僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

7月6日は サラダ記念日

2022年07月06日 | 読書

一昨日の7月4日にモミィが修学旅行に出発しました。飛行機で約2時間、無事に新千歳空港に着き、その後、予定通りの日程をこなしているようで、まずは一安心です。

ところで、この7月4日という日は、アメリカの独立記念日ですね。
それは昔、「7月4日に生まれて」というトム・クルーズが主演した映画で覚えました。独立記念日の7月4日に生まれた主人公が、愛国心にあふれてベトナム戦争に参加するけれど、戦争の中でさまざまな残酷な体験をさせられ、やがて反戦を叫ぶようになっていく、という物語です。

モミィが早朝に出て行ったあと、
「あぁ、今日はその7月4日か」と思いながら、朝刊を手に取ってテレビ欄を見ると、NHKBSプレミアムでその映画「7月4日に生まれて」が放送されることを知りました。テレビ局も粋なことをしますね。

これまで何度か見た映画ですが、一応録画したので、近いうちにまた見ようと思っています

そして今日は
カレンダーを見たら7月6日です。
これまた「えっ、7月6日?」と、何か記憶に残っている。
なんだったかなぁ、と、思い巡らすと、「あっ、そうそう」と思い出しました。
俵万智さんの「サラダ記念日」だったのです。
あの有名な短歌、

この味が いいねと君が言ったから 7月6日は サラダ記念日

そうですね。あの、「サラダ記念日」に「7月6日」が出てくるんです。

この大ヒットした短歌集は1987年(昭和62年)の5月に初版が発行され、たちまちベストセラーになりました。万智さんは大阪生まれでもあったことから僕もファンになり、本を購入したのですが、僕が買ったのは初版が発行されてから5か月後なのに、なんと192版とありました。ものすご~い売れ行きだったのですね。びっくりしました。

 

俵万智さんは1962年(昭和37年)生まれで、この本が初出版された時はまだ25歳の若さでした。当時は、それはそれは大人気でした。その俵さんも今年でちょうど60歳。還暦を迎えられるんですね~
そりゃ僕らも年を取りますわ(笑)。

それにしても、俵万智さんのこの「サラダ記念日」。
何度読み返しても、いいですね~

この本には、彼女が20歳の時から24歳の時まで作った約430首が収められています。いずれも恋の歌ですが、基本、失恋の歌です。と言っても、暗さやしめっぽさは微塵もなく、カラリと明るい。そこが魅力なんですよね。

いくつかあげてみますと、

「寒いね」と 話しかければ「寒いね」と 答える人のいるあたたかさ
(このあたりは、温かい恋ですけど。ここからは

男という ボトルをキープすることの 期限が切れて今日は快晴

嫁さんに なれよだなんて 缶チューハイ 2本で言ってしまっていいの

我だけを 想う男のつまらなさ 知りつつ君に それを求めり

咲くことも 散ることもなく天に向く 電信柱に吹く春の風

愛人で いいのと歌う歌手がいて 言ってくれるじゃないのと思う

というような短歌がひしめく「サラダ記念日」でした。


ちなみに、今年の3月18日のこのブログで、

「カムカムエヴリバディ」と「サラダ記念日」

という記事を書きましたので、よろしければ覗いてやってください。

それと、もうひとつ
毎週土曜日に、BSで「男はつらいよ」のシリーズが放映されているのですが、今週9日の土曜日は、なんと、
「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」
なのです。びっくりしますよね~。
ぜひ見なければ。

さて明日は7月7日。七夕様ですね。
「記念日」が続きます(笑)。

 

 

 

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佐野洋子さん「死ぬ気まんまん」

2022年05月18日 | 読書

前回ブログでわが友ヒロさんにいただいたコメントの中に「人生100年時代」という言葉が出てきましたが、本当に今は長寿社会になりましたね。

日本人の平均寿命は女性が87歳で男性が81歳と、ここ10年近く、毎年過去最高を更新しているとのことです。

昔は「人生50年」と言われていました。夏目漱石は49歳で亡くなり(慶応3年~大正5年)、明治天皇は59歳で、大正天皇は47歳で亡くなられています。今なら「早世」と言われる年齢ですが、そういう時代ですから50歳そこそこで亡くなっても「早すぎる」という感覚はなかったのでしょうね。

その頃に比べると今は「人生100年」ですから、時代も変わりましたわ。

でも長寿社会と言っても、当然ながらあくまで平均です。だから自分も長生きするとは限りませんよね。僕だって明日死ぬか5年先なのか10年先なのかわからない。また、どんな死に方をするかもわからない。

しかし、長寿社会だと言っても、寝たきりやほとんど体が動かせない状態の人たちも結構いらっしゃるんじゃないか。90歳以上でも元気バリバリの方は大勢いらっしゃるが、80代で寝たきりの方もいらっしゃいます。だから平均寿命が延びたことが無条件にいいことだとは言えませんよね。

そんなことで僕もこの年になると、「死」ということがチラチラと頭に浮かびます。そんな折、佐野洋子さんのエッセイ集「死ぬ気まんまん」という本と出合いました。先月に図書館で借りてきて読んだのですが

図書館でその背表紙のタイトルが眼に入った時、ビックリしました。
「死ぬ気まんまん」!!

「やる気まんまん」はわかるけど「死ぬ気まんまん」とはね。
で、ビックリしたついでに借りて読んでみたのですが、これがメチャ面白くて時間の経つのも忘れ一気に読み終えてしまいました。

佐野さんはこの本を書いた時、がんで余命2年程度と宣告されていました。それでも、ひょうひょうと、自分のこと、まわりのことを綴られているんですよね。「人生は面倒くさいし大変なものがあるが、ごはん食べて寝て起きてさえいれば、どうにかなる」というようなことも書かれています。まぁ、言いたいことを気持ちいいほど遠慮なく書かれているのもこの本の大きな魅力です。

ただ、死ぬときは簡単に、コロッと逝きたい。
死に至るまでの苦痛が怖いのです。

とも書いておられました。つまり、死ぬのは全然怖くない(なにせ「死ぬ気まんまん」ですからね)。でも、死に至るまでの苦痛は怖いので、コロッと逝きたい、ということです。これは僕もそうですが、多くの人が共鳴するでしょう。僕なんかも、延命措置なんか絶対に受けたくないし。

そして、
佐野洋子さんはこのエッセイ集を書き上げた直後、72歳で亡くなり、その後にこの本が出版されました。今から12年前のことですが、まさに「死ぬ気まんまん」で遺作を書き上げたのですね。

今では僕は亡くなった佐野さんの年齢を超えてしまいましたが、この本を読んだことで、何となく自分が死ぬということを客観的に見つめられるようになった気がします。

まぁ「死ぬ気まんまん」とまではいきませんが、人はみな必ず死ぬのだからそれほど気に病むこともないやろ、という感覚のようなものでしょうか。

 


   

  光文社から出版された「死ぬ気まんまん」
  随所にゲラゲラ笑えるところもあって、
  まだお読みでない方には、お勧めします。

 

 

 

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心に残り続ける瀬戸内寂聴さんの言葉

2021年11月12日 | 読書

昨日、死去が報じられた瀬戸内寂聴さんを偲びながら、僕の読書ノートから、いくつか寂聴さんの文章を取り上げてみたいと思います。

まず、お酒について、こんなことを語っておられます。

「私にとって酒は楽しい時、愉快に呑むものであり、料理の味をいっそううまくするためのもので、憂さ晴らしにはならない。自分に憂鬱があるとすれば、酒なんかではごまかせないと思う。正気でその原因に対決すべき。と思っても、なかなかねぇ」

最後は少し笑ってしまいますが、僕もお酒については、常にこの寂聴さんの言葉を実践するように心がけています。と思っても、なかなかですけど(笑)。

さて、寂聴さんからは随筆集などを通して多くのことを学びましたが、僕が特に愛読したのが、法話や講演を載せた「老いを照らす」という本です。

   

本の中には「これは頭に入れておかなければ!」という部分が沢山あって、そのつどメモをしてパソコンに保存しておいたのですが、スマホの時代になったので、今はメモ帳アプリにその文章をコピーして入れています。そして時々、夜に布団の中でスマホを開けてそれらを眺めています。そんな文章をいくつかここでご紹介したいのです。

