuta.htm


僕は和歌や俳句というものには疎いのですが、なぜか百人一首と、芭蕉が「奥の細道」で詠んだ俳句だけは丸暗記しています。いや、別にこれといった意味はなく、ま、単にひまつぶしだったんですけどね。


ここでは百人一首のことを書きますが、長年仕事で、市役所まで20分余り自転車で通っていました。毎日ボンヤリ自転車を漕ぎながら、この時間を有効に使えないものかと思っていました。そんな時「(ナントカ)の記憶術」という本を読んで興味をそそられました。そこでその「記憶術」を使って、試しに百人一首を全部覚えよう…と思ったわけです。本当に覚えられるのか?という好奇心だけでした。その記憶術というのが、自転車通勤と関わっていたのです。


まず通勤途上で目につく100の風景を決めます。具体的に言うと、わが家の前に飲み物の自動販売機があるので、それが1。広報等が貼られている掲示板が2、小さな川にかかる橋が3、大きな邸宅の裏庭が4、つぶれかけた小さなスーパーが5、毎朝僕を見て必ず吠える犬が6、以下、お米屋、信号、公園、消防団の倉庫、小さな食堂、古い時計塔、公民館、お寺、神社、歯医者、てんぷら屋、食器屋、質屋、曲がり角の看板、自動車教習所、お墓、小児科医、理髪店、文化住宅、ヤマザキパン、郵便局、池、御陵、バイク屋、ツタヤ、田んぼ、お好み焼き屋などなど…約4キロ半の道のりに、さまざまなものが目に入ります。これを自宅から順番に100ヵ所決めていきます。自転車で走りながら「ここを30番目にしよう」「これが31番目」などと考えて、終点の市役所が100番目になるよう調整をし、「のん版・通勤百景」を作って、これを完全に覚えることから始まりました。ある友達から「その風景の順番を覚えるのが大変じゃないの?」と言われましたが、それは思ったより簡単に覚えられました。毎朝、それを見て「ひとつ」「ふたつ」と数えていけば、すぐに覚えられます。やがてどこにいても、目を閉じて100の風景を思い浮かべることができるようになりました。


それで、息子が高校で使っていた「文英堂・新討小倉百人一首」という本を拝借し、歌を暗記していきます。「1」の自動販売機は「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ…」で田んぼを連想し、「2」の広報が貼られている掲示板は「春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ(ちょう)天の香具山」なので、掲示板に天の香具山の写真を貼ってあるところを想像する…というふうな、あまり人に言えたものではありませんが、風景と歌とを突拍子もない想像やこじつけで結びつけるのです。実は僕はこういう何の実益にもならないことをやるのは、きわめて得意なのです(笑)。


たとえば…。つぶれかけの小さなスーパー(5番目の光景)の中を、鹿が歩いている。床にはもみじが散らばっている…と想像する。それで「奥山にもみぢ踏みわけ鳴く鹿の 声きくときぞ秋は悲しき」と覚える。自動車学校(33番目)が見えると、ピカっと光るのを想像し、「ひさかたのぉ」という言葉をその風景に焼き付ける。で「ひさかたの光のどけき春の日に しず心なく花の散るらむ」を覚えてしまう…というような、実にアホくさいというか、バカみたいな覚え方ですが、それがその頃、毎朝の自転車通勤時の楽しみとなり、またそのこじつけること自体も面白かったですね。


それで百の歌を全部を覚え、15番目は公民館…「君がため春の野に出でて若菜つむ…」、54番目は喫茶店…「忘れじの行く末まではかたければ…」、98番目は市役所近くの居酒屋…「風そよぐならの小川の夕暮れは…」というふうに、毎日その光景を見ながら自分流の連想術で覚えた歌を、頭の中でブツブツつぶやいていると、何番目の歌は何…と反射的に口から出てくるようになりました。ジョギングしているときも、頭の中はヒマなので百人一首を暗唱しながらトコトコ大和川堤防を走ったりしたものでした。


昔はそんなことをしていたので、毎年のお正月の百人一首のニュースを見るたびに自転車通勤していた頃のことを懐かしく思い出すのです。で、ついでに言いますと、結局そういう知識は、今の生活には何の役にも立っていませんけどね。 


まあ「人生は壮大なヒマつぶしです」と、上野千鶴子さんも書いておられますが、僕もこれまで、ずいぶんヒマつぶしをしてきたものだなぁ…と我ながら感心している次第です(笑)。

 

 

  
  長男か次男?(忘れた)が
  高校で使っていた教本です。
  これで覚えていきましたが、 
  もうボロボロになってます

 


 

 

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いのち

2014年01月28日 | 日常のいろいろなこと

数日前、ごく近所に住んで、親しくしていた家のご主人が亡くなられた。40年近いつき合いで、僕とほぼ同世代だった。しかしまだ亡くなられたことは近所には伏せておられる。どこかでひっそり親族のみの密葬を執り行われたようだ。だからそのことは、近所のごく一部の方たちしか知らない。うちは今町会の役員をしているから、たまたまわかったことだが、奥さんともまだ会っていないので、どういう亡くなり方をされたのか、誰も知らない。おそらく、最近は見違えるようにやせ細っておられたので、何かの病魔に侵されていたのだろうか、という類推しかできない。


最近、時々道で会うのだが、やはり顔相が変わるほどげっそりと頬がこけていた。腰も細くなり、ズボンがブカブカだった。「痩せられましたね」と言うのもはばかられるほどだった。その姿を見て、え~、どうされたんだろ? といつも思っていた。妻とそういう話をしていたのだけれど、何かご病気なのかな~、とも思っていた。でも、奥さんに聞くのも失礼なので、詳しくはわからないままだった。


