僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「舞いあがれ!」と近鉄バファローズ

2022年10月28日 | 思い出すこと

朝ドラの「舞いあがれ!」を毎日楽しみに見ています。
今は主人公の舞ちゃんも東大阪へ戻り、大学1年生になりましたね。

そこで、舞ちゃんたちがよく行くお好み焼き屋の「うめづ」というお店の主人(山口智充さん)なのですが、いつも近鉄バファローズのユニフォームを着ているんですよね。つまり近鉄の大ファンなわけ。僕はドラマで彼のユニフォーム姿が出て来るたびに懐かしさで胸が躍ります。今は無くなった近鉄バファローズだけど、このドラマの時代にはまだあったんですね。

 
  10月26日(水)の朝。BSプレミアムの放送での1シーン。
  (わが家のテレビより)
  

そこでドラマの時代設定を調べてみたのですが…

ドラマの最初のほう、舞ちゃんがおばあちゃんのいる五島列島へ行ったのは小学校3年生(たぶん8歳)で1994年の設定でした。そして今はそれから10年後ということですから、2004年ということになります。そこで近鉄バファローズの球団史を調べてみると、なんとこの2004年のシーズン終了後に、当時のオリックス・ブルーウェーブに吸収合併されています。つまりこの年が近鉄バファローズの最後の年になったんですよね。

その翌年からオリックス・バファローズとして今日に至っているわけですが、そうすると「舞いあがれ!」のお好み焼き屋「うめず」の主人が着ている近鉄バファローズのユニフォームも、この年限りとなります。ドラマの中で、この主人が近鉄球団が無くなることを知ったとき(たぶん、そういうシーンがあると思うのですが)どれだけ嘆き悲しむのだろうか、と、いささか心配になってきますわ。

さて、近鉄バファローズといえば、本拠地がわが街・藤井寺でした。近鉄電車の駅の前に藤井寺球場があり、子どもたちが小学生の頃はよく家族連れで観戦に行ったものです。今はもう取り壊されて、昔の面影はありませんけど。

そんなことで、「舞いあがれ!」を見ていると、久々に近鉄バファローズのユニフォームが見られたり、自転車旅行で行った思い出の五島列島・福江島の景色を楽しめたり、高校・大学と7年間通った東大阪市の空気を感じたりと、いろんな記憶がよみがえってきます。

あ、そうそう。小学生だった舞ちゃんが五島から東大阪に帰って来た時、お父さんに連れて行ってもらった生駒山の山頂にある遊園地で「飛行機」に乗って喜ぶシーンも懐かしい。僕もこれに乗ったことがありますが、山の頂上にある遊園地の飛行塔だけに、本当に空を飛んでいるような感覚がありました。

 

これまでの僕の人生で、遊園地で乗った乗り物の中で一番気分が爽快だったのが、この生駒山頂の飛行塔だったと思います。

ちなみに、逆に一番恐ろしかった乗り物は? と言えば
これはもう忘れもしない、東京ディズニーランドで妻と乗った、
「ビッグサンダー・マウンテン」でした。

2人とも「ギャァ~!」と悲鳴を上げっぱなし。あんな怖い目には、もう二度と遭いたくありません。

なんだか話がバラバラになってきました。
まぁ、いつものことですけど(笑)。

 

 

 

 

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オリックス・バファローズ 劇的サヨナラ勝ち

2022年10月27日 | スポーツの話題

腰痛は少しマシになっていますけど、まだ具合が悪いです。
外へテクテク歩きに行けないのが辛いところです。

さて、先週(22日)、サッカーでセレッソ大阪対サンフレッチェ広島のルヴァンカップ決勝戦のことを書きました。
セレッソが後半に1点を取り、あと数分で優勝というところで同点に追いつかれ、さらにその1分後に逆転されてまさかの敗戦となりました。東京まで応援に行っていた長男と、今日会って話しましたが、とても悔しがっていました。

そして次は野球でも同じようなことが。
ヤクルト対大阪のオリックス・バファローズの日本シリーズ。ヤクルト1勝の後を受けた第2戦。オリックスは9回まで3対0で勝っていたのに、9回裏、なんと3ランホームランを浴びて一挙に3対3の同点となり、その後、延長12回で引き分けたのでした。あれはもう、セレッソの時と同じように悔しいというか情けないというか。

なんで大阪はサッカーも野球も、こんなんやねん!

