僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

携帯電話を変えた

2009年09月11日 | 旅行

アルゼンチン行きを控え、携帯電話を新しいものに変えた。
今のものは使い始めてまだ1年9ヶ月だったけど、思い切って変えたのだ。

というのも…

先日、妻が最寄のauの店へ行き、
「この携帯で、アルゼンチンから日本へメールを送れますか?」
と聞いたら、「アルゼンチン…ですか?」と、応対に出た係員が首を捻り、
なにやら調べた後、「だめですね」と答えた。

「でも、今年1月は、カナダからこの携帯で通信できたんですけど」
と、妻が言った。僕と妻とは、同じ携帯電話を所持している。

「エリアがありまして、ナントカの地域はこの携帯ではだめです」

その話を妻から聞き、「よ~っしゃ」と、僕はアルゼンチンでも可能な携帯を新たに購入することにしたのだ。

今の携帯の継続の機種変更ということにすると、購入するのに4万円ほどかかるのだけど、今のものを解約して新規にしてしまったら、それが無料だという。
げげげげぇ~。もっとも、先のものは2年経っていないので、解約料は、ポイントを差し引いても5千円ほど必要だ。でも、そのほうが、格段に安い。

「そのかわり、電話番号もメールアドレスも変わりますよ」と言われた。

ふ~む。
それほど付き合いは広くない僕である。
改めて、メル友さんたちには連絡して登録しなおしてもらうようお願いしよう。

しかも、3月に退職した身である。
今でも時々、仕事の関係の人から電話やメールがある。
うれしい連絡も多いけれど、中にはうっとうしい電話もある。

「ちょうどええわ。電話番号もメルアドも、変えてしまおう」

そんなことで、携帯電話を変えた。

これで、アルゼンチンから日本にメールが出来る。

でも、安心できない。
1月のカナダ旅行の時も、ナイアガラでは通信できたが、すぐそばのトロントでは通信不能になった。そういうこともあるのだから、まして行く先は、遠い遠いアルゼンチンである。

そんなことを、今日またauに行き、係の人に言ったら、
その人は困ったような表情をして…

「はい。すみませんが海外の通信は、どうにも私どもには保証が出来ないのです。いろいろ不確定な要素が多くて。マニュアルどおりに申し上げるしかないのです。まことに申し訳ございません」

そう言われると、それ以上突っ込めない。

しかたない。運を天に任せよう。

それより何より、アナザービートルさんが今日のコメントで言っておられたように、落として携帯を失ったりたりしたら大変である。アナザービートルさんは、軽井沢で携帯を落とされたそうである。

う~む。そちらのほうに、気をつけなければならない…のでしょうね。
アナザービートルさん、貴重なアドバイス、ありがとうございました。

 

 

 

 


   

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アルゼンチンへの旅

2009年09月09日 | 旅行

今月下旬にアルゼンチンへ行くことになっている。
ずいぶん以前から計画していた旅行だが、出発まであと2週間を切り、そろそろきちんとした準備もしなければならない。

準備といえば、4月からECCに英語を習いに行き始めたことも、今、独学でスペイン語を勉強していることも、まあ、準備といえば準備だから、こういう準備は、どの服を着ていくか、あちらに行ってどこを観光するか…というたぐいの準備に比べて、長い期間が必要だ。

パックツアーではなく、個人ツアーである。いろいろなことを研究・勉強しておかなければならない。

なぜ地球の裏側にあるような遠いアルゼンチンまで行くのか…?

これには深いわけ…じゃ~なくて、単純なわけがある。
甥が、アルゼンチンのブエノスアイレスに住んでいるのだ。
当地のレストランでシェフをしている。
その甥に会いに行くのが、旅の一番の目的なのだ。

甥のヒロユキは、最近、パリやハワイやカナダへいっしょに旅行している妻の姉の子どもである。昭和44年生まれだから、それこそ僕が自転車旅行をした年に生まれた子だ。自転車旅行から帰り、始めて妻の実家へ行ったとき、その姉の子は、まだ生まれたての赤ちゃんだった。

