僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

富田林逃走犯 ついに逮捕

2018年09月30日 | ニュース・時事

ついに逮捕! きょうの朝刊の一面です。


  

あの大阪の富田林警察署から逃走した男が逮捕されたという記事が、一面トップで大きく報じられていた。台風24号関連の記事を押しのけての一面トップである。しかも捕まったのは大阪から何百キロも離れた山口県の周南市という場所。その道の駅で食料品を万引きしたところを取り押さえられ、駆け付けた警察官に逮捕されたということだった。

事件が起きてから48日が経過したという。もうそんなになるの? と思いますよね。それにしても、逃走犯はもう捕まらないのではないか思っていた。事件以来、まったく行方が知れないまま過ぎたが、大阪にはいないだろうとほとんどの人が思っていた。言うまでもなく、こういう事件は、日が経てば経つほど捜査が難航するものだから。そしてやがて迷宮入りなんてね。

しかし大阪府警は必死になっているのか、あるいは必死になっていることを住民に示したかったのか、富田林に近い僕たちの地域でも、連日、外出すると必ずと言っていいほど、警官か、あるいは服装は変えているがいかにも警官らしい人たちが、あちらこちらにいるのを見かけた。

つい数日前も、警察官がわが家を訪れて、逃走犯の写真を提示し、「心当たりがあればご連絡ください」と言って、一礼して隣家へ向かって行った。今ごろそんな手配写真を戸別訪問して示すというのはあまりに遅すぎるやろ、と思ってしまうが、これもまた「大阪府警は頑張っています」ということを市民に知らせるためにやっているのじゃないか、と思ってしまう。

ま、でも捕まって本当によかった。テレビでチラッと見た映像では、逃走犯は丸刈りにしており、一見、あの手配写真とは別人のように見えていた。

それにしても、大阪からどうして山口県まで行ったのかというと、今朝の報道では自転車で、それもウチの隣の市である羽曳野市で盗んだ自転車でそこまで移動したということだった。実際にその自転車がテレビに映っていたが、荷台には山ほどの荷物が乗っていた。これだけの大荷物を乗せて大阪から山口まで自転車でとは、なんだか、自分の昔の自転車旅行を思い出してしまいます。

と思っていたら、またまたビックリな話があったのです。それは、犯人が自転車で移動している時、自転車で日本一周をしている男性と知り合い、そこから何週間もずっと一緒に走っていたということです。夜は野宿をしていたという。

見知らぬサイクリスト同士がどこかで会い、一緒に走り、一緒に野宿をするというのは僕も何度か経験があります。この日本一周の男性は、相手が丸刈りで顔も違って見えたので、自分と同じサイクリストだと思い込み、手配中の逃走犯とは気がつかなかったのでしょうね。

ともあれこれで一件落着で、やれやれ、という思いです。

あとは、きょう襲ってくる台風24号が、早く行き去ってくれて一件落着となることを祈るのみです。大きな被害が出ませんように。

 

 

 

 

 

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「半分、青い。」 が終わり 「にっぽん縦断 こころ旅」 も・・・

2018年09月29日 | 映画の話やTVの話など

朝ドラの「半分、青い。」も今日で終わってしまいましたね。
あぁ、来週から寂しくなりますわ。

さて最終回はどうなるのか? と今朝は、いつもの倍以上ゾクゾクしながら見ました。先日のブログでも書きましたが、脚本の北川悦吏子さんが雑誌のインタビュー記事で「最後に鈴愛は、ささやかだけど確実な幸せをつかむ。果たしてその『幸せ』はどのようなものなのか。ぜひ最後まで見届けてください」と言われていましたが、鈴愛はそのとおり「確実な幸せ」をつかんだようですね。

次は来週から始まる「まんぷく」を楽しみにしています。

ところで、この朝ドラ。NHKのBSプレミアムでは朝の7時半から放送されているんですね。8時から始まる地上波より30分早く始まるので、もうモミィも家を出た後なので、妻も最近はその時間帯に見るようになり、僕も横で見ていました。そして7時45分に朝ドラが終わると、そこから8時までの15分間、「にっぽん縦断 こころ旅」という番組が流れます。

これがまた、火野正平さんが自転車で日本中を巡る話なので、僕もよく見るのですが、今週の25日から「2018秋の旅」シリーズが始まりました。そのコースを見ますと


 

北海道をスタートして、本州へ南下。青森~岩手~宮城~福島~栃木~茨城~千葉~神奈川~静岡というコースなんだそうです。僕が20歳の時の自転車旅行のコースは往路は大阪から琵琶湖を北上して、日本海側を走って北海道へ入り、北海道を1周したあと、復路は青森からず~っと太平洋側を走って大阪へ向かったので、今回の「にっぽん縦断こころ旅」の秋のコースとほぼ同じです。

「半分、青い。」を見終えて、同じチャンネルですぐに始まるこの番組も、当時を懐かしく思い出しながら、楽しく見始めました。

そして25日に放送されたスタートの地は、北海道の襟裳岬でした。自転車で走りめぐった北海道は、どの地も素晴らしい感動を与えてくれましたが、中でもこの襟裳岬はとても鮮やかな印象が残っています。テレビで火野正平さんが襟裳岬に立つ場面を見て、あの、岬の突端から岩が沖に向かって点々と続く勇壮な風景を思い出しました。


 
襟裳岬です。まだ森進一の「襟裳岬」の歌も存在しなかった頃です。


翌26日は帯広駅が映りました。この駅にも思い出があります。僕が自転車で帯広駅に着いた時、2人のサイクリストと出会いました。そしてそのあと、3人で襟裳岬へ行ったのですが、あの頃の帯広駅は小さかったのですが、テレビで見た駅はとても大きくてモダンな駅でした。へぇ~ 帯広駅もこんなに立派な建物になっていたんだと、テレビを見て驚いたものですが、考えてみれば、あの自転車旅行から50年近く経っています。大きく変わっているのが当たり前ですわね~

そんなことで、この番組の第1回目は襟裳岬。第2回目が帯広。そして27日の第3回目が厚岸というところでした。自転車を漕ぎながら、火野正平さんが、「行けども行けどもまっすぐな道が続きます。さすが北海道だね」とつぶやくシーンがありましたが、僕も自転車で北海道に入った時、地平線まで続いてそうな直線がどこまでも延びて行く道路に驚嘆したものです。北海道以外にこんな長い直線道路はありませんものね。

