僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

旗持ち当番 秋景色

2016年10月29日 | 日常のいろいろなこと

先日は、モミィの通学路での旗当番だった。
旗当番とは、小学生の通学路の交差点などで、
保護者たち2~3人が交通安全の旗を持って立つもので、
それぞれに指定された場所へ行くというPTAの活動の一つだが、
時間的に、ちょうどモミィが家を出る前なので、妻は慌ただしい。
そこでわが家では、旗当番には、毎回、僕が行くことにしている。

といっても、頻繁にあるわけではなく、年に数回しか回ってこない。
場所はうちの場合、自宅から歩いて5分ぐらいの信号機のある所だ。

去年…つまりモミィが小学4年生までは、2学年上の児童のお母さんが、
旗を預かってくれていて、僕は手ぶらでその場所へ行けばいいだけで、
あとは、そのお母さんから旗を渡され、お互いが、横断歩道の両側に立って、
終わったら旗をそのお母さんに返し「お世話になりました」と言って別れる。

しかし、モミィが5年生になったら、そこの子は卒業したので、
今回からは、僕のところが旗をPTAから預かる立場となった。
新しく一緒に立ってくれる人は、名簿を見ると2年生の保護者だった。
これからモミィの卒業までは、旗を預かって相手に渡す役になるのだ。

そんなことで、今回はPTAの役員の方から電話があって、妻が出向き、
旗と警備員風の黄色のベスト(着ませんけどね)と名簿を預かってきた。

 


 
  さぁ、この旗とベストと名簿の入った袋を持って、
  いざ旗持ちの出陣じゃぁ~!(「真田丸」か?)


先に場所へ行って立っていると、やがてもう1人の旗持ちさんが来た。
2年生の児童のお母さんで、初対面の方である。
「おはようございます」と挨拶を交わして旗を渡し、
お互いにその旗を持って、道路を挟んで立った。

そこを通って登校する児童たちは、そう多い数ではなく、
しかも集団でやって来る場合が多く、そんなに忙しくはない。
旗を持って、信号の下で立っているだけ…という時間が長い。

で、児童たちの姿が見えると「来た来た」と気合を入れる。
もちろん、児童たちの中には、モミィもいる。
仲良しのモモちゃんといっしょに歩いて来る。
モミィとモモちゃんが、僕に手を振りながら、
目の前を通り過ぎて行く。
「行ってらっしゃ~い」
これはどの子にも言いますけど。

さて、旗持ちと言っても、信号が青に変わったら、
「は~い、気をつけて」と言いながら横断歩道へ出て、
車を遮るように旗を出して児童たちを行かせるだけである。
当然、車の側も、信号が赤なのだから、停まっている。
旗持ちがいても、いなくても、停まっているわけで…。
ま、そんなこと言ったらミもフタもありませんけどね。
緊張感を持って、
児童の安全に集中しなければね~。

いちおう、旗持ちのことが書かれているPTA作成文書には、
立つ時間は、午前7時45分から8時15分まで、ということになっている。

しかし、8時を過ぎると児童もほとんど行ってしまって、
僕たちも立っているだけの状態になる。
向こう側に立っているお母さんが、
「う~ん、もう誰も来ないなぁ~」
という表情をされていた(…ように見えた)。

そこで僕は信号を渡り、そのお母さんに、
「僕が残りますから、先にお帰りください」
と言って、旗を受け取り、彼女を見送った。
「ありがとうございます。では、お先に…」

だいたい、主婦の人はこの時間帯は何かとお忙しいはずである。
ひょっとしたら、どこかに勤めておられるのかも知れないしね。

その点、僕はヒマだから、どうということはありません。
いちおう、規定の8時15分まで、旗を持って立っている。
もう児童たちは誰も来ない。一人も来ない。
それでも、旗を持って立っている僕である。

近くに「帝国」という警備会社がある関係で、
警備員のおじさんたちが信号を渡って行くのだが、
僕の姿を見ると、必ず「おはようございます」
と丁寧に一礼して、通り過ぎて行かれる。

この警備員さんたちが横断する時、旗を出して
「は~い、気をつけて渡ってね」と言ったら、
きっと笑われるでしょうね~(アホやがな)。

そんなしょうむないことを考えたりしながら、
時間が来るまでポツンと立っているのだが、
旗を持ちながら退屈している自分を思うと、

ふと…

「旗持ち退屈男」

…という、古い古い昔の映画の題名を思い出すのである。

え…? 違う…? 違いますか…?

あ、そうですね。違いました。正しくは…


  


あぁ、「旗本退屈男」でした~。

(なんのこっちゃ)

えへへ。

ということで…

以上、本日のブログは

「旗持ち退屈話」でございました。

(もうええわ!)

