僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

モミィ 成人式の前撮り写真を撮影

2024年07月30日 | 日常のいろいろなこと

モミィは今年10月に19歳になり、来年10月に20歳の誕生日を迎えます。

最近、法律で成年年齢が18歳に引き下げられ、成人式も18歳を対象に行うのではないの? という見方もあるようですが、式を開催するのは各市町村で、ほとんど式の対象年齢は、これまでどおり20歳を対象に行われているようです。

ということで、モミィは再来年の1月に成人式を迎えるわけですが

一昨日、モミィが成人式の「前撮り」というのに行きました。
場所はあべのキューズモールというところにあるお店です。

「前撮り」というのは、僕も妻から聞くまで知らなかったのですが、成人式当日に振袖の着付けや写真撮影をするというのは、撮影時間や場所が限られており、なかなか大変なので、それなら事前に写真撮影だけはしておく、という意味で、「前撮り」と言われているそうです。

で、その日はお店のスタッフの方に、髪型やメイクをしてもらったり、振袖を着せてもらったりしたあと、中にあるフォトスタジオで写真を撮ってもらう、ということでした。そしてモミィだけではなく、家族揃っての写真も撮るので僕も一緒に行ってほしい、と妻から頼まれた。お店に行く時間は午前11時で、長男(モミィのパパ)もその店へ直接来るという。

前撮り、ねぇ。そういうのが、あったんだ。
モミィも友達が多いのでいろんな情報を持っている。
僕らから見ると早過ぎる「前撮り」ですけど(笑)、そういう友だちが割に多くいるようです。今の若い子の感覚は僕にはわかりましぇ~ん。

で、僕も一緒に行くことになったので、最近はほとんど着ていない背広とネクタイ姿で、暑い中を阿倍野へ向かった。

そしてあべのキューズモールの2階にあるお店に行き、長男と合流し、あとはスタッフの女性に、モミィが髪型を丁寧に整えてもらい、メイクもしてもらって、さらにどこかの部屋に行って振袖を着せてもらったりとしている間、僕らは何もすることがなく、その辺の椅子に座ってただ待っているだけだった。

そうこうするうちに、振り袖姿のモミィが現れ、スタッフの方に案内されてフォトスタジオに入り、モミィがいろんなポーズで撮影をしてもらい、最後は4人の家族写真を何枚か撮ってもらった。

ようやく撮影が終わり、また長い間待った後、スタッフの女性が戻ってきて沢山撮った写真の出来上がりを全部見せてくれた。それらの写真を見せてもらいながら、最終的にアルバム載せる10枚前後の写真を僕たちで選んだのです。

お店に着いたのが午前11時頃でしたが、
すべてが終わった時には、午後3時になっていました。

み~んな、お腹ペコペコだったので、4人でお店を出てキューズモールのレストラン街へ行って1軒の店に入り、やれやれ、と一息ついた次第です。

 

★フォトスタジオでの光景です。 

 



ところで、これで思い出したのですが、モミィが10歳の時に、
「2分の1成人式」ということで、隣接市のフォトスタジオで
こんな写真を撮ってもらったことがあります。

 

  2分の1成人式。モミィ、満10歳。
  2015年10月の写真です。
  これこそ前撮り中の前撮り?(笑)

 

 

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10人きょうだいと一人っ子

2024年07月11日 | 日常のいろいろなこと

妻の姉が亡くなって1年が経った。
妻とは本当に仲が良く、僕も加わって3人で、ラスベガス、ハワイ、パリ、カナダ、そして姉の次男が住むアルゼンチンなど、海外旅行へも行った。さらに一番最近では5年前、モミィも入れて4人でローマ、パリ旅行へ行った。


  
  5年前の4人での旅行。パリのルーブル美術館をバックに。
  写真の一番右が義姉です。

その義姉が去年の7月に亡くなったことは、このブログにも書きました。

妻は、実は10人きょうだいの末っ子、つまり10番目で、仲のよかった姉は8番目でした。

「10人きょうだい」なんて、今の少子化の時代、考えられませんよね。
しかし、10人のうち、3人は、生まれて間もなく亡くなったとのことで、実質的には7人きょうだい、ということになるんですが。

亡くなった姉さんは妻より6歳年上でした。二人の間にはもう一人男の子がいたそうですが、その子は前述のように生まれて間もなく亡くなっています。だから、その姉さんが妻のすぐ上の姉、ということになるんですよね。

思い返してみれば
僕たちが結婚した頃、大阪市内の妻の実家へよく遊びに行ったのですが、年2回、兄さんや姉さんたちが集まる会が開かれていて、そこで賑やかに楽しい時間を過ごしたものでした。
僕は一番年下だったので可愛がられたものです(えへへ)。

「もう1年なんや。早いねぇ」
と、昨晩も妻と食事をしながら、義姉のことを偲び、さらにそんな昔の話などを交わしました。

それにしても、
妻は10人きょうだいの末っ子なんですが、
では僕は、といえば、一人っ子なのです。

10人きょうだいと一人っ子 

こういう組み合わせって、珍しいですよね。

だから僕は、「きょうだい」というのがどういうものなのか、肌で感じたことはないんですよね、当然のことながら。
兄や姉、弟や妹。もしそういう存在がいれば、自分は今とはまた違った性格の人間になっていたのかなぁ、という思いにも耽ることがあります。