去年の夏から秋にかけて、僕は毎朝大和川堤防をジョギングしていたが、いつも同じ時間帯に、必ずご夫婦そろってそのコースでウォーキングをしておられた。奥さんは両手を振っていかにもウォーキングの運動効果を取り入れておられた様子だったが、ご主人のほうは、肩を丸めてただついて歩いているだけ…という風情だった。すれ違う時はいつも「おはようございます」と、挨拶を交わしたが、元気な奥さんに比べて、ご主人はうつむき加減で、恐縮したようにペコッと頭を下げ、小声で挨拶をされた。


かなりの期間、ご夫婦でウォーキングを続けておれたが、ある時期から姿が見えなくなった。ご主人だけでなく、奥さんも歩いているところを見ることがなくなった。そして、この前、町会から脱会されたと妻から聞いて驚いた。あれだけ地域の活動に協力的だった人だったのに、奥さんが「いろいろ役が回ってくると大変だから」ということでやめられたそうだ。それも、今から考えたら、ご主人の余命を考えて、町会活動どころではなくなっていたのだろうと思われる。


上述のように、亡くなられたご主人とは40年近い近所づき合いだった。とても堅実で、温厚で、優しい人だった。地域の活動にも積極的で、決して手を抜かない人であった。年末に、「火の用心、カチカチ!」と一緒に回ったときも、僕はその人にくっついてさえいたら、それでよかった。その人が役員をされていた頃は、夜回りが終わってから、そのお宅にお邪魔して、お酒を呼ばれたこともある。


長男よりひとつ上の娘さんがいる。3歳ぐらいの時のあどけなかった娘さんも今は40歳を過ぎ、時々大きな子供さんを連れて遊びにきているのを目にすることがある。幸せそうな家庭であった。


そのご主人が、亡くなられた。お葬式にも出ていないのだから、目の前からす~っと姿を消していったという印象だ。あっけないものである。


自分と同年代の人が逝くと、ただならぬ思いに駆られます。


この世の中からいなくなる…ということはどういうことなのか? まだピンとこないけれど、身近な人が亡くなると、やっぱり…考え込む。

 

 

 

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人生いろいろ・仕事もいろいろ

2014年01月23日 | モミィの成長日記

   ~ キッザニア甲子園 その2 ~


「大人になったら何になりたい?」…と、モミィに聞くと、いつも「ケーキ屋さん」と答えます。ケーキやお菓子を作りたいのだそうです。


ある調査によると、小学生から中・高生までの子供たちの人気職業ランキングは、①学校の先生 ②パティシエ ③保育士 ④ファッションデザイナー ⑤プロスポーツ選手 ⑥看護師 ⑦公務員 ⑧漫画家… となっていました。モミィが夢見るお菓子を作りのパティシエも、第2位に入っています。


しかしこれが、40歳以上の人を対象に行われたアンケートでは、当然のことながら、全然違う結果になっています。以前、新聞で「生まれ変わったら就きたい職業」という特集記事があったので切り抜いておきました。いま改めてそれを見ると、やはりさまざまな人生経験を積んだ40歳以上の人は、「人生をやり直せるとしたら、次はこういう仕事をしたい」という気持が強く滲み出ているようです。ランキングは、①大学教授・研究者 ②医師 ③弁護士 ④パイロット ⑤学芸員 ⑥公務員 ⑦ジャーナリスト ⑧アナウンサー ⑨通訳・翻訳 ⑩俳優 という順番になっています。


40歳以上の場合、スペシャリストに憧れる人が多く、特に1位から5位までは、かなりの専門分野ですよね。紙切れ一枚で人事異動させられるサラリーマンの悲哀を知る人などは、磨き抜いた技術や卓越した能力をもって、自分ならではの職業で自己実現したい…という願望が伝わってきます。


…そんなことで、誰でも夢見る職業というのはありますよね。特に子供たちの夢は果てしなく広がります。その子供の憧れの職業体験を満喫させるキッザニアというのは、本当によく出来たレジャー施設だと思います。東京にはキッザニア東京があり、関西ではキッザニア甲子園があります。去年の夏、初めてモミィをキッザニア甲子園へ連れて行った時、子供たちがいろんな職業にチャレンジしている姿に胸を打たれました。モミィも「また行きたい」と言い続けていました。やりたい職業がまだまだいっぱいあるのでしょう。そして昨年末、2度目のキッザニアへ行ってきましたので、その報告です。


前回では、モミィは、

ファッションデザイナー
ファッションモデル
パン屋作りの職人さん
化粧品屋さん
新聞記者


この5つの職業を体験しました。

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/15f861f704b6fd811d8fedc97ff2040a


そして今回は…


テレビ局のアナウンサー
ダンサー
舞台俳優
ピザショップ職人
病院で赤ちゃんのお世話


…の5つの職業を体験しました。写真でご紹介します。

 

 
 まずテレビ局のアナウンサー。
「テレビのクイズ番組に出演!」という体験コーナーでしたが、スタッフの人から、「番組の司会をしてくれる?」と言われたモミィ。「本番」では一番左に座り、司会者用のジャケットを着せてもらい、参加者の一人一人に「どちらからいらっしゃいましたか?」とか「問題はむずかしかったですか?」などと、台本を見ながら質問していました。

 

 

 
次は舞台俳優で「オズの魔法使い」に出演。モミィは主人公のドロシーをやりたかったそうですが、希望する子供が3人重なったのでじゃんけんとなり、負けて、主人公たちに退治される魔女の役をやることになってしまいました(左側)。えらい違いですが(笑)、ま、仕事というのは思い通りには行かないという現実も知っておけばよろしいかと…

