僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

スカイランニングの吉住友里さん

2017年05月31日 | ランニング

 

スカイランニングってご存知ですか。

標高2000m以上の急峻な山岳を走るスポーツで、コースの多くは険しい岩場であったり、時には雪の上や氷河の上も走ることがあるそうです。上の写真を見ても分かる通り、メチャメチャ恐ろしそうなランニングのレースです。

先日、テレビを眺めていたら、スペインの何とかという島で開催されたスカイランニングのレースの世界大会・女子の部で、日本の吉住友里という選手が優勝し、世界タイトルを獲得した、というニュースが流れました。日本選手の快挙です。とりあえず、こちらをご覧ください。

 http://skyrunning.jp/2017/05/13/yuri-transvulcania/


と、こんなレースなのですが、何とも雄大な背景ですね。

ところで、そのニュースが流れた時、僕は、
「えっ、吉住さん?」
と、身を乗り出し、テレビにくぎ付けになりました。なぜなら、この吉住友理さんは、わが町藤井寺出身で、かつては息子たち、そして今はモミィが通っている小学校の卒業生だったのです。つまり息子たちの小学校の後輩でモミィの先輩、ということで、その実家もわが家の近くのようでした。テレビに映ったのはその吉住さんだったのです。

吉住さんのことを知ったのは、5年前の10月、藤井寺の広報紙に載っていたのがきっかけでした。この年の北海道マラソンで吉住さんが優勝したという記事でした。

北海道マラソンといえば僕も参加したことがあるので、そのレースの規模の大きさはよく知っています。かつて有森裕子さんがこの大会で優勝してアトランタオリンピックへの出場権を得、そのアトランタで銅メダルを獲得して「自分で自分をほめたい」という名セリフを残したことはよく知られています。その大会で優勝したのですから、吉住さんも大したものです。そして、世界選手権の女子マラソンの代表の座も視野に入ってきたということでした。

マラソンをしていた頃は、近くにある大和川の堤防をよく走りましたが、広報紙を読むと、吉住さんもそのあたりをランニングしていたというので、ひょっとしたら何度かすれ違ったりしていたかもしれないなぁ、などと想像を巡らしたりして、親近感を持った次第です。

そして翌年の北海道マラソンでは、事前に新聞の大阪版に、
「駈ける27歳市民ランナー、北海道マラソン連覇狙う」
という吉住さんの記事も載って、期待が膨らんだのですが、残念ながら5位に終って連覇はならず、世界選手権の代表の座も逃してしまいました。それ以来、吉住さんに関する記事とは巡り合うことはなかったのですが

そんなときに、テレビでスカイランニングという種目で世界タイトルを獲った吉住さんのことを知り、いやぁ、ホントに懐かしかったです。スカイランニングという新しい境地で、彼女の努力が再び実を結んだというこのニュース。何だか僕も勇気づけられた気がします。

吉住さんは近年一度母校の小学校へ来られたことがあったようで、モミィがそう言っていました。一度と言わず、どうかまた来てください。次の日曜日は小学校は運動会なので、ぜひゲスト出演などをしていただければ、見学する僕たちもうれしいんですけどね。ま、お忙しい身だから、無理でしょうけど。

 

終わりに余談ですが、ヤフーの検索のところで「藤井寺 小学校 吉住友里」と入力したら、自分のブログが出てきました。「僕のほそ道~のん日記~」と出たので、へぇっ? という感じで、ちょっとびっくりしました。


藤井寺 小学校 吉住友里

 

 

 

 

 

 

 

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松原市長選の結果は

2017年05月29日 | 議会&役所

昨日行われた大阪府松原市長選は、現職の澤井氏が植松氏を破って3選を果たした。投票率は前回を少し上回る37.35%だったという。

昨日書いたように、候補者2人とも、僕にとっては馴染みの深い人だっただけに、その点で関心があった選挙だったが、まぁ、この結果はほぼ予想どおりだったようだ。ただ、選挙戦がこうして行われたというのは、とても意義深いことだったに違いない。

なぜなら
松原市は

僕が市役所に入った時の市長は数年で辞められたが、次の市長は約27年間という長期にわたって務められ、その次の市長は8年間務められた。27年間といえば7期であり、8年間は2期だ。つまりその間、合計9回の市長選挙が行われるところだったのが、ほとんどの選挙で対立候補が出ず、無投票で当選されていたのである。

立候補者が1人だけで選挙戦がなく、無投票当選すれば、そりゃ、楽でいいかも知れませんが、それでは市民に自らの政策を強く訴える機会がなくなってしまう。そして、それを批判する立場の対立候補があってこそ、活発な選挙戦を通じて市民が市政について考え、さらに投票という形で参加をする。しかし、松原市では、僕が市役所で勤めた38年間で、4年に一度行われるはずの市長選挙は、皆無ではなかったけれど、ほとんど無投票で当選という形だった。

しかしまぁ、これは対立候補が出ないことに問題があるので、無投票当選した人には何の責任もない。むしろそれだけ手腕を評価されているために、対抗して立候補したい気持を持っている人も「出ても勝ち目がないで~」という空気になっていたのだろうから、それだけ市長としての市民の信頼感が厚かった、とも言えるのでしょう。

今の澤井市長が初めて立候補してから、今回が3度目の選挙となるが、すべて対立候補が出て、選挙戦が行われている。そして今回は植松氏がチャレンジして、市民にいろいろな政策を訴え、迎え撃つ澤井市長もこれまでの実績と今後の展望を訴えて活発な論戦を展開した。これが市にとってよかったと思うのである。

開票結果は、澤井氏が21,344票、植松氏が15,683票だった。

植松氏、というより、植松ちゃん、なんて呼んでいたのでちょっと妙な感じだけれど、よく健闘したと思う。根が明るく前向きな人なので、こんなことでくじけることはないでしょう。これからも頑張ってください。

同じ昨日、大阪府和泉市の市長選が告示され、現職市長のほかに立候補の届け出がなく、無投票で当選が決まった。

さて、僕が住んでいる藤井寺市はどうか?

