僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

大阪城から天王寺までテクテク

2018年10月30日 | ウォーク・自転車

もう10日ほど前になりますが、NHK大阪放送局へ朝ドラ「まんぷく」のスタジオ収録の見学に行ったことを書きました。その際、ウオーキングも兼ねて行ったのですが、今日はその時の写真をご紹介しながら振り返ってみます。

まず家を出て、北に向かって30分余り歩き、地下鉄八尾南の駅へ行きました。駅へ向かう途中、大和川の橋を渡ってしばらく歩いていると、こんなお店の看板が目につきました。


  

ご覧のとおり、ペットショップですが、「ペットのお見合い結婚相談」という文字を見て「へぇ~、そんなものあるんだ」とちょっと面白かったので写真を撮りました。これはペット同士がお見合いをして、お互いに気に入ったら結婚!ということなのでしょうか。気に入ったか入らないか、どうしてわかるの?とも思うのですが、ペットがお互いにデレ~っとしたら成立!ってことなんでしょうか(笑)。

さて、八尾南から地下鉄谷町線に乗って谷町四丁目まで行き、大阪城の方へ歩いて行くとすぐ右側にNHKがあります。そこでの様子は先日お伝えしたとおりですよね。

そしてスタジオ収録見学を終えて、そこからまず目の前にある大阪城公園へ行きました。

先日も書きましたが、そこを歩いているのは外国人ばかりでした。 
 

 
男も女も、大人も子どもも、歩いているのはみんな外国の人。

公園のベンチでパンを食べたり、少しウロウロしたりしたあと、天王寺までのウオーキングを開始です。

NHKと向かい合わせに大阪府警があります。富田林逃走犯の事件を始め、近年、何かと評判の悪い大阪府警ですけどね。その大阪府警の前を通って谷町四丁目に戻り、そのまままっすぐ西へ直進。

時刻は正午過ぎだったので、周辺のビルからぞろぞろとお昼ご飯を食べに行くサラリーマンの人たちが出てきて、歩道は埋まりました。ついさっきは外国人だらけの中を歩き、今度は勤め人の人たちの中に交じって歩く。旅行者でもなく仕事をしているわけでもなく、ただ歩いているだけの自分は、いったいどういう存在なのか? つまり単なるヒマ人か(笑)。な~んて思ったりしながらテクテク歩いて、やがて御堂筋に出ました。

 

 

この交差点を左に曲がり、少しだけ御堂筋の雰囲気を味わった後、本町からは左折して、もう一筋東側にある心斎橋筋への道に向かって歩きました。 

 

 
本町心斎橋筋商店街に入ります。

このへんはまだ人は少ないけれど、ここから戎橋に向けて、どんどん人が増えてきます。これまた外国人の皆さんが圧倒的多数を占めています。特に中国人が多く、商店街にはドラッグストアが沢山あるのですが、店頭に女性店員さん(日本人)が立っていて、中国語で呼び込みをしていました。そこへひとつのグループが店の中に入って行くと、店員さんは「シェイシェイ」と声を上げていました。もうこのあたりのお店は、外国人観光客がいないと、みんなつぶれてしまいそうですね。

 

 
心斎橋筋商店街を通り抜け、グリコのポスターで有名な戎橋へ。
ここは今や大阪のミナミを象徴する場所になっています。

ここに写っている人たちのほとんどが外国人です

この橋の下を道頓堀川が流れており、最近はサッカーW杯で日本が勝ったりすると、ここで大騒ぎして川へ飛び込む若者たちが増えています。大騒ぎと言えば、ここ数日の東京・渋谷でのハロウィンのバカ騒ぎの様子をテレビで見ましたが、車を横転させたり派手に喧嘩したり痴漢が出たりと、なんだかねぇ。ちょっとひど過ぎますよね~

さて、戎橋筋を進んで行くと広い道路に出て、信号を渡って千日前へ。「ここも久しぶりやなぁ」と思いながら、昔はよくビールを飲みに入った「たよし」という店の前を通りました。そしてなんばグランド花月の前を通過。ここはいつも賑わっています。

そのまま歩いて行くと、道幅が少し狭くなって「道具屋筋」に入ります。 


  
 道具屋筋。

道具屋筋は食の道具の専門店が密集する珍しい商店街です。のれんや提灯を扱う店から鉄板焼き機(たこ焼き機もたくさんあります)、厨房道具、各種食器など、料理好きの人には大人気の商店街です。 

道具屋筋を抜けると日本橋に出ます。

日本橋は一時に比べてすっかり人の数が減りましたね。歩いている人も少ないし、軒を並べる電気店にもあまりお客さんは入っていないし。

日本橋の通りが終わると、通天閣が見えてきました。
 

  


  
  アップで撮ってみました。

通天閣の下を通り抜けると、串カツ店で賑わういわゆる「新世界」と呼ばれるエリアなんですが、久しぶりに来ましたが、ここもまた何となく人の数が少ない。軒を並べている串カツ店にもお客さんはほとんど入っていないし、どの店も、男の人が前に出て、道行く人に「は~い、串カツはいかがですか~」と呼びかけ、僕も何人もの人に声をかけられました。ここも往時の人気はなくなってきたのでしょうか?

そして新世界から天王寺動物園の入口の横にある階段を上がって、歩道橋を渡り、天王寺公園に。

この天王寺公園は、以前はホームレス風の人たちが大勢いて、あまり良い環境ではなかったのですが、3年前にリニューアルされ、家族連れや遠足でにぎわう素敵な緑のオアシスになりました。今は「てんしば」と呼ばれています。「天王寺の芝生広場」で「てんしば」なんですよね。

その「てんしば」に来ると、家族連れの人たちがシートに座っての団らん風景があり、写真には写っていませんが、右側のほうには大勢の遠足の小学生たちが座っていました。  

その向こうに「あべのハルカス」がド~ンと建っています。


 

いつぞや、チンチン電車の路面をたどって住吉大社まで歩いた時も、遠くにあべのハルカスが見えている写真で終わりましたが、今回もあべのハルカスがゴールとなりました。

で、阿部野橋駅から電車に乗って帰途につきました。

住吉大社を歩いたのが8月下旬でしたが、その翌日から右のお尻から脚にかけてひどく痛み、病院へ行ったりして、その後だいぶ良くなりましたが、今も少しは痛みます。でも、歩いているうちに痛みが消えるので、そこそこの距離なら歩けるようになりました。

そんなことで、約2ヵ月ぶりの「遠征ウオーキング」でした。歩いた時間はトータルで3時間ぐらいでしたが、何しろNHKのスタジオ見学の時に1時間半立ちっぱなしでしたのでねぇ。足はやはり疲れましたわ。ハイ。

 

 

 

 

 

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カフェ・ラテが好きだった戦国武将は誰?