と言っても、
「なら、一人っ子で育ったあんたは今、どういう性格やねん?」

と訊かれたら、それはそれで返答に窮しますけどね~。

だいたい自分の性格なんて、自分で説明できませんし(笑)

 

 

 

 

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今年も半分終わりました ~入院やモミィの一人暮らしなど~

2024年07月01日 | 日常のいろいろなこと

今日から7月ですね。
早いなぁ、もう7月。

毎日、猛暑だったり大雨が降ったりと、天候に振り回されますね~

さて、今年もちょうど半分が終わりました。
今年の前半は、わが家では2つの大きな出来事がありました。

一つは僕自身の体調のこと。
昨年末から不整脈が悪化して、これまで通っていた病院から別の病院に移り、診察を受けたのですが、正月も調子が悪く、カテーテル手術を受けることを決意しました。そして2月21日に入院し、翌22日に手術を受けたのでした。

それ以来、瞬間的に心拍が乱れたり、何となく心臓がだるいような症状はありますが、以前のような不整脈は出なくなりました。さすがに手術の成果は大きいです。

そんなことで、入院から始まった今年なんですけど、もうひとつの大きなことと言えば、モミィが大学に入り、梅田で一人暮らしを始めたことでした。それが4月からでした。

モミィにとって頼りになるのはうちの妻だけだったので、最初の頃は、妻にしょっちゅうLINEや電話でいろんなことを言ってきたようですが、最近は友だちもたくさん出来て、コミュニケーションには不足しなくなったようで、以前なら妻に相談していたことを友達同士で話し合ったりすることもあるようで、最近はLINEや電話がめっきり減りました。

妻もやれやれ、といった様子ですが、それでも、今もスーツケースを引きずって洗濯物を取りに行き、わが家に持ち帰って洗濯をし、乾かして、またそれをスーツケースに入れてモミィのマンションに持って行く、ということをしています。

モミィのマンションは女子大学生が主な入居者で、個々の部屋には洗濯機がなく、別に洗濯室というのがあって、そこで入居者たちが共同で使うのですが、乾燥が終わるまでかなりの時間がかかり、しかも洗濯機や乾燥機は数えるほどしかなく、いつでも空いているわけではないそうです。
で、モミィが面倒がるので妻が家に持ち帰って洗濯をするというわけ。

ま、そんなことですが、モミィはいつも週末には帰ってきています。
「お、来たか。いらっしゃい」と僕が行ったら、モミィは憮然として、
「いらっしゃい、と言わんといて。お帰りって言うて」
な~んて、こまっしゃくれたことを言います(笑)。

そのくせ、僕が一人で買い物に行く時は、
「行ってらっしゃい」ではなく、「バイバ~イ」とか「あばよ!」な~んて面白がって言うんですわ。
どんな女子大生や。

わけ、わからん子ですわ。
まぁ、そんなことで、
モミィはいなければ寂しいし、返って来たらうるさいんでよすね~(笑)

まぁ、僕の入院手術はいい思い出ではありませんが、モミィの一人暮らしが始まったことは今年前半の一番の出来事、というふうになりますね。

さて、今日から始まる今年の後半には、
どんなことが起きますことやら。

 

 

 

 

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モミィは「お菓子作り」が大好き

2024年06月26日 | 日常のいろいろなこと

モミィが1人暮らしを始めて3ヵ月近くが経ちました。

基本的には、金曜日にわが家へ帰ってきて、2泊して日曜日に戻って行くというパターン。金曜日の夕方はモミィがずっと通っていた近くのECCで講師のアルバイトをしているので、家に戻るのはそれが終わってからで、少し遅くなります。

土曜日は昔からの友だちと会ったり、妻と買い物に出かけたりしています。

そして日曜日は夕方から、大阪市内のスタバでのアルバイトがあるので、昼過ぎには出て行きます。つまり2泊3日と言っても、家にいる時間はあまりないというのが実情です。

で、特に予定がない時は、妻に手伝ってもらいながら家でケーキやお菓子を作るのも楽しみにしているんですよね。大学で知り合った友達グループで、お互い自分たちが作ったお菓子を交換しながら食べたりするんだそうで、今はこの「お菓子作り」にかなり力を入れている様子です。

ということで
最近では、先週の日曜日(23日)の午前中のこと。

妻とモミィの二人がキッチンでお菓子作りをしていました。作ったのは、パウンドケーキとフロランタンというもので、小麦粉や卵、リンゴ、牛乳、アーモンドスライス、パウダーシュガーなどなど、いっぱいの材料を山のように積み上げて下地を作り、手でこねて形を作り、いったん冷蔵庫に入れて冷やして固め、それをオーブンで焼き

というのを僕は横で見ていました(チラチラっとですけど)。
卵を割って黄身と白身を分ける、程度の手伝いはしましたけどね(笑)

