毎週木曜日は文春と新潮の2つの週刊誌が発売される日で、いつも木曜日の朝刊を広げると、まずその広告から見る。今回は北京五輪の特集が組まれているので余計に楽しみであった。文春のほうは「星野仙一、ヘボ監督の正体見たり!」がメインの見出しで、新潮のほうは文春ほど大きな扱いではないが、「日の丸を『屈辱』に染めた星野ジャパン『7つの大罪』」という見出しをつけていた。しかし文春の星野ジャパン批判の見出しの行列はすさまじい。これは買わなければ…
両週刊誌が発売されたのは8月28日(木)だったが、その日は、僕は仕事のほうで臨時議会というのが行われた日だった。これは年に1度、市議会の議長や副議長、議会運営委員会や各種常任委員会の委員長らが交代をするための議会で、僕らの間では「役選議会」と呼んでいる。議長らの任期は、申し合わせにより1年で、うちの議会は8月末に毎年議長らが交代することになっている。それには議会の議決が必要だから、臨時議会を開く、というわけだ。
この日は、毎年、各党派間で、議長や副議長などの役職ポストを巡ってめまぐるしく、かつ複雑怪奇な渦が巻き、僕たち事務方は、そんな党派エゴの渦に巻き込まれたりするわけだが、まあ、昔は徹夜は当たり前だったのが、最近はそういう傾向もなくなってきたのはありがたい。その日も、モメはしたけれど、ほどほどの時間に、新しい議長、副議長らも決まり、臨時会はめでたく終了した。
臨時会を終えて、夜に週刊誌2誌を買うためにコンビニへ走った。
1軒目、2軒目、3軒目とまわったが、週刊新潮は置いてあったが、
「星野仙一、ヘボ監督の正体見たり!」の大特集を組む週刊文春のほうは、すべて売り切れだった(やっぱり、みんな読みたがっているわけだね)。やっと4軒目の店で1冊だけ売れ残っていたのを見つけて買った。ついでに週刊新潮も買った。
文春記事の中身は、
▼田渕、山本浩二を配したお友達内閣では勝てない。
▼投手交代が遅いし、使う投手も岩瀬、川上と、星野と縁の深い投手ばかり
▼調子の悪い岩瀬を使い続けたことで、落合中日監督は激怒。『シーズン中でもあんな使い方はしない。岩瀬を潰す気か』
▼ダルビッシュは準決勝で先発をさせてもらえず、頭を丸めてまで意欲を示していたので死ぬほど悔しがっていた。星野はなぜダルを使わなかったのか。
▼予選のとき、藤川を使う場面で岩瀬を出したので、藤川は肩を落としていた。モチベーションが下がった藤川は、その後準決勝の韓国戦で同点に追いつかれた
▼田渕打撃コーチが、高めの球に手を出すな、あれもダメ、これもダメと消極的な指示ばかり出すので、選手が思い切ってバットを触れなくなった
▼エラーを続発して日本を敗北に引きずり下ろしたG・G佐藤は、落球の際、サングラスを目ではなく、帽子にかけていた
…ということが、まだまだいっぱい書き綴られていた。
おまけとして、
▼そのGG(ジージー)という発音は、中国語の鶏鶏(ジージー)と同じで、それは「おチンチン」の隠語なのだそうである。日本の応援団が「頑張れGG」「打て打てGG」は、「頑張れチンチン」「打て打てチンチン」と中国人には聞こえるわけ。「やってしまったGGポロリ」は、まさに「やってしまったチンチン、ポロリ」…となり、いずれにしても日本の野球は恥ずかしい結末となってしまった。
…すみません。ちょっとイヤラシかったですか。
日曜日ですから、大目にみてやってくだせ~まし。
そんな週刊文春に、「北京五輪・情けない男」特集に小倉智昭が載っていた。
ちょうどその朝ブログで小倉のことを書いたばかりだったので興味深く読んだ。
「フジのカネで『金メダルを全部見たと威張る小倉智昭』」との見出し。
口を開けば
「あれ、目の前で見ました」
「僕はメダルを取るって公言していたんだけれども」
「みんな、小倉さん、小倉さんって声かけてくれてねぇ」
と自分のことばかり。
「とくダネ!」は、特に教養もなく良識にも欠ける小倉を、あたかも偉いように見せるための刷り込みを絶え間なく続けるだけの番組。そのために、腰巾着界の金メダリスト・笠井信輔アナと、あからさまじゃないヨイショが上手い佐々木恭子アナを脇に配し、小倉はオレ様生活を満喫している…と書かれてある。
その小倉が北京に派遣され、
フェンシングの大田を「かねてから注目していたんですが」
ソフトボール競技を「中学の同級生に全日本のメンバーがいて、その時から注目していたんですが」
そして、優勝したソフトボール監督に「おめでとうと言ったら『小倉さんのおかげです』って言われました」
400リレーの銅メダルの快挙に「僕がリレーをやっていた40年前はバトンのアンダーパスはブームでした。伊東さん(元陸上選手の現解説者に向かって)もご存じないだろうけど」
…などと、言いたい放題。
チケットも移動も全部手配してもらい、ギャラまでもらって、「あれも見た、これも見た」と威張り散らす。「言っただろう、オレ言ってただろ、彼がメダルを取るって」などと自慢をし「小倉さんの予言、当たりました!」とまた笠井が騒ぐ騒ぐ。
メダル予想なんて、あれもこれもメダル候補、と可能性のあるものを全部言ってたら、どれかは当たるものである。当たったものだけを取り上げて自慢するって、まるで小学生並み。
と、まあ、そんな具合に書かれていました。
考えることは、み~んな同じようなものですね。
ところで、今回も、五輪実況中継の騒がしさが取り上げられていた。
アナが「やったぁ!」と絶叫…。
感情ムキ出しで叫び続けたアナと解説者が、たしかに多かった。
NHKでもうるさい人がいる…と思ていったら、民放と分担して伝えたので、NHKをかけていても、民放アナが実況している場合もあったのだ。
叫ばなくても、十分に視聴者に競技の緊迫感は伝わるのに、なぜあれだけ叫ぶのかと思うし、ギャーギャー叫んでくれない方が絶対にもっと楽しめるのに…と不思議で仕方ないのだけれども、しかし今回は僕はまだマシだったような気がするのだ。8年前のシドニーオリンピックのテレビ中継が最もひどかった。こんなアナの放送を聴かされながら見なければならないというのが、悲しかった。それから比べたら、アテネ五輪では少し改善されたし、今回もひと頃のような頭がガンガンするような騒がしさはなくなってきたように思う。
ただ、スタジオに選手を招いたときなどの、スポーツのバラエティ化は、とどまるところを知らない。面白さと悪ふざけとは違うことを肝に銘じなければならない。
スポーツ選手を相手にふるまうタレントの態度は、悪ふざけである。
スポーツ選手はあくまでもスポーツ選手として遇されることを望みたい。
テレビを見ていると、選手たちが主役であるはずなのに、芸能人がその主役の座を奪ってしまっている。この時点で、すでに番組が見苦しいのだ。
また、選手の方も芸能人に媚びたりしているのが時々感じられる。やはり若い選手たちはテレビに出ることがうれしくて、しかも引退後はテレビ関係で仕事を、と思っている選手などは、タレントやテレビ局に嫌われないよう、それらの好みに合わせた言動をしている。こうなるとお互いさまということになり、ますます救いようのない話になる。この路線は、今後もどんどんエスカレートするだろう。
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いま、8月31日(日)午前8時45分である。
五輪と関係はないけれど…
日本テレビで、24時間テレビ「愛は地球を救う」が行われている。
時々チャンネルを合わせるだけで、じっと見ているわけではない。
僕はこの手の番組が、どうも好きになれない。
今、車椅子の少年のサッカーが取り上げられ、画面の左下にスタジオの女優やタレントたちがモニターを見ながら涙ぐんだりうなずいたりしているのが映っている。
取材対象となっている障害者の方の、ひたむきな生き方には敬意を表する。
しかし、なぜか、この番組は障害者を扱うことが多い。障害者の頑張っている姿を追う番組は、どこからも批判されないことをテレビ局はちゃんと計算しているわけだ。本気でテレビ局が障害者のことを思いやっているかどうかとはまた別の話である。本気で考えているなら、例えば「障害者自立支援法」が成立する前に、なぜテレビ局挙げて反対キャンペーンを張らなかったのか、と言いたくなる。障害者にとっては、そちらのほうが死活問題だ。そういうことには無頓着で、「視聴率アップ用」ドキュメントを商業ベースに乗せて感動を押し付けようとすることだけに熱心なのである。スタジオのタレントたちも、こんなときは、善意のかたまりのような一挙一動を見せている。
さらにこういうドキュメンタリー番組は、障害を持つ人も、努力さえすればみんなサッカー少年のように報われるのだ…という錯覚を植えつけてはいないか。どう努力しても、どうにもならないほど厳しい状況の中で苦悶の日々を送っている障害者の方が、数多くおられることを忘れてはならない。一握りの「努力が実を結ぶ」例をあげて、すべての障害者やその他の人々に希望の光を与えていると考えているのなら、それはテレビ局の傲慢である。
この番組の目玉とされるウルトラマラソンもよく似たものである。それだけの距離を走る…というか、24時間あればゆっくり歩いても100キロ以上は進めるので、テレビに映っているとき以外は、ほぼ歩いていると思うのが、まあ、たとえ歩いたとしても、大変な距離である。その根性は見上げたものだと言わなければならない。しかし、それも視聴者に感動を強要し、番組を盛り上げたいという、うわべのだけの効果を挙げることが目的なのだろう。
毎年、ラストで、疲労と激痛に耐えて武道館に駆け込んでくるランナーを、家族や仲間が涙で迎えるというお決まりのシーンで幕が閉じられる。ここで「さあ、感動しろ、どうだ、まいったか」というテレビ局の偽善が見える。すべてが商品化されているのである。そんなテレビ局の作為の中で「感動物語」が進められる。
エド・はるみ、という人が最後まで歩き抜くのかどうか知らないが、めでたくゴールしたら、今夜もまたその涙でフィナーレだろう。明日の日本テレビのワイドショーは、そのエドはるみのマラソンを繰り返し放送し、さらにその次の日ぐらいには特番まで組んで、ひとつのネタを何度も使うのであろう。むろん僕は見ないけど。
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…とボヤいてばかりいても、面白くありません。
さて、よい子のみなさん、今日は8月31日です。
明日から9月です。長かった夏休みも、今日でおしまい。
大阪も、やっと朝晩に涼しさが訪れました。
明日から学校という子供さんたちは大変ですね。
通勤電車も賑やかになりそうですし、通学路に児童・生徒たちの歩く姿、あるいは自転車姿があふれることでしょう。
しかも、いきなり月曜日からの始まりです。しんどい1週間だなあ。
宿題終わっていますか?
エド・はるみなんか見ている場合じゃありませんよ。
…ってか。
このブログを「よい子のみなさん」が読んでるわけなんてないじゃないか
朝日新聞の朝刊に載ってました。
慎太郎氏もそんな事言えた柄でもないかとは思いますが、何故か説得力ありますよね。
そう考えると、石原氏は不思議な人間ですよね。
ノンさん言ってるように、星野氏、選手の使い方、完全に、マズカッタですよね。
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エド・はるみは毎日10キロ走ってるらしいです。
又また、作られたようなドラマが---。
見ないですけど--。
朝、堺市内のネットカフェに行ってきました。
ワード、とエクセルの入ったパソコンの部屋で楽しんで来ました。(ワード、エクセルの入ってないパソコンもあると思います。)このネットカフェは、静かな環境で仕事・勉強がしたい人のために---といったようなコピーが、貰ったパンフに書かれてました。(他にも色んなコピーが書かれてました。)
家とは違った環境もいいと思います。
ネットカフェからのブログ発信も、のんさん、たまにはいいかもしれませんね。
24時間テレビ・愛は地球を救う。。。そういえば、そんなグローバルなサブタイトルでしたね。
あまり深く考えずに、たまに募金したりしてちょこっと感動したりしてましたが、確かに番組の構成は毎年マンネリな感動物に仕上げて終わっておりますね。
募金だけは、ちゃんと使ってくれていることを祈ります?(^^;)
それにしても、エドはるみはいつ見ても化粧くずれしてなかったので、休憩時間にメイク直しばっかりしとるんかいな?それとも、どこのいい化粧品使ってるんやー、、教えろー
いい化粧品はyukariの老化を救う?なんちゃって
ストライクゾーンの違いに「選手がかわいそう」と言ったように、そういう現実も調べないで実戦に突入したというのですから「おごっている」と言う言葉がぴったりだと思います。
ネットカフェはアナザービートルさんには居心地がよさそうですね。
ちょっとした気分転換によさそうな感じですが…。
そこでも小説を書いているのですか?
どれくらい、出来上がったのでしょうか。
最近、音信がないので、どうかされたのかなぁ、と心配していました。
お元気そうで、安心しました。
相変わらずの耳鳴りですか。僕も、相変わらずの耳鳴りです。
TCIを一日中はずしていたことがありましたが、やはりはめた方が楽です。
はめるのを忘れることがある、ということは、いいことらしいですけどね。
音は大小さまざまに変化していますが、大きさは平均すると変わっていないようです。この9月で、もう1年になってしまいます。早いですね~。
昨日は8時45分頃にテレビを10チャンに合わしたら、ちょうどエド・はるみがゴールインするところでした。僕が何より驚いたのは、yukariさんがおっしゃるように、彼女の化粧がゼンゼン崩れていなかったこと。110キロ以上走った(歩いた)人とは思えないほど、表情には疲労が残っていませんでした。日焼けもしていないし、シャキンとしていたし、お色直しが終わった直後のような顔。
「苦労を顔に出さない人」なのだなあ、と、感心しました。はい。
また、特番で、使っていた化粧品の宣伝、するかもしれませんよ。
ましてや、サッカーの試合中にやたらと自局と関係のあるクラブチーム名をやたら持ち出してエピソードを紹介する民放局アナは論外です。それがNHKの中継だったので余計に印象がよくありませんでした。
オリンピックでマスメディアは各国のメダル競争などかき立てますが、実際にはそんな競争は行われていないにもかかわらず、相変わらず金が何個だとかうるさいですね。そういえば、メダル予想などというものを小倉氏とデイリースポーツがしていたようですが、私が知る限りではデイリーに軍配が上がったと思いますが、彼は番組内で何かコメントされたのでしょうか。
24時間テレビは第1回しか見たことがありません。チャリティーマラソンでは、以前、途中の中継地点の間のラップタイムを計測したら世界記録並みのスピードで走破していた女性タレントがいたとか。そのせいで随分視聴者の監視が厳しくなったようで……。
それはともかく、現在では、最初のころと違って途中棄権をよしとせず、どんなにランナーのコンディションが悪かろうが完走させようとしている気がしてどうも納得できません。私自身、若いころに思い立って宍道湖を”概ね”走って1日がかりで1周したことがありますが、113kmを走るとなると想像の域を超えています。
24時間テレビが、とは言いませんが、世の中には慈善と偽善が混在しているので見極めなければいけませんね。世の中には本当に慈善で活動されていらっしゃる方々のためにも。
ところで24時間テレビに出演のタレントの皆さんノーギャラですか?
万が一、ノーギャラだったとしても、他の形で報酬が与えられているはずですから、純粋なボランティアのわけがありません。
そもそもタレントは、普段から旅行、温泉、グルメなど、金をもらって飲んだり食べたり遊んだりしているのですから、もちろんこんなチャリティーは罪滅ぼしとしてタダ働きしても当然だと思いますが、裏では間違いなく何らかの形のギャラが支払われているはずです。
マラソン出場者となると、もっとすごいですよ。たとえば去年(だったか…?)の萩本欽一は、いくらか忘れましたがあっと驚くような莫大な出演料をもらっており、当時の週刊誌に「金は欽ちゃんを救う」と皮肉られていました。
僕はサロマ湖や四万十川など、過去3つの100キロマラソンに出場したことがありますが、当然ですが一人1万なんぼの参加料を支払っての100キロです。同じことをやるのにも、タレント、テレビ局その他のメディアに関われば、一般人なら金を払うところを、この人たちはギャラとなってはね返ってくるのですから笑いが止まらないと思います。
小倉も、北京へ行ってアレを見た、これを見た、と自慢し、威張っていますが、もちろん全部テレビ局が実費を出し、その上で多額のギャラをもらっているのです。
好きなことを言い、知識をひけらかし、まわりにヨイショしてもらい、威張り散らしているだけで、通常のサラリーマンの何倍もの報酬をもらっているのですから、世の中の犯罪が増える一方なのは当たり前です。小倉に限らず、テレビのバラエティ番組を見ていると、仲間内ではしゃいでいるだけでギャラをもらっているタレントばかり…。こんなのを毎日見せつけられたら、コツコツ働いているのがアホらしくなり、ひとつコンビニ強盗でもしてやろうか、という人間が出てきても、ちっとも不思議ではない、と僕は思っています。