 

 

 

  2階のバルコニーで音楽に合わせて踊る子供たち。


  この中にモミィもいます(中央)。
 

 

 

 

 
 そして、この日、いちばんやりたかったピザショップの職人さん。
 朝に入場してすぐに予約に並び、順番が来たのが午後2時でした。
 生地をのばして具材を乗せてピザを作り、その場で焼きます。
 終わったらピザを持って出てきて、おいしそうに食べました。
(生地をのばす子供たち。モミィは一番右端です)
 

 

 
 この日の最後は病院の赤ちゃんのお世話です。
 赤ちゃんをお風呂に入れたり、オムツを替えたり…
 人形の赤ちゃんは本物なみの重量があるということです。
 「重たかったわぁ」と、あとでモミィも言ってました。

 

去年12月29日の、キッザニアでのモミィのお仕事体験でした~

 

 

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笑える話・笑えない話

2014年01月20日 | 雑記

昨日、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設問題で注目を浴びた名護市長選があり、開票の結果、現職の稲嶺進さんが当選した。この稲嶺(いなみね)さんのことを、先日のNHKニュースで女子アナが「いねむりさん…」と言いかけ、すぐに「いなみねさん」と言い直したのを聞いてしまった。アナウンサーでも、むろんトチることはよくあるだろう。でも、いなみね→いねむり…はあまりにもギャグっぽくて、ご本人はさぞ恥ずかしかったろうな~と同情する次第である。


で、
話はコロッと変わりますが…


大阪の落語家で誰が一番好きかと尋ねられたら、迷わず、桂米朝ですと答える。独演会にもよく足を運んだものだった。その米朝師匠も高齢になられ、今では現役としての落語が聴けないのがとても残念である。そこでEMIから出ている「特選米朝落語全集」というCDを集め、今はそれを聴いて往時を偲んでいる。あぁ、ええ人やったのになぁ…って、…まだ生きてはりますがな!


…と大変失礼なことを書きましたが、昨日CDで聴いた米朝師匠の「京の茶漬」という落語の冒頭で、こんな話が出てきましたので、ついつい…


危篤で危ない…というのを死んだと聞き間違えて、くやみに行ったあわてものの男の話ですが ↓


「とうとう、あかなんだそうですなぁ」と、その男。

「いえ、あの、まだ生きてますんですけど」と、家の人。

「あ、まだ死んではらしまへんの…?」

「まだ、生きてますんですけどね、お医者さんのお話では、もう今晩の10時までは、もたん、とかいうことで…」

「さよか。ほなまた、10時頃に寄せていただきます」


笑いましたわ~。
ま、落語の中の話だから面白いわけですが…


一方では笑えない実話もあります。かつて王貞治さんがソフトバンクの監督をしていた時、胃がんで入院されたことがありました。その時、温厚で知られた野球解説者のSさんが、テレビでこう言ったそうです。


「とにかく、ソフトバンクは選手が一丸になって戦って、試合に勝つことです。それが王監督に対する何よりの供養になります」


あのね。亡くなられたわけじゃないんですから。ほんと、笑えない話です。


の失言に比べれば、女子アナの「いねむりさん」などは可愛いもんですよね。

 

 

 

 


 

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飛蚊症(ひぶんしょう)

2014年01月18日 | 心と体と健康と

昨日モミィが学校から持って帰ってきた「学級だより」というプリントを見た。「みんなで五・七・五のことばを楽しもう」と先生の字で書かれていた。「へぇ~、学校で俳句やるの?」とモミィに聞くと、「やるで」と自信に満ちた答えに続けて「私もひとつ作ったのよ」とちょっと改まったモミィ。「そう? どんなん作ったん?」と聞いたら、


お正月 おもちを食べて おいしいな  


さて、ここから今日の本題です(笑)


1週間ほど前から、どうも右の目がヘンな具合なのに気がついた。どうヘンなのかと言えば、右の目の真ん中よりやや右上のほうに、黒いアメンボの足のようでもあり糸くずのようでもあるような(うまく例えられない)、とにかく黒くて細いものが視野に映るのだ。それを見ようとすると、それはさらに右へ動く。視線を左にやるとやはり同じような場所にそれは動く。時々そうなっていたのが、徐々に頻繁になってきた。大和川堤防に出てランニングやウォーキングをすると、一面に青空が広がるような場所だと特によく見えるので、気になる。俗に言う「目の前を蚊が飛んでいる」現象なのかも知れない。


妻から「すぐに眼科で診てもらわなければ」と言われ、一昨日の16日、眼科へ行った。もともと近視と乱視があり、眼圧も高い方なので定期的に目の検査にも行かねばならないのだが、ついつい怠って、その眼科にも2年余りご無沙汰していた。久しぶりに行って、受付で症状を言い、そのあと視力検査をし、しばらく待合で待った後、名前を呼ばれて診察室に入った。


「飛蚊症ですね」。暗い診察室で、目に光を当てられたり目の玉をくるくる動かせたりして検査を受けたあとに、医師からそう言われた。やはり「蚊が飛んでいる」症状なのだった。医師はその現象を、目の構造も含め丁寧に説明してくれた。目の中の硝子体というものが濁る…とかいう説明だった。「網膜剥離などの病気が原因だとか、その前触れだとかいう心配はありません。ただしこの治療法というのは、ないんですよね」ということだった。


「黒いものの数が増えたりすることもあるかも知れませんが、さほど心配する必要はありません。ただ、視野が狭まったり、暗く見えたりしたらすぐ来てください。ま、そのままでも、定期的に検査されることをお勧めします」


…ということで眼科を後にした。昨日、プールで泳いでいても、水中で右上のほうに細くて黒いものが見えた。ただし意識しても、見えない時もある。耳鳴りのようにず~っと休みなく鳴り続けるほどタチは悪くなさそうだ。


といっても…
また体の中に荷物がひとつ増えた。


ええもんはちっとも増えへんのに、こんなもんばっかり増えよる。
やれやれ…と、また、ため息ですわ。

 

 

 

 

 

 

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棟包みが破れてる?