 

 

 

 

 

 

 

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英検3級の結果は……でした

2016年10月27日 | モミィの成長日記

今回、2度目のチャレンジとなったモミィの英検3級。
先ごろその一次試験の結果がネットで発表されました。
さて、どうだったか…

…と気を持たすような言い方はやめて、さっそく報告です。

結果は、不合格でした。
6月の1回目に続いて、この2回目もまた不合格! 

「合否は…微妙です」
と、前回の英検に関するブログに書きましたけど…。

日本英語検定協会の合否判定方法は複雑なので説明しにくいですが、
3級の合格スコアは、746点以上ということになっています。
今回のモミィのスコアは、726点で、ホント、あと一歩でした。

問題数が、筆記とリスニングを合わせて65問だったのですが、
746点にあと20点及ばなかった…ということは、
モミィの正解数があと2つ多かったら合格だった、
…というふうに考えられます。

でもね。
残念なことは残念でしたが、
まだまだモミィの英語の基礎力は不十分なので、
今回の結果も納得しなければならないと思います。

モミィはかなり悔しがっていましたが、これも実力のうち。
「失敗は成功のもと…やからねぇ」と言い聞かせています。
そうです。人生はね、つまずかなければ成長しないのです。
…ま、僕はつまずくばかりで成長してませんけど。トホホ。

3級と言えば、レベルは中学3年生終了時までの英語力です。
現在完了形や受動態、比較級、動詞の過去分詞などが出ます。
それぞれ、モミィもまだよく理解できていない面もあります。
次の英検まで、しっかりと単語力や文法力を磨かなければね。

ところで、数日前の新聞に載っていたことですが、日本英語検定協会の発表で、
来年度から、英検の準2級と3級にライティングテストが導入されるとのこと。
これまでは、1級、準1級、2級まではライティングが入っていたのですが、
来年6月の試験から、準2級と3級にもライティングが入るのだそうです。
ライティング…つまり英語を書くのは、今のところモミィの苦手一つです。

そのためにも、この年度内(次は1月下旬)の、
ライティングが導入される前の英語検定試験で、
なんとか、3級に合格しておかなければね~♪

 

 

 

 

 

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太融寺の芭蕉の句碑

2016年10月25日 | ウォーク・自転車

前々回、太融寺の記事の中で、書き残していたことがありました。
同じ太融寺の境内に、芭蕉の句碑があったのです。
「おいおい、忘れるなよ」という声が聞えてきそうです(笑)

淀殿のお墓は、お寺の正門から入ってすぐ左に曲がり、
さらに左に曲がったところ…お寺の隅の方になるわけですが、
そういう場所に、お墓がひっそりと佇んでいるという印象でした。
案内の札がなければ、探しまわらなければならないでしょうね。

しかし、芭蕉の句碑は、まっすぐに本堂のほうへ行くと、
自然にそこに行きあたる…という目立つ場所にありました。


    
  しら菊の 目に立てて見る 塵もなし

白菊の花は心から純白で、
よく目をこらして見ても
一片の塵もない清らかさをもっている。

…と、解説書には書かれています。

この句は、芭蕉が元禄7年(1694年)9月29日に、
大阪の女流門弟の斯波園女(しば そのめ)の招待をうけて、
北浜にあったと言われる園女亭という所でよんだ句だそうです。
招待主の斯波園女という女性を、目の前にあった白菊に託し、
その清楚な人柄を讃えた句である…と、伝えられています。

この女性も、芭蕉に称賛され、
それが後世に残り、幸せですよね

この句が読まれた約2週間後(10月12日)、芭蕉は、
「終焉の地」で書いたように、南御堂で亡くなっています。

芭蕉にとっては、これが最後の句会となったわけです。

淀殿の墓を見るために行った太融寺で、
思いがけず芭蕉の句碑に出会えたことは幸運でした。

芭蕉の句碑は全国各地に数多く建てられていますし、
大阪府内にも数え切れないほどありますが、
やはり、こういう出会いは嬉しいものです。

 

 

 

 

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鳥取・倉吉のこと

2016年10月24日 | 思い出すこと

鳥取県で最大震度6弱の大きな地震が起きてから数日が経つ。
その後も震度1以上の揺れを観測した地震は、
今朝のニュースでは200回前後に及ぶという。
被災地の皆さんの不安はまだ続きそうである。

地震が起きた時、僕のスマホでも警報がけたたましく鳴った。
テレビでは「ミヤネ屋」がかかっていたが、
「あ、今揺れました!」と司会の宮根が声を上げた。

僕たちの場所は震度2で済んだけれど…

最も大きな揺れが観測されたのが鳥取県の倉吉だった。

倉吉…といえば、この夏休みに家族旅行したばかりである。
行ったのは7月下旬だったけれど、旅行へ行くその前日に、
お隣の島根県で地震が発生して、少し怖かったのを思い出す。
そのころから、今回の地震の予兆があったのだろうか?