その後、本拠地の京セラドーム大阪へ帰ってきたけれど、また負けて2敗。
昨日はやっと勝って1勝2敗1分けとなり、今日の大事な試合を迎えた。

この試合、ここまでず~っとテレビで見ていたのですが、ヤクルトが2点を先制したらオリックスが逆転で3対2。よっしゃ~

しかし6回にヤクルトが2点を取り、4対3の逆転で再びリードされ、9回の裏のオリックスの攻撃を迎えた。あぁ、また今日もアカンか、と思ったら、そこでランナーを出した後、ピッチャーのエラーで土壇場で4対4の同点に追いついたのだった。よっしゃ~行け行け!

と身を乗り出して見ていたら、
ランナーを一人置いてオリックスの主砲の吉田が、なんとライトスタンドへ2ランホームランを叩き込んだのだった。

6対4。劇的サヨナラホームランだ。

前述のように、今日のブログはテレビでこの日本シリーズを見ながら書いていたものですが、当然どちらが勝つのかわからないまま書き続けていました。

それが、たった今、オリックス・バファローズの劇的サヨナラ勝ち。
これで2勝2敗1分けの五分に持ち込んで、明後日から、アウェイの神宮球場に乗り込んでいきます。

先日のセレッソ大阪の悔しさが、これで少し緩和されました。

腰痛のほうも、少しマシになったかな?


★僕はオリックスが大阪だから応援しています。が、むかし藤井寺を本拠地にしていた近鉄バファローズの懐かしい「バファローズ」という名前に強く惹かれているというのが事実です。次回は朝ドラ「舞い上がれ」と近鉄バファローズについて書いてみます。

 

 

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腰痛に襲われて 痛い~

2022年10月25日 | 心と体と健康と

昨日の朝、起きたら、腰の後ろの右の部位が痛い。

まぁ、元々腰痛持ちなので、起きた時はいつも腰に重い痛みがあるのだけれど、普通すぐにそれは起きてウロウロしているうちに消える。しかし、昨日の右の腰は、いつもと違う不気味な痛みだった。

それでも「まぁ、そのうち治るだろう」と思いながら、
午前には妻と、いつものように歩いて駅前周辺へ行った。

歩いている時はそれが治ったような感じだった。
しかし、帰宅して、椅子に座ると、
その腰の部分がまた痛くなった。
かなり、痛い。
う~ん。何だろう、この痛みは。

階段を上がったりすると、特に痛い。

「いややなぁ」と思いながら、昨夜は寝た。
朝になったら治っているかな?
という期待と共に

でも、今日の朝、起きても、やっぱり腰は痛い。

家の階段を上がり降りしたら、特に痛む。
しかも、両脚がものすごくだるい。

それで、今日は1日、どこにも外出しなかった。

こんなことで病院には行きたくないし、
そのうち治ると思っていますけど。

明日はどうなっていることやら。

 

 

 

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セレッソ大阪 痛恨の逆転負け

2022年10月22日 | スポーツの話題

きょう午後1時から、サッカーのJリーグ・ルヴァン杯、セレッソ大阪対サンフレッチェ広島の決勝戦が行われ、テレビでも中継されていた。

試合が行われた場所は東京国立競技場で、子どもの頃からのサッカー少年だったうちの長男(モミィのパパ)は、いまもセレッソ大阪の大ファンで、今日の早朝の飛行機で東京へ飛び、国立競技場へ行ってセレッソを応援していた。

で、僕らもテレビでその試合を見ていたが、試合は後半にセレッソが1点を取ってリード。「よっしゃ~。いけるぞ、セレッソ」と、この競技場に長男がいることを意識しながら、僕と妻はテレビでセレッソを応援した。