2014年01月16日 | 日常のいろいろなこと

あれは去年の夏頃だった。作業服を着た男が「リフォーム会社のものですが」とわが家を訪ねてきた。応対に出た妻が話を聞くと…


「このご近所の家の屋根の工事をしていた者です。その時、お宅の屋根が見えたのですが、棟包み(むねづつみ)が破れていますね。今のうちに改修しなければ雨漏りなどが起きますよ」と言い、「もし、よろしければ、今すぐにでも修理はできますので、やりましょうか?」


…そんな話だった。しかし、僕と親しい友人の弟であるT松さんが工務店をしており、その人に建ててもらった家なので、全てのことはそこへ相談している。だから妻は、他業者がリフォームに関して何を言ってきても、すべて断り、とりあえずT松さんに電話をすることにしている。だから「棟包みが破れています」と言われても、「うちは専属の工務店がありますので結構です」と妻が断った…というのが去年の夏のことである。


ところで、棟包みとは何か? 調べると「屋根の頂部のことを棟といい、頂部を覆う金物などのことを、棟包みという。場合によっては、芯になる木材もふくめて棟包みと呼ばれる」とあった。要するに屋根のてっぺんの部分であり、その一部分が破れてきているのでやがて雨漏りがするようになるだろう…というのが、訪ねてきたリフォーム業者の説明だった。


うちの次男が近くの建設会社で「家づくりアドバイザー」という仕事をしているので、わが家に遊びに来た時、「棟包みが破れてますって言われたけど…」と言ったら、「あ、気ぃつけなあかんで。そういう詐欺もあるからね」ということだった。でも実際にそこが破れていたら直す必要はあるね、とも言った。


そのまましばらく放置していたが、ある時、T松さんから電話があったので、妻がついでに「棟包み」の話をしたら、「じゃ、また確認に行きます」との返事。「お願いね。急ぎませんからいつでもいいですよ」と妻。


そして今週13日にT松さんが来てくれた。屋根専門の職人さんを連れ、大きな重機もやってきた。屋根の職人さんが重機に乗って空中からわが家のてっぺんを注視したあと、降りてきて、T松さんに何事かを言った。妻が「どうでした?」と言うと、T松さんは、いつものようにボソボソとした口調で、「何も異常はありませんでした」そう言って帰って行ったのである。


やはりあの男は、次男が言っていたように、詐欺だったのだろうか。


いきなりやってきて、屋根のてっぺんが破れてますとか、雨漏りがしますよとか何とか言って、家のものを心配させ、「じゃぁお願いします」と頼んだら、業者は屋根に上がってどんな作業をしているのか、こちらからは何も見えない。「はい、修理が終わりました。これでもう雨漏りは大丈夫です。ではお代金〇万円頂戴します」と言われるままにお金を払う…ということになるのだろう。どうも、当節は油断もスキもない。あちこちで何とか詐欺…というのが横行しているけれど、こんな詐欺もあるようなので、皆さん、十分に注意してくださ~い。

 

 

 

 

 

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あべのハルカスと〇〇記念日

2014年01月15日 | 日常のいろいろなこと

きょう1月15日といえば成人の日…というイメージがまだ頭の中にこびりついている。今から遡ること14年前の2,000年(平成12年)に「ハッピーマンデー」の制度ができ、第2月曜日に移動したけれど、いまだにピンとこない。


今年は13日が成人式だった。テレビでは全国各地のユニークなイベントが紹介されていた。バンジージャンプ成人式(こわ~)とか、ハダカで冷たい川の中につかる寒中成人式(さぶぅ~)とか、ダイビング成人式(ビデオのダビングと違いまっせ~)とかねぇ。千葉県浦安市はディズニーランドでの成人式が恒例だそうで、これはとても楽しそうなアトラクションで華やいでいた。モミィが「いいなぁ、ここに住んでいる人は」と、うらやましそうにテレビを見て言った。


成人式はなんといっても晴れ着姿の女性が主役で、男性は付け足しみたいなものである。TVカメラもひたすら晴れ着の女性を追う。その後ろのほうで男性たちが少しでもテレビに映ろうと、Vサインを出したりはしゃいだりしていると、ますます付け足し感が強まるんですよね~。(むろん外見だけの話ですよ、男性諸君)。


大阪での成人式では、日本一高いビル「あべのハルカス」で「地上300メートルの成人式」というのがあった。約100人の新成人たちが60階の展望台まで階段を歩いて上がるのである。その段数は1637段。こうなるとやはり男性が主役である。中には女性もいて「ヒールで上がるのはつらいですね~」と歯を食いしばっていたが、さすがに晴れ着姿で階段を上がる女性の姿はなかった。あれば大きく報道されていたでしょうけけど。ま、無理やわね。…で、頑張って展望台に上がった新成人たちは、「景色、サイコー!」と飛び跳ねていた。