そして昨日28日ですが、番組に思わぬアクシデントが起きました。

昨日の番組の冒頭で火野正平さんが、「いいお天気です。しかし、昨晩、大きな地震があり、停電でテレビも見れなかったし、食べ物屋さんも休みが多かったり、いろいろ支障があるので、自転車では走れません」と言ったのです。
「そこで、2013年に放送した北海道の旅をお送りすることにします」
ということで、その後、お詫びの画面のあと、2013年に放映された北海道の旅の再放送が始まりました。

 

 
昨日28日午前7時47分のNHKBSプレミアムの画面。

 
北海道で最大震度7の大地震が起きたのが9月6日の午前3時過ぎのことでした。そして、昨日の番組はその9月6日に収録したものが放映されるはずだったのですが、番組冒頭で火野さんから説明があったように、自転車で走るのは難しい状況になったということでした。

う~~ん。残念。

この先、番組はどんな構成になっていくのかな?

 

 

 

 

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郷ひろみとモミィ

2018年09月28日 | ズレズレ草

郷ひろみ、という歌手をご存知ですよね。亡くなられた西城秀樹さんらと共に「新御三家」と言われたかつての人気歌手いや、「かつて」ではなく、今も現役バリバリで、とても62歳とは思えない若々しさで、歌に踊りにと活躍していらっしゃいます。

先日、樹木希林さんが亡くなられた時には、今からちょうど40年前、テレビ番組の挿入歌でもあったヒット曲「林檎殺人事件」で樹木さんと郷さんがデュエットしている映像が、テレビで流れていましたよね。

 

 

 

で、これは最近のわが家での話なんですが

あるテレビ番組で、その郷ひろみさんの生年月日が紹介されましたが、それを見てビックリ。なんと、うちのモミィと同じ誕生日でした。むろん生まれた年は違いますが、月日がまったく一緒なのです。

おまけに、郷ひろみさんが生まれた年からちょうど50年後の同じ月日にモミィが生まれているのです。つまり、モミィから見れば、自分が生まれるちょうど50年前の同じ日に郷ひろみさんが生まれていた、ということになります。

「へぇ~。モミィと郷ひろみ。ピタリと50歳違い。何か不思議な縁だね~」
と、僕はテレビを見ながら、深くため息をつきました。

それを隣で見ていたモミィが、口を開いた。

「郷ひろみって、知ってるわ。のんちゃんがよくカラオケで歌ってるやろ」
と、言った。
「そうや、よく覚えてるね~。カラオケで歌ったことあるよ」
と僕。するとモミィは、こう言ったのです。
「え~っとそれは、サンマがお嫁に行くっていう歌やったねぇ」

「はぁ??」
 サンマがお嫁に行く歌って?
どんな歌やねん?

「のんちゃん、カラオケで、よく歌ってたやんか、その歌」とモミィ。
「サンマがお嫁に??? そんなけったいな歌。あるんか?」

と言いながら、次の瞬間、
僕はモミィが何のことを言っているのか察知しました。
そしてモミィに言いました。

「それは『お嫁サンバ』のことやろ。サンマと違うねん。サンバや」
………へぇ、そうなん?」

まことに、漫才顔負けの会話でした。

確かに「お嫁サンバ」はノリがいいので僕の好きな歌でした。

「へぇ『お嫁サンマ』とばっかり思ってたわ」とモミィが、真面目顔で言う。
「そんなヘンな歌、あるかいな!」と僕はその場にヘタリ込んだのでした(笑)。

という、まことにくだらない家庭内会話でございました。

 

ところで、
このあいだ電車に乗っていたら、ある駅で停まった時、車内放送があり、
「この電車はタコ焼き停車でございます~」と聞こえたのでびっくりした。
よ~く聞くと、「タコ焼き停車」ではなく、「各駅停車だった」。
(どんな耳してるねん!)

モミィの「お嫁サンマ」を笑っている場合ではありません。
僕も「聞き間違い」が、最近ホントに多くなりましたわ。トホホ。

 

 

 

 

 

 

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ラスベガスのカジノで 「ヘイ・カモーン」

2018年09月23日 | 旅行

ドラマ「半分、青い。」も、昨日(土曜日)は2011年3月11日、東日本大震災が発生したところで終わりました。そしていよいよ明日から最終週に入りますが、鈴愛の親友である裕子は、仙台市内の海の見える病院で看護師をしているということなので、彼女の身が案じられるところです。

ドラマといえば、どらさんへのコメントのお返事にも書きましたが、先週の日曜日に終わった「この世界の片隅に」も毎週楽しみに見ていました。戦時中から終戦後までの広島を舞台にした見応えのあるドラマでしたが、ヒロインの松本穂香さんのトロ~ンとした表情や、ホンワカした人柄が、とてもよかったように思います。

で、今日はそのドラマに少~しだけ関連する話です。
ま、ドラマのストーリーとは関係のない、たわいない話なんですけど。

先週日曜日のその最終回を見ていたら、こんなシーンがありました。

戦争が終わり、日本へやって来た米兵が、市場のようなところで子どもたちにチョコレートを渡していました。子どもたちも米兵に「ギブミー・チョコ」などと叫んでいます。そんなところへ、松本穂香さん演じるヒロインのすずが通りかかる。すずを見て、米兵が、「ヘイ・ガール」「カモーン」「ゴーアヘッド」「イッツ・チョコレート」などと大声を出す。すずは「はぁ?」という顔をしているが、米兵はすずにチョコレートを渡す。

帰ってそのことを家族に言ったら、義姉の尾野真千子が、「あんたは髪が短いから、子どもと間違えられたんじゃろ」と言う。米兵から見て、すずは髪型が子どものようだったので「へイ・ガール」「カモーン」と言いながら、チョコレートを渡したのだろうという。

このシーンを見て、僕は自分の海外旅行での経験を思い出したのです。

2004年に、妻とラスベガスへ旅行した時のこと。ラスベガスにはどのホテルにもカジノがあります。そして、食事をするのも、バフェと呼ばれるバイキング形式のレストランが必ずあるので、言葉がわからなくても気楽にいろんなものを食べることができます。さらに代金は最初からわかっているので、会計の時に戸惑うこともありませんしね~。本当に楽しくてエキサイティングな街で、すっかりファンになった僕たちは、その2年後にも再びラスベガスへ行ったほどです。

