僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

うっ、うっ、ウォークマン

2009年10月31日 | 日常のいろいろなこと

アルゼンチン旅行を終えて一息ついているうちに、10月に入った。
フリーの身になった4月から、半年が経過した。早いなぁ。

…なんてこと言っていたら、明日から11月だ。うっ、遅れてるぅ。

38年間勤めた仕事を辞めるという、まったく新しい環境の中で戸惑いながら、
旅行に備えて英語やスペイン語の勉強を半ば強制的に日課に組み入れたりして、
何かと腰の据わらない日々を送っていたけれど、これでようやく一段落だ。

英語のほうは、4月からECCにも通ったが、10月初めに退会した。

そのわけは…

週2回のレッスンの予習と復習に、大きな負担を感じ出してきたこと。
実際に身につく英会話の勉強方法が、ECC体験を通じてわかってきたこと。
アルゼンチンへの旅行も終わったことだし、これ以上もういいか…と思ったこと。

…辞めた理由はそんな感じだった。

アルゼンチン旅行でも、やはり英語は必須であった。
行き帰りのアメリカでの乗り換えの空港でも、当然英語でのやりとりになる。
でも、ちょっとしたトラブルがあってややこしい会話になると、わからない。
そんなときは、日本語のわかるアメリカ人がいてくれたりする。

しかし、アルゼンチンではホテルでも空港でも、日本語なんて存在しないも同然だ。
添乗員のいない旅行だから、何もかも自分の英語力に依存しなければならない。

そのやりとりの中で、僕はつくづく、自分の聴き取り能力のなさを痛感した。
相手の言っていることさえわかれば、こちらはカタコトで何とでも言える。
それがわからないと話にならない。英語は、まず聴けなければねぇ~。

いわゆる、ヒアリングである。これが、ホントに弱いのだ僕は。

これを強化するためには、当然だけど、英語を聴いて慣れる以外に方法はない。

英語の文法の大切さはECCを通じてよくわかった。
その基礎力をつけたうえで、とにかく英語を聴く、聴く、聴く。
それに尽きる。

ここはもうECCに頼らず、自分の流儀で行ってみよう…

…と自分で立てた勉強計画には、どうしても「聴く機械」が必要だった。

昔、カセットテープを入れて聴いたウォークマンが、進化してMDになった。

僕はMDを持っていたけれど、最近、調子が悪い。

新しいものを買おうと、電機店に行った。しかし…

その…MDなるものが、店頭に置かれていない。
何度も何度も見回した。しかし、見当たらない。

よ~く見ると、ひとつだけ、置かれてある。でも、本当にひとつだけ。

そこは確かに「ウォークマン」の売り場なのに、なんだね? これは。

陳列されている品物を見ると、携帯電話を小さくしたような機械がズラリ。

そこに 「iPod 」 とか 「 walkman 」 とか名称がついている。

ん…? iPod ……?

そういえば…

「iPod 」というのは、耳鳴り治療器具として、去年買ったことがあるぞ。
大○前病院でyukariさんにお会いしたとき、 iPod を持っておられた。

この中に、耳鳴りの苦痛を軽減する「ザーザー」という音が入っている。
それをイヤホーンで耳にはめて治療の一環とするのだそうである。
大○前病院の先生が、その音をパソコンから iPod に入れてくれた、とのこと。

僕はそのとき、初めて iPod  というものを見た。
そしてそれがどういうものかということを、yukariさんに教えてもらった。

「はは~ん。なるほど。もうMDも古いんだなぁ」

その後、僕は一番安い iPod を買い、先生に音を入れてもらった。
iPod は、僕にとっては「ザーザー」という音を聴くだけのものだった。

今度は英会話の教材として、こういう新しい機器が必要だった。
仕方ない。この際MDはあきらめて、「最新兵器」を買おう。

しかし、曲をパソコンにダウンロードするだとかCDを取り込むだとか、
そしてさらにそれらをパソコンからウォークマンに転送するだとか…
そんなむつかしそうな操作が、僕にできるのだろうか。

あぁ、カセットテープの時代がなつかしい。
こんなにめまぐるしくモノが変わる世の中を、生きて行くのは大変である。

不安な気持で、インターネットで商品情報を調べてみる。
すると、従来のMDやCDプレイヤーから直接録音できる機器もあるという。
これならパソコンを経由しなくてもいい。あ~、よかった。

僕は、直接録音できるソニーの何とかというウォークマンをメモした。
そのメモを持って、電機屋さんに行き、無事に購入することが出来た。

家に持ち帰って使ってみると、思ったほど操作はむずかしくなかった。

説明書どおり付属のアプリケーションをパソコンにインストールする。
すると、簡単に、英会話のCDをパソコンに取り込むことができた。
そして、それを今度はパソコンからウォークマンに転送する。
これも、説明書どおりにすると、何の問題もなく成功した。

うははははははは。

カセットテープやMDを、パソコンを経由せず直接録音することも簡単だった。

うひひひひひひひ。

まぁ、こんなこと、当たり前に誰にでも出来るのでしょうけれど…
僕は買う前には不安におびえていたので、それはそれは、嬉しかったのです。

このウォークマンのおかげで英語を聴く時間が大幅に増えた。

容量が大きいので、僕が持っていた英語カセット・CD・MDの大半がそこに入る。
MDプレイヤーのように、中身を入れ替えなくてもいいのがとても便利である。

それでも、まだまだ容量があるので、これから自分の好きな楽曲も入れたい。

  モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ショパン。
  ビートルズ、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクル。
  橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、細川たかし、酒井ノリピー…。

ウォーク&ジョギング時にも、手軽に携帯できるのがいい。
これを買ってからは、ほぼ毎朝、ウォーク&ジョギングをするようになった。
運動しながら英会話を聴く…。こういう波及効果も大きい。

…と、機械の宣伝をするわけじゃありませんが、
僕が買ったウォークマンを、一応ご紹介して今日のおしまいとします。

              


http://www.ecat.sony.co.jp/walkman/products/product/index.cfm?PD=35383&KM=NW-S640シリーズ

    (購入価格は、13,200円でした)

 追伸  それにしても、いろいろな機能がついていますが…
      僕にとっては、ほとんど不要なものばかり。
      容量の大きいのは確かにありがたいですけれど、
     
もう少し、シンプルな機械があってもいいと思うのですが。
     

 

 

 

 

 

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また会う日まで

2009年10月28日 | 旅行

ブエノスアイレス郊外にある甥のヒロユキのレストランには、2回行った。

一度目はお昼に行き、レストランのオーナーや、スタッフの人たちへのご挨拶。

二度目は、最後の夜、ヒロユキ自身が作ったディナーと、
彼女のソルちゃんが腕を振るったデザートを、お客としてご馳走になった。

あまりの量の多さにモンゼツした…ということは、先に書いたとおりである。

さて、一度目にレストランに行ったとき…のことである。

ヒロユキの母と叔母夫婦がはるばるニッポンからやってきたというので、
オーナーから厨房で働く人たちまで、みんな、大歓迎をしてくれた。

義姉は、行く前、レストランの人たちに、
「息子がいつもお世話になり、ありがとうございます」
ぐらいのことは言いたいのだけれど…
「そんな長いスペイン語、よう言わんし…、相手が何を言ってもわからないし」
と、少し悩んでいた。

ヒロユキの母としてきちんと挨拶ぐらいはしないと…と義姉は思ったのだ。

「そんなん、言葉がわからんのは当たり前やし。気にしなくても大丈夫ですよ」
と、僕は、深く考えすぎる義姉に、一言そう告げておいた。

僕たち一行が、ヒロユキに連れられてレストランに入ると、
入り口にすでにオーナーが待っていてくれて、いよいよその場面が来た。

オーナーは義姉と握手をして、一言「オーラ」と言っただけだった。
義姉も、「オーラ…」と蚊の鳴くような声で返し、「挨拶」は終わった。
それで、十分に通じたようである。これ以上の言葉は、必要なかった。

