僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 耳鳴りとカウンセリング

2008年06月05日 | 心と体と健康と

昨日の午前、2ヶ月ぶりに大手前病院へ行った。
そして、終わったらすぐに職場へ直行し、昼休みには仕事に戻ることができた。
6月に入ると議会が近づいてくるので、何かと相談や協議事項が多くなってくる。

「病院で、毎回どんな治療をしてはるんですか?」
と職場の者が聞くのだが、ただ「行って話をするだけや」と答えるしかない。
1月から行っているTRT療法(耳鳴り順応療法)の経過観察である。

どうも、他人には説明がしにくい。治療でもないし、訓練とも言い難い。…と思うのであるが、しかしこれはやはり一種の治療であり、訓練であるともいえる。自分でもよく説明できない。そして「それでどんな効果があるの?」と問われると、さらに返答に窮するのである。

いつものように「言語聴覚室」で順番を待ち、時間が来ると呼ばれて入室した。
「その後どうですか?」という技師さんの質問に対して、この2ヶ月間の耳鳴りの状態を報告した。といっても、特段の変化はなく、耳鳴りの音自体も大きな変化はない。音が小さくなってくれればいいのだが、耳鳴りというやつは一筋縄ではいかないから、そう簡単に良くはならない。

「まあ、徐々に慣れてきてはいますけど」と、僕は技師さんにそう伝えた。それは本当のことである。苦痛緩和のためのTCIも1日8時間以上つけているけれど、これも耳鳴りを消す機器ではなく、慣れさせるためのものである。これをつけていると、確かに少しはマシになる。これといった治療法もなく、慣れるよりほかに施す術がないのだから、慣れようとする努力は続けているつもりだし、TCI効果もあってか、それなりの成果も出ているような気はする…ということを相手に伝える。なんだか曖昧な話だけれど、耳鳴り自体が根拠も原因も曖昧なシロモノなのだから、その改善をめざしてやっていることも曖昧である。曖昧な病気を、曖昧な方法で、曖昧に続けているものだから、報告も曖昧になるし、アドバイスをする技師さんの言葉も曖昧である。

それはそれで仕方ない…と僕たち耳鳴り持ちは、一定期間が経つと、そういう心境に到達せざるを得ないのである。情けないといえば情けない。だが、それが耳鳴りをとりまく今の医療の偽らざる現状なのだ。そんなことで、昨日も20分くらいで言語聴覚室を出て、安定剤と睡眠薬をもらって職場に直行したのである。


耳鳴りは集中力をかなり妨げる。そして、僕の場合は睡眠障害も引き起こす。

機嫌よくビールを飲んでいる時などは耳鳴りが消える(というより、忘れる)けれど、何時間か経ち、寝ようとする頃に「反動」が押し寄せてくる。キーンキーンと大音量の耳鳴りが両耳で響きわたり、心底から不快感がこみあげてくる。そのままでは、いったん寝ついてもすぐに目が覚めて、その後が眠れない。そこで寝る前は、抗不安剤のデパスか、近所の医者に処方してもらったレンドルミンという軽めの睡眠薬か、あるいは大手前病院で出してもらっているマイスリーという「毎日は服用しないように」と言われている睡眠薬か、どれかを必ず服用する。何も飲まずに朝まで寝る、というのはむずかしい。というより、今のところは不可能である。

耳鳴りの苦痛を軽減したり、睡眠障害を緩和したりするのに、僕はいま、TCIや薬などに頼っているけれど、今後どう対処していくのかを突き詰めていけば、結局、日々の過ごし方の問題に帰着するのだろうと思う。たとえば、仕事に対してより前向きに取り組む、余暇を好きな趣味に打ち込んだり家族団欒で楽しむ、また、スポーツで汗を流したり、友人たちと和やかに雑談をしたり、あるいはおいしい食事に舌鼓を打ち、好きなお酒を楽しむ…というような生活術を高めて行くことが、症状を改善するうえで最も大切なことである、という道筋がはっきりと見えてきたように思うのである。毎回の病院での技師さんとの対話も、そういったことをカウンセリングしてもらうわけであるが、実際はそこまで具体的な話にまで及ばないまま終わる。ほんの入口で終わってしまうのである。これはある意味では人生論みたいなことにもなるので、検査室でそこまで踏み込んだ対話は生まれにくい。真の症状改善につながるような中身の濃いカウンセリングは、自分自身でしなければならないのである。