ちなみに、ラスベガスのカジノは24時間やっており、ホテルにはいっさい時計がありません。つまり時間なんかは、この街では全く関係ないんですね~(笑)。

僕たちは、カジノはほどほどに楽しみながら、あらゆるホテルを巡ったり、さまざまな建造物を見たり、いろんなバフェで食事をしたりして、街の雰囲気を満喫したのでした。

そんな時、あるホテルに入りました。ラスベガスはどのホテルも入口からず~っとカジノが広がっていて、そこを通り抜けた奥の方にフロントやバフェやコンビニやバーなどがあります。

そのホテルのバフェで食事をするため、カジノの中を通り抜けようとしたとき、こちらに向かって「ヘイ・カモーン」という声が飛んできました。「なに?」と思いながら、声のしたほうを見ると、そこは子どもたちの遊び場でした。

大人の歓楽街であるラスベガスにも子ども連れで来る客がいるので、カジノの隅の方に、遊具などが置いてある「子どもコーナー」があり、親はそこに子どもを預けて、自分はカジノを楽しむ、ということなんですが

その「子どもコーナー」から、ホテルのスタッフらしき男性が僕の方を見て、「ヘイ・カモーン」と呼んでいるのでした。なんやねん、それは?

僕はこの時、55歳でした。55歳のオヤジに向かって「お~い。子どもコーナーはこっちだから、おいでよ~」と言うようなことって、ありますか?

妻がクスッと笑った。僕も思わず笑ってしまった。そして、スタッフらしきその男性に視線を向け「そこには行かへん、行かへん」というポーズをして、そのまま通り過ぎたのでした。

いくら僕が小柄で童顔だと言っても、子どもと間違えることはないやろ! ホントにもう、わけのわからんスタッフじゃねぇ。

「この世界の片隅に」の最終回で、主人公のすずが米兵に子どもと間違われるシーンを見て、ラスベガスでのその一件を思い出した次第です。

それにしてもねぇ。
何が「ヘイ・カモーン」じゃ。
ぶつぶつ… ぶつぶつ

 

 

  
ラスベガス・ハードロックホテルの前で。
う~ん。これが子どもに見える

 

 

 

 

 

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「正しい歩き方」 にハマり過ぎ?

2018年09月21日 | 心と体と健康と

     

この本は、チンチン電車道のウオーキングの帰り、阿倍野の本屋さんで買ったものです。適当に歩くより、この表紙に書かれているように「観光・歴史・風景」などを知って歩く方が、より楽しみが増えるだろうと思って買いました。

それが翌日、歩けないほどの痛みに襲われたのですからね~。皮肉なもんですわ。でもまぁ、今はほぼ回復したし、ちょうどこれから涼しくなってくる季節でもあるので、早くこの本を持って大阪のあちらこちらを歩いてみたいです。

さて、昨日は再びS病院へ行ってきました。そこで2度目のリハビリを受けたわけですが、受ける前に理学療法士さんにまず「あれだけ痛かったのに、それがほとんどなくなりました」と伝えると、「へぇ、そうですか~」と満面の笑顔で答えてくれました。そして、僕をマットに寝かせたり座らせたりしながら、入念に体をチェックしてくれました。僕自身も最近、本やテレビ番組などで、自分の普段の姿勢や歩き方に不具合があることに気がついていました。そして、この日、療法士さんから、やはり同じような指摘を受けたのです。

まず歩く時、両ひざと両足の先がいくらか外側を向いていることを指摘されました。僕の運動靴を「ちょっと見せてもらいますね」と、手に取って靴底をじ~っと眺め、こう言ったのです。

「この靴の裏は、外側がかなり減っていますよね。内側は新品のようにきれいなのに、外側は擦り切れて白くなっています。重心が外にかかり過ぎていますね。それが腰やお尻に負担をかけたりするんでしょう」

言われたように、昔からどの靴も外側が減っていました。まぁそれは自分の歩く時の癖だから仕方ないだろ、とあきらめていました。しかしこのままで歩き続けていたら、いつかまた腰やお尻や脚が痛くなりそうなので、矯正できるのであればぜひ矯正したい。

つまり足を外向きではなく真っすぐに、正しく地面に着けての歩行練習と、そのための体幹を鍛える運動やストレッチが効果的なわけですよね。

療法士さんは、太ももの内側を鍛えるとお尻も鍛えられると言い、そのために、2つのポーズを教えてくれました。

ひとつは、片足立ちです。

 
もちろん、こんなにうまくは立てません。
単に片足で立つだけです。ハハッ。

これはスポーツクラブのヨガ教室でもやるのですが、僕は苦手で、すぐにぐらついて上げている足を着いてしまいます。この日のリハビリでも「やってみてください」と言われたのですが、外へ外へとぐらついて、足を着いてしまう。「やっぱり重心が外になっています」と言われました。そして今度は倒れないように、壁に向かって立ち、そこに両手を軽くついて片足上げをし、その際に内側の、特に親指に重心を置いて立つ練習をするようにと言われました。

その次は、言葉でちょっと説明しにくいのですが、こんなポーズです。

 

四つん這いの状態から、右足と左手を上げます。手は肩の高さにし、足はうしろへ。手と足が床と平行になるように上げます。これを息を吐きながら行ないます。このまま5呼吸ほどキープしたあと元に戻り、反対側も同様にします。これもヨガのポーズにありますよね。

慣れるまではちょっと難しそうですが、お腹の力でバランスを取るといいそうで、伸ばした足は外側に向かないように、というのが大事な注意事項でした。

これらが、僕が弱いとされるお尻と太ももの内側の筋肉を引き締めるので、体のバランスが修正される、ということでした。

病院でのリハビリはそれで終了しました。教わったポーズをイラストで描いてもらい、「これを毎日続けてくださいね」と言われて、その療法士さんとはお別れをしました。

で、1日数回、リハビリで教わったポーズや、本などで見たポーズも加えてやり始めました。今度こそ、三日坊主にならないようにしなければ。

僕にとって現在最も大切なことは、正しい歩き方をマスターすることなんですが、最近読んだ本にこんなことが載っていました。リハビリ師さんにも同じことを言われたので、今はこの歩き方を練習しようと決めています。