「あ~よかったわ。わたし、オーラしかスペイン語知らないから」
と義姉。  「オーラ」とは、英語の「ハロー」に当たる気軽な挨拶言葉である。

そういえば、旅行前から僕はずっと
「スペイン語はオーラとグラシアス(ありがとう)の2つだけ覚えておけばいいから」
と、妻や義姉に言い続けていた。

ところが、義姉はあるとき、ホテルの朝食の時、ウエイトレスに、突如、
「メルシー」 と言ったのである。 僕は思わず噴き出しそうになった。
「ネェさん、それはフランス語ですがな。 ここでは、グラシアスです」
「あ、そうか。フランス語…。ここは…? アルゼンチンか…」
などと、不思議なことをつぶやいたりするのだ。

義姉は、なんと言ったらいいのか、…「のどかな人」 とでも表現しておくが、
彼女と旅行をしていると、必ず 「珍道中」 になってしまう、そういう人なのだ。

パリのルーヴル美術館で多くの名作を味わったあと、一歩外に出たとたん
「よかったわねぇ、このベルサイユ宮殿は」 と大きな声で言った。
まわりはフランス人ばっかりなのでよかったけれど…

今回の旅行でも、あちこちで 「メルシー」 を連発したり、
「グラシアス」 と言おうとして、「グラッ…、グラッ…、なんやった?」
とか、「グラッ…、あ、グラチョー、違うか…グラッぺ…とも違うな」
そんなことを言っているうちに、礼を言う相手は、向こうへ行ってしまうのだ。

イグアスの滝へ行った翌日、ホテルの近くへ買い物に行き、日本人の店員に、
「よかったですよ~、昨日、ナイアガラの滝を見てきたんです」
な~んて言ったり…

…というような珍道中は今回も変わらずであったが。

とにかく、ヒロユキのレストランのオーナーたちと挨拶を交わして…。

レストランの中を案内してもらい、厨房まで見学させてもらった。

職人さんたちが、「なんだ、なんだ?」 という顔をして覗く。

「日本からママが来たのだ」とヒロユキが説明すると、みんな一様に
「あぁ、そうかい。ママが来たのかい。よかったなあ」 という顔をして、
僕たち3人に 「オーラ」 と親しみを込めて握手を求めてくるのである。

そんな厨房の人たちが沢山集まって記念撮影をしたのが下の写真です。

                       

  
  いかにもラテン系らしく、明るく陽気で気さくなレストランの人たち。
  前列右にヒロユキ。
  その後ろ、真ん中にソルちゃん。 右へ義姉、妻、僕の順。



「よかったですねぇ。ヒロユキ君もいい人たちに囲まれて」
と僕が義姉に言う。
「本当にねぇ。みんな気のよさそうな人ばかりね」

百聞は一見にしかず、とはよく言ったものだ。
この風景を自分の目で見て初めてヒロユキの外国での暮らしぶりがわかる。

「日本に帰って、お父さん(夫)に言ったら喜ぶわ」
義姉の夫(ヒロユキの父)は、外国には行かない人である。
東京へ行くのも嫌がる人なので、アルゼンチンなどとんでもない、という感じ。

「でも、わたしはすぐモノを忘れるので、うまいこと伝えられるかな~」
と言って、例によってぶつぶつと何事かをつぶやく義姉であった。

 ………………………………………………………………………………

アルゼンチン・ブエノスアイレスでの5日間の滞在も終わろうとしていた。

ブエノスアイレスの市街地は、レストランやブランド店の多いのを見ても、
「南米」という、僕たちが持つ一定のイメージからかけ離れた華やかさがある。

物価は日本から比べるとかなり安い。
しかし、数多い有名ブランド店や高級レストランは、それなりの値段である。
この国の人たちは、総体的に豊かなのだろうか…。
あるいは貧富の差が激しいのだろうか…。

路上で赤ちゃんを抱いて座り込み、物乞いをしている若い女性もいた。

また、車に乗っているときに、こんなことに出くわした。
信号が赤になって停車したときのこと。

目の前の横断歩道に、小学生5、6年生ぐらいの女の子3人が飛び出してきた。
そして、横断歩道の真ん中で2人が四つんばいになり、1人がその上に乗る。
僕らがよく運動会などでやった 「ピラミッド」 の芸を、横断歩道でやるのである。

上に乗った女の子が、立ち上がり、両手を広げにっこり微笑む。
ハッとするような可愛い子である。
思わず 「いよぉっ~!」 と拍手したくなる光景だ。

「ピラミッド」 をピタリと決めたあと、3人はそれぞれ車のところへやってくる。
そして、窓に手を差し出し、ドライバーから小銭をもらうのである。
ヒロユキも、コインを何枚か女の子に渡していた。

子どもたちは、こういう 「大道芸」で、小遣いを稼いでいるのだ。

こういう風景は、もちろん日本では見られない。
昔、ニューヨークで、信号待ちの間に黒人の少年がタオルを持って飛び出し、
車の窓ガラスを素早く拭いて運転者からお金をもらっていたのを見たことがある。

まぁ、あれとよく似たものであろうか。

日本に来たら一躍アイドルになりそうな可愛い女の子たちが 「芸」 をする。
これが「切実」な話なのか、単なる「遊び」の話なのか、
あるいは、両方とも、なのか…よくわからない。

でも、この少女たちのたくましさは、少なくとも日本の子どもにはない。
もちろん、それが幸か不幸か…ということとはまた別の話ですが。

今でも目に焼きつく光景のひとつである。

 

 
  通りには高級ブランド店など、さまざまな店が並ぶ。
  ブエノスアイレスは、とてもお洒落な街でもある。


 
  大型ショッピングモールの中も華やかだ。
  こういうところを歩くと、「豊かな国」 というイメージが強まる。

  ………………………………………………………………………………

ヒロユキは、僕たちをショッピングモールへ連れて行ってくれ、
「何かプレゼントします」と言い、義姉や妻には靴やスカーフを、
そして僕には、この街を本拠地とするサッカーチームで高原がプレーしていた
「ボカ・ジュニアーズ」のユニフォームをプレゼントする…と言ってくれた。

「好きな背番号を言ってください。これにつけてもらいますから」
ヒロユキはそう言ったあと、

「あ、それと、その下に名前も貼り付けてもらいます」 
と付け加えた。

さらにヒロユキは、「背番号は何番が好きですか?」 と尋ねた。
「う~ん。好きなサッカー選手の背番号なぁ…」 と腕を組む僕。
「たとえば中村俊介の10番とか…ありますよね」とヒロユキ。
「俊介か。う~ん。カズの11番もいいけど、古すぎるかなぁ~」 と迷う。

「よし、宮本にしよう」 と僕はそう決めた。

かつて日本代表のキャプテンもしたガンバ大阪の宮本が僕は好きだった。
あの「ツネ様」と呼ばれた宮本恒靖選手。
ガンバを離れたあと、ザルツブルグへ行き、現在は神戸でプレーしている。

彼の出身高校は、僕が勤めていた市にある高校で、長男も同じ高校である。
その縁で、昔、市の広報にいた時、まだ若かった宮本を取材したことがある。
礼儀正しくて、頭のいい、稀に見る好青年、という印象があった。

「宮本にするわ。背番号は5でお願いします」

ということで、出来上がったのが、このユニフォームです。

  
  ボカ・ジュニアーズと言っても誰もわからないだろうけど、
  まあ、いい記念になりますわ。
  

  ………………………………………………………………………………

旅行中はずっと晴天が続いたが、最後の日だけは雨だった。

現地旅行社の人が、午後5時にホテルに迎えに来るということだった。
まもなく、ヒロユキやソルちゃんとはお別れである。

5人が、ロビーのソファに腰掛けて、時間が来るのを待った。

ロビーで、最後の記念撮影をした。 母と息子は、ギュッと腕を組み合った。

「体に気をつけてね」 と母。
「うん。お父さんにもよろしく伝えておいてね」 と息子。

僕はソルちゃんに 「グラシアス ポルスス アテンシオネス」
(いろいろとお世話になり、ありがとう)
とお礼を言った。
「ドウイタシマシタ」 とソルちゃん。
「あのね、ドウイタシマシタと違うがな。ドウイタシマシテやでぇ」

