僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

日馬富士の引退

2017年11月29日 | スポーツの話題

きょう、横綱日馬富士が引退届を出し、午後に記者会見をした様子を見ました。ちょうどワイドショーの時間帯だったこともあり、テレビではその生中継が延々と続き、それが終わった後、スタジオではこぞって日馬富士の引退を惜しみ、「いい横綱でしたのにね~」というトーンが主流を占めていました。会見での日馬富士は貴ノ岩に対する直接の謝罪はなく、自分の行為を正当化するような言葉が目立ちましたが、それまでは「暴力はいけない」と言っていた司会者やコメンテーターが、コロッと口調を変えて日馬富士のこれまでの功績をたたえ、「残念ですね~」なんて言っていたのを見ると、シラケてしまう。そりゃ相撲ファンとして残念に思う人は多いだろうと思うけど、それまでさんざん日馬富士を非難してきたテレビが急にこれです。しかも警察で捜査中の事件の張本人でもあります。なぜ引退しなければならなかったのか、ということを、きちんと押さえておかなければ。

僕は今月14日と18日のブログで、日馬富士は引退するしかないだろ、ということを書きました。きょう、テレビでは「急転直下の引退」なんて報道されていましたが、どこが「急転直下」やねん、と思いました。

この件に関する報道はおかしいことだらけだった。日馬富士が暴力をふるい、貴ノ岩にけがをさせたことは明白です。日馬富士本人も認めているんですからね。なのに「いろんな憶測が飛んでわけがわからないですよね」とテレビのコメンテーターは口をそろえて言う。いろんな憶測を飛ばしているのはマスコミそのもので、もっと言えばコメンテーターのお前たちだろ、と言いたくなります。

それと、あの池坊保子とかというおばはん。元々程度の低いコメンテーターの中でも、もっともっと程度が低い。それがあちこちの番組によく出てくるんですね~。感情だけでしかモノを言っていない。それもスパッと言えばいいが、モコモコと何を言っているのかわからない論調で、とにかくむやみに相撲協会の正当性を主張し、貴乃花親方を非難する。その言い方は「もちろん暴力はいけませんよ」とまずそれだけは言ってから、そのあと「だけどね」と、あとは延々と被害者側を責め続ける口調で、なんだか加害者より被害者側の方が悪いような話を続けるのだからねぇ、変だと言わざるを得ません。

それやこれやで、日馬富士が引退届を出したからと言って「潔い」とか、また日馬富士の親方が会見の冒頭で涙を流したからと言って「気の毒」とか、事の本質と離れたコメントを流すメディアのいい加減さが、今回また出たかという感じです。

それと、日馬富士の暴力行為は「横綱の品格」に反する、ということをどこの放送でも言っていたけれど、人に暴力をふるい怪我をさせるのは、横綱の品格なんてものじゃないでしょ。十両の力士であっても一般の人であっても、人を怪我させると刑事事件になるのは誰でも一緒で、「横綱の品格を汚す」というレベル以前の問題のはず。もし「横綱の品格」を言うのだったら、相撲で負けたのに判定に抗議したり、優勝インタビューで「ウミを出したい」と言ったり、「万歳」をしたりした白鵬のほうがよほど「横綱の品格」を問われなければならないのではないかと思います。

おまけに白鵬は事件当日、日馬富士の暴力をしばらく眺めていたわけで、なぜすぐに止めに入らなかったのか。それと当初「日馬富士はビール瓶では殴っていない。ビール瓶は持ったが、ツルっとすべって落ちた」と目撃談を語っていたが、今はビール瓶を持ったことすら言っていない。じゃあ、あの証言はウソだった?

それと、日馬富士の暴力があったあと、白鵬と日馬富士は外に出て、道を歩いていた若い女性に白鵬が「お姉さん、一緒に飲みに行きませんか」と手を握りに行ったという女性の証言も出ています。これこそ「横綱の品格」の問題だと思います。日馬富士が引退を表明したこの際、「品格」を言うのなら、白鵬も謹慎処分にしなければ話が合わないと思うんですけどね~。やはり、自分は天下の横綱だという驕りが白鵬にあるとしか思えません。「誇り」はあっても「驕り」はあってはならないと思います。白鵬はたしかに相撲は見事ですが、言動を見ていると「日本をなめている」ようにも思える。そもそも日本の力士たちが弱すぎるのもダメなんですけど。

まあ、今日はそんなことで。

ぶつぶつ。ぶつぶつ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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コンビニで精算前にお菓子の袋をあけて食べる人

2017年11月26日 | 雑記

世の中には不思議な人がいるもので、先日テレビで紹介されていたのは、コンビニでお菓子を買う時、その場で封を開けていくつか食べてからレジへ足を運ぶという80歳前後の男性。その男性がインタビューされていましたが、話を聞いていると実に不可解なことを言ってました。

「どうしてレジに行く前に封を開けて食べるんですか?」と記者。
「そりゃぁ、どういう味なのか、食べてみなきゃわからんだろう」と男性。
「じゃあ、食べて美味しくなかったら?」
「次から、買わない。だから味見をしてみる」
「もちろん、封を開けたものは買いますよね」
「そりゃ買いますよ。あたりまえじゃないか」

「次からであれば、買ってから食べてみても同じでは」
と、記者が言っても、その男性は
「とにかく、次も買うかどうかを決めるために先に食べるんだ」
と言って、ケラケラ笑いながらその場を去って行くのでした。

ホント、いろんな人がいるものです。もし、その場で封を開けて中身を口に入れたところを万引き警戒中のガードマンなんかが目撃したら、万引きと間違えられるかも知れませんしね。「これは家から持ってきたものだ」という言い逃れをするための手口だと思われるかも知れないし。いずれにせよ「次に買うか買わないかを決めるため」というのは、なんともわかりにくい説明です。

それで思い出したのですが、以前、女性の中国人観光客がコンビニで清算前にアイスクリームを食べて店員に注意されると、連れの男が「彼女を侮辱するのか!」と怒ってトラブルになったというようなニュースが流れていました。中国ではそれが当たり前なのかと思ったものですが、今回は日本人の高齢男性が同じようなことをしたので、それに驚いたわけです。

しかし、今回のこのニュースの中で、フランスから来た観光客にこれを伝えると、自分たちの国では(清算前に袋をあけて食べる)そういうことは普通に行われている、という答えが返ってきたので二重に驚きました。また、フランス以外の国でもそんな傾向はあるそうです。

中国人観光客であれば何となくわかりますが、ヨーロッパやアメリカあたりでもそれは特に珍しいことではない、ということが今回紹介されていました。「ほんまかいな?」と思いますけどね。まあ、お国柄の違いかも知れませんが、本当にそうであれば、やはり驚きですよね。

しかし僕も何度か海外旅行をし、フランスにも4回行きましたが、コンビニやスーパーで、そんな、精算前に陳列の商品を食べている人など見たことがありません。もしそういう習慣があるなら、一度や二度、目にしても不思議じゃないのですけどね~

ところで、この件とは関係ありませんが、コンビニとか習慣の違いとかに関して言えば、グアムに行ったときのことですが

早朝にジョギングをしてホテルに帰ってきて、ホテル内のコンビニに入って何かを買ったついでに、缶ビールも買って部屋の冷蔵庫に入れておこうと思い、それらを持ってレジに行ったのです。するとレジのおばさんがビールを取り上げ首を横に振り、「クジ、クジ、クジ」というのです。「はぁ?」と首をかしげていると「クジカラ」と言ったので「あ、そうか」と思い当たりました。つまりビールは午前9時からしか売らない。まだ時間が来ていないので売らない、と言っていたのでした。日本のコンビニでは未成年にはアルコールは売らないけれど、大人になら何時であろうが当然売ってくれるのになぁ、と不満に思ったものです。

