僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

松原市役所で十数年ぶりに会った人々

2021年11月29日 | 議会&役所

コロナのせいもあって、この2年近く、家族以外とはほとんど会っていない。近所の人と立ち話をしたり、スーパーとかでバッタリ顔を合わせた人と話したりすることはあっても、約束して会うということはなかった。

それが、この25日、前回書いたように、長年勤めていた松原市役所のOBの人たち、それも大勢の人たちと一堂に会するとは
落差が激し過ぎますわ(笑)。

そのOBの会である「市友会」の解散を議題としたの25日の臨時総会には、ざっと見渡して40~50人ぐらいの人が来られていた。時間ギリギリに着いた僕は受付を済ませ、会議室に入ると、10名ほどの役員の人たちがいて、みんなマスクをしているけれど、知っている顔ばかりだった。

「やぁやぁ、こんにちは。よく来てくれたね~」と言ってくれる人や、
「何かうるさい意見を言おうと思って来たんか?」
と言ってケタケタと笑う人。

そんな人たちに囲まれると、グッと懐かしさがこみ上げる。役員の人たちは僕より年上、つまり先輩職員だった人がほとんどだった。でもよく知っている人たちばかりなので、あの人と話し、この人とも話し、と、右も左も懐かしい顔ばかり。それぞれに公私ともに思い出のある人ばかりでした。

そして、すでに席に着いている出席者の人たちを見渡すと、
「あ、〇〇さん?」
「えっ、△△さん?」
そこで、10年以上も会っていない何十人もの人たちの顔がありました。
右を見ても左を見ても、懐かしの人たちの顏、顔、顔。
ほとんど人と接していない昨今なのに、急にこんな賑やかな中に混じっている自分が不思議でした。

その懐かしの顔の中に、かつて僕が勤めていた議会事務局で一緒に仕事をした坂〇チヨ子さんがおられ、僕を見て「まぁ、お久しぶりですね~」と手を振ってくれたので、その隣に座りました。彼女は僕より1つか2つ年上です。

「お元気そうですね」とお互いに言い合ったあと、
「あのぉ、えぇ~っと、あの、そう、あのモミィちゃんは元気?」と坂〇さん。
モミィの名前を覚えてくれていたんだ。
「はい、おかげさまで。今は高校1年になりました」と言うと、
「ええぇっ! もう高校生に!」と目を丸くされてました。

そんな話に花が咲きます。
僕らの席の前後左右でも、みんなワイワイとおしゃべりをしています。

やがて会議が始まり、予定通りに議事が進行して行きました。司会をしていた中〇さんは一歳上ですが、特に親しくしていた人で、むかし、この人の結婚式の司会を僕が務めました。余談ですが、この日の夜に中〇さんからメールが来て「司会の名人の君の前で司会をするのが恥ずかしかったです」な~んて書かれていました。

  
 会議室の様子を自分の席から撮りました。
 司会をしているのが友人の中〇さんです。 
 

さて会議も終了し、解散となりましたが、みんなすぐには帰らない。なにせ久しぶりに会ったものだから名残り惜しいのでしょうね。僕もいろんな人に声をかけられ、「すごく元気そうね~」と言われたり「昔と全然変わらないわね~」と言われたり (自慢? えへへ)。

そしてそのあと、坂〇さんを誘って3階にある議会へ行くことに。彼女とは議会事務局で一緒に仕事をしていたので、今もそこに勤めている女子職員さんに会いに行こうということになりました。

議会のフロアに着くと、「懐かしいですわねぇ」と坂〇さん。
38年間の市役所勤務のうち、26年間を議会事務局で過ごした僕にとっては、特に懐かしい職場でもあります。

そして昔馴染みの女子職員さんに会って廊下で話していると、
そこへ市議会議長が通りがかり、僕を見て、
「わっ、久しぶりですねぇ」
と、ビックリしておられました。
そりゃ、10年以上前に退職した者がここにいるのだから、議長も驚いたのでしょう。しばらく議長と話しましたが、むかし、一緒にお酒を飲みに行った時の楽しかった話などをして、けっこう盛り上がりました。

他にも、公明党の議員さんや共産党の議員さんらがやって来て、みなさん、懐かしがってくれました。どれだけの時間いたのかわかりませんが、かなり長いこと話しました。

総会の席で元職員の人たちと話したのも懐かしかったですが、議会の議員さんたちと話ができたのも懐かしかった。ただ、今の松原市議会議員の名簿を見ると、僕が退職する時に在籍されていた議員さんは全体の半分以下で、知らない議員さんのほうが多くなりました。これも時の流れでしょうか。

