僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

“健康寿命” を伸ばす人たち

2016年01月31日 | 日常のいろいろなこと

藤井寺市の駅前にある「フィットネスクラブ・コスパ」には、
木曜の休館日と土・日を除く週4回、通っています。
時々、つい面倒になって行かない日もありますけど。

しかし、それにしてもここは高齢者が多い。
(人のこと、言えませんけどね~)
プールなどは70歳以上の人が、わんさといる。
泳ぐより、歩いている人のほうが多いけれど。
その、だいたい7~8割ぐらいが女性ですね。

プールで歩きながらおしゃべりに忙しい人たちも多い。
でもまぁ、おしゃべりも大事ですよね。
男性はムツっとしている人が多いけれど、
女性陣は、だいたいみんな、和やかです。
ここが男女の平均寿命の違いか…とも思ったり。
「健康寿命」となると、もっと男女差が出るのでは。

先日、泳ぎ終わってジャグジーに入っていると、1人の女性が、
「あぁ、ちょっと泳いだらしんどいわ。今日はこれぐらいにしとくわ」
とため息まじりに言ったら、お連れの女性が、
「ちゃんと泳ぐ練習しておかないと、三途の川を泳いで渡られへんでぇ」
と大声で言ったので、横にいた僕も思わず吹き出してしまった。
かくのごとく、女性たちはおしゃべりを楽しんでいる。

まあ、年齢層で言うと、プールより、
ジムのほうが若い人も多く、幅広い。
それにジムは男女比がほぼ半分半分である。
こちらは、黙々とトレーニングに励む姿が多く見られます。

この「コスパ」は十何年か前にできたそうだが、
最初からここに通っているという女性の話では、
当時は、平日の午前などはほとんどが女性で、
「男の人の姿を見つけるのが難しかったほどよ」とのこと。
「でも今は、まわりに男の人が本当に多くなったわ」と言う。
定年退職してフリーの身になった男性が、それだけ増えてきたわけだ。
新聞等によると、高齢者の体力が最近はグンと上がってきているとか。

ジム通いに限らず、ウオーキングをしている年配者もあちこちで見かける。
体の健康と脳の活性化には、歩くのが一番いい…とよく言われていますし。

それと、運動をして体を鍛える、とか、
運動が好きだから来ているとか…いうより、
リハビリみたいな感じでクラブに通っている人も多い。
「来たくないけど、運動せな、あかんしなぁ」とか、
「毎日、仕事に来るつもりで、無理に来てるねん」とか、
「ボケ防止のために来てます」や「寝たきり防止ですわ」
などという人たちも大勢いる。

中には、
「ずっと家におったら女房が『はよ行きや』と追い出しよるねん」とか、
「家にいたら旦那と2人きりやから、息苦しいねん」という人も多い。
こうなると「フィットネスクラブ」という看板文句も、
かなり実態とはかけ離れていますね~(笑)

それでもやはり、ここへ来ると顔見知りも増え、
そういう人たちとの会話も、いい気分転換になります。
運動も大事だけど、人とのコミュニケーションも大切。
僕はプールとジムと両方行っているので、
男女の「お友達」もいろいろと増えました。

出かけると、道端やスーパーや電車の中などで、
「あ、こんにちは~」と挨拶をするケースが増え、
妻も「知り合いの人が沢山いるのね~」とびっくりしている。

その昔、モミィの幼稚園への送り迎えでそのお母さん方と知り合い、
また、ECCやヤマハ音楽教室やキックベースやダンスクラブなど、
モミィの習い事に付き添っていたことで知り合ったお母さんたちも多い。

だから、たとえば駅まで約20分の道を歩いていると、
必ずといっていいほど、そういう誰かと会ったりする。
たいていは、お母さんたちかコスパで会う人たちです。

不思議なもので、仕事をしていた頃は、
仕事関係以外では、近所の人ぐらいしか知り合いはいなかったが、
今では、わが人生の中で最も知り合いが多くなった…と言えます。

ただ、これは笑い話になるのかも知れないけれど、
新しい知り合いが次々と数多くできてくると、
古い知り合いの顔を忘れてしまうのだろうか?

最近、僕はそんな経験を何度かしました。
次回にそのことを書いてみたいと思います。

 

*今日はこれから、ウダウダ会で京都へ出かけます。
 ウダウダ会は歩く会なので健康にとても良いはず。
 しかしあとの打ち上げの席で飲みすぎてしまうので、
 結局、体に良いのやら、悪いのやら…

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英検 自己採点の結果は…?

2016年01月29日 | モミィの成長日記

去年10月の英検のときは気がつかなかったが、
試験のあった24日の翌日の午後1時以降に、
英検ウェブサイトで解答速報が出ていた。
そんなこと、な~んにも知らんかったわ~

前回はそれと知らず、モミィが持ち帰った問題用紙を僕が採点し、
それも、採点できるのは筆記試験だけだから、リスニングの方は、
モミィが「できた」と言うので、合格したかな~と思っただけで、
試験の約2週間後に発表された結果を見て正式に合格を確認した。

今回も、筆記試験だけを当日午後に僕が採点し、
35問中21問が正解という成績だった。

そのことは、前回のブログに書きました。
あと、リスニングで何点取れたかは、わからない。
…と、そんなとき、

持ち帰った問題用紙の一番裏面をたまたま読んでいると、


■試験の結果について■

英検ウェブサイトでの解答速報
http/www.eiken.or.jp
*1月25日 13:00以降


と書かれているではないか。
「えっ、もう解答が出てるの!」
僕は色めき立って、しかし心臓ドキドキする気持ちを抑えながら、
モミィの問題用紙とパソコンを並べて、そのサイトを開きました。

そこに全65問の正解番号が書かれていた(試験は4択ですので)。

これと、モミィの問題用紙を見比べれば、結果がわかる。
まず最初の筆記試験35問は、先に僕が採点した通りだった。
35問中21問の正解だ。ただし、1問だけ、モミィが
答えを書き写していないところがあったので、
これを不正解とみなして、21問正解ということです