そして後半もロスタイム(今はアディショナルタイムと言うんだっけ)に入って、セレッソが優勝目前になったとき

広島がセレッソのゴールに襲いかかり、両チーム入り乱れての攻防戦になったとき、なんとまぁ、セレッソの選手に「ハンド」の反則があったとの判定でペナルティ・キックになり、それを決められて同点にされてしまった。

ホンマかいな? と信じられない思い。いや、信じたくない思い。
う~ん、あと少しで勝っていたところなのになぁ。

だけどまだ同点だ。負けたわけではない。

しかし
そのあとすぐ、残りわずか1分ぐらいで、このままいけば延長戦というところで広島がコーナーキックから点を入れたのだった。

なんとまぁ、土壇場で2対1の大逆転!

歓喜に湧く広島。
ガックリするセレッソ大阪。

そして試合再開後、すぐに試合終了のホイッスルが鳴った。
万事休す。

やれやれ。
なんという惜しい負け方。悔しい負け方。
こんな負け方ってあるのか。

長男は観客席でどれほど落胆していることだろう、と思うと、ホントにがっかりした僕たちでした。

★これをお読みいただいた方の中に、
 サンフレッチェ広島のファンがいらっしゃったら、すみませ~ん。

 

 
 セレッソを応援する人たち。ネットの写真ですが、
 右上にチラッと見えている顔が、何となく、
 長男に似ているのですが、違うでしょうねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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飛鳥寺から橘寺、高松塚古墳へ

2022年10月19日 | ウォーク・自転車



後半は飛鳥寺から飛鳥板蓋宮跡、そして石舞台の近くまで行き、
そのあと「亀石」とある上に小さな字で「橘寺」とあります。
その橘寺から、道に迷いながら(笑)飛鳥歴史公園へ。最後に
その下の高松塚古墳へ行ったあと、飛鳥
駅へ到着しました。

見どころいっぱいの「飛鳥の里テクテク歩き」の後半です。
前回は飛鳥寺へ向かう所で終わりました。

このあたりは、随所にこのような案内板があります。

  

地図に赤で書かれている「現在地」は飛鳥寺のすぐそばでした。

そしてテクテク歩いて行くとその飛鳥寺がありました。
飛鳥寺は、日本史で習ったあの曽我馬子(そがのうまこ)が造営した日本初の本格的寺院だとされています。

 
 飛鳥寺の門前に「飛鳥大佛」という石碑が建っています。

「飛鳥大佛」というのは現存する仏像では日本最古のもの、とありますが、何度か火災を受けて、今は仏像の顏の一部と耳と手の一部だけが残っているということです。ここへ来るまで同行のFさんも、「飛鳥大仏は頭だけしか残ってないんや」と何度も説明をしてくれていました。

飛鳥寺を過ぎて、民族資料館を通り、「酒船石遺跡」というのを見ました。
写真に撮ったのですが、写真ではわかりにくい石造物なので載せませんが、酒造りに用いたと伝わるそうですがはっきり分かっていないということ。この目で見ても、それが何の形なのか、さっぱりわかりません(笑)。関心のある方はこちらを見てください。    

酒船石遺跡

さて、ここからまた、道を間違ったりしながら回り道をテクテク。いったん広いバス道に出た後、進んでいくと、石舞台の近くを通りましたが、ここは以前にも行ったことがあるのでパス。行く手に大きな休憩所が見えたので、そこでお昼のお弁当を食べました。日なたを歩いていると暑いのですが、日陰のベンチに座ると割に冷たい風が吹いて、ちょっと寒かったです。

