僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 また妄言を吐く小倉

2008年08月28日 | ニュース・時事

テレビに出てくるコメンテーターというのは、よくわからない。
北京五輪では、たとえば元シンクロの小谷実可子とかが現地レポートをしていたが、「アスリートコメンテーター」とかなんとか、わけのわからない肩書きがついていた。元シンクロ選手でいいのではないか…と思うが、なんでも横文字を並べたらイキでカッコいい、という錯覚を視聴者に与えようとしている人を舐めた手口だ。ナントカ・クリエーターという今はやりの職業だって、いったいなんのことやら。漱石の「猫」に言わせれば「とんとわからぬ」ってことになろう。

それと、スタジオコメンテーターというのもいい加減なのが多い。
この間、そのうちの一人のオヤジがオリンピック熱を非難して、「だいたい日本はメダル、メダルと騒ぎすぎるんだよ!」と、鼻の穴を膨らませてどなっていた。

いるんだ、必ずこういう人間が。
自分はそんな軽薄な人間ではない。教養ある人間は、日本が金メダルをいくつ獲得しようが、そんなの関係ねぇ。メダルメダルと騒ぐな下郎 !
…とまあ、こういう感じで、世相を斬って見せるのだが、そんなことぐらい誰でも口にしていることで、これまでもオリンピックの度に「メダル、メダルと騒ぐな」という人は必ずいた。いまさら口角アワを飛ばして言うようなことではないのだ。
同じ言うのなら、「テレビでオリンピックをネタにバカ騒ぎするタレントをなんとかしろ!」と言えばいいのである。なのに、「メダルで騒ぐな」と言われると、ブログなんかで「ソフト金メダルバンザ~イ!」などと言っている僕らがバカにされているようで、甚だ面白くない。
そんな陳腐な意見をさも鋭い洞察のように言い放つおっちゃん・おばちゃん連中には辟易する。こんなのがわがもの顔でのさばっているテレビ局って不思議である。


ところで、テレビといえば、キャスターという、うさん臭い存在も気になる。
あの、日本中の正義をひとりで担っているつもりの古舘伊知郎の、とってつけたようなわざとらしい優等生ぶりっ子顔も、見るからに気持が悪い。

さらに「自慢男」小倉智昭も、どうもクセがありすぎて不快感を覚える。

昨日の朝、「とくダネ!」で小倉が、オリンピックの話題を取り上げていた。
まだオリンピックの話をしているのか、と思いながら聞いていたら…

「北京から日本へ帰ってきて、日本でのオリンピック番組のビデオを沢山見ましたが、一番かわいそうなのは野球ですよね。メダルが取れずに終わったことをいろいろ言われていますが、一人一人の選手たちは本当に一生懸命頑張っていたのに、何かアリ地獄にはまったようにズルズルと行っちゃったわけでねぇ…」

と、しきりに星野ジャパンをかばっていた。あほらし。
なにが「一番かわいそうなのは野球ですよね」なのだ。
もっともっと不運で気の毒だった日本選手は、ほかに沢山いたじゃないか。
本当に現地取材をして、ちゃんと五輪を見てきたのか…? と疑いたくなる。

小倉は「プロ野球通」を自認し、選手との親交の多いことをいつも自慢している。
中でも特に西武ライオンズをひいきにしているらしい(G・G佐藤がいる西武)。
だから、野球のことを悪く言いたくない気持ちは、わからないでもない。ならば黙っていればいいのである。それを「五輪選手の中で、一番かわいそうだった」と、歯の浮くようなセリフを吐くものだから、文句のひとつも言いたくなってくる。

「一生懸命頑張ったのに、いろいろ言われてかわいそう」とは何なのだ。

選手が一生懸命頑張るのは、当たり前の話である。
スポーツの世界は、切った張ったの世界なのだ。
しかも日本の野球チームは、その勝ち負けを本業とするプロ集団である。
ほかのアマチュア選手たちと同列に論じるわけにはいかない。
おまけに野球は選手村にも入らず、高級ホテル泊まりの特別待遇を受けていた。

その特別待遇のプロ集団が、予選を含めて4勝5敗の成績でメダルなしだったのだから、批判されても仕方がないだろう。(もっとも日本人の批判など、中国の「非国民扱い大批判」からみたら、可愛いものであるが)。

負けても何の批判も受けない、ということであれば、高い年俸をもらっているプロ野球選手たちを国費で五輪に参加させるのはもったいない限りである。それなら、プロではなく将来のある若い選手やアマチュア選手を出場させるべきだったのだ。「負けたことを批判されるのは気の毒」というのは、もっともらしい意見に聞こえるが、それは、基本的にはアマチュアイズムの中での話である。アマチュアならば、敗れても「一生懸命やったんだから」と称えることは、ある意味大切なことであるが、プロはそれでは済まないのだ。バドミントンのオグシオと野球では、同じ日本代表でも、勝敗の意味合いはまったく違うのである。

にもかかわらず、小倉は、数多くのアマチュア選手の健闘には一言のねぎらいの言葉もなく、五輪で優遇され、甘やかされたプロ野球に対してだけ、まだそんな迎合するような言葉を吐いたのである。

本当に一番かわいそうなのは誰かといえば、選手たちではなく、星野ジャパンの勝利を信じ、必死で声援を送ったにもかかわらず、監督の采配や守りのミスで負けてしまった現実を見せられて、スタンドあるいはテレビの前で茫然となって、悔し涙にくれた日本全国のファンの人たちなのである。

しかしまあ、そんなくだらないことを小倉がわざわざテレビで言うのには、何か理由があるはずである。たぶん、プロ野球五輪代表選手(あるいは監督・コーチ)たちから、「小倉さん、よく言ってくださいました。気分がスーッとしました」と言ってほしいために、あえてそういう発言をしたのではないか。国民の気持ちを代弁するのではなく、いわばプロ野球のご機嫌取りをしているのである。つまり、自分に利害関係のあるプロだからこそ、ヨイショしたのだとも言える。

自分が「話のわかる心の広い男」というイメージを植え付けておいて、プロ球界から気に入られ、選手たちから「野球を理解してくれる人」と尊敬してもらいたい。そしてプロ球界と自分とのつながりをさらに強くし、仕事の上で今以上の箔(はく)をつけ、より有利になるようにしたい…との私欲に駆られての発言であることは明らかである。公共の電波を使い、さりげなく私利私欲を満たそうとするのは、たとえそれが無意識に働いているものだとしても、いやらしいというほかない。

どうも小倉という人間は、ひねくれているくせに、権力組織(この場合は西武ライオンズをはじめとするプロ野球界という組織)におもねる傾向が強い。

相変わらず、さもしい魂胆が見え隠れする男である。

 

 

 


 

コメント (6)
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