  
  英検4級の問題用紙。
  これを開くと問題が15ページにわたって出てきます。

 


 
 こちらは筆記試験の問題。解答用紙は1枚物で別にあるのですが、
 モミィは正解と思われる番号に〇をして解答用紙に書き写しました。
 〇や×のしるしは、当日に僕が自分で正解を考えてつけました。
 (こういうことができるのは4級まで。3級以上はムリで~す

 

そして問題の、リスニングの30問です。

本人は出来たと言うので、20問は合っているだろうと思いながら、
パソコンの解答画面と手元の問題用紙を交互に見て、〇×をつけていく。


 
  これがリスニングの問題の一部です。
  これだけ見ても、正解かどうかわかりませんよね。
  (緑のマーカーは僕が〇つけをするのに使ったものです) 


解答速報で採点した結果、リスニングは、30問中、25点でした。

筆記試験が21点で、リスニングが25点。ということは…
合計で、65問中、46点取れていたことになります。

各級の合格点は、2月2日の午後3時半からこのサイトで発表されます。
が、
前回も書きましたが、ここ10年間の4級の合格点は38点~40点です。

ということは、46点あればまず合格は間違いないかな~と、思います。

2月5日の正式発表を待つまでは手放しでは喜べませんが、
たぶん合格しただろうと、妻とひそかに祝杯を上げました。

それでも、解答速報の存在も含めて、モミィにはまだ内緒にしています。
知ったら友達にきっと言うだろうし、万が一ということもありますから。
「ギリギリで合格しているかなぁ…」と僕が言うと、
「どうなったか早く知りたい気持ちと、怖い気持ちと、ふたつあるわぁ」
と言いながらも、もう頭は別のことに切り替わっているモミィです。

それにしても、モミィがリスニングが得意なのは、
やはり、小学2年から3年まで、ECCに通って、
外国人講師の発音に慣れていたからだと思います。

途中でやめてしまいましたが、
あの期間で身についたものは大きかったようです。

まあ、2月5日に正式に「合格」を確認するまでは、
浮かれるのは、まだ少し早いかなぁと思っています。

2月5日は妻の誕生日。その日…
合格が確定したら、大々的に祝杯を挙げなければ。
と、飲むことばっかり考えている僕です。へへっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英検 無事に終了

2016年01月26日 | モミィの成長日記

24日(日)にモミィの英語検定がありました。
今回は、4級へのチャレンジです。

この日は、全国的に未曽有の大雪が降る、との予報があり、
試験が無事に行われるかどうか心配で、英検協会のHPに注意しました。

そこに〇〇の会場の試験は中止になりました…とあったので、
よく見てみると、「ニューヨーク会場は中止」とのこと。
英検って国内だけでなく、海外でも行われているんですね。

九州、中国地方等の会場は、悪天候で参加できなかった受験者は、
次回6月への繰り越し受験をしていただくことになります…
と、試験当日の英検HPに告知されていました。
大阪は寒いことは寒かったけれど、雪も降らず、やれやれ。

モミィの試験会場は、大阪教育大学天王寺キャンパス。
ここは阿倍野から歩いて10分ぐらいの場所だったので、
電車1本で簡単に行ける便利な位置でした。

試験は午前10時から始まりました。
僕と妻は、保護者控室の教室へ行って、時間待ち。
4級は、筆記問題が35問あり、制限時間は35分。
そしてリスニングは30問で、所要時間は30分。
保護者控室は、ほとんどがママ、つまり女性で、
男性の姿は、ごくわずかしか見受けられませんでした。

1時間余りの待機時間はすぐに経過し、僕たちは教室前へ。
やがて、試験を終えた子供たちがぞろぞろ出てきました。
ちなみに、教室内には100人以上の受験生がいましたが、
全員、見た感じ、小学生みたいでした。
中高校生、あるいはその他の受験者もいるはずですが、
年齢別に試験場所を分けているのでしょうか。

さて、ぞろぞろ出てきた中にモミィを見つけたのですが、
モミィは頬を真っ赤にして「暑かったわぁ」と第一声。
「それより、どうやった?」と試験の出来具合を訊く。
「う~ん、できたと思う」という返答にまずホッとした。

前回の5級の時は「できたぁ」と威勢よく出てきたけれど、
今回の4級はかなり難しいのでどうかなぁ、と思っていた。
第一声が「難しかったわぁ」と言うのかと予想していたが、
「できたと思う」という言葉だったので、まずはよかったです。

1月に入ってから、かなり一生懸命に勉強していたので、
僕としては今回合格しなくても、努力は無駄にはならない、
と考えていました。まあ、誰でも考えることですけど。
ダメでも、次はまた6月に英検はありますからね~

試験は、問題用紙と解答用紙が別々なので、
問題用紙のほうは、持ち帰っていいことになっています。
試験はすべて4択です。

前回同様、問題用紙にモミィが自分の答えを書いていたので、
筆記試験は、モミィの解答が合っているかどうか、
その日に一応、僕のつたない英語力ですが、採点をしました。
試験が終わって、あべのキューズモールでお昼を食べ、
そのあと2人がショッピングに行ったあと、僕は、
その辺にある椅子に座り、問題用紙を広げて「採点」したわけ。

筆記試験は35問あり、僕の採点では正解は21、つまり21点でした。

あと、リスニング試験は用紙を見ただけではわからないのですが、
モミィはもともとリスニングが得意で、5級の時は満点でした。
今回、リスニングは30問あり、モミィによると、
「リスニングはほとんどわかった」と“豪語”したので、
30問中、例えば20問正解だとすると、筆記と合わせて計41点。
4級の合格ラインは、65問中40点前後だと言われているので、
「う~ん、どうかな。ギリギリ合格してるかなぁ」
という感触でした。結果は2月5日に発表です。