「あべのハルカス」については、何度か書いたけれど、僕の住んでいる近鉄南大阪線の沿線の終着駅、阿部野橋にある。わが家の3階のベランダからも、ビルの姿が見える。


…ところで、ここから例によって余談です(余談のほうが長いねん)。昨日の朝の読売テレビ「すまたん」という番組で、この成人式の様子を報じたあと、女性キャスターが「あべのハルカスは3月7日にオープンします」と、ハルカスの映像や展望台のチケット予約方法などが書かれているパネルを出して説明を加えていたのだけれど、横に立っていた解説者の辛坊治郎さんがその時、ふざけ半分でブツブツと何かを言ったのが聴こえた。「3月7日だって…? 3月7日…? え~っと、3月7日…。この日…ね、え~っと、あ、結婚記念日かぁ」


それが小さく聴こえた後、CMに切り替わった。はぁ…? と僕はCM画面を眺めながら、今の辛坊さんの「つぶやき」を反芻してみた。「結婚記念日か」…と言ったということは、つまり3月7日は辛坊さんの結婚記念日なんでしょうね。


なんとなぁ…、と僕は不思議な気分になった。女性キャスターが「あべのハルカスは3月7日にオープンします」と言って「3月7日」の文字が大きく出た瞬間、僕のほうが辛坊さんより1秒か2秒早く「3月7日…? え~っと3月7日は…あぁ、そうや、結婚記念日やったんや~」とつぶやいた。そしてそのあと辛坊さんが同じことをつぶやいたのだから、いや~参った参った。


つまり、辛棒さん夫婦と僕たち夫婦の結婚記念日が同じ日だった。僕より7歳年下の辛棒さんが今年で何度目の結婚記念日を迎えられるのかは知りませんが、うちは結婚して…ううぅぅ、もう言わんとこ。数えられないほどの年月ですわ。


…さて、毎日寒い日が続きますが、皆様、お身体を大切に。僕は年末年始の飲み過ぎが今も尾を引いているのか、体調不良が続いていました。…で、昨日は禁酒して、妻の姉からもらった甘酒を温めて、ビールの代わりに飲みました。アルコール分はほとんどなく(0.4%)、蜂蜜や生姜などが入ってとても体にいいらしく、姉によると「飲む点滴」と言われているそうです。なるほど、そのおかげか、今朝は調子がいいです。そして調子よく早起きができ、今、調子よくこのブログも書きました~。(甘酒なんて飲んだのは、生まれて初めてのような気がしますけど)。

                   

 

 

 

 

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寅さんのこと

2014年01月11日 | 映画の話やTVの話など

去年からBSで、毎週土曜の夜に映画「男はつらいよ」が第1作から順々に放映されている。今日の土曜日は第13作「寅次郎恋やつれ」。マドンナはわれら団塊世代の永遠のアイドル・吉永小百合で、これが二度目の出演となる。前作で結婚した彼女の夫が亡くなり、寅さんと再会するところから、例の「失恋ストーリー」が展開される。島根県の津和野を舞台とした、僕の好きな1本です。


松竹映画の寅さんシリーズは、僕が20歳で、自転車で北海道を走っていた1969年(昭和44年)の8月に第1作が誕生した。(むろん、当時はそんなこと、知らなかった。漫画の「巨人の星」が映画になったことはよく覚えているけど)


「男はつらいよ」の最後は1995年12月の第48作「寅次郎紅の花」なので、このシリーズは実に26年間も続いたことになる。国民的映画と言われる所以だ。


一般的には、第2作目「続・男はつらいよ」(寅さんが、産みの親・ミヤコ蝶々に会いに行く話)が最高傑作と言われているけれど、僕がもしこの48本の中で一番好きな映画はどれ…? と尋ねられたとしたら…そうですね、浅岡ルリ子が出ていた第15作の「寅次郎相合傘」を挙げましょうか。彼女が演じる旅回りのキャバレー歌手・リリーは、寅さんの相方として最高の女性である。先月放映された第11作「寅次郎忘れな草」で初登場し、「相合傘」の後も第25作「寅次郎ハイビスカスの花」、そして最後となった48作目の「寅次郎紅の花」もリリーが寅さんの相手であった。このシリーズに4本も出演したのはリリーだけである。


「寅次郎相合傘」は、哀切に満ちた結末だった。それまでいろんな女性にフラれ続けていた寅さんだけど、リリーは心から寅さんのことを好きになる。妹のさくらが、リリーを自分の家に招いたとき、「リリーさんがお兄ちゃんの奥さんになってくれたら、どんなに素敵だろうなぁって。ま…冗談だけど」と言うシーンがある。リリーは真剣な顔で、「いいわよ、私みたいな女でよかったら」と答えるのだった。さくらは目を丸くして驚いたあと、表情を輝かせる。


寅さんの「恋愛成就」が手に届く瞬間だった。
そしてそれに続く名場面…


さくらは「とらや」で、寅さんに「リリーさんがね、お兄ちゃんと結婚してもいいって言ってくれたのよ。よかったわねぇ」と伝える。リリーは奥の部屋でいつになく神妙に座っている。「オレとぉ?」と、ここからの寅さんのリアクションは、まあ寅さんらしいと言えば言えるが、素直に喜ばない。「あんな気性の強いしっかりした女が、俺みてえなバカとくっついて幸せになれるわけがねえだろ」と言い放つのである。そしてリリーのほうを見て「こっちへ来いよ」と呼び、「お前、冗談なんだろ? え?」と問い詰める。リリーは戸惑う寅さんの顔をじっと見つめながら、フッと笑い「そう…、冗談に決まってるじゃない」と言うのだ。あぁ~。映画館でこのシーンを見た時、寅さんって本当にバカだ、これじゃ誰とも一緒になれないのは当たり前だ…と、悔しい思いをしたことを覚えている。後にも先にもこれほどのチャンスは巡ってこなかった。それをテレてしまい、まぜっかえしてしまい、せっかくの話を壊してしまうのだ。