さて、また地道になり、また道を間違えて回り道をしたりしながら美しい山々と田んぼの景色を眺めて歩いていたら、Fさんから「あれが橘寺やで」と教えられました。

 
 今歩いて来た道を振り返って撮った写真です。

中央に見える屋根が橘寺です。いい風景ですよね。
橘寺は聖徳太子が生まれたとされるお寺として有名とのことです。

さて、そこからまた上ったり下りたりしながらズンズン歩いて行くと、そろそろ本日の最後のお目当てである高松塚古墳が近づいてきたことを示す石碑が見えました。

 
   国営飛鳥歴史公園
   高松塚周辺地区
   と書かれているようでした。

そこからまたテクテク(ず~とテクテクですわ)。

そして高松塚古墳に到着です。これまであまり人の姿は見えなかったのですが、やはり名所中の名所だけあって、何人もの観光客がいましたね。

 
  高松塚古墳。
  絵に描いたような、きれいな円墳です。

この高松塚古墳が一躍有名になったのは1972年。この石室に極彩色の壁画が発見されて大ニュースになりました。あれからちょうど50年が経ったのですね。早い、早い。

これを最後に、やがて車が走っている道路に出て、信号を渡ったら近鉄の飛鳥駅がありました。

 
 飛鳥駅に着いたのは午後3時ごろでした。

10時頃から歩き始めて約5時間。
F先輩のおかげで、本当にいいウオーキングができました。

帰りの電車の中でスマホの歩数計を見たら、約26,000歩でした。まあ僕は小柄で歩幅が狭いので、人よりは歩数が多いと思いますが(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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飛鳥の里をテクテクと 

2022年10月15日 | ウォーク・自転車

去年12月の最後のブログに信貴山へ山登りをしたことを書きましたが、その時に誘ってくれた元勤務先の先輩であるFさんが、今回また誘ってくれたので、今週の火曜日(11日)に奈良の飛鳥路へ行きました。Fさんと二人で、昔ばなしに花を咲かせながら、約5時間、起伏の多い道をテクテク歩きました。


 
 地図の左上、近鉄電車の橿原神宮前駅から出発。
 甘樫丘(あまかしのおか)~飛鳥寺~飛鳥板蓋宮跡
 ~亀石~石舞台付近~
飛鳥歴史公園~高松塚古墳と、
 回り道しながら歩き、
飛鳥駅がゴールでした。

Fさんはこの辺には詳しく、僕はついて歩くだけです。むかし、自転車で飛鳥路を巡ったり、子どもたちが小学生の頃に家族で石舞台周辺に遊びに来たりしたのですが、それ以来、訪れていないので道も忘れてしまいました。
ホント、何十年ぶりだろうか。

駅前の車道から民家が並ぶ細い道へ入り、しばらく行くともうすっかり自然に囲まれたのどかな光景が目の前に広がりました。

 

最近はたいてい街の中ばかり歩いているので、こういう緑に包まれた景色に触れると嬉しくなります。しかもこの日は素晴らしいお天気だったうえ、前日が雨だったことで眺望も最高に良かったので、めちゃラッキーでした。

約1400年前に日本の都があったとされる飛鳥京の跡が中心となる飛鳥めぐりの魅力は、広範囲に点在する様々な遺跡や寺院、古墳や石造物などとふれ合いながら歩くところにあると思うのですが、こうした静かな山村を歩くだけでも、とても気持ちいいものですね。

しばらく歩くと、豊浦宮跡というところへ来ました。ここは推古天皇が即位した宮殿とのことで、今は向原寺というお寺になっています。

 
 寺の入口の横にある立て札には「推古天皇豊浦宮跡」として、
 ここの由来が詳しく書かれています

そこから少し歩いたら、前方に緩やかな丘陵が見え、Fさんが、
「あれが甘樫丘の丘やで」と教えてくれた。

 
 前方が甘樫丘(あまかしのおか)。 標高は148mとのことだが、
 丘陵の上には大和三山などが一望できる展望広場があるそうです。

そこから甘樫丘の麓の道を行くと少し開けた道路に出て、
「あすか夢の楽市」という売店があったので、入ってみました。
野菜や果物のほか、普通のスーパーにあるような加工の食料品やお菓子などが売られていました。

 
 写真の左側に写っているのがFさんです。
 僕より5歳も年上なのに、元気過ぎる人ですわ。

そのあと飛鳥寺の方角へ向かって歩いて行きました。

今現在は、地図とスマホで撮った写真を見ながらこの時の足跡をたどり、この文章を書いていますが、実際に歩いている時は、どこがどこだかよくわからないまま、Fさんに付いて歩いているだけでした。へへっ。