やがて旅行社の人がやって来て、僕たち3人は車に乗り込んだ。

ホテルの前で、いよいよお別れだ。

車の外で、雨にぬれながらヒロユキとソルちゃんは手を振ってくれた。

「さよなら~」
「元気でねぇ」

いつまでも車に向かって手を振る2人だった。

「次はいつ会えるんやろ…」

2人の姿が見えなくなった後、義姉が、ポツリとつぶやいた。

 

 

 
   雨の中、ホテルの前で
僕たちの車を見送ってくれた2人。
     ヒロユキ、ソルちゃん。 元気でね~。

  アスタラビスタ ! また会う日まで、さよ~なら~。

 

 

 

 

 

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アルゼンチンタンゴのことなど

2009年10月22日 | 旅行

前回は食べる話を書きました。
アルゼンチンには数多くのレストランがあります。
こんなに沢山あって、どこも経営が成り立つのか…不思議ほどです。
まぁ、それだけレストランで食事を楽しむ人たちが多いということでしょうね。

 

  
  煉瓦造りの長い長い建物ですが、すべてレストランです。
  周りには人影はチラホラ。でも、レストランは数え切れないほど並んでいます。

  
  
  店に入って奥へ行くと、テラスがあります。
  天気のいい日はここが大人気。
  僕たちも、このテラスで昼食をとりました。
  こういう風景を見ながら、ランチやディナーを楽しむって、いいですね~。

  ……………………………………………………………………

珍しく風邪を引いてしまいました。インフルエンザではありませんでしたが…。
熱が38度以上も出たのは、ここ何年もなかったように思います。
めったに痛くならないのども、痛みました。

今はようやく回復しましたが、のどの痛みはまだ少し残っています。
毎夕、アルコールで消毒しているのですが、…なかなか治りませんわ。

のどが痛むのは、何かの呪いではないかと、ふと感じたりしました。
呪い…? 何の呪いなのだ…?

う~む。先日、イグアスの滝で見た最大の滝「悪魔ののど笛」。
あれを見たせいで、呪いがかかり、のどが痛むのだろうか…?
うぅ、く、く、苦しい~(七転八倒)。

なんのこっちゃ。 すみません。

話は変わりますが、旅行に出る前にガイドブックを買ったのですが、
「アルゼンチン」というのが、なかなか見つかりませんでした。

ようやく「地球の歩き方」シリーズのアルゼンチン編を見つけました。

しかし、その本のタイトルは、「アルゼンチンチン」とあったのです。

どひゃ~ん。 アルゼンチンチン…とは、これはまた…。

…と、よ~く見ると、 「アルゼンチン チリ」 でありました。

な~んだ、アルゼンチンとチリ、ということじゃないか。

すみません。 「チリ」 が 「チン」 に見えたのです。

…眼科より、脳神経外科に診てもらったほうがいいのでしょうか。

   ………………………………………………………………

さて、ブログを読んでいただいて、感想を寄せていただくのは嬉しいですね。

アナザービートルさんが、「悪魔ののど笛」という名称について、
「凄い名称ですね」と述べられたあと、
日本人の勝手な脚色ではなく、向こうの言葉を直訳してこうなるのですかね?
と書かれていました。

お答えします。え~っと、これは、スペイン語の直訳です。
ブログに「悪魔ののど笛」へ行く入り口の標識の写真を1枚掲載しています。
これを見ると、「ENTRADA(入り口)」という看板の上に、
「 Garganta del Diablo 」という標識が写っています。

Garganta とは、「喉」という意味ですが、「声」という意味もあります。
del は英語で言えば「of the」というような意味。
Diablo は「悪魔」です。

つまり、「悪魔ののど笛」というそのままの意味です。
滝の轟音が、悪魔ののど笛のように聞こえる…ということらしいですね。


また、ソルちゃんについても、感想をもらいました。

僕は、ソルちゃんのことを 「体重が僕の倍くらいありそう」 と書きましたが、
長男のお嫁さんが、それを読んで、
「お父さん、ちょっとオーバーじゃないですか?」 と笑います。
「写真を見ていたら、ソルちゃんは、そこまで太くはないですよ」

…そうですね。
物事を面白くするために大げさに書く、というのは確かにありますね~(笑)。

でも、写真のソルちゃんは、前を向いているからわかりにくいですけど…
横から見ると…。つまり、身体の幅ではなく、前後の厚みというのでしょうか。
これがまた感動的なほど豊満なのです (う~ん、表現がむずかしい)。

胸から背中までの距離、あるいはお腹からお尻までの距離。
これが長~いのです、…と言えばミもフタもない話ですが…。

立体的に眺めると、ソルちゃんは写真以上に堂々たる体躯なのです。
しかし動きは軽いし、何でもマメにやるし、実に楽しそうな表情をしている。
身体全体から躍動感に満ちたオーラが漂う。
仕草ひとつ取ってみても、なんとも可愛いのである。

こういうのを見ると、日本人の女性にありがちな…
細い身体が 「美的」 だと思い込んでいる発想自体が、何とも貧弱に思えてくる。

世界は広い。
価値観など、場所ひとつで180度変わってくる。
ポッチャリ女性の柔らかな美しさを、ソルちゃんからたっぷり学ばせてもらった。

  …………………………………………………………………………

アルゼンチンといえばタンゴである。 (話がバラバラやがな~)。
ヒロユキは旅の2日目の夜、僕たちをタンゴのショーへ連れて行ってくれた。

午後8時半から食事。 ショーは10時からだ。

案内された僕たちのテーブルは、なんと一番前だった。
舞台を見上げる、いわゆる、かぶりつき、というやつ。

ヒロユキによると、今日のお客は、マイクロソフト社の団体が大半で、
僕たちはその中にまぎれこんでいる、という状況らしい。

昨日、ソルちゃんが予約をしてくれたのだそうだが、
「どうせ団体といっしょなら、ぜひ一番前の席にしてほしい」
と交渉して、この席を獲得してくれた、という。
さすが~、何事にも達者なソルちゃんである。頼りになるわ~。
たぶん、ヒロユキなら、相手に遠慮してしまって、そこまでは言えなかっただろう。

テーブルの上に料理が並べられて行く。
ヒロユキがそれぞれの料理の説明をしてくれる。
何しろレストランのシェフだから、当然料理には詳しい。
詳しすぎて、何がなんだかわからないところも沢山あったけどね。

10時を少し回ったところで、ショーがはじまった。

豪華絢爛なショーを、すぐ目の前で見られるのはありがたい。

軽快なメロディをバックに、甘く情熱的なリズムに乗ってダンサーたちは踊る。
出てくる女性はみんな美しい。それに、まぁ、なんとセクシーなこと。

圧倒的迫力で舞台は進んで行く。
満腹になったお腹をさすりながら、
「こんなタンゴなんて踊れたら、素晴らしいやろなぁ」と、
盆踊りも踊れない僕は、うっとりと舞台を眺めるばかりであった。

踊りの合間に、コメディアンのような男性が出てきて、何かをしゃべる。
館内は笑いの渦に包まれる。

横でソルちゃんが、ひときわよく通る声で、
「アッハッハッハッハ~!」と笑う。その声がまわりに響き渡る。
ソルちゃんは、テーブルを叩きながら笑い続ける。

コメディアンは何を言っているのだろうか…?
わからないけど、僕も真似をして「アッハッハッハ~っ」と笑う。
それを見てソルちゃんがまた、「アッハッハッ~!」大笑いする。

なんだかなぁ。 わけ、わからんけど、面白いのだった。

 

 
 「かぶりつき」で見たタンゴショー。 甘くて、情熱的で…。
 

 
  舞台から降りてきて、目の前で踊るダンサー。 画像が悪いのが残念。
  
場内でフラッシュを使っての写真撮影は禁止されていた。
  それでも、ルールを守らない客が、あちらこちらでピカピカっと光らせていた。
  僕は真面目に、フラッシュを光らせずに撮ったので、こんなブレた写真になった。
  見苦しいとは思いましたが、ぜひ雰囲気を知ってもらいたくて載せました。

  

  
   ショーが終わって会場をあとにする時は、フラッシュで撮影した。
   前方の赤い幕のあるところが舞台。僕らはそのすぐ前に座っていた。


 

 

 

