僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

今日はお役所の年度末でした

2024年03月29日 | 議会&役所

きょう、所用があって藤井寺市役所に行きました。
用を済ませて玄関に出たら、そこに、市役所の職員さんらしき人たち6~7人が、玄関をバックにして並んでいた。みんな直立不動の姿勢。ふと見ると、真ん中に立っているのが市長(岡田というんですけど)だった。その市長を中心に職員たちが並んでいる。そしてそれを、カメラで撮っている人がいた。つまり、市役所玄関を背景にして写真を撮っているのだ。

「あの人たち、なにをしてるの?」
と僕がつぶやくと、横にいた妻が、
「記念写真じゃないの? ほら、花束を持っている人もいるし」
と言ったのでよく見ると、そうだった。
並んでいる6~7人の中で、一人、花束を持っている人がいた。
「でも、なんで記念写真?」と再び僕がつぶやくと、
「ほら、今日は年度末だから、花束を持っている人が退職するんでしょう。それで、その記念写真を撮っているのだと思うんだけど」と妻が言った。

な~るほど。
今日は3月29日で、年度末と言われてもピンとこない。
でも、明日は土曜日、明後日は日曜日で、市役所は休みですわ。
つまり、お役所は今日が今年度の最後の勤務の日になるってことですね。

ふ~ん。そうか。今日は役所の年度末だったのか

僕はもう松原市役所を退職して15年になるわけで。
「あぁ、早いねぇ」と妻に言いながら、例によってホントに歳月の早さに、今日も驚いた次第です。

思えば、
2009年(平成21年)の年度末のあの日。

市長から退職辞令をもらい、健康保険証と身分証を人事課に返し、周りの人たちから花束をもらって、職場を去りました。

懐かしい思い出です。

 

   
 あの日。職場の皆さんに見送られて。
 やっぱり、花束持ってます(笑)。
 (2009年3月31日)

 

 

 

 

 

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市議会議員選挙を巡るあれこれ

2023年04月22日 | 議会&役所

統一地方選挙の後半戦は今日が選挙戦の最終日で、わが街・藤井寺市でも、市長と市議会議員のそれぞれの候補者たちが最後の訴えに回っていました。

僕は松原市の市議会事務局で26年間奉職したので、その当時の松原の市議会議員さんはよく知っているのですが、この1週間は、ある党に所属されている元松原市議会議員さんたち何人かの方がお一人ずつ別々にわが家に来られて、藤井寺市で出馬する同党の議員さんを「よろしくお願いします」とのメッセージを受けました。どなたとも久しぶりにお会いして懐かしかったです。みなさん、ご自分は議員を辞められても、近隣市の候補者の方たちの応援に回っておられるんですね。

ところで、この藤井寺市議会議員選挙ですが、議員定数が14人。そして今回立候補した人は15人。つまり1名だけ落選ということになります。立候補者数が14名だと無投票で全員当選だったのに、15人だから投票が行われます。

最近、地方議会も立候補者が減少し、今回も無投票の市区町村が多かったようですが、藤井寺市もこの調子では4年後には無投票になるかも、ですね。

さて、この市議会議員選挙で強く印象に残っていることがあります。
もう十何年も前のことですが、その時は特に投票したいと思う人もなくて、妻と話しているうち、新人でかなり年の若い男性の候補者がいたので、軽い気持ちでその人に投票しました。すると

フタを開けてみると、その若き男性候補者は最下位で当選しました。それだけならまぁ大した話ではないのですが、実は次点で落選した候補者と、わずか1票の差で当選したのです。

1票差!

さすがにその結果を知った時、妻と僕は目を丸くしました。
つまり僕らがその男性に2票を入れなかったら、逆に1票差で落選していたのですからね~。
「あんた、僕らが投票したから当選したんやで」と言いたかった(笑)。
でも、考えてみたら、この人に投票した全員がそう思いますよね~

ところが、若さに期待を込めて投票したその男性議員は、次の選挙には出ず、たった1期4年であっさり辞めてしまったのです。
なんのこっちゃ。やる気、なかったんか?

誰に投票するか、というのも、なかなか難しいところもありますけど、選挙が実施される地域の方々は、明日はぜひ投票に行きましょう!

 

 

 

 

 

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「先生」と呼ぶのはやめて!

2022年09月28日 | 議会&役所

きょう、大阪府議会で、議員のことを「先生」と呼ばないようにするという合意が成立した、というニュースがありました。

「それがどうしたん?」
と言われるかも知れませんが、松原市役所の議会事務局で26年間勤めた経験を持つ僕としては、とても興味深い話題でした。

議会事務局にはよく議員を訪ねて、管理職をはじめとする職員たちがやって来るのですが、議員のことを「先生」と呼ぶ人が多かったですね。たとえば田中という議員がいたとします(「田中」さんというのは大阪府で一番多い苗字です)。

そんな時、
「田中先生は控室にいてはるか?」
「田中先生はもう帰らはったか?」
という感じで、議員を「先生」と呼ぶんですよね。

ちなみに、僕たち議会事務局の職員は「田中先生」とは決して呼ばず、
「田中議員さん」
と呼ぶようにしていました。

今回、大阪府議会では、
「議員を『先生』と呼ぶと職員との間で上下関係を生みやすく、議員が勘違いする」というような理由から、「〇〇議員」とか「〇〇さん」とかいう呼び方にして、今後「先生」とは呼ばないようにとなったそうです。「議員が勘違い」というのは、「自分は偉いんや」と思い込む、という意味なのでしょうかね。

職員側からみれば、住民から選ばれた議員を尊重する意味で「先生」という呼び方をするのでしょうけど、一方では「先生」と呼んでおけば間違いなかろう、という思惑もどこかにあったかも知れません。

まぁ、議員の側からみれば、
「先生と 呼ばれるほどの バカでなし」
というような言葉もありますけどね。

議員の中には「先生」と呼ばれて気分をよくする人もいるのでしょうけど、ちょっとこそばゆい思いをする人もいるんだろうと思います。

いずれにしても、今回の大阪府議会での異例とも見えるこの一件は、元議会事務局職員としてはたいへん関心度の高いニュースであったことは間違いないです。

しかしまぁ、「先生」といえば真っ先に浮かぶのは森昌子の歌ですね。

センセイ センセイ それは セン~セイ~

相変わらず古いですわ。

ど~も、スミマセンセイ!

