僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

平穏な年でありますように… 

2011年12月30日 | 日常のいろいろなこと

2011年もあと1日を残すだけとなった。
このブログも、数えてみたら、これが今年189本目の記事だ。
今年の最後は、やはり東日本大震災に関する話で締め括ることになる。

  …………………………………………………………

東京新宿の「大将」との出会いは昭和44年8月、北海道の帯広駅前だった。

お互いに自転車旅行の途中で、たちまち意気投合し、ラーメン屋へ入った。
ラーメンを食べ終り、僕が財布をごそごそ取り出していると、
当時20歳だった僕より、何歳か年上の彼は「俺がおごるさ」
初対面なのに、そう言って気前よくご馳走してくれた。
黒いサングラスがよく似合い、格好よかった。

行く方向が一緒だったので、そこから2人で走った。

襟裳岬、苫小牧、函館と走り、本州に渡って下北半島の大間崎、
恐山、そして野辺地というところまで、9日間、2人で走った。

ある時、ボロボロの屋根付きのバス停で野宿した。
僕がベンチで、大将は下の地面で、寝袋にくるまって寝た。
夜中、僕がベンチから、大将の寝ているところへドス~ンと落ちた。
「いてぇ~~~」と大将が悲鳴を上げ、「ごめん~」と僕は両手を合わせた。

野辺地というところで道路は左右に分かれていた。

右は国道4号線で、青森市へ通じる道。
左へ行けば、三沢、八戸方面に続く。
大将は右へ行き、青森から日本海側を通ってはるか西日本へ向かう。
僕は左へ行き、太平洋側を通って東京から故郷の大阪へ向かう。

「…ここで、お別れだな。道中、気をつけてな」
「大将も、気をつけてね」

手を振り合い、右と左に分かれて、9日間の「ふたり旅」が終った。

42年前の出来事である。

その後大将は、宮城県石巻の女性と知り合い、結婚して石巻に住んだ。
「石巻で嫁さんの実家の花屋をしてるんだぜ。俺には似合わね~かなぁ」
そんなハガキが来て「ほんまに似合わんわ」と思ったことを覚えている。

 …………………………………………………………………………

今年の3月11日。
あの東日本大震災と巨大津波で、石巻市も甚大な被害を受けた。
僕は大将に安否確認のメールを送ったが、返事は来なかった。

すると震災から9日後、僕の外出中に、大将から電話があった。

大将は、電話に出た僕の妻に、

「ご心配をかけていますが、当方はみんな無事です。
 電話がつながらなかったので誰にも連絡できなかったのです。
 1階の花屋は全滅ですが、2階でなんとか生活できています。
 『新宿の大将はがんばってるぞ~』 と伝えておいてください」

と言ったそうである。 無事を聞き、やっと気持ちが落ち着いた。

しかし、その後も、当然ながら厳しい日々が続き、
その苦闘ぶりを如実に語るハガキを何度か受け取った。

僕はただ「頑張ってください!」と返事を書くぐらいのことしかできなかった。

 …………………………………………………………………………

そして一昨日、「海藻紙」で出来た郵便はがきが届いた。
石巻からであった。

前略
先日、店の家屋修理が終りました。
あの日より9ヶ月が過ぎ、やっと完成です。
商売的には、かなり厳しいですが、
皆さんからのご支援に応える為にも、
奮闘努力・安定生活が我々の責務と自覚しております。
本当に有難うございました。
日々、寒くなります。御体、御自愛下さい。
来年は平穏な年であります様に…

筆ペンで丁寧に書かれたこのハガキには、万感の思いがこもっているだろう。

 …………………………………………………………………………

このハガキのように、来年が平穏な年であるよう、心から願っています。

今年1年、このブログにお付き合いくださった皆さま方、ありがとうございました。

どうか、よいお年を~ 

 

 

 

 

 

 

 

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イケメン・イクメン・イケダン…

2011年12月28日 | 日常のいろいろなこと

「イケメン」という言葉は、つい最近、世に出てきたような感じを受けるが、
手元の電子辞書の広辞苑を引くと、そこに「いけ面」という言葉が出てくる。
まさか、広辞苑にこの言葉が載っているとは思わなかったのでびっくりした。
次のような説明が書かれている。

~いけ面~
「いけている」の略「いけ」と、顔を表す「面」とをあわせた俗語か。
多く片仮名で書く。男性の顔かたちがすぐれていること。

広辞苑に載るくらいなのだから、俗語とはいえ、
これはもう、認知された日本語になったと考えていい。

このイケメンから転じた言葉も、いろいろあるようだ。

育児を積極的にやる男性は、イクメン。
そして家事に熱心な男性は、カジメン。
そんな言葉が世間で流行している昨今である。

さしづめ、妻と2人でモミィの子育てをする僕は、イクメンの部類かも知れない。
そして家庭での料理、洗濯などの家事を受け持っている今、カジメンでもある。

しかし、イクメンはともかく、カジメンというのは、一説によると、
在職中は仕事一途に生きて 家庭をまったく顧みなかった男性が、
定年退職後にそれを反省し、家事に精を出し始めることを指すのだと言う。

でもまあ、反省するというより、毎日ヒマでぶらぶらしているので、
「あなた、少しは家のことも手伝ってよ」と、奥さんからボヤかれて、
しぶしぶやり始めた…というケースも多いのではないだろか、とも思う。

だけど、僕の場合は違いますよ。
自分から率先して家事をやり始めたわけですからね(ほんまでっせ~)
妻ひとりがモミィの育児と家事全般をこなすのは、きつすぎると思うしね~

それはまあ、余談でしたが…

ところで、最近では「イケダン」という言葉が注目されているそうだ。
「イケてるダンナ」の略語である。それってどんなダンナなのかと言うと…
仕事をバリバリとしながらも、家庭を大切にし、妻の手助けをする男性とのこと、
…らしい。 ふ~む、カッコいい~。

奥さんは幸せだろうね~

それにひきかえ僕などは、若い頃を振り返ってみると、
別に仕事一途でもなかったのに、家庭もほとんど顧みず、
2人の子どもが小さい頃は、仕事は毎日定時に終っていたのに、
まっすぐ帰宅することなく、パチンコに通い続けていた時代があった。
グチのひとつもこぼさなかった妻には、大いに感謝しなければならない。