それだけグアムはきっちりしているのかと思えば、違います。実弾の入った銃を撃たせる店があって、道行く日本人に日本語のチラシを配ってしつこく客寄せをしている姿を頻繁に見かけました。僕も何度も客引きに足止めされました。グアムでは一種の名物だそうです。ビールの販売時間の制限をするよりも、こんな反社会的な娯楽を売り物にしていることのほうがよほど問題が大きいんじゃないかと思いますがねぇ。

さて、また最初の話に戻りますが、あるニュースキャスターが、こんな光景を見たことがあります、と言った話に、思わず笑ってしまいました。

日本の国での日本人の話ですが、コンビニで缶ビールを買った男性が、レジの長い列にしびれを切らしたのか、並んでいる途中でプシュッとあけて、グイグイと一気に飲んでしまったそうです。順番が来てレジの店員さんはごく普通に空っぽになった缶だけを受け取り「〇〇円です」と言いながら、空き缶を横のゴミ箱にポイと捨てたということで、「あれは面白い光景でしたね」とキャスターが言っていました。

ま、こういうこともある、ということですね。しかし冒頭の高齢男性の場合は、レジに並びながらではなく、売り場でお菓子の袋を開けて食べたということなので、ちょっとニュアンスが違いますけど。

ちなみに、レジに並びながら缶ビールを一気に飲んだ男性というのは、僕ではありませんよ。念のために申し上げておきます(僕ならやりそうですけど)。

ではみなさん、よい日曜日を。

モミィは妻と、今日また五ツ木の模擬テストを受けに行っております。

 

 

 

 


 

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神谷昇 という名前がねぇ

2017年11月24日 | 日常のいろいろなこと

今日の朝日新聞の朝刊を開くと、1面に大きな見出しが躍っていた。
「自民議員側、14市議へ現金」という記事。その内容は

自民党の神谷昇(かみたにのぼる)という大阪の衆院議員が、9月末、衆院の解散が決まった直後に、自分の選挙区内にある和泉市と岸和田市の市議会議員計14名に現金およそ200万円を配っていたという記事でした。新聞では「選挙前の買収行為ではないか」として公職選挙法違反の恐れありと書き、1面だけでなく社会面にも「現金封筒 議会で市議に手渡し」などの見出しでデカデカと報じられていたのです。

また夕刊でも引き続き1面で大きく、この神谷昇衆院議員の「事件」が取り上げられていましたし、テレビの全国ニュースでも報道されていました。


 
 朝刊にも


 

 夕刊にも


この神谷昇と言う人は、かつては大阪府泉大津市の市長でした。僕はこの人のことをその当時からよく知っていました。といっても知り合いだとか会ったことがあるということではないのですが、とにかくよ~く知っていたのです。

2004年から2012年まで泉大津市長をつとめ、その後衆院選に出て、一度は落選したものの2014年に自民党の比例復活で初当選し、先月行われた選挙でも比例復活で2度目の当選をしました。

同じ大阪府でも僕の住んでいるところとはかなり離れていますが、なぜこの人をよく知っていたかというと、神谷昇というその名前です。2004年に泉大津市の市長として当選してこの人の名前が新聞に出た時、僕はびっくりしたのです。

神谷 昇

この名前は、実は少年時代の僕と同姓同名なのです。漢字も一緒です。

うちの母は僕が幼稚園かその前ぐらいの時に離婚したので、僕は実の父親の記憶がほとんどありません。実の父親の苗字は神谷だったので、当然僕も「神谷昇」でした。

それまでは京都市内の母の実家に住んでいましたが、その後、母に連れられて大阪に出て、僕はよその家に預けられ、そこから小学校に入学して通っていました。それからしばらくして母が迎えに来て、新しく父となった人と3人で暮らし、小学校も転校したわけですが、母の苗字は変わったものの、なぜか僕だけはそれまで同様「神谷昇」として小学校6年生まで過ごしました。

そんないきさつで、僕が今の苗字になったのは中学に入った時からでした。

だからこの「神谷昇」という名前を、2004年に初めて新聞で見た時にびっくりしたわけです。その後、この人が市長を辞めて衆院議員になったことも新聞で知っていましたが、だんだん印象は薄くなりつつありました。それが今日、まさかこんな不祥事でクローズアップされるとはねぇ。

それと、今回知ったことですが、この人の年齢は68歳とのこと。これまた僕とまったく同じ年です。いやぁ、これは知らなかったなぁ~

つい先ほどのNHKの「ニュースウオッチ9」でもこのことが報じられ、神谷昇さん本人がインタビューに出ていましたが、「何もやましいところはない」と堂々と言ってました。その態度は印象が悪かったですが、新聞やテレビで昔の自分と同じ姓名が何度も何度も出てくると、なんだか妙な気分ですよね~

 

 

 

 

 

 

 

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「良い夫婦の日」やら白鵬の態度やら

2017年11月22日 | 雑記

きょう11月22日は「良い夫婦の日」だそうです。

最近、やたらに「今日は〇〇の日」というのが多くなりましたね。ほとんどダジャレやこじつけが多いですけど。

でも「良い夫婦」というのはどんな夫婦なんでしょうか。仲良し夫婦のこと? 
ま、新婚ならいざ知らず、何十年も連れ添っていると、「仲良し」より、もっと大事なことが生まれてこなければならないでしょうしね。

えらそうなことを言えば「良い夫婦」というのは、配偶者を人生の伴侶として、この世の荒波を一緒に乗り越えていくお互いかけがいのない存在、というようなことでしょうか。う~ん。でもね

スポーツクラブで圧倒的多数を占める年配の女性の人たちの会話を聞いていると、たいていは主人の悪口で盛り上がっています(このことは何度かこのブログにも書いてきましたが)。家で一日中、夫と顔を合わせているのがイヤでプールやジムに来ているという女性が実に多いのです。

「主人はなんにもせえへん。世話が焼けるだけや」とか、
「主人と話をするだけでストレスがたまるわ」とか、
「私にいちいち『どこへ行くねん』とか『何時に帰ってくるねん』とか、ほんまにうるいさいねん。放っておいてほしいわ」とかそんな女性同士の会話がしょっちゅう聞こえてきます。

ま、長年連れ添っていると、いろんなことがありますよね~(と一言でまとめてしまいます)。

ここで、アルマン・サラクルーという人の面白い言葉をご紹介します。

人は判断力の欠如により結婚をし、
忍耐力の欠如により離婚をし、
記憶力の欠如により再婚をする。

ですって。あはは。

すみません(泣)。
つまらないオチのあと、話はまたコロッと変わりますが、大相撲の日馬富士の暴行事件は毎日毎日テレビのワイドショーで、うんざりするほど取り上げられていますね。いつのまにか、日馬富士の暴行事件より、貴乃花親方の「不可解な行動」ばかりが報じられるようになり、司会者やコメンテーターも、相撲協会から不利な待遇を受けないよう、協会を支持し貴乃花親方を非難するような論調が増えてきた様子です。こういう人たちは、ほとんどが「寄らば大樹の陰」なんでしょうね~。