2018年10月27日 | ズレズレ草

モミィはTVのクイズ番組が大好きで、録画しておいたのを食事時やおやつの時などに見ています。見ているクイズ番組は、だいたい、

東大王
ネプリーグ
Qさま

の3つのうちのどれかです。

漢字の読み方、書き方や、四字熟語、慣用句などの国語系統や、歴史や地理などの社会科系統をはじめ、勉強と関係あるものも多く出るので、ほかの番組よりはいいかなと思っています。しかしまぁ、次から次へと問題を考える人たちも大変ですよねぇ。いつもそう思いながらモミィと一緒に見ています。

さて、先日のこと。

クイズ番組を見ながら、モミィはカフェ・ラテを飲んでいました。最近はよくそういうものをコンビニで買ってきて飲んでいるのですが、それを見た僕はふとあることを思いつき、番組がCMに入った時、モミィに、
「僕がひとつクイズを出してあげるわ」と言った。
するとモミィは興味深い顔をして、
「え、どんなクイズ?」と身を乗り出す。

「ではでは、問題です」
と、僕はテーブルに置いてあるカフェ・ラテに目をやりながら、
「カフェ・ラテが大好きだった戦国武将がいました。さてその戦国武将とは、誰でしょう?」
と、クイズ番組の出題者の口調をまねて言いました。

「え? カフェ・ラテって戦国時代にはなかったやろ?」とモミィ。
「いや。戦国時代にはすでに南蛮渡来のいろんなものがあったんやで」
と僕がテキトーなことを言うと、モミィはへぇそうか、という顔で、
「そうなん? う~ん、戦国武将かぁ……え~っと、織田信長!」
「ブー。違います」
「そしたらねぇ…… 豊臣秀吉!」
「ブー。違います」
「そしたら、う~ん、徳川家康!」
「残念でした。それも違います」
「あ~ん、わからへん。じゃぁ武田信玄?」
「いいえ全部不正解です。では正解を発表します。ジャジャジャーン」
………

「正解は!」と僕。
「だれ?」とモミィがさらに身を乗り出す。

「はい。正解は
「うん、正解は?」

「伊達政宗でした~」

……? へぇ? なんで伊達政宗やのん?」
「カフェ・ラテやろ。ラテ。だからラテで……ラテ政宗!」

パンパカパァ~~~ン。

「あほくさ」というシラケた顔が、目の前にありました。

「おもしろかった?」と僕が聞いても肩をすぼめる仕草だけ。うちの奥さんは横でクスクス笑っていましたけど、モミィは「なに、それ?」という顏をしながら、黙り込んだまま、再びテレビのほうに目を向けたのでした。

う~む。全然ウケなかったか……ラテ政宗。

 

 

           

 

 


 

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英検準2級 一次試験の結果は

2018年10月24日 | 日常のいろいろなこと

今年6月のブログで、モミィが英検・準2級の一次試験に初挑戦したその結果について書いています。その時は「読む、聴く、書く」の3科目の合計点が1300点余りでしたが、合格基準がなんと1322点。いやぁ、実に惜しい結果でした。講評欄にも「合格まであと一歩です」と書かれていました。

小学5年生だった去年の1月・2月に英検3級の一次・二次試験に合格しましたが、6年生になって、6月の英検は学校の運動会と重なって受けられず。次は10月だったのですが、モミィがそのころ急に私立中学に行きたいと言い出したので受験勉強で忙しくなり、去年10月と今年1月の英検は受験しませんでした。

そして前述のように、中学生になった今年の6月に初めて準2級にチャレンジしたわけです。それまでは僕がネットで申し込み、英検当日は家族3人揃って受験会場まで行っていたのですが、この時からは学校が団体として申し込み、受験場所も学校内でした。その6月の受験が、3級に合格した時以来、モミィにとっては1年半ぶりの英検となったのでした。

それにしても6月の一次試験は合格まであと一歩の成績だったので、その時のブログには、「これなら次回10月に実施される英検は結構期待できそうです。一次試験を突破できるかも知れません」と書いています。

そしてこの10月に受けた一次試験の結果ですが

学校の先生から発表があり、モミィは『合格!』と伝えられたのでした。

22日にネットで合格発表があったということでしたが、何しろ今は英検は学校主導ですから、僕たちはそれをパソコンで確認するのを忘れていました。モミィに聞いてから英検のホームページを見ると確かにモミィは合格しておりました。まぁ、ギリギリでしたけどね。前回のギリギリは悔しかったですが、今回のギリギリは、言うまでもなく、とてもとても嬉しかったです~

といっても、11月初旬に行われる二次試験(面接)に合格しなければ、準2級の資格は得られないので、まだまだ気は抜けませんけどね。

英検5級と4級は、家で僕がいちおう指導(?)して独学で合格しましたが、3級以上となると僕の英語力では教えるのが無理なので、ECCの塾へ通い、そこで教えを受けながら勉強を続けています。なので今はモミィがどの程度の英語力をつけているのか、詳しくは知りません。しかし準2級のテキストを見るとかなり難しいので、まぁよく頑張ったなぁとは思います。

目標は中学卒業までに2級をとることなので、なんとか今回、準2級の二次試験も突破して、目標である2級にチャレンジする態勢に入ってほしいです。

 

 

 

 

 

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沢田研二のドタキャン騒動

2018年10月22日 | ニュース・時事

1週間前だったのか、2週間前か、3週間前か
最近、もの忘れが激しいのでよ~く覚えてませんけど。

新聞の広告欄にデカデカと沢田研二の写真が載っていました。見ると大阪でライブコンサートが行われるという宣伝でした。大阪狭山市という大阪府の南部にある小さな市ですが、そこのホールに沢田研二が来るという宣伝だったのです。

「へぇ~、沢田研二か」と、カラオケに行けば必ず「勝手にしやがれ」を歌う僕としては、ジュリーがまだこういうコンサートで頑張っているんだなぁ、と新聞を見ながら思いました。そして、つい、
♪ 壁ぎわに寝返り打ってぇ~ 背中で聞いている~
という「得意」の歌を口ずさんでしまいました。あはは。

むかし、これを「壁ぎわ」ではなく「 窓ぎわ」と言い換えて「♪ 窓ぎわに寝返り打ってぇ~」とふざけていたことがあります。それで「窓際で寝返り打ったら、窓から外に落ちて死ぬで」な~んて言ったりね。ま、それは余分な話ですけど。