まず最初は思わず笑ってしまう話ですが

寂聴さんが講演を終えて、お客さんから質問を受ける時間になった。その時に、しとやかな婦人が立ち上がって小さな声で何かをおっしゃった。寂聴さんにはそれがよく聞こえなかったのですが、「これだけ大勢の人たちの場で話されるのだから、てっきりいいことがあったのだろう」と思い、「まあそれはおめでとうございます」と言った。すると横から秘書が「ご主人が先月亡くなったとおっしゃったんですよ」と伝えてくれたという話でした。「ごめんなさい」と寂聴さんは書かれていました。これは余談でしたが、寂聴さんのユーモラスな一面が見えました。

ではその「老いを照らす」を読み、特に心に残ったので書き写した文章ですが

★死なない秘訣は、死んでもいいと思いなさい、ということ。その代わり今日したいことだけをしなさい。いつ死んでも悔いのないよう充実した日を送っていると死は遠ざかります。何もしないで死にたくないとだけ思い詰めていると死ぬんです。

★お釈迦様も過去を追うな、未来を願うな、過去は過ぎ去ったものであり未来はまだ至っていない。今なすべきことを努力しよう。今という時は二度と訪れません。過ぎ去った過去よりどうなるかわからない未来よりはるか切実で大切なのはこの今です。今を全力で生きることが大事だということです。

★老いや死もなかなか自分の思ったようにはいかない。生きたいように生き、死にたいように死ぬのが理想ですが、そうはいかないのです。それはなぜかと言うとそもそも命というものが自分のものではないからです。私たちはこの世に自分の意思で生まれたわけでもないのになぜだか自分の生というものを自分のものと思いなしています。これが間違いの始まりです。

★新しいことに挑戦すること。おしゃれや恋を忘れないこと。このような気構えで生きていれば、老いることは決して怖れることではありません。年を取るということは、何しろ人より経験があります。過ぎ去った日々に味わった経験を反芻して、豊かな生を生きているということになります。老いることに誇りを持ちましょう。そうすればきっと美しく老いて死ぬことができますよ。

それと、これは別の本から写したものですが、
★自分の歳を意識した瞬間に、その人は老人になるし、老いも早まるのです。自分らしく生きることが何よりも大事で、老人らしく生きる必要はないのです。

という文章にも影響を受けているので、僕はふだんはあまり自分の歳を意識しません。たしかに僕は高齢者ですけど、自分を「老人」だと思ったことは一度もありません。それも、寂聴さんのこの文章が常に頭にあるからだと思います。

最後に二つ。

★他人の視線を意識すること。そうすれば、背中に一本筋が通って、姿勢もよくなります。

この文章も頭から離れません。だから買い物やウオーキングのように、リュックを背負ってあちこちをぶらつく時にも、軽快な服装で出て、歩く姿勢も「正しい歩き方」を心掛けています。

寂聴さんは亡くなっても、これからも僕を励まし続けてくれることに変わりはありません。

★死んだら何もないと思ったら絶望します。魂は残ると思ってください。

寂聴さんは、そうも言われました。

だから寂聴さんの魂には、いつでも触れることができますものね。

それにしても、99歳。

うちの母でも生きていたら93歳で、寂聴さんより6歳年下ですから、本当に大往生ですね。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

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南あわじ市市市…とか西東京市東…とか

2021年09月28日 | 読書

 昨日、藤井青銅という人の「あんまりな名前」という本を読みました。

    

動物や植物の名前、土地の名前、駅の名前などで、おかしなおかしな名前を集めた本で、面白かったのでその一部を紹介します。

ま、僕たちもよく知っている面白い名前といえば、「バカ貝」とか「ナマケモノ」とか「アホウドリ」とか「ボケの花」とかありますよね。当の動植物にとってみれば、なんで人間が勝手にそんな名前をつけるねん! といったところかと思いますけどね~

その中で、僕が特に関心の深いのが地名です。

面白い地名というのは、外国の地名でまず思いつくのがオランダですね。この国は〇〇ニンゲンという地名が数多くあり、一番有名なのはグローニンゲンという町ですが、他にもスケベニンゲンとか、エロニンゲンとか、バカニンゲンという地名もあります(ほんまですよ)。ま、日本語が分からないオランダの人がこの話を聞いても、何が面白いのかわからないでしょうけど(笑)。

滋賀県の守山市に「浮気」という地名があります。なので「浮気保育園」とか「浮気自治会」というのがある、とテレビで紹介されていました。もともと、ここは湿地帯で湧水が多く、水蒸気が漂う土地であることで「浮気(ふけ)」と名付けられたのが由来だそうです。でも、浮気保育園の園長さんが、パソコンで浮気(ふけ)と打っても漢字が変換されないので「うわき」と打ちます、と笑っておられたのが印象的でした。でも、人に言いにくいですよね。
「お住まいはどちらですか?」
「え~っと『ふけ』というところです」
「どんな字を書きますか?」
「え~っと、え~っと、『うわき』と書きます」
な~んてね。

ま、そのことは置いておいて。
この「あんまりな名前」という本の話ですけど。

「あんまりな地名」として最も目を引いたのが、「兵庫県南あわじ市」にある「市市(いちいち)」いう町の名前です。つまり住所が、
「兵庫県南あわじ市市市」
となるわけで、初めて見る人は何かの書き間違いかな、と思いますよね。

東京都には「西東京市」というのがあります。もともと田無市と保谷市が合併してこの名前になったとのことだけど、旧保谷市には「東」という町名があったので、そこは今では「東京都西東京市東」という住所になっている。わかりにくいというか、ややこしいというか。東か西か、どっちに行くんや~

東京都いえば、品川駅が品川区ではなく港区にあるというのも紛らわしい。

かつての市町村合併によっていろんな名前の市ができたけれど、静岡県の「伊豆の国市」というのも面白い。その1年前に、近隣の合併で「伊豆市」が誕生したので、こちらはその「伊豆市」を使えなくなった。そして窮余の一策としてひねり出されたのが「伊豆の国市」だったそうだ。静岡県伊豆の国市というと、県市となるので順番がおかしいわ、と著者は面白半分に書いています。

また山梨県の場合、昔は甲斐の国と呼ばれていた。甲州とも呼ばれていたし、今の県庁所在地は甲府市だ。平成の大合併で、甲府市のほかに甲州市も甲斐市もできた。おまけに山梨市、中央市というのもある。県を代表するような名前の市が、これだけ沢山あるのも珍しい、という話です。

青森県に「馬鹿川」という川があるのもこの本で知りました。

また、カタカナの地名も沢山あります。

山形県米沢市アルカディア
千葉県佐倉市ユーカリが丘
富山県小矢部市メルヘンランド
三重県亀山市アイリス町
福岡県宗像市アスティ
長崎県長崎市エミネント葉山町
などなど

ということで「あんまりな名前」はなかなか面白い本でした。

まぁ「珍しい地名」については、このブログでも何度か書いてきました。

一番最近では、福島県の須賀川に「上梅田」というバス停があるのを紹介した記事です。何が面白いのかというと、音読みでは「ジョー・バイデン」という米大統領の名前になりますもんね。

また珍名のバス停として有名なのが、長野県の駒ヶ根市にある「女体入口」というバス停です。「女体入口」ですよ。どんな入り口やねん。

だいぶ以前に、このブログにコメントを寄せていただいた方に教えてもらった地名ですが、関心のある方はぜひ検索をしてみてください(笑)。


  

 

 

 

 

 

 

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「夫婦の有効期限」 ???