だいたい寅さんは、いつも自分から女性を慕うのに、相手から好意を寄せられると、今度は引いてしまう。寅さんのことを、女性にフラれ続けた…と先ほど書いたけれど、女性のほうが寅さんにフラれる話も、シリーズの中には少なくない。


最近、酒井順子さんのエッセイを読んでいたら、寅さんを取り上げた一文があった。そこに、寅さんの陰には、多くの傷ついた女性がいる、として、寅さんはすぐ次の旅行に出かけてテキ屋商売に精を出しているけれど、女性に残った傷はなかなか癒えないのではないか…と書かれていた。


ひとつの例として「寅次郎あじさいの恋」(第29作)で、陶芸家の家政婦だったいしだあゆみが、寅さんを好きになって2人でデートすることになる。しかしテレ屋の寅さんはそのデートに、さくらの一人息子である満男を一緒に連れて行く。これほどの無神経はあるまい…という酒井順子さんの文章を読みながら、なるほど、女性に対するシャイな気持が逆に女性を傷つけるわけだ…と、その鋭い突っ込みに感心した次第である。さらに「寅さんは憎めないいい人ではありますが、テレ屋を言い訳にして、自分から何もしない男性に対する女性の恨みは意外と深い。観客は寅さんの男のつらさ、悲しさには思いを馳せても、ヒロインのそれには気づかないのではないか」…とも書かれていた。


…なるほど。物事にはいろいろな見方がある。女性の側からは、寅さんに対するそういう見方もあるんだ…と、目からうろこであった。ならばタイトルも変えて「女もつらいよ」にすればどうか…と、これは酒井順子さんが書いていたのではなく、僕が今思いついたことですけど(つまらんギャグだこと!)。


ま、寅さんが結婚してしまえばシリーズは続かなくなるので仕方ないのですが、こういう違った面から寅さんの映画を見ると、また味が出てくるのではないかと、これからまたせっせと土曜日のBSの録画をしようと思っています。ちなみに、次の次の土曜日に、前述の「寅次郎相合傘」が放映される予定です。

 

 

 

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あぁ介護保険

2014年01月09日 | 日常のいろいろなこと

おとといの昼頃、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。「は~い」と妻が出て行くと、郵便局からの簡易書留だった。受け取って戻ってきた妻に「何やったん?」と聞いたら、「これよ」と見せられたのが、市役所からの封書だった。その中に僕の「介護保険被保険者証」が入っていた。


か、か、介護保険??
いつのまにそんな年齢になったのか。


僕が市役所に勤めていた50歳ぐらいの時に、介護保険制度が始まった。(今、調べたら2000年施行とあった)。保険料は40歳から納めるのだから、当然僕もその時点から通常の健康保険料に加算されて納めてきた。そして65歳になった日から、今度はこの保険が適用されて自分が介護を受けられる立場になるのである(むろん保険料は納め続けるわけですが)。でも当時は、そんな年になった自分の姿を想像することはできなかった。まだまだ、ず~~~っと先の先のことだと思っていた。それがもう…。なんちゅうこっちゃ。


送られてきた「介護保険被保険者証」を手にし、まじまじ見つめながら、なんだか急に自分がお爺さんになったような気がした。同封されていた「介護保険ハンドブック」という小冊子をパラパラめくってまた封筒に戻し、妻に渡した。妻が「他の保険証と同じところに入れておくわね」とそれを持って行った。


…誰でも年は取る。順番に年を取る。しかし当人にはあまりその自覚がない。自覚がなくても、こうして介護を受ける「資格」ができたりすると、否応無しに自分の年齢を意識しないわけにはいかない。なんだか妙な気持だわ。


そして今日、僕はその65歳になった。

 

 

 

 

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パソコン、ご乱心?

2014年01月08日 | 日常のいろいろなこと

新しい年を迎えてすでに1週間余り。連日、冷凍食品に農薬が混入され、各地で不調を訴える人たちが続出するというショッキングなニュースが報じられている。こんなのは冷凍食品ではなく冷凍ショック品だ。家の冷凍庫の食品をチェックしたのはわが家だけではないだろう。必ず確認しておかなければね。


また今朝一番、やしきたかじんさんが3日に死亡していたという報道にも驚いた。日曜午後の読売TV「たかじんのそこまで言って委員会」は、タイトルどおりホンネのトーク満載で見ていてスカッとするナンバーワン番組で、僕も大好きだった。全国ネットではない分、出演者の皆さんはかなり過激な発言をしていたが、たかじんさんはその総元締めであった。番組休業中のたかじんさんがいつ復帰するのかと楽しみにしていたのに、まさか亡くなるとは…。お酒がかなり好きだったようで、それが食道がんを誘発したのか…それはわからないが、同じ1949(昭和24)年生まれとして、悲し過ぎる報である。


さて自分の話に戻るが、新年早々、パソコンの調子が突然おかしくなった。
どうおかしくなったかというと…


1月5日の朝にアップしたブログに対し、その日中に3名の方がコメントをくださった。その日の夜に、お返事を書いた。まず「メモ帳」に文章を打ち、そのあとブログのコメント欄にそれを貼り付けるという方法を取っているのだが、メモ帳で打ち終えて、すぐには送信せず、翌朝、もう一度文章を確認してからにしようと、そのままパソコンを閉じた。そして翌日の朝になり、自分のブログ画面を出した後、一番下のほうに「コメント」という部分をクリックしたら、いつもの画面が出てこず、エラー画面が出てきたのである。そこには…


HTTP500-内部エラー。ページを表示できません。


何度やっても同じエラーが繰り返されるだけだった。念のため、もう一つ、妻やモミィが使っているノートパソコンからアクセスしてみたが、それも同じことだった。ま、このパソコンもネット環境が同じで、いわば一心同体のパソコンだからそうなるわけなのか…? など、こういうことには疎いので、何がなにやらわけわからないまま思い悩んだ。自分のブログのホームの画面は出るのだが、個別の画面になるとエラーが出るのだ。


次に、「編集画面にログイン」というところをクリックしてみた。お~、その画面は出た。しかし、IDとパスワードを入れて「ログイン」をクリックしたら、やはり同じエラー画面がまた出てきたのである。こんなことでは、ブログのアップもできないし、編集もできないし、何もできないではないか!