一人でウオーキングする時は行く前から行程を調べ、地理を頭に叩き込んで行くのですが、なにしろ今回はFさんに頼りっきりなものだったから、ぺちゃくちゃとしゃべりながら、目に映る風景を楽しむばかりでした(これがまた楽しいんですけどね)。

とはいえFさんも時々道を間違えて、
「あれ? ちょっと違うなぁ。まぁ方角はこっちのほうやから、また知ってる道に出るやろ」というのが何度かあり、それでウロウロと回り道した分、僕たちのウオーキングの距離もグンと伸びました(笑)。

このあとも、飛鳥の里を歩き回って、高松塚古墳などを経て飛鳥駅まで行くのですが、続きはまた次回ということでよろしく~



★去年12月、Fさんと信貴山へ上った時のブログです。

  信貴山より寅年へ 愛をこめて (12月29日)

 

 

 

 

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女心と秋の空?

2022年10月13日 | ズレズレ草

今日は大阪はほぼ1日中晴れていて、布団を干したりできました。
しかし数日前まではコロコロと空模様が変わっていたので、布団を干すどころではなかったですよね。

え~っとあれは今週の月曜日だったかな。
近くの小さなスーパーへ買い出しに行こうと外を見ると雨は降りそうにもない空の様子だったので、自転車で出かけました。そして、あれやこれやと買った後、レジを済ませてふと外を見ると、ザーザーとえらい雨が降っていたのでビックリ。店の前の自転車置き場もびちょびちょ。買い物を終えたお客さんたちはみんな、出入り口で茫然と空を仰いで立ち尽くしていた。ホントにねぇ、予想もしなかった大雨でした。

そんなことで、先月から今月にかけて、目まぐるしくお天気が変っていましたよね。う~ん、やっぱり秋の空は変わりやすいのか~

ところで、
こういうのを、昔の人は、
「女心と秋の空」
と言っていたことを思い出しました。

つまり、天候の変わりやすい秋空と、目まぐるしく変化する女性の心を重ねて「女心と秋の空」と言っていたようです。

でも、これって、今、よく問題視されている女性差別の言葉ですよね。令和の今の時代、こんな言葉を口にしたら、政治家なら直ちに辞職、芸能人なら直ちに芸能界追放で、大騒ぎになります。

だからこれは今は死語になっていると思います。
もう、何十年も聞かない言葉ですから。

でも、今回の秋の空の急変ぶりを見て、そんな言葉をふと思い出すのだから、僕も古い人間ですわ。

で、改めて手元にある電子辞書の広辞苑を調べて見ると、
「女心と秋の空」という言葉は載っていました。そこには、

「男性に対する女性の心は、秋の空のように変わりやすいというたとえ」
という説明が書かれていました。

でも、それだけではなく、そのあとに、
「古くあった『男心と秋の空』の『男』を『女』に書き換えたもの」
とあったので、へぇ~と思ったのですよね。

そうか。元々は「男心と秋の空」だったのか
なるほど。

考えてみれば、遠い遠い昔から男性社会が続いてきたのですから、女性に対する心がコロコロ変わる男の気まぐれのほうが「秋の空」と言えますよね。

でも、知らんかったなぁ
と思いながら、ふと、僕がまだ中学生か高校生の頃、テレビの歌番組に熱中していた当時のことを思い出しました。

舟木一夫らが出ていた「コロムビア歌のヒットパレード」という大好きだった番組で、「恋は神代の昔から」でデビューして大人気だった畠山みどりという歌手が、
「男心と秋の空」という歌を歌っていたことを思い出したのです。

 男心と秋の空~ 
  気にしないったら 気にしな~い 

記憶の底に埋もれていた歌が、よみがえりました。

 

やっぱり、コロコロと変わる「秋の空」の如く、気まぐれで変わりやすいのは、「女心」じゃなく「男心」だったのですね。

そうだったんだ。

よう知らんけど(笑)。

 

 

 