で、その時の写真がこれです。

 
  これは「パウンドケーキ」というものです。

 
  カリっと焼きあがりました。

 
  それを切っているモミィ。
 
 
 

  切ったらこんな感じです。見た目は玉子焼きみたい(笑)


 
  そしてもうひとつ作ったのは、フロランタン。

フロランタンとは、ネットで調べると
「クッキー生地にキャラメルでコーティングしたアーモンドをたっぷりのせて作るフランスの伝統菓子」
というふうに書かれていました。

「たくさんあるから、のんちゃんも食べてや」
と、モミィがこのフロランタンも切って、僕にくれました。

 

「お酒のつまみ」には造詣の深い僕ですが(笑)、
甘いお菓子類にはほとんど縁がなかった。

しかし
これをカリリっと口に入れたとたん、あまりの美味しさにビックリ仰天でした。

うま~~~~い、フロランタン!

そして、もうひとつ、パウンドケーキもメチャおいし~~い!

これまで作っていたのはほとんど普通のケーキかクッキーばかりだったのに、今回の二つはなんとも美味しい。

ちょうどお昼時になっていたので、
冷蔵庫からワインを出し、2種のお菓子をアテにグイ~っとやりました。

なんとまぁ、ワインにもよく合うこと。
おいし~~い!

陰の声
 何でもお酒のアテにしたら、あきまへんで。
 お医者さんからお酒を控えるように言われているのに。

 

 

 

 

 

 

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来年は昭和100年ですね~

2024年06月14日 | 日常のいろいろなこと

来年は昭和100年だそうです。
100年ですよ、100年!

日本では元号と西暦の2つを使うので、ややこしいです。

「私は昭和35年生まれです」と言われたら、その人がいま何歳かすぐにはわからない。もちろん昭和の頃だったら引き算をすればすぐにわかるけれど、平成になり、さらに令和になった今は、頭の中で計算のしようがないもんね。

でも、西暦で「私は1960年生まれです」と言われたら、今は2024年だから64歳だということが計算すればわかる。

つまり、年齢に限らず、何かの出来事がいつ起きたか
たとえば平成5年に何か大きな事件や災害があったとしたら、それが今から何年前なのかも、西暦に置き換えなければわからない、という状態ですよね。

そんなこともあってか、最近はテレビなんかでは過去の出来事はほとんど西暦で表されるか、西暦と元号の2つを表記していますよね。

で、僕は平成が始まってから令和6年の今年まで、毎年「今年は昭和で言えば何年」というのを常に頭に入れていたので、昭和生まれの人の誕生年を聞くとすぐに引き算ができて年齢がわかりました。

まぁ、そういうことなんですが
今年は「昭和で言えば99年」ということになり、いよいよ来年、100年になるんですよね。「三ケタ」ですよ。

それで思い出したのですが、僕が高校生の頃、1月の新学期に最初に登校した日の朝礼で、壇上に立った校長先生が開口一番、
「諸君、新年おめでとう。さて来年は明治100年を迎えます」
という話から挨拶が始まって、僕は今もその言葉が記憶に残っています。
「へぇ、明治100年か。すごいなぁ」と思いながら、何がすごいのか、よくわからなかったことも覚えていますけど(笑)。

それから長い歳月を経て、今度は昭和100年ですからね~

そしてその次には平成時代。
「平成100年」ってのも、来ますよね、当然。
モミィは平成17年(2005年)生まれなので、
平成100年(2088年)には83歳になっています。
モミィ婆ちゃん!(ウフフ、どんなんやろ?)

ちなみに、明治100年は、東京オリンピック(64年)と大阪万博(70年)に挟まれた、日本が高度経済成長期だった頃でした。いい時代だったんですね~

来年の「昭和100年」も、当時と同じように、東京オリンピックと大阪万博に挟まれていますが、今回の場合は政治・経済情勢が低迷し、国民生活に暗雲が垂れ込めている状況で、何とか来年には明るい日差しが戻ればいいな、と陰ながら願っています。

でも、僕自身が「昭和100年」となる来年まで、生きているのかなぁ。
当然のことながら、それが僕個人としては一番大きなモンダイですわ。

 

 

 

 

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サイゼリヤは スマホで注文!

2024年06月05日 | 日常のいろいろなこと

先日、妻がモミィのパジャマや靴下を買いたいというので、バスに乗って近鉄八尾駅前にある「アリオ八尾」というところへ行った。

ここは多彩な専門店からなる大型ショッピングモールで、品数も豊富である。隣には元西武百貨店の専門店ビルもあり、その辺をうろうろするだけで、かなり歩けるし、冷房も効いているので、暑い太陽の下で歩くよりず~っといい。

で、そこで妻の買い物が終わり、ちょうどお昼時だったので、食堂のフロアへ行き、サイゼリヤに入った。

 