大雪予報も、大阪は青空が広がるほどで、事なきを得ましたし。
まずまず、気になっていたことが無事に終わって、一段落です。

そして今日は僕の2ヵ月に一度の徳〇会病院での検査日です。

モミィの試験が終わったら、今度は僕の「試験」ですわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人力士 10年ぶりの優勝

2016年01月24日 | スポーツの話題

いやまぁ、うれしかったです。きょう、大相撲初場所の千秋楽。
大関・琴奨菊が豪栄道に勝ち、14勝1敗で初優勝を飾りました。
ご存知のとおり、日本人力士が優勝するのは実に10年ぶりでした。

ちなみに僕は、大阪府出身の豪栄道のファンですが、
今日だけは「琴奨菊がんばれ~」とTVに向かって叫んでいました。

何しろ10年ぶりですよ、10年ぶり。
そんな長い期間、日本人力士の優勝はなかったわけで…
2006年初場所の栃東以来、というんですからね~。
何が国技なんだ…と愚痴のひとつも言いたくなりますわ。

無敵の強さを誇った白鵬がやや衰えてきたと思ったら、
またモンゴルから照ノ富士みたいな強いのが出てきて…
もう自分が生きている間は日本人力士の優勝はないのか、
と思っていた時に、よくまぁ、日本人力士が優勝してくれたことだ。

本当に琴奨菊はよくやってくれました。
土俵下のインタビューでは、笑顔と涙目がとてもよかった。
毎回モンゴル勢ばかりのインタビューに飽き飽きしていたが、
久しぶりに胸が熱くなるようなインタビューを聞きました。

やはり大相撲は、日本人力士が活躍しなければ面白くありませんね。

ところで、これまで日本に帰化した外国人力士は数多くいますが、
大相撲では、日本国籍になっても慣例上「外国人力士」とされていました。

で、僕は「日本人力士が10年ぶりに優勝」と書くわけですが、
マスコミなどでもず~っと「日本人力士」と言っていたのに、
なぜか最近になって新聞・TVなどでは「日本人力士」と言わず、
「日本出身の力士」という呼び方に変えています。けったいやなぁ。

「日本人力士」とか「外国人力士」とか呼ぶのが不都合なのだろうか。

今回の琴奨菊の優勝も、NHKの放送の中で、
「日本出身の力士として10年ぶり」と言っていましたものね。

しかし「日本出身の力士」…ってねぇ。なに、それ?
宮城県出身とか愛知県出身とか福岡県出身とかは言うけど、
ここは日本なのに「日本出身」って、普通は言わないでしょう。

何となく変な感じですが、…う~ん、まあ、いいか。
日本人力士の10年ぶりの優勝に改めて拍手を送ります。

ぱちぱちぱちぱち     

それにしても白鵬はどうしたんでしょうね。
昨日、今日と、あまりにモロい負け方でしたが。

次は3月に大阪で行われる春場所です。
今度は地元となる豪栄道に、ぜひ優勝してもらいたいですね。

 

今日はモミィの英検の日でした。
 次回は、それについて書きます。
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英検4級へチャレンジ

2016年01月22日 | モミィの成長日記

あさっての日曜日、全国で英語検定試験が行われる。
モミィはそれに向けて、最後の追い込みに入っている。
僕もその日が近づくにつれ、少しばかり緊張が高まっている。

英検は年3回(1月、6月、10月)行われ、
去年の10月、モミィは初めて5級を受け、
50点満点中49点をとり、合格した。
そして今回、4級にチャレンジする。

モミィと英語とのかかわりを振り返ってみると

2013(平成25)年の4月、小学2年生になりたての時、
ECCへ入って、外国人講師のもとで英語に親しんだ。

翌年の2014年2月に、初めて児童英検というのを受検した。
児童英検には、ブロンズ、シルバー、ゴールドの3段階があって、
最初は一番やさしいブロンズから受けて、合格した。
次は6月に行われたシルバーだったが、これも無事合格。
そして10月下旬に難関のゴールドにチャレンジし、合格した。

その10月に、月曜日に通っていたECCをやめた。
同時に水曜日に通っていたヤマハ音楽教室もやめた。
3年生後半になり、難しくなってきた学校の勉強に力を入れるためだ。
モミィの希望で、友達がいる近所の学習塾に行くことになったのだが、
それが毎週月曜と水曜だった。ECCもヤマハもやめざるを得なかった。

モミィはほかにも、金曜日にマック体操教室、
土曜日には僕も通っているスポーツクラブのスイミングへ行っている。

そして、先月、ECCジュニアの「英検対策コース」
というのがあるのを妻がチラシで見つけ、申し込んだ。
だからモミィはいま、月・水と学習塾(学研)。
火・木とECCジュニアの「英検対策コース」
金曜日が体操教室で土曜日がスイミングだ。
日曜日を除くすべての曜日に習い事がある。

さてその英検だが、去年の10月に受けた5級に比べると、
4級というのは各段に難しくなっている。

モミィが最初に戸惑ったのは、動詞の過去形である。
まだbe動詞と一般動詞の違いもよく分からなかったのが、
今度は過去形が出てきて、特に一般動詞の不規則動詞がややこしい。
原形(現在形)の動詞もさほどの数を覚えていないのに、
不規則動詞過去形が出てくるので、余計に意味が分からない。
やはり、英検は何といっても単語力がモノを言うわけだけれど、
4級は動詞の現在と過去の両方を覚えるのがまず一苦労である。

さらに未来形も出てくる。それもwillだけではなく、
be going to の形も出てきて、ややこしい。
go と言えばモミィの頭の中で「行く」とインプットされており、
going なら現在進行形と思ってしまい、未来形との区別ができにくい。

そのほかにも、more を使った比較級も出てくるのだから、
そりゃ、小学生にとっては大変だろうなと思う。

正直言って4級は、5級に毛の生えた程度のものと思っていたので、
これだけ難しいというのは予想外だった。

そんな調子だから、僕も根気よくつき合わなければならない。
結局英語は、深い意味を考えず、そのまま覚えるに尽きると思う。
そのことを、モミィに繰り返し繰り返し説明するのである