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もう クエンタ …なんのこっちゃ

2009年10月17日 | 旅行

それまで大阪キタの新地で寿司を握っていた甥のヒロユキは、あるきっかけでスペイン料理人に転身し、1995年の元旦に、本場スペインへ料理修行に旅立った。ヒロユキ、25歳の春であった。

2年後、彼はそのままアルゼンチンへ居を移した。

そして、それから13年の年月が経った。

14年前。まだスペインにいた頃、兄の結婚式に出席するために一度だけ日本に戻ったヒロユキだが、それ以来、日本には一度も戻らない。

ヒロユキの母である妻の姉とは、3年前から一緒に海外旅行を始めたので、話はどうしてもヒロユキのことになる。

アルゼンチン…。う~ん、遠い。遠すぎる。
「もう少し近いところやったら、行けるのにねぇ」
そんなことを何度言い合っただろうか。

しかし、今年の3月に僕が定年退職をすることでもあったので、
「よ~し、退職記念に行ってみるか、アルゼンチンに…」と、
思い切って地球の裏側への旅に踏み切ることにしたのである。

 ………………………………………………………………………………

朝にブエノスアイレスに着き、空港からヒロユキに電話を入れたら、
「夕方の6時に、ホテルへ行きます」という返事であった。

そして、その夕方の6時になった。

僕らは、ロビーでヒロユキが来るのを待っていた。
14年ぶりにわが息子に会う義姉は、やはりそわそわしている。
ホテルに入ってくる人たちの顔をじ~っと、見つめている。

すると、僕らが向いている方角の背後から、ヒロユキがやってきた。
僕が最初にヒロユキを見つけた。
横に、若いアルゼンチン人女性がいる。これが彼女なんだ。

「お~、ヒロユキが来た」と僕が叫ぶと、
「どうも。お疲れさまで~す」とヒロユキ。
「コンニチハ。ハジメマシテ」と、となりの彼女は日本語を使った。

その彼女は、愛嬌たっぷりに僕たちに挨拶をし、義姉、妻、そして僕にと、順番に抱きついて頬をくっつけた。その動作があまりに派手やかで、しかも唐突だったので、義姉は、14年ぶりに会う息子との「感動の再会」も何もあったものではなく、ただニコニコと笑い、かつ、戸惑いながら、息子の彼女の抱擁に応じるばかりであった。

「元気?」
「うん、元気」

少し間をおいて、母と子は、1月くらいしか会っていない間柄のような簡単な言葉をかわし合った。どんな劇的な対面シーンが見られるのだろう…とさまざまに想像を膨らませていた僕としては、なんだか拍子抜けだった。
まあ、親と子って、そんなものかも知れないけれど。

 ………………………………………………………………………………
 
ブエノスアイレスには4泊したが、初日は早朝に着き、最終日は夜の便に乗ったので、丸々5日間滞在したことになる。ヒロユキは、「5日間では短すぎるよ~」と言っていたが、僕たちにとっては、長すぎもせず、短すぎもせず、ちょうどよい期間だったと思っている。

やっぱり、海外旅行は、心身ともに疲れる。
知らず知らずのうちに、緊張の糸が張っているのだろうか。
4日目、5日目となると、それがだんだん重くのしかかってくる。
そして一方では、疲れから、感受性も鈍ってくる…という感じである。

いつも海外旅行から帰るときは「もう少し旅をしていたい」と思うより、
「あぁ、もう十分だ。早く日本に帰って普通の生活に戻りたい」と思う。

心配だった心房細動(不整脈)は、薬のコントロールがうまくいったようで一度も発作が出ず、よかったが、毎日その不安もつきまとう。

それと、もうひとつは食事の量である。これには参りました。
「これ以上この国にいたら、お腹が破裂するぞぉ~」
冗談ではなく、そう思った。

アルゼンチンといえば肉料理なのだけれど、とにかく量がものすごいのだ。

この旅行では、自分たちだけでレストランに入ったのは、最初の昼食と、イグアスの滝へ行った時の昼食だけで、あとはすべてヒロユキと、その彼女であるSOL(ソル)ちゃんの2人が、昼食、夕食とも、いろんなレストランへ案内してくれた。

僕たちは、なるべく少ない目に注文をするのだが、たとえば、サラダだけを注文しても、そのサラダも全部食べきれないほどのボリュームなのである。しかもヒロユキが、「ここの名物は、ナントカのお肉です。評判がいいのですよ」と言うので、無視もできないし、食べていると「どうです? おいしいですか?」と聞くし、ソルちゃんまでも、日本語で「オイシイデスカ?」と聞くので、料理を残すこともできない。最後は無理にお腹に詰め込む。うぅっ、苦しい。

朝食はホテルのレストランで、バイキングだ。
これがまた、パンやハムやソーセージやチーズやフルーツやなんやらと…
別に沢山食べることもないのに、おいしいので、つい食べ過ぎてしまう。
朝は、やはりある程度食欲がある。

昼前にヒロユキがソルちゃんとともに車で迎えに来てくれる。
車を運転しながら、
「お昼は、どんなものが食べたいですか?」とヒロユキが聞く。
「お腹がいっぱいで、何もいらな~い」とも言いにくいしねぇ。

ヒロユキは、あらかじめ僕らをいろんなところに案内するように考えてくれていたようで、仕事を休んだり早退したりして、彼女とともに、車であちらこちらへ連れて行ってくれた。

ちなみに、彼女のソルちゃんは24歳。ヒロユキよりも16歳も年下であるが、ヒロユキがシェフをしている「ROSA」というレストランで、ケーキや菓子のデザートを作っている、いわゆるパティシエという菓子職人である。
2人は同居中で、結婚はしていないが、まあ日本でいう「職場結婚」だ。

ソルちゃんは、とても可愛くてよくしゃべる娘さんである。
大きな瞳をクルクル動かし、派手なジェスチャーで、機関銃のような勢いでスペイン語をしゃべる。そしてその間に、日本語を入れる。
「ワタシハ ニホンゴ スコシ ベンキョウシテ イマス」
なんて、言って笑う。
そのたびに、僕たちは、ぱちぱちと拍手をし、「上手、上手」とほめる。
すると、ソルちゃんは、「アリガトウゴゼエマスタ」と礼を言う。
「アリガトウゴザイマス やで」と、いちおう訂正はしておく。

こちらが「ありがとう」と言えば
「ドウイタシマシタ」と答える。
「あのなソルちゃん。ドウイタシマシタじゃなく、ドウイタシマシテやで」

何度教えても「ありがとう」と言えば、「ドウイタシマシタ」と答える。
「ニホンゴハ トテモ ムズカシイデス」なんて言っている。

彼女は色白で、髪と瞳が真っ黒で、まつ毛が長く、肌がきれい。
身長は僕と同じぐらいだから、高くはないのだが…

体重が…、僕の倍ぐらいはありそうだった。

「ワタシハ アマイモノガ スキデス」と日本語でソルちゃんは言う。
パティシエだから、自分で作ったケーキやお菓子を自分で食べている…?

う~ん。いかにも、食べそうだなぁ。
こちらの食事のボリュームは、ソルちゃんの身体を見ればわかる…?
いや、レディに対してそんなこと言っては、失礼だ。ごめ~ん。

さて、食事の話の続きだが…

そんなことで、朝はホテルでたっぷり食べてしまう。
昼はヒロユキたちが僕らのために選んでくれたレストランで食べる。
そして、夜も、同じような形になる。あぅ~。食べるのがコワイ~!