そんなことで、
「行くべきか、行かざるべきか」
と悩んでいたこの日の会合でしたが、多くの懐かしい面々と会い、おまけに議会にも寄って、議長はじめ旧知の議員さんとも会えていろんな会話を交わすことができたので、行って良かったです。

あれから4日が経ち、
再び元の静かな生活に戻っています。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行くべきか 行かざるべきか それが問題だ

2021年11月27日 | 議会&役所

先月、わが家に1通の郵便が届きました。差出人は「大阪府市町村職員年金者連盟松原支部」というものです。堅苦しい名称ですが、まぁ、簡単に言えば松原市役所を退職した人たちでつくる「友の会」のようなもので名称は「松原市友会」と言います。

僕も38年間勤めた松原市役所を退職した時は「市友会」に入り諸先輩との交流をはかったのですが、1~2年で疎遠になり参加しなくなりました。だから今はもう退会扱いにされていると思っていたのに、こんな通知が来たのでビックリしました。

封を開けて通知文に目を通すと、来年3月31日で「市友会」を解散する、とありました。会員の高齢化や新規会員がほぼ無くなったことで存続が困難になったことから、11月25日に臨時総会を開催し、そこで会員各位の承認を求めて解散手続きをする、ということでした。

封筒には総会の案内と、出欠の有無を返信する用紙、そして臨時総会の議案書が同封されており、「出席の場合はこの議案書を必ず当日にご持参ください」と書かれていました。

「ふ~ん? 僕はまだ会員だったのか?」と思いながら、「行こうか、やめとくか、どうしよう?」と迷いました。そこで、今もメールやラインで連絡を取り合っているかつての後輩や同僚たちに電話したりメールを送ったりしたのですが、意外にも全員「市友会には入っていないので連絡は来ていません」という返事でした。ふ~む。僕も今は入っていないものと思っていたのになぁ。なんで僕のところに通知が来たのだ? よく、わからん。

友人のドイロン君に電話でそれを言うと、彼はヒヒっと笑いながら、
「それはね、のんさんが『うるさい人』やから、向こうも『一応送っておかなければ』ということやったんでしょ」な~んてことを言うのである。
んっ、もぉ~。
このドイロン君は昔からユーモアに富んでいたけど、今も相変わらず面白いことを言うわ。

ところで、
去年のコロナ騒ぎ以来、家族以外の人とはほとんど会うことがなかった。僕は人とお酒を飲んで騒いだりするのはむろん好きなんだけど、元々一人っ子のせいか、一人でいることに苦痛は感じない。むしろ落ち着くし、本を読んだりテレビを見たり、ぶらりと気ままに歩きに出たりするのが好きなんですよね。

なのでコロナ禍の1年半余の「自粛」は、別につらいことでもなかった。このままずっと人に会わなくとも平気だという気持ちがありました。でもまぁ一方では、やはり旧知のいろんな人と会ったら楽しいだろうな~と思うことも事実でした。このあたり、ちょっと複雑な心境でしたけど。

そこへこの通知が舞い込んできたので、さ~て、出席するか、欠席するかと迷いました。仲のいい知人たちはみんな「市友会」には入っていないということだったので、誘い合わせて行く相手もいない。

そうして、気が進まないなぁと思った時、ふと、
「人と会うのが億劫になると老化が早まります」
というのを何かで読んだのを思い出した。

「ふむ。じゃぁとりあえず行ってみるか」と、なんとか自分で自分の背中を押して、出席の返事を出しました。

そして、その11月25日が近づいてくると、また「欠席で出しておけばよかったかな~」という思いが強くなってきました。

現役で働いていたころは、どんな煩わしい予定があったり、イヤな局面に遭遇したりしても、前向きに対応してきたつもりですが、退職して10年以上経つとだんだん消極的で引っ込み体質になり、何か予定が入ると「面倒やなぁ」と思うようになってくるのですね。

これはあまりいい傾向ではないのかな。
でも、いつ頃からこんな優柔不断な人間になったのだろ? 

な~んていう思いを抱きながら、11月25日になりました。
その日の午前10時から始まる臨時総会に出席するために、僕は松原市役所に向かいました。

 ………………………………………………………………………………………

総会で、久しぶりに大勢の人たちと会った時のことは、次回に書きます。

ところで、めっきり寒くなりましたね。
皆様、体調には十分お気をつけください。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「毛沢東の唐揚げ」ってどんなん?