昨日、大手前病院で同じTRT療法に取り組むyukariさんと廊下でお会いし、お母さんも交えて、そのことについて、いろいろ話し合った。

yukariさんも、僕も、突如耳鳴りに襲われたときは目の前が真っ暗になった。

しかも、最初に診察を受けたとき、yukariさんは、いきなり医師から「耳鳴りは治らない」とつっけんどんに言われ、お母さんが激昂されたということであった。僕の場合は最初に行った耳鼻科の医師から「この耳鳴りは神経的なものだから」と、二度とここへは来るなというニュアンスのことを言われたし、次に行った医院では、「(耳鳴りは)1年くらいで慣れるらしいよ」と言われた。いずれも、不治の病である、という宣告をされたも同然である。

yukariさんの受けたショックの大きさは、僕には痛いほどよくわかる。

しかし人間には、どんな試練にも順応するという果敢な能力が備わっている。
耳鳴りも、その順応力に頼っていかなければならないもののようである。

耳鳴りは確かにウルさい。くそウルさい。くそウルさいけれど、外で暴走族が騒いでいるのではなく、自分の体の中で起きているものであり、これだけは苦情を持って行く先がない。自分だけの問題なのである。しかも医師は耳鳴りに関してはあきれるほど無力だし、無知である。これはもう、自分で治していくより他に方法がないのである。

最近読んだ村上春樹のマラソンに関する本がある。
「走ることについて語るときに僕の語ること」という題名の本だけれども、著者はその中で、マラソンの「苦痛」というものについて、あるアメリカ人の言葉を引用してこういうことを書いていた。

「マラソンの痛みは避けがたいが苦しみはオプショナル(こちら次第)である」
…という外国人のランナーの談話を、ある新聞で目にした著者は、「これだ!」と思ったという。

マラソンを走ることはきつい。そして走りながら「きつい、もう駄目だ」と思ったとする。「きつい」のは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられているのである。「この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う」と村上春樹は述べている。

僕はこれを読んで、耳鳴りも同じだと思った。
耳鳴りが「きつい」のは避けようのない事実だ。
しかし、「もう駄目」かどうかは、自分がどう処するかで決まってくる。
克服出来る人はするだろう。出来ない人は「駄目だ」と落ちてゆく。

繰り返し自分に言い聞かせるわけだけれど、耳鳴りは、自分で治すものだ。
耳鳴りとの格闘に、疲れたりくじけたりしてはいけない。
耳鳴りがどんなに鳴り響こうとも、そのうち慣れてくるのだ、ということを信じて生きていけば、きっと改善の道が開けてくるはずである。
必ず「日はまた昇る」のだ。「もう駄目」と思ったときが、負けるときである。

「これをバネに自分を成長させるんだと思えば、逆にプラスになるかもね」
「そうね。落ち込んでいてもしぁ~ないもんね」
と、僕とyukariさんとお母さんは、大手前病院の廊下でそんなことを話した。

「比べちゃいけないのかも知れないけど、テレビで難病の人のことなどが映っていると、世の中には不運な方がたくさんおられるんだなぁ、と思うし、それからみれば、耳鳴りくらい何やねん、と思いますよね」
「そうそう、自分の足で歩けて、自分の口で話せて、美味しいものが食べられる。それだけで十分幸せだもの」
…と、僕も、yukariさんも、お母さんも、しみじみとうなずき合った。

技師さんのカウンセリングより、こちらの会話のほうがよほど効果的なカウンセリングだったのではないか。

 

 


*6月は仕事その他いろいろありまして、末までブログを休みます。
 梅雨どきの蒸し暑い毎日が続きそうですが、皆様、お体をお大事に。
 

 

 

コメント (21)
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 新聞見出しの怪

2008年06月03日 | 雑記

もういい加減にトイレから離れなければならないと思いながら、PCの前に座るとまたトイレのあれこれが頭の中を飛び回り、他のことが浮かんでこない。なんとも困ったことである。夜中にトイレの夢を見て、おねしょでもしたらえらいことだ。

おねしょといえば、自慢するわけではないが、僕は小学生の半ばまでおねしょをしていた。
「ほんまにもう困った子や。いつになったら、なおるんやろなあ~」
と、母が深いため息をつきながら、おしっこに濡れた敷布団を眺めていた。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが。