2021年06月25日 | 読書

大阪府では今週の月曜日(21日)に緊急事態宣言が解除され、「まん延防止等重点措置」に移行しましたが、それに伴い、休館中だった図書館が開いたのが僕にとっては一番嬉しいことでした。

で、さっそく羽曳野市の中央図書館へ行ってみました。

そこは開館はされたものの、いくつかの制限があり、ひとつは「館内の滞在は30分以内でお願いします」との張り紙がありました。それと、本棚のそれぞれの列の端にボックスが置いてあって、一度本を手に取った場合はそのまま本棚には戻さず、消毒をするのでそのボックスに入れてください、ということでした。

本を手に取ってパラパラと目を通す度にボックスに入れるのも職員さんに手間をかけるので、今日は本のタイトルだけを見て借りようと、背表紙を目で追いながら館内をウロウロしました。

すると面白いタイトルの本がありました。それは、「夫婦の有効期限」という題名の小説で、作者は「そそぐまこと」という女性作家でした。夫婦の有効期限とはねぇ。どんな小説やろ? と食指が動きました。

その一冊を持って、また次の借りたい本を探し始めると、僕の好きな瀬戸内寂聴さんの著書で「はい、さようなら」という本が目に飛び込んできました。これはまだ読んでいないはずだし、その面白いタイトルにも惹かれたので、2冊目はこれに決定。

今回は3冊程度借りるつもりだったので、あと1冊を探していると、村上春樹さんの本が並ぶところへ来て、「サラダ好きのライオン」というのが目につきました。これは「村上ラヂオ」という軽妙なエッセーシリーズの第3弾で、たぶんこのシリーズは読んだことがあるけれど、この第3弾を読んだかどうかはわからない。まぁ過去に読んでいても村上さんなら何度読んでも面白いので、きょうの3冊目はこれに決め、そろそろ30分になりそうなのでカウンタへ行きました。

図書館であれこれ本を眺めながら、面白そうな本を手に取り、パラパラと内容を見て借りるかどうかを決める、という行為を繰り返すのが楽しみだったけど、コロナ禍のもとではそれも我慢しなければね。

まぁ、開館してくれただけでもありがたいことです。


  
  
これが、借りた3冊です。

最初に読んだのが「夫婦の有効期限」でした。小説の出だしは、ある日、主人公の女性のところへ電話がかかって来る。相手は知らない女で、なんとまぁ「わたし、あなたのご主人とお付き合いしてるんです」と言う。そんなところから始まります。最後のほうで、主人公は探偵社に依頼して夫の浮気の事実をつかみ、相手の女の名前も居場所も判明して、ひそかにその女に「復讐」をする計画を立てるというようなストーリー。150ページほどの読みやすい長さで、2時間ぐらいで一気に読み終えました。

そして今読んでいるのが瀬戸内寂聴さんの「はい、さようなら」。これは僧侶でもある瀬戸内さんが各地で行った法話を集めたもので一昨年に刊行されました。この本の「まえがき」で、「いまはもう何を書いても、何を話しても、全部が遺言です」と書かれていますが、それでタイトルが「はい、さようなら」なんでしょうか。これも面白いタイトルです。本の内容は「生きる智恵」が満載で、とても共感するところが多いです。

寂聴さんと言えば、今年で満99歳。朝日新聞に月に一度「寂聴・残された日々」というエッセーが掲載されていますが、5月の掲載文では、
「さて、いつ死ねることやら、ああ!」
という文で終わっていました。
(何と感想を言えばいいのか

ということで、
「夫婦の有効期限」と「はい、さようなら」は、どちらも面白くかつ気になるタイトルでした。やはり、タイトルは大事ですね~

今日のこのブログには、何というタイトルをつけようかと、今、迷っているところです(笑)。

 

 

 

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続・おばさん事典 「悪いのは顔でしたか?」

2021年03月16日 | 読書

昨日の小川有里さんの著書「おばさん事典」の続きです。

一人のおばさんが、皮膚科の医院へ行った時のこと。
名前を呼ばれて診察室に入ると、医師がおばさんを見て、
「え~っと、あなたの悪いところは、顔でしたか?」
と言ったというのです。

悪いところは、顔だって?
ガ~~~~~ン。

おばさんはあまりのショックで声が出なかった。
無言のまま「はぁ?」という表情で医師を見た。
すると医師はカルテを見て、
「あっ、ごめん。顔じゃなく足でしたね。水虫でしたね」
と言い直したということです。
(またまたガ~~~~~ン)

おばさんは、
「あなたの悪いところは、顔でしたか?」
と医師から言われた瞬間、
ムカッとしました。
「ケンカ売ってるんかい!」と思ったほど。

で、診察を終えてから、受付の女性にそのことを話すと、その女性は、
「最近、顔のシミ取りの患者さんが多いので先生も勘違いされたのでしょう」
と言って、慰めてくれたそうです。
「フン。何の慰めにもなりゃしないわ!」
と、おばさんはその後ずっと家族や知人にぼやき続けたそうです。

これが昨日ご紹介した、小川有里さん著「おばさん事典」に載っていて、僕が大笑いしたエピソードの一つです。

それにしてもねぇ。
いくら顔のシミ取りの患者が多いといっても、確認もせずいきなり、

「あなたの悪いところは、顔でしたか?」と言ってしまうのもねぇ。
お医者さんもお医者さんですけど。

ま、毎日大勢の患者さんを診ている医師としては、別に何も考えず機械的にそんな言葉が口から出てしまうのかも知れませんが。

でも例えば、もし僕が頭痛がひどくて内科の医院に行った時、
医師から、
「え~っと、あなたの悪いところは、頭でしたか?」
な~んて言われると、やっぱりショックですね。

誰がアタマ悪いねん! と言い返したいです(笑)。

そのおばさんも、そのとき、
「この顔の、どこが悪いねん!」
と、叫んでやったら、よかったのにね~

 

 

 

 

 

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おばさん事典

2021年03月15日 | 読書

最近、小川有里さんという人が書いた「おばさん事典」というのを図書館で借りて読んだのですが、思わずクスッと笑ったり、「あははっ」と声を上げて爆笑したりと、久ぶりに笑わせてくれる本でした。

女性は、娘の時代を卒業すれば、あとは長〜い長~いおばさん時代が来ます。そんなおばさんのホンネや行動を描く楽しい一冊です。


   

おばさんもだんだん歳を取ると耳が遠くなる。
おばさんが電車に乗ったところ、車内アナウンスが、
「この電車は〇〇行きの『くつう電車』です」と言った。
「なに? 苦痛電車!」と首をかしげてよく聞けば「普通」電車だった。
天気予報では「男性諸島は午後から雨です」と。「えっ、男性諸島?」
よく聞くと「南西諸島」だった。
お店で店員さんが「はい、おさわりひとつです」と聞こえてビックリしたら、
「おかわりひとつです」だった。とかね。

夫も耳が遠くなり、一緒に行ったスーパーで「ササミを買うわ」と言うと、
「なに? タタミ(畳)を買ってどうするんだ」とか、
「接骨院に行ってきます」と言うと「はぁ? セックス院だと!」

そんな会話が出ていましたが、これは人ごとではありません。

僕だって「積水ハウス」を「セクシーハウス」と聞き間違えたし、
天気予報で「秋の寒冷前線」というのが「悪の寒冷前線」と聞こえた。
さらに自分でも思い切り笑ってしまったのが、ある商業施設の場内放送で、
「ただいま、サルのメイクアップフェア開催中でございます」と聞こえた。
「なんじゃ、それは?」とアタマが混乱。しかし本当は「サル」ではなく「春」、つまり「春のメイクアップフェア」だったのです。
こんな聞き間違いをするとはねぇ。
耳がおかしいというより、アタマがおかしいですね。

トイレの水洗用のボタンがわからず、間違って非常用ボタンを押した話などはよく聞きます。でもこれはおばさんに限らずおじさんも同じですけどね。

また、お医者さんに行ったら服の上から聴診器を当てられたというおばさん。
「若い女の子なら服をめくって聴診器を当てるのに、なんで私は服の上からなのよ」
いろいろあるんですね~
「干していた下着を盗まれたんだけど、20歳の娘のは盗まれたのに、あたしのは盗まれなかったの」な~んて話も載っていましたっけ(笑)。

そして、これは大阪のおばちゃんに多い傾向ですが、電車の中でワイワイがガヤガヤと大声で話し、周囲の迷惑も顧みずアハハッと大笑いする。こういうおばさんたちには注意するのも怖い。ある若い女性が著者の小川有里さんに「こんな場合、どうすればいいですか?」と聞いたところ、小川さんの答えは「どうしようもありません。元気全開のおばさんたちにかなう人はいませんから」と答えたそうです。

ホント、おばさんたちは元気全開です。僕も数年前まで通っていたスポーツジムのプールで顔見知りになったおばさんたちの元気全開ぶりを、この目で見てよ~く知っています。そのエネルギーはおじさんたちをはるかに上回っていました。

さて、
この本で、さらに大笑いしたおばさんの話がありました。
今も思い出してはガハハ~ッと笑っています。

その話は次回にしま~す。

 

 

 

 

 

 

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タイトルは大事です ~ 「赤毛のアン」 の続き~

2021年01月26日 | 読書

今日からNHK連続ドラマのアンコール放送「花子とアン」が始まりました。オープニングのキャスト・スタッフを表示したクレジットを見たら、原作は「アンのゆりかご・村岡花子の生涯」とありました。やっぱりねぇ。前回のブログで書いた、僕が読み終えたばかりのあの本が、原作だったのですね。

ところで、村岡花子が「赤毛のアン」を翻訳刊行した時、そのタイトルについての興味深い話があります。

この本の原題は「アン・オブ・グリーン・ゲイブルス」でした。それをどういう題名にするかということで、花子はいろいろ考えました。この小説の原題をそのまま日本語にすると「緑の切妻屋根のアン」ということになりますが、日本人にはなじまない。「切妻屋根」なんてね、なんのこっちゃ、ということになりますから。で、どんなタイトルにするか?