2021年11月22日 | 日常のいろいろなこと

前回、大阪城へ行った話を書きました。

そして、お昼になったので食事をしようと大阪城の近くにある大阪ビジネスパークへ行きました。


向こうが大阪城公園から見たビジネスパークのビル群です。

このエリアには数え切れないほど多くのオフィスがあります。
だから食べる店も多い。

で、僕たちもこのビジネスパークで食事をしようということになり、あちこちのビルをうろうろしたあと、これまで何回か来たことがある
「OBPツインタワー」
というビルに入りました。

食べる店も沢山あり過ぎて、迷った末「ここにしようか?」と入ったのが「魚盛」というお店でした。初めて入るお店です。

「海鮮居酒屋」という雰囲気ですが、ランチセットを注文。僕は「チキン南蛮&イカメンチとお刺身ユッケ」のセット、妻は「蟹クリームコロッケとお刺身ユッケ」のセットを注文し、僕はもちろんビールも頼みました。

初めて来るお店ですが、すご~く美味しかった。さすが、大阪ビジネスパークのお店ですね。こう言ってはなんだけど、わが家の近辺の飲食店などに比べると、メニューの多さも違うし、案外値段も安いんですよね。

アベノから大阪城公園まで歩き、公園内もあちらこちらと歩いたので僕らはかなり疲れていたけれど、このお店ですっかりリラックスできました。

そして、その時のことですが
食事中、ふと壁の上のほうを見上げると、こんなものが目に入りました。

 

「料理長おすすめ」とあって、左側には、
「さきイカの天ぷら」と書かれ、その下に、
「甘海老の毛沢東唐揚げ」と書かれていました。

「ん? 毛沢東だって?」
見間違いかと思ってよくよく確かめたのですが、やはり
「甘海老の毛沢東唐揚げ」でした。

 

甘海老の毛沢東唐揚げ?

どんなんでしょうかねぇ。

家に帰ってからも気になっていたので、その夜、インターネットで
「魚盛 OBPツインタワー店」
を検索すると、やはりメニューの中にそれがありました。

https://r.gnavi.co.jp/eu4b01n20000/menu5/

 
そこに出ている「甘海老の毛沢東唐揚げ」の写真。
これがなぜ「毛沢東」なのかはわかりませんけどね

次にこのお店に行った時、これを注文する?

いやぁ、見た目はおいしそうだけど、
料理の名前が「毛沢東」では、
なんだかねぇ

 




今日の1枚は、本文で毛沢東が出てきたので
旅行で北京の天安門広場へ行った時の写真です。

 
 左が妻で真ん中が長男。
 後方に毛沢東の写真が。
 もう27年前のことです。
 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪城のイチョウ並木を散策

2021年11月19日 | ウォーク・自転車

昨日、久しぶりに大阪城へ行きました。もちろん、コロナ騒動が起きてからは初めてなので、約2年ぶりくらいになるでしょうか。

朝、妻が急に「大阪城へ行きたいわ~」と言ったので、では今から行こうということになって出かけた次第です。だいたい僕は何の予定もないので、即実行です。妻は大阪城の紅葉やイチョウを見たい、ということでした。

大阪城は都会と自然の両方の雰囲気が味わえ、昨日のようないいお天気の日は、とても素敵な行楽地でもあります。

近鉄電車でアベノまで行き、そこからJR環状線に乗って大阪城へ行くのが普通のルートですが、僕らはアベノから谷町筋を大阪城まで歩きました。

谷町筋に並ぶ由緒あるお寺などを眺めながら、歩くこと1時間余り。

やがて谷町4丁目の交差点に来て、そこを右折。NHKや大阪府警、大阪府庁舎などの大きな建物を仰ぎ見ながら、久しぶりに大阪城公園を訪れました。


  
 大手門。
 中央の向こうのほうにチラッと大阪城の天守閣が見えています。 

大阪城はいつもは外国人客が圧倒的に多いのですが、さすがに今はその姿は見えません。なので、普段より人の数が少なかったですね。



 
 お堀沿いの道を西から時計回りに歩いて行きました。
 向こうのビル街は、京橋の大阪ビジネスパークです。


 
 大阪城公園はイチョウ並木が素晴らしいです。
 お堀沿いの道に黄色く色づき、とても綺麗でした。
 

 
 お堀端に可愛い紅葉もあったので、そこでパチリ。
 久しぶりに大阪城を訪れて、気分は最高でした。
 
 以上、「大阪城お散歩日記」でした~

 


今日の1枚は、大阪城にちなんで、お城が背景です。
フランス・ロワール地方にある古城の中でも、
最も大きなお城であるシャンボール城です。


 
  まるで絵に描いたようなお城ですが、
  絵ではなく本物ですよ(
1994年10月)。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セブンパーク天美がオープン 

2021年11月17日 | ウォーク・自転車

きょう(17日)、松原市に「セブンパーク天美」という超大型商業施設がオープンしました。数日前の夕方のテレビニュースでも「南大阪最大の商業施設が間もなくオープンします」と紹介されていたので、「楽しみやね」と妻と言い合っていました。