これが僕たちだけの旅行なら、夜はちょっしたものを買って、ホテルの部屋で食べる…というふうにしていたに違いない。でも、今回はねぇ。
毎食、毎食が、過食である。

食事の時間になっても、まったくお腹が減らない。
僕も、妻も、義姉も、もちろん同じである。
夜、ベッドで仰向けに寝ると、お腹がポコンと突き出ている。
突き出たお腹をなでながら、あぁ~、と切ないため息が出る。

最後の夜、ヒロユキ自身がシェフをするレストランでご馳走になった。

ヒロユキが作ったコース料理を、3人で神妙に食べる。
見た目も美しく、味もいい料理が次々に運ばれてくる。しかし…

僕はビールも飲んでいたので、いよいよ料理がお腹に入らなくなった。

しかも、最後はデザートに甘いものが出る。
これは、ソルちゃんが作ったものが出てくるはずだ。
しかも、ソルちゃんが、テーブルにやってくるに違いない。
「オイシイデスカ?」と聞きながら、僕らが食べるのを見つめるはずだ。

そう思うと、よけいにお腹が膨れてくる。もう、何も入らない。

最後に出た、サーモンのナントカというヒロユキが腕によりをかけているはずの皿の上の料理に、どうしても手が出ない。もはや限界である。

そのまま、手をつけず、下げてもらった。もったいないことをしたが…

そのあと、デザートが出た。
そして、案の定、ソルちゃんがニコニコしながらやってきて、
「コレハ ワタシガ ツクリマシタ」と言って、テーブルの一角に座った。
僕たちの「食べっぷり」を、じっくり観察、というところだ。

「死ぬ気で食べる」という言葉があれば、この状況を指すのであろう。

僕は生まれてこのかた、こんなに食べ物と格闘したのは、初めてである。

しかし…
チョコレートが主体の、甘い甘いお菓子だったが、食べてみると甘さがさわやかに口中に広がっていき、思わず「おいしい」と言葉が出た。

お世辞ではなく、本当においしかった。
「別腹」とはよく言ったものである。
違う種類のものなら、また
お腹に入るのである。

ソルちゃんはうれしそうに、「オイシイデスカ?」と何度も聞き、
僕は「オイシイです」と何度も返答した。

ソルちゃんは「やったぁ」という感じで親指を突き出し、喜んだ。

あぁよかった。あの状況でデザートに手をつけなかったり残したりしたら、
ソルちゃんはどれだけ悲しむことであろうか…。

ヒロユキには申し訳なかったが、最後のサーモンの何とかを無理に食べなかったのがよかった。

…ということで、今回は食べ物のお話ばっかりでしたが、今、これを書いているときにふと、浮かんだことがあります。

食事を終わって「お勘定、お願いします」というのを、スペイン語では、
「クエンタ(お勘定) ポルファボール(お願いします)」と言う。

この「クエンタ」が、これ以上もう「食えん」た、に聞こえるのである。

また、「いくらですか?」というのは、スペイン語では、
「クワント?」と言う。

これが、もう「食わん」と、聞こえるのである。

すみません。しょうむない話で。
ではまた、次回に…


 

  

 
  典型的なアルゼンチン肉料理。
  牛、豚その他の動物の肉のいろいろな部位が焼かれて出てくる。 
  一片、一片が、大きい。
  ソーセージも特大で、中に「血のソーセージ」というのもあった。

  入っている器が深いので、見た目よりも実際は沢山入っている。 
 


 

  
  この店では、入口のそばで肉を焼いている。
  カメラを向けると、店員さんが、中に入っておいでよ、と言ってくれた。
  お言葉に甘えて中に入れてもらって撮影する。
  向かって僕の左が義姉、右がヒロユキの彼女のソルちゃんです。

 

 
 これは、ブエノスアイレスで人気ナンバーワンというアメリカ料理店での1枚。
 
骨付きの豚肉。写真では大きさがわかりにくいが、びっくりするほど大きい。
 肉の向こうは、くりぬいたジャガイモの中に野菜が詰められている。
 こちらのジャガイモも、日本のそれとは比較にならないほど大きい。 

 ほかの野菜類の大きいのにも驚く。
 豊かな日差しや肥沃な大地が、大きな野菜を育てるのだそうである。
 とにかく、食材のスケールは大きい。

 

 
  お腹が減らないので、グリルチキンサラダだけを注文した。
  しかしこれが、ヤマのような「てんこ盛り」である。
  これとメイン料理…なんて、両方食べられるわけ、ありまへ~ん。

       

 

 
  「ハ~イ ワタシガ シャシン トリマスデス」
  ソルちゃんは陽気な24歳のアルゼンチン娘。
  名前のソル(SOL)は、太陽を意味するそうで、そりゃ陽気だよね。
  ところで…、僕の孫の名前は、ソラだ。なんとなく、似てるなぁ。
 
  写真をとってくれたので「ありがとう」と言うと、「ドウイタシマシタ」。
  違う、っちゅうねん。

 

  
  ヒロユキとソルちゃん。
  ヒロユキはこの国で食生活をしているわりには、太っていない。
  しかも、よく食べるのに。

  「そんなに食べて、なんで太らへんの」 と義姉が息子に尋ねる。
  「仕事が夜遅くまで忙しいし、あまり眠らないからと違う…?」
  「ふ~ん。ソルちゃんは、よく肥えてはるのにねぇ…」
  と、義姉は、「息子の嫁」となるソルちゃんを眺めていた。
 

 

 
  街角でソルちゃんと僕。

  週に一度、日本語を習いに通っているという勉強熱心な子である。
  しかし、ソルちゃんを相手にスペイン語の勉強をしようと思っていた僕としては、
  ソルちゃんが僕を相手に日本語を勉強しようとするのでそれに押されてしまい、
  この旅行中は、もっぱら僕が日本語の先生役を務めることになった。
  なんでこうなる…? とほほ。

 

 

 

 

 


 

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イグアスの小さな思い出

2009年10月13日 | 旅行

イグアスの滝は、広大で、鬱蒼としたジャングルの中にある。

観光客用に、道は整備されているが、周囲はやはりジャングルである。

前回も書いたが、川のそばにワニが寝そべっていた。
ガイドのフェルナンデス君が「あそこにワニがいます」と指差す先を見て、わかった。
ワニは、ピクっとも動かず、まるで置物のようにじっとしていた。
ほんまモンかいな、と一瞬は疑ったが、紛れもなく「天然」のワニであった。

また、滝へ行く道すがら、猫のようなものがチョロチョロ歩いている後姿が見えた。

「ん…?」
猫にしては尻尾が太くて長い。体長は50センチぐらい。
猫よりも、たくましい体つきをしている。
こちらを向いた。やはり、猫ではない。
なんじゃ、この動物は…?

よく見れば、あちらにも、こちらにもいる。

「あ、あれは、アナグマです」 とフェルナンデス君が教えてくれた。

「アナグマ…? あ~、ラスカルかいな…」

 それは、アライグマや…っちゅうねん。

人間を怖がる様子もなく、悠々と歩き回っている。
カフェテラスでは、食べ物を求めてウロウロしている。
日本で言えば、人にいるところに寄ってくるハトみたいなものだ。

そんなことひとつにも、「う~む、さすがジャングルやなぁ」 と感心する僕である。

 

  
    人がいても知らん顔。 悠々と闊歩するアナグマ君。

 

 ……………………………………………………………………………………

 

滝を見たあと、駐車場へ引き返す汽車の中で、小学生の団体と一緒になった。
遠足か何かでここへ来ているのだろう。
もちろん、アルゼンチンの子どもたちだから、キャアキャアとスペイン語で騒いでいる。

僕の席の横や前の狭い場所に、何人もの子どもたちが詰めかけて座ってくる。
小さな汽車は、この小学生たちが乗ってきたので、たちまち超満員になった。

汽車に揺られながら、騒がしい子どもたちを眺めているうちに…
「そうや。ちょうどええわ、子ども相手に、スペイン語会話の練習をしよう」

この旅行に備えて勉強してきたスペイン語である。
こういうチャンスを逃してはならない。

僕は、横にいる子どもたちに、「クワントス・アニョス?」 と尋ねた。
「あんたら、年いくつや?」 という意味である。

子どもたちは一瞬お互いの顔を見合わせたが、一人がニィっと白い歯を見せ、
「オンセ!(11歳)」 と元気良く答えた。

お~っ、よかった。 わがスペイン語が、子どもたちに通じたぞ。

しかし、「おっちゃんは、いくつやねん?」
と聞き返されたときはドキっとした。
「ヨ…(僕は…)」 と、次に繰り出す言葉が出てこない。
じっと頭の中で、「30…、40…、50…。え~っと、60は…60は何やった?」