 

 

 

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松原市議選の開票結果を見て

2022年08月29日 | 議会&役所

昨日は大阪府松原市議会議員選挙の投開票の日でした。

僕も38年間、松原市職員として勤務してきたうち、26年間を議会事務局で過ごしてきたので、今でもやはり議員選挙は気になります。しかし、退職してから13年も経つのですから、4年に一度行われる選挙の度に、僕が知っている議員さんはどんどん減っていきます。

そして今日の新聞に昨日の選挙結果が出ていました。
その記事がこれです。

 

21名が立候補して18名が当選し、3名が落選でしたが、この当選者のメンバーを見ると、僕が議会事務局にいた時に在職していた人は、なんとまぁ、18名中3名だけでした。あと15名は、僕の現役時代には議員でなかった人、つまり知らない人たちです。

ホンマに時の経つのは早いですわ~

で、この新聞記事を眺めながら、知っている人のことを言いますと
5番目の池内秀仁という議員さん。この方のお父様(故人)もかつての市議会議員で、何度も議長をされた大物議員で、剛毅な方でした。僕はこの方にずいぶんとお世話になりましたが、その息子さんが僕が退職する少し前に新人議員として当選されました。実は僕は、この息子さんのお若い頃から面識があったので、いまだに親しみを覚えています。その人が、今回で5度目の当選なんですよね~

ところで、
先日の19日に、3ヵ月に一度通っている徳洲会松原病院へ行った時のこと。僕はいつものように近鉄電車の「河内天美」という駅で降りたのですが、駅の出入り口に立っておられた池内さんとバッタリ出会いました。

「あ~っ」と僕が声を上げると、池内さんも同じように「あ~っ」と笑顔を見せてくれました。
「どこへ行かはるんですか?」と池内さん。
「あ、病院です。徳洲会病院」と僕。
「どこか悪いのですか?」
「いいえ、定期的に不整脈の診察と薬をもらいに来ている程度で、大したことじゃありません」

そんなやりとりをあと、「頑張ってください!」と言葉をかけて、僕は病院に向かいました。

すると、またその近くに揃いの服を着た男性数人が道行く人にあいさつをしている。ふと見ると、その中に、これまた知っている議員さんがいました。今は大阪維新の会に属して、大阪府議会議員になっている山本さんという方。お互いに目が合って「えっ? あ~、おはようございます!」とあいさつを交わすと、山本さんは「久しぶりですね~、元気にしてはりますか?」と懐かしそうに言ってくれました。今回の松原市議選に、維新の会から出馬する候補者に付き添っているようでした。

そしてそれから10日近く経ち、昨日に投開票があり、きょう、その結果を新聞で知ったわけです。

池内さんも5位で当選されていましたが、何よりも驚いたのが、当選の第1位から第3位まで、すべて大阪維新の会の候補者だったことです。

僕が議会事務局にいた頃にはまだ大阪維新の会はなかったように思うので、この結果を見て、ホント驚きました。

そんなことでしたが、最後にもうひとつ。
注目したのが、落選した3人のうちの一人に、
「田中厚志」という名前があったことです。現職でしたが、落選したんですね。

いや~
僕は、まだこの人が議会にいて、また今回も立候補したことにビックリしました。なぜかというと

実は今から3年前の9月、この議員は市議会の本会議を「病気」と偽って欠席し、妻と2泊3日の沖縄旅行に出かけていた、ということで、新聞にも載りました。当時は大阪維新の会に属していたので、この不祥事を受けて、吉村府知事が「とんでもない話で許せない。除名すべきだ」と言ったとその新聞に書かれていました。その田中厚志氏は議員を辞職するどころかずっと議会に居座り、さらに今回の選挙では無所属からまた立候補したわけですね。

まぁ、今回はビリから2番目の成績で落選となりましたが、もしも当選していたら、松原市民の良識まで問われますよね。

当時の新聞記事です。

 

 

では、最後に、このことを書いたブログもご紹介します。

松原市議・田中厚志 議会欠席して沖縄旅行 (2019年9月12日)

 

 

 

 

 

 

 

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「やんごとない」と「よんどころない」??

2022年05月09日 | 議会&役所

「やんごとなき一族」というドラマが、毎週木曜夜に放送されている。4月下旬から始まり、第3話まで放送されています。

   

「やんごとなき」という言葉に惹かれて第3話まで見ました。

ヒロイン(土屋太鳳)は、母と2人で大衆食堂を営んでいるいわば「一般庶民」なのだが、たまたま好きになった相手の男性(松下洸平)が驚くほどの名家の子息で、結婚してお城のような豪邸に住む。しかしそこには夫の両親やきょうだい、祖母、その他クセ者ぞろいの親族たちがいて苦労させられる。夫は優しいのだが、頼りない。そこで、ヒロインは「嫁いびり」みたいなことをされながらも、夫の尻を叩き、彼らに立ち向かっていくというストーリーです。僕は今のところ、あまり面白いとは思えない。原作は漫画だそうですけど。

ネットではこのドラマに関して、「時代錯誤どころか設定がおかし過ぎる」とか「スッキリするシーンがなさ過ぎてイライラする」などの投稿がされています。僕もそれに近い感想を持っています。

ところで、なぜこのドラマに僕が興味を持ったかというと、冒頭に述べたようにタイトルが「やんごとなき一族」だったということ。
なぜかというと、話すと長いのですが話しますわ(笑)。

「やんごとない」という言葉は「ひと通りではない」「特別である」「身分や地位などが極めて高い」「高貴であり恐れ多い」というような意味を持つもので、このドラマも、そんな「やんごとなき」一族のところにヒロインが嫁ぐ、という設定です。

そして、この「やんごとない」という表現を見て、遠い昔のある記憶がよみがえったのです。

僕は38年間市役所に勤めていましたが、そのうちの26年間を議会事務局という部署で過ごしました。26歳から42歳までの16年間と、50歳から60歳の定年までの10年間いたわけで、本会議や委員会における議員と理事者(職員)やり取りなどをず~っとじかに聞いてきました。

まぁ、いろんな言葉のやり取りがあるのですが、だいたい議会用語や行政用語がほとんどなので、議会事務局職員としてメモを取るのにも大した苦労はなかった。ただ、ひとつ思い出すのは「そんたく」という言葉がある議員の口から飛び出したときは、その言葉の意味がわからなかった。今なら「そんたく→ 忖度」というと、安倍首相の時の森友学園をめぐる問題の折に一躍有名になったのでたいていの人は知っているけれど、その頃は聞き慣れていなかった。「へぇ、難しい言葉を知ってはるんやなぁ」と感心したのを覚えている。

さて「やんごとなき」に戻りますが、これも何かの委員会の場で、一人の議員が市のミスを指摘し、追及したことがあった。これに対して担当部長たちが何度か答弁をしたのだけど、議員は納得しない。そこで別の部長が挙手をして立ち上がり、丁寧に説明をした。その中身が具体的にどんなものだったのかは忘れてしまったけれど、当該部長は、
「本件につきましては、やんごとない事情によりまして、結果としてこのようなことになってしまったものでございます」
と言われたことを、今も覚えている。
その時メモを取っていた僕は、「やんごとない事情?」と首をかしげ、頭の中で反芻した。前後の文脈からみて、やむを得ない、という意味だろうな、と思ったのは事実だけど、それを「やんごとない」というのか? う~ん、ちょっと違うような気もするけどなぁ。