まず最初の2週間は、歩くときに足が外側に向かないように意識する、という大事な基本です。これはその本に描かれてあったイラストです。

 

決して足が外側を向いてはいけないんですよね。真っすぐにする、というのが基本のキです。

そしてこれに慣れると、次の段階は歩隔。つまり歩幅ではなく、歩くときの左足と右足の左右の間隔のことを歩隔というそうなんですが、これを意識する、ということです。5センチから10センチというのは、思った以上に狭いですね。少しやってみましたが、歩きながらフラつきます(笑)。

  

ま、今はとにかく第一段階として、ひざや足の先がこれまでのように外を向かず、靴の内側(特に親指)に体重をかけて真っすぐに歩く、ということに専念しています。

ちなみに、こんな本も図書館で借りて、読み始めています。ウフフ。

 


 

 

なんだか、ちょっとハマリ過ぎですかねぇ~~~

 

 

 

 

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チンチン電車の路線を歩く 🎵

2018年09月19日 | ウォーク・自転車

阿倍野から住吉大社まで、大阪で唯一のチンチン電車の軌道に沿ってウオーキングをしたのは、今から3週間以上前の8月27日でした。その翌日から右のお尻から脚にかけて痛みが出て、歩くのがしんどい状態になったのですが、小康状態の時もあったので放置していたら、今月7日に激痛が走り、ほぼ歩けない状態に。やむなく8日に病院へ行き、検査をしてもらい、リハビリの指導を受けたりしたということをこれまでのブログに書いてきました。

そして今では痛みもなくなり、普通に歩けるようになりました。そこで、8月27日のウオーキングのことを、やっと掲載できるところまでこぎつけたわけです。その様子を、写真を中心にご紹介したいと思います。

大阪で唯一のチンチン電車正式には阪堺電車というのですが、この路線図を見ていただいてわかるように、左側の阪堺線というのと右側の上町線という2つの路線があります。今回、僕は天王寺駅前から出る上町線のほうを歩きました。

 

   

目的地だった住吉大社(地図の一番下)は2つの路線が合流するところにありますが、上町線の天王寺駅前から住吉大社までは全長約5キロほど、とのことです。僕は往復歩いてさらに回り道をしたり、帰りに阿倍野でウロウロしたので、全部で15キロ以上は歩いたのではと思います。

さて、近鉄の阿倍野駅に着き、ウオーキングの開始です。まずチンチン電車の始発駅の近く、あべの筋のアーケードの下を南に向かって歩きます。

 

道路上に軌道があり、その向こうに、
よく行くキューズモールがあります。

そのキューズモールの前を、チンチン電車が走ってきました。
終点の天王寺駅前はすぐ目の前です。

 

これは、住吉大社方面へ行く電車ですね。ちなみにチンチン電車の料金は全線210円の均一料金です。下車するときに、運賃箱にお金をいれます。もっとも、僕はこの日は電車には乗りませんでしたけど。

こうしてあべの筋からずっとチンチン電車が見えるのですが、電車は松虫というところで路面軌道から専用軌道に入って斜め向こうへ走って行きます。僕はそのままあべの筋を歩き、しばらくは電車道とお別れ。播磨町という大きな交差点があって、東西に走る「南港通り」という道路を右折し、そこをテクテク行くと、姫松というところで再び電車の路面軌道と再会しました。そこから再び路面軌道に沿って歩きました。

チンチン電車の軌道があり、車も走っているのですが、
このあたり、なぜか歩道がありません。人影も少ない。

 

手塚山三丁目の停留所。
このあたりから、住吉界隈の観光スポットに入って行きます。

しばらく行くと、左側にその観光スポットのひとつ、
万代池公園が見えたので、公園の中に入ってみました。

美しい公園で、池には噴水が優美に吹き出しています。
池の周囲はウオーキングコースになっています。
近くにこういう憩いの場所があればいいですね~。
 


  

チンチン電車は、旧型のレトロな電車から、
このような低床式の新型トラムまであり、
カラフルで変化に富んでいます。
見ているだけでも、十分楽しいですね。

ここを真っすぐ歩いて行くと…

次に帝塚山4丁目の停留所というより、駅ですね。
ここからまたチンチン電車は路面軌道から専用軌道に入ります。
専用軌道に入ってもスピードは上げず時速は40キロ程度だとか。
ゆっくりと、マイペースで走るチンチン電車なのです。

道はまた軌道から離れたので、僕は左側の道を歩いて、
地図を見ながら、再び線路の方に近づいて行きました。すると

南海本線の鉄道と交差するところで、チンチン電車は高架を走ります。
こうして見たら、あんまりチンチン電車のようには見えないですよね。

そうして、地図を確かめながら住吉大社の方向へと歩いて行くと、 

左側の専用軌道から、路面軌道に変わりました。
僕は左側の踏切を渡って来ましたが、右の道路にも、
別の路
面軌道が走っています。これがもう一つの阪堺線で、
前述しましたように、ここで上町線と阪堺線が合流しています。

そして、その合流したところで、
目的地の住吉大社が見えてきました。

その住吉大社に入ります。 

 

住吉大社は、1800年の歴史を持ち、
大阪一の初詣者数で賑わう所です。
こんな有名な神社なのに、僕は子供の頃に来たきりで、
それ以降、少なくとも60年近く来ていませんでした。
 

中に入ってみると、これはほんの一部なのに、
その規模の大きさがわかりますね。
 

 

子どもの頃、名物の太鼓橋のことはよく覚えています。 

 

その太鼓橋の向こうの橋へ行くと、お2人の女性の方がおられ、
若いほうの女性が一眼レフの高級カメラを持っておられたので、
思わず近づき、「すみません、写真を撮っていただけます?」
とデジカメを出して
お願いしたところ、快く応じていただき、
何枚か、撮ってもらいました。そのあと、今度はお2人から、
「じゃあ、私たちも撮っていただけます?」と言われたので、
もちろん撮りましたよ。しかし高級カメラだったので、
ちょっと扱い方がややこしかったですけど、撮り終えて、
確認してもらったら、ちゃんと撮れていました。
 

これは、僕が撮ってもらった写真です。
バックに太鼓橋が見えていますよね~
 


 