で、その新聞の宣伝文を読んでみますと、

70YEARS LIVE OLD GUYS ROCK

とありました。つまり、もう沢田研二も70歳なんですよね。ひやぁ~、びっくり、と思いましたが、よ~く考えてみれば僕も来年70歳なんですわ。

そ~か。ジュリーも70歳。同世代だったんだよねぇ、と改めて感慨深くこの新聞のライブの広告を眺めていたものです。

それがこの度テレビで「沢田研二、ライブでドタキャン」と、大きく報じられたので驚きました。さいたまスーパーアリーナでのコンサートを開演1時間前に、本人の意向で中止したということで騒動となっている様子でした。まぁ、なんでこんなことがワイドショーでトップニュースになるんか? と不思議なんですが、とにかくこの話題で今のワイドショーは持ち切りのようです。

まぁ、9,000人収容のさいたまスーパーアリーナで、7,000人しかお客さんが来ないということを、主催者側や事務所が開演直前まで伝えてくれなかったと沢田研二は言ってました。キャンセルは「意地です」とも言っていた。う~ん、7,000人も来れば上等じゃないか、と言う向きはあるでしょうけど、2,000人分の空席ができるのがやる気を無くさせた、と言われています。

これを巡って、ワイドショーでいい加減なタレントたちがいろんな意見を述べていました。ほとんどのタレントが「ジュリーさん」と言ってました。アホか。言うなら「沢田さん」か「ジュリー」だろ。「ジュリーさん」って、聞いたことないわ。

で、結局は「賛否両論」ということですよね。まぁ~そうですね。遠くから交通費を使って来ているお客さんもいるのに、開演1時間前に中止ですと言われたら、落胆しますわね~。しかし、沢田研二にもプライドがあるし、「ファンには申し訳ないが自分の意地を通しました」という言葉にも同調したくなる。

何となく思ったのですが、本当の沢田研二ファンは今回のこともやむを得ないと思い、別に沢田研二のことを好きでもない人は「けしからん」ということでしょうか。たとえばデビ夫人などは「もっての外。ファンを裏切る行為です」と痛烈に批判しています。この人は沢田研二が好きではないのでしょう。

でもね。沢田研二は、もともとそういう人なんですよ。かなり前のことですが、地方のコンサートで、沢田研二が舞台の上でいろんな話をしていると、最前列にいたジュリーの「追っかけ」のおばさんたちが「ジュリー、お話はもういいから歌を歌ってぇ~」と言ったそうです。それに対して沢田研二が怒りをあらわにして「いつもいつも最前列に座って。邪魔しないでくれ!」みたいなことを言ったということで、問題になったことがありました。

そういう人なんですよね、ジュリーという人は。それは性格の問題で、歌とは何の関係もありません。

沢田研二の歌はホント、好きです。特に「勝手にしやがれ」はもう最高。
何と言っても阿久悠さんの詩ですしね。

むかし、勤めていた頃、後輩の男性や女性たちと一緒に、よくカラオケに行きました。後輩の人たちは若い人向きの歌を歌いますが、僕は古い歌を歌いますよね。何度も一緒に行っていると、その人たちは僕の持ち歌を覚えて、僕が知らん間にその曲がかかる、ということもありました。

ある時、僕が入れてもしないのに「勝手にしやがれ」の曲が流れてきました。

「あれ? 僕はこれ、入れてないよ」と言うと、後輩の男性が、
「あ、ボクが入れました。勝手に入れやがりました。どうぞ!」
「何やそれ? まぁええわ。勝手にしやがれ!」

な~んて、カラオケボックスで遊んでいました。
今回の騒動を見ながら、あの頃を思い出しています。

そして昨日、大阪狭山市で沢田研二のライブがありました。このブログの冒頭で書いたあの新聞広告は、昨日のライブのことだったんですよね。

昨日のその舞台で、ジュリーは今回のことを謝罪したそうですが、「あと10年頑張る」ということも言ったとか。

80歳まで頑張るってこと? すご~い。

どうか、それも「意地」で頑張って、実現してください。

頑張ってくれやがれ~(笑)

 

 

 

 

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朝ドラ 「まんぷく」 スタジオ収録を見学

2018年10月20日 | 日常のいろいろなこと

  ~ NHK大阪放送局へ ~

痛めていた右の脚もだいぶ良くなったので、昨日、久しぶりのウオーキングを兼ねて大阪市中央区大手前にあるNHK大阪放送局へ行きました。お目当てはもちろん、朝ドラの「まんぷく」のスタジオ収録見学でした。

NHK大阪放送局は大阪歴史博物館の隣、大阪城の目の前にあるビルの中にあります。そこには「BKプラザ」という見学コースがあり、誰でも自由に出入りができます。「まんぷく」のスタジオ収録見学も、そこでできるのです。

 http://www.nhk.or.jp/osaka/bkplaza/

一昨日、そのホームーページで収録スケジュールを調べると、今週は木曜日と金曜日の2日間だけ収録が行われるとのこと。調べたのが木曜日なので、さっそく翌金曜日に行くことにしたわけです。妻は、モミィが今は中間テストの時期なので早く帰宅するかもしれないということで、僕一人で出かけました。一人だから長距離ウオーキングもOK。で、スタジオ見学の後、大阪城から心斎橋、難波、新世界、天王寺などをテクテクと歩きましたが、それは別の機会に書くとして、今日は「まんぷく」スタジオ収録見学の体験談を


 
 NHK大阪放送局の正面

 


 
 放送局の玄関前。「まんぷく」の垂れ幕が。

 


 
 BKプラザの入口。遠足らしき小学生の団体が入るところでした。 

 

NHK大阪放送局は午前10時に開館で、僕は10時過ぎにそこへ到着。「BKプラザ」へ入り、スタジオはどこか?とキョロキョロ見回すと、9階と表示され、エレベーターがあって数人の人が待っていた。それで9階まで上がると、廊下の向こうに窓ガラスがあり、もうすでに人が集まっていた。そこがスタジオだったのですね。僕もそこへ行って、ガラス越しに覗き込むと

見学者は上からスタジオを見下ろす形になるのですが、中は薄暗く、いろんな仕切りがあり、時々通路をスタッフのような人が歩く姿が見える。天井には無数のライトがぶら下がっており、ほとんどが消えているのだが、右端の向こう側の一部だけが、メチャ明るく照らされていた。そこで収録が行われているのだろうか? でも、手前に壁みたいなものがあるので向こう側が見えない。天井にいくつかのライトが明々とついているのがわかるだけだ。

まわりを見ると、見学者のほとんどは女性である。その女性の人たちの会話を聞いていると、

「あ、あの隅のところで収録中なのね。でも、見えないやん」
「ほんとや。何年か前の『まっさん』の時は見えたのに」
「そのうち、見えるかもね」
「う~ん。どうやろうかねぇ?」