市長選挙は2年後である。現在の市長は、元藤井寺市職員で、市議会事務局長などをされており、よく知っていた人だけど、御年75歳で、まぁこう言うのも何ですが、行事等で挨拶に出てこられた姿を見ると、年齢以上に老け込まれたなぁという感じである。もはや市長というより「ご老人」の印象の方が強い。人間的にはとてもいい方なんですけどね。

若けりゃいい、というものでもないでしょうけど、この場合は市長の「若返り」を次回の選挙で期待したいですね~

 

 

 

 

 

 

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きょう 松原市長選挙

2017年05月28日 | 議会&役所

ブログのコメント欄の下のところに「このブログの人気記事」というのがあって、1位から10位まで自分の過去記事が並んでいますが、ここ数日、その8番目のところに、

「きょう松原市長選挙」(2009年5月31日の記事)

という記事が顔を出しています。

なぜ8年も前のこんな記事がベスト10に入っているのだろうと不思議に思うのですが、新聞を見ると、まさに今日5月28日は大阪府の松原市長選挙が行われる日なのですね。だから、この記事も閲覧されていたのかという感じです。

現在の松原市長は、僕が松原市役所を定年退職した2か月後、2009(平成21)年の5月31日の市長選に立候補して初当選し、今ではもう2期8年間も市長を務めたことになる。僕も松原市役所を辞めて8年になるんだ。早いなぁ。

だから今の市長のもとで仕事をしたことはない。でも僕は退職前は議会事務局長という職責を預かっていた。そして今の市長はその当時は市議会議員で、ちょうど議長をしていた。だもんで僕はこの人と1年間、毎日のように接触があり、会議や行事や出張なども、常に一緒だった。だからその性格、物の考え方、行動パターンなんかは割によく知っている。だからどうとは言いませんけどね。何しろきょうは投票日だから、言葉は慎重に選ばなければ(笑)。

ところで、この現職の市長は今回が3期目の出馬となるが、もう一人の候補者を知ったときは少なからず驚いた。松原市長選の候補者2名の顔写真が新聞に出たとき、現職市長はもちろんよく知っている顔なんだけれど、対抗馬として立候補した男性の顔を見て、「あれ? 〇〇クンやないか」と目を見張った。彼は元市職員で、僕より十何歳か年下で、初めて市役所に入って来た時から知っていた。よくおしゃべりもしたし、一緒に飲んだこともあるし、近年にはメールのやりとりをしたこともある。彼は組合活動に熱心で、やがて市職員労働組合の委員長となった。その彼が市長選に出馬したとはね~。写真を見たら、以前より太った感じで、顔がふっくらしています。ま、現職の方も、初当選のころは若かったのですが、今は顔がおっちゃん顔になってきていますね(笑)。8年も経つのですから、当たり前といえば当たり前なんですが
(顔は関係ありませんね~。失礼!)


   

ということで、
今日、投開票が行われる松原市長選挙は、この2人の戦いです。

もう今さら誰が松原市長になろうが僕にとっては関係のない話ですけど、どちらの候補者もよ~く知っている人なので、少しは結果が気になるかなといったところです。

本日の記事も、また8年前と同じタイトルになっちゃいましたけど。

 

 

 

 

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プレミアムフライデーって何 ?

2017年05月26日 | 日常のいろいろなこと

このブログのPC版には、右の欄に「カレンダー」とか「最新記事」というのがあって、その下の方に、どれだけのアクセス数があったのかを示す「アクセス状況」というのが出ています。10年間ブログを続けていると、アクセス数も少しずつ増えて、当初は「訪問者」の数が2ケタだったのが、徐々に100を超えて、最近では300ぐらいになり、嬉しいことだな~と思っているところです。

が、先ほどその欄を見たら、昨日の訪問者が「1,646」という数字になっていました。ランキングも、いつもはだいたい2,000位前後なのに、今回は113位。なんで急に昨日だけアクセスがこんなに多かったのだろうか? 不思議です。まぁ、これは今日のテーマとは関係ありませんけど。

  ……………………………………………………………………


さて、今日は5月26日の金曜日。つまり月末の金曜日です。この月末の金曜日は、3ヵ月くらい前から「プレミアムフライデー」と呼ばれ始めています。何のことやら?と思うけれど、どうやら政府や経済界が提唱しているもので、「普段よりもプレミアムな生活を奨励する個人消費喚起キャンペーン」とのこと。

それで、なぜ月末の金曜日かというと、給料日の直後に該当するというのが一番の理由らしく、そしてその日は午後3時に仕事を終えるように企業に奨励して、その夕方の時間を買い物や旅行などに充ててほしい、ということなんだそうです。ふ~む、金曜日は仕事が午後3時までってか。

でも、そう簡単に金曜日の仕事を3時に終えられるのかという疑問もあります。現に、ある調査によると「金曜3時終わり」を導入したいと回答した企業は、全体のわずか3~4%だったという。で、また、仮に実施したとしても、そのシワ寄せが別の日に来ることもあるだろうし、かえってしんどい思いをしなければならないのでは、とも思うんですよね。まあ、日本人の働き方を見直そうという一つの動きかも知れませんが、この「プレミアムフライデー」というのが、どれくらい社会全体を盛り上げてくれるのかは、よくわかりませんね~ 


 
今日のスーパーのチラシにも「プレミアムフライデー」の文字が。
「月末金曜は、ちょっと豊かに」と、お肉やお寿司の宣伝です。
 


それと、最近よく使われる「プレミアム」という言葉の意味ですが

広辞苑を引いてみると「割増金、手数料」とか「商品につける景品」とかいう意味だそうですが、「プレミアム」という言葉には、「上質」というイメージがあり、それによって高級感を出す言葉として今は使われているようです。

ビールも「プレミアムモルツ」ってのがあるし、テレビのチャンネルにもNHKで「BSプレミアム」というのがありますしね。

それにしても

今はなんでも横文字を使ったらいいみたいな風潮があって、なんだかなぁという感じですが、僕らが勤めていた頃は、金曜日は花の金曜日、略して「ハナ金」と言って、はしゃいでいましたし、それを口実にしてよく飲みに行ったりしたものでした。

ハナ金 ← これなら言葉の雰囲気もよく伝わってきますね。
「プレミアム」なんてややこしい言葉を使わず、「ハナ金」でいいのでは。

しかし、いま、こんな川柳があったのを思い出してしまいました。

ハナ金を 楽しみすぎて サラ金へ  

(そら、あかんがな~)

はい。どうも、失礼しました~

では、皆さま、明日は土曜日。

どうか加齢なるじゃなかった、
華麗なる週末を楽しくお過ごしくださ~い。

 

 

 

 

 

 

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あぁ また失敗した !