委員会が終わったら、僕はすぐに国語辞典を出して「やんごとない」を調べてみた。すると、前述のように「身分や地位が高い」とか「高貴」だとか書かれている。やっぱりなぁ。「やむを得ない」とは意味が違う。
しかし、なんか、これとよく似た言い回しがあったなぁ。
「やんごとない事情により」ではなくて。え~っと、え~っと」
と、懸命に脳みそを絞って考えてみた。そうしたら浮かんだ。
「そや! 『よんどころない』じゃなかったか?」
今度はそれをまた国語辞典で調べた。あった!
「よんどころない → やむを得ない」
あぁ~、これだったんだ。

あの場で部長は、「よんどころない事情によりまして」と言うべきだったのを、
「やんごとない事情によりまして」と言ってしまったのだった。
しかしその場にいたものは全員普通に納得していたようだ。
言葉の前後からすれば、やむを得ないというニュアンスは伝わったようだから、特に違和感はなかったんだろうと思う。

それに、この2つの言葉はよく似ていますものね~
言い間違っても仕方ないかも知れません。

そんなわけで、ドラマ「やんごとなき一族」というのを新聞のテレビ欄で見て、このことを思い出した次第です。

テレビドラマから、とんでもない昔話に飛びましたが、まぁいつものことだと思ってご勘弁を。このドラマのタイトルを見て、ぜひこのことを書きたいという衝動に駆られたのです。
やんごとない……じゃなかった、よんどころない事情から、でした。

 

 

 

 

 

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「ノーマスク議員」に思うこと

2021年12月10日 | 議会&役所

大分県臼杵(うすき)市の「ノーマスク議員」のニュースを見ていると、首をかしげたくなるというか、呆れるというか

    

ご承知のように、この臼杵市の若林という市議会議員が、マスクをつけないで議場に入り、質問をしようとした。議長が「マスクを着用してください」と注意しても、無視。何度注意しても、言うことをきかない。
「マスクを着用しないなら、議場の外に退去を命じます」
と言っても、知らんぷり。退場もしない。
その結果、予定されていた一般質問は許可されなかった。
そんなことで、今、ここの議会はとても混乱しているようだ。

やれやれと、ためいきが出る。

議会で質問をするのは、市民から選ばれた立場の人間として最も大切なことであるにもかかわらず、マスクをしない故に質問ができないのなら、なぜマスクをして質問に臨もうとしないのか。その神経が理解できない。

若林というこの議員は、
「マスクに苦しんでいる人の代表として、自分もマスクをせずに議会に出た」
と言っていた。
それが「理由」なんだそうだ。

確かに「マスク着用」は法律で義務付けられてはいない。
しかし、もう2年近くなる新型コロナ禍で、どれだけマスク着用の必要性が叫ばれてきたことだろう。マスク着用は単なるマナーではなく「義務」だと考えているので、僕なんかもマスクは蒸れるので苦手だけれど、他の人たちと同様、外出時には必ず着用している。みんな頑張ってそうしているんです。

それをこの市議は、普段だけでなく、議会の場でもしない。

長年、市議会事務局に勤めていた僕は、こんな非常識で身勝手で周りを考えない議員など、これまで見たことも聞いたこともない。普通の人以上に周囲の空気を読まなければならない仕事をしているのに、この「マスクをしないこと」が周りの人たちの「空気」と考えているような発言をする。何だろうねぇその神経。

「マスク着用に法的義務はないから」という人は多い。
橋本徹なども、「今は感染拡大が収まってるのでマスクを強制的に着けなきゃいけないのは疑問です」と言っていたけれど、これだから「法律万能主義」の弁護士はイヤなのだ。何でも「法律、法律」でモノを言う。ワイドショーに出ている元検事なども「法的に問題はない」とノーマスク議員の言動を肯定したりする。

しかし、民間人ならともかく、市議会議員が議場という公の場所でノーマスクというのが問題だと思うのです。

じゃぁ、日本国民がみんな「法律違反じゃないからマスクはしない」と言い出したらどうするの?

今回のこの「ノーマスク議員」の一件は、この議員を擁護する声も結構あるようだけど、市民から選ばれた議員がこんなことをすると、この人物を選んだ市民の人たちがみんな「マスク反対」なのだろうか、なんて思ってしまいます。せめて議会の場ぐらいはマスクをしろよ、と言いたい。

自己顕示欲を振り回すより、住民への奉仕の心が大事だろう。

議会での質問を通して、市の行政を批判したり、応援したり、アドバイスをしたりして、その地域を少しでも良くしようとするのが議員本来の仕事なのだ。

それを「ノーマスク」で議会を混乱させ、また議会のほうもこの問題ですったもんだして、肝心の市にとって大事な諸問題が放置されてしまい、逆に議会側も批判を浴びている始末である。

「どっちもどっち、という感じですねぇ」
と、テレビでコメンテーターが言っていたけど、ま、それもそうかも知らないけど、原因を作ったのはこの議員であることは間違いないのである。

ホンマにねぇ。
議員として、ノーマスクよりも、もっと重要な仕事があるやろ。
市民の税金で報酬(給与)や政務活動費をもらってるんやで。

そんなこともわからんのか、このおっさんは。

 

 

 

 

 

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松原市役所で十数年ぶりに会った人々

2021年11月29日 | 議会&役所

コロナのせいもあって、この2年近く、家族以外とはほとんど会っていない。近所の人と立ち話をしたり、スーパーとかでバッタリ顔を合わせた人と話したりすることはあっても、約束して会うということはなかった。

それが、この25日、前回書いたように、長年勤めていた松原市役所のOBの人たち、それも大勢の人たちと一堂に会するとは
落差が激し過ぎますわ(笑)。

そのOBの会である「市友会」の解散を議題としたの25日の臨時総会には、ざっと見渡して40~50人ぐらいの人が来られていた。時間ギリギリに着いた僕は受付を済ませ、会議室に入ると、10名ほどの役員の人たちがいて、みんなマスクをしているけれど、知っている顔ばかりだった。

「やぁやぁ、こんにちは。よく来てくれたね~」と言ってくれる人や、
「何かうるさい意見を言おうと思って来たんか?」
と言ってケタケタと笑う人。

そんな人たちに囲まれると、グッと懐かしさがこみ上げる。役員の人たちは僕より年上、つまり先輩職員だった人がほとんどだった。でもよく知っている人たちばかりなので、あの人と話し、この人とも話し、と、右も左も懐かしい顔ばかり。それぞれに公私ともに思い出のある人ばかりでした。

そして、すでに席に着いている出席者の人たちを見渡すと、
「あ、〇〇さん?」
「えっ、△△さん?」
そこで、10年以上も会っていない何十人もの人たちの顔がありました。
右を見ても左を見ても、懐かしの人たちの顏、顔、顔。
ほとんど人と接していない昨今なのに、急にこんな賑やかな中に混じっている自分が不思議でした。

その懐かしの顔の中に、かつて僕が勤めていた議会事務局で一緒に仕事をした坂〇チヨ子さんがおられ、僕を見て「まぁ、お久しぶりですね~」と手を振ってくれたので、その隣に座りました。彼女は僕より1つか2つ年上です。

「お元気そうですね」とお互いに言い合ったあと、
「あのぉ、えぇ~っと、あの、そう、あのモミィちゃんは元気?」と坂〇さん。
モミィの名前を覚えてくれていたんだ。
「はい、おかげさまで。今は高校1年になりました」と言うと、
「ええぇっ! もう高校生に!」と目を丸くされてました。

そんな話に花が咲きます。
僕らの席の前後左右でも、みんなワイワイとおしゃべりをしています。

やがて会議が始まり、予定通りに議事が進行して行きました。司会をしていた中〇さんは一歳上ですが、特に親しくしていた人で、むかし、この人の結婚式の司会を僕が務めました。余談ですが、この日の夜に中〇さんからメールが来て「司会の名人の君の前で司会をするのが恥ずかしかったです」な~んて書かれていました。

  
 会議室の様子を自分の席から撮りました。
 司会をしているのが友人の中〇さんです。 
 

さて会議も終了し、解散となりましたが、みんなすぐには帰らない。なにせ久しぶりに会ったものだから名残り惜しいのでしょうね。僕もいろんな人に声をかけられ、「すごく元気そうね~」と言われたり「昔と全然変わらないわね~」と言われたり (自慢? えへへ)。

そしてそのあと、坂〇さんを誘って3階にある議会へ行くことに。彼女とは議会事務局で一緒に仕事をしていたので、今もそこに勤めている女子職員さんに会いに行こうということになりました。

議会のフロアに着くと、「懐かしいですわねぇ」と坂〇さん。
38年間の市役所勤務のうち、26年間を議会事務局で過ごした僕にとっては、特に懐かしい職場でもあります。

そして昔馴染みの女子職員さんに会って廊下で話していると、
そこへ市議会議長が通りがかり、僕を見て、
「わっ、久しぶりですねぇ」
と、ビックリしておられました。
そりゃ、10年以上前に退職した者がここにいるのだから、議長も驚いたのでしょう。しばらく議長と話しましたが、むかし、一緒にお酒を飲みに行った時の楽しかった話などをして、けっこう盛り上がりました。

他にも、公明党の議員さんや共産党の議員さんらがやって来て、みなさん、懐かしがってくれました。どれだけの時間いたのかわかりませんが、かなり長いこと話しました。

総会の席で元職員の人たちと話したのも懐かしかったですが、議会の議員さんたちと話ができたのも懐かしかった。ただ、今の松原市議会議員の名簿を見ると、僕が退職する時に在籍されていた議員さんは全体の半分以下で、知らない議員さんのほうが多くなりました。これも時の流れでしょうか。

そんなことで、
「行くべきか、行かざるべきか」
と悩んでいたこの日の会合でしたが、多くの懐かしい面々と会い、おまけに議会にも寄って、議長はじめ旧知の議員さんとも会えていろんな会話を交わすことができたので、行って良かったです。

あれから4日が経ち、
再び元の静かな生活に戻っています。

 

 

 

 

 

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行くべきか 行かざるべきか それが問題だ

2021年11月27日 | 議会&役所

先月、わが家に1通の郵便が届きました。差出人は「大阪府市町村職員年金者連盟松原支部」というものです。堅苦しい名称ですが、まぁ、簡単に言えば松原市役所を退職した人たちでつくる「友の会」のようなもので名称は「松原市友会」と言います。

僕も38年間勤めた松原市役所を退職した時は「市友会」に入り諸先輩との交流をはかったのですが、1~2年で疎遠になり参加しなくなりました。だから今はもう退会扱いにされていると思っていたのに、こんな通知が来たのでビックリしました。

封を開けて通知文に目を通すと、来年3月31日で「市友会」を解散する、とありました。会員の高齢化や新規会員がほぼ無くなったことで存続が困難になったことから、11月25日に臨時総会を開催し、そこで会員各位の承認を求めて解散手続きをする、ということでした。

封筒には総会の案内と、出欠の有無を返信する用紙、そして臨時総会の議案書が同封されており、「出席の場合はこの議案書を必ず当日にご持参ください」と書かれていました。

「ふ~ん? 僕はまだ会員だったのか?」と思いながら、「行こうか、やめとくか、どうしよう?」と迷いました。そこで、今もメールやラインで連絡を取り合っているかつての後輩や同僚たちに電話したりメールを送ったりしたのですが、意外にも全員「市友会には入っていないので連絡は来ていません」という返事でした。ふ~む。僕も今は入っていないものと思っていたのになぁ。なんで僕のところに通知が来たのだ? よく、わからん。

友人のドイロン君に電話でそれを言うと、彼はヒヒっと笑いながら、
「それはね、のんさんが『うるさい人』やから、向こうも『一応送っておかなければ』ということやったんでしょ」な~んてことを言うのである。
んっ、もぉ~。
このドイロン君は昔からユーモアに富んでいたけど、今も相変わらず面白いことを言うわ。

ところで、
去年のコロナ騒ぎ以来、家族以外の人とはほとんど会うことがなかった。僕は人とお酒を飲んで騒いだりするのはむろん好きなんだけど、元々一人っ子のせいか、一人でいることに苦痛は感じない。むしろ落ち着くし、本を読んだりテレビを見たり、ぶらりと気ままに歩きに出たりするのが好きなんですよね。

なのでコロナ禍の1年半余の「自粛」は、別につらいことでもなかった。このままずっと人に会わなくとも平気だという気持ちがありました。でもまぁ一方では、やはり旧知のいろんな人と会ったら楽しいだろうな~と思うことも事実でした。このあたり、ちょっと複雑な心境でしたけど。

そこへこの通知が舞い込んできたので、さ~て、出席するか、欠席するかと迷いました。仲のいい知人たちはみんな「市友会」には入っていないということだったので、誘い合わせて行く相手もいない。

そうして、気が進まないなぁと思った時、ふと、
「人と会うのが億劫になると老化が早まります」
というのを何かで読んだのを思い出した。

「ふむ。じゃぁとりあえず行ってみるか」と、なんとか自分で自分の背中を押して、出席の返事を出しました。

そして、その11月25日が近づいてくると、また「欠席で出しておけばよかったかな~」という思いが強くなってきました。

現役で働いていたころは、どんな煩わしい予定があったり、イヤな局面に遭遇したりしても、前向きに対応してきたつもりですが、退職して10年以上経つとだんだん消極的で引っ込み体質になり、何か予定が入ると「面倒やなぁ」と思うようになってくるのですね。

これはあまりいい傾向ではないのかな。
でも、いつ頃からこんな優柔不断な人間になったのだろ? 

な~んていう思いを抱きながら、11月25日になりました。
その日の午前10時から始まる臨時総会に出席するために、僕は松原市役所に向かいました。

 ………………………………………………………………………………………

総会で、久しぶりに大勢の人たちと会った時のことは、次回に書きます。

ところで、めっきり寒くなりましたね。
皆様、体調には十分お気をつけください。

 

 

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国会議員も市会議員も 「宴会議員」 か

2020年12月24日 | 議会&役所

きょう、新型コロナウィルスの感染者が東京都で888人と、過去最多と報じられていました。連日コロナに関しては東京に限らず「過去最多」が続出しています。

そんなときに伝わってきたのが、
議員たちの大人数での飲み食いのニュース。

まずご存知のように菅総理が14日に銀座の高級ステーキ店で8人で会食をしたことが批判を浴びた。政府自体が5人以上の会食を控えるよう呼びかけているんですから、これはまあ、誰が考えても良くないですよね。

そのあとも、議員たちの「宴会騒動」は続きます。

愛知県西尾市の議会議員14人が12月議会の打ち上げとして、旅館の大広間で料理を食べ、酒を飲んだという。「宴会でなく、反省会だ」という議員たちの主張でしたが、飲んで食べたことはまぎれもない事実。

このグループは西尾市議会の最大会派で自民党系の「市民クラブ」という会派の議員たちだそうです。記者のインタビューに会長の小林という市議は最初「10人ぐらいで昼飯も食べに行っているし、議員だから飲んじゃいかんとかはないんじゃないの!」とキレていた。それがテレビで報道され非難を浴びたことで一転、謝罪し、会派の会長を辞任するということになったようです。

 

 

おまけにそのとき、コンパニオンの女性も3名呼び、お酒を注がせたりしていたということで、まさに「宴会」そのものです。でもその理由が、
「議員が立ったり座ったりして酒を注ぎ合っていたら感染しやすいので、なるべく席は立たず、コンパニオンさんにお酒を運んでいただくという配慮だった」
という説明でした。つまり感染防止策としてコンパニオンを呼んだそうです。理屈と言うのはどこにでもつけられますね。

コンパニオンが感染防止の役割をしたというのだったら、去年の忘年会(つまりコロナがなかった時)にはコンパニオンは呼んでいなかったのか? と聞きたいところですが、残念ながら報道はそこまで言及していなかったようです(マスコミもこんなところは甘い)。

次は大阪の15区(松原市や富田林市など)から出ている竹本直一衆院議員が大阪市内のホテルで政治資金パーティを開いたことが判明。議員の秘書によると、勉強会と飲食を伴う会食の2部構成で約80名が参加したという。そして「勉強会」のあとにアルコールも出た飲食会、つまり「忘年会」が開かれた。竹本議員本人は忘年会には出ておらず「勉強会の後にそういうのが開催されることは知らなかったので私に責任はない」と弁明した。そして秘書が「認識が甘かった」と陳謝したという。都合の悪いことは「秘書がやったこと」にするのはよくある話だけど、本当に本人は知らなかったのか? そんなはずはないと思うんだけど、不思議な話です。

そして今度は奈良県の山添村というところの村議会議員5人がコンパニオン3人を呼んで宴会を開いていたことがニュースに。またまたコンパニオンです。

この山添村の村会議員の代表である議長は、コンパニオンを呼んだことについては、やっぱりこう言った。
「通常だったら酒を我々が注ぎに行く。それができへんさかい。だから、その子らに『注いだって』と、コロナ対策やな」
と、感染防止のためにコンパニオンを呼んだと、西尾市議会と全く同じことを言っていた。これにはもう、笑ってしまいましたね。

ちなみに、この山添村は、僕が住んでいる藤井寺市と「友好都市提携」を結んでいる村で、昔はうちの息子たちも小中学生のころ、この山添村に招かれてキャンプなどへ行っていたという馴染みの深い村です。それだけに、こんなニュースが流れるのは残念です。

議員というのは住民から選ばれた「選良」だから、むしろ模範となる行動をしなければならないのにね。それと、こういう不始末をしでかすのは、中央も地方も、傾向として自民党の議員が多いような気がします。日本政府も自民党が舵を取っているのだから、もう少しちゃんとしてよね、ホントに。

と書いていたら、また、橋本聖子五輪相も6人で「高級寿司会食」をしていた、というニュースが入ってきました。

今日のモーニングショーで、視聴者から「どうしてエライ人たちはそんなに集まりたがるのでしょう。うちの子はクリスマスパーティもできないのに」というメッセージが入っていましたが、まさにそのとおりですね。

国会議員も市会議員も村会議員も、こんなことをしていると、そのうち「宴会議員」と呼ばれるようになりまっせ。

 

 

 

 

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安倍首相 「高い緊張感を持って注視」 ってか

2020年08月02日 | 議会&役所

今、この新型コロナの感染拡大、集中豪雨による災害、Go Toトラベルキャンペーンによる混乱など、てんやわんやの時期に、安倍首相は何をしているのか?

正式な記者会見も開かないし、国会閉会中の委員会審査にも出てこない。この、危急存亡の時期に、国会を開くべき、という声にも全く耳を貸さず、たまに口を開くと、紋切り型の言葉しか言わない。その代表的な言葉が、感染状況について「高い緊張感を持って注視しております」だった。

それにしても、
「高い緊張感を持って注視」ってねぇ。
(「注視するだけかよ」というネットの声もありまっせ)

こういうのを「行政用語」(あるいは「議会用語」)というんですよね。当り障りがなく、何となく賢そうな言葉を並べる。

このブログで何度も書いてきましたが、僕は市役所で38年間勤務したうち、議会事務局という部署で26年間働いてきた。だから、市議会レベルだけれど、長年、議会というものをこの目で見て、この耳で聞いてきた。で、こういう言葉使いというものにはそれなりに詳しいつもりです。

この「高い緊張感を持って注視しております」というような言葉も、その種の用語の典型的なものです。

本会議や委員会では、議員の質問や追及に対し、行政側(市長や部課長とかの管理職たち)はたいてい、「はい、その通りです」とか「すぐに実施いたします」とかの即答はしませんね。のらりくらりと質問をかわすというのが大事なツボなのです(笑)。

僕が見てきた限り、市議会議員の質問には、むろん、熱のこもった中身の濃い質問もあるけれど、程度の低い質問をする議員もいる。それこそ人生いろいろ、議員もいろいろ、です。だから行政側もしたたかです。

僕は管理職になってから最後まで議会事務局にいたので、行政側として答弁をした経験はありません(それ、先に言っておかなければね、念のため)。

で、そのやりとりですが

議員は、質問に立って、あれをやれ、これをやれ、と言う。しかし、それが行政側の方針と合わないことであれば、
「はい。わかりました。早急に実施いたします」とは言えない。しかし「できません」の一言だけでは、議員の立つ瀬がない。要するに、議員の顔をつぶしては今後に影響する。相手を傷つけないよう、婉曲な答弁で「円満解決」をはかる。

実施できそうだが事情によってはすぐにできない場合は「善処します」と言う。できるかどうかわからない時は「検討いたします」と答える。ほとんどやる気がなかったら「今後の課題として研究してまいります」と答弁する。そして全くやる気がない時は「ご指摘の件は、今後、勉強させていただきます」と言う。ま、こんな感じですわ。

こういう用語というのはホント、時と場合によっては便利ですよね。むろん他にも、議会答弁には、いろいろな言い回しがあります。

・十分精査したうえで、今後の方向性を考えていきます。
・前向きに取り組む努力は、惜しまない所存です。
・社会情勢の変化に応じて、適切に対処してまいりたいと思います。
・ご指摘の件につきましては、重要な課題であると認識しております。

というふうな感じでしょうか。

そういえばかつて(10年ほど前)、法務大臣に就任した柳田というおじさんが、自分の就任祝いの会のあいさつで、
「法務大臣はいいですよね。二つ覚えておけばいいんですから」と切り出し、

・個別の事案についてはお答えを差し控えます。
・法と証拠に基づいて適切にやっています。

「この二つを言っておけば国会答弁で失敗することはない」と言ったことが大きく報道され、コテンパンに叩かれたことがありましたっけ。

ところで、こういう用語は夫婦間でも使えますよね。
たとえば、奥さんが、ご亭主から、
「ねぇ、月々の小遣いの額をもう少し上げてくれへんか?」
とねだられた時、奥さんはこう答えればいいんです。
「十分精査したうえで、今後の方向性を考えますわ」とか、
「社会情勢の変化に応じて、適切に対処してまいりますわ」
ってね。亭主はどんな顔をするんだろ? ヒヒッ。

「それ、のんさん夫婦の話じゃないの?」って?

いや、あの、それは
個別の事案につきましては、お答えを差し控えます(笑)。

「高い緊張感を持って注視しております」から、話がずいぶん飛びましたけど、安倍首相には、僕たち国民に対して、ありきたりの行政用語ではなく、熱気に満ちた自分自身の言葉で具体策を語りかけてほしいものです。

 

 

 

 

 

 

 

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セクキャバ議員は辞職を 国会議員は全収入の半分を返せ

2020年04月16日 | 議会&役所

高井崇志(50歳)という衆議院議員が、緊急事態宣言の発令後に、東京・歌舞伎町の「セクシーキャバクラ」というところで遊んでいたそうで、あきれてしまった。日本国民の誰もが同じ思いに違いない。おまえはいったい何を考えているんだ。それでよく国会議員が務まるものだなぁと。

所属する立憲民主党からは除名されたけれど、立憲民主党もこんな議員がいたら政府を追及できないだろ。しかしこの「セクキャバ議員」は除名されてもまだ国会議員のままだ。一刻も早く議員辞職せよ。それが今のほとんどの日本国民の思いだろう。

しかし、国会議員にはこういうのが他にも結構いるのかも知れない。

今日はその国会議員の話ですが

2、3日前に、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国会議員の歳費を1年間2割削減することが決まったそうだ。しかし国会議員は歳費(一般で言う給与)以外に、ボーナスもあるし、その他にもいろいろな収入がある。なのに2割を削減すると言ったのは「歳費の2割」ということで、「収入の2割」ではない。

資料によると、国会議員の歳費は月額129.4万円。年額で約1,553万円です。歳費にプラスしてボーナスにあたる「期末手当」が年間635万円ほどあって、トータル年収2,188万円となります。ちなみにアメリカの議員は約1,700万円、イギリス下院は約970万円、ドイツが945万円で、日本は世界の最高水準だそうです。しかも日本の国会議員の収入はそれだけではありません。

まず文書通信交通滞在費という手当。これが毎月100万円で年間1,200万円という高額です。しかも無税でかつ領収証も不要とのこと。
次に立法事務費というのが毎月65万円で年間780万円。これも収支報告義務がなく、使途はイマイチ不透明だとか。
さらに秘書3人までの給与に当てられる秘書雇用手当が年間約2,500万円。
そのほかにも、政党交付金というのが入ってきます。これは政党によって異なりますが、平成31年に各党に交付された政党助成金は、8党に対し総額317億円余りで、自民党に約179億円が、立憲民主党には約32億円が交付されたそうです。

これらを総合して、一人の国会議員が得る金額というのはざっくり計算すると年額6,000万円前後ということになります。

今回は、年額約1,553万円の歳費だけを対象にした2割削減だから、削減額は年額で310万5600円です。実際の年額6千万円前後の収入額からみると微々たるもので、痛くも痒くもないでしょう。

このことを、橋下徹さんも厳しく指摘し、昨日の「朝チャン」に出演して、「2割と言っても歳費の2割だけでは少なすぎますよ。歳費の他にもたくさんもらってるんだから、それらの合計額の5割は返納すべきです!」と、熱い口調で語っていました。

ビートたけしさんも先日、情報番組で「参議院議員なんか必要か? 議員がこんなに多いんだから、国会議員は半分、金返せよ」と発言していました。

まったく、そのとおりだと思います。

それにしても、冒頭のセクシーキャバクラ議員は、まだ国会議員を辞めずに、歳費やボーナスをはじめ各種手当などの多額の金を、今までどおり懐に入れ続けるつもりなのでしょうか? 国民の税金ですよ、みんな。

 

 

 

 

 

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松原市議・田中厚志 議会欠席して沖縄旅行

2019年09月12日 | 議会&役所

僕が大阪府の松原市役所で38年間勤めた、ということは、このブログで何度も書いてきました。

22歳の時に市役所に入り、2年間「市史編さん室」という部署に配属され、その後、24歳の時に課税課の固定資産税係というところに異動しました。そしてそれから2年経った26歳の時に、また異動の辞令。なに、それ? 2年ごとに部署を変えられるってわけ?

「異動ばっかりやがな」と、僕はどこの課でも役に立たない人間なのかとガッカリしながら、もらった辞令を見ると、今度は「議会事務局勤務を命ず」ということでした。

そして今度は、その議会事務局に、26歳から42歳まで、なんと16年間も在籍したのです。短かったり、極端に長かったりと、わけわかりませんよね(笑)。

で、その42歳になって、総務課の文書法規係というところに異動。で、これもまた2年でした。

そしてその次は、広報課で、市民の皆さんへ広報紙を編集してお届けするという仕事に6年間従事しました。これは文章を書くのが好きだった自分に向いていました。そして気がつけば50歳。1900年代最後の年、つまり1999年でした。何だかあっという間でしたね。

そして次に人事異動の命を受けた部署は、再び議会事務局でした。

それから10年間。定年退職まで議会事務局で仕事をしました。要するに若い頃の16年間と、退職までの10年間の、計26年間、僕は松原市議会事務局で仕事をしたわけです。38年間の職員生活のうち、26年間を議会事務局で過ごしたのですから、やはり退職後10年になる今でも「松原市議会」という言葉を聞くと「えっ?」と胸がザワザワします。

  ………………………………………………………

というようなことで


 