本人はやる気満々で、ECCジュニア「英検対策コース」へ通い始めてから、
そこには学校の友達もいるので、がぜん張り切っているようである。
とにかく、そのおかげで僕も少し気分が楽になった。


昨日の木曜日、ECCジュニアから帰ってきたモミィは、

「先生が、わたしの4級合格の確率は70パーセントと言った」
そう言って白い歯を見せ、息を弾ませた。

僕はひそかに「今回は合格は無理かも」と思っているが、
モミィを合格させようと一生懸命になってくださっている先生が、
「合格確率70パーセント」と言ってくれたのは一筋の光明だった。

そんなことで、本番まであと2日となった。
明日の土曜日は、ECCジュニアの先生が、特別に、
『試験前日の最後の総仕上げ』をしてくれるそうである。

さてさて、明後日の試験、どうなりますことやら。

 

 


*モミィの英検に関する過去ブログ

2015年8月18日
「聴く」と「読む」との大違い ~ モミィ 英検へ奮闘 ~

10月12日
英検 無事に終わりました

10月24日
英検 結果がわかりました

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五十歩百歩

2016年01月19日 | ズレズレ草

モミィが宿題をしながら、言葉の意味を聞いてくることが多い。
聞かれたほうは、とっさに、どう答えていいかわからない時がある。

国語の漢字ドリルで、「幸先」という言葉が出てきたとき。
「さいせん」と振り仮名を打ったモミィに、妻が、
「『さいせん』じゃなく『さいさき』と読むのよ」と教える。

「あ、そうなん。ふ~ん。『さいさき』って、どういう意味?」
モミィも妻も、2人して、近くにいた僕のほうを見る。

こういう説明は本当にむずかしい。
「え~っと、前ぶれ…とか、あの~、つまり幸先がいいとか言う…」
と、僕もどう伝えたら10歳の子にわかるかを考えながら、ぶつぶつと。

で、その前に見ていたサッカーの日本対北朝鮮の試合を思い出し、
「あの時のサッカーの試合でね、日本がいきなり1点を取ったよね」
「ふん、ふん」
「それを放送で『日本、幸先のいいスタートです』と言ってたやろ」
「ふ~ん?」
「つまり、勝つという目標に向けて、いい前ぶれということで…」
と、何だかよけいにわけのわからないことを口走る。
しかし「幸先が悪い」という表現もあるので、いいことだけとは限らない。
「え~っと、悪い前ぶれと言うこともあるし、つまり前ぶれということね」
「……」

そんな具合である。

「五十歩百歩」という意味を問われたら、
「五十歩も百歩も、少しの違いだけでほとんど変わりのないこと」
と説明をしたら、
「でもね、テストで50点と100点やったら、えらい違いやで」

そりゃまぁ、そうだけど…。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阪神・淡路大震災から21年

2016年01月17日 | ニュース・時事

      ↑ 震災発生から1週間後(1995年1月24日)の新聞記事


6,434人の方々が亡くなった阪神・淡路大震災から、21年が経った。

今朝のニュースを見ると、どのチャンネルも、被災した各地域で、
地震が起きた午前5時46分に合わせて犠牲者に黙とうが捧げられていた。


“あの日”は、大阪に住む僕にとっても、忘れられない日である。
1995年(平成7年)1月17日の午前5時46分に、震災は発生した。
15日(日)が華やかな成人の日で、16日(月)が振り替え休日だった。
まだ成人の日が1月15日だった時代で、翌日がその振り替え休日である。

そして次の17日の火曜日は3連休も終わり、
「さあ、また仕事に戻らなければ…」という日でもあった。


午前5時46分のことだから、僕はまだ寝ていた。
グラッと揺れを感じて目が覚めるとすぐ異常に気がついた。
「あっ」と思っているうちに、ガタガタガタっと天井や壁が揺れ出し、
大地震を経験したことのない僕や妻は何をどうしていいのかわからず、
ただ布団にうつぶせて揺れが収まるのを待つばかりだった。
ひたすら布団の中で身を硬くし「早く止まってくれ」と念じていた。      
2階のキッチンで、ガチャンガチャンと食器などが落ちている音がした。

 …ようやく揺れが収まり、NHKテレビをつけた。
臨時ニュースで、キャスターが、早くもこの地震を報じていた。
まだ真っ暗な神戸の街の生の映像が流されていた。
これで、地震の中心が神戸だったことを知った。

 現地にいた記者は、
「外に出てみましたが、今のところ大きな被害は出ていないようです」
…と、伝えていた。

 僕は、ホッとしてテレビを消した。
「あぁ、大したことなかったんだ。しかし、すごく揺れたな」
台所で床に落ちた食器類を妻と2人で片付けて、
僕はそのまま、朝のジョギングに出た。
そのあと、いつものように自転車に乗り、勤務先へ行った。

仕事中にはもちろんテレビは見ていない。
だから、まさか、これほどの大災害であったとは…
そんなこと、仕事をしている間は夢にも思わなかった。

帰宅して妻から「すごい被害が出ているよ」と教えられ、事態を知った。
街中が炎に包まれたり、高速道路が崩れ落ちたり、驚くべき惨状だった。


その1月17日から同25日までの新聞を手元に残している。
時々、紙袋に入れたそれらの新聞を取り出して、読む。

 地震があったその日の夕刊で報じられた死者は333人であった。
それが翌日の朝刊では、「死者1590人・不明1017人」となっていた。
その後、新聞が配達されるたびに、死者の数が増えて行った。

 
  
   1995年1月17日(地震当日)の夕刊  

 

  
  同じ1月17日夕刊の社会面。
  高速道路が途中で折れて、バスが落ちかけている写真などもあった。

 