2017年05月24日 | 日常のいろいろなこと

先日人形劇を演じられた「SAYOとわたし一座」の知人女性から、「公演にお越しくださりありがとうございました」とのお礼状が送られてきました(ご丁寧にどうも。こちらこそありがとうございました)。その最後に自筆で「2回も来ていただき、2回もブログで取り上げて頂き本当にありがとうございます(笑)」とありました。えへへ。そうですね~。間違えて2回行きましたね~。でも今から思えば、日を間違えて行ったこともクスッと笑える思い出となりました。失敗は失敗でしたが、まぁご愛敬でしたね。


ところで、人形劇を見た20日のその翌日、日曜日のこと。今度はご愛敬とはほど遠い「痛恨の失敗!」をやってしまいました。

話せば長いことながら、なるべく手短に説明しますと

21日の日曜日は3人で中之島にある大阪国際会議場(グランキューブ大阪)へ行きました。その3階のイベントホールで「大阪私立中学校フェア」というのが開催されたのです。「大阪私立中学校高等学校連合会」という組織が主催したもので、大阪の全ての私立中学校62校が参加、ということでした。モミィが最近、私立中学校に強い関心を持っており、学校や塾での友達同士の会話にも、その話題がいっぱい出てくるそうで、この日の催しもモミィの希望で行くことにしたものでした。

広い会場に62校のブースが並び、それぞれにその学校の関係者が座っていました。ここで学校の教育方針や内容、特長などの説明が行われており、僕たちは入口で配られた案内図を見て、モミィが関心のあるいくつかの学校のブースへ行って説明を受け、またパンフレットコーナーで何冊もの学校のパンフレットをもらったりしました。 


 
パンフレットコーナー。府下の市立中学のパンフレットが並んでいます。
その向こう側に、各校のブースが設けられていました。


そうこうするうち、お昼前になったので、会場を後にして地下鉄で天王寺まで戻り、昼食をとることにしたのですが

会場で説明を受けている時から軽い不整脈が出て、心拍が少しだけだが乱れはじめていたのが気になっていたので、天王寺に着いたとき、「ちょっと体調が悪いので先に帰るわ」と妻に伝え、そこで2人と分かれ、自分だけ電車に乗って藤井寺へ戻りました。そして

そのうち、少しマシになってきたので、駅からバスに乗らず、歩いて帰ることにしたのですが、途中、スーパーに寄って、いくつかの食料品を買い込み、リュックに入れて家の近くまで来ました。そしてそこで、大変なことに気がついたのです。ポケットやリュックのどこを探しても、家の鍵が見つからない。そうか。鍵を持って出るのを忘れたんだ!

が~~~~~ん

いつも家族で出かける時は、僕が最後に出て鍵をかけるのが習慣だったのに、この日は妻が町内会の掃除があったので、僕とモミィが一足先に家を出たのでした。だから僕は鍵をかけなかった。その時、家の鍵を別のリュックに入れたままだったことに気付かず出てきたようです。それでも3人一緒に帰っていれば、妻が鍵を持っているので何の不都合もなかったのですが、たまたま、滅多にないことに僕ひとりが先に帰って来た。そして、鍵がないことに気がついたという次第です。なんちゅうこっちゃ❗

これって結構パニックになりますね。わが家を目の前にして、家の中に入れない。お昼ご飯もまだ食べていないので、お腹は減ってるわ、疲れたわ。あ~ん、もぉ~、どうしたらいいのだ~。と、本当にドジな自分に嫌気が差すばかり。

ふ~む、妻とモミィが帰ってくるまで、どうしたものか?

近くの城山古墳公園というところに、休憩所とベンチがあったことを思い出したので、またそこまで歩いて、やれやれと建物の前のベンチに座り、さっきスーパーで買った食料品のうち、そのままで食べられるウィンナーをリュックから出してかじりながら、妻に「鍵忘れた~」とメール。すぐに「食事が終わったのでこれから電車に乗って帰ります」と返信が来た。

「あぁ、もっとアベノで遊んでいたかったのに~」
と、2人が家に帰って来た時、モミィにボヤかれてしまった。
すんまへんな~。無理に早く帰らせて。

それにしても、最近特に物忘れというか、ボケボケ現象がひどくなった。たとえば先月、自転車でスポーツジムからの帰り、スーパーに寄って、そのまま歩いて帰って来た。家で「あれ?自転車はどこ?」と首をかしげているうちに、スーパーに置いたままだったことを思い出してまた引き返したり…。

おまけに耳まで悪くなったのか、テレビで「おバカ大統領」がどうの、と言っているので、えっ? とよく聞き直してみると、「オバマ大統領」だったり、あるいは大阪が誘致している「万国博覧会」を「万国錯乱会(さくらんかい)」と聞き間違えたり、そんなんばっかりですわ。

万国錯乱会って世界中が錯乱するイベントって、どんなんや。

というより、
錯乱しているのはお前の頭の中やで~
と誰かが叫んでいるような気もしますけど。

 

 


 

 

 

 

 

 

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人形劇 おばはんエレジーから賛歌へ

2017年05月22日 | 日常のいろいろなこと

一昨日、松原へ人形劇を見に行きました。日を1週間まちがって、その前の土曜日に行ったことはブログに書きました。あの後、案内状を送ってくれた知人女性に「1週間早く行ってしまいました。アホやがな」とハガキに書いて送ったものですから、この日、人形劇の会場に着いたら「先週に来はったんですね~」との「爆笑歓迎」を受けました(笑)。

人形劇のメンバーさんたちの中に、その知人女性ともう一人、よく知っている女性もいました。そして会場に入ると、かつて市役所の要職に就かれていた人や前市議会議員のお姿もあり、他にも顔だけは知っている(名前は忘れた)市職員の顔もチラホラと見かけました。

さて、その人形劇ですが

人形劇と言えば何となく子供たちが喜ぶ童話の世界を連想しますが、この劇団が演じるのは、女性の結婚、子育て、家事、介護など、テーマとしては難しい問題を含むもので、まさに「大人向け」なんですよね。その難しい問題を、人形劇という形で、問題の核心をつきながらも、観客を笑いの渦に巻き込み、見終わった後には、ほのぼのとしたものが心に残る…というもので、僕はこの人形劇を見るのは初めてだったんですが、本当によかったな~と思いました。

約1時間演じられた人形劇は「おばはんエレジーから賛歌へ」という大阪弁のタイトルで、そのキャッチコピーは、パンフレットによると、

結婚
出産
子育て
介護
しようが
しまいが
わたしは
わたし
「ふつう」に悩むすべての人へ!