「HTTP500-内部エラー」とは何なのかと、ネットを検索しても、同じような質問が沢山出ていたが、回答の意味がわからない。語句自体も専門用語ばかりなので何のことやらわからない。あぁ、パソコンも、ひとつ歯車が狂うとさっぱりお手上げになってしまう僕なのであった。


それで、2日間、パソコンを閉じたままにしていた。そして今朝、スイッチを入れて起動し、インターネットに接続して自分のブログを出した後、恐る恐る「コメント」の部分をクリックしたら、…なんと、元に戻っていたのである。


やったぁ。
よかったぁ。


パソコン君の気が変わらないうちにと、コメントのお返事を送り、無事それが画面に反映され、ホッと胸をなでおろした…というわけである。


まったく~、あれは一体なんだったのだ?
「HTTP500-内部エラー」ってねぇ。


パソコン君も時々、ご乱心あそばされるのかも知れない。わけのわからないまま一件落着したという、新年早々の不思議な出来事でした。

 

 

 

 

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お正月フォト日記

2014年01月05日 | 日常のいろいろなこと

1月5日。お正月の華やかさもそろそろ薄れ始めた頃ですね。もっとも、今日は日曜日なので、12月28日から今日まで9連休の方も多かったと思いますが、いずれにしても、ぼちぼち気持を切り替え、生活を元に戻し、酒の量も控え(誰に言ってるのだ?)、普通の生活リズムを取り戻したいものです。僕などはフリーの身なので、死ぬまで(…いや、死んでも!)連休が続きますが(笑)、そこはちゃんと世間様の生活様式に合わせて、清く正しく生きていかねばならない…な~んて冗談半分に思っているところです(…ってことは、真面目も半分?)。


さて、今年のモミィのささやかなお正月を写真でご紹介します。


僕は年に一度、元旦だけ、朝からお酒を飲みます(年に一度だけでっせ)。だから僕ひとりだけ朝食時間が長い。テレビのバラエティ番組はどれもつまらないので、昨日録画したNHK紅白歌合戦の後半部分(つまり寝ちゃったので見ていない部分)をかけて、お酒を飲み、おせちをいただく。やがて「もう行くよ」とモミィの催促でやっと重い腰をあげて服を着替える、という具合。モミィも年々口調がしっかりしてきて、この調子なら来年あたり「いつまで飲んでるのよ!」と叱られそうな気がします。ま、そこはお年玉でごまかしたりして…


3人でぶらぶら歩いて駅の近くの葛井寺(ふじいでら)へ行きました。毎年、初詣にはここに来て、次に近くの辛国神社というところへ行き、その次が電車で2駅ぐらいある道明寺天満宮へ行きます。「初詣」というからには1ヵ所しかだめなのか…?なんてことは、あまり考えません。でもまあ、何回もしたら御利益が増えるだろうという都合のいい考えも持っていないので、別に何度行ってもいいですよね。ご参考までに、それらの寺社はこちらに出ています。


http://www.fujiidera-kanko.info/miru.html

 

 

 
  元旦の葛井寺。僕たちやモミィにはおなじみのお寺。

 

 
 
 辛国神社で「こどもおみくじ」を引いたあと、結ぶ。
 出たのは「末吉」。何事も努力すれば報われます…とか。
 じゃ~「大吉」なら努力しなくても報われる?(そんなアホな)

 

 

 
 2日の道明寺天満宮。元旦は仕事だったパパもこの日は一緒に。

 

 
 スマートボールに興じるモミィ。

 

 
  当てもの屋さん。この店でモミィは…

 

    
  …この大きなポスト型貯金箱を当てました。
  ずいぶん沢山の硬貨が入りそうですね。
  ちなみに横のクマさんは関係ありません。

 

  
   これは2日に道明寺で買ってきた絵馬ですが…

 

 
 「開運厄除」の札の裏。天満宮ゆかりの菅原道真公の「遺詠」
 が書かれていますが「啼…」は「鳴く」の意味でしょうけど、
 少し読めないところがあり、結局どんな歌なのかわからない。
 どなたか、ご存知の方がいらっしゃれば、教えてくださ~い。

 

 

 

 さて、3日は次男家族が遊びに来ました。
 年末年始はお嫁さんの実家(高知)へ行き、
 昨日、大阪へ帰ってきたばかりでした。
 写真は次男の子、ケイ、4歳です。

 

 
 モミィと2人でキャアキャア言って遊んでいました。

 

    
  4日は甥が息子のリョウ君を連れて遊びに来ました。
  モミィはリョウ君(5歳)とも大の仲良しで、
  夜までずっといっしょに遊んでいました。

 

では、今日から普通の生活に戻りまっせ~

 
それにしてもこの年末年始はよく食べてよく飲んだ。
ジョギングひとつせず、体重も増えてしまったなぁ。


2014年の最初の課題は、まず体重を減らすことから…ですぅ。
  

 

 

 

 