  
  翌18日(水)朝刊。
  地震発生から半日が過ぎても燃え続ける神戸市街。


 
  同18日夕刊。
  激しい地震で家が倒れ、焼け野原になった神戸



 
 1月19日(木)朝刊。災害の全貌が、徐々に明らかになってきた。
 写真では活断層が動き、地表に生じた亀裂が一直線に延びていた。

 
  同19日夕刊。
  19日になっても、三宮中心街の高層ビルで火災が発生した。
  (写真は、煙に包まれる高層ビル)
  救助に当たった自衛隊や機動隊は、生存可能者を優先した。
  生き埋めになった遺体の捜索・搬出まで手が回らないので、
  それらを地元住民の手で行なった地域も少なくなかったという。

  
 
  1月20日(金)の朝刊。
  写真は、倒壊したビルの中から57時間ぶりに救出された子ども。
  この9歳の男児は、救出の瞬間「まぶしい」とつぶやいたという。
  新幹線の新大阪~京都間はこの日から運転が再開された。


 
  1月21日(土)朝刊。
  当初、震度6と発表されていたが、気象庁の詳しい調べで、
  神戸の三宮地区と淡路島北部は震度7だったと判定された。
  昭和24年に震度7の震度階が設けられて以来、実際に
  震度7が確認されたのは観測史上初めてとのことだった。
  (5年前の東日本大震災の時の宮城県も震度7だった)

 
 
  1月24日(火)朝刊。震災から1週間が経った。
  死者はついに5,000人を超えたと報じられた。



この震災で命を失われた方々の数は、
最終的には6434人となりました。

 改めて、追悼の意を表し、心より御冥福をお祈り致します。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桂春団治さんのこと

2016年01月16日 | 日常のいろいろなこと

学生時代から上方落語が大好きだった。
寄席の舞台にもよく足を運んだ。

特に好きだったのは、桂米朝と桂春団治だった。


その米朝さんが去年3月に亡くなられたと思ったら、

今度は春団治さんが亡くなられた。

年齢的にも、もう高座は見られないのはわかっていたが、
やはり、亡くなられたとなると、寂しさがこみ上げる。


春団治さんの落語は、新聞等で書かれているように、華麗だった。

そして、話しながら、羽織をさっと脱ぎ捨てる仕草も粋だった。

十八番(おはこ)の「代書屋」などは、僕は全部暗記して、
近大の学生だった頃、小さな舞台でそれを演じたこともある。

それを見たケイコさんという女友達が、
当時、関大出身の桂三枝(今の文枝)が人気上昇中だったことから、
「あんたも、落語とかのお笑いの世界に入ったら人気が出るかもね。
 普通のサラリーマンになるより、ずっと楽しい人生を送れるわよ」
などと真剣に、僕に落語家になることを薦めたことを思い出します。


それだけ大好きだった落語。

米朝、春団治をこの目で見て、この耳で聴ける幸せを感じていた。

梅田のホールへ落語会を見に行ったある時、
トリに春団治が出てきて「皿屋敷」を演じた。
お菊さんが井戸から「うらめしや~」と出てきて、
「いちま~い、にま~い、さんま~い」と数える噺だけれど、
僕はそれ以来「皿屋敷」にハマり、本を買ってこれも全部暗記した。
しかし、それは社会人になってからで、人に聴かせる場もなく、
仕方なく、妻の姉の家に遊びに行ったとき、そこで一席ぶった。
皆、こんなものを聴かされて、さぞ迷惑したことでしょう(笑)

その春団治さんの「皿屋敷」が明日17日(日)午後2時から、
NHK・Eテレで全国放送されますので、ぜひご覧を。


ところで、

春団治さんが亡くなられたのは1月9日でしたが、
その日は、
僕の誕生日でした。

……不思議な縁を感じます。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SMAP騒動もゲスの極みも…

2016年01月15日 | ニュース・時事

~ SMAPは解散してしまうのか ~


テレビワイドショーはいま、芸能ニュースが花盛りだ。

中でもSMAPの「解散騒動」は新聞一般紙の1面まで賑わし、
NHKの全国ニュースでも取り上げられたほどの話題となっている。

巷で言われているのは、ジャニーズ事務所と、
飯島三智というSMAPの女性マネージャーとの対立が発端だ。

すでに、1年前の週刊文春に

ジャニーズ女副社長
「娘と対立ならSMAP連れて会社辞めろ」
と飯島マネを公然と叱責

という記事が出ていて、両者の対立は結構知られていたようだ。

ジャニーズ事務所の創始者である社長はジャニー喜田川という人で、
同性愛者で男性タレントに手を出し、社会問題になったこともある。
アメリカで生まれたので「ジャニー」というそうで、
ジャニーの姉がメリーで、その娘がジェリーという。
テレビで、ジャニーだのメリーだのジェリーなどと言われても、
ジャニーズに詳しくない人たちは、誰が誰だかよくわからない。

しかしこのジャニーズ事務所の力というのはものすごいらしく、
例えば紅白歌合戦などもすべてこの事務所の意向が優先される。
司会は嵐からV6の井ノ原快彦に変わったが、これもジャニーズ。

一説によると、SMAPを司会に推した飯島マネをはねつけて、
V6のメンバーである井ノ原にし、また紅白最後の大トリには、
ジャニーズが今、SMAPに変えてリーダー格にしようとする
近藤真彦が登場した(これには、どひゃ~んだったけど)。
ということで、これらが今回の騒動の引き金となったという。

ともかく、NHKも言いなりにさせる力を持つジャニーズ事務所だ。

一方、そのジャニー喜田川もその姉のメリーも共に超高齢となり、
そろそろ、メリーの娘ジェリーが次期社長候補と見なされている。
しかし、SMAPをここまで人気者にした飯島マネもその実績から、
ジェリーを脅かす存在となっていたことも事実だったらしい。

そういうことから、1年前の週刊文春で、女副社長(メリー)が、
飯島マネに対し「娘と対立ならSMAP連れて会社辞めろ」
と怒ったという話が報じられた、ということだったのである。