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五島列島・福江島の思い出

2022年10月09日 | ウォーク・自転車

朝ドラ「舞い上がれ」の舞台となっている五島列島へ行ったのは今から43年前のことでした。手元に当時の日記があるので確認すると、1979年(昭和54年)、夏季休暇と有休をもらって7月12日から23日まで、12日間、自転車で九州を走りました。

大阪からフェリーで門司へ行き、そこからスタート。まず佐賀県の唐津まで行って、虹の松原のキャンプ場で1泊。翌日は長崎へ行き、オールナイトの映画館で一夜を過ごした。そして次の日の朝、当初は予定していなかった五島列島へフェリーが出ていると聞いたので、「よ~し、行ってみよう。五島列島へ!」と思い立ったのです。

 
  五島列島は東シナ海に浮かぶ大小約150の島々。
  福江島はその中心となる島です。

フェリーの2等の床にごろんと寝転んで、3時間半後に、福江島の福江市に着いた。今は五島市になっていますが、当時は福江市でした。

福江島の観光地図を見ると、島の北側に「魚津ヶ崎」という所にキャンプ場があったので、今日はそこまで走って、テントを張ることにした。

 
 地図の右側に島の中心部「福江」があります。
 その下に「鬼岳」。北には魚津ヶ崎という岬があり、
 ここのキャンプ場でテントを張って一夜を過ごしました。
 

自転車をこぎ始め、まず福江市内を回ってみた。

走り始めてすぐに、お城のようなものが見えた。
あとから知ったことだけど、これは石田城(または福江城)といって、江戸時代の最後に建てられた城で知られているそうです。この町は城下町だったんですね。

 
  城門に自転車を止めて写真を撮る。  

その城門を、制服を着た女子高生たちが出入りしているのを見て不思議に思ったので、通りがかったおばさんにわけを聞くと、お城の中に高校があるのだそうだ。
「へえ、お城に高校? 珍しいですね」と僕が言うと、おばさんは、
「だって、お城を何にも使わずに置いておくのはもったいないですもの」
と言ったので、ふ~ん、それもそうかな~んて思いました。

ここを背景に写真を撮ってもらおうと、その近くにいた女子高生のグループに声をかけ、
「写真を撮ってくれますか」とお願いしたら、彼女たちは、
「あんたが撮ってあげなさいよ」
「いやぁ~。あんたが!」 
と、お互いが押し付け合って、誰も僕からカメラを受け取ってくれようとせず向こうへ行ってしまいました。ガッカリ(笑)。

ちなみに、上の石田城の門の写真はちょっとピンボケなので、ネットから写真を拝借しました。

 

そんなことをしながら、ひととおり市内見学を終えて、僕は郊外に出た。

ずんずんと坂道を上がって行くと福江の町と海が一望された。

 
 坂道はしんどいけれど、素晴らしい景観に気持がほぐれる。

後方を仰ぐと、鬼岳という、名はいかめしいが、山全体が緑の芝生で覆われた、標高300m級のなだらかな山の風景が目に入った(右の奥の山です)。

 

そしてここから、山中の道路を北へ向けて約1時間半走った。沿道に民家も少なく、ひっそりと、眠るような静けさが支配する。太陽はガンガン照りつけているが、あたりは沈黙の世界である。ずいぶん遠くまで、来たものだなぁ、と思いつつ、ペダルをこぐ。

ときどき、集落に子どもたちの遊ぶ姿が見える。彼らは、例外なく、僕を見ると動きを止め、何か不思議なものでも見るように、僕をじぃっと目で追っている。さっきの女子高生たちといい、子どもたちといい、僕は何か怪しげな人間に見えるのだろうか??