 
 オープン前のセブンパーク天美。ネットから拝借した写真です。

14日の日曜日、長男が来て「セブンパークへ行ってきたで」と言ったので、「えっ? まだオープンしてないやろ?」と僕。しかし実際その日行ったら営業していたと言うので、まさかウソではないだろう。「よし、明日、歩いて行ってみよう」と決めて、15日の月曜日、つまり一昨日に「セブンパーク天美」へのウオーキングに一人で出掛けました。

天美というのは松原市でも一番大阪市寄りにあって、わが家からはかなり遠い。ちなみに僕が定期的に通う松原徳洲会病院は、藤井寺駅から近鉄南大阪線に乗り、各駅停車で6つ目の駅である河内天美という駅で降りて、そこから歩く。「セブンパーク天美」を地図で確かめると、その病院からは近いようだった。

しかし家から歩いて行くにはかなり遠い。2時間近くかかるだろう、と思いながら、午前10時過ぎに家を出て、少し道を間違えたりして、ちょうどお昼ごろに到着。なるほど、藤井寺駅前にあるイオンなどとは比べ物にならないほどの巨大な建物だ。長男が言ったように、すでに営業されていた。店の人に聞くと、17日がグランドオープンで、その1週間前から「プレオープンしております」と言うことだった。ふむ。今は「プレオープン」だったのだ。お客さんも、割に大勢いた。

中を歩いてみたが、驚くほど広く、全部で200店舗あるということなので、その賑やかなこと。

1階から3階まで、お店がぎっしり。食料品売り場の「ライフ」を始め、マクドナルドやミスタードーナツ、スタバ、サブウェイ、ケンタッキー、サーティワンなどや、レストラン、コーヒー店があちこちにあり、ジョーシン電気やマツモトキヨシ、ニトリ、ダイソーなどお馴染みの店も数多く入り、ゲームセンター、英会話教室、そろばん学校、パソコン教室などもあり、丸善という大きな書店もあり、一度歩いただけではどこにそれがあったのか、頭の中がごちゃごちゃになってしまう(笑)。

さらに4階にはTOHOシネマズがあって、いろんな映画を上映している。

ということで、いやまぁ、本当にすごかったです。この建物の中を歩くだけでも相当なウオーキングができます。半日ぐらいは歩き回れるでしょうね。

フードコートで昼食をとり、またウロウロ歩きました。そして2時前にそこを出て、今度は来た道とは別のコースをたどり、途中、38年間勤めた松原市役所の前を通りました。ここへ来るのも何年ぶりでしょうか。

かなり足も疲れていましたが、何とか藤井寺まで戻り、イオンに寄ってハイボールなどを買い、家に着いたのが午後4時前。最後までどうにか歩き通すことができました。あ~しんど。

 ………………………………………………………………………………

そして、その翌日の16日(つまり昨日ですが)、妻と2人でまた「セブンパーク天美」へ行きました。今度は電車に乗り、河内天美駅で降りて徳洲会病院の前を通り、だいたいの見当をつけて歩いて行くと、間もなくその巨大な建物が目に入りました。「すごいわねぇ」と妻も目を見張っていました。このあたりは、もともと農地が広がっている地域なので、これだけ大きなものを建てることができたのでしょうね。


 
  建物を背景に。妻に撮ってもらいました。
  帽子とマスクでわかりにくいですが、僕です(笑)。


 
  入口の近くで。ここが正面エントランス(だったかな?)。

昨日もここへ来た僕ですが、妻を案内するどころか、どこにどのお店があったのか頭が混乱。また昨日のように、1~4階をせっせと歩き、数え切れないほど沢山のお店を巡りました。

3階に「サイゼリア」があったので、そこで昼食をとりました。よく冷えた赤ワインをクイっと飲み、チキンやドリアなどでお腹を満たしました。僕は「サイゼリア」が大好きで、以前のブログにも書きましたが、「セブンパーク天美」にもこのお店が入っていたとは思いも寄らず、なんか得したような感じです(笑)。

河内天美駅からだとゆっくり歩いても10分ほどなので、これからも時々来よう、ということになりました。

そうして、今日17日がグランドオープンの日。
きっと大人数のお客さんが詰めかけていることだと思います。

この近くに住まれている坂田繁数さんという元市議会議員の方が、今日のフェイスブックで、
「セブンパーク天美のグランドオープン日。午前10時前にはすでに長い渋滞が発生しています」
と書かれ、実際、車が渋滞している写真を掲載されていました。

今日は店内も大混雑であることが予想されます。
「サイゼリア」も満員で入れないかもしれない(笑)。
グランドオープンの前に行っておいてよかったです。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心に残り続ける瀬戸内寂聴さんの言葉