イケるダンナではなく、イケナイダンナという意味では、
僕も若い頃は「イケダン」だったんだな~と思ってみたり。
(なんや、それは?)。

それにしても、仕事を定年退職した今、自分がカジメンやイクメンになってみて、
育児や家事というのがどれほど過酷なものかということを否応なく知らされた。

本当に専業主婦というのも、実にしんどい仕事なんですよね。
(外へ勤めに出ているほうが楽じゃないか…と思うほどだ)

先日、友人にその話をしたら、ケケケッと友人が笑い出した。
そして、こんなことを言うのである。

「イクメンやて…? そんなエエもんかいな。あんたはイクジィやで」

「イクジィ…?」  なに、それ? 
「孫らを育てるのに熱心なおジイちゃんのことや」と友人。
つまり、漢字を当てると「育爺」ということになるのだそうだ

実際、孫や地域の子育てに熱心な熟年男性が増えているそうで、
そういう人たちが、イクジィなどと読ばれているという。でもなぁ…
爺ちゃん…なんて呼ばないでくれ。まったく~

「そうしたら僕は、カジメンでもないわけか。つまり…」と僕が言うと、
「そうや。カジメンと違う。カジジィや。がははははは~」

イクジィ(育爺)…?

カジジィ(家事爺)…?

なんだかねぇ~ 

 

 

 

 

 

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モミィのぷにょぷにょ日記

2011年12月26日 | モミィの成長日記

モミィの通うエレクトーン教室で、きょう「ミニ・コンサート」があった。
まあ、コンサートと言っても、教室に通う子どもたちが、自分の得意な曲を、
みんなの前でひとりずつ弾くという程度のもので、そう大げさなものではない。
しかしモミィは、何十人の人たちの前で演奏するのは、初めてである。

モミィの順番が来て名前を呼ばれ、前に出て行くと、見ている僕も緊張した。
…が、モミィはいつもの調子で、おっとりした動きで無難に曲を弾きこなした。

ほっ。


  

  ミニ・コンサートで「みつばちマーチ変奏曲」を弾くモミィ。 
  初めて「聴衆」の前での演奏だった。


さて、モミィはいま、エレクトーンを弾くことのほかに、絵や字を書くことに熱心である。
テーブルに座り、鉛筆を握り締めて、いつも何やらせっせと書いている。

「わたしは、大きくなったらケーキ屋さんになるねん」
と、常々言っているモミィが、その「将来像」を絵に描いたのが、これである。



    

   ケーキ屋さん、おおぷん(オープン)。
  「おいしいよ」と子どもたちが誘い合わせて自分の店に来る…という絵らしい。


そして今日、部屋の隅にモミィが字を書いたまま放置していた1枚の紙…。

「なんや、これは?」と手に取ると、そこにはこんなことが書かれてあった。

 

 

   (訳注 → キム・ジョンイルは、死んだのは、なぜでしょう?!)


テレビの影響は大きい。
モミィはNHKニュースなども、真剣な目つきで見ている。

しかし僕としては、テレビで見たことを書くのなら、
「あさだまおちゃん、よくがんばりましたね」
みたいなことを書いてほしいのだけど、
キム・ジョンイルとはねぇ…


 

 

 

 

 

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終業式~ホテル~クリスマス

2011年12月24日 | モミィの成長日記

12月22日は、幼稚園の終業式だった。
いつものように、モミィを8時40分ごろに幼稚園に送り届け、
帰宅して約1時間後にまた家を出て幼稚園に向かった。

この日は10時半に保育が終る予定だが、最後に園児たちの合奏があるので、
保護者は10時15分までに園に来て、その合奏を見てあげてください…
という園からの案内があったので、僕も10時にまた家を出たのだ。

幼稚園の2階にある遊戯室へ入ると、年少組と年長組の園児たちがひしめいていた。
そこへ保護者がぞろぞろ入っていく。たちまち遊戯室は満員になり、ざわめきたった。

園児たちがカスタネットやタンバリンや木琴などを打ち始めると、
ママたちはいっせいにカメラを取り出して、熱心に撮影を始めた。
カメラのことなど思いも浮かばなかった僕は、しまった~と思ったが、
よく考えてみればポケットにスマホが入っている。
あぁ、よかった。これで写真が撮れた~。


  
       モミィは左から6番目。 ちょっと横向きで写っています。


15分間の予定が30分間にまで延びて盛り上がった合奏と歌が終わると、
保護者たちはいったん運動場へ出て、子どもたちが降りて来るのを待つ。

ママたちはあちこちで何グループにも分かれておしゃべりに夢中であるが、
僕は隅の方で、いま撮影したスマホの写真や動画を再生して眺めていた。
こういう「間」というのが、なんとなく中途半端で、居心地が悪い。

やがて園児たちが出てきて、ひとりずつ先生に名前を呼ばれて引き取られいく。

…変化に富んだ2学期もこれで終わりだ。
いろいろな行事があった2学期なので、特に長かった感じがする。

去年の2学期から今の幼稚園に転入してきたモミィであったが、
それまでの幼稚園では適応できず、発達障害とまで言われたので、
この新しい幼稚園でのモミィの生活も、いったいどうなるのだろうと、
毎日、ハラハラしながら様子を見守っていたけれど、見事に「変身」してくれた。

今年の4月に年長組になると、さらに活発になり、
年少組の子どもたちの世話をしたりするのも大好きな子になった。

運動神経もきわめて鈍かったけれど、
10月の運動会では、マットや鉄棒、飛び箱、縄跳び、リレーなどの各種目で、
なかなか軽快な動きをし、明らかにその面での成長ぶりも見せてくれた。

この幼稚園での1年半が過ぎて、間もなく新しい年がはじまろうとしている。
1月10日から始まる3学期は、あっという間に過ぎてしまうだろうな~
4月からは小学生。 ピンクのランドセルも、押入れの中で待機中だ。

モミィは、この幼稚園で、本当にいい先生方と出会えた。

かつて次男の幼稚園時代の担任だった今の園長先生は、気さくで優しい。
そして今のモミィの担任の先生も、配慮の行き届いた素晴らしい先生である。
モミィはそういう先生方のおかげで、この幼稚園で大きく成長してきたのだ。

心から感謝している次第です。

 ……………………………………………………………………………………

終業式が終わり、家で昼食をとったあと、午後から1泊旅行に出発した。
行く先は、昔の「万博」でおなじみの千里にある
千里阪急ホテルである。
この夏にも行ったけれど、妻もモミィもお気に入りのホテルだ。

千里…といえばなんだかはるか彼方の遠いところみたいだけど(笑)、
地下鉄を乗り継ぐだけで行ける場所なので、僕のほうも楽である。

ところでこのホテルは、客室が200以上もあるのに、
和室というのはたった1室だけである(なんでやろ…?)。
だから今回の部屋も、夏に来たときとまったく同じ3階の359号室だった。
モミィをベッドで寝かすと、寝ながら動き回って落ちるかもしれないしね。
だから僕たちの必須条件は、食事はバイキングで部屋は和室…なのである。

部屋に着き、よっこらしょ~とテーブルの前に座って、
僕はお土産にいただいた清酒「法螺吹」を開け、グラスに注いだ。

グイっと飲む。旨い。味にコクがあり、さらにそのコクに凄みがある。
体中の血が全身を勢いよく巡り始め、ポヨヨ~ンといい気持になる。
モミィは妻といっしょに、広いホテルの中の「探検」に出ている間、
ひとり美味しいお酒をチビチビやりながら、至福の時を過ごした。

ところで、今度は午前と違ってデジカメを忘れずに持参したのだけれど、
さて写そうと思ったら、ディスプレイに「カードが入っていません」
という警告文が出た。え…? カード…?
まさか、と思ったが、中を見るとやはりSDカードが入っていない。
あぁ~、そういえば昨日、カードをパソコンに挿入したままだった。
とほほ。

午前中の幼稚園と同様、ここでまたスマホのカメラ機能に頼ることになる。

スマホはシャッターを押してから、カシャっと鳴るまで少し時間がかかるので、
それに慣れていなかったものだから、ブレた写真が多かった。
でもだんだん要領がつかめてきて、それも少なくなってきた。
やっぱり、何でも使いこなして慣れていくことが一番ですね。

広いホテルのロビーや、結婚式場など、あちらこちらで、
きらびやかに、クリスマスツリーが飾られていた。


   


そういえば、今日は12月24日。
クリスマス・イブですね。

みなさま、メリークリスマス  

今夜はそれらしく、ワインでも飲んでみようかと思っています。

(またお酒の話かいな~)

 

 

 

 

 

 

 

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ジェイコムと忘年会とホラ吹き

2011年12月22日 | 日常のいろいろなこと

今日のわけのわからないタイトルは、あまり気にしないでください。
この3つのつながりは、な~んにもありませんので(笑)。

さて、先月下旬に、電話とインターネットを、NTTのフレッツ光から、
ジェイコム(J:COM)に変えた話を書いた。

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/94f8cfef66f806e3b5f7b7e8065cbfca

ジェイコムの工事は11月25日に終ったが、電話が切り替わるのは12月に入ってからで、
「9日前後に郵便物が届きますので、そのときにフレッツの解約手続きをしてください」
とジェイコムの人から言われていた。
「NTTからモデムなどを撤去に来ますが、撤去に料金がかかるかもしれません」
と、ジェイコムの人が付け加えた。

プロバイダーの方にはさっそく電話をして、解約手続きを終えた。
相手はつい2ヵ月ほど前に乗り換えた楽天ブロードバンドである。
あまりに早い解約なので、違約金5,000いくらを払うことになる。
それでも、ジェイコムに変えたほうが断然安いので、問題はない。

そして12月に入り、担当者の言葉どおり、ジェイコムから通知があり、
12月9日に電話回線が開通しましたとのことだったので、フレッツへ電話をした。

電話に出た女性に「すみません、フレッツ光を解約したいのですが」と言うと、
女性は実に丁寧な応対をしてくれ「では機器の回収をさせていただきますので」
と言って、「回収に寄せていただく予定日は21日以降になりますが…」
と、問われたので「じゃぁ、21日の午後にお願いします」と希望を伝えた。
「ちなみに…」と、その女性は最後にこんな質問を僕にした。
「このたびは、NTTからどちらのほうに変更されたのでしょうか?」
「あ、それは、え~っと、ジェイコムです」と僕は答えた。
「ありがとうございます。またNTTのほうもよろしくお願いします」
そんなやりとりで、電話は終った。

そして昨日の21日、午後1時過ぎにNTT西日本から電話があり、
「あと15分後ぐらいに寄せていただきます」という連絡が入った。

2人の若い作業員がやってきて、2階のリビングのテレビの裏側に座り込んだ。
ここにコードの中に埋まるようにモデムなどの器具がごちゃごちゃと集まっている。
ジェイコムとNTTの2通りの器具があるので、見るからにむさ苦しい。

作業員はてきぱきと3つの「NTT」マークのついた器具をはずし、
電話が通じるかを確かめてから、「はい、作業は終了しました」と告げた。
その間、わずか5分から10分ぐらい。
取り付けるときは長い作業時間がかかるが、撤去はあっという間だ。
「撤去に関しましては料金は生じませんので、サインだけお願いします」
と、書類を出して、サインの箇所を手で示し、僕がサインをすると、
「どうも、お邪魔しました。回線のほうは、 またいつでも
 NTTを使っていただけるよう、そのままにしておきます」
そう言って、「失礼しました」と、2人は部屋を出て行った。

コードや器具でごちゃごちゃになっていたのも、少しはすっきりした。
電話がちゃんとかかるか自分でも確かめ、PCのネット接続も確認し、
いずれも異常はなく、無事、ジェイコムへの移行が完結した。

あぁ、これで気になっていたことがひとつ終わってしてホッと一息だ。

先月の工事直後、ジェイコムからパソコン設定に来てくれた人に、
これまで長い間長男の部屋に放置していたノートパソコンを出して、
これにも無線LANの設定をしてほしいと頼んだら快くOKをしてくれ、
このパソコンでもインターネットができるようになった。

長男はもう使わないので、これをキッチンに置き、妻が調べ物に使ったり、
モミィがベネッセから定期購読している英語教材の付属DVDを見たり、
しかもこれにはインターネット接続によって英語のやりとりをする仕組みなので、
2人とも、頻繁にこのパソコンを使うようになり、喜んでいるのは結構なことだ。
特にモミィが、ヘッドホンにマイクをつけて、パソコンに向かい、
「アイムモミィ」とか「ナイスツーミーチュー」などと叫んでいる光景には思わず笑う。

ジェイコムに変えることによって、思わぬ副産物も生まれたわけだ。

さて、そのあと昨夜は、いつもお世話になっている方からお誘いがあり、
忘年会に出かけ、もうひとりの人を加えた3人で楽しいひとときを過ごした。

その、もうひとりの人は北海道のスキーから帰って来られたばかりだった。
「ず~っと強い雪が降っていて、スキーそのものはイマイチでしたけど」
と言っておられたが、「はい、これ、北海道のお土産です」といただいたのは…

 

       



「純米清酒 法螺吹(ほらふき)」
名前を見て、思わず吹き出しますね~
自分のことを言われているようで、親しみを感じますわ。

今日の午前中にモミィの幼稚園の終業式が終ったあと、
午後から、この夏も行った千里阪急ホテルへ1泊で行くことになっている。

まあ言ってみれば、僕たち家族3人での「忘年会旅行」である。

夏に行って以来、モミィはすっかりここが気に入ったようだ。
食い気一本のモミィの目当てはバイキングなんですが…。

で、飲み気一本の僕は、この「法螺吹」を持っていこうと思っています。
ホテルに着いて、部屋でまずキューっと一杯。…たまりませんな~。

 

 

 

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まぼろし少年・ダルビッシュ

2011年12月21日 | スポーツの話題

僕が住んでいる地域に馴染み深い2人のスポーツ選手が、今注目を浴びている。

ひとりは現役バリバリで、ひとりは現役を引退した。
プロ野球のダルビッシュと、サッカーの宮本である。
今日はまず、ダルビッシュのことを書いてみたい。

日本のエースが、いよいよ大リーグへ行くことになった。
昨日のニュースでは、テキサス・レンジャーズが交渉権を得たと報じられた。

大リーグでどんなピッチングを見せてくれるのか、大いに楽しみである。

ダルビッシュは、僕が住む大阪府藤井寺市のすぐ隣の羽曳野市の出身である。
全羽曳野ボーイズという少年野球チームで活躍し、全国大会にも出場した。

ところで、僕の家のすぐ近くの川沿いにサイクルロードがあり、
そのコースがわが家の近くの橋を基点として、羽曳野市などを通り、
大阪府で最も南の端に位置する河内長野市というところまで延びている。
その距離21キロ余りで、往復するとちょうどフルマラソンの距離になる。
1キロごとの距離表示もあるので、ランニングの練習にはぴったりである。

そんなことで、僕はランニングの練習にはいつもこのコースを走った。

スタートして6キロ余り走ると、河川敷に少年野球のグラウンドがあった。

そこを通過する時、いつも少年たちの元気なユニフォーム姿を眺めるのだが、
バックネットの上に「練習と書いて勝利と読む」と大きく書かれた看板があった。
目に飛び込んでくるそのフレーズが頭にこびりつき、ランニングで苦しくなると、
「練習と書いて勝利と読む、やでぇ~」と自分に言い聞かせて走ったりしたものだ。

この少年野球チームがダルビッシュが所属していた全羽曳野ボーイズだった。

そのことを、後から知って驚いた。そして、ちょっと後悔した。

十何年か前、堤防を走りながら眺めていたあの少年野球チームの中に、
ダルビッシュ少年がいたのか、と思うと…
「あぁ、一度でもグラウンドに下りてじっくり見ておけばよかった」と…。

「本物」を見ていれば、この話も、もう少し深みが出るんだけどね~
僕にとってダルビッシュは「まぼろし探偵」ならぬ「まぼろし少年」となった。

ダルビッシュはその後東北高校に進み、計4度、甲子園に出場したが、
一度は決勝戦まで進みながら、最後に涙を呑み優勝はならなかった。

東北勢の高校は、いまだに甲子園での優勝がない。
東北にとって、ダルビッシュで優勝を逃したのが痛恨の極みである。

そしてプロ野球は北海道の日ハムに入団した。

大阪から離れ、「北の旅人」のように北へ北へと行くダルビッシュであった。
(僕も「北」に憧れ自転車で東北、北海道へ行ったで~。 関係ないか?)

そして、今度はいよいよ米大リーグへ行くダルビッシュ。

レンジャーズへの入団にはまだ紆余曲折があるかも知れないが、
早く入団を決めてもらって、来期の大リーグでの勇姿を見たい。

ところで、ダルビッシュは覚えているのかなぁ。

「練習と書いて勝利と読む」という、あの言葉を…。

 

 

 

 

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有難や節

2011年12月20日 | 日常のいろいろなこと

へえぇ…?
と、ビックリするというか、感心するというか、
あぁ、時代は変わったんだ~と自覚するというか…

新聞、雑誌、テレビなどを目にするたびに、そんな感情が浮き沈みする。

昨日もそうだった。
新聞の「AKB48 シングルトップ5独占」という見出しが目についた。

CDのこの1年間の売り上げランキングで、
1位から5位までを、すべてAKB48が占めたというのである。
これが実に史上初の快挙ということで、新聞の社会面に載った。

これまでの最高は、ピンク・レディ、光GENJI、嵐の3組で、
いずれも1位から3位までを独占したそうだけど、
今回はその記録を大きく塗り替えたというわけだ。

AKB48なぁ…
今やテレビで彼女たちが映らない日はない…
と知ったようなことを言うが、それがAKBなのか何なのか、
韓国も含めてよく似たグループがあるので、判然としないけれど。

ピンク・レディ…とはまた懐かしいが、あの人気を上回るとはねえ。
このAKB48というのは、なんでこんなすごい人気があるのだろう?
僕はまだ、誰が誰なのか区別がつかないし、誰の名前も覚えられない。

それが世代の違いというものだよ~ん、という声がどこからか聞こえてくる。
もう、ホントに古いんだなぁ、僕も。

AKB48の女の子たちがみんな可愛いのはわかるけれど、
歌は、何度聴いても覚えられない。さっぱりわからない。

今の若い人たちは、こういう歌を聴きながら育っていくんだから、
そりゃぁ僕たちと、興味の対象も、センスも価値観も、違って当然だよね。

僕たちの世代は「古い昭和の歌謡曲」を聴きながら育った。

たとえば…
僕が小学校4年か5年ぐらいの時に「有難や節」という歌が流行した。
僕はこの歌が大好きで、いつも鼻歌まじりに歌っていた。

どんな歌かといえば、…こんな歌である。

ありがたやありがたや~ ありがたやありがたや~
金がなければ くよくよします
女に振られりゃ 泣きまする~
腹が減ったら おまんま食べて
いのち尽きれば あの世行き~
ありがたやありがたや~ ありがたやありがたや~

近頃地球も 人数がふえて
右も左も 満員だ
だけど行くとこ 沢山ござる
空にゃ天国 地にゃ地獄
ありがたやありがたや~ ありがたやありがたや~

  ♪ ♪ ♪

 http://www.youtube.com/watch?v=qGDHmsxrvq0

 

子どもの頃、こんな人を小馬鹿にしたような歌が好きだった僕なのだ。
で、そんな歌の記憶は消えることなく、今も体の中に染み込んでしまっている。

AKB48の歌を口ずさむ今の若者や子どもたちとは、実に雲泥の差があるわけで。
世代間の感覚が違っていても当然だということが、文句なしにわかろうというものだ。

こんな世代間のギャップは、何を試みても決して埋められない…と、
昨日のこの記事を読みながら、改めて思ったわけですよね。

昨日、隣国ではキム総書記が急死し、わが大阪では「旋風児」橋下新市長が就任した。
そんな急変する内外情勢の中でも、僕は相変わらずこんなのんきなブログを書いている。

まあ、まだまだ、自分のまわりは平和だと思っています。

 ありがたや ありがたや~

おヒマな方は、この歌を一度、聴いてくださいまし~

 おヒマなら、聴いてね~ 

 おまけ 

http://www.youtube.com/watch?v=q2dax075WTI&feature=related

 

 

 

 

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マイクを離さない女…?

2011年12月19日 | モミィの成長日記

今日は12月19日。今年もあと10日余りとなり、いよいよ押し詰まってきた。
幼稚園も午後3時までの保育が終わり、今日からは午前11時半に降園だ。
そして今年は金曜日が祭日なので、終業式が22日と早めになっている。

いまは早く冬至が過ぎてほしいという思いで一杯である。
夜明けがあまりに遅いと勘が狂うし、何より、寂しい。
朝の目覚めも悪く、早朝に起きてこのブログを書くことも、
寒くて暗くて物寂しい空気の中では、なかなか進まない。

そんなことで、少しでも夜明けが早くなってほしいんですよね~

ところで、モミィが通う音楽教室では、次回に「おひさまのかくれんぼ」という歌を、
子どもたちひとり一人が前に出て、マイクで歌うことになっている。
モミィも毎日家でエレクトーンや歌の練習をしているのだけれど、
マイクを持って歌うという経験は、まだなかった。

そこで、昨日の日曜日、妻といっしょにカラオケに連れて行った。
童謡やテレビアニメの主題歌など、子ども向けの曲も多いので、
モミィの知っている歌をいろいろかけてやると、
最初は少しためらいがちに歌っていたが、
慣れてくると「わたしがやるわ」と、
自分で曲のパネルを見て、コンコンと棒で叩いて選曲し始めた。
マイクも離しすぎて、はじめのほうは声が通らなかったが、
次第に口に近づけるようになり、うまく使えるようになった。

すっかり興に乗って1時間の予定を2時間に延長し、
モミィはどうやら歌う醍醐味に味をしめたようだった。

音楽教室での「本番」は明日の火曜日だけれど、
さて、みんなの前で、うまくマイクを使って独唱できるのだろうか…

成功を収めたら、モミィは「病みつき」になるかもしれないなぁ。

もしかして、将来は、マイクを持ったら離さない女…になるかも。

 

 

 

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楽天・田中投手の事故

2011年12月17日 | ニュース・時事

楽天のマー君こと田中将大投手が仙台市内で人身事故を起こしたニュースを見たとき、
瞬間に頭をよぎったのは「まさか飲酒運転じゃないだろうね」という心配だった。
が、事故は練習に向かう途中のお昼の出来事で、飲酒とは無関係だった。

あ~、よかった。

甲子園時代から斉藤投手よりも田中投手のファンだったので、
飲酒運転でなかったのが不幸中の幸いだったと、安堵した。

当り前といえば当り前だけど、飲酒運転は今では「大罪」に値する。

しかし…
あまり大きな声では言えないけれど、
僕らの若い頃、世間では飲酒運転が当り前のような風潮があった。
飲み会へ行くのにも、つい面倒くさいから車に乗って行く…という感じで。

30年以上も前だが、僕もミニバイクで職場へ通勤していた時期があったけれど、
帰りに居酒屋でお酒を飲み、そのままバイクに乗って帰宅したこともあった。
それで事故でも起こしていたら、市役所をクビになっていたかも知れない。
今から思えばぞぉ~っとするようなことを、よくまあ、していたものである。

話は戻るけれど、田中投手の事故は、いろいろ関連記事を読んでみると、
自転車に乗っていた相手方の女性の方も、無茶な走行をしていたのではないか、
…という、これは自分勝手な想像だけど、そんなことをどうしても考えたくなる。

女性の側に一時停止の標識があった、とも報じられているし、
警察でも双方に過失があったとみて原因を調べているそうだ。

車と自転車の双方に過失…と言うと、実質的にはほとんど自転車の過失である。
自転車のほうに大きな過失があっても、車から見れば弱者なので、保護される。
「前方不注意」というような漠然とした過失で、車は常に加害者扱いにされる。

僕は今では、車はもとより、単車にも乗らないけれど、
自転車に乗っていて、いつも腹立たしく思うのは、
同じく自転車に乗っている人のマナーの悪さである。

平気で自転車で右側通行をしている。これは本当に危ない。
それと、細い路地から、スピードを出したまま飛び出してくる。
また、狭い道の真ん中をふらふらと走る(どっちかに寄ってくれぇ)。
未だにペダルをこぎながら携帯メールを打っている若者も絶えない。

信号無視も多い。
毎日、モミィを幼稚園に送り迎えしている道で一ヶ所、信号があるのだけれど、
青になって渡ろうとするといきなり自転車が猛スピードで目の前を走り抜ける。
これは高校生風の男女が圧倒的に多い。思わず「こらぁ~!」と叫びたくなる。

田中投手の人身事故のケースも、自転車さえ交通ルールを守っていたら、
起きなかったのでは…と思ったりする(見ていたわけではありませんが)。

ただ、田中投手の車は外車なので左ハンドルだったそうで、
これはこれで「死角」が生じやすい、とも何かに書かれていた。
(それがどうなのか…? 僕にはわからない話ですけど)

いずれにしても、クルマの運転はこわい。
ごく普通の日常生活の中で、突如「犯罪者」になる可能性がある。
田中投手の場合はむろんそこまではいかないが、反省と謝罪の意を表し、
球団から3ヶ月間の運転禁止処分を受けたことは事実である。

さて、
年の瀬も近づいてきて、なんとなく世間も慌しくなってきましたが、
自動車も自転車も、事故を起こさないよう、マナーを守りましょう~。

…と、むかし単車で飲酒運転をしたことのある僕が言っても、
ナンの説得力もありませんけどね~。

そういえば田中投手も、ついこの間まで交通安全キャンペーンをしていたんだっけ。

 

 

 

 

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お酒の復活と不整脈

2011年12月13日 | 心と体と健康と

昨日、2ヵ月に一度の定期検査へ行った。
持病の心房細動(不整脈)の経過を中心に、
ほかにもいろいろ調べてもらう人間ドックみたいな検査である。

心房細動は薬がよく効いてくれているので、普段はほとんど出ない。
ただ、お酒を飲みすぎると、夜中に脈拍が乱れ、息苦しくなることがある。
そんなときは、朝夕1錠ずつ服用している薬を、臨時的に1錠飲んで収める。

診察室で、心房細動に関する医師とのやりとりはいつも、
「不整脈はどうですか…?」との医師の質問に、
「ほとんど出ないです。酒を飲み過ぎると出たりしますけど…」
という会話である。

昨日も同じようなことを言うと、
医師は笑って、検査結果票を見ながら、
「そういえば、ガンマの数値が今月は少し高いですねぇ」
と、肝臓のアルコールによるダメージを示すガンマGTPが、
前回より高くなっていることを指摘して、その部分を丸印で囲んだ。

2ヵ月間禁酒したこの夏には、数値が正常範囲内の30だったのが、
秋には上限を少し上回る70になり、今回は100を少し超えた。
また、少しずつ上がってきているわけで…

しかし、山登りと酒飲みの士が集まる「ウダウダ会」の人たちは、
「ガンマみたいなもんは、500ぐらいまでやったら十分大丈夫やで」
な~んて言うので、100を超えたくらいではうろたえない僕なのだ(笑)

「まあ、これからまた飲酒が多くなる機会が多い季節ですので…」
と医師が注意を促してくれるのだけれど、僕の場合は毎晩家で飲むので、
飲む機会の多い季節が訪れようが訪れまいが、あんまり関係おまへんわ。

そして、もうひとつ、心房細動の持病を持つ人間にとって大切な検査だが、
血液さらさらにする薬のワーファリンがどれだけ効いているかも調べてもらう。
これは、心房細動から起こる脳梗塞を予防する薬である。

脈拍のリズムが乱れると心臓の血液が滞留してかけらのような塊ができ、
それが流れて脳の血管を塞ぐという恐ろしい症状につながることがある。
長嶋茂雄氏の脳梗塞が、まさにそれであった。

それを、ワーファリンを服用することで血液を固まらないようにするわけで、
僕も、これまで何度か書いたけれど、2006年の6月、脳の血管が詰まり、
右半身が軽い麻痺状態になって、ろれつが回らなくなったことがある。

軽度の脳梗塞であった。

幸い、太い血管が詰まらなかったので、すぐに回復し、事なきを得た。

しかし心房細動には、その後も悩まされ続けた。
2007年夏に、思い切ってカテーテルアブレーションという、
心臓の筋肉の一部を焼き切り不整脈の原因を取り除く手術をした。

残念なことに、それは失敗に終わった。

しかし、病院を変え、今の医師と出会って処方してもらった薬を飲み始めると、
それまでの症状がウソのようにピタリと止まり、ほとんど出なくなったのである。
だから、今のところ、またカテーテルアブレーションを受けることは考えていない。

前述のように、今は酒を飲みすぎたときにしか心房細動は出ないのだ。
「のんさんは、わかりやすい体ですよねぇ」 医師がそう言って笑う。

心房細動は収まっているが、ワーファリンはこれからも飲み続けたい。
やはり、もう二度と、あんな脳梗塞状態にはなりたくないんだもんね。

しかしワーファリンが効き過ぎると血が止まらなくなるので要注意だ。
今、僕は1日3錠半の量で落ち着いているが、最初は5錠からスタートした。

現在も、血液検査で「血液のさらさら度」をはかり、
それによって、ワーファリンの量が適当であるかどうかを判断してもらう。

それとはまた別に、不整脈の薬の血中濃度も検査項目のひとつだ。

昨日の検査結果では、その血中濃度値が高くなっていたそうである。
つまり、この数値が高いのは、薬が「効きすぎている」状態だという。

不整脈の薬は、別の新しい不整脈を誘発するリスクもあるそうだが、
薬の「効き過ぎ」が、その原因となることも多いらしい。

「もう少し、薬を減らしたほうがいいですかねぇ…」
と医師は言うが、1日2錠から1錠に減らすのは、やはり不安だ。
それを言うと、医師は、まあそうでしょうけどねぇ、と言いながら、

「お酒を飲み過ぎなければ、1日1錠でもいいのではないですか…?」

…と、口には出さなかったけれど、そう言いたげであった。

ってことで、またまた悩ましい問題を抱えることになっちゃったわけです。

 

 

 

 

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年賀状とブログ

2011年12月10日 | 日常のいろいろなこと

そろそろ年賀状を準備する時期になってきましたね。
最近はこの年賀状というものが好きになってきました。

というのも、市役所に勤めている頃は「年賀状って、面倒くさいなぁ」
…と思っていましたから。これこそ「虚礼」の典型ではないのか、な~んて。

まあ、昔からの知人や遠縁で、長~く会っていない人とか、
遠くへ引っ越して行った知人、友人とか、学校の恩師とか、
20歳の時の自転車旅行で知り合い、それ以来一度も会っていない人とか…
年賀状でしかお互いのつながりを確かめられない人たちに対しては、
ものすごく有難いものであることは間違いのないところだと思います。

でも以前は、半分近くが同じ役所に勤める人たちとの年賀状交換でした。
どうせ仕事初めの時に会って挨拶するのに、何もわざわざ年賀状なんて…
と思いながら書いたものです。不届きな告白ですけど。

それが、退職をした今では…?