そんな時、今日の夕方、ビールを飲みながらテレビで大相撲中継を見ていたら、結びの一番、全勝の白鵬と嘉風の対戦は、実に変な幕切れでした。ご承知のように白鵬が敗れたのですが、両者の立ち合いに不自然なところはなく、両者とも両手をついて立ち上がり、むしろ白鵬のほうが先につっかけて相手の顔を張り前に出ました。その直後、嘉風がもろ差しの優位な態勢になったとたん白鵬が力を抜いた様子を見せ、そのまま寄り切られました。

軍配が嘉風に上がると、土俵下に落ちた白鵬は「おかしいだろ」という仕草をして土俵に上がらなかった。つまり、立ち合いが不成立だというのだ。で、白鵬が上がってこないので行事も嘉風に勝ち名乗りを上げることも出来ず、場内は騒然。NHKのアナウンサーは「勝負は成立しています。こんなシーンは見たことがありません。これはいけません」とはっきり言い切りました。

かなりの時間、白鵬は土俵下でしつこく審判の方を向いて不満の顔を見せ、1分以上土俵に上がらず、ようやく上がって引き下がっても、まだ不満な様子でした。テレビでは何度もビデオを流していましたが、いくら見ても両者とも立ち合いに何の問題もないのに、行事や審判に文句をつけるあの白鵬のしつこさは何なのだろう。これが「心技体」を備えるべき横綱と言えるか?

白鵬の今日の態度は貴乃花親方も顔負けの「不可解」でした。今回の日馬富士事件で何かイライラしているところがあるんだろうか、と勘繰りたくなるような態度でした。いや、何か今回の騒動と関係があるのかも知れない。

明日はまた、スポーツ新聞やワイドショーでこのことが大きく報じられることだと思います。

 

ご参考までに。
今年1月に行われた初場所の14日目。白鵬vs貴ノ岩戦。
この一番で白鵬が敗れて優勝を逃し、稀勢の里の優勝が決まった。
これで稀勢の里が横綱に昇進したが、普通こういったケースでは、
モンゴル勢同士なので白鵬に「配慮」するのが慣例だったらしい。
が、貴ノ岩が全力で来たので白鵬が慌て、負けたと言われている。
今回の「貴ノ岩殴打」の伏線にはこの一番があるという説が有力。
まあ、なんとなく説得力がある話だなぁと、僕は思っています。

 

 

 

 

 

 

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「喪中はがき」 に思うこと

2017年11月20日 | 日常のいろいろなこと

また「喪中はがき」が来る時期になりました。わが家にも、先週あたりからポツリポツリと入り始めています。

喪中はがきといえば、以前はご両親などお身内が亡くなられたという場合がほとんどでしたが、近年は、もうこの齢ですから当たり前かも知れませんけど、自分とつき合いのあったご本人が亡くなり、奥様などからその喪中はがきをいただく、ということが増えてきました。去年も一昨年も、しばらく会っていない親しかった友人が亡くなったことを喪中はがきで知り、大きなショックを受けたものでした。

そして今年、一番最初に受け取った喪中はがきは、僕が勤めていた時に大変お世話になった元職場の上司のKさんで、その人が3月に亡くなっておられたとのことでした。僕が退職してからも一・二度お会いしていましたが、その人とは今だに忘れられない出来事があったので、「そうか。亡くなられたのか」と、しばらく「あのとき」のことを思い出しながら、Kさんを偲びました。

「あのとき」というのは、もう数十年も前のことですが

市役所の議会事務局で働いていた時、静岡県で議長会という催しがあって、僕は事務局の2人の上司と共に、議長・副議長に随行して静岡県に行きました。静岡県の伊豆長岡(現在は伊豆の国市)というところで議長会が行われることになっていましたので、そこへ出張したわけです。

長岡に着いて、昼食をとるため、僕たち一行は一軒の小さな食堂に入りました。そこでみんなでカレーライスを食べたように記憶しています。その食事中のことでした。

一緒に行った上司の一人であるKさんが、食べ終わるか終わらないうちに、
「すみません。ちょっと横にならせてもらいます」
と議長らに断り、長椅子に横たわりました。なんだか苦しそうな表情だったので、みんなが「大丈夫?」と尋ねると、「ええ、ちょっと休んだら治るでしょう」と目を閉じたのです。

しかし、顔色も悪く呼吸もおかしい。もう一人の上司だった人が「これは救急車を呼んだ方がいいん違うか?」と言ったので、僕はお店の電話を借りて119番をしました。

救急車が来て、僕がKさんと一緒に乗って行くことにしました。幸運なことに、その食堂のすぐ近くに順天堂病院という大きな病院があったので短時間でそこへ到着し、すぐに集中治療室に運び込まれました。僕は廊下の椅子に座りながら、一体なんの病気なんだろう?と、病気に関する知識に乏しいので、不安や緊張感が全身を巡りました。

しばらくすると、男の人が近づいてきて「ご家族の方ですか?」と僕に聞いてきたので「いえ、あの方は、え~っと、僕の上司です。大阪から出張で来ているところです」と、緊張しながら答えました。

「そうですか。あのですね。心筋梗塞のようなのですが、これから造影剤の投与を行うにあたって、それに同意していただく署名をお願いしたいのですが」
と、その人が言ったので、
「はぁわかりました」
と答えて、署名しました。
そのあと、議長会の会場へ電話をし、もう一人の上司に状況を説明しました。

それからどれくらいの時間が経ったのかわかりませんが、やがて集中治療室のドアが開き、Kさんは寝たままストレッチャーの上で酸素マスクつけた姿で出てきて、僕の顔を見て微かに頷いたように見えました。「心配かけてごめんね」という表情だったような記憶があります。

そのあと、医師が病状を説明してくれました。話が難し過ぎて僕にはほとんどわからなかったのですが、何度も「運が良かったですねぇ」という言葉を口にしていました。そこから推察すると、間一髪というほどの、よほど危険な状態だったようでした。

夜になって、会議を終えたもう一人の上司と一緒に、大阪から急きょ駆けつけた奥さんが娘さんと共に病院に来られたので、入れ替わりに僕はホテルに戻って遅い夕飯を食べました。張りつめていた神経が、やっと何とか落ち着いて来たようでした。

Kさんが順天堂病院に入院したまま、僕たちは帰阪しました。どれくらい入院されていたのか今は忘れましたが、かなりの期間だったように思います。でも、完治して戻ってこられたのは本当に何よりでした。

Kさんが仕事に復帰されてから、僕に対して、いつも「あの時以来、自分は周りの人のおかげで生かしてもらっている、と思ってるよ」としみじみした口調で言っていました。

この度、そのKさんが亡くなられたという喪中はがきを奥さんからいただき、はがきを握りながら、そんなことを思い出していました。

いろいろと縁のある人が亡くなっていく。

だんだん、こういうケース(年賀状から喪中はがきへ)が増えてくるんだろうなと思います。自分だって、もちろん例外ではありませんしね。いつか、妻か息子かは知らないけど、「のんが亡くなりましたので新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」というはがきを出す日が来るんですから。

つまりまあ、年賀状をやりとりできている間は、お互いに「しあわせ」ってことになるんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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貴乃花親方 たった一人の戦い?