あの時は、倉吉駅へホテルのバスに迎えに来てもらい、
羽合温泉というところで2泊し、モミィも海水浴を楽しんだりした。
3日目には鳥取市内や砂丘を見物して、楽しい思い出となった。

その鳥取も、昨日の朝日新聞の1面に、
「鳥取 観光に打撃」と大きく書かれてあった。
地元の三朝温泉などのホテルはキャンセルが相次ぎ、
ホテルの人は、
「これからのカニの季節に打撃が大きい」と嘆く。

特産のナシの農家も大きな被害を受けたという。

復旧作業も大変なことだと思いますが、
一日も早く元に戻ることを祈るばかりです。

 

 

  

 
倉吉駅北側の「お倉」と「お吉」の像の前で(7月29日)

 

 

 

 

 

 


 

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淀殿の墓 ~太融寺~

2016年10月21日 | ウォーク・自転車

 

 
    NHK大河ドラマ「真田丸」の1シーン。
   淀殿(茶々)の、この言葉が印象的でした。


大阪駅の東側に阪急百貨店がある。

そこから東へ向いて扇町筋という道路が延びており、
そこを歩いて行くと、10分足らずのところに太融寺がある。
ここに淀殿のお墓があるということで、一度行きたいと思っていた。

ちょうどいい機会だった。

広い道路を歩いて行くと、やがて道の向こう側に太融寺が見えた。
こんな賑やかなビジネス街の中にお寺が建っているんだ。
しかもそこに、淀殿の墓があるとは

 
 太融寺が見えた。右側の筋に表門がある。

 

 
 ここです。ひっそりとした雰囲気でした。


そもそも、なぜ淀殿の墓が太融寺にあるのか…ということだが、

大坂夏の陣に敗れ自刃した淀君の遺骨は、
大阪城近くの鴫野(しぎの)神社というところに、
祠をつくって埋められたが、後に大阪城周辺に練兵場や軍需工場が
造られることになり、その際、遺骨がこの太融寺に移されたそうだ。
太融寺は、もともと豊臣家とは縁が深かったという。 

 

 
 中に入ると案内の立て札が…
 「真田丸」の影響で、観光客も多いのでしょうか。
 

 

 
 左へ曲がると、ありました!

 

   
その奥にお墓が…
最初は九輪の石塔を造り埋葬していたそうですが、
戦争で焼けたので、今は六輪になった…とのこと。

 

 

お墓のそばに藤見東陽という漢詩人の「弔碑」があります。

これだけでは僕などはまったく意味がわからないので、
その読み下し文を載せます。 

大坂の城樓(じょうろう)碧涯(へきがい)を壓(あっ)す
姉(いろね)は豊公の寵(ちょう)珠帷(しゅい)を縱(ほしいまま)にす
春花秋月(しゅんかしゅうげつ)君に依(よ)りて麗(うるわ)し
窈窕(ようちょう)嬋妍(せんけん)嗣(し)を抱(いだ)いて期(き)す
方廣(ほうこう)の鑄銘(ちゅうめい)姦智(かんち)の將(しょう)
紅蓮(ぐえん)の劫火(ごうか)憫憐(びんれん)の姫
今聞く鐘(かね)は愴(かな)し太融寺
墓石(ぼせき)香煙(こうえん)菊を供うるは誰(たれ)ぞや

むずかしいですけど、意味はぼんやりと分かるような気もします。

さて、大河ドラマ「真田丸」も、
いよいよ真田幸村が大阪城へ入城しましたね。
それが1614年の秋ですから、ここから冬の陣が始まり、
真田丸を築いて徳川勢を蹴散らすシーンなどが楽しみです。

そして翌年の5月7日、夏の陣で幸村は天王寺で戦死しますが、
その翌8日、大阪城が落城し、秀頼と淀殿は自害するのですね。

ドラマ「真田丸」の前回の放送の中で、
茶々と幸村が大阪城で再会するシーンがありました。

この2人は、以前、こういう会話を交わしていました。
幸村が大阪城を去る時、茶々がこう言ったのです。

「私と源次郎(幸村)は、不思議な糸で結ばれている気がします。
離れ離れになっても、あなたはいつかまた戻ってくる。
そして、私たちは同じ日に死ぬの」

そう言う茶々に、幸村は、
「遠い先であることを祈っております」
と返す。

そして先週は、2人が大阪城で再会したシーンで終わりました。

その後、幸村が戦死した翌日、大阪城が落城し、
淀殿は秀頼とともに自害した…

…ということで、
幸村と淀殿は、同じ日…ではなく、
1日違いで亡くなったわけですが…。

 