さて、そんなことで住吉大社を歩き回った後、
帰途は上町線ではなく、阪堺線の軌道沿いを歩きました。
 

来るときは右の上町線から来たのですが、
帰る時は左の阪堺線沿いのほうを歩いたわけですね。
住吉大社はこの右の後方にあります。

 このあと、粉浜の商店街を歩いたり、うろうろ。
そしてこの道路に戻り、塚西というところで南港通を右折。
そして姫松を通過して、行きに通った播磨町であべの筋に合流。
 

ここからまたあべの筋を天王寺に向かって歩いて行くと、
はるか前方にあべのハルカスの高いビルが見えました。
 

あべのハルカスがスタート地点でもあり、ゴールでもありました。 

 

★しかしまぁ、これが原因で翌日から下半身に痛みが出たのですからね~。これまでず~っと歩き方なんか気にせず、漫然と歩き続けていましたから、きっと、加齢などにより、筋肉が衰えてきたのでしょうね。これに懲りたので、今は腰や下肢に変な負担がかからないような「正しい歩き方」の理論を本で研究し、ぼちぼちと実践練習もしています。ある程度慣れたら、また長い距離にチャレンジしてみたいと思っています。

長くなりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

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北川悦吏子さん 「半分、青い。」 を語る

2018年09月17日 | 映画の話やTVの話など

お尻から脚にかけての痛みは、努力の甲斐あって(自分で言うか?)、ほとんど出なくなりました。これで、もう、スキーのジャンプスタイルで歩かなくても大丈夫です(笑)。

いろいろとお気遣いや励ましの温かいコメント、そしてメールもいただきました。ありがとうございます。20日の木曜日が診察とリハビリの予約日ですが、その場で「すっかり良くなりました」と伝えることができそうです。あの痛みがこれほど早く消えるとは思っていなかったので、ほんと、メチャうれしいです。ま、油断し過ぎてもいけませんけど。

気分的にも落ち着かなかったせいか、ここ数週間、ブログの更新も途絶えがちになっていましたが、また心機一転、いろんな話題を見つけて、こまめに更新していきたいと思っています。改めて、よろしく~

今日はNHK朝ドラ「半分、青い。」の話題です。これまでも何度かこのドラマに関することを書きましたが、本当にこれまで楽しく見てきました。そのドラマもいよいよ今月で終わり。今週と来週の、あと2週間となりました。

今日から第25週が始まりますね。サブタイトルは「君といたい!」で、そよ風の扇風機を作るために実験を重ねる鈴愛と律の話の展開はどうなるか? というところですが


 
「そよ風扇風機」の開発に熱中する2人。

 

昨日、月刊雑誌「文芸春秋」の最新号をパラパラと見ていたら、
「半分、青い。」は私の人生そのものです  北川悦吏子
という記事がありました。


 



 ~ 挫折したって人生は生きるに値する ~

脚本を書く北川悦吏子さんが、この作品に対する熱い思いを語っているものでしたが、チラッと読むつもりが、読み進めるうちに引き込まれて、じっくりと「熟読」してしまいました。その感想をつづりたいと思います。

北川さんは岐阜県出身だそうです。鈴愛と同じように片耳が聞えないということは知っていましたが、彼女が岐阜県の出身だったとは知りませんでした。普通、ドラマで方言を使う時、脚本家は標準語でセリフを書き、それをその地方の方言の専門家がそれらしく書き換えるというものらしいです。しかし今回のドラマの岐阜弁は、すべて北川さんご本人が書かれたそうです。何しろ岐阜県出身ですものね~

このドラマの鈴愛は何度も挫折します。漫画家になるのかと思えば、やめてしまい、律からプロポーズされても思わず「無理!」と言ってしまい、映画監督をめざす涼次と結婚しても離婚され、また仕事でもあれやこれやと失敗を重ねたりして、挫折まみれの人生ですが、北川さんはこう言います。

「挫折したって人生は生きるに値する。鈴愛はそのことを、手を替え品を替え、私たちに示してくれているんです」と。う~ん。いい言葉ですよね。

北川悦吏子さんと言えば、「愛していると言ってくれ」とか「ロングバケーション」の脚本で有名な方ですが、「半分、青い。」もその2本の作品を感じさせるようなところがあります。

まず、「愛していると言ってくれ」は豊川悦司が主演していましたが、今回も「秋風羽織」の役で登場。独特の服装と、サングラスに長髪というあの恰好は豊川さんが考え出したそうですが、それ以外にも、秋風羽織のセリフや動作などはすべて北川さんと豊川さんの2人があれこれ相談しながら作っていったそうです。お2人はず~っと仲良し友だちだったようですね。

もうひとつの「ロングバケーション」は、キムタクと山口智子が主演でしたが、あのドラマも、2人のお互いの恋心は行ったり来たりで、なかなか恋愛に発展しない、というドラマでした。それが最後に、2人が抱き合って結ばれるわけですが、今回の鈴愛と律も、恋に発展しそうでしない、という微妙な関係が続きます。これって、「ロンバケ」の2人と、似てると言えば似てますよね。ま、最後はどうなるかわかりませんけど。

そしてこのドラマのサブタイトルですが、第1週の「生まれたい!」から、「聞きたい!」とか「抱きしめたい!」とか、全てが「~したい!」というタイトルがついていますよね。先週は「風を知りたい!」だったし、今週は「君といたい!」ですしね~

実は北川さんは「炎症性腸疾患」という難病を抱えておられ、この朝ドラの執筆中も2度の入退院を繰り返されたとのこと。そんな中でドラマを書き続けたということですが、体のことを考えると落ち込んで神経が衰弱しそうになる。そんな時は、書くことによって自分を奮い立たせてきた、という北川さん。

「~したいという欲求こそが人間を突き動かして行くと思うんです。自分もこれまでの人生で追い込まれたとき、心からの渇望が生きる力に繋がりました」

と述べておられます。それが「~したい!」というサブタイトルを生み出したという、まさに傾聴に値する言葉だなぁ、と思いました。


 ~ 驚愕の結末 ~

そんな朝ドラも、来週いっぱいで終わりです。さて、結末はどうなるのか?
気になるところですが、北川さんはこんなことを言っておられます。

最終週のサブタイトルは「幸せになりたい!」で、最後は鈴愛なりのゴールをする。私は最後は大きな決断をしました。皆さんには驚愕するような展開になっていると思います。鈴愛は、ささやかだけど確実な幸せをつかむ。果たして、その「幸せ」はどのようなものなのか。ぜひ、最後まで見届けてください。