2017年11月18日 | スポーツの話題

今日の土曜日は、モミィはまた志望校の一つの中学校へプレテストを受けに行っています。今日のは地元市内にある学校で、今朝、雨の中を妻がモミィを歩いて送って行きました。この中学校なら近いので、毎日電車に揺られて通学することもないし、いいんじゃないかな~と僕や妻は思い、塾の先生も「(合格は)大丈夫です」と薦めてくれるのですが、モミィはあまり乗り気じゃないようです。それでも、このプレテストは本人の意思で行っていますので、なんのこっちゃ、という話(ま、友だちが何人か受けに行くからかも知れませんが)。

さて、もうひとつ、なんのこっちゃ、という話ですが
あの「日馬富士事件」が、いつのまにか「貴乃花親方の不可解な行動疑惑」のほうに話が変わり始めています。昨日や今日の報道を見ていると、暴力事件そのものよりも、この「不可解な行動」のほうが大きく取り上げられています。昨日もテレビを見ていると、モンゴルにいる元横綱の朝青龍が日馬富士をかばう会見やツィッターまで紹介されたりしていました。話が関係のないようなところまで四方八方に広がり、ウンザリする視聴者も出てきているのではないでしょうか。

日馬富士が、ビール瓶を使おうが使おうまいが、貴ノ岩を殴打して怪我をさせたことは認めているのだから、暴力根絶をスローガンに掲げる相撲協会はそこを厳しく問わなけれならない。しかし、どうも相撲協会はそのことはそっちのけで、貴乃花親方からの報告が当初なかったことや、警察と相撲協会に2種類の異なる診断書が提出されたこと、そして休場理由として提出された診断書もそれほど大きな怪我ではなかったことを医師から確認した、というようなことばかり発表しながら、世間の目を、日馬富士の暴力行為から貴乃花親方の不可解な行動の方に向かせようとしているように見える。大方のマスコミもいつのまにやらそちらのほうに傾いてきているのが現状です。

確かに今回、貴乃花親方が取った行動は不可解といえば不可解ですね。しかし、貴乃花親方が現役時代から貫き通していた相撲に対する厳しい姿勢が、相撲界の「なれ合い体質」に合わず、相撲協会が信頼できなかったことから取った今回の行動であるかも知れません。もし警察に被害届を出す前に相撲協会に報告すれば、協会側は警察沙汰にしないよう圧力をかけてくるでしょうからね。

30年ほど前に17歳で幕内に上がってから、僕はず~っと貴乃花には注目をしてきました。そこから見える人柄は、良く言えば「孤高の人・信念の人」で、悪く言えば「偏屈・頑固」という感じでした。現役時代から、たとえばテレビのインタビューに答える様子を見ても、そういうところが窺い知れました。まあ、むろん憶測ですが、そういう性格の人のように見えるのです。

つまり「なぁなぁ」でやっている閉鎖的な相撲界を常に批判の目で見ていたようで、それは現役時代から親方になってからも、ず~っと続いてきたのでしょう。そこで、自分が理事長になり、そんな相撲界を変えたい、という意欲もあったと思います。一部の報道では、今回の不可解な行動は「今の理事長を追い落とすため」という記事がありました。まぁこれは相撲協会をヨイショする一部のゴマすりメディアの報道ですけど、表現がちょっと露骨すぎますね。

それと、貴ノ岩の怪我はどんな程度だったのか? ということが今日の新聞などに書かれていますが、貴ノ岩は2度医師に診てもらっています。一度目は殴られた直後で、その時の診断書には骨折などの重い症状は書かれていなかったようです。普通の怪我だったのでしょう。だから次の日からの巡業でも相撲を取っていた。警察に提出された診断書はこの時のものだったわけです。でも普通の怪我でも暴行されたのなら傷害事件ですよね。

次に相撲協会に提出された診断書は、その後貴ノ岩が入院した病院の医師が書いたもので、「脳振とう、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑いで全治2週間程度」とのこと。何せ頭のことだから、日が経つにつれて症状が悪化してきたのかと思いますね。

実は「右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑い」というのは、診断書を書いた医師によると「その疑いはあるが、あくまでも念のために書いたという程度で、骨折も過去の傷だったのかも知れない。重症だと騒がれて驚いている」ということです。それで「全治2週間」程度だったのか。ふ~む。でも、医師も診断書に曖昧な書き方をするんだなぁ。実にまぎらわしい。

そんなことがいくつも重なり合って「謎だらけ」となったんでしょうね~。

まあ、これがどんな結末を迎えるのかはわかりませんが、僕は日馬富士は引退せざるを得ないと思います。でも、いつの間にか日馬富士側に同情が湧き、貴乃花親方のほうがより強いバッシングに遭う可能性も出てきました。特に相撲協会や、協会とツルんでいる一部のマスコミや関係者が話をそちらに向けようとしているのを感じます。相撲協会は日馬富士を引退させたくありませんからね。引退となると「朝青龍に懲りず、またか」と言われること必至で、その点はまあ、わからなくもありませんけど。

僕は今回のこのゴタゴタを「偏屈で頑固な一親方が、閉鎖的で事なかれ主義を守りたい相撲協会を相手に戦う」という図式として解釈しておきます。つまり、

偏屈 対 閉鎖的集団

の戦いです。

どちらに軍配が上がるのか、あるいは「協議の結果引き分け」になるのかわかりませんが、ただ、個人と組織との戦いで個人が勝つということはなかなか難しいとは思います。「たった一人の戦い」なんて、ランボーじゃあるまいし、映画や小説の世界の中だけですよね。でも僕としては、貴乃花親方がこのまま偏屈・頑固を貫いて、相変わらず不透明で古い体質の相撲協会を慌てさせてやればいい、という気は少しあります。こういうタイプの人は、スポーツ界、特に相撲界では本当に珍しく、貴重な存在ですからね~

 

 

 

 

 

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横田めぐみさん 拉致から40年

2017年11月15日 | 思い出すこと

9年前の10月。出張で新潟へ行った時のことです。

仕事を全部終えて空港へ行こうとタクシーに乗ったものの、まだ時間に余裕があったので、新潟市内を適当にめぐってもらうことにしました。しばらくして、タクシーは海に近づいて行き、人通りのない細い坂道を上がって行くと、右手に学校のような建物が見えてきました。

「この、右に見えるのは中学校なのですが」とタクシーの運転手さん。
「二葉中学校と言います」
「えっ? フタバ中学校?」と僕は聞き返す。
この中学校にどんな由来があるのだろうと次の言葉を待ちました。すると運転手さんは驚くべきことを言ったのです。

「この二葉中学校は、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが通っていた中学校だったのです」

運転手さんの言葉に、思わず「えっ、何ですって?」と聞き返しました。
ここが? 横田めぐみさんが通っていた学校? ここが

いきなりのことだったので、本当に驚きました。

事件が起きたのが1977年(昭和52年)11月15日でした。そして今日、11月15日はその日からちょうど40年が経った日となるわけですが、これは9年前の話ですから、その時は事件後31年の時点だったことになります。

一人の少女が忽然と姿を消したのは、この中学校からの帰り道だったというのです。当時めぐみさんは13歳。中学1年生で、今のモミィより1歳だけ上という、まだあどけない年頃です。

「そうですか。ここがめぐみさんの通っていた中学校だったんですか
僕は身を乗り出して右手の窓から校舎を眺めながら、もう、それ以上の言葉は出なかったことを覚えています。

タクシーは海岸公園の横を走り始めましたが、整備の行き届いた道路と公園の木々の緑は美しかった。しばらく海岸沿いを走ったあと、比較的広い道に出たときに、運転手さんが再び口を開きました。

