僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

大型連休

2012年04月29日 | 日常のいろいろなこと

昨日から…
ゴールデンウィークが始まっていたのですね。

きのう土曜日、きょう日曜日、あしたは月曜日…
…と、単にそんな感じしか、しませんけど。

退職をして「毎日が日曜日」モードで暮らしていると、
ゴールデンウィークと言われてもピンと来ないですね。

ところで…
テレビを見ていますと、NHKテレビでは決して
「ゴールデンウィーク」という言葉を使いません。

必ず「大型連休」という表現をしていることにお気づきだと思います。

これには理由がありまして、ゴールデンウィークという言葉は、
もともと、ある民間企業の宣伝用語として使われ始めたものなんですよね。

だからNHKでは「ゴールデンウィーク」とは言わない…
…と、NHKに勤めていた方に教えてもらったことがあります。

昨日、今日と、いいお天気が続いています。

どうぞ、みなさま、「大型連休」をお楽しみください。

あ、僕は別にNHKのまわしものではありませんけど…。

 

 

 

 


 

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市役所襲撃ガソリン男

2012年04月27日 | 議会&役所

24日、僕が住んでいる藤井寺市の市役所の中で事件があった。
市役所5階の人事課の近くで、男がガソリンをまいたのである。

500㍉リットルのペットボトルに入ったガソリンを机や床にまき散らし、
近くにいた男性職員の目に軽いけがを負わせ、
さらにライターで火をつけようとしたそうである。

幸い近くにいた男性職員が男を取り押さえ、放火は防ぐことが出来た。

しかしまあ、男は75歳というから結構お爺ちゃんなのだが、
とんでもないことをやる。最近の年寄りは過激なのが多い。
ニュースで各地で起きるさまざまな殺傷事件を見ていると、
加害者の年齢が、驚くほど高いことがこのごろ、よくある。

先日のこのブログでも、堤防をジョギング中の僕の目の前で、
老人2人がつかみ合いのケンカを始めた…という話を書いた。

元気な老人であることは慶賀すべきだけれど、
こんな元気は、はた迷惑なだけである。

75歳の男は、なぜ市役所へガソリンをまいて放火しようとしたのか?

新聞によると、この男は市から生活保護を支給されていたのだが、
犯行の前日、男が人事課を訪れて生活保護を受け始めた当時の、
福祉課の元職員の住所を聞いたところ、人事課が断ったという。
どうも、それに腹を立てて市役所への放火を企てたそうだ。

元職員の自宅の住所を、人事課が教えるはずがないじゃないか。

集団登校の列に車を突っ込んで児童たちをはねた18歳の少年の父親に、
被害者の住所・氏名・電話番号を渡したどこかの警察じゃないのだからね。

そんなことで、藤井寺市役所はもう少しで炎に包まれるところであった。

お役所に勤めていたら、毎日平穏でしょうし、気楽でよろしいなぁ…
…と、藤井寺市の隣の松原市の市役所に勤めていた僕は、
いろんな人から、よくそう言われたものだった。

果たして平穏なのだろうか…?
気楽なのだろうか…?

否…である。
市役所の職員といえども、平穏無事な毎日なんて、送れるわけがない。

むしろ役所には、トラブルが尽きない。

細かいことを言えば…
毎日のように苦情を言いに来ては何時間もネチネチと粘る。
その中身は、本質的なものではなく、職員の揚げ足取りとか、
国の政策に対する不満とか、遠い昔の不快なできごとを蒸し返すとか…
そんな「市民」も結構いるのである。
(むろん、ほとんどは善良な市民の方々であるが…)

本当に困っている市民であれば、職員は親身になって対応する。
だが、職員は絶対に反撃はしてこない…ということを計算ずくで、
あれにもこれにも言いがかりをつけ、延々とわめき続けられては、
業務に大きな支障が出るし、ほかの市民の方々にも迷惑がかかる。

ドカンとカウンターを叩いて大声を出される…なんて日常茶飯事なのだ。
ひとこと意見を言うとまた突っかかるので、職員はぐっと耐えて聞いている。

 

「ええい、うるさい。出て行け~」
と言えたらどれだけスカッとするか…と、何度思ったことか。
内緒ですけどね…。

いつか産経新聞に、よく図書館を利用する記者のコラムで、
「最近図書館で、市民がささいなことで職員にくってかかる光景が気にかかる」
と書かれていたこともある。
静かで平和そのもののように見える図書館ですら、そうなのだ。

僕も昔、そういう「市民」にどなり声で因縁をつけられ、
あまりのしつこさに、黙っていることができなくなり、
「何のためにそんなことを自分に言うのか」
と、ひとこと言うと、暴力をふるわれ、警察を呼んだことがあった。

しかしまだそういう市民はマシな部類だろう。
それ以上に、ある種の業者たちは、悪質である
行政や職員に不当な要求を突きつけることもしょっちゅうある。
気に入らなければ職員を脅す…なんて朝飯前の所業である。

こうした話の中で忘れられないのは、今から10年近く前に起きた事件だ。

栃木県鹿沼市で、廃棄物の担当をしていた57歳の市職員が、
廃棄物処理業者の要求を拒んだため、暴力団関係者に殺害された。

痛ましすぎる事件であった。

それ以来「行政対象暴力」が社会的に注目されるようになった。

まあ、そんな市民や業者はむろんごく一部だけれど、そのため、
善良な市民の人たちにもいろんな迷惑をかけることになる。

学校の先生や市町村職員にうつ病患者が多いというのも、
公務員というきわめて我慢を強いられる職業であるゆえ…かも知れない。

とにかく地方公務員は、国家公務員のように優遇されているわけでもなく、
地元のさまざまなトラブルに対応し、ストレスが溜まりやすい職種なんである。

しかしまあ、職員もストレスが溜まるからといって、
発散の仕方を間違ってはいけないですけどね。

こんな話を、いつか新聞で読んだことがある。

奈良県の高取町という町の議会を傍聴していた男が、傍聴席から、
「こらぁ、しっかりせい」
などと、大声でヤジをとばしまくり、議事の進行が何度も妨げられた。
議会のあいだ中、そんな調子でずっと騒ぐので、議長は何度も注意をした。
それでも、
「議長、しっかりせんかい」
と、ヤジをやめなかった。

町の職員がそのヤジ男をよく見ると、知っている顔だった。
…そしてヤジ男は、新聞に載るハメになったのだ。

ヤジ男は高取町の隣にある御所市の職員で、しかも環境衛生部長だった。

この部長は体調不良を理由に市役所を休み、隣の高取町議会を傍聴に来て、
日頃のストレスを発散したかったのか、「猛烈ヤジ男」と化したのである。

御所市ではこの部長の行為を、
「地方公務員法の信用失墜行為に当たる」と判断し、
減給の懲戒処分にした、と発表したことが新聞に載った。

これなどは思わず笑っちゃうニュースですが、
この部長は日頃から自分の市の議会に不満があったのかも知れない。
その他さまざまなストレスにも見舞われていたのだろうと推測できます。

どこかでウサを晴らしたい…との気持ちは、わからなくもありませんが…

しかしまあ、こういうストレスの発散法ってのは…ねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

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集団登校の列に暴走車

2012年04月24日 | ニュース・時事

京都祇園の暴走車の大惨事もまだ記憶に生々しい時、
昨日、また暴走する車が罪のない人たちをはね殺した。

今度の現場は亀岡市で、また京都府での出来事である。

18歳の 「少年」 が運転する車が、集団登校の列に突っ込んだ。
「一晩中走り、疲れて居眠り運転をした」 と供述しているという。

しかも無免許運転だった。 
同乗者2人も18歳だったというが、

こいつらには、分別のカケラもないのか。

これはもう 「殺人」 と変わるところはない。

18歳だからと言って実名を出さず 「少年」 で済むのか?
なぜこんな人間をかばったり守ったりしなければならないのか?

この種の事件が起きると、必ずその思いが突き上げてくる。

命を失った児童と妊娠7ヶ月だった付き添いのお母さんが気の毒でならない。

わが家にも、つい2週間前から小学校に通い始めたモミィがいる。
児童の登下校時の事故のニュースは、他人事ではないのだ。

昨日の登校時、いつも誘ってくれる上級生が遅れると電話が入ったので、
僕が病院へ行くついでに、モミィと近所の1年生の男の子を連れて、
学校付近まで付き添って送って行ったところである。

かたまって歩いている児童たちもいたし、一人で歩いている子もいた。

この学校は、集団登校を義務づけてはいないけれど、
先生は、登下校はなるべく集団でするようにと呼びかける。

「子どもたちが集団で歩いていたら、車も必ずよけますから」
と先生はおっしゃっていたので、なるほど、と思ったものだ。

ところが、昨日の登校事故は、逆に集団がアダとなった。
「車がよける」 どころか、そこへ突っ込んだのである。

もともと側溝があり狭い道だったのを、改修して道幅を広げ、
しかも通学時間は一方通行にしたというのにも問題があった。
国道に近く、抜け道として普段から交通量は多かったというし、
一方通行で対向車が来なければ、車はスピードを上げる

それにしても…
ひとつ間違うと大事故につながるのが、集団登下校の恐いところだ。
(といって一人で登下校していると、もっと心配だけど…)

しかし、昨日のこの亀岡や、祇園での大惨事を続けて見せられると、
歩行者がいくら気をつけていても、とんでもない運転をするヤツがいて、
否応なしに事故に巻き込まれ、命まで奪われる危険性がある…

…ということを、改めて頭の中に刻み込んでおく必要があると思った。

何万分の一か、あるいはもっとそれ以上の確率でしかないだろうけど、
中には稀に 「まともでない運転者」 もいることを、忘れてはならない。

 

 

 

 

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脳梗塞 西城秀樹の場合

2012年04月22日 | 心と体と健康と

歌手の西城秀樹が昨年12月に、2度目の脳梗塞で入院した。
幸い症状は軽く、最近、ステージでまた元気な姿をみせている。

先日、その姿をテレビのワイドショーで見た。
思わず、ヒデキ・感激~ と、古いフレーズを心の中で叫んだ。

西城秀樹 → 脳梗塞といえば…
どうしても自分の経験と結びついてしまうのである。

僕は6年前、2006年(平成18年)の6月22日、
仕事中に突然、右半身が麻痺する症状に襲われた。
何の前兆もなく、いきなり、それは襲ってきた。
物を言おうとしたら、ろれつも回らなかった。

すぐに職場の同僚に近くの病院へ連れて行ってもらった。
一過性脳虚血発作、という診断で、脳梗塞の軽いものだった。

後日、脳の専門病院で精密検査をしてもらったとき、医師が、
「血管が詰まった場所がひとつ間違っていたら、最悪の事態でしたね」
と、僕の場合、実にラッキーだったことを強調された。

持病だった心房細動 (不整脈) で出来た血栓が脳を詰まらせたのだ。
心房細動は、脳梗塞の最大の危険因子であると言われている。
元サッカー日本代表監督のオシムや、長嶋茂雄の例が有名だ。

それ以来、僕は、血栓が出来るのを防ぐ薬をずっと飲んでいる。
これは、死ぬまで飲み続けなければならない。

一度、脳梗塞や一過性脳虚血発作にかかると、再発率は高い。
そのことを、僕は、医師からイヤというほど聞かされ続けてきた。
だから日常生活に気をつけて、薬は必ず続けるように…と。

そこで西城秀樹の話に戻るけれど…

西城秀樹が最初に脳梗塞で倒れたのは、僕より3年前、
つまり2003年のことだけれど、倒れた日が6月22日だった。

僕がその症状に襲われたのも、年は違うが6月22日だった。

月も日もまったく同じ、6月22日。

別に何の意味もないけれど、僕としては不思議な因縁を感じていた。

そして去年12月に 「西城秀樹、脳梗塞再発」 のニュースに接したのだ。
彼は再発を防ぐための生活をきちんとしていたのだろうか…?
などと思いをめぐらせ、自分ことのように心配をした。

やはり、脳梗塞は再発率が高いのだなぁ、と改めて認識した。
心房細動を抱えている自分は、さらに要注意なのだと肝に銘じた。

飲酒の量を減らすとか、生活管理の改善が必要だと、改めて思った。
(でもねぇ…。いつもそう思っていながら、ついつい…。 とほほ)

今も時々、右の目尻のあたりがピクピクッとするときがある。
そんなときは、ぞ~っとして、生きた心地がしない。
6年前のおぞましい感触が、よみがえってくるのだ。

そんな不安と、耳鳴りから来るストレスもあって、
抗不安剤 (安定剤) のデパスの服用も毎日欠かせない。

 ………………………………………………………………

最近の新聞にも、脳梗塞にかかる人が増えていると報じられていた。
西城秀樹のように、二度も罹患しながら復帰を果たす人もいるけれど、
これはむしろ例外と考えた方がいいと思う。

プロの歌手だから、ステージに立って歌う…という、
命を掛けた大仕事があるのが、彼の回復を支えたのだと思う。
リハビリは、回復への気持ちが強いほど、成功率も高いのだろう。

西城秀樹は若い頃からサウナで汗を流すのが大好きだったそうだ。
そういう習慣も脳梗塞につながったのでは、と一部で言われていた。

いろいろ、気をつけなければならないことが多い。

このブログを読んでくださっている皆様方も、
くれぐれも気をつけてくださいね。
(まあ、どう気をつけていいのか、むずかしいですけど…)

今さらですが … やはり、健康に勝るものはありませんものね。

 

 

 

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ウダウダ会 天野の里へ

2012年04月20日 | ウォーク・自転車

4月に入って最初の土曜日、わが日本ウダウダ会は、
高野山のふもと、天野の里 (和歌山県かつらぎ町) を歩いた。

日本ウダウダ会については今さら説明の必要はないだろう。
知る人は知っている。 たぶん、日本中で15人くらいだけど。

で、この天野の里であるが、いくらウダウダ会だからといっても、
ウダウダと拙文を並べるより、これを見ていただいたほうが早い。

http://www.katsuragi-kanko.jp/amanonosato.html


ここにも書かれているが、白州正子さんがその著書 「かくれ里」 で、

「天野の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原」 

と書き、さらに、

「ずいぶん方々旅をしたが、こんなに閑で
 うっとりするような山村を
 私は知らない」

「できることならここに隠居したい。
 桃源郷とは正にこういう所をいうのだろう」

…と、天野の里への感動ぶりを伝えている。

さて…
僕たち10名余りのウダウダ会一行は、電車を乗り継ぎ、

J R 和歌山線の笠田 (かせだ) という駅に降りた。

そこから、かつらぎ町のコミュニティバスに乗った。

乗客は僕たち一行のほか、年配の女性が1人だけであった。
「いつもこのバス、乗るのはほとんど私ひとりだけなんですよ」
と、女性が僕たちに話しかけてきた。
そして 「皆さん、どういう方々のお集まりなのですか?」
と尋ねたので、ウダウダ会で唯一の女性会員Aちゃんが、
「ウダウダですわ」 と笑顔で答えると、年配の女性は、
「あ、そうですか…」 と、なぜか納得の様子であった ???

バスはぐんぐんと山間部へ上って行き、30分足らずで、
「丹生都比売神社前」 という終点に到着した。

丹生都比売神社は 「にうつひめ神社」 と読む。
天照大御神 (あまてらすおおみかみ) の妹神である、
丹生都比売大神 (にうつひめおおかみ) を祀っている…
とのことである。

空海や高野山との関わりが深く、この神社の本殿や楼門は、
2005年に高野参詣町石道とともに、世界遺産登録された。

 

 

 



 
  丹生都比売神社

 

  
   いざ、ウオーキングの出発。

 

ウダウダ会一行の本日の行程は、この山々に点在する史跡を巡り、
そのあと山を下って紀ノ川に出て、川沿いの公園の桜の下で、
例によって酒盛りをしようという算段である。

たいていは、山を歩いている時間より、酒盛りの時間のほうが長い。

それにしても、この山深いところに、いろいろな史跡がある。

僕たちが細い山道を登ったり降りたりして巡ったのは、
二つ鳥居、西行堂、院の墓…などなどであるが、
びっくりしたのは、院の墓であった。

坂道を登っていると、突然 「待賢門院の墓」 の標識が現れたのだ。

 

 



待賢門院といえば、NHK大河ドラマ 「平清盛」 で、
僕の好きな女優・檀れいが演じている鳥羽天皇の皇后である。

http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/cast/imperial.html#i_tamako

「まさか、こんなところに墓が…?」 と腑に落ちない思いだったので、
翌日、ネットで調べてみたら…

待賢門院の墓と伝えられていますが、
院に仕えた中納言の局の墓と考えられます。

…とあったので、納得した。
それにしても、まぎらわしい標識である。

西行堂は、西行が出家した時、妻も尼になって住んだ場所だそうである。
西行の妻とともに、娘も尼になり、この庵で読経の生活を送ったという。
母娘とも、この地で生涯を終えた…とされている。



 
  西行堂。

 

時々道に迷いながらも、ウダウダ会一行は史跡めぐりを堪能した。

山の上から見た天野の里は、絵に描いたような美しい風景だった。

 

 

 

しかし現実はきびしい。

きつい下り坂をどれほどの長い時間、歩いたことだろう。
下りても下りても下界が見えない。 膝がガクガクしてきた。

それだけに、やっと眼下に紀ノ川が見えた時は歓声が出た。

 


  
   ようやく、紀ノ川が見えてきた。

 
史跡めぐりを堪能したあとは、お酒を堪能したい…

頭の中はすでに、そちらのほうに切り替わっていた。

山道を下りきったところが 「酒殿神社」 という神社だった。
お酒の神様が、「お帰り~」 と出迎えてくれたようなものである。

実際に、メンバーの一人 (実は会長) が午前中は所要のため参加できず、
この酒殿神社で、車に弁当や酒やバーナー (酒の燗用) などを積んで、
僕たち一行と合流したのであるから、まさにお酒が出迎えてくれたわけだ。



  
  酒殿神社。 
  ここへ会長が、弁当、酒、ビールなどを車に積んで来てくれた。

 

「あぁ、お疲れさ~ん。きつい下り道やったね~」
と、互いに言葉を交わしながら、紀ノ川を渡った。
時計を見ると、午後1時半であった。

紀ノ川沿いに桜が満開の公園があり、そこへ、
「花見弁当」 と酒類を積んだ車が先に到着していた。

桜の樹の下に大きなシートを敷いて、全員、車座になった。

本日ウダウダ会の第二章、「花見酒の部」 が始まった。

春爛漫の、のどかな1日であった。

 

  
   打ち上げは桜の樹の下で…

 

 

 * 日本ウダウダ会に関する過去ブログのいくつかをご紹介しておきます。

    http://blog.goo.ne.jp/non-ap/m/201111

   http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20100412

     http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20100415



  

 

 

 

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五輪資格 猫ひろしの場合

2012年04月17日 | ランニング

   

 今年2月に行われた別府大分毎日マラソンで自己記録を7分縮め、
2時間30分26秒で50位に入ったタレントの猫ひろしが、今、話題になっている。

カンボジアの国籍を取得し、同国代表として、
ロンドン五輪の男子マラソンに出場するという。

いや、そのことが話題になったのは、もう過去の話である。

今は、そんなセコイことはやめろ、という声が湧き起こっているのである。

マスコミの、特にテレビ局がそもそも悪い。
2月の別府大分マラソン中継で、テレビ局は猫ひろしばかり映していた。
たとえ自己記録を縮めても、タイムは2時間30分台で、順位は50位だ。

タレントが走るからと言って、すぐに大げさに騒ぎたて、
主客が転倒するテレビ中継には、腹立たしい思いがした。

とにかく…
猫ひろしが、その程度の記録で五輪に出られるというのが解せない。
おまけに、国際陸連の規則では国籍取得後1年以上経ないと、
五輪に出場できない、となっているそうである。

猫ひろしがカンボジア籍を取得したのは昨年10月で、1年未満だ。

現地に1年以上継続して住んでいる場合にも、
例外として認められることもあるそうだけど、
猫ひろしはカンボジアにはよく行っているが、継続して住んでいない。

あとの可能性といえば、例外中の例外として、
国際陸連に申請して、特別に認めてもらった場合、のみである。

が、これも先日、あるカンボジア選手がパリマラソンで2時間23分29秒と、
猫の記録より7分も早い記録を出したことで、さらに立場が苦しくなった。
カンボジアから五輪マラソンに出場できるのは1人だけだもんね。

週刊誌などには、猫サイドがカンボジアを金銭で買収した、とも書かれている。
アジア最貧国と言われるカンボジアの、弱みに付け込んでいるかのようである。

ともかく、努力が花開く…というような明快でおめでたい話ではなく、
猫ひろしを「日本人の恥だ」と非難する声が日々大きくなっているのだ。
当然の反応だろう。

僕の好きな作家の曽野綾子さんも、早い段階から、週刊誌で、
「常識的な人間だったら考えられない行為」 と書かれていた。

確かに2時間30分という記録は、素人ランナーとしては破格のタイムである。
自分のことを引き合いに出してナンだが、僕の自己最高記録は3時間27分だ。
わが友、自称でこひろし君も、僕など足元にも及ばぬ歴戦の勇士だが、
それでも3時間を切るのにあと数秒と迫りながら破ることが出来なかった。

猫ひろしの努力は、元市民ランナーの端くれとしては、賞賛したい。

しかし、本人が現在住んでおらず、将来もたぶん住む気のない国の籍を取得し、
所属会社ぐるみで、恥も外聞もなく五輪出場を画策する行為は、いやらしい。

明らかにスポーツマンシップに反するのではないか。

おそらく、カンボジア代表の資格はない…ということで、
国際陸連は猫ひろしの五輪出場は認めないものと思われる。

 「ロンドン目指してネコまっしぐら~」 な~んてギャグで五輪に出られては、
五輪への出場を夢見て、努力を重ねながらも涙を飲んで果たせなかった、
各競技種目の数えきれないほどの多くの選手たちは、たまらないだろう。

オリンピックは、その国を背負って参加するものである。

日本人として恥ずかしい真似は、今すぐにでもやめてほしい。

 

 

 

 

 

 

