僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

大阪城公園へ行ってきました

2022年11月16日 | ウォーク・自転車

ウオーキングにいい季節になりましたね。

きょう、大阪城公園を歩いてきました。
イチョウ並木がとてもきれいでしたよ。

 

 
  右側がお堀です。
  その右の上に、大阪城の天守閣がチラッと見えています。


 

 大阪城を背景に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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飛鳥寺から橘寺、高松塚古墳へ

2022年10月19日 | ウォーク・自転車



後半は飛鳥寺から飛鳥板蓋宮跡、そして石舞台の近くまで行き、
そのあと「亀石」とある上に小さな字で「橘寺」とあります。
その橘寺から、道に迷いながら(笑)飛鳥歴史公園へ。最後に
その下の高松塚古墳へ行ったあと、飛鳥
駅へ到着しました。

見どころいっぱいの「飛鳥の里テクテク歩き」の後半です。
前回は飛鳥寺へ向かう所で終わりました。

このあたりは、随所にこのような案内板があります。

  

地図に赤で書かれている「現在地」は飛鳥寺のすぐそばでした。

そしてテクテク歩いて行くとその飛鳥寺がありました。
飛鳥寺は、日本史で習ったあの曽我馬子(そがのうまこ)が造営した日本初の本格的寺院だとされています。

 
 飛鳥寺の門前に「飛鳥大佛」という石碑が建っています。

「飛鳥大佛」というのは現存する仏像では日本最古のもの、とありますが、何度か火災を受けて、今は仏像の顏の一部と耳と手の一部だけが残っているということです。ここへ来るまで同行のFさんも、「飛鳥大仏は頭だけしか残ってないんや」と何度も説明をしてくれていました。

飛鳥寺を過ぎて、民族資料館を通り、「酒船石遺跡」というのを見ました。
写真に撮ったのですが、写真ではわかりにくい石造物なので載せませんが、酒造りに用いたと伝わるそうですがはっきり分かっていないということ。この目で見ても、それが何の形なのか、さっぱりわかりません(笑)。関心のある方はこちらを見てください。    

酒船石遺跡

さて、ここからまた、道を間違ったりしながら回り道をテクテク。いったん広いバス道に出た後、進んでいくと、石舞台の近くを通りましたが、ここは以前にも行ったことがあるのでパス。行く手に大きな休憩所が見えたので、そこでお昼のお弁当を食べました。日なたを歩いていると暑いのですが、日陰のベンチに座ると割に冷たい風が吹いて、ちょっと寒かったです。

さて、また地道になり、また道を間違えて回り道をしたりしながら美しい山々と田んぼの景色を眺めて歩いていたら、Fさんから「あれが橘寺やで」と教えられました。

 
 今歩いて来た道を振り返って撮った写真です。

中央に見える屋根が橘寺です。いい風景ですよね。
橘寺は聖徳太子が生まれたとされるお寺として有名とのことです。

さて、そこからまた上ったり下りたりしながらズンズン歩いて行くと、そろそろ本日の最後のお目当てである高松塚古墳が近づいてきたことを示す石碑が見えました。

 
   国営飛鳥歴史公園
   高松塚周辺地区
   と書かれているようでした。

そこからまたテクテク(ず~とテクテクですわ)。

そして高松塚古墳に到着です。これまであまり人の姿は見えなかったのですが、やはり名所中の名所だけあって、何人もの観光客がいましたね。

 
  高松塚古墳。
  絵に描いたような、きれいな円墳です。

この高松塚古墳が一躍有名になったのは1972年。この石室に極彩色の壁画が発見されて大ニュースになりました。あれからちょうど50年が経ったのですね。早い、早い。

これを最後に、やがて車が走っている道路に出て、信号を渡ったら近鉄の飛鳥駅がありました。

 
 飛鳥駅に着いたのは午後3時ごろでした。

10時頃から歩き始めて約5時間。
F先輩のおかげで、本当にいいウオーキングができました。

帰りの電車の中でスマホの歩数計を見たら、約26,000歩でした。まあ僕は小柄で歩幅が狭いので、人よりは歩数が多いと思いますが(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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飛鳥の里をテクテクと 

2022年10月15日 | ウォーク・自転車

去年12月の最後のブログに信貴山へ山登りをしたことを書きましたが、その時に誘ってくれた元勤務先の先輩であるFさんが、今回また誘ってくれたので、今週の火曜日(11日)に奈良の飛鳥路へ行きました。Fさんと二人で、昔ばなしに花を咲かせながら、約5時間、起伏の多い道をテクテク歩きました。


 
 地図の左上、近鉄電車の橿原神宮前駅から出発。
 甘樫丘(あまかしのおか)~飛鳥寺~飛鳥板蓋宮跡
 ~亀石~石舞台付近~
飛鳥歴史公園~高松塚古墳と、
 回り道しながら歩き、
飛鳥駅がゴールでした。

Fさんはこの辺には詳しく、僕はついて歩くだけです。むかし、自転車で飛鳥路を巡ったり、子どもたちが小学生の頃に家族で石舞台周辺に遊びに来たりしたのですが、それ以来、訪れていないので道も忘れてしまいました。
ホント、何十年ぶりだろうか。

駅前の車道から民家が並ぶ細い道へ入り、しばらく行くともうすっかり自然に囲まれたのどかな光景が目の前に広がりました。

 

最近はたいてい街の中ばかり歩いているので、こういう緑に包まれた景色に触れると嬉しくなります。しかもこの日は素晴らしいお天気だったうえ、前日が雨だったことで眺望も最高に良かったので、めちゃラッキーでした。

約1400年前に日本の都があったとされる飛鳥京の跡が中心となる飛鳥めぐりの魅力は、広範囲に点在する様々な遺跡や寺院、古墳や石造物などとふれ合いながら歩くところにあると思うのですが、こうした静かな山村を歩くだけでも、とても気持ちいいものですね。

しばらく歩くと、豊浦宮跡というところへ来ました。ここは推古天皇が即位した宮殿とのことで、今は向原寺というお寺になっています。

 
 寺の入口の横にある立て札には「推古天皇豊浦宮跡」として、
 ここの由来が詳しく書かれています

そこから少し歩いたら、前方に緩やかな丘陵が見え、Fさんが、
「あれが甘樫丘の丘やで」と教えてくれた。

 
 前方が甘樫丘(あまかしのおか)。 標高は148mとのことだが、
 丘陵の上には大和三山などが一望できる展望広場があるそうです。

そこから甘樫丘の麓の道を行くと少し開けた道路に出て、
「あすか夢の楽市」という売店があったので、入ってみました。
野菜や果物のほか、普通のスーパーにあるような加工の食料品やお菓子などが売られていました。

 
 写真の左側に写っているのがFさんです。
 僕より5歳も年上なのに、元気過ぎる人ですわ。

そのあと飛鳥寺の方角へ向かって歩いて行きました。

今現在は、地図とスマホで撮った写真を見ながらこの時の足跡をたどり、この文章を書いていますが、実際に歩いている時は、どこがどこだかよくわからないまま、Fさんに付いて歩いているだけでした。へへっ。

一人でウオーキングする時は行く前から行程を調べ、地理を頭に叩き込んで行くのですが、なにしろ今回はFさんに頼りっきりなものだったから、ぺちゃくちゃとしゃべりながら、目に映る風景を楽しむばかりでした(これがまた楽しいんですけどね)。

とはいえFさんも時々道を間違えて、
「あれ? ちょっと違うなぁ。まぁ方角はこっちのほうやから、また知ってる道に出るやろ」というのが何度かあり、それでウロウロと回り道した分、僕たちのウオーキングの距離もグンと伸びました(笑)。

このあとも、飛鳥の里を歩き回って、高松塚古墳などを経て飛鳥駅まで行くのですが、続きはまた次回ということでよろしく~



★去年12月、Fさんと信貴山へ上った時のブログです。

  信貴山より寅年へ 愛をこめて (12月29日)

 

 

 

 

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五島列島・福江島の思い出

2022年10月09日 | ウォーク・自転車

朝ドラ「舞い上がれ」の舞台となっている五島列島へ行ったのは今から43年前のことでした。手元に当時の日記があるので確認すると、1979年(昭和54年)、夏季休暇と有休をもらって7月12日から23日まで、12日間、自転車で九州を走りました。

大阪からフェリーで門司へ行き、そこからスタート。まず佐賀県の唐津まで行って、虹の松原のキャンプ場で1泊。翌日は長崎へ行き、オールナイトの映画館で一夜を過ごした。そして次の日の朝、当初は予定していなかった五島列島へフェリーが出ていると聞いたので、「よ~し、行ってみよう。五島列島へ!」と思い立ったのです。

 
  五島列島は東シナ海に浮かぶ大小約150の島々。
  福江島はその中心となる島です。

フェリーの2等の床にごろんと寝転んで、3時間半後に、福江島の福江市に着いた。今は五島市になっていますが、当時は福江市でした。

福江島の観光地図を見ると、島の北側に「魚津ヶ崎」という所にキャンプ場があったので、今日はそこまで走って、テントを張ることにした。

 
 地図の右側に島の中心部「福江」があります。
 その下に「鬼岳」。北には魚津ヶ崎という岬があり、
 ここのキャンプ場でテントを張って一夜を過ごしました。
 

自転車をこぎ始め、まず福江市内を回ってみた。

走り始めてすぐに、お城のようなものが見えた。
あとから知ったことだけど、これは石田城(または福江城)といって、江戸時代の最後に建てられた城で知られているそうです。この町は城下町だったんですね。

 
  城門に自転車を止めて写真を撮る。  

その城門を、制服を着た女子高生たちが出入りしているのを見て不思議に思ったので、通りがかったおばさんにわけを聞くと、お城の中に高校があるのだそうだ。
「へえ、お城に高校? 珍しいですね」と僕が言うと、おばさんは、
「だって、お城を何にも使わずに置いておくのはもったいないですもの」
と言ったので、ふ~ん、それもそうかな~んて思いました。

ここを背景に写真を撮ってもらおうと、その近くにいた女子高生のグループに声をかけ、
「写真を撮ってくれますか」とお願いしたら、彼女たちは、
「あんたが撮ってあげなさいよ」
「いやぁ~。あんたが!」 
と、お互いが押し付け合って、誰も僕からカメラを受け取ってくれようとせず向こうへ行ってしまいました。ガッカリ(笑)。

ちなみに、上の石田城の門の写真はちょっとピンボケなので、ネットから写真を拝借しました。

 

そんなことをしながら、ひととおり市内見学を終えて、僕は郊外に出た。

ずんずんと坂道を上がって行くと福江の町と海が一望された。

 
 坂道はしんどいけれど、素晴らしい景観に気持がほぐれる。

後方を仰ぐと、鬼岳という、名はいかめしいが、山全体が緑の芝生で覆われた、標高300m級のなだらかな山の風景が目に入った(右の奥の山です)。

 

そしてここから、山中の道路を北へ向けて約1時間半走った。沿道に民家も少なく、ひっそりと、眠るような静けさが支配する。太陽はガンガン照りつけているが、あたりは沈黙の世界である。ずいぶん遠くまで、来たものだなぁ、と思いつつ、ペダルをこぐ。

ときどき、集落に子どもたちの遊ぶ姿が見える。彼らは、例外なく、僕を見ると動きを止め、何か不思議なものでも見るように、僕をじぃっと目で追っている。さっきの女子高生たちといい、子どもたちといい、僕は何か怪しげな人間に見えるのだろうか??

3時に、魚津ヶ崎キャンプ場に到着した。

近くに、「遣唐使の最後の寄港地」というところがあり、記念碑が建っていた。キャンプ場といっても、誰もいない。 岬に芝生が広がっているだけだ。
しかし、町営キャンプ場だけに、トイレと水道はあった。

このキャンプ場は岐宿町というところの町営で、テントを張っていたら管理人だという年配の男の人がやって来た。「どこから来たの?」と聞かれたので「大阪です」と答えたら「大阪から!」と、驚かれていた。この男性、夏は岐宿町の臨時職員としてキャンプ場の管理人の仕事をし、冬は漁師をされているという。
「おじさんはブリの漁をしているんだよ。この岬のあたりには、冬はブリがたくさん来るんだよ」と言った後、「じゃあ、明日からも気をつけてね」と、優しい言葉をかけてくれて帰って行かれた。

 

 
  魚津ヶ崎キャンプ場からの風景(ネットの写真です)。

ここ、西の果ての日没は、遅い。
パンフレットには、
「ここは、日本で一番最後に夕日の沈む場所です」
と書いてありました。

 
  キャンプ場でテントを張っていたのは、僕一人でした

何かホッとした気分で、僕は自宅の妻に手紙を書き、食事をして、あとは何もすることがなくなったので、海を眺めて日が暮れるのを待った。
やがて、夕日は、キラキラとまばゆい光彩を放ちながら、海の色と交錯し合い、徐々にその姿を隠し始めた。