成人してキタの新地で寿司を握っていた彼は、あるときスペイン料理店のオーナーにスカウトされ転身した。そして1995年に本場スペインへ修業の旅に立った。

フランスとの国境に近いスペインのサンセバスチャンというところの店に住み込んで働いていた彼を、一度、僕たち夫婦が訪ねて行ったことがあった。

その1995年の秋、僕たちは個人旅行でパリへ出かけ、合間にパリのホテルに荷物を置いたまま、新幹線で国境を越え、サンセバスチャンで2泊して、ヒロユキと会った。ヒロユキの母である妻の姉は、そのころ仕事を持っており、都合がつかず、行ったのは僕と妻の2人だけだった。

ヒロユキは、何年か後に日本に帰ってきてスペイン料理店を開くものと思っていたら、どういうわけだか、今度はアルゼンチンに行ってしまったのである。

おそらく、もう二度と日本に戻って来ることは、ないのではないか。
「日本は、こちらに比べて料理人の地位が低いから…」
とヒロユキは、スペインで会った時、そう言っていた。

ヒロユキの母、つまり妻の姉は、最近の僕たち夫婦の海外旅行にいつも同行するようになった。
「この歳になって、外国へ連れて行ってもらえるなんて、夢みたい」
と、僕に感謝してくれているのであるが、それならいっそ、3人で、遠い遠い国に住んでいるヒロユキの顔を見に行こうではないか…ということになったのが、1年以上前のことだった。

しかし、旅行社に問い合わせても、アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスだけという個人ツアーはなかなか見当たらないものである。

どこを捜してもない。ブラジルのリオやペルーなどとセットになっている「南米○日間ツアー」というパックはあるのだけれど、そこではブエノスアイレスは1泊、あるいは2泊というのが精一杯で、これではせっかくなのに日が足らない。僕たちはブエノスアイレスだけでいいから、4、5日は滞在したいのである。

妻がさんざん探したあげく、J◎Bでひとつだけ、ブエノスアイレスのみの個人ツアーがあったのを見つけた。人数は一人からOKだ。

「おお、これや、これやっ!」
迷うことなくそれに3人で申し込んだのである。

ヒロユキには、アルゼンチンに行くことをメールで告げている。
彼も、母と会えるのを楽しみにしているであろう。

昭和44年生まれだから、ヒロユキもかれこれ40歳になる。

最近、あちらで彼女が出来たらしい

もちろんアルゼンチン人である。
メールで送られてきた写真を見せてもらうと、愛くるしい笑顔のセニョリータであった。
名前は「Sor」ちゃん、というのだそうだ。

「ソル」と読むのか、「ソール」と読むのか、スペイン語をかじっている僕にもよくわからないが、先日はこのお嬢さんへのお土産を妻が買っていた。

彼女は日本語が全然ダメなようなので、ここはひとつスペイン語を磨いて「Sor」ちゃんと会話しなくっちゃ…  。

そんなことで、9月22日に出発して、29日に帰って来るのであるが、旅行社からもらった行程表を見ると、なんとまあ、大阪からアルゼンチンに行くのは、びっくりするほどの時間がかかるのである。

時差があってわかりにくいけれど、次に掲げてみる。

      

9月22日午後2時30分に大阪伊丹空港を出発。
午後3時35分に成田空港に着く。
2時間半後の午後6時に、成田空港を出発。
11時間45分をかけて米テキサス州のダラス空港に着く。
ダラスと言えば、ケネディ大統領が暗殺された地だ。

ダラス着は、日本時間の翌23日の午前5時45分。
現地のダラスでは、まだ22日の午後3時45分である。

ダラス空港から次のアルゼンチン行きの飛行機に乗るまで、4時間待つ。

      

ところでダラスで乗換えをするというだけで、アメリカに入国することになり、それにはESTAという電子渡航認証を取得しなければならない。今年の1月12日からこの制度が義務化されたのであるが、ちょうどこの頃、カナダに旅立った僕たちは、わずか数日の差で、ESTAのシステムの対象外となり、申請しなくてすんだ。

しかし今度はしなければならない。

パソコンで出来るのだが、旅行社に「代行」してもらうと1人4,000円も手数料がかかるという。もちろん、3人分とも、僕が自分のパソコンで申請し、認証を取得した。しかしパソコンのできない人は、ますます不便な世の中になるなぁ。

さて、ダラス空港で4時間待ったあと、アルゼンチン行きの飛行機に乗る。これが日本時間の23日午前9時35分発で、こちらでは22日の午後7時35分発。米のテキサス州は日本より、14時間遅れである。

ダラスから10時間、飛行機に揺られて、ようやくアルゼンチンのブエノスアイレスに着く。

      