サイゼリアでは人気の辛味チキンやムール貝のガーリック焼き、エスカルゴのオーブン焼きなどを注文し、ワインも頼んだ。

しかし、その注文方法なのですが
これまでとは全く変わっていたのに、驚いたのです。

これまでは、各テーブルに置かれていた注文用紙に、メニューの番号と個数を書き込んで店員さんに渡す形だったのですが、この日は注文用紙が置かれておらず、その代わりに長方形の小さな札のようなものが置いてありました。

  これです 

 
  ネットから拝借した写真です。

テーブル番号の右側に「注文用QR」というのがあって、これを使ってスマホで注文する、という仕組みになっているという。
こういうのに弱いので一瞬ビビったけれど、ともあれスマホを出して、カメラでそのQRコードを読み取った。

すると、スマホに「何名様ですか」と聞いてきて、ピッピと記入すると「次へ進む」と出て、そこからスマホ画面で商品番号と数量を記入していき、僕も妻もなんとか注文が終わったら、しばらくして店員さんが次々と料理を持ってきてくれた、というシステムになっていたのです。

やれやれ。
今の世の中というのは、どんどんこんなふうになってきますよね~
もちろん、スマホで注文できない人はベルを押して店員さんを呼んで注文することもできるようですが、周囲を見ているとそういうお客さんはいなかった。

今はパネルを押して注文するのが普通になっていますけど、スマホで注文というのは僕たちにとって、初めての経験でした。

まぁ、モミィなんかはこういうことは自在にこなしているようですけど、これからは益々こういう傾向が強くなっていくのでしょうね。

サイゼリアはメニューが豊富だし、値段も安いし、ワインも美味しい。大好きな店ですが、こういう注文方法になっていたとはね~
ホント、びっくりしました。

まぁ、次回からは大丈夫ですけど(そらそうでしょ)。

 

 

 

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モミィ 一人暮らしから約2ヵ月

2024年05月26日 | 日常のいろいろなこと

‎モミィが一人暮らしを始めて2ヵ月近くが経ちました。

学校へ通う傍ら、大阪市内のスタバで週3~4回、授業に支障のない時間帯でアルバイトをしています。これも話を聞いてみると、いろんな先輩たち、そしていろんなお客さんたち(外国人も含む)がいて、聞いていると面白いです。

つい先日も、外国人のお客さんがお金を払う際に、財布ごとこちらへ渡したのでびっくりした、と言ってました。そこから料金だけを抜いて財布を相手に返したのだけど、
「そんなふうに、いろんな人、いてはるねんで~」
という話を昨日モミィから聞いて、妻と3人で笑ってしまいました。

毎週、金曜日の夜遅くにわが家へ帰ってきて、土曜日は友だちと遊びに行き、日曜日にはスタバのアルバイトが午後3時頃からあるので、昼過ぎに出て行きます。今日がその日曜日なので、昼過ぎに帰って行きました。次はまた月末の金曜日に帰ってきます。そんなことで、金~日曜日は、帰って来るのですが、ず~っと家にいるわけでもないんですよね。

さて、そのモミィ。
先日から少し体調を壊して、妻と何度もスマホでやりとりをしていました。
鼻水が出て、咳が出て、声が枯れる。でも熱はほとんど平熱。
妻がお医者さんに行くように強く勧めたら、梅田にあるクリニックへ行ったそうで、診断の結果「黄砂」のアレルギーもある、とのこと。モミィは小さい頃からアレルギー体質で、これまでも妻に皮膚科に連れて行かれたりしていました。

実はモミィは、これまでず~っと妻が付き添っていたので、一人でお医者へ行くのは初めて。妻が持たしていた保険証やお薬手帳を「忘れたらあかんで」と妻がしつこく電話で伝えたので、どうやら「初めて一人でお医者さん」へは無事に行けたようなのです。

何種類かの薬をもらったということで、それを写真に撮って妻にLINEで送ってきました。そして、
「お薬って、お医者さんで直接もらうのではなく、薬局へ行って、お医者さんがくれた書類を見せて、もらうんやねぇ」
な~んて言ってたとか。「院外処方」というのを知らなかったんですね。
そんなことも知らなかったモミィでしたが、まぁ、一人でお医者さんに行って薬をもらった、というのは貴重な諸体験だったと思います。

18歳といえばもう成人なんですものね。
これから、いよいよ大人として生きていくモミィです。

大学では沢山の友だちができたと言ってました。

今後の更なる成長を、僕たちがいつまで見守ってやれるかはわかりませんが、
とりあえず「ここまで来たんや」と妻と話しながら、
ちょっと心地よく、昔のモミィを思い出したりしています。


 
  幼稚園の卒園式で(2012年3月) 

 

 

 

 

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自分のプロフィールのごく一部変更

2024年04月30日 | 日常のいろいろなこと

今日は、ブログの右側に出ている「プロフィール」の欄の話ですけど。

先日までは、これでした。
改めて読んでみると


自己紹介。
妻と高校生の「娘」と3人暮らし。
耳鳴りと心房細動(不整脈)に悩まされていますが、
無傷の人生って誰にもないんですからまぁ仕方ないかと。
ブログにいろんな思いを綴ることで、なるべく心の年はとらないように!

 と、書きました。

つまり、妻と高校生の「娘」と3人暮らし。


という書き始めだったのですが、先日ふと気がつきました。
何かと言えば、

モミィはもう「高校生」ではなく、大学生になったのですよね。
これは書き換えなければと思い、

「妻と高校生の『娘』と3人暮らし」
というところを、
「妻と大学生の『娘』と3人暮らし」
と書き改めてみました。

いや、
ちょっと待って。

そういえば、4月からモミィは大学の通学の関係で、梅田で一人暮らしを始めました。

ということは、「3人暮らし」ではない

でも、通学に不便だから梅田に行ったわけで、一時的なものだ。

う~ん、今でも金曜から日曜までの2泊3日は家に帰って来ていますしね。

そこで頭を絞り、悩んだ末、

「妻と大学生の『娘』と3人家族」
と変更しました。

「3人暮らしと3人家族は、どうちがうん?」
と聞かれたら返答に窮しますけど、
まぁ、なんとなくごまかせた感じですかね。

ということで、プロフィール欄のごく一部を変更しました。
たぶん、ほとんど、どなたも気づいておられないと思いますけど(笑)

 

 

 

 

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ヒロユキとソルちゃんと 最後の晩餐?

2024年04月19日 | 日常のいろいろなこと

義姉の旦那さんのお葬式から1週間経った昨日、アルゼンチンから来ているヒロユキと妻のソルちゃんのお誘いを受けて、大阪の京橋のイタリア料理店で会って4人で食事をしました。

 
 うちの妻とヒロユキ、ソルちゃん。ここでお別れでした。

アルゼンチン・ブエノスアイレスのレストランでシェフをしているヒロユキは毎年4月に3週間の休暇をもらって日本へ来ている。しかし、2020年から22年までの3年間はコロナ禍で来られず、23年、つまり去年、久しぶりに来日した。

しかしその年の4月はヒロユキの母である妻の姉(つまり義姉)が体調不良で入院をしており、僕自身も体の調子が悪かった上、モミィもイギリスへ短期留学していた時期だったので、去年は会えずじまいだった。

  …………………………………………………………………………

思い起こせば、義姉の末っ子であるヒロユキが家を出たのは彼が26歳の時、1995年の元旦だった。1995年(平成7年)と言えば、1月に阪神淡路大震災があり、そのあと3月に、オウム真理教の地下鉄サリン事件があったりして物騒がせな年だった。

春に妻とフランス旅行を申し込んでいた僕たちは、旅行を10月に伸ばした。そして、ヒロユキが料理人として働いているスペインのサンセバスチャンという街へ行ったのでした。サンセバスチャンはフランスとのほぼ国境にあり、パリから特急列車に乗ればそれほど時間はかからなかったのです。

その後、ヒロユキは料理人としてアルゼンチンのブエノスアイレスへ行ったと聞いた。なんとまぁ、地球の裏側まで行ったんや、と驚いたものです。

その後のことはこのブログにも何度も書いていますが、僕が市役所を退職した年である2009年の9月に、ヒロユキの母(妻の姉、つまり僕の義姉)を誘って3人でアルゼンチンへ行くことにしました。

現地に着き、義姉にとっては、14年間会っていなかったヒロユキとの対面でした。26歳で家を出て、今は40歳になったヒロユキを見て、義姉は感慨無量だったと想像できます。

 
  ヒロユキと母である義姉、14年ぶりの再会でした。

 
 ここはブエノスアイレスの中心地。ソルちゃんと僕です。

そして、
それをきっかけに、翌2010年から2019年まで、毎年4月に休暇をもらって、ソルちゃんと2人で日本へ来るようになったのでした。

むろん、その都度、会いました。僕らはモミィも連れて行ったのですが、2人はモミィをとても可愛がってくれましたね~ 

   
    ソルちゃんと小学生だったモミィ。
 

ところが、2000年から2002年までの3年間はコロナ禍で日本に来ることができなかったんですよね。

そして、前述のように2003年(去年)4月、久しぶりの来日も、義姉の入院と僕たちの都合もあり、会えないまま終ってしまいました。義姉は7月に息を引き取りましたが、その時はヒロユキたちは日本にはいませんでした。

それで今回、義姉の旦那さんの死去が4月だったので、たまたま日本に帰っていたヒロユキとソルちゃんはお葬式に立ち会うことができました。その時はゆっくり話す余裕はなかったのですが、数日前に「会いたいです」と連絡があって、昨日、ヒロユキの実家の近くの京橋で、ヒロユキ、ソルちゃん、うちの妻、そして僕の4人で会った次第です。

モミィは学校やスタバのアルバイトがあるので時間の都合がつかず、今回は会えなかったことを、ヒロユキとソルちゃんはとても残念がっていましたが、これはもう、仕方がないことだと思います。

僕らがアルゼンチンへ行った翌年から10年間、ず~っと日本へ帰って来たヒロユキたち。コロナで3年間のブランクのあと、去年と今年で2年。計12回、日本に帰ってきました。

でも、去年に母が亡くなり、今年は父がなくなりました。
ヒロユキの姉と兄はそれぞれ東京で生活をしているので、大阪の今の家に戻っても、誰もいないということになります。

「寂しいですね」とヒロユキ。

う~ん。これが「最後の晩餐」に?

ヒロユキとソルちゃんは、
もう日本には帰って来ないんだろうか?
二度と会うことができないのだろうか?

 …………………………………………………………………………

 最後に、あきれるほど古~い古~い写真をご紹介します。

 

 義姉の3人の子供たちと、僕らの2人の子供たちです。
 まず義姉の子供たちから。
 一番右側がヒロユキ君。この時はまだ日本にいます(当たり前やがな)。
 真ん中の奥にいるのが、去年の母親、今年の父親のお葬式などを仕切った、
 しっかり者の長女、美〇ちゃん(東京在住)。
 その前で手を上げているのが長男でやはり東京在住で内科医の信〇君。

 次に、わが家の子供たち。
 前列、真ん中の赤ちゃんがうちの次男です。
 そして一番左側にいるのが長男。つまり、モミィのパパですわ。
 こんな時代があったなんてねぇ

 

 

 

 

 

 

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「多死社会」で火葬場も順番待ち

2024年04月14日 | 日常のいろいろなこと

去年の7月11日のブログで、妻の姉が亡くなり、

「義姉の死」

という文章を書きました。

妻と大変仲が良く、僕も義姉と妻の3人で何度も海外旅行へ行ったほど親しくつき合っていたので、その死はとても辛いものでした。

そしてそれから9カ月。
今度はその義姉の旦那さんが、4月の7日に亡くなったと連絡が入りました。

義姉が亡くなった時、すでに心身が弱っており、外出も難しい状態でした。そしてその後、入退院を繰り返していたと聞いています。

妻を亡くして一人になったら、夫というものは後を追うように亡くなることが多いと聞いていますが、まさにその典型のように見えました。

亡くなった二人には3人の子がいるけれど、前にも書きましたが、長男は東京の病院で働く内科医、次男はアルゼンチンで住んでいるヒロユキ、そして長女の美〇ちゃんも東京でOLをしているのですが、この美〇ちゃんが仕事の合間に、頻繁に大阪に戻って親の世話をしていたと聞いています。

今回も美〇ちゃんから電話があったのですが、亡くなったのは7日の日曜日だったのに、お葬式は4日後の11日だと知らされました。つまり、火葬場が混雑しているんでその日までお葬式が挙げられない、ということ。

で、僕らは11日に大阪京橋の近くの葬儀場へ行き、「一日葬」という形の葬儀だったので午前に葬儀と初七日を行い、そのあと火葬場へ行きました。

もうこれで、お世話になった義姉の夫婦ともに亡くなったわけですが、それにしても火葬するのに何と4日も待たなければならないほど、「混雑」しているんですね。これには驚きました。

今は高齢者がどんどん増えてきているので、亡くなる人もそれにつれて年々増えてきている、と報じられており、「多死社会」とも呼ばれているそうです。

「多死社会」ねぇ。

なんだか、他人事(ひとごと)ではなくなってきている?

 

 

 

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モミィの一人暮らしの始まり~

2024年04月09日 | 日常のいろいろなこと

一昨日の日曜日(7日)、モミィが一人暮らしを始めるワンルームマンションへ行きました。妻はこれまで何度も生活用品を買ったり、持ち込んだりしてモミィと一緒にここへ来ていますが、僕は不動産屋さんに初めてここを紹介してもらった去年の11月にこの部屋に来て以来、今回が二度目でした。

長男が引っ越し荷物を運んでくれたのは一ヵ月前の3月初旬でしたが、僕は退院後まもなくだったので行けなかった。その後も、妻とモミィは何度も行っていたけれど、新しい生活に必要な物の買い物をしたりするというので、僕としては特に用事はなく、体調のこともあったので、そんなことで今回、やっと久々にここを訪れた次第です。

本棚やベッドの布団やその他いろんな生活必需品が揃っていて、当然のことながら、初めて来た時とずいぶん変わっていたのに感心しました。

 
  左側にあるのは、先月長男が車で運んでくれた本箱が二つ。
  右側はお風呂とトイレが別々にあります。


 
 奥へ行くと、左に冷蔵庫(その上に電子レンジ)、
 そしてテレビと勉強机があり、右側には
ベッドなど。


で、モミィは4月1日に大学の入学式のあと、正式な授業が始まるまでの間、いろんな催しがあり、その間は毎日わが家に帰って来ていました。それが、今週の月曜日(8日)から正規授業が始まるというので、その前日の7日から、わが家ではなくマンションへ帰ることになりました。

つまり、まぁ言ってみれば、その日から一人暮らしが始まったのです。7日の夜、8日の夜、そして今日9日の夜と、もう三日間、モミィは帰って来ません。いよいよ一人暮らしが始まったんですよね~

よくしゃべる子で、やかましい子でしたが、いなければいないで、なんだかひっそりした感じで、わが家の雰囲気も変わりました。特に、ず~っとモミィの面倒を見て来た妻は、世話の焼けるモミィから解放された一方で、一抹の寂しさは、やっぱり感じているようです。

さて、次に会った時、モミィからどんな一人暮らしの感想が飛び出すのか、楽しみです。

 


★おまけ

今年も桜の季節がやって来ました(短い期間ですけどね~)

これは過去のブログでもご紹介しましたが、わが家から歩いて数分の小さな川沿いにある桜並木です。今年も、数日前にブラっと出かけました。


  
   4月6日撮影。

 

 

 

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モミィもいよいよ大学生に

2024年04月02日 | 日常のいろいろなこと

昨日はモミィの大学の入学式が行われました。
(僕たちは式には行っていませんが)


いよいよこの4月から、モミィは大学生になったわけで。
でもね~、モミィが大学生なんて、にわかには信じられない話ですわ。

モミィが行く大学は、兵庫県を中心にいくつものキャンパスを持つ関西学院大学です。いわゆる関関同立のひとつ、ということですね。

関関同立というのは、関西学院大学、関西大学、同志社大学、立命館大学の4校で、関西を代表する難関私立大学グループとされています。

これに関しては、僕は近畿大学を卒業しているので、昔から「なんで近大が入らんのや」とブツブツ言っていたもんです。
ま、それはいいですけど(笑)。

モミィも大学生になったら、これまで書いてきたように、梅田のワンルームマンションでの一人暮らしも始まります(まだ今はわが家に帰ってきていますが)。


思えばモミィがわが家で暮らし始めてから十数年の歳月が経ちます。
5~6歳の頃からですね。幼稚園児でした。僕は退職したところだったので、毎日、幼稚園に送り迎えをし、その他、エレクトーン教室、英会話教室、ダンス教室、体操教室、地域のキックベースなどにず~っと付き添っていました。よく、パパと間違えられましたけどね~(ヘヘッ)。

そのモミィがもう大学生になり、家を離れ、
一人暮らしの身となるのですからね~

早いです。そりゃぁ歳も取りますわね。

 
  幼稚園の卒園式での1シーン。
  お世話になった先生とも、お別れです。


 
  そして小学校の入学式の日。

 
 
  これは中学校の運動会の1シーン。
  左から2番目がモミィです。


そしてこの4月。大学生になったモミィ。
昨日の4月1日の朝。
モミィは入学式に出席するため、出て行きました。

 

これは「行ってきま~す」とわが家を出たところを
撮ったものです。

 


  

 

 

 

 

 

 

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天王寺の一心寺へ

2024年03月23日 | 日常のいろいろなこと

カテーテル手術をしてからちょうど1ヵ月となる昨日22日、お彼岸でもあるので妻と2人で、母の納骨をしている天王寺の一心寺で参拝をしてきました。電車に乗って大阪市内に出て来るのは久しぶりでした。

 

 
  お彼岸の時期で、しかもいいお天気。
  沢山の人がお参りに来ていました。
  (22日午後12時過ぎに撮影)


母が亡くなったのは9年前の2015年の5月でした。

母は生前、義父や義父の親たちが入っている墓には入りたくない、という意向を示していたので、亡くなった時、母の望み通り天王寺の一心寺に納骨とをしました。それ以来、僕たちは義父側のお墓参りにもむろん行っています(最近もお彼岸の入りの17日に行きました)が、同時に母の納骨堂にも行っています。僕も妻も、死んだら母と同様に、この一心寺で、納骨と永代供養をしてもらうよう息子たちに伝えています。

しかしねぇ。
そうなると、今のお墓の管理はどうなっていくのか?

息子たちは義父の親族とほとんど面識がない。僕自身も、義父とその両親の血筋にあたる親戚とは、義父が亡くなって以来20数年間、一切、何の連絡も取り合っていません。

だから僕らが元気なうちにこのお墓を何とかしなくてはと思っているのですが、なかなか決断がつかない状況です。

このブログにも何度か書きましたが、これがここ数年、僕らが抱えている悩みの一つなんですよね。そして僕らも歳を取って行くし、いつまでも放置しておくわけにはいきませんしね~

そんなことで
自分の体調のこともあってついつい沈みがちな最近でしたが、モミィも4月から一人暮らしを始めるし、僕たちもいわゆる「終活」というものに本気で向き合って行かなければならないんだなぁ、と思っています。

 

 

 

 

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モミィの一人暮らしへ準備着々

2024年03月09日 | 日常のいろいろなこと

不整脈も日が経つにつれて状態が良くなってきたようで、これはひょっとして正常な方向に向かっているのかな、と思ったりする昨今です。
楽観は禁物ですけど、悲観の域からは出つつあるような、そんな感覚です。

さて、話はモミィのことになります。
2月29日に高校の卒業式があり、次は4月1日に大学の入学式。
3月はちょうどその空白の月になりますが、週に何回かスタバのアルバイトに出掛けながら、ECCで小学生の英語の講師をしたりしています。

スタバでは外国人のお客さんも多いので、英検準一級を持っているモミィは、英語で接客したりしているようで、やはりそういう能力が実践に役立つのは便利と言えば便利ですね~

そのモミィも3月末には大学へ通うのに便利な、梅田のワンルームマンションへ移って一人暮らしが始まります。

もう今月から賃貸契約が始まっているので、日曜日(3月3日)に、布団類や本棚や鏡台、本などを始め、モミィの生活に必要なものを長男が車で運んでくれました。そして、妻とモミィと3人でそれらをマンションの部屋に持ち込んで、片づけたそうです。つまり、引っ越し荷物を運んだというわけですね。

 

 
  車にモミィの「生活道具」を運び入れています。

荷物が多いので車には運転席と助手席のモミィの2人だけで、後部座席は折り畳み。で、妻は電車で先に梅田のマンションへ行って車が来るのを待って、3人で荷物を部屋まで運んだという。
僕といえば、家で留守番でした。

その数日後も、妻とモミィがこまごまとしたものを買って、2人でマンションへ行き、また片づけたと言っていました。一人暮らしとなると、いろんなものが必要になってくるようですね。

まぁ、新しい生活に向けて着々と準備が進んでいるようで、よかったです。
僕も、もう少し体調が戻れば、調度品が揃ったモミィの部屋を見に行きたいと思ってます。

モミィはまた近々「卒業旅行」と称して、友達と2泊3日で東京ディズニーランドへ行くそうで、ホント、いろいろと忙しいようですわ。

ともあれ、あと20日ほどでモミィの梅田での一人暮らしが始まります。
どんな生活になるんでしょうね~

 

 

 

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バレンタインデーと ドイロン君デー

2024年02月15日 | 日常のいろいろなこと

昨日14日はバレンタインデーでした。
テレビのニュースでも、高価なチョコレートが続々と売れている光景が映し出されていました。

わが家では、モミィが妻と一緒に、昨日の午前9時頃から午後3時頃までずっとバレタイン用のチョコやクッキーを作っていました。おかげでキッチンにはいろんな材料や作りかけのお菓子などが散乱し、僕は居場所がなくて自分の部屋にいたのですが、昼食にはキッチンに行き、隅のほうでカップラーメンだけ食べて、またすぐそこを離れました。とにかく、昨日はキッチンはバレンタイン菓子造りに占領されちゃった(笑)。

モミィは数人の友だちに渡す何種類ものお菓子を作ったのですが、そのほとんどはチョコを使ったクッキーでした。

出来上がったものをひとつ見せてもらったら、一番きれいに盛ったのがこれ。

  
このプレゼントは、モミィのボーイフレンドに上げるものだそうです。

その他にも5つ紙袋に入ったのがありましたが、3つは仲良しの女友達に、あと2つは僕と長男(モミィのパパ)の分だったそうです。今はバレンタインデーで、女の子同士がプレゼントし合ったりするんですね。

で、僕も一袋もらいましたが、中身はこんな感じです。

 
 何個かずつ、小さなセロファン袋に入っていました。

そのあとモミィは、夕方からその出来上がったものを持って出かけ、ボーイフレンドと3人の女友達のところを回ったということです。

そんなことで、昨日は妻も一日中、モミィのお菓子作りに付き合って、さぞ疲れただろうと思います。ちなみに今日はモミィが大学に通う時の服を買うのに、また妻はモミィと午後から半日出かけていました。(僕はヒマなのに、妻は忙しいデス)。


そしてきょう15日は「ドイロン君デー」なのでした。

ドイロン(doiron)君の絵手紙が今朝の産経新聞に掲載されました。これまでドイロン君の絵が新聞掲載されたことは何度もあり、その都度このブログでも紹介させていただきました。

さて、今日の掲載作品はこれです。

 
 今日の産経新聞朝刊の11ページです。

「しっかり昼寝したよ! ととのいました」

とあります。

1ヵ月前、僕が不整脈などで意気消沈していたときに、ドイロン君がメールをくれて、この絵手紙を添付して励ましてくれました。その絵手紙が今回掲載されたというわけです。

実物の絵手紙はむろんカラーでしたが、新聞掲載では白黒です。

そこで、メールでもらったほうを掲載します。

 

やはり、だいぶ違いますね。

ところで、
今日ドイロン君からもらったメールによると、東京版はカラーだったそうで、その写真も添付してくれていました。なんで東京版ではカラー掲載なのに、大阪版は白黒なんでしょうね~。

まぁ、それにしてもドイロン君は頑張っていますよね。
そしてこの絵手紙の文、

しっかり昼寝したよ! ととのいました

というのが、またいいですね。
「ととのいました」というのは、お笑い芸人がギャグに使っていたこともあったようですが、疲れている時などにしっかり昼寝をしたら整った、ということなのでしょうね。実感のある言葉です。

カテーテル手術を来週に控えた僕としては、何となく不安を抱えている昨今ですが、その手術が無事に成功したら、まさに、
「ととのいましたぁ~」
と声を弾ませることでしょう。

早く「ととのいたい」です。

 

 

 

 

 

 

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