ず~っと家にいるのですから、仕事初めも何もありません。
そうなると、これまでと違って、会って挨拶することもありませんし、
会う機会がなくなれば、やはり以前のつきあいが懐かしくなってきます。
といって、別に用もないのに役所へ行くのも仕事を邪魔するだけですしね~

現在、役所に勤める後輩の人たちには、年賀状が唯一の近況報告となり、
また、先に退職している諸先輩方や同期の仲間たちとも同様で、
そういう意味で、これまでは軽く見がちだった年賀状にも、
敬意を表すことになるのですから、自分勝手なものですよね。
環境が変われば考え方も変わるのだ~、と言っておきましょう。
えへへ~

年賀状は、もちろんパソコンで作ります。
毎年写真を載せるのですが、これまでほとんど海外旅行の写真でした。
「いつも写真、楽しみにしています」と書いてきていただいたりするので、
妻や、妻のアネさんといっしょに行った旅行の写真を載せてきました。

ところが、ある時、ある人から、
「のんさんから来た年賀状は、嫁さんが見る前に隠すねん」
と言われたことがあります。
はて、僕の年賀状を隠す…?
「何でやのん…?」と聞き返すと、僕の年賀状の写真を見た奥さんから、
「いいわねぇ、私も海外旅行に連れて行ってよ」と催促されたそうです。
「だから、のんさんの年賀状は、嫁さんには見せられへんね」ってことで、
真っ先に年賀状をチェックして、僕からのは隠してしまう…とのことでした。

何気なく写真を載せた年賀状も、思わぬところで罪を作っていたようで…。

しかし今年はモミィがわが家の一員になり、海外旅行どころではなくなりました。
今年1年を振り返ると、家族で旅行に出かけたのは、すべて近郊ばっかりです。

で、今回は、年賀状の写真をどれにしようかな…?と思案中です。
(いちおうモミィとケイが入っている写真にするつもりですが)

そんな中で、今年のお正月にいただいた年賀状を出してきて読み直していると、
一人一人の人たちとの思い出がよみがえり、ほのぼのとした気持になります。

そんな気持ちで1枚1枚読んでいるうちに、こんな年賀状もありました。
「のんさんのブログ、読んでいます。お元気そうでなによりです」
余白に、肉筆でそう書かれていました。

(このブログで僕の「安否」を確認してくれている人もいるんだ)

こういうのが、自分のブログを継続させる力になってくれています。

年賀状もブログも、ふだん会えない人たちとの貴重な接点…
という点で、僕の場合ふたつが共通しているように思えます。

そういえば、先日、わが友 doiron に「お久しぶりです」とメールしたら、
「お久しぶりも何も、いつもブログ見ていますよ」と返事が来ました。
そういえば、僕も doiron の、毎日更新されるブログを見ています。

ちっとも「お久しぶり」ではなかったわけです。

やはり、年賀状もブログも、退職して「ひとり環境」になると、
いよいよ捨てがたい存在になる、というのが、今の心境です。

 

 

 

 

 

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昭和も遠くなりにけり

2011年12月07日 | 思い出すこと

そろそろ年賀状を作らねば…とパソコンを開け、
1年前、2年前に送った年賀状を参照しながら、
今回はどんな内容にしようか~と考えていたら、
あ~っ、来年は平成24年なんだ、と気がついた。

まあ、今年が平成23年なんだからね~
今さらそんなことに気がつくのもバカみたいな話だけれど、
24年と言うと、自分が昭和24年生まれだから、何だか愛着を感じる。

そ~か、平成も、もう24年になるのか…
昭和24年生まれが、平成24年を迎えようとしている。
いつの間に、それほどの年月が過ぎ去ったのだろう…?

ちなみに、僕が生まれたのは、昭和24年の1月9日なのだが、
40年後の昭和64年の1月8日に、元号が平成にかわった。
その翌日に、僕は満40歳の誕生日を迎えたのである。

つまり平成が誕生した日は、僕の30代最後の日でもあったわけなんですね。
で、それがどうしたん…? と言われたらそれまでの話ですけど。…ぐすん。

ところで、昭和時代ならその人の生まれ年を聞くと、何歳かすぐにわかった。
単純に引き算をすれば、それでわかることだったんだもんね。

でも平成になると、人から昭和〇〇年生まれです、と言われても、
元号が変わっているから引き算もできず、すぐに年齢が浮かばない。
そこで僕は「今年は昭和〇〇年なのだ」と頭の隅に置くことにしている。

だから今年は「昭和86年」なのである。

これをいつも頭に入れていると、
たとえば昭和30年生まれの人なら、86から30を引いて56歳だし、
昭和45年生まれの人は41歳だとすぐにわかる(誕生日が来ての話ですが)。

うちの母親は昭和3年生まれだが、今年で何歳なのかいちいち覚えていられなくても、
人に聞かれるとこの計算を当てはめ、83歳です、とすぐに答えられるので便利である。

さて、そうすると…来年は、当り前だけれど、昭和87年ということになる。
今からそろそろ、86年から87年に頭を切り替えておかなければならない。

そして、話は飛躍するが、13年後には昭和100年になる計算だ。
昭和100年! これもあっという間に来てしまいそうだなぁ。
(その時、僕は生きているかどうかわかりませんけどね)

僕が高校生の頃、新春1月の始業式の時、校長先生が朝礼の挨拶の中で、
「諸君、今年は明治100年に当たる、まことに慶賀すべき年であります」
…と、ひときわ語気を強めて言われたことを、今でもよ~く覚えている。

そういえばこの頃は「明治は遠くなりにけり」という言葉が流行していたっけ。
明治は45年までだったから、当時は、それから55年が経っていたことになる。

で、今年(平成23年)は「明治144年」だけど、こんな話、何の参考にもなりませんわね。
明治生まれの人のお年も、明治何年生まれと聞けば144から引き算をすればいいが、
そういう機会にめぐり合うことなんて、まあ言ってみればあまりないわけで…。

ここまでくると、じゃあ「大正」で言えば今年は何年なんだ…? と思う。

そこで、ついでだから、つい先ほど、ネットで調べてみた。
すると…

が~~~~~~ん。

今年は、なんとまあ…「大正100年」なんだそうである。

大正100年!