花子は「夢見る少女」か、「窓辺の少女」か、「窓辺に倚(よ)る少女」のどれかをタイトルにしたいと思い、いろいろと悩まれたようです。そして出版関係者とも相談したうえで「窓辺に倚(よ)る少女」にすることに決めた。すると、いったんそう決めたのに、出版社で懇意にしていた男性から「赤毛のアン」にすればどうか、と再提案してきたのです。

「赤毛のアン?」
花子は気に入らなかった。あまりに直接的でロマンチックではない。「絶対イヤです」と断った。しかしその話を聞いた花子の娘のみどり(当時20歳)が、
「絶対にそのほうがいいわ。『窓辺に倚(よ)る少女』なんてのより、若い人ならダンゼン『赤毛のアン』のほうがいいに決まってる!」
そう言われて花子は、若い人の感覚ではそうかも知れない、と思い、明日から印刷に回るのであわてて出版社の社長に電話をして、「赤毛のアン」にしてもらうように伝えた、ということです。「アンのゆりかご」にそう書かれています。

僕らから見ても「窓辺に倚(よ)る少女」とか「夢見る少女」という小説だったら、どこにでもありそうなタイトルなので覚えられない。その点「赤毛のアン」なら覚えやすいし、読んでみたくもなりそうです。

結局「赤毛のアン」は、このタイトルがあったからこそ日本で多くの読者を得て、今の時代になっても、モミィのように「赤毛のアン」を読み、「赤毛のアンと花子」という本も買って読むほど、若い世代の間で人気が持続しているんでしょうね。

やはり、タイトルというのは大事です。

映画でも小説でも、タイトル次第で人気がグーンと上がったりしますから。

ということで

このブログも、最初にタイトルを決める時、何かをもじったタイトルでいこうと思い、いろいろ考えました。以前にも書きましたが、古典文学をもじって、「平気物語」とか「いざ酔い日記」とか「ドサ日記」とか「枕のそうじ」とか「伊豆のココリコ」とかね。えへへ。

結局、芭蕉の「おくのほそ道」をもじって「僕のほそ道」にしましたけど。

次は「赤毛のアン」をもじって、最近抜け毛が多くなったので「抜け毛のノン」にでもしますか(笑)。

いや、ど~も。
相変わらず、まとまりのない文ですみません。

やっぱり、タイトルより中身が大事やで~
という声が、どこからか聞こえてきそうです。

 

 

 

 

 

 

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村岡花子と 「赤毛のアン」

2021年01月24日 | 読書

先月末のブログにTVドラマ「危険なビーナス」のことを書いたのですが、そこに出演していた吉高由里子さんがよかったなぁ、とも書きました。で、その吉高さんが、7年前のNHK朝ドラ「花子とアン」に出演していたということも、ネットで知りました。

「花子とアン」は「赤毛のアン」を翻訳した村岡花子さんをモデルにしたドラマですよね。僕は見ていませんけど、そういうドラマがあったことは知っていました。吉高由里子さんはそこに花子役で主演していたんですね~。

NHKの朝ドラを見たのは3年ほど前の「わろてんか」が初めてで、それまでは何も見ていません。だから「花子とアン」も見ていない。う~ん残念。見たかったなぁ、と思いながらネットを巡っていると、何という偶然か、1月から再放送が始まる、ということが出ていたのでビックリしました。

そしてそれ以来楽しみにしていたのが、いよいよ明後日の26日(火)からその放送が始まります。NHK総合テレビで、平日の午後4時20分から50分まで、1日2本放映されます(ただし大相撲や国会中継などがある時は休止)。

これはもう、絶対に見なければ。

 ……………………………………………………………………………………

「赤毛のアン」は、高校の時に夢中になって読んだ懐かしい小説です。

話はいつものように(笑)昔にさかのぼりますが、高校へ入学した時、「これからは本を読むぞ~」と、なぜかわからないけど、そう心に決めました(それまでは漫画ばっかりですわ)。そして高校生活3年間で沢山の本を読んだのですが、当初の1~2年はもっぱら海外文学に集中していました。

一年生だった1964年(東京五輪のあった年)の、当時の自分の読書ノートが今も残っているのですが、それを見たら、コナン・ドイルの「シャーロックホームズの帰還」とか、スタインベックの「赤い子馬」、デフォーの「ロビンソン漂流記」などの感想文が書かれていて、そのあとモンゴメリの「赤毛のアン」「アンの青春」「アンの愛情」と、アンのシリーズが並んでいます。1作目のアンがあまりにも素晴らしかったので、続編を買って楽しく読み続けたんですよね。それ以来、その本はずっと心に刻み付けられていました。アンと最後に結ばれる「ギルバート」という男友達の名前も、いまだに忘れられません(今では昨日見たドラマの主人公の名前も忘れます )。

そんな思い出深い「赤毛のアン」ですが、それ以降は読むこともなく、あくまでも過去の懐かしい思い出だったのですが

先日のこと。

図書館へ行って文庫本のコーナーを眺めていたら「アンのゆりかご」という本が目につきました。著者は村岡恵理という人。村岡花子さんの子供か、孫か? と思い、本を手に取って表紙裏の著者紹介欄を見ると、花子さんの孫に当たる人でした。で、この本を借りることにしました。

「アンのゆりかご」は400ページにもなる文庫本でしたが、これを読みながら、「赤毛のアン」を翻訳した村岡花子さんがどれほど波乱に満ちた人生を送ってこられたのかが、手に取るようにわかりました。

花子さんは1893年(明治24年)生まれで、10歳のとき父に連れられ、カナダ人宣教師によって創立された東京のミッションスクールへ行き、そこの寄宿舎に入って英語の勉強を始めます。その後、紆余曲折を経ながらも英語を勉強し、成人して子どもたちに英語を教える立場となり、また翻訳を始めたりしながら、人生を力強く歩んでいきます。

そして歳月は流れ、1939年(昭和14年)、つまり僕が生まれる10年前ですが、花子さんが46歳のとき。当時、キリスト教関係の本を出版している会社で同僚だったカナダ人婦人宣教師のミス・ショーという人が、日本が戦争に突入したことで居られなくなり、カナダへ帰国することになりました。ミス・ショーが帰る日、見送りに来た花子さんに「私たちの友情の記念に」と、1冊の本を渡します。
「いつかまた、きっと平和が訪れます。その時、この本をあなたの手で、日本の少女たちに紹介してください」
そうして受け取った本が、カナダの女流作家、ルーシー・モード・モンゴメリが書いた「アン・オブ・グリーン・ゲイブルス」という本でした。村岡花子さんの運命を変えた一冊でした。