3時に、魚津ヶ崎キャンプ場に到着した。

近くに、「遣唐使の最後の寄港地」というところがあり、記念碑が建っていた。キャンプ場といっても、誰もいない。 岬に芝生が広がっているだけだ。
しかし、町営キャンプ場だけに、トイレと水道はあった。

このキャンプ場は岐宿町というところの町営で、テントを張っていたら管理人だという年配の男の人がやって来た。「どこから来たの?」と聞かれたので「大阪です」と答えたら「大阪から!」と、驚かれていた。この男性、夏は岐宿町の臨時職員としてキャンプ場の管理人の仕事をし、冬は漁師をされているという。
「おじさんはブリの漁をしているんだよ。この岬のあたりには、冬はブリがたくさん来るんだよ」と言った後、「じゃあ、明日からも気をつけてね」と、優しい言葉をかけてくれて帰って行かれた。

 

 
  魚津ヶ崎キャンプ場からの風景(ネットの写真です)。

ここ、西の果ての日没は、遅い。
パンフレットには、
「ここは、日本で一番最後に夕日の沈む場所です」
と書いてありました。

 
  キャンプ場でテントを張っていたのは、僕一人でした

何かホッとした気分で、僕は自宅の妻に手紙を書き、食事をして、あとは何もすることがなくなったので、海を眺めて日が暮れるのを待った。
やがて、夕日は、キラキラとまばゆい光彩を放ちながら、海の色と交錯し合い、徐々にその姿を隠し始めた。

テントではず~っと携帯ラジオをかけていたのですが、聞こえてくるのは日本語ではなく韓国語ばかり。ラジオをいじっていると、NHK放送だけはちゃんと日本語が流れていました。やはりここは東シナ海なんだ、と実感した次第です。

さて、福江島には1泊しただけで再び長崎に戻り、長崎の街をブラブラし、そこからは、天草西海岸や牛深、川内、鹿児島と走り、九州本島最南端の佐多岬まで。そこから北上して宮崎県へ。日南海岸道路を走り、最後は日向港から大阪行きのフェリーに乗って帰り、無事に12日間の旅を終えました。

…………………………………………………………………………

五島列島の福江島にはわずか1泊2日しか滞在しなかったのですが、それでもここの風景は今もはっきりと記憶に残っています。

1週間前から始まった「舞い上がれ」を見ていると、五島の海や山の美しい風景が随所に出て来るので、ドラマを見ながら、40数年前のこの自転車旅行の思い出に浸っている僕です。

 

★追記

 当時の旅行日記です。

 
 これがノートの表紙。A4サイズです。


 
  そしてこれがその中身。
  ヘタな字がぎっしり並んでいます。
  全部で66ページを使ってこの旅行日記を書きました。

僕の本棚には、自転車旅行と海外旅行とマラソンなどの資料や日記、写真等がワンサとあります。そろそろ処分しなければ、と思っているんですけどね~

 

 

 

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五島列島への道は遠い~

2022年10月05日 | 日常のいろいろなこと

今週から始まったNHKの朝ドラ「舞い上がれ」は、長崎県の五島列島と大阪府の河内地域の東大阪の二カ所が舞台だということで、僕にとっては共に深い縁のある場所で楽しみにしていたことを前回書きました。

朝ドラはこれまで毎日、録画を撮って見ていたのですが、昨日(4日)はその録画をセットしていたのに、撮れていなかった。間違いなくセットしておいたのに、なんでやねん?

「おかしいな?」と思ったら、ちょうどその朝のその時間、北朝鮮がミサイルを発射し、それが日本の上空を通過したということで、どのチャンネルも臨時ニュースをしていた時だったのだ。だからその時間帯の定時番組は全部オフになっていました。

つまり、朝ドラはカットされて臨時ニュースが放送されていたのですよね。

まったく~
北朝鮮という国は、以前から「ごろつき国家」と言われているけど、何を考えているのか。昨日は津軽海峡あたりの上空を飛んで行ったと言われていますけど、こんな国が日本の至近距離にあるというのが本当に怖い。

まぁ、北朝鮮の脅威は今に始まったことではありませんが、今回、改めてその思いを痛感させられました。

で、今日の朝ドラ「舞い上がれ」は、昨日の分と今日の分の2回分が放送されました。

今日のストーリーは、主人公の少女の体調が思わしくないので、母親に連れられ、大阪を離れて母の故郷の五島列島へ行ったところです。五島列島の美しい風景が映っていました。