パリ旅行から帰って、何やかやと整理をし、ブログも5月中ずっとその旅行記にかかりっきりで、ようやく一段落ついた。この辺で話題も一新したいのだが、どうしてもまだトイレについて書き足らないことがあるような、すっきりしない(残尿感?)気分であるが、それはそれとして、きょうは新聞や出版物の「誤記」について書いてみたい。

10年ちょっと前まで、6年間、僕は広報の仕事に携わっていた。
僕が勤める市の人口は13万人ほどで、世帯数は5万余り。各家庭に配布される広報も5万部以上印刷されるわけである。しかしまぁ、刷り上って納品されてから、誤記とか印刷ミスなどが見つかった場合は真っ青になる。字の間違いなど小さなミスは知らんぷりを決め込むが、行事の日時や場所を間違うと大変である。一度、確定申告の日時と場所を、担当員が前年の記事の内容をそのまま使うという大きなミスをしたときは、目の前が真っ暗になった。「お詫びと訂正文」を5万部刷って、各町会長さんに「申し訳ありません。もう一度これを配布してください」と平身低頭でお願いをして回った。えらい紙の無駄使いをしてしまったものだ。「まったく、公務員はたるんどる」と、市民に痛罵されても仕方がない不始末であった。

あるときは「年金に関する電話相談コーナーを設けました」という記事を出した。その電話番号が、実際の番号と下一桁が間違っていた。間違ったその電話番号は、市民であるAさん方の番号といっしょだった。

広報が各家庭に届いた日、さっそくAさんから苦情の電話がかかってきた。
「今朝からうちの電話が鳴りっぱなしや。何やと思たら、年金の相談やて。広報になんでうちの電話番号が書いてあるねん。どないしていくれるねん!」
超特急でその家に走り、お詫びの言葉もなく、ただ頭を下げて、その人の怒りの収まるのを待つのみであった。

住民生活に直結する広報であるが、作っているのは素人の職員である。
それなりに研修を積んだり、業者からアドバイスを受けたりはするが、なかなかノーミスを貫くことは難しい。印刷物を発行するというのは本当に大変なことであることを、広報にいるときは身に沁みて感じたものである。

東京都のある区政だよりの2月号にこんなのがあった。

新星人 区内に9千人(どこの星からやってきたのだ? 9千人も)

こんな見出しがつくと、写真の晴れ着姿の20歳のお嬢さんたちが気の毒だ。
しかし、こういうのを見ると、他人事とは思えない。


プロの作る一般新聞も、よく間違いをしている。
毎日のように訂正分がスミのほうにごく小さく掲載されている。
ま、プロも人間である。完璧というものは、めざしていても叶うものではない。

こんな見出しがあった。
「殴られ重体の老人死ね」(上毛新聞)
殴られて重体だった老人が死んだという記事であろう。
しかし「死ぬ」が「死ね」となっている。「ぬ」と「ね」を間違えた。

 殴られ重体の老人、死ね

怖ろしい見出しである。びっくり。

4月に新入社員たちが社会人として第一歩を踏み出したときの見出しに、

期待と不安を脳に  とあった。

まあ、脳で期待と不安を感じるのも間違いじゃないでしょうけど…。

次は札幌で、これも老人が車にはねられた。その時の見出しは

 札幌 はねられてお年寄り というものだった。

お年寄りがはねられたことは何となくわかるが、
「はねられた拍子に年寄りになったんか?」
な~んて「深読み」する人もいるのである。
凝った見出しは誤解を生むので、ここは素直に「札幌 お年寄りはねられる」でしょうね。「はねられてお年寄り」って、なんだか「飛んでイスタンブール」っていう感じで、歌の題名みたいだぞ~ん。

誤解を生む見出しといえば、いろいろあります。

よく、「らも」という言葉が使われます。
「党員らも賛成」とか「役員らも辞任」とかね。
故中島らもさんが逮捕されたとき
「中島らも逮捕」という見出しが踊った。
中島さんという人と、ほかに誰かが逮捕されたのかと…。

しかし、誤記も笑いごとでは済まないことがあります。
昔、「明治大帝」を「明治帝」と誤記した大新聞があり、社長以下すべての幹部が辞職したということである。
最近では静岡新聞が、「英皇太子」のことを「英臭太子」と書いたが、こちらのほうはお咎めなし。英国の皇族は、漢字読めないもんね。