というものでした。

指導されたのは「ねぎぼうずSAYO」こと西宮小夜子さんという方。ネットで検索すると沢山出てきます。その世界では有名な方だったようですが、5年前に故人となられました。ちなみに一座の名称は「SAYOとわたし一座」です。今回は一座の20周年記念公演でした(入場無料)。

劇の内容は、子育てをしながら夫の両親の世話をし、日々の家事にも追われる主婦の話や、定年退職してヒマを持て余し、自分のあとをついて回るうっとしい亭主に悩む主婦の話や、母親から「結婚して子供を産むのが女というもんや」と言われて反発する40歳前の女性の話などがオムニバス形式で進行していきます。

冒頭から僕が大好きな八代亜紀の「舟歌」の曲が流れ、その替え歌を一座のひとりが朗々と歌うシーンから始まるのですが、もう、その瞬間から人形劇の世界に入り込んだ感じでした。替え歌の内容も面白かったし。

たとえば、一つの話を取り上げると、
一人の主婦(もちろん人形です)が、炊事洗濯などの家事に追われつつ、子供の世話もしなければならず、そこに夫の両親が同居していて、姑には「ご飯はまだか?」と催促されたり嫌味を言われたり、また舅は寝たきりで、おかゆを食べさせたり下の世話をしたり、その最中に姑が外で倒れて病院に運ばれたと連絡があり、ドタバタしているときに夫から電話が入り、「大事な書類を忘れてきたので会社に届けてくれ」と言う。「そんなことしてる場合じゃないわ!」と怒鳴って電話を切る。

というようなストーリーが展開されるのです。

人形の一挙一動もコミカルで見ていて楽しいし、セリフも面白い。それに突然挿入される歌も効果的でした。たとえば主婦がバカにされた時「♪バカにしないでよ~」という、山口百恵の「プレイバック2」の歌が流れてくる。

♪ 女はいつも待ってるなんて 坊や 
いったい何を教わってきたの 私だって疲れるわ ♪

この歌が、実にタイミングよく、今展開されている劇の内容とピッタリ。観客たちもその歌で胸がスカッとして笑いが飛び出す、というわけですね。

ほかにも、定年退職して家にいる亭主が、何もすることがなく、妻にいちいち「どこへ行くねん」「わしも連れて行ってくれ」「何をしに行くねん」「ついて行ってええか?」とうるさく付きまとう様子が、いかにもありそうで、面白い。「やめて。ついて来んといて!」と妻はイライラ。最後に「あ~あ。相手、まちごうたわ」と、ひとこと発して消えて行くところでも、観客席は大爆笑だった。

と、書けばキリがありませんが、とにかく思っていた以上に楽しい人形劇でした。いやまぁ「男はつらいよ」ではなく、「女はつらいよ」ですね~

一座の皆さん、ありがとうございました。
そして、人形の皆さんも、ありがとうございました~

 

 
    人形の皆さん(当日のパンフレットから)

 

 

 

 

 

 

 

 

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「アホの坂田」師匠とバッタリ

2017年05月20日 | ウォーク・自転車

坂田利夫という大阪のお笑い芸人がいますよね。現在76歳だそうですが、今でもたまにテレビに出て笑いを振りまいています。この人にちなんだ忘れられない笑い話が僕の若い頃にありました。今日はまずその話から始めたいと思います。

学生時代の友人に坂田という男がいました。下の名前は忘れましたが、利夫ではありません(笑)。彼は大阪府松原市に住んでいました。松原市といえば、僕が住んでいる藤井寺市の隣の市ですが、僕はその松原市役所に38年間勤めたので、今となれば、さまざまな思い出に満ちた町でもあります。

これは、僕がその市役所へ勤め始めた頃の話です。当時、坂田利夫は「アホの坂田」のギャグで、一躍人気が沸騰したころでした。

ある日、友人の坂田クンが松原駅前でパチンコをしていたら、館内放送が流れた。この時代は携帯電話がないので、パチンコへ行っている人に連絡する方法は、その店に電話をかけることだった。店はそれを受けて「〇〇の何々さん。お電話がかかっております。カウンターまでお越しください」という館内放送を流すのである。で、ある時、パチンコに興じていた坂田君が館内放送で呼び出されたのだ。放送で「アホの坂田さん、アホの坂田さん、お電話がかかっておりますのでカウンターまでお越しください」と流れたのである。(ほんまの話です)。

実を言うと、松原市には「阿保」という地名がある。市の中心地で、現に松原市役所の住所は「松原市阿保1丁目1番1号」である。当然その周辺は「阿保」であり、坂田クンが住んでいたのも阿保だった。だからパチンコ店で「阿保の坂田さん」と呼ばれたわけで、まあ例えてみれば「自由が丘の田中さん」というのと同じようなものなのである。

しかし店内のお客さんたちは「アホの坂田さん、お電話が…」という放送を聴いて「えっ?」と思っただろうなぁ。当の坂田クンは、その話を僕にした時、僕が大笑いすると、「笑いごとやないで、ほんまにぃ」と顔をしかめていた。まぁ、確かに本人にとっては笑い話では済まないのかもしれませんね~

と、そんな古い話を持ち出したのは、他でもありません。その「アホの坂田」さんに、先週の日曜日に、ばったり会ったのです。


    


前回のブログ「大阪の清水寺へ」の続きになるのですが

天王寺の清水寺の舞台や玉出の滝を見た後、四天王寺に向かって歩き始めたのですが、近くに母のお骨を納めている一心寺があるので、そこへ寄り、お線香を上げました。大勢の人でにぎわっている中を、境内のベンチに座って少し休憩したあと、さぁ戻ろうと門の方に歩いて行きました。そして門を出たところで、隣に黒い帽子をかぶったおっちゃんが女性と二人連れで歩いていました。ふとそのおっちゃんの顔を見たら、なんとあの坂田利夫さんそっくり。いや、間違いない。ご本人だ。

そう確信して、僕はおっちゃんの顔を覗き込んだ。お互いに目が合った。僕がニコッと笑うと、おっちゃんもニコっと笑顔を返した。そして「日曜日は、人でいっぱいでんなぁ」と僕に声をかけたのである。その声はまさしくテレビで「あ~りが~とさ~ん」とギャグを飛ばしていたあの坂田利夫師匠の声である。「そうですね~」と僕も再度、笑顔を返した。

顔もほっそりとし、体も華奢な感じだったけれど、いいお顔をされていたし、表情もとても優しくて、愛想もよかった。決して「営業用」の愛想ではなく、実際に優しい人なんだろうな、と想像できる。その横にひとり、女性がついていた。この人もニコニコと柔らかい表情を浮かべていた。坂田師匠は結婚はされていないので、これは妹さんかそれに近い身内の人なのだろうか。僕は立ち止まって、記念にと思い、師匠と女性の後姿をスマホで撮影した。


 
黒の帽子、黒のパーカー、黒のパンツの坂田師匠。
ほっそりとしておられたが、なかなか気品の漂う人だった。


道路に出るとタクシーが待っていて、坂田師匠と女性はそこに乗り込んだ。僕はその近くの道路わきに立ち、信号待ちをしていた。そこへタクシーが発進して目の前に来たので、僕は思い切り手を振った。すると、車の中の坂田師匠も女性の方も、窓越しに、僕に向かって会釈しながら満面の笑顔で大きく手を振ってくれた。