 

 

 

 

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御堂筋ウォーク 芭蕉終焉の地

2016年10月18日 | ウォーク・自転車

通天閣の下をくぐり抜けて、まっすぐ歩くと日本橋筋に出ます。
「でんでんタウン」と言われるように、電気店が並んでいます。
時間的に、人の数は少なかったですが…

 

「テレビゲーム館」には、
すでに開店を待つ人たちの行列が出来ていました。

 

そして日本橋筋から左折し、
さらに右折をすると千日前道具屋筋商店街に入ります。

  

ここは食品のサンプルや調理道具、
暖簾(のれん)など業務用の道具を扱う商店街です。

そこを抜けると、道が広くなって、なんばグランド花月の前に。

 

お客さんたちが入口に集まって記念写真を撮っていました。
玄関口に本日の出演者の名札がかかっており、そこには
中田カウス・ボタン、月亭八方、モンスターエンジン
中川家…などの名前が並んでいました。
僕はこの中では中川家が一番好きですけどね~

思えば子どもの頃、両親に連れられて、
よく「うめだ花月」や「なんば花月」へ行きました。
(今の「なんばグランド花月」の前身です)

中学生になったある日曜日に、父母が仕事に出ていたので、
一人で内緒で、うめだ花月へ行ったこともありました。
漫才や落語の好きな子どもだったんですね~
で、今もその影響が残っています(笑)

さて、そのまま歩くと道頓堀へ出ます。

  

 

 


道頓堀を右に曲がり、戎(えびす)橋をわたると心斎橋筋に出ます。

 

 
…と、まあ、ミナミの繁華街を歩いて、
心斎橋まで来た後、人が多くなってきたので、
すぐ横にある御堂筋に出て、梅田をめざしました。

 


御堂筋は、大阪の梅田から難波までの南北を貫く幹線道路ですが、

「御堂筋」という名称は、東西両本願寺別院の南御堂・北御堂が
この道路沿いに建っていることから名付けられたということです

その南御堂(東本願寺難波別院)のあたりに、
かつて花屋仁左衛門という人の屋敷があって、
ここが芭蕉の終焉の地となったということです。

資料によると、1694年(元禄7年)9月、
大阪に滞在していた芭蕉は、体調を崩し、
10月が近くなると、容態が悪化しはじめ、
10月12日、花屋仁左衛門という人の屋敷で、
51歳の生涯を終えたということです。

 僕が芭蕉のファンであることは、このブログの題名が
「僕のほそ道」であることで、おわかりかと思いますが、
このブログを始めた9年前に、芭蕉終焉地のことを書きました。

その当時に、芭蕉の碑の写真も撮ったので、
今回はそこへ寄り道はせず、スルーしました。

9年前の写真をもう一度、ここに掲載しておきます。

芭蕉の碑は、御堂筋の車線の分離帯に建っているので、
渋滞している車の間を縫って走って碑のところへ行き、
車の中からジロジロ見られる中、しゃがみこんで写真を撮りました。

それが、この写真です。
「此附近 芭蕉翁 終焉ノ地」とありますね。

 


次に、僕はカメラを手にしたまま信号を渡り、
南御堂の境内に入って行きました。
ここには、芭蕉の句碑があるのです。

 

  

本堂の南側にこじんまりとした庭園があり、
そこに、芭蕉の最後の句となった
「旅に病で ゆめは枯野をかけまはる ばせを」
の大きな句碑が建っていました。

一般には「…枯野をかけめぐる」と伝えられていますが、
ここの句碑には「…枯野をかけまはる」
と刻まれています。

 

 

句碑の手前にある立て札には、こう書かれていました。


芭蕉句碑

旅に病で ゆめは枯野をかけまはる ばせを

この句は芭蕉の臨終の句の一つで、この大阪の地で吟ぜら
れたものである。
芭蕉は元禄七年(1694)秋 伊賀から門人達に迎えられて
大阪に着いたが 滞在中に病気になり 養生のかいもなく
10
月12日この南御堂前で花を商う花屋仁左衛門の屋敷で
51歳を
一期として旅の生涯を閉じた。
この句碑は後世 天保の俳人達によって建てられたものである。
当南御堂では 芭蕉を偲んで毎年芭蕉忌勤修され法要の
盛大に句会が催されている。