ちょっとアダルト系ではこんなのがある。

サッカーのカズの談話→「僕は入れるだけ」
一橋大の能楽研究会に関する見出し→「女子大生がシテ」
政界の見出し→「やったか」と各党「ほんの入口」と幹事長

ちょっと考えすぎですか。失礼しました。

…と書きながら、やっぱりトイレの話が気になる。
またも、最後はトイレで締めくくり。新聞誤記とは全然関係ありません。

パリ道中記では書かなかったけれど、あるレストランで食事を済ませ、帰り際にトイレの場所を尋ねると、店の女性が「こちらです」と案内してくれた。「メルシー」と入りかけたら「ぱれぴれぷれぴれぴれれれれ!」と中からマダムが叫んだのであやうく腰を抜かすところだった。マダム、鍵くらいかけておいてよ~ん。

その話は、昨日のyukariさんからいただいたコメントを読んで思い出したのだ。
お腹を抱えて笑ったので、もう一度ここでご紹介したいと思うのですが。

そのコメントによると、yukariさんは、昔、新幹線のトイレの中で…
鍵をかけ忘れて…あぁ~、これ以上僕には書けない。書けません。
まだお嫁入り前のレディなのに、そんなことを僕が書いたらセクハラぢゃ。

昨日のyukariさんのコメント、まだお読みでない方はぜひ…。
メチャクチャ笑ってしまいますよ。
本当に、yukariさんって人は、笑わせ名人です。

ではyukariさん。
明日、大手前病院でお会いしましょう。

 

 

 

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 まだ続く、トイレの話。

2008年06月02日 | 旅行

もう6月に入ったというのに。
まだトイレネタで引っ張るのか、と言われるのを覚悟で、今日もまた…。

ネット友達のじゃいさんには、コメント欄でいろいろな関連リンク先を紹介していただいていますが、前回のトイレに関するサイトにはほとほと感心しました。

ただし、「食事の前は見ないほうがよろしいでしょう」とのことですが…。

じゃいさんが紹介してくれたリンクの一つ、「世界のトイレ事情」のフランス編を見ますと、そこに「しゃがみこみ方式」というのが載っていました。
パリに、こういうトイレがあるということに、僕も驚いた経験があります。

モンパルナスのカフェの地下トイレに入ったときに「それ」と出会った。
「なんだ。パリにもニッポンと同じ“和式”があったのか」
そう思って、何気なくしゃがんだのだが…

ドアを背にして、しゃがんだ。
日本人としては、それが、普通のように思いませんか?

日本の和式の個室は、ドアを開けると便器が横向きになっている。
だから、しゃがんでも、横にドアがある。
あちらの国のしゃがみこみ式便器は、ドアに対してタテ向きになっている。
それで、何も考えず、ドアにお尻を向けてしゃがんだわけ。
これが大きな間違いだった。ここはドアのほうを向いてしゃがむようになっており、一段高い足場もついていた(その時は足場に気がつかなかったが)。
そして、反対向きで用を足した僕は、そのあと…

終わって水洗のレバーを引くと、凄まじい勢いで水が噴出してきた。

水槽の水は圧搾空気の圧力で瞬間的に押し出され、ちょうどホースの先端を指でつぶして水を出すような勢いで噴出したのである。

足場以外は一段低くなっており、水が勢い良く床の上をビュンビュン流れる。
便器の中だけでなく、床ごと水で流すのである。
なにせ反対向きで座っていた僕は、足場から足をはずしていた。
あ~、なんということ。靴がびちょびちょになってしまったのである。
おまけに、水のしぶきでズボンもベチョベチョになった。
狭い個室で、避難する場所もなく、あ~もう、それはそれは酷い目に遭った…。

まぁ、自分の経験談はそれくらいにして。

じゃいさんが紹介してくれたこの映像には、思わずニンマリ笑ったり、
ゾオ~ッと凍りついたり、ぎょえぇ~ッと叫んだり、
「ほんまかいな」というようなトイレの数々が登場します。
これを見たら、もう、世界中の、どんな奇抜なトイレにも驚かないでしょう。

一見の価値ありです。

後学のため(?)にも、ぜひご高覧ください。

        

http://uk.youtube.com/watch?v=H7vpiN6JOk4



人生いろいろ、トイレもいろいろでございます。

 

 

 

 

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