今年もあとわずかになったというのに、まったく知らなかったなぁ。
…ということは、明治生まれの人はすべて百歳以上ということになる。

う~む。もう、そんなに歳月が過ぎたのか。

 高校の時の校長先生の「今年は明治100年です」という言葉が懐かしい。
そしてこのたび、明治が幕を閉じた年から、100年が経ったのである。

今こそ、まさに「明治は遠くなりにけり」である。

…とは言っても今のめまぐるしい世の中を見ていると、明治どころではなく、
「昭和は遠くなりにけり」という言葉も違和感なく受け入れられそうである。

平成も24年になろうとしているのだから、昭和も遠ざかって当然だよね。

ところで…
いったい僕は、何の話をしていたのだろうか。
年賀状のことを書くつもりだったんだけどな~

年賀状の「平成24年」から、話がとんでもない方向へ行ってしまった。

ど~も、失礼しました。

 

 

 

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スマホで楽しんでいます

2011年12月03日 | 日常のいろいろなこと

スマホを持ちはじめて半月が経つが、少しずつ慣れてきて、
電話とメールは携帯と同じ感覚で使えるようになってきた。
ただ、タッチパネルの文字入力をこなすにはまだ時間がかかりそうだ。

文字盤の「あ」や「か」の部分を軽く叩いてその行の文字を出すのだが、
「あ行」を叩いているつもりが途中から「か行」を叩いていたりする。
漢字変換では、元々字が小さなうえ、軽いタッチで反応するものだから、
人から「ミニバナナのお手手」と呼ばれる僕の丸くて短い指では、
タッチしたい字の上下左右に触れ、違う漢字が出てしまったりする。

ところで、文字入力にはもうひとつのやり方があって、
トントンと叩いて字を出すのではなく、「あ」なら「あ」に軽く触れたままでいると、
「あ」の四方に、い・う・え・おという字が出て、それを目的の字のほうへなぞると、
その字が出る…という方法で、僕にとってはこちらが向いているかなぁと思う。

文字入力も、この方法が慣れてくれば早く打てるようになるのではないか…
今は、知人・友人に長いメールを送るときは、文字はパソコンで打ち、
それをメールでスマホに送り、転送する、という方法を取っています(笑)。

それにしても、この取扱説明書というやつは、どうしてこんなに難しいのだ。
ワクワクしながらパラパラとめくっていくのだけれど、さっぱりわからない。
まず、ランチャメニューとかウィジェットとか、書いてある用語がわからない。
言葉の意味を調べながら、じっくり取説を読みながらスマホを動かしていれば、
そのうち、内容の理解も進んでいくのかも知れないが、大変な根気がいりそうだ。

その点、パソコンを開けてインターネットで検索をすると、やさしい表現で、
いろいろな解説をしてくれているサイトがあり、こちらのほうが頼りになる。

一例を挙げると、このサイトである。

http://www.meetroid.com/?p=51356

こういうサイトがあると、自分がスマホでやりたいことも明確になり、便利である。

スケジュール帳として「ジョルテ」というのを選んだのも、ここに載っていたからだ。
その使い方もインターネットに載っているので、これで覚えられる。
あとは、毎日「ジョルテ」を開くという習慣をつけるだけである。

日記も、ネットで人気のある「瞬間日記」というアプリをダウンロードした。
これも使いやすいので、さっそく毎日の出来事を思いついたときに記している。
いつも手元にあるので、そのつど、手軽に書いておけるのが何よりの魅力だ。

「メモ帳」にも、いいアプリがあったので、それを使い始めている。
これまでパソコンに入れていたいろいろな「覚え」とか、
見聞きした感心した話や面白かった話を打ち込んでおく。
このブログのネタやテーマも、思いついたときに打ち込んだりする。

英語勉強に役立つアプリも、パソコンで検索してダウンロードした。
一度にあれもこれも詰め込んでも使い切れないので、まずは英単語から。
「ボキャブラキング」というアプリで、全部で12,000の単語が収録されている。
それをレベル別に1,000ずつ分けて、12ブロックある。
日本語が出て、下に英語の部分的なスペルがランダムに出ていて、
その英単語を当てる。まあ、クイズみたいな感覚である。
(タッチで答えの単語を書く枠もあるが、言い当てるだけでも十分勉強になる)。

http://www.meetroid.com/?p=28915

何と言っても、スマホは小さいので持ち運びに便利である。
パソコンを起動するのは時間がかかり、紙にメモすればいつかは失う。
その点、いつ、どこでもそばにいてくれ、気軽に使えてデータはずっと残る。
自分の身の回りの情報の管理を一手に引き受けてくれる賢いヤツである。

こういうのに夢中になると、他のことが手につかなくなりそうだなぁ。

メールを見たり、webで自分のブログを読んで字の間違いに気付いたり、
予定表を見たりメモをしたり、日記をつけたり、英単語で遊んだり…

まだわずかな機能しか知らないが「何とか使えそう」という見通しができた。
老眼鏡を掛けなくても、小さな字でも見える自分の視力に感謝をしながら、
毎日、少しずつ、使用範囲を広げたり、慣れたりすることを楽しんでいる。

横でモミィが覗き込んで「スマホ、ちゃんと使えてるのん…?」と聞く。

「う~ん。ちょっとだけね」

そうです。まだ、ちょっとだけですけど、本当に楽しいですね、スマホは。

 

 

 

 

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