今度テレビで坂田師匠が出てきたら、きっと僕は画面に向かって「いよっ、師匠!」と声をかけることでしょう。最近あまりテレビには出られていませんけど、お元気そうだったので、ぜひ出てきてほしいものです。

 

 

 

 

 

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大阪の 「清水寺」 へ

2017年05月18日 | ウォーク・自転車

14日の日曜日に五ツ木の模擬テストがあったので、モミィに付き添って、3人で出かけました。今回の会場は、大阪四天王寺の境内にある四天王寺学園。試験時間は午前8時半から12時までで、その間、妻は「保護者控室」で待機し、僕は学校を出て周辺を散策することにしました。まあ周辺を散策というよりは、実は行きたい場所があったのです。

その場所と言うのは、天王寺にある清水(きよみず)寺でした。

そうです。先日もブログに書いた京都の清水寺と同じ名のお寺が、実は大阪にもあったのです。このブログにコメントをくださっているちひろさんから、去年に教えてもらって初めて知りました。

大阪の天王寺区には上町台地と呼ばれる台地があって、多くの坂があります。そのうち「天王寺七坂」と言われる7つの坂があること、そしてその七坂を題材にした有栖川有栖さんの「幻坂」という短編小説集があることも、ちひろさんに教えてもらいました。そこで、僕も「幻坂」を読んだり、天王寺七坂を歩いたりしたのが去年の6月のことでした。

その七坂の一つが清水坂で、坂を上りきったところに「清水寺」があります。去年歩いたときは、お寺の横を通っただけでしたが、先日のちひろさんのコメントで「舞台」があることも知ったので、その日、モミィの試験場の四天王寺から近いその清水寺をぜひ訪ねてみようと思ったのです。

 
 

  

天王寺七坂のマップです。左が北になりますが、このマップのほぼ真ん中に清水坂があり、その右側に「玉出の滝」と「清水の舞台」とありますが、そこが清水寺です。その右に安居神社とあるのが、真田幸村が討ち死にしたと言われる場所で、さらにその右側に僕の母親のお骨を納めた一心寺があります。

 


  
天王寺七坂を題材にした有栖川有栖さんの連作集「幻坂」。
その第一章に「清水坂」が出てきます。

 

 
ここが清水坂。

坂を上がったところにこんな立て札が。


   

 

そして清水寺へ。 

 


 

この清水寺は正式には「有栖山清光院清水寺」というそうなのですが、以前は有栖寺と呼ばれていたそうです。といっても、有栖川有栖さんとは関係がありません。念のため。

その昔、京都の清水さんから千手観音をいただいたことで、名を清水寺に改められたということです。お寺が高台にあるので、本家を真似して「舞台」を造り、さらに境内に「音羽の滝」とそっくり同じ形の滝をこしらえて、大阪版清水寺ができたということが、「幻坂」に書かれています。


 

お寺に入るとお墓が並んでいます。
その向こうの突き当りが「清水の舞台」です。


 

舞台から大阪の街が一望できます。左の方に通天閣が見えますね。
昔はこのすぐ下まで海で、ここから眺める夕陽が美しかったとか。
このあたりは「夕陽丘」というのですが、地名はそこから来たそうです。


 

舞台から下へ降りると、「玉出の滝」がありました。
先日、京都・清水寺の音羽の滝へ行ったばかりですが、
この玉出の滝も、音羽の滝を模したものです。
筧(かけい)が3本突き出していて、
水がちょろちょろと流れ落ちています。


こちらが本家、京都・清水寺の音羽の滝です。
本当によく似ていますよね~

  


京都の清水寺の舞台や音羽の滝は観光客でごったがえしていますが、こちらの「清水寺」は、舞台も滝も、ひっそりとして、人影はありませんでした。


 

ということで、この「西門」を出て、清水寺を後にしました。


今ごろモミィは、模擬テストの真っ最中で頭をひねっているんだろうなぁ、なんて思いながら、暑い日差しの中を、またぶらぶらと、四天王寺の方に歩いて行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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華麗なる?週末

2017年05月15日 | 日常のいろいろなこと

先週末の13日(土)は午前と午後に別々の予定が入っていた。

午前は、モミィが、本人の強い希望でエレクトーン教室へ再び通うことになり、その第1回目の日だった。

エレクトーンはモミィが幼稚園の頃からヤマハ音楽教室に通っていたが、数年前に塾などで時間が取れなくなり、退会した。が、友だちが家に遊びに来た時に弾いて聞かせたりして、自分なりに続けていた。そして、以前習っていた先生には、その後、行楽地に連れて行ってもらったりして、とても可愛がってもらっていたこともあり、最近また「習いたい」と言い始めたのである。そこで、その先生のご都合を伺い、毎週土曜日の午前10時から、隣接している羽曳野市にある会館で行われているレッスンを受けることになった。で、この日が最初の日だったわけ。場所が少し家から離れているので、これから毎回僕が付き添っていくことにした。

第1回目のレッスンが終わり、帰宅して、午後からモミィは妻に連れられて歯医者の定期健診に行った。僕は僕で別の予定があった。その予定とは

以前勤めていた頃からの知人女性が立ち上げた人形劇一座が、この度20周年を迎え、その記念公演を行うことになったとのことで、先月にその公演の案内状と手紙が送られてきた。人形劇といっても、大人向けのものだというので、どんなものか興味はあった。知人女性とも長い間会っていないので、一度行ってみようと決めた。 


 
 手紙と一緒に送っていただいた案内状の一部です。

そんなことで、午後からひとりで電車に乗って、松原の駅前にある「ゆめニティプラザ」というところへ向かった。

準急に乗ったら5分ぐらいで松原駅に着くのだが、その時、これまで何度も見ている案内状と手紙をもう一度開いてみた。そして僕は、ガク然としたのである。

案内状の日時を見てみると、5月20日(土)と書いてあったのだ。
なんだって! わが目を疑った。今日じゃなくて来週! ???
驚きのあまり、座っていた電車の座席から転げ落ちそうになった。

重ねて言うが、僕はこの案内状を何度も「確認」している。だが、封を開けて最初に見た時、なぜか13日の土曜日だと思い込んだに違いない。なぜなら、それ以降、何度か案内状を確認したが、それは「14時開演、13時30分開場」という部分ばかりを見ていたからだ。その前に公演期日が書いてあるにもかかわらず、僕はそちらを見ず、時間ばかりに気を取られていたのだと思う。特に「13時30分開場」の部分を見て「この時間に行けばいいんだな」と何度も自分に言い聞かせていたのだ。期日はもうてっきり13日だと思い込んでしまっていたのである。

「ありゃぁ、なんということ!」
ガッカリしながら松原駅で降りて、やっているはずもないのに、駅前の「ゆめニティプラザ」へ行ってみたが、もちろん人形劇はやっていない。

なぜ13日だと思ったんだろう。あ、そうか、スマホの予定表に1週間間違えて書き込んでしまったのか。そう思ってスマホを確認したら、なんとまぁ、その予定表にも20日のところに「人形劇」と書き込まれていた。ということは、自分で書き込んだ予定表すら確認していなかったことになる。

う~む。ボケとるなぁ。自分でも自分がわけわからん。これも年のせい?