南御堂

難波別院

…ということです。

今回は、その南御堂も横目で見ながら通り過ぎ、
御堂筋を北へ北へとテクテク。無事に梅田にたどり着きました。

 

 
このあと、梅田にある太融寺というお寺に行きました。
ここには、淀殿(茶々)のお墓があるということでした。
これまた大河ドラマ「真田丸」と関係の深い話です。

それは次回ということで…。次回ばかりで、すみませんね~

 

 


 

 

 

 

 

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「真田丸」クライマックスの舞台

2016年10月16日 | ウォーク・自転車

~ 天王寺から梅田まで ウォーキング ~

数日前、妻が大阪市内に住む姉に誘われ、2人で
「ジェイソン・ボーン」という映画を観に行った。
場所は梅田の「TOHOシネマズ」というところ。
朝一番の上映で、時間は9時半から11時45分まで。
映画が終わったらランチをするという。
で、僕にも「一緒にランチしましょう」
…と義姉からお誘いがあったので、
映画終了時刻に合わせて梅田に行くことにした。

その日は晴れたり曇ったりの天気で、日差しも強くなかった。
ウォーキングにはちょうどいいコンディションである。
「歩かなければもったいないほどの天候」だったので…

とりあえず電車で阿倍野まで出て、
そこから梅田まで、ウォーキングすることにした。

地下鉄御堂筋線の天王寺から梅田までの道のりである。
駅で言えば、天王寺→動物園前→大国町→難波→心斎橋→
本町→淀屋橋→梅田ということになるが、大した距離ではない。
普通に歩いて、2時間もあれば十分行ける距離である。

午前7時40分にモミィが家を出た後、妻が出かけた。
僕はその約30分後の8時半頃に家を出て、駅まで歩き、
電車で阿倍野へ行って、9時15分ごろから歩き始めた。 

まず、天王寺公園を通って新世界方面に向かう。
この天王寺公園の一角に茶臼山という丘があり、
大坂冬の陣ではここに徳川家康が本陣を置き、
大坂夏の陣では逆に真田幸村の拠点となった。
徳川方が豊臣方を滅ぼした重要な舞台なのだ。
 

  


この近くに、こんな看板も。

 

 

これは夏の陣ですから、真田幸村が本陣を置いた時の図です。
アップにしてみますと… 

   

右上のほうに、一心寺とありますが、
ここは去年5月に亡くなった母の菩提寺です。
その上の「安居天神」の場所で幸村は戦死します。
大河ドラマ「真田丸」もこの辺がクライマックスなんでしょうね。

茶臼山を上がって行くと、その幸村さんが、いてはりました。

 

 

 さて、天王寺公園から新世界へ向かうと、
右前方にくっきりと通天閣が見えてきました。
この歩道橋の下が、天王寺動物園になっています。
まだ時間も早いので、人影もまばらです。
 

  


そして新世界に入ります。
この左側に、細い路地「ジャンジャン横丁」があります。


 

 

右に曲がると、正面に通天閣が姿を見せます。 

   


昔は「おじさんたちの街」の象徴だった通天閣も、
今では外国人も含めて、若い人たちに大人気です。
今日は平日だし、そのうえ、まだ時間も早いのに、
もう展望台入口に若者が並んでいる姿がありました。

 

では、この続きは、また次回に。

皆さん、良い日曜日をお過ごしください。

 

 

 

 

 


 

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ノーベル文学賞と村上春樹

2016年10月14日 | ニュース・時事

昨日の午後8時。BSフジで「プライムニュース」が始まった。
始まったとたん、スウェーデンからの生中継が画面に映り、
女性がノーベル文学賞を発表するところだった。
スウェーデン語だから何を言っているのかわからない。
しかし、「ボブ・ディラン」という言葉だけはわかった。
テレビ局のスタジオでは「おおっ」という声が上がった。

…ということで、今年のノーベル文学賞は、
アメリカの有名歌手に授与されることになった。

一方で、候補として注目されていた村上春樹さんは残念だった。
もっとも、これも毎年恒例の行事みたいに、この時期になると、
書店では「めざせノーベル賞」と、村上作品が山積みされたり、
昨日の発表の日は、「ハルキスト」らが集まって発表を見守り、
ダメだとわかるとため息をついたりする…
というのが、毎回報道されている。

「あぁ、今年もとれなかったですね~」
という、ファンの落胆の声が聞えてくるのだ。

しかし…
村上さんはこれについて「毎年騒がれて迷惑ですね」と言っている。
ノーベル賞は「脳減る賞だ」な~んて書いているくらいです。

僕もこのブログで、毎年この時期、村上春樹のことを書いている。
思えば5年前、村上さんはノーベル賞最有力候補と注目を浴びた。
しかし受賞はならず。

その翌年は、「今年こそ」と言われ、
その次は「3度目の正直か」と騒がれ、
去年は「4度目の正直?」なんて言わちゃって…

そして5回目の今年も、例によって大騒ぎである。
もう少し、そっとしておいてあげることはできないのか。

そもそも村上さんは、芥川賞も直木賞も受賞していない。
賞など獲らなくても、村上作品は不滅である。

僕も村上作品は大好きで、ノーベル賞を獲ればそりゃ嬉しいけど、
「今年もダメだったぁ~」と言っても、それほどの残念感はない。

村上作品が自分の本棚にあれば、それで十分である。

ところで…

いつもこの時期になると書くことだけど、
村上さんと僕とは、とても共通点が多い。

村上さんは僕より3日だけ早く生まれた同い年で、
生まれた場所が、村上さんも僕も同じ京都市内で、
兄弟姉妹が全くいない一人っ子…というのも同じ。

血液型がA型で、これもまた同じ。
村上さんは「私は山羊座・A型の呪われた血だ」
な~んてことを、どこかで書かれていましたけど…。

村上さんは早稲田大学在学中に学生結婚をし、
僕も同じく学生の時に結婚した。

まあ、僕が妻と知り合ったのはむろん早稲田大学ではないが、
大阪の真田山付近にあるワセダ速記学校というところだった。
この「ワセダ」という名前だけは一緒なんですよね~(笑)
(ちなみに真田山は大河ドラマ「真田丸」の舞台です)

また、村上さんも僕も、趣味のひとつにジョギングがあるが、
村上さんが初の海外マラソンを走ったのが、34歳の時だった。
僕も、初めて海外のマラソンを走ったのが、34歳の時だった。

という具合に、僕と村上さんは共通点がとても多いのですが、
「文学的才能」だけが全く共通していないのが残念です(泣)

僕の場合は、最近、物忘れやうっかりミスがとても多くなり、
これまでしたことのないような間違い・勘違いも増えてきました。

この調子で行けば、僕の方が「脳減る賞」ですわ。

最後に…。今、これを書きながらふと思いついたのですが、
「ノルウェーの森」がもし「スウェーデンの森」だったら、
村上さんは、もうとっくにノーベル賞を獲っていたかも…。

…なんちゃって。

すみません、つまらないこと言って。

 

 

 

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英検3級の結果は…?

2016年10月12日 | モミィの成長日記

モミィが9日(日)に受けた英検3級一次試験の結果はどうだったか。
当人は「う~ん」と唸るばかりで、手ごたえがあるような、ないような…。

翌10日の午後1時から、解答速報がネットで公表された。
その時刻を待って、パソコンを睨みながら答え合わせをした。

モミィが試験の問題用紙に、自分の解答を書き写したので、
その問題用紙を見ながら、答え合わせができるというわけ。

ちょっと緊張気味に答えを合わせて行くと、その結果、
正解数が、過去を参考にすると、ちょうど合否ギリギリの数だった。

英検の3級の合格ラインというのは、前年度まで、
筆記とリスニングを合わせて正答率60パーセントが目安とされていた。
(その時によって多少は変わるようですが)

しかしこの2016年度からは合否判定が変わったのだ。
日本英語検定協会がHPに掲載している説明によると、

スコアは各回の全答案採点後、統計的手法(Item Response Theory)を用いてスコアを算出しているため、受験者の皆さまがご自身の正答数でスコアを算出することはできません。

なんだかむずかしい説明だけれど、そういうことだそうである。

でも、いずれにしても、これまでの正答率60パーセントというのは、
やはり一定の基準として考えておいてもいいんじゃないかと思う。

ちなみに今回のモミィの自己採点では、
正答率がほぼ60パーセントだった。
(実に悩ましいところです)

昨日、モミィがECCの塾へ行き、先生にそれを伝えたら、
「そうねぇ、だったら合格の確率は…7割ぐらいかしら」
と、おっしゃったそうである。へぇ、7割も確率がある?