確かに、見学者に対する「お断り」として、「収録場所がセットの影になり、見えないこともあります」と書かれていた。今も壁に隠れてその向こうが見えないのは仕方のないことかも。でも、見たいなぁ、収録シーン。

ガラス越しに目を凝らすこと10分、20分、そして30分と時間は経つが、ずっと同じ光景である。そんな時、見学者たちが「あっ」とどよめいた。スタジオの薄暗い通路を1人の細身で背の高い男性が歩いて行く。上から見ているから顔などはわからないが、何となくカッコいい。「あ、あれ、長谷川博己さんや!」と周りの女性たちが騒いだところをみると、そのようだった。でも一瞬で通り去ってしまった。それからまた数分して、今度は数人の人が通路を通った。「あれ、安藤サクラや!」と誰かが言い、周囲からは「ほんまや、ほんまや」と言っているうちに、その人たちもすぐに消えてしまった。

「子供もおったなぁ」と見学者女性。
「あれは、福ちゃんの子供かなぁ」とお連れさん。
「この前も来たんだけどね、その時は松坂慶子さんが私たちのほうを見上げて手を振ってくれたんよ」
「へぇ~、そうなん? よかったね~。でも今日はアカンねぇ」
という会話も交わされていました。

そしてまた10分経ち、20分経ち。

すると、僕たちが立っている場所の上に設置されているモニタの画面が、それまで真っ暗だったのにパッと何かが映り、また「わぁ」という歓声が飛び交った。みんなスタジオから目を離してモニタの方を凝視する。僕も見た。音声はなく映像だけだが、そこに長谷川博己が写っていた。

何の映像だろう? と僕が首をひねっていると、そばにいた女性が、
「これがね、今、実際に収録している場面なんですよ」と教えてくれた。

画面では、長谷川博己が座っている。その前に金網が張られている。金網の向こうに安藤サクラがいる。どう見ても、刑務所か留置所みたいなところでの面会風景である。安藤サクラは赤ちゃんを抱いている。音声が出ないので何を話しているのかわからないけれど、夫・長谷川さんが、妻・安藤さんが抱いている赤ちゃんの髪の毛を、金網越しに、愛おしそうになでていた。今週、憲兵に捕まって瀕死の状態に追い込まれながらも釈放された長谷川さんが、なぜかまた、こうして金網の向こう側にいる

「なんや? また捕まったの? よう捕まる人やなぁ」
と、モニタを見ていた1人の女性が声を出したので、おかしかった。
また、いつかこのシーンがテレビで放映されるのが楽しみです。

そんな時、先ほど入口にいた遠足らしい小学生の団体が来て、スタッフの女性が「恐れ入ります、子どもたちがスタジオ見学しますので、場所をあけてくださ~い」と言われ、僕たちは隅っこのほうに寄った。

スタッフの女性は子どもたちに、
「はい、みなさ~ん。ここでね、朝のドラマが撮られているんですよ。今、向こうにライトが光っている場所で収録が行われています。あれだけ明るいのは、お昼の場面だと思います。お昼のシーンも夜のシーンも、雨や、嵐や、火事なんかのシーンも、全部このスタジオで撮影します。ドラマ全体の80パーセントをこのスタジオで収録するのですよ」
と、説明をしてくれた。子供たちは目の前のスタジオ風景があまりに単調なので面白くないのか、ひそひそ話をしたりして、ほとんどスタッフ女性の話を聞いていなかった。むしろ周囲にいた大人たちのほうが「ふむふむ、なるほど」という顔で、熱心に聞いていました(笑)。

ということで、11時半過ぎまで約1時間半、スタジオの見えるガラスの前に立っていたのですが、収録シーンは見られないまま。足も疲れてきたので、じゃあ行くか、と外に出ました。ちなみに、スタジオ周辺は撮影禁止だったので、写真がないのが残念です。

NHK前の道路を渡ると大阪城公園です。ローソンがあったのでパンと飲み物を買い、お堀の前の眺望のいいベンチに座ってモグモグ。まわりを歩いているのはほとんど、というよりもすべてが外国人でした(大げさではなく)。

そんな外国人たちを眺めてパンを食べながら、ふと、
「あ、この際だからカップラーメンを買って食べるべきだったか?」
な~んて思ったり。何でもあとから気がつくのが僕の特徴です(笑)。

でもまぁ、この目で収録風景を見られなかったことは残念でしたが、現場の臨場感を少しは感じることができて、楽しく過ごせました。

 

 

 
こんな絵葉書をもらって来ました

表も裏も、なかなかいいでしょ。
どなたかに送ってあげたいです。

 

 

 

 

 

 

 

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13歳になりました

2018年10月18日 | 日常のいろいろなこと

きょうはモミィの13歳の誕生日でした。

といっても、毎日忙しく過ごしているので、小学生の頃のように、家庭内でささやかながら華やいだ雰囲気の中での誕生パーティのようなことはせず、普通の1日でした。「これまでとは変わったなぁ」という感じですね。

ふだん、モミィは毎日、早朝に自転車で家を出て、駅の自転車置き場に預け、電車に乗って30分。学校ではみっちりと授業を受け、その授業が終わった後はクラブ活動(理科部)で過ごし、そうして夕方の6時半頃に家に帰ってきて、ご飯を食べ、そのあとまた塾へ出かけ、午後10時頃に妻が迎えに行く、というパターンがほとんどです。

下校時刻が遅れたら、家に帰らずそのまま塾へ行き、コンビニで夕食を買ったりして食べています。ですから、そんなときは午後10時過ぎまで家に帰ってこない、ということになります。

そんな生活の流れなので、僕もゆっくりモミィと話す時間は、これまでに比べて短くなりました。最近、モミィのことを書かなくなったのは、接触が少ないので書くことがあまりない、というのも一つの理由です。といっても、エピソード的な話はいろいろあるので、まぁ、書こうと思えば書くことは結構ありますけど(どっちやねん?)。

きょうの誕生日には、モミィは友だちから沢山のプレゼントをもらってきました。まずは学校で。そしてこちらに帰ってきても、小学校時代の友だちと待ち合わせていたようで、いろんな友だちからプレゼントをもらい、うれしそうに妻に見せていました。

妻はモミィが誕生日を迎えて、ひとつ年を重ねるごとに「あぁ、よかった」と何かホッとしたようなため息をもらすのですが、今日もうれしそうでした。

「早くモミィが大きくなってくれたらと、それだけよね」
というのが、普段からの妻の口グセです。

そう。モミィが成人するまで、僕たちは元気でいなければならないんです。

でもまぁ、いつのまにか大きくなりましたわ。しゃべることも一人前だし、会話も大人の会話に十分ついてくるし、またどこで覚えたのか、びっくりするほど、社会の動きやいろんな話題を知ってます。友達との会話からの影響なんでしょうかね~