むかし、スティーブ・マックインの「華麗なる週末」という映画があったけれど、僕のこの週末のボケボケぶりは、「加齢なる週末」とでも言うほかない、
と、へなへなとその場に崩れそうになったのでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ノンアルコールを15本??

2017年05月12日 | 雑記

東京ディズニーシーで「ニモ」がオープンしたことが、さっそく今朝のニュースで詳しく報じられていました。

 

東京ディズニーシーがニモだらけ!
新アトラクションに大興奮!
という字幕が右上に出ています。
タコやドリーのキャップを被ったファンたちが映っています。


ところで、ありきたりな感想ですが
毎日ホントにいろんなニュースが流れますね~
中にはワケのわからないニュースも結構あります。

数日前にはこんなニュースが ↓

10日未明、福岡市博多区で、軽乗用車とワンボックスカーが衝突しました。ワンボックスカーには男性と4歳の娘が乗っていましたが、命に別状はありません。 横転した軽乗用車にいた白男川亜弥容疑者(23)は基準値の4倍近いアルコールが検出され、酒気帯び運転の疑いで現行犯逮捕されました。「店で友人とノンアルコールビールは15本飲んだ」と容疑を否認しています。警察は、白男川容疑者の車が対向車線にはみ出して衝突したとみて調べています。

というもの。
えっ? ノンアルコールを15本だって?

見ていたワイドショーでは、男性アナがその話をそのまま受けて、
「ノンアルコールビールでも、微量のアルコールが含まれていることもあり、最大0.9パーセント含まれています。だとしたら、それを15本飲んだら、普通のビールを〇〇ml(数字は忘れました)飲んだのと同じで、基準値を超えるアルコールが検出されても不思議ではありませんよね」
な~んて言ってた。

そういう解説を聞きたいのではない。

ごく普通の感覚を持つ人であれば、「店でノンアルコールビールを15本飲んだ」という不自然さに、まず首をかしげるのでは。

「15本飲んだらアルコールも検出されることがあります」という解説よりも、23歳の女性が店でノンアルコールビールを、本当に15本も飲んだのか、ということのほうに関心が向く。

飲めるわけないでしょ、ノンアルコールを15本も。
と、わたくし「のん」は思うんですけどね。

1本がどれだけの量か知らないけれど、普通で考えたら350mlぐらいと思われる。それを15本ですよ。じゅうごほん! 飲めますか? 本物のビールなら、大酒飲みであれば(僕のことじゃありませんよ)、それぐらいは行くかも知れないけれど、ノンアルコールを15本というのは、ちょっと考えにくい。

基準値の4倍近いアルコールが検出されたのだから、ノンではなく本物のアルコールを何本か飲んでいた可能性も高い。その店に聞いたらすぐわかる話なのだが、マスコミの報道にはそういうことは全く触れられていない。

この程度の事故ならワイドショーなんかで取り上げられないはずだが、容疑者が「ノンアルコールを15本」というようなことを供述するからニュースになり、テレビで報じられ、ネットでも話題になってしまうわけなんですよね。

ネットには、容疑者である白男川(しらおがわ)亜弥という女性のフェイスブックでの顔写真も出回っています。

ところで、白男川というのは、ちょっと変わった苗字ですね。何となく大相撲の親方のような名前です。白男川親方、みたいなね。

そういえば、むかしむかし、お相撲さんで男女ノ川(みなのがわ)という名の横綱がいたことを思い出しました。あまり強くない横綱みたいでしたが、もちろんこの白男川という女性とは関係ないんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

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東京ディズニーシーで 「ニモ」 がオープン

2017年05月11日 | 雑記

明日5月12日、東京ディズニーシーで「ニモ&フレンズ・シーライダー」という新しいアトラクションがオープンするそうです。


   

人気のディズニー映画「ファインディング・ニモ」と「ファインディング・ドリー」の世界を舞台に、「シーライダー」という潜水艦に乗って、ニモやドリーたちと一緒に海底の世界を冒険するというアトラクションだそうです。

突然、なぜこんな話題を持ち出したかと言いますと

去年の12月にロサンゼルスへ旅行した時、ディズニーランドへ行きました。

でもね~。そこは、東京のそれに比べると全体にスケールが小さく、建物も古くて、ディズニーランドの「本場」というよりも「古くなってしまった老舗」という感じでした。そりゃまぁ、後から出来たものの方がどんどん規模も大きくなり、アトラクションの内容も進化して行くのは当然ですけどね。

正直言って、ロスのディズニーランドへ入場したとたん、「えっ、こんな狭くて古めかしいの?」と驚いたことを覚えています。ただ、お客さんの数はめちゃ多かったですけど。

で、その時のお話ですが。

事前にガイドブックを調べて、まず最初に、東京にはないアトラクションを体験してみようということで、妻とモミィが選んだのが「ファイティング・ニモ・サブマリン・ヴォヤッジ」というもの。場所はトゥモローランドでした。

これが、いまから思えば、明日、東京ディズニーシーにオープンするアトラクション「ニモ&フレンズ・シーライダー」の原型だったのですね。

僕たちはその時、真っ先にそこへ向かいました。


 

やがて、大きな池の前にたどり着きました。


 

黄色い潜水艦が浮かんでいます。
(これぞビートルズの『イエロー・サブマリン』?)