「このあたりでめぐみさんが拉致されたのであろう、と言われています」

ごく普通の道路と、ごく普通の歩道があり、海辺の方角には木々が瑞々しく生い茂っていました。何とも穏やかな風景でした。こんなところで

この辺のどこかに卑劣な悪魔が潜み、何の罪もない一人の純真無垢な少女を肉親から奪い、少女が育んできたすべてのものを引き裂いて連れ去ったのです。その時、めぐみさんがどんな思いだったかを想像しただけでも身震いがします。残酷すぎます。

車に揺られながらそんなことに思いを巡らしていると、だんだんと気が重くなってきました。

運転手さんは前方を見つめながら、淡々とこう言いました。
「めぐみさんは絶対に生きていますよ。でももうこちらには帰ってこないんじゃないかと、思いますよね。ご本人の意思としてでも、ですね」

そんなことを途切れ途切れに、噛み締めるような口調でつぶやいたのです。

そしてさらに運転手さんは、こう続けました。
「めぐみさんは結婚して、子どもさんもいるし。それに、あちら(北朝鮮)ではかなり優遇されているんだと思いますよ。もう30年以上もあちらで暮らしているんですからね。そりゃぁ、お父さんやお母さんに会いたいでしょうけど、今の自分の生活や家族も捨てられないのではないでしょうか

地元の人たちは、みんなそういうふうに思っているということでした。

もし運転手さんの話のとおりだと推察すれば
ご両親である横田さんご夫婦にとって、つらいことには変わりないだろうけど、めぐみさんが現地でそれなりに順応して穏やかな生活を送ってくれているとしたら、それは万分の一でも安堵の材料になるかも知れないと思ったことを今でも忘れません。運転手さんのこのお話も、一言一句しっかりと耳に残っています。

「では、お時間ですから、このまま新潟空港に向かわせてもらいます」
という運転手さんの言葉に「ええ、お願いします」と返事をしたあとは、あまり覚えていません。視界から遠ざかって行く海岸の景色だけが、今も強烈にこの目に焼き付いています。

今日、めぐみさんが拉致されてから40年経ったという報道に接して、9年前のこのことを、また鮮明に思い出した次第です。

横田さんご夫妻や有本さんご夫妻はじめ、ご家族の方々は年々お年を召されています。この拉致問題、何とか解決のきっかけでもつかめないものかと、改めて念じています。

 

 

 

 

 

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日馬富士も小池百合子も

2017年11月14日 | ニュース・時事

横綱の日馬富士が前頭8枚目の貴ノ岩の頭をビール瓶で殴り、大怪我をさせたというニュースにはぶったまげた。モンゴルの力士ばかりが集まった親睦会のような席で殴ったという。殴られた貴ノ岩はそれが原因で、現在福岡で行われている九州場所に初日から休場している。

このニュースは、今朝のスポーツ紙に出るまでは伏せられていたようだ。貴ノ岩の休場の理由も当初は発表がなかったという。それがスポーツ紙に出るからということか、昨日、診断書の中身が公表された。それによると「脳振とう、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑いで全治2週間程度」というものだったそうである。命にかかわりそうな大怪我だ。本当に全治2週間程度なのかと疑うほどだ。そんな怪我を負わせたということは、傷害罪で刑事事件になっても不思議ではない。日馬富士もただでは済まないよね。

テレビでは、今日の午前中に日馬富士がインタビューに応じ「申し訳ない」と言って、やったことは否定しなかった。そのあと、日馬富士の親方でもある伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)と日馬富士が、貴ノ岩の所属する貴乃花部屋に謝罪に訪れるが、それと入れ違いに貴乃花親方が乗った車が目の前を通り過ぎて行った映像が流れた。貴乃花親方にしてみれば会いたくなかったのだろうか。

昔、僕も妻も貴乃花の大ファンだった。最近はめっきりマスコミに出る機会が少なくなったけれど、先日は貴乃花の息子(イケメンの靴職人として有名)が結婚したことが報じられたばかりだった。それが今回は、弟子の貴ノ岩がこんなことになり、また注目を浴びている。相撲界本来の出来事とは関係のないところばかりで貴乃花の名前が出てくるのも、なんだかなぁ、という感じである。

それにしてもあの温厚そうな日馬富士が、ビール瓶で人の頭を殴るか?

信じられない話だが、本人も否定していないので、事実なんだろう。

日馬富士といえば、先場所は、4横綱のうち3人までが休場して、たった一人の横綱として千秋楽まで踏ん張り、1差で追っていた豪栄道を結びの一番で破り、そのあとの優勝決定戦でも勝って逆転優勝を遂げた。僕も思わず拍手をした。別に日馬富士のファンでもなく、どちらかといえば大阪出身の豪栄道を応援していたにもかかわらず、である。そんないい印象を持っていたので、今回の不祥事は甚だ残念である。

今日から休場した日馬富士は、たぶん二度と土俵に上がることはないだろう。せっかく数々の功績を残してきたのに、こんなことで土俵を去ることになるとはね~(まだ引退が決まったわけじゃありませんが)。

9月場所の栄光からわずか2ヵ月で奈落の底へ転落してしまった。

そしてもう一人、小池百合子都知事がきょう、希望の党の代表を辞任することを表明した。

この人もまた9月に「希望の党」の結成を発表し、自らが代表となって大いに日本国民の期待を集め、人気絶頂の感があった。ひょっとしたら選挙で自民党を上回り、日本初の女性総理の誕生か、とまで噂された。それがなんとまぁ2か月後には、自分が創り上げた党の代表を辞任するという事態にまで転がり落ちてしまったわけで、こちらも2か月でズッコケてしまった。

栄光を味わうと、心のどこかに油断とか慢心が芽生えてくるのだろうか?
栄光なんて味わったことのない僕には、そのへんはわからないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

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受験まであと2カ月

2017年11月12日 | 日常のいろいろなこと

モミィの中学受験まであと2か月と迫って来た。しかしまだ志望校は絞れておらず、今も3つの学校の間で気持が揺れている。まあ、揺れているというより、本人が最も行きたい学校があるのだけど、そこは河内長野市にある難関校であり、モミィの今の学力では無理だと塾の先生も言っている。また、運よく合格したとしても、そのレベルについて行くため、寝ても覚めても勉強ばかりに追われ、クラブ活動や遊びを楽しむ余裕がないままに中高生生活を送らなければならないんですよ、と先生は本人にも言い、妻との懇談の時にもそう言ったそうです。

それでもモミィは、その学校の偏差値の高さにあこがれているのか、友だちに影響されているのか、たぶんどちらもだと思うけれど、この学校にご執心です。現在、モミィの「教育係」はうちの妻ですが、彼女は昔から自分の考えを押し付けることはせず、必ず子供の意向を汲んだうえで物事を決めるというやり方なので、今回もモミィがそう言い続けるので「ダメよ」とは言っていないようです。僕も妻も、大阪市内にある他の2つの学校のどちらかに行ってほしいという希望を持っているのですが、今のところ、モミィにそれを伝えても「うん」とは言いません。