2021年11月12日 | 読書

昨日、死去が報じられた瀬戸内寂聴さんを偲びながら、僕の読書ノートから、いくつか寂聴さんの文章を取り上げてみたいと思います。

まず、お酒について、こんなことを語っておられます。

「私にとって酒は楽しい時、愉快に呑むものであり、料理の味をいっそううまくするためのもので、憂さ晴らしにはならない。自分に憂鬱があるとすれば、酒なんかではごまかせないと思う。正気でその原因に対決すべき。と思っても、なかなかねぇ」

最後は少し笑ってしまいますが、僕もお酒については、常にこの寂聴さんの言葉を実践するように心がけています。と思っても、なかなかですけど(笑)。

さて、寂聴さんからは随筆集などを通して多くのことを学びましたが、僕が特に愛読したのが、法話や講演を載せた「老いを照らす」という本です。

   

本の中には「これは頭に入れておかなければ!」という部分が沢山あって、そのつどメモをしてパソコンに保存しておいたのですが、スマホの時代になったので、今はメモ帳アプリにその文章をコピーして入れています。そして時々、夜に布団の中でスマホを開けてそれらを眺めています。そんな文章をいくつかここでご紹介したいのです。

まず最初は思わず笑ってしまう話ですが

寂聴さんが講演を終えて、お客さんから質問を受ける時間になった。その時に、しとやかな婦人が立ち上がって小さな声で何かをおっしゃった。寂聴さんにはそれがよく聞こえなかったのですが、「これだけ大勢の人たちの場で話されるのだから、てっきりいいことがあったのだろう」と思い、「まあそれはおめでとうございます」と言った。すると横から秘書が「ご主人が先月亡くなったとおっしゃったんですよ」と伝えてくれたという話でした。「ごめんなさい」と寂聴さんは書かれていました。これは余談でしたが、寂聴さんのユーモラスな一面が見えました。

ではその「老いを照らす」を読み、特に心に残ったので書き写した文章ですが

★死なない秘訣は、死んでもいいと思いなさい、ということ。その代わり今日したいことだけをしなさい。いつ死んでも悔いのないよう充実した日を送っていると死は遠ざかります。何もしないで死にたくないとだけ思い詰めていると死ぬんです。

★お釈迦様も過去を追うな、未来を願うな、過去は過ぎ去ったものであり未来はまだ至っていない。今なすべきことを努力しよう。今という時は二度と訪れません。過ぎ去った過去よりどうなるかわからない未来よりはるか切実で大切なのはこの今です。今を全力で生きることが大事だということです。

★老いや死もなかなか自分の思ったようにはいかない。生きたいように生き、死にたいように死ぬのが理想ですが、そうはいかないのです。それはなぜかと言うとそもそも命というものが自分のものではないからです。私たちはこの世に自分の意思で生まれたわけでもないのになぜだか自分の生というものを自分のものと思いなしています。これが間違いの始まりです。

★新しいことに挑戦すること。おしゃれや恋を忘れないこと。このような気構えで生きていれば、老いることは決して怖れることではありません。年を取るということは、何しろ人より経験があります。過ぎ去った日々に味わった経験を反芻して、豊かな生を生きているということになります。老いることに誇りを持ちましょう。そうすればきっと美しく老いて死ぬことができますよ。

それと、これは別の本から写したものですが、
★自分の歳を意識した瞬間に、その人は老人になるし、老いも早まるのです。自分らしく生きることが何よりも大事で、老人らしく生きる必要はないのです。

という文章にも影響を受けているので、僕はふだんはあまり自分の歳を意識しません。たしかに僕は高齢者ですけど、自分を「老人」だと思ったことは一度もありません。それも、寂聴さんのこの文章が常に頭にあるからだと思います。

最後に二つ。

★他人の視線を意識すること。そうすれば、背中に一本筋が通って、姿勢もよくなります。

この文章も頭から離れません。だから買い物やウオーキングのように、リュックを背負ってあちこちをぶらつく時にも、軽快な服装で出て、歩く姿勢も「正しい歩き方」を心掛けています。

寂聴さんは亡くなっても、これからも僕を励まし続けてくれることに変わりはありません。

★死んだら何もないと思ったら絶望します。魂は残ると思ってください。

寂聴さんは、そうも言われました。

だから寂聴さんの魂には、いつでも触れることができますものね。

それにしても、99歳。

うちの母でも生きていたら93歳で、寂聴さんより6歳年下ですから、本当に大往生ですね。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内寂聴さん亡くなる