「セセンタ(60歳)」 と、ようやく言ったら、
みんな、そ~か、という顔をしていた。

言ってから僕は、「もっと若く言っといた方がよかったかなぁ…」
と思ったけれど、まぁ、こんなところで年をごまかしてもしゃ~ないわ。

次に僕は 「デ・ドンデ・ビエネ?(どこから来たの?)」 と質問した。
すると、子どもたちは口々に、
「ホニャラヘニャラポンポコリンオッパッピ~」 と叫んだ。

…わかるはず、ないがな。

すると、今度もまた、子どもたちから、
「ところで、おっちゃんは、どこから来たんや?」 と質問をされた。

僕はちょっと胸を張り、
「ハポン(日本)!」 と、相手にわかりやすいように、ゆっくり、はっきりと発音した。

当然 「あ~、日本か。日本からやって来たのか!」 という反応を期待していた。
…が、どの子どもにも、反応らしいものが見えない。
ポカ~ンとした顔つきをしている。

「ハポンやで、ハポン。私はハポネス(日本人)ですがな」
と、両手をひろげ、オーバーアクションで子どもたちに訴える僕。

ひとりの男の子が、「わかった」 と大きくうなずいた。
「やっとわかったか」 と、ホッとする僕の横で、その子どもは笑顔を見せながら、

「アローハ」 と言い、片手を上げ、親指と小指を立てて揺らめかせた。

あのなぁ…

それはハワイやろ。 

  


 

 

  
    汽車は途中から小学生たちが乗ってきて、超満員に…

 

    
     カメラを向けるとサングラスをかけてポーズをとる男の子。
      しかしまぁ、サングラスもいいけれど…
      日本とハワイは全然別の国ですよ。 覚えておいてね~。

 

 

 

 

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イグアスの滝

2009年10月11日 | 旅行

 

ご参考までに南米の地図を載せます。
赤く塗っているところが、僕たちが滞在したブエノスアイレス。
黄色く塗っているのが、イグアスの滝。
青く塗っているのは、この旅行とは関係ありませんが、
  先日五輪開催を決めたブラジルのリオデジャネイロです。

ブエノスアイレスの街は、大西洋に面しています。
僕はつい最近まで、この街は太平洋に面していると思っていました。
チリとアルゼンチンがごちゃごちゃになっていたみたいです。
ほんと、わかっているようでよくわからないのが、この南米の国の配置ですね。

今日は世界最大の滝と言われるイグアスの滝へご案内します。

   …………………………………………………………………………

アルゼンチンに着いた翌日、現地の旅行社に電話を入れた。
「明日3人で、イグアスの滝へ日帰り旅行をしたいのですが…」。

そして往復の飛行機を予約してもらい、夜にチケットをホテルに届けてもらった。

イグアスの滝は、アルゼンチンとブラジルの国境にある。
ブエノスアイレスからイグアスまで、飛行機で2時間弱である。

翌日、朝の7時にホテルを出て、国内線の空港へ行き、9時の飛行機に乗った。
11時前にイグアスに到着。

空港には、旅行社の手配による現地の案内人が待ってくれていた。
フェルナンデス君という若い男性だったが、顔は日本人の顔をしている。

僕たちはフェルナンデス君の車に乗せてもらい、さっそく滝の場所に向かった。
「日本の方ですか?」と僕が尋ねると、フェルナンデス君は、
「おかあさんが、にほんじん、です」とたどたどしい日本語で答えた。

彼はイグアスの対岸のブラジルに住んでいるのだが、昨夜連絡があり、
急きょ、今日、僕たちのガイドをするように言われ、国境を越えてきたという。

すんまへんなぁ、急に仕事作って。

「イグアスの滝は、ブラジルから見る人が多いです。
 わたしは、いつも、ブラジルで滝のガイドをしています」
「でも、悪魔ののど笛は、アルゼンチンから見られるのでしょう?」

“悪魔ののど笛”というのは、イグアスの中でも、最も大きな滝を言う。
その滝は、アルゼンチン側からしか見えない、とガイドブックに書いてあった。

「そうですねぇ」とフェルナンデス君。

「あっ、そうだ」
と僕は、昨日旅行社の人から電話で聞いた重大なことを思い出した。

川が増水して、昨日は「悪魔ののど笛」へ行くルートが閉鎖された、という。

「ひょっとしたら、明日も見られないかもしれませんが…」と旅行社の人。
「えぇっ? う~ん、まぁ、仕方ありませんけどねぇ」と昨日、そんなやりとりがあった。

イグアスの滝は、それ一つではないのだから、他を見ればいいのだけれど、
やはり、最大の滝である「悪魔ののど笛」は、ぜひ見たい。

「今日は、それは、見られそうですか?」と、恐る恐るフェルナンデス君に聞くと、
「さっき、ともだちの電話で、悪魔ののど笛は、見られるのことです」

「あ、見られるのこと…ですか。よかった、よかった~」
思わずぱちぱちと、手を叩く僕であった。

ここまで来て、イグアス最大の滝が見られない、となると残念だもんね~。

フェルナンデス君とそんな話をしながら、車に揺られて行く。
密林を切り裂いた道路が、周りの緑との美しいコントラストで伸びる。

 

 
  イグアスの滝に向かう。 フェルナンデス君の車の助手席からの風景。

 

国立公園内に入ってしばらく行くと、道が果て、駅が出てきた。

公園内を走る汽車の出発駅である。 

 

 

  駅から汽車に乗る。
  
  予想に反して、暑い。
  ブエノスアイレスは冬だったが、ここは夏である。
  半袖1枚で十分である。

 

 

 汽車には多くの観光客が乗り込んでいた。
 
 横を流れる川には、なんと、野生のワニがいて、びっくりした。
 人の数が多いからピンとこないが、ここははやり、本物のジャングルなのだ。

 一番端の駅まで行き、そこで汽車から降りる。

 ここが、「悪魔ののど笛」へ行く入口である。

             ↓
 

  

 ここから、橋が続く。 1キロ以上、続く。 橋、橋、橋である。
 

 

 いつ着くのだろうか…? と思うほど、橋、また橋を歩き続ける。

 まだですかぁ、「悪魔ののど笛」は…?


 


 下は濁流である。  
 「いつもは、もっと水は透き通っています」 とフェルナンデス君。
 橋のすぐ下にまで水が来ている。
 な~るほど。
 昨日はきっと水量がもっと多かったのだ。 だから、橋が渡れなかった。
 この橋々が閉鎖されたら、当然「悪魔ののど笛」は見られない。
 昨日でなくて、本当によかったなぁ。

 

 橋から川を見るとぞっとする。吸い込まれていきそうだ。 

 さて、橋の上を歩くこと20分以上。
 どんどん川が広くなっていき、やがて前方に煙のようなものが見えてきた。

 上の写真のほぼ中央に煙が上がっています。
 これが、煙ではなく、「悪魔ののど笛」の滝から上がっているしぶきなのです。


  

 そして、そのしぶきが、目の前にまで迫ってきた。
 やっと到着です。

 「悪魔ののど笛」

 

  

  


   滝の高さは80メートルだというが…

   

  舞い上がるしぶきで、滝の高さが(深さが)実感できない。
  朦朦たるしぶきを写真に撮るが、どこまで雰囲気を伝えられるか…?

    

  滝の向こうにレストランのような建物がある。
  肉眼では、人影も見ることが出来た。
  これがもう、ブラジルなのである。

  

   「悪魔ののど笛」 をあとに、また元の橋を引き返す。

   汽車の駅まで戻って、汽車に乗る。

   途中の駅で降りて、昼食をとる。

   そしてまた汽車に乗り、次のスポットへ向かう。

  
  

  すべて、密林を切り開いて作られた「遊歩道」のような橋を歩いて巡る。

  トコトコ歩いて行くと、急に視界が開けた。

  おお~っ。見えた。超ワイドに広がる、無数の滝。
  

 

   う~ん。 壮観! それ以外の言葉は、思いつかない。

 さらに、ずんずん歩いて行くと、くっきりと滝に虹がかかっていた。 

 これがまた、幻想的で、絵画の世界に迷い込んだかのようであった。 

 壮麗無比。

   

 

  

  イグアスの滝は、ナイアガラの滝・ビクトリアの滝と共に、
  「世界三大瀑布」と称せられるが…

 アフリカ南部にあるというビクトリアの滝は見たことはないけれど、 
 アメリカとカナダの国境にあるナイアガラの滝は、今年1月に行ったばかりである。 

 都会の中にあるナイアガラの滝より、イグアスの方がはるかにスケールが大きい。
 まったく勝負にならない…という感じである。

 イグアスの滝を訪れたかつてのアメリカの大統領(誰だったか忘れた)の夫人は、
 あまりの景観の素晴らしさに、思わず 「ナイアガラがかわいそう」 と言ったとか…。

 イグアスには、まさに、圧倒的な大自然の轟々たる響きがある。

 いやぁ、参りました~。 参った、参った。

  

     おまけ ↓  

    
       

 

 

 

 

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なんで台風やねん!