より高い目標を持つというのは、一般的にはいいことなんでしょうけど、この場合は、やはり大事なことは勉強ができるだけではなく、自分自身の考え方をしっかり持つことや、他人に対する優しさや思いやり、自分がいて人がいるのではなく人がいて自分がいるという自覚をもつこと、いろんな人とつきあい、いろんな遊びを通じて楽しみながら人生を学んでいくことなど大切なことはたくさんあります。これらは勉強するだけでは身に付かないと思うのです。たとえ運よく難関校に入れたとしても、中高の6年間という人格形成に最も大事な時期に、大学入試という目標だけのために、落ちこぼれないよう勉強・勉強また勉強というふうに過ごすのはどうなんだろう? という疑問が湧きます。

妻も僕と同じ意見ですし、モミィ自身も、中学・高校では音楽を楽しみたいと言っており、現に今もヤマハ音楽教室に通っている。僕も妻も、そりゃぁいい大学に行くに越したことはないだろうけど、そのために他を犠牲にするというのはやはり反対ですね。なにせ12歳から18歳までの大事な時期です。勉強一筋を強いられる学校にはやりたくありません。もともと抜群に勉強ができる子ならいいんですけど、モミィの成績ではねぇ。まあ、そこを受験して落ちたら校区の公立中学へ行けばいいだけの話ですけど。でも本人は私立中学へ行くつもりになっているので「落ちたら公立やで」と言うと、それも気が進まないようで、じゃぁどうするねん! と言ったことも何度かありました。それでもむにゃむにゃ言うばかりで。やれやれ

   …………………………………………………………………………

そんな昨今ですが、11月3日にはその難関校のプレテスト、というのがあって、モミィは妻に付き添われてその学校へ行き、テストを受けてきました。そして昨日の土曜日は、僕も加わって、3人でほかの2校へ行ってきました。

午前中は阿倍野区にある中学校でのプレテストがあり、その間、保護者は講堂で待機し、その学校の校長先生から当校の教育方針のお話と、担当の方から入試の具体的な説明がありました。学校側によると、この日は500人以上の保護者が来ていたそうです。校長先生のお話を聴くと、中高での6年間は大学入試のためだけではなく、最も力を入れているのが「心の豊かな人間に成長するよう教育する」ということでした。そして自分を高め、他人を思いやる心を育んでゆく、というのが本校の基本方針です、ということでした。実はこの学校に来たのは2回目ですが、前回の校長先生のお話にも心から共感するところがあったので、やっぱりこの学校はいいなぁ、という印象を抱いて聴いていました。そのあとの、担当者からの入試説明もわかりやすく、「なるほど。今の入試と言うのはこんなシステムになっているのか」と、僕自身にとってもいい勉強になりました。

12時半にテストを終えて子どもたちが出てきました。僕たちは次は、中央区にあるもうひとつの中学校へと向かいました。私立中学のハシゴです(笑)。昼食の時間もほとんどないので、阿倍野のコンビニでおにぎりやサンドイッチを買って、隅の方にあるテーブルで手早く食べました。3人でこういうところで食べるのは初めてのことです。もちろん僕も、ビールを飲む間もない(笑)。

この学校は今日はテストではなく、子供も保護者も一緒に1時半から行われる説明会で話を聞きました。こちらはキリスト教なので、場所は講堂ではなく、チャペルです。毎朝、生徒たちはここに集まって20分間の礼拝をするそうです。

この学校には、もう何度も来ています。初めて来たのは、たまたま英検の会場がここだったので来ました。そのとき、保護者がチャペルで待機していたのですが、「この機会を頂戴しまして学校の説明をさせていただきます」と、担当の先生がいろんなお話をされ、その印象が良かったのでここを意識し始めました。そしてそのあと、模擬テストなどでもここへ来て、モミィがテストを受けている間にまたお話を聴きました。まあ同じような話ですが、ここの教育方針も、先ほどとよく似ており、笑顔の絶えない生徒たちの映像が流されたりしていましたし、校内見学も、生徒たちの案内でしたことがあり、図書館の蔵書数の多いのにびっくりしたこともありました。

今回はモミィもいっしょに学校の説明を聞いたので、少しは気持ちがここに傾いたかなぁ、という気配も感じられましたけど、どうなんでしょうね~

言い忘れていましたが、この日に訪れた2校は、いずれも女子校です。

男子生徒がいない学校の良さとして、最初の阿倍野区の学校は、
「男子生徒は人に勝つ、一番を目指す、という子が多いのですが、女子はそうではなく、みんなで協力してやるという傾向があります。男子のいない本校で6年間を過ごすと、友人関係も深まり、この期間に生涯の友だちが出来、また、とても協調性のある人間性を身に着けることができます。これは異性のいない学校の特徴的な長所です」
ということをおっしゃっていました。

また次に行った中央区の学校は、以前も聴いた話ですが、
「男子生徒がいると、たとえば運動会の準備や教室の掃除のとき、重いものを男子が持ち運び、女子はそうでない細かい作業をする傾向があります。しかし男子がいないと、何から何まで女子が自分たちの力でやる、ということになります。こういったことが、女の子たちの意識を変えていきます」
というようなお話をされました。

いずれも「なるほどなぁ」と思う話です。

ちなみに「難関校」は男女共学です。

以上、3つの学校のひとつは前述したとおりの難関校ですが、ほかの2つもそこそこの偏差値が出ています。しかし、塾の先生は、この2つならどちらでも大丈夫、と太鼓判を押してくれています。無理に難関校を受ける必要はないし、もし受けるのなら、学校を休んで塾で勉強するぐらいしなければならないとのことです。いくらなんでもねぇ、そんなこと、やりません(やっても通らんでしょ)。

ともあれ、僕も妻も、塾の先生も、きのうの2つの学校のうちどちらかにしてくれたらなぁ、と思っているんですけどね。

 

 
モミィが勉強机にこんなものを立てています。
言っておきますがこれは書いているだけです。
こういうことをするのが好きな子なのです。
「家庭学習もおこたらない!」
って書いてありますが、おこたってます(笑)。

 

 

 

 

 

 

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ウダウダ会 吉野へ

2017年11月09日 | ウォーク・自転車

11月3日。久しぶりにウダウダ会に参加しました。去年の6月に和歌の浦へ行ったのを最後に、その後何度か案内はもらったのですが、予定があったり不整脈(心房細動)が心配だったりして欠席が続きました。特に不整脈はいつ出るかわからない不安があるので団体行動はむずかしい、と先日も書いたところですが、今回の案内状の最後には「今度は絶対に来てや!」と、会長さんの自筆での熱心なお誘いもあったので、出席することにしました。この日は幸い体調が良かったので、楽しく過ごすことができ、ホッとしています。

その、約1年半ぶりのウダウダ会で、今回行った先は吉野山でした。

吉野は近鉄南大阪線の終点でかなりの奥地です。最寄りの駅から電車に乗り、途中、古市という駅で降りて吉野行の電車に乗り換えるのですが、その古市駅のホームで久しぶりにウダウダ会の仲間たちと合流しました。

「久しぶりやねぇ、元気?」
「変わってないねぇ」
などと、久々に会うメンバーが笑顔で迎えてくれました。参加人数はざっと15人くらいでした。

ここから1時間以上電車に揺られて吉野まで。僕の座席の左隣には2人の女性、右隣は僕と同じ苗字で何歳か年下の男性で、右を向いたり左を向いたりして、雑談に興じていたら、あっという間に吉野駅に着きました。

本来なら吉野駅から吉野山までロープウェイが出ているのですが、2月まで運休とのことで、代替バスで山上まで行きました。

吉野といえば南北朝時代の南朝のあったところで、史跡に富んでおり、また桜の名所としてもよく知られています。

山上駅からしばらくの間、沿道に店が並び、この日は祝日でもあったので道はかなりの人たちで賑わっていました。そのまま歩いて行くと金峯山寺(きんぷせんじ)が見えてきました。ここは修験道の中心道場でもあった有名なお寺です。


 
  バスから降りてしばらく歩いて行くと

   
 峯山寺が。
ここは仁王門で、現在は「大修理中」ということでした。

 
こちらは同じく金峯山寺の蔵王堂への入口です。

  


ここから少し歩くと、吉野朝宮址へやって来ました。

 
南北朝時代に後醍醐天皇が開いたと伝えられる南朝の皇居の跡です。
今は、公園のような形で残り、正面には「南朝妙法殿」が建っています。

さらに進んで行くと、途中で「脳天大神(のうてんおおかみ)」という案内板があり、「そこへ寄ろう」と言うことになって急な階段を下って行きました。 


 
「首から上の守り神」の脳天大神をめざして、この道を下って行きました。

僕は脳天大神のことを知らなかったのですが、横からメンバーの1人が「吉野の脳天さんは有名なんやで」と説明してくれました。「脳天」というんだから「認知症の予防?」のような感じですが、実際に行ってみると、入試合格祈願などが多いようでした。ま、いずれにしても首から上に霊力を与えてくださる神様なんだそうです。


 
急な階段をずんずん下って行って、やっと着いた! 


 
脳天大神の正面にやってきました。
左のほうの立て札には、
「入試合格・学力向上・頭痛平癒。首から上の願い事に霊験あらたかです」
と書かれていました。

お参りを終えて「じゃあ戻ろう」と、いま下りて来た急な階段を今度は登って行くのですが、これほどのきつい上り階段が延々と続くと、心拍が気になります。僕の場合、心拍数が急に上がると心房細動が出る恐れがあるので、かなり慎重に登りました。階段を登る脚力には自信あるのですけどねぇ。
心肺のほうが心配なのです(ダジャレを言うてる場合か!)。

さて、なんとか無事に元の道に戻り、我々ウダウダ会の一行は、また歩き始めました。

ここでコースのマップを見ていただきます。


 

吉野ロープウェイと道路が交わる所から僕たちは歩き始めました。途中に金峯山寺があり、その先に「勝手神社」というところがあります。その手前を右に曲がって県道257号へ。このあたりから僕たち以外の人の姿や民家がほとんど見えなくなり、ただ道路が伸びているだけ。のどかな光景が広がりました。

 ここは才谷という集落なのですが、道すがら、大きな一本杉があって、これも有名なんだそうです。そこへ地元の男性の方が現れ、この一本杉についてガイドをしてくれました。 


 
右上の黒っぽい服装の男性が地元の方で、一本杉の説明をしてくれました 


 
才谷の集落をテクテク。実に気持いいウオーキングです

それからさらに細い道へ入り、道を上がったり下ったりしながら、旧・才谷小学校前を通り、昼食の場所に着きました。道から少し高いところにある東屋で、ウダウダ会の幹事の人たちが下見をして、この場所を選んだということです。下の方に「ゲストハウス山桜」という宿泊施設があり、そこの方のご厚意でトイレをお借りすることができたので、この東屋に決めたということでした。 


 
「ゲストハウス山桜」が眼下に見える場所で昼食をとりました。
このゲストハウスは先のマップの一番左下に図で描かれています


実はウダウダ会の数名の幹事の人が「食料補給隊」として、一足先に車でここまで来ていて、大きい鍋やプロパンなどを持ち込み、僕たちが着く前におでんやおにぎり、ビール、酒などを用意してくれていたのです。まあ昼食というより、これはもう宴会ですよね(笑)。

ここでおでんをアテにビールやお酒を飲み、数時間後、予約のタクシー数台が迎えに来てくれたので、みんなそれに分乗して近鉄線の下市口というところまで行きました。そこから電車に乗って帰途に着いた、というわけです。

1年半ぶりにウダウダ会のみんなと会って、思い切りしゃべって笑ってと、時間の経つのも忘れ、楽しく過ごすことができました。会長のNさんはじめ、メンバーの皆さんに感謝です。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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エアフォース・ワンの “謎”

2017年11月06日 | 映画の話やTVの話など

昨日の午前、トランプ米大統領が日本に来た時、NHKテレビでは大統領を乗せた飛行機が空港へ降りてくるところを生中継していました。

空港は羽田かな~?と思っていたけど違った。
米軍の横田基地というところでしたね。

TV中継でアナウンサーが、
「いま、大統領専用機のエアフォース・ワンが見えました」
と伝え、やがて画面では飛行機が着陸し、しばらくしてトランプ大統領とメラニア夫人がタラップから降りてくるところが映し出されていました。

そのあと、昨日・今日の大統領のスケジュールは新聞・テレビ等で詳しく報じられているとおりなので、特にここに書くようなことはありません。

それよりも
僕の目を引いたのは、昨日のテレビ番組欄でした。いろんな番組が紹介されている記事の下の方に、この日に放映される映画が2つ紹介されていたのです。

それはこういうものでした。

 
  

2本の映画のうちのひとつは「エアフォース・ワン」。
エアフォース・ワンというのはむろんこの日トランプ大統領が乗って来た米大統領専用機のことです。この映画は、記事にあるように、大統領が乗ったエアフォース・ワンがテロリストにハイジャックされる話です。同乗していた家族や側近を人質に取られ、大統領役のハリソン・フォードが、ハラハラする展開を繰り返しつつテロリストと戦う、というストーリーでした。僕もこの映画は過去2回ほど見ています。

もうひとつは「ホワイトハウス・ダウン」という映画。これは見ていないのですが、解説によると、謎の武装集団が、ホワイトハウスを見学に来た人たちを人質にして大統領の命を狙う、というストーリーです。あぁ、これもまた米大統領が危機に遭遇するという話です。

よりによってトランプ大統領が初来日したその日に、日本のテレビ局は、米大統領の命が狙われるという映画を2本も放映するんですよねぇ。

なんだろ~?

単なる偶然?

 

 

 

 

 

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ニューヨークシティマラソンの思い出

2017年11月05日 | ランニング

きょう11月5日はニューヨークシティマラソンが開催される日です。

と、まあ、いきなりアメリカで行われるマラソンの話などを出して恐縮ですが、実は僕は1983年(昭和58年)に行われたこのレースに参加しました。その時は34歳だったのですが、あれから34年が経ちました。34歳の時から34年経ったということで数字が揃ったので(笑)、きょうはこのニューヨークシティマラソンの思い出を、少し記してみます。

またこの旅行は、僕が生まれて初めての海外旅行でもあったので、どんな些細なことでも強烈な印象を受けたものです。たとえば

ニューヨークの街を歩いていると、前を歩いていたおじさんが後ろを振り向き、二本の指を口に当て「ピュ~~!」と口笛を吹いてタクシーを止めたのを目の前で見て、「へぇ~、カッコええなぁ。さすがアメリカやなぁ」と、すご~く感心したものです。

また、賑やかな路上で男女が抱き合ってキスしている。「チュ~!」という音がまわりに聞こえるほどの派手なキスを延々と続けている。それを間近で見て「うむ。さすがぁ」と感心しました。当時の日本では見たことのない光景でしたからね。