その五島列島ですが、僕が行ったのは福江島で、五島の主島、つまり中心部です。今日のドラマでは、母子が東大阪を出て五島へ着いたのはたぶんその福江島だったと想像されますが、そこから船でまた別の島へ行き、そこで暮らすことになるんですよね。五島には沢山の島がありますから。

ドラマでは、福江島という地名も出なかったし、別の島へ行ったその島の名前も出なかったので、実際はどうかわかりませんが、前述のように、最初に五島列島に着いた島は、福江島だったはずです。

僕が自転車旅行の時に「五島列島に行きました」と言っても、
行ったのは五島列島の中心である福江島だけです。

今回は、むかしのその自転車旅行で五島(福江島)へ行った時の話を書く予定でしたけど、北朝鮮のミサイルやら何やらで、ドラマも昨日はカットされたことで少々混乱してしまいました。

また、次の機会に「五島列島旅日記」を掲載したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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朝ドラ「舞い上がれ!」に舞い上がる思い出

2022年10月03日 | ウォーク・自転車

 

きょうから朝ドラ「舞い上がれ」が始まりましたね。
「もう『ちむどんどん』はええから、はよ「舞い上がれ」に変わって~」
なんて思っていましたけど、やっとその日がやってきました。

このドラマは、以前のブログにも書きましたが、長崎県の五島列島と、大阪府の東大阪市が舞台になっているということでした。

東大阪市といえば僕の母校の近畿大学があり、当時は大学と同じ敷地内にあった近大付属高校にも3年間通っていたので、計7年間、高校・大学と東大阪市のそこに通いました。

今日の「舞い上がれ」の第一回は、東大阪に暮らすヒロインの岩倉舞がまだ小学生で、原因不明の熱が出て、学校も休みがちという状況。少し走っただけでも熱が出るということで、お母さんも心配する。舞の家は東大阪の工場街の中にあるネジ工場を営んでいました。

このあとの展開は、今日の新聞によると、舞のお母さんの実家がある長崎県の五島列島に療養に行くということになっています。

そういうことで、このドラマの舞台は、東大阪市と五島列島、ということになっています。ドラマのストーリーは今後どうなるのかわかりませんが、舞台がなぜ東大阪市と長崎県の五島列島なのか? これがドラマを見るまでわからなかったのですが、そういうことだったのですね。

で、驚いたのがこの2つの地域です。
東大阪市は前述のように僕にとっては15歳から22歳まで、帰宅する以外は、ほとんどこの街で過ごしていました。先輩の下宿にも何度も泊めてもらったし。

そして一方の五島列島は、モミィのママの生まれた場所なのです。

一度ブログに書きましたが

元々和歌山県に住んでいた彼女の母が、そこで五島列島から来ていた男性と知り合って結婚し、男性の故郷、遥か彼方の五島へ移り住み、結婚生活が始まった。そこで生まれた女の子がアキナちゃんという子でした。

アキナちゃんは十代の頃に島の生活に飽き、大阪へ出てきて、その後成人し、うちの長男と知り合って結婚し、生まれたのがモミィでした。

まあ、五島列島と言えばまずそのことを思い出しますが、僕自身も、30歳の頃に自転車で九州一周をしました。そのとき、行く予定はなかったのですが、なにかの拍子で五島列島の福江島へ渡ったのです。そして、あれほど素晴らしい海の景色を見たのは、あの時初めてだったと思います。

それまで、自転車で東北・北海道などへ行って美しい海の風景はいっぱい見てきましたが、やはり南の海の素晴らしさはまた別格でしたね。

いま、こう書きながら、当時のことを鮮明に思い出します。

先ほど、当時の写真を引っぱり出して眺めていました。

懐かしい。

朝ドラ「舞いあがれ」では、これから五島列島の風景が出て来ると思いますが、それを見るだけでも胸がざわざわするに違いないでしょうね。
ほんまに、楽しみですわ。

 
  長崎から五島列島へ行く船の中で

 
  これはフェリーの切符ですが、よく見れば、
  五島の福江から長崎へ戻る時のチケットですね。
  日付が分かりにくいですが、
  昭和54年7月だったことは確かです。

また近いうちに、この時の旅のことを書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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