2021年11月11日 | ニュース・時事

今日は11月11日。1が4つ重なる日ですが

先ほどショッキングな一報が入ってきました。
あの瀬戸内寂聴さんが亡くなられたとのこと。
スマホに速報が入ってきた時はびっくりしました。
テレビをつけると、ワイドショーでやっていました。

有名人の訃報は毎日のように入っていますが、
瀬戸内さんの訃報には、特別な感慨があります。

まるで自分の肉親を亡くしたような気持ちです。
今はただ、茫然とするばかりです。

このブログにも瀬戸内さんのことは何度か書いてきました。
京都の寂庵にも、門前まで行ったことがあります。

御年、99歳でした。

朝日新聞に月に一度
「寂聴・残された日々」
というエッセーが掲載されていましたが、今年5月の掲載文は、

「さて、いつ死ねることやら、ああ!」
という文で終わっていました。
少し笑えるような文章でしたが、
強く印象に残ったのでブログにも書きました。

寂聴さんに関しては、書きたいことがヤマほどありますが、
それはまた後日に譲ります。

僕の大切な蔵書の一冊であるこの本は、
寂聴さん直筆のサインが入っています。


 
 

この本のページを開けると、
寂聴さんのサインが入っています。


 



 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

18歳以下に10万円の給付金

2021年11月10日 | 日常のいろいろなこと

新型コロナウイルスの支援策の一環として、18歳以下の子どもを対象に10万円相当の給付が実施されることが決まったようです。

となると
わが家には16歳のモミィがいるので、10万円分もらえることになります。

正直言って、ありがたいです。
モミィにはお金がかかりますからね~(笑)

大阪市の繁華な阿倍野区の私立高校に通っているだけに、下校時に友達といろんな飲食店に寄ったりしているので、それ相当のお小遣いが必要です。休みの日となると、妻と出て行って身の回りのいろんなものを買ってもらっています。なにせ16歳の女の子だから、遊び盛り、食べ盛り、おしゃれ盛りなんですよね(ま、勉強も頑張っていますが)。

塾にも通っているし、部活(吹奏楽)での付き合いも多いし。

その点でも、今回の給付金はうれしい話です。
「子供の将来のために貯金します」と言っておられる親御さんもいらっしゃいますが、うちは即、使うでしょうね。

まぁ、話は少し変わりますが、モミィにお金がかかるのは事実ですが、ありがたい制度もいろいろあります。

わが家では、モミィが扶養親族ということで僕の年金受け取り額も少しだけ多いですし、中学を卒業するまでは児童手当も受けていました。

また、医療費の助成制度については、うちの市でも対象者が18歳までに拡大されたので、今はモミィがどこのお医者さんに行っても一律500円で、薬代は無料です(モミィにはアレルギーがあるのでよくお医者には行きます)。

さらに私立高校の授業料も本来だったらメチャ高いのに、国の「就学支援金」という制度があってそこからいくらか補助されます。さらに、これは橋下徹さんが知事の時に実施されたのですが、大阪府が独自に「授業料支援補助金」という制度を設け、保護者の負担額はこれによって大きく減りました。本来授業料が高い私立高校でも、大阪ではこうした補助制度があるので、公立高校とほぼ変わりません。これは本当にありがたいですよね。

なんだか、「ありがたい話」ばかりですが、今回、18歳以下の子どもを対象にした10万円の給付の話が出たので、モミィに関するお金の話をちょっと書きました。

でもまぁ、本当に
子どもには、お金がかかるんですよね~ 

 

 

 

 

 いよいよ紅葉の季節ですね。
 これは京都の光明寺の紅葉です。
 これまで見た紅葉の中でも特に印象に残っています。
  (2005年11月26日)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一時しのぎの禁酒で肝臓の数値(ガンマ)は下がるか?

2021年11月08日 | 心と体と健康と

自分はひとつも成長していないなぁと、
この歳になっても、つくづくそう思います。

いつまで経ってもアルコールに関しては自分に甘いんですね。
控えよう控えようと思いながらも、つい飲み過ぎてしまう。

今日はまた、そういうお酒の話です。

心房細動(不整脈)の診察で年4回ほど病院へ行っていますが、そのうち2回程度、血液検査をします。この血液検査でよくひっかかるのが肝臓の機能に関する数値です。これについては、このブログにも何度か書きましたが

γ(ガンマ) GTPというアルコール性の肝障害の数値が基準値より高く、僕の場合は飲酒が心房細動を引き起こす主な原因となっているようで、医師から常にお酒を控えるように言われています。

去年の12月には、心房細動が止まらず緊急に病院へ行ったことで、医師から改めて過剰飲酒の指摘を受けました。で、その3か月後の今年の3月、検査前に2週間の禁酒をしました。そしてその結果をブログに書きました。

2週間の禁酒で γ(ガンマ) GTP は下がるか?(3月3日)

そしてγ(ガンマ)GTPは下がったのか? (3月6日)

結論から言えば、わずか2週間だったけれど数値はかなり下がって、医師も感心してくれました。

それ以降2度の診察では血液検査はせず、先週の金曜日(5日)にその時以来8か月ぶりの検査をすることになりました。

検査前になって一時しのぎの禁酒をすることに味を占めたものだから、今回もその手を使おう!(笑)。という魂胆で2週間禁酒にチャレンジしました。しかし、どこか甘さがあったのか、完全には実行できず、14日間で飲まなかった日が11日、飲んだ日が3日。つまり11勝3敗という結果でした。

そしてその5日の金曜日、病院へ行って検査した結果、
γ(ガンマ)GTPの数値は100。ジャスト100でした。

基準値は13~64とのことですが、今回は100。高い時は150~180ほどあったのでそれよりはマシですが、前回、医師に褒められたときは66でした。

「う~ん、ちょっと高いですねぇ」と今回、言われてしまいました。

2週間禁酒は11勝3敗に終わったので、その3敗が3ケタになった原因だったのだろうか? それとも、節酒前の数値がいつも以上に高かったのだろうか?

と、相変わらずこんなことをブツブツ言っている僕ですが、本来なら日常的に休肝日を設け、それを習慣化しなければならない。まぁ休肝日も設けているけれど、ダメだった週のほうが圧倒的に多く、めざす「節酒」は実現できていません。

今回、またも検査前の2週間だけ、ガンマの数値を落とすためだけにこんなことをしているのですから、進歩がありません。本末転倒ですわ。

そして当然のように「反動」が来て、検査の後は、昼からハイボールを飲んだり、昨日の日曜日も飲み過ぎて今日は朝からボケ~ッとしたり。そのうえ耳鳴りまで、いつも以上に大きくキーンと鳴り響いています。

もう、この歳で、成長とか進歩とかをどうこう言うのも変かもしれないけど、アルコールに関しては本当に抑制がきかず、ダメな僕です

つまり、「決意」は固いのですが「意志」が弱い、というわけ。

前回、モミィのことを「無反省」と書いたりしましたが、どうやら僕のほうがもっと「無反省」なのかも知れませんね~

ぐすん





 

「今日の1枚」は、2006年4月、グアム島です。

モミィが生後6か月の時に、グアムに旅行し、
「恋人岬」と呼ばれる観光名所で撮りました。
タモン湾を一望する絶景が眼下に広がります。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前向きで無反省な明るさ

2021年11月04日 | 日常のいろいろなこと

高校1年のモミィも先月に16歳の誕生日を迎えました。

僕が高校1年の時に東京五輪があり、21歳の時に大阪万博がありました。モミィも高校1年の今年に東京五輪があり、4年後の2025年、20歳の時に大阪万博がある。ほぼぴったり。不思議な巡り合わせです。

さてそのモミィですが、毎日、何やかやと忙しく過ごしているようです。夜中まで起きていることが多いので何をしているのかと聞くと、「勉強してるねん」と言う。まぁ、それも全くのウソではないだろうけど、その間に友だちとスマホで電話をしたりラインをしたり、また、お菓子を食べたりと、何やかやとしながら過ごしている様子。

毎朝7時半に家を出るわけですが、いつもギリギリまで鏡の前で顔に何かを塗ったり、ヘアスタイルを整えたり、着るものを選ぶのに時間をかけたり(学校は普段は私服でもOK)と、家を出るまでバタバタです。それらのことは、すべて妻が手伝ってやっています。そして朝食も「あぁ、もう時間がない!」と叫びながら、少し食べただけで慌てて出て行く
というのが毎朝の「恒例」です。

もう少しねぇ、計画的に行動できないものかと思いますが、妻は「いくら注意しても一緒。疲れるだけ」と根負けです。

休みの日は遊びに出掛けたり、友だちを家に呼んだりしています。男子の友だちもこれまで何人か来ています。そんな時は朝からクッキーを焼いたりケーキを作ったりと、妻に手伝ってもらいながらキッチンでバタバタしています。

食べるのもよく食べるけど、それにしてもよくしゃべる。
ふむ。
これだけよくしゃべるのは、誰に似たのか?
モミィは「のんちゃんに似たんやで」と言って「げへへ~」と笑う。
たしかにモミィのママも、パパ(うちの長男)も、あまりしゃべるほうではない。うちの妻はもっとしゃべらない。やはり僕に似たのか?

先日は学校で生徒会の選挙があり、モミィは書記に立候補した。で、その前日に選挙演説の原稿を僕に見せて、「こんなんでええかな?」と言う。目を通すと、いくつか「こう言ったほうがいいんと違う?」という箇所があったのでそれを言うと、「そうやな、このほうがええな!」と声を上げ「のんちゃん、ありがとう」と喜んだりする。結果は生徒たちの信任を得て書記に当選したという。

学校生活は充実しているようなので、それはまぁ安心です。また、来年は外国に短期留学するつもりだ、とも言っている。「どこがいいか、今、迷ってるねん。イギリスかなぁ、アメリカか、オーストラリアか」なんてね。まぁ、好きなようにしたらよろし。

しかし身の回りのことは全然ダメで、だらしない。服は脱ぎっぱなし、物は出しっぱなし。妻がいくら注意しても、それは直らない。

前述したように、学校へ行く前は毎朝バタバタして朝食も食べきらないで慌ただしく出て行く。行った後、妻は「やれやれ」という表情だ。モミィを起こすときも、なかなか起きないので「もう6時半よ、起きなさい。学校に遅れるわよ」と、毎朝何度も同じことを言わなければならない。

妻は時に、モミィから、学校の宿題で長文を模写することを頼まれ、ノートに細かい文字を書き込んでいることもある。まったく、モミィの世話だけでも、時間的にも精神的にも、妻には相当な負担がかかっていることだろう。買い物や料理・洗濯などはまだまだ当分、僕が担当していかなければならない。

そんなモミィの言動を、ひとことで表現するなら

前向きで無反省な明るさ

というようなものでしょうか 


 



 

ロスアンゼルスのビバリーヒルズ公園で。
(2016年12月)

モミィはこれが「2回目」の海外旅行でした。
1回目は、まだ生まれて半年しか経たない頃。
赤ちゃんの時に、グアム島へ行っています。
むろん本人は何も覚えていませんけどね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

衆院選の速報と 凶悪事件の速報と

2021年11月02日 | ニュース・時事

今回の衆院選で大阪は、維新の会が圧勝しましたね。
大阪は選挙区が全部で19区あって、うち15の区で維新の会と自民党が出馬。そのすべての選挙区で当選したわけで、正直、大阪府民の一人である僕も驚きました。残りの4つの選挙区は維新・自民は出ておらず、公明党が全勝。したがって自民党は選挙区では「当選者ゼロ」でした。府の選挙管理委員会によると、自民党の候補が府内の選挙区で一人も勝利できなかったのは、1955年の自民党結党以来、合計22回の総選挙で初めてだということです。

こういう結果を見ていると、なんだか大阪だけが「別の国」みたいな気がしてきますね。

大阪のテレビではコロナ禍で毎日のように吉村知事が画面に出てきて、大阪弁で(つまり自分の言葉で)懸命に語りかけていたのが維新の好印象につながったのでしょうか。イケメンだしね。もしあれがガラの悪いおっさん風の松井大阪市長だったら、絶対こんな結果にはならなかったでしょうね(失礼!)。

また、投開票日だった31日、選挙報道の真っ最中に別の速報が。東京で走行中の電車内で男が刃物で乗客を刺し、車内に火をつけたという事件が報じられたのには驚きました。駅に緊急停車した車両の窓から、多くの人たちが逃げる姿を見て、ぞ~っとしました。本当に怖い。

それで思い出したのは、2003年に韓国で起きた地下鉄での凶悪事件。一人の男が地下鉄駅構内で停車した車内でペットボトルの中からガソリンを振り撒いて火災を起こし、その列車だけではなく、駅に入って来た対抗列車の乗客も二酸化炭素中毒などで多くが死傷。最終的に192名もの死者を出した大事件でした。

捕まった犯人は「自殺したかったのでやった」と言ったことを今も覚えています。当然「死にたいのなら一人で勝手に死ね」と、誰もが思ったはずですが、今回の犯人も、これと同じことを言っているようです。こんな事件って、防ぎようがないし、それを思うと電車に乗るのも怖いです。




さて、今日から当分の間、このブログの文末に、自分の思い出の写真を毎回1枚ずつ掲載することにしました。本文とは関係のない写真で、いわゆる飾りみたいなものですが、これまで撮ってきた旅行など多くの思い出の写真を少しでも残しておきたいという気持ちです。あくまでも本文とは関係のない写真なので「なんのこっちゃ?」ですけどね~

で、今日はこの1枚です。

 

2008年4月。
パリのノートルダム寺院の裏庭で。

ここへ来たのはこの時が4回目でした。
2019年4月、火災で尖塔などが消失したので、
同年8月、モミィを連れてパリへ行った時には、
この好きだった寺院の姿はもう見られませんでした。
なので、これが最後のノートルダム寺院での写真です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする