僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

伊藤美誠選手のコーチ・大内先生からの贈り物

2017年01月29日 | 日常のいろいろなこと

先日、わが家に分厚い一冊の雑誌が送られてきた。封筒の裏を見ると、差出人は「東大阪市…大内征夫」とあった。「あ、先生からだ」と僕は独りでつぶやき、玄関先で封をはがし、中に入っていた雑誌を取り出してみた。

雑誌の表紙には白髭のおじさんの写真が大きく映し出され、雑誌名は「関西卓球情報誌・TAMA」とあった。


 
 

どうやら、年4回発行される季刊誌のようである。
表紙に「人生路 ~大内征夫氏~」という字が見える。

送られてきたこの「TAMA」は、去年10月~12月の「秋号」で、この表紙の白髭のおじさんが、送り主の大内征夫先生だったのだ。

この先生のことは去年8月にブログに書いたことがある。あれはリオ五輪のすぐ後だった。同五輪の卓球女子団体で銅メダルに輝いた当時15歳の伊藤美誠(みま)選手の新聞記事を読んでいたら、彼女は大阪の「関西卓球アカデミー」というところに通っていて、彼女のコーチが「大内征夫さん」と書かれてあったのだ。それを見て、僕はびっくり仰天したわけです。大内先生は、僕の高校時代の恩師でしたが、それ以上にお世話になった方でしたから。

僕は近畿大学附属高校からそのまま近畿大学へ進んだので、学生になってからも同じ敷地内にある高校の職員室へよく遊びに行った。中でもこの大内先生とは、特に親しく話をさせていただいた。先生が、大阪の卓球界ではわりに有名な人であることは、僕も何となく知っていた。

そして僕が大学3年生の20歳の時、北海道へ自転車旅行に行くことを伝えると、
「うちの嫁さんが網走出身なのでその実家に寄って行けよ」と言って、その網走のお家の方に手紙を送ってくださった。そして網走では先生の奥様のご家族に歓迎され、数日泊めてもらい、おいしいものを沢山呼ばれた。アポロ11号の人類初の月面着陸中継も、このお宅のテレビで見た。昭和44年7月のことだった。

そしてそれから数年後、僕が結婚するとき、大内先生宅にお邪魔して、仲人をお願いした。
「仲人なぁ…それはちょっと荷が重いわ」
と、僕より8歳年上で、当時30歳になったばかりの先生は、そう渋ったあと、
「司会だったら、してもいいけどなぁ」と言っていただいた。
「では、司会をお願いします」と僕は即座にお願いした。

先生は、僕たちの結婚披露宴の場を、実に楽しい司会で仕切ってくれた。

う~ん、もう46年も前のことになりますね。

去年8月に新聞記事で伊藤美誠選手と大内先生のことを知った時、お祝いのハガキを出したが、お忙しい先生のことだと思うので、なかなかお返事はもらえなかったが、それが今回、卓球雑誌を送ってきていただいたわけだ。

雑誌の中でも大内先生の特集が組まれており、伊藤選手との2ショットの写真もあった。


  


そして、雑誌の中に、先生から僕あての手紙が挟まれていた。


     


大内先生らしい、簡潔ながら心のこもった文章を久しぶりに読ませていただき、懐かしい感情がこみ上げてくるのを抑えることができませんでした。

 

 

 

 

 

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英検3級 3度目のチャレンジ

2017年01月25日 | モミィの成長日記

ロサンゼルスのことばかり書いているうちに、1月も25日になってしまった。
相変わらず日の経つのは早いですね。

22日の日曜日、英語検定試験があり、モミィも3級を受けた。
今回で、これが3度目の3級挑戦となる。

英検は1月、6月、10月と、年に3回実施される。
去年の1月、モミィは4級を受けて合格した。

そして6月、3級にチャレンジしたけれど、
やはりレベルの高さに押しつぶされたか、不合格
その時のブログに、次の英検は10月、その次は来年の1月。
何とか5年生のうちに3級を取らせてやりたい、と書いた。

2度目のチャレンジとなった10月の英検は、
自己採点によれば、当落ギリギリの成績だった。
「いけるかな?」と思ったけれど、発表された結果はまた不合格
その時のブログにもまた、来年1月、5年生最後の英検で、
何とか3級に合格してほしい、と書いた。

そして、その1月の英検が、この22日に行われたのだった。

翌日の23日、午後1時から、ネットで解答速報があった。
モミィが問題用紙に解答を写したものが手元にあるので、
それと、ネットの解答を見比べて答え合わせをしてみたら、
全65問中、正解は43だった。正解率66パーセントである。

3級の合格ラインのおよその目安は60パーセントだと言われる。
ちなみに前回は、正解率60パーセントをわずかに下回っていた。
それで不合格になったのだが、ネットでの結果の詳細をみれば、
あと2つほど正解が多ければ、合格を達成できたところだった。

で、今年は66パーセントだから、これはたぶん…
合格しているのではないか、と思っているわけです。

しかし、2月3日のネットでの正式発表を見るまでは、
安心はできないし、もちろん喜ぶのもまだ早いですね。
だけど、内心ではちょっとワクワクしています。

果たして「三度目の正直」となるか、というところですが、
「二度あることは三度ある」という言葉もありますのでね~

 

 

 

 

 

 

 

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ロサンゼルス 最後に体調が…

2017年01月22日 | 旅行

今回の旅行では、好きなアルコールを口にしないことに決めていた。そしてそれは、ほぼ忠実に実行できた。唯一の例外はダウンタウンのレストランへ行ったとき、ビールを1本だけ注文したけれど、それ以外は飲まなかった。飲むと心房細動(不整脈)が出やすくなり、出ると心拍が乱れて息苦しくなる。国内ならともかく、海外でそんな目に遭うと不安が増幅するので、避けたかった。おかげで、不整脈は旅行中、ただの一度も出なかった。普段の生活から見れば、1週間全く出ない…というのは奇跡みたいなものだった。(なのに最近はまたしっかり飲んで、しっかり不整脈に悩まされています。あきませんわ~)

そんなことで、不整脈に関しては「努力」が実って抑えられたのに、しかしまぁ、まったく予想もしなかった症状に見舞われることになるとは…。

ディズニーランドへ行った日の夜、38度を超す熱が出て、一晩中眠れず、何度も体温を測ったが、一時は39度まで上がった。僕の平熱は36度2分か3分なのだが、こんなに熱が出たのはここ数十年間でも、あったかどうか…記憶にない。

翌日、旅行の最終日は、サンタモニカへ行く予定だった。しかし妻とモミィの2人では行けないので、あきらめざるを得なかった。サンタモニカへ行くJTBのシャトルバスがホテルに寄ってくれることになっていたので、それをキャンセルするために妻がJTBに電話で事情を説明したところ、「海外保険にも入っておられるので、よろしければ日本語の話せる医師のいる病院にご案内しますが」と言ってくれたそうである。妻が「どうする?」と聞いてくれたが、もし「入院です」な~んてことになったらメチャ困るので、病院へ行くのはやめた。

サンタモニカは、旅行の初日、旅行社の人に主な観光スポットを回ってもらった時に車から降りて、そこで写真だけを撮った。どうせまた来るのだからとその時は思っていたが、結局、これが唯一のサンタモニカ体験となってしまった。 

 
 
先にも載せましたが、ロサンゼルスの概略図です。
この地図の右下の方角にディズニーランドがあります。

そして左のビーチ沿いにサンタモニカがあります。
ここはビーチだけでなく、有名な歩行者天国や、
多くのお店があるところだそうです。残念!


 
サンタモニカビーチへの入口。(車の中から撮影


 
桜田淳子の「サンタモニカの風」という歌が浮かびます。
 来て 来て 来て 来て サンタモニカ~  ちょっと古い?

https://www.youtube.com/watch?v=uHnUxiRkxTg

 

 
結局これが最初で最後のサンタモニカになっちゃいました。
 


そして旅の最終日、僕は1日中、ベッドに横たわっていた。

妻とモミィは何度か外出し、ホテルから歩ける範囲のところをあちらこちらと散策し、またホテル内の売店にはいろいろなお土産物が数多くあったので、そこで買い物をしたりしていた。外国の雰囲気に慣れてきたモミィが、もっぱら店で物を買う役目をしたそうである。

さて、僕が熱に浮かされながら、1人で寝ているとき、メキシコ系らしき若い女性のメイドさんがベッドメーキングにやってきた。しかし僕が寝ていたので、「ソリー」と言って出て行った。そしてその後、またやってきて、まだ僕が寝ているのを見て再び「ソリー」と言って出て行こうとするので、「ちょっと待って」と、僕は、ベッドはそのままでいいから、バスルームのタオルや調度品だけ変えてほしいと訴えようとした。

「プリーズ・カム・ヒアー」と、ドアに立っていたメイドさんに手招きをしたら、彼女は一瞬ためらった様子を見せた。

「あ、これはヤバい」とその瞬間、僕は自分の行為を反省した。考えてみたら男性の僕がベッドの中から若い女性のメイドさんに「こっちへ来てちょうだい」と手招きするなんて、いかにも怪しいではないか。そりゃ、警戒されるわ(笑)。

そこで僕は「自分は病気だから寝ている。ベッドはそのままでいい。他のベッドもそのままでいい。バスルームだけ片づけて、新しいタオルや歯ブラシを用意してくだされ」と、カタコト英語で彼女に説明して、やっと納得してもらえたのである。やれやれ…

ところで部屋の温度が低いような気がしたので、暖房のスイッチのところへ行って温度を上げようとしたら、表示は「72度」になっていた。一瞬「ひえっ」と驚いたが、米国では「セ氏」ではなく「カ氏」の表示が基本になっているのを思い出した。だから、部屋の温度は現在「カ氏72度」なのである。

ちなみに、これは部屋のテレビをかけていた時、天気予報が流れたので撮った写真である。

 

ロサンゼルスの週間天気予報だが、上が最高気温で下が最低気温だ。カ氏で表示されているので、日本人が見たらびっくりするような数字が並んでいる。

ちなみに、旅行社の人に聞いたら、「カ氏から30を引いた数の2分の1が、だいたいセ氏の気温と考えていただければいいです」とのこと。この部屋の72度というのは、その計算で行けば、72から30を引いて42、その2分の1だから21。つまり、カ氏72度は、日本流のセ氏で言うと21度ということになる。

ベッドで1日中ヒマだから、テレビを見ていたが、もちろん全部英語なので、何を言っているかわからない。わかるのは天気予報ぐらいなのである。

天気といえば、ロサンゼルスに着いてから、帰る前日まで、ずっと晴天が続いた。そして、帰国する日、初めて雨が降った。この点はラッキーだったと言えますね~

 
帰国の日。空港に向かう車の中からパチリ。
思い切り雨が降っていた

結局、日本へ帰る日も、体温は38度台のままだった。持参していた解熱剤を、朝・昼・夜と服用していたけれど、熱は一向に下がらない。それでも「きょう日本へ帰れる」と言う安堵感があったので、それほど「しんどい」とは感じなかった。

帰途は、12時間の飛行機の旅で、映画を何本も見た。行きの飛行機で「シンゴジラ」を居眠りながら見たが、評判の「君の名は」もあったので、帰りの飛行機の中で見ようと思っていた。…が、帰りはそれらの映画がなかった。同じJALなのに、なんてこった。仕方なく、古い映画だが、お気に入りの「ブリジットジョーンズ」シリーズを2本と「金メダル男」というのを見た。

しかしまぁ、狭いところでじっと座っているのも大変だったが、自分が小柄であることがこれほど有難いと思ったことはない。大柄な人だったら座席が窮屈だろう。その点、僕はゆったりと座れていた(笑)。妻やモミィもそうですけど。

無事に関西空港に到着した時は、「やっと着いたか」という思いだった。ロサンゼルス空港を出たときは12月30日のお昼だったのに、こちらへ着いたのは12月31日の夕方だった。17時間の時差と言うのは、勘が狂う。

空港の「検疫」というところを通り抜けようとすると、係官が僕を引き留めて「熱がありますね」と言った。「何でわかるん?」と言いかけたが、どこかにカメラか何かがあって、発熱がわかるのだろう。「ええ、風邪を引いたようで」と僕は答える。係官が細長い何かを僕のおデコに当て、「38度ぐらいはあるようです」と言いながら、「蚊に刺されたりしませんでしたか?」と聞く。「蚊? 蚊なんかいませんでしたよ」と僕。「どちらへ行かれました?」と再び質問。「ロサンゼルスですけど」と答える。係官は「デング熱とか、いろいろありますので、もし状態が急変したりしたらこちらへ」と、いろんな注意事項が書かれている黄色い紙を僕に手渡した。ロサンゼルスでデング熱はないやろ…と思いながら紙を受け取り、その場を後にした。

…とまあ、そんな調子で大晦日の夜に、無事、自宅に到着してやれやれ…の思いでした。そして、すでに書いたように、翌日の元旦に休日急病診療所へ行き、A型のインフルエンザと診断された次第です。


今となれば、あれもこれも懐かしい思い出ですが、そのときは大変な思いをしました。海外旅行はこの上もなく楽しい。でも、やはり日本がいい。安心だし。家にいる時が一番心が落ち着く…というのは、僕にとっては普遍の事実ですね。

ただ、短期間でしたが、ロサンゼルスの魅力の片鱗にも触れた感じがします。とても開放的でエキサイティングで、話が矛盾するようですが、できればしばらくこういうところに住んでみたい、とも思う街でもありましたね~🎵

知人の方のお姉さまが、かつて、ロサンゼルスへ1年の予定で留学されたところ、あまりの居心地のよさに、10年間帰って来られなかった、というお話も最近伺ったところです。

すごっ! 

 

 

 

 

 

 

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“本場“ のディズニーランドは

2017年01月17日 | 旅行

翌日はディズニーランドへ行った。1955年にオープンしたいわゆる「元祖」ディズニーランドである。場所はロサンゼルスの中心地から約50キロで、フリーウェイを走ると、渋滞がなければ30分で着く。しかし、僕たちのホテルはロスの西にあるビバリーヒルズなので、中心地のダウンタウンまで行くのに30分近くかかる。しかも、この日、このツアーに申し込んでいた人が僕たちのほかに3組おられたので、最初に迎えの車に乗り込んでから、ダウンタウンのウェスティン、シェラトン、そしてミヤコホテルへと寄って、少し待ったりしたので、結局は僕たちのホテルからディズニーランドまで、1時間半ほどかかった。

最初は車に僕たち3人だけだったので、運転手さんがまたいろんな説明をしてくれた。ダウンタウンが近づくと、コリアタウンがあった。リトル東京というのもあるのだが、そちらは衰退気味で、今はコリアタウンがどんどん勢力を広げているという。言われてみるとそのとおりで、ある地域では延々と並ぶ看板が全部ハングルで、それがかなり広域にわたっていた。車から景色を見ていると、何だか韓国の街を走っているようだった。

 


 
こんなハングルの看板の風景が、かなり続いていた。

 

ダウンタウンには高いビルがそびえ立つが、前方にもひとつ高層ビルが見えた。運転手さんが「あれがリッツカールトンで、真ん中から上はマンションになっていて、イチロー選手の部屋が最上階から2番目にあります。今でもロスへ来た時はここへ入っています。5億円だったそうです」と教えてくれた。

この日、オプショナルツアーを申し込んでいた人が、僕たちの他にも3組おられたので、車がダウンタウンに入ると、まずシェラトンで女性の2人連れ、ウェスティンで男女の2人連れ、ミヤコホテルで男性1人が、車に乗ってきた。

ミヤコホテルから乗ってきた若い男性は、帽子から服から、あらゆるところに、ミッキーのバッジのようなものを100個ぐらい身に着けていた。よほどミッキーのファンなのだろう。

ディズニーランド・リゾートは、ディズニーランド・パークと、ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー・パークの2つが、向かい合わせにある。僕たちはディズニーランド・パークのみだったが、他の3組の人たちは両方とも行くようで、帰りの迎えの時間も、僕たちは5時だったが、他の人たちは10時という遅い時間だった。
「では、楽しんできてください」と見送られて、車から離れた。 

 

   
この日は12月29日だったが、まだまだクリスマスは続いていた。
クリスマスツリーの飾りつけは何週間もそのままだという。
で、クリスマスが派手な代わりに、お正月はない、という。
今年は元日が日曜日なので2日も振替休日だが、
普通は2日から仕事が始まるという。
「盛り上がるのは大晦日のカウンドダウンだけです」
と、ガイドの男性が言っていた。


さて、この「元祖」ディズニーランドだけれど…

これが正面から入ったメインストリートで、
写真でもおわかりかと思うけれど、とても狭い。 

    
  

 
正面に見えるのは、ランドマークである眠れる森の美女の城。
世界で最初に造られた城だそうである。
ディズニーパークにある城の中で最も古くて小さい城とのことで、
東京ディズニーランドのシンデレラ城と比べても、とても小さい。

 

 

東京ディズニーランドにはないアトラクション
「ファインティング・ニモ・サブマリン・ヴォヤッジ」という、
潜水艦のようなものに乗ろうと並んでみたが… 

 
最後尾から並んで、さほど人の数は並んでいないと思っていたが、
これが大間違いで、5重にも6重にも並んでいて、いったいいつ着くのやら…

 

 
これがモミィお目当ての乗り物。お客さんは水面下で窓を覗くという仕組み。
それにしても、これに1時間半以上並んでいた。
 

 
やっと順番が来た。並んでいるだけで疲れますわ。

 

 
船の下に入ると、窓があって水中が眺められる。

 

 
出発~。船が動き出す。窓からいろんなものが見える。
ここへ突如、ニモやおしゃべりする魚などが現れたり。
なかなか、楽しかったですね~

 

 
ニモが終わったら早くもお昼が過ぎていた。どこもすごい行列で、
僕は行列が嫌いですが、そんなこと、言ってられないですよね。
この店でさんざん並んで、バーガーを注文しました。
モミィがカタコト英語で注文したり、お金を払ったり…。
なかなか、頼りになります(笑)

 

 
東京ディズニーランドへ行けば、必ずイッツ・ア・スモールワールドに入る。
ここでもモミィが入りたいというので、大混雑の列の最後尾を探した。しかし…
探しても探しても、最後尾がわからない。メチャメチャ並んでいるのである。
おまけに、日本なら「最後尾」の看板を持った係員が立っているが、
このときは、どこを探してもそういう人は見当たらない。
で、あきらめざるを得ませんでした。

いや、まぁ、敷地全体が狭いので、余計に混雑が目立ちます。
いろんな国の人たちがいるので、ピープルウオッチングは楽しめましたが。
 

 
パレードが始まりました。
最前列にいた女性が、後ろのモミィを見て、
「こっちへおいで」…と、前に入れてくれました。
他でもそういうことが度々ありました。
みなさん親切な方ばかりで。

 

 
モミィはとにかくショッピングが好きで、お店があると入りたがります。
やはり女の子ですね。ランドの中をあちらこちらと歩いているうちに、
あっという間に時間が経ちました。
 

それにしても、思ったより狭かったのが意外でした。
年末の時期でもあって、余計にお客さんが多かったし。
東京ディズニーランドのほうが、はるかに広々としています。
もっとも、1955年オープンの「しにせ」ですからね。
これはこれで、味わいがあるのかも知れませんけど。

 
お店に入ると、モミィの目の色が変わる。
あちらこちらを歩くので、見失わないようにつきまといます。
こんなところで迷子になったら、大変ですものね。


この日は12月末だというのに、25~26度あったようで、
日中はとても暑かったです。夕方になり、またモミィが、
向こうの方の売店に行きたいというので、妻と2人で行き、
僕は入口近くのベンチに1時間ほど座って待っていました。
目の前を歩くいろんな人たちを眺めるのは楽しかったですけど。

すると日が陰ってきて、急にひんやりしてきたのです。
それでもダラ~っと座り続けていたのが悪かったのか、
どうやらここで体調を崩したようでした。

午後5時に迎えの車が来て、ホテルまで戻りましたが、
何となく顔が火照っていたので体温を測ってみると、
38度を超えていました。

熱など、この何年間も出たことがないのに、
こんなときにね~ まったくぅ…。

  

 

 

 

 

 

 

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2階建てバスやレストランや…

2017年01月15日 | 旅行

ロサンゼルスの2日目。終日自由行動の日だ。
僕たちはホテルを出て、ぶらぶらと歩いて、
ホップオン・ホップオフという観光バスの乗り場をめざした。

この2階建てバスに乗って、ロスの街並みを楽しもうというわけ。
乗車チケットは、あらかじめ旅行社の人からいただいていた。

バスのルート地図によると、ホテルから1番近い停留所が、
ビバリーヒルズの市庁舎の裏側にあったので、
そこをめざした歩いて行った。

右のほうに立つ立派な建物がビバリーヒルズの市庁舎です
 


しかし、市庁舎の裏側に行っても、停留所の場所がわからない。
近くを歩いていた子供連れのご夫婦に、カタコト英語で、
停留所はどこですか? 
と聞いたら、その人たちは日本人だった(笑)。
 

 

 
これがホップオン・ホップオフバスです。

 

 
バスは満員だったけれど、幸運なことに、
2階の席が3席だけ空いていた。

 

 
座席の横にイヤホンがあり、日本語にセットして、
説明が聞けるので便利だ(これはネット写真です)。

 

 
今日もいいお天気。聞けばロサンゼルスは、冬場を除き、
ほとんど雨が降らないとか。でも今は冬場ですけど…。
 

 
ロスで最も大きいデパートのひとつ、ビバリーセンターが見えた。

 

 
バスに揺られてやってきたのは、ファーマーズ・マーケット。
昨日、ガイドさんに連れてきてもらい、ここでお昼を食べた。
その時は時間が限られていたので、今日はここでゆっくりし、
昼食も食べながら、お店めぐりやおみやげ
物を探したりした。

 

 
ここはビバリーヒルズと違い、僕らのような庶民向きのエリアだ。
生鮮食料品店、ハンバーガーからメキシコ料理、八百屋、果物屋、
みやげ物屋などが軒を並べ、全部で100店近くあるそうだ。
同じ敷地内に「グローブ」というショッピングモールもある。

 

 
まさに活気に満ちたファーマーズ・マーケット。

 

 
いろんな食べ物があるので迷うけれど、僕らはこの店で、
ビーフやポークをはさんだサンドイッチを買って食べた。
しかしあまりのボリュームに、お腹が破裂しそうだった。

 

 
満腹になったところで、ショッピングモールの「グローブ」を歩く。
たまたま本屋さんがあったので、本好きのモミィは大喜び。
子供の本コーナーを探して、そこでモミィは、
自分の本やECCの友達にお土産として買う本、
などを、一生懸命探していた。
ここで5、6冊の本を買った。
 

 


ところでこの日は、夜にレストランを予約していた。
ま、僕が予約したのではなく、JTBに申し込んでいたものだ。
レストランはダウンタウンにあり、僕たちのホテルからは遠い。
そこで、日本人用のタクシーも旅行社が予約してくれ、
午後5時半にホテルに迎えに来てくれることになっていた。

ところが…
このファーマーズ・マーケット&グローブをうろうろしていると、
時間の経つのも忘れてしまっていたようだ。適当に切り上げ、
またホップオン・ホップオフバスに乗って、ハリウッド経由で
ホテルに近いビバリーヒルズ市庁舎前まで戻ろうとした。

しかしバスはハリウッドで止まると、そこから動かない。
お客さんたちもみんな降りてゆく。
イヤホンで日本語の説明を聞くと、ここが終点で、
次に出発するまでしばらく時間がかかる、とのこと。
この調子では約束の5時半にホテルに着くのは無理である。

「わっ、大変。どうしよう」とあわてた。
仕方なく、バスを降りて、周囲を見渡すと、
ハリウッドの雑踏の中、道路の向こう側に、
ルーズベルトホテルというのが目についた。
そのホテルに入ってフロント前のソファに座り、
バッグからタクシー会社の電話番号が書いてある紙を出し、
携帯電話でそこへ電話した。日本人女性が電話に出たので、
約束の5時半にホテルに着けそうにもないこと、
今はハリウッドのルーズベルトホテルにいること、
などを伝え、ここへ迎えに来てほしい、と頼んだ。
「では、そのホテルのチャイニーズシアター側に出て待ってください」
と電話の
女性が言ったので、やれやれとホッと一息ついた。

ハリウッド大通りの賑わいを眺めながら、タクシーを待っていたら、
1台の車が寄ってきて「〇〇さんですね」と僕たちの名前を言った。

そこからダウンタウンまで走ってもらい、
予約のレストラン「CHAYA」の前で降ろしてもらった。
「2時間後ぐらいにまたここへ来ますから」と運転手さんが言った。

 

 
レストランの前庭で。

さて「CHAYA」に入ると、僕は黙っていたのに、
店の人が僕らの名前を言って確認し、席に案内された。
ここは
カリフォルニア・フュージョン料理の店だという。
カリフォルニア・フュージョン?
フュージョン(FUSION)というのは、辞書で調べてみると、
融合とか混合という意味で、つまりフュージョン料理は混合料理なわけ。
ヒスパニック系(メキシコ・中南米)やアジアのエスニック系、
それにイタリアン、フレンチなどが混ざった創作料理…
…という意味だそうである。

日本語のメニューが来た。いくつか選択肢があったけれど、
ちなみに僕は、

サラダ
・前菜→
スペイン産タコのグリルフェンネルのピュレと柚子のマーマレード
・メ
インコース→アンガスプライムステーキガーリック、ベイビーポテト、
 パラぺーニョ醤油ステーキソース

・デザート→フラワーレスチョコレートケーキ 塩キャラメルアイス添え

というコースを選んだ。なんだか、わけわかりませんけど…。

しかし、これまた ボリューム満点で、昼にもお腹が破裂しそうになったのに、
夜もまたこの量である。食べている途中ですぐに満腹になった(やれやれ…)。

 
モミィも大人と同じ量なので、ステーキも3分の1を残した。


 
しかし、このデザートが出ると、モミィは張り切って全部食べた。
お菓子は「別腹」なんでしょうね~


というわけで、また同じタクシーでホテルに戻りました。

 

ネットで「ホップオン・ホップオフバス」の動画がありましたので、
よろしければご覧ください。
この動画では、バスはガラ空きですが、
僕たちが乗った時は、超満員でした。  

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハリウッドの風景

2017年01月14日 | 旅行

ロサンゼルスの大雑把なマップです 

   

一見、コンパクトな街のようですが、
これがまたメチャメチャ広いのです。

僕たちは旅の初日、ロサンゼルス国際空港に着いた後、
JTBの現地ガイドの石島さんという男性に、
車でロスの観光スポットを案内してもらいました。

空港からマリナ・デル・レイ~ベニス~サンタモニカと、
美しい海岸沿いの道路を走りました。窓からヤシの木の
風景を見ていると、まるでハワイにいるみたいでしたね。


周辺には広々とした住宅や高層マンションが並びます。
「あそこが元ドジャーズの石井投手が住んでいたマンションです」
などと、石島さんがいろいろと説明してくれる。

そこから内陸へ入り、ビバリーヒルズを東へ行き、
ロデオドライブなどを通って、ファーマーズマーケットという
賑やかなところで昼食を摂ってから、
メルローズ通りを抜け、
ハリウッドへ行きました。

何といってもロサンゼルスで最も有名なスポットなので、
ここはもう、観光客で大混雑していました。


 
ハリウッドの中心にあるハリウッド&ハイランドと呼ばれるスポット。
劇場、映画館、ショップ、レストランなどがひしめいているところです。

 

 
中でも有名なのが、アカデミー賞授賞式の会場である
ドルビー・シアター。さっそく中へ入ってみました。


 
アカデミー賞授賞式当日は、この階段にレッドカーペットが敷かれる。
1段1段の幅が広く、段差が低いのは、女優が長いドレスで歩いても、
裾がもつれたりしないように配慮されている…とのことでした。
来月のアカデミー賞授賞式のテレビ中継が楽しみです。


 
 ハリウッド&ハイランドの中庭。


 
これはネットから拝借した中庭からの写真ですが、
正面に渡り廊下が見えますね。

そこから、あの有名なハリウッドサインが見えるのです。

僕たちもここを歩いたのですが、
人混みをかき分け、この渡り廊下から写真を撮りました。

 
遠くに「HOLLYWOOD」の看板が見えています。
ロサンゼルスのシンボルとも言うべきハリウッドサインです。

アップで撮ってみますと…

 
…という感じです。

この山にはハイキングで看板の場所まで行けるそうです。
僕たちはそんな時間がないので、出来なかったのですが、
完全フリーの旅だったら、たぶん行っていたでしょうね。


さて、そのドルビーシアターを出て、
ハリウッド大通りに面する賑やかな歩道を歩きました。

 
エンターテインメント界で活躍した人物の名前が彫られた
星のプレートが埋め込んである歩道。
ここをウォーク・オブ・フェイムというそうです。


僕の好きなジョディ・フォスターがあったので、パチリ。

去年の11月、三船敏郎さんの星型が埋められたそうですが、
なんで今頃…? 遅すぎるのでは… の感が強いですね。
この日は三船さんの星型は見つけられませんでしたが。

ところで…
僕はガイドの石島さんと歩いていたのですが、ふと振り向くと、
妻とモミィが、スパイダーマンに扮装した男に声をかけられ、
「写真を撮りましょう」というようなことを言われていた。
妻が、持っていたカメラでモミィとスパイダーマンを撮影。
するとスパイダーマンは「チップをくれ」と手を出した。
横から石島さんが「1ドルでいいですよ」と言ったので、
僕が1ドル札1枚を渡すと、スパイダーマンは、
「5ドルだ」と言ってその札を突き返してきた。
僕が「じゃ、返してもらうわ」とその1ドル札をつかみ、
歩き始めると「待て~」とスパイダーマンが追ってきて、
1ドル札を再び僕の手からもぎ取り、戻って行った。
「ああいうモグリが出てきて、少し問題になっています」
と石島さんが苦笑いしていました。

 

強引に写真撮影をさせて、
5ドルを要求するスパイダーマン。


次はチャイニーズシアターという中国風の映画館の前庭へ。

ここには、さらに大勢の人々が集まっていました。


 
前庭にはスターの手型と足型とサインが地面のあちこちに。


 
アーノルド・シュワルツェネッガーです。



 
観光客がお気に入りのスターのところで記念撮影しています。



 
モミィが手型を合わせているのは、マリリンモンロー。
ちょっと時代が離れすぎていますけどね~


 
これはジョニー・デップ。
モミィは「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの
大ファンなので、ジョニー・デップには喜んで、
ここでもお決まりのポーズ!

 

 

 
ハリウッド大通りをはさんで、このあたりは、
大勢の観光客ですご~く混雑していましたね。

さすが、ロサンゼルス随一の観光地でした。

 

 
これはネットから拝借した写真です。
チャイニーズ・シアターの全体図が撮れなかったので、
参考までに載せました。左側が手型や足型のある前庭です。
赤い2階建てバスは、「ホップオン・ホップオフ」という、
ロサンゼルスを巡る観光バスです。

次回はこのバスに乗ってのロス巡りをお届けします。


 



 

 

 

 

 

 

 

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ロサンゼルスの旅  ビバリーヒルズ

2017年01月11日 | 旅行

    ~ ビバリーヒルトン・ホテル ~


昨日そして今日と、アカデミー賞の前哨戦としての注目度も高い
ゴールデングローブ賞の授賞式のニュースがテレビで流れていた。

この授賞式が行われた場所が、ロサンゼルスのビバリーヒルズにある
ビバリーヒルトン・ホテルで、僕たちが泊まったホテルだった。

ロサンゼルス旅行をJTBに申し込んだ際、まずホテルをどこに決めるか、
というのが最初の課題だったが、ダウンタウンのリトル東京の中にある
ミヤコホテルは日本語のスタッフがいて、言葉に困らないということだった。
しかし、僕らが申し込んだ時、すでにここは満室で、
他のホテルを当たってもらった結果、JTBのお勧めで
ビバリーヒルトンホテルに決めたのだった。

旅行中にダウンタウンへ行き、ミヤコホテルを覗いてみたが、
ホテルの前に日本語の看板を上げた寿司屋などがあり、
確かにここなら便利だったろうな、と思ったけれど、
まあ、ビバリーヒルズの方が外国らしくていいだろ、
…ということで、ここに決めたことに悔いはなかった。

ご承知の方も多いと思うが、ビバリーヒルズといえば、
世界でも指折りの高級住宅街で、映画「プリティウーマン」で、
ジュリア・ロバーツが目を丸くした高級店などがある。
「ビバリーヒルズ・コップ」という映画もあったっけ。
そこでも、有名な映画俳優の豪邸が映っていたなぁ。

さて、そのビバリーヒルトン・ホテルは、
あとわずかで任期満了となるオバマ大統領が、
8年間、ロスに来たときは必ずこのホテルに泊まったという。
また、イスラエルの首相も、来米した時はここに泊まるそうで、
「そんな時は警戒が厳重で、車はホテルに近寄れません」
と、ガイドの男性が、僕たちにボヤいておられた。
で、お客さんをホテル玄関まで送る…のではなく、
かなり離れた所へ降ろすのだ、と言っていた。

それと、このホテルにまつわる話として興味深く聞いたのは
ホイットニー・ヒューストンが亡くなったのがこのホテルだとのこと。

2012年2月11日、グラミー賞の前夜祭出席のため滞在していた
ビバリーヒルトン・ホテルの浴槽内で倒れているところを発見さ れ、
搬送先にて死亡が確認された、という出来事だった。享年48歳。
コカインやマリファナが体内から検出されたそうである。
ケビン・コスナーと共演した映画「ボディガード」は有名だ。

「あの時のことを、今もはっきり覚えていますよ」
と、ガイドの男性が話してくれたのは…
当日、日本からの9名の女性グループをハリウッドに案内した後、
その人たちの泊まっているビバリーヒルトンへ戻ってきたら、
周辺が警察などで、ものものしい雰囲気になっている。
そして、途中で「これから先は車はダメだ」と言われ、
仕方なく9人の人たちに説明をし、降りてもらったという。

…とまぁ、ホテルに関するいろんな話を聞かせてもらったが、
やはり、何といってもゴールデングローブ賞の授賞式場というのが、
このホテルを有名にしているわけで、今回、テレビニュースで、
つい先日、自分たちが泊まったこのホテルが映し出されたのは、
見ていて楽しいものだった。

 

 
 ホテルのロビーで


 
 客室の廊下には往年のスターの写真が随所に掲げられている。


 
 ロビーにはゴールデングローブ賞を受賞したスターらの写真が。
 右端はアンジェリーナ・ジョリーが受賞した時の写真。

 

 
 ホテルから出てすぐの場所。右斜めの通りはウィルシャー通りで、
 「プリティ・ウーマン」のホテルやロデオドライブが近くにある。
 そして左斜めに延びる広い通りをまっすぐに歩いて行くと…

 

 
 車道と歩道との間に、芝生が広がる。
 実に広々としている。
 ロスはどこもそうだが、車ばかりで、
 歩いている人の姿はほとんど見かけない。

 


  
 大通りから左へ入ると、パームツリー(ヤシの木)の 
 街路樹が並ぶ。この奥にはスターの豪邸などがあるそうだ。

 

 
 大通りに面して、ビバリー・ガーデンズ・パークがあった。
 さすがにここは、観光客も多い。

 

 
 ロサンゼルスの日差しは、冬とは思えない強さだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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トホホなお正月

2017年01月07日 | 旅行

皆さん、新年おめでとうございます。
今年も、もう1週間が経過しようとしています。
遅まきながら、改めて今年もよろしくお願いいたします。

さて…

12月26日から31日まで、ロサンゼルスへ旅行してきました。

モミィも去年の春に5年生になり、外国というものを体験させるのにちょうどいい時期かな…と思っていましたが、僕たちも元気で行けるうちに行っておこうということで、夏の終わり頃から計画していました。行く先はアメリカ西海岸あたりがいいだろうということで、行きやすく、ディズニーランドもあってモミィが喜びそうなロサンゼルスに決めたのでした。