花子さんはやがてコツコツとその翻訳を始め、太平洋戦争で東京の大空襲を受けた時にも、本と翻訳原稿が入った風呂敷包みを抱えて逃げました。

そして1952年(昭和27年)、花子さんが59歳の時に「赤毛のアン」という題名で出版され、以後7年にわたってアン・シリーズを翻訳して出版したということです。

そんなことが、花子さんの孫である村岡恵理さんによって詳しく記述されています。ちなみに恵理さんは1967年(昭和42年)生まれということです。

最近、僕も読書量がめっきり減り、あまり長い本は読まず、簡易なエッセイのようなものばかり読んでいましたが、久しぶりに読み応えのある一冊でした。


 
 これが羽曳野図書館から借りた文庫本です。

ところで、この本の話をモミィにしたら、
「わたし、その本、読んだよ」と言う。
「あぁ、『赤毛のアン』を読んだということね」
と僕が言うとモミィは「違うよ」と首を振り、
「『赤毛のアン』も読んだけど、その本も読んだ」と言う。
「読んだって? どの本を?」と不思議に思って僕が尋ねると、
「いま、持ってくるわ」と自分の部屋に行って、一冊の本を僕に見せた。

こんな本でした。

 


「『赤毛のアン』と花子」というタイトルで、著者はやはり村岡恵理とある。少年少女向きの200ページほどの本で、読みやすく書かれているみたいだ。しかし、パラパラとめくって見ると、物語の内容は僕が読んだものとほぼ同じようでした。

モミィは本好きで、よく妻と書店へ行っていろんな本を買ってもらっているようだったけれど、こんな本も持っていたんですよね。ちょっとびっくりしました。

わが家にこんな本があると知っていたらもっと早く読んでいたのにな。と、思いながら、じゃ、せっかくだからこれも読んでみよう、と、モミィからその本を借りた次第です。

字が大きいし、文体もやさしいので、読むのに苦労せずに済みそうです  

では、明後日から始まる吉高由里子さん主演の再放送ドラマ「花子とアン」を楽しみにしています。

 

 

 

 

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「あさが来た」再放送と大阪のさまざまな知識

2018年12月14日 | 読書

最近、大阪に関する2冊の本を読んだ。ひとつは本渡章という人の「アベノから日本が見える」。もうひとつは谷川彰英という人の「大阪地理地名地図の謎」という本である。この2冊を読んで、大阪に関して今まで知らなかったさまざまな知識を得ることができた。それにしても、自分が住んでいる大阪なのに、これほどまでに知らないことが多かったとは、いささか忸怩たる思いでした。

★かつて大阪は「大坂」という漢字があてられていた。「大坂夏の陣」と書きますしね。ではなぜ「大坂」が「大阪」の字に変わったのか、というと、

大阪の「阪」の字が土へんの「坂」だと、土に反(か)えるとなり、死に通じてしまうので縁起が悪い。

という考えが庶民の間に広がり、こざとへんの阪と書くようになったそうです。

★難波に千日前という所があります。この千日前という名称は、むかしここに法善寺と竹林寺という寺があって、千日参りが盛んだった。そして両方を千日寺と呼び、ふたつの寺の前にあるから千日前と呼ばれた、とのこと。

★東京は「江戸八百八町」
京都は「京都八百八寺」
大阪は「なにわ八百八橋」と呼ばれるけれど、
橋の数自体は大阪は昔から多くない。東京や京都のほうがはるかに多い。しかし江戸時代、大阪は町人が自分たちで橋を作った。大阪には800弱の橋があるが、東京は3,800、京都が1,300。大阪はかなり少ない。なのになぜ八百八橋なのか?

それは、

大阪の橋はひとつの橋の面積が他の都市より大きい。市域面積に占める橋の面積の割合は大阪は東京の2倍以上、京都や神戸の約10倍。橋一つ一つへの思い入れが違う。というようなことも、書かれていました。

ところで、

江戸時代は「天下の台所」として活気があった大阪ですが、明治の世になって一気に衰退した。その衰退した大阪を復興させた「大阪の恩人」と言われた男がいた。その男の名は、五代友厚(ともあつ)。

え? どこかで聞いた名前やな、と思われる方も多いかと思いますが、それはまたあとで。

彼は大坂証券取引所や商工会議所の先駆けになるものを作り、造幣局も誘致した。大阪のために大いに頑張り、大阪経済を見事に復興させた。明治2年30代なかばで事業家となり49歳で亡くなるまで、大阪のために大いに頑張った。

というようなことも書かれていました。

で、この五代友厚は、3年前の朝ドラ「あさが来た」でディーン・フジオカさんが演じていました。といっても、僕は当時、朝ドラは見ていなかったので、ストーリーはむろん、五代友厚も知りませんでした。なにか「五代ロス」というような言葉が流行語になり、その時初めて「あさが来た」のドラマの話だったことを知ったわけです。

読んでいた本で、大阪の経済復興に大きな業績を残した人物として五代友厚が出てきたとき、それほどの人物だったのかと感慨深かったです。

僕は今「まんぷく」を見ていますが、朝ドラを欠かさず見始めたのは「わろてんか」が初めてで、その後の「半分、青い。」もすべて見て、そして「まんぷく」も面白いなぁ、と思いながら見ています。今さらながらですが、朝ドラファンになったのです。

そんな時、あれは11月の初旬、NHK総合で月~金の午後4時20分から「あさが来た」の再放送が始まりました。1日に2回分放送するので、録画して30分間で2本見ています。

「あさが来た」は、21世紀の朝ドラ史上、最高視聴率を記録したドラマでもあるらしいです(前世紀は「おしん」の視聴率がダントツですから、これを超えるドラマは永遠に出ませんよね)。

物語のほうは、今は主人公のあさが五代友厚の話を聞き、彼の大阪経済復興への熱い思いを知る、というあたりです。

今ごろ3年前の朝ドラについてあれこれ言うのもナンですが、その再放送で、ディーン・フジオカさんを見たことと、僕が本で五代友厚に関することを読んだことが、時期的にちょうどピッタリ重なったので、強い印象を受けたのです。

ちなみに、ドラマの主題歌、AKB48 の「365日の紙飛行機」は、いつかモミィがCDをかけて聴いていたのを覚えています。「あさが来た」の再放送の第1回目を見た時、この歌が出てきたので、これにもビックリでした。でも、毎日聴いているといい歌ですね~。AKB48 と聞いただけで「僕らの世代は付いていかれへん歌や」という先入観も、これで少しは消えました(笑)。

五代友厚のことから朝ドラの話になってしまいましたが、話を戻して、大阪に関する興味深い事実を知ったので、最後にそれに触れます。

先ごろ、2025年の大阪万博開催が決まりましたが、それに関連して、明治時代のことですが

冒頭にご紹介した「アベノから日本が見える」によると、

五代友厚らの努力が実って勢いを取り戻した大阪。1903年(明治36年)に内国勧業国際博覧会(日本初の万博)が天王寺で行われ、大阪経済はますます発展し、一時は東京を上回る人口になった。その博覧会では、自動出閉器(自動ドア)とか、冷蔵庫などが初めて登場したという。

その博覧会の膨大な跡地がどうなったかというと

1912年(明治45年)、跡地の半分に新世界の街がつくられ、さらにそこに通天閣も建てられた。そして、跡地のもう半分が天王寺公園になった。ということでありました。ちなみに通天閣は昭和18年に火事で黒焦げになり取り壊し。昭和31年に今の2代目ができた、とのことです。

新世界と天王寺公園のあの場所で、今でいう万博が明治時代に開催されていたということも、初耳でした。

ウオーキングの際、少しでも大阪の知識があれば面白いだろうな、と思って読んだ2冊ですが、とても興味深く読めました。

話が断片的で、しかもあちこちに飛んで、失礼しました。
かんにんしてね。

 

 

 


 

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仕事と私 どっちが大事なの?