北川さんが言う「驚愕するような展開」とは、どういう展開だろ? 
あと2週間。見逃せませんね~

 

 

 

 

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なんとか歩けるように…

2018年09月13日 | 心と体と健康と

~前回の続き~

9月10日の月曜日は朝から緊張していた。一歩でも右足を踏み出すと、右のお尻が痛くて思わずしゃがみ込んでしまう。そんな状態で、この日は外出をしなければならなかった。どうしても行かなければならない用があったのだ。

そこはそんなに遠くはない。電車で15分くらいのところだった。そして目的地は、駅から歩いて約5分。普通なら目をつぶっていても歩いて行けるようなところだ。しかし今回は、普通に歩こうと思えば10mも無理なんだ。大きく前かがみしなければ前へ進めない。そこを歩いて行けるのだろうか?

そういうことだったので、前日の日曜日。なんとか痛みが出ない歩き方ができないものかと、いろんなポーズで家の中を歩き回った。歩くだけでなく、チョロチョロっと小走りに走ってみたりもした。いろいろやった。自分で言うのもなんだけど、それはそれは涙ぐましい努力だった。

グイーっと前かがみになったら痛みもマシなのだが、背中の曲がったお婆さんみたいだしね。ちょうど、僕が好きな横溝正史原作の映画「悪魔の手毬歌」に出てくる謎の老婆「おはん」のような恰好である。おはんを知らない人のために、ちょっと紹介しておきます(笑)。

 

   


この左上の腰が曲がって杖を突いている人が「謎の老婆・おはん」なのですが、実はこれは真犯人だった岸恵子が変装した姿だったのです(今日の話と何の関係もないやろ。おまけに映画のネタバレまでするか?)。

まあ笑い事ではないのですが、とにかく背中を折り曲げて歩くというのもやりすぎだし、目立ちすぎる。と言って、真っすぐ立って歩くとお尻に激痛が走る。そこで、さらにいろいろとやってみたのですが、何かの拍子でしたが、ある恰好で歩くとほぼ痛みがない、という歩き方を見つけたのです。ついに、見つけたぁ~

それはどういう恰好かと言うと

まずお腹に力を入れる。次にお尻を少しだけ後ろに突き出す。そしてそのままの姿で胸を張って前に突き出す。つまり、お尻を後ろに、胸を前に突き出す、である。

それだけではイメージは伝わりにくいですよね。わかりやすく言えば、あのスキーのジャンプの選手が、ジャンプ台からビョ~~ンと空中へ飛ぶときに取るポーズと似ています。


  


こんな感じです。まぁ、これをもう少し真っすぐ立ったスタイルを想像していただければいいと思います。つまりこの写真を縦にしますと、こういう感じ


  

お尻を後ろに突き出し、胸は張っていますよね。こういう格好で歩くと、右のお尻に痛みは生じないのです。

ほんまです。

さて、その歩き方を考え出したその翌日。つまりモンダイの月曜日ですが、大阪市内の会社へ出勤する長男が家に寄ってくれて藤井寺駅まで車で送ってくれました。駅から電車で座って目的地の駅まで。そして駅に着くと、そこから問題の「歩いて5分」の道のりに挑戦です。

駅のホームに立った僕。すぐには歩かず、体勢を整えます。

まず「お腹に力を入れるぞ」と言い聞かせてそれを実践。そして「お尻を後ろに突き出す」とつぶやき、ぐっとお尻を突き出して、最後は上半身をグイと反らせて胸を張る。これで準備完了だ。

そのまま、そろりそろりと歩き始めました。もう、周囲の目など気にしている場合ではありません。「お、いける、いける」と、お尻に痛みを感じないまま歩き、ホームの階段を下りました。不思議なことに階段の上り下りは、自転車をこいでいる時と同じように、全く痛みを感じないのです。

改札を出て、地下道をゆっくりゆっくり歩く。そして今度は上りの階段を登って地上に出る。ここも痛みは感じません。

そして外に出て、目的地へ向けて歩き出したわけですが、ここからが正念場です。この10日の月曜日というのは、近畿地方で大雨警報などが出ていた日で、朝から雨がザーザーと降っていました。なので傘を差しながら、お尻を突き出し胸を張り、チョコチョコと一歩一歩気にしながら歩く僕の姿は、きっと異様で滑稽だったでしょうね。でも、そんなことを見ている人もなさそうだったし、気にする余裕もない。僕は目的の場所まで、全身を固くして、必死で歩き、どうにか目的地に着いたのでした。やったぁ~

これを書きながら、またその時のことを思い出していますが、何といっても、その前日に「歩き方の工夫と練習」を繰り返したことが成功だったですね。

やはり、自分の体は自分で工夫しながら治してゆく、ということがとても大事だということを改めて感じました。

そして、今回のことをきっかけに、ウオーキングの際の歩き方も、研究の価値があるのかな~と思ったりしています。ただ歩けばいいってもんじゃないみたいだし。

さて、NHKのEテレで、毎週土曜日の午後8時から「チョイス」という番組があります。で、先日とても興味深いことがテーマとして取り上げられていました。タイトルが「その歩き方で大丈夫? ウォーキングのトラブル」というものでした。

内容は、腹横筋という、腹筋の一番内側にある筋肉を使えると、腰が安定し、歩くのが楽になり腰痛も改善されることもある、というもの。歩行中に体が左右に揺れる場合は、腹横筋が衰えている可能性もある、ということも言われていました。

とにかく、腹筋、それも腹横筋というものを鍛えると、ウオーキング後に僕みたいにお尻が痛くて歩けなくなるということもなくなるのではないかな~と思うわけですよね。

言い換えると、骨盤が大きく動く歩き方は、背骨を支える脊柱起立筋を傷めやすく、そのために腹横筋などを鍛えて体幹を安定させる…。腹横筋がちゃんとしていれば、体幹も安定して股関節を動かすための大殿筋、つまりお尻の筋肉がきちんと働くようになるそうです。今回の僕の場合、長距離ウオーキングをしたあとにお尻の筋肉を痛めたわけですから、この話と大いに関係がありそうですね。