僕は、今のモミィの力では合格はなかなか難しいと予測していたが、
これだけ出来たら、まあ、よく頑張ったと言っていいかな、と思う。

合否の結果がネット上で発表されるのは21日午後3時以降とのこと。

合格しても、11月に二次試験もあるので手放しでは喜べないけれど、
塾の先生から「一次に通ったら、二次は大丈夫。特訓してあげるから」
と、心強いお言葉をいただいたという。

何はともあれ、まず一次試験の結果である。

早く21日が来ないかと、ちょっとソワソワしている。

 

 

 


 

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五輪パレードのこと 英検のこと

2016年10月08日 | 日常のいろいろなこと

昨日は、リオ五輪とパラリンピックの選手のパレードが、
東京で華やかに繰り広げられたニュースが何度も流れましたね。

あるテレビ局が、パレード前に沿道にいた大勢の人たちに、
「写真や動画をいちばん撮りたい選手は誰ですか?」
という質問をしてまわっていました。
その結果…人気の高かった選手は…

3位は、卓球の福原愛選手。
2位は、体操の内村航平選手、そして…
1位は、やはりレスリングの吉田沙保里選手でした。

まだまだ吉田人気は衰えていませんね。
「あの銀メダルは、金より価値がある」
な~んて絶賛されていますけど、それでは、金を獲得し、
女子初の4連覇をした伊調選手がちょっと気の毒ですね。

僕がもしその質問を受けたら、迷わずに、
「卓球の石川佳純選手です」と答えます。
石川選手は、わが町・藤井寺の駅のそばにある
四天王寺羽曳野中学の時代から、大活躍していた。
藤井寺駅前にはいつも「頑張れ石川選手」の横断幕があった。
そんな身近で馴染み深い選手だから、やはり誰よりも応援します。

昨日、佳純ちゃんは一瞬だけテレビに映りましたが、
ほとんど福原愛ちゃんの陰に隠れていました。
もうちょっと長く映ってほしかったですけど。
でもまあ、愛ちゃん人気には勝てませんよね。
これも、吉田に勝てない伊調…と同じですわ。


さて、え~っと…話はモミィのことになりますが、
明日(10月9日)、全国で英検が実施されます。

昨年10月に初めて英検5級にチャレンジして合格、
今年1月は4級を受け、これも合格しましたが、
6月の3級は、やはり壁が厚くて不合格。
そしてまた10月がやってきて3級に再挑戦です。

4級まで、モミィの英検勉強は、僕がみてやっていましたけど、
その後、ECCの塾へ通い始め、そこで英検の勉強もしています。
今は僕は、たまにしかモミィの勉強の手伝いはしていませんが、
感触からいけば、まだまだ単語力や読解力が不足していますし、
合格より不合格の確率の方が高いのと違うかなぁと思ってます。

でも今日は、明日に試験を控えた最後の1日ということで、
ECCの先生が朝10時から夜の8時まで最終特訓をしてくれるとか。
「だからお弁当を、昼と夜の分2つ作ってね」と昨日、言っていた。

2つもお弁当…なんて、そんなの、作れないってば。
「夜は塾の隣にあるローソンで何か買って食べれば?」
と、妻がモミィにそう言ったら、
「あ、そうやね~」と逆に嬉しそうな顔をした。
まったく~、なんのこっちゃ…てな会話でした。

明日の試験会場は「プール学院中学校・高等学校」というところ。
大阪環状線の桃谷という駅から徒歩約7分、だそうです。

では、そ~ゆ~ことで、明日はまぁ気楽に行ってきます。

本人は気楽に…かどうかわかりませんけど(笑)

 

 

 

 

 

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韓国人もびっくり ワサビ寿司騒動

2016年10月06日 | 思い出すこと

つい半月ほど前に、なんばの道頓堀周辺のことについて書きましたが、
そのなんばの「市場ずし」という店で「ワサビ騒動」が起きましたね。
ネット上のみならず、新聞・テレビ等でもこの騒動が報じられました。

この寿司店では、外国人観光客(特に韓国人)に対して、
わざと大量のワサビを寿司にはさんで出していたという話です。

もともと韓国人観光客らはワサビを多く要求するので、
それに応えての「ワサビ増量サービス」をしたつもり…
…と市場ずし側は弁解しているようだけど、
あの寿司の写真を見たら「増量」というより、
「ええい! これでも喰らえ!」
みたいなほど、ワサビの量がめちゃくちゃに多すぎる。
新聞などが言う「2倍の量」どころではない量に見える。

どうせ店員の1人か2人の個人的な仕業だと思うけれど、
これがネットで拡散して、韓国ではかなりの問題となり、
あるニュースサイトでは「韓国人にワサビテロ」との見出しで、

韓国人観光客を対象にした反韓の動きがわかり、
韓国国内の反日感情が高まっている。

…と大きく伝えられているそうだ。

こんな出来事があると、大阪人として恥ずかしいですが、
だからといって、まるで日本人全体が反韓である…とか、

これよって韓国国内の反日感情が高まっている…な~んて、
まるで外交問題のように取り上げるのもどうかと思いますけどね。

で、市場ずしとしては、今後はワサビを別に添えます、とのこと。

だいたい、くら寿司などの回転寿司では、子供たちも多いことから、
どれもワサビは入っておらず、別添のワサビを自分でつけるのである。
外国人がそれだけワサビの量にうるさいのだったら、
好きなだけ自分でつけるよう添えておけばいいわけで、
もっと早くからそうしておけばよかったのにね、と思う。