2017年10月07日 | 読書

2週間前の土曜日。
モミィがエレクトーン教室でレッスンを受けている間、同じ館内にある図書館で本棚を眺めていたら、面白いタイトルの本が目に入りました。
長いタイトルですけど、

「仕事と私どっちが大事なのって言ってくれる彼女も仕事もない」

僕はゲラッと笑ってその本を手に取りました。著者は「処之助」という一般の男性です。そしてサブタイトルが「わが妄想のツィッター録」とあります。つまり小説やエッセイではなく、これまでのツィッターでのつぶやきを1冊の本にしたもののようで、処之助さんによると「2010年頃からつぶやきはじめ、その内容がネット上で面白すぎると話題になったけれど、その内容が会社にばれてクビになって現在は無職」ということなのだそうです。 


     

 

表紙に描かれている猫は、処之助さんが可愛がっている猫で、名前は「のぼる」といいます。僕と同じ名前ですわ(笑)。

本の中身は短い文章がず~っと続くのですが、思わず笑ってしまう部分も多くあり、新書版の大きさで260ページほどあったので、立ち読みだけでは物足りなくなり、家でゆっくり読もうと、この本を借りました。

文面は、同じような内容が並んでいて、真面目に読んでいると疲れる部分もありますが、笑えるところも多くありました。

ここにいくつか紹介しますと、

☆おれのこと観察してる宇宙人を混乱させるためにこんな生き方してる。
☆おれが手に職を持たないのは、この手で君を抱きしめるためなんだよ。
☆冤罪がこわくて痴漢できない。
☆働きたくないんじゃない、苦労したくないだけなんだ。
☆他人の足を引っ張ってるときが一番輝いてる自信あるから、おれが他人の足を引っ張ってるとこ女の子に見てほしい。
☆高所恐怖症だから阪神が順位の一番上にいるのがこわい(彼は阪神ファン)
☆安倍首相! 徳政令発動して阪神の借金チャラにしてくれ。
☆(年末に)みんなもう仕事納めした? おれは5年前にしたで!
☆小人になって(卓球の)伊藤美誠ちゃんのおでこから滑り落ちて死にたい。
☆石川佳純ちゃん最高! 卓球台に穴あけてそこから顔だけ出して石川佳純ちゃんのスマッシュ小一時間ほど浴び続けたいくらい最高!
☆何かを始めるのに遅すぎるなんてないから、まだ始めなくていいよね

というような短い文章が延々と続きます。
ここにはあまり取り上げませんでしたが、女性に対するストーカー的妄想というのが結構多く、そのへんは共感しづらかったですが、とにかくダメ男ぶりをまき散らすつぶやき集としては、まあまあ面白かったです。特にタイトルに笑いましたもんね。

ツィッターというのは身の回りにあったことや思いつきを短く載せればいいというので何となく楽な気もします。僕はブログを書くときは、これでもいちおう起承転結を考えます。(考えるだけでちゃんと反映されてませんけど。ぐすん)

その点、ツィッターとかフェイスブックなんかは短文ですからね。ところがまた、それがむずかしいといえばむずかしい。文章は短ければ短いほどむずかしいという側面もあるわけで

思うに、ツィッターもブログも、文脈より発想が大事なんでしょうね。

で、自分のブログを振り返ってみると、なんだか発想に乏しいなぁ。

発想力の訓練としてツィッターをやってみようか、と思ったりもしますが、肝心のそのやり方を僕は知りません。今、よく言われているインスタグラムというのも、何のことやらさっぱり。

しかし一念発起してツィッターをやるぞ~と仮定して、その場合のタイトルを考えてみました。面白いタイトルでなければね。

発想力に乏しい僕だから、なかなか思い浮かびません。

そうだ、処之助さんのタイトルを真似してみよう。

大昔に「お座敷小唄」という歌がヒットしましたよね。
「♪ 富士の高嶺に降る雪も京都先斗町に降る雪も~」
というあの歌ですが、あの中にこんな歌詞がありました。

♪ お金も着物もいらないわ~あなた一人が欲しいのよ~

これをもじって、
「お金も着物もほしいけど あなた一人がいらないの」
というツィッターのタイトル。どうでしょうか?

あきませんか?
う~む。 
やっぱりね。
僕にはツィッターは無理ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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読書ノート ~ 続き ~

2017年09月27日 | 読書

 
昨日の記事で紹介しました高校生の頃の僕の最初の読書ノートです。
もうボロボロですけど、なんとか原型はとどめています(笑)。


 
ノートを開くと、
この部分は高校2年生の時に書いた文章ですが、
下手な字で、読書感想文をぎっしりと書いています。
右側のページには、ヘッセの「車輪の下」の感想が。
左のページはスタインベックの「怒りの葡萄」です。
いま読み返してみると照れ臭いですね、やっぱり。

 

  ~ 1996年の読書ノート ~

さて、
1966(昭和41)年といえば誕生日が来て17歳。
高校2年生から3年生になった年ですが。 

1月から夏休みが終わる8月までに読んだ主な本のリストを読書ノートから抜き出してみました。この当時が、自分の人生の中で、最も沢山の本を読んだ時期だったと思います。

「狭き門」(ジイド)
「天平の甍」(井上靖)
「人間ぎらい」(モリエール)
「女の一生」(モーパッサン)
「友情」(武者小路実篤)
「リンカン伝」(石井満)
「阿Q正伝」(魯迅)
「暗夜航路」(志賀直哉)
「大地」(パールバック)
「谷間の百合」(バルザック)
「変身」(カフカ)
「父と子」(ツルゲーネフ)
「人生論」(武者小路実篤)
「イソップ寓話」
「ナポレオン伝」(ルードウィッヒ)
「罪と罰」(ドストエフスキー)
「戦争と平和」(トルストイ)
「三四郎」(夏目漱石)
「トニオ・クレーゲル」(マン)
「野菊の墓」(伊藤佐千夫)
「フランクリン自伝」
「復活」(トルストイ)
「阿部一族」(森鴎外)
「高瀬舟」(森鴎外)
「雁」(森鴎外)
「草枕」(夏目漱石)
「ハムレット」(シェークスピア)
「ヴェニスの商人」(シェークスピア)
「嵐が岡」(E・ブロンテ)
「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)
「武器よさらば」(ヘミングウェイ)
「二都物語」(ディッケンズ)
「ジェイン・エア」(C・ブロンテ)
「ジャン・クリストフ」(ロラン)
「八月の光」(フォークナー)
「アンナ・カレーニナ」(トルストイ)
「従姉妹ベッド」(バルザック)
「どん底」(ゴーリキー)
「高慢と偏見」(オースティン)
「凱旋門」(レマルク)
「風と共に去りぬ」(ミッチェル)
「ボヴァリー夫人」(フローベル)
「テス」(ハーディ)
「ミケランジェロの生涯」(ロラン)
「赤と黒」(スタンダール)

などなどです。

手当たり次第に読んでいったという感じもありますが、この当時は河出書房から世界文学全集の「グリーン版」や「カラー版」というのが出版され、世界文学が一種のブームでもあり、すっかり外国の小説にハマっていました。主に19世紀のロシア文学とフランス文学が好きでしたね。日本文学も昔の有名な作品ばかり読み、当時の「流行小説」には全く関心がありませんでした。

うちの父と母は2人で商売をしており、本を読んでいる姿など一度も見たことがありませんでした。逆に家では本ばかり読んでいる僕を、両親は不思議なものでも見るような目で見ていたようです。

ある時「本ばっかり読んでたら体に毒やで。たまにはテレビでも見たら?」と母が心配そうに言ったことがあります。わが子ながら変な子だと思ったのでしょうか。それにしても、読書が「体に毒」とは、うちの母も面白いことを言います。つまり「体に毒書!」と言いたかったのでしょうね~(アホな)。

学校の教室でも、授業中にこっそりと教科書の陰に小説を潜ませて読んだりもしていました。とにかくこうした小説類を、時間を惜しみながら夢中で読み漁ったのが17歳の頃でした。

どの本も、僕にとっては大切な人生の教師でもあり、また反面教師でもありました。中でも「女の一生」「ボヴァリー夫人」「罪と罰」「赤と黒」「父と子」「アンナカレーニナ」「テス」などは今でも深く心の中に刻み込まれています。

運命に弄ばれながらも乗り越えて生きて行く女性と言えば「女の一生」のジャンヌ。不倫の末の悲劇と言えば「ボヴァリー夫人」や「アンナカレーニナ」。男に翻弄され、裏切られ、零落していく薄幸の女性と言えば「テス」。野心家で立身出世主義と言えば「赤と黒」のジュリアン・ソレル。理屈で殺人を犯す人間を見れば「罪と罰の」ラスコーリニコフ。虚無的な生き方を見せつけられると「父と子」のバザーロフらを、今も思い浮かべます。さまざまな人物や出来事とめぐり合う本の世界は、本当に素敵な世界でした。

勤めている時は、仕事を辞めたらもう一度これらの本をゆっくり読み返してみたい、というのが夢だったのですが、実際に退職し、好きなだけ本が読める環境になった今はどうか? 