その潜水艦の船底に入り、窓から海底の様子を見る、という趣向です。潜水艦は数台ありましたが、小人数しか乗れず、そのため大勢の人たちが並んでいて、順番が来るまで、1時間以上も並んで待ちました。

 

 

やっと順番が来て、潜水艦に乗り込み、出発を待ちます。

船が動き出すと、丸い窓から「海」が見え、
海底のいろんな風景が見えます。
 


 

 


 

本当に海の底を散歩しているような気になります。


 
潜水服の人の姿が見えます。 

そこへ、今度はアニメの映像が 


 
 

撮影しましたが、これではよくわかりませんよね。
まあ、イメージとしてはこういうものです
 
(これはドリーですね。あくまでもイメージです)

    

ここからニモやドリー、そしてその仲間たちの冒険が始まります。
 

不十分な説明で申し訳なかったですが、モミィは大いに楽しんでいたようです。僕たちも「夢の国」に来た感触を楽しむことができました。


 

ニモやドリーたちの冒険が終わり、「潜水艦」から上がって来るモミィ。
上機嫌でした~
 

 

ちなみに明日東京でオープンする「ニモ」については、こちらをどうぞ。

http://www.tokyodisneyresort.jp/special/searider/ 

 

この新アトラクションは、
映像とライドシステムの動きを融合させることにより、映画で描かれた海底の世界を体験できる屋内型アトラクション。
というものなんだそうです。

キャビン(船室)に見立てたスタジオに大きなスクリーンがあって、お客さんはそれを見るのだと思います。2キャビンあって、1キャビン122名収容できるということなので、かなり広いですね。投資額は50億円とか。

僕たちが体験した「ニモ」に比べると、東京の新しい「ニモ」は、ケタ外れのスケールだなぁと想像がつきます。ロスの「ニモ」は、それだけ素朴でシンプルだったということでしょう。ただ、実際に潜水艦に乗って船底から窓をのぞくので、そのぶん臨場感はありましたけど。

この次に東京ディズニーシーへ行った時は、ぜひこの「ニモ&フレンズ・シーライダー」へ行ってみたいと思っています。

もし、行くことがあればの話ですけどね。


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

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京都・清水寺へ行ったけれど…

2017年05月09日 | 旅行

 

  

翌日の朝、ホテルを出るところです。ホテルは五条通に面しており、
そこを、清水寺に向かってそのまま東へ東へ歩いて行きます。
 


 
  五条通。今日はとてもいいお天気です。  

 

五条通が東大路通と交差するところで、細い道に入りました。
この辺に来ると、観光客がどど~っと増えてきました。
正面の上のほうに、清水寺の三重塔が見えます。


 
お寺へ到着。
右端に少し屋根が写っているのが、拝観券の売り場。
正面が「清水の舞台」で有名な本堂への入口です。
 

 

         
              
拝観券の表と裏です。裏のほうには、
「松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は すゞしかるらん」
という和歌が印字され、その下に、
「観音様を心に念ずれば、観音様はあなたと共に歩まれます」
と書かれていました。


 

 

ところで、清水寺は現在も改修工事中でした。
実は去年の4月、桜が満開だった頃にもここへ来たのですが、
その時も工事中の様子だったので本堂には入りませんでした。
で、もう工事も終わっているかなと思って来たのですけどね~

ま、仕方ありませんわね。
上の写真の右側、足場が組まれているところが本堂から張り出した「清水の舞台」です。ちょうど4階建てのビルの高さにあたるそうです。足場の間から
真下を眺めると、高所恐怖症の僕は、やはり怖いです。モミィも「わっ、コワいな」と言っておりました。

そして、奥の院のほうへ行き、そこから撮った「舞台」の写真がこれです。
 

 

本来はこういう形なんですけどね  ↓

 
         (ネットから拝借)

  

 

それでもカメラを左に向けると、ここからの眺望は最高です。
京都タワーも見えていますし。


石段を下りると「音羽の滝」があります。音羽山中から湧く霊泉が、3本の筧(かけい)から流れ落ちており、ご利益を授かるため大勢の人たちが並んでいました。清水寺の名は、音羽の滝の「清い水」から由来したものと言われています。

 

 
  音羽の滝。 

 

ここには何度も来ていますが、音羽の滝にこれほどの人が並んでいるのを見たのは初めてです。さすがゴールデンウィーク!

 

 

お寺を出ると、参道は人・人・人。
モミィはまた土産物屋さんに入りまくりでした。

 

そして、

 

清水寺から八坂の塔、ねねの高台寺などを通って、八坂神社へ。

ここを最後に、四条通を歩いて阪急・四条河原町駅に戻りました。

その途中、こんな観光バスを見ました。
こういうバスが京都市内を走っているのですね~
知らなかったです。
 

 

 

 

ところで、帰ってから清水寺の工事についてネットで調べると

「清水寺修復プロジェクト全体の工期は11年間の予定ですから、2021年頃には美しく修復された本堂が見られる筈です」とのことだった。2021年とは! まだ4年も先のことではないか。

ということは、清水寺の工事は2010年頃から始まっていたわけ? いくつもの建物があるので全体を修復するのに11年もかかるということでしょうね。そして、本堂の工事は今年始まったばかりだということでした。それなら去年に来た時は別の建物の工事中だったのですね。そんなこと、知らなかったもんね。

じゃぁ去年、本堂に入ればよかったんだと思ってもあとの祭りですわん。

 

 

 

 

 

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ゴールデンウィークは おまけつき

2017年05月08日 | 日常のいろいろなこと

ゴールデンウィークも昨日で終わりましたね。
3日から昨日の7日まで、5連休の方も多かったと思いますが、僕は3日に病院へ駆け込んで、4日と5日は家で過ごし、6日はモミィが志望する私立中学のひとつである大阪女学院でオープンキャンパス(体験授業)があったので、それに付き添ったりしました。

ニュースの特集番組で、この連休をどう過ごしたか、というアンケート調査が行われていました。ベスト10の上位は、実家帰り、宿泊旅行や日帰りのお出かけ、外食、買い物、等々で占められていましたが、最も多かったのは何だったと思われます?

連休をどう過ごしたかの第1位は

ジャジャジャジャーン!

「家でゆっくりしていました」
だったのです。

「出前を取って、テレビばっか見てました」
「ピザを配達してもらって、家でゴロゴロしていました」

実際、この連休はピザ屋さんなどは配達で大忙しだったそうです。

な~るほどねぇ。わかります、わかります。

普段は仕事などで目が回るほど忙しい人たちは、連休ぐらい家でのんびりと過ごしたい、ということなんでしょう(ま、独身の人が多かったようですが)。

一方では僕みたいに、ず~っとこの先「死ぬまで連休」の人間は、ゴールデンウィークだからといって、別にどうということもないですけど。あはは。こんな言い方、身もフタもありませんが。

そしてモミィも今日から学校が始まる! 