アルゼンチン到着は、日本時間で23日午後7時35分。
現地時間では23日午前7時35分だ。
このアルゼンチンは、日本より12時間遅れの時差だ。

結局どれくらいの時間を要するのかを計算すると…

大阪の伊丹空港を出るのが22日の午後2時30分で、成田、ダラスと乗り継ぎ、待ち時間も全部含めて、アルゼンチンの空港に着くのが日本時間の23日午後7時35分だから…

え~っと、つまり、全部で29時間である。

帰りを調べてみると、気流の関係か、飛行時間が長いので、もっと時間がかかる。アルゼンチンの空港を出発して、ダラスに着いて、そこで待ってまた飛行機に乗り、成田に着き、さらに伊丹まで…これが合計で…

32時間30分かかるのだ! 

ブエノスアイレスのホテルに泊まるのは4泊である。
しかし僕らの旅行は22日から29日までの8日間なのだ。

あとの3泊は、いったいどこへ消えてしまったのか…

日米間の時差、米とアルゼンチンの時差、そして日本とアルゼンチンの時差…などを、いちいち指折り勘定してみたものの、やればやるほど頭がこんがらがって、気が狂いそうになったので途中でやめた。

ダラスでの入国審査や税関、そしてまたアルゼンチンへの出国などが、行きも帰りもある。アメリカは、こういうところはヨーロッパと違ってめちゃめちゃ厳しい。添乗員なしの旅行だから、何か起これば…頼れるものはただ一つ。言葉だ。言葉がわからなければ話にならない。

そのために、きちんとした英語を話せるようになろうと、ECCまで行って英会話を学んできたわけだけど…。
(うぅ~。全然身についていません、あきませんわ~  )

現地にはヒロユキがいるけれど、仕事があるので観光などはある程度自分たちですることになるだろう。その際カタコトでもスペイン語が話せたら都合がいい。8年前、スペインのマドリードとバルセロナを旅行をした時は、行く半年ほど前からスペイン語を勉強して、楽しい旅ができた。今またその教材を引っ張り出して、ほぼ忘れかけていた記憶を呼び起こすのに、必死になっている。

そんなことでこのごろは、英語より、スペイン語を勉強する時間の方が長くなっている。ECCを欠席してまで、スペイン語の勉強をしているときもある。

ヒロユキの彼女と、スペイン語で会話するのが楽しみである。

オ~ラ コモ エスタ? ビエン グラシアス  

あと2週間。外国語の最後の特訓を続けながら、その他の準備にもそろそろ入らなければならないので、このブログも更新するのが難しいかもしれません。よろしく~。

では、アディオス 

  
 http://www.rosanegraargentina.com.ar/

           

そのヒロユキの店のホームページです。
最初の画面の中央をクリックした後、
下の「CHEF」というところをクリックしたら、
ヒロユキの写真が出てきます。

左にスペイン語の解説が出ていますが、わかりましぇ~ん。
どなたか、なんて書いてあるのか教えてくださ~い。

 

 

 

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24時間テレビの愚

2009年09月05日 | ニュース・時事

先日のある新聞のコラムに「のりピー裁くメディアに辟易」という一文があった。この数週間、ワイドショーのトップはほとんどのりピー一色で、人が死んでいるのに押尾が前に来ることはない…という話から始まるのだが、「まるで大岡越前になったかのように」のりピーを裁きにかかるメディアには辟易する…という筆者の感想に、大いに共感した。

確かにのりピーの犯した罪は大きいが、あの、愚にもつかないワイドショーだかバラエティだか知らないけど、なんでテレビには、あれだけの大勢の芸人やコメンテーターがひな壇に並んで、ロクでもないおしゃべりを垂れ流しながら、のりピーを裁きまくるのであろうか。複雑な生い立ちや私生活まで裁いている。それは、逸脱というものである。

「いやぁ、ここまで来たら、ぜひ本当のことを話してほしいですね」
「なんといっても、子どもさんが一番かわいそうですよね」
そんなこと、誰でもわかってるがな。

したり顔をして話すタレントたちを見ていると、胸が悪くなる。
おまえら、いつから評論家になったんじゃ。
そんなヒマあったら、もっと自分を磨け!