昨日の朝日新聞夕刊に、その「松原市議会」の議員の記事が出ました。テレビのニュースでも報じられましたし、市役所の現職の人からメールもいただきました。何のことかと言うと

松原市の田中厚志という42歳の議員(大阪維新の会)が、市議会の本会議を欠席して、妻と2泊3日の沖縄旅行に出かけていた、というニュースでした。

「体調が悪い」と仮病を使って欠席の連絡をし、議員として最も大事な本会議を欠席して、妻と旅行へ行くという、あきれ果てた行動に、ネット上でも大きな批判が寄せられています。

 https://www.mbs.jp/news/kansainews/20190910/GE00029543.shtml

僕も松原市議会事務局を退職して10年になるので、今の松原市議会議員は17人の中で6人しか知らない。あとはほとんど会ったこともないし見たこともない。今回の田中厚志というのも初めて聞く名前である。調べてみれば、最近初めて議員になったそうだ。僕らから見ればまさに「こわっぱ」である。

沖縄に行きたければ本会議が終わってから行けばいいものを、なんでそれを仮病で欠席してまで行きたいのか、理解に苦しむ。要するに、議会で最も重要な本会議、というものの意味がまだわかっていないのである。つまり自分の立場の認識不足。

「オレ1人ぐらいおらんでも、別にどうってことないわ」というような安易で無責任な気持ちがあるから、そんなことをするわけだ。高い議員報酬をもらっていながら、ロクに仕事をしない議員は、僕が現役の頃にも何人かいた(誰とは言いませんけどね~)。逆に、市民のために奔走する熱心な議員も多くいた。議会事務局というところは、そういう議員の姿がよく見える部署なんですよね~。

今回の田中厚志というのは、最近初当選したばかりの、まだ新米の議員である。まぁ、事務局が議員を指導するというのはなかなか難しいことだが、議員というものがどれほど重要な立場なのかということを、わからせるような話は、新人議員に対して、ある程度はしなければならない。実際、僕は事務局として議員に言いにくいことも、はっきり言って、そうしてきたつもりだ。

といっても、悪いのは事務局じゃなくて本人だから、この自覚のなさは彼の性格かもしれない。だとすれば、今回、頭を丸めて反省をアピールしているけれど、またいつ同じようなことをするか、知れたものではない。僕はテレビで彼が頭を丸めているのを見て、思わず笑ってしまった。イメージを回復しようとしてこんなことをするのは、世間を舐めている証拠であろう。

それにしても、僕も、これまである程度応援してきた「維新の会」なんだけど、なんか、不祥事が目立ちますね。国会を欠席して男性秘書と旅行に行った疑惑で維新の党を除名された上西小百合や、北方四島の国後島訪問の時に「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか?」と発言した丸山穂高議員も、維新に所属していた。困ったもんですね~。維新も。もう、知らんわ。

今回の維新の会出身の松原市議・田中厚志のような不届きな議員は、即刻辞職すべきである。でないと、同じようなことをする議員がまた出てくるだろう。「あおり運転を厳罰化してほしい」という声が多い昨今だけど、同じように、税金で報酬をもらっている議員が、市民を裏切るこういう行為をして、それで許されていたら、今後にも示しがつかない。これも「厳罰化」が必要ではないか。

松原市議会事務局に、通算26年間在籍してきたものとして、心の底からそう思うのです。

 

 

 

  

 

 

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松原市長選の結果は

2017年05月29日 | 議会&役所

昨日行われた大阪府松原市長選は、現職の澤井氏が植松氏を破って3選を果たした。投票率は前回を少し上回る37.35%だったという。

昨日書いたように、候補者2人とも、僕にとっては馴染みの深い人だっただけに、その点で関心があった選挙だったが、まぁ、この結果はほぼ予想どおりだったようだ。ただ、選挙戦がこうして行われたというのは、とても意義深いことだったに違いない。

なぜなら
松原市は

僕が市役所に入った時の市長は数年で辞められたが、次の市長は約27年間という長期にわたって務められ、その次の市長は8年間務められた。27年間といえば7期であり、8年間は2期だ。つまりその間、合計9回の市長選挙が行われるところだったのが、ほとんどの選挙で対立候補が出ず、無投票で当選されていたのである。

立候補者が1人だけで選挙戦がなく、無投票当選すれば、そりゃ、楽でいいかも知れませんが、それでは市民に自らの政策を強く訴える機会がなくなってしまう。そして、それを批判する立場の対立候補があってこそ、活発な選挙戦を通じて市民が市政について考え、さらに投票という形で参加をする。しかし、松原市では、僕が市役所で勤めた38年間で、4年に一度行われるはずの市長選挙は、皆無ではなかったけれど、ほとんど無投票で当選という形だった。

しかしまぁ、これは対立候補が出ないことに問題があるので、無投票当選した人には何の責任もない。むしろそれだけ手腕を評価されているために、対抗して立候補したい気持を持っている人も「出ても勝ち目がないで~」という空気になっていたのだろうから、それだけ市長としての市民の信頼感が厚かった、とも言えるのでしょう。

今の澤井市長が初めて立候補してから、今回が3度目の選挙となるが、すべて対立候補が出て、選挙戦が行われている。そして今回は植松氏がチャレンジして、市民にいろいろな政策を訴え、迎え撃つ澤井市長もこれまでの実績と今後の展望を訴えて活発な論戦を展開した。これが市にとってよかったと思うのである。

開票結果は、澤井氏が21,344票、植松氏が15,683票だった。

植松氏、というより、植松ちゃん、なんて呼んでいたのでちょっと妙な感じだけれど、よく健闘したと思う。根が明るく前向きな人なので、こんなことでくじけることはないでしょう。これからも頑張ってください。

同じ昨日、大阪府和泉市の市長選が告示され、現職市長のほかに立候補の届け出がなく、無投票で当選が決まった。

さて、僕が住んでいる藤井寺市はどうか?

市長選挙は2年後である。現在の市長は、元藤井寺市職員で、市議会事務局長などをされており、よく知っていた人だけど、御年75歳で、まぁこう言うのも何ですが、行事等で挨拶に出てこられた姿を見ると、年齢以上に老け込まれたなぁという感じである。もはや市長というより「ご老人」の印象の方が強い。人間的にはとてもいい方なんですけどね。

若けりゃいい、というものでもないでしょうけど、この場合は市長の「若返り」を次回の選挙で期待したいですね~

 

 

 

 

 

 

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きょう 松原市長選挙

2017年05月28日 | 議会&役所

ブログのコメント欄の下のところに「このブログの人気記事」というのがあって、1位から10位まで自分の過去記事が並んでいますが、ここ数日、その8番目のところに、

「きょう松原市長選挙」(2009年5月31日の記事)

という記事が顔を出しています。

なぜ8年も前のこんな記事がベスト10に入っているのだろうと不思議に思うのですが、新聞を見ると、まさに今日5月28日は大阪府の松原市長選挙が行われる日なのですね。だから、この記事も閲覧されていたのかという感じです。