テントではず~っと携帯ラジオをかけていたのですが、聞こえてくるのは日本語ではなく韓国語ばかり。ラジオをいじっていると、NHK放送だけはちゃんと日本語が流れていました。やはりここは東シナ海なんだ、と実感した次第です。

さて、福江島には1泊しただけで再び長崎に戻り、長崎の街をブラブラし、そこからは、天草西海岸や牛深、川内、鹿児島と走り、九州本島最南端の佐多岬まで。そこから北上して宮崎県へ。日南海岸道路を走り、最後は日向港から大阪行きのフェリーに乗って帰り、無事に12日間の旅を終えました。

…………………………………………………………………………

五島列島の福江島にはわずか1泊2日しか滞在しなかったのですが、それでもここの風景は今もはっきりと記憶に残っています。

1週間前から始まった「舞い上がれ」を見ていると、五島の海や山の美しい風景が随所に出て来るので、ドラマを見ながら、40数年前のこの自転車旅行の思い出に浸っている僕です。

 

★追記

 当時の旅行日記です。

 
 これがノートの表紙。A4サイズです。


 
  そしてこれがその中身。
  ヘタな字がぎっしり並んでいます。
  全部で66ページを使ってこの旅行日記を書きました。

僕の本棚には、自転車旅行と海外旅行とマラソンなどの資料や日記、写真等がワンサとあります。そろそろ処分しなければ、と思っているんですけどね~

 

 

 

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朝ドラ「舞い上がれ!」に舞い上がる思い出

2022年10月03日 | ウォーク・自転車

 

きょうから朝ドラ「舞い上がれ」が始まりましたね。
「もう『ちむどんどん』はええから、はよ「舞い上がれ」に変わって~」
なんて思っていましたけど、やっとその日がやってきました。

このドラマは、以前のブログにも書きましたが、長崎県の五島列島と、大阪府の東大阪市が舞台になっているということでした。

東大阪市といえば僕の母校の近畿大学があり、当時は大学と同じ敷地内にあった近大付属高校にも3年間通っていたので、計7年間、高校・大学と東大阪市のそこに通いました。

今日の「舞い上がれ」の第一回は、東大阪に暮らすヒロインの岩倉舞がまだ小学生で、原因不明の熱が出て、学校も休みがちという状況。少し走っただけでも熱が出るということで、お母さんも心配する。舞の家は東大阪の工場街の中にあるネジ工場を営んでいました。

このあとの展開は、今日の新聞によると、舞のお母さんの実家がある長崎県の五島列島に療養に行くということになっています。

そういうことで、このドラマの舞台は、東大阪市と五島列島、ということになっています。ドラマのストーリーは今後どうなるのかわかりませんが、舞台がなぜ東大阪市と長崎県の五島列島なのか? これがドラマを見るまでわからなかったのですが、そういうことだったのですね。

で、驚いたのがこの2つの地域です。
東大阪市は前述のように僕にとっては15歳から22歳まで、帰宅する以外は、ほとんどこの街で過ごしていました。先輩の下宿にも何度も泊めてもらったし。

そして一方の五島列島は、モミィのママの生まれた場所なのです。

一度ブログに書きましたが

元々和歌山県に住んでいた彼女の母が、そこで五島列島から来ていた男性と知り合って結婚し、男性の故郷、遥か彼方の五島へ移り住み、結婚生活が始まった。そこで生まれた女の子がアキナちゃんという子でした。

アキナちゃんは十代の頃に島の生活に飽き、大阪へ出てきて、その後成人し、うちの長男と知り合って結婚し、生まれたのがモミィでした。

まあ、五島列島と言えばまずそのことを思い出しますが、僕自身も、30歳の頃に自転車で九州一周をしました。そのとき、行く予定はなかったのですが、なにかの拍子で五島列島の福江島へ渡ったのです。そして、あれほど素晴らしい海の景色を見たのは、あの時初めてだったと思います。

それまで、自転車で東北・北海道などへ行って美しい海の風景はいっぱい見てきましたが、やはり南の海の素晴らしさはまた別格でしたね。

いま、こう書きながら、当時のことを鮮明に思い出します。

先ほど、当時の写真を引っぱり出して眺めていました。

懐かしい。

朝ドラ「舞いあがれ」では、これから五島列島の風景が出て来ると思いますが、それを見るだけでも胸がざわざわするに違いないでしょうね。
ほんまに、楽しみですわ。

 
  長崎から五島列島へ行く船の中で

 
  これはフェリーの切符ですが、よく見れば、
  五島の福江から長崎へ戻る時のチケットですね。
  日付が分かりにくいですが、
  昭和54年7月だったことは確かです。

また近いうちに、この時の旅のことを書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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自転車旅行に出発した日

2022年06月17日 | ウォーク・自転車

ここ数年前から「今日は何日?」というのがすぐに頭に浮かばない。曜日はわかるのだけど、何日か、というのがねぇ、咄嗟には出てこないのです。認知症のテストでは、まず「今日は何月何日ですか?」という質問から始まると聞いているが、その意味では日がわからないとヤバい。僕の場合、スーパーで食料品を買いに行くと賞味期限が記載されているので、今日が何日なのかを知っておかなければならない。で、品物を前にしてスマホで日を確かめたり、近くに店の人がいたら「今日は何日でしたっけ?」と尋ねたりしていました(笑)。

でもまぁそんなことから、このごろは朝起きた時に「今日は〇月〇日!」と自分に言い聞かせるようにしているのです。

そして今日の朝、「今日は6月17日だぁ」と思いながら起きたのですが
その時、遠い記憶がよみがえってきました。
「6月17日」というのは、僕にとって「思い出の日」だったのです。

1969(昭和44)年。20歳だった学生時代。自転車で東日本一周の旅に出発したのが6月17日だった。でも、その日もここ数年、もうすっかり忘れてしまっていた。それが今朝、なぜか「6月17日だぁ」と心の中でつぶやいたとたんに、「えっ?」と思い、「あ、そうか」と、自分にとって記念すべき日だったことを思い出したのです。

大学3年生だったあの時
出発の日だというのに朝から強い雨。あとからわかったけれど、この日はちょうど梅雨入りした日だったとのこと。「気を付けてね」と父母が心配そうに見送る中、ポンチョ(カッパ)を着て、僕は重い荷物を積んだ自転車に乗って大阪・柏原市の自宅を出発した。

大阪から福井~石川~秋田~青森と日本海側を走り、北海道を時計回りに1周して本州に戻り、今度は下北半島から岩手、宮城、福島、茨城、千葉、東京そして名古屋と太平洋側を走り、大阪に着いたのが8月25日。70日間の自転車一人旅だった。旅行中のエピソードは、それはもう書いても書いても書ききれないほど沢山のことがあり過ぎて、生涯忘れられない旅となった。

旅行中は野宿が多く、放浪の旅みたいなものだったけど、そんな中、心温まる人々との出会いや、珍体験、爆笑体験、恐怖体験など、次から次へとハプニングの連続で、その後の人生では決して体験できないことが山ほどあった。今から思うと、本当に濃密な70日間だった。

まぁ今の生活では70日間といっても大した出来事もありません。つまりそんな平凡な日常だから6月17日もつい忘れちゃうんですね(笑)。

さて、
いつか曽野綾子さんの本で、こんな文章を読んだことがあります。

若いうちから、楽しかったことをよく記憶しておいて、これだけ面白い人生を送ったのだから、もういつ死んでもいいと思うような心理的決済を常につけておく習慣をつけるといい。(中略)。やはり冒険はいいものだ。冒険は心の寿命を延ばす。若い日に冒険しておくと、たぶん死に易くなる。

いつまでも心に残る文章で、死ぬまで座右の銘にしようと思っています。

そして、あの「自転車の冒険」から53年が経ちました。

「若い日に冒険しておくと、たぶん死に易くなる」という曽野綾子さんの言葉を噛みしめながら、年々歳を重ねても、それなりに楽な気分を持ち続けている僕です。

 

 
  憧れの最北端の駅「稚内」に着いたのは、
  大阪を出発して27日目の7月12日でした。

 


 

コメント (2)
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散歩道を彩る花々の風景

2022年04月28日 | ウォーク・自転車

数日前、ちょうどいい天候だったので、市内のいろんなところを妻と歩きました。いつもなら、買い物がてらに少し遠回りをして駅前に向いて歩くのですが、この日は時間をかけて、広い範囲をグル~と巡ってみました。

周囲の景色は、桜の花こそ散って無くなりましたが、それでも今の時期はどこを歩いてもきれいな花が咲いていますね。いろんな施設の周囲やお家の庭、そして道端にと、色とりどりの花が目に鮮やかです。それらを眺めながら歩ける今の季節は、ほんと、貴重な季節です。

 

これはわが家から東に歩くと外環状線という道路に出るのですが、その途中の「大水川遊歩道」というところです。ツツジが見事です。桜もいいけど、この「ツツジのかたまり」もきわだって華やかです。このあとも、あちこちでツツジを楽しみました。

そこを通り過ぎて外環状線に出ると、信号の向こうは藤井寺市民体育館があり、その体育館に沿ってハナミズキの街路樹が並んでいます。

  

1週間前にここを通った時は満開で、もっと真っ白で鮮やかだったのですが、写真を撮らなかった。この日は少し散り始めていたので「あの時撮っておけばよかったなぁ」といささか後悔の念を抱きながら撮った一枚です。この道の右側が市民体育館です。

また道端でも、こんなちょっとしたカラフルな花に目が行きます。

 

そのあと、グル~っと市内を回り、藤井寺市役所の前を通ったら、目に飛び込んできたのがこれでした。

 
市役所の庭に咲いていました。
「この花は何?」と妻に聞いたら、
「なでしこ、ね」とのことでした。
えっ、あの「なでしこジャパン」の「なでしこ」?
ふ~ん。こんな花だったんだね。知らんかった~

さて、そのあと、駅前のイオンに行くと、やはりツツジが。

 
(藤井寺駅側からイオンの入口に向かって撮る)

やはり今はツツジが一番目立つ時期なんでしょうね~

そしてイオンで買い物をしたあとわが家へ。
家が近づいてきたら、今度は「城山古墳」というのがあって、そこにも花が咲いているはずなので古墳のまわりとグルっと一周した。

ここは桜が見事に咲き誇っていたのだけど、面影はない。
でも、緑が鮮やかなので、ほぼ毎日この横を通って帰る。
今日は久しぶりにまわりを一周してみたが


 城山古墳の菜の花畑。これも盛りを過ぎた。

そして、古墳の中に一歩足を踏み入れると、

 
  やっぱりここでも、ツツジが一番きれいだった。
  右の方に立っている石碑には「史跡城山」と彫られています。


では最後です。
わが家の近くでこんな風景が目に入りました。


 

藤井寺市の市議会議員さんの氏名を書いた立て札が見えます。この辺を地盤にしている女性議員で、僕もお名前は知っていますし、この立て札があることも以前から知っています。

それが今、この立て札のすぐそばに、白くて綺麗な花が咲いています。
で、その議員さんのお名前というのが

 

でした。
お名前と背景がなんだかシンクロしているようで。
思わず立ち止まり、写真を撮ってしまいました。

散歩をしているといろんな光景が目に映るので、楽しいです。
きれいな花もあれば、こんな面白い構図にも出会いますからね~

 

 

 

 

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♪ 公衆電話の箱の中 ひざを抱えて泣きました

2022年04月06日 | ウォーク・自転車

先日、「好きだった歌謡曲を思い出す日々」というのを書きましたが、それにちなんだ忘れられない思い出があります。

1970年代に活躍したフォークグループ「かぐや姫」の曲で「神田川」の最後のフレーズが大好きだったことを先日書いたのですが

その「神田川」の続編みたいなのが「赤ちょうちん」という歌でした。
僕はこの歌も好きだったのですが、その中に、

♪ あなたと別れた雨の夜
 公衆電話の箱の中
 ひざを抱えて泣きました
 生きてることは ただそれだけで
 哀しいことだと知りました

という歌詞が出てきます。
この歌詞を、突然思い出したのが、ある自転車旅行の時でした。

あれは1980年の8月のこと。
3泊4日で大阪のわが家から飛騨高山へ自転車で走った。この方面には今まで行ったことがなかった。

最初の日は大津・彦根・米原・関ケ原のコースで岐阜まで。

岐阜では泊るつもりにしていた宿泊施設の数カ所がすべて満員で断られ、仕方なく岐阜公園に行き、公園のベンチで寝ることにした。8月なので野宿でも大丈夫だろう、寝袋も持っていたし、ということで「公園泊」に決めたのでした。

 
  岐阜公園の噴水像の前で(1980年8月21日)。

岐阜公園は、頂上に斎藤道三や織田信長の居城だった岐阜城がある金華山や、鵜飼いで名高い長良川に囲まれた、とてもいいところです。だから、こういう場所で野宿をするのも悪くはない、と思いながら、寝袋にくるまってベンチに寝転び、夜空を仰いだ。

ほぼ真上に、金華山頂の岐阜城がうっすらと灯りに照らされ、幻のように浮かんでいる。そして山の向こう側では、「ポーン、ドドド~ン」と花火の音が響きわたる。長良川の鵜飼いが佳境に入ってきているようだ。

そして、そのまま気持ちよく眠ってしまった。
ところが

夜中に雨が降って来た。それも普通の雨ではなく、空がピカッと光ったかと思うと雷が鳴って、かなり強い勢いで降って来たのだ。僕はあわててベンチから飛び起き、寝袋を抱え、片手で自転車を引っ張って近くの売店の軒へ避難した。すると物陰から大きな番犬が現れ、すさまじい声で吠えた。僕はびっくりして、自転車はそのままにして、寝袋と水筒とタオルだけ持ち、すぐ横にあった公衆電話ボックスの中に逃げ込んだ。
狭くて窮屈だけど、他に行くところはなかった。

見知らぬ土地の公園の電話ボックスの中に座り込み、真夜中にただ一人、ガラスの向こう側にベットリくっついているナメクジと顔見合わせて、夜明けを待つ。時々ウトウトしては、はっと目が覚める。なんだか情けない気持ちになってきて、泣きたくなるような時間が流れた。
「こんなことって、三十の男のすることじゃないわ」
みたいな思いもありました。

ということで、
公衆電話の中で夜を明かしたのは、後にも先にもこの時1回だけです。
(そう何回もあって、どうすんねん)

そして2日目は岐阜公園から長良川沿いを北上し、郡上八幡駅で長い休憩をとった後、坂本トンネルを抜け、飛騨高山に到着し、民宿で泊った。

3日目は下呂温泉を経由し、美濃加茂を通って名古屋へ。その夜はオールナイトの映画館へ入って居眠りながら一晩を過ごした。ちなみに映画はポルノ映画の三本立てでした。男と女がイチャイチャするだけの映画だから、見ていてもすぐに眠ってしまいますわ(笑)。

そして最後の4日目、名古屋から伊賀上野を通り、急な山道の多いコースを奈良の天理まで走り、夜に無事わが家に到着しました。

わずか4日間だったけれど、実にいろんな経験をしたわけですが、何と言っても最大の珍体験は、岐阜公園の公衆電話ボックスで夜を過ごしたことでした。

それでふと浮かんだのが、「赤ちょうちん」だったのです。

あなたと別れた雨の夜
 公衆電話の箱の中
 ひざを抱えて 泣きました

それで、僕の場合は

♪ 岐阜で降られた雨の夜
 公衆電話の箱の中
 寝袋抱えて 泣きました

でした(笑)。
 

 

 

 

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歩数計を使ったら 歩くのもまた楽し?

2022年03月03日 | ウォーク・自転車

歩数計ってありますよね。スマホについている歩数計です。
そのアプリをインストールしなければなりませんけど。

それを持って歩いたら、何歩、歩いたのかが表示されます。

以前、ウオーキングの会でみんなで歩いていたら、一緒に歩いている人が、
「あ、もうここで1万歩を越えたで~」
とスマホを見て言ったりしていていました。

でも僕は、それを頭の中ではバカにしていました。
何歩歩いたかを知ったところで、それがどないしたん?
それよりも、
何キロ歩いたか?
何時間歩いたか?
それのほうが僕にとってはず~っと大事だ。
歩数なんか、どうでもええわ!
と思い続けていたのです。

それが、2ヵ月ほど前に、妻から、
「楽天アプリの歩数計ってあるんだけど、使ってみたら?」
と言われたので、何かわからないまま、それをしてみました。

僕は若い頃からマラソンやウオーキングをしてきたのですが、距離ばかりにこだわって、歩数などには見向きもしなかった。でも今、初めてその歩数計というものを使ってみると、これが意外と面白かったのです。

僕の今の日課は、ほぼ毎日、午前中に妻と駅前のイオンやその周辺へ行き、買い物をしたりします。回り道をして行くので、歩数を見ると、だいたい往復で7,000歩前後です。な~るほど。

そして、そこからまた一人で数時間を歩くと、1万歩を越えます。
そういうことをし始めると、それが面白くなってきたんですよね。
(あれだけ歩数計をバカにしていたのにね~)。

で、このごろは、午後から一人でまた歩きに出かけ、回り道をして図書館へ行き、そこの自習室で2時間ほど本を読んで、それからまた回り道をして夕方帰宅するという習慣が付き始めています。

すると1日で軽く1万歩を越えるんですよね。

ちなみに、今日は3月3日ですが、一昨日の1日は心房細動(不整脈)が出たので近所のスーパーへ買い物に行ったくらいでしたが、昨日2日には収まったので、午前は妻と買い物、午後は近くの古墳公園などを歩きました。そして今日3日は、午前は同様に買い物。午後は一人で大和川の河川敷からグル~っと回って歩いた後、図書館の自習室へ行き、そこで持参していた本、僕の好きな酒井順子さんの「次の人、どうぞ!」というエッセイを2時間ほど読んで、そのあと、また回り道をして、夕方に家に戻りました。

3月に入って3日間のスマホの歩数計の画面を見ると

  

まぁ、こんな具合で、昨日も今日も、1万歩を越えました。

そこで
ついさっき、それを古い友人の森〇にメールをしたのですが、

「わはは。足が短いと歩数も増えるわなぁ。わはは」
な~んて返事が返ってきました。

誰が足が短いねん!
ま、短いけどな。
でも、ほっといてんか!

ほんま、いやらしいヤツですわ。ぷんぷん。
(なんの話ですねん?)

 

 

 

 

 

 

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信貴山より寅年へ 愛をこめて

2021年12月29日 | ウォーク・自転車

昨日(28日)。
大阪と奈良をまたぐ山で、わが家から比較的近くにある信貴山(しぎさん)へ山登りをしてきました。かつての勤務先の先輩で、長年お世話になってきたFさんに誘われて行ったのでした。

僕はここ数年、山登りをしていないので、結構きつかったですけど、街の中をウオーキングするのとはまた違い、シーンとした山の中を登って行くのも、なかなか妙味のあるものでした(でも、しんどかった~)。

信貴山の頂上近くに朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)という有名なお寺があり、一般には信貴山寺と呼ばれています。ここは聖徳太子が創建されたお寺だと伝えられており、御本尊は毘沙門天です。

そして、言い伝えによると、聖徳太子がここで毘沙門天王を感得され、後利益をいただいたのが寅の年、寅の日、寅の刻であったといわれています。その故事から、信貴山の毘沙門さまに寅の縁日にお参りすると、聖徳太子にあやかって良いご利益を授かるとして昔から信仰を集めてきたそうなんです。

で、それにちなんで、お寺のそばに大きな寅の張り子があります。以前、ここへ来たのはどれほど前なのか? 思い出せないほどの年月が経っていますが、それだけに、すご~く懐かしかったです。

久しぶりにこの虎(寅)の張り子の前に立ち、両手を合わせました。

あと数日で新しい年を迎えますが、来年は寅年!
つまりこの信貴山は、寅年にピッタリなんですよね。

記念に、ここでFさんと、お互いに写真を撮り合いました。

それがこの写真です。

 

 
  何と言っても記念写真のポイントなので、
  撮影するのに少し順番を待ちました。


ということで、今年も明後日で終わりですね。

このブログをお読みくださった皆さま。

どうか良い寅年の新年を迎られますよう、
心からお祈り申し上げま~す。

 

★追伸  ~ここにもトラが~

お寺の前に、寅の形をしたこんな郵便ポストがありました。
むろん、本物のポストですよ。

 

 

 

 

 

 

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懐かしい人たちとウォーキング

2021年12月23日 | ウォーク・自転車

今日もまた、ウオーキングの話題です。

先月、このブログで、久しぶりに元の職場の松原市役所へ行って職員OB会の総会に出たことを書きました。実はその時、かつての職場の上司から、「『歩こう会』というのを毎月やっているので来てみないか?」と誘われました。で、案内状をもらい、行くことにしました。その「歩こう会」の日が一昨日の21日でした。

で、今日はその話です。

この日は大阪市内を10数キロ余り歩くコースで、集合時間は午後1時。集合場所は近鉄阿部野橋駅の改札口付近。どんな人たちが来ているんだろう? ちょっと緊張しながら集合場所に行きました。

集合場所に到着したら、驚きの連続でした。先日市役所で会った人も数人いましたが、ほとんどは10年以上会っていない人たちでした。しかも、メンバーは僕より全員年上。僕が退職した時点ですでに退職されており、中には20年以上会っていない人もいました。だから顔を見てもすぐにはわからない。しかもマスクをして帽子を被っているので余計にわからない。

「おぅ、珍しいな。なんで来たんや?」とか、
「オレ誰かわかるか? わからんやろ」
な~んて言われたりしました。

しかし少し話すと、顔の輪郭や声で、大体の人はわかりました。僕が市役所に入った当時にお世話になった先輩も大勢おられました。

これはもう、「懐かしい」という表現を通り越していました。

と、まぁ、古い古い昔の先輩たちと、大阪市内を歩いた次第です。

 ……………………………………………………………………………

コースはまず地下鉄で天王寺から谷町線に乗り、南森町というところで下車。
地下鉄の中では懐かしい先輩方から「毎日、どうしてるん?」と聞かれ、モミィのことを話したりしました。もちろん、この人たちは僕が妻とモミィの3人で暮らしていることなど、知りませんよね、そんなことを話していると、あっと言う間に到着。降りたのは地下鉄の南森町という駅でした。

 

 

まず大阪天満宮へ。
前回、わが家から近い道明寺天満宮のことを書いたのに、また今度は大阪天満宮です。天神さんばっかりですね。



ここから日本一長い商店街である天神橋筋商店街を歩き、南へ。


高麗橋。ここは江戸時代の交通要所で、
明治時代には「里程元標」が置かれ、ここを起点に、
西日本の主要道路の距離計算が行われたそうです。
みんな、ここの碑に見入っていました。




そのあと、御堂筋の淀屋橋に近い御霊神社へ。
右に見えるのは「肌守りの木」と呼ばれ、
拝むと肌によいと言い伝えられています。



そして、御堂筋を難波の方に歩きます。

 


やがて道頓堀へ。右の向こうにグリコの看板が見えます。
この橋から下に降りて、川に沿って歩きます。


 
道頓堀川へ降りて、そこを歩きました。
これを「とんぼりリバーウオーク」というそうです。
この写真は、戎橋の真下です。
戎橋には数え切れないほど来ていますが、
この下を歩いたのは、生まれて初めてですわ。

そして

道頓堀を過ぎ、谷町筋へ出ると、終点の阿倍野はもうすぐ。


谷町筋から、はるか前方に「あべのハルカス」が見えてきました。

そのハルカスがゴールでした。

この「歩こう会」をず~っと企画・主催し続けて来られた寺〇さんは、僕が松原市役所の議会事務局の平職員だった時に、次長をしておられ、とてもお世話になった方でした。毎日のように飲みに連れてもらったりもしました。

その寺〇さんも今は84歳のご高齢。それでも、毎月のように「歩こう会」を企画して、今回のような会を主催されています。

この先輩と一緒に歩けただけでも幸せでした。

ただ、寺〇先輩は耳が遠く、ほとんど聞こえないとのことなので、歩きながら、僕は話しかけるのに大声を出し続けていました(笑)。

いや~
それにしても

お陰さまで、本当に懐かしい先輩方と話しながらウオーキングをできたことで、貴重な経験をさせてもらいました。

ただ、歩き終tえた後は、本来なら「年忘れ会」があるところ、コロナなのでそれは中止。阿倍野の道路上で「お疲れさまでした~」と解散して、あとはバラバラに別れました。中には飲みに行くグループもいて僕も誘われたのですが、お断りし、電車のホームに直行。まっすぐ帰宅し、家で、妻やモミィに今日のことを話しながら、ゆっくり飲んだ次第です。

 

 

 

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ウオーキングで道明寺天満宮に寄る

2021年12月21日 | ウォーク・自転車

先週の土曜日(18日)のことですが、
久しぶりに大和川の堤防に上がって、そこからその支流である石川の河川敷に沿って延びる「南河内サイクルライン」を歩きました。

このコースはジョギングにも最適で、マラソンをしていた頃は、休日に、このサイクルラインのコースを何時間もかけて走ったものだった。起点となるのがわが家の近くの大正橋で、終点は21キロ先の河内長野。つまり片道が21キロだから往復42キロで、フルマラソンとほぼ同じ。僕も何カ月に一度かはこのコースを行って帰るフルマラソンの距離をジョギングしたものでした。

今はもうそんなことは無理だけど、もっぱらウオーキングでこのコースを楽しんでいる。でも最近はあまり行かなかったので、この日は久しぶりにそこを歩こうと思い立ったわけです。

10時半頃に家を出て、大和川と石川の分岐点で歩行者専用の橋を渡り、石川沿いのコースに入る。



南河内サイクルライン。左側が大和川の支流・石川です。
この日は青空の中に白い雲がポカポカ浮かんでいました。

12時前に道明寺の近くへ来たので、いったん道明寺駅方面に歩いて、スーパーでパンと飲み物を買い、道明寺天満宮の休憩所で食べることに。

この天満宮は毎年初詣に来るところだけど、今年のお正月はコロナ禍もあり、日をずらして1月7日にお参りに来た(さすがに空いていましたね)。

さて、道明寺天満宮で休憩した後、拝殿のほうを見ると、七五三のお祝いなのでしょうか、着物を着た女の子がチラホラと見受けられらました。
七五三といえば11月だったと思うのですが、今はそれに縛られることなく、10月や12月にもご祈禱に来られる方が多いそうです。

 

 
 着物姿で七五三のお参りの子供さんに、思わず頬が緩みます。


そういえばこのコロナ禍で「幸先詣(さいさきもうで)」というのがよく言われている。お正月は混雑が予想されるので、12月にひと足先に初詣をするそうだ。

道明寺天満宮にも来年の干支の虎の絵が描かれた看板があった。
お正月用のものが、幸先詣のためにもう
出されているんですね。


そして、
天満宮から再び南河内サイクルラインに戻って、テクテク歩く。

起点から約10キロ地点を過ぎた所まで歩いた後、橋が架かる道路でサイクルラインに別れを告げて右折。普通の道に入り帰る方角へ向かう。そこからは国道沿いの歩道を歩き、「リックはびきの」という羽曳野市立生活文化情報センターへ行った。

ここには羽曳野市中央図書館が入っていて、僕みたいな藤井寺市民でも利用できるありがたい図書館です。僕はいろんなルートをウオーキングしているけれど、なるべくここを経由するコースを考えます。ゆっくり休憩することができるうえ、なにせ図書館だから本の山である。気に入った本を借りることもできるので、僕にとっては最高の場所です。

図書館に30分ほどいて、2冊の本を借り、再び出発。
途中イオンに寄ってちょっとした食材を買い、4時頃に帰宅しました。
所要時間は5時間半。
歩いた距離はだいたい20キロぐらいだと思います。
まずまず、歩けました。

 

 

 

 

 

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大阪城のイチョウ並木を散策

2021年11月19日 | ウォーク・自転車

昨日、久しぶりに大阪城へ行きました。もちろん、コロナ騒動が起きてからは初めてなので、約2年ぶりくらいになるでしょうか。

朝、妻が急に「大阪城へ行きたいわ~」と言ったので、では今から行こうということになって出かけた次第です。だいたい僕は何の予定もないので、即実行です。妻は大阪城の紅葉やイチョウを見たい、ということでした。

大阪城は都会と自然の両方の雰囲気が味わえ、昨日のようないいお天気の日は、とても素敵な行楽地でもあります。

近鉄電車でアベノまで行き、そこからJR環状線に乗って大阪城へ行くのが普通のルートですが、僕らはアベノから谷町筋を大阪城まで歩きました。

谷町筋に並ぶ由緒あるお寺などを眺めながら、歩くこと1時間余り。

やがて谷町4丁目の交差点に来て、そこを右折。NHKや大阪府警、大阪府庁舎などの大きな建物を仰ぎ見ながら、久しぶりに大阪城公園を訪れました。


  
 大手門。
 中央の向こうのほうにチラッと大阪城の天守閣が見えています。 

大阪城はいつもは外国人客が圧倒的に多いのですが、さすがに今はその姿は見えません。なので、普段より人の数が少なかったですね。



 
 お堀沿いの道を西から時計回りに歩いて行きました。
 向こうのビル街は、京橋の大阪ビジネスパークです。


 
 大阪城公園はイチョウ並木が素晴らしいです。
 お堀沿いの道に黄色く色づき、とても綺麗でした。
 

 
 お堀端に可愛い紅葉もあったので、そこでパチリ。
 久しぶりに大阪城を訪れて、気分は最高でした。
 
 以上、「大阪城お散歩日記」でした~

 


今日の1枚は、大阪城にちなんで、お城が背景です。
フランス・ロワール地方にある古城の中でも、
最も大きなお城であるシャンボール城です。


 
  まるで絵に描いたようなお城ですが、
  絵ではなく本物ですよ(
1994年10月)。

 

 

 

 

 

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セブンパーク天美がオープン 

2021年11月17日 | ウォーク・自転車

きょう(17日)、松原市に「セブンパーク天美」という超大型商業施設がオープンしました。数日前の夕方のテレビニュースでも「南大阪最大の商業施設が間もなくオープンします」と紹介されていたので、「楽しみやね」と妻と言い合っていました。

 
 オープン前のセブンパーク天美。ネットから拝借した写真です。

14日の日曜日、長男が来て「セブンパークへ行ってきたで」と言ったので、「えっ? まだオープンしてないやろ?」と僕。しかし実際その日行ったら営業していたと言うので、まさかウソではないだろう。「よし、明日、歩いて行ってみよう」と決めて、15日の月曜日、つまり一昨日に「セブンパーク天美」へのウオーキングに一人で出掛けました。

天美というのは松原市でも一番大阪市寄りにあって、わが家からはかなり遠い。ちなみに僕が定期的に通う松原徳洲会病院は、藤井寺駅から近鉄南大阪線に乗り、各駅停車で6つ目の駅である河内天美という駅で降りて、そこから歩く。「セブンパーク天美」を地図で確かめると、その病院からは近いようだった。

しかし家から歩いて行くにはかなり遠い。2時間近くかかるだろう、と思いながら、午前10時過ぎに家を出て、少し道を間違えたりして、ちょうどお昼ごろに到着。なるほど、藤井寺駅前にあるイオンなどとは比べ物にならないほどの巨大な建物だ。長男が言ったように、すでに営業されていた。店の人に聞くと、17日がグランドオープンで、その1週間前から「プレオープンしております」と言うことだった。ふむ。今は「プレオープン」だったのだ。お客さんも、割に大勢いた。

中を歩いてみたが、驚くほど広く、全部で200店舗あるということなので、その賑やかなこと。

1階から3階まで、お店がぎっしり。食料品売り場の「ライフ」を始め、マクドナルドやミスタードーナツ、スタバ、サブウェイ、ケンタッキー、サーティワンなどや、レストラン、コーヒー店があちこちにあり、ジョーシン電気やマツモトキヨシ、ニトリ、ダイソーなどお馴染みの店も数多く入り、ゲームセンター、英会話教室、そろばん学校、パソコン教室などもあり、丸善という大きな書店もあり、一度歩いただけではどこにそれがあったのか、頭の中がごちゃごちゃになってしまう(笑)。

さらに4階にはTOHOシネマズがあって、いろんな映画を上映している。

ということで、いやまぁ、本当にすごかったです。この建物の中を歩くだけでも相当なウオーキングができます。半日ぐらいは歩き回れるでしょうね。

フードコートで昼食をとり、またウロウロ歩きました。そして2時前にそこを出て、今度は来た道とは別のコースをたどり、途中、38年間勤めた松原市役所の前を通りました。ここへ来るのも何年ぶりでしょうか。

かなり足も疲れていましたが、何とか藤井寺まで戻り、イオンに寄ってハイボールなどを買い、家に着いたのが午後4時前。最後までどうにか歩き通すことができました。あ~しんど。

 ………………………………………………………………………………

そして、その翌日の16日(つまり昨日ですが)、妻と2人でまた「セブンパーク天美」へ行きました。今度は電車に乗り、河内天美駅で降りて徳洲会病院の前を通り、だいたいの見当をつけて歩いて行くと、間もなくその巨大な建物が目に入りました。「すごいわねぇ」と妻も目を見張っていました。このあたりは、もともと農地が広がっている地域なので、これだけ大きなものを建てることができたのでしょうね。


 
  建物を背景に。妻に撮ってもらいました。
  帽子とマスクでわかりにくいですが、僕です(笑)。


 
  入口の近くで。ここが正面エントランス(だったかな?)。

昨日もここへ来た僕ですが、妻を案内するどころか、どこにどのお店があったのか頭が混乱。また昨日のように、1~4階をせっせと歩き、数え切れないほど沢山のお店を巡りました。

3階に「サイゼリア」があったので、そこで昼食をとりました。よく冷えた赤ワインをクイっと飲み、チキンやドリアなどでお腹を満たしました。僕は「サイゼリア」が大好きで、以前のブログにも書きましたが、「セブンパーク天美」にもこのお店が入っていたとは思いも寄らず、なんか得したような感じです(笑)。

河内天美駅からだとゆっくり歩いても10分ほどなので、これからも時々来よう、ということになりました。

そうして、今日17日がグランドオープンの日。
きっと大人数のお客さんが詰めかけていることだと思います。

この近くに住まれている坂田繁数さんという元市議会議員の方が、今日のフェイスブックで、
「セブンパーク天美のグランドオープン日。午前10時前にはすでに長い渋滞が発生しています」
と書かれ、実際、車が渋滞している写真を掲載されていました。

今日は店内も大混雑であることが予想されます。
「サイゼリア」も満員で入れないかもしれない(笑)。
グランドオープンの前に行っておいてよかったです。

 

 

 

 

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妻の実家跡を訪ね歩き

2021年10月18日 | ウォーク・自転車

10月18日の今日、妻と大阪市内に出かけた。

前回は本町から心斎橋、難波を通って阿倍野まで歩いたことを書いたけれど、今日はコロナが収束しつつある中での「ウオーキング&外食」の第二弾です。

今回は、大阪市城東区の、妻が生まれ育った場所を歩くことに。

 ……………………………………………………………………

地下鉄中央線の緑橋駅まで行き、そこからウオーキングの開始。

妻が生まれ育った家は、緑橋駅からJR鴫野駅へ向かう場所で、東中浜という所にあったけれど、今はもう人手に渡って全く違う建物に変わっていた。

「え~? こんなになっちゃったの?」
長い間、ここに来ていない妻が驚いているのを横で見ながら、僕自身も、20歳の時の自転車旅行のあと、妻の両親に挨拶するため、初めてここへ来た時のことを思い出していた。もう50年以上も前のことだ。

結婚後、妻の実家として、ここには何度も来たけれど、妻の両親が亡くなり、長兄もここを引き払い(その後亡くなり)、土地・家屋ともに売却されたので、僕らも来ることがなくなった。もうずいぶん昔のことですけどね。

考えてみれば、妻も僕も、この場所に来るのは何十年ぶりだろうか。

妻は感慨深そうだった。
そりゃそうだろうね。
自分が生まれ育った場所なんだから。

さて、そのあと、
国道沿いの道をJR鴫野駅の方に歩き、駅の近くにある「城東中央病院」の前まで行った。この病院は、かつて妻の二番目の兄が院長をしていた病院で、妻も高校を卒業後、この病院で受付事務をしていた。僕が妻と知り合った時もその仕事をしていたし、結婚後も、長男が生まれるまではそこで働いていた。

懐かしい病院だけど、今はもう経営者も変わり、妻とも関係のない病院になっている。久しぶりに見たその病院の玄関から中をのぞきながら、2人で「へぇ~、この病院、懐かしいねぇ」と言い合っていたら、横から看護師さん風の女性が、「何かご用、ございますか?」と親切そうに言ってくれたので、「いえ、あの~、見ているだけですので」と答えて、そそくさとその場をあとにした。

さて、
そこからさらに歩いて京橋まで行き、環状線に乗って天王寺へ。

時間は12時を過ぎていた。
お腹もペコペコです。

天王寺駅ビル「MIO」の10階の和食店に入り、僕は天ぷらの盛り合わせとポテトチップスを注文して、冷たいビールをぐ~~~い!

あぁ、おいしい~
お腹も空いていたし喉も渇いていたしね。

という、今日の「出歩き」でした。

帰りの電車の中で、友達にこのことをメールしたら、すぐに、
「嫁さん孝行したなぁ」という返信が来ました。

今日のウォーキングは、嫁さん孝行、でしたか?

 

 



 

 

 

 

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