去年、NHKの日曜のお昼の「のど自慢」にSMAP全員が出演した。
僕もこれを見て、なぜSMAP全員が出てくるのかと不思議だったが、
それも、飯島マネが、紅白でSMAPに司会をさせようとして、
NHKにサービスした、という意図だったとも言われている。

つまり今回は、まあ、ジャニーズ事務所と飯島マネの争いに、
SMAPが巻き込まれたと、いう形になってしまったようだ。

こういう一連の騒動を見ていると、ジャニーズ事務所が、
「SMAPがいなくても、ウチには嵐をはじめスターが目白押しなんだ」
と考えているようなフシがあるようにも窺える。
(わが家ではモミィが嵐のファンで、妻がSMAPのファンです)

で、キムタクを除く4人は飯島マネを慕って事務所を出るという。

SMAPは本当に、報じられているように解散するのか…
果たしてどうなるのか、成り行きが注目されるところだ。
でも結局は解散せず、ムニャムニャとなって元に戻るのだろう。 
SMAPが消えるなんて、考えられないもの。 知らんけど(笑)。


しかし民法の各テレビ局も、ジャニーズ事務所には逆らえないので、
この問題も、今以上のことを、根掘り葉掘り話題にはしないだろう。
現に、今日の各局の朝刊テレビ欄のワイドショーのところには、
SMAPの話題は書かれていない。取り上げても形ばかりだろう。
小さな事務所に所属するベッキーのことは大々的にバッシングするが、
ジャニーズ事務所のような巨大組織の話には、常に
消極的なのである。
こういうところが、テレビ局の保身的でいやらしいところである。

それにしても、

最近はいろんな芸能ニュースが“同時多発”していますね。

ベッキーの不倫騒動に、DAIGOと北川景子の結婚、
船越英一郎と松居一代の離婚騒動とか…

あの松居一代というのは、何とも印象が悪いですな。
記者に取り囲まれても、ヘラヘラと作り笑いをふりまき、
都合の悪い質問は巧みにそらせて、自分の宣伝にすり替える。

ベッキーの場合は、「不倫相手」の男が、
「ゲスの極み乙女。」というグループの川谷という男で、
このグループ名を初めて見たとき、げげぇ~とのけぞった。
最近は、奇妙な名前のバンドがいっぱい存在するけれど、
それもここに極まったという感じで、文字通り「ゲスの極み」。
ベッキーばかり叩かれているが、男のほうは知らん顔である。
それどころか新曲「両成敗でいいじゃない」が、より注目されているそうだ。
なんだかなぁ~

昨日発売された週刊文春には、川谷の妻(一番気の毒な人だ)が、
記者に「涙の激白」をしたと、これもワイドショーで言っていた。
川谷は、ベッキーと付き合う前も別の女と付き合っていたそうである。

この話がもう1ヵ月早く出ていたら、去年の流行語大賞は、

ゲスの極み

に決まっていたかもね。 知らんけど。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「真田丸」 が始まりました

2016年01月13日 | 映画の話やTVの話など

この日曜日から、いよいよ待望のNHK大河「真田丸」が始まった。

僕はこのドラマを、おととしの12月から楽しみにしていた。
その当時のブログで、

「来年の大河は幕末の長州藩を舞台にした『花燃ゆ』というドラマとのこと。
そして再来年の2016年が、真田幸村を主人公とする『真田丸』だという」

と書き、去年2月には「来年の大河『真田丸』に期待」との記事も載せた。

春先には、大坂の陣における真田幸村ゆかりの地も、歩いたりした。
そんなことで、1年以上も前から首を長くして待っていたドラマだった。

そして、ついに始まった第1話を、ワクワクしながら見た。

ここではまだ真田幸村(源次郎信繁)は15歳の少年だった。
好奇心や冒険心が強く、賢そうな少年を、42歳の堺雅人が好演している。
ちなみに、1歳違いの兄・信幸(源三郎)を演じる大泉洋も42歳である。

まぁ、2人の42歳が15歳と16歳を演じるわけだけれど、
さほど不自然さはない。2人はうまくかみ合っていた。
慎重な兄と、冒険的な弟という構図も、わかりやすい。

名前は、長男の信幸が源三郎で、次男の幸村(信繁)が源次郎だ。
ドラマの中で、2人の姉である松(木村佳乃)の夫が、
なぜ長男の信幸が源三郎で次男の幸村が源次郎なのかと首をひねる。

その理由は、真田家は代々長男が早く死ぬことが多かったので、
名前を長男らしくない源三郎にした…と松が説明するシーンがある。
でもなぜ、その弟の幸村が源次郎なのか?
答えはただ単に「次男だから源次郎」だった。
「はぁ、そこは、ひねり、なしか」
と松の夫がつぶやくシーンが、おかしかった。

ただ、それから33年後、幸村は大坂夏の陣で壮絶な死を遂げる。
一方の兄・信幸は、幸村とは違う道を歩み、しっかり長生きする。
そう思えば「早死を避ける」意味の源三郎の名が当たったと言える。

それはともかくとして、まあ、こんな調子で、初回から、
原作者の三谷幸喜らしいくすぐりがチラチラと出ていた。

例えば、幸村たちの父・真田昌幸(草刈正雄)だが、
主君である武田家が存亡の危機に面していた局面で、
自分の母や妻、そして松たちがいる家族の前では、
「自分がいるかぎり、武田家は滅びることは決してない」
ときっぱりと言って、安心させる。しかし…
息子ふたりだけになると、とたんに
「武田は滅びるぞ」と言う。
えっ? と、兄信幸は口をポカンとあけ、弟幸村は目を丸くする。
NHKの試写会では、このシーンでどっと笑いが起きたそうである。
この父・真田昌幸を演じる草刈正雄も、飄々として魅力的だ。