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小学1年生

2012年04月15日 | モミィの成長日記

モミィが小学校に通い始めた。

4月9日の始業式の日。

幼稚園のときは毎朝、園まで送り迎えに行ったけれど、
小学生になると、当然、児童だけで通学することになる。

しかし、いきなり玄関先で「は~い、行ってらっしゃぁい」
と手をふって見送るだけ、というわけにはいかないだろう。

小学校も、幼稚園の隣にあるので、
これまでと同じように、歩いて15分はかかる。

ちょうど中間点くらいに大きな道路があり、その信号を渡ると、
あとの道は信号のない狭い道だけれど、むろん車は走っている。

交通事故などに遭わないか、とても心配である。

そんなことで、子どもが通学に慣れるまでの期間、
保護者が途中まで付き添って行く、というケースも多い。

僕も、モミィを、せめて信号のところまで送ろうと思っていた。

そして4月9日の始業式を迎えたのである。

朝の支度を終え、あと5分ほどしたら出ようと思っていた時、
ピンポーンと音がしたので、妻が玄関に出たら…

「おはようございます」
幼稚園の時いっしょだった近所のサクラちゃんと、ママだった。
そしてもう一人、サクラちゃんのお姉ちゃんも横に立っていた。

サクラちゃんのお姉ちゃんは小学5年生だ。

サクラちゃんのママが、妻に、
「この子たちと、モミィちゃんもどうですか?」
と、いっしょに登校することを誘ってくださったのである。

思わぬことだったが、とてもありがたいお誘いだった。
5年生の子がいっしょに行ってくれるなら、これは心強い。

「ありがとうございます」
妻が礼を言い、モミィは2人といっしょに学校へ向かったのである。

途中までモミィについて行くつもりをしていた僕も、家で見送った。

そうして、あれから1週間が経った。
「がっこう、たのしいわ~」とモミィが喜ぶのを見て、安堵した。

帰りは集団下校で、例の信号の場所まで先生が送ってくださり、
僕たち保護者はそこでバトンタッチをして、子どもたちと帰宅する。
下校時には、そんなことをこの1週間、続けてきた。

来週からは、先生同伴の集団下校はなくなるが、
モミィは、近所の友だちといっしょに帰るから、
信号のところまで迎えに来なくてもいいよ、と宣言した。
「おうちで待っておいてね」 と。

なんとなく心配だけど、自主性は尊重しなければなるまい。
妻も、「あまり構わないほうがいいよね」 と言っている。

これで僕も、来週からいっさいの送り迎えをせずに済む。
あぁ、なんという解放感。 うれしいですね~。

それにしても、ついこの間まで幼稚園児で甘えん坊だったのが、
小学校へ行き出したとたんに、しっかりしてきたのには驚く。

う~む。
ほんとうに、驚くべき変貌ぶりである。

これを、脱皮、というのだろうか… ??

 

  

  近所の姉妹といっしょに登校するようになったモミィ (左端)。
  4月10日の朝、初めてランドセルを背負って歩いて行く姿を、
  3階のベランダから、つい 「盗撮」 してしまいました (笑)。
  

 

 

 

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嵐の東京ディズニーランド

2012年04月13日 | 旅行

東京ディズニーランドの2日目は、朝から強風が吹き荒れる不穏な天候の中で明けた。 天気予報では、東京周辺は、午前中は曇りだけれど突風に注意。 午後からは雨も降り、台風並みの大荒れの天気となるので十分に注意してください…とのことだった。 

しかしもっと驚いたのは、ニュースで、東京からディズニーランドのある舞浜駅をつなぐJR京葉線などが強風のために運休している、と報じていたことである。 げぇ~。 これがもし昨日だったら、東京駅に着いてもJRでディズニーランドへ行けない、という混乱に巻き込まれていたところであった。 まだ、移動のない今日でよかった…とも言える。

せめて雨が降らぬうちにと、早い目にホテルを出て午前8時の開園直後のパークに入ると、さすがに昨日にくらべて人の数は少なかったが、とにかくものすごい風が吹いている。 目の前で小さな子どもの帽子が飛び、親がそれを追いかけるのだけれど、帽子の舞い飛ぶスピードのほうがはるかに速く、気の毒だがとても追いつきそうにはなかった。 

入り口では係員が、「チケットはギュッと強く握っていてください。風で飛ばないようにしてくださ~い」と入場客に大きな声で呼びかけていた。 そうだねぇ。 この風だと、チケットが飛ばされてしまえば、絶対に取り戻すことはできないだろうね~

入り口付近に数人(?)のディズニーの着ぐるみキャラクターが愛嬌をふりまいており、しかもそこへ群がる子どもたちの数も少なかった。 モミィが一緒に写真を撮れる絶好のチャンスである。


    
        キャラクターに手をつないでもらうモミィ。
    朝早く、人が少なかったのがラッキーだった。



モミィは昨日、ディズニーキャラクターのひとつ、デイジーダック (アヒルさんで、ドナルドダックのガールフレンド) のマントを妻に買ってもらっており、今日は朝からそれを身につけていたのだが、ふと目の前を見ると、そのデイジーがいた。 何人かの子どもたちに取り囲まれていたデイジーだが、自分と同じマントをつけたモミィを見ると、「おぉっ!」 と言う仕草でモミィに近寄り、グッと抱き寄せた。 もちろん、モミィは大喜びであった。



   

   あら~、あたしと同じね~とデイジーがモミィの姿に喜んでいる。



   
   
      は~い。 では一緒に記念撮影で~す。



そして僕たちはまず、昨日 「150分待ち」 と言われて並ぶのをあきらめた 「プーさんのハニーハント」 の時間予約ができるファストパスの発券場所に行った。 すでにかなりの人の列ができている。 やっと順番が来て、機械にチケットを入れると、ファストパスが出てきた。 ここに刻印されている時間帯に来れば、最後尾に並ばなくても中へ入れるのであるが、その時刻を見ると、午後5時25分から6時15分までだった。 今はまだ午前8時半だ。 う~ん。 先は長いなぁ。

次に、モミィが見たいと言ったのは「スーパードゥーパー・ジャンピンタイム」というショーである。
ミッキーたちがステージの上でジャンプしたりダンスしたり、また子どもたちもいっしょに参加して飛んだり跳ねたり…という楽しいショーなのだそうだ。 そのステージへ行って開演時間を聞くと10時40分からだという。 今は…まだ8時40分だ。 あと2時間もある。 しかし、ステージの前の観覧席にはすでに多くの人が座り、強風の中にもかかわらず開演を待っている。 う~む、ここでは何ともはかり知れぬほどの忍耐力が必要であるな~。

僕たちはいったんその場を離れ、近くにあったウエスタンリバー鉄道に行き、30分くらい並んで列車に乗った。



  
   「ウエスタンリバー鉄道」 に並ぶモミィの後ろ姿。


蒸気機関車にゴトゴト揺られながら、アメリカの西部開拓史を模したさまざまな景色を眺め、どれもよく出来ているなぁ、とほとほと感心しながら、やがてトンネルに入った。 すると真っ暗闇になり、突如、すぐ横にでかい恐竜が現れたときはギョッとした。 モミィも後から、「あれ、えらい恐かったわ~」 と本当に恐そうに言っていた。

ナンだカンだとしていると、時間の経つのも早い。 僕たちはまた先ほどのショーの場所に戻った。 すでに大勢のお客さんがひしめいていたけれど、子どもだけは柵内に入れるのでモミィはそこに行き、僕たちは、後ろで立って開演時間を待った。 風はますます強くなってきた。

開演時間まであと少しというときに、女性の係員がステージの横に出てきて、何かを僕たちに向かって告げている。 マイクなしだから聴き取りにくい。 はぁ…? なんですかあ…? と、耳を澄まして聞いていると、「風が強いため、本日の〇〇は、中止させていただきま~す」 と言ったのだった。 が~~~~ん。

僕たちはまだいい。 でも、2時間以上も前からこの場所に座って待っていた人たちも大勢いるのだ。 係員の中止の告知を受け、文句ひとつ言わず、何事もなかったかのように立ち上がり、その場を去ってゆく人たちの紳士淑女ぶりには感嘆した。 イラチの大阪人なら、これだけ待ったあげく中止となれば、「風が強いのは最初からはわかっとるがな。中止するんやったらするで、もっと早いこと決めんかいっ!」 と怒鳴る声も聞こえてきそうだ。

では、次はどこへ…と思ったが、時計を見ると11時近い。 また昼食場所を探すのに一苦労するのかと思えばうんざりする。 そこで、イクスピアリという大型商業店舗施設のようなものが、パークを出たところにあるとガイドブックに載っていたので、そこへ行くことにした。 

パークを出る時、係員が僕らの手の甲にガシャンとスタンプを押した。 手を見るとインクのあとも何も見えないけれど、再入場するときに機械で手をチェックしたらわかるそうなのである。

パークを出た頃に、ポツポツと雨が降り出した。 イクスピアリの中に入ると、フードコートがあった。 席も沢山空いている。 「おっ、これはいいぞ」 と、一息つきながらテーブルに座ると、通路の向かい側にコンビニが見えた。 そこで僕は、モミィたちが食べ物を見に行っている間に、そのコンビニへ入り、缶ビールをひとつ買ったのである。 昨日、夕食のレストランでビールを注文すると 「パーク内にはいっさいアルコールはありません」 と言われ、結果的に思わぬ 「禁酒日」 となったので、今日はまだ昼間だけど、まあ1本だけならいいだろう…と、あれこれ自分に言い訳しながら栓を抜いた。

どうやら外は完全に雨模様のようだ。 例のコンビニへまた行って、傘を2本買い、再びディズニーランドに戻った。

雨風の中でも合羽を着て行列に並ぶ人たちを見て、「みんな、すごいなぁ」 と、たくましさを感じた。 傘を差しても、強い風で傘のホネがバラバラになりそうな中、モミィが昨日も乗った 「アリスのティパーティ」 にまた乗りたがったので、並んだ。 横殴りの雨にもマケズ、大勢の人が並んでいた。

雨風はいよいよ強まってきた。 雨宿りに、ショップに入ってさまざまなグッズを見ながら時間を過ごすのだけれど、みんな雨を避けて店の中に入ってくるので、人、人、人で押し合いへし合いの超満員だ。




   
   雨風が強まってきた。 お客さんたちも大変である。 

 

「もう、あかんねぇ。 ホテルへ帰ろうか…?」
妻とモミィにそう言うと2人とも 「帰りたい」 と答えた。 この状態では3時からのパレードも無理だろうし、5時過ぎからの時間予約をしている 「プーさんのハニーハント」 まで待っていられるような状況でもない。 僕たちはまた外に出て、モノレールとシャトルバスを乗り継いでホテルに戻ったのである。

ホテルの中にも子ども専用の大きな遊び場があり、モミィはそこでもウキウキと遊び、僕はホテル内の売店でまた缶ビールを買い、部屋でテレビをつけ、ソファにもたれながらアテをつまんでクイーっと飲んでいい気持ちになったいた。

テレビでは、暴風雨による東京都内の混乱ぶりが何度も放映されていた。 明日大阪に帰るのに、またこんなんだったらどうしようか…と思ったが、幸い予報では明日は一変して晴れる…とのことだったので、安心した。

…というようなことで、ディズニーランドの2日目は早めに切り上げたのだけど、ホテル内の設備も充実していたので、むしろホテルでゆっくりと過ごせ、旅の気分をより味わい深いものにしてくれたことは、よかったな~と思う。

翌日。 朝食バイキングを長い時間かけて食べ、フロントのチェックアウトも不要でそのままホテルを出た。 舞浜駅でディズニーランドとお別れをして、東京駅から浅草に出て東京スカイツリーを見学したことは、前々回のブログに書いた。

モミィの幼稚園卒園のお祝いとして連れて行った今回の東京旅行だったが、4月1日に帰阪して、4日後の4月5日に小学校入学式があり、さらに今週の月曜日 (9日) から、ピカピカの1年生としての生活が始まった。 大きなランドセルを背負って出て行く後姿を見送りながら、 「次は夏休みにどこかへ連れて行ってや~」 と言ったモミィの言葉を思い浮かべ、さ~て、どこへ行こうかな~と、早くも次の場所について思案をめぐらす僕なのでありました。

 

 

 

 

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東京ディズニーランド 1日目

2012年04月11日 | 旅行

モミィの幼稚園卒園の祝いにと、エレクトーンのコンサートが終わった翌日…3月30日から2泊3日の行程で、妻と3人で、東京ディズニーランドへ行ってきた。

行くまでの列車やホテルの確保、ミッキーやミニーのショーがあるレストランでの初日の夕食の予約や、2日目のレストランのプライオリーシーティング…な~んていうややこしい手続きなどの話は、3月19日のブログに書いた。 

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/480aafcfd518db58b5d183abc6ad3b25

とにかく、春休みの、それも金曜日~日曜日という週末の旅なので、何もかもが満員で、しかも料金も割高であった。

JTBで予約すると、初日の新大阪から東京までの新幹線も、午前6時40分発までの料金と、それ以降の、いわゆる乗りやすい時間帯の列車の料金とが違うのだ。 乗りやすい時間帯の料金3人分を掛けるとだいぶ高くなるので、6時40分発を予約した。 

…ということで、当日は僕は午前4時に、妻は4時半に、モミィは5時に起き、5時半に、長男が運転するに車に乗って家を出て、新大阪駅まで送ってもらった。 長男は毎日6時過ぎに家を出て、車で大阪市内の勤務先へ向かうので、それに便乗したわけだが、モミィも遊びとなると5時にはきっちり起床し、車の中でも上機嫌だった。

そんな早朝から新幹線 「のぞみ」 に乗ったものだから、東京へは9時10分頃に到着した。 途中、列車の窓から、富士山が鮮やかに見えた。 モミィも真っ白い山頂を見て、「あれは雪?」 と言いながら、窓の向こうの富士山を熱心に眺めていた。

天気予報では、今日はいいお天気だけれど、明日は大荒れの天候が予想されるという。 ディズニーランドでは2日間過ごす予定なので、今日のうちに十分遊んでおかなければ、明日はどうなるかわからない、という状態だった。

新幹線の東京駅の改札を出たところから、京葉線乗り場まで、とても長い。
駅の構内を、10分以上歩かなければならない。

京葉線・舞浜駅で降り、ディズニーランドの入り口へ着いたとき、まだ10時にもなっていなかった。 「早起きは三文の得」 である。 これなら、今日だけでもかなり遊べる。

舞浜で降りてまず向かったところは、駅のすぐ横にある 「東京ディズニーリゾート・ウェルカムセンター」 という施設である。 そこに 「東京ディズニーリゾート・オフィシャルホテル サービスカウンター」 というのがある。 僕たちが泊まるシェラトンホテルのカウンターへ行き、ホテルのチェックインをし、荷物を預けた。 その場で部屋のキーも手渡されて、これで、ホテルへ行ってもフロントでチェックインせずにそのまま部屋に入れるというのだから、まあ便利である。

そして、小さな手荷物だけ持って、ディズニーランドへ向かった。 途中のショップで、モミィが大好きなミニーちゃんのカチューシャを妻に買ってもらっていた。

入り口に来ると、チケットを買う人たちの驚くべき長蛇の列を見て、まずビビった。
しかし、事前にチケットを持っていればむろん並ぶ必要はないわけで、行列を横目にスイスイと歩いて、すんなりと園内に入れた。

入る前に、簡単な荷物検査をされた。
本当に、形ばかりの検査で、加藤ちゃんの 「ちょっとだけよ」 みたいな感じで、チラっと中を見せると、「はい、結構です」 と、制服の係官は、見ているのか見ていないのかわからないほどあっけなくOKを出し、次の人へと移るのだ。

さて、ディズニーランドに入って、まず最初に行ったのは、ネットで今日の夕食の予約をしているミッキーやミニーらが登場するディナーショーのあるポリネシアンテラス・レストランというところだった。

地図を見ながら 「ウエスタンランド」 をめざしてウロウロし、やっとのことでレストランを見つけ、窓口で名前と予約番号を告げて、夕食の指定座席のチケットを3枚もらった。

ここからいよいよアトラクションめぐりであるが、どこもかしこも、長蛇の列である。 クネクネと曲がりながらの列なので、いったいどこがこの列の最後尾なのかわからない。 僕たちが最初にめざしたのは、モミィが特に行きたがっていた 「プーさんのハニーハント」 というものだけど、これもクネクネと列が続き、やっと見つけた最後尾らしきところに係員の人がいたので、「ここへ並ぶのですね」 と確かめると、「はい。ただいま、150分待ちでございま~す」 という答えが返って来た。

150分 → 2時間半!

ええ~っ? そんなに並ぶわけ…?

妻によると、この 「プーさんのハニーハント」 にはファストパス・チケットというシステムがあって、そのチケットには指定時間が明記されているので、発券してもらって指定時間に来ればそんなに待たなくていいはず…というので、係員にパス・チケット発券機の場所を聞こうとすると、 「今日はファストパス・チケットも締め切りました~」 と言われてしまった。 「じゃぁ、明日朝に来てそのチケットを取ろう」 ということで、今日はプーさんはあきらめた。

すぐそばに、「イッツ・ア・スモールワールド」 があり、ここは待ち時間が25分程度だというので、そこへ並ぶことにした。 17年前、妻と2人で来た時、いろんなアトラクションの中でこれが一番よかったという印象を持ったけれど、きっとモミィも喜ぶことだろうと思った。 案の定、順番が来て船に乗り、「小さな世界」の歌に乗せて、民族衣装を着た世界中の国々の子どもたちの可愛い人形を見ながら、モミィは目をキラキラと輝かせながら笑顔を見せていた。

次に 「ミニーの家」 に並んだ。
だいたい30分前後までなら並ぼう…というのが僕たちの方針であった。

さんざん並んで、入ったミニーの家は、ミニーもいなくて、何ということはなかったけれど、まあ、モミィは喜んでいるので、それはそれでいいのだ~

「ポップコーン、食べた~い」
と、モミィが言うので、店を探した。
ミッキーの絵が描いてある大きな容器をかなりの子どもたちが首からぶら下げているのをモミィは見ていたのだ。 その中に、ポップコーンが入っているらしい。

そのポップコーンの店を見つけたが、そこもまた長い列。 最後尾から、店頭にたどり着くまで20分以上かかった。 普通の紙容器に入ったポップコーンは300円だけれど、ミッキーの絵の描いた特別な容器入りはとたんに高くなって1,400円である。 半分以上の人たちがそちらを買っている。 僕も、モミィに言われるまま、そちらを購入した。

昼食はハンバーガー店があったので、そこへ入った。
何時間ぶりかに席に座ると、疲れがド~ッと出た。

僕は歩くのはゼンゼン苦にならないけれど、じっと立ったままの姿勢を続けるのが苦手で、足の裏が痛くなる。 今日はさんざんその姿勢が続いたものだから、やっと椅子に座ることができて、やれやれ…という思いだった。 その点、妻は元気だった。 むろん、モミィはもっと元気だったけれど。

売店を見たり、パーク内のあちらこちらをウロウロしたり、シンデレラのフェアリーテイル・ホール  に約30分並んで入ったり、午後3時からのパレードを見ていたりしているうちに、夕食の予約時間が近づいてきた。

モミィが、あとひとつだけ、あれに乗りたい…と言ったのが 「アリスのティーパーティー」 という、どこの遊園地でもありそうなティーカップの乗り物だった。 こんな乗り物でも、やはり20分は並んだ。 しかし 「こんな乗り物」 と思いながら、乗ってみると、モミィがキャッキャ言ってハンドルを回しまくるので、目は回るわ、まわりのカップとぶつかりそうな錯覚は起こるわ、外へ飛び出してしまいそうな勢いで体はすくむわ、まあ、それなりのスリルがあって、思った以上に興奮してしまったのである。
さすが東京ディズニーランドである。 やることが凝っている。

時間になったので、夕食のポリネシアンテラス・レストランへ行き、ミッキーやミニーや、きれいなお姉さんたちのフラダンスを見ながら、夕食をとった。

その際、 「ビール、あります…?」 とウェイターに聞くと、「ディズニーランドの中ではいっさいのアルコールは置いておりません。ノンアルコールならあります…」 と言われてしまった
                                          
レストランのショーの後半は、子どもたちが舞台に上がって、ミッキーやフラダンスのお姉さんたちといっしょに踊る、というアトラクションがあったので、モミィも舞台へ上がって行った。 親たちは最前列へ行って、ズラ~っと並んでしゃがみこみ、写真やビデオを撮る。 僕もその中に混じってカメラを構えたが、モミィが舞台の後ろの方にいるので撮りにくい。 もっと前に出ておいで、と思ったけれど、大声を出すわけにもいかないので、仕方なくその位置で撮影した。

ま、そういうことで、ビールのない夕食を終えて、レストランを出た。

夜は夜で、美しい花火やパレードなどの催しがあるということで、6時ごろから、またぞろぞろと、新しいお客さんたちがパークの中に入ってきた。 しかしそれは午後7時半頃から始まるということなので、それを待とうという気力もなく、ホテルへ戻ることにした。

パークを出て、周回モノレールに乗って次の駅で降りると、ホテルのシャトルバスが待機していたので、それに乗ってホテルに入った。 チェックイン不要なので、直接部屋へ行き、靴を脱いでベッドに寝転んだときの心地よさ… ああ~、もう欲も得もないわ~ん。

それでも、妻とモミィはホテル内を探索するため、部屋から出て行った。 
元気やなぁ。

僕はテレビをかけて、ひとりでニュースを見た。 
ニュースの終り頃に天気予報があった。

昨日から言われていたことだが、関東地方は、明日は大荒れの暴風雨になりそうなので、不要不急の外出は控えてください…との予報であった。

明日は1日中ディズニーランドで遊び、このホテルにもう1泊する予定だというのに、なんとまあ、 「大荒れの暴風雨」 とはね~

やれやれ …   

また、大きなためいきが、ひとつ出た。

 

 

  
     ミニーのカチューシャをつけて、さっそくディズニー気分?

 

  
    シンデレラのフェアリーテイル・ホールで。
    首からポップコーンをぶらさげている。

 

  
    「アリスのティーパーティー」 でハンドルを回して大喜びのモミィ。

 

  
    ポリネシアンテラス・レストランで。



   
    レストランの後半は、子どもたちが舞台に上がり、みんなで踊っていた。
   

 


  

 

 

 

 

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東京スカイツリー

2012年04月09日 | 旅行

3月末に東京ディズニーランドで2日間を過ごして、次の4月1日、
帰る前に、竣工したばかりの東京スカイツリーを見学することにした。

舞浜から東京へ出て、さて、スカイツリーはどこから眺めるのがいいか…
と、スマホのネットで調べてみたら、浅草の隅田川からよく見えるという。

東京駅の丸の内口からタクシーに乗り、浅草へ行ってもらった。

雷門の手前で降りると、道路の向こうにスカイツリーがそびえていた。 

 

   



しかし雷門のほうは、見たこともないような大勢の人がひしめいていた。
雷門には何度も来ているが、こんなに人の多いのは初めて見た。
そんな中でモミィの写真を撮るのは容易なことではなかったが、
なんとか…撮れました。


    

 

仲見世も、観光客で押し合いへし合いしながら少しずつしか歩けない。

いちおう、お参りだけして人の群から抜け出し、東の方向に歩いた。

東武線の浅草駅の横を通り、隅田川へ出た。

こちらはまた、桜が咲き始め、隅田公園桜まつりの開催中であった。

 

   

 

と言っても、桜はまだ満開には至らず、人の数も雷門の比ではなかった。
人ごみの少ない良い雰囲気の中で、東京スカイツリーの光景を満喫できた。

 

 
     青空と 桜の花と スカイツリー



  
      


スカイツリーはてっぺん(尖塔)まで634mの高さということだが、

東京タワーが333mだから、それより300mも高いということになる。
また、わが大阪の通天閣は100mちょっとだから、その6倍以上だ。

でも、こう見ていると、それほどまでには高いように見えない。

東京タワーの2倍もあるとは、なかなか思えないし、
通天閣に比べても2~3倍ぐらいにしか見えない。

どういうところから来る錯覚なんでしょうか…?
もっと近くから見ると、よくわかるのかも知れませんね。

でも、やっぱりこの景観は素晴らしい。
一般へのオープンは5月下旬とのことだが、
次に来た時は、ぜひ展望台に上りたいものだ。

僕は名前が 「のぼる」 なのだからかも知れないが、
タワーのような高い建物が大好きである。

中学校の修学旅行で東京タワーを見たときの喜びは忘れらないし、
初めての海外旅行で、NYのエンパイアステートビルを見て感動し、
その後、パリのエッフェル塔や凱旋門にも心を揺さぶられた。

一番最近では、3年前、カナダのトロントへ行った時、
500m級のCNタワーにもワクワクしたものである。


  
   数年前までは、世界一高い塔だったCNタワー(2009年1月撮影)


そんな自分だから、やはり東京スカイツリーはぜひ見ておかなければ…
と、テレビで映像が出るたびにそう思ったものであった。

モミィを東京ディズニーランドに連れて行ったついでに、
このスカイツリーを見ることができて、僕は大満足なのでありました~

 

 

 

 

 

 

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モミィの入学式

2012年04月06日 | モミィの成長日記

   


 

昨日、モミイの小学校の入学式があった。
「あと何日やろ?」
モミィが指折り数えて楽しみにしていた日が、とうとうやって来た。

少し風はあったものの、青空が広がり、暖かい日差しが心地よい。

小学校は幼稚園と隣り合わせにあるので、
これまでの通園路と、これからの通学路は同じ道である。

モミィと妻と3人で、その 「通学路」 となるいつもの道を歩いた。

毎日幼稚園への送り迎えで歩いていた道なので、顔見知りの人も多い。
途中、何人かの人たちから「入学式ですか? おめでとうございます」
と、声をかけていただいた。

玄関先で、感慨深げにモミィを見て、僕たちに会釈する女性もおられた。

「あのぉ、入学式に行かれるのでしょうか?」
と、一人の若い女性が妻に近づいてきて、そう聞いた。
妻が 「はい、そうですが…」 と返事すると、その女性は、
「今日は、えぇっと、ランドセルは、いらないのですか?」
と、不安げな顔で尋ねた。
妻は 「案内文に書いていなかったので、いらないでしょう」 と答えた。
女性は安心したように表情をほころばせ、
「ありがとうございます。それを今、悩んでいまして…」
と、頭を下げ、目の前の家に入って行った。

その家をよく見れば、通園中に建築されていた住宅で、
モミィが、通園途上に工事中のこの家を見ながら、
「まだ木(柱)ばっかりやねぇ」
「あ、屋根とか戸がついたで~」
「もうすぐ完成するねぇ」

と言っていた家である。春休みの間に完成し、もう人が住んでいる。
その女性は、新築のこの家に越してきたばかりで、子どもさんが、
今日、モミィ同様、入学式を迎えるということなんでしょうね。

さて、これまでは僕が同伴していたこの道だけれど、
これからは自分だけで歩いて行かなければならない。
あらためて、交差点などで、
「ちゃんと、右と左を見てから、渡るんだよ」
「ここは、絶対に飛び出してはいけないよ」
などと、口をすっぱくして注意をする。
モミイはあわてんぼうなので、それが心配なのだ。

ゆっくり歩いて、約15分で小学校に着く。
小学校が近づくと新1年生の姿が増えてくる。
モミィの幼稚園友だちも、大勢いる。
先月15日の卒園式以来、久しぶりに、顔なじみのママたちとも会った。

新1年生は71人で、2クラスである。
学校の入り口にクラス分けの表が貼り出されていた。
モミィの名前は、1組のほうにあった。

モミィが仲良しだった女の子たちは
「あ、〇〇ちゃんは同じ組や」
「あ、〇〇ちゃんは2組やなぁ」

そんなことを言いながら校舎に入り、受付をした。

モミィは 「お世話係」 の6年生のお兄ちゃんに名札をつけてもらい、
教室の方に誘導されて行った。 そして僕たちは会場の体育館へ行った。

会場では、幼稚園時代からのママ友同士が顔をあわせると、
「わぁ、久しぶりね~」と、笑顔で挨拶を交わし合っていた。

保護者席の前には6年生の席があり、その前が新1年生の席だ。

やがて新1年生が入場してきたが、僕らの席からは小さくしか見えない。
チラっとモミィの姿が見えたけれど、着席したら見えなくなった。

校長先生の式辞や、来賓の祝辞や、先生方の紹介が終わったあと、
舞台に、新2年生の子どもたちが出てきて、♪ 小学生になったら~
と歌い、それから、1学期、2学期、3学期の楽しい行事を、
みんなで声を合わせて説明するという楽しい一幕もあった。

そして6年生たちが起立して、校歌を歌った。
かつて長男、次男も通ったこの小学校であるが、
「♪清き流れの大和川~」 という歌詞を聴いていると、
その昔、わが息子たちがこの歌を歌っていたなぁ、と懐かしく思い出した。

ちょうど1時間で式が終わり、新1年生たちは教室へ戻った。

僕たちはしばらくその場で待機したあと、教室へ向かった。

モミィのいる1組の教室へ入り、子どもたちと一緒に先生のお話を聞いた。

9日から始まる新学期の当面の下校時刻や、集団下校の詳細などを聞き、
教科書や連絡帳などをもらい、学校と家庭の連絡方法の説明を受け、
また、子どもたちが登下校に必ず携帯する防犯ベルなども配布された。

モミィの1組の担任は女の先生で、2組は若い男の先生だった。

幼稚園の先生方は、みなさん、やさしい方たちばかりだったが、
小学校の担任のこの先生は、才気煥発、というイメージである。

このへんが、幼稚園の先生と、小学校の先生との、
役割の違いによるキャラの違いなんだろうな~と、思ったりした。

教室でのお話が終ると、保護者たちは自分の子どもの席へ行き、
教科書をはじめ、ドサッと重い一連資料を抱えて、教室を出るのだった。

校庭は記念写真を撮る人たちで賑わっていた。

僕らはまた通学路を、家に向かって歩いた。

途中に古墳公園があって、桜が満開である。

3月下旬から、モミィのコンサートや東京への旅行、
そして最近の悪天候などもあって、桜のことを思う余裕はなかった。
こんなに桜が満開になっていたとは、思いも寄らなかった。

でも入学式なんだから、桜が咲いていても不思議ではない。

さぁ、モミィの新たな出発の日だ。

これから、桜の花が満開になるたびに、ひとつずつ学年が上がる。

桜の季節の訪れが、今まで以上に楽しみになってくるんだろうな~

 


  
  舞台では新2年生たちが、歓迎パフォーマンス。 手前は6年生たち。
  新1年生は、その前の席に並んで座っているが、ここからは見えない。

 

  
 教室で、担任の先生から、児童と保護者にいろいろなお話があった。

 (モミィは写真右上、最前列に座っている白い服です)
 

    
 
 帰り道、古墳公園の桜の樹の下で。
 写真の左側に小道があり、そこが通学路になっている。

 

 

 

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大阪桐蔭が初優勝

2012年04月05日 | スポーツの話題

昨日はテレビで春のセンバツ高校野球決勝戦を観た。

わが地元の大阪桐蔭が、決勝戦で迎え撃つ相手は、
東北勢初優勝の悲願を掲げた青森の光星学院だった。

いつも東北勢を応援している僕としては、複雑な思いだった。
しかし光星は、東北とはいえ、実績豊富な強豪チームである。
これがもし石巻工業だったら、僕はそちらを応援していただろう。
でも、昨日はやはり、自分が住む大阪の代表のほうを応援した。

ピンチのあとのチャンス…という言葉どおりの展開だった。

1回表のいきなりのピンチを何とか切り抜けると、
その裏大阪桐蔭の四番打者に2点本塁打が出た。

3回は同点に追いつかれると、すかさず連打で3点をもぎとった。

最大のヤマ場は5回表に訪れた。
光星学院が1点を取り、2点差に詰め寄った。
大阪桐蔭はさらに1死一・三塁のピンチに立たされていた。
そして次の打者の当たりは痛烈で三遊間を抜けるかと思われた。
「あぁ、あかん!」と思わず叫んだ瞬間、三塁手が球に飛びついた。
すぐに体を起こしてバックホームし、三塁走者をきわどくアウトにした。

おみごとでした 

結果として、このプレーが大阪桐蔭の初優勝に結びついた。

これで、大阪は、甲子園春夏通算19度目の優勝となり、
全国都道府県の中で、第一位を占めることとなった。

大阪人として、誇りに思う。

優勝投手となった藤波君は、大会前からその長身ゆえか、
マスコミが 「浪花のダルビッシュ」 と騒ぎ立てていたが、
本家のダルビッシュは、もともと大阪の出身であり、
つまりダルビッシュ自身が大阪→浪花の人である。

「四国のダルビッシュ」 とか、
「沖縄のダルビッシュ」 と呼ぶ
ならわかるけれど…

「浪花のダルビッシュ」 ってなぁ…
比喩になっていないような気がするけれど。

ま、そんなことはどうでもいいけど。

ともかく、大阪桐蔭のみなさん、初優勝おめでとうございます。

青森の光星学院も12安打を放ち、打力をみせつけましたね。
夏の甲子園では、東北勢初優勝をめざして、頑張ってください。

  ………………………………………………………………………

さて、今日はモミィの小学校入学式である。

お天気は良さそうで、何よりだ。

おとといの火曜日のような天気だったら、最悪だもんね。

 明日のブログではこの入学式のことを書くつもりである。

先週末の東京ディズニーランドの話が、なかなか書けないけれど。 

 

 

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はじめてのコンサート

2012年04月03日 | モミィの成長日記

3月29日。
大阪府八尾市のプリズムホールで、音楽教室のコンサートが行われた。
モミィの 「舞台デビュー」 の日である。


 
   会場前で。

 
本番に備え「幼児科春組」のモミィたち9人は懸命の練習を重ねてきたが、
幸い、この日は誰も休む子はなく、全員が、ホールに元気な姿を見せた。

モミィたちの出番は最終の第3部で、開演時間は午後3時である。
第3部の真っ先に登場するので、2時45分までには、ドレスに着替えて、
ロビーの所定の場所に集合し、そこから子どもたちだけが引率されていく…
と、そんな手はずになっていた。

会場には早い目に着いて、妻がさっそくモミィを着替えさせる。

同じクラスの子どもたちが次々と姿をあらわし、ドレス姿に変身してゆく。
そして、それぞれが、どのエレクトーンに座るかが決まっているので、
エレクトーンナンバーの入ったリボンを腰につけてもらった。

このあたりで、どの子の顔も、何となく緊張した表情になってきた。 ↓ 


   
   モミィ(右から3人目)も、緊張の表情だ。

そして第2部が終わり、休憩時間に入った。
集合時間までのあいだ、子どもたちは舞台に上がって、
それぞれ家族の人たちの構えるカメラの前で列を作った。
モミィ(左端)も行ったので、僕も写真を撮らせてもらった。 ↓ 
 

  
  左端がモミィ。


そして2時45分になり、子どもたちは先生に引率されて楽屋の方へ行った。

やれやれ…。 僕も妻も、ホッとした。

まだ終わってはいないが、ここまで来られたことが、何よりもうれしい。
あとは僕たちは、客席から見ているだけである。 

第3部の幕が開き、この部に登場する15組の子どもたちが出てきて、
「四季の唄メドレー」を合唱した。

「春よ来い」 「うみ」 「村まつり」 「雪やこんこ」 のメドレーだけど、
幼児科春組のモミィたちは、初舞台なので、最前列で歌った。
これも、教室のレッスンで、何度も練習していた歌だ。 

  


歌が終わると、モミィたちのグループだけ残り、エレクトーンの前に座った。

そして、いよいよ、演奏が始まった。 


 



 
 一番左端がモミィ。
 曲はメロディ、伴奏など4つのパートに分かれ、モミィは2パートを受け持った。
 もう一人2パートを受け持つ子が上手な子だったので、その点、気が楽だった。



曲目は、
「ファンタスティックパーティ こもりうたがきこえるよ♪」
という、オリジナル曲だった。

舞台で演奏する子どもたちは、みんな輝いていた。

曲は3分余りで終わったけれど、
子どもたちにとっては永遠に輝く素敵な3分間だったのでしょうね。

第3部が終わるまで、子どもたちは一般席より前のシートに引率されて、
そこへ並んで座り、他のグループの演奏を鑑賞した。 

子どもたちを引率したり、途中でトイレに連れて行ってくれたりするのは、
役をしていただいた2人のお母さんで、ご自分の子どもさんたちもいるのに、
モミィら9人の面倒を丁寧にみていただき、たいへんお世話になった (感謝)。

コンサートの全てが終わり、ロビーに飛び出してきたモミィたちは、
みんな、心の底からうれしそうな表情をしていた。 

みんな、本当によくがんばったよね。 おつかれさま~


 

思えば、第一回目のレッスンに行ったのが、去年の5月10日だった。
ドの鍵盤がどれかを覚えることから始まった。
右手人差し指で「ド、ド、ド、ド、ド~」 って弾いていたなぁ。

あれから1年近くが経ち、今日のモミィは、両手指を自在に使って弾き、
そして同時に足元のペダルまで、少しだけれど、踏めるようになった。

  ………………………………………………………………………

去年5月16日のブログに、はじめてのレッスンの様子を書いている。
先ほど、それを読み返し、へぇ、こんなんだったんだ、と驚いた。

             ↓

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20110516

成長したなぁ、とつくづく思う。

 

 

 

 

 

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