旅の詳細は次回以降にお伝えしますが、この旅行で、僕自身、思わぬアクシデントに見舞われました。今日はまず、そのことを記したいと思います。

関西国際空港~ロスの飛行機での所要時間は、往路は約10時間、復路は約12時間です。

「えぇっ、そんなに長いこと飛行機に乗るのん?」と最初、モミィは驚いていました。外国は遠い…とは、わかっていながらも、10時間以上も飛行機に乗るというのが実際にはピンと来なかったのでしょう。

そして12月26日の夕刻、出発しました。

飛行機の中では、モミィはゲームをしたりグーグー寝たりしながらも、時間を持て余している様子。まあ、仕方ないですね、これだけは。

日本とロスとの時差は17時間。僕たちが出発したのは26日の午後5時半で、そのとき、ロスの時間はまだ26日に日付が変わったばかりの午前零時半だった…ということになります。そして飛行機に揺られること10時間、ロスに到着したのが、現地時間で26日の午前10時半でした。日本ではそのとき、すでに27日に日付が変わり、午前3時半になっていたわけですが…。

空港へ迎えに来てくれていたJTBの車に乗り、その日は夕方まで、サンタモニカやハリウッド、ロデオドライブなど、ロスの観光地巡りをしました。

到着してすぐの観光地巡りでしたが、時差ボケがあったので、妻とモミィは車の中にいるときはほとんど眠っていました。僕は、男性ガイドの話を聞いていたので、寝るわけにもいかず、ずっと眠いのをガマン、ガマン…でした。

計4泊したホテルはビバリーヒルズ・ヒルトンホテルで、ここはオバマ大統領がロスに来たときに常に泊まるホテル…とかいうことでした。

2日目は終日自由行動で、僕たちは、ビバリーヒルズをぶらぶら歩いたあと、2階建ての「ホップオン・ホップオフ」という観光バスに乗り、イヤホンで日本語の解説を聞きながらロス見物。途中でファーマーズマーケットという賑やかなショッピング街を歩いたり、ハンバーガーを食べたり、買い物をしたり…。モミィはいろんな店に入って喜んでいました。

3日目はアナハイムにあるディズニーランドへ…。オプショナルツアーに申し込んでいたので、車で送迎してもらいました。ホテルから約1時間のところにあるディズニーランドで1日を過ごしました。

と、そこまではよかったのですが…
ディズニーランドの帰りの車で、顔がホテるのを感じ、体も何となく熱っぽかったので、ホテルの部屋に入って体温計で熱を測ってみたら、なんと38度ありました。こんな熱が出ることなど、普段でもないことなのに。

この日は特に良い天気で、ロスはこの季節だというのに、日中は26度ほどあったようです。何しろ日差しが日本と違って強烈で、暑いほどでした。それが夕方になり日陰になると急に寒くなってきます。どうやらその極端な寒暖差で風邪を引いてしまった感じでした。妻とモミィは元気でしたが僕だけダウンとは…。なんでまたこんな時に。

翌日は自由行動で、サンタモニカへ行く予定でした。しかし、朝になっても8度台の熱は下がらず、残念ながら1日中ベッドで寝ていました。解熱剤を飲んでも熱は下がらず。妻とモミィは外に出てホテルの近くを歩いたり、スタバやサブウェイに入って僕にサンドイッチなどの食べ物を買ってきてくれたりしたので、大いに助かりましたけど。

そして次の日、日本へ帰る日でしたが熱は引かず、僕はしんどいのを我慢して出発支度をし、12時間の飛行機の旅を経て、どうにかこうにか関西国際空港に戻ることができて、ほっと一息ついた次第です。日付けは31日の午後6時過ぎでした。家に着いたときは、テレビではもう紅白歌合戦が始まっていました。

翌朝、つまり元旦…。熱はまだ8度5分ほどあり、近くにある休日急病診療所へ行って診てもらいました。元旦からお医者さんに行くのは生まれて初めてのことです。

「喉が真っ赤ですね。いちおうインフルエンザの検査をしますね」と医師は言い、鼻の穴に綿棒のようなものをグリグリと突っ込んで、「では15分ぐらい待っていてください」ということで、再び呼ばれて診察室に入ると、「A型のインフルエンザですね」という検査結果を告げられたのでした。げぇ。まさかのインフルエンザ!

予防接種もしていたのにね~。ぐすん。

…それからあっという間に日が経ち、今日で7日目を迎えました。

まだ微熱があり、完全には治りきっていないようですが、ロサンゼルスでインフルエンザに罹る…という思いもよらぬ事態に、自分でもびっくりしている次第です。旅行の早い段階でこんなことになっていたらもっと厄介だったろうなぁと思いますが、取りあえず無事に帰ってこられたのは、よかった~…と、今はその気持ちで一杯です。

ともあれ、こんなお正月を迎えたのは初めてでした。
初詣も行っていないし…。

皆さん、体調にはくれぐれもご注意くださいね。

 

 

 

 

コメント (2)
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