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初詣や年賀状のことなど

2014年01月03日 | 日常のいろいろなこと

お正月はいかがお過ごしでしょうか。
僕たちは例年通り、1日は近くの葛井寺(ふじいでら)と辛国神社というところへ初詣に出かけ、昨日の2日は長男の車で、これも毎年恒例の道明寺天満宮でお参りをしたあと、昼食はちょっと贅沢に「かに道楽」へ行きました。


モミィが学校で友達から「あたし、かに道楽へ行ってん」と言われたので、「私も行ったよ」と答えたそうです。なんだかおっちゃんとおばちゃんの会話みたいですけど、モミィはかに道楽には行ったことがなかったのに、他によく似た感じの店へ行ったのを勘違いしたようで、あとから気がつき、しまったと思ったらしい。昨日は「それでね、かに道楽へ行っとかなあかんねん」…と、道明寺から再び車に乗り、どこで食事をしようかという話が出た時にモミィがそう言ったので、その切なる願いに応えた…というわけです。


昼食後、堺の北花田にあるイオン&阪急百貨店へ行き、明日は次男夫婦と4歳の孫、明後日は甥が5歳の男の子を連れてわが家へ遊びに来るので、その食材などを買い、その間、モミィはパパに「アイカツコーナー」連れてもらっていました。モミィは今、プリキュアより、アイカツに凝っております。


元日も2日も、大阪はメチャ寒くもなく、まずまずのお天気でよかったです。

 

  
  道明寺天満宮。後ろにたこ焼き屋さんが写ってます。
 



ところで、年賀状にちなむ話ですが…

今年、特に印象に残ったのは、長男の友人、〇高君から来た年賀状でした。〇高君は長男の生野高校時代からの友人で、お正月には何度もわが家に遊びに来たこともあり、今は結婚して子供もできて、民間企業に勤めています。その〇高クンが昨年夏に、遠い遠い北海道の千歳へ転勤したのでした。ご承知のように、去年は異常気象が続き、特に北海道の異様な大雪は連日トップニュースに取り上げられていたほどです。北海道の千歳で初めて迎えた冬…、夢にすら見たこともないすさまじい大雪に〇高君はよほど驚いたことと思います。元旦に届いた〇高君の年賀状の隅っこには、ボールペンで小さく「大阪の100年分、1日で雪ふったわ」…と、書かれてありました。


年賀状といえば、40年以上もやりとりをしてきた高校時代の恩師のことにも触れておきます。僕はかつて、この先生に結婚式の司会をしていただきました。また、先生の奥様が北海道網走出身の方で、僕が20歳の時に自転車で北海道へ行くと聞いて、「うちの嫁さんの親戚の家に寄って行けよ」と連絡をしてくださり、僕が網走のそのお家を訪ねたとき、皆さんに大歓迎をしてもらい、感激したことを覚えています。その先生は、今は卓球界の大御所で、去年の年賀状には、「やってくれました!」と、ロンドン五輪で卓球女子が団体で五輪初のメダルを獲得した祝賀会場での写真が大きく写っていました。その先生からの同じ年賀状が、2枚あったのです。沢山出しておられるのだろうから、ま、そんなミスもあるんだろね~と思っていました。


しかし今年の元旦…。40何年間、ずっと送ってくださっていた先生からの年賀状は、届きませんでした。いつも丁寧に近況を書き添えてくださる先生だったのに、今年はいったいどうしたのだろう?…と不思議に思っているところです。


まさかねぇ。
去年2枚送ってるから、今年の分は休みます…

…ってことじゃ、ないと思うのですが。

 

 

 

 

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今年もよろしく~

2014年01月02日 | 日常のいろいろなこと

皆さま、明けましておめでとうございます。
健やかな新年を迎えられたことと存じます(ちょっと硬いかなぁ  


毎年、元旦が訪れると神妙な心持になり、今年こそ、こういうふうにしたい、こんな目標を持ちたい、あんなことも実現したい…な~んていろいろと心に秘めて1年のスタートを切るのだが、いまだにそれが成し遂げられたことがない(欲張り過ぎのところがあるんですよね)。


これまでずっと、そんな中途半端な人生を送ってきた。しかし昨日、初詣に出かける時、人生の「究極の真実」に気がついたのだ。ダダダダァ~ン つまり「人生というのは、元々中途半端なものなのである」…と。だから昨日は日がな一日、これでいいのだぁ~、これでいいのだぁ~ …なんて心の中でつぶやいた僕なのでした(笑)。


若い頃に読んだサマセット・モームの「人間の絆」のフィリップや、ロマン・ロランのジャン・クリストフ、そしてヘルマン・ヘッセの「車輪の下」のハンスなどの人生から、僕はどれほど多くの影響を受けただろうか。涙を流しながらそれらの小説に耽溺していた頃がなつかしい。…が、今はそんな感性はほぼ無用である。もう少し現実的なものに目を向けなければ、もうこの年になって毎日を楽しく過ごすことはむずかしいですものね~


…とまあそんなことで、今年の抱負というか心構えは…(やっぱり書くか?)


ちょっと完全主義なところがあり、しかしそのわりには怠けたがる…というのが僕の悪いところなのですが、これからは万事、無理はしない。「八重の桜」の“ならぬものはならぬ”とはちょっと意味合いが違いますが、“でけへんものはでけへん”…と、無理しないことを常に肝に銘じておくこと。…しかし、ものごとは面倒くさがらずに、コツコツとやっていくこと。…これを今年から心がけようと、マジメに思った次第です。


今年はこのブログの更新回数をもう少し増やしたいと思っています。そして、1回の文章はなるべく短くして、読みやすくご提供できるようにと思っています。無理せず、しかし面倒くさがらず…の精神を、ブログでも心がけるつもりです。


では、今年もよろしくお願い申し上げます

 

 


 

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