2009年10月07日 | モミィの成長日記

アルゼンチン旅行記を続けるその前に、切羽詰った話をしなければならない。
台風が近づいているという、明日のことである。

僕たちがアルゼンチンに旅行をしている間は、お留守番のモミィは寂しがっていた。

その埋め合わせに、旅行前、
「帰って来たらどこかへ泊まりに行こうね」と約束した。
具体的に言うと、10月8日、つまり明日だけど、淡路島の洲本のホテルを予約して、
僕と妻とモミィの3人で、1泊旅行をする予定をしていたのである。
モミィも、それをずっと楽しみにしていた。

そして…
そのモミィが楽しみにしていた淡路島への出発日が明日に迫ったというのに…。

あぁ…。なんということ。台風18号の襲来である。

10年に一度の最強の台風だとも言っている (なんで10年に1度やねん!)。
それも、よりによって、明日に、四国や紀伊半島に上陸の可能性大だという。
淡路島は、まともに台風を受ける位置にある。

テレビを見ていると、2000何年かの、恐ろしい台風被害の映像が流され、
「あの時以来の強い台風です。明日の外出は控えてください」
などと言っている。う~~ん。

先ほど(7日午後3時前)、旅行社から電話があった。
「こういう状態ですから、明日、ホテルはキャンセルしても、
キャンセル料は必要ありませんから、無理しないようにしてください」
そういう連絡であった。

ただし、僕たちは大阪から淡路島まで、高速バスで行く。そちらのほうは、
「バスが運行していたら、それはキャンセル料が要りますので」
ということだった。

当初、淡路島へ行くのに、船に乗ったらモミィが喜ぶかと思って、
電車で明石あたりまで行き、そこからフェリーで淡路島へ渡ろうと計画していた。
しかし、時間がかかりすぎるので、大阪から2時間で行ける高速バスに変えた。

よくもまぁ、フェリーにしないことであった。
今日の昼のニュースで、明石海峡のフェリーは欠航になった、と報じていた。
あぁ~、よかった。船だったら、これはもう、到底行けないところだった。

高速バスも、明石大橋が閉鎖されたら淡路島に渡れないだろうけど、
いくらなんでも、そこまでにはならないだろうと思う。

さ~て。
どうするか。
明日の、恐怖の台風18号。
いちおう、旅行の荷物の準備はしているけれど。
午前10時頃に家を出る予定だが、行けるのかなぁ…。

「タイフウみたいなん、どっかへ行ってしまったらいいのにねぇ~」
と、モミィは、実にうれしそうにしゃべっている。

うれしい話と違うねんで~、モミィ。

 

 

 

 

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遥かなる国アルゼンチンへ

2009年10月04日 | 旅行

日本時間の昨日の未明、2016年の夏季五輪開催都市が、ブラジルのリオデジャネイロに決定した。「南米初」という歴史的な瞬間であった。

先月22日から29日までの8日間、初めて南米へ旅行した僕にとって、この決定にはとても感慨深いものがあった。訪れた先はアルゼンチンであったが、世界三大瀑布のひとつと言われるブラジルとの国境にあるイグアスの滝へ行ったとき、滝の向こう側に、ブラジル側から滝を見学している観光客の姿がはっきり見てとれた。まぁ、言ってみれば、ブラジルをチラリと見たわけ。

そ~か、あの国で7年先にオリンピックが開かれるのか…と、今となれば、つい先日見た風景も、その印象が一段と強い色彩を帯びてくる。

南米のブラジルやアルゼンチンは、日本から見れば地球の裏側である。
それはそれは、まことに遠い国である。アメリカやヨーロッパへ行く2倍の時間がかかる。

アルゼンチンの名門サッカーチームであるボカ・ジュニアーズに入団した高原選手が、飛行機の長旅で、いわゆる「エコノミークラス症候群」という症状に見舞われたことがあった。長時間同じ姿勢で座り続けることによって膝の裏などの静脈に血栓ができ、その血栓が肺に流れて肺動脈を塞ぐのだそうだ。おかげで高原は2002年日韓主催ワールドカップ大会の日本代表の座を逃してしまった。それほどアルゼンチンというのは遥か彼方の国なのである。

  

さて、僕たちは大阪伊丹空港からアルゼンチンのブエノスアイレス空港に着くまで、3つの飛行機に乗り継いだ。

伊丹空港から成田空港までは、これはまぁ1時間程度だ。
次は成田から米テキサス州のダラスへ飛ぶ。
ダラスまでの所要時間は12時間である

そのダラス空港で待ち時間が4時間。(といっても、何やかやとしているとすぐにそれぐらいの時間は経ってしまいますが…)

 

  
   ダラス空港。
   映画「ダイ・ハード2」 は、このダラス空港が舞台だった。

 

ダラスからブエノスアイレスまでは約10時間だった。

成田~ダラスの飛行機内では日本語のできる乗務員がいた。
たぶん中国系の女性だったようだが、その顔は「奥様は魔女」のサマンサの母エンドラとそっくりであった。

機内でのちょっとしたトラブルや込み入ったことは、サマンサの母ちゃんが来てくれて、日本語で説明してくれるので助かった。飲み物にもニッポンの緑茶があった。

しかしダラス~ブエノスアイレスでは、日本語を話す乗務員はいなかった。
飲み物も「グリーンティ・プリーズ」と言うと、同じアメリカン航空なのに答えは「ノー」である。コーヒーか水かジュース類しかない。

急に心細くなってくる。

そうこうしているうちにブエノスアイレスに着いた。

大阪を出発してから30時間近く経っていた。
しかし、僕も妻も妻の姉も、ある程度覚悟していたので、結果としては心配したほど疲れていなかった。

アルゼンチンと日本の時差はちょうど12時間なので都合が良い。
時計の針もそのままで、午前と午後の違いだけだもんね。

ブエノスアイレスに着いたのが現地時間23日の午前8時だ。
日本では23日の午後8時ということになる。これはわかりやすい。

これがダラスだと時差は14時間となり、わずか2時間違うだけだけれど、日本時間と比較するとき、その2時間を、足せばいいのか、引けばいいのか、もう何がなんだかワケがわからなくなる。


空港に迎えに来てくれた現地係員に案内されて外へ出たら…
「ひゃぁ~。寒い!」
僕たち3人は、思わず首をすくめた。

「今朝は2℃だったんですよ。平年より寒いです」
と、現地係員のトーヤマさんというおばさんも、分厚いコートを着ている。まわりのアルゼンチン人も、みんな真冬の格好で歩いている。

日本の9月下旬はまだまだ暑い。
大阪を出るときは半袖姿だった。

それがこちらに着くと、春先とはいえこれほど寒いとは。
ある程度は予想していたが、ここまでとはなぁ。

なるほど、さすが南半球であるな~…と、感心しながらリュックに入れていたウィンドブレーカーを取り出して着る。

「昨日まで、こちらは雨だったんですよ」とトーヤマさん。
今日は、カラリと晴れて、空が絵に描いたようなブルーで美しい。
大阪ではめったに見られない、透き通った青空である。

空港から、さっそく、この街に住んでいる甥のヒロユキに電話をした。
「夕方6時に、そちらのホテルに行きます」
という返事だった。

まだ午前中だったので、僕たちは旅行社が用意してくれた車に乗り込んで、街の観光に連れて行ってもらった。客はむろん僕たち3人だけである。ふつう、添乗員付き団体ツアー以外でブエノスアイレスに来る日本人客というのは、まずいない、ということであった。まぁ、僕たちも、甥が住んでいなければ、アルゼンチンなんていう国に来ることもなかっんだけど。

アルゼンチンって何もない田舎じゃないのか…と思っていたけれど、窓から眺めていると、車の数も多いしビルも多い。そして、今走っている道路の幅がやたらに広い。
それもそのはずだ。
「この道は、世界で一番広い道幅を持つ道路なのです」
と、助手席のトーヤマさんが僕たちに説明してくれた。
たしかに、歩いて横断しようとすれば何度も途中で信号が赤に変わるほどの
広い道幅である。へぇ~~っ…と、驚く。 

しかし、どの車も運転マナーは悪い。
少しでもスペースがあると、車が猛スピードで突っこんでくる。
車間距離も極端に短い。いつ追突するかわからない。
後部座席に座っていても、うぅっ、危ない! 何度も叫びたくなる。
信号を守る以外は、交通ルールはあってないようなものだ。
おまけに、飲酒運転はごく普通のことらしい。
ああ、こわ。

 

 
  車がぎっしり。 道路幅は広いが、総体的に運転マナーは悪い。

 

横をバスが併走している。スクールバスだった。
小学生たちがあちらこちらの窓から首を伸ばして、僕らのほうを向き、手を振っている。僕も手を振り返す。何人かの子どもたちが、こちらに両手を併せて拝む格好をしている。

なんで手を合わせるの…?
ハポン(日本)では、普通は仏様や神様に手を合わせるのだよ…。
まあ、いただきま~す、という時も手を合わせるけどね。

メトロポリタン大聖堂。
5月広場。
タンゴ発祥の地のボカ地区のカミニート。
レコレータ墓地(エビータの墓)

…というような観光コースを巡った。

 

 
  
正面の時計塔があるところがブエノスアイレス市議会。
     「市議会」と聞くと、反射的に写真を撮ってしまう僕である。

  

  

ボカ地区といえば、あのサッカーの高原が所属していたのがボカ・ジュニアーズという強豪チームの地元である。サッカータジアムが見えたので、窓から写真を撮る。

ここにカミニートという地名の、カラフルな建物が並ぶシャレた裏町風の観光地がある。この地がタンゴの発祥地でもあるという。僕たちはここで車を止めてもらって、周辺を散策した。

パリの下町のように、将来の芸術家を目指す人たちが道端で絵を並べて売る。やはり、タンゴの絵が多い。僕たちを見ると、「コンニチハ」「サヨウナラ」と日本語で声をかけてくる。中には、妻や妻の姉に「キレイデスネ!」とお上手を言う若い男もいた。カフェテリアか売店の客引きである。
そんな人たちが、このあたり一面にたむろしている。 

「お金ちょーだい」と手を出す5、6歳ぐらいの少女もいた。

道の真ん中にマラドーナそっくりの男が立っていた。
顔も体型も、驚くほど似ている。
僕らを見て「オーラ(英語のハロー)」
と大声を上げ、一緒に写真を撮らないか、と誘いかける。
もちろん、お金を取るのに決まっている。ボラれるかも知れないしなぁ。
「ノ・グラシアス」と、断る(グラシアスはありがとうの意)。

 

    
    かつて高原も活躍したボカ・ジュニアーズスタジアム。

 

 
   ボカ地区のカミニートと呼ばれる港町の観光名所。 町全体がカラフルである。

 

  
   ブエノスアイレスは 「南米のパリ」 とも呼ばれる。
    なんとなく、そんな雰囲気が漂う。

 

  
   ボカと言えばマラドーナ。 サッカーと言えばマラドーナ。
   ここにはマラドーナのそっくりさんがいた。 顔も体型も、まったくよく似ている。

 

そのあと、レコレータ墓地というところへ行く。
ものすごくきな墓地で、観光名所にもなっている。
一番のお目当ては、元大統領夫人のエビータの墓だ。
観光客はみんなそこへ集まる。
その美貌とドラマチックな人生から今も人気が高いエビータは、33歳の若さで帰らぬ人となったという。

マドンナが主演したミュージカル映画「エビータ」を、こちらに来る前にDVDを借りて見たけれど、退屈して途中で居眠ってしまった。

 

 
   
エビータの墓の前には常に人が集まっている。

 

 
   
エビータの墓。亡くなった今でも、アルゼンチン随一のヒロインである。

 

ひととおりの観光を終え、昼過ぎにシェラトンホテルにチェックイン。 

トーヤマさんとも別れ、元の僕たち3人に戻った。

ホテルの部屋に荷物を置き、さっそく昼食をとるため、外に出て大衆レストランのようなところに入った。ここは100パーセントスペイン語であった。
僕のスペイン語はたどたどしいし、相手のスペイン語も全く聞き取れない。

英語はまるで通じない。

こちらへ来てからわかったのだが、ホテルや空港は別として、ブエノスアイレスの街の中では、ほとんど英語は通じない。

この食堂のお兄さんも、僕がスペイン語のカタコトを話すと、ペラペラペラとしゃべり返すのだが、それが僕にはわからない。次に僕が英語で話すと、今度は相手がポカ~ンとしている。

「アブラ・イングレス?」(英語、話せへんの?)
と聞くと、肩をすくめるばかりである。難儀やがなぁ~。
せっかく一生懸命英語を勉強してきたというのに。

そうこうしているうちに、外から「助っ人」が駆けつけてきた。
少しだけ英語の話せるお兄さんが、どこからか飛んで来たのである。

こうして、無事、なんとかステーキ&フライドポテト2人前と飲み物を注文することが出来た。3人で2人前…?

…そうです。
こういった国の一皿というのは、ボリュームがすごいのです。

それを見越して、注文は3人で2人前にした。
「ツー」と言うと、相手は首をかしげ
「ドス(2)?」とスペイン語で確認をした。
「シー(イエス)、ドス」
3人で2人前を食べるのである、とジェスチャーで相手にわからせる。

そして運ばれてきた皿を見ると、やっぱり…

予想どおり、肉もポテトも、山盛りである。
普通の日本人にとって、一人で一皿は多すぎるのだ。

給仕のお兄さんは事情を飲み込んでくれて、僕にも取り皿とナイフ・フォークを持ってきてくれた。

そこで僕は「セルベッサ・ポルファボール」
…とお兄さんに追加注文した。

これだけは問題なく相手に通じる。
「セルベッサ」とは、スペイン語でビールである。
「ポルファボール」は、英語で言う「プリーズ」。

給仕のお兄さんがさっと小瓶のビールを運んできてくれた。
あぁ、ようやく円滑なコミュニケーションがとれるようになった。

うまい。
一気に飲み干してしまう。

「オトラベス(お代わり)・ポルファボール」とまた叫ぶ。
お兄さんがすぐにもう1本、ビールをテーブルに置いてくれる。

ぐびぐびぐび。

う~~ん。おいしい!

地球の表であろうが裏であろうが、ビールのうまさは変わらない。

長旅の疲れも吹き飛ぶ瞬間である。

 

 

  
  この街には 「犬の散歩屋さん」 という職業がある。
  いろいろな飼い主から預かった犬たちを散歩に連れて行くのがお仕事である。
  こういう光景が、車の中から何度も見られた。

 

 

 

 

 

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お久しぶりでございます

2009年10月02日 | 旅行

長らくご無沙汰していました。

3日前にアルゼンチンのブエノスアイレスから帰って来ました。

後片付けや何やらで、時間の感覚もなく過ごしていますが、
このボケた頭が元に戻ったら、また旅の様子をブログに書きます。

今日10月2日、NHK総合テレビで、夜の10時45分から11時半まで、

 世界街歩き「ブエノスアイレス・アルゼンチン」
  ~ 港町の美女 タンゴ発祥の地 ~ 

という番組があるようです。

行って来たばかりのところだけに、どんなんかな~と、
今からこの番組を楽しみにしています。
いちおう、お知らせをさせていただきます。

どんな番組なのか、よく知りませんけど。

もし、お時間があれば、ご覧になっていただけたらと…

 

 

 

 

 

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