それがうまくいかないものですね~。ぎっしりと細かく詰まった文字を読むとすぐに目が疲れてくるんですよね。また、読書傾向もすっかり変わってしまい、今は読みやすくて心が軽くなるエッセーなどを楽しんでいます。

まだ老眼鏡をかけずに新聞を読んだりはしていますが、最近どんどん字がボヤけてきています。そろそろ、ちゃんとした老眼鏡を買わなくっちゃ。

目だけではなく、アタマのほうもね。
物忘れがひどくなって、このごろは読んだ本のこともすぐ忘れるので、何か印象に残った部分はメモするか、本に印をつけるかをしなければなりません。

何しろ、あれから50年も経つんですからね~
仕方ないですよね。

と、まあ、昨日・今日と大昔の話を並べてしまいました。
でも、溜まっていたものが吐き出せて、何となくスッキリしました。

冒頭のボロボロノートも、これを機に廃棄します。
いつまでも置いていても、仕方ありませんものね。

最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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半世紀前の読書ノート

2017年09月26日 | 読書

「断捨離」という言葉が、今や世間ではすっかり定着した感があります。それと「終活」という言葉もね~。いずれも身辺整理をするという意味で、一種のブームにもなっているように思えます。最近、僕も身の回りの物を処分したいと思っているところですが、なかなか難しいですね。

それでも、昔の日記やノート類は少しずつ処分してきました。…が、まだ残っているのもかなりあります。そして手元に残っているノートの中では一番古いと思われる「読書ノート」というのがあるのですが、何十年ぶりかで開けて眺めてみると、当時の記憶が驚くほど鮮明によみがえってくるんですよね。

僕が読書らしい読書を始めたのは高校へ入ってから。それまでは少年少女向きの本や漫画ばっかり。高校生になって「大人が読む小説を読んだら少しは賢くなれるのではないか」と思い、読書を趣味にしようと考えたのでした。

いま手元にある僕自身の一番古い読書ノートは、昭和39年(1964年)夏から始まっています。東京オリンピックが開かれた年。僕が高校へ入った15歳の時でした。

ノートの1ページ目には、読んだ本の題名が順番に並べられ、3ページ目から、それぞれの本の感想文が、下手な字で書かれています。

僕にとってはじめての本格的読書は、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズの帰還」でした。それは50年以上経った現在でもよく覚えています(それが今では、先週読んだ本のことも忘れちゃっていますけど)。

それに続いて、主にこういう本を読んだことがノートに記されています。

昭和39年
「愛と死を見つめて」(大島みち子、河野実) 
「若き命の日記」 (大島みち子)
「蛙の王様」 (グリム)
「赤い子馬」 (スタインベック)
「ロビンソン漂流記」(デフォー)
「赤毛のアン」(モンゴメリ)
「アンの青春」(モンゴメリ)
「アンの愛情」(モンゴメリ)

昭和40年

「我輩は猫である」(夏目漱石)
「潮騒」(三島由紀夫)
「嵐」(島崎藤村)
「夜明け前」(島崎藤村)
「宮本武蔵」(吉川英治)
「愛と死」(武者小路実篤)
「若きウェルテルの悩み」(ゲーテ)
「湖畔の家」(ヘッセ)
「怪談・奇談」(小泉八雲)
「青い山脈」(石坂洋次郎)
「怒りの葡萄」(スタインベック)
「車輪の下」(ヘッセ)

こんな感じで。
一つひとつが、青春期の心に刻まれた、忘れ得ない作品と言えます。

高校時代の読書遍歴を、このノートで振り返ってみると、このあと3年生になった昭和41年の1年間が、最も本に没頭した年でした。

そういうことで、
僕の読書体験は、高校での3年間が大きな土台になっています。

こうした作品を並べて眺めると、この頃の読書は今とは違い、1冊1冊が血肉となって自分の体内を駆け巡り、いくらかの部分は今も体の一部として残っているように思います。兄弟もおらず、両親との対話もほとんどなかった僕にとっては、家にいる時はほとんど本を読んで過ごしていたので、僕の人生観、世界観というのは、かなりの部分を読書から影響を受けています。

読書は、若者にとっては自己を磨く鍛錬であり、老人にとっては娯楽である、という言葉も、この当時何かで読んだことを覚えています。

そんなことを思いながら、ノートの最初のページに列挙してあった作品をここへ書き出してみたのですが、このあとまた、自分の人生でも最も多くの本を読んだ昭和41年の高校3年生になった頃の読書一覧を書き出してみたいと思います。

う~ん。しかしまあ
こんな話は他の人には何の関心も湧かないような話なんですけど、年齢を重ねてくると、どんどんと、こうした懐古趣味が強まってくるんですよね。で、それをこんなふうにブログに書き残しておくって、こういうのも一種の「終活」なんでしょうか(笑)。

 

 

 

 


 

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いい加減な話

2017年02月23日 | 読書

先月のことになるけれど、下重暁子さんの「家族という病」「家族という病・2」の2作を読んだ。この本の帯には「『家族は素晴らしい』は欺瞞である」とか「『幸せな家族』なんて存在しない」と書かれています。つまり、家族が心の支えだとか、家族のために、とかいうのは幻想だという話。まあ、これは少し極端な表現で、本の中身はもっと広がりを持っており、たとえば年老いた夫婦の2人暮らしの場合の「距離の置き方」ということなどが、著者自身の経験をまじえて、細かく述べられています。それでも、家族というものは、人が言うほど素晴らしいものではない、というのがこの本の基調となっています。

ここで著者は「日常の会話でも、家族の話は自慢か愚痴ばかりで、発展性がない」と書いています。う~ん、そうかなぁ。言われてみれば、僕が通っているスポーツクラブでも、特に女性の人たちは家族の話をよくするけれど、旦那さんに対する愚痴が圧倒的に多い。たいてい年齢的には退職されているので家にいる人が多く、「ずっと家にいられると息が詰まる」とか「家のことは何もせず、文句だけ言う」と奥さん方は、旦那さんに対する愚痴をこぼすのです。

あ、余談ですが、この本の中に「家族の写真入りの年賀状を送るのは幸せの押し売り」という一節がありました。毎年、モミィや自分たちの写真を年賀状に印刷している僕としては、「あんたもやで」と言われているような気になりました。来年から、ちょっと考えた方がいい?(というより、いっそ年賀状自体もやめたほうがいいかも)。な~んて思ったりしました。


さて、家庭裁判所では、家族のもめごとを「家事事件」と呼ぶそうです。その家事事件が近年特に増加して、2016年度には初めて100万件を超えるということです。この家族間のもめごとの中で圧倒的に多いのが、やっぱりこの夫婦間のもめごとだそうで、具体的には、離婚をめぐる夫婦のトラブルが数多く家裁に持ち込まれるようになった、とのことです。つまり、離婚にまで発展するほど仲の悪い夫婦がどんどん増えてきたということでしょうか。まぁ、あるいはもっと昔からそうだったけど、それが表面に出なかっただけなのか…そのへんはわかりませんけどね。

しかしそれでも最近、夫婦や親子、兄弟など、家族間の殺傷事件が多いのを見ると、たしかに家族がゆがみ合うケースが増えてきたのは事実です。これも「家族という病」の現象なんでしょうか。

ご存知と思いますが、つい先日も、こんな事件がありました。
静岡県での話。ある家庭で夫婦喧嘩がはじまり、それを見かねた長男(38歳)が仲裁に入ったところ、父親が包丁を持ち出して長男の腹や胸を包丁で刺し、重傷を負わせたという事件です。父親は64歳。夫婦喧嘩の原因は、台所に置いていたペットボトルをめぐって口論になったということだそうです。…なんだ、それは? と思うような話ですが、たぶん、「ペットボトルをそんなところに置くな」「いいじゃないの」みたいなやりとりだったんでしょうか。夫婦喧嘩って、まあ、そんなものかも知れませんが。

でも、なんでこんなことで…? そんなことでもめるんだったら、朝から晩まで口論ばっかりしていなければ、と思ったりする。これでは妻にとっては夫が、夫にとっては妻がストレスの元ということになるし、あまりにつまらないですね。それにしても、夫婦喧嘩の仲裁に入った息子を包丁で刺すとは、なんてこった、と思いますよね。