このポイントとなるのがお腹の筋肉、ってことです。「歩く動作にあわせてお腹を出したり引っ込めたりしてお腹を動かすこと」これが、健康なウオーキングの基本なのだそうです。こうすることで、腹筋も強くなるんですね。

ここ2週間ほど、お尻が痛い、という初めての経験に自分が情けなくなったり、もうウオーキングを楽しめなくなるんだろうかと不安になったり、いろいろと感情が揺らぎました。その痛みが極限に達して病院へ行き、またその痛みから逃れられる方法を自分でも必死になって調べてみたことが、まあ、結果的にはよかったかな、と今は思っています。

そんなことで、今は特に「歩き方」を意識し始めています。昨日はわが家に来客があって、僕も家の中をウロウロしていましたが、時々お尻の痛みを忘れるほどでした。

また今日は、久しぶりに朝、例の「お腹に力、お尻を後ろに突き出し、胸を前に突き出して胸を張る」ポーズで家の周りを20分ほど散歩しましたがほとんど痛みはありませんでした。もっとも、これで完治したと思うのは、甘いです。まだまだ、症状は小さくとも続くと思います。今も、つい気を抜いて普通に歩いたら、やはりまだ、少しお尻は痛みますものね。

これからは、腹筋やお尻の筋肉を鍛え、歩き方もお腹を意識して歩くようにして、もとの丈夫な脚力を取り戻していきたいと思っています。

ど~も、ど~も。長々と、失礼しました。

 


前述のNHK・Eテレの「チョイス」です。ご参考までに。
腰痛などに関心のある方は、ご覧になったほうが良いかと… 


https://undo-tv.net/category/%e3%83%81%e3%83%a7%e3%82%a4%e3%82%b9/

 

 

 

 


 

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歩いたらお尻がめちゃ痛~い

2018年09月12日 | 心と体と健康と

8月27日(月)に阿倍野から住吉大社周辺をウオーキングをして、その翌28日から、右のお尻に痛みを感じ、普通に歩くことが苦しい状態になった、ということを前々回のブログに書きました。きょうはその話の続きです。痛みがいよいよ激しくなったのです。

「少し前かがみになって歩いたら痛みはなく、胸を張って歩くと痛い、という感じ。困ったもんです」とその時に書きました。しばらくは、断続的にそういう状態が続いたのですが、ある時は、痛いのを我慢して歩くと、しばらくすると普通に歩けたりしたものだから、ま、少し日が経てば治るだろう、と楽観していました。スポーツクラブにも行って軽い運動はしていました。ところが

痛みが出てから約10日後、先週の金曜日(9月7日)のこと。午前中はそれほどでもなかったのが、昼食後にソファで横になってウトウトとし、目覚めて立ち上がろうとしたとたん、右のお尻に激痛が走り、慌てて左足だけで踏ん張って立ち上がりました。そして右足を一歩前に出すとまた激痛。つまり右足に体重がかかると「いててて」となり、再びしゃがみ込む始末。痛みが出て以来、こんなひどい痛みは初めてでした。というか、これまで生きてきた中でも経験したことのない激しい痛みでした。それから、用心しながら立ち上がり、ぐっと前かがみになって歩いたらなんとか歩けました。しかしそんな姿勢でウロウロするのも、なんだかねぇ。

これがもっと悪化したら本当に歩けなくなるのではないかと、怖がりで心配性の僕は本当にそう思ったりもしました。

これはもう病院に行くしかない、と、翌土曜日、これまで何度か行っているS病院へ行きました。幸い駅から病院の送迎バスが出ているので、自転車で駅まで行き(自転車は痛みを感じずに乗れるのです)、そこから病院の専用バスに「よっこらしょ」と乗り込みました。

病院の玄関前でバスから降り、受付窓口までは普通なら数10秒で行けるのですが、そこへ歩いて行くだけでも一苦労。前かがみになり、痛くない左足をぐいと出し、次に痛い右のほうを軽く出して、またすぐに左足を出して、なるべく右足に体重がかからないようなヘンな歩き方で受付まで行きました。まぁ整形外科の専門病院なので、僕のような歩き方をしたり、松葉杖をついていたりする人も何人かはおられましたけどね。

順番を待っている間、妻も心配して病院へ来てくれました。大体こういうところには1人で来るんですが、さすがに今回は妻も心配だったんだと思います。

診察室で医師に状態を説明し、レントゲン室へ。そのレントゲンも、機械の前に立ち「はい、背筋と腰を伸ばしてください」と技師さんに言われても、そのポーズを取ると「いててて」となるので、なかなかまっすぐに立てずに、技師さんに助けられながらの撮影でした。やれやれ

再び診察室に呼ばれ、レントゲン検査の結果の説明を受けました。

実は3年前にも、「腰が痛い、足が突っ張る」というタイトルのブログを書いています。この時は今回とは反対の左のお尻から脚の裏にかけて痛んだので、ここの病院で診てもらいました。その時は今回ほどきつい痛みではなく、普通に歩いて少し痛い、という程度でしたが、診断名は、
腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)
というものでした。要は加齢などにより、腰の脊柱の骨と骨の間のすき間が狭くなっているとうものです。それによって、腰及び下半身にいろんな支障が生じるということでした。ただその時は「それほど重いものではありません」と言われたので、一安心でした。

で、今回の診断名は
変形性脊椎(せきつい)症
というものだそうです。実際には脊柱管狭窄症と似たようなものなんだそうです。しかし今回は、医師から、それがそのままお尻の激痛の直接原因なのかどうかはわからない、とも言われました。

言われてみれば、今回の場合、長距離ウオーキングをした翌日から、当初は少し軽い目でしたが、この症状が出たので、それが原因なのかな~と思うんですよね。医師も「歩き方が痛みに少し影響しているのでは?」と言っていました。ふ~む。歩き方ねぇ。ヘンな歩き方をしたのだろうか? その辺を検証しなければならないんですが、何となくわかる気がします。