と思ったら、そうではなく、今日も学校は休みなのです。「創立記念日」なんだそうです。やれやれ、今日からまた学校へ行ってくれるので静かになるわ~と思っていたのですが、こんな「おまけ」がついていたとはねぇ。

ところで、モミィが通う小学校は、うちの息子たち(つまりモミィのパパたち)も通った学校なので、その当時から5月8日が創立記念日だったんでしょうね(当たり前やがな)。

それを巡ってモミィのパパである長男がこんな疑問を口にしていました。

5月8日が学校の創立日だとしたら、その日から学校が始まったということになるよね。学校は4月から新学期が始まるのに、じゃぁそれまでの間、児童はどこにいたのか? 5月8日に突如たくさんの児童たちがどこから現れたのか? 別の近くの小学校で待機していたのか

不思議やなぁ…と長男がブツブツつぶやいておりました。

そんなことで(どんなことでや?)

今日がモミィのゴールデンウィークの最終日となります。

今日からお仕事や学校に行かれる皆さんは、また頑張ってくださ~い。 

 

 

 

 

 

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京都へ ~その1~

2017年05月07日 | 旅行

さて話題は不整脈からコロッと変わり、先日の京都1泊旅行のことです。

朝9時に家を出て、電車を乗り継いで大阪駅に着いた僕たちは、すぐに阪急電車で京都へ行くことにしていました。が、ちょうど2日前に「阪急三番街」がリニューアルしたということで、テレビでも大々的に宣伝していたこともあり、ちょっと寄ってみることに。ついでに昼食もそこでとった後、昼を過ぎてから阪急電車の特急に乗りました。

終点の四条河原町駅には40数分で到着です。

そこから八坂神社のほうに歩きはじめました。 

  

モミィはさっそく沿道の土産物屋さんに入ります。
とにかくお店が大好きなモミィなので。


 

特にモミィは「おたべ」と「こたべ」が大好き。
早くもこのお店で、自分のおやつ用に「こたべ」を買っておりました。


 

鴨川の橋を渡り、八坂神社に近づいて行きますが…

その時、急に雨が降り出しました。

天気予報でも「午後・一時雨」というか、それも大雨で、雷なども予想されるほどの荒れる天候になるかも、と言われていたので、ある程度覚悟はしていたのですが、風も強くなり、これは大荒れになるかも知れないと思って、Uターンしてあわてて元の道を引き返しました。

四条河原町に戻り、どうしたものかと迷っていたら目の前に京都駅行きのバスが来たので、それに乗ってJR京都駅に行きました。ここなら広い地下街もあり、モミィの好きな土産物店もたくさんあるので、雨でも関係なく楽しめますものね。

 


    

そこでしばらくうろうろしていたら、やがて雨も止んだようで。 

明るくなってきたので、ここから五条通にあるホテルまで歩くことにしました。 

京都駅からホテルまで、遠回りしてかなりの距離がありましたが、3人とも歩くことは好きなので、街歩きを楽しめました。いやぁ、雨が止んでよかった~。

 


 
  

途中、三十三間堂の横の道を通りました。中には入ってませんけど。

ということで、1日はあっという間に終わってしまいました。 

ホテルは京阪の清水五条駅に近い「秀峰閣」というホテル。こじんまりとしていますが、サービスがとても良く、食事も質量とも豊富でした。
 

  

まずこの九種が出て、そのあと、お造り、板屋貝の茶碗蒸し、桜海老と春野菜のかき揚げ、筍ご飯などに加えて、大きな鍋(鴨鍋)も出て、全部は食べきれなかったです。

また体重が、増えそう。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

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“頻脈” はひとまず落着

2017年05月05日 | 心と体と健康と

おとといの5月3日、異常に速い脈拍数が午後になっても収まる気配なく、前日朝から数えて30時間以上という、かつてない長時間の症状が続いていた。これにはホントに戸惑った。

しかし自覚症状としてはそれほど息苦しくもなく、自然に収まるものならこのまま放置してもいいか、という程度の症状だった。で、病院へ行くかどうか、午前中はグズグズと迷っていたけれど、やはり気になるので行った方がいいだろうと、去年まで8年間通っていた松原の徳洲会病院へ足を運んだ。

ここは1年中、24時間いつでも診てくれるので、ありがたい。この日も憲法記念日の祝日だったけれど、病院の玄関は開いたままだったし、中はひっそりとはしていたが、外来の患者さんの姿も何人か見受けられた。

前もって電話はしていたのだが、受付で改めて症状を説明し、診察場所の案内を受けた。不整脈は分野から言えば循環器科だが、今日は内科の先生しかおられない、ということでそちらへ行くと、まず心電図の検査から始められた。

「トントントン」と大きな音が響くが、これが僕の今の脈拍の状態で、やはり脈打つ音は速い。相変わらず120前後のようで、1秒間に「トントン」と2回打つ勘定だ。心電図検査が終わると、診察室に呼ばれた。若い女医さんだった。

心電図の結果を前に、いくつかのやりとりを交わしたあと、医師は、どれだけの量の薬をどんなふうに飲んでいるのか、ということを中心に質問し、僕は「最近、薬の量を1日2錠から3錠に増やしているんですけどね」と答える。医師は「薬が効かなくなってきている傾向もあるようですし、他の薬との飲み合わせの問題もあるので、循環器科の先生と相談されたほうがいいですね」ということだった。「ではこれから脈拍を正常に戻すための点滴をします」ということで診察は終わった。

そのあと、別室へ行き、検査台に仰向けに寝て、点滴を受けた。同時に、先ほどと同様、心電図の検査もした。点滴を受けながら、胸と両手首、両足首に電極を取り付けられて、「トントントン」という自分の脈拍の音を聴きながら、ほとんど身動きのできない状態で、目を閉じた。

やれやれ。今年は、元日早々に休日急病診療所でインフルエンザを宣告されるわ、このゴールデンウィークには不整脈で病院に駆け込むわ…

よりによって日本中が祝祭気分になる時期に、自分はこのていたらく。

駄目やなぁ。

な~んてことを思いながら点滴を受けているうちに眠くなって、うつらうつら。1時間くらい経っただろうか。ふと気がつくと、「トントントン」の音が遅くなっていた。そこに看護師さんがやって来て「収まったようですね」とニッコリ。「あ、そうですね」と僕。

よかった~

こういう時、看護師さんの姿が天使に見える。
『白衣の天使』という言葉そのままですよね。

さて、調子がスッキリと戻り、満たされた気分で病院から出て家路についた。モミィと妻は今ごろアベノの映画館で「美女と野獣」を見ているのだろう。

よしよし。これで、夜は心置きなくビールが飲めるぞ。
な~んて、ことを考えている「懲りない私」がそこにいました。

先ほどの女医さんが「他の薬との飲み合わせの問題もあるので…」と言ってくれましたが、不整脈の原因は、「他の薬との飲み合わせ」よりも「ビールとの飲み合わせ」のほうがもっとモンダイなんだよ! という声が、どこからか聞こえてきそうですけどね。

 

 

 

 

 

 

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