それにしても、韓国人は本当に辛いのが好きなようだ。

僕自身は別に辛い物が好きなわけではないけれど、
今回の「ワサビ騒動」のいきさつを見ていると、
わが人生で最も辛い物を食べさせられた韓国旅行を思い出す。

40歳前後の頃、韓国語を勉強して「語学修行」に行った時のこと。
往復の飛行機の切符だけを持ち、宿の予約も何もせずに出かけた。
釜山に1泊し、慶州へ行って2泊。さらにソウルへ行き3泊した。

そのうちの、慶州(キョンジュ)での出来事だった。
天馬塚(チョンマチョン)という古墳公園を見物した後、
1軒の小さな食堂へ入った。そして冷麺を注文した。
冷麺は韓国語でネンミョンという。
店のおばさんに「ネンミョン・ジュセヨ」と注文する。
しばらくして、それが運ばれてきた。
冷たいスープに麺が入っている水冷麺だ。

これが、後にも先にも、「こんな辛いもん食べたことない」
という、すさまじい辛さであった。それでもなんとか食べた。
顔や頭から汗が噴き出たし、口の中が焼けつくようだった。
25年以上たつ今でも、まだ、その辛さが忘れられない。
いや~、ホントに辛かったのなんのって。

ひょっとして「日本人よ、これでも喰らえ!」
と、店の職人がわざと辛くしたのだろうか…
…と、今回の騒動をみて、ふと思ったりした。
むろん、そんなことはないでしょうけど(笑)。

ま、それだけ韓国人は辛いモノが好きだということでしょう。
でも、今回、写真で見たあのワサビの量はねぇ。
あまりにもえげつない量でしたね。

 


  

 
いくら辛いのが好きだと言ってもね~

さすがの韓国人もびっくり…?

 

 

 

 

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モミィの社会見学 泉佐野漁港

2016年10月01日 | モミィの成長日記

昨日、モミィは社会見学に行った。

今回の社会見学は、大阪港に面する泉佐野市の、
「泉佐野漁港」というところだった。
 http://www.aozora-ichiba.com/

「漁港? そんなところへ何しに行くの?」
と、行く前に僕はモミィに尋ねた。
するとモミィは「お魚を買うねん」と言う。
漁港だから、獲れたての魚が市場で売っていて、
それを買う…というのである。

むろん社会見学だから、漁港というものを見て学ぶのが本題である。
そのついでに、子供たちも魚を買っていいということなのだそうだ。

子どもたちは1人500円までの買い物ならOKとのこと。
それ以上はダメです…と、学校の連絡帳に書かれていた。

モミィも500円を持って「いろんなお魚買ってくるで~」
とうれしそうに言って、張り切って家を出て行った。
昨日はめずらしく一度も雨の降らないお天気だった。

そして、夕方。

モミィが「ただいま~」と帰ってきた。
「重たいわ~」と叫んで、ビニール袋を提げている。
そこに、漁港で買ってきた魚が入っているのである。

どうせ500円の予算だから大したことはないだろ、
と思っていたが、妻がそのビニール袋を開けると、
その中に、またいくつものビニール袋が入っていた。

そこにそれぞれ魚が入っていた。

袋から取り出し、並べて写真に撮ってみました。
 
  

 


2匹のサンマの下がサバ、その左下が小ぶりのタイ。
右上のイカは、どうやらコウイカみたいです。

一番下の魚は、イサキのように見えますが、自信はありません。
モミィに聞いても「忘れた」というので、一応イサキということで。

全部で6匹ですが、トレトレの新鮮なこれらの魚が、
なんと、500円で買えたそうでなんです。

「最後に残り100円になったので、何を買おうかと迷っていたら…」
…とモミィが説明をしてくれる。
「おっちゃんが、サンマ2匹で100円にしといたるわ、と言うてくれた」
…ということで、最後にサンマを買ったそうである。
(それにしても、驚きのお値段ですね~)

漁港の人たちは社会見学の子供たちに、大サービスをしてくれたのだ。

さて、新鮮なうちに…と、これらの魚を妻がさばき、
(僕は一応わが家の料理担当者ですが、こういうのは出来ない)
焼き物などにして食べましたが、ビールのおかずに最高でした。
特に炒めたコウイカは、コリコリして、めちゃ美味しかったです。

いやぁ~
こういう社会見学なら、何回でも行ってほしいものです。

 

 


 

コメント (2)
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