で、これも本の話ですが、ちょうど、いま読んでいるのが、三浦朱門・曽野綾子さん夫婦の対談集「夫婦のルール」という2014年に出版された本です(朱門さんは先日亡くなられましたが)。そこで妻の曽野綾子さんがこんな意味のことを言ってます。

元々夫婦は他人だから、100パーセント理解などできない。夫婦の価値観が違うのも当たり前の話で、価値観の違いで離婚するというのなら、何度結婚しても離婚しますよ(笑)。で、ほとんどのことは「たかが」でいいのでは。「たかが」と思うと落ち着いて相手を見られる。夫婦だって他人同士だって、そう思っていれば、ぶつからずに済む。自分もいい加減だけど、あいつもいい加減だよな、と仲良くなる。そう考えると、いろんなことはそんなに難しいことじゃないんです。

と、まあ、そういうことでした。ペットボトルが台所に置いてあっても別にかまわないわけで、そんな細かいことがいちいち気に触っていたら神経が持ちませんね。つまり、曽野綾子さんが言われるように、いろんなことがあっても「たかが…」と思い、「いい加減」に考えていたらいいんだと思います。

これまでの人生をいい加減に過ごしてきた僕ですから、この言葉には大いにうなずけます。

ちなみに、僕たち夫婦間には、もめごとはありません。

と、こう書けば「家族という病」の下重暁子さんから、「それが家族自慢なのです。そんな話、何の発展性もありません!」って言われますよね、きっと。

 

 

 


      

 

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

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「九十歳。何がめでたい」 ~佐藤愛子~

2016年12月09日 | 読書

今年の夏ごろ、新聞の書籍広告欄に、佐藤愛子さんの
「九十歳。何がめでたい」という本が載っていたのを見て
「面白いタイトルだなぁ」と思った。

佐藤愛子さんといえば、僕が昔愛読した「どくとるマンボウ」の北杜夫氏や、
「狐狸庵閑話」(⇒こりゃアカンわ)の遠藤周作センセイ(共に故人)らと
親交があって、この人たちのエッセイによく登場してきて、
ずいぶん奔放で面白そうな女性…というイメージがあった。

その佐藤愛子さんが「九十歳。何がめでたい」
というタイトルの本を出されたのだから、これは絶対面白いはず…
…と、案の定、新聞書評でも絶賛されていたので、ぜひ読まなければと、
先月、遅まきながら、ツタヤへ出かけて、買ってきた。

ちなみにツタヤでは、
本を1冊買うと、
映画のDVDを1枚タダで借りられる。

(まぁ、旧作(100円)限定ですけど)

そしてこの「九十歳。何がめでたい」を読んでみたら、
期待どおり、痛快無比、胸がす~っとする作品であった。
と同時に、当然ながら、老いの悲哀もしみじみと感じさせる。

「長生きするって、たいへんなのねぇ…」
私の娘はこの頃、しみじみ、つくづくという感じでいう。
私の日々のありよう、次々に起こる故障を見ていうのである。

…という書き出しで、このエッセイは始まる。

佐藤さんは1923(大正12)年の11月生まれである。
ということは、先月に93歳になられたわけだ。
それで、まだこんな面白い本を出されるとはね~

その佐藤さんも、近頃、どんどん耳は聞えなくなってくるし、
背中のあちこちがむやみに痒くなるし、膝はガクガクするし、
ひとつの苦痛がおさまれば次が出て、また次が出たかと思うと、
今度はおさまった苦痛が、また出てくる…。

「重ねてきた歳月は二度と戻らないように、
歳月と共に傷んだ肉体はもはや戻りはしない」
と嘆く佐藤さんであるが、僕だってねぇ、若いのに(笑)、
年々、あちこちが傷んできて、情けない思いをしています。

それでも、佐藤さんの文章は、読んでいて、暗さは感じない。

昨今のスマホブームに対しては、
「だいたいスマホというものがわからない」
「そんなものが行き渡ると、人間はみんなバカになるわ。
調べたり考えたり記憶したり、努力をしなくてもすぐ答えが出てくるんだもの」

「こういう正論をいっても耳に入らないんだからねぇ。かえって軽蔑されるだけなのね」
と慨嘆しつつ、
「もう『進歩』はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。
進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う

と、持論を述べる。読みながら、いちいち頷く僕である。

また、ある百貨店のトイレに入って、用をすませて水を流そうとしたら、
どこにもハンドルらしきものがなく、ボタンも探したがない。
どこをどうやれば水が流れるのか…と途方に暮れていると、
ドア近くにヒモがぶら下がっていたので、それを引っ張った。
…すると、それは緊急警報装置で、とたんにベルが鳴り、
トイレのドアがノックされ「お客さま、どうなさいました?」
…と、女店員の金切り声がドアの外から聞こえてきた…。
「まったくぅ、何がどうなっているんだか」とボヤく佐藤さんだった。

そういえば…
僕も一度、水を流そうと、壁にあったボタンを押したら、
けたたましいベルの音がして外からノックされたことがあったっけ。

また、こんな話も。
80歳代まで悩まされていた花粉症が、最近治った。
「花粉症は年を取れば治る」と聞かされていたが、
91歳の春が来た時に、それまでのクシャミが止まった。
佐藤さんの友人は、
「花粉症が治るということは、もうアレルギー反応が起こる体力がなくなったということらしいのよ」と言った。
「つまり私は完全婆ァになったということなのである。私は半分死んだのだ。棺桶に片脚入ってる。そういうことなのだ!」と、佐藤さん。
「今となってはハクション! あの頃がしみじみ懐かしい」

佐藤さんは、そういうお年だから、まぁ、機械モノには弱い。あるとき、
テレビの音声と映像がずれて直らないので、馴染みの電気店に電話すると、
製造元が修理するので本社に電話します、と電気店主は言った。
そして本社から青年が来て、リモコンをチョコっとさわったら、
あっという間にテレビのずれが直っていた。
それで修理出張費4,500円と言われ、びっくりする。
今までなら、電気屋の親父に電話したら、その親父が来て、
リモコンをさわって、「直った? よかったね、あはは」
ですんだのに、勝手に本社に連絡し、ちょこっとさわって
「ハイ、4,500円」と言い、「どうも!」といって帰って行くのだ。
何が「どうも」だ! と怒る佐藤さん。こんなくだりも、面白い。

他にも、電力会社から身に覚えのない電気代の請求を受けたり、
FAXの用紙の入れ方を間違えて起きたトラブルについて、
NTTが来て8,000円の「出張費」を請求されたり…
生活で困ったことが起きても、自分では解決できない。

そんなことが次々起きると、「もう誰の世話にもならないわ」
…と気炎を上げるのだが、まさか蝋燭と囲炉裏と薪の生活もできず…。
「エイ、面倒くさい! てっとり早いのは死んでしまうことだ。葬式なんかいらん。坊主もいらん。そのへんの川にでも捨ててくれ。なに、そんなことをしたら、警察問題になって、捨てた娘は罰金を取られるかもしれないって? …もう知らん。勝手にせえ!」

…と、「死ぬに死ねない」情けなさをぶちまける。

そんなところへ、ファンと称する女性からカマボコが送られてきた。
「佐藤先生。もっともっと百まで長生きしてください」とのメッセージ。
「何をいうか。人の気も知らず」
腹立ちまぎれにカマボコをガブリとかじったら、入れ歯が外れた。

…とまぁ、全編、こんな調子である。

このエッセイは「女性セブン」に連載されたものだが、
編集者が訪ねてきて、連載の依頼を受けたとき、佐藤さんは、
「もう九十歳過ぎましたからね。
これからはのんびりしようと思ってるんですよ」

と言うと、「では隔週で」という話になり、佐藤さんも考え直して、
その「のんびり」のおかげで老人性ウツ病になりかけていたこともあり、
ヤケクソの気持ちで、隔週での連載を引き受けたという。
タイトルの「九十歳。何がめでたい」はその時ひらめいたそうだ。

そしてこの本の最後で、佐藤さんは、

人間は『のんびりしよう』
なんて考えてはダメだということが、

九十歳を過ぎてよくわかりました。

と書かれていた。

この言葉、肝に銘じておきたいと思います。

僕も「名前はのん。『のんびり』の、のんで~す」
な~んて、二度と口に出さないでおこう(笑)

 

 

  
 特に面白かったページに付箋を貼ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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