そして、医師から「2週間ほど、痛み止めの薬を飲んで、リハビリをすることで様子を見ましょう」と言われて診察は終わりました。診察室から出て、次にベッドが20ぐらい並べてある広いスペースのリハビリ部へ行きました。ここへも過去2、3回来て、部位は違いますが、理学療法士さんから何通りかの運動やストレッチの指導を受けたことがあります。今回も理学療法士さんは、僕のお尻や太ももや腰などを抑えたり軽くひねったりし、また、いろんなポーズを取るように言って、「これは痛いですか? これはどうですか?」など、痛む部分をいろんな角度から分析し、足組みストレッチや仰向けになってのお尻上げ(これは痛くて上げられない)、あるいは四つん這いになって背中を丸めてお腹をへこませる運動などを、次回までに毎日するように、との指導を受けました。それで、約半日かかった病院をあとにした、というわけです。

それが今から4日前の土曜日でした。本当はその後数日間は外出は控え、家でゆっくり運動療法とストレッチをしながら、無理をせず、なるべく患部に負担をかけないようにして回復を待ちたかったのですが

実は月曜日に、何があっても絶対に行かなければならないところがあったので、その時には何とかして少しでも歩けるようになりたい、という強い思いがありました。そこで翌日の日曜日には、リハビリ療法はむろんですが、前かがみにならなくても右のお尻が痛まないような歩き方はないものか、と、それこそ人に見られると笑われそうないろんな歩き方を家の中で試してみました。なにせ普通の歩き方だと、痛くて10mも歩けないのですからね~ まさに悪戦苦闘でした。

で、どうだったの? ということですが、あまり長時間パソコンの前に座り続けるのも腰に良くないそうなので、今日はこの辺で終わります。続きはまた明日書くつもりですが、気を持たせるのもナンなので結論だけ言うと、必死の努力が実ったのか、何とか目的地に行き着くことができました。

それにしても、
先日「半分、青い。」の中のセリフで「生きとるのも大変やなぁ。次から次へといろいろある」というのを取り上げましたが、本当に次から次へと大変ですわ。

「人生、山あり谷あり」(良いこともあれば悪いこともある)という言葉がありますが、こう次から次へといろんなことが起きると、「山あり谷あり」ではなく

「人生、谷あり溝あり」ですわ。

つまり、沈み放しっ、ていうわけですね。トホホ。

 

 

 

 

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“最強台風“ に恐怖の大阪

2018年09月05日 | 日常のいろいろなこと

一昨日の9月3日から、テレビでは、四国や近畿へ「今世紀最強」の台風21号が上陸という大げさとも思える天気予報が流れていました。だいたい大阪は、四国・和歌山・奈良などよりも大きな台風や大雨の被害があまりない。そんなこともあって、僕らも「大したことはないやろ」と、どこか高を括っていたようです。でもその反面、今回はテレビなどであまりにしつこく「避難の準備を早いうちに」などと言い続けていたので、ホンマにすごいのかな? という不安な気持も少しはありました。

その日の夜には、モミィの学校からメールで「台風21号のため明日4日は休校とします」という通知が来ました。

そして9月4日を迎えたわけですが

朝は穏やかな天候でしたが、テレビで「大阪では午前11時から午後5時まで、十分な注意が必要です」と言っていたとおり、11時になった頃に雨が降り始め、11時半前後からそろそろ風も出てきて、1時を過ぎると本格的な台風の荒れ模様になってきました。

そして、午後1時半頃から2時半頃までの約1時間。

それはもう、恐ろしかったです!

ものすごい嵐。雨交じりの強風。そして何もかも吹き飛ばしそうな突風。何と表現すればいいのか。風の音ってこんな天地がひっくり返るような轟音だったのかって。

正直な話、生まれてから一度も聞いたこともないし、想像したこともない。

グァー ゴー バリバリー ビョーン ガガガガガー!

繰り返します。こんな恐ろしい風の音を聞いたのは、生まれて初めてです。家全体も、突風の瞬間にはグラグラっと揺れました。僕と妻は、顔を見合わせながら、あまりの恐怖に息を飲み、言葉も交わせませんでした。

別の部屋に行き、そっと窓を開けて外を見てみると、向かいの家の植木鉢やごみ箱や物干しざおが転がったり吹き飛ばされたりしている。あぁ、うちは昨日のうちにベランダの物干しざおを家の中に入れておいてよかったわ~

見ていると、ちょっと遠くの家のベランダの屋根のトタン板やプラスチック板が大きく揺れ、今にも剥がれて飛んで行きそうな勢いである。あぁ、こわ!

僕たち3人は一カ所にかたまって時を過ごした。しかしモミィはマンガを夢中になって読んでおり、台風には無関心な様子。ま、子供って、こんなもんでしょうかね~。

3時頃になって、やっと少し収まり「普通の台風の音」に変わってきました。それまでは全く普通じゃなく、生まれてから今まで聞いたことがなかったような滅茶苦茶な暴風雨でしたからね~

あぁ、やれやれ。

日が暮れかけた頃は、雨も止み、風も収まりました。お陰さまで、わが家は特に被害というようなものはありませんでした。

モミィの学校からは昨日の夕方にまたメールが来て、「今回の台風の影響で、学内整備の必要が出ました。明日(9月5日)は、休校とします。学校へは登校しないようにしてください」という内容でした。そんなことで、モミィにとっては思わぬ2連休でした。

今回の台風は大阪市内を中心に甚大な被害が出ましたね。こんなことって、昭和36年の第二室戸台風以来だということでした。あのとき僕は小学生で、父母にすがりついて、近所の人たちとどこかの建物に避難したような記憶があります。

さて、今回一番大きく報じられているのが関西空港ですね。滑走路が高潮で冠水したうえ、タンカーが空港への連絡橋に衝突して橋の一部が壊れ、今は開港以来初めての閉鎖状態になっており、復旧の見通しはたっていない、とのことです。

この関西空港は1994年(平成6年)の9月に開港しました。開港の数日後に僕たちは家族旅行で関空から北京へ向けて飛び立ったので、開港時のことはよく覚えています。その開港日が9月4日でした。で、昨日の災害も9月4日。偶然ですが24年前に開港したのとまったく同じ日に、こんな悲惨な事態が起きてしまったんですよね。

6月には大阪が震源地の大きな地震が起きてビックリ仰天しましたが、今回はまた「最強台風」が大阪を直撃しました。今年はどうも大阪にとっては厄災の年のようです。

う~ん。それにしても、昨日の台風は、本当に怖かったですね。

 

 

 

 

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