現在の松原市長は、僕が松原市役所を定年退職した2か月後、2009(平成21)年の5月31日の市長選に立候補して初当選し、今ではもう2期8年間も市長を務めたことになる。僕も松原市役所を辞めて8年になるんだ。早いなぁ。

だから今の市長のもとで仕事をしたことはない。でも僕は退職前は議会事務局長という職責を預かっていた。そして今の市長はその当時は市議会議員で、ちょうど議長をしていた。だもんで僕はこの人と1年間、毎日のように接触があり、会議や行事や出張なども、常に一緒だった。だからその性格、物の考え方、行動パターンなんかは割によく知っている。だからどうとは言いませんけどね。何しろきょうは投票日だから、言葉は慎重に選ばなければ(笑)。

ところで、この現職の市長は今回が3期目の出馬となるが、もう一人の候補者を知ったときは少なからず驚いた。松原市長選の候補者2名の顔写真が新聞に出たとき、現職市長はもちろんよく知っている顔なんだけれど、対抗馬として立候補した男性の顔を見て、「あれ? 〇〇クンやないか」と目を見張った。彼は元市職員で、僕より十何歳か年下で、初めて市役所に入って来た時から知っていた。よくおしゃべりもしたし、一緒に飲んだこともあるし、近年にはメールのやりとりをしたこともある。彼は組合活動に熱心で、やがて市職員労働組合の委員長となった。その彼が市長選に出馬したとはね~。写真を見たら、以前より太った感じで、顔がふっくらしています。ま、現職の方も、初当選のころは若かったのですが、今は顔がおっちゃん顔になってきていますね(笑)。8年も経つのですから、当たり前といえば当たり前なんですが
(顔は関係ありませんね~。失礼!)


   

ということで、
今日、投開票が行われる松原市長選挙は、この2人の戦いです。

もう今さら誰が松原市長になろうが僕にとっては関係のない話ですけど、どちらの候補者もよ~く知っている人なので、少しは結果が気になるかなといったところです。

本日の記事も、また8年前と同じタイトルになっちゃいましたけど。

 

 

 

 

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政務活動費は生活費…?

2016年09月19日 | 議会&役所

富山市議会の政務活動費不正問題が連日報道されている。
「またか」といううんざりする気持ちと同時に、
この問題は起きて当然…という気持ちも、ある。
この制度自体に、根本的な問題があるんだから。

白紙の領収証を使って使途を捏造する議員の手口は卑劣だが、
それをチェックもせず受け入れる議会事務局にも問題がある。


僕は38年間、大阪府の松原市役所に勤めたが、
そのうち、通算して26年間、議会事務局で仕事をしてきた。
年齢で言えば、まず、26歳から42歳まで議会事務局で勤務した。

その後、総務課文書法規係と秘書課広報係で8年間勤務し、
ちょうど50歳になった時に議会事務局に戻され、
定年退職になるまで10年間、そこで勤務した。

だから自分の公務員生活は、議会抜きにしては考えられない。
それはもういろんな議員がいたし、いろんな出来事があった。

そして問題となっている政務活動費のことだけれど…


僕が最初に議会事務局にいた頃は、
「政務活動費」というものはなかった。

議会事務局に戻った年の翌年(平成12年)に、
「政務調査費」という法制度ができたのだった。
「政務活動費」ではなく「政務調査費」です、念のため。

議員の調査研究に資するため必要な経費の一部として、
会派または議員に対して政務調査費を交付することができる…
…というような趣旨で地方自治法が一部改正されたのである。

しかし「議員の調査研究に資するため必要な経費の一部」
と言ってもその使途範囲は議員にもよくわからなかったようだ。
つまり、どこまでこの政務調査費を使っていいか…という問題だ。

これは議会事務局がしっかり勉強して、議員に対して、
きちんとした“指導”をする必要があったと思う。

僕はかつて新人議員から、
「政務調査費でテレビを買ってもええんですか?」
と尋ねられたとき、
「なに言うてはりますねん。あかんのに決まってますがな。
そんなことしたら新聞に載って議員をクビになりまっせ~」
と言ったことがある。
「テレビは調査研究に必要では?」
などとその議員は言ってたけど、そんなアホな。
世の中にはジョーシキというもんがあるやろ。


いくら市民から選ばれた議員だといっても、
ダメなことはダメ、ときっぱり伝えなければならない。
(たまには議員をビビらせたりしながらね~)

うちの議会事務局では、当時は、議員から、
「これは政務調査費で支出できるのかなぁ?」
という質問を受けることが多かった。
そういう雰囲気を作ることが大事なのだ。
そうでないと、議会事務局の職員は、
何でも議員の言いなりになってしまう。
それでは、存在の意義が失われてしまいますよね。
(最近の松原の議会事務局はどうか知りませんけど)

その「政務調査費」が「政務活動費」と名称変更されたのは、
僕が定年退職してから3年後のことだったようだ。
僕は、そんなことは全然知らなかったけれど、
あの「号泣議員」野々村竜太郎騒動でそれを知った。

何のために「政務調査費→政務活動費」という法改正がされたのか?

「政務調査費」では、
「議員の調査研究に資するため必要な経費…」に充てるだったが、
「政務活動費」に名称が変わったら、
「議員の調査研究その他の活動に資するため必要な経費…」
…と改められた。

つまり「議員の調査研究に資するため」から、
「議員の調査研究その他の活動に資するため」に変わった。
「その他の活動」という文言が新たに付け加えられたのだ。
これがクセ物で、そのため、使い道が広がったわけである。
(例えば会議費での茶菓などもOKになった)

ただでさえ公私混同を起こしやすい「政務調査費」だったのに、
それが「政務活動費」になって、ますます不明瞭な使途が増えた。

国もなぜこういう名称と内容を変えたのか…? 
これまでどおりの「政務調査費」でいいのに。
どうも、その意図がわからない。

ところで…
連日の新聞を見ると、政務活動費が、
「政活費」という見出しになっている。
縮めると、まぁそういうことになるけれど。

…でもねぇ。

「せいかつひ」といえば、
「政活費」より「生活費」を思い浮かべますよね。

政活費が「生活費」のイメージと重なって、
舛添前都知事じゃないけれど、公費を生活費として使う…

…ということで、この「政活費」という言い回しも、何だかなぁ。

「せいかつひ」を「生活費」に使って何が悪いねん!

な~んて、開き直る議員が出てきたりして。

全国各地の議会で次々と政務活動費の不正が発覚する中、
まずは名称を変更し「その他の活動」を削ることですね。
あとはそれぞれの議会の良識に期待するしかありません。

大阪府泉南市では政務活動費を全廃しました。
ここまでせよ、とは必ずしも主張しませんが、
いま、何かと話題になっている東京都議会では、
政務活動費が1人月額60万円だということです。
高い報酬(給料)をもらっている上に、ですよ。

多すぎますね、どう見ても。

 

 

 

 

 

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