ま、そんなことで、

このブログを始めた時は、モミィは2歳でした。
そのころの写真を探してみましたが

 

 
これが2歳の誕生日を迎える前の夏です。

 


 
 コスモスを背景に、3歳の誕生日の日です。

 


 
5歳の誕生日の2日前、幼稚園の運動会でした。

 


 
7歳の誕生日。自分でバースデーケーキを作ってます。

 

そしてそれから6年。

 

 
今年6月、中学校での運動会。
左端がモミィです。

 

年月は早いものですね~

そりゃ、僕たちも年をとりますわ。

 

 

 

 

 

 

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朝ドラ 「まんぷく」 で、池田市の「カップヌードルミュージアム」は超満員?

2018年10月15日 | 日常のいろいろなこと

NHK朝ドラ「まんぷく」は、ご承知のように日本で初めてのインスタントラーメン(チキンラーメン)を発明した安藤百福(ももふく)さんという男性とその妻・仁子(まさこ)さんという女性をモデルにしたドラマですね。

主人公の「福子」を演じているのが安藤サクラさんで、実際の安藤さんご夫妻と同じ名字なのがまた面白いというか、紛らわしいというか(笑)。でも安藤サクラさんの人気は急上昇中のようですね。あの豊かな表現力を見ていると、それも当然のことに思えます。

ちなみに、チキンラーメンが発明されたのが1958年(昭和33年)とのこと。そこで、今年がちょうど60年の記念すべき年ということで、このドラマが企画されたと言われています。

その安藤百福さんがチキンラーメンを発明した地は、大阪の池田市というところです。その池田市に「カップヌードルミュージアム」という博物館があるそうです。それを知って、妻と「一度行ってみようか」と話していました。

そこで場所を確認したのですが、池田市は大阪の北にあり、我が家は大阪の南にあるので、結構遠いです。ネットでそのミュージアムの場所を探すと、阪急宝塚線・池田駅下車、とありました。マップでその周辺を眺めてみると、近くに大阪大学がありました。「あ~このあたりなのか」と僕はつぶやきました。

実は長男は大阪大学を出ているのですが、先ほども言いましたようにわが家から遠いので、在学中はその近くに一人で住んでいました。

ただしこのミュージアムが出来たのは1999年(平成11年)なので、長男の阪大時代にはまだ存在していませんでした。

そこで先日、長男に「阪大の近くにカップヌードルミュージアムっていうのがあるのは知ってる?」と聞いてみた。すると「うん。よく知っているよ」という答えが返ってきた。卒業後もよくあの辺で友達と会ったりして、何度も足を運んでいるようなので、ミュージアムのことも詳しいようでした。

長男の説明によると、以前からここはとても賑わっているそうです。入館料自体は無料で、何百円かを払えば、手作りのカップラーメンが作れるコーナーもあり、子どもから大人までとても人気があるという。

「これまでも人気があったのに、今はNHKのドラマが始まっているからもっと大変やで。全国からすごい数のお客さんが押しかけていると思うわ。超満員で、行ってもすぐには入られへんのと違う?」

と言われてしまった。

「まあ、あと3年くらいしてから行ったらいいんと違う?」
と、長男はクスッと笑う。
そんなアホな。なんで3年も待たなあかんねん!

しかしまぁ、少なくとも来年3月にドラマが終わるまでの間は、ミュージアムはお客さんで混雑することは間違いないでしょうね~

「う~ん、そうか。やっぱり行くのはやめとこうか

僕はとにかく人混みが苦手ですからねぇ。その話を聞いて尻込みをしてしまった、というわけです。


 

 

 

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「小鳥遊」 ってなんて読む? 

2018年10月13日 | 思い出すこと

先日始まったばかりのTVドラマに「リーガルV・元弁護士・小鳥遊翔子」というのがありました。

僕は新聞でこのタイトルを見て「うわっ」と思いました。というのは、主人公の米倉涼子が演じる元弁護士の名字が、タイトルにも使われている「小鳥遊」という、なかなか読めない難しいものだったからです。

僕はこれを「たかなし」と読むということを、むかしむかしに読んだ本で覚えていたのです。あぁ、これまた懐かしい話ですわ~

50年も昔の話になります。

僕は高校から大学にかけての頃、読書が一番の趣味でしたが、中でも大学の時に出会った北杜夫のエッセイ集にはメチャ傾倒しました。とにかくユーモアたっぷりで、読みながらお腹を抱えて大笑いしたり、クスッと笑ったり、う~んと唸ったり、はぁ~とため息が出たりと、もう面白くて面白くて仕方がなかった。自分の読書歴の中で、これほどハマった作家は他にいないと言ってもいいくらいです。今の僕自身の文章も、いまだに北杜夫の影響をかなり受けているように思います。

その北杜夫が何かのエッセイの中で、今もよく覚えているのが「世の中にはとても面白い名字がたくさんある」という話でした。そこでいろんな変わった名字が紹介されていましたが、特に忘れられないのが「小鳥遊」という名字でした。

北杜夫によると、
「これは『たかなし』と読む。なぜか? それは小鳥たちの天敵である鷹がいない場所では、小鳥たちは自由に遊べるから、というのが由来。つまり、鷹がいない→小鳥たちが遊ぶ→小鳥遊で『たかなし』と読むのである」
ということが書いてありました。

その時から「小鳥遊」という名字については、いつも頭の隅にありました。

そして今回の米倉涼子のドラマのタイトルですからね~。
ホント、50年前の記憶が、鮮やかによみがえってきましたよ。

でもまぁ、珍しい名字とは言うものの、いま、パソコンで「たかなし」と入力したら、ちゃんと「小鳥遊」という漢字が出てきたので、そんなに驚くほど珍しい名字ではないのかも知れません。ただ、その由来が面白いので北杜夫は取り上げたのかな~と今では思ったりね~

ところで、話は変わりますが、珍しい名前と言えば、NHKテレビの「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」という番組で、いろんな名字が取り上げられていますね。

先日、見ていたら「浮気」という名字の方がおられました。「うき」と読むそうなんですが、パッと見たら「うわき」ですよね。これはさすがに、人に言いにくいでしょうね~。「うきです」と言うのはいいんですが「どんな字を書くんですか?」と聞かれたら、「え~っと、あの~」なんてためらってしまいますよね。

他にも「生江」と書いて「なまえ」と読む方がおられました。「お名前は?」と聞かれた時が一番困るようです。「お名前は?」と聞かれ「なまえ、です」と答えたら、相手は「はぁ?」と首をかしげますよね。

また「甘庶」と書いて「かんじゃ」と読む方もおられました。なんとこの方は病院で働かれているそうです。患者さんではなく、甘庶(かんじゃ)さんです。

そんなことで、
まぁ、珍しい名字は沢山ありますが、子どもの時はそれでイジられたりしますよね。僕が高校の時に「雨森」という友だちがいましたが、クラスの者は全員名字を呼ばず「ジャジャ」と読んでいました。雨漏り→ジャージャーという発想でしょうね。本人も「ジャジャやぞ~」と、自分で言ってましたわ。

あ、そうそう。また別のことを思い出しましたが、3年前のこのブログで、

「浮気と書いて何と読む?」

という記事を書いたことがあります。この「浮気」は人名ではなく地名ですが、ちゃんとした地名だから、地域には「浮気保育園」というのがあったり、「浮気自治会長」という人が存在したりするのです。そんな話題を取り上げました。ここの場合の「浮気」は「ふけ」と読むのだそうです。先ほどの名字の「浮気」さんは「うき」と読むそうですから、いろんな読み方があるんですね。

ということで、これでおヒマなネタは終わりです。


ちなみに、北杜夫が亡くなった時のブログを掲載させてもらいます。

北杜夫、亡くなる ~2011年10月27日~

ついでに、熱烈なる北杜夫ファンとして書いたブログもあります。

「のんき」の自分史 ~2011年8月5日~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東日本大震災から7年7ヵ月 

2018年10月11日 | ウォーク・自転車

今日は10月11日。
東日本大震災から今日で7年7ヵ月が経ちました。
そのことと、また自転車旅行の話とを、絡めてするわけですが

昨日、大阪富田林の逃走犯である樋田容疑者と一緒に、日本一周自転車旅行をしていたという44歳の男性が、記者会見を行っていました。

この男性も、盗んだ自転車で日本一周をしていたということで同時逮捕されていたのですが、盗んだのは放置自転車だったらしく、占有離脱物横領容疑ということで「処分保留」で釈放されたので、会見に至ったようです。

ところで、この男性が会見の中でこんなことを言っていました。樋田容疑者が日本一周自転車旅行のフリをして逃げていたことについて、

「これでは、日本一周自転車旅行をしている人たちに迷惑がかかります」

な~んて、言ったのです。
ホントにねぇ、お前も自転車を盗んだのに、その口で言うか?

まぁ、そんなニュースを見る都度、何度も書くことですが、昔の自分の自転車旅行のことを思い起こさずにはいられません。

一人で黙々と自転車旅行をしていると、やっぱり人恋しくなります。どこかで同じような自転車旅行者に会うと、当然ながら話がはずみます。それぞれの経験を通じて、どこの宿はメチャ安いとか、どこの大学は貧乏旅行の若者を校内に泊めてくれるとか、中にはオレの家はここだから、母ちゃんに電話しとくからそこへ寄って泊まって行けとか、いろいろな話に発展していきます。

そして、これから行く方向が同じだったら「じゃ一緒に行こうか」という展開にもなるんですよね。

僕が北海道へ自転車旅行をしたときにも、一緒に走った人が何人かいます。でも、ほとんど1日か2日だけでした。しかし、1人だけ、9日間一緒に走った人がいました。

先日も書きましたが、北海道の帯広駅で会った男性です。Nさんと言って僕より何歳か年上、東京の新宿の人で、仕事を休職し、日本一周中とのことでした。

僕はそのNさんと、帯広~えりも岬~苫小牧~函館~青森と、9日間も2人で走りました。夜はそれぞれテントを張っての野宿やバス停のベンチで寝たりしながら、青森県の野辺地というところでいよいよ別れの時が来ました。

道路が右と左とに分かれていました。

右(西側)は国道4号線で、青森市へ通じる道。左(東側)へ行けば三沢、八戸方面に行くというところです。僕は左の道、つまり八戸方面から太平洋側を走って大阪への帰路に向かいます。逆にNさんは右へ行き、日本海側を通って西日本へ向かうのです。

「じゃぁここで」
「元気でね~」
と手を振り合って、僕たちは右と左に分かれました。

その後、お互いに旅行が終わり、ハガキや年賀状のやり取りをしていましたが、やがてNさんは宮城県・石巻市の花屋さんの娘さんと結婚され、その花屋さんの主人となりました。「ま、婿養子みたいなもんです」とハガキに書かれていました。そしてそれから何十年もの歳月が経ち

2011年3月11日の東日本大震災の大津波で、石巻の花屋さんも大きな被害に遭われたのです。

僕はNさんに安否確認の電話をしましたが連絡は取れず、震災から9日後にやっと電話がありました。

「ご心配をかけていますが、当方はみんな無事です。電話がつながらなかったので誰にも連絡できなかったのです。1階の花屋は全滅ですが、2階でなんとか生活できています」

とのことでした。

それ以降、毎年、3月11日が近づくとNさんからハガキが来ます。そのハガキを見るたびに、あの大災害のことを、僕たちは決して忘れてはならないのだと改めて心に刻み込んでいます。

さて、繰り返しますが、今日は10月11日で、大震災から7年と7ヵ月が経ちました。それで被災されたNさんのことを思い、また、逃走犯と同行の2人の「サイクリスト」のニュースが報じられる中で、Nさんとの昔の自転車旅行の思い出にも触れました。

最後に、今年3月に届いたNさんからのハガキをご紹介します。

 



   

 

  


 

 

 

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イオンモール藤井寺 来春完成

2018年10月09日 | 日常のいろいろなこと

僕たちが藤井寺市に引っ越してきたのは今から44年前の1974年(昭和49年)でした。それまでは隣接の柏原市というところに住んでいました。その当時、勤め先の松原市役所から、職場の友人が車で時々柏原の家まで送ってくれたのですが、松原から柏原へ行くのに途中で藤井寺市を通ります。ある時のこと。藤井寺市の道路を走っていると、向こうのほうにこれまで見たことのないような巨大な建物が幻のように建ち始めているのを見て、びっくりしました。

「あれ何やろ?」と僕が聞くと、友人は「何か大きなスーパーができるらしいで」と教えてくれた。それがジャスコ藤井寺ショッピングモールだったのです。

僕たちは、そのジャスコが開店した翌年に藤井寺に引っ越してきたのです。

そして妻は、幼い2人の息子たち(当時は2歳と1歳)を乳母車に乗せ、毎日のようにジャスコへ買い物に通っていました。食料品や雑貨はもちろんのこと、最上階には子供の遊戯施設もあり、息子たちや、後にはモミィまで、小さい頃はよくそこで遊んでいました。ジャスコは途中でイオンモールという名前に変わったようですが、僕たち住民はとにかくジャスコがあったから、そこで買い物をし、食事もし、休憩とか待ち合わせの場所にも使われ、小さなフードコートでおばさんたちが集まって楽しくおしゃべりもするなど、市民全体の憩いの場所でもあったのです。 


 
藤井寺駅方向から見た当時のジャスコ。向こう側のジャスコの看板の所から、
手前のダイアモンドシティまでが、ショッピングセンターでした。


そのイオンモールが、今から4年半前の2014年(平成26年)の2月に、建て替えのために閉店され、40年余りの幕を閉じたのです。 


  

一応、建て替えだからイオンが消えてしまうわけではない。新しいイオンがいつ建つのかというと、翌年(2015年)の12月だと言われていました。

でも閉店されたら、藤井寺は大阪市内と違って田舎街ですから、他に食料品店はあるとは言え、やはり衣料その他の雑貨などいろんな品々を手軽に見てまわれる場所は近くにはない。また、地階に小さなフードコートがあり、モミィは、そこでマクドナルドのセットやサーティーワンのアイスクリームなどを食べるのを楽しみにしていたものだった。ちょっと出かけるのに、アテがなくても、とりあえずイオンモールに行くか? という感じでしたね。

開店していた時にはさほど思わなかったのですが、いざ閉店となると、その有難みがよ~くわかりました。「早く新しいイオンができてほしいなぁ」と、当時、小学校低学年だったモミィもず~っと言っていました。

でもまぁ、新装オープンは来年(2015年)なんだから、すぐに出来るよ、とその完成を住民の多くの人たちが楽しみにしていました。しかし

閉鎖されたのが2014年2月なのに、建物の取り壊しはなかなか始まらず、翌年の15年にやっとそれが始まった。おまけに、15年末に完成するはずが、その後もず~っと更地のまま放置されていた。

それが、この2018年になって、ようやく動き始めたのです。


ジャスコがあった場所です。3年以上更地のままで放置されていたのが、
やっと工事らしきものが始まったようでした(今年7月に撮影)。


 
塀には「2019年春 開業予定」と書かれています。
「春」と言っても、いつなんでしょうね~
夏に近い春か、あるいは夏なんでしょうか…
 

敷地を囲む塀には「2019年春開業」と明記されていました。5年間待たされてやっとできるのか、という思いでした。早く建たなければ、こっちが死んでしまうで、なんて言っていたので、何とか新しいイオンをこの目で見られるのかなぁ、という思いですね。

そして、一昨日(10月7日)のこと。その場所を通りがかって、建物の骨格ができ始めたのに気がつきました。それを見て「あぁ、ようやく」と実感できたのです

 


 
右手の方に建物の骨格ができ始めています(10月7日撮影)。
 

来年の春、「イオンモール藤井寺」の開店を、今から楽しみにしています。

 


 
  完成予想図です。

 

 *その後の経過

ということで、この時点ではここまで工事が進んでいましたが、その後、12月のブログでまた工事の進捗状況を報告しています。よろしければご覧ください。

 https://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/d49113c0c370d0a3e433a1be14731b1f

 

 

 

 

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「まんぷく」 と 「大阪東洋ホテル」 の謎

2018年10月05日 | 映画の話やTVの話など

今週から新しいNHKの朝ドラ「まんぷく」が始まりましたね。安藤サクラという女優さんはこれまであまり知らなかったのですが、演技の上手な人だなぁと思いました。愛嬌があり、おおらかで、ひたむきという役柄はピッタリ、という感じですね。

その安藤さん演じる福子は3人姉妹の末っ子で、女学校を卒業した後ホテルで電話交換手として働いているところから始まるのですが、そのホテルが「大阪東洋ホテル」となっていたので、僕は「おぉ、あの大阪東洋ホテル!」と思わず妻に向かって叫んでしまいました。

「大阪東洋ホテル」といえば、地下鉄御堂筋線の梅田駅の次の中津駅で降りてすぐのところにあり、以前は毎月のようにそのホテルの最上階にあるランチバイキングへ行ったものです。大阪市内に住む妻の姉が招待してくれ、毎回3人で行っていたのですが、僕はそこのバイキングが大好きでした。

大好きな理由は二つありました。一つは窓際の席から広いガラス越しに淀川がゆったりと流れる大阪北部の眺望が素晴らしかったこと。そしてもうひとつは、料理と共にワインも自由に飲めることでした(えへへ~)。普通、飲み放題などを頼んだら、ビールでもワインでも好きなだけ飲めますが、ここはそれを頼まなくても、料理が並んでいるところに何本かのワインが瓶ごと氷の中に入っており、それを自分でグラスに入れる、というシステムでした。これが気に入りましたよね~。焼きたてのステーキなどの料理も、もちろんおいしかったので、人気のお店でした。

しかし、いつの時か経営者が代わったのか、ホテル名が代わって「大阪東洋ホテル」という名のホテルは無くなり、そのお気に入りのランチバイキングのレストランも、残念ながら無くなってしまいました。

それ以降、僕たち3人は、義姉が新たに見つけてくれた梅田界隈のいろんなランチバイキングへ今も月に一回程度行っています。

ということで、「まんぷく」で主人公の福子が働く「大阪東洋ホテル」にまつわる話を、今日のブログのテーマとして取り上げてみました。

ところが、ですねぇ。実は困ったことになりました。

せっかくここまで書いて来たのに、念のために「大阪東洋ホテル」と「まんぷく」の関係をネットで調べてみたら、なんとまぁ、これが何の関係もなかったということがわかったのです。これはちょっとねぇ、引っ込みがつかなくなりましたが、強引に話を続けていきます(笑)。

調べてみると、僕らが行っていた「大阪東洋ホテル」は1960年代の後半に建ったそうです。

あの「まんぷく」の時代背景は昭和13年、つまり1938年なんですよね。そんな大昔から、僕らがよく行ったホテルがあったわけはないけれど、しかし昔からそこに「大阪東洋ホテル」というのがあって、建物が老朽化して建て直した、ということは考えられますよね。で、ひょっとしてそうかなぁ、とさらに調べてみたのですが

「福子の働いている大阪東洋ホテルは、劇中の架空のホテルです」
と、ある解説に書かれていました。な~んや、そら。

で、ドラマで映っている「大阪東洋ホテル」の外観は、「武庫川女子大甲子園会館」という建物を撮影している、ということでした。

そして主人公・福子のモデルとなった女性が実際に働いていたのは京都の都ホテルだったそうです。つまり、あのホテルのモデルは京都の都ホテルで、ドラマで外観が撮影されているのは「武庫川女子大甲子園会館」だったということでした。

繰り返しますが「大阪東洋ホテル」とはドラマの上で使用している架空のホテル名、ということなんだそうです。やれやれ

わずか数日間とはいえ、「まんぷく」で、あの懐かしい「大阪東洋ホテル」が舞台となっていたことを喜んでいましたけど、とんだ早とちりでした。

それで、話はドラマのことになりますが、「まんぷく」も面白そうですね。福子の夫となる長谷川博己さんも、何とも優しそうで好感が持てますしね。

ところでこの男性も発明が大好きということで、やがて福子とともにインスタントラーメンを生み出すことになるのですが、発明好きといえば、前回の「半分、青い。」の律も発明とか開発が大好きでしたね~

そこのところは共通していますけど、あの律君は特によかったですね~。もう律が出てこないのかと思うと、ちょっと寂しいですけど。


さて、もうブログの記事としてはこれで終わりですが、「まんぷく」と「大阪東洋ホテル」にちなんで、今、僕たち夫婦が義姉と行っているいくつかの梅田界隈のランチバイキングの店を挙げておきます。

「ちなんで」とは書きましたが、今日の話とは全然関係ありませんので、退屈で退屈で死にそうな人だけ、以下をご覧ください(へへっ。失礼!)。


阪急阪神第一ホテルのマルシェダイニング「ネン」

大丸梅田店にある「馳走三昧(ちそうざんまい)」

ヨドバシ梅田8階にある「中華バイキング」

ルクア大阪にある「プラチナム」

のようなところです。

どうでしょう?

写真を眺めているだけて「まんぷく」になりそうですね。(なりまへんか?)

でもね~

やっぱり「大阪東洋ホテル」が一番よかったです~

 

 

 

 

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富田林逃走犯 日本一周自転車旅行とは

2018年10月03日 | ウォーク・自転車

よくもまぁそんなことを考えついたと思う。富田林逃走犯の樋田容疑者が「只今、自転車にて日本縦断中!」な~んて、得意げな顔をして写真におさまっているのを見て、何とも言えない思いがつき上げてきた。姿をくらましてから50日近く、一体どこで何をしているのだろうと思っていたら、自転車旅行者を装って旅をしているというとんでもない方法で逃げていたとはねぇ。

 

  


20歳で北海道往復、29歳で四国1周、30歳で九州1周、31歳で中国地方を走り、一応ツギハギではあるが自転車で日本一周を達成した経験を持つ僕としては、全国に指名手配されている犯人が、こういう手法でスイスイと警察や市民の目をあざむいて逃走するという発想に、まず驚いた。しかし、方法として「うむ、やりよるなぁ」とも思った。

自転車旅行だと、野宿をしても怪しまれない。僕も、当時は道の駅はなかったけれど、基本的には道端や広っぱにテントを張って野宿をし、時々ユースホステルや民宿で泊まり、列車の駅のベンチやバス停のベンチで寝たりもした。新潟駅では、バス停のベンチで寝ていると警官がやってきて「頑張ってね」と激励してくれたし、北海道の紋別の交番所ではおまわりさんに「ここで泊まりなさい」と、交番所に泊めてもらったりした。ほかにもそういう経験はたくさんした。この旅行で、どれだけの見知らぬ人々にお世話になったことだろう。

そんなことで、「自転車で旅をしています」と言うと、たいていの人は親切に接してくれる。この逃走犯も、道の駅で野宿をしていたら、雨が降って来たので建物の中に入れてもらったという。とにかく「気をつけて、がんばってねぇ」と好意的に接してもらえるのだ。

この樋田容疑者は、途中から、実際に日本一周自転車旅行をしていたという住所不定で無職の東浩司(44歳)という男と2人でサイクリングをしていたという。その東浩司という男も、自転車の横領容疑で同時に逮捕されたそうで、つまり2人とも自転車泥棒だった? なに、それ? わけがわかりませんわ。

それにしても、樋田容疑者の自転車の写真、見ました?


 

 

ものすごい荷物ですよね。テント、寝袋をはじめ、料理をするための鍋類や包丁から釣り竿、傘など、いろんな道具を乗せていたようです。この写真を見て、本当にびっくりしました。これなら、だれが見ても日本一周だと思いそうですね。ホームレスじゃない限りね。

僕は北海道へ行った時は70日間の旅行で、テントと寝袋は必需品でしたが、それ以外に、ご飯を炊くためにお米や飯盒など、いろいろ持って行きましたが、こんな大荷物ではありません。ちなみに、これは琵琶湖大橋の近くで撮った写真ですが、まあ、これくらいの荷物でした(ただし、旅の途中でもらいものがあったりして、帰途はかなり増えていましたけどね)

 

   


自転車で日本一周といえば、一見目立ちそうな行動ですが、警察署から逃げ出した指名手配犯がその人間だとは、まず誰も思いませんよね。警察官だって思わないのではないでしょうか。完全な死角ですものね。そういうウラをかくということにかけては、この樋田容疑者は天才的なものを持っているのかも知れません。でも、やっぱり日が経つにつれて、「これなら大丈夫」という油断も、どこかで生まれはじめていたようにも見えます。

こんなことが起きたら、しばらくは、実際に日本一周自転車旅行をしている人たちも、ヘンな目で見られるかもしれませんね。はた迷惑な話ですわ。

それと、結局山口県の道の駅で万引きをしたから、そこの警備員に見つかって逮捕に至ったのですから、警備員(それも2人の女性だそうです)のお手柄ですね。ここでもまた、警察は何をしとるんだ、ということになりそうです。富田林警察の間抜けさ、大阪府警の捜査方法の甘さ、などが、今回の逮捕劇で益々言われるのでしょうね。

それにしてもね~
何だかこの事件、自分の周辺との関連が多すぎます。

樋田容疑者は大阪府松原市に住んでいて、僕はその松原市の市役所に38年間勤めていました。そして、わが家から近い富田林から逃走し、となりの羽曳野市で自転車が盗まれ、その自転車で「日本一周」の旅とはね~

しかも先週終わった朝ドラ「半分、青い。」に続いてBSで放映されている火野正平さんの「にっぽん縦断こころ旅」について、前々回のブログに書いたばかりなのに。

火野さんも番組の中で、自転車で日本中を走っています。
こちらは「にっぽん縦断 こころ旅」というタイトルなのですが

樋田容疑者の場合は、

「にっぽん縦断 逃げろ旅」ってことになりますかね~

 

 

 

 

 

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