草刈正雄は、1985年(昭和60年)から1986年(昭和61年)に
NHKで放送された連続テレビドラマ「真田太平記」に、
なんと、真田幸村役で出演しているのである。
それから30年経って、今度は父・真田昌幸の役だ。
この草刈の昌幸の演技も、これから楽しみである。

それと、もう一つのくすぐりのシーンは、
武田家を脅かす周囲の戦国大名たちが紹介される場面である。

北は上杉景勝(遠藤憲一)、東は北条氏政(高嶋政伸)、
南は徳川家康(内野聖陽)、西は織田信長(吉田鋼太郎)。
これらの列強に囲まれながら、武田家は滅亡の危機に瀕している。

それぞれの武将が次々と画面に登場してくるのだが、
北条氏政(高嶋政伸)が出てくるシーンで笑ってしまった。
氏政は一心不乱に飯を食っている。飯に汁をかけるのだけど、
これにはエピソードがあり、氏政は飯に何度も汁をかけるという。

父・北条氏康がその様子を見て、
汁をかけるなら一度にかければいいのに、何度もかけるというのは、
「毎日食う飯の汁かけの量も分かってない愚か者」
これでは氏政の代で北条は滅びる…と嘆いたという逸話だ。

それを、三谷幸喜はこのシーンで使ったのである。
三谷ファンは大喜びしたことでしょう。

 
  このシーン。飯に汁をかける北条氏政。

 

「真田丸」は全50回で、大坂の陣はこれからまだまだ先の話だが、
期待どおりのすべり出しだったし、キャストも良さそうだし、
この1年間、日曜日の夜がホントに楽しみですね。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南京町やら姫路城やら

2016年01月11日 | 旅行

  
            神戸・南京町(資料写真)

 

1月4日から6日まで、神戸・姫路方面へ2泊3日の小旅行をした。

1日目は須磨、2日目は明石大橋のすぐ横にある舞子に宿泊。
年末年始の休暇が終わった時から出発した旅行だったけれど、
まだ学校が冬休み中ということもあり、どこも賑わっていた。


 

この地図で言うと、1日目は神戸市中央区にある南京町を歩き、
そして須磨区の海辺にあるシーパル須磨というところで泊まった。
2日目はそこから姫路まで行き、姫路城へ行ったあと、
また列車で戻り、神戸市垂水区の舞子ビラというホテルに泊まった。
このホテルはちょうど明石大橋が真横に見え、過去に何回か来た。
そして3日目は大阪に戻って、梅田~難波の心斎橋筋などを歩き、
まだまだお正月気分で賑わう繁華街の雰囲気を味わってきました。

 

 
南京町は、ほとんどの店に、人がズラ~っと並んでいる。
が、不思議なことに他の観光地に比べて中国人は少なく、
大半が日本人だった。南京町だというのに、なんで…?
(まぁ日本にまで来て、中華街に来ることもないか)
 


 
 この「老祥記」という店にはものすごい数の行列が。
 「元祖・肉まん、中華まん」という店だそうである。
 もちろん、長い行列が苦手の僕は並んでいませ~ん。


 
 ここでラーメン(左側)と肉まん(右側)を買いました。

 

  
モミィの食欲は旺盛で、この日は、ラーメン、肉まんのほか、
シューマイと、デザートにシュークリームまで買って食べていました。


南京町で食べ歩きしたあと、三宮センター街を歩いてJR三宮駅へ戻り、
そこから須磨まで行き、駅から海岸の遊歩道を、宿泊所まで歩きました。

一昨年、海水浴に来た時には人でごった返していた砂浜は、人影もなく… 

 

 

  
この日泊まったのは神戸市立の国民宿舎シーパル須磨。
海水浴にピッタリの宿ですが、夏は予約殺到でしょうね。

 
 
   部屋のベランダからの海辺の風景。

夜、食事を終え、風もなかったので外へ歩きに出ました。
道路を約15分ぐらい歩くと、須磨の水族館に出ました。
昔々、息子たちを連れてこの水族館へ来たことが懐かしいです。

 

 

翌日、須磨駅から快速に乗り、加古川で新快速に乗り換えて姫路まで。
姫路駅の構内の観光案内所に入り、姫路城のパンフなどを見ていると、
女性がやってきて「観光でございますか?」と尋ねたのでうなずくと、
そのあと、姫路城の見どころなどを詳しく説明してくれ、
「その横の好古園というところへも、ぜひ行ってください」
と、教えてくれました。とても美しい庭園とのこと。


駅から出ると、メインストリートの真正面にお城が見えました。


 

パンフレットによると、姫路城は1993(平成5)年に、
日本初の世界文化遺産に登録され、2009年に大修理工事が始まり、
去年の3月に修理を終えてグランドオープンしたそうです。


 


 

姫路城は「白漆喰総塗籠」が特徴だとのことですが、
白が目立ちすぎて、見た目が平面的で、絵に描いたみたいな感じ。
空が青空ではなく、灰色の空だったので余計にそう見えたのかも。
身びいきなんでしょうけど、大阪城の方が濃淡がはっきりしていて、
外見に関しては立派だなぁ、と感じました。

姫路城ファンの方、すみませ~ん。


姫路城の隣にある好古園。これもパンフレットから抜粋すると、
「過去の発掘調査で確認された西お屋敷跡、武家屋敷跡、通路跡など
9つの趣の異なった庭園群で構成された」というものだそうです。

 

 
 お城に比べ、人影も少なく、落ち着いた雰囲気が漂います。


 
  
この通路は、映画のロケにも使われているそうです。


で、姫路からまた電車に乗って舞子まで戻りました。
この日は「シーサイドホテル舞子ビラ」で泊まりました。

  
   「舞子ビラ」と明石大橋(資料写真)

 

 
  ホテルの部屋から、明石大橋と淡路島が見えます。


ということで、最後の3日目は、さすがに疲れましたね~
ゆっくり朝食バイキングを食べてチェックアウトし、舞子駅へ。
今日は何の予定もなく帰るだけ…というのが、うれしいです。