他人の不幸はわが身の幸せ…なのか。
のりピーを語る芸能人たちは、彼女のような人気者が裁かれるのがうれしくて仕方ないようである。この話になると、がぜん、みんな身を乗り出して何かひとこと言うのであるが、実につまらない感想に終始する。もっとも、テレビを見ているほうも身を乗り出すのだから、五十歩百歩かもしれないが…。


それと、テレビのバラエティといえば、相も変わらずなのが「24時間テレビ・愛は地球を…」という番組である。昔は一生懸命見ていたものだが、あまりの企画のあざとさに、最近は敬遠気味である。特に、あの目玉と言われれる長距離マラソン。タレントにあんなことをさせて、舞台の上から「ガンバレ~」と涙ながらに応援し、最後はお決まりの感動ゴール…ってなぁ、日本には、他に感動することがないのか…? 商業主義、視聴率主義の象徴のようなシーンである。今年はゴール時が衆院選の生中継とダブってしまったようだが、それにしても、あのイモトという女は何者なのだ…? まるでゲテモノではないか。ああでもしなければ、世間から喝采を受けることがないのか。世も末じゃわい…。

今回も、たまたま午後にチャンネルを合わせたときは、誰かと誰かが卓球をしていた。24時間の番組中ずっとラリーを続けている、というのだろうか…? だらだらと、ピンポン玉を互いに打ち返しているだけなのだが、こんなことをしていて、いったい何の意味があるのだろうかと…ため息が出る。その日は天下分け目の選挙の日。日本の行方が変わろうとする時、何をだらだらとピンポンしとんね…と思いながらテレビを消した。ほんま、日本は平和な国…を通り越して、能天気な国や。

新聞のテレビ欄を読むと、今年も「盲目少女&金メダリスト」とか、声を失った少女に奇跡」とか「闘病6歳に黒木瞳」とか「難病少年と上原投手」などなど、障害者や難病患者のドキュメンタリーを随所に入れていた。それ自体を悪いとは言わない。しかし…

番組に一貫して漂うハイテンションの中で、「慈善」という「善良な行為」に酔ったタレントたちが、おおげさに涙ぐんだり、口を一文字に結んだり、声を詰まらせたりしている姿を見ていると、テレビの前では逆にシラけてしまうのである。こいつら、番組では優等生的感動を見せているが、ウチへ帰ったらパンツ1枚でシャブ打っとんのんちがうやろな、と突っ込みのひとつも入れたくなるほどだ。

障害や難病と戦っている人よりも、それを励ましたり応援したりするタレントたちの「感動ぶり」がうるさいほど表に出すぎているのが、この番組のイヤなところなのだ。焼酎のCMにもあるだろう。脇役が主役より目立ったらだめなのだ。みんな、このCMを見習えっちゅうねん。


昨日、NHKニュースの中で、生まれつき「骨形成不全症」という、2万人に一人の難病を背負って生きている20代の女性の生活が紹介されていた。骨を作るための機能に異常があり、骨折しやすく、成長障害がある。中学時代には、いじめにも遭う。その女性、鈴木千絵さんは、やがて折り紙と出会い、それに打ち込む。そして今は折り紙講師として公民館教室で教えたり、学校で折り紙講習をしたりしている。あらゆるハンディを乗り越えてひたむきに生きるその姿勢に、僕はニュースを見ながら涙をぽろぽろとこぼした。

NHKでは、アナウンサーが視聴者に感動を押しつけないのがいい。

静かに鈴木千絵さんの日常をカメラで追い、ナレーションは淡々とした口調で流れる。見るものは、鈴木さんの生き方を知り、さまざまなことに思いを巡らせる。そして、そこから教えられるものは計り知れない。

視聴者の本当の涙は、視聴率戦略で作り上げられたドラマからでなく、こうして普通に報じられた事実を見たときに思わず流れるものだろう。

障害・難病に関しては、こういう報道でいいのではないか。

障害や難病の人たちの夢を、著名な女優やスポーツ選手との交流で夢をかなえて上げるのもいいだろう。しかし、それならそれで、なぜもう少し地味な形でかなえて上げられないのか…。それを、露骨な商業主義で運営し、キャスターやタレントがここぞとばかりワイワイ泣いたり騒いだりして追い風を作り、感動の押し売りをする…その構図が、たまらなく嫌いだ。

テレビの中の当事者たちが大はしゃぎすればするほど、
テレビを見ている側はシラけるものなのである。

 

 

 

 


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