とにかく、どんな細かいことにも目を見張り、仰天をし、外国ってこういうものなんだ~、と感心ばかりしていた旅でした。

さて、ネットで見ると、昨今のニューヨークシティマラソンの参加者は5万人を超えています。僕が参加した時は1万7千人で、それでも超特大の規模のマラソン大会だという印象が強かったのですが、何と今は5万人規模とはねぇ。この大会も益々盛況になってきているようです。

僕はこの前年の3月に初めてフルマラソン(丹波篠山マラソン)を走りました。その頃、朝のラジオ番組「道上洋三のおはようパーソナリティ」で、その道上さんが篠山マラソンを完走したので、「あれなら僕でも走れるのでは」と思って練習を始め、翌年の篠山マラソンに出たというわけ。で、無事に完走できました。

次の年の3月にまた同じマラソンに出たあと、さて次はどの大会に出ようかと思っていた時、たまたまランニング雑誌で「ニューヨークシティマラソンツアー」の募集記事を見つけました。ツアー代金も何十万という高額で、2人の小学生の息子を抱える身でもあり、悩みましたが、どうしても海外を走りたいという気持ちを抑えることができず、妻に打ち明けたところ、快く行かせてくれたのは嬉しかったです。

まあ、マラソンを走ると言っても、僕などは記録も4時間台で完走するのがやっとという程度でした。このニューヨークでも約4時間半かかり、順位も完走者が1万3千人くらいの中で1万2,227位と、ほぼビリに近い順位でした。それでも、ニューヨークの街をゆっくり眺めながら走れたので、むしろ「お得」でした。同じツアーで行った人の中には、自己記録めざして頑張り過ぎて沿道の風景はほとんど目に入らなかったと言ってました。これではもったいないですよね~

このレースはニューヨークの5つの全ての区を走る片道コースになっています。スタートがステッタン島という一番南側の区で、そこからベラザノ橋を渡ってブルックリン区に入ります。ここは黒人のほか、プエルトリコ、ギリシャ、イタリア、ユダヤなどの系統の人たちが居住しており、そんな人たちが声援を送ってくれました。その次がクイーンズ区で、この辺からマンハッタンの摩天楼が視界に入り、中間地点を過ぎてクインズボロ橋という美しい橋を渡ってマンハッタン区に入り、いったんブロンクス区に入ったあと、再びマンハッタン区に戻って、さらに黒人街のハーレムの真ん中を走り、最後は5番街からゴールのセントラルパークへと続きます。まさに「NY観光コース」でした。

また、この日はスタートからゴールまでずっと雨が降っていたのですが、にもかかわらず沿道は大観衆で埋まり、僕が胸に日の丸とJAPANの字が入ったシャツを着ていたので、あちらこちらから「ヘーイ、ジャパ~ン!」という応援を受けました。握手やハイタッチを求めてくる人も大勢いました。日本の沿道の観衆よりとびきり陽気だし、大声で声援を送ってくれるので、それはもう、賑やかだったこと!

そんなことで、毎年、この季節になると思い出深かったニューヨークを思い出します。それでもブログにはあまりそのことは書いてこなかったのですが、34歳の時から34年が経ったという記念の年(?)なので、ちょっと書いてみました。

もしニューヨークシティマラソンをテレビ中継してくれたら、沿道の光景なども改めて思い出せるのでしょうけど、当然ですがそんな中継もありませんよね。

本棚の奥にマラソンに関するいろんな資料を詰め込んだファイルがあったので、今朝は久しぶりにそのファイルを引っ張り出してみました。その中から、この大会の完走証を見つけたので掲載します。34年の歳月を象徴するかのように、紙も変質してきて、隅っこの方は黄ばんでいますけどね~


  


右側の真ん中あたりに黒い字で僕の名前があり、その下に4時間28分26秒というタイムと、12,227位という順位が書かれています。これを見るのも、たぶん34年ぶりのことだと思います。ブログをしているおかげで、こんなものも探し出し、ここに残すことができるので、いい記念になります。

 

  


で、これは過去に一度載せたことがありますが、ゴールの瞬間です。僕が死んだとき、この写真を棺の中に入れてもらおうと思っています。今ではもう、なかなかランニングを続けるのは難しいですけど、死んでからまたゆっくり走ろうと思っていますので(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

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「9人の切断遺体」 の狂気

2017年11月02日 | ニュース・時事

あの、埼玉県座間市で起きた事件ですが。
アパートの1室で、クーラーボックスや収納箱から切断された9人の遺体(9人分の頭部のほか足や腕などの骨が大量に)見つかった事件は、日本中を衝撃に巻き込んでいますね。「驚いた」とか「ぞっとした」とかという言葉を通り越して文字通り「言葉も出ない」というか、こんなの、聞いたことのない事件です。

去年の7月、神奈川県相模原市にある知的障害者福祉施設で、元施設職員の植松という男が刃物で19人を刺殺、26人に重軽傷を負わせた事件があって、あれも筆舌に尽くしがたい凶悪事件でしたが、どういうことが起きたのかという状況は、はっきりしていました。

しかし今回の事件は、いったい何がどうなっているのか、よくわかりません。

逮捕された白石なんとかという27歳の男がいつ、どこで、どんなふうに9人も殺し続けてきたのか? ふつう、1人でも殺害したら、殺害された人がいなくなるのだから、家族とかまわりの人が捜索願を出したりすると思うのだけど、そういうのがあったのかなかったのか。それが1人や2人ではなく、9人ですよ。そのほとんどが、まだ身元が確認されていないとのこと。

今回、犠牲者の1人である23歳の女性の兄が警察に届けるまで、数ヵ月間、犯人は人を殺し続けてきたのに、なぜ発覚もせずここまで過ぎて行ったのか。また、犯人は「殺した」のではなく「自殺を手伝った」と言うのかも知れず、その辺はどうなっていくのか。

殺人はすべてアパートの中で行ったと犯人は供述しているそうだが、悲鳴や物音を隣人や階下の住人が聞いたという証言はないようだし、一方、別の場所で殺害して遺体を何度も運び込んだとしたら、必ず人目につく。ということは、犯罪はアパートの中で行われ、殺された人はみんな自殺したかったから男に静かに殺された、ということなのか。う~む、そんなこと、あり得ますかねぇ?

ということで、事件のキーワードとして「自殺願望」というのがあります。事件が最初に発覚した時の犠牲者である23歳の女性は、「自殺願望」を持っていたそうです。SNSに「死にたいけど一人だと怖い。誰かいっしょに死んでくれる方がいましたらdm(ダイレクトメッセージ)ください。 こちら23の東京です。車ある方だと嬉(うれ)しいです」と書き込み、それを見て犯人は「一緒に死のう」とかいうメッセージを入れたというようなことが報じられています。信じられない話ですが、本当なんだそうです。そういう若い女性が実際にいるんですね。しかも何人も。

発見された頭部などの遺体は9人中8人までが若い女性であることから、SNSから発信される女性の「死にたい」という心情につけこんで接近する、という手口が、この男の常套手段だったようにも見えます。だとしたら、「卑劣」の一言に尽きます。

それにしても、繰り返しになりますが、ネットで「死にたい」と訴える人がこんなに多いというのにも、愕然とします。それに絡んで今回のような前代未聞の事件も起きたりするわけですよね。ネット社会で最近急に増えてきたさまざまな事件を見聞する度に、大変な時代になってきたなぁとつくづく思います。

これから先、世の中はどうなっていくのか
なんだか寒気がしてきます。

 

 

 

 


 

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