大阪へ着き、いいお天気だったので、大阪駅から御堂筋を歩き、
中の島を経て心斎橋筋に入り、難波の千日前へと歩きました。
ホテルの朝のバイキングで食べ過ぎたおなかを、
歩くことで少しでも減らそうという作戦でした(笑)

そして無事にその作戦も功を奏し、千日前で美味しくお昼を食べました。

 

  

なぜか人気のあるグリコの看板です。

難波で一番人が多い戎橋筋商店街と道頓堀の2つが交差する場所にあり、
みんなこうして、看板と同じポーズをして写真を撮っています。

モミィも、明るく元気な1年を送れますように、
との願いを込めて、はい、ポーズ。

 

 

   

 
 

 

 

 

 

 

  

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お正月も もう終わり…

2016年01月03日 | 日常のいろいろなこと

  
今年も皆さまにとりまして 良いお年でありますように

 

お正月もあっという間に3日たち、明日から仕事の方も多いでしょう。
去年は年末の27日が土曜日で、そこから休みが始まり、
1月4日の日曜日まで9連休の人も多かったとのこと。
今年は普通の6連休で、仕事始めが早い感じですよね。

わが家では元旦は次男の家族がやって来て賑やかに過ごし、
やはり、調子に乗ってビールやお酒を飲みすぎてしまった。
「今年は節酒しよう」といった朝の決意は何だったのか…?

…といっても1年は365日、あ…今年は閏年で366日だから
1日ぐらいいいか…といつもの言い訳で、ごまかす僕です。

 

  
         従弟のケイ君と楽しく食事。

 

   
    左から、妻、モミィ、ケイ君、お嫁さん、次男

 


翌2日は、これも恒例の長男(モミィのパパ)と初詣へ行った。
道明寺天満宮というところです。

  
  通りがかりのカップルにお願いして撮ってもらいました


そのあと店舗面積約84,000㎡という大きなイオンモール橿原へ。

ここは駅から離れた何もないところに建っただけに、
ものすごく広々としてます。店舗も駐車場も本当に大きい。

店内には沢山のレストランがあるのだけれど、
ちょうどお昼時だったのでどの店も長蛇の列。
一軒の店を選んで、入口の「待ち客名簿」に
名前を記入し、呼ばれるのを待った。

今日は昼からビールを飲むのはやめておこう、
と、心の隅で少しばかり思っていたのだけれど、
テーブルについて、横の壁のポスターを見ると、
「12月30日から1月3日まで、生ビール大奉仕価格!」
とあり、通常540円の生ビールが290円と書かれていた。

こんなものが目に入れば、あぁ、僕はもうダメ。
これは完全に僕を誘惑しているのである。あぁ…

ダメよダメダメ~(そんなギャグ、みんな忘れてるわ)

それで僕はどうしたのか…は、ご想像にお任せします。


ところで、前述の初詣の話に戻りますが、
毎年、お正月にはこの道明寺天満宮というところに行きます。

天神さんですから菅原道真公をまつった神社ですけれど、
この記事の冒頭の写真の絵馬には「開運厄除」の札の裏に、
毎年この「遺詠」が書かれてあります。今年も、それがありました。

  

なかなか読みにくい字です。
「啼けばこそ 別れも憂けれ 鳥の音の なからむ里の 暁もかな」
と読むようです。「啼…」は鳴く」の意味でしょうけど、
結局どういう歌なのかわからない。

そこで、2年前のお正月のブログにこの写真を出して、
どなたか、ご存知の方がいらっしゃれば、教えてくださ~い、
と書いたところ、青豆さんという方からコメントが来て、

それによると、

「大宰府へ赴く前に土師寺に叔母の覚寿尼を訪ねたが、
(一番)鶏が鳴(啼)いたので、出立せねばならない。
鶏の鳴かない里の夜明けであったら、どんなにいいだろう」

…という意味だとのことを教えていただきました。

叔母は、天満宮の隣の土師寺(今の道明寺)という尼寺に住んでいました。
その叔母にひと目会おうと思ったけれど、鶏が鳴いたので会えずに出立した…
という、道真公の哀感のこもった歌でもありますね。

この話、てっきり去年のことだと思っていましたが、きょう調べると、
あれからもう2年が経っていました
。早いですね。本当に。
青豆さんも、お元気でしょうか。

 

 

 

 


 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TVで初日の出

2016年01月01日 | 日常のいろいろなこと

皆さま、あけましておめでとうございます。

昨日は紅白を見ながら途中で眠くなり、10時には寝てしまい、
今朝はいつものように、5時に目を覚ましました。
ふだんは必ず夜中に1、2度目が覚めるのですが、
珍しく、昨夜は一度も目が覚めませんでした。
僕としてはうれしい出来事でした。
こいつぁ~春から縁起がいいわい
な~んてつぶやきながら、起きました。

今の時間は6時50分ですが、外はうっすらと明るくなってます。
テレビでは、生中継で、今ちょうど、
富士山からの初日の出の様子が映し出されました。

司会の羽鳥さんが「みなさん、写真を撮ってください」
と言ったので、あわててカメラを出して撮りました。

こんな感じです 

 

 
  (ちょっとわかりにくい写真ですが…)

 

そしてその後「ダイヤモンド富士」というのが映りました。
それがこれです。テレビばっかりですみませんけど。 


 

 

 さて、皆さんは今年はどんな年を目指しておられるでしょうか?

僕は、今年は毎朝ジョギングをし、週4回のスポーツジムもサボらず、
お酒は控え目にして、お腹の脂肪をすっきりさせたいと思っています。

つまり、まぁ、健康を第一に掲げた生活ですよね。
それが一番大切だと、去年1年間で痛感しました。

で、今年はそれだけできたらいいや、と思っています。
でも「それだけ」というのが、案外難しいんですよね。

と、まあ…
そういうことで(どういうことで?)
今年もよろしくお願い申し上げます。

 

 

 


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする