僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

奈良町(ならまち)を歩く

2011年11月30日 | ウォーク・自転車

  

何度か書いたことがあるが、「日本ウダウダ会」という会がある。
高潔なる人格者が集まり、野山や町を歩き回った後、
大酒を飲んで、うだうだと騒ぐ会である。

その「ウダウダ会」で、今月中旬、奈良の「奈良町(ならまち)」を歩いた。

発足当初は数人しかいなかったメンバーも、少しずつ増えてきて、
この日は、11名の人格高潔の士たちが、うだうだと集まってきた。
この勢いなら、やがてあの「大阪維新の会」をしのぎ、
「ウダウダ会」が覇権を握る日も遠くないだろうと思われる。

しかし、実は…まことに残念で悔しいことがある。
ブログに載せようとせっせと撮影した写真が、消えてしまったのだ。

奈良町(ならまち)のあちらこちらで写真を撮りまくっていたら、
デジカメのディスプレイに突然「カードエラーです」と出て、撮影不能になった。
帰宅してから、SDカードをパソコンに差し込んだけれど、何の反応もない。
とほほ。何かの拍子に、カードの中のデータが、全部壊れてしまったのだ。

お読みくださっている皆さんに、ぜひ写真をお見せしたかったのになぁ。
行ってから半月以上も経つのに、今ごろブログに書くというのも、
写真が無くなってガッカリした気持ちを引きずっていたからである。

文章だけで奈良町(ならまち)の魅力を伝えるのは難しい。
それに、僕は金魚のフンのように皆について行っただけで、
いま、イラストマップを広げても、訪れた場所はわかるが、
どういう順序でどう歩いたのかは、よくわからない始末だ。

「ならまちフォト紀行」を考えていたのに、本当に残念無念。

代わりに奈良町(ならまち)を紹介しているネットのひとつを上げておきます。

http://www.sanga-kurumaza.com/map.htm

ところで、奈良町(ならまち)と言っても、
そういう正式な地名があるわけではない。

奈良市の市制が施行される以前の旧市街地で、
元興寺の旧境内を中心とした界隈を「奈良町(ならまち)」と呼んでいる。

江戸や明治期の町家が今も残っていて、当時の面影を伝えている。

その日は日曜日だったが、観光客は意外に少なく、落ち着いた雰囲気だった。
江戸時代の町家を再現した「ならまち格子の家」や、「ならまち振興館」など、
散策の途中に立ち寄って見学したのだけれど、ほとんどが無料である。

「ほお~、何かといえば金を取る京都と、えらい違いやなぁ」
と、メンバーの一人がうだうだとつぶやいていたが、そのとおりだろう。
僕は自分が京都生まれなので、どちらかといえば「京都派」ではあるが、
観光客でごった返す京都に比べ、奈良の素朴な雰囲気には心が静まる。

僕の家からは、京都より奈良の方がずっと近いというのに、
春日大社や若草山、東大寺ぐらいしか行かないんだもんね。
ここはひとつ、奈良を見直して、もっともっと出かけなければ…

ならまちを歩いた後、その東大寺やお水取りで有名な二月堂、
それから、小学校の遠足を思い出す懐かしい猿沢の池なども通り、
最後は大阪に戻って例のごとく大酒を飲み、うだうだ言い合う僕たちであった。

いつか作家の車谷長吉さんが、
「心が塞いだときは、奈良を歩くと、気持ちが晴れてきます」
と書かれていたことを思い出す。

たしかに、奈良にはそんな不思議な魅力があるようだ。

今回のウォーキングは、奈良の魅力再発見…といったところでしょうか。

近いうちにもう一度、ゆっくり歩いてみようと思っています。
今度は写真が消えて無くならないようにしなければ… 
 

 

 

 

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ダブル選挙は 「大阪しぐれ」?

2011年11月28日 | ニュース・時事

昨日、大阪府知事と大阪市長のダブル選挙が行われた。
注目は大阪市長選の橋下対平松の一騎打ちだったけれど、
府民ではあっても大阪市民ではない僕には市長選の投票権はない。
昨日、投票所へ行ってもらった用紙は、知事選の1枚だけだった。
(間違って「はしもと」と書く人も、中にはいたかもね~)

市長選のほうは人気バツグンの橋下が勝つだろうと思われたが、
府知事選はどうだろうか…?
府議会議員だった松井という人は、知名度はゼロに近い。
橋下率いる「大阪維新の会」のメンバーというだけである。

午後8時に投票は終了した。

昨日の新聞・テレビ等では、
「27日深夜には新たな知事、市長が決まる見通し」
とされていた。

ところが…
昨夜8時からテレビ大阪で放映されていた、
「第44回日本作詞大賞…今夜決定」という歌謡番組を見ていると、
8時を少し回ったところでいきなり画面の上に「速報」と出て、
「大阪市長選・橋下氏、府知事選・松井氏、当選確実」との字幕が出た。

例によって、マスコミによる出口調査の結果をまとめたものを、
投票が終るとすぐに発表するという、あの手法である。
各投票所から、まだ票が開票場所へ届いてもいない時点である。
(開票作業をする人たちにとっては、むなしいだろうなぁ)

橋下、松井両人は、8時過ぎから「勝利者会見」を開いていた。
(どこが27日深夜やねん!)

市長選の橋下の当選は順当だと思うが、松井が府知事に当選し、しかも、
今朝の新聞の確定投票を見ると、2位の倉田に倍近い差をつけていたのは意外だった。
橋下本人が出なくても、彼の率いる大阪維新の会はそれだけ選挙に強いということだ。

既成の各政党が束になってかかっても、大阪では橋下に歯が立たないというわけだ。
まあ、既成の各政党といっても、国政を見ていると、どれもこれも信用できないものね。

橋下なら何かやるだろう…という漠然とした期待をかけるのも当然かもしれない。

ところで、昨夜、テレビで速報が出たとき、その歌番組の画面には、
歴代の作詞大賞を獲得した昔の歌の映像が流れていたときであった。

しかも都はるみが「大阪しぐれ」を歌っていたときに、
「大阪市長、大阪府知事選の速報」が出たのだから面白い。

さらにその歌は、
「♪ 一人で 生きてくなんて できないと~」という歌詞で始まるのだ。

なんだかねぇ。
橋下がいなければ、到底知事などに当選できない松井を皮肉ったようなセリフだなぁ。

 …………………………………………………………………………………………

…きょうの話は以上です。
でも、なんだか、
これだけでは愛想が無いので、
「はしもと」にちなむヨタ話をひとつ付け加えておきます。

かなり以前の、ある都市の市議会議員選挙のことである。
何十人かの候補者の中に「はしもと」という名前の人がいた。

投票日は、強い雨が降っていた。
投票所の入り口で、市役所の職員が、
「雨で濡れておりますので、滑らぬよう足元にご注意ください」
と、投票に来た人たちに、丁寧に声をかけていた。

その職員はずっとその言葉を繰り返していたが、時間が経つと、
「濡れておりますので足元にご注意ください」と、言葉も短くなってきた。

さらに、「あしもとにご注意を。よろしく~」となり、
さらに、「あしもと、よろしくお願いします」と連呼し始めた。

それが人々には「はしもと、よろしくお願いします」と聞こえた。

前述のように、「はしもと」という候補者もいたものだから、
これを聞いた市民から「明らかに選挙違反だ」と指摘があり、
ついには警察が、その職員に事情聴取をしたという。

ずいぶん昔ですが、実際にあったお話です。
(当のはしもとさんが当選したかどうかは知りませんが…)

それにしても、大阪の「はしもと」は強いですね。

「大阪維新の会」が支配するこれからの大阪はどうなっていくのか。

まあ「大阪しぐれ」には、ならないようにしてくださいね。

 

 

 

 

 

 

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フレッツ光から J:COMへ

2011年11月26日 | 日常のいろいろなこと

先日、auショップでスマホを買ったとき、店の人からこんなことを言われた。
「このたびauとJ:COM が提携しましたので、いろいろな特典がございます」

いま、僕のところは、電話とパソコンはNTTのフレッツ光でやっている。
2年半前に、NTTの誘いに乗り、ADSLからフレッツ光の無線にして、
今は2台のノートパソコンでインターネットができるようになっている。

auの人から「J:COMの者からご自宅へ電話させていただいても…?」
と言われたので、「えぇ、いいですよ」と返事した。

翌日、さっそくJ:COMの人から電話がかかってきた。
話を聞くと、通信費がかなり安いのでびっくりした。

今、電話とインターネットを合わせて月6,000円近く払っている。
それにプロバイダー料が1,000円ちょっとで、合計約7,000円である。
それがJ:COMに変えるとプロバイダー料込みで4,725円となる。
さらに当初の4ヶ月は2,500円引きで、工事費はいっさい無料という。

「今、このネットパックサービスを売り出し中で、本当にお得なのですよ」
そんなことを、電話の相手は強調した。
J:COMでは現在、そういう一大キャンペーンを展開中なのだそうだ。

月2,000円以上安くなるのは魅力である。
携帯からスマートフォンに変えたことで、auの通信費は上がるけれど、
インターネットと固定電話が安くなれば、プラスマイナスほぼゼロである。
さらに、家の固定電話からauの携帯電話に掛けると、
相手は誰でも、auでさえあれば、通話料は無料だともいうし…。

しかし、問題もある。
僕はつい2ヵ月前に、プロバイダーを楽天ブロードバンドに変えたところである。
これを解約するのには、5,000円ちょっとの解約金をとられる。
しかし、それを言うと、
「いやぁ、こちらでは4ヶ月間2,500引きになりますから、その分お釣りがきますよ」
と、J:COMの人は電話口で軽やかに言う。まあ、そうだね~。

それより、何より…
「それでフレッツからJ:COMに変えて、何が不都合が起きたら困るんだけど」
と、僕は、一番懸念されることを相手に伝えた。
いま、フレッツ光を使っていて、何の不便も感じていないところである。
もし変更してインターネットなどへの「異変」が起きたらどうしようもない。
それに、フレッツ光の時も、工事が終ると、パソコンへの接続は自分でやった。
CDから何やらインストールして、インターネットの設定をするのである。
そういうことは苦手なので、あの時は本当に四苦八苦したものだった。

同じ苦労を二度も繰り返したくないので、そこのところが問題である。

「パソコンのインターネッ接続設定は、どうすればいいんでしょうね?」
と、僕が聞いたら、相手はまた軽やかに、
「工事が終ればすぐにネット接続設定をする担当を行かせます。もちろん無料です」
ふつう、来てもらうとなれば、フレッツの場合もそうだったが、有料である。
金を出すぐらいなら自分でやれるところまでやろう…と思うのが普通だもんね。
まあ、タダで来てくれるというのなら、それは結構な話である。

「そういうことで、このお電話で契約とかではなく、
 一度、そちらに担当を伺わせますので、その時にお考えください」

相手のその言葉で電話は終わり、翌日、その「担当」なる人がやって来た。
その人から、電話で聞いた話を、資料を見せてもらいながら、より詳しく聞いた。

どうやら、損はないようだし、これなら大丈夫だろう、という感触を得た。

そういうことで、2年半使ってきたフレッツ光からJ:COMに換えることにした。

そして昨日の午後、工事の人たちが梯子車のようなものでやってきて、
2時間ほどかかって工事を終えた。

そのあと1時間ほどして、
「これから寄せていただいてよろしいでしょうか?」と、
パソコンをインターネットに接続してくれる人から電話が入り、
数十分して、わが家へやって来た。

あらかじめテーブルの上に用意していた2台のノートパソコンを、その人は、
目にも止まらぬ早業でクリックしたり、入力したりを繰り返すこと1時間。

「はい。ネットもつながりましたし、メールもつながりました。
 セキュリティもできました。 これで、すべてOKです~」

  ………………………………………………………………………………

ふぅ~(ためいき)

今月の14日に初めてスマホの話を聞くためにauショップを訪れ、
2日後の16日にスマホを購入し、まだその操作も慣れないうちに、
今度は昨日の25日に、フレッツ光からJ:COMに変更した。

もののはずみ、とはこういうものであろう。

わずか10日余りで、スマホとJ:COM。

なにが何やら、頭がこんがらがってきますわ~。

 

 

 

 

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嵐 → アラカン → そして…

2011年11月24日 | 映画の話やTVの話など

昨日、NHK総合テレビの夜7時からのニュースをかけていると、
そのまま7時半から「嵐の明日に架ける旅」という番組が始まった。
僕はそれをじっと見ていたわけではないが、テレビは消さずにいた。

今年も紅白歌合戦の司会をする嵐を、お年寄りにもアピールしよう、
…というような、そんな意図もあって製作された番組なのかもしれない。

ちなみに、うちのモミィは嵐の松本潤のファンである。
他の芸能人は知らないのに、なぜかマツジュンだけは知っている。
「わたし、アラシのマツジュンが好きやねん」などと言っているのだ。

ま、それはさておき、そのNHKの番組の中で、嵐の二宮クンが、
お年寄りに「嵐って知っていますか…?」と質問する場面があった。
「知ってますよぉ~」と、そのお年寄りは、笑顔で答えていた。
つまり、あなた方のことは知っていますよ~ということである。

う~ん。
もし僕が同じ質問を受けたら「知っていますよ~」とは言うけれど…
なにせヘソ曲がりな人間だから、そんなまともな返答はしませんね。

「嵐…? 知ってるわ。雨や風の強いことやろ」(そのままやがな~)

「嵐…? 知ってるわ。京都やろ
。いま紅葉が綺麗やで~」(そら嵐山や)

「嵐…? 知ってるわ。E・ブロンテの小説。名作やネェ」(そら「嵐が丘」や)

…すみません。どれもつまらないですね。とほほ。

で、マジメな話、僕は「嵐」といえば、まずこの俳優のことが思い浮かぶ。

 ↓

嵐寛寿郎(あらし・かんじゅうろう)。

通称、アラカンである。
年配の人でこの俳優の名を知らない人はいないだろう。
どちらかといえば、僕の親の世代の頃の銀幕のヒーローだったけれども、
「鞍馬天狗」などは、幼い時の夢のような記憶が、今も僕の中に残っている。



      



ということで…
嵐といえば、何よりもまず嵐寛寿郎 → アラカンを思い出すのである。

でもなぁ。 アラカン、と言えば…

現代では、還暦前後の年齢の人のことを、アラカンなどと呼ぶようである。
アラフォーという言葉が流行したあとで、そんな派生語が生まれたのですね~。

早い話、今の僕自身が、アラカンと呼ばれる歳になってしまった。

アラカンが、嵐寛寿郎だったらカッコいいのだけれど、
還暦前後の年齢をあらわすアラカンとは、う~ん、なんだかねぇ…

おまけに僕は、すでに「後期」のアラカンに入っているわけだ。

アラカンを過ぎてしまったら、次は何と呼ばれるのだろう?

もうアカン…だったりして。

 

 

 

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ケイも参入 神戸・舞子1泊旅行

2011年11月22日 | 旅行

おとといの日曜日は、モミィの幼稚園の日曜参観だった。これが午前中で終り、翌日の月曜日は振り替え休日になっていたので、日曜の午後から3人で、近郊へ1泊の小旅行をしようということになった。で、神戸の西の端にある舞子というところにあるホテルをネットで予約していた。土~日よりも、日~月のほうがホテルは空いているし料金も安いんだもんね(笑)。

一方で、次男のお嫁さんが体調を崩し、病院に行ったり安静が必要だったりで、
2歳のケイを、最近は午前9時頃から夕食を終える頃までわが家で預かっている。しかし、お嫁さんの体調はなかなか戻らない。そんな状態のままで、おとといの日曜日を迎えた。

僕たちが旅行に出ると、次男のお嫁さんはケイを抱えて安静を保てなくなる。(次男は土・日曜日は仕事で、しかも平日よりも多忙な業種に就いているし)

これまで人見知りが強く、わが家に来てもよく泣いていたケイだが、毎日家に来るようになってからは、妻に遊んでもらってキャッキャとはしゃぎ、モミィが幼稚園から帰ってくると、まるで姉弟のように楽しそうにして遊んでいた。

うむ。この際、背に腹は変えられない。今までわが家で泊まったこともないケイだったけれど、この際、いっしょに旅行に連れて行くことにした。

そんなことで、幼児2人を連れた4人での1泊旅行となったのだ。

午後から出発したものだから、地下鉄に乗って座席に座ったとたん、昼寝の習慣があるケイは、僕の腕の中でスヤスヤと眠ってしまった。約30分後に大阪駅に着くと、そこで目を覚ました。

お昼寝の後も機嫌がよく、姫路行きの新快速の中では、靴を脱ぎ、座席に立って、外の景色に見入っていた。ふだんの外出はほとんど車だから、電車に乗るのが珍しいのだ。

三宮で降りて、西明石行きの各駅停車に乗り換えると、座席に座っていた人たちがいっせいに席を空けてくれた。いやいや、すみませんねぇ、どうも~

3時半ごろに舞子という駅に着いた。この駅は、明石大橋の真下にあり、見上げると巨大な橋桁に圧倒される。

泊まったホテルはシーサイドホテル舞子ビラ神戸で、周りの景色といい、ホテル内の広さや美しさといい、サービスの良さといい、ネットで申し込んだ時のHPのイメージどおり、とてもいいホテルだった。(ホテルのHPはいいところばかり出してアテにならないことも多いけど)

妻やモミィが大好きな夕食バイキングがあり、しかも和室がある、…というホテルは案外少ないので、探すのに苦労するのだけれど、今回はその2つを満たしていたうえ、施設もなかなかのものだった。

チェックインのため、フロントへ行き、僕の名前を告げたあと、
「あの~、大人2人、小人1人の3名で申し込んでいたのですが…」
と、後ろに立っているケイを指して、
「これがひとり増えましてね~。2歳ですけど」
そう言うと、フロントの女性はにこやかに、
「はい、『添い寝』ということでよろしいですね」
と、ケイが増えたことには何の問題もない…ということだった。

あとからパンフレットを見ると、2歳までは無料だった。
ただし、「布団、食事はありません」と書いてあった。
布団はいらないけれど、食事はしますよね~(笑)。

さて、夜、バイキングのレストランへ行くと、入り口で男性係員が、モミィとケイを連れているのを見て、「子どもさん用の椅子はお2つご用意させていただきましょうか?」と、丁寧に聞いてくれたので、安心した。

ケイは「ただ食い」のわりに、もりもりと食べ、これなら高齢であまり食欲のない大人より多く食べているのでは…と思ってしまうほど、肉も魚もお造りも、天ぷらも野菜も白いご飯も、そしてデザートの果物やお菓子も、パクパクおいしそうに食べていた。

モミィのほうはすっかり手がかからなくなり、自分でお皿を持って、好きなものを取ってくることもあった。

妻は、モミィのサポートをしてやりながら、ケイの食べるものを探しに行ったり、食べさせてやったり、追加の飲み物を取りに行ったり、ステーキコーナーに並んだりと、なにやら忙しそうに動いており、席に座っている時間は短かった。

僕はビールとチューハイを飲んで、ケイがこぼした食べ物を拾ったり、口を拭いてやったり、写真を撮ったりと、こちらはほとんど座ったまま。

夜の9時、寝る時間になると、ケイはおとなしく眠りについた。ケイのママが心配して何度もメールを送ってきたけれど、ケイが楽しそうな顔をしている写メールで何枚も送ると、「安心しました」と返事が来た。

ちなみに、僕は新しいスマホで、この時初めて写メールを送った。まだ送り方がわからず、手探りだったけれど、なんとか着いたようだが、同じ写メールをダブって送ったり、ママから来たメールをそのまま返信したり、まだまだスマホを使いこなすことはできていない。

翌朝も、モミィもケイも元気一杯だった。

このホテルは朝食は10時までに入ればよく、チェックアウトも12時である。子どもをせかして、あわただしく朝の時間を過ごす…ということもなく、ゆっくりと広々したホテル内を歩いたあと、庭に出てキラキラと輝く海や、絵に描いたような明石大橋の美しいアーチを眺めながら記念撮影をした。

2日とも良いお天気に恵まれ、ケイがグズつくかな~という心配も杞憂に終わり、はじめての4人の旅行は、上々の結果を残し、無事に午後、家にたどり着いた。

まあ、ケイがいたので気が張り詰めていたせいか、やはり疲れましたね~。でも、ケイのうれしそうな顔を見ると、その疲れもふっ飛びますけどね。

モミィも、ケイと一緒に行けて、とても喜んでいました。やはり、子供同士というのは互いに楽しみを倍増させる力を秘めているようです。

以上、ケイが突然参入した、神戸舞子一泊旅行のてん末でした。

 
 
 モミィも荷物を持ってくれたり、
 いろいろ手伝ってくれるようになりました。

 (ホテルのロビーで)

 

 
 部屋のベランダから、明石大橋の海の向こうへ沈む夕陽を撮りました。

 

 
 夜のホテルでのバイキング。 二人とも食欲旺盛!

 

  
   一夜が明け、朝からケイもモミィも元気です。(部屋で)

 

  
  ホテルの庭で。明石大橋の向こう側は、淡路島です。

 

おまけ
 

     最近、わが家で撮った2人の写真です。 

    

   

 

 
   

 

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スマホ物語(その3・おしまい)

2011年11月19日 | 日常のいろいろなこと


  

 

11月14日、妻に同伴してもらって、近所のauショップに出向いた。
「スマートフォンについて教えてほしいのですが」と告げると、
「どうぞ、どうぞ」と、店長の男性がカウンターまで案内してくれた。

僕たちがカウンターに腰掛けると、一呼吸置いたあと、
「スマートフォンは電話やメールが主役ではないと思ってください」
店長はまず、そう言って、スマホの「アプリ」について説明してくれた。

ゲーム、音楽、動画、旅行、地図、レシピその他…無数といっていいほどのアプリがあって、
これをダウンロードすることによって、お客様のお好み次第の独自のスマホが出来上がる。
だから持って数ヶ月もすれば、同じスマホでも、中身は皆それぞれ違うものになっている。
…というようなことだった。

ちひろさんからも、家計簿や買い物メモ、育児日記などもあり、
またピアノ鍵盤もあったり、外国語の単語クイズなども楽しんでいる、
というさまざまなアプリの楽しさがあることを教えてもらっていた。

店長の説明が続く。

「au のスマホには android 、ウィンドウズ、アップル社のアイフォンがありますが、
 android には10種類ほどあり、ほかの2つは1種類しかありませんので、
 まぁ普通は android から選んでいただいていますね」
(よかった~。ちひろさんも android だったし)。

「ところでスケジュールのアプリもあるのですか…?」と僕が質問する。
「もちろん、ございます」と店長は、手にしたスマホを、
チョイチョイと指でさすったり押したりして
「はい、こんなに沢山ありますよ」と、
スケジュール関係のアプリの一覧画面を見せてくれた。
字が細かくてはっきりとはわからないが、それらしいものが並んでいた。
そのうち、気に入ったものをダウンロードすればいいのだそうだ。
(しかし、こんな沢山あったら、どれがお気に入りかわからんなぁ)

また、店長は、「音声もいろんな場面で使えるのですよ」と言い、
たまたま画面に出していた地図に向かって「東京タワー」と声を発したら、
なんと画面に東京タワーが出てきた。慣れた人には何でもないことかもしれないが、
僕はびっくりした。声を出すだけでそれが画面に出てくるって、まるで魔法みたいだ。
ふぅ~。たいへんな時代になってきたものである。

タッチパネルによるキーボード操作は難しそうだったが、
「1ヶ月ほどやれば、必ず慣れてきますよ」と店長。
ホントかなぁ~?

それと、気になる費用のことだけど…
「本体のお値段はいろいろあって4万円ぐらいから7万円ぐらいですね。
利息が1円もつかないので、皆さん月分割にされて通信費に上積みされています。
通信費は電話基本料金を入れて(僕の場合)これまで月3,000円弱だったのですよね。
それがだいたい月6,000円から7,000円くらいになります」…ということであった。

だいたいの感じはつかめた。

「でもねぇ…」と僕は店長に「スマホを買う人って、若い人ばかりでしょ?」
と言うと、「そんなことはありませんよ」と店長は目を光らせ、
「私、このあいだ、80代の方にスマホを売りましたよ」と胸を張った。

「ふ~ん。そういう人もいるんだ。ありがとう。ベンキョーになりました」
と礼をいって、妻と2人でショップを出た。

そして2日後の16日の水曜日。
僕は今度はひとりで au ショップを訪れた。

女性店員が「どうぞこちらへ」と招いてくれた。店長は、不在のようだった。
この日、僕はもうスマホを買おうと決めていたので、まずそれを伝えた。
「はい。じゃぁ、どのような機種にされますか…?」と当然女性は尋ねる。
「何もわからないので、一番使いやすいような機種があれば…」
「それでしたら…。こちらへ、どうぞ」と展示コーナーへ案内された。
「これなんですが…」と女性は1台のスマホを手に取り、
「簡単に操作できるシンプルモードと、通常モードの両方がついています」
と見せてくれたのが、MIRACHという機種だった。
最初は、従来の携帯とあまり変わらない簡単な画面で慣れてから、
その後、複雑な通常モードに切り替えていけばいい、ということであった。
むろん、両方の切り替えは、ワンタッチで出来るので、
その場その場で、やりやすい方を使うことも簡単にできる…
…というのが、その製品の特徴で、売れ筋のひとつだという。
まあ、僕のような中高年の初心者向き、ということなのだろう。

ためらう理由は、もう何もなかった。
僕は「じゃ、それにします」と伝えた。

カウンターに戻り、書類での手続きや充電の仕方などを教えてもらい、
「操作がわかりにくければ、いつでもお越しくださいね。
 先日も、買われた翌日から1週間通い続けられた方もおられましたし」
そう言ってもらえると、心強い。


やった~やった~
帰り道、僕は、おもちゃを買ってもらった子どものようにはしゃいでいた。

でもなぁ、果たして、使いこなせるようになるのだろうか…? 

ハムレットのセリフではないが、そこが問題だ。 

さて、僕の買った機種は、これです  

http://mirach.jp/index.html?utm_source=pc&utm_medium=CPC6&utm_campaign=mirachtop#/touch

http://www.au.kddi.com/seihin/ichiran/smartphone/is11pt/


*スマホのことは、これからも随時 「進捗状況」 を報告させていただきます。 
  また、いい情報がありましたら、教えてくださ~い。

 

 

 

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スマホ物語(その2)

2011年11月18日 | 日常のいろいろなこと

スマートフォンの話の続きです。

僕らの世代になると、今の携帯電話でも十分に使いこなしている人は少ない。携帯は電話とメールだけで、その他の機能はほとんど使わず、たまに写真を撮るぐらい…という人が大半である。だから、スマートフォンなどは、何か「おとぎの国の話」のような気がしてくるのである。

僕も、テレビや新聞、雑誌などで宣伝されているこの種のいろんな機器は、何度見ても覚えられない。スマートフォンやらアイフォンやらアイポッドやら、何がどうで、何がどう違うのやら、さっぱりわからない。第一、それで具体的にどういうことをするのかがわからない。「たぶん、ゲームとかが主なんだろう」ぐらいにしか考え及ばなかった。

しかし、いろいろ考えているうちに、今の携帯にも機能はあるが決して十分とはいえない日記帳とか、スケジュール表とか、浮かんだアイデアをすぐに記しておけるようなメモ帳とかの機能が、こちらのほうがはるかに優れているというのであれば、そういうものを一括して使いこなし、管理できたらいいなぁ~という漠然とした憧れはあった。ある時期はパソコンでそれらの管理をしていたが、いちいち起動しなければならないことや、ウォーキングなどで外出することが多いので、やはりすぐに閲覧や書き込みが出来て、持ち運びできるものであるほうが断然便利であることは間違いのないところだった。

先日のブログでも書いたけれど、退職してから手帳を使わなくなったので、自分の予定を書き込むのに、紙切れに書いたり、家のカレンダーに書き込んだり、携帯のカレンダーに打ち込んだり、など、やることがバラバラで、挙句の果ては予定を忘れてしまう事態を起こしたり…と、どうも最近は中途半端なことを繰り返している。

次々と出てくる新しい機械は、携帯電話よりもパソコン機能に近い…というのが何となくわかるようになってきた時点で、これまでの自分の諸課題を一挙に解決する「すぐれもの」ではないか…と、急にそれらに対する関心が高まってきたのである。といっても、それはわずか1ヶ月ほど前のことだったんだけど…

しかし問題も山ほどある。自分がそういう「新兵器」を持ったとしても、果たしてうまく使いこなせるのか? 無用の長物とはならないか? …と考えると、はなはだ自信がなかった。スマートフォンには携帯電話のようなキーボードがない。画面を指でタッチして操作するようなので、じゃぁ、文字入力もタッチパネルでやるのか…? そんな器用なこと、若い人でなければできないんじゃないか…? 買い換えたまではよかったが、いざ使おうとすると要領を得ず、逆にメチャメチャ不便になって元の携帯に戻ってしまった、な~んてことになれば、シャレにもならぬ。

何となく憧れを持ちながらも、元々機械音痴でこういうことに疎く、また飽きっぽいという自分の性格を知っているだけに、あと一歩を前に踏み出すのをウジウジとためらっていたのである。

そんなときにグイ~っと背中を押してくれたのは、ちひろさんのブログだった。

僕のこのブログにもコメントを寄せてくださるちひろさんが、最近、携帯が壊れたのを機にスマートフォンに買い換えられたとのことで、それをブログに掲載された。その記事を読んで、僕の中の「ウジウジ」が消えた。よっしゃ、僕もスマートフォンにするぞ~

お互いに携帯がauだったので、ちひろさんのスマートフォンもauである。僕はその真似をすればいいのだ、と思うと気が軽くなった。スマホを使ってこんなことも、あんなこともできる、ということも、ちひろさんのブログに書かれていた。

そのブログをご紹介させていただきます。

                  ↓

http://namcleblog.blog88.fc2.com/

 ということで…
14日の月曜日、スマホの説明を受けようと、近くのauの店に出向いたのである。

 

 

 

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スマホ物語(その1)

2011年11月16日 | 日常のいろいろなこと

突然の話で恐縮ですが、今日スマートフォンを買いました。
今まで使っていた携帯を、スマートフォンに買い換えたのです。

これにはいろんないきさつがあるのですが、詳細はまた書きますね~。

さっそくさわってみましたが、何がなんだか、ちんぷんかんぷんです。

それでもなんとか、お一人にだけメールを送ることができました。
初体験のタッチパネルのキーボードを指でなぞりながら、
「スマホで初メールを送ります」という文を打つつもりが、
漢字変換などのやり方がまだよくわからず、
何か変なメール文になってしまいましたが、
やむなくそのまま送信しました(とほほ~)。

今夜は、これからまた、取扱説明書をじっくりと読んで、
スマホの使い方をできるだけ早く、マスターできるようがんばります。

なんだか、胸がときめく秋の夜です。

 

 

 

 

 

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大阪市長選も告示 注目の大一番

2011年11月14日 | ニュース・時事

昨日の夕方4時半ごろ、大阪阿倍野橋を歩いていたら、前方に人が群がり集まっていた。
何ごとかと思い、人込みをかき分けて前に出ると、そこに 「時の人」 2人がいた。

現大阪市長の平松邦夫さんと、今回大阪府知事選に立候補した倉田薫さんだった。

目の前に倉田さんがいた。前池田市長で、敏腕市長として知られた人である。
一瞬、倉田さんと目が会い、端正なその顔が笑顔になって手が差し出された。
「あ、頑張ってください」 と僕はその手を握り返した。
その次に大阪市長の平松さんがやって来た。
ニコニコと満面に笑顔をたたえ、やはり握手を求めてこられた。
といってももちろん僕だけにではなく、居並ぶ人々と次々握手しているわけだ。

腕章をつけた人に聞けば、5時からこの場所で街頭演説が始まるという。
市長選の平松さんと、府知事選の倉田さんが、タッグを組んでの演説である。
今は、その準備の時間らしい。

今日は大阪市長選の告示日である (知事選はすでに告示済み)。

知事を辞してこの市長選に出馬した橋下徹さんと平松市長との一騎打ち。
大阪の人間としては、近来にない注目の市長選の火蓋が切られたのである。
今月27日に、その大阪市長選と大阪府知事選とのダブル選挙の投票が実施される。

橋下さんの辞任で空席になった府知事選では、
橋下代表率いる地域政党「大阪維新の会」から松井さんという人が立候補し、
それに対して「反維新の会」を標榜して前池田市長の倉田さんが立候補した。
他には共産党推薦の梅若さんという人が出馬し、あとは無名の候補者である。

橋下さんの人気には驚くべきものがある。
やはり、言いたいことをズバっと言い切る明快な言動が人気を呼ぶ。
ただし、いろんなことを言いすぎて後で訂正することもしばしばである。
まあ、口数の多い人はそれだけ失敗する回数も多くなるのは仕方ないところだ。

昨日、平松市長が僕の前に来たとき、隣にいたお婆さんが、
「橋下みないなもんに負けたらアカンで」と平松さんを激励する場面があった。
橋下さんの言動に反感を持つようになった人も、最近はかなり増えてきたようだ。

橋下か平松か…!
この大阪市長選は、史上稀に見る大一番、ということになる。

…ところが、僕は大阪府民ではあるが、大阪市民ではない。
よく考えたら、この選挙への投票権はないのである。(な~んや、そら)

一方、府知事選のほうは、もちろん僕にも投票権がある。
「大阪維新の会」の松井さんか、それに対立する倉田さんか…?

橋下さんは他の人にはない魅力があるけれど、
彼が率いる「大阪維新の会」のメンバーは、よくわからない。
べつだん、すぐれた個性を持った人がいるようにも見えない。
そして大阪府議会では過半数を占めるので、今はやりたい放題である。
選挙に勝てるので橋下に追従しているだけではないか…と思う人も多いだろう。

僕の住む市の市議会議員選挙で「〇×維新の会」を名乗る男が立候補し、当選した。
あとからわかったことだが「大阪維新の会」とは何の関係もなかったそうだ。
「〇×維新の会」とあったので「大阪維新の会」だと思って市民は投票したのだ。

まあ、ただそれだけで投票する市民も市民だけど…

ということで、橋下さん本人が出る大阪市長選には僕は選挙権はないが、
維新の会を代表する候補と、それに立ちふさがる倉田さんとの対決は興味深い。

僕としては、大阪維新の会の府議会での最近の暴走ぶりには閉口気味である。

どの人に投票するか、まだはっきりとは決めていないが、
昨日の夕方、倉田さんと握手を交わしたときに、思わず
「あ、頑張ってください」という言葉が出たのは、
自分の心の中の何かが、ひょいと顔を出した…
…ということなのかもしれないなぁ。

 

 

 

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「語彙読解力検定」 始末記

2011年11月11日 | 日常のいろいろなこと

9月6日のブログで、「語彙・読解力検定」のことを書いた。

今回が第2回目ということで、まだ始まったばかりの検定である。

検定の問題は、一般的な言葉の意味を問う「辞書語彙」、
社会の出来事やニュースの言葉の意味を問う「新聞語彙」、
そして新聞の社説などの記事をどれだけ読み解けるかの「読解」、
…と、まぁ、この3つの領域から出題される検定なのだそうである。

面白そうなので、9月4日にネットで申し込み、
ブログを書いた6日に、コンビニから検定料金5,000円を振り込んだ。

検定の公式テキストである「合格力養成BOOK」というものを、
わが家が購読している朝日新聞の販売所へ電話して、取り寄せてもらった。
(当検定は、朝日新聞とベネッセの共同主催である)

そして、その11月13日が2日後に迫ってきたのであるが…

実は僕が日を勘違いしていたのだが、この日、絶対に欠席できない催しがあった。
それは9月の段階でわかっていたはずだけれど、検定と同じ日だとは思わなかった。
きちんと調べればよかったのだが、何となく、日はダブっていないと思い込んでいた。

それが先月下旬に、さて11月の予定はどうなってるかな~と改めて確認すると、
なんと「絶対欠席できない催し」が11月13日であったことに気がついたのだ。
(心のどこかで、その催しは11月20日だと思い込んでいたようだった)

あちゃぁ~。 検定の日とまともにぶつかっていた。
うっかりもいいところである。
定年後は手帳も使わなくなり、自分のスケジュール管理も甘くなっていた。
モミィの幼稚園関連の行事や来客や家族での外出予定などは、妻に頼りきり。
あとは僕自身の予定だが、これは携帯電話のスケジュール欄に打ち込んでいたが、
入力するのを忘れたり、見ること自体を忘れたりして、あまり活用できていない。
いつかも飲み会の約束を忘れ、夜、電話がかかってきて飛び上がったことがある。

しかし、こんな大きなミスは初めてだ。

「う~ん。せっかく申し込んだのになぁ…」
僕がしきりに残念がっていると、たまたまそばにいた長男が、
「僕が代わりに受けて来ようか?」と言った。
長男は、クイズ番組のようなものが大好きで、
昔から幅広い分野でいろいろな知識を持っている。
「おぉ、それはグッドアイデアだ。…でも、代理受検は無理だろうな」

でも検定料も支払ったことだし、ダメで元々だから問い合わせてみよう。
そう考えて、検定の事務局にメールを送った。

検定日の11月13日に所用ができたため、受検できなくなりました。
つきましては、代わりに私の長男が受けたいと申しておりますが、
この場合、今の時点で受ける人間の変更はできるのでしょうか?
そのことについてお伺いしたく、メールをさせていただきました。
 
…という文面で、あとは長男の住所・電話番号(わが家ですが)、
氏名、生年月日、職業などを付け加えて、事務局宛に送信した。

そうしたら数日後、検定事務局から丁寧な返事が来た。

そのメール文には、こう書かれていた。

お申込みいただいた際に同意いただきました受検規約では、
申込完了後の受検者の変更はできないことになっております。
しかし、〇〇様のご事情も十分ご理解いたしました。
現在、関係部署と対応につきまして協議中でございます。
正式なご回答まで、今しばらくお待ちいただければ幸いです。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます

そして、これはほんの数日前のことだけど、再びメールが届いた。

この度は、語彙・読解力検定にお申込みいただき、ありがとうございました。
お客様からお問い合わせいただきました内容につきまして、ご連絡させていただきます。
関係部署と調整した結果、以下の方法でご対応させていただきたいと考えております。

…という前置きがあって、その後に次のような説明が書かれていた。

当日、長男が直接会場へ行き、
僕宛に送付されてきた受験票と、長男自身の運転免許証等を持参して、
会場1階付近にある受付までお越しください、ということだった。
その場所で、仮受験票を発行してもらい、「申し込み内容変更届」に記入をする。

…そういうことが書かれていた。
つまり、代理を認めてもらったわけである。 よかったよかった。

事務局からのメールの最後には、

こちらの方法で、いかがでしょうか?
ご返事が大変遅くなりましたが、
ご検討の程よろしくお願い申し上げます。
何かご不明な点あれば、ご連絡頂ければ幸いです。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

…と締めくくられていた。

さっそく僕が「ご配慮ありがとうございました」
とメールを返すと、また返信があり、

この度は、色々ご迷惑をおかけいたしました。
〇〇様にご了解頂いたということで、
会場側の運営スタッフにも連絡をし、
準備を進めさせていただきます。
取り急ぎご返信とさせていただきます。
検定当日、どうぞよろしくお願い申し上げます。

と書かれていた。

…それで11月13日を迎えられたら、めでたしめでたし…というところだった。

ところが、話はこれで終らないのだから、人生はままならない。

よりによってその日、今度は長男に仕事が入ってきたのである 

長男は今、ある会社で秘書的な仕事に就いており、
時々、ボスの活動に合わせて休日に出勤の声がかかる時がある。
それが、こともあろうに11月13日の日曜日に仕事が入ったのである。

とほほ~。

僕の受検番号は十何番という若い番号である。
合計何名ぐらいの人たちがその場所で受検されるのか知らないが、
僕が無理をお願いして受験者変更を頼んだこともあるので、たぶん、
会場の運営スタッフの人たちは、長男が来るのを待っていると思う。

それなのに黙って欠席する、というのもバツが悪い。

あぁ、検定がもう明後日に迫ってきた。

これから、もう一度、事務局にメールをしなければならない。

長男も仕事で行けなくなりました。
お騒がせするだけして、こんなことになり、すみませ~ん。

あぁ…。

スケジュール管理をきちっとしていなかった自分がバカなのである。
語彙・読解力よりも、自己管理力を身につけるほうが先決だってことですよね 


*追伸 

ブログにコメントをくださった oidaisotu さまへ。

こんなことで、相変わらず情けない話です。
13日の準1級の検定、頑張ってくださいね。
心よりご健闘をお祈り致しております。
    

 

 

 

 

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ママにもいろいろありまして…

2011年11月09日 | 日常のいろいろなこと

一昨日の話です。

元職場の人たちからお誘いを受けて、久しぶりに繁華街に出てお酒を飲んだ。
久しぶりにというのは、街に出て6~7人のグループで飲んだという意味であり、
お酒を飲んだことが久しぶりではない。禁酒は今はしておらず、毎日飲んでいる。

ただ最近、外で飲むことがめっきり少なくなったので大量に飲むことはない。
だから、外へ出てみんなと飲むと、どうしても酒量が、いつもより増える。

この日、誘っていただいたのは公職についておられる方だったが、
その方以外は、全員僕が現役のころ一緒の職場で仕事をした人たちだった。
会話が弾む中で、職場に関する懐かしい人の名前が出てくると、
「今、その人はどうしているの…?」とそのつど尋ね、
いろいろと職場も様変わりしたことを教えてもらう。

むかし僕と一緒に仕事をしていた新人職員だった男の子が、
今は重要部局の管理職に配置され、奮闘している、という話などを聞くと、
「へぇ~、あの子が今は課長さんかぁ」と長く会っていない後輩が懐かしい。

それやこれやの楽しいひとときを過ごして、
みんなと別れて最寄駅に着いたのは午後10時過ぎだったろうか。
そのまま20分ほど歩くと、我が家に着く。

不思議なことに、沢山飲んだはずだったが、この日はあまり酔わなかった。
ふ~む、なんとなく飲み足りないなぁ…。
じゃぁちょっとだけ行ってみるか。

1年以上も行っていない、韓国人ママのいるラウンジへ行った。

「こんばんは~、オレガンマニムニダ~(お久しぶり)」
と言いながらラウンジに顔を出すと、店内に客が見当たらず、
一人ぼけ~っと立っていたママが、
「あら、オッパ。いらっしゃ~い」
そう言って懐かしそうに僕を見た。

ちなみに、「オッパ」という言葉だが、
韓国人ママはお客さんに対して、必ずその言葉を使う。
昔ハングルをかじったことがある僕だけれど(エヘン)、
オッパとは、女性が年上の人に対して使う呼び方で、
まぁ、「お兄さん」という意味である。

それから数時間、一人のお客さんも来なかった。
ママと「オッパ」の2人は、カラオケで盛り上がった。
僕がハングルで得意の「イビョル(離別)を歌うと、
ママは僕の知らない韓国の曲を歌う。

そのうち、僕もカタコトの韓国語だけで話しかけるようになり、
ママと即興のハングル会話教室ごっこをしてみたり…

僕もママも水割りをグイグイ飲み、いつしか2人とも酔い、
「では、ママ、これから、別のカラオケの店に行こうよ」と誘う。
「ハイ。じゃ~、店閉めるヨ」
「閉めて、閉めて」

2人で同じビルにあるカラオケラウンジへ行き、
そこでも他の客を押しのけるように僕もママも歌いまくった。
僕が歌い終わるたびに「オッパ、歌うまいねぇ」と何度も横から抱きつくママ。
ふとカウンター内のマスターの顔を見ると、ちらりとシラけた顔でこちらを見ていた。

そんなことで、メチャメチャ久しぶりにハメを外した一夜であった。

帰宅して寝たのは何時ごろか覚えていないけれど、6時に枕元で目覚まし時計が鳴った。
不眠症の僕は毎日目覚し時計をセットするが、いつもそれが鳴る前に目が覚めてしまう。
しかし、さすがにこの時はわずかな時間しか眠れなかったようで、一度も目覚めなかった。

フラフラと起き上がり、二日酔いのむかつく胸を押さえ、
よろよろと階段を降り、2階へ行く。

洗濯物を洗濯機に入れ、モミィの弁当を作り、洗濯物を干す…という朝の日課は、
いかに二日酔いと言えども、キャンセルすることはできないのだ。とほほ。

あぁ、気分が悪い。この感じでは、だいぶ飲んだみたいである。
特にウィスキーがこたえているようだ。

それでも、8時半になればモミィを幼稚園まで送って行く。

送り終えてから「お疲れさまぁ。ありがとうね」
という妻の言葉に頷きながら、部屋に入ってグターっとなる。

昼になっても、気分は回復しない。
デパスを飲んだり、キャベジンを飲んだり…

3時前にモミィを迎えに行き、帰宅して着替えておやつを食べ終えたモミィを、
再び自転車に乗せて、火曜日恒例のエレクトーン教室に連れて行った。

(こういうとき、育児をする世の中のママたちの苦労が身に沁みてわかる)

エレクトーン教室のレッスン中、幼い子どもたちの合唱や演奏の可愛さや、
若いママたちの華やいだ空気の中で、少~し気分が良くなってきはじめた。

韓国のママと一緒に飲んだウィスキーの疲れを、
エレクトーン教室のママたちに癒してもらう…

ママにもいろいろあるんですよね~。

 

 

 

 

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脳の勘違い

2011年11月06日 | 心と体と健康と

笑う、というのはとても身体に良く、免疫力も高まるそうである。
まあ昔から、笑う門にはなんとやら…って言われてますからね。

定年退職した男性に元気がなくなるのも、笑わなくなるからだという。
そういえば僕が通うプールでも、笑い声は女性の間からしか聞こえてこない。
男性陣は淡々と、あるいはムッツリと、水中ウオークしたり泳いだりしているだけ。
女性たちのような賑やかな会話がなく、あってもあいさつ程度で終る場合が多い。

女性が男性より長生きなのは、笑う回数が多いから…? 
そんなことまで、ふと思ってみたりしてしまうほどである。

ところで、ちょっと驚いたことに、この笑いは、「ウソ笑い」でもいいのだという。
ウソでも笑ったら、脳が本物の笑いと勘違いして身体に良い影響を与えるのだそうだ。

脳というのは、仕組みが緻密で複雑なわりには、そんな勘違いもするんだ。

でもねぇ。 そういう良い意味での脳の勘違いなら結構なんだけれど…

考えてみれば、僕が4年以上も苦しめられている耳鳴りもそうである。

僕らが抱えている慢性的な耳鳴りは、ふつう、一般的に思われているような、
内耳から脳へ伝わって感じるもの…という性質のものではないという。

脳が必要でない音を誤って知覚し、余計な雑音の回路を作ってしまうのだ。
(むろん、そこには各種の疾患やストレスなどが原因としてあるのだろうけど)

だから耳鳴りは耳が鳴るのではなく、脳の内部で鳴っているものなのである。

つまり、脳の勘違いによって起こったのが僕らの耳鳴りである、ともいえる。
同じ勘違いでも、「笑い」 に比べると、雲泥の差ではないか

ウソ笑いをして脳を勘違いさせ、免疫力を高める…という話は興味深いものだけど、
脳の勘違いによって引き起こされた耳鳴りに日々悩まされている僕などにとっては…

「笑おう」…と思っても、なかなか笑えない話ですわいな  。

 

 

 

 

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山本リンダを見てモミィは…

2011年11月05日 | 日常のいろいろなこと

なつかしい昭和の歌謡曲の話の続きですが…

一昨日、民放で「木曜8時コンサート・2時間スペシャル」という番組があった。
これも、昭和の歌謡曲のオンパレードだった。

モミィがお風呂に入るまでの10分間ほど、それを一緒に見ていたのだけれど、
画面に秋元順子がキンキラキンの衣装で出てきて歌い始めた。
それをじっと見ていたモミィは、
「この人なぁ…」と、何かを言いかけた。
「どうしたん? この人が…?」と僕が次の言葉を待つ。
すると…

「お洋服はきれいけどな、顔がなぁ…」と言ったのだ。
6歳の女の子にしてはちょっと「不謹慎な」発言である。
ここはきちんとモノの言い方を教えなければならない。

「あのなぁ」と、ボクは秋元順子をフォローする。
「この人はな、もう64歳やから、しゃ~ないねん」

…何のフォローにもなってませんがな。 とほほ。

そのあと、和服姿の石川さゆりが出てきた。
それを見てモミィは、
「あ、この人はいいわ」と言った。

何がよくて何が悪いのやら…

どうやらモミィは、顔と衣装とのバランスが気になるようだった。
それは、たぶん、大好きなプリキュアの影響かもしれない。
プリキュアの女の子たちも、キンキラのコスチュームだ。
キンキラのプリキュアたちは、十代の女の子である。
だから、キンキラを「熟年」が着ると、モミィから見て不思議なのだ。

そして…
その次に出てきたのが、なんと、山本リンダだった。

例によって露出度の高い大胆な衣装で、舞台狭しと踊りまわり、
「♪ あぁ、どうにも止まらない!」と熱唱した。

モミィはそれを見て目を丸くし、あ然とした表情で固まっていた。

そして立ち上がって、妻が待つお風呂の方へトコトコ歩きながら、
「ヘンなヒトやなぁ、ヘン過ぎるわ~」 とブツブツつぶやいていた。

今年で60歳の還暦を迎えた山本リンダだが、
この迫力、このアクション、そしてこの大胆さ!
自分もこれにあやかりたいものだと思いながら見ていたが、
モミィの目には、単に 「ヘンなヒト」 としか映らなかったみたいだ。
ひょっとして、プリキュアに出てくる「悪の女王様」だと思ったのかもしれない。

あ~あ (ためいき)。 

子どもの目は、厳しい。

 

 

 

 

 

 

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山口百恵「プレイバックPartⅡ」をめぐる出来事

2011年11月04日 | 日常のいろいろなこと

NHKテレビなんかで懐かしい昭和の歌などの番組があると、
なるべく見るか、録画するかして、見逃さないようにしている。

歌謡曲はいいなぁ。昔から大好きだ。
小学6年の時、橋幸夫がデビューし、僕は全曲を覚えるほどこの歌手に凝った。
大人たちの前で「潮来笠」や「沓掛時次郎」を歌詞の意味もわからず歌っていた。
もちろんそのころは、カラオケなどカゲもカタチもなかった時代である。

中学生の時にデビューした舟木一夫にも、夢中になった。
たぶん、僕の長いカラオケ人生でも、最も多く歌ったのが、
この人のデビュー曲「高校三年生」だったろうな~と思う。
職場で1泊旅行などへ行き、宴席でカラオケタイムになると、
いきなり「高校三年生」が流れてきて、「お~い、出番やでぇ」
などと同僚に囃し立てられ、あわててマイクを持つような調子だ。
歌うとも言っていないのに、誰かが勝手にこの曲をかけるのだ。

まあ、そんなことであるが…

最近は僕がテレビで昔の歌番組を見ていると、6歳のモミィが、
テーブルでお絵かきなどしながら、それをチラチラっと見る。

先日、僕の好きな山口百恵の 「プレイバックPartⅡ」 のシーンが映った。
僕があまりにも熱心にテレビを見ているものだから、モミィは
「ねぇねぇ、この人だれ…?」と聞いてくる。
「ヤマグチモモエちゃん。昔の歌手やけど、大好きやったんやで~」
「ふ~ん」
わかっているのかいないのか…モミィはまたお絵かきのほうに戻る。

きりりと引き締まった表情で、一点を見据えて歌う山口百恵。

 交差点では隣の車が ミラーをこすった
     怒鳴っているから 私もついつい大声になる
     馬鹿にしないでよ そっちのせいよ  
     ちょっと待って Play back Play back
     今の言葉 Play back Play back
     馬鹿にしないでよ そっちのせいよ ……

詩・阿木燿子と、曲・宇崎竜童の夫婦コンビが生んだ名曲。
昭和53年に大ヒットした。

テレビの映像にうっとり見とれ、歌に聴き惚れる。

 気分次第で抱くだけ抱いて 女はいつも待ってるなんて
      坊や いったい何を教わって来たの 
      私だって 私だって 疲れるわ~

ここの歌詞も、とても印象深い。

山口百恵が終わり、次に尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が始まった。

そのとき、ふと見ると、モミィが下を向いて鼻をほじくっている。 
「やめなさい。鼻が痛くなるよ」 僕がそう言うと、
モミィは顔を上げ、こちらを見てニィ~っと笑い…

「馬鹿にしないでよ~」 と言った。

 ぎゃふん。

 

 

 

 

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勘違いや思い込みの数々

2011年11月03日 | 雑記

ある言葉に対して、勘違いしたり、何かと混同したり、
字の読み方を間違っていたり、歌の意味を誤解していたり…

よく言われるのが童謡の、
♪ うさぎ追いしかの山~ を「ウサギ美味しいかの山」と勘違い。
♪ 夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは…、
を「追われて見たのは」と思い、トンボに追われている歌と勘違い。

そんな思い込みや勘違いはよくありますよね。

2、3日前、モミィが妻と一緒に「アルプス一万尺」を、
はしゃぎながら踊って歌っているのを聞いていたら…

 ♪ アルプス一万尺 こやぎの上で~
   アルペン踊りをさあ踊りましょ

と僕の耳には聞こえた。
「こやぎの上で…?」と僕がモミィに確かめると、
「違うで、お屋根の上でって言ったんやで」とモミィ。
「お屋根の上で…? そんなとこで踊ったら、天井抜けるがな」と僕。
「ほんなら、こやぎの上か…?」とモミィ。
「こやぎさんの上で踊れるかいな。スズメやあるまいし」と僕。
「なら、何の上やのん…?」とモミィ。
「オヤリと聞いたことあるけど、はっきり知らん」と無責任な僕。
すると横から妻が、「正解はコヤリの上よ」と言った。
(これをヨコヤリを入れる……とは、言いません言いません)

歌はよく聞くのだけれど、どこの上で踊りましょう…
と言っているのか、僕はこのときまで、知らなかった。
コヤリとは槍ヶ岳の頂上にある小さな山のことだそうだ。

な~んだ、日本の歌なのか。アルプスというから、
てっきりスイスかどこかの国の歌かと思っていたのに。
初めて知ったショーゲキの事実だぞぉ
。 
 
以前コメントをいただいていたじゃいさんという方は、
「若干名募集」を見て、若い人を千名も募集している!
なんとまあ景気のいい会社だろう、と思ったそうである。

僕も若い頃、道を歩いていると「月極駐車場」という札を見て、
それがあちらにもこちらにもあるので不思議に思ったものである。
月極(げっきょく)という会社は沢山の駐車場を持っているんだなぁ~と。

同じような話で、新聞の投稿欄などで、「匿名希望」というのがある。
高校のとき、これを匿名希望さんという名前だと思い込んでいた友だちがいた。
「この人って、沢山のことをいろんな新聞・雑誌に書いているなぁ」と思ったそうな。

他にも、さまざまな人たちの「思い込み・勘違い」の話がある。

テレビのニュースを聞いていて、かつてこんな思い込みをしたという話。

「台風一過」を、大人になるまで「台風一家」だと思っていたという話。
「汚職事件」というのは、「お食事券」を配って捕まるニュースだと思った話。
「日清戦争」というのは、ラーメンを巡る戦争だと子どものころ思っていた話。
「非行少年」を「飛行少年」と思い込み、空を飛べる少年がうらやましかった話。

また、こんな勘違い・思い込みも。

宮本武蔵の「五輪書」を、オリンピックの本だと思った高校生。
「極道」を空手に似た格闘技の一種だと思っていた中学生。
「神のみぞ知る」と言われ、「神のみそ汁…?」と首をかしげた人。
スカーレット・オハラと聞き、小原庄助の親戚だと思い込んだ人。
聖徳太子を「せいとくたいこ」と読んでいた小学4年生の男の子。

まあ、このほかにも、いろいろ面白いのがあります。

再び僕自身の経験を書くと…

自転車旅行で金沢へ行った時、その日はユースホステルに泊まろうと思い、
兼六園の中で、ベンチで談笑していた中高年の男性たちにその場所を尋ねた。
そのうちの一人の方が、丁寧に道順を教えてくれた。
そのとき、その人は、何度も何度も、ユースホステルのことを、
ユースホステス、ユースホステスと繰り返し、言っていた。

ついでに言えば、僕はずっと「天津甘栗」を「あまつあまぐり」と読んでいた。
「きくらげ」を大人になっても黄色いくらげだと思い、なぜ黒いのか不思議だった。
「鯛の尾頭つき」を「鯛のお頭つき」と思い、頭だけついているものと思っていた。

ということで…
続きはまた次の機会に書きます。

ではみなさま、今日は文化の日